第 60号 北海学園大学人文学部

9
1
9
−9
6
0
8
I
SSN 0
北海学園 大 学
第 60号
잰退職記念잱
常見
信代教授
北海学園大学人文学部
2016年3月
執筆者紹介
郡
常
安
佐
井
池
仙
秋
司
見
酸
藤
上
内
波
淳
代
眞
(
日本文化学科:教 授)
信
(英米文化学科:教 授)
敏
(英米文化学科:教 授)
貴
(英米文化学科:准教授)
真 蔵 (北海学園大学:名誉教授)
靜 司 (北海学園大学:名誉教授)
千 枝
(
ベトナム国家大学ホーチミン人文社会科
学大学日本学部講師:博士(文学)(北海
学園大学大学院文学研究科))
元 裕 子 (北海学園大学人文学部:非常勤講師)
北海学園大学
人文論集
第 60号
2016(平成 28)
年3月 3
1日
編
集 田
上
中
野
司
郡
誠
綾(日本文化学科)
治(英米文化学科)
発
行
者
淳
発
行
所 北海学園大学人文学部
〒0
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28
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5札幌市豊平区旭町4丁目 1番 4
0号
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8
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16
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電話(0
1
印 刷 ・ 製 本 ㈱アイワード
札幌市中央区北3条東5丁目
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………………………………………………YukoAKI
㈠
MOTO 244
FACULTY OF HUMANI
TI
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HOKKAI
GAKUEN UNI
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TY
SapporoHokkai
doJapan
タイトル1行➡3行どり
タイトル2行➡4行どり
献
辞
人文学部長
郡
司
淳
私どもの敬愛する常見信代先生が,2
0
16年3月末日をもって退任されま
す。誠に残念ではありますが,ご退任にあたり,学部を代表して送別の辞
を述べます。
常見先生は,1
9
71年3月に北海道大学大学院文学研究科西洋
学専攻修
士課程を修了後,同大学文学部助手,北海道女子短期大学助教授・教授,
札幌国際大学短期大学部教授,札幌国際大学人文・社会学部教授を経て,
1
9
9
9年4月に北海学園大学人文学部に教授として着任されました。
先生のご専門は西洋
学で,北海道大学文学部在籍中からイギリス中世
の研究に着手され,卒業論文
営
中世後期のレスターシャにおける農業経
はその優れた内容により, 北大 学 12号(19
6
8年8月)に掲載さ
れております。爾来 40年以上にわたり,中世スコットランドとイングラン
ドの研究に精力的に取り組まれ,井上泰男・木津隆司との共著
ロッパ女性誌
中世ヨー
얨婚姻・家族・信仰をめぐって (平凡社,1
98
6年)をはじ
めとする多くの成果を上げてこられました。
この間,先生が学界で重きをなしてきたことは, オックスフォード ブ
リテン諸島の歴
全 11巻(慶應義塾大学出版会,2
0
0
9
∼201
5年)の監訳
者の一人に名を連ねていることからもうかがわれます。ちなみに,先生の
ご担当になった第2巻 ポスト・ローマ (20
1
0年)は,その 練られた訳
文 , 充実した索引と訳注 によって 日本でイギリス
て必須のリファレンス ( 2
0
10年の歴
学界
を学ぶものにとっ
얨回顧と展望
얨
学雑
誌 第 12
0編第5号)と位置づけられております。また,1
9
95年5月には,
1
5世紀イギリス・ジェントルマンの衣生活
1・2( 衣生活研究
1
4巻
8号/同9号,1
9
87年 1
2月/19
88年1月)
, ハイランド・ドレスの歴
1
をたどって
その1・2( 日本服飾学会誌
1
2号,19
93年5月)などの
論文で,服飾の問題を広くイングランドとスコットランドにおけるナショ
ナリズムやその基盤となる国内市場の形成に位置づけて解析した点が高く
評価され,日本服飾学会賞を受賞しておられることも申し添えます。
先生のご研究は,イギリス
該博な知識をふまえ,厳密な
学界の最新の動向にも目配りした研究
料批判と解釈に基づき
基本的な作法としたもので,
まさに 19世紀のドイツに
の
証を重ねることを
生した近代歴
学
の王道を征くものです。先生には,近々,単著と編著を上梓されるご予定
ともうかがっており,いまから楽しみです。
教育活動では,学部のヨーロッパ
(イギリス
)
・英米文化講読・基礎
演習・専門演習などに加え,大学院の英米文化専攻博士(後期)課程の欧
米歴
・環境文化論文指導A・B・C,および修士課程の欧米
쑿,欧米
特殊講義
特殊講義쑿A・쑿B演習を担当され,つねに学部・大学院の中
心メンバーとして学部生・大学院生の指導にあたってこられました。その
さい先生は,毎年ゼミ生の卒業論文を上製本して一冊に編まれているよう
に,ことのほか論文指導を重視しておられたように拝察いたします。その
一端は,先生のゼミから多くの大学院生が輩出されたことにうかがわれま
す。
学内委員としては,協議委員・学科委員・教務委員・大学院委員・
開
講座委員長・基本権委員(学長指名)などを歴任され,大学運営に貢献し
てこられました。とくに 2
0
0
6年4月から 2
0
10年3月まで,2期4年にわ
たり務めた図書館長時代の業績は,特筆すべきものです。先生は,館長就
任早々,図書館の電子化にともなう学
法人の雑誌費削減要求に対し,館
員や委員を通じて学術雑誌の利用状況を調査され,その資料を基に法人と
粘り強く
渉にあたられました。そのさい先生は,単に利用の多寡を論じ
るだけでなく,一人でも利用者がいれば,その教員の研究基盤を守るため,
雑誌の受け入れを継続すべきと説かれたと人づてに聞いております。この
ように先生がつねに教員・学生の目線で館長の職務に取り組まれたことは,
辞書・事典類の消耗品化やブックハンティングの開催などの事業に刻印さ
2
れております。また,先生は,設置準備委員として,大学院文学研究科修
士課程英米文化専攻の開設にかかわり,今日の大学院教育の礎を築かれた
お一人でもあります。
多くの教職員・学生が恩恵を蒙ったという点では,先生のご提案で食堂
のラーメンに大盛りが導入されたことも特筆大書すべき業績?です。これ
では物足りない
ば,先生は
という先生の強い思いが現場を動かしたのでした。思え
渉の達人でいらっしゃいました。
先生には,以上のような研究・教育・大学運営における諸活動をとおし,
本学の発展に寄与された功績により,2
0
16年4月1日付けで名誉教授の称
号が授与されることを付記いたします。
常見信代先生,どうか,いつまでもお元気で,後進の指導にあたられる
とともに,大学と学部の将来を見守ってください。先生のますますのご活
躍とご
勝を祈念し,はなむけの言葉といたします。
3
常見信代教授
タイトル1行➡3行どり
タイトル2行➡4行どり
最後に少しだけ微笑んで
常
見
信
代
すべては二本の電話から始まったと思います。
平成 1
0年の秋遅くに北大
退職後に人文学部日本文化学科に移られていた永井秀夫先生から
化学科の大学院を設置するために来てもらえないか
た。その年の夏にイギリス中世
英米文
との電話がありまし
の東出功先生が病気で急逝されたためで
した。後で知りましたが,日本文化学科はすでに博士課程まで設置されま
したが,英米文化では何度か話は出ても動きにならず,頼みの綱の東出先
生も…ということだったようです。予期せぬことで躊躇しましたが,永井
先生は東京にいる私の恩師にも相談したようで,恩師からも
げて
協力してあ
との電話があり,翌年4月に赴任することになった次第です。
このたび研究室を片付けて図書の並び方の乱雑さに呆れましたが,これ
も前任
ださった
の友人らが手当たり次第に段ボールに入れて運び書棚に並べてく
おかげ
であり,赴任当時のあわただしさを物語る
料
で
もあります。その後の3年間は一層あわただしく,図書の整理どころでは
ありませんでしたが,学部長そして研究科長として設置の指揮を取られた
村山出先生の忍耐と先生に対する法人や大学の絶大なる信頼,また,本学
に対する文科省の絶大なる信用が設置を可能にしたと思います。担当者か
ら 学生のために,日本文化学科と同じように と激励されるほどでした。
しかし,本当の意味で 同じように なったのは,安酸学部長による 学
部としてのカリキュラム構想
の提案からであり,説得力ある
構想
を
実施案 として取りまとめた郡司学部長の信念と熱意と馬力と,事務職員
のプロ意識との絶妙なる
協働作業
によってでした。また,須田研究科
長のもとで,学部と大学院のカリキュラムの整合性や担当者の拡大など設
置以来の課題が話し合いによって改善されました。私自身は足を引っ張る
7
だけでしたが,本当の意味で
完成
された学部と大学院を,若い先生方
が力を発揮する体制を見届けることができたことをうれしく思います。
教師としては,よき学生に恵まれ, ゼミと卒論とコンパ の大学伝統文
化を全うすることができた 1
7年間でした。研究者としては,たくさんの課
題が積み残され,ご迷惑をおかけしましたが,安直にまとめないことを信
条に
個別研究
としての
の積み上げに愚直なまでにこだわってきました。研究者
完成年度
を迎えるためには,もう少しかかりそうです。とり
あえず平穏のうちに教師生活を終えることができました。これもみなさま
の寛大なご配慮のおかげであり,深く感謝もうしあげます。
最後に,人文学部のみなさまのご
勝と学部のますますのご発展を祈念
してお別れのことばといたします。
8
略
常見
歴
信代 19
45年 10月 2
1日生
学
歴
1
9
68年3月
北海道大学文学部 学科卒業
1
9
71年3月
北海道大学大学院文学研究科西洋
学専攻修
士課程修了(文学修士)
1
9
73年4月−19
7
4年3月 東北大学大学院文学研究科研究生
職
歴
1
9
71年4月−19
7
3年3月 北海道大学文学部助手
1
9
8
7年4月
北海道道女子短期大学服飾美術科助教授
1
9
90年4月
同 教授
1
9
93年4月
札幌国際大学短期大学部
(旧静修短期大学)
教授
1
9
97年4月
札幌国際大学人文・社会学部教授
1
9
9
9年4月
北海学園大学人文学部教授
学内委員
就職委員,協議委員,学科委員,
(大学院英米文化専攻設置準備委員)
,図
書委員,図書館長,広報委員,
開講座委員長,大学院委員,将来構想委
員,在外研修委員,基本権委員(学長指名)
,教務委員
学
学会
会
西洋
学会
中世学会
日本服飾学会(平成 11年−16年度理事)
,日本アイルランド協会
(平成5−
1
8年度理事)
,日本ケルト学会,中世ブリテン
9
研究会(平成 20年∼現在
字
取
り
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代表),Has
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apan
平成7年5月 日本服飾学会賞
主な研究業績
著 書
共著: マーガレット・パストン:バラ戦争期の女性像
司,常見信代著
ぐって
ヨーロッパ中世女性誌
井上泰男,木津隆
얨婚姻・家族・信仰をめ
平凡社,1
986年 10月,15
7頁∼21
8頁
翻 訳
監訳:チャールズ・エドワーズ著
第2巻 ポスト・ローマ
オックスフォード・ブリテン諸島の歴
慶応義塾大学出版会,2
0
10年
論 文
1. 中世後期のレスターシャにおける農業経営
北大
学 12号,1968
年8月,49∼63頁
2. 1
5世紀イギリス・ジェントルマンの衣生活1
衣生活研究
1
4巻8
衣生活研究
1
4巻9
号,198
7年 1
2月,59
∼72頁
3. 1
5世紀イギリス・ジェントルマンの衣生活2
号,198
8年1月,6
5
∼76頁
4. イギリスのカシミア・ショール産業
月間百科 31
4号,1
9
88年 11
月,14∼21頁
5. シンボル・ストーンを読む
日本服飾学会誌
1
1号,1992年5月,
1
3
∼29頁
6. ピクトの王国:Ki
ng-l
i
s
t
sをめぐる諸問題
北大
学 3
2号,1992
年8月,21∼36頁
7. ハイランド・ドレスの歴
をたどって:その1
日本服飾学会誌
12号,19
93年5月,33
∼4
3頁
8. ハイランド・ドレスの歴
をたどって:その2
1
0
日本服飾学会誌
12号,19
93年5月,44
∼5
4頁
9. 王位の継承慣行をめぐって:9∼1
0世紀のスコットランド
エー
ル 14号,199
3年 1
2月,18
∼31頁
1
0
. マクベス:その実像と虚像
静修短期大学研究紀要 25号,199
4年
3月,8
7
∼99頁
1
1
. Pi
c
t
avi
aから Al
baへ:スコットランド初期中世の再検討
エール
15号,19
95年 1
2月,80
∼89頁
1
2
. Lor
doft
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s
l
esの前 を探る:始祖 Somer
l
e
dを中心に
エール
16号,19
96年 12月,17
∼31頁
1
3
. スコットランドの守護聖人:聖コロンバから聖アンドルーへ
国際大学紀要
札幌
5号,1
9
98年3月,1
0
3
∼1
14頁
1
4
. スコットランド独立戦争とアイルランド:ブルースの侵略とプロパ
ガンダ文書をめぐって
エール
1
9号,199
9年 1
2月
1
5
. スコットランドのノルマン=コンクェスト:その1
検討をとおして
北海学園大学人文論集
1
6
. スコットランドと
役割
運命の石
北海学園大学人文論集
1
7
. スコットランドと
運命の石
国王文書集の
1
7
,2
0
00年 1
1月
얨中世における王国の統合と神話の
1
9号,20
0
1年7月,6
593頁
얨中世における王国の統合と神話の
役割(続) 北海学園大学人文論集 2
0号,20
02年3月,14
7-180頁
1
8
. ブルースのアイルランド侵略:その目的をめぐって
人文論集
北海学園大学
2
3
・2
4合併号,2
00
3年3月,8
7-1
20頁
1
9
. スコットランドの ノルマン=コンクェスト ⑵:証人構成の検討を
とおして
北海学園大学人文論集
2
0
. スコットランドの
の関係をとおして
2
5号,20
03年 1
0月,14
0頁
ノルマン・コンクェスト
⑶:王権と辺境地帯と
北海学園大学人文論集
2
6・27合併号,200
4年
3月,9
9
131頁
2
1
.
料にあらわれた J
ude
x
北海学園大学人文論集 3
6号,2007年3
月,157
1
87頁
2
2
. スコットランドの pe
opl
e
saddr
e
s
s 얨国王証書の
1
1
析から
中世
ブリティッシュ・ヒストリーの可能性と射程 (20
0
4
∼2
00
7年度科学研
究費補助金・基盤研究(B)研究成果報告書,研究代表鶴島博和)2
008
年5月,801
00頁
2
3
. ストラスアーン伯と
ノルマン・セツルメント
国学院経済学 57,
2
0
09年3月,3
6
9
-4
1
2頁
2
4
. 修道院パルキアの再検討:アイオナを中心に The Haskins Society
,2
011年,
Jour
nal ,Japan: studies in medieval histor
y (Suppl
.1)
6
1
-8
1頁
2
5
.
ケルト教会 と復活祭論争
北海学園大学人文論集 57号,201
4年
8月,1-87頁
2
6
. アダムナーンの
聖コルンバ伝
を読む
얨 料とその問題点
新
人文学 (北海学園大学大学院文学研究科)
,1
7
2-2
37頁
その他(学術関係のみ)
1. ピクト:その実像をめぐって
ケルティック・フォーラム
2号,
1
9
97年 12月,3
0
∼32頁
2. 中世における人びとの帰属意識をめぐって:1
2
−1
4世紀スコットラ
ンドの場合
エール
2
0号,200
0年 1
2月,223
27頁
3.〔共同研究報告〕 欧米諸国における多文化の問題と日本の課題 北海
学園大学人文論集
18号,200
1年3月,1-4頁
4. 運命の石 と ファラオの娘 ; Sue
nosSt
oneを読む ;
ら物語へ
얨マクベスを追う などを連載, スコットランド
実か
り 33-
35号,20
01
20
03年
5.〔書評〕 高橋哲雄著 スコットランド 歴
を歩く エール 第 2
4号,
2
0
04年 12月,1
7
275頁
6. スコットとアイリッシュ再
エール 2
6号,2
00
6年 12月,16
8
172
頁
7.〔事典〕木村正俊・中尾正
編著, スコットランド文化事典 ,原書房,
2
0
06年,中世および近世の大項目,中項目など多数
8.〔翻訳〕アン・ウィリアムズ
イングランド人の国王ハロルド2世の一
1
2
族とその経歴
北海学園大学人文論集 3
6号,2
0
0
7年3月,26
1
288
頁
9. 中世のブリテン諸島における教会組織の再検討 (20
0
9∼201
2年度科
学研究費補助金・基盤研究(B)研究成果報告書,研究代表常見信代,
2
0
13年6月,16頁
1
3
タイトル1行➡3行どり
タイトル2行➡4行どり
送る言葉
安
酸
敏
眞
敬愛する常見信代先生がこの3月で本学をご退職になります。英米文化
学科の教員を代表して,ひとこと感謝と餞の言葉を述べたいと思います。
常見信代先生は,わたしが本学に着任した 1
2年前には,すでに学科の実
質的な中心として存在感を示しておられました。より古い先生方や年配の
先生方も多くいらっしゃいましたが,常見先生ほど熱心に学生指導をし,
学科の充実のために心を砕いておられる方はおられなかったように思いま
す。当初はお互いに遠慮ないし誤解があって,むしろ疎遠でしたが,わた
しが学部長をしているとき,さらに図書館長になってから,いろいろな助
言や協力をして下さり,
今では学科内で最も信頼し合う関係になりました。
先生の独特の魅力は,あねご肌的なところと育ちの良さからくる気品で
しょうか。実務能力にたけ,学生指導に熱心で,研究スタイルは堅実とき
ていますので,すべての面で一目置かざるを得ない同僚でした。
常見先生は,北海道大学文学部助手,北海道女子短期大学助教授・教授,
札幌国際大学短期大学部教授,札幌国際大学人文・社会学部教授を経て,
1
9
99年4月に北海学園大学人文学部ならびに大学院文学研究科教授とし
て着任されました。20
06年4月には図書館長に就任され,2
01
0年3月まで
2期4年間にわたってその重責を果たされました。
常見先生のご専門は西洋
イギリス
の
学ですが,北海道大学文学部在籍中から中世
野の研究に精力的に取り組まれ,卒業論文
スターシャにおける農業経営
中世後期のレ
はその秀逸さが評価されて,早くも
北大
学 1
2号に掲載されています。爾来 4
0年以上にわたって中世のスコット
ランドとイングランドを研究テーマとしてこられました。この間ご家
の
事情で 15年ほど研究の中断を余儀なくされたものの,
逆境の中でも挫ける
1
5
ことなく初志を貫徹して,今日まで着実にその研究成果を積み上げてこら
れました。近々そのライフワークが,単著
の成立 (仮題)と編著
革まで
一次
ブリテン諸島教会
スコットランド・ネイション
얨改宗から 1
2世紀教会改
として,上梓される運びであると伺っています。これらは難解な
料の読解と該博な研究
の知識とに基づく研究成果であって,わが
国の学界に大きな寄与をなすこと請け合いです。
教育の面では,学部・大学院でイギリス
を中心に多くの科目を担当さ
れ,つねにその中心メンバーとして,学生・院生の指導に情熱を注いでこ
られました。とくに大学院修士課程の設置に際して,その準備委員として
傑出した働きをされました。
学内委員としては,幅広い
野の委員を歴任してこられましたが,とく
に図書館長として大きな足跡を残されました。数年後にその跡を継いだ自
としても,多くの点でお手本とすることのできる,実に素晴らしい図書
館長だったと思います。
学会活動としては,
学会,西洋
学会,中世学会,北大
学会,日本
服飾学会(平成 111
6年度理事)
,日本アイルランド協会(平成 5
-18年度
理事),日本ケルト学会,中世ブリテン
研究会(平成 2
0年∼現在代表)
,
Has
ki
nsSoci
e
t
y,および Has
ki
nsSoc
i
e
t
yJ
apanに所属され,それぞれ
の学会において重責を果たしてきておられます。
このような常見先生とお別れするのは,とても名残惜しいのですが,今
後とも末永くご
在であられ,学部・学科・大学院に対してご指導ご鞭撻
くださることを念じています。
1
6
北海学園大学
잰退職記念잱
第6
0号
目
献
2
0
1
6年3月
次
辞 ……………………………………………………郡司
淳
1
………………………………常見 信代
7
送る言葉 ……………………………………………………安酸 敏眞
1
5
異文化接触と姉妹都市
流 ………………………………井上 真蔵
1
9
T.
S.エリオットの文学批評 ………………………………池内 靜司
6
9
反省的/再帰的近代化と宗教 ……………………………佐藤 貴
9
3
最後に少しだけ微笑んで
福沢諭吉と西周の留学体験
一
〇
三
얨わが国の知識人と留学(その一) 얨 …………安酸 敏眞 142
쑛
作家と山
얨内藤千代子
瀧口修造のシネ・ポエム
小
説
冷炎
五
を例として ………仙波 千枝 1
90
쑛
五
卵のエチュード
얨サルバドール・ダリによる啓示とその超越 ……秋元 裕子 2
44
㈠
題字揮毫:島田無響氏
タイトル1行➡3行どり
タイトル2行➡4行どり
異文化接触と姉妹都市
流웋
井
上
真
蔵
はじめに
平日の午後にも関わらず,最終講義のために足をお運びくださり,お礼
申し上げます。本日は, 異文化接触と姉妹都市
流 というテーマでお話
させていただきたいと思います。
まず最初に,姉妹都市の概要について簡単にご紹介いたします。姉妹都
市は,第2次世界大戦後,アメリカのアイゼンハワー大統領により,市民
同士の
流により親善と友好を深め平和に寄与しようという趣旨で始めら
れました워
。日本とアメリカとの間の第1番目の姉妹都市提携が,長崎市と
アメリカのミネソタ州のセント・ポールとの間で結ばれました。日本が戦
後復興をしようとしている 1
95
5年のことです。そして,現在では日本国内
で姉妹提携をしている自治体の数は 1
,
6
78件に達しています웍
。もっとも,
この数値には複数の都市と姉妹提携をしているケースも含まれますので,
自治体の
数はこれよりも少なくなっています。
さて,今日お話するのは,そのような姉妹都市のなかでも,日本とカナ
ダの間の姉妹都市
流についてです。カナダとの姉妹都市提携の第1番目
は,大阪の守口市とブリティシュ・コロンビア州のニューウェストミンス
웋本稿は,2015年2月5日に行われた最終講義に加筆修正したものである。
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5年5月 3
1日 現
웍自治体国際化協会のホームページに記載された数値(2
在)。ht
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1
9
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
ターによるもので,196
3年のことでした。現在カナダとの姉妹都市数は,
7
3件にのぼっています웎
。そして,北海道について言えば,北海道内の 26の
自治体が姉妹提携を結んでおり,カナダとは非常に縁が深いのが
かりま
す。これらの 7
3の自治体のうち,調査で訪れたのはカナダ側の 1
5の自治
体と日本国内の 4
5の自治体です。それらの自治体で,姉妹都市
流に関
わっている職員の方々や実際に訪問団に参加したり,ホストファミリーと
して受入れに関わってこられた方々から,お話を伺うことができました。
それでは姉妹都市
流というのは,どのようなものでしょうか。国境を
越えて,文化を越えての
流はさまざまな形がありますが,姉妹都市
の特徴を簡単に押さえておきたいと思います。姉妹都市
国々の市民同士が,親善と友好を基礎にして
流
流とは,異なる
流を深めていき,お互いの
文化的な違いを理解して相互理解を深めていこうというものです。これと
は対照的なのがビジネスにおける
流ですが,ビジネスは利益追及が主な
目的であり,そこでは往々にして相互の利害関係が異なっており,親善と
友好を基礎とする姉妹都市
流とでは基本的に異なったものだと言えるで
웎日本とカナダとの姉妹都市提携数について,カナダ大
館のホームページで
は 76件(ht
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0件となっており,6件の違いがある。この6件のう
会のホームページでは 7
ち,上士幌町とスレイブレイクについてはそもそも提携自体が存在しておら
ず,加賀市とハミルトンおよび大子町とギボンズについは提携が解消されて
いるが,これら3件はカナダ大
館の HPに記載されたままである。残りの
3件のうち,本巣市とデボン,志賀町とコールウッド,石井町とミネドーサ
については,いずれも
流は途絶えたままだが,姉妹都市協定は解消されて
いないとのことであり,この3件もカナダ大
館のホームページには残った
ままである。ところが,自治体国際化協会の場合には,地域の国際
部署からの報告に基づいて集計しているので,実質的に
については記載されていない。従って,
実質的な
流関係
流のないこの3件
計が 7
0件となっているのである。
流の有無は別にして,姉妹都市盟約書が存在しているか否かとい
うことを基準にすれば,姉妹都市提携数は 7
3件である。
2
0
異文化接触と姉妹都市
流 (井上)
しょう。ちかごろでは,姉妹都市はどのような経済的メリットがあるのか
などの質問もよく見かけられます웏
。しかし,上に述べた根本的な違いを理
解すれば,このような問いかけは姉妹都市
流には馴染まないということ
が理解されると思います。
このような姉妹都市
流という現象を,異文化接触の視点から理解して
いこうというのが,今回のテーマになります。極めて簡単に言うと,異文
化接触とは自
とは異なる文化に出会った時に,当たり前が当たり前でな
くなる ということです。このような時に, 相互理解 とか 郷に入って
は郷に従え
とかいう表現がよく
われます。英語の表現にも,同じよう
に,〝Whe
"という
ni
nRome,doast
heRomansdo.
があります。しか
し, 言うは易しく行うは難し で,実際に異文化に出会ったときには,そ
んな風にはいかない場合が多いんですね。つまり,お互いに
は異なるプログラム
事実
自
に基づいて行動しており,しかも両者ともに
たちと
その
に気づいていないことが多いからです。そのような難しさはありま
すが,異文化接触の醍醐味というのは,そのような過程を経験することに
より, 自
自身が変る
ということを自らが認識することだと思います。
そして,その過程でそれまでは想像もしないような影響を受けるというこ
とでもあるのです。
Ⅰ
カナディアン・ウェイとの出会い
얨行動的なカナダ人
それでは,具体的に見ていきましょう。ここではカナダ人の
動の仕方を
カナディアン・ウェイ
え方や行
と呼ぶことにいたします。このカナ
0
06年 1
1月 Vol
웏石井良一(編) NRIパブリックマネッジメントレビュー 2
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40,野村
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。楠本利夫
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姉妹都市
流の意義
얨グローバル化の進展と姉妹都市
얨 国際文化研修 2
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3夏 vol
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),40ページ。
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2
1
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
ディアン・ウェイとの出会いは,日本側からカナダを訪問したときだけで
はなく,カナダ側から日本を訪れた時にも起こります。お互いに自
たち
が見慣れない所に目がいく訳ですが,日本人にとってどのような側面に目
がいくのでしょうか。日本国内で
デッカイドー
と言っている広い北海
道から行っても,
カナダの自然を目の前にすると,カメラに入りきらない
とか 北海道の自然の 1
0倍だ とか言って驚きの声をあげます。ここでは,
このようにすぐに目に入ってくる自然とか街並ではなく,もう少し踏み込
んでカナダ人の行動様式という側面を取り上げていくことにしましょう。
1 やりたい事をやっても良いんだ엊
얨 クロッガーズ
との出会い
東京の板橋区はオンタリオ州のバーリントンという町と姉妹提携をして
います。この町はナイアガラに行く途中にありますが,そのバーリントン
から市民訪問団がやってきた時のことです。訪問団の中には, クロッガー
ズ
というシニアのダンスグループがいて,板橋区の区民ホールでダンス
の披露をしました。さて,どうでしょうか。写真に写っているように,1
0
人余のグループですが,年配の男性が一人と若い女性も一人います。しか
し,ほとんどが 60歳前後の女性で,7
0歳代の方もいらっしゃいます。そし
2
2
異文化接触と姉妹都市
流 (井上)
て,この赤い短いスカートに,この衣装はどうでしょうか원
。これを見た板
橋区の同年輩の女性は,驚くんですね。 カワイイ∼엊 とか あんな衣装
をきて踊っても良いんだ엊
と言うんですね웑
。
板橋区というと,東京 2
3区の一つですし池袋も近いですしね,私は勝手
に都会的で進歩的だと思っていたのですが,やはり日本人だと再認識いた
しました。東京という大都市に住んでいようが,日本人の年配の方の基準
は
年相応に
という
え方が非常に強いわけです。そのような見方が当
たり前の方々からすれば,目の前に広がるクロッガーズのダンスは全く想
像もしなかった世界との出会いなんですね。こんな風に日本では当たり前
だと思っていたことが,カナダのシニアのダンスを目の当たりにすること
によって, 別なやり方 があるんだという認識をするわけですが,これは
一種のカルチャーショックと言っても良いと思います。
2 議員がプレスリーの真似
冒頭でも触れましたが,大阪の守口市はブリティシュ・コロンビア州の
ニューウェストミンスターと姉妹提携をしています。その町から守口市へ
訪問団がやってきて,ホテルで歓迎パーティが行われた時のことです。訪
問団の中に市会議員の方がいたのですが,パーティの途中に何も言わずに
ゴソゴソと隅の方で仮装をしてるんです。その方は歌が好きで,何とエル
ビス・プレスリーの衣装に着替えて歌うんですね。そして,歌い終わった
ら,みんなにお菓子を配って回るんです。その時の様子を思い出しながら,
担当者の方は日本人との違いを次のように話してくれました。
そんなことは,わたしら想像もできないですよ。表敬訪問の時なんか
もそうですが,日本人はガチガチになるでしょ。ところがカナダの方
원写真は,板橋区文化・国際
流財団
流課のホームページより。ht
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1
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웑板橋区役所政策経営部国際
流課での聴き取り調査:2
0
02年 1
1月 1
0日。
2
3
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
は,きっちりと進行表作って,はい,次こうですよって言うといても
ね,向こうさんは
フゥ∼ん
ちゅう感じでね。それでフランクに言
いたいこと言うし,喋るし,非常に和みますね웒
。
ほんとうに,この担当者の方も言っているように,日本の
当たり前
からすれば想像もできないことではないでしょうか。普通,日本でこんな
事は起こらないでしょう。身内だけの集まりならいざ知らず,このような
式の歓迎会の席上では議員さんは
議員さんらしく
しているのが,日
本人にとっては当たり前のことではないでしょうか。そして
式行事は進
行表にしたがって支障無く終えるのが,
関係者にとっては最重要課題です。
おまけに,日本では議員さんとか市長さんになると威厳があって,一般市
民とは距離がある感じで,議員さん自身が飛び入りで余興を行うことは
えられませんから,余計にビックリ仰天となるのでしょうね。しかし,こ
の担当の方が臨機応変に対処されたそうですし,大阪という土地柄のせい
もあってか,大いに受けたとのことでした。
3 手作りの
日の丸の旗
で歓迎
次に取りあげるのは,北海道の陸別町からアルバータ州のラコームとい
う町に,訪問団が訪れた時の話です。ある朝,ポテト農場に訪問団が見学
に行きました。そして,どうでしょうか,写真に写っているのは,かなり
大きな日の丸の旗ですね웓
。家の屋根と比べると,かなりの大きさだという
ことが かります。これだけの大きさであれば,
かなり遠くからでも アッ,
日の丸の旗じゃない?
と,
かりますね。それで,そこのご夫妻と話を
して,またビックリです。何と,奥さんが朝早くから,日の丸の旗を手作
웒財団法人守口国際
流協会での聴き取り調査:2
0
0
5年9月 22日。
0
0
0キロを越えて
웓プリンズポテト農場,絆 8
얨昭和 6
1年度町民海外研修報
告書,陸別町・ラコーム町姉妹都市提携の概要 陸別町役場,1
9
86年,2
4ペー
ジ。
2
4
異文化接触と姉妹都市
流 (井上)
りしてくれたとのことなんですね。これで, もう,ほんとうに歓迎の気持
ちが伝わってきました
と,訪問団の方々が感激したのは言うまでもあり
ません웋
。どうでしょうか,われわれ日本人は,なかなかこのような歓迎方
월
式は思いつかないのではないでしょうか。また,思いついたとしても,こ
んな風に
思っていることを形にして表す
というところまで行かないの
ではないでしょうか。歓迎の気持ちは同じであっても,その表し方には大
きな違いがあるようです。 思いを形にする ,あるいは
す
思いを行動で表
という方式が,カナディアン・ウェイの特徴の一つだと言えると思い
ます。
4 ボートで歓迎会へ
この
ボートで歓迎会へ
ということも,ほんとうに日本からの訪問団
웋
월同上。
2
5
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
を驚かせたことなんですね。これは,名寄市の訪問団がオンタリオ州のリ
ンゼイに行ったときのことです。カナダでは歓迎パーティなんかを屋外で
行うことも多いのですが,この時も湖の畔で開いてくれたんですね。湖の
畔が会場となった訳ですが,何と,そこへボートに乗ってやってきたカナ
ダの方がいたんです。一人でボートに乗ってやってくるということ自体驚
きなのですが,何と,この方はオンタリオ州政府の環境大臣をされてたん
ですね웋
。日本では,どうでしょうか。要職にある方が,このように単独で,
웋
しかもボートを操縦してやってくるということは, えられないですよね。
後にリンゼイに調査に行った時に,この方にもお会いして, 名寄の方々は
ほんとうに驚いていましたよ と述べると, いやー,あの時はエンジンが
途中で動かなくなってね∼ と,気さくに話してくれました웋
。こういうこ
워
とからも,非常に行動的なカナダ人の側面を見ることができると思います。
5 朝食前の空の散歩
少し前に陸別町からの訪問団について触れましたが,これもその訪問団
の方々が経験したことです웋
。ある日のこと,町長さん主催の朝食会に招か
웍
れたのですが,なんと
まず朝食前に空の散歩はいかがですか?
の上に舞い上がるお誘いなんですね。まさに
朝飯前
と,空
と言うのでしょう
か,町長さんの操縦する小さな飛行機で,ほんとうに飛び上がったんです。
まさか,こんなことが起こるとは,夢にも思わなかったことでしょうね。
その町は,アルバータ州の小さな田舎町ですが,飛行機クラブがあるんで
す。カナダでは飛行機を趣味とする人も多いですし,冬になると北の方に
飛行機に乗ってハンティングに行く人も珍しくはありません。そのような
事情からすれば,それほど驚くことではないのでしょうが,日本ではとて
も
えられないことです。そして,この町長さんは,何と役場に通うのも
9
8
7年 12月2日。
웋
웋名寄市役所での聴き取り調査:1
9
9
4年8月 16日。
웋
워リンゼイ市役所での聴き取り調査:1
웋
웍鹿追町
第2回鹿追町北方圏視察研修報告書
2
6
1
9
8
4年,6
4
6
5ページ。
異文化接触と姉妹都市
流 (井上)
バイクに乗ってやってくると言ってました。日本であれば,自転車で役場
にくるということはあるでしょうが,バイクとなると危ないですから,普
通は
えられないですよね。全ての町長さんが,このような方ばかりでは
ありませんが,ほんとうに行動的なカナダ文化を象徴していると言えるで
しょう。
以上のように,日本では
えられない行動的なカナダ人の側面には驚か
ざるをえません。このような活動的な特徴は一般のカナダ人に見ることが
できますし,同じようにカナダのトップの首相にも見ることができます。
この写真の人は,ご存知の方も多いのではないかと思いますが,1
970年代
から 198
0年代にかけて,カナダの首相をつとめたピエール・エリオット・
トルドーです。何と,驚きませんか。写真のように,白いメルセデス・ベ
ンツのオープンカーに乗って首相官邸を行き来していたんですね웋
。写真
웎
では見えにくいですが,上着の左襟の黒く見えるのは
赤いバラの花
な
んです。造花ではなくて,本物のバラの花なんですね。そして,こんな風
に毎日バラの切り花を刺していましたね。バイクに乗った写真もあります
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웋
웎トルードー首相とメルセデス,ht
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7
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
が,若い時にはカナダの東から西にかけてバイクで横断したこともあるそ
うです웋
。最後の写真は,若い奥さんと一緒のところです。こんなラフな格
웏
好は,とても日本の首相はできないですね웋
。それに当時結婚した相手は,
원
何と 30歳も年下で,随
と年の差があって,結局,離婚することになりま
/
/www.
웋
웏バイクに乗ったトルードー首相。ht
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웋
원トルードー首相夫妻。ht
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2
8
異文化接触と姉妹都市
流 (井上)
した。カナダという国をコントロールできたのに,
若い奥さんはコントロー
ルできなかったとか,あの結婚がトルドーが行った唯一の 間違った決定
だとか言われたものです。
このように 行動するカナダ人 と出会うことは, 自ら自制する日本人
の行動
を認識させることになります。そして同時に,今までになかった
行動の仕方を受入れ,自らの行動にも影響を与えることになるのではない
でしょうか。
Ⅱ
ジャパニーズ・ウェイが通じない
カナダ人の
え方や行動の仕方を
たが,同様に日本人の
カナディアン・ウェイ
え方や行動の仕方を
と呼びまし
ジャパニーズ・ウェイ
呼ぶことにいたします。この日本人に馴染みのある
と
え方や行動は,日本
文化という環境の中では,その存在にすら気づくことなく支障なくコミュ
ニケーションを行うことができます。しかし,この日本的行動の仕方は異
なる文化に出会う時に,通じないどころか,最悪の場合には対立したまま
別れることも起こりえるのです。まずは,非常に極端なケースですが,こ
のジャパニーズ・ウェイが悲劇に至ったケースを見ていきましょう。
1
言わなくても
かる
の悲劇
東京から電車で1時間あまりのところにある町での出来事です。
彩子(さ
いこ)さんは当時は短大生でしたが,
高
の時にカナダの姉妹都市でホーム
ステイしたことがあります。そんなこともあり,彩子さんの家は旅館をし
ていて夏の間は忙しいにも関わらず,カナダから二人の男子高
生を迎え
ることになりました。彩子さんは真面目な性格のようで,カナダ人の高
生たちに日本のことを知ってもらいたいと思い,神社やお寺などに案内を
したのです。ところが,二人の男子高
生は全然興味を示さないのですね。
彼らが興味をもったのは,ゲームセンターやゲームソフトなのです。彩子
さんは,ガッカリです。しかし,もっと大きな問題があったのです。この
2
9
北海学園大学人文論集
男子高
第 60号(20
16年3月)
生の二人は,初めて出会った時から,なぜか〝Sai
ko i
sc
r
azy.
"と繰り返して言ってたのです웋
。彩子さんは,
〝c
Sai
ko i
sc
r
az
y.
웑
r
azy"
と言われても,何のことだか
かりませんでした。気になって調べてみる
と,何と言うことでしょう。ヒッチコックの映画 Ps
(サイコ)웋
ycho
웒に
でてくる
サイコ
なのです。この映画では,亡きアンソニー・パーキン
スが見事な 気違い 役をやりましたが,製作が 1
9
60年ですから,ヒッチ
コックのファンでもないかぎり
かりませんよね。二人の高
生もこの映
画については知らなかったかも知れませんが,〝ps
ycho"という言葉は
〝ps
(気違い)"という意味で日常生活でも
ychopat
h
われますから,聞い
た途端にその言葉が頭に浮かんだんでしょうね。
0
0
3年3月4日。
웋
웑箱根町役場での聴き取り調査:2
0
0
4年7月7日より。
웋
웒写真は,ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン,2
3
0
異文化接触と姉妹都市
流 (井上)
さて彩子さんは,どうしたと思いますか? 散々
えた挙げ句,役場の
担当者に英語で手紙を書いて今までの経緯を訴えたのです。英語の手紙を
見せてもらいましたが,ほんとうに悔しさが現れていました。そんな手紙
を渡された担当者も,びっくりしましたが,二人の高
ありませんでした。この手紙を見た高
生に見せる以外に
生たちも,いきなりのことで,ビッ
クリ仰天です。なぜ,こんな手紙を手渡されたのか,その理由が
からな
いまま,ともかく〝Im ve
"と繰り返す以外にありませんで
r
yve
r
ys
or
r
y.
した웋
。高
웓
生たちは,彩子さんが何も言わず,何も態度で示さなかったの
で,まったく〝Nopr
"と思っていた訳です。
obl
e
m.
こうして,彩子さんも高
こったのかという理由も
生も役場の担当者も,なぜこのような事が起
からないまま別れるという事態にいたりまし
た。さて,みなさま方が彩子さんの立場であれば,どのようにしたでしょ
うか。彩子さんは,英語の手紙を書こうと決心するまで,高
て
嫌だ
とか
止めて
生にたいし
とかの言葉を発したこともなく,その気持ちを
態度で示したこともありませんでした。ただ辛抱をして,耐えて耐えて,
最後には爆発してしまいます。日本語でも良いし,
〝Idontl
"
i
keyourj
oke
.
とか〝Yourj
"とか,ともかく
okei
snotf
unny.
示が必要でした。しかし,まことに
かった時点での意思表
言うは易し行うは難し
そのもので
す。彩子さんに限らず,日本人にとっては,この No という簡単な意思
表示,これがほんとうに難しいことなのです。それも,最初のうちに言え
れば良いのですが,三度目,四度目となってくると非常に言い難くなって
きます。また,もう少し違った言い方ができたかも知れません。 サイコと
いう名前は c
r
az
yと言う意味ではないのよ。日本語では,beaut
i
f
ulc
ol
or
s
という意味なの。 と教えてあげることもできたかも知れません。さらに,
日本語で サイコー というと,最高=be
s
tという意味もあるの と言う
と,高 生たちは,〝Sai
"と言うようになっていたのでは
ko i
st
hebe
s
t
.
웋
웓箱根町役場での聴き取り調査,前掲。
3
1
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
ないでしょうか。もっとも,このように言えるようになるには,常日頃か
ら日本語であっても
心にあること
を
言葉にする
という訓練と心掛
けが必要なのかも知れません。
2 言葉で言えない
上のケースのように,耐えて耐えて最後に爆発するという例は,多少極
端かも知れませんが,それほどではなくても
思うようにならない
言葉で言えない
ために,
ということは,しばしば見られます。そのような,
いくつかの例を見てみましょう。
⑴ シャワーが浴びれない
自治体の
流に小学生が派遣されるというのは珍しいのですが,東京の
江東区にある大島第3小学
は,そのような数少ない例の一つです。ここ
から派遣された小学生が,2
∼3日のホームステイなのですが,シャワーの
い方が
からなくて,シャワーを浴びずに帰ってきたということを,担
当の先生が話してくれました워
。
월
これは何も小学生だけではなくて,大人の人の場合にも同じようなこと
が起こるんですね。例えば,北海道のある自治体から姉妹都市を訪問して,
随行の職員の方がホームステイをしたときのことです。お湯がチョロチョ
ロとしか出ない。われわれの感覚では,ひねればお湯がでるし水もでる訳
で,こんなんでお客に風呂に入れというのかと思って,入らずに帰ってき
ましたよ
と,その時の模様を話してくれました워
。
웋
どうでしょうか,お聞きの皆さん方は,シャワーや風呂のお湯をだすの
が,それほど難しいのかとお思いになっていることと思います。実は,私
事で恐縮ですが,去年の3月に家内とロサンゼルスに行った時のことなん
です。家内がシャワーを浴びようとしても,水もお湯もチョロチョロとし
かでてこない。それで,私が見ると,なるほど日本の蛇口とは違うんです
워
월江東区立第三大島小学
での聴き取り調査:2
0
02年 1
2月 1
0日。
9
87年 12月2日。
워
웋鹿追町での聴き取り調査:1
3
2
異文化接触と姉妹都市
流 (井上)
が,そうですね,2
∼3 あれこれやってみて,そうしたら出たんです。確
かに,日本の場合のように,ひねって水やお湯がでてくるという単純なも
のではないのですね。これも,文化の違いと言えば,文化の違いですね。
さて,それでどうなっているのかと言うと,写真をご覧になってくださ
い워
。この丸い所にレバーのついた所しか写っていませんが,この上の方に
워
シャワーヘッドがあります。さて問題は,この丸い所なんです。赤と青は
お湯と水ですから,お湯は左に水は右にレバーを回せば良いんですね。と
ころがレバーを握って,押しても引いても,お湯も水もチョロチョロしか
でないんです。写真では
いている土台の丸い部
かり難いと思いますが,問題はこのレバーがつ
なんです。ここを両手で持って手前に引っぱるん
ですね。これで無事シャワーを浴びれたのです。さて,その次の日の朝,
食堂で朝食をとっていると,日本語で話している若い女性が二人いるんで
すね。そこで, 日本の方ですか
たか
と尋ねると,やはり
と話して, シャワーは,うまく出まし
からなかったのでフロントに尋ねました
워
워ロサンゼルスのホテルにて。
3
3
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
と言うことです。話を続けていますと,何と一人の方は 1
8歳でアメリカの
高
の寄宿舎に入って,以来 2
0年余アメリカに住んでいるとのことです。
もうアメリカ人と言っても良いですよね。それでも,ホテルのシャワーを
浴びるのにフロントに尋ねなければならないという訳ですから,日本から
初めて行ってシャワーの出し方が
ちなみに,私の家内も,高
からなくても,無理はありませんね。
の時にウィスコンシンに1年間留学しており,
私と一緒に7年間トロントに住んでいたことがあるので,何とか日常生活
は過ごせるのですが,シャワーがうまく浴びれなかったという訳です。
少々話しが長くなりましたが,ここから言えることは,極めて単純です。
要するに,
からないことは尋ねると言うことなんです。ところが,この
尋ねるということ,これが日本人にはなかなかできないのではないでしょ
うか。と言うのも, みんな知っていること を尋ねるのは恥ずかしいとい
う心理的抑制が働いているためだと思います。例えば,日本の教室では皆
さん方もよくご存知のように,質問がでてこないのが普通ですよね。これ
は教室だけではなくて,一般の世間でも同じなんですね。例えば,本屋さ
んに並ぶ本にも,このような日本人の気持ちをつかむタイトルがつけられ
ているんですね。 今さら聞けないパソコンの常識 워
웍とか いまさら聞けな
い料理の基本 워
웎とか, 今さら恥ずかしくて人に聞けない冠婚葬祭マナー
とお金 워
웏とか,こんな風に 恥ずかしくて今さら聞けない というタイト
ルは,まさに日本人の共感をよぶものですから,つい買ってみょうという
気持ちにさせるんじゃないでしょうか。
⑵ 食事の量が多いんだけど……
カナダでの朝食は,割と簡単な場合が多いんですね。日本からの中学生
たちは,想像していた朝食とは違うので, アレッ,ワッフル2枚だけなの
워
웍 今さら聞けないパソコンの常識
워
웎 いまさら聞けない料理の基本
新星出版社,2
0
12年。
宝島社,2
0
12年。
워
웏 今さら恥ずかしくて人に聞けない冠婚葬祭マナーとお金 主婦と生活社,
200
5年。
3
4
異文化接触と姉妹都市
流 (井上)
と言ってしまうこともあるようです워
。ところが,夕食となると,これはも
원
う驚くほどの量となることが多いんです。
実際,中学生たちは,どんな風に感じたのか見ていきましょう。ある男
子生徒は,こんな風に言っています。
カナダの家
にまじって生活して,一番日本との違いを感じたのは
やっぱり料理だった。ボリュームがありすぎるほどのすごさで,そこ
はやっぱりちょっと辛かった。でも私を楽しませようとたくさん頑
張ってくれた워
。
웑
一人前の皿に盛られている量があまりにも多いのですね。日本人が食べる
、こ
쐍の
は好きなだけ取れば良いのですが,
それでもカナダ人の基準からすれば 余 カ
範
りにも少ない と写るようで,
さらに勧められることになります。いずれに ン囲
マ1
せよ,先ほどの生徒が やっぱりちょっと辛かった と言っていますが, も
︶
と行
うお腹がイッパイですから とは言えずに,
ついつい無理して食べてしまう
﹁ツ
ことになるんです。出されたものは全部食べないと相手に悪いと思うんで ﹂メ
すね。 もう結構です と,言葉にだして断れないんです。ですから,別の 半る
送為
生徒も言っていますが, 胃が破裂寸前 という状態になってしまいます워
。
웒
り
2倍から3倍の量でしょうね。大皿に盛られて各自が取って食べる場合に
このようなことは,何も中学生だけに限ったことではなく,大学生でも
大して変らないのですね。今ここでお話しているようなことを,異文化理
解論の授業で話していた時のことです。私どもの人文学部からブロック大
워
원世田谷区役所生活文化部文化・国際課
学生親善訪問団報告書
第1
7回ウィニペグ市派遣世田谷区中
2
0
0
4年3月,3
9
,2
9ページ。
워
웑 姉妹都市派遣中学生報告書(3月 25日-4月1日) 財団法人守口市国際
流
協会,2004年,1
2ページ。
워
웒財団法人守口国際
流協会での聴き取り調査:2
0
0
5年9月 21日。 姉妹都市
派遣中学生報告書(3月 2
2日-3月 29日) 2
0
0
1年,1
1ページ。
35
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
学に夏期研修にいってホームステイをしますが,参加学生から同じような
ことを聞くことができました。やはり,毎日の夕食の量が多いのですが,
我慢して食べたそうです。そしてなるべくカロリーを消費させようと一所
懸命にジョギングをしたと言ってました。1週間ぐらいならなんとかそれ
で済ませられるんですが,2週間とか3週間になると,さすがに無理です。
そんな風になった段階で,初めて 意思表示 をすることになるんですね。
こんな風に相手にたいして申し訳ないという気持ちから, ノー のサイ
ンは非常に出しにくいんです。普段,日本で生活していてもハッキリと
ノー と言うのは難しいですから,カナダのホームステイでは尚
のこと
だと思います。
⑶ ピーマン,大好き엊
姉妹都市のホームステイで起きたことではないのですが,先ほど述べた
ブロック大学夏期研修のホームステイ先での出来事なので,お話しておき
たいと思います。これも異文化理解論のホームステイに関する授業で学生
から報告されたことです。ホームステイ先で, 好きな野菜は何? と尋ね
られて, ピーマン と答えたんです。もちろん,ピーマンは英語では グ
リーン・ペッパー
と言いますから,そういう風に言ったんですね。そし
たら,どうなったと思いますか? ピーマンが食卓に出てきたのは良いの
ですが,今日もピーマン,明日もピーマン,その次の日もピーマン,とい
うことで,毎日がピーマンになったんですね。もうこうなると,顔が緑色
になるんじゃないかと,もちろん冗談ですが,そんな具合になった訳です。
自
の意思を表現することが大事だと英語の授業で習い,ピーマンが大好
き
と言ったのは良いのですね。ところが,二日,三日と毎日がピーマン
になったんです。日本であれば,二日,三日と同じものがでるのは
えら
れないですよね。恐らくこの場合は,カナダのホストマザーが特別だった
のかも知れませんが,何しろこちらの意思表示がないのですから,相手に
とっては〝No pr
"となっても無理はありません。いずれにせよ,
obl
e
m.
他のモノを食べたい と言えば問題は解決なんですが,なかなかこれが言
えないんです。相手にたいして要求するということ,これが言えないんで
3
6
異文化接触と姉妹都市
流 (井上)
すね。そして限界までいって, もうギブアップ という状態になって初め
て意思表示をするということが多いんです。
以上見てきたように, 思いを言葉で表す ということが,日本人にとっ
ては難しいようです。全て,これと関連しているのですが,相手にリクエ
ストをすることも,自
の思いを言葉にして相手に依頼する訳ですから簡
単ではありません。まして, みんなが知っていることを質問をする こと
は
恥ずかしい
ことだという意識があるので,これも容易なことではあ
りません。このような状態ですから,相手の働きかけにたいして
ノー
と言うことは,ほんとうに困難なことなのだと思います。
Ⅲ
ジャパニーズ・ウェイを越えて
知らず知らずのうちに身についたジャパニーズ・ウェイを越えてコミュ
ニケーションをするということは,
既にお話しましたように,
日本人にとっ
ては容易いことではありません。しかし,そのようなケースが皆無という
訳ではありません。次に,そのような事例を見ていきたいと思います。
1
ハワイが,目的だろう
これは,鹿追町の訪問団がストーニープレインを訪れた時のことです。
商工会議所関係の代表として訪問団に参加した方が,ホストファミリーの
家に案内されて居間のソファでコーヒーを飲んでいる時のことです。
何と,
いきなり, ここに来た本当の目的はハワイだろう と言われたのです。先
に進む前に,なぜこのような発言がされたのかについて,多少説明が必要
かと思います。一般的に言って,日本側からカナダに行く場合には,行政
から何らかの財政的補助がでることが普通です。ところが,カナダ側から
日本に来る場合には,行政による補助は普通はありません。町の議員さん
についてもそうですし,中学生や高
生の場合にも大体がアルバイトをし
て自費でやってくるのです。
このような背景を,
このカナダ人のホストファ
3
7
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
ミリーの方は知っていて,さらに旅行日程の最後にはハワイに寄るという
ことが書かれていたので,先のような発言になったのです。さて,その発
言に続けて, ハワイは良い所だ。オレたちも冬の間にハワイに行くことが
あるが,ハワイはパラダイスだ
と言うわけです워
。
웓
いかがでしょうか,こんなことを言われると,どんな対応をしますか?
普通は悔しいけれど,何も言えずに帰ってくるという場合が多いのではな
いでしょうか。しかし,この日本人の方の場合は違っていたんですね。 先
生,ほんとに悔しかったんですよ。ボクは英語ができないけど,必死になっ
て言ってやったんです。ここに来たのは,2
×6のカナディアン・ホームや
ログハウスを見たいからだって,と言ってやりましたよ。 と言う訳です。
さて,それで,どうなったと思いますか。何と,翌日には,あっちこっち
にカナディアン・ハウスを見に,車で連れて行ってくれたんです웍
。話はこ
월
れで終わりじゃないんですね。その後,日本に帰ってからも手紙のやりと
りが続いたんです。そして,数年後にはその方の息子さんが,何とストー
ニープレインに留学したということです。なかなか,この方のように言え
る訳ではありませんが,何も言わなかったとしたら,それこそ悔しい思い
をしながら帰ってきてたと思いますね。それが,その場で即座に言い返し
たからこそ,全く
す。非常に参
えもしなかったような結果をもたらしたということで
になる話だと思います。
2 シャワーを修理してあげる
道北のある都市の国際
流員をされていた方のケースについて,ご紹介
いたします。私がその方にお会いした時には市の嘱託として国際
流員を
されていて,当時 6
5歳前後だったと思います。この方が訪問団の一員とし
てカナダに行き,ホームステイ先で起きたできごとです。地下室でしたか,
シャワーがあるのですが,壊れていたんですね。それを,何とこの方から
워
웓鹿追町での聴き取り調査,前掲。
웍
월同上。
3
8
異文化接触と姉妹都市
流 (井上)
言い出して,シャワーを直してあげたと言ってました。日本からカナダに
訪問団として訪れ,ホームステイ先のシャワーを直してあげたという例は,
おそらく他にはないのではないでしょうか。非常に行動的な方と言います
か,こんな風に言っていました。 電気関係とか,機械関係は,大体が英語
からきてますから,カタカナ英語で言えば通じますよ と言うことでし
た웍
。
웋
こんな風に言われますと,簡単なようなんですが,実際はかなり難しい
ことだと思います。と言うのも,このケースから言えることは,やはり英
語を正しく話そうとか,英語の発音がどうだとか言うのではなくて,相手
に働きかけていこうとする態度と気構えがあるのかどうか,ということだ
と思います。なかなか出来ることではありませんが,そうすることにより,
相手のホストファミリーの方から感謝されたことでしょう。そして,まさ
に文化の壁を越えると言うのは,
このようなことなのではないでしょうか。
さらに,この方の場合には,このこと以外にも,積極的に働きかけていっ
て,文化を越える人間関係を築き,楽しいホームステイを送ったものと想
像されます。
3 中学生,シャワーと対決
カナダでのホームステイと言っても,色んな国から移民としてやってき
てカナダ人になった人たちも多い訳ですから,ホストファミリーの中には
訛のある英語を話したりする人もいます。また一世は英語を話せない場合
もあり,家族によってはみんなが英語を話せるという訳ではありません。
これからお話するのは,守口市の男子中学生が中国系カナダ人の家
に
ホームステイをしたときのケースです웍
。
워
웍
웋名寄市での聴き取り調査,前掲。
웍
워財団法人守口国際
流協会での聴き取り調査:2
0
0
5年9月 21日。 姉妹都市
派遣中学生報告書(3月 2
2日-3月 29日) 守口市国際
11ページ。
3
9
流協会,2
0
0
1年,
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
この中学生がシャワーを浴びようとするのですが,その時に家に居たの
は全く英語が話せない〝おばあちゃん"だけでした。おばあちゃんが話せ
るのは,中国語だけです。さて,みなさん方だったら,どうしますか。守
口市の担当の方のお話では,この中学生は日本語でおばちゃんに話しかけ
て,シャワーを浴びることができたとのことでした。 シャワー出すの,ど
ないしたらエエの?
教えてくれへん?
に浮かびます。おばあさんには何のことか
とか,大阪弁で言ってるのが目
かる訳もありませんが,当然
のことながら中国語で応じたんですね。こんな風に,日本語と中国語でや
りとりを続けていても問題が解決する訳ではありません。もう後は,イン
ターナショナル・ランゲージしかありません。おばあさんの袖を引いて,
シャワーの所までつれていけば,後はもう何をするのか,そんなに難しい
ことではありません。
このような行動ができるなら,この中学生はアマゾンのジャングルの中
であっても,どこに行っても問題を解決していくことでしょう。思いを言
葉や行動にして,
目の前の問題を解決していこうという意気込みがあれば,
コミュニケーションは可能だという良い例だと思います。ちなみに,守口
市の担当者の方は,派遣の際の選
について, 中学生でいくら英語ができ
る言うても,たかがしれてますやん。ボクらは,元気でオモロい奴を取ろ
うと言うてますねん とのことでした。 勉強できる生徒よりも元気でオモ
ロイ奴
を取ろうという守口市の選
方式が,確かにうまく機能している
と言っても良いと思います。
これら三つの例から言えることは,もちろん生来の性格ということもあ
るのでしょうが,目の前の問題を解決し,目の前の状況を変えていこうと
する
相手に伝えようとする意思と気構え
が鍵になっていると思われま
す。なかなか普通は難しいかも知れませんが,そこに文化を越えて全く新
しい関係を築きあげるヒントがあるのではないでしょうか。
4
0
異文化接触と姉妹都市
Ⅳ
流 (井上)
カナディアン・ウェイから学ぶ
カナダ人の家
に入り一緒に生活すると,日本とは異なるさまざまな点
が目に入ってきます。日本では見られない,客の迎え方,人の目を気にし
ない合理的行動,夫婦関係,家族の間の人間関係などです。一つひとつが
学ぶべき点を含んでおり,カナダ人の生き方に出会って自
を
たちの生き方
1
えることになるようです。
費用は少なく真心は多めに
日本の訪問団がカナダの姉妹都市を訪れると,カナダ側は Wel
come
par
t
yをして迎えてくれます。これがまた日本的歓迎方式とは随
なっているので,ビックリしたり
と異
えさせられたりするようです。と言う
のも,日本での歓迎パーティはホテルなどで行うことが普通ですが,カナ
ダでは
共施設で行い,料理も持ち寄り形式が一般的です。友好協会の会
長さんのお宅で歓迎会が行われることもあり,椅子まで持ち寄る場合もあ
ります。日本ではホテル形式が
当たり前
であり,それが一つの基準と
なっている訳で,そうするとカナダの歓迎パーティはほんとうに衝撃的な
んですね。
日本のように豪華な歓迎会ではありませんから,最初は, えぇ,これで
良いの?
という思いを抱く人もいるようです。しかし,道東のある町の
訪問団に参加した女性は今までに経験したこともないカナダ的歓迎方式に
出会い, 費用は少なめに,真心は多めに という言葉で現しています웍
。
웍
まさに,その通りで核心をついた言葉だと思います。一般的にカナダ側で
は,姉妹都市活動に関して行政による補助はありませんし,姉妹都市の活
動自体が
姉妹都市友好協会
などの民間のボランティア組織で行われる
ので,財政的にも日本のようにホテルでの豪華な歓迎会はできないと言っ
9
8
4年,4
5ページ。
웍
웍 第2回鹿追町北方圏視察研修報告 ,1
4
1
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
た事情があります。そんな訳で,各自が料理を持ち寄り飾り付けなどにも
工夫をしたパーティとなるのです。豪華ではありませんが,心から歓迎し
ている様子が伝わってくるんですね웍
。
웎
このように日本では想像もしない方式は,実際にその場に居合わせて体
験しないと,なかなか理解できないかも知れません。仮に理解できたとし
ても,姉妹都市担当者が従来の方式を変えてカナダ方式にすることは難し
いかも知れません。しかし,自治体の首長自身がカナダ方式に納得すれば,
物事は動くと思います。たまたま,このような Wel
comepar
t
yに出くわし
た道東の市長さんの話ですが, なるほど,日本でもできないかな? との
ことでした。ちかごろでは,日本でも姉妹都市にかける財源が縮小してい
るのが現状ですから,自治体の首長自らがカナダでの体験をもとにイニ
シャチブをとれば,大いに可能性があることだと思います。
2
ママさんのヘヤースタイル,褒めてあげて
日本の訪問団がカナダを訪れる場合,中学生や高
生はカナダ人の家
でホームステイをするのが普通です。しかし,大人の場合にはホームステ
イはせずにホテルに泊まる場合も結構あります。ホームステイは煩わしい
し,英語ができないから,というのがその理由かも知れません。しかし,
カナダ人の家
に入ると,外からでは窺い知れないカナダ文化を知ること
ができ,カナダ人の行動様式を間近に体験することになります。
例えば,これからお話するのは,ある年配の男性のケースです。ホスト
ファミリーのご主人から, 歓迎会パーティのためにママさんが美容院に
行ってきたので,褒めてあげて
と言われたのです。さてさて,日本では
宿泊しているお宅のご主人から
家内が美容院に行って髪をセットしてき
たので褒めてやってくださいね
などと頼まれることは,あり得ないこと
です。全く想像もしなかったことですから,一瞬,戸惑ったのも無理はあ
웍
웎保護者が持ち寄り形式で歓迎パーティを開くなどの影響が見られる。世田谷
区役所生活文化部国際課での聴き取り調査:2
0
0
4年6月 21日。
4
2
異文化接触と姉妹都市
流 (井上)
りません。それで,何しろ生まれて初めてのことですから,心臓をドキド
キさせながら, ユアー,ヘア,ビューティフル と言ったとのことでした。
もちろん,奥さんは〝Thank youver
"と言い,旦那さんも大喜
y muc
h.
びです웍
。
웏
ホームステイをしなかったら,まさかこんな風に他人の奥さんの髪型を
褒めるという経験をしなかったことでしょうね。それに,何よりも
の間でも,言葉にだして褒め合う
夫婦
という,それまでに経験したこともな
い,カナダ人の表現様式を知り実践したことの意義は大きいのではないで
しょうか。思っていても言葉にしない文化と,思っていることは言葉にす
る文化のギャップ,そのギャップに橋をかける試みだと言ってよいと思い
ます。
3 ホストマザーが赤いガウン
さて,先ほどは訪問団の男性が出会ったカナダ文化について触れまし
追1
ら,それぞれの視点でカナダ文化を観察することになります。ここではあ 出行
る主婦の方が遭遇したホームステイでの出来事についてお話いたしま し増
の
す웍
。
원
為
た。大人の訪問団の場合には,さまざまな職業や立場の方が含まれますか
この主婦の方が驚いたのは,ホストマザーが夜になって
うなエンジ色のガウン
目も覚めるよ
うなことはカナダ人の家
を着ているということでした。もちろん,このよ
に滞在しないと
からないことです。そして,
これをどのように解釈するかは,見る人によって異なると思います。中学
生であれば,目には入るけれども,特に
えることもなかったことでしょ
う。ところが,この女性の方は 4
0歳代だったと思いますが,家
婦の目
の中の 主
で見ているのですね。そして,次のような感想を抱いたのです。
仕事を持っていて,いくら忙しくても,女性としての身だしなみを忘れて
웍
웏鹿追町
第2回鹿追町北方圏視察研修報告書
웍
원同上。
4
3
1
9
8
4年,6
4
6
5ページ。
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
いないんだ と웍
。
웑
非常に衝撃的だったようです。それもそのはず,このホストマザーは,
何と 10人の子供を育て上げ,商工会議所の会長を務め,さらに市会議員も
されている方なんです。そんな多忙な人が,日本の姉妹都市からやってき
たお客さんのホストファミリーを引き受けている訳なんですね。
日本では,
そのような状態でホストファミリーを引き受けるということはあり得ない
ことでしょうし,髪を振り乱して毎日を送っているのが普通かも知れませ
ん。さらに,日本では子供ができてしまうと, 夫婦関係 が お
お母さんとの関係
さんと
になってしまうのが一般的ですから,その意味でもカ
ナダの夫婦関係に新鮮な驚きを感じた訳ですね。そして,日本に帰ってき
てからは, 夫婦二人で外食したりすることも心がけるようになりました
と,話してくれました웍
。
웒
4 〝Val
"
uef
ormoney
カナダでホームステイをすると,
1週間や 1
0日といった短い期間でも一
度や二度は家族一緒に外食をする機会があります。そんな時に経験するの
が,食べ残した料理は
ドギーバッグ
に入れてもらって,持ち帰るとい
うことです웍
。普通,日本では残った食べ物を持ち帰るということはしない
웓
ので,このような光景も非常に衝撃的です。さらに,もっとビックリする
情景に出くわす人もいるんですね。ある方は, イヤー,ほんとにビックリ
しました。お皿に残った料理だけじゃなくって,スープも容器に入れても
らって持ち帰ってるんですよ
と話してくれました웎
。
월
このドギーバッグに入れて持ち帰るということは,日本語で言う
もっ
たいない という側面もあるとは思いますが,むしろ カナダ的合理主義
웍
웑鹿追町での聴き取り調査,前掲。
웍
웒同上。
웍
웓江東区第三大島小学
での聴き取り調査,前掲。
웎
월同上。
4
4
異文化接触と姉妹都市
流 (
井上 )
と解釈する方が適切だと思います。カナダでは〝Val
"とい
uef
ormoney.
う言葉をよく
る
いますが,自
が支払ったお金に見合う対価を得ようとす
え方が,そこには存在しているものと
日本には
もったいない
という
えられるからです。
え方がありますが,カナダ社会で見
られるように,ドギーバッグを要求することは,実際的には難しいのでは
ないでしょうか。常に
他人の目の存在を意識する
ために心理的抵抗が
大きいと思います。いかに合理的とは言え, 誰もやっていないことだし,
他人と違ったことをするのは恥ずかしい
という気持ち,そして
何もそ
こまでケチなことをしなくても という感じになるのではないでしょうか。
常に他人の目を気にする社会と,他人の目を気にせず自
で決めて行動す
る社会の違いが表れており,非常に面白いと思います。
5 普段の生活の中に
日本では家にお客を迎えるとなると大騒動です。海外からの客人をホー
追1
を引き受けるという点でも,カナダ方式は日本とは非常に違っています。 出行
一言で言えば,お客が来たからと言って自 たちの生活を変えるのではな し増
の
く,普段の生活の中にお客を迎えるということだと言ってよいでしょ
為
ムステイさせるとなると,尚
のことです。ところが,このホームステイ
う웎
。
웋
この 普段の生活の中にお客を迎える ということについて,2
∼3例を
あげて説明いたします。例えば,日本からカナダに行った場合,出迎えの
時には不在なので別の家族が迎えにいったり,最後の日には旅行にでかけ
るので,他のホストファミリー宅に預けられるといったこともあります웎
。
워
またホストファミリーも多様で,共働き家
ファーザーの家
やシングルマザーやシングル
は普通です。年金生活者の家
웎
웋財団法人守口国際
や,時には 8
0代や 9
0代
流協会での聴き取り調査:2
0
0
5年9月 21日。
웎
워井上真蔵 転換期にたつ姉妹都市
流
北海学園大学,2
1ページ。
4
5
北海学園大学学園論集 (第 1
41号)
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
のおばあちゃんがホストファミリーになる場合もあるのです웎
。日本の基
웍
準では
家
えられないことです。日本では,シングルマザーの家
や共働き
がホストファミリーになると言うこと自体,難しいのではないでしょ
うか。例えば,シングルマザーの家
でステイした場合のことを,ちょっ
と見てみましょう。ある男子中学生がホームステイしたのは,盲学
師をしているシングルマザーの家
つくり,毎日学
の教
でした。毎朝一番に起き,朝の食事を
まで車で送っていきます。日本の基準からすれば大変な
ことですよね。そこにホームステイした中学生は,どのように感じたので
しょうか。 ボクが増えてしまって大変じゃないのだろうか と心配しなが
らも,ホストマザーは毎日
んです웎
。学
웎
明るい笑顔
で過ごしていたと感心している
に行く時には送っていきますが,下
時は都合がつかないの
でスクールバスや知り合いに送ってもらうなど,普段の生活の中で無理は
せずにやっているんですね웎
。
웏
こんな風にカナダのホームステイを体験すると, ホストファミリーは,
あんな風にやれば良いんだ。そんなに難しく
えなくても良いんだ。と感
じるようになります。そして,カナダのホームステイを経験してきた中学
生たちは,こんどはボクらが歓迎する番だと思うようになるようです。
6 家族って何?
日本で生活していると,中学生や高
生が自
と家族との関係について
特に気にすることもないのではないでしょうか。ところが,カナダでホー
웎
웍井上真蔵
異文化接触としての姉妹都市
ンスター市のケース
流
얨守口市とニューウエストミ
人文論集 (第 5
3号)
,北海学園大学,2
0
1
2年,2
8
2
9
ページ。
웎
웎井上真蔵
カナダとの姉妹都市関係の
妹都市関係
웎
웏井上真蔵
析
얨世田谷区とウィニペグ市の姉
人文論集 (第 3
4号)北海学園大学,2
0
0
6年,4
7ページ。
カナダとの姉妹都市関係の特徴とその影響
のケースについて
얨江東区とサレー市
人文論集 (2
6
・2
7合併号)
,北海学園大学,2
0
0
4年,
87ページ。
4
6
異文化接触と姉妹都市
流 (井上)
ムステイをすると,今まで知っている日本の家族とは異なっており,自然
と家族について
えるようになります웎
。
원
まず決定的に違うのは,
親が毎日家族と一緒に夕食を食べるというこ
とです。ある女子中学生は,こんな風に言っています。
私が一番うらやましかったのは4時半ごろには Dadが帰ってくるこ
とです。日本では朝早くに仕事に行き,夜遅くに帰宅することが多い
ため家族そろって夕食を食べることが減っています。でも,カナダで
は毎日そろって夕食を食べました。日本でもいつかそうなると良いと
思います웎
。
웑
カナダのホストファミリーと生活をしていると,何と言っても
親の存
在が日本と異なっているということが,
毎日の生活から明らかになります。
日本では,
親が6時に帰宅できるというのはあり得ないことで,体調を
崩した時ぐらいではないでしょうか。それに,中学生や高
生の場合には
部活や塾の関係で,家族と一緒に夕食をとるということも困難になってき
ています。そのような日本からカナダに行くと,何と家族全員が毎日夕食
を一緒にしている光景にでくわし,あまりの違いに驚きながら,家族とい
うことについて
えるようになるのです。先ほど触れた中学生は,4時半
ごろ帰ってくると述べていましたが,大体5時前には家路につくためにハ
イウェイが帰宅ラッシュになる所もあります。
さて,
親と一緒の夕食が終わると,そこからがまたまた驚きの連続で
す。夕食の後片付けが始まりますが,子供たちはもちろんのこと,
親も
後片付けをしたり皿洗いをしたりするのです。子供が後片付けを手伝うと
웎
원井上真蔵
カナダとの姉妹都市関係の
妹都市関係
析
얨世田谷区とウィニペグ市の姉
前掲,6
0
6
1ページ。
웎
웑世田谷区役所生活文化部文化・国際課
学生親善訪問団報告書
第1
7回ウィニペグ市派遣世田谷区中
2
0
0
4年3月,2
3ページ。
4
7
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
いうのも,日本では珍しくなったのではないでしょうか。塾に行かないと
ならないし, 宿題があるから と言えば,立派な理由になります。ところ
が,カナダでは家族全員参加です。日本ではお皿洗いなどしたことのない
男子生徒も,自
だけが座ったままでいる訳にはいきません。そんな状況
の中で,生まれて初めてお皿洗いという経験をして,家族について
える
ようになる訳ですね웎
。
웒
家族と共に過ごす時間は,カナダの方がはるかに長く,これも日本とは
異なるところです。日本から行った生徒たちは,夕食の後に家族そろって
ビデオ見たりします웎
。また,週末に家族一緒に湖の畔にある別荘にでか
웓
け,カヌーやボート遊びをするのです。別荘と言っても,洋画に出てくる
ような豪華なものではなく,普通に働けば所有できる程度のものであり,
カナダ人の生活の一部だと言えるでしょう。
ともかく,日常生活,非日常生活を通して,カナダ人は日本人に比べて
遥かに長い時間を家族と一緒に過ごしています。日本の生徒たちは,そん
な家族と一緒に過ごして,家族のあり方を真剣に
えざるをえなくなるよ
うです。
Ⅴ
変化する自己とその認識
異文化カナダと出会うことにより,日本とのさまざまな違いを認識する
ことになり,日本的な物事の見方や行動の仕方が自然と影響を受けること
になります。具体的にどのような影響を受けどのような変化を認識するの
かについて,お話したいと思います。
웎
웒井上真蔵
カナダとの姉妹都市関係の特徴とその影響
ホース市のケースについて
얨牛久市とホワイト
人文論集 (第 3
1号)北海学園大学,2
0
05年,
85-86ページ。
웎
웓世田谷区役所生活文化部文化・国際課
学生親善訪問団報告書
第1
7回ウィニペグ市派遣世田谷区中
2
0
0
4年3月,2
0
,2
3ページ。
4
8
異文化接触と姉妹都市
1
流 (井上)
恥ずかしいなんて,言ってられない
カナダ人は行動的だということについては既に触れた通りです。それは
日常生活の中に組込まれていて,ホームステイをしている日本の生徒たち
も,その行動的な側面に触れることになります。
⑴ 初めての体験
얨ヘタでも良いんだ엊
街の中の普通の家
でも,プールがあったりトランポリンがある所が少
なくありません。ちょっと都市を離れた所では,サイクリング,魚釣り,
乗馬,カヌー,水上スキー,アイススケート,ウォーターボードなどを日
常的に楽しんでいるんですね。サイクリングなどでも本格的で,自転車を
一人で2台も持っている人もいる と驚いています。日本では全くしたこ
ともないスポーツも多く,ホストファミリーの子供たちは何をやっても上
手で,日本の中学生にとっては驚きの連続です。そんな状況の中で,ある
男子中学生は面白いことを言っています。日本人の場合は好きでも恥ずか
しくてできないと言ってしまいがちだが,ここでは個性がすべてはっきり
していた と述べているんです웏
。最初は圧倒されて たじろいでいる ん
월
ですが,そのうちに
他人と違っていて当然であり,自
て当然であり,周囲の目を機にする必要なんか全くない
かるんですね。そうなると,もう
恥ずかしい
のやり方でやっ
ということが
なんて言う気持ちは無く
なって,カナダ人と一緒に行動をするんですね웏
。
웋
このようなことは,大都市トロントのような街の中でも,見ることがで
きます。例えば,街の中にある
共のテニスコートなんかで観察している
と面白いですよ。日本であれば,テニスを習い始めたばかりで, 試合をし
よう
などということは,まずはありえないことでしょう。何しろ,サー
ブを返せないレベルなんですから,試合にはならないのです。日本人なら,
웏
월 1998年度牛久市
換青少年事業報告書
牛久姉妹都市委員会,1
9
98年,14
ページ。
웏
웋井上真蔵
カナダとの姉妹都市関係の特徴とその影響
ホース市のケースについて
얨牛久市とホワイト
前掲,2
0
0
5年,6
8
6
9ページ。
4
9
北海学園大学人文論集
とても恥ずかしくって
試合
第 60号(20
16年3月)
なんてことは,絶対に頭には浮かばないで
しょう。でも,カナダ人は違っています。他人の目を気にしませんし,実
践的なんですね。 試合をやろう
このように,日本人には
と言うんです。
恥ずかしい
の人と同じことをしていれば気
という気持ちがあるので,周り
的に楽なんですね。自ら行動しようとい
う気にはならないのですね。例えば,さきほど述べたテニスの例のように,
初心者が
試合をしよう
ということなどは
恥ずかしい
し,あり得な
いことなのですね。ある程度上手にならないと試合なんかできないという
のが日本の常識です。ところが,カナダではみんな違っていて好きなこと
をしている訳です。テニスの初心者でも試合をしようと言う訳ですからね。
⑵ もう身振り手振りでも,恥ずかしくはない
英語についても同じようなことが言えます。ある女子中学生の例が,そ
のことをよく示しています。
ホストマザーが色々説明してくれるのですが,
英語が
からないんですね。それでも,ホストマザーはジェスチャーも
えて一所懸命に伝えようとするんです。その女子生徒にとっては,英語を
話す時にそんな風にジェスチャーを
かったことなんです。
えて話すなんてことは想像もしてな
えてみれば,学
の英語の授業でも身振り手振り
で必死になって伝えようなんてあり得ないことですし,英語は間違いなく
話さないといけないという思いがあったんでしょうね。そして,そのよう
な
え方を持っていた自
に気づくことになるのです。ジェスチャーなん
て恥ずかしくてやりたくないと思っていた私が,この時はジェスチャーが
ないとやっていけないとおもった と言うのです。そして,そのことに 一
歩成長したなと感じました と言っているんです。こんな風に,自
は変っ
て,明らかに成長したんだと,自ら認識しているんです웏
。
워
⑶ これまで真剣に向かいあったことがあるだろうか?
カナダの家
内における対人関係も,そこでのコミュニケーションも,
4年度江東区立中学
웏
워江東区教育委員会 平成 1
1
6回),200
2年 1
1月,2
4ページ。
5
0
生徒海外短期留学報告書(第
異文化接触と姉妹都市
流 (井上)
日本の場合とは大きく異なっており,ホームステイをしているとその違い
に否が応でも気づくことになります。そして,日本の家族関係を
れまで自
が家族とどのように関わってきたのかを
え,こ
えざるをえなくなる
ようです。東京の江東区の中学生は,次のように述べています。
何かすると必ず Thankyouと言ってくれるし,Thankyouと言うと
必ず Youar
と言ってくれる。自
ewel
c
ome.
は今まで,こんなに丁
寧に人と接していなかった웏
。
웍
家族の間であっても,新聞をとってくれたり,食卓で料理を回してくれ
たり,ともかく何かしてくれると,必ず〝Thankyou.
"という言葉が聞か
れ,それに対して,〝Youar
"という言葉が聞かれるのです。
ewel
come.
日本の同じような場面を
えてみてください。親と子の間であっても,夫
と妻の間であっても,兄弟同士の間であっても,食卓の醤油をとってくれ
たからと言って,いちいち
ありがとう
はないでしょうか。むしろ,いちいち
ということは極めて稀なことで
て
どういたしまして
ありがとう
とか言うと,かえって
を言い,それに対し
ぎこちない
というか,
不自然というか, 翻訳調 の感じがしませんか。ところが,カナダの家
内では,例え,相手が親であっても,例え相手が子であっても,してくれ
たことに対しては,感謝の言葉を声にするということが普通に行われてい
るのです。このような対人関係はそれまでに経験したこともないことです
から,非常に新鮮に感じると同時に,自
きたのかということを必然的に
2 衝撃的体験
얨自
自身がどのように家族と接して
えることになる訳ですね。
の行動が目の前を変える
たとえ1週間にしろ2週間にしろ,カナダで異文化と接するということ
웏
웍同上,5ページ。
5
1
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
は,青少年たちにとっては衝撃的とも言える体験なのですね。何よりも大
きいのは,カナダにおける人と人との関係が日本の人と人との関係とは大
きく異なっているということ,そしてそのような関係の中で自
自身の行
動が目の前の状況を変えていくのだという感覚に出会うことではないで
しょうか。具体例をとりあげて
えていきたいと思います。
⑴ 市役所での〝O Canada!
"
観光とか語学研修でカナダを訪れる場合,カナダの国歌を
的な場で歌
うということはありませんが,カナダの姉妹都市を訪れる場合には割とよ
く起こることなんですね。例えば,江東区の場合ですと 3
0名ほどの中学生
が訪問しますが,事前研修でカナダの国歌〝OCanada!
"を練習します。歌
詞の意味を教わってから,音楽の先生に本格的な指導をしてもらいます。
そして,姉妹都市サレーを訪問して,市役所の前で歌うのです。 オー,
キャーナダー
と歌い出すと,聞いている職員の方々が一斉に立ち上がる
訳なんです。もちろん生徒たちは,
〝OCanada!
"を歌い始めるとカナダ人
は立ち上がって聞くということは,事前の研修でも聞いていたので知って
いる訳です。しかし,実際に自
たちが歌ったカナダの国歌によって,目
の前のカナダ人たちが一斉に立ち上がるということは,この時に初めて経
験することなのです웏
。このように自
웎
たちの行動自体が,目の前の状況を
動かしていくという体験は,行動するという意味の重要性を全身でつかむ
ことになるのです。そして,国歌を歌う時には立ち上がって敬意を払うと
いう国際的なルールも知ることにもなるという訳です。非常に得難い経験
ですね。
⑵ ホテルにて
ただ今お話ししたように市役所でカナダの国歌を歌うということが,生
徒たちにとっては大きな仕事でしたが,この中学生たちはさらに驚くべき
体験をしているのです。それは,姉妹都市に向かう途中でバンクーバーの
4年度江東区立中学
웏
웎江東区教育委員会 平成 1
1
6回),前掲,2
6
,4
2ページ。
5
2
生徒海外短期留学報告書(第
異文化接触と姉妹都市
流 (井上)
ホテルに泊まった時のことです。そのホテルのプールサイドを借りて,
〝O
"
の練習をしたんですね。そうすると,どうでしょうか。感動的な
Canada!
光景が展開するんですね。その時の模様を,引率の教員の方は次のように
述べています。
期せずして大歓声と大拍手が湧き上がったのです。泳ぎながら聞き入
る人,窓を開けて眺める宿泊客,ベランダに出て聞き惚れる向かい側
のマンションの人々,そして一生懸命に歌う生徒たち……。それらの
すべてが見渡せる位置にいた私には,まるで一幅の名画を見ているよ
うな光景でさえありました。ハーモニーといい,声量といい,そして
歌う心といい,国内でも素晴らしかった合唱でしたが,現地へ来てこ
んなにも胸を打つものになるとは,生涯忘れられない感動のひととき
でした웏
。
웏
引率の教員の方の感動が伝わってきますね。生徒たちを見守ってきた教師
としては,ほんとうに嬉しかったことと思います。そして,何よりも生徒
たちにとっては,こんな経験は生まれて初めてのことでしょう。カナダの
ホテルで,カナダ人の聴衆を前に
カナダの国歌
を歌うことなんか想像
できたでしょうか。そもそも,日本社会では,まずこんな風に
共の場で
歌を披露するという機会はないのではないでしょうか。そして,たとえ日
本の
共の場で歌ったとしても,カナダの聴衆の場合のように感情を直接
的に表すという反応は起こらなかったのではないでしょうか。ところが,
カナダの聴衆は生徒たちの行動に対してほんとうに直接的に応えるのです
ね。そして,生徒たちは自
たちの行為が目の前の聴衆を動かしたことを
五感で知り,それが新たな自信となるのですね。
웏
웏同上,7ページ。
5
3
北海学園大学人文論集
3
第 60号(20
16年3月)
お母さん,ありがとう
ちょっと
えてみてください。今の日本の社会の中で,わずか2週間余
で,中学生が劇的に変化するということって,どんなことがあるでしょう
か? なかなか思い付かないかも知れませんね。これまで,異文化カナダ
に触れて生徒たちが影響を受け変化する模様について触れてきました。そ
んな中でも,2週間前に送り出した自
と
の子供が ほんとうに変ったんだ
かる象徴的な例をとりあげてみたいと思います。
世田谷区はウィニペグと姉妹提携をしていますが,1
7日間のプログラム
を終えて帰ってきた時のことです。30名余の生徒たちは,まず区役所に
行って帰朝報告をします。ある中学2年生の男子生徒が,迎えにきていた
母親と一緒にタクシーで帰る途中のことです。何と,その男の子は母親に
向かって, お母さん,ありがとう と言ったのです웏
。いつもこの話をす
원
るときには,色んなことが浮かんできて,こんな風に涙声になってしまい
ます。みなさん方が,中学生2年の時のことを思い出してみてください。
私もそうでしたが,特に男子の場合は中学2年から高
にかけて母親が話
しかけてきても何も話さなくなります。応えるのが面倒くさいんですね。
この男子生徒の場合も同じで,母親にたいしてはまともに応えなかったん
だそうです。これが,日本では普通ですよね。ところが,カナダの家
の
中では,たとえ家族であっても言葉でのやりとりが当たり前のことです。
そして,さきほども触れたように, 人とは真剣に向かい合う というのが
当たり前だという体験をするんですね。ですから,日本を離れる前には照
れくさくてとても口に出すことができなかった言葉
とう
얨 お母さん,
ありが
ということを,母親の顔を見ながら言えるようになったのです。こ
の変化はとてつもなく大きなものです。母親にとって,これほど嬉しいこ
とはないでしょう。このエピソードを話してくださった担当の方も, 若い
人たちがこんな風に大きく成長するのを見ることは本当に嬉しいことで
0
0
4年6月 21日。
웏
원世田谷区役所生活文化部国際課での聴き取り調査:2
5
4
異文化接触と姉妹都市
流 (井上)
す
と仰っていました웏
。
웑
Ⅵ
ジャパニーズ・ウェイの制約と脱却
カナダのホームステイで体験するさまざまな事柄は,日本語と英語とい
う言葉の違いだけではなく,その根底にある物事の
え方や表現の仕方の
違いに関係するところが大きいと思います。日本人は当然のことながら,
日本的な視点(これは日本文化と言っても良いし,日本的行動プログラム
と言ってもよいと思いますが)
,そのような視点で物事を見て, え,行動
します。そして,日本人同士がコミュニケーションをする場合には,お互
い日本的プログラムを
っていますから,何の支障もなく意思疎通が行わ
れます。ところが,相手がカナダ人の場合には日本的プログラムでは,既
に見てきたように意思疎通が困難な場合もでてきますが,われわれにとっ
ては,日本文化があまりにも当たり前すぎて,その特徴を自覚的に
える
ことは少ないと言ってよいでしょう。ここでは,簡単にその主な特徴をつ
かんでおきたいと思います。
1 日本人の3つの〝s"
日本社会で生活していると,普通,周りは日本人です。そこでは,当然
のことながら,日本的コミュニケーションがとられているのですね。つま
り,日本人が意識せずに日本的思
ので,何が日本的特徴なのかを
,日本的表現,日本的行動をしている
えることはありませんし,普通はその必
要もないわけです。
ところが,そのような日本的コミュニケーションは,日本人以外の人た
ちと混じりあう場では,その特徴が浮かび上がることになるのです。参加
者の多くが非日本人である国際会議などでは,日本人は三つの〝s
"という
웏
웑同上。
5
5
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
言葉で表現されたことがありま
す。一つ目の〝s
"は,s
"
mi
l
eの〝s
です。いつも笑顔でいれば間違い
ないだろうということです。二つ
目の〝s
"は,
〝s
"の〝s
"です。
i
l
e
nt
発言しないで黙っているというこ
とですね。日本では,
日本語であっ
ても
の場で発言するということ
に慣れていませんから,日本人以
外の聴衆に向かって英語で発言す
るということは簡単なことではあ
りません。そして,三つ目の〝s
"
は〝s
"です。ニコ
l
e
epi
ng"の〝s
ニコしながら,発言することもな
く座っていて,静かだなと思うと
眠っている ということなんです
ね。日本では,会議の席なんかで, 目を閉じて 聞いている時もあります
が,眠っている訳ではないのですね。もっとも,眠っている人もいるかも
知れませんが……。ところが,国際的な場では,普通,聴衆は話をしてい
る人の方に顔を向けて聴いている訳ですから,目を閉じて
日本流
に聴
いている姿は〝s
l
ee
pi
ng"と解釈されても,無理はないのかも知れません。
このような結果,19
8
0年代にジャパン・バッシングが起きた時期には,日
本人は 不可解(eni
) だと言われたものです。残念なことですが,
gmat
i
c
その当時,世界に向かって英語で日本の
え方を説明できるのは,ソニー
の社長・盛田昭夫ぐらいしか居なかったのです웏
。
웒
9
8
6年に出版されている。Made in Japan: Akio
웏
웒日本語版に先立ち,英語版は 1
Mor
ita and Sony ,Ne
w Yor
k,NY E.P.Dut
t
on& Co,1
9
8
6
.
5
6
異文化接触と姉妹都市
2 言わなくても
かる
流 (井上)
얨日本的コミュニケーションの特徴
国際会議での日本人のコミュニケーションは,さきほど述べましたが,
その特徴は何と言っても
言わなくても
のだと思います。そして,この
日本社会で生活していますと
かる
ということが根底にある
言わなくても
かる
当たり前のこと
え方は,
なので,特に意識するこ
ともないんです。ところが,これと対照的な北米の
ない
という
言わなければ
から
という社会に入ると,この二つの大きな違いを意識せざるを得なく
なります。日本人学生が語学研修なんかでカナダに 1
∼2週間も滞在すれば
体験するんですね。カナダで 1
∼2年住んでみても, 言わなくても
かる
社会 からきた人間にとっては, 何でこんなことまで言わなくては
から
ないのだ
かに
という気持ちを抱くことだと思います。そして,自
言わなくても
かる
たちがい
文化の影響を強くうけているということを認
識することになるのです。
それでは,この
言わなくても
かる
文化とそこで行われるコミュニ
ケーションについて,触れたいと思います。この
言わなくても
かる
ということは,日常生活の中でもよく見られることがらです。例えば,お
客を招いて食卓に
刺身
がでてきて,お客が何かを探す素振りを見せれ
ば,サッとお醤油を取ってあげるというようなことは,よく見かける光景
だと思います。ここでは,そのようなコミュニケーションの中でも,極め
て象徴的で高度に洗練された日本的コミュニケーションについて触れたい
と思います。これは,究極的には
以心伝心
という言葉で現すことがで
きますが,ここでは 最少限の言葉でのコミュニケーション (極度に言葉
を
わない)と理解したいと思います。さて,次の語句を見て,どのよう
に感じますか?
5
7
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
古池や、、、 と書かれています。たったこれだけで,何を伝えようとし
ているのかが
かりますね。もちろん,その後には
と続く訳ですが,言わなくても
蛙飛び込む水の音
かる訳です。こうして,芭蕉のメッセー
ジが何百年の時を越えて,われわれに伝えられている訳です。それでは,
その次のはいかがですか。 月見れば、千々に物こそ、、、 と書かれてい
ます。これも,その後に
続きますが,もう
悲しけれ、我が身ひとつの秋にはあらねど
月見れば
だけで全部が
と
かってしまいます。こうし
て千年以上もの時を越えて,古今和歌集のメッセージがわれわれの所に届
く訳です。このように,十七文字,あるいは三十一文字という極めて限ら
れた文字数でコミュニケーションが可能となるのは,驚くべきことだと思
います。そして,さらに驚くべきことに,これは一部の知識人や富裕層だ
けに限られたものではありません。 百人一首 という手段により,千年以
上もの時を越えて,場所を越えて,老若男女の別を問わず,社会的地位に
も関係なく,多くの日本人の間で繰り返し繰り返し行われてきて現在も共
有されている訳です。このようなコミュニケーション・スタイルは世界的
に見ても極めて稀なものでしょう。
3 説明が苦手な国語辞典
これまでジャパニーズ・ウェイの特徴について述べてきましたが,日本
語という言葉を扱っている国語辞典にもその影響を見ることができます。
言葉の意味を調べるために国語辞典を引くわけですが,もう十年も前のこ
とになると思いますが,この国語辞典を日本語とコミュニケーションとい
う視点から
えると非常に面白いことに気がつきました。全く当たり前の
ことなんですが,この国語辞典の中の表現の仕方も,日本的思
の影響を
大きく受けているんですね。
日本語に
ような思
一を聞いて,十を知る
を知る
という
がありますが,まさにこの
が国語辞典にも当てはまっていると思います。 一を聞いて,十
ということは,話し手(あるいは書き手)が
を言うだけ
全体のほんの一部
で,聞き手は全体を理解するということが要求される訳なん
5
8
異文化接触と姉妹都市
流 (井上)
ですね。つまり,話し手は思っている内容を全部は言わないし言うのは不
粋であるということです。そして,その内容を理解するのは,聞き手(あ
るいは読み手)の責任ということなんですね。
具体的に見て行きましょう。例えば,いま
ださい。 本
を
広辞苑
本
という言葉を
えてく
で調べると,何と書かれていると思いますか。
本 の箇所には,まず 書籍 , 書物 と書かれています。それでは, 書
籍 と 書物 はどのように違うんでしょうか。中学生や高
生になると,
書籍 と 書物 は同じようなモノだけれど,全く同じモノではないとい
うことが感覚的に
ているのかは
かっていると思います。
しかし,
実際にどんな風に違っ
からないし,
辞書にもその違いが書かれていないんですね。
それでは,新しくでてきた
書籍
を調べると,何と
書物 , 図書
と
出てくるではありませんか。 図書 が新しく加わりましたが,また 書物
がでてきていますね。それでは, 書物
物
を調べてみます。何と,そこには
最初に調べた
本
の正体は何なのかと思って, 書
本 , 書籍
とでています。再び
に戻ってしまいました웏
。
웓
9
9
1年)から 書物 の項に関しては, 文字や図画な
웏
웓 広辞苑 の第4版(1
どを書き,または印刷して一冊に綴じたもの。本,書籍,図書,典籍。と改
められている。 本 と 書籍 については,第4版以降から最新版の第6版
まで同じ記述のままである。
第4版では,
上記のように 文字や図画など……
の部
が加筆され,英英辞典の影響がうかがえる。しかし, 書物 の項だけ
が 英語的 になったものの, 本 と 書籍 の説明が 従来のまま であ
り,不統一感が残る。おそらく, 書物 と 本,書籍 とは別の著者による
ものであろう。また,日本で最大の国語辞典である
日本国語大辞典(第2
版:1
2巻)には,古典などから多数の用例が記載されているが, 本
(book)
については,簡単に
書籍,書物
と書かれているのみである。
5
9
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
まとめてみると上のようになりますが,これでは, 本 が どのようなモ
ノ
なのかという
正体
は不明ですね。でも,日本人なら
かりますね。小学生であれば
何となく
からないかも知れませんが,長年日本人
をやっていると,何となく身についてくるんですね。例えば, 漫画の本
とか 本屋さん とは言うけれど, 漫画の書籍 とか 書物屋さん はあ
り得ないという風に何となく違いがあるのが
かりますね。こんな風に,
国語辞典は物事の正体を定義するのではなくて,
同じようなモノを並べて,
大体こんなモノですよ,
本
とか
本屋さん
かるでしょ
とは言うけれど
と言っているんですね。 漫画の
漫画の書物
とか
とは言わないというように,読み手の側が知識と経験を
書物屋さん
動員して
の本質を理解しなければならないのです。モノの本質を理解するのは
本
み手 の責任, 聞き手
読
の責任ということなんですね。
それでは,英語の辞書の場合は,どうでしょうか。 本 と言えば,
〝book"
ですね。それでは,bookを英英辞典で調べたら,何とでているでしょうか。
Oxfor
d Childr
en s Dictionar
y원
월には,こんな風に書かれています。
まず,〝as
"とありますから,これだけで
e
tofs
hee
t
sofpape
r
まとまっ
た紙の束 が頭に浮かんできます。それで,どんな 紙の束 かというと,
〝f
"とあります。これで 紙の束が,バラバラな状態では
as
t
e
ne
dt
oge
t
he
r
なくて,まとめられている状態 だと
かります。そして,その次に
〝i
ns
i
de
"とでてきます。これで,(まとめられた紙の束が)カバーに挟ま
ac
ove
r
れている
というのが
かります。そして,最後にその
まとめられた紙
원
월Oxfor
d Childr
en s Dictionar
y ,Oxf
or
dUni
ve
r
s
i
t
yPr
e
s
s
,2
0
0
0
.
6
0
異文化接触と姉妹都市
の束
流 (井上)
が,どのような役割を果たすためなのかということが書かれている
のですが,〝f
orr
e
adi
ngorwr
i
t
i
ngon"と書かれています。つまり, 読
むためのモノ
であるし
書くためのモノ
でもある,となっています。
なるほど,こんな風に何枚かの紙があって,それがバラバラにならないよ
うにまとめられていて,カバーに挟まれている。そして,それは
読むた
めのモノ であり, 書くためのモノ でもある,という風に,英語を追っ
ていくと 目の前に 〝book"が浮かんできませんか。英語では,こんな風
に
書き手
が
言葉
でモノを定義しようとするのです。そして,それ
が読み手に理解されるかどうかは 書き手 の責任であり, 話し手 の責
任であるのです。そして,お気づきのことと思いますが,英語では
まった紙の束
が
読むためのモノ
であると同時に
まと
書くためのモノ
でもあると書かれています。つまり,日本語のいわゆる
帳面,ノート
と呼ばれるモノも,英語の〝book"に含まれており, 本 と book は
完全に同じものではないということが判ります。さて,先ほどの定義は,
Oxfor
d Childr
en s Dictionar
y によるものですが,その内容は大学生が
う
電子辞書の Oxfor
d Dictionar
y of English と大きな違いはありません。敢
えて子供用の辞書を取り上げましたが,ここから英米の子供たちは小さい
時から,言葉で定義をするという文化を身につけているということを知る
ことができると思います。このように
かは,英語では
書き手
言葉の意味
が理解できるかどう
の責任ということが伝わってくると思います。
こんな風に,文化の根底が根本的に異なっているということが理解され
ていれば,英語でコミュニケーションをするということが,単に英語を話
すということに停まらないことが
話さなくても
かる
かると思います。日本人同士であれば
というコミュニケーション・スタイルが非常に効果
的なのですが,英語でのコミュニケーションでは
る
という
意気込み
言葉で相手を理解させ
が必要だということです。文化的な特徴と違いを
意識しても,なかなかその文化的な制約を越えるのは容易いことではない
でしょうが, 話さなければ
からない
というコミュニケーション・スタ
イルを理解し身につけることが,
われわれの重要な課題だと言えそうです。
6
1
北海学園大学人文論集
Ⅶ
おわりに
第 60号(20
16年3月)
얨ジャパニーズ・ウェイを越える試み
1 非ジャパニーズ・ウェイの確立
これまでお話してきたことは,姉妹都市
流という枠組みの中で,カナ
ダという異文化に接して,普通の日本人がどのように感じどのように関
わっていくのかということについてでした。そこでは,日本文化とは異な
る表現様式や行動様式に出会い,戸惑いや違和感を感じたりするケースだ
けではなく,それまでに経験したこともない文化を越えるケースについて
も触れてきました。そこで重要なことは,自
たちの日本文化にいかに影
響を受けているのかという認識(pr
i
s
oner
sofourownc
ul
t
ur
e)と,同時
に異文化との関わりにおいて,どうすれば
るのかを
自文化
を越えることができ
えることだと思います。既にお話したなかから,いくつかの重
要なヒントをとりだしてみたいと思います。
まず,思いを言葉に するということが,
全体を通して言えることでしょ
う。言ってみれば簡単なことのように思えますが,これは
言わなくても
わかる スタイルとは異なる 言わなくてはわからない コミュニケーショ
ン・スタイルを身につけるということです。ホストファミリーの奥さんが
美容院で髪をセットしてきた時に, ユアーヘアー,ビューティフル と言
葉にしてみるのは,日本文化の中で育ってきた者にとっては容易なことで
はありません。ただ単に,言葉にするというだけのことではないのですね。
自
の妻を(他人の前で)褒めるという行いは日本文化にはないのですか
ら。ちょっと大袈裟な言い方をすると,自
の中の
文化的な価値観
を
越えるということなのです。これは,理屈ではなく,良いか悪いか,好き
か嫌いかなどの価値観の修正を伴います。そして,そのような
練
経験と訓
によって身につくことなのです。プールサイドで泳ぎ手を観察するだ
けではなくて,自ら水の中に入り泳いでみることが必要です。そして何よ
りもホームステイをするということの重要な点は,実践するにあたり
逃
げ場のない状況下に自らを置く ということではないでしょうか。そして,
これは
真剣勝負のコミュニケーション
6
2
と関連してきます。日本の中で
異文化接触と姉妹都市
流 (井上)
このような状況を探すことは難しいことです。授業中,先生に当てられて
も,黙っていると次の学生に回っていきます。カナダでのホームステイの
ように, ジェスチャーは恥ずかしい という意識を破って,相手とコミュ
ニケーションをするということは必要ないのです。中学生や高
生になる
まで日本で生活をしてきて, 辞書を引きながら必死になって 相手の言う
ことを理解しようとしたり,何とかして自
の思いを伝えようとしたこと
は,おそらく普通は経験することはないのではないでしょうか。
このように必死になって一つ切り抜ける毎に,自信が生まれ,自
が変るという体験をするのです。あのカナダ人の
ナダ
を合唱し,自
衆の前で
自身
オー,キャ
たちのその行動が目の前の相手に伝わった時の感覚
は,おそらくそれまで味わったことのない体感でしょう。そのようにして,
自らの行動が目の前を動かすのだという感覚と,同時に自
自身が変化し
たという感覚を得るということが,何ものにも代え難い異文化との出会い
がもたらす賜物だと言えるでしょう。
2 ジャパニーズ・ウェイを越えるヒント
これまでお話したことから,日本人にとって 思いを言葉にする こと,
思いを行動にする
ことは容易ではありません。しかし, ほんとうの目
的はハワイだろう というカナダ人の誤解を解いたり,
壊れているシャワー
を修理してあげたり,
衆の前で合唱し思いを伝えた例もありました。こ
れらの例は多くはないのですが,ここにジャパニーズ・ウェイを越えるヒ
ントがあると思います。異文化を越えてコミュニケーションをするという
ことは,言葉だけではなくて,音楽や書道や料理など,さまざまな方法が
あります。 もしもピアノが弾けたなら という曲がありますが,ピアノを
弾けるということは素晴らしいコミュニケーション・ツールです。
コンサー
トで演奏するなどという
いものではなくて, さくらさくら でも,ビー
トルズの
でも, オー・キャナダ
イエスタデー
でも,ほんとうに簡単
な曲で良いのです。今お話していて思いだすことは,ブロック大学の近く
に
フォート・ジョージ
という砦があるのですが,そこのツアーに参加
6
3
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
した時のことです。15名ぐらいの参加者でしたが,イギリス軍の当時の軍
服姿のガイドさんが,将軍の居間でフルートを吹いて
当時の軍人は教養
も必要だった ということを示してくれました。そして, 誰かピアノを弾
けますか? と尋ねたのです。すると日本人の 2
0歳ぐらいの女性がサッと
手をあげたのですね。ところが, ちょっと弾いてくれませんか? と言わ
れると,モジモジとしたままで気まずい
さくらさくら の出だしの部
オー・キャナダ
囲気で終わってしまったのです。
だけでも良かったんですね。そうそう,
なんかであれば,もう最高でしょう。誰も1曲全部を演
奏することを期待している訳ではありませんから。 弾いてくれる? と言
われて,サッと応えられていれば,素晴らしいコミュニケーションになっ
たと思います。なかなか日本人の場合には,自然に自
から応じていくと
いうことに慣れていないんですね。ですから,急に言われても無理なんで
す。常々から,そのような練習をしていることが,異文化と接する時には
非常に重要になってくると感じた次第です。これは,上に触れた書道でも
料理でも同じことだと思います。こんな風に自
自身を表現できるかどう
かが,文化を越える鍵になるのではないでしょうか。
このようなお話をしながらも,私自身はピアノも弾けないし,フルート
も吹くこともできません。私のように特に何もできないといった場合にで
も,このようなハガキの大きさぐらいのノートなんですが,これならいつ
もポケットに入れておくことができます。初対面で英語で名前を言われて
も,なかなか聞き取れないことが多いのですが,そんな時にこのノートに
書いてもらうんですよね。そうすると,口で言うと一瞬で済むことが,書
くという作業が加わって時間もかかりますから,相手の字を見ながら文字
を確かめたりして,気持ちにも余裕がでてきます。それで,相手が特に日
本のことに興味があるのが
漢字は
形
から意味が
かると,簡単な漢字を書いてあげるんです。
かりますから,結構カナダ人の方も興味がある
んですね。例えば, 木 と書いて,
〝onet
"というと,すぐに
r
e
e
かりま
すね。そして次に, 木 と 木 を二つ並べて 林 と書いて〝t
"
wot
r
e
e
s
で〝awood"というと,これも納得します。それで次に,この 林 の上
6
4
異文化接触と姉妹都市
流 (井上)
にもう一つ 木 を加えて 森 と書き〝t
"で〝af
"と言
hr
e
et
r
e
e
s
or
e
s
t
うと,これも一目で納得です。
さらに,この 森 の上に 木 をもう一本加えて,
〝How aboutt
"
hi
sone?
と聞きます。そして,これは〝aj
ungl
e"と言います。もちろん,そんな字
はありませんから, これは,冗談ですよ と言ってあげないと本気にしま
すから注意が必要です。しかし,ここまでいくと,後は向こうからさらに
木 を加えて,
〝r
" 熱帯雨林 とかいう言葉もでてきて,大笑
ai
nf
or
e
s
t
いです。これで,もう相手との距離がグーンと近くなるのは間違いありま
せん。私どもの学生も,それぞれ自
にあったやり方で,文化を越えていっ
てもらいたいと祈っております。
これをもちまして私の最終講義は終わらせていただきます。
ご清聴,どうもありがとうございました。
聴き取り調査
・板橋区役所政策経営部国際
・江東区立第三大島小学
・財団法人守口国際
流課にて:2
0
02年 1
1月 1
0日。
にて:2
0
0
2年 12月 1
0日。
流協会にて:2
0
0
5年9月 2
1日∼22日。
・鹿追町役場にて:1
9
87年 1
1月2日。
・世田谷区役所生活文化部国際課にて:2
0
0
4年6月 21日。
・名寄市役所にて:1
9
87年 1
2月2日。
・箱根町役場にて:2
0
0
3年3月4日。
・リンゼイ市役所にて:1
9
9
4年8月 16日。
6
5
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
資
・ 1998年度牛久市
料
換青少年事業報告書
・ 絆 8000キロを越えて
牛久姉妹都市委員会,1
9
98年。
얨昭和 6
1年度町民海外研修報告書,陸別町・ラコー
ム町姉妹都市提携の概要
陸別町役場,1
9
86年。
・江東区教育委員会 平成 1
4年度江東区立中学
生徒海外短期留学報告書(第
1
6回) 200
2年 1
1月。
・鹿追町
第2回鹿追町北方圏視察研修報告書
1
9
84年。
・ 姉妹都市派遣中学生報告書(3月 22日-3月 2
9日) 財団法人守口市国際
流協会,200
1年。
・ 姉妹都市派遣中学生報告書(3月 25日-4月1日) 財団法人守口市国際
流
協会,200
4年。
・世田谷区役所生活文化部文化・国際課
学生親善訪問団報告書
第1
7回ウィニペグ市派遣世田谷区中
2
0
0
4年3月。
参
文献
・石井良一(編) NRIパブリックマネッジメントレビュー 野村
研,2
0
06年
11月( Vol
40),( ht
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20061101.
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・井上真蔵
える
・
異文化接触としての姉妹都市
異文化接触としての姉妹都市
ンスター市のケース
・
流
얨日本とカナダの事例から
開発論集 (第 84号),北海学園大学開発研究所,2
0
09年。
流
얨守口市とニューウエストミ
人文論集 (第 53号),北海学園大学,2
012年。
カナダとの姉妹都市関係
얨何を学ぶか
얨 北海学園大学国際
会議場,日課修好 7
5周年・日本カナダ学会及び北海道カナダ協会
年記念事業,在日カナダ大
立2
5周
館,日本カナダ学会・北海道カナダ協会・札幌
国際プラザ主催,2
0
0
4年8月 2
1日。北海道カナダ協会会報第 7
1号,北海道
カナダ協会,2
0
04年 1
0月 3
1日。
・
カナダとの姉妹都市関係の特徴とその影響
ホース市のケースについて
・
カナダとの姉妹都市関係の特徴とその影響
のケースについて
・
얨牛久市とホワイト
人文論集 (第 31号)北海学園大学,2
0
0
5年。
얨江東区とサレー市
人文論集 (2
6
・2
7合併号)
,北海学園大学,2
0
0
4年。
カナダとの姉妹都市関係の
6
6
析
얨世田谷区とウィニペグ市の姉
異文化接触と姉妹都市
妹都市関係
・
流 (井上)
人文論集 (第 3
4号)北海学園大学,2
0
06年。
国際化の一側面北海道とカナダとの姉妹都市関係について 北見
大学論集
・
29号,北海学園北見大学,1
9
9
3
。
転換期にたつ姉妹都市
流
北海学園大学学園論集 (第 1
41号)
北海学園大学。
・楠本利夫
姉妹都市
流の意義
얨グローバル化の進展と姉妹都市
얨 国
際文化研修 201
3夏 vol
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インターネット
・カナダとの姉妹提携数(カナダ大
館ホームページ)
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・カナダとの姉妹都市提携数(自治体国際化協会ホームページ)
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・クロッカーズ(板橋区文化・国際
流財団
流課のホームページ)
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6
7
タイトル1行➡3行どり
タイトル2行➡4行どり
T.
S.エリオットの文学批評
池
内
靜
司
Ⅰ.は じ め に
退職にさいしまして,このような機会を与えてくださいました,北海学
園大学人文学会に心より感謝いたします。
実は,私は,人文学部の講義科目を担当しておりませんので,最終講義
を行うのは不適切であるのかも知れません。ただ,専門科目である
文学講読
の
という科目を随
外国文学
英米
と長い間担当してきましたし,一般教育科目
という講義科目を担当していたこともありまして,それら
の授業には,人文学部の両学科の学生の皆さんもかなり出席しておりまし
たから,強引ではありますが合わせ技で一まとめにしてしまうことができ
ますれば,この講義をさせていただく妥当性も幾ばくかはあるのかなと思
います。余談を申し上げてしまいました。申し訳ありません。
本日のこの講義のタイトルは, T.
S.エリオットの文学批評 となってお
ります。限られた時間のなかでエリオットの批評の全体について要領よく
お話しすることは,私には至難の業ですので,ここではエリオットの文学
批評への
誘い ,あるいは, 紹介
とでも言えそうなお話をさせていた
だきたいと思います。必然的にその内容は,1
92
0
∼3
0年頃のおよそ 1
0数年
間を中心に,エリオットの詩人・批評家としての歩みと発言の推移を見て
行くことになろうと思います。
さて,最近の日本における文学の傾向,あるいは,好み(それがあれば
の話ですが)といったことに,このエリオットというアメリカ生まれのイ
ギリスの詩人・批評家がどんな関係を持っているのか,あるいはまったく
関係がないのかどうか私には
からないのですが,そういったかなり大き
6
9
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
な問題に目を向けるまでもなく,
本学の人文学部の学生の皆さんの中には,
エリオットという名前を聞いたこともないという方もいるのではないか,
また,状況はおそらく他学部の学生の皆さんにつきましても同じではない
かと思われます。つまり,今日では,英文科の学生か英文学に相当関心が
ある者でもなければ,エリオットという名前は,劇団四季のミュージカル
キャッツ (Andr
)の原作者の名前として
e
w Ll
oydWebbe
r作曲の作品。
知られているのがせいぜいではないかと思われます。しかし,私が学生の
頃は,エリオットという詩人・批評家は,好き嫌いはあるにしても,英文
学の,いや世界文学の一つの巨峰をなす巨大な存在でありました。当然,
エリオット研究は,最も論文数の多い研究領域の一つであり, エリオット
産業
という言葉があてはまるに十
なほどの活況を呈していたように思
います。また,研究対象として他の作家を選んだ場合でも,エリオットの
見解を参照していたり,彼の発言に言及していることが,その研究にある
種の権威を与えるような,エリオットはそんな詩人・批評家であったよう
に思います。その意味でも,好むと好まざるとに拘わらず,エリオットに
は
クライテリオン,規準 ( c
r
i
t
e
r
i
on)という言葉が相応しいという印
象を受けます。実は,この クライテリオン という言葉は,1
92
2∼39年
までの間,彼が自ら編集長となって発行し続けた雑誌の名前でもありまし
て,その記事の主要部
原稿であり,まさにこの
は,当時のヨーロッパの文学者・知識人への依頼
クライテリオン
という名前が冠されるに相応
しい,どこかにあるはずのヨーロッパ的な知の規準を求め解き明かそうと
するような,そんな野心に満ちた内容のものであったと言って良いと思い
ます。詩人であり批評家であるエリオットについて学ぼうとするとき,こ
の点は是非押さえておくべき点であろうと思います。
ところで,伝記的な事柄をどれほど集めても,それによってエリオット
の作品そのものを理解できるということには決してなりません。この点は
エリオット自身が力説していることでもあります。しかしながら,非才な
我々読者がせめて少しなりとも作者について知ることで,作品や批評上の
発言がいくらかでも馴染み易くなることがあるとすれば,伝記的な事実を
7
0
エリオットの文学批評 (
池内)
T.
S.
ある程度知っておくことも,有意義であると言えるかも知れません。その
ような意味合いで,エリオットに関わる伝記的な事実を少しお話しいたし
ます。
Ⅱ.伝記的事実について
以下の表をご覧ください。
1
8
88年
Mi
s
s
our
i州東部の都市,Sai
ntLoui
sに生まれる。
1
9
05年
。
Smi
t
hAcade
my入学(16歳)
1
9
06年
に入学。
Har
var
dUni
v.
1
9
0
9年
卒業。大学院へ進学。
1
9
10年
M.
A.取得。パリへ留学。H.Be
r
gs
onの講義をコレージュ・ド・
フランスで聴講。
(帰国後,F.
H.Br
adl
e
yの哲学とめぐり合
う。)
1
9
1
4年
イギリスへ留学。
(Oxf
or
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r
t
onCol
l
egeへ。)
1
9
15年
Vi
vi
e
nneHai
ghWoodと結婚。
1
9
16年
博士号請求論文 Knowledge and Exper
ience in the Philosophy
)完成,Har
of F.H. Br
adley (Fabe
r& Fabe
r
,
1
96
4
var
d大学
へ送る。
1
9
19年
エッセイ〝Tr
"。
adi
t
i
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vi
dualTal
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nt
1
9
20年
。
The Sacr
ed Wood (最初のエッセイ集)
1
9
21年
書評〝TheMe
"
。
t
aphys
i
c
alPoe
t
s
1
9
22年
1
9
23年
〝TheWas
。
t
eLand"発表(初期の代表作とされる)
エッセイ〝Ulysses ,Or
de
randMyt
h"
,Selected Pr
ose of T.S.
Eliot ,e
d.wi
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hanI
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25年
1
9
26年
〝TheHol
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n"発表。
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ni
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yCol
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e
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7
1
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
おける全8回の連続講義)
,The Var
ieties of
Metaphysical
)
Poetr
y ,ed.byRonal
dSc
huc
har
d(Faber& Faber
,1
993
1
9
2
7年
英国国教会へ改宗。英国へ帰化。エッセイ〝Shake
s
pear
eand
。
t
heSt
oi
c
i
s
m ofSe
nec
a"
1
9
30年
〝TheAs
hWednes
day"発表。
1
9
31年
エッセイ〝Donnei
"A Gar
nOurTi
me,
land forJohn Donne ,
e
d.byThe
odorSpe
nc
e
r(
Pet
e
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9
58
)
1
9
32年
)
(エッセイ集)
。
Selected Essays (Faber& Fabe
r
1
9
33年
講演 After Str
ange Gods: A Pr
imer of
Moder
n Her
esy
(Faber& Faber
)Vi
,1
93
4
r
gi
ni
a大学における講演。
エリオットは 1
88
8年,アメリカ合衆国の中西部,ミズーリ(Mi
)
s
s
our
i
州東部の都市,セントルイス(Sai
)に生まれました。先祖は,1
7
ntLoui
s
世紀にイギリスからボストン(Bos
t
on)へ移住してきたプロテスタントで
ありましたが,祖
のウィリアム・グリーンリーフ・エリオット(Wi
l
l
i
am
)のとき,さらにセントルイスへと移住いたしました。
Gr
e
e
nl
e
afEl
i
ot
エリオット家の歴
を見ますと,社会的にかなりの活躍をした人々の存
在が目を引きます。例えば,祖
ウィリアムの曾祖
アンドルー・エリオッ
ト師(t
)は,ボストンのオールド・ノース教
heRe
ve
r
e
ndAndr
e
w El
i
ot
会(Ol
dNor
s
eChur
c
h)の牧師でした。また,ウィリアム・エリオットの
親(エリオットの曾祖
)の従兄の一人は,第2代アメリカ合衆国大統
領ジョン・アダムズ(J
)
(1
7
97
18
0
1
,1
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-1
82
6)であると言
ohnAdams
われています。ウィリアム自身も,教育と教会の関係で活躍し,また,エ
リオットの
ヘンリー(Henr
)はレンガ会社を経営する実業家でし
yEl
i
ot
た。経済的に豊かである一方,家族の
囲気はユニテリアン(Uni
t
ar
i
an)
の質素と奉仕の精神に満たされていたようです。ユニテリアンというのは
プロテスタントの一派ですが,三位一体説に反対しキリストの神性を認め
ないという点をその信仰に含んでおります。1
9
27年にイギリス国教会,そ
れもカトリックの儀式性を強く保持した高教会派に自らの意思で帰属する
7
2
エリオットの文学批評 (
池内)
T.
S.
ことになるエリオットにとって,この点はおそらくかなり重い意味を持っ
ていたのではないかと推測されます。アニー・ダン(Anni
)とい
eDunne
う乳母の黒人女性の存在が,意外に大きな役割を果たしたのかも知れませ
ん。幼いエリオットの手を引いてカトリック教会へ行ったことがあったと
ある伝記には記されています。いずれにしても,こういった家族の歴
と
囲気の中で,母シャーロット(Char
5歳の時の子(末っ子で7
l
ot
t
e)が 4
番目の子)として,1
8
88年9月 26日,アメリカ合衆国ミズーリ州の都市セ
ントルイスに生まれたわけです。そして,4
0代に差し掛かるころには,2
0
世紀を代表する詩人・批評家の一人としてその地位を固めて行くことにな
ります。
表にありますように,エリオットは 1
9
06年にハーヴァード大学へ入学
し,3年後には卒業して直ちに修士課程に進学しました。この段階では,
専門は未だ定まってはいなかったように見えます。その後,パリで1年間
の留学期間を過ごす中で,コレージュ・ド・フランス(Col
l
썢
e
gedeFr
ance)
で哲学者アンリ・ベルグソン(Henr
iBer
gs
on)の講義を聴講し,帰国し
た時には一時的にベルグソン信奉者になっていたと伝えられています。や
がて F.
H.ブラッドリー(F.
H.Br
adl
ey)の哲学とめぐり合い,博士課程で
はその哲学を研究対象として選択しております。19
1
4年には,ブラッド
リーがフェローを務めるイギリスのオックスフォード大学へ1年間の留学
に出かけます。そして,留学期間が終了したあともイギリスに留まり,再
び母
ハーヴァードに戻るのは,詩人・批評家として文壇での名声をすで
に確立した 19
32年のことで,
母
を含めた幾つかの大学で講演をするため
でありました。これに先立つ 1
92
7年には,イギリス国教会に帰属し,さら
にイギリスの市民権も手にしておりました。
ところで,1
9
1
5年,オクッスフォード大学に留学したエリオットは,突
然,ヴィヴィアン・ヘイウッド(Vi
vi
e
nneHe
i
ghwood)というダンスの得
意なモダーンガールと,両親の承諾も得ないままに電撃的に結婚してしま
います。哲学者のバートランド・ラッセル(Be
)は,ハー
r
t
r
and Rus
s
e
l
l
ヴァード大学の客員教授を務めたことがありエリオットとは師弟関係に
7
3
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
あったのですが,偶然ロンドンで再会し,その後何くれとなくこの若夫婦
の面倒をみることになりました。彼は新妻ヴィヴィアンについてかなり特
異な印象を述べています。つまり,ヴィヴィアンが, ナイフの刃渡りをし
て生きているような女性である ( Shei
sape
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s
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;Idontknow whi
chye
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.)
(GREAT TOM byT.
S.Mat
t
hews
,1
9
74
,p.
4
7)という印象です。若いエ
リオット夫妻の生活は,当初,彼が書評を書いたり講義を担当したりする
ことから得られる少ない収入では足りず,ラッセルなどの知人たちの援助
に頼りながらの苦しいものであったようです。
経済的な面での困難は,
1
917
年春に,ロイズ銀行で働き口が得られたことにより改善したように見えま
すが,この時期のエリオットには,第一次大戦の戦後処理に関わる銀行の
過激な業務と自
自身の勉学や
作にエネルギーを費やすことに加えて,
精神的に不安定で病弱な妻ヴィヴィアンの看病という重荷が加わっていた
訳です。これが初期の代表作 荒地 (1
92
2年)が生み出された当時のエリ
オットのおかれた状況でした。しかしながら,エリオット流に言うなら,
一篇の詩の
造において重要なのは,このような詩人の精神内部で降り積
もり複雑化していく詩人自身の経験そのものではありません。
重要なのは,
経験の諸要素を化学反応させる触媒としての役割を持つ詩人の精神機能で
あり,その働きの強烈さなのであって,化学反応における触媒の働きを比
喩として用いつつ展開するいわゆる彼の
没個性
説を,大まかなりとも
押さえておく必要があるでしょう。ここでは,1
92
7年のエッセイ シェイ
クスピアとセネカの克己主義 ( Shake
s
pe
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e and t
he St
oi
ci
s
m of
Se
ne
ca,)での議論も合わせて参
にすると良いと思います。このエッセ
イから彼の言葉をそのまま引くなら, 詩人は詩を作り,形而上学者は形而
上学を作り,ミツバチは蜜を作り,蜘蛛は糸を
泌する ( Thepoe
tmakes
poe
t
r
y,t
heme
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aphys
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)(Selected Essays ,19
)の
t
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l
ament
.
3
2;1
9
76,p.
13
8
が仕事であって,それ以外の事をその本
であるかのごとくに取りたてて
言うのはお門違いということになります。彼の言う
7
4
没個性
とは,自
エリオットの文学批評 (
池内)
T.
S.
の本
たる仕事にひたすらに集中するという側面を基本的要件として含ん
でいます。そして,没個性 を追究する詩人の努力が自国の―あるいはヨー
ロッパの―文学の伝統にしっかりと立脚しているときには,あるいは,そ
のようなことが可能である時には,そこに個性の表出の問題は生じないと
いうことになるでしょう。しかし,そのような自己没入が可能であるため
にさらなる要件が必要であるという意識を持つようになるところで,彼の
批評(詩論)はさらに展開していくことになるのだと思われます。文学の
伝統からさらに視野を広げて,社会の知の状況の如何を問題として意識す
ることによって,エリオットの議論はさらに複雑さを増して行くことにな
ります。
Ⅲ.伝
統
論
さて,それでは,エリオットが英国の文壇に登場して間もない 1
920年頃
の詩論を実際に幾つか見てみることにいたします。時間の関係もあります
ので,ごく一部のものに
って扱いたいと思います。なお,ここではエリ
オットのエッセイと書評は特に支障がないかぎり共にエッセイとして扱う
ことにいたします。と言いますのは,例えば 1
9
21年の〝TheMet
aphys
i
c
al
"は,H.
Poet
s
J
.
C.Gr
i
e
r
s
onの 17世紀形而上詩選 ( Metaphysical Lyr
ics
)の出版
and Poems of the Seventeenth Centur
y, Donne to Dutler,1
9
21
を受けて タイムズ紙文芸付録 (TLS )に寄せた書評でありますが,1
932
年に出版されました彼自身のエッセイ集(Selected Essays )には,エッセ
イの一つとしてこれが収載されておりますし,その後のエリオット研究で
もこの書評をエッセイの一つとして扱うのが普通のことであり,このこと
に特に異論は出ていないと思われるからです。
さて,繰り返しになりますが,いわゆるエリオットの 伝統論 ,伝統と
の関係で語られる 没個性説 ,そして,当然これら二つの観点と調和的な
内容のものとして展開されているはずの 1
7世紀英国の形而上派の詩人た
ちに備わるとされる 統合された感受性 ( uni
f
i
e
ds
ens
i
bi
l
i
t
y)について
7
5
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
の議論が,この当時の彼の批評の大枠を構成していると
えられますが,
彼自身の言葉でどのように述べられているのかを,以下に簡単に見てみた
いと思います。出来るだけ煩雑化を避けるために,
ここでは主に以下の
(a)
(b)二つのエッセイに目を向けるに留めます。
(b)の代わりに,最初の
エッセイ集である
聖なる森 (The Sacr
ed Wood )所収のエッセイ
ダ
ンテ 〝Dant
20年)を利用しても,同じ結果を得ることができます。
e"(19
(a) 伝統と個人の才能 〝Tr
"
adi
t
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onandt
heI
ndi
vi
dualTal
e
nt
,
The Sacr
ed Woods (
1
9
20
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huen,1
9
83
)
(b) 形而上派の詩人たち 〝The Met
"Selected
aphys
i
c
al Poe
t
s
,
)に収載
Essays (
19
3
2;Faber& Faber
,1
97
6
(a)については,まず以下の発言に注目したいと思います。ここにはエリ
オットの伝統についての
え方が示されております。
伝統には何よりも 歴
感覚 ( hi
s
t
or
i
cals
e
ns
e)が必要であると述べた部
に続く文章です。
(a)
−1
しかしながら,もし伝統ということの,つまり,伝え残すというこ
との唯一の形式が,我々のすぐまえの世代の収めた成果を墨守して,
盲目的にあるいはおずおずとその行き方に追従するというところにあ
るのなら, 伝統
とは,はっきりと否定すべきものでありましょう。
我々はこのような単純な流れが,たちまちにして砂中に埋もれて行く
さまを,たびたび目の当たりにしてきたのです。それに新規は反復に
まさるものです。伝統とはこれよりはるかに広い意義を持つ事柄なの
です。それは相続するなどという訳にはいかないもので,もしこれを
望むなら,非常な努力を払って手に入れなければならないものなので
す。伝統には,何よりもまず,歴
感覚ということが含まれます。こ
れは 25才を過ぎてもなお詩人たらんとする人には,
ほとんど欠くべか
らざるものと言ってよい感覚です。そしてこの歴
7
6
感覚には,過去が
エリオットの文学批評 (
池内)
T.
S.
過ぎ去ったというだけでなく,過去が現在に生きているということの
知覚を含むのであり,それは我々がものを書くとき,自
の世代を骨
髄のなかに感ずるのみならず,
ホーマー以来のヨーロッパ文学の全体,
および,その一部をなしている自国の文学の全体が同時的に存在して
いて,一つの秩序を形成していると感じさせずにおかないものなので
す。この歴
感覚は,時間的なものばかりでなく時間を超えたものに
たいする感覚であり,そしてまた,時間的なものと超時間的なものと
を一緒に認識する感覚でもあって,それがあることが作家を伝統的な
らしめるのです。そして,それは同時に,時間の流れの中で彼が占め
ている位置と,彼自身が属している時代にたいして,彼を最も敏感に
するものなのです。
(Yeti
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7
7
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
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(The Sacr
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Wood ,p.
4
9
(a)
−2
いかなる詩人も,またいかなる芸術家も,たった一人だけで完全な
意味を持つ者はおりません。その意義,その評価は過去の詩人や芸術
家たちにたいする関係の評価に他なりません。その人単独ではこれを
評価する訳にはいかないのです。比較し対照するために,これを死者
のなかに置いてみなければなりません。私はこれを,ただ単に歴
的
批評の一原理として言っているのではなく,審美的な批評の原理とし
て言っているのです。詩人や芸術家が,過去に順応し一致しなければ
ならないと言っても,それは一方的なことではありません。一つの新
しい芸術作品が
造されると,それに先立つあらゆる芸術作品にも同
時に起こるような何事かが起こるのです。現存の様々なすぐれた作品
は,それだけで相互に一つの観念的な秩序を形成しておりますが,そ
の中に新しい(真に新しい)作品が入ってくることにより,この秩序
にある種の変
が加えられます。現存の秩序は,新しい作品が出てく
る前にすでに出来あがっている訳ですが,新しいものが加わった後で
もなお秩序が保たれているためには,現存の秩序の全体が,たとえわ
ずかでも変えられなければならないのです。
(No poe
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8
エリオットの文学批評 (
池内)
T.
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d.
,pp.
4
95
0,
このエッセイでの発言の要点を箇条書き風に纏めてみますと,おおよそ以
下のような纏めが可能と思われます。
(1)伝統を持つには歴
(2)歴
感覚が不可欠である。
感覚は,
時間的なものと時間を超えたものにたいする感覚で
あり,またそれらを同時的に認識する感覚である。
(3)いかなる詩人も,またいかなる芸術家も,それだけで完全な意味
をもつものはない。その意義,その評価は過去の詩人や芸術家た
ちにたいする関係の評価にほかならない。
(4)歴
感覚を持つと,
これまでのヨーロッパ文学の全体が同時的に
存在して一つの秩序を形成していると感じる。
(5)そのような秩序のなかに真に新しい作品がはいってくると,
全体
の秩序が変
される。
(6)詩人(芸術家)は,詩の主流というものを強く意識していなけれ
ばならないが,
それは最も著名な作家たちの間だけを流れている
とは限らない。
(7)詩人(芸術家)は,芸術は決して進歩せず,ただその素材は絶え
ず変化しているということを,よく知っていなければならない。
(8)詩人(芸術家)は,自国の精神やヨーロッパの精神が,自
自身
の個人的な精神よりはるかに重要であることを知る。
(9)詩人(芸術家)は,自国の精神やヨーロッパの精神が変化する精
神であり,また,その変化は,その途中でなにものも捨て去るこ
とがない発展である,ということを知っていなければならない。
7
9
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
このようなことを述べた後,彼はいわゆる詩(芸術)の
開しております。どの部
没個性
説を展
を取り上げるべきか迷いますが,取りあえず以
下の発言を見てください。
(a)
−3
それ(詩)は,実際的な活動的な人間なら経験ともなんとも思わな
いような,非常に数多くの経験の一種の一点集中であり,この一点集
中から結果するところの全く新しいあるものなのです。
しかもそれは,
意識的にも意図的にも起こってこない一点集中なのです。
(中略)
詩を
書く場合には,意識的,意図的でなければならないことが沢山ありま
す。事実,まずい詩人というものは,たいてい意識的であるべきとこ
ろで無意識的であり,無意識的でなければならないところで意識的な
ものです。いずれの誤りも,ともに詩人を
個性的
ならしめること
になるのです。詩は情緒の解放ではなくて,いわば情緒からの逃避な
のです。それは個性の表現ではなくて,いわば個性からの逃避です。
しかしもちろん,個性や情緒をもっている者だけが,これらのものか
ら逃避したいということがどういう意味なのかを知っているのです。
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8
0
エリオットの文学批評 (
池内)
T.
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(p.
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hi
ngs
.
5
8)
* 伝統と個人の才能 の日本語訳については,安田章一郎訳(研究
社刊
英米文芸論双書−1
2
− )
,および,深瀬基寛訳(中央
社刊
エリオット全集−第5巻
所収)を参
にした。
すでに触れましたように,エリオットが上記のエッセイで言う
(文学の
論
伝統
伝統 )とは,過去から現在に至るまでのすべての要素(作品)
が同時的に存在し構成する,一つの秩序として示されるものです。そこに
は通時的・歴
的な相ばかりでなく共時的な相が存在しています。結局,
それは人間の頭の中でイメージされる観念的な存在でありますが,そのよ
うなことをイメージして感じ取ることができるためには,歴
感覚という
ものが必要だとエリオットは言っているのです。しかし,エリオットの言
う伝統には,共時的な存在の相を強調することによって,過去のあらゆる
要素と付き合わされる場としての現在時にたいする意識が,とりわけ強烈
であるように思われてきます。そして,伝統という秩序の重要な要素の一
つとなる作品を生み出すべきことを自覚し,作品の制作に努力を惜しまな
いこと,このことが,結局は,彼の没個性説が各作家へ要請する事柄であ
ると言うことができるでしょう。歴
感覚が備わっていてエリオットが言
うようなことを自覚するならば,おそらく作家の努力の方向性についての
認識が形成され,伝統の中心的な流れに位置する作品が如何なる類の作品
なのかということについての認識が得られることになるでしょう。そのよ
うな作品では,おそらく作家の生きる時代の時代性(モダニティー)の問
題や,作家の仕事の本質を問う視点が取り上げられる必要が出てくるので
はないかと思われます。ここでは,少し瑣末なことに思われるかもしれま
せんが,19
2
0年頃,つまり, 伝統と個人の才能 が
オットの詩論では, 没個性 の問題は,明らかに
にされた時期のエリ
作主体である詩人個人
の側の問題に帰されているように見える,ということを押さえておきたい
と思います。問題が拡散することを避けるためにも,ここではこれ以上の
8
1
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
索は避けたいと思います。
Ⅳ.感 受 性 論
エリオットの伝統論と没個性説については,ひとまず以上のことを念頭
に置いて,次の(b) 形而上派の詩人たち ( TheMe
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(1
9
21年)
に目を向けることにします。この中でエリオットは,形而上派の
詩人たちと呼ばれる一群の詩人たちを,ヨーロッパ,および英国の文学の
中心的な流れに属する詩人たちとして取り上げております。それ故に, 伝
統と個人の才能
で指摘された伝統の中心的な流れに位置する詩人たちの
中に,少なくとも形而上派の詩人たちが含まれていると
えることができ
るはずです。このエッセイで彼は,形而上派の詩人たちの感受性に言及し,
それが思想と感情の統合された状態にある感受性であると述べております
が,ここで
思想
と
感情
は,大まかに言って,前者の
論理的な,
という言葉でエリオットが意図しているの
思想
が思想の構築と関わるような詩人の
析的な能力であり,後者の
感情
は心の状態をもたらす感
覚的な受容能力,簡単に言えば感じる能力を表していると推測されます。
さて,エリオットは,形而上派の詩人たちに備わる感受性の特質につい
て,時代の進展とともにそのような特質を失ってしまった詩人たちとの比
較で,次のような有名な発言を行っています。
(b)
−1
詩人たちの間の相違は,程度の差というような簡単なものではあり
ません。それは,ダンやチャーベリーのハーバート卿の時代からテニ
スンとブラウニングの時代までに英国人の精神に起こったあるものな
のです。それは,知的な詩人と内省的な詩人との相違です。テニソン
とブラウニングは詩人であって,彼らは
自
えますが,しかし,彼らは
の思想をバラの香りのごとく直接的には感じません。思想は,ダ
ンにとって,経験でありました。それは,彼の感受性を変えました。
8
2
エリオットの文学批評 (
池内)
T.
S.
詩人の心が勤めを果たすのに申し
のない力を備えているとき,それ
は絶えず異質な経験を混和しつつあります。普通の人の経験は,混沌
としていて不規則的で断片的です。後者は恋したり,スピノザを読ん
だりしますが,この二つの経験は,互いに,あるいはタイプライター
の音や,料理の匂いと何も関係がありません。ところが詩人の心の中
では,こういった経験が絶えず新しい経験を形成しているのです。
その相違は,次のような理論で表せるかもしれません。1
6世紀の劇
作家の後継者であった 1
7世紀の詩人たちは,
どんな種類の経験をも我
がものにし得る,感受性の機構を持っていました。彼らは,先輩たち
と同様,単純で技巧的で
渋で,もしくは気まぐれであって,ダンテ
やギドー・カバルカンティやギニチェリーや,あるいはチノーとほと
んど変わるところがありません。1
7世紀になって,感受性の
裂が訪
れ,それから我々は回復していません。
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3
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
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2
8
7
*日本語訳は,村岡勇訳(中央
所収)を参
いわゆる彼の言う
論社刊
エリオット全集第3巻
にした。
感受性の
裂 ( di
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ての説明の一部ですが,1
6世紀∼1
7世紀のどこかで,詩人たちに備わって
いた思想と感情の統合された感受性に亀裂が入り,これが
裂し,詩人た
ちは内省的であったり感傷的であったりするようになってしまったと,エ
リオットは言っています。本来の望ましい感受性の状態においては,彼に
よれば,詩人は
思想をバラの匂いのように直接的に感じる
のですが,
同じことをエリオットは,少し言い方を変えて, 思想を直接的,感覚的に
把握する とも言っております。このあたりのことをもう少し探るために,
1
9
2
0年のエッセイ ダンテ に目を向けてみましょう。この中でエリオッ
トは,ダンテはいわゆる哲学詩人ではない,というようなことを言ってい
ます。つまり,哲学を韻文で表現する詩人は,その本
は詩人ではなく哲
学者であると言わねばならない訳です。これに対してダンテが目指したの
は,トマス・アクイナスの哲学を韻文で解説することではなく,その哲学
に依拠して
神曲
という作品を書くことであり,あくまでダンテが経験
の対象としてその感受性で受け止めたものの表現としてでありました。で
すからアクィナスの哲学も,形而上派の詩人たち で言われているように,
スピノザの哲学と同様に他のいろいろな経験と混和して,絶えず新しい経
験を形成し,心の状態を生み出しているという訳です。具体的なメカニズ
ムは不明ですが,思想という言葉で表される対象も,詩人の精神の中では
8
4
エリオットの文学批評 (
池内)
T.
S.
常に心の状態となるような経験として消化されると言って良いかも知れま
せん。
Ⅴ.ジョン・ダン評価の変
について
さて,繰り返しになりますが,英国の文壇に登場して間もない 1
920年頃
のエリオットの詩論は,ここに提示しました
而上派の詩人たち
伝統と個人の才能
と
形
という二つの資料を重ね合わせることによってその大
枠を得ることができます。しかし,実際にそれらの内容全体を一まとめに
して扱ったエッセイを,この時期のエリオットは書いておりません。それ
には何らかの理由があったのではないかと疑われます。例えば,これらの
エッセイを発表したときのエリオットは 3
0歳を少し過ぎたばかりであり,
いわば発展途上の若者であったという理由です。このことを
慮しますと
き,事実は,次のようなことだったのではないかと私には思われます。つ
まり,エリオットにとって上記の二つのエッセイが扱う内容自体は,互い
に調和的に存在するはずのものであるにしても,そのように表立って主張
するのをためらわせる側面があることに,当時,彼自身が気付いていたの
ではないかということです。この後,彼は 1
9
26年のクラーク講義の講師を
務める機会を得て,形而上詩についての探究を深める好機とします。そし
てさらに5年を経た 193
1年,ジョン・ダンに対する評価を変えたかのよう
な発言をすることになります。つまり,以下の
(c)−1のエッセイでの発
言です。
(c)
−1
ダンには,
思想と感受性とのあいだに明らかな亀裂が存在します
(下
線は池内)。彼は詩において,自
のやり方でそれに橋渡しをしました
が,それは中世的な方法ではありませんでした。彼の学識は,情緒で
みたされた情報にすぎないか,あるいは,当の情報とは本質的に関連
していない情緒と結びつけられたものでした。ダンテの詩の場合,ま
8
5
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
た,ギード・カヴァルカティの詩においてさえ,常に,経験には統一
があるという
えの前提,経験が究極的には合理的に説明され,調和
を与えられるという確信,高いもののもとでの低いものの包摂,程度
の差はあってもアリストテレス的な世界の秩序づけが存在しているの
です。(I
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エリオット研究において問題となってきた点の一つがここに見られま
す。感受性についての議論は,かっては思想と感情の統合を定式として行
われ,それゆえ,その
裂
て提示されましたが,ここでは
についての議論は,この両者間の
思想
と
感受性
裂とし
との間の亀裂を指摘
するという構造で議論が展開されています。このような発言によってエリ
オットが意図したのはどのようなことだったのでしょうか?
Ⅵ.エリオットのクラーク講義
エリオットのクラーク講義(1
92
6年)は,この問題を解き明かすのに有
益な情報を与えてくれます。彼の議論には,おおよそ以下のように纏めら
れるひとつの仮説の存在が読みとれます。すなわち,1
3・4世紀のダンテ
の時代からそれ以降の時代への推移を, 本体論主義 ( ont
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6
エリオットの文学批評 (
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7世紀に始まったと言われた 感受性の
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y)は,このクラーク講義では,このような知性の崩
壊によって必然的に生じたことと推測されています。1
7世紀の英国の詩人
たちの中でも,エリオットが形而上詩と見なす詩の作者たちは,細部の状
況に相違はあるにしても,こういった知性の崩壊過程にありながら,なお,
ダンテやその同時代の詩人たちの場合と同様の感受性の씗特質>を示す詩
人たちとして捉えられているのです。このような
理主義
本体論主義
から
心
への推移が,いかなる点を問題として言われているのかについて
は,エドワード・ロッブ(Edwar
dLobb)が与える説明の一部をも参
に
しますと,以下のように簡略に纏めることができるでしょう。すなわち,
本体論主義 のもたらす状況とは,たとえば正否の判定にさいして,確固
とした典拠の存在ゆえに,自身の判断の個別性を疑う必要のない状況であ
り, 心理主義 の場合には,判断する主体の
えに依存し,その個別性が
意識され,それゆえに,それぞれの精神の独自性に注意が向けられる状況
であるということです。このようなクラーク講義に見られる仮説を念頭に
置き,ダンとダンテについての見解を中心にクラーク講義におけるエリ
オットの形而上詩観について見てみたいと思います。
クラーク講義において,エリオットは, 形而上詩一般の本質とは,ダン
とダンテとの間にある類似と相違の双方を含んでいます (The Var
ieties
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of Metaphysical Poetr
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1
5
8)と端的に表明した後で,ダンテから 1
紀のラフォルグやコルビエールにまで至る詩人たちについて検討し,自身
の抱く形而上詩観について,以下のようにその輪郭を述べています。
(d)
−1
形而上詩とは,思想という背景の存在,つまり,明確なひとつの体系
による背景か,幾つかの明確な体系の断片からなる背景の存在を必要
とするのです。(Me
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北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
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03)
(d)
−2
私が形而上詩として受け止めるものは,その詩において,通常は思想
によってのみ理解されるものが感情による把握の範囲内に持ち込まれ
ていたり,あるいは,通常ただ感じとられるだけのものが,変容され,
思想の形をとるに至ってもなお感情でなくなることのない,そういう
詩であるということをご理解いただきました。
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0)
このような発言から推測されるのは,ダンもダンテも思想の体系やその断
片を経験したさいに,それを心の状態とする精神機能については共に優れ
ており,この限りで両者は形而上派の詩人と見なすことのできる詩人たち
であろうということです。しかし,ダンとダンテには大きな相違があって,
しかもその相違は少し前の部
で
本体論主義
と
心理主義
の相違と
して取り上げた議論と関係しております。そして,それがダンテに対して
終生変わらぬ絶大な評価を惜しまなかった理由でありました。ダンテにつ
いて,エリオットは,その仲間たちも含めて次のように述べています。
(d)
−3
私は,いま,できるなら,ダンテとその友人たちにおいては,いかに
思想と感情の秩序だった体系の受容が,平易で直接的な,また,簡潔
とさえも言える彼らの言葉を結果させたかを示したいのです……。
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エリオットの文学批評 (
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(d)
−4
ダンテやその仲間たちの場合には,感情は宇宙についての組織化され
た見解に従って構成されており,その結果,その体系内のあらゆる細
部に対する,そしてまたその体系の極致に対する,
(中略)
その体系全
体に対する感情の等価物が見られるのです。
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言い方を変えると,ここでエリオットが言っているのは,ダンテの時代に
世に広まっていた思想や知的
囲気,それらを足場として与えられる世界
像,またその描写において用いられる言葉等が,エリオットにとって,作
者のダンテという個性を介在させないほどに,ゆるぎない直接性をもって
描かれているということだと推測されます。つまり,そのような状況が生
まれるほどになすべき仕事に完璧に身を委ねることによって没個性の状態
が得られるということです。
これに対して先に見たように,その思想と感受性との間に難点を指摘さ
れることになるダンは, 無秩序な状態にある 1
4世紀イタリアのひとつの
精神である (p.
1
33
)
と時代の状況を引き合いにして弁護されながらも,詩
人としての地位は, もっとも偉大なものたち,つまり,シェイクスピアや
ダンテ,ギード,カトラスなどと同列にあるのではない (p.
1
3
3)といささ
か貶められ,その特性については以下のような指摘を受けることになりま
す。
(d)
−5
ダンの形而上派的特性が存在するのは,思想のうちにというよりは,
8
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北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
思想の展開においてなのです。
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(d)
−6
……私が言っていることは,ダンの宗教上の著述,説教,そして宗教
詩は,私には常に不完全な集中という印象,身をゆだねたり同意する
ことによる以上に,強い意志によって様々な力をまとめ上げていると
いう印象を与えるということです。
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(d)
−7
他方,ダンの場合には,……その特異性は秩序の不在,思想を無数の
思想へと破砕することなのです。ダンは混沌の詩人,混沌の真の詩人,
おそらくは,混沌の偉大な詩人でさえあるのです。思想を幾つもの思
想に破砕するということの意味は,彼の詩篇を結び付ける,あるいは,
どの詩であれそれをひとつにまとめる唯一のものが,不満足ながら,
ダンの個性と呼ばれるものであるということです。
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)(pp.
1
54
5
)
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.
ここに見られるのは,ダンの感受性に対する不満というよりは,扱う思想
とこれに対するダン自身の対応についての問題の指摘であると言ってよい
9
0
エリオットの文学批評 (
池内)
T.
S.
でしょう。つまり,思想に対するダンの対応の仕方にエリオットは,ダン
テとは異なった形の対応を示す詩人ダンの本質を読みとっている,という
訳です。 没個性 を可能とする条件が,1
9
2
0年頃には歴
感覚を備えた詩
人がなすべき仕事に自己を滅却して打ち込むことであり,詩人の個人的な
努力によって可能となるかのように
えられていたのが,クラーク講義に
おいては,詩人の活動の背景にある思想と詩人がそれに対して持つ関係の
在り方,つまり,詩人にとっての思想とその受容という論点を中心にして,
しかも,そこに時代の知的状況が及ぼす影響,つまりは心理主義の影響と
いう問題が読み込まれているのであり,問題の所在は,詩人の側の個人的
な努力を超えた次元にまで拡大されているのです。そして, 没個性 が詩
人の個人的な努力を超えたレベルの問題をも含めて扱われねばならないも
のであることから推測して,エリオットの議論には,これが個々の詩人を
対象とし,その特異な精神の働きについて述べる感受性論とは,必ずしも
同時的に満たされ得る要件ではない,という認識が存在するであろうと推
測されるのです。1
9
2
0年頃とクラーク講義との間には,エリオットの見解
に,このような相違が生じていると見ることが出来るでしょう。そして,
この事を
慮するとき, 思想
と
感情
との間にではなく, 思想
と
感受性 との間に亀裂を指摘する 我らの時代のダン における彼の議論
は,単に言葉のルースな
用例としては片づけられない,きわめて明確な
意図をもって提出されたものと
えざるを得なくなるのです。ダンはダン
テとは異なって,自身の個性を拠り所として経験の諸相と向かい合い,詩
の世界を一つに纏め上げていると見られる訳です。
時間の制約もあり,細部の議論を大幅に省略しましたが,クラーク講義
を参照することによって,エリオットの発言を理解しやすくなる側面があ
ることは理解していただけたかと思います。
エリオットはある講演で,1
9世紀の詩人・批評家 S.
T.コールリッジ
(Col
に言及し,彼の亡霊が墓場の陰から自
er
i
dge)
に手招きをしておりま
すと述べて,その講演を締めくくったことがありました。話の拙さを詫び,
敬愛するコールリッジを幕引き役とした訳ですが,私もまたエリオットに
9
1
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
倣ってこの授業を終えさせて頂けましたら,幸いに思います。
拙い話はもうそのくらいにして降壇しなさいと,
エリオットの亡霊
が墓場の陰から手招きしております。
御清聴,ありがとうございました。
9
2
★
字
取
り
有
★
タイトル1行➡3行どり
タイトル2行➡4行どり
反省的/再帰的近代化と宗教웬
佐
はじめに
藤
貴
얨ある学会をきっかけとして
2
01
3年,一冊の書物が出版された。著者は土屋博,書物のタイトルは 宗
教文化論の地平
얨日本社会におけるキリスト教の可能性(北海道大学出
版局)である。その1年後,日本基督教学会の学会誌
日本の神学
に水
垣渉の筆によって書評が掲載された。そこで水垣は土屋の文章も引きなが
ら,次のように書いている。
宗教が現実には, 宗教文化
としてはじめて顕在化する (29
7
)の
であり, 宗教自体が文化現象である (3
5
)から,宗教と文化を切り
離して論じることはできない。また宗教を
化であり,宗教
宗教文化
学
じることもすでに文
自体も文化の次元で機能せざるをえない以上,
は必然的な概念となる웋
。
웬 本稿は,北海学園大学人文学会第3回
教について
トルも変
論
会・大会 文化の諸相 での発題 宗
얨 文化を学ぶ,世界と繫がる を論文として書き改め,タイ
したものである。当日の発表時間では十
な議論を展開できな
かったが,本稿によってその時のわかりづらさを少しでも軽減できれば幸い
である。なお,本稿の短縮版である大会の記録は
人文学論集
第6
1号,
2016年に掲載される予定である。
웋 水垣渉 土屋博 宗教文化論の地平
얨日本社会におけるキリスト教の可能
性 ( 日本の神学 53号,20
14年),157頁。引用文のなかのアラビア数字
は土屋の書物からの引用頁である。
9
3
北海学園大学人文論集
宗教現象を
第 60号(20
16年3月)
共の場における共通認識としておさえるため に,宗教が
文化の中に現れた形 を媒介にする
얨しかない?
얨という意味で워
,土
屋は宗教文化概念の効用を論じており,水垣もまたそこに十
な説得力と
必然性があることを指摘している。
また,2
01
5年に出版された 日本の神学 には水垣の講演 聖書的伝統
としてのキリスト教
얨 キリスト教とは何か の問いをめぐって が掲載
されている。水垣は,講演タイトルにも含まれている本質的問いに冒頭で
次のように答えている。
キリスト教とは何か の問いに対して,私が提出しようとする答えは
聖書的伝統 である。これは誤解されやすい言葉であるが,キリスト
教とは聖書に関係するありとあらゆる宗教的・歴
的諸事象を含む
括的な概念である,という意味で受け取っていただきたい웍
。
水垣はこのような定義を踏まえたうえで, ユダヤ教的・キリスト教的聖
書的伝統の特質
として
翻訳
の特別な意義を強調する。
聖書はユダヤ教以来翻訳によってキリスト教に伝達され,キリスト教
は聖書の翻訳を通して自己理解を解釈学的に展開し,聖書的伝統を拡
張し深化させてきた。したがって聖書的伝統は,キリスト教にとって
宗教文化越境論 (土屋博)の典型を成す。ともかく聖書的伝統は最
初から翻訳伝統であり,キリスト教は翻訳宗教であることを歴
的本
質にしている。伝道,宣教もまさに翻訳の行為である。その意味で言
語テクストに限られない(しかし言語論が中心になる)翻訳論はキリ
워 土屋博
宗教文化論の地平
얨日本社会におけるキリスト教の可能性 (北
海道大学出版会,2
0
13年),17頁。
웍 水垣渉
聖書的伝統としてのキリスト教
をめぐって ( 日本の神学
얨 キリスト教とは何か
54号,20
15年),1
0頁。
9
4
の問い
反省的/再帰的近代化と宗教 (佐藤)
スト教の解釈学にとって不可欠である웎
。
この引用のなかでは土屋の書物からとられた概念に言及されている。さ
らに,そこに付された注を読むと,土屋の書物から学べることは聖書的伝
統を宗教文化という地平で問題にすることができ,聖書的伝統を越境とい
う,さまざまな歴
的,自然的,人為的,文化的なバリアーを超える精神
字取り➡ 的・意志的な運動としても 웏捉えることができる点にあると書かれている。
土屋と水垣の議論からわかることは,文化の地平に現れる宗教
味では
に
宗教文化
宗教
얨その意
とする
といってもよいと思うが,議論の都合上,ここでは単
얨は既存の境界線を越え,ときには
つことで,人間の思
共的な意味を持
や活動に影響を与え続けているということである。
本稿では彼らの問題提起を受け止めたうえで,第一にいくつかの近代/
近代化論を論じつつ원
,近現代世界における 宗教問題 の位置について概
観する。第二に,U.ベックの議論を通して,近代世界とポスト世俗化の時
代における宗教の変容について
察する。第三に,土屋の宗教文化越境論
や J.
ハーバーマスの宗教と世俗の翻訳論を取り上げ웑
,価値をめぐる越境
と翻訳の関係について明らかにする。最後に,人文学部のアドミッション
ポリシー
文化を学ぶ,世界と繫がる
みたい。なお,本稿で議論される
と本稿の関係についても検討して
宗教
とは特別な言及がない限り,輪
郭ははっきりしないが主に近現代のキリスト教が念頭におかれている。
1
9頁。
웎 同上論文,182頁。
웏 同上論文,2
원
単線的近代化
な
論に対する批判については,三島憲一
多様な近代の多様
差 ( 現代思想 1
1月臨時増刊,青土社,2
0
0
7年)
;ガルミンダ・K.
バ
ンブラ
社会学的想像力の再検討
얨連なりあう歴
記述のために (金友
子[訳],岩波書店,2
0
1
3年)を参照されたい。本稿の内容もまた,複数あ
る近代化に関する複数ある理解の一つにすぎない。
웑 本稿での
翻訳(論) とは,水垣がいう
かし言語論が中心になる)翻訳論
言語テクストに限られない(し
にかなり近い意味を有している。
9
5
北海学園大学人文論集
1. 宗教問題
第 60号(20
16年3月)
という亡霊
⑴ 正当化するものから正当化されるものへ
20世 紀 初 頭,宗 教 社 会 学 の 黎 明 期 の ド イ ツ に お い て 宗 教 問 題
(Rel
)という言葉が頻繁に語られた。深澤
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gi
ons
f
r
age
英隆によれば,W.クネーヴェルスはその著書 ジンメルの宗教理論 のな
かで次のように
宗教問題
について語っている。
宗教問題 は,私たちの時代の標語ともなっている。この事実にはふ
たつのことが含意されている。まずは宗教が問題である。宗教は私た
ちの時代の精神生活において,重要な役割を果たしている。宗教に対
し何らかの立場に立つこと,宗教と取り組むこと,宗教と何らかの関
係を結ぶこと,いずれにせよ,ひとかどの人間と見なされるためには,
宗教を避けて通ることはできない。しかしこれは,宗教は問題(問い)
である,という事柄の裏面にほかならない。
(中略)
[宗教に関わる個々
の問題]ではなく,私たちは宗教そのものの前に立っている。
[宗教]
全体ということが問われているのである。この点から見ると,精神的
状況はどのような様相を見せるのだろうか웒
。
宗教は二つの意味で問題(問い)になっているという。第一に,人は宗
教にどのように対峙すべきかという事実が問題となっている
まった
얨なってし
얨という意味である。第二に,宗教そのものが問題
(問い)
になっ
てしまった,すなわち人は宗教の自明性が根本から疑われているような事
態に直面しているということである。いずれにせよ,これまで自明であっ
た宗教,とくにキリスト教が近代の社会における機能
化のプロセスのな
かで,特権的な地位を失ってしまい,文化のなかの一領域に位置づけられ,
웒 深澤英隆 啓蒙と霊性
얨近代宗教言説の生成と変容 (岩波書店,2
0
0
6年)
,
4
6頁。
9
6
反省的/再帰的近代化と宗教 (佐藤)
それによってキリスト教もまた諸宗教の一つになってしまったことに起因
する問題である。
このようなキリスト教,そして宗教の脱自明化は
異形の時代としての
近代 (佐藤弘夫)
のなかで生じた出来事であった。ヨーロッパから押し寄
せる近代運動の波が日本列島に及ぼした影響を,
佐藤はこうまとめている。
ヨーロッパ世界から始まる近代化の波動は,この世界から神や仏や死
者を追放するとともに,特権的存在としての人間をクローズアップし
ようとする動きであった。
これは基本的人権や自由・平等の観念を人々
に植え付け,
人間の地位を向上させる上できわめて重要な変化だった。
近代に確立する人間中心主義としてのヒューマニズムが,人権の確立
に大きな役割を果たしたことは疑問の余地がない웓
。
事態はヨーロッパでも日本でもさほど違いはない。異形の時代としての近
代
は,おそらく人類
的に見ても驚くほどに人間の地位を向上させたの
であって,宗教もまたそのなかで 問題(問い) として位置づけられなけ
ればならなかったのである。E.
カッシーラーは,近代世界における宗教の
歴
的変動を次のように描写している。
だが 1
8世紀思想においては
察の重心が変化する。自然科学や歴
学,法,国家,芸術などの個々の認識領域が,次第に従来までの形而
上学や神学の支配ないし保護から離脱し始める。これらの個々の学問
はもはや自
の正当化の根拠を神の概念に期待するのではなく,むし
ろ個々の学問それ自体がそれぞれ特殊な形式に応じて神の概念を構成
し,それを最終的に規定する。一方における神の概念と他方における
真理,道徳,法などの概念の関係づけが放棄されたわけではないが,
웓 佐藤弘夫
神・人・死者
園大学人文論集
얨日本列島における多文化共生の伝統 ( 北海学
第5
7号,2
0
14年),1
54頁。
9
7
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
その方向は一変した。いわば指標が
代した。つまり以前は他を根拠
づけていたものが今や根拠づけられるものの位置へ,これまで主に他
を正当化してきたものが今や正当づけられるものの位置へと追いやら
れた웋
。
월
カッシーラーによる典型的にリベラルな近代理解ではあるが,世界を正
当化してきた神が正当化されるべき対象になるという世界像,学問の数だ
け神の概念が構成されるという驚くべき事態は現代世界にもあてはまると
ころがある。少なくとも神や宗教が古代や中世とは違う要求に答えなけれ
ばならない,場合によっては要求すらされないという意味では,カッシー
ラーよりも 80年ほど後の時代を生きている佐藤の方がより悲観的な立場
を示しているかもしれない。しかし,両者とも
宗教問題
について
え
ている点では共通しているのである。
宗教が文化の一領域になり,みずからを正当化しなければならなくなっ
たこと,つまり宗教の文化的意義という問いの発生は同時に웋
,宗教は問題
웋
であるがゆえに人間の反省の対象になったことを意味する。そして,実の
ところ,この議論は宗教にだけ関わるものではなく,近代化のプロセスを
どのように理解するかという根本的な課題として現れたのであった。
⑵ 反省・再帰・リスク
얨近代化の二つのプロセス
ドイツの社会学者 U.ベック(Ul
ギデンズや
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1
94
4
2
0
15)は A.
ラッシュとともに, 反省的/再帰的近代化 (Ref
S.
l
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r
ni
s
i
e
r
ung)について語っている。
웋
월 エルンスト・カッシーラー
啓蒙主義の哲学(上)(中野好之[訳],筑摩
書房〔ちくま学芸文庫〕
,2
0
03年),2
58頁。
웋
웋 Fr
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3
3
1
34
.
9
8
反省的/再帰的近代化と宗教 (佐藤)
ベックの議論の特徴は,近代を二つの段階に
けて論じていることであ
り,その意味では近代を単線的に理解することもなければ,近代の先に別
の段階としてポストモダンを想定することもない。ベックによれば,まず
社会の近代化が進めば進むほど,行為の担い手(主体)は,みずからの存
在の社会的諸条件に省察をくわえ,こうした省察によってその条件を変え
る能力を獲得していくようになる 웋
。すなわち,フィヒテの みずからを
워
みてみれば,それをみていることになる 웋
웍という言葉に示されているよう
に,第一の近代化はみずからの根拠を認識し反省することを目指そうとす
る。そして,この認識と反省のプロセスはやがてはみずからの伝統的な基
礎づけをも反省し始め,価値の再構成をめざし,ときにはみずからの根拠
を解体してしまう。認識と反省はこれまでそうであったような行動を疑わ
しくし,人々に新たな決定と選択を迫っていく。
そして,この第一の近代化があまりに大きな成功をおさめたことが,と
きに近現代世界に重大な悲劇をもたらしているのである。ベックは
近現
代社会の近代化がより一層進展すれば進展するほど,工業社会の基盤はま
すます解体され,浪費され,変化をこうむり,危険にさらされていくとい
う命題 웋
웎について語り,それを第二の近代化とみなしている。しかも,第
一の近代化との違いは,このような近代社会の第二のプロセスは
省察な
しに,つまり,知識や意識が及ばないかたちで生じるという事実にある 웋
。
웏
自律した近代世界はみずから生み出した価値,技術,制度が不確実性
웋
워 ウルリッヒ・ベック/アンソニー・ギデンズ/スコット・ラッシュ
近代化
얨近現代における政治,伝統,美的原理 (
얨
再帰的
尾精文/小幡正敏/
叶堂隆三[訳]
,而立書房,1
9
97年),3
22頁。
웋
웍 Ul
r
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ne
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ld Risk Society (
Cambr
i
dge
:Pol
i
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y Pr
e
s
s
,
,法政大学
(ウルリッヒ・ベック 世界リスク社会 山本啓[訳]
1999)
,111.
出版局,2014年,1
9
2頁)。
웋
웎 ベック/ギデンズ/ラッシュ
再帰的近代化 ,3
22頁
웋
웏 同上訳書。
9
9
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
大災害が引き起こす緊急事態,ナショナリズム,大規模な
困,さまざま
な宗派や信仰による宗教的原理主義,生態系の危機,戦争や革命の恐れ 웋
원
얨としてみずからに降りかかってくる,つまり再帰してくるという状況
に直面せざるをえないのであり,再帰する近代世界はみずからが生み出し
た씗意図せざる帰結>との対決を避けることができないのである。こうし
て近代世界は,みずから自身が解決すべき問題となり,取り組むべきテー
マになる
얨自
の敵は自
のなかにいる。
意図せざる帰結と直面する近代世界の問題を,ベックは リスク や リ
スク社会
という言葉で示している。彼はリスクを次のように説明してい
る。
……リスクは,つねに蓋然性であり,蓋然性のかたちをとらないもの
はけっしてない。今日の時点でリスクがゼロに近いという理由から批
判者を追い払うことはできても,明日大災害が起きてしまえば,蓋然
性の提示を誤認したという理由で,一般の人々の愚かさを嘆くだけの
ことになる。リスクは,際限なく増殖する。なぜなら,多元的社会に
おいて人が決断を評定する際に必要とする決定事項と見地の数に応じ
て,リスクは,リスクそのものを再生産していくからである웋
。
웑
近代世界が近代世界の問題となる事態を,ベックは際限のないリスクの
増殖として描いている。しかも,リスクの増大は人々にみずからが向かう
べき場所,地平線すら見えなくさせるという。
なぜなら,リスクは,何をしてはいけないかを教えるが,何をしたら
よいかは教えてくれないからである。リスクが見つかると,逃避命令
が優勢になっていく。この世界をリスクにさらされた場所と描写する
5頁。
웋
원 同上訳書,1
3頁。
웋
웑 同上訳書,2
10
0
反省的/再帰的近代化と宗教 (佐藤)
人は,最終的に行動を起こすことができなくなる。重要なのは,リス
クを統制しようという意図が一般に浸透し,高まっていくと,結局の
ところリスクの統制が不可能になる点である웋
。
웒
何をしてはいけないかという消極的決定を迫るリスク社会は,人間をつ
ねに両義的な状況におく。決定的な解決策がないなかで,人間は永久に続
く意思決定に駆り立てられていく。人間の決断や行為に有意味な秩序を与
えたり,誰もがしたがえるモデルはますます減少していく。それゆえ, 誰
が,なぜ,どのように生き,行為し,またそうした生き方や行為の仕方を
学ぶことができるのか,あるいはなぜそうできないのか 웋
웓 얨これが近代
世界に生きる人間にとってもっとも重要な問題になる。しかし,確実なも
のがないからこそ,あらゆるものが吟味されることが可能になったともい
える。ベックの福音(?)はこうである。 全能の
は死んだ。事実,いま
こそ社会批判は息を吹き返し,その瞳を凝らしているのである 워
。
월
⑶
宗教問題
と宗教性の場所
これまでの議論をまとめてみよう。2
0世紀初頭のドイツ,宗教は一つの
問題となっていた。それは人が宗教にいかに関わるべきかということだけ
でなく,宗教それ自体が問題となり,脱自明化のなかでみずからの文化的
意義を問われるような存在になったことを意味した。このような事態は,
近代世界のなかで宗教が人間の絶えざる反省の渦のなかに巻き込まれて
いったことを示しており,宗教は反省的近代化のなかでみずからの位置と
正当性をつねに弁証しなければならないのである。
しかし,このような近代世界の成立に宗教もまた一つの重要要因として
関わっていたことも事実である。たとえば,マックス・ヴェーバーの仕事
4頁。
웋
웒 同上訳書,2
8頁。
웋
웓 同上訳書,2
9頁。
워
월 同上訳書,2
10
1
北海学園大学人文論集
を思い出すだけで十
第 60号(20
16年3月)
であろう。そうであるならば,過剰なほどに反省的
近代化を推し進める近代世界は皮肉にもみずからが存在するうえで
接的,間接的,意図せざる仕方で
얨直
얨大きな影響を受けてきた宗教を解体
するまでに勝利を収めることになったともいえよう。そのことは同時に,
みずから生み出した予測不可能なリスクによって危機にさらされる近代世
界のなかで,宗教もまた再帰的近代化の波に襲われ,すでにその意義を喪
失したとも
えられる。事実,ある時代までの学問は宗教の衰退モデルを
当然のように受け入れていたのである。
とはいえ,一つだけ注意を促しておくと,認識と反省のなかで宗教は問
題となり,脱自明化の危機にあったかもしれないが,とくに近代ドイツに
おいて伝統的で組織的な宗教から区別される宗教性
얨あるいは,
씗宗教的
なもの> 얨は文学,芸術,音楽といった教養のなかにみずからの居場所
―ゲーテ,トルストイ,ヴァーグナーなど
らに宗教性は歴
얨をみつけ出していった。さ
にも吹き込まれていく。歴
それ自体を問題とするドイツの豊かな歴
マイネッケといった歴
J
.G.ドロイゼン,F.
の主体や対象ではなく,歴
意識のなかで,L.
ランケ,
家たちは歴
標として神,神的なもの,永遠について語り出す。 歴
r
el
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on)の
的認識の努力目
宗教 (Ge
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-
生である워
。認識と反省の運動が,宗教性の場所を新たに作
웋
り出す原動力になったともいえよう。
反省的/再帰的近代化が多様な帰結を生み出すなかで,
とくに 20世紀の
終わり頃から人文学や社会科学の理論家たちは宗教問題を真剣に取り上
げ,ときにみずからの世界解釈の理論的枠組みに修正を加え続けてきた。
ベック自身もまたそのような理論家の一人であり,次章では彼の宗教論に
ついて検討してみよう。
かつてマルクスはヨーロッパには共産主義という亡霊がいると書いた。
워
웋 歴
宗教
の
生と変遷については次の研究を参照されたい。Wol
f
gang
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ift ,Band252(
1
9
9
1
)
.
10
2
反省的/再帰的近代化と宗教 (佐藤)
そうであれば,われわれは彼の顰にならってこういうことにしよう
얨近
代世界のなかで宗教問題という亡霊が徘徊している,と。いまなお宗教は
未決の問題として残されているのである。
2. 宗教の事はどうお
えになるの
⑴ 宗教が宗教になるとき
本章のタイトルにあげた言葉は,ゲーテの ファウスト のなかでグレー
トヒェンがファウストに向かって語る問いであり,ベックは現代世界のな
かでこの言葉の意味を探ろうとした。彼によれば,宗教共同体の弱体化や
衰退という意味での世俗化論には見過ごされている部
近代初頭に始まったと
のであり,そこには
がある。
すなわち,
えられる世俗化は宗教に大きな利益をもたらした
世俗化のパラドクス 워
워がみられるという。
ヨーロッパでは宗教戦争を経て世俗に対する教会の権力が弱体化したこ
とで, 科学の世俗的合理性 と 政治支配の現世的自己規定 が近代化の
主要な要因として躍り出てきた워
。科学と政治支配は宗教から解放された
웍
とみることができるが,これは裏を返せば宗教もまた科学と政治支配から
解放されたのである。こうして宗教は,本来は果たしえない任務からしり
ぞき, みずからの本来の仕事,すなわちスピリチュアルなものに専念でき
る 워
웎ようになったのではないか。世俗化は宗教から力を奪ったのではな
く,むしろ力を与えたのである。こうしてベックによれば,宗教は面倒な
仕事を科学と政治支配に譲り渡すことに首尾よく成功したのである。
워
워 Ul
r
i
chBeck,Dereigene Gott. Fr
iedensfa
썥higkeit und Gewaltpotential der
Religionen (
Fr
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l
i
gi
one
n,2
0
0
8
)
,4
0
.
(ウルリッヒ・ベック 씗私>だけの神
얨平和と暴力のはざまにある宗教
鈴木直[訳],岩波書店,2
0
11年,3
8頁)。
(同上訳書,38頁)
。
워
웍I
bi
d.
,41.
(同上訳書)
。
워
웎I
bi
d.
10
3
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
……合理的認識や知識についての説明責任という
カー
ババ抜きのジョー
を科学ないしは国家に押しつけることができたこと。かくして
ジョーカーを引いた科学は,地上における発見を超越的な真理として
告知し,演出しなければならなくなった。また政治は
と
国家
ネイション
のかたちで,政治共同体の主権の現世的超越性を神聖化し
なければならなくなった워
。
웏
世俗化を強いられ,身軽になった宗教は
宗教以外の何ものでもないも
の 워
원になることができるようになった。つまり,宗教が宗教になったので
ある。こうして宗教には人間のスピリチュアリティに奉仕するという本来
の仕事に復帰する準備が整えられたのであり,逆説的にも世俗化は宗教の
活性化の基礎を築いたのである。
とはいえ,世俗化のパラドクスのなかであらゆる宗教が活性化するチャ
ンスを得たわけではなかった。主として既存の制度的宗教,たとえば伝統
的で教会的なキリスト教などは,少なくともヨーロッパにおいては従来の
世俗化論にもっともしたがうように衰退していった。これに対して,教会
の外にあるような非伝統的な宗教セクトやきわめて個人的で非組織的なス
ピリチュアリティ運動などが衰えているとはけっしていえない状況にある
ことも事実である워
。
웑
(同上訳書,39頁)
。
워
웏I
bi
d.
(同上訳書)
。
워
원I
bi
d.
워
웑 この問題については次の研究を参照されたい。Pi
ppa Nor
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i
sand Ronal
d
I
ngl
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t
,Sacr
ed and Secular
. Religion and Politics Wor
ldwide (
Cam;中野毅
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s
,Se
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ondEdi
t
i
on,2
0
1
1
)
教の復権
宗
얨グローバリゼーション,カルト論争,ナショナリズム (東京
堂出版,20
02年)
;島薗進 現代宗教とスピリチュアリティ (弘文堂,2
0
1
2
年)。
10
4
反省的/再帰的近代化と宗教 (佐藤)
⑵ 宗教の個人化
上記のような宗教における二つの方向性が生じるうえで,大きな役割を
果たしたのが 宗教の個人化 の進展である。たとえば,キリスト教会
カトリックよりもプロテスタントに当てはまるが
얨には,もともと
얨
信
仰告白者の個人主義 워
(
)という仕方で,個人化
웒Bekenner
i
ndi
vi
dual
i
s
mus
につながるような要素が組み込まれていた。とはいえ,そもそも宗教の個
人化とは実に矛盾したような響きを持っていると,ベックはいう。
……宗教は第一に,個人化の反対物,すなわち結束であり,記憶であ
り,集団的アイデンティティであり,儀式だといえる。そしてこれら
が世俗化され,自然化されることで,社会性が
作られ
発生してく
る。しかし第二に,宗教は個人化の源泉でもある。汝が選びし神のも
とに行き,そして祈れ엊
宗教は個人の信仰決断に依拠しており,そ
れによって結局は,個人の自由を想定する立場に立つ워
。
웓
ベックによれば,このような個人化の反対物にして源泉という矛盾した
要素はキリスト教の歴
のなかにもみることができる。死の問題を
みよう。永遠の生命を説くキリスト教会の保証は自
えて
自身の死に大きな変
化をもたらした。すなわち, 死を神の前での実績評価とみなすこの発明は
何世紀にもわたって人々に不安を与え,そして彼らを孤立させてきた。死
とは神の前で個人的釈明を行うことだった。こうして個人の原罪が始まっ
た
얨教会の要求として 웍
。個人は過ちを犯しうるという罪の可能性に
월
は,人間の自由の萌芽が含まれている。死という試験における神の前での
実績評価と人間の原罪は,すでに個人化への第一歩を踏み出しているので
(ベック 씗私>だけの神 ,11
9頁)。
워
웒 Be
ck,Dereigene Gott ,1
0
7
.
(同上訳書)
。
워
웓I
bi
d.
(同上訳書,1
20頁)。
웍
월I
bi
d.
10
5
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
ある。
さらにはヴェーバーが プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
のなかで議論したように,職業における実績評価という神の前での試験も
また関心を自
自身に向かせる働きを持っていた。いまや現世のなかで,
自己を律しながら合理的な人生を送ることが神の命令になる웍
。
웋
このような宗教の個人化の現象は,みずからの足場を掘り崩していく再
帰的近代化のなかで進んで行った。不確実性の高まりに応じて広まってい
く宗教的信仰の確保は,科学と政治から解放された宗教の仕事であった。
しかし,つねに変化していく近代世界のなかでは,制度化された宗教が提
供する教義で人々は満足しなくなる。伝統の力が弱くなり,さまざまな領
域で個人化が進む近代世界のなかで,宗教的シンボルの陳腐化のリスクを
冒しながらも,人々は
自
自身 の生と 自
致する信仰物語,すなわち 自
自身 の経験的地平に合
自身 の神を作り出すようになってい
る 웍
。
워
佐藤は日本の文脈ではあるが,宗教的儀礼や超越的な第三者への眼差し
が衰退する世界のなかでは,個人と個人,集団と集団が直接衝突するよう
な状況が出てくると論じている。世界のなかから神,仏,死者,動物,植
物が排除され,人間が特権的な地位に上り詰めたものの,人間は超越的な
第三者への眼差しを欠き,お互いが過剰なほど直接的に向き合う緊張に満
ちた世界ができてしまったのである。伝統的に重要な役割を果たしていた
緩衝材としてのカミ 웍
웍も退場し,個人化の進展のなかで自 自身である
ことに疲れた人間は, 自
自身の神 を作り,そこに確実性を見出そうと
(同上訳書,1
21頁)。ヴェーバーの議論を要領よくまとめたもの
웍
웋I
bi
d.
,109.
としては,古い研究ではあるが次のものが有益である。
安藤英治
[編]ウェー
バー
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (有
閣〔有
書〕,197
7年)。
(ベック 씗私>だけの神 ,12
8頁)。
웍
워 Be
ck,Dereigene Gott ,1
1
5
.
웍
웍 佐藤
神・人・死者 ,1
54頁。
10
6
閣新
反省的/再帰的近代化と宗教 (佐藤)
した。 再帰的近代性の脱世俗化 웍
웎の始まりである。
⑶
自
自身の神
の発明
ベックによれば, 自
自身の神 が
生する長いプロセスの起源はアウ
グスティヌス,デカルト,宗教改革にある。そのなかでも彼はマルティン・
ルターの宗教改革を,留保しながらも 個人化の革命 웍
웏と呼んでいる。彼
は,個人化の過程を宗教の内部での個人化と宗教の外部での個人化という
二つに
けて論じている。ここでは本稿の内容から判断して,前者の個人
化に重点をおいて議論してみよう。
ベックにとって,ルターは
一なる 神と 自
個人と神を直接対面させることによって,
自身の 神との結びつきのなかに主体的信仰の自由の
根拠を求め 웍
,既存の教会に反抗したのである。いまや わたし は信仰
원
の確信の源泉であり,神と悪魔の対立はみずからの良心を戦場として戦わ
れる。
自
自身の神
の独自性は二つある。第一に, 個人が伝統的教会への
結びつきとその権威から解放されている点である 웍
。神と個人のあいだを
웑
仲介する代理人はもういない。こうして生まれた個人は
して
自
自身の神
自
自身を,そ
から権限を委ねられたみずからの良心を集団的権威
に対抗させた 웍
。
웒
第二に,神の主観化は聖書の神と結びつかなければならなかったが,そ
のさい重要な役割を果たしたのが
テクストの直接性と神の直接性が一体
웍
웎 Si
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y. Sociology (
4
7
)1
,
Febr
uar
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3
,1
6
2
.
(ベック 씗私>だけの神 ,15
6頁)。
3
6
.
웍
웏 Be
ck,Dereigene Gott ,1
(同上訳書,1
5
6
1
57頁)。
웍
원I
bi
d.
(同上訳書,1
58頁)。
웍
웑I
bi
d.
,138.
(同上訳書,1
59頁)。
웍
웒I
bi
d.
10
7
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
化している神の啓示行為 웍
웓に依拠していることである。
テクスト(ドイツ語に翻訳された聖書)をどのように読むかによって,
個人はカトリックの教会教義から自由になるかもしれないが,同時にもう
一つのキリスト教(プロテスタント)に組み込まれていく。その意味では,
ルターは従来の境界線をずらしただけであり,撤廃することはできなかっ
た。自己省察的にテクストを読む信仰の主体は,聖書の言葉の多義性に訴
えて個人化していくと同時に,そこから不可避的に生み出される新しい異
端とも戦わなければならないのである。
近代化のプロセスは,別に宗教だけに個人化をもたらすわけではない。
政治,経済,労働,家族などさまざまな側面において,権利の付与という
かたちで制度的個人化が進展していく。みずから生み出した世界リスク社
会のなかで,世界はつねにみずからを修正し,そこに生きる人間たちも素
早く反射的に
얨反省ではない엊
얨動かなければならない。それと歩調
をあわせるかのように, 信仰サークルとグローバル化した宗教運動
(福音
主義者)の排他的な多元化と個人化 웎
월も進んでいく。
ベックによれば,
この問題についてはヴェーバーよりも,
彼の友人であっ
たエルンスト・トレルチのほうが適切な
バーは宗教を
析装置を示してくれる。ヴェー
析するとき, 教会 と ゼクテ という二つの宗教集団の
類型を提示したが,トレルチはそこに
にとってこの
神秘主義
神秘主義
もつけ加えた。ベック
類型こそ,宗教の個人化論を先取りしていたの
であり, 軛を解かれた宗教性とスピリチュアリティの流動的現実,融合と
離の同時性,明示的宗教性と暗示的宗教性,伝統的宗教共同体と新宗教
運動などを正しく捉えるための視点を切り開いた 웎
웋のである。
ルターは宗教の内部で
みようとしたが, 自
自
自身の神
を発明し,伝統からの離脱を試
自身の神 と聖書に現れる一なる神の啓示の一致は
(同上訳書,1
60頁)
。
웍
웓I
bi
d.
,139.
(同上訳書,1
86頁)。
웎
월I
bi
d.
,161.
(同上訳書,1
89頁)。
웎
웋I
bi
d.
,164.
10
8
反省的/再帰的近代化と宗教 (佐藤)
何によって保証されるのかで悩んだ。結果的に,神の言葉の多義性は人々
のあいだに新しい境界線を引くことになったのである。ベックは,トレル
チの議論を援用しながら,個人化されたスピリチュアルな宗教性は宗教と
いう固定的な枠組みを抜け出し, あれも,これも
という混合体制
を
築き上げるという。ルターの宗教改革が信仰者と不信仰者の境界線に固執
せざるをえなかったのに対して, 自
自身の神 をラディカルに信じる宗
教性は不信仰者を知らない。
なぜならこの神は,絶対的な真理を知らず,ヒエラルヒーを知らず,
異端を知らず,異邦人を知らず,無神論者を知らないからである。 自
自身の神
の主観的な多神教においては,多くの神々に居場所が与
えられる웎
。
워
自
自身の神 とコミュニケーションしている人間は,実は自
ついて
えている。そして,このような主観的基盤のうえで
仰は
全なスピリチュアル・セラピー文化
自身に
えられた信
に向かうこともあれば, 革
命目的のための自爆テロの動機 になることもある웎
。それまで超越的な神
웍
に委ねられていた理想の実現は,いつのまにか自
自身の内面のなかで反
省すべき事柄に変わった。こうして重要なことは, 旧宗教が説教していた
ように神の配慮と助力を得るよう努めることではなく,内なる神の
を
造力
有すること 웎
웎になる。
実はベックにとって,個人化されたスピリチュアルな宗教性に限らず,
そもそも宗教には多様な境界線を越えていくグローバル・プレーヤーにな
る可能性が含まれていた。おそらくキリスト教には,そのような可能性が
かなりの程度あったはずである
얨 そこではもはや,
ユダヤ人もギリシア
(同上訳書,1
90頁)
。
웎
워I
bi
d.
,164.
(同上訳書,1
92頁)。
웎
웍I
bi
d.
,166.
(同上訳書,1
93頁)。
웎
웎I
bi
d.
10
9
北海学園大学人文論集
人もなく,奴隷も自由な身
第 60号(20
16年3月)
もなく,男も女もありません ( ガラテヤの
信徒への手紙 3.
2
8)
。こうしてベックは,宗教を研究するための課題の一
つを次のように定式化する。
宗教社会学が
析すべき主たる課題は,宗教が人間の(あるいは全人
類の)彼岸と此岸における魂の救済を主題化し,巨大なファンタジー
を動員することによって,いかに個人と社会を根底から変えていきう
るかを発見することだ。そのファンタジーは,人々のあいだの,また
諸文化のあいだの境界線を撤廃し,同時に新しい境界線を作り出して
いく。そしてそれによって,寛容と暴力のあいだを揺れ動く宗教の根
源的な
藤が中心に躍り出てくることになる웎
。
웏
引用にある
寛容と暴力のあいだを揺れ動く
という表現は,宗教が信
仰と不信仰の区別を完全に撤廃することができないことを示唆している。
とはいえ,ここでは宗教が既存の境界線を乗り越えていく運動であること
に注目し,次章ではその動態について
えてみたい。
3.越境と翻訳の宗教文化論
⑴ 宗教文化越境論の読み直し
ベックと同様に,土屋もまた
宗教運動は元来国境や文化的差異を越え
て,自ら変化しつつ拡散していくものである 웎
원と書いている。このような
宗教理解に基づいて,土屋は宗教文化論から宗教文化
進める。そのさい, 特定教団の消長・変容
地域文化
も視野に入れ, 宗教文化
越境
だけでなく,その媒体となる
という枠組みで宗教を
性があるといい,その内容を次のようにまとめている。
(同上訳書,7
9
80頁)。
웎
웏I
bi
d.
,73.
웎
원 土屋
宗教文化論の地平 ,18頁。
11
0
論へと歩を
える必要
反省的/再帰的近代化と宗教 (佐藤)
教団レベルで
えると,異なった地域の間での移動だけでなく,同一
地域内での相互折衝もあり,その場合にも,特定教団だけにとどまら
ない当該地域固有の宗教文化のあり方が,
折衝の場の性格を決定する。
そこで作りだされる教団同士の関係は,
出会いや融和にもなりうるが,
離や対立を生み出すこともある。……教団活動がもたらす宗教文化
の変動は,さらに目に見えない形で地域文化全体に影響を与えていく
ため,これにも目を配りながら理解される必要がある。またこうした
離合集散の中から新しい形での宗教運動が生まれてくることもありう
るので,宗教文化
越境
論は,宗教活動のもろもろの契機を包括し
うるような形で,多角的に構築される必要がある웎
。
웑
さらに土屋は,宗教文化越境論においては聖書も含めた教典が教義に発
展する可能性を持った一つの言語表現であるだけでなく,儀礼において道
具として
われる
の聖書の機能
物
の側面
얨たとえば,アメリカ大統領の就任式で
얨もあることにも注目しなければならないと書いてい
る웎
。
웒
冒頭でみたように,水垣によればキリスト教は聖書の翻訳を通して聖書
的伝統を伝えてきたのであり,聖書的伝統こそキリスト教における
文化越境論
宗教
であった。くわえて,言語論が中心になるとはいえ,言語テ
クストに限られない翻訳論は
キリスト教の解釈学
とも呼ばれていた。
このように水垣は,土屋の宗教(社会)学的な視点で語られた宗教文化越
境論を解釈学的に読み直すことで씗宗教文化翻訳論>を提案しているとも
いえる。そして土屋と水垣の議論の要となっているのが,宗教は既存の境
界線を越えていくような
精神的・意志的な運動
であるという基本認識
웎
웑 同上書。
9
4
2
9
5頁。アメリカ大統領の就任式の宗教的意味につ
웎
웒 同上書,20-21頁,2
いては,森孝一 宗教から読む アメリカ (講談社〔講談社選書メチエ〕
,
1996年)を参照されたい。
11
1
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
である。このような議論は,ハーバーマスの宗教論にもみることができ,
それは宗教文化越境論や宗教文化翻訳論にも通じる内容を持っている。
⑵ 越境と翻訳の場としての
宗教的フロント
2
004年1月9日,ミュンヘンにおいてハーバーマスとヨーゼフ・ラッ
ツィンガー枢機卿(後のローマ教皇ベネディクト 1
6世)が 自由な国家に
おける政治以前の道徳的基盤
をめぐって講演と討論を行い,知的世界に
大きな衝撃をもたらした。彼らはそれぞれの立場から,リベラルで世俗的
な国家はみずからを存立させる規範的基盤をみずからのうちからくみ出す
ことができるのか,すなわち原理的に中立的な国家は宗教に依存せずに,
みずからを維持する規範を調達できるのかという近代の難問を論じた。
民主的立憲国家の規範的基盤を民主主義のプロセス自体やコミュニケー
ション的理性の可能性のなかに見出そうとするハーバーマスとあくまで政
治以前の宗教的伝統に探ろうとするラッツィンガーでは,一致に至ること
は不可能であった。しかし,そこで議論されていたのはヨーロッパ文化に
多大な影響を与えてきた理性(哲学)と啓示(宗教)の問題であった。
ハーバーマスによる簡潔な近代キリスト教思想
で,彼はポスト・ヘーゲル的形而上学において
はどのようにして起こるかを
とも呼べる
察のなか
理性による理性の回心 웎
웓
析している。ハーバーマスによれば,理性
の他者の発見は 包括的意識,いにしえの出来事,疎外のない社会 といっ
た
無名の神々
によって遂行されるのである。
웎
웓J
썥
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Recht
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(ユルゲン・ハーバーマス
Acht
eAuf
l
age
,2
0
1
1
)
,2
9
.
民主主義的法治国家
における政治以前の基盤 ,ユルゲン・ハーバーマス/ヨーゼフ・ラッツィ
ンガー
ポスト世俗化時代の哲学と宗教
フロリアン・シュラー[編]
,三
島憲一[訳],岩波書店,2
0
07年,15
16頁)。
11
2
反省的/再帰的近代化と宗教 (佐藤)
……シュライアーマッハーのように,この理性の自己反省を,認識し
行為する主体の自己意識を手がかりに始めるか,あるいはキルケゴー
ルのように,その都度の自己の実存論的な自己確認という歴
性を手
がかりとするか,あるいは,ヘーゲル,フォイエルバッハ,そしてマ
ルクスのように,倫理的−文化的状況の挑発的な
裂から始めるか,
どれをとろうと大差はない웏
。
월
宇宙的に包み込んでくれる意識との神秘的な融合 ,救済の福音という
歴
的出来事に絶望のなかで希望を寄せるかたち , 卑しめられ辱められ
ている者たちとのやむにやまれぬ連帯,しかもそれがメシアによる救済を
促進するのだという連帯のかたち 웏
웋 얨どれも理性に限界づけをする他
者を見つけるための暗号だったのである。
ハーバーマスにとって,理性には宗教から学ばなければならない理由が
ある。多様な宗教的伝統のなかにあるのは,他の場所にはもはや存在しな
い何か,すなわち
何を持って誤った生とするかについての,また社会的
パトロギー,個人的な人生設計の失敗,ゆがめられた生活の在り様につい
ての,十
に複雑な表現の可能性であり,センシビリティである 웏
。
워
また, キリスト教とギリシアの形而上学の相互浸透 は哲学がキリスト
教に影響を与えただけではなく,哲学もまたキリスト教からその内実を吸
収したはずである。そのさい,哲学は宗教的意味を単に空洞化したのでは
ない。彼はその一例を次のように述べている。
神の似姿としての人間という表現が,どんな人間にも備わる,同じよ
うに,そして絶対に尊重されねばならない尊厳という
えに翻訳され
たのは,こうした救済する翻訳の例である。このように翻訳されるこ
(同上訳書,16頁)
。
웏
월I
bi
d.
(同上訳書)
。
웏
웋I
bi
d.
(同上訳書,18頁)。
웏
워I
bi
d.
,31.
11
3
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
とによって,聖書の概念の実質は,当該の宗教的共同体の境界を越え
て,信仰を異にする人々,あるいは無信仰の人々を含む広い
衆に解
き明かされてくるのである。ヴァルター・ベンヤミンは,こうした救
済する翻訳にときおり成功した一人である웏
。
웍
このような解釈がキリスト教的に正しい理解かどうかには疑問が残る
が,思想
的には神の似姿・神の像の思想が宗教と世俗の境界線を越え,
人間の尊厳や人権へと翻訳されたと理解することができる웏
。これは宗教
웎
文化越境論の一例であり,さらには聖書的伝統がほとんど無限の解釈を通
して世俗的価値に結晶化していく宗教文化翻訳論の一例とも
できる。ハーバーマスはこれを
救済する翻訳
えることが
と呼んでいるが,この翻
訳は 宗教的フロント 웏
웏とも呼べる多様な場で生じていると思われる。古
代や中世はもちろん,とくに反省的/再帰的近代化の世界のなかで聖書的
伝統が越境と翻訳のプロセスに巻き込まれていくとき,⑴外との出会いに
おいてみずからを反省し,内なる自己理解へと向かっていく方向(そこに
は翻訳への抵抗も含まれる)
,
⑵内から外に向かってその内実が翻訳されて
いく方向,そして(2
a)そこではみずからのコントロールによっては翻訳
のプロセスを止めることはできず,何が再帰的にみずからに向かってくる
(同上訳書,19頁)
。
웏
웍I
bi
d.
,32.
웏
웎 神の似姿の思想が人間の尊厳へと翻訳されるという議論については次の研
究を参照されたい。神の似姿と人間の尊厳にくわえて,伝統的には神の像と
いう思想もあり,
この三つの思想のあいだにはきわめて複雑な関係があるこ
とがわかる。水垣渉
神の像 と 人間
얨古代キリスト教における思想
形成の前提と条件について ( 哲学研究 第 56
8号,1
9
9
9年);水垣渉
の像
と
人間
神
얨古代キリスト教における思想形成の前提と条件につい
て(完)( 哲学研究 第 5
7
0号,2
0
00年);金子晴勇 ヨーロッパの人間像
얨 神の像
と
人間の尊厳
웏
웏 水垣渉 宗教的探求の問題
の思想
的研究 (知泉書館,2
0
02年)。
얨古代キリスト教思想序説 (
8頁。
11
4
文社,1
9
8
4年)
,
反省的/再帰的近代化と宗教 (佐藤)
かもわからない状況が生じる可能性がある。これは,すでにヴェーバーや
トレルチが明らかにしたように,キリスト教は越境と翻訳を通して近代世
界やさまざまな近代的価値観を生み出したが,近代世界が自立し,社会が
機能
化を起こしていくにしたがって,意図せざる仕方でキリスト教の土
台が掘り崩されていくような状況を意味している。三島憲一が,こうした
翻訳もまた
所
は当事者のコントロールを越えた歴
的プロセス(ガダ
マー)なのではないかという疑念は残る 웏
원というとき,反省的/再帰的近
代化の問題を示唆しているのではないだろうか。さらにつけくわえれば,
⑶内から外へ向かう翻訳なき越境によって近代世界そのものが予想外の困
難に直面するという事態
얨たとえば,伝統的宗教の価値観とすぐれて近
代的なメディアの結合など
얨もありうるかもしれない。いま三つの可能
性について述べてみたが,いずれにせよ,
씗越境と翻訳の宗教文化論>
は 宗
教的フロント
をどこに設定するかによって,その研究成果の質が大きく
左右されることになるだろう。
とくに⑵の議論にしたがえば,伝統的な宗教は衰退しても,世俗的価値
観や制度,あるいは他文化に翻訳されることで,宗教的痕跡は残っている
のであり,このプロセスを世俗化と呼ぶこともできるだろう。しかし,ダ
ニエル・エルヴュー=レジェは文化のなかに保存されている宗教的痕跡は
やがて広告や遊び,観光のために利用され,宗教の脱文化化 웏
웑が起こる可
能性に言及している。このような段階をどのように評価するかは判断がわ
かれるところだと思うが,いずれにせよ複雑化する近代世界のなかで,宗
教は消滅するのではなく止むことなく変動していることを多くの研究者た
ちが指摘しているのである。
웏
원 三島憲一 씗訳者解説>変貌するカトリック教会とディスクルス倫理
ポス
ト世俗化時代の哲学と宗教 ,1
1
6頁。
웏
웑 ダニエル・エルヴュー=レジェ
別冊2,東京大学大学院
世俗化 (杉村靖彦[訳]
, ODYSSEUS
合文化研究科地域文化研究専攻,2
0
1
4年)
,22頁。
11
5
北海学園大学人文論集
おわりに
第 60号(20
16年3月)
얨 造と批判
もともと本稿の内容は,2
0
15年 11月 14日(土)に開催された北海学園大
学人文学会第3回
会・大会において発表されたものである。当日の統一
テーマは 文化の諸相 であり,筆者の発表タイトルは 宗教について
文化を学ぶ,世界と繫がる
ぶ,世界と繫がる
であった。サブタイトルにある
얨
文化を学
は本学人文学部のアドミッションポリシーに掲げられ
ているモットーである。当日は結論部
において,本稿の内容とこのモッ
トーの関係に言及する予定であったが,時間の都合上できなかったので,
ここではその内容を結論に変えることとしたい。
文化を学ぶ,世界と繫がる の意味はきわめて多義的なものであり,そ
れゆえ絶え間なく変動する近現代世界の現実にふさわしい表現だともいえ
る。このことを前提としたうえで,本稿の内容に即して
えてみると, 文
化を学ぶ,世界と繫がる とは近現代世界のなかで宗教という人間の営み・
現象の文化的意義=機能を確認する行為と理解することができる。20世紀
初頭のドイツ,宗教の脱自明化が進む世界のなかで宗教が問題として浮上
したことはすでに述べたが,そのさい多くの知識人たちが宗教の文化的意
義=機能を確認しようとした。その状況は現在でも継続しており,ある現
象=文化を学ぶことの一つの目的は現象=文化が世界のなかでいかなる位
置にあり,その文化的意義=機能を語ることではないだろうか。ハーバー
マスは,近代ドイツの代表的知識人による宗教の文化的意義=機能の
察
を次のようにまとめている。
マックス・ヴェーバーとエルンスト・トレルチはシュライアーマッハー
と同様,宗教を,近代社会においても自己の自立性と構造形成力を保
持し続ける,一つの意識構成体として把握する。もちろん彼らにとっ
ては,宗教的伝承の意味は,経験的に把握可能な証拠からのみ開示さ
れる。彼らは宗教の拘束力のある規範的内容を,リベラルで啓蒙され
個人主義的である現代文化のキリスト教的な根(またこの現代文化の
11
6
反省的/再帰的近代化と宗教 (佐藤)
なかに彼らはみずからの自己理解を発見する)を反省することによっ
て,歴
主義の抗しがたい吸引力のなかから,何とか手に入れるので
ある웏
。
웒
ヴェーバーやトレルチは, 宗教的伝承の意味 を 経験的に把握可能な
証拠 ,すなわち歴
のある規範的内容
的現実から取り出そうとした。また, 宗教の拘束力
と
みずからの自己理解
は
リベラルで啓蒙され個
人主義的である現代文化のキリスト教的な根 ,
すなわち文化のなかに残存
するキリスト教的痕跡を反省することで獲得できると
宗教の文化的意義=機能の
えた。このような
察と,それを近現代世界のなかに積極的に位
置づけようとする彼らの知的努力こそ, 文化を学ぶ,世界と繫がる の学
問的表現
얨さらにいえば,トレルチの重要論文
るプロテスタンティズムの意義
もまた
近代世界の成立に対す
文化を学ぶ,世界と繫がる
おける洗練された学問的展開の一例を示している
얨であり,それは
に
歴
主義の抗しがたい吸引力 ,
本稿の議論を用いれば反省的/再帰的近代化
に抗う仕方で遂行された。
しかも,このような知的努力は一回限りの行為ではない。 文化を学ぶ,
世界と繫がる
は解釈学的循環(部
と全体の循環)を形成しており,世
界と繫がったことでさらに文化を学ぶ動機づけが生まれることも十
え
られる(…⇨文化を学ぶ⇨世界と繫がる⇨文化を学ぶ⇨世界と繫がる⇨
웏
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と知の境界
義と宗教の間
얨カントの宗教哲学の影響
と現代的意義によせて
信仰
自然主
庄司信・日暮雅夫・池田成一・福山隆夫[訳]
,法政大学出
版局,2014年,2
6
5頁)
。なおこの引用には注が付されており,それによる
とハーバーマスは F.
シュルフターの研究を参照したよ
W.グラーフや W.
うである。
11
7
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
…)。その意味では, 文化を学ぶ,世界と繫がる
化を学ぶ
は
世界と繫がる,文
をつねに意識しながら議論しなければならないだろう。
最後にもう一つだけつけ加えておきたい。文化を学び,世界と繫がるこ
とは文化が単なる消費財になる危険にさらされ,世界が目まぐるしく変
わっていく時代にあっては,一つの重要な知的努力であり現実的実践であ
る。しかし,世界と繫がりすぎることが何を意味するかも
えなければな
らないのではないか。すなわち,
씗文化を学んだがゆえに世界と繫がる>
と
は必ずしもならず,씗文化を学んだにもかかわらず世界と繫がらない>
とい
う選択肢があることを,人は知らなければならないのである。
씗文化を学ん
だがゆえに世界と繫がる>とは人間が新しい文化を
造したり,自己理解
を深めるうえでの重要な契機になるかもしれないが,同時に씗文化を学ん
だにもかかわらず世界と繫がらない>
とは過剰に世界に順応することなく,
むしろ世界に対して批判的に対峙する力を生み出すのではないだろうか。
そうであるならば, 文化の諸相 という議論の背後には,
造と批判の可
能性のなかで,いかにして世界と繫がるか/繫がらないのかという씗方法
論>,そして世界とどのような繫がりを築くのか/築かないのかという
씗実
質論>があることを意識すべきであろう。
参
文献一覧
Beck,Ul
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8
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信・日暮雅夫・池田成一・福山隆夫[訳]
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ユルゲン・ハーバーマス/ヨーゼフ・ラッツィンガー
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フロリアン・シュラー[編]
,三島憲一[訳]
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7
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, ODYSSEUS 別冊
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啓蒙主義の哲学(上) 中野好之[訳]
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ベック,ウルリッヒ/アンソニー・ギデンズ/スコット・ラッシュ
代化
記述
金友子[訳]
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얨近現代における政治,伝統,美的原理
再帰的近
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隆三[訳],而立書房,1
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安藤 英治[編]ウェーバー
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プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
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北海学園大学人文論集
金子
究
後藤
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第 60号(20
16年3月)
얨 神の像 と 人間の尊厳 の思想
的研
知泉書館,2
0
02年。
正英
世俗と宗教の翻訳可能性
佐藤
真一
ヨーロッパ
佐藤
弘夫
神・人・死者
大学人文論集
学
宗教哲学研究
얨探究の軌跡
3
2
,2
0
1
5年。
No.
知泉書館,2
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얨日本列島における多文化共生の伝統
北海学園
第5
7号,2
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島薗
進
現代宗教とスピリチュアリティ
土屋
博
宗教文化論の地平
弘文堂,2
0
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얨日本社会におけるキリスト教の可能性
北海
道大学出版会,2
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中野
ム
毅
宗教の復権
얨グローバリゼーション,カルト論争,ナショナリズ
東京堂出版,2
0
02年。
深澤
英隆 啓蒙と霊性
얨近代宗教言説の生成と変容 岩波書店,2
0
0
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三島 憲一 씗訳者解説>変貌するカトリック教会とディスクルス倫理 ユルゲ
ン・ハーバーマス/ヨーゼフ・ラッツィンガー
宗教
フロリアン・シュラー[編]
,三島憲一[訳]
,岩波書店,2
0
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多様な近代の多様な
水垣
ポスト世俗化時代の哲学と
渉 宗教的探求の問題
神の像 と 人間
について
哲学研究
얨古代キリスト教思想序説
얨古代キリスト教における思想形成の前提と条件
7
0号,2
0
00年。
第5
宗教文化論の地平
日本の神学
얨日本社会におけるキリスト教の可能
5
3号,2
0
14年。
聖書的伝統としてのキリスト教
ぐって
文社,1
9
8
4年。
第5
6
8号,1
9
99年。
について(完) 哲学研究
性
現代思想 1
1月臨時増刊,青土社,20
07年
얨古代キリスト教における思想形成の前提と条件
神の像 と 人間
土屋博
差
日本の神学
얨 キリスト教とは何か の問いをめ
5
4号,2
0
1
5年。
森 孝一 宗教から読む アメリカ
講談社〔講談社選書メチエ〕,1
9
9
6年。
*本研究は JSPS科研費 26
7
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0
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★逆ノンブル★
明治期の福沢諭吉
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ど
と
も
同
様
の
条
約
が
締
結
さ
れ
、
こ
の
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五
ヵ
国
条
約
に
基
づ
き
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江
戸
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大
獄
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幕
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け
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米
修
好
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商
条
約
︵
一
八
五
八
年
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が
調
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さ
れ
、
同
年
九
月
ま
で
に
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か
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以
来
は
一
切
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事
英
語
と
覚
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め
て
、
さ
て
そ
の
英
語
を
学
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と
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う
こ
と
に
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い
て
如
何
し
て
宜
い
か
取
付
端
が
な
の
後
は
英
語
を
読
む
よ
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他
に
仕
方
が
な
い
と
、
横
浜
か
ら
帰
っ
た
翌
日
だ
、
一
度
は
落
胆
し
た
が
同
時
に
ま
た
新
た
に
志
を
発
し
て
、
ば
こ
の
後
は
英
語
が
必
要
に
な
る
に
違
い
な
い
、
洋
学
者
と
し
て
英
語
を
知
ら
な
け
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何
に
も
通
ず
る
こ
と
が
出
来
な
い
、
こ
る
と
い
う
こ
と
は
か
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て
知
っ
て
い
る
。
何
で
も
あ
れ
は
英
語
に
違
い
な
い
、
今
我
国
は
条
約
を
結
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開
け
か
か
っ
て
い
る
、
さ
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行
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て
い
る
言
葉
、
書
い
て
あ
る
文
字
は
、
英
語
か
仏
語
に
相
違
な
い
。
と
こ
ろ
で
今
、
世
界
に
英
語
の
普
通
に
行
わ
れ
て
い
第 60号(20
16年3月)
間
の
間
、
死
物
狂
い
に
な
っ
て
オ
ラ
ン
ダ
の
書
を
読
む
こ
と
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勉
強
し
た
、
そ
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勉
強
し
た
も
の
が
、
今
は
何
に
も
な
ら
な
い
、
あ
す
14
1
横
浜
か
ら
帰
っ
て
、
私
は
足
の
疲
れ
で
は
な
い
、
実
に
落
胆
し
て
し
ま
っ
た
。
こ
れ
は
こ
れ
は
ど
う
も
仕
方
が
な
い
、
今
ま
で
数
年
看
板
の
横
文
字
も
ビ
ン
の
貼
紙
の
文
字
も
一
向
に
理
解
で
き
ず
、
大
き
な
シ
ョ
ッ
ク
を
受
け
る
。
江
戸
に
出
て
き
た
翌
年
、
す
な
わ
ち
一
八
五
九
年
︵
安
政
六
年
︶
の
と
あ
る
日
、
福
沢
は
開
港
間
も
な
い
横
浜
に
見
物
に
行
き
、
店
々
の
の
腕
は
相
当
の
も
の
に
な
っ
て
い
た
。
こ
こ
に
至
る
ま
で
の
足
取
り
は
、
六
十
年
の
生
涯
を
口
述
筆
記
し
た
福
自
伝
に
詳
し
く
記
さ
れ
て
い
る
が
、
こ
の
と
き
福
沢
の
蘭
学
に
よ
り
江
戸
に
上
が
り
、
築
地
鉄
砲
洲
所
在
の
藩
主
奥
平
家
中
屋
敷
に
蘭
学
の
家
塾
を
開
く
。
こ
れ
が
の
ち
の
慶
應
義
塾
の
起
源
で
あ
る
。
の
適
塾
に
入
門
し
て
蘭
学
修
行
を
継
続
。
二
年
後
に
は
早
く
も
緒
方
塾
の
塾
長
に
推
さ
れ
る
。
一
八
五
八
年
︵
安
政
五
年
︶
一
〇
月
、
藩
命
物
次
郎
の
家
に
食
客
と
し
て
住
み
込
み
、
蘭
学
を
学
び
始
め
る
。
翌
一
八
五
五
年
︵
安
政
二
年
︶
、
大
坂
の
緒
方
洪
庵
︵
一
八
一
〇
|
六
三
︶
︵
一
〇
四
︶
福沢諭吉と西周の留学体験 (安酸)
︵
一
〇
五
︶
日
あ
ま
り
滞
在
し
、
そ
の
間
に
福
沢
は
ア
メ
リ
カ
に
お
け
る
西
洋
文
明
の
実
態
を
わ
が
目
で
確
認
す
る
機
会
を
も
っ
た
。
日
本
人
の
一
行
は
い 太
か2 郎
な
と ど
す は
ま 終
し 始
顔 自
だ
っ の
た 部
と 屋
い に
う 籠
か っ
ら て
、 い
な た
か が
な 、
か 福
大 沢
し は
た
も 牢
の 屋
で に
あ
る 入
。 っ
一 て
行 毎
は 日
お 毎
お 晩
む 大
ね 地
サ 震
ン に
フ あ
ラ っ
ン て
シ い
ス る
コ と
と 思
そ え
の ば
周 宜
辺 い
に じ
五 ゃ
〇 な
日
︵
現
地
時
間
の
二
五
日
︶
に
サ
ン
フ
ラ
ン
シ
ス
コ
の
港
に
着
い
た
。
途
中
天
候
が
芳
し
く
な
く
、
は
大
揺
れ
に
揺
れ
、
に
弱
い
勝
麟
航
海
に
要
し
た
日
数
は
三
十
七
日
で
、
万
元
年
一
月
一
九
日
︵
西
暦
一
八
六
〇
年
二
月
一
〇
日
︶
に
浦
賀
沖
を
出
発
し
て
、
二
月
二
六
て
、
こ
の
一
行
に
加
わ
る
よ
う
に
四
方
八
方
手
を
尽
く
し
た
の
で
あ
る
。
員
の
な
か
に
は
こ
の
航
海
に
か
な
り
の
不
安
を
覚
え
て
尻
込
み
す
る
者
も
い
た
が
、
福
沢
は
ア
メ
リ
カ
を
見
聞
す
る
絶
好
の
機
会
と
と
ら
え
で
あ
る
。
提
督
は
時
の
軍
艦
奉
行
木
村
摂
津
守
、
こ
れ
に
随
従
す
る
艦
長
は
勝
麟
太
郎
︵
勝
海
舟
︶
、
そ
の
他
勢
九
十
六
名
の
一
行
。
乗
組
な
っ
て
か
ら
ま
だ
わ
ず
か
五
年
ほ
ど
な
の
で
、
太
平
洋
横
断
を
試
み
る
と
こ
ろ
ま
で
漕
ぎ
つ
け
た
こ
と
は
、
そ
れ
な
り
の
快
挙
だ
っ
た
わ
け
リ
ー
の
黒
来
航
か
ら
わ
ず
か
七
年
そ
こ
そ
こ
の
こ
と
で
あ
り
、
オ
ラ
ン
ダ
人
教
師
を
招
い
て
長
崎
で
海
軍
の
伝
習
を
開
始
す
る
よ
う
に
14
0
の
は
港
の
出
入
り
口
の
み
、
あ
と
は
た
だ
風
を
頼
り
に
運
転
し
な
け
れ
ば
な
ら
な
い
も
の
で
あ
っ
た
。
こ
れ
が
有
名
な
咸
臨
丸
で
あ
る
。
ペ
す
ぎ
な
い
三
本
マ
ス
ト
の
木
造
艦
で
、
積
載
量
は
三
八
〇
ト
ン
、
蒸
気
機
関
は
備
え
て
い
て
も
せ
い
ぜ
い
一
〇
〇
馬
力
で
、
石
炭
を
焚
く
そ
の
一
行
に
加
え
て
も
ら
っ
た
こ
と
に
も
示
さ
れ
て
い
る
。
軍
艦
と
い
っ
て
も
全
長
た
か
だ
か
一
六
三
フ
ィ
ー
ト
、
全
幅
二
八
フ
ィ
ー
ト
に
福
沢
の
た
ぐ
い
稀
な
進
取
性
と
チ
ャ
レ
ン
ジ
精
神
は
、
一
八
六
〇
年
︵
万
元
年
︶
の
幕
府
軍
艦
の
ア
メ
リ
カ
派
遣
に
、
自
ら
志
願
し
て
へ
の
こ
の
転
向
を
、
福
沢
は
他
に
先
駆
け
て
実
行
し
た
。
こ
こ
に
福
沢
の
頭
抜
け
た
進
取
性
が
見
て
と
れ
る
。
愕
然
と
し
て
落
胆
し
た
も
の
の
、
す
ぐ
に
気
を
取
り
直
し
て
新
し
い
現
実
に
果
敢
に
対
応
す
る
努
力
を
し
た
こ
と
で
あ
る
。
蘭
学
か
ら
英
学
こ
ま
で
苦
労
し
て
身
に
つ
け
た
蘭
学
が
通
用
し
な
い
現
実
を
突
き
つ
け
ら
れ
た
の
で
あ
る
。
福
沢
の
素
晴
ら
し
い
と
こ
ろ
は
、
こ
の
現
実
に
坂
で
足
か
け
四
年
、
都
合
丸
四
年
あ
ま
り
ひ
た
す
ら
修
業
を
積
ん
で
き
て
、
蘭
学
に
は
か
な
り
の
自
負
心
を
も
っ
て
い
た
。
と
こ
ろ
が
、
そ
ろ
と
し
て
は
、
横
浜
が
開
港
し
た
と
こ
ろ
で
あ
っ
た
。
福
沢
は
一
八
五
四
年
︵
安
政
元
年
︶
に
は
じ
め
て
蘭
学
に
接
し
、
長
崎
で
一
年
、
大
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
帰
り
は
同
年
閏
三
月
一
九
日
に
サ
ン
フ
ラ
ン
シ
ス
コ
を
出
帆
し
、
ハ
ワ
イ
に
寄
港
し
て
、
五
月
五
日
に
再
び
浦
和
に
戻
っ
て
き
た
。
若き日の福沢諭吉とアメリカ人少女
(万 元年サンフランシスコにて)
番5 つ
買
で っ
あ て
る き
と た
、 。
後 こ
年 れ
自 が
慢 日
げ 本
に に
語 ウ
っ ェ
て ブ
い ス
る ト
。 ル
と
い
う
字
引
の
輸
入
の
第
一
に
私
と
中
浜
万
次
郎
と
い
う
人
と
両
人
が
、
ウ
ェ
ブ
ス
ト
ル
の
字
引
を
一
冊
ず
外
の
何
物
で
も
な
い
。
さ
ら
に
言
及
す
べ
き
こ
と
は
、
福
沢
が
こ
の
初
そ め
の て
時 の
外
遊
の
際
に
、
英
語
の
辞
書
を
購
入
し
て
き
た
こ
と
で
あ
る
。
彼
は
と
と
も
に
一
枚
の
写
真
に
納
ま
る
と
は
、
福
沢
な
ら
で
の
進
取
性
の
表
わ
れ
以
代
だ
っ
た
の
で
、
誰
も
が
写
真
は
写
し
て
き
た
と
し
て
も
、
異
国
の
白
人
女
性
び
ら
か
し
て
、
福
沢
は
大
得
意
に
な
っ
た
。
写
真
そ
の
も
の
が
ま
だ
珍
し
い
時
写 の
真 エ
ピ
얧 ソ
十 ー
五 ド
、 と
六 し
歳 て
の は
少 、
女 サ
と ン
一 フ
緒 ラ
に ン
写 シ
っ ス
た コ
も の
の 写
真
얧 屋
を で
皆 撮
の っ
者 た
に 一
見 枚
せ の 中
13
9
の
違
い
を
感
じ
た
そ
う
で
あ
る
。
大
統
領
ワ
シ
ン
ト
ン
の
子
孫
は
ど
う
な
っ
て
い
る
か
尋
ね
た
と
こ
ろ
、
冷
淡
な
答
え
し
か
返
っ
て
来
ず
、
社
会
慣
習
的
な
面
に
お
け
る
彼
我
の
、
理
学
上
の
こ
と
に
つ
い
て
は
驚
か
な
か
っ
た
。
だ
が
、
社
会
上
の
こ
と
に
は
皆
目
見
当
が
つ
か
な
い
ほ
ど
で
、
国
の
で
あ
る
初
代
の 日
よ 本
う を
に 出
小 る
さ ま
く で
な は
っ 天
て 下
し 独
ま
っ 歩
た4 、
眼
と 中
い 人
う な
。 し
い 怖
ろ い
い 者
ろ な
な し
工 と
場 威
も 張
見 っ
学 て
さ い
せ た
て 磊
も 落
ら 書
い 生
、
科 の
学 福
技 沢
術 も
の 、
先 初
進 め
性 て
に ア
は メ
目 リ
を カ
瞠 に
っ 来
た て
も 花
の 嫁
の
大
き
さ
や
、
口
を
あ
け
る
と
恐
ろ
し
い
音
の
す
る
シ
ャ
ン
パ
ン
と
い
う
酒
に
も
た
ま
げ
た
と
い
う
。
一
事
が
万
事
こ
の
よ
う
な
次
第
で
、
こ す
と べ
は て
に
か 不
り 慣
そ れ
う で
な 、
も 例
の え
だ ば
が 馬
、 車
一 を
見 見
し て
た も
ば 初
か め
り て
で だ
は か
一 ら
寸 実
と に
驚
え い
が た
付 。
か そ
ぬ3 こ
に
有 車
様 が
だ あ
っ っ
た て
。 馬
ホ が
テ 付
ル い
に て
敷 居
き れ
詰 ば
め 、
て 乗
あ 物
っ だ
た と
絨 い
毯 う
︵
一
〇
六
︶
福沢諭吉と西周の留学体験 (安酸)
て
ホ
ン
コ
ン
、
シ
ン
ガ
ポ
ー
ル
と
い
う
よ
う
な
イ
ン
ド
洋
の
港
々
に
立
ち
寄
り
、
紅
海
に
︵
一
〇
七
︶
入
っ
て
、
ス
エ
ズ
か
ら
上
陸
し
て
蒸
気
車
は
日
本
の
節
が
行
く
と
い
う
た
め
に
、
イ
ギ
リ
ス
か
ら
迎
の
よ
う
に
し
て
来
た
オ
ー
ヂ
ン
と
い
う
軍
艦
で
、
そ
の
軍
艦
に
乗
っ
そ
れ
か
ら
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
に
行
く
と
い
う
こ
と
に
な
っ
て
、
の
出
発
し
た
の
は
文
久
元
年
十
二
月
の
こ
と
で
あ
っ
た6
。
こ
の
た
び
の
し
い
な
か
で
、
福
沢
は
お
よ
そ
一
年
間
の
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
旅
行
へ
と
出
か
け
た
。
と
婚
礼
を
挙
げ
て
い
た
が
、
国
許
の
母
親
を
引
き
取
る
に
は
至
っ
て
い
な
か
っ
た
の
で
あ
る
。
こ
の
よ
う
に
、
転
居
と
新
婚
生
活
の
慌
た
だ
福
沢
は
こ
の
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
巡
遊
の
少
し
前
に
、
芝
新
銭
座
に
転
居
し
、
し
か
も
中
津
藩
藩
士
土
岐
太
郎
八
の
次
女
阿
銀
︵
一
般
に
は
、
き
ん
︶
の
大
金
が
支
給
さ
れ
た
。
福
沢
は
親
不
孝
の
罪
滅
ぼ
し
の
た
め
に
、
そ
の
う
ち
の
一
〇
〇
両
ほ
ど
を
郷
里
の
母
親
に
送
っ
て
い
る
。
実
は
、
い
て
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
行
き
を
命
ぜ
ら
れ
た
の
で
あ
る
か
ら
、
一
切
は
官
費
で
賄
わ
れ
る
こ
と
に
な
り
、
福
沢
に
は
手
当
て
と
し
て
四
〇
〇
両
も
加
す
る
機
会
を
得
た
。
前
回
の
渡
米
は
木
村
摂
津
守
に
秘
か
に
懇
願
し
て
実
現
し
た
も
の
で
あ
っ
た
が
、
今
回
の
渡
欧
は
幕
府
に
雇
わ
れ
て
13
8
一
八
六
二
年
︵
文
久
二
年
︶
、
渡
米
か
ら
帰
っ
て
わ
ず
か
一
年
半
の
の
ち
に
、
福
沢
は
遣
欧
節
に
随
行
し
て
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
巡
遊
の
旅
に
参
に
な
っ
た
。
に
対
処
す
る
た
め
に
は
是
非
と
も
英
語
が
必
要
で
あ
る
と
説
き
、
塾
生
た
ち
に
も
蘭
書
で
は
な
く
も
っ
ぱ
ら
英
書
に
つ
い
て
教
授
す
る
よ
う
が
よ
か
っ
た
そ
う
で
あ
る
。
こ
の
よ
う
に
ア
メ
リ
カ
か
ら
戻
っ
て
来
て
か
ら
、
福
沢
は
ひ
た
す
ら
英
書
を
読
む
こ
と
に
努
め
、
新
し
い
時
代
に
な
っ
て
い
た
。
イ
ギ
リ
ス
や
ア
メ
リ
カ
か
ら
の
文
書
を
訳
す
際
も
、
不
明
の
箇
所
は
蘭
文
を
参
照
す
る
こ
と
が
で
き
る
の
で
、
随
ロ
ッ
パ
言
語
を
読
み
こ
な
す
者
は
い
な
か
っ
た
の
で
、
諸
外
国
か
ら
幕
府
に
よ
せ
る
文
に
は
、
必
ず
オ
ラ
ン
ダ
語
の
訳
文
を
添
え
る
都 こ
合 と
そ
の
才
能
を
幕
府
に
役
立
て
よ
う
と
し
た
の
で
あ
ろ
う
。
そ
の
こ
ろ
の
わ
が
国
に
は
、
オ
ラ
ン
ダ
語
の
文
書
を
読
む
者
は
い
て
も
、
他
の
ヨ
ー
の
出
仕
は
お
そ
ら
く
木
村
摂
津
守
の
推
挙
に
よ
る
も
の
と
え
ら
れ
る
。
渡
米
を
陣
頭
指
揮
し
た
木
村
は
、
福
沢
の
人
物
を
高
く
買
っ
て
、
帰
朝
後
、
福
沢
は
幕
府
の
外
国
方
︵
い
ま
で
い
え
ば
外
務
省
︶
に
雇
わ
れ
て
、
翻
訳
の
仕
事
に
従
事
す
る
よ
う
に
な
っ
た
。
こ
の
幕
府
へ
北海学園大学人文論集
は ホ
じ テ
め ル
諸 の
道 廊
具 下
一 に
切 金
の 行
雑 灯
物 を
を つ
、 け
接 る
待 に
掛 も
の 及
下 ば
役 ず
の 、
ラ ホ
ン テ
ベ ル
ヤ の
と 台
い 所
う で
男 米
に の
進 飯
上 を
し た
て く
、 こ
た と
だ も
貰 出
っ 来
て ず
貰 、
う と
た う
の と
も う
可 し
笑 ま
し い
か に
っ は
た8 米
。 を
口
腹
に
攘
夷
の
念
は
な
い
、
み
な
喜
ん
で
こ
れ
を
味
わ
う
か
ら
、
こ
こ
に
手
持
無
沙
汰
な
る
は
日
本
か
ら
背
負
て
来
た
用
意
の
品
物
で
、
⋮
⋮
無
数
の
ガ
ス
灯
は
室
内
廊
下
を
照
ら
し
て
日
の
暮
る
る
を
知
ら
ず
、
食
堂
に
は
山
海
の
珍
味
を
並
べ
て
、
如
何
な
る
西
洋
嫌
い
も
あ
る
い
は
そ
の
滑
稽
さ
を
身
を
も
っ
て
悟
る
こ
と
に
あ
る
。
な
い
が
、
海
外
渡
航
と
か
異
文
化
圏
巡
遊
と
い
う
こ
と
の
意
味
は
、
自
国
の
伝
統
や
自
文
化
の
常
識
の
み
に
寄
り
か
か
る
判
断
の
危
う
さ
、
し
て
宿
駅
の
本
陣
に
止
宿
す
る
よ
う
な
感
覚
で
渡
欧
し
た
こ
と
が
わ
か
る
。
近
代
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
の
現
状
を
知
ら
な
い
の
で
あ
る
か
ら
仕
方
が
廊
下
に
と
も
す
金
行
灯
、
提
灯
、
手
燭
、
ボ
ン
ボ
リ
、
蝋
燭
等
を
積
み
込
ん
で
い
っ
た
と
い
う
の
だ
か
ら
、
ま
る
で
大
名
が
東
海
道
を
通
行
第 60号(20
16年3月)
あ
っ
た
。
外
国
で
は
食
事
が
不
自
由
で
あ
ろ
う
か
ら
と
、
白
米
を
箱
に
詰
め
て
何
百
箱
も
持
参
し
、
さ
ら
に
旅
中
止
宿
の
用
意
と
い
う
の
で
、
13
7
か
に
は
翻
訳
方
と
し
て
、
福
沢
の
ほ
か
に
こ
の
と
き
の
渡
欧
節
団
は
、
竹
内
下
木 野
弘 守
安 正
と
箕 、
作
平
秋 石
坪 見
も 守
加 副
わ
っ 、
て 京
い 極
た 能
。 登
い 守
ず 目
れ 付
も 役
着 な
物 ど
に 、
大
小 勢
の 四
刀 十
を 名
横 足
た ら
え ず
て で
の 、
外 こ
遊 の
で な
よ
そ に
一 乗
ヵ っ
年 て
、 、
即 ポ
ち ル
文 ト
久 ガ
二 ル
年 に
一 行
杯 き
、 、
押 ソ
し レ
詰 カ
ま ラ
っ 地
て 中
か 海
ら に
日
本 入
に っ
帰 て
っ 、
て 元
き の
ま 通
し り
た7 の
。 順
路
を
経
て
帰
っ
て
来
た
そ
の
間
の
年
月
は
お
ル
リ
ン
か
ら
ロ
シ
ア
の
ペ
ー
ト
ル
ス
ボ
ル
グ
︹
サ
ン
ク
ト
・
ペ
テ
ル
ブ
ル
ク
︺
、
そ
こ
か
ら
再
び
パ
リ
に
帰
っ
て
来
て
、
フ
ラ
ン
ス
か
ら
リ
を
去
っ
て
イ
ギ
リ
ス
に
渡
り
、
イ
ギ
リ
ス
か
ら
オ
ラ
ン
ダ
、
オ
ラ
ン
ダ
か
ら
プ
ロ
ス
︹
プ
ロ
シ
ャ
︺
の
都
の
ベ
ル
リ
ン
に
行
き
、
ベ
に
乗
っ
て
、
エ
ジ
プ
ト
の
カ
イ
ロ
府
に
着
い
て
二
晩
ば
か
り
泊
ま
り
、
そ
れ
か
ら
地
中
海
に
出
て
、
そ
こ
か
ら
節 ま
の た
こ
と に
を 乗
終 っ
り て
、 フ
パ ラ
ン
ス
の
マ
ル
セ
イ
ユ
、
そ
こ
で
蒸
気
車
に
乗
っ
て
リ
オ
ン
に
一
泊
、
パ
リ
に
着
い
て
滞
在
お
よ
そ
二
十
日
、
︵
一
〇
八
︶
福沢諭吉と西周の留学体験 (安酸)
︵
一
〇
九
︶
い10の
。 属
官
が
幾
人
も
付
い
て
い
る
。
ソ
レ
が
一
切
の
同
行
人
を
目
ツ
張
子
で
見
て
い
る
の
で
、
な
か
な
か
外
国
人
に
会
う
こ
と
が
六
か
し
る
の
が
可
笑
し
い
。
節
は
、
竹
内
、
平
、
京
極
の
三
節
、
そ
の
中
の
京
極
は
御
目
附
け
と
い
う
役
目
で
、
ソ
レ
に
は
ま
た
相
応
可
笑
し
い
と
い
う
の
は
、
日
本
は
そ
の
と
き
丸
で
鎖
国
の
世
の
中
で
、
外
国
に
居
な
が
ら
兎
角
外
国
人
に
会
う
こ
と
を
止
め
よ
う
と
す
ど
、
誠
に
親
切
に
案
内
せ
ら
れ
て
、
か
え
っ
て
招
待
の
多
い
の
に
く
た
び
れ
る
と
い
う
ほ
ど
の
次
第
で
あ
っ
た
が
、
た
だ
こ
こ
に
一
つ
が
な
い
、
け
れ
ど
も
今
度
は
ス
エ
ズ
に
上
が
っ
て
初
め
て
鉄
道
に
乗
り
、
そ
れ
か
ら
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
各
国
を
彼
方
の
此
方
応
と
、
行
舞
く
踏
に
の
見 、 も
物 ク み
な ラ な
ブ
等
は
勿
論
、
病
院
に
行
け
ば
解
剖
も
見
せ
る
、
外
科
手
術
も
見
せ
る
、
あ
る
い
は
名
あ
る
人
の
家
に
晩
鉄
道
ば
か
り
、
到
る
所
に
歓
迎
せ
ら
れ
て
、
海
陸
軍
の
場
所
を
は
じ
め
と
し
て
、
官
私
の
諸
工
場
、
銀
行
会
社
、
寺
院
、
学
⋮
⋮
私
が
こ
の
前
ア
メ
リ
カ
に
行
っ
た
と
き
に
は
、
カ
リ
フ
ォ
ル
ニ
ヤ
地
方
に
ま
だ
鉄
道
が
な
か
っ
た
か
ら
、
勿
論
鉄
道
を
見
た
こ
と
13
6
し
た
自
己
矛
盾
的
な
制
約
性
に
つ
い
て
も
、
彼
一
流
の
皮
肉
を
こ
め
て
報
告
し
て
い
る
。
し
か
し
福
沢
は
、
こ
の
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
巡
遊
が
彼
に
と
っ
て
い
か
に
有
益
だ
っ
た
か
を
述
べ
つ
つ
も
、
同
時
に
、
そ
こ
に
不
可
避
的
に
随
伴
す
有
益
な
知
見
の
一
つ
で
あ
る
。
だ な
と る
思 に
っ 乗
て じ
、 て
ま 無
す 理
ま 難
す 題
平 を
生 仕
の 掛
主 け
義 て
た 真
る 実
開 困
国 っ
一 て
偏 い
の た
説 が
を 、
堅 そ
固 の
に 本
し 国
た9 に
来
と て
述 見
べ れ
て ば
い お
る の
。 ず
こ か
れ ら
も
海 明
外 正
渡 大
航 、
や 優
留 し
学 き
体 人
験 も
の あ
も る
た も
ら の
は た
が
な 、
る ヨ
ほ ー
ど ロ
世 ッ
界 パ
は に
鬼 来
ば て
か 現
り 地
で の
は 新
な 聞
い な
、 ど
こ を
れ 読
ま ん
で で
外 み
国 る
政 と
府 、
の ま
仕 っ
振 と
り う
を な
見 政
れ 府
ば 批
、 判
日 や
本 正
の 論
弱 の
身 主
に 張
付 も
け 許
込 さ
み れ
日 て
本 い
人 る
の の
不 で
文 、
殺 福
伐 沢
福
沢
ら
一
行
が
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
を
訪
れ
た
当
時
は
、
欧
米
諸
国
の
横
暴
な
諸
政
策
に
憤
っ
て
日
本
国
内
で
は
攘
夷
論
真
っ
盛
り
の
頃
で
あ
っ
北海学園大学人文論集
の 英
こ 書
と の
で 購
あ 入
る12に
充
が て
、 た
二 。
度 こ
目 れ
の が
ア そ
メ も
リ そ
カ も
渡 日
航 本
の の
際 輸
に 入
は の
、 始
最 ま
初 り
の で
渡 、
米 英
の 書
と の
き 自
よ 由
り に
も
さ わ
ら れ
に る
多 よ
く う
の に
金 な
を っ
も た
ら と
っ い
た う
の の
で も
、 こ
福 れ
沢 か
曰 ら
し が の
た 勃 購 福
。 発 入 沢
し を は
渉 て ア さ
は そ メ ら
上 の リ に
首 ま カ 一
尾 ま に 八
に に 発 六
運 な 注 七
ん っ し 年
︵
で て 、 慶
ス い あ 応
ト た ら 三
ー の か 年
ン を じ ︶
ウ 、 め 、
ヲ 何 二 三
ー と 隻 度
ル か
目
と 話 ほ の
い を ど 外
う つ の 国
け 代 行
を る 金 と
買 た は し
う め 支 て
こ の 払 、
と 渡 っ 再
に 米 て 度
決 で い ア
ま あ た メ
り っ の リ
、 た に カ
こ 。 、 を
れ 福 一 訪
が 沢 艘 れ
東 は が て
艦 こ 届 い
と の い る
な 渡 た 。
っ 米 だ こ
た に け れ
。 も で は
自 、 幕
ら あ 府
志 と が
願 は さ
し 南 き
て 北 に
を
同 戦 軍
、
行 争 艦
そ
れ
は
さ
て
お
き
、
倹
約
家
の
福
沢
は
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
渡
航
の
際
に
支
給
さ
れ
た
渡
航
費
用
の
う
ち
、
母
親
に
送
っ
た
残
り
の
大
部
狭
隘
性
が
露
呈
し
て
い
る
。
第 60号(20
16年3月)
ま
さ
に
鎖
国
中
の
視
察
旅
行
な
の
で
、
こ
れ
も
ま
た
無
理
か
ら
ぬ
こ
と
か
と
思
う
半
面
、
そ
こ
に
幕
府
の
役
人
た
ち
の
時
代
遅
れ
の
知
的
私
共
も
出
る
こ
と
が
出
来
な
い
。
ソ
レ
は
甚
だ
不
自
由
で
し
た
。
私
は
そ
の
時
と に
言
っ こ
て れ
、 は
三 マ
人 ア
で 何
笑 の
っ こ
た と
こ は
と な
が い
あ 、
り 日
ま 本
す11の
。 鎖
国
を
そ
の
ま
ま
か
つ
い
で
来
て
、
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
各
国
を
巡
回
す
る
よ
う
な
も
の
だ
13
5
遣
も
な
い
が
、
妙
な
役
人
が
付
い
て
来
れ
ば
た
だ
う
る
さ
い
。
う
る
さ
い
の
は
マ
ダ
宜
い
が
、
そ
の
下
役
が
何
か
外
に
差
支
が
あ
る
と
、
て
行
か
な
け
れ
ば
な
ら
ぬ
と
い
う
御
定
ま
り
で
始
終
付
い
て
回
る
。
此
方
は
固
よ
り
密
売
し
よ
う
で
は
な
し
、
国
の
秘
密
を
洩
ら
す
気
臣
で
、
し
か
も
洋
書
を
読
む
か
ら
な
か
な
か
油
断
を
し
な
い
。
何
か
見
物
に
出
掛
け
よ
う
と
す
る
と
、
必
ず
御
目
附
方
の
下
役
が
付
い
⋮
⋮
何
で
も
有
ら
ん
限
り
の
物
を
見
よ
う
と
ば
か
り
し
て
い
る
と
、
ソ
レ
が
役
人
連
の
目
に
面
白
く
な
い
と
み
え
、
殊
に
三
人
と
も
陪
察
し
よ
う
と
す
る
の
で
あ
る
が
、
福
沢
、
箕
作
、
木
の
三
名
は
開
明
的
志
操
の
持
ち
主
な
の
で
、
当
然
の
こ
と
な
が
ら
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
先
進
国
の
文
明
事
情
を
つ
ぶ
さ
に
観
︵
一
一
〇
︶
福沢諭吉と西周の留学体験 (安酸)
︵
一
一
一
︶
周
防
の
出
身
で
、
塾
生
に
は
長
州
藩
や
そ
の
周
辺
の
藩
の
出
身
者
が
多
か
っ
た
が
、
周
助
は
こ
の
手
塚
に
拾
わ
れ
て
彼
の
塾
の
講
師
を
す
る
失
っ
た
周
助
に
救
い
の
手
を
差
し
伸
べ
た
の
は
、
江
戸
本
郷
元
町
に
又
新
堂
と
い
う
洋
学
塾
を
開
い
て
い
た
手
塚
律
蔵
で
あ
っ
た
。
手
塚
は
年
︵
安
政
元
年
︶
三
月
下
旬
、
脱
藩
を
決
行
。
す
ぐ
に
召
し
捕
ら
え
ら
れ
、
永
の
御
暇
︵
永
久
の
解
雇
処
︶
を
下
さ
れ
る
。
行
き
場
を
守
詰
時
習
堂
講
釈
を
命
ぜ
ら
れ
る
。
オ
ラ
ン
ダ
語
を
必
死
で
学
ん
だ
が
、
や
が
て
よ
り
本
格
的
に
オ
ラ
ン
ダ
語
を
学
ぶ
た
め
に
、
一
八
五
四
勢
に
乗
り
遅
れ
な
い
た
め
に
、
優
れ
た
藩
士
を
江
戸
に
派
遣
す
る
こ
と
を
決
定
。
周
助
は
そ
の
一
人
に
選
ば
れ
て
江
戸
に
出
て
、
江
戸
御
留
メ
リ
カ
の
海
軍
督
ペ
リ
ー
、
大
統
領
フ
ィ
ル
モ
ア
の
国
書
を
携
え
て
浦
賀
に
来
航
。
国
中
が
大
騒
ぎ
と
な
る
が
、
津
和
野
藩
も
時
代
の
趨
一
八
四
八
年
︵
嘉
永
元
年
︶
、
養
老
館
句
読
︹
漢
文
の
素
読
を
教
え
る
人
の
こ
と
︺
を
命
ぜ
ら
れ
る
。
一
九
五
三
年
︵
嘉
永
六
年
︶
六
月
、
ア
伯 和
野
筋 は
に 四
あ 万
た 三
り 千
、 石
の の
ち 小
に 藩
鷗 で
外 は
に あ
大 っ
き た
な が
影 、
響
を 時
及 義
ぼ は
す 食
。 禄
彼 百
は 石
一 を
八 賜
四 っ
〇 て
年
︵ い
天 た
保 藩
一 医
一 で
年 あ
り
︶
、 藩
数 儒
え で
年 も
十 あ
二 っ
歳 た
で 。
藩 周
助
養 は
老 森
館 鷗
に 外
入 の
る 大
。
西
周
助
こ
と
の
ち
の
西
周
は
、
一
八
二
九
年
︵
文
政
一
二
年
︶
二
月
三
日
、
石
見
国
鹿
足
郡
津
和
野
︵
現
、
島
根
県
︶
に
生
ま
れ
た
。
津
13
4
は
つ
ぎ
に
こ
の
人
物
に
つ
い
て
察
し
て
み
よ
う
。
る
。
し
か
し
福
沢
と
は
ま
っ
た
く
異
な
る
背
景
と
立
場
か
ら
、
西
周
も
ま
た
独
自
の
意
義
深
い
啓
蒙
活
動
を
行
っ
て
い
る
の
で
、
わ
れ
わ
れ
れ
る
体
験
を
し
た
の
で
あ
り
、
そ
し
て
そ
の
貴
重
な
体
験
に
照
ら
し
て
、
固
陋
な
同
時
代
人
た
ち
を
相
手
に
啓
蒙
活
動
を
展
開
し
た
の
で
あ
く
重
要
な
意
義
を
有
し
て
い
た
。
彼
は
ア
メ
リ
カ
で
そ
し
て
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
で
、
新
し
い
文
物
・
技
術
・
制
度
に
触
れ
て
、
ま
さ
に
蒙
を
啓
か
こ
の
よ
う
に
、
わ
が
国
の
文
明
開
化
を
主
導
し
た
先
覚
者
・
啓
蒙
家
と
し
て
の
福
沢
諭
吉
に
と
っ
て
、
三
度
に
わ
た
る
洋
行
は
か
ぎ
り
な
律
書
、
経
済
書
、
数
学
書
な
ど
も
そ
の
と
き
初
め
て
利 日
で 本
し に
た13輸
。 入
し
て
、
塾
の
何
十
人
と
い
う
生
徒
に
銘
々
そ
の
版
本
を
持
た
し
て
立
派
に
修
業
の
で
き
る
よ
う
に
し
た
の
は
、
実
に
無
上
の
く
、
そ
の
金
を
も
っ
て
今
度
こ
そ
は
有
ら
ん
限
り
の
原
書
を
買
っ
て
き
ま
し
た
。
大
小
の
辞
書
、
地
理
書
、
歴
等
は
勿
論
、
そ
の
ほ
か
法
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
オランダ留学時代の西周
念
願
の
蕃
書
調
所
の
教
授
職
に
就
い
た
西
周
助
に
と
っ
て
、
次
な
る
目
標
は
が
擦
り
込
ま
れ
た
で
あ
ろ
う
と
推
察
さ
れ
る
。
喜
か
ら
の
返
事
は
な
か
っ
た
が
、
お
そ
ら
く
彼
の
記
憶
に
西
周
助
の
名
前
喜 採 る
に 用 。
さ と
蝦 れ こ
夷 て ろ
地 半 で
開 年 、
拓 も 周
経 助
議 た の
ぬ 非
を う 凡
提 ち な
出 に る
し 、 と
て の こ
い ち ろ
る の は
こ 第 、
と 十 蕃
で 五 書
あ 代 調
る 将 所
。 軍 教
も と 授
ち な 手
ろ る 伝
ん 一 並
、 橋
慶 慶 に
扶 う 教 ら
持 か 授 れ
。 手 た
を と 伝 。
下 も 並 教
さ あ
授
れ れ と 手
た 、 は 伝
の 脱 さ
で 藩 し が
あ 浪 ず 現
る 士 め 代
か の
の
ら 身 講 呼
、
師 称
こ だ
で
れ っ か
准
は た
稀 者 助 教
代 が 手 授
の
に
幸 幕 と 相
臣
い 当
運
と と う す
い な と る
う り こ と
べ 、 ろ す
で れ
き
で 十 あ ば
あ 人 ろ 、
13
3
︵
安
政
四
年
︶
五
月
四
日
、
周
助
は
晴
れ
て
蕃
書
調
所
教
授
手
伝
並
に
任
ぜ
の
契
り
を
結
び
、
元
の
主
家
佐
倉
侯
に
頼
み
込
ん
で
、
佐
倉
藩
士
佐
波
銀
次
郎
の
食
客
に
取
り
立
て
て
も
ら
っ
た
。
こ
う
し
て
一
八
五
七
年
玆
監
に
掛
け
合
っ
て
、
周
助
を
復
藩
の
上
で
幕
臣
へ
の
道
を
れ
る
よ
う
渉
し
た
が
、
冷
た
く
拒
否
さ
れ
る
や
、
今
度
は
周
助
と
義
兄
弟
と
改
称
さ
れ
た
が
、
恩
師
の
手
塚
は
弟
子
の
周
助
が
こ
の
研
究
機
関
に
登
用
さ
れ
る
よ
う
一
方
な
ら
ず
尽
力
し
た
。
彼
は
津
和
野
藩
主
亀
井
た
。
こ
れ
は
一
八
六
二
年
︵
文
久
二
年
︶
、
一
橋
門
外
に
移
転
し
て
洋
書
調
所
と
改
称
し
、
一
八
六
三
年
︵
文
久
三
年
︶
に
は
さ
ら
に
開
成
所
は
、
一
八
五
六
年
︵
安
政
三
年
︶
、
幕
府
が
九
段
下
に
立
し
た
洋
学
の
研
究
機
関
で
、
洋
学
の
教
授
・
統
制
、
洋
書
の
翻
訳
の
任
に
当
た
っ
手
塚
の
周
助
へ
の
師
弟
愛
が
最
も
よ
く
発
揮
さ
れ
た
の
は
、
周
助
の
幕
府
の
蕃
書
調
所
へ
の
就
職
斡
旋
に
関
し
て
で
あ
る
。
蕃
書
調
所
と
郎
の
英
語
塾
に
も
通
わ
せ
た
。
周
助
は
こ
の
英
語
塾
で
榎
本
武
揚
と
知
り
合
い
と
な
っ
た
。
よ
う
に
な
る
。
周
助
の
才
能
を
見
込
ん
だ
手
塚
は
、
オ
ラ
ン
ダ
語
だ
け
で
は
新
し
い
時
代
に
対
応
で
き
な
い
と
え
、
周
助
を
ジ
ョ
ン
万
次
︵
一
一
二
︶
福沢諭吉と西周の留学体験 (安酸)
幕府からオランダに派遣された留学生たち(前列右端が西周)
︵
一
一
三
︶
口
俊
平
ら
の
海
軍
操
練
所
関
係
者
が
中
心
メ
ン
バ
ー
で
あ
っ
て
、
洋
書
調
所
か
っ
た
。
し
た
が
っ
て
、
榎
本
武
揚
、
沢
太
郎
左
衛
門
、
赤
大
三
郎
、
田
︵
陽 今 藤 越 書
丸 回 に 中 調
の も 守 所
の オ こ 、 掛
受 ラ れ の ・
け ン を ち 伊
取 ダ 認 一 賀
守
り へ め
が の さ ︶ 浅
主
せ ら 野
目 節 て に 氏
的 派 よ 迫 祐
で 遣 う っ ︵
あ は や て の
ち
っ 、
オ く こ
て ラ 参 れ 美
、 ン 加 を 作
外 ダ の う 守
︶
に 許 ご 、
可
発
か 外
節 注 を し 国
派 し え 、 奉
遣 て た14つ 行
が い の い ・
目 た で に 大
的 軍 あ 老 久
で 艦 っ 中 保
忠
は
た ・
な 開 。 安 寛
ず
、
そ
の
ね
が
い
を
こ
の
機
会
に
実
現
さ
せ
よ
う
と
、
上
司
の
御
目
付
、
蕃
加
し
よ
う
と
し
て
再
三
熱
心
に
当
局
者
に
は
た
ら
き
か
け
た
が
容
れ
ら
れ
強
く
洋
行
の
希
望
を
も
ち
、
万
、
文
久
の
節
派
遣
の
さ
い
、
こ
れ
に
参
13
2
月
、
蕃
書
調
所
を
改
称
︶
の
西
周
助
と
津
田
真
道
の
両
名
は
、
か
ね
て
か
ら
ざ
ま
な
働
き
か
け
を
し
た
。
石
附
実
に
よ
れ
ば
、
洋
書
調
所
︵
文
久
二
年
五
西
は
何
と
し
て
も
そ
れ
に
加
わ
り
た
い
と
強
く
希
望
し
て
、
関
係
者
に
さ
ま
六
二
年
︵
文
久
二
年
︶
、
幕
府
が
オ
ラ
ン
ダ
へ
の
留
学
生
派
遣
を
決
め
た
と
き
、
い
た
。
西
の
な
か
に
先
を
越
さ
れ
た
悔
し
さ
が
あ
っ
た
に
違
い
な
い
。
一
八
一
八
六
二
年
︵
文
久
二
年
︶
一
月
に
渡
欧
節
団
の
一
員
と
し
て
洋
行
し
て
元
年
︶
一
月
、
す
で
に
咸
臨
丸
に
乗
っ
て
初
の
渡
米
を
果
た
し
、
さ
ら
に
で
に
見
た
よ
う
に
、
西
よ
り
も
六
歳
若
い
福
沢
諭
吉
は
、
一
八
六
〇
年
︵
万
実
際
に
外
国
に
渡
航
し
て
見
聞
を
広
め
る
こ
と
で
あ
っ
た
。
わ
れ
わ
れ
が
す
北海学園大学人文論集
彼
は
こ
の
と
き
の
オ
ラ
ン
ダ
留
学
の
記
録
を
文
書
に
し
て
残
し
て
い
る
の
で
、
わ
れ
わ
れ
は
そ
こ
か
ら
彼
の
足
取
り
を
か
な
り
詳
細
に
知
そ
こ
の
よ
う
な
西
洋
観
を
も
っ
て
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
に
渡
航
し
た
。
ず
、
人
民
が
暮
せ
な
い
こ
と
が
あ
ろ
う
か
。
ど
う
し
て
幸
福
追
求
や
学
術
技
芸
全
般
の
発
展
が
で
き
な
い
こ
と
が
あ
ろ
う
か
。
西
は
お
お
よ
洋
的
な
政
治
制
度
の
理
想
を
超
え
た
も
の
で
あ
っ
て
、
道
義
と
政
治
が
一
体
と
な
っ
て
い
る
。
ど
う
し
て
国
が
富
ま
ず
、
兵
力
が
強
く
な
ら
も
、
東
洋
の
仏
教
と
は
異
な
る
が
、
本
質
的
に
は
仏
教
の
教
え
と
通
底
す
る
も
の
で
あ
る
。
ア
メ
リ
カ
や
イ
ギ
リ
ス
の
制
度
・
文
物
は
、
東
儒
学
と
比
べ
て
み
て
も
、
西
洋
の
こ
う
し
た
諸
学
問
に
驚
く
べ
き
正
当
性
を
見
出
し
て
い
た
。
西
洋
人
が
一
般
に
信
じ
て
い
る
キ
リ
ス
ト
教
る
訳 こ
語 こ
を で
充
て 性
る 理
こ 之
と 学
に
な と
る い
が16わ
、 れ
西 て
は い
以 る
前 も
か の
ら は
こ 、
の 西
哲 洋
学 の
や
経 フ
済 ィ
学 ロ
や ソ
政 フ
治 ィ
学 ー
に
関 の
心 こ
を と
持 で
っ あ
て り
い 、
た 西
。 は
そ の
し ち
て に
中 こ
国 れ
伝 に
来
の 哲
漢 学
学
や な
生 官
、 天
祺 下
福 之
何 意
不 と
可 周
求 召
、 制
学 典
術 型
百 之
技 心
何 と
不 に
尽 も
精 超
微 え
と た
奉 り
存 と
候15相
。 覚
申
候
。
実
に
由
斯
道
而
行
斯
政
、
国
何
不
富
、
兵
何
不
強
、
人
民
何
不
聊
13
1
に て 趣
も 、 を
小
卑 異
ぎ 陋 に 生
、 の し 頃
来
極 候
順 取 所 西
自 る も 洋
然 べ 有 の
之 き 之 性
道 こ 哉 理
に と と 之
本 無 相 学
づ 之 覚 又
き と 申 経
経 相 候 済
済 覚 。 之
之 申 尤 学
大 候 彼 抔
本 。 の の
を 只 耶 一
端
蘇
て フ 教 を
た ィ 抔 窺
る ロ は 候
は ソ 、 処
所 フ 今 、
実
謂 ィ 西 に
ア
王
洋 可
政 ︵ 一
驚
に
般
も
の
勝
所 平
り
奉 正
、
に 大
合 ︶ 有 の
衆 之 之 論
国 学 候 に
英 に へ て
吉 て ど 、
利 、 も 従
等 性 、 来
之 命 毛 所
制 之 の
度 理 生 学
文 を え 漢
物 説 た 説
は く る と
彼 は 仏 は
堯 程 法 頗
舜 朱 に る
Phi
l
os
ophi
a
る
こ
と
が
で
き
る
。
最
初
に
大
ま
か
な
足
取
り
を
掴
ん
で
お
く
と
、
一
八
六
二
年
︵
文
久
二
年
︶
六
月
一
一
日
、
軍
艦
奉
行
よ
り
オ
ラ
ン
ダ
第 60号(20
16年3月)
西
は
こ
の
渡
欧
に
あ
た
っ
て
、
つ
ぎ
の
よ
う
な
希
望
と
抱
負
を
語
っ
て
い
る
。
の
西
周
助
と
津
田
真
道
、
あ
る
い
は
長
崎
の
蘭
方
医
伊
東
玄
柏
と
林
研
海
ら
は
、
い
わ
ば
付
け
足
し
メ
ン
バ
ー
で
あ
っ
た
。
︵
一
一
四
︶
福沢諭吉と西周の留学体験 (安酸)
︶
一
〇
月
を
も
っ
て
終
了
し
た
。
一
二
月
一
日
︵
慶
応
元
年
一
〇
月
一
四
日
︶
、
二
人
は
ラ
イ
デ
ン
を
出
発
し
、
ま
ず
ハ
ー
グ
に
い
る
榎
本
を
訪
か
ら
五
教
科
の
講
義
を
受
け
始
め
、
毎
週
火
曜
日
と
金
曜
日
の
夜
、
彼
の
私
宅
に
通
っ
て
受
講
し
た
。
講
義
は
一
八
六
五
年
︵
慶
応
元
年
︶
約
三
ヶ
月
間
語
に 学
入 の
会 習
し 得
た21に
。 専
両 念
人 し
は た
一 。
一 西
月 は
三 一
日 〇
︵ 月
火 二
︶ 〇
よ
り 日
ラ 、
イ 津
デ 田
ン は
大 一
学 一
教 月
授 一
の 七
フ 日
ィ 、
ッ フ
セ リ
リ ー
ン メ
グ イ
︵ ソ
ン
リ
ー
の
ラ
イ
デ
ン
支
部
쎾 ラ
22
︶ ・
ベ
ル
テ
ュ
ー
Si
monVi
s
s
er
i
ng,181888
︵
一
一
五
れ
、
そ
れ
か
ら
榎
本
・
沢
・
田
口
・
職
方
の
古
川
庄
八
ら
四
名
と
と
も
に
ロ
ッ
テ
ル
ダ
ム
に
赴
い
た
。
翌
二
日
、
同
胞
四
名
に
見
送
ら
れ
て
入
れ
て
蘭
語
の
稽
古
を
始
め
る
こ
と
に
し
︵
赤
大
三
郎
半
生
談
︶
、
と
く
に
津
田
と
西
は
一
週
六
時
間
オ
ラ
ン
ダ
語
の
授
業
を
受
け
、
で と
、 く
詳 に
細 津
は 田
そ と
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に の
譲 消
り 息
た に
い20つ
。 い
日 て
本 は
人 、
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学 田
生 の
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ち に
は あ
、 た
先 る
ず 津
蘭 田
語 道
に 治
熟 の
達 著
す 作
る や
の 他
が の
急 近
務 時
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あ 研
る 究
と に
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ふ 較
の 的
で 詳
、 し
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師 い
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ゾ 久 ポ 七
ン 三 レ 日
年 オ 、
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六 ッ し 崙
月 テ 、 ︶
四 ル 遺 が
日 ダ 骸 幽
︵ ム は 閉
文 到 一 さ
久 着 八 れ
三 。 四 て
年 ハ 一 い
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0
ン
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ル
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の
人
。
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ン
ド
洋
か
ら
マ
ダ
ガ
ス
カ
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を
通
り
、
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の
沖
合
を
回
っ
て
大
西
洋
へ
。
大
西
洋
で
は
二
月
二
見
学
し
て
い
る
。
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か
ら
は
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ラ
ン
ダ
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ル
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テ
号
に
乗
り
換
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、
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海
峡
を
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え
て
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ン
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出
る
。
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ル
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︶
に
到
着
。
こ
こ
で
は
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住
民
と
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僑
と
の
生
活
環
境
の
相
違
を
観
察
し
、
ま
た
オ
ラ
ン
ダ
人
が
て
た
病
院
や
学
長
は な
オ ど
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や リ
む ッ
な プ
く ス
近 号
く に
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小 り
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上 て
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。 シ
一 ナ
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深 シ
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。 島
や と
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て リ
迎 ト
え ン
の 島
と
が の
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て の
、 海
バ
ダ 峡
ビ で
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︵ 礁
現 。
八
日
、
津
田
真
道
や
榎
本
武
揚
ら
と
と
も
に
咸
臨
丸
に
乗
っ
て
品
川
を
出
帆
。
浦
賀
、
下
田
、
長
崎
に
至
り
、
長
崎
か
ら
オ
ラ
ン
ダ
商
留
学
の
命
を
受
け
る
。
渡
航
費
用
と
し
て
は
二
十
五
ヶ
月
の
計
算
で
、
合
計
六
六
〇
両
二
と
い
う
か
ら
相
当
の
高
額
で
あ
る17
。
六
月
カ 一
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
シモン・フィッセリング教授
記
さ
れ
て
い
る
。
ん た
で い
い 、
る 時
が 間
、 が
読 あ
め れ
て ば
も フ
話 ラ
せ ン
な ス
い 語
な も
ど 学
と び
、 た
述 い
べ 、
て 英
い 語
る25は
。 と
っ
く
に
学
法
律
学
、
経
済
学
、
政
治
、
外
な
ど
の
野
と
、
理
解
し
た
り
す
る
状
態
に
と
ど
ま
っ
て
い
る
。
自
と
し
て
は
、
を 統
学 計
び 学
、
学
、
地
理
学
、
お
よ
び
蘭
語
、
独
語
、
英
語
、
仏
語
を
、
た
だ
読
ん
だ
り
な
お
幾
多
の
不
備
欠
陥
を
有
し
、
学
問
も
物
理
学
、
数
学
、
化
学
、
植
物
い
る
。
け
れ
ど
も
、
こ
の
学
は
設
備
お
よ
び
教
授
法
に
お
い
て
、
い
ま
12
9
を
設
立
し
、
諸
藩
よ
り
教
師
を
選
任
し
て
種
々
の
学
問
を
教
授
さ
せ
て
ン
ダ
の
日
本
留
学
生
受
入
れ
局
に
通
告
し
て
い
る
。
こ
の
書
簡
は
フ
ィ
ッ
セ
リ
ン
グ
家
に
残
さ
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て
い
た
も
の
で
、
そ
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に
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、
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さ
て
、
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ラ
ン
ダ
留
学
の
中
身
で
あ
る
が
、
西
は
テ
ル
ナ
ー
テ
号
上
で
学
習
の
抱
負
と
研
究
計
画
を
オ
ラ
ン
ダ
語
で
し
た
た
め
、
オ
ラ
上 マ
海 ル
を セ
経 イ
て ユ
、 号
横
浜 に
到 乗
着 り
は マ
一 ル
八 セ
六 イ
六 ユ
年 を
二 出
月 帆
一 。
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日 エ
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慶 、
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一 、
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ル
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、
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郎
と
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り
、
一
二
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一
五
日
の
夜
パ
リ
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発
ち
、
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一
六
日
に
マ
ル
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に
到
着
し
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。
そ
し
て
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二
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一
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日
に
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た
よ
う
で
あ
る
。
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田
は
ラ
イ
デ
ン
滞
在
中
サ
ン
テ
ン
の
店
を
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く
訪
れ
て
い
た
の
で
、
彼
に
と
っ
て
津
田
誼 は
を 上
結 客
ん だ
だ23っ
。 た
さ の
ら で
に あ
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う
。
そ
こ
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人
は
パ
リ
に
至
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た
が
、
パ
リ
で
は
五
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助
︵
友
厚
︶
、
寺
嶋
宗
則
、
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有
礼
ら
と
会
い
、
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ル
ギ
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の
ブ
リ
ュ
ッ
セ
ル
に
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か
っ
た
。
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リ
ュ
ッ
セ
ル
ま
で
は
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ン
の
書
籍
商
︵
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kooper
西
周
と
津
田
真
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ッ
セ
リ
ン
グ
か
ら
ど
う
い
う
教
科
を
学
ん
だ
Phi
l
os
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e
か
は
、
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科
学
習
に
関
す
る
フ
ィ
ッ
セ
リ
ン
グ
の
覚
書
に
そ
の
概
要
が
も
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
の
学
術
を
移
入
す
る
必
要
を
感
じ
て
、
江
戸
に
学
︶
フ
ァ
ン
・
サ
ン
テ
ン
が
同
︵
一
一
六
︶
福沢諭吉と西周の留学体験 (安酸)
千
右
大 本 大 八
学 書 学 百
士 ト 士 六
十
違
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ナ ス 年
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ホ シ
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フ
ッ 月
マ
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ン
リ 六
ン 日
自
グ
署
自
署
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一
一
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︶
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数
件
之
ヲ
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ス
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ハ
ニ
他
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是
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加
ヘ
ン
ト
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余
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聞
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ナ ヲ ヲ 深 シ 識 チ ー ウ
ハ
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余
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グ レ
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自
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ナ
ル
ム
12
8
此
学
ニ
属
ス
ル
学
科
五
余
思
ハ
ク
ハ
津
田
真
一
郎
西
周
助
君
ノ
来
志
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其
所
望
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応
ス
ル
ニ
ハ
治
国
学
ノ
原
始
ヲ
授
ル
ヲ
以
テ
至
当
ト
ス
津
田
真
一
郎
、
西
周
助
両
君
ニ
業
ヲ
授
ル
ニ
就
テ
ノ
書
付
北海学園大学人文論集
に
聞
か
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て
欲
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い
。
얧
お
お
む
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こ
う
い
う
趣
旨
で
あ
る
。
た
と
き
は
、
い
つ
で
も
こ
れ
を
中
止
す
る
こ
と
は
自
の
休
日
以
外
は
毎
週
二
昼
夜
、
自
宅
理
解
し
て
も
ら
う
こ
と
に
す
る
。
し
か
し
こ
の
五
教
科
を
習
得
す
る
た
め
に
は
、
ほ
ぼ
二
年
を
要
す
る
し
、
そ
も
そ
も
こ
れ
を
学
ぶ
た
め
に
︶
に
つ
い
て
講
義
す
る
こ
と
に
し
た
い
。
そ
こ
で
最
初
に
五
教
科
の
講
義
の
要
点
を
簡
明
に
示
し
て
、
両
名
に
そ
の
旨
趣
を
第 第
四 二
に に
制 万
産 国
之
学 法
之
︵ 学
経 ︵
済 国
学 際
︶
︵
法
︶
︵
︶
、
第
五
に
政
表
之
学
︵
統
計
学
︶
︵
︶
、
第
三
に
国
法
之
学
︵
︶
の
根
本
を
教
授
す
る
こ
と
が
肝
要
と
え
、
具
体
的
に
は
、
第
一
に
性
法
之
学
︵
法
哲
学
︶
︵
︶
、 ︶
、
フ
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ッ
セ
リ
ン
グ
は
津
田
と
西
両
名
が
来
学
し
た
志
と
希
望
と
そ
の
意
志
に
答
え
る
た
め
に
は
、
広
義
の
政
治
学
︵
St
aat
s
wet
ens
-
12
7
は
、
オ
ラ
ン
ダ
語
の
修
得
が
先
決
で
あ
る
。
講
義
は
今
年
の
十
月
な
い
し
十
一
月
か
ら
開
始
し
、
学
dekenni
svanhetNat
uur
egt
の
自
由
で
あ
る
。
以
上
の
条
件
を
受
け
入
れ
る
か
ど
う
か
、
あ
る
い
は
別
の
条
項
を
に
て
教
え
よ
う
と
思
う
。
だ
が
、
も
し
教
え
て
み
て
こ
れ
は
無
駄
だ
と
判
断
し
た
と
き
、
あ
る
い
は
他
の
理
由
で
講
義
を
中
止
し
た
い
と
思
っ
chappen
加
え
た
い
か
、
自
dekenni
svanhetSt
aat
s
r
egt
얧
、
洋
書
調
所
の
精
鋭
二
名
が
ラ
イ
デ
ン
ラ
ン フ
ト ィ
の ッ
世 セ
紀27リ
と ン
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わ が
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る 授
オ し
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ン 学
ダ 問
の は
全 、
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は も
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去 の
り 欧
、 米
オ の
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ン 先
ダ 端
は の
英 学
、 問
仏 と
、 は
独 言
、 え
米 な
な か
ど っ
に た
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始 い
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い 얧
た
の レ
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、 ブ
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svanhetVol
kenr
egt
蘭
語
は
も
は
や
欧
米
の
最
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の
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識
や
情
報
を
学
ぶ
の
に
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適
の
言
語
で
は
な
く
な
っ
て
い
た
dekenni
svan
大
学
の
こ
の
国
民
経
済
学
・
統
計
学
教
授
か
ら
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取
し
た
学
問
は
、
ま
さ
に
近
代
日
本
の
哲
学
や
諸
学
問
の
基
礎
と
な
る
の
で
あ
る
。
黒
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svandeSt
aat
s
hui
s
houdkunde
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来
に
よ
っ
て
二
六
〇
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の
鎖
国
と
い
う
眠
り
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目
覚
め
た
ば
か
り
の
日
本
に
あ
っ
て
、
実
用
的
技
術
︵
軍
艦
の
操
縦
技
術
な
ど
︶
節 の
団 修
得
を
目
的
と
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た
榎
本
武
揚
や
沢
太
郎
左
衛
門
な
ど
に
混
じ
っ
て
、
欧
米
の
学
術
や
制
度
の
修
得
を
第
一
義
と
す
る
留
学
生
二
名
が
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i
s
t
i
ek
の
中
に
加
わ
っ
て
い
た
意
味
は
、
き
わ
め
て
大
き
い
と
言
わ
ざ
る
を
得
な
い
。
第 60号(20
16年3月)
津
田
真
一
郎
反
쐍
訳26
︶
︵
一
一
八
︶
福沢諭吉と西周の留学体験 (安酸)
い
っ
て
も
、
別
に
西
を
標
的
に
し
た
も
の
で
は
な
い
が
︶
福
沢
で
あ
る
。
福
沢
は
驚
異
的
な
ベ
ス
ト
・
セ
ラ
ー
と
な
っ
た
︵
一
一
九
︶
学
問
の
す
ゝ
め
た
わ
け
で
は
な
い
。
わ
れ
わ
れ
の
関
心
を
引
く
の
は
、
学
者
の
職
を
め
ぐ
る
両
者
の
立
場
の
違
い
で
あ
る
。
論
争
を
仕
掛
け
た
の
は
︵
と
長
に
福
沢
が
選
ば
れ
、
第
二
代
会
長
を
西
が
引
き
継
い
だ
こ
と
に
も
よ
く
示
さ
れ
て
い
る
。
し
か
し
こ
の
二
人
の
間
に
対
立
・
論
争
が
な
か
っ
福
沢
諭
吉
と
西
周
は
生
涯
友
好
関
係
を
保
ち
、
こ
の
こ
と
は
一
八
七
九
年
︵
明
治
一
二
年
︶
一
月
に
設
立
さ
れ
た
日
本
学
士
院
の
初
代
会
的
で
革
新
的
な
の
が
福
沢
諭
吉
と
西
村
茂
樹
、
そ
し
て
西
周
は
つ
ね
に
そ
の
中
間
的
立
場
を
取
っ
て
い
た
。
に
な
っ
た
の
で
あ
る
。
そ
の
主
だ
っ
た
論
客
の
思
想
傾
向
を
色
け
す
る
と
、
最
も
保
守
的
で
政
府
寄
り
な
の
が
加
藤
博
之
、
最
も
反
政
府
と
思
想
的
に
も
政
治
的
に
も
か
な
り
の
温
度
差
が
あ
っ
た
。
そ
れ
が
現
実
の
時
局
的
問
題
を
め
ぐ
っ
て
、
や
が
て
発
展
的
対
立
を
見
る
こ
と
と
な
っ
て
し
ま
っ
た
。
明
六
社
に
集
っ
た
上
記
の
面
々
は
、
開
成
所
グ
ル
ー
プ
と
翻
訳
方
グ
ル
ー
プ
の
混
成
よ
り
な
っ
て
お
り
、
も
と
も
る
。
し
か
し
こ
の
雑
誌
は
政
府
の
言
論
弾
圧
で
、
一
八
七
五
年
︵
明
治
八
年
︶
一
一
月
に
は
廃
刊
と
な
り
、
明
六
社
の
活
動
も
尻
す
ぼ
み
い
て
啓
蒙
思
想
を
鼓
吹
し
た
。
毎
号
三
千
数
百
部
が
刷
ら
れ
た
と
い
う
か
ら
、
当
時
の
雑
誌
と
し
て
は
大
変
な
部
数
で
あ
っ
た
こ
と
が
わ
か
12
6
団
体
で
あ
り
、
一
八
七
四
年
︵
明
治
七
年
︶
三
月
か
ら
機
関
誌
明
六
雑
誌
を
刊
行
し
て
、
政
治
・
経
済
・
宗
教
な
ど
様
々
な
問
題
に
つ
あ
っ
て
、
西
周
、
西
村
茂
樹
、
福
沢
諭
吉
、
津
田
真
道
、
加
藤
弘
之
、
箕
作
麟
祥
ら
が
そ
の
同
人
と
な
っ
た
。
こ
れ
は
わ
が
国
最
初
の
学
術
明 諸 写 西
学
明 六 問 ノ が
六 社 の ー 京
ト 都
社
と 意 か 四
と い 義 ら 条
は わ と 興 大
す れ 位 し 宮
な る 置 た 西
入
わ 結 づ
ち 社 け 百
、 が を 一 雀
一 日 、 新 寺
八 本 当 論 の
七 の 時 ︵ 私
三 近 の 明 塾
年 代 好 治 で
︵ 化 学 七 講
明 に の 年 義
治 果 青 三 し
六 た 年 月 た
年 し た 刊 内
︶ た ち 行28容
欧 役 に ︶ を
米 割 い は 、
視 と ち 、 の
察 、 早
ち
か そ く 人 に
ら こ 伝 文 受
帰 に え 科 講
国 お た 学 生
し け も ︵ の
た る の29そ 会
の 津
森 西
有 の と 中 藩
礼 働 し 心 士
の き て と 山
呼 も 、 し 本
び ま 今 て 覚
か た で の 馬
け 忘 も 哲 ︵
に れ そ 学 新
よ る の ︶ 島
っ こ 意 を 襄
て と 義 先 の
結 が を 頭 妻
成 で 失 に 八
さ き っ 立 重
れ な て て の
た い い て 兄
結 。 な の ︶
い 西 の
社
。 洋 筆
で
明
治
の
そ
の
時
代
に
っ
て
み
れ
ば
、
西
が
果
た
し
た
役
割
は
福
沢
と
肩
を
並
べ
る
も
の
で
あ
る
。
帰
国
後
の
一
八
六
七
年
︵
慶
応
三
年
︶
、
国
民
的
人
気
を
博
し
た
福
沢
諭
吉
と
異
な
っ
て
、
西
周
の
著
作
活
動
は
今
日
の
わ
れ
わ
れ
に
は
馴
染
み
が
薄
い
も
の
と
な
っ
て
い
る
が
、
北海学園大学人文論集
く
と
言
わ
ざ
る
を
得
な
い
。
福
沢
の
よ
う
な
私
塾
を
欲
し
て
、
一
時
期
そ
れ
を
試
し
た
こ
と
も
あ
っ
た
が
、
西
は
基
本
的
に
は
幕
府
並
び
に
の 沢 の
福 極 に 客
沢 端 嚙 に
の す み 媚
ぎ つ び
学 る い る
者 点 た
の を が よ
職 諫 、 う
め 森 な
を た も も
論 。 官 の
ず そ の だ
れ 立 と
に で 場 貶
対 は か さ
し 西 ら れ
て は 柔 て
、 福 ら は
西 沢 か 、
は の な 洋
問 批 行
非 題 判 帰
学 提 を り
者 起 加 の
職 に え 旧
ど た31幕
論 の 。 臣
よ 一 た
を う 方 ち
も な 、 も
っ 反 津 黙
て 応 田 っ
応 を は て
じ 示 基 お
て し 本 れ
い た 的 な
る の に か
が で 福 っ
、 あ 沢 た
そ ろ の で
の う 主 あ
主 か 張 ろ
張 。 に う
賛 。
は
成 加
い
し 藤
さ
な は
さ
が 真
か
ら っ
精
、 先
彩
福 に
を
沢 福
欠
こ
れ
に
対
し
て
、
明
六
社
の
同
人
た
ち
も
口
を
開
い
て
反
撃
せ
ざ
る
を
得
な
か
っ
た
。
世
の
洋
学
者
は
お
し
な
べ
て
あ
た
か
も
娼
妓
て
は
な
ら
な
い
。
福
沢
は
大
要
以
上
の
よ
う
な
き
わ
め
て
急
進
的
か
つ
批
判
的
な
言
説
を
説
い
た
の
で
あ
る
。
在
し
な
い
と
言
っ
て
も
よ
い
。
そ
れ
ゆ
え
、
人
民
の
気
風
を
一
新
し
て
文
明
を
開
化
す
る
た
め
に
は
、
今
日
の
洋
学
者
の
や
り
方
に
依
拠
し
第 60号(20
16年3月)
称 と
誉 え
し ば
て 、
そ 新
の 聞
実 紙
に の
過 面
ぎ を
、 見
あ れ
た ば
か 政
も 府
娼 の
妓 忌
の 諱
客 に
に 触
媚 る
び る
る こ
が と
如 は
し30絶
。 え
要 て
す 載
る せ
に ざ
、 る
わ の
が み
国 な
は ら
政 ず
府 、
の 官
み に
存 一
在 毫
し の
て 美
い 事
て あ
、 れ
ま ば
だ 慢
国 に
民 こ
は れ
存 を
12
5
官
を
慕
い
官
を
頼
み
、
官
を
恐
れ
官
に
諂
い
、
毫
も
独
立
の
丹
心
を
発
露
す
る
者
な
く
し
て
、
そ
の
醜
体
見
る
に
忍
び
ざ
る
こ
と
な
り
。
た
ざ
る
も
の
と
思
い
、
こ
れ
に
依
頼
し
て
宿
昔
青
雲
の
志
を
遂
げ
ん
と
欲
す
る
の
み
。
こ
の
よ
う
に
し
て
、
世
の
人
心
益
々
そ
の
風
に
靡
き
、
た
だ
利
こ
れ
貪
る
の
た
め
の
み
に
非
ず
、
生
来
の
教
育
に
先
入
し
て
只
管
政
府
に
眼
を
着
し
、
政
府
に
非
ざ
れ
ば
決
し
て
事
を
な
す
べ
か
ら
で
駄
目
で
あ
る
。
彼
ら
は
お
お
む
ね
官
途
に
つ
い
て
、
私
事
︵
民
間
事
業
︶
に
携
わ
る
者
は
ご
く
か
で
あ
る
。
し
か
も
官
途
に
あ
る
者
は
、
に
依
ら
ず
民
間
で
事
を
行
な
う
必
要
が
あ
る
、
本
来
、
そ
の
任
に
当
た
る
べ
き
人
材
は
洋
学
者
を
措
い
て
他
に
な
い
が
、
こ
れ
が
ま
た
ま
る
め
る
た
め
に
は
、
人
民
の
無
気
力
を
一
掃
し
な
け
れ
ば
な
ら
な
い
が
、
政
府
の
命
令
や
指
導
に
よ
っ
て
は
が
あ
か
な
い
。
ぜ
ひ
と
も
、
官
け
れ
ば
な
ら
な
い
。
し
か
し
わ
が
国
で
は
、
明
治
維
新
以
来
、
政
府
は
専
制
、
人
民
は
無
気
力
が
続
い
て
い
る
。
わ
が
国
の
文
明
を
押
し
進
一
国
の
独
立
を
保
つ
た
め
に
は
、
政
府
に
内
的
エ
ネ
ル
ギ
ー
が
あ
り
、
人
民
に
も
ま
た
そ
の
エ
ネ
ル
ギ
ー
が
あ
っ
て
、
相
刺
激
し
合
わ
な
の
第
四
編
で
、
学
者
の
職
を
論
ず
と
い
う
主
題
に
つ
い
て
舌
鋒
鋭
い
持
論
を
展
開
し
た
。
︵
一
二
〇
︶
福沢諭吉と西周の留学体験 (安酸)
外
遊
か
ら
一
世
紀
半
が
経
っ
た
今
で
も
、
福
沢
と
西
は
近
代
留
学
︵
一
二
一
︶
に
画
然
た
る
刻
印
を
印
し
て
い
る
。
そ
れ
ゆ
え
、
近
代
日
本
の
留
学
制
度
・
技
術
を
検
証
し
、
そ
れ
を
わ
が
国
に
紹
介
す
る
と
と
も
に
、
そ
れ
を
摂
取
す
る
た
め
の
工
夫
を
さ
ま
ざ
ま
に
講
じ
た
。
彼
ら
の
欧
米
し
、
長
じ
て
蘭
学
を
学
び
、
や
が
て
英
学
を
身
に
つ
け
た
彼
ら
は
、
実
際
に
欧
米
に
留
学
す
る
機
会
を
も
ち
、
自
の
目
で
欧
米
の
文
物
・
彼
ら
の
思
想
形
成
に
と
っ
て
海
外
留
学
が
有
し
た
重
大
な
意
義
を
、
も
う
一
度
確
認
し
て
お
き
た
い
。
儒
教
的
価
値
観
の
な
か
で
自
己
形
成
も
あ
れ
、
わ
れ
わ
れ
は
こ
こ
で
、
幕
末
か
ら
明
治
の
三
十
年
代
に
か
け
て
、
福
沢
諭
吉
と
西
周
が
啓
蒙
思
想
家
と
し
て
果
た
し
た
役
割
と
、
位
相
を
変
え
て
再
び
現
れ
て
く
る
の
を
見
出
す
。
そ
れ
は
森
有
礼
と
新
島
襄
の
教
育
観
と
大
学
観
の
相
違
と
い
う
問
題
で
あ
る
。
そ
れ
は
と
こ
こ
に
は
学
問
研
究
や
思
想
活
動
を
め
ぐ
る
官
民
対
立
と
い
う
興
味
深
い
問
題
が
潜
ん
で
い
る
。
わ
れ
わ
れ
は
ま
も
な
く
、
こ
の
問
題
が
す
る
西
の
返
答
で
あ
る
。
だ
す
ぐ
に
官
を
辞
す
る
こ
と
は
で
き
な
い
が
、
い
ず
れ
近
い
う
ち
に
福
沢
先
生
の
後
に
つ
い
て
行
き
た
い
。
こ
れ
が
福
沢
の
問
題
提
起
に
対
に
奉
仕
し
て
い
る
者
で
あ
る
が
、
余
人
を
も
っ
て
代
え
が
た
い
福
沢
先
生
の
高
邁
な
仕
事
ぶ
り
を
、
以
前
か
ら
久
し
く
尊
敬
し
て
い
る
。
ま
12
4
冠 府
に
を 給
掛 仕
る す
能 る
わ 者
ず 。
と も
い と
え よ
ど り
も 万
、 一
早 に
晩 補
ま な
さ き
に を
驥 知
尾 る
に ゆ
附 え
か に
ん 、
と
す32久
し
。 く
す 先
な 生
わ ︹
ち 福
、 沢
自 ︺
の
は 高
翻 風
訳 を
と 欽
い 慕
う す
取 。
る 今
に い
足 ま
ら だ
な 、
い に
仕 わ
事 か
で に
政 決
府 然
う
と
、
そ
の
持
ち
が
発
揮
で
き
る
場
で
活
躍
す
れ
ば
よ
い
の
で
は
な
い
か
。
た
だ
余
の
ご
と
き
は
、
い
さ
さ
か
翻
訳
の
小
技
を
も
っ
て
政
異
に
し
、
ま
た
志
趣
を
異
に
し
て
い
る
の
で
あ
っ
て
、
そ
れ
ゆ
え
洋
学
者
も
、
政
府
で
仕
事
を
し
て
い
よ
う
と
、
私
立
で
仕
事
を
し
て
い
よ
た
者
は
お
ら
ず
、
よ
う
や
く
研
究
も
緒
に
就
い
た
と
こ
ろ
な
の
で
、
あ
ま
り
結
果
を
急
ぎ
す
ぎ
て
は
な
ら
な
い
。
ひ
と
は
そ
れ
ぞ
れ
長
所
を
な
い
の
で
、
こ
れ
を
改
め
る
に
は
そ
れ
な
り
の
時
間
と
忍
耐
が
必
要
で
あ
る
。
わ
が
国
に
は
ま
だ
西
洋
の
学
術
の
蘊
奥
︵
奥
義
︶
を
究
め
を
展
開
す
る
。
す
な
わ
ち
、
政
府
の
専
制
、
人
民
の
無
気
力
と
い
う
指
摘
は
そ
の
通
り
だ
が
、
こ
の
事
態
は
一
朝
一
夕
に
生
じ
た
も
の
で
は
た
と
し
て
も
、
そ
れ
は
無
理
か
ら
ぬ
こ
と
で
あ
ろ
う
。
西
は
最
大
限
福
沢
の
主
張
の
真
理
契
機
を
認
め
つ
つ
、
し
か
も
つ
ぎ
の
よ
う
な
弁
明
明
治
政
府
の
官
職
に
つ
い
て
歩
ん
で
き
た
人
で
あ
る
。
そ
れ
ゆ
え
、
西
が
福
沢
と
同
じ
よ
う
な
私
学
人
の
立
場
に
は
全
面
的
に
立
て
な
か
っ
北海学園大学人文論集
14 13 12 11 10 9 8 7
石 前 前 前
附 掲 掲 掲
実 書 書 書
、 、 、
近 二 一 一
代 三 五 五
日 六 二 八
本 頁 頁 頁
の 。 。 。
海
外
留
学
中
文
庫
、
一
九
九
二
年
、
三
一
頁
。
前
掲
書
、
一
五
七
頁
。
前
掲
書
、
一
五
六
頁
。
前
掲
書
、
一
五
四
頁
。
前
掲
書
、
一
五
一
|
一
五
二
頁
。
久
元
年
︶
一
二
月
二
二
日
、
そ
の
あ
と
長
崎
に
寄
港
し
て
そ
こ
を
出
帆
し
た
の
は
、
翌
一
八
六
二
年
︵
文
久
二
年
︶
の
元
旦
の
こ
と
で
あ
っ
た
。
第 60号(20
16年3月)
6 5 4 3 2 1
福
沢
は
こ
の
よ
う
に
述
べ
て
い
る
が
、
前
掲
書
、
一
四
三
頁
。
前
掲
書
、
一
三
九
頁
。
前
掲
書
、
一
三
七
頁
。
前
掲
書
、
一
三
三
頁
。
福
沢
諭
吉
、
富
田
正
文
注
訂
新
訂
福
節
団
一
行
が
迎
え
の
イ
ギ
リ
ス
艦
オ
ー
デ
ィ
ン
号
に
乗
っ
て
品
川
を
後
に
し
た
の
は
、
一
八
六
一
年
︵
文
自
伝
岩
波
文
庫
、
二
〇
〇
八
年
、
一
二
〇
|
一
二
一
頁
。
12
3
*
本
稿
は
、
平
成
二
十
六
年
度
北
海
学
園
学
術
研
究
助
成
︵
共
同
研
究
︶
の
成
果
の
一
端
で
あ
る
。
を
こ
の
二
人
か
ら
始
め
る
こ
と
は
お
お
む
ね
首
肯
さ
れ
る
で
あ
ろ
う
。
︵
一
二
二
︶
福沢諭吉と西周の留学体験 (
安酸)
27 26
︵
一
二
三
︶
研
ヨ 西 究
ハ 周 と
ン
伝
・ 五 記
ホ 科
イ 学 、
ジ 習 二
ン に 六
ガ 関 |
、 す 二
栗 る 七
原 フ 頁
福 ィ に
也 セ 再
訳 リ 録
ン さ
レ グ れ
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ブ 覚 い
ラ 書 る
。
ン
ト 、
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世 周
紀 全
集
얧
十 第
七 二
世 巻
紀 、
ネ 宗
ー 高
デ 書
ル 房
ラ 、
ン 一
ト 九
文 六
化 二
の 年
概 、
観 一
四
二
文 |
社 一
、 四
一 四
九 頁
六 。
八
年
参
照
。
25 2
4
こ
の
書
簡
の
全
文
は
板
沢
武
雄
に
よ
っ
て
オ
ラ
ン
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語
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ら
翻
訳
さ
れ
て
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り
、
大
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利
謙
津
田
真
道
の
著
作
と
そ
の
時
代
、
津
田
真
道
얧
宮
永
孝
、
前
掲
書
、
一
四
五
頁
参
照
。
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リ
、
余
此
時
ヨ
リ
知
ヲ
辱
ウ
シ
タ
リ
2
3
西
周
和
蘭
よ
り
帰
路
紀
行
西
周
全
と 集
述
べ 第
て 三
い 巻
る 、
。 三
六
〇
頁
参
照
。
西
は
こ
の
箇
所
で
パ
リ
で
会
っ
た
人
物
に
言
及
し
、
其
次
ハ
森
有
礼
君
を
提
供
し
て
く
れ
る
。
2
22
1
2
01
9
田
四
フ 宮 真 津 西 六
ィ 永 道 田 周 頁
ッ 孝
道
参
セ 、 얧 治 自 照
リ 前 研 著 伝 。
ン 掲 究
草
グ 書 と 津 稿
田
に 、 伝
つ 一 記 眞 、
道 二
い 三
て 四 み 東 七
は 頁 す 京 九
、 参 ず 閣 |
渡 照 書 、 二
邊 。 房 一 八
與
、 九 〇
五
一 四 頁
、
郎
九 〇 お
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| 頁
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一 、 ︵
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ン
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頁 び 伝
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参 宮 ︶
究
照 永 、
。 孝 七
文
五
化
〇
オ 、
書
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房
ン 五
博
ダ 三
文
に 頁
社
お 参
、
け 照
一
る 。
九
津
八
田
五
真
年
道
が
き
、
わ
大
め
久
て
保
詳
利
細
謙
な
編
情
報
津
12
2
1
8
1
7
1
6
九
巻
和
西 蘭 西 六 西 、
周
周 〇 は 宗
紀
年 津 高
行
自
自 、 田 書
伝
伝 一 真 房
草 西 草 三 道 、
稿 周 稿 頁 稿 一
九
、 全 、 ︶
、 本 六
二 集 植
〇
七
手 百 性
二 第 通 一 理 年
| 三 有 新 論 、
八
二 巻 編 論
の 頁
七 、
六 宗 西 で 跋 所
頁 高 周 は 文 収
、 書 ・ そ で の
お 房 加 れ は
よ 、 藤 を 、 岡
フ
び 一 弘
九 之 哲 ィ 次
西 六 ︵ 学 ロ 郎
家 六 中
ソ 宛
譜 年
と フ て
略 、 バ 称 ィ の
︵ 三
し ア 書
自 四 ッ て を 翰
ク
叙 四
と
い
伝 頁 ス る 希 微
世
︶ 参
妙
界 ︵ 哲
照 の 前 学 な
西 。
相
名 掲 と 違
周
著 書 訳 が
全
3
4、
集
み
︶ 二 し
第
中 八 て ら
三
央 九 い れ
頁 る る
巻
が が
、
論 ︶
。 ︵ 、
宗
社
こ
高
、
西 こ
書
一
周 で
房
九
全 は
、
八
集 鷗
一
四
九
年
第 外
六
、
一 の
六
二
巻 西
年
七
、 周
、
一
宗 伝
七
頁
高 に
四
、
書 従
〇
お
房
|
よ
、 っ
七
び
一 た
。
1
5
文
久
二
年
五
月
一
五
日
の
西
周
の
手
書
き
メ
モ
。
森
鷗
外
西
周
伝
、
鷗
外
全
集
岩
波
書
店
、
第
三
巻
、
七
五
頁
所
収
。
西
周
全
集
第
一
★
作
字
★
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
3
23
13
02
9
西 森 福
周 有 澤
礼 諭
非
吉
学 学
者 者 学
職 職 問
の
論 論 す
す
、 の
評 め
西 、
周
岩
全 森 波
集 有 文
礼 庫
第 全 、
三 集 二
巻
〇
、 第 〇
二 一 八
三 巻 年
九 、 、
頁 宜 四
。 文 六
堂 |
書 四
店 七
、 頁
一 。
九
七
二
年
、
二
三
三
|
二
三
四
頁
参
照
。
周
2
8
清
西
水 百 周
多 一 の
吉 新
論 百
一
西
周 中 新
論
얧 文
兵 庫 の
馬 、 成
の 二 立
権 〇 の
は 一 由
来
い
と
ず 三
年
こ を 、
に 参 私
あ 照 塾
り さ で
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や
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︵ た 義
ミ い を
ネ 。 書
ル
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日
た
本
山
評
本
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選
馬
︶
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人
ル
に
ヴ
つ
ァ
い
書
て
房
は
、
、
二
〇
本
一
〇
一
年
、
山
八
本
五
覚
頁
馬
。
얧
付
・
西
12
1
︵
一
二
四
︶
★逆ノンブル★
︵
五
五
︶
も
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に の
上 よ
梓 う
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て 中
翌 内
年 藤
七 は
月 上
に 高
は 地
第 に
八 滞
版 在
を し
数 、
え 小説
て 冷
お 炎
1
り쐍
︶
、 を
大 世
正 に
四 送
年 っ
七 た
月 の
二 で
日 あ
に る
は 。
第 自
五 叙
の 伝
著
書 生
に ひ
し 立
て ち
初 の
の 記
書 ︵
き 牧
下 民
ろ 社
し
大
惜 正
春 三
譜 年
︶
ル
プ
ス
を
訪
れ
る
人
が
増
加
し
た
こ
と
を
物
語
っ
て
い
る
。
槍
沢
小
屋
︵
大
正
六
年
︶
・
常
念
小
屋
︵
大
正
八
年
︶
・
殺
生
小
屋
︵
大
正
九
年
︶
等
の
山
小
屋
が
相
次
い
で
開
設
さ
れ
た
こ
と
は
、
日
本
ア
け
て
隆
盛
を
見
、
そ
の
後
一
般
の
登
山
者
が
増
加
し
て
広
く
知
ら
れ
る
と
こ
ろ
と
な
っ
た
。
大
正
四
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に
上
高
地
で
養
老
館
が
開
業
し
た
他
、
上
高
地
は
日
本
ア
ル
プ
ス
登
山
の
拠
点
と
し
て
知
ら
れ
て
い
る
が
、
日
本
ア
ル
プ
ス
は
探
険
登
山
が
明
治
四
〇
年
代
か
ら
大
正
二
年
に
か
山
す
る
。
内
藤
は
大
正
四
年
夏
に
上
高
地
に
足
を
運
ん
で
お
り
、
小説
冷
炎
に
は
そ
の
体
験
が
反
映
さ
れ
て
い
る
と
思
わ
れ
る
。
け
る
避
暑
生
活
を
描
い
た
も
の
で
あ
る
。
作
中
で
玉
川
は
半
月
余
り
を
上
高
地
で
過
ご
し
、
槍
ヶ
岳
︵
標
高
三
一
八
〇
メ
ー
ト
ル
︶
等
に
登
第
大 一
正 節
五
年 本
一 稿
一 の
月 目
二 的
八
日
に
京
橋
堂
よ
り
刊
行
さ
れ
た
内
藤
千
代
子
序
作
家
と
山
章
얧
内
藤
千
代
子
小説
冷
炎
を
例
と
し
て
小説
冷
炎
︵
写
真
①
︶
は
、
玉
川
和
子
と
い
う
作
家
の
上
高
地
に
お
仙
波
千
枝
19
0
★
▲
● ★
本
伏 文
せ 中
字 字
で 取
は り
な あ
く り
原 ★
稿
マ
マ
★
北海学園大学人文論集
夏
に
予
定
し
て
い
る
上
高
地
行
き
へ
の
同
行
を
勧
め
る
よ
う
に
な
っ
た
。
玉
川
は
川
島
を
嫌
っ
て
い
る
の
で
あ
る
が
、
山
好
き
の
和
子
は
そ
た
恋
人
純
一
の
友
人
川
島
に
偶
然
再
会
す
る
。
川
島
は
某
省
に
勤
務
し
既
に
結
婚
し
て
い
た
が
、
そ
の
後
何
度
か
玉
川
に
会
う
う
ち
に
そ
の
第
主 ま 二
人 ず 節
、
の 小説 小説
作 冷 冷
家 炎 炎
玉
川 の 概
和 概 略
子 略
は を
、 ま
大 と
正 め
四 て
年 お
四 き
3
月쐍
︶ た
に い
行 。
わ
れ
た
第
一
高
等
学
︵
以
下
一
高
、
同
生
徒
を
一
高
生
︶
の
紀
念
祭
で
亡
く
な
っ
の
一
つ
と
し
て
、
小説
冷
炎
で
い
か
な
る
魅
力
を
放
っ
た
の
か
と
い
う
視
点
か
ら
同
書
を
読
み
解
い
て
い
き
た
い
。
て
察
す
る
も
の
で
あ
る
。
若
者
の
世
界
を
描
い
て
き
た
内
藤
が
、
新
興
の
避
暑
地
上
高
地
を
舞
台
と
し
登
山
と
い
う
新
し
い
文
化
を
素
材
第 60号(20
16年3月)
本
稿
は
、
小説
冷
炎
の
執
筆
・
刊
行
の
背
景
を
明
ら
か
に
す
る
こ
と
を
通
し
、
山
へ
足
を
運
び
自
然
を
描
く
と
い
う
作
家
の
営
み
に
つ
い
写真① 小
(藤沢市
説冷炎 表紙
図書館所蔵)
合市民
は
そ
れ
を
記
し
槍
た
ヶ
著
嶽
書
と
鎗
い
ヶ
う
岳
こ
と
で
鎗
あ
ヶ
れ
嶽
ば
同
等
書
の
は
表
新
記
た
が
み 槍 な
ら ヶ 話
槍 れ 岳 題
を
ヶ る
正
四
年
八
月
一
日
︶
で
長
編
の
岳 が
、
の 本
表 稿
記 で
を は
用 引
い 用
る 文
こ 献
と は
と 原
す 典
る の
。 通
り
と
し
、
地
の
文
で
は
18
9
に
は
他
に
提
供
す
る
一
書
た
り
得
る
が
、
ど
う
で
あ
ろ
う
か
。
な
お
係
の
文
献
に
は
、
内
藤
を
日
本
婦
人
初
の
槍
ヶ
岳
登
頂
者
と
す
小説
冷 る
炎 も
の
が
散
見
さ
れ
る
。
内
藤
が
日
本
婦
人
初
の
槍
ヶ
岳
登
頂
者
で
家
と
し
て
躍
進
す
る
中
で
の
上
高
地
滞
在
で
あ
っ
た
。
ま
た
登
山
小説
︵
牧
民
社
︶
が
刊
行
さ
れ
、
さ
ら
に
毒
蛇 女
쐍
2 学
︶
の 世
連 界
載 第
が 一
始 五
ま 巻
る 第
な 八
ど 号
、 ︵
関 作 大
︵
五
六
︶
作家と山
に
も
同
様
の
広
告
が
掲
載
さ
れ
て
い
る
︵
読
売
新
聞
大
正
五
年
一
一
月
二
七
日
︶
。
し
か
し
小説
冷
炎
︵
五
七
︶
は
、
こ
れ
ら
の
広
告
か
ら
イ
メ
ー
蘊 み
な に
く 綴
抉 つ
出 て
せ 今
ら 冷
る 炎
。쐍
一
6
︶ 篇
と
謳 を
わ 成
れ し
て ぬ
お 其
り 舞
、 台
は
小説
何
冷 処
炎 ?
に 男
は は
内 誰
藤 ぞ
の ?
恋 彼
愛 の
遍 女
歴 が
が 味
綴 ひ
ら た
れ る
て す
い べ
る て
か の
の 恋
よ は
う 其
な の
印 優
象 婉
を な
与 る
え 才
る 筆
。 に
ま よ
た り
新 て
聞 余
小説
冷
炎
の
表
紙
に
は
大
き
な
赤
い
ハ
ー
ト
が
描
か
れ
、
女
学
世
界
に
掲
載
さ
れ
た
広
告
に
は
囚
は
れ
ざ
り
し
恋
愛
の
幾
つ
か
を
巧
る
こ
と
が
で
き
る
。
藤
の
心
情
を
も
表
し
て
い
る
と
言
え
よ
う
。
ま
た
女
流
作
家
の
語
の
用
は
初
め
て
で
、
こ
こ
に
も
内
藤
の
作
家
と
し
て
の
自
信
を
見
얨内藤千代子
名
が
売
れ
て
ゐ
て
原
稿
の
依
頼
人
も
始
終
あ
る
し
、
出
版
で
も
す
れ
ば
相
当
に
は
け
も
す
る
売
れ
っ
子
作
家
と
し
て
の
自
負
心
は
、
内
に か
馴 つ
れ が
て れ
了 る
へ と
ば 、
う 足
ら 元
若 の
い あ
身 ぶ
に な
不 い
似 や
合 う
な な
先 気
生 恥
称 し
を い
う や
け う
て な
も 腹
平 立
気 た
で し
ゐ さ
た と
5 迷
。쐍
︶
惑
と
を
覚
え
て
心
苦
し
か
つ
た
が
、
い
つ
と
は
な
し
小
説冷炎
つ
て
ゐ
な
い
。
生
意
気
で
無
学
な
意
地
つ
張
の
仕
末
に
な
ら
ぬ
女
だ
ぐ
ら
ゐ
万
々
承
知
し
て
ゐ
る
。
そ
れ
だ
の
に
余
り
わ
つ
し
よ
い
〳
〵
18
8
け
も
す
る
。
つ
ま
り
低
級
だ
か
ら
万
人
向
が
す
る
の
た
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云
へ
ば
云
は
れ
る
。
和
子
は
我
な
が
ら
自
を
決
し
て
偉
い
人
間
だ
と
は
思
を例として (仙波)
を
書
い
た
こ
と
も
な
い
が
、
不
思
議
と
わ
り
あ
ひ
に
名
が
売
れ
て
ゐ
て
原
稿
の
依
頼
人
も
始
終
あ
る
し
、
出
版
で
も
す
れ
ば
相
当
に
は
和
子
の
職
業
は
所
謂
女
流
作
家
と
い
ふ
も
の
で
︵
中
略
︶
大
し
た
頭
脳
も
な
け
れ
ば
手
腕
も
な
く
取
立
て
ゝ
こ
れ
と
云
ふ
ほ
ど
の
物
玉
川
は
、
次
の
よ
う
な
女
で
あ
る
。
〇
ペ
ー
ジ
で
あ
る
が
、
巻
末
に
書
簡
集
夢
の
花
片
が
付
さ
れ
、
全
三
一
七
ペ
ー
ジ
で
一
冊
七
五
銭
で
あ
っ
た
。
な
姿
が
対
照
的
で
あ
る
。
玉
川
は
上
高
地
温
泉
に
滞
在
し
、
他
の
滞
在
客
と
わ
し
た
会
話
も
描
か
れ
て
い
る
。
な
お
小説
冷
炎
は
全
二
六
田
代
沼
な
ど
も
詳
細
に
描
か
れ
、
徳
本
峠
越
え
の
場
面
で
は
植
物
の
鮮
や
か
な
描
写
と
苦
し
さ
か
ら
不
平
を
連
発
す
る
玉
川
の
ユ
ー
モ
ラ
ス
寄
っ
た
後
帰
京
し
、
小
説
は
約
一
年
後
に
玉
川
が
詠
ん
だ
歌
で
締
め
く
く
ら
れ
て
い
る
。
上
高
地
に
至
る
ま
で
に
見
聞
し
た
風
物
や
梓
川
・
れ
に
は
い
た
く
心
を
惹
か
れ
て
쐍
4
︶
同
行
を
決
め
た
。
そ
し
て
上
高
地
滞
在
中
に
槍
ヶ
岳
・
焼
岳
・
穂
高
岳
に
登
山
し
、
本
の
花
街
に
立
ち
北海学園大学人文論集
少
女 橋
詰
と は
紹
介 小説
し 冷
た 炎
が
︵ で
大 は
正 橋
元 本
年 と
一 な
一 っ
月 て
一 お
七 り
∼ 、
二 玉
六 川
日 の
知
全 己
九 と
回 い
う
尾 設
竹 定
紅 で
吉 あ
と る
内 。
藤
を 大
紹 阪
介 毎
し 日
た 新
記 聞
事
で は
尾 大
竹 正
の 元
年
を に
含 内
む 藤
を
︶
、
そ
の の
さ
う
な
男
こ
の
佐
内
쐍
15が
︶
で 佐
島 山
々 平
の 内
言 の
葉 モ
で デ
話 ル
し で
、 あ
玉 ろ
川 う
を 。
槍 小説
ヶ 冷
岳 炎
と
穂 に
高 登
岳 場
に す
案 る
内 佐
し 山
た は
。 、
丸
々
と
し
た
顔
の
、
日
に
焼
け
て
赤
く
光
つ
た
人
の
よ
さ
淵
の
佐
内
内
人
に
つ
い
て
は
、
横
山
篤
美
が
記
述
さ
れ
て
お
1
4
り쐍
︶
、 上
佐 高
内 地
と 物
い 語
う
名 얧
字 そ
は の
あ 歴
ま
り と
な 自
く 然
地
名 ︵
か 山
ら と
見 渓
て 谷
も 社
両
者 昭
は 和
同 五
一 六
人 年
物 ︶
で に
あ
る 島
と 々
思 駅
わ 近
れ く
、 の
お 佐
そ 内
ら
く 前
日
新 小説
聞 冷
炎
記
者 で
橋 島
詰 々
せ か
み ら
郎 玉
︵ 川
本 ら
名 を
良 上
一 高
︶ 地
が に
上 案
条 内
嘉 し
門 、
次 登
を 山
取 に
材 も
し 同
た 行
際 し
の た
の
案 は
内 佐
者 山
の 平
佐 内
内 と
쐍
1
3
︶ い
と う
同 案
一 内
人 人
物 で
で 、
あ 同
る 年
。 七
佐 月
内 に
と
い 大
う 阪
案 毎
第 60号(20
16年3月)
炎 藤
の
の 作
結 品
末 に
に 登
描 場
か す
れ る
て 作
い 家
る の
の 恋
は 人
、 の
恋 モ
愛 デ
へ ル
の が
取
銷 り
し 沙
た 汰
る さ
れ
心 る
情 な
で ど
あ 、
っ 内
た 藤
の に
で は
あ 恋
る 多
。 き
作
家
の
イ
メ
ー
ジ
が
あ
っ
た
。
し
か
し
よ
う
な
恋
愛
へ
の
冷
め
た
思
い
に
よ
る
。
青
年
と
の
流
を
華
や
か
に
描
き
、
指
導
者
河
岡
潮
風
と
の
恋
愛
が
話
題
に
上
り
、
そ
の
後
小説 も
冷 内
18
7
で を 発 玉 へ
、 告
冷 旅 げ 前 川 ん 玉
炎 の た に は い 川
玉 、 ぢ に
と 終 。 川 克 ら は
い わ し は 巳 し 、
う り か 少 へ く 克
書 に し な の 濃 巳
名 至 玉 く 思 や ︵
は っ 川 と い か 克
、 て は も を な 己
情 ︶
巻 も 克 今
巳
見 緒 と
末
少
い
の 都 の し す を う
へ こ
〳 持
銷 近 と 自 〵 つ 学
し づ が
自 や 生
の
た く 忘 が
う
る に れ 立 の に 恋
に つ ら 派 魂 な 人
叩 れ れ な を つ が
く て ず も 人 て い
は 和 上 の に 、 た
た 子 高 に 奪 物 。
ぞ は 地 な ら の 克
や つ で る れ 見 巳
ま る 方 と
胸 く
の
쐍
8 も
の 〴 毎 で
︶
扉 〵 日 は と ち 出
を 克 〳 、 感 が 会
去 巳 〵 顔 じ つ い
に が あ を 、 て は
ま 恋 て 合 耐 来 、
せ し も せ え た 和
こ か な や 難 。쐍
7 子
ゝ つ い う く と︶ も
は た 克 と な い 胸
巳 は っ う に
魔 。쐍
11
女 の︶ か 思 た 変 克
の で ら つ の 化 巳
の て で を と
棲
ゐ あ
処 あ 手 な
玉 い
っ
ぞ
る
紙
川 ふ
い
た
쐍
12
を 。 。 に 俤
︶ 。
쐍
9 苦
と
期
も 人
︶
い
待 と 悩 た の
う
し 決 の ら 生
歌
て め 末 し れ
ゐ 克 、 た て
に
る 巳 上 。 か
見
쐍
1
0に 高 し ら
ら
︶
状 別 地 か 、
れ
態 れ 出 し 大
る
ジ
さ
れ
る
も
の
と
は
全
く
異
な
る
内
容
で
あ
っ
た
。
︵
五
八
︶
作家と山
︵
五
九
︶
た
。
そ
の
後
玉
川
は
、
夕
食
も
翌
日
の
朝
食
・
昼
食
も
ほ
と
ん
ど
口
に
し
な
い
ま
ま
翌
日
午
後
二
時
半
ご
ろ
上
高
地
へ
帰
着
し
た
の
で
あ
る
。
人
が
設
置
し
、
阿
弥
陀
仏
、
観
世
音
菩
薩
、
文
殊
菩
薩
、
釈
混
乱
と
云
は
う
か
美
観
と
云
は
う
か
と
応
え
、
槍
の
肩
か
ら
二
三
か
け
て
頂
上
に
到
達
し
た
。
そ
し
て
山
頂
で
玉
川
は
、
睡
魔
と
闘
い
な
が
ら
周
囲
の
쐍
20
︶
と
い
う
景
観
に
驚
嘆
牟 し
尼 、
仏 川
が 島
安 は
置 ノ
さ ー
れ ト
て
い を
引
2
1
る쐍
︶ つ
︶
に 裂
納 い
め た
た 紙
。쐍
片
2
2
︶
後 に
坊 記
主 名
小 し
屋 て
ま 宮
︵
で 筆
戻 者
っ 注
て *
泊 播
ま 隆
っ 上
雄
大
と
云
は
う
か
、
얨内藤千代子
を
も
表
し
て
い
る
と
言
え
よ
た
う
た
。
め
そ
、
し
て
い
こ
つ
こ
そ
で
今
の
一
会
奮
話
発
は
の
、
し
玉
た
川
ら
に
ど
槍
う
ヶ
だ
岳
엊
登
山
と
を
い
促
う
す
川
も
島
の
の
と
提
し
案
て
に
位
玉
置
川
づ
が
け
ら
行
れ
か
て
う
い
ぢ
る
や
な ま 。
い だ
の 太
쐍
1
9陽
︶
は
青
空
に
高
く
輝
い
て
ゐ
槍
ヶ
岳
登
山
に
は
、
玉
川
は
川
島
と
佐
山
と
共
に
出
発
し
、
坊
主
小
屋
︵
標
高
二
五
六
〇
メ
ー
ト
ル
付
近
︶
に
到
着
し
た
際
小
説冷炎
と て 暖
思 ゐ か
ふ た さ
う
と 。쐍
1
7
、 と︶ な
一
毛
種 描 皮
の い の
尊 て 袖
敬 い 無
の る し
念 。 を
が ま 着
加 た 、
は 日 笑
つ 本 ふ
て ア と
和 ル 眼
子 プ の
は ス 細
真 の い
摯 名 、
な と 口
態 共 の
度 に 耳
を 日 ま
く 本 で
づ 人 裂
さ よ け
な り た
か 外 や
つ 国 う
た 人 な
。쐍
18の 、
︶
と 間 憎
す に 気
る 古 は
玉 く な
川 か い
の ら が
上 広 ビ
条 く リ
へ 知 ケ
の ら ン
敬 れ そ
意 て つ
は ゐ く
、 る り
内 山 の
藤 の 顔
の 元 立
心 老 を
情 だ し
18
6
を例として (仙波)
担 歳
が で
︵
な 大
か 正
っ 六
た
反 年
一
1
6
面쐍
︶
、 〇
来 月
訪 二
者 六
は 日
誰 六
で 九
も 歳
快 で
く 死
迎 去
え ︶
、
入 他
れ の
る 案
と 内
い 人
う の
人 日
懐 当
こ が
い 一
一 円
面 五
も 〇
あ 銭
っ で
た あ
。 っ
内 た
藤 と
は こ
上 ろ
条 上
を 条
、 は
紺 二
の 円
股 で
引 し
筒 か
袖 も
の 荷
上 物
に を
訪
れ
て
お
り
、
内
藤
も
お
そ
ら
く
そ
う
し
た
と
思
わ
れ
る
。
ウ
ェ
ス
ト
ン
の
案
内
人
を
務
め
た
こ
と
で
著
名
に
な
っ
た
上
条
は
こ
の
時
六
六
上
条
嘉
門
次
は
、
日
本
ア
ル
プ
ス
に
つ
い
て
語
る
上
で
欠
か
せ
な
い
存
在
で
あ
っ
た
と
言
え
よ
う
。
小説
冷
炎
で
玉
川
は
上
条
の
小
屋
を
と
い
ふ
案
内
者
の
佐
内
か
ら
聞
い
た
山
の
ロ
ー
マ
ン
ス
を
紹
介
し
て
い
る
。
岳 の
こ
第 の
一 記
〇 事
年 は
第 、
三 加
号 筆
︵ 修
大 正
正 後
五
年 山
五 岳
月 第
一 一
五 〇
日 年
︶ 第
雑 二
報 号
︵
欄 大
で 正
、 四
年
嶋 一
々 二
の 月
宿 二
の 七
薄 日
暗 ︶
い
ラ 雑
ン 報
プ 欄
の に
蔭 も
で 掲
、 載
明 さ
日 れ
は た
私 。
の ま
荷 た
物 橋
を 詰
持 は
た
う 山
六
日
の
三
回
に
わ
た
っ
て
上
条
を
日
本
ア
ル
プ
ス
の
仙
人
爺
中
央
ア
ル
プ
ス
の
生
字
引
と
紹
介
し
た
。
な
お
上
条
に
取
材
し
た
橋
詰
記
事
の
執
筆
者
が
橋
詰
で
あ
っ
た
。
橋
詰
は
上
高
地
を
神
高
内
と
記
し
、
名
物
の
嘉
門
次
を
訪
ふ
と
題
し
て
大
正
四
年
七
月
一
四
∼
一
北海学園大学人文論集
た
。
ほ
ん
と
う
に
雄
々
し
い
方
で
ゐ
ら
つ
し
や
い
ま
す
ね
。
ス
へ
女
千
代 に 学
子 は 世
様 次 界
の の の
よ
日 う 誌
本 な 友
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ル 想 楽
プ が 部
ス 寄
へ せ 欄
ら ︵
は れ 筆
ほ て 者
ん い 注
と る *
う 。 投
書
に
欄
面
︶
白
に
く
は
〳
〵
小説
拝
冷
見
炎
い
た
に
し
対
ま
す
し
る
た
読
わ
者
。
の
急
反
に
応
私
は
も
み
一
ら
度
れ
登
な
つ
い
て
が
見
、
た
日
う
本
な
ア
り
ル
ま
プ
し
に
登
頂
す
る
と
い
う
内
容
で
あ
る
。
れ
る
こ
と
が
女 多
学 い
世 が
界 、
内
に 藤
も の
人
日 気
本 が
ア 高
ル ま
プ っ
ス て
へ い
엊 た
か
と ら
題 こ
し そ
た な
作 し
品 得
︵ た
全 も
三 の
回 で
︶ あ
が る
掲 と
載 言
さ え
2
8よ
れ쐍
︶
、 う
友 。
人 な
兄 お
妹 内
と 藤
上 が
高 寄
地 書
を 家
訪 と
れ し
槍 て
ヶ 活
岳 躍
し
て
い
た
小説
冷
炎
で
内
藤
は
、
作
家
玉
川
和
子
の
避
暑
地
暮
ら
し
を
描
い
た
。
内
藤
の
作
品
は
内
藤
自
身
が
主
人
で
あ
る
と
と
ら
え
ら
れ
読
ま
第 60号(20
16年3月)
た で に
い 玉 足
쐍
2
7川 を
︶
と は 踏
妹 、 み
の 芸 入
よ 妓 れ
う に た
な は こ
感 嫌 と
情 悪 を
を 感 記
抱 を し
い 抱 て
て い お
い た り
る も 、
。 の 話
の 題
、 と
半 な
玉 っ
の た
嘉 尾
代 竹
に 紅
は 吉
ら
東 青
京
へ 社
帰 社
つ 員
の
た 吉
ら 原
何 登
か 楼
よ を
ろ 意
こ 識
び し
さ て
う い
な る
も と
の 言
を え
送 よ
つ う
て 。
や こ
り こ
18
5
ま
た
何 本
ん の
の 花
か 町
ん へ
の の
う 立
る 寄
さ り
い は
け 川
れ 島
ど の
⋮ 発
⋮ 案
信 に
州 よ
辺 る
な も
ら の
か で
ま 、
は 玉
な 川
い は
わ
。쐍
大
26
︶ い
と
の に
言 廓
葉 の
を 情
口 趣
に を
し 味
て は
い つ
る て
。 来
内 ま
藤 せ
は う
、
惜 ほ
春 ゝ
譜 ゝ
。
で 東
も 京
吉 だ
原 と
岳
で
あ
る
と
思
わ
れ
る
。
く
は
な
く
、
そ
の
ま
ゝ
脊
梁
伝
ひ
に
前
穂
高
や
中
穂
高
の
方
へ
も
行
け
る
や
う
に
な
つ
て
ゐ
る
た
。
穂
高
の
山
頂
の
様
子
を
内
藤
は
其
処
は
矢
張
り
風
雪
に
虐
げ
ら
れ
た
岩
角
と
ご
ろ
た
쐍
2
5石
︶
と の
描 堆
い 積
て で
お 、
り し
、 か
こ し
の 鎗
の
穂 穂
高 の
や
は う
明 に
神 狭
朝
は 上
あ 高
ん 地
ま に
り 滞
好 在
お す
天 る
気 こ
だ と
か 半
ら 月
穂 余
高 り
へ 、
行 玉
つ 川
て は
見 槍
な ヶ
い 岳
こ ・
と 焼
岳
。쐍
24
︶ 登
と 頂
穂 後
高 八
岳 月
登 半
山 ば
を に
思 一
い 旦
立 帰
っ 京
て を
足 決
を め
運 た
び も
、 の
そ の
の 、
翌 帰
日 京
上 の
高 日
地 の
を 朝
離
れ 今
上
高
地
を
出
発
し
た
日
の
う
ち
に
槍
ヶ
岳
頂
上
を
極
め
た
の
は
、
小
島
烏
水
鎗
ヶ
嶽
探
険
記
쐍
2
3
︶
と
同
様
で
あ
っ
た
。
︵
六
〇
︶
作家と山
︵
岡
村
精
一
訳
日
本
ア
ル
プ
ス
の
登
山
と
探
検
梓
書
房
昭
和
八
宣
教
師
と
し
て
神
戸
に
派
遣
さ
れ
た
ウ
ェ
ス
ト
ン
︵
山
の
装
備
や
方
法
を
詳
述
し
た
こ
と
は
、
人
々
の
目
を
登
山
に
開
か
せ
る
役
割
を
果
た
し
た
。
そ
し
て
明
治
二
一
年
に
イ
ギ
リ
ス
聖
豪 て
い
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者 、
、 志
最 賀
も 重
高 昴
潔 が
な
る 日
者 本
、 風
最 景
も 論
神
聖 ︵
な 政
る 教
者 社
、
登 明
山 治
の 二
気 七
風 年
興 ︶
作 で
︶
せ 山
が
ざ の
一
る 自
八
べ 然
九
か を
六
ら 描
︵
ず き
明
、 、
治
大 山
二
に は
九
興 自
︶
作 然
年
せ 界
に
ざ の
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か 興
ー
ら
社
ず 味
よ
あ
。쐍
3
0る
り
︶
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説 、
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on
︶
Mount
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︵
六
一
年
︶
が
後
に
山
岳
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を
設
立
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烏
水
ら
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目
に
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ま
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三
五
年
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ス
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説冷炎
얨内藤千代子
生
活
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糧
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る
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に
山
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、
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証
と
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て
山
に
登
り
、
山
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を
旅
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の
自
然
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描
く
と
い
う
営
み
は
古
く
か
ら
行
わ
れ
第
一
節
登
山
の
興
隆
第
一
章
山
へ
の
関
心
18
4
を例として (仙波)
上
高
地
、
そ
し
て
槍
ヶ
岳
登
山
に
焦
点
を
当
て
、
以
下
で
検
討
し
て
い
く
こ
と
と
す
る
。
と ら で
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女 っ 、 っ 一
流 た
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ん 、 第
家
で と
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上 っ に 藤 号
︵
高 た 雄 は 大
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。
地
々 本 正
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在
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山
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や 十 連
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と た た
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あ の ば
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よ あ り
、
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い
に 。 小説
か
、 読 毒
な
登 者 蛇
る
山 は
魅
と
を
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い 日 休
を
う 本 載
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営 ア し
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作 ス
で
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あ
と 엊 本
ろ
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ア
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。
魅 藤 ス
本
力 の へ
稿
を 登 엊
で
増 山
は
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山
も と 連
と
の と 載
十
月
号
に
は
日 自
本
ア の
ル 一
プ 番
ス 期
へ 待
す
を る
拝 内
見 藤
し 様
て の
は 毒
、 蛇
彼 を
の 拝
見
山 す
も る
目 事
の が
あ 出
た 来
り な
に い
見 の
え で
る 物
様 た
で り
御 な
座 う
い 御
ま 座
す い
29ま
。쐍
︶
し
た
が
、
あ
の
達
筆
に
描
か
れ
た
北海学園大学人文論集
山
岳
会
や
山
岳
部
の
活
動
は
し
ば
し
ば
新
聞
紙
上
で
取
り
上
げ
ら
れ
た
。
第
一
高
等
学
陸
上
運
動
部
山
岳
会
が
大
正
二
年
夏
に
行
っ
た
し
ば
み
ら
れ
、
山
岳
熱
の
高
揚
に
一
役
買
っ
た
と
思
わ
れ
る
。
岳 設
雑
42大 誌
会 立쐍
︶
︵ ︶
・ 正 に
大 慶 期 も
正 応 に 登
三 義 な 山
、 塾 る を
四 山 と 紹
年 岳 、 介
頃 会 第 す
設 ︵ 一 る
44
立쐍
高 記
︶ 大
︶ 正 等 事
等 四 学 が
が 年
み
相 五 陸 ら
次 月 上 れ
い 二 運 る
で 九 動 。
発 日 部
足 発 山
し 会 岳
た 式 会
の 挙 ︵
で 行 大
あ ︶ 正
っ ・ 二
た 神 年
。 戸 六
発 高 月
会 商 二
式 山 八
等 岳 日
に 会 発
は ︵ 会
日 大 式
本 正 挙쐍
1
山 四 行4
︶
岳 年 ︶
・
会 七 二
月
よ
高
り 一 山
小 〇 岳
島 日 会
烏 発 ︵
水 会 大
ら 式 正
三
の 挙쐍
43
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席 ︶
・ 六
が 八 月
し 高 八
ば 山 日
よ
う
に
な
っ
た
こ
と
を
述
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、
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木
山
登
山
に
お
い
て
多
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の
植
物
を
採
取
し
た
こ
と
を
記
し
て
い
る
。
ま
た
女
学
世
界
な
ど
の
婦
人
第
一
年
第
三
号
︵
明
治
三
九
年
一
一
月
一
三
日
︶
に
掲
載
さ
れ
た
初
登
山
︵
岩
鷲
登
山
記
︶
で
植
物
へ
の
関
心
か
ら
登
山
に
関
心
を
持
つ
第 60号(20
16年3月)
治
三 女
九 子
年 教
育
︶
な 機
ど 関
が に
行 お
わ い
れ て
て
い も
、
4
0
る쐍
︶ 長
。 野
明
治 県
三 立
三 長
年 野
に 高
双 等
葉 女
幼 学
稚
園 の
を 戸
開 隠
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し 山
︵
た 明
野 治
口 三
幽 五
香 年
は ︶
草 ・
東
京
期 府
よ 立
り 第
日 一
本 高
山 等
岳 女
会 学
に
入 の
会 富
し 士
、 登
山 山
岳 ︵
明
18
3
あ て
っ い
3
9
た쐍
︶ た
。 こ
と
が
あ 月 志
さ っ 設
︵
3
3
ら た 立쐍
︶ 博
に 。 ︶
高 な ・ 文
等 お 信 館
小 飛 濃
山 明
か 学 騨 岳 治
山
る
研 三
。 用 岳 究 九
府 作 会 会 年
立 文 は ︵ ︶
第 教 、 明 等
三 科 日 治 日
中 書 本 四 本
学 に 山 四 山
も 岳
年 岳
会
生 登 入 八 会
徒 山 会 月 関
で に に 設쐍 係
4者
あ 友 も 立3
︶
に
っ を 入
た 誘 会 大 よ
後 ふ し 正 る
著
の と て 八 書
作 い い 年 も
信
3
7
家 う る쐍
相
︶
芥 手 。 濃 次
山
川 紙
岳 い
龍 文
会 で
之 の
と 刊
介 課
改 行
が 題
3
5さ
称쐍
︶
槍 が
れ
︶
・ た
ヶ 登
飛 。
岳 場
騨 ま
に す
山 た
登 る
岳 名
頂 な쐍
38
3
6
会쐍
︶ 古
し ど︶
、
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た
ど 愛
の 登
山
も 山
は が
各 会
明 身
地 ︵
治 近
に 明
四 な
発 治
二 も
足 四
年 の
し 二
八 と
た 年
月 な
の 一
で っ
で 〇
三
九
年
四
月
五
日
に
機
関
誌
山
岳
が
刊
さ
れ
た
他
、
小
島
烏
水
日
本
山
水
論
︵
隆
文
館
明
治
三
八
年
︶
・
高
頭
式
日
本
山
嶽
の
そ 間
し に
て
明 流
治 が
三 生
八 ま
年 れ
一 た
〇 こ
月 と
一 が
四 登
日 山
に 興
山 隆
岳 の
会 契
が 機
発 と
足 な
쐍
31
し
︵︶ っ
明 た
治 。
四
二
年
六
月
一
日
日
本
山
岳
会
と
改
32
称쐍
︶
、
以
下
日
本
山
岳
会
︶
、
翌
明
治
︵
六
二
︶
作家と山
も
放
っ
た
の
で
あ
る
。
︵
六
三
︶
れ
た
記
事
や
文
章
は
、
登
山
の
案
内
記
と
し
て
読
ま
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る
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く
、
多
く
の
人
に
は
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世
界
を
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と
い
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魅
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を
記
さ
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て
お
り
、
多
く
の
人
々
に
と
っ
て
登
山
は
夢
や
憧
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の
世
界
で
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か
な
か
っ
た
の
で
あ
っ
た
。
こ
の
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う
な
中
登
山
に
つ
い
て
描
か
一
つ
で
あ
ろ
う
が
、
当
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の
登
山
記
に
は
牛
肉
の
缶
詰
め
、
ウ
イ
ス
キ
ー
、
乳
と
砂
糖
入
り
の
紅
茶
な
ど
を
飲
食
し
た
こ
と
が
し
ば
し
ば
얨内藤千代子
私 み
は な
、 ら
一 ず
杯 、
の 写
飯 真
を 機
嚥 を
み 案
こ 内
む 人
間 に
に 担
五 が
杯 せ
も る
汁 登
を 山
代 者
え も
た い
の
で た
す 。
そ
。쐍
4
9し
︶
と て
雪
解 雪
け 融
水 の
で 水
調 で
理 作
し つ
た た
食 味
事 噌
に 汁
舌 は
鼓 何
を 故
打 左
つ 様
の に
は う
登 ま
山 い
の の
醍 で
醐 せ
味 う
の 、
べ
た
よ
う
に
、
登
山
は
登
山
と
い
う
新
し
い
文
米 化
、 は
味 同
噌 調
、 者
鍋 を
、 よ
草 び
鞋 、
等 そ
々 の
大 営
部 み
は
の 新
荷 聞
物 な
を ど
強 に
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に り
背 知
負 ら
わ れ
せ る
て と
い こ
る ろ
大 と
名 な
旅 っ
行︵ た
48。
︶
で し
、 か
登 し
山 一
用 高
品 の
や 生
食 徒
料 が
の 述
小
説冷炎
を例として (仙波)
事 白 一 燕
新 馬 四 岳
報 岳 回 ・
大
方 ︶
、
大 面 槍 天
正 の ヶ 井
三 登 岳 岳
年 山 ・ ・
八 記 穂 常
高 念
月
三 白 岳 岳
馬
登 ・
∼
二 山 山 槍
三 へ を ヶ
日 ︵ 記 岳
し ・
全 万 た 穂
高
八 朝
回 報 日 岳
︶ 大 本 等
が 正 ア の
そ 三 ル 登
れ 年 プ 山
ぞ 八 ス 記
れ 月 ︵
日
連 四
載 ∼ 東 本
さ 一 京 ア
れ 三 朝 ル
た 日 日 プ
新 ス
の
で 全 聞 ︵
あ 九
る 回 大 万
。 ︶ 正 朝
、 三 報
針 年
木 七 大
枝 月 正
隊 一 三
と 九 年
称 日 七
す ∼ 月
る 八 一
小 月 四
隊 八 日
の 日 ∼
登
八
山 全 月
記 一 三
録 四 日
︵ 回
全
時 ︶
、
18
2
岳
方
面
・
常
念
山
脈
と
槍
ヶ
岳
上
高
地
方
面
・
白
馬
岳
方
面
・
針
の
木
峠
経
由
立
山
の
四
班
に
か
れ
て
登
山
・
縦
走
を
試
み
た
。
そ
し
て
号 は 二
登 日
と 山
し や 全
て 山 二
送 岳 一
り に 回
出 関 ︶
し す 。
た る な
。 講 お
一 演 時
高 会 事
生 や 新
と 談 報
の 話
会 は
流 が 同
を し 年
好 ば 夏
む し 、
内 ば 東
藤 開 京
も 催 高
友 当 さ 等
46師
会 然 れ쐍
︶
聞 、 範
学
会 知
に し 友
お て 会 附
い い 雑 属
て た 誌 中
学
旅 と
行 思 第 山
部 わ 二 岳
と れ 三 会
し る 〇 の
て 。 号 登
独
︵ 山
立
大 記
4
7
し쐍
正 も
︶
、
二 連
同
年 載
年
一 し
夏
二 て
に
月 い
木
四 る
曽
日 。
御
︶ ま
嶽
を た
と
一
駒
山 高
ケ
岳 で
そ
の
後
一
高
山
岳
会
は
大
正
三
年
三
月
五
日
に
行
わ
れ
た
登
山
に
は
約
四
〇
名
が
参
加
4
5
し쐍
︶
、
そ
の
記
録
は
日
本
ア
ル
プ
ス
跋
渉
記
と
し
て
時
事
新
報
に
連
載
さ
れ
た
︵
八
月
九
日
∼
九
月
二
北海学園大学人文論集
り
二
三
の
人
が
限
り
無
き
慕
し
さ
を
見
出
し
、
凄
惨
な
る
人
生
の
戦
に
疲
れ
た
胸
も
光
り
輝
く
、
山
見
れ
ば
山
の
姿
、
川
見
れ
ば
其
の
動
作
、
古
来
よ
人
間
と
、
ナ
チ
ユ
ー
ル
と
、
ユ
ー
マ
ン
テ
と
、
ユ
ー
ゴ
ー
先
生
之
に
は
大
に
首
を
捻
つ
た
と
有
つ
た
が
、
人
が
自
然
の
懐
に
入
る
時
に
山
頂
で
の
思
い
を
次
の
よ
う
に
綴
っ
て
い
る
。
そ
し
て
登
山
に
よ
り
文
学
作
品
に
描
か
れ
た
世
界
を
追
体
験
し
得
る
こ
と
が
、
山
の
魅
力
を
さ
ら
に
高
め
た
。
一
高
の
生
徒
は
、
槍
ヶ
岳
魅
力
で
あ
っ
た
の
で
あ
る
。
生
に
対
す
る
思
い
を
見
る
こ
と
が
で
き
る
。
山
に
足
を
運
ぶ
こ
と
に
よ
り
さ
ま
ざ
ま
な
感
化
が
得
ら
れ
る
こ
と
は
、
山
の
欠
く
べ
か
ら
ざ
る
も
な
い
も
の
で
は
あ
る
ま
い
か
と
述
べ
ら
れ
て
お
り
、
山
に
登
る
と
い
う
営
み
を
通
し
多
く
の
こ
と
を
学
ん
で
も
ら
い
た
い
と
い
う
一
高
ふ
名
は
、
登
山
会
と
は
聊
か
違
ふ
も
の
と
し
て
発
達
さ
れ
ん
事
を
祈
つ
て
お
き
た
い
と
思
ふ
︵
中
略
︶
登
山
旅
行
だ
け
の
集
団
は
何
の
意
味
第 60号(20
16年3月)
間
ま 然 無
た 寂 我
静 の
山 な 境
岳 る 地
に と
第 潜 な
八 思 り
年 黙 、
第 想 禅
二 せ の
号 ば 三
︵ 、 昧
大 君
正 が
二 頭 神
年 脳 来
八 は
月 神 を
三 と 感
一 な じ
日 り 得
︶ 聖 る
こ
雑 と と
な
録
り が
山
欄 、 の
自
に
魅
掲 か 力
ら
載
で
さ 霊 あ
慧
れ
っ
た の た
煥
。
一 発 志
す
高
賀
山 る 重
を
岳 知 昴
会 る も
の
쐍
3
0
成 と︶ 日
立 述 本
べ 風
で て 景
は い 論
、 る
で
山 。 、
岳
四
会
面
と
の
云
18
1
如 な
く い
、 。
た 心
ゞ 中
あ 一
る つ
も の
の 疑
は 団
超 な
自 く
然 晴
の 天
大 白
自 日
然 恨
実 な
に く
禅 、
の 悲
三 な
昧 く
や 、
、 哀
神 な
来 く
を 、
感 怒
ず な
る く
と 、
き 喜
は な
こ く
ん 、
な 恋
時 な
で く
あ 、
ら 自
50己
う쐍
︶
あ
る
が
如
く
、
な
き
が
あ
の
瞬
時
︵
筆
者
注
*
山
を
間
近
に
見
た
時
︶
に
於
て
は
万
人
斉
し
く
、
自
の
心
臓
に
酒
精
で
も
ぬ
ら
れ
た
様
な
感
を
起
す
に
相
違
に
述
べ
て
い
る
。
類
に
山
岳
が
好
き
で
あ
る
こ
と
や
写
真
好
き
、
運
動
好
き
、
自
然
へ
の
関
心
な
ど
を
挙
げ
た
が
、
そ
れ
だ
け
で
は
な
い
と
し
て
次
の
よ
う
山
は
、
ど
の
よ
う
な
魅
力
を
持
つ
も
の
で
あ
っ
た
の
だ
ろ
う
か
。
一
高
の
生
徒
は
第
二
節
山
の
魅
力
友
会
雑
誌
で
、
登
山
の
理
由
と
し
て
た
ゞ
無
︵
六
四
︶
作家と山
︵
六
五
︶
た
有 と 写
の し に 小 よ
景 て お 島 う
け の に
象
精 る 作 、
に 緻 科 品 自
つ な 学 に 身
い 山 的 つ の
て 水 知 い 登
描 識 て 山
얧 写 の 、 に
導 杉 基
︵
を 入 本 づ
同 挙 な 邦 く
志 げ ど 子 小
社 て も は 島
国 い 、
の
文 る 当 小 山
学 。 時 島 の
第 ま の 烏 描
六 た 凡 水 写
〇 熊 百 の は
号 谷 の 鎗 他
の
昭 紀
ヶ
平 宏 行 嶽 作
成 は 文 探 家
の
の
一
険
六 小 欠 記 作
品
年 島 を
と
補
烏
三
︵ は
月 水 う
も 学 一
︶
に 鎗 の 苑 線
を
お ヶ で
い 嶽 あ 第 画
て 探 っ 四 す
、 険 た 五 る
小 記 。 七 も
の
島
と 号 で
の 論 述
あ
紀
べ 昭
行 얧 、 和 っ
文 要
五 た
を 請 鎗 三 。
さ ヶ 年
文 れ 嶽 一
学 た 探 月
険 ︶
作
品 そ 記 で
の の
風 土 の 自
景 地 特 然
描 特 徴 描
얨内藤千代子
の て 世
当
に
時
送
の 篁 っ
紀 村 た
行 や 文
文 幸 章
家 田 は
と 露 、
言 伴 山
は ・ の
れ 大 魅
る 町 力
旅 桂 を
行 月
・ 知
好 田 ら
き 山 し
の 花 め
人 袋 る
々 ら う
、 を え
誰 挙 で
一 げ 大
人 て き
登 い な
つ る 役
て が 割
ゐ 、 を
な 小 果
か 島 た
つ が し
た 田 た
の 山 と
で 花 言
あ 袋 え
る を よ
。
う
況
ん 野 。
や の 小
そ 人 島
は
の
他 武 明
の 蔵 治
文 野 期
壇 の の
人 人
紀
を
や と 行
。쐍
よ 文
5
3
쐍
2家
︶ び5
と 、︶
述
と
べ そ し
横
浜
正
金
銀
行
行
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明
治
二
九
年
入
行
︶
と
の
二
足
の
草
鞋
を
履
き
つ
つ
明
治
三
〇
年
二
月
よ
り
文
庫
記
者
と
し
て
小
島
烏
水
が
小
説冷炎
学
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モ
チ
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フ
た
り
得
た
の
で
あ
っ
た
。
当
時
の
登
山
記
に
は
、
他
に
ワ
ー
ズ
ワ
ー
ス
、
ロ
ン
グ
フ
ェ
ロ
ー
な
ど
も
散
見
さ
れ
る
。
18
0
う
に
な
っ
て
い
た
こ
と
も
自
然
の
美
し
さ
を
描
写
し
た
作
品
が
愛
さ
れ
た
一
因
で
あ
ろ
う
。
こ
の
よ
う
な
中
で
山
は
、
広
く
魅
力
を
放
つ
文
を例として (仙波)
う
こ
と
は
読
書
の
醍
醐
味
の
一
つ
と
な
っ
た
の
で
あ
っ
た
。
現
実
を
露
呈
す
る
自
然
主
義
文
学
隆
盛
の
後
、
情
緒
的
な
文
学
が
好
ま
れ
る
よ
都
市
化
が
進
展
し
、
旅
行
や
園
芸
な
ど
を
通
し
て
自
然
と
接
す
る
こ
と
に
対
す
る
嗜
好
が
高
ま
る
中
、
文
学
作
品
に
描
か
れ
た
自
然
を
味
わ
な 入 が
理
く
る 想
限 こ と
り と さ
無 で れ
き あ 、
慕 っ 山
し た 岳
さ 。 の
を こ 神
見 れ 秘
出 に を
し よ 愛
得 り し
る 登 そ
こ 山 の
と は 美
は 、 し
、 文 さ
何 学 が
事 作 描
に 品 か
も に れ
替 描 た
え か 。
難 れ こ
い た の
喜 世 よ
び 界 う
な を な
の 追 中
で 体 、
あ 験 登
っ す 山
た る は
。 術 読
ま と 書
た な か
自 っ ら
然 た
科 の に
学 で 一
の あ 歩
研 る 進
究 。 ん
が そ で
進 し
み て 自
工 脅 然
業 威 の
化 で 懐
・ は に
一
九
世
紀
末
、
自
然
主
義
文
学
隆
盛
の
後
に
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
で
生
し
た
ロ
マ
ン
主
義
文
学
に
お
い
て
は
、
自
然
を
友
と
し
て
生
き
る
こ
と
泉 欺
、 ざ
恋 る
の 自
花 然
を
尋 を
ね 愛
て し
儚 た
な だ
き ろ
旅 う
に か
登 、
51而
る쐍
︶
も
尚
秋
風
蕭
條
の
夕
ま
ぐ
れ
、
人
間
界
恋
し
と
泣
く
は
誰
が
見
ず
、
幾
代
な
る
も
人
は
愛
の
北海学園大学人文論集
行
く
花
の
色
を
ぢ
つ
と
見
つ
め
て
ゐ
ら
つ
し
や
る
。
此
の
結
婚
号
に
処
女
主
義
の
女
を
紹
介
す
る
の
も
亦
何
か
の
縁
で
あ
り
ま
せ
う
。
と
籐
に
関
す
る
記
事
は
な
く
、
写
真
に
は
女
は
今
年
二
十
三
歳
の
あ
た
ら
人
生
の
春
を
処
女
主
義
と
や
ら
の
寂
し
き
蔭
に
隠
れ
て
、
あ
せ
ジ
ニ
ズ
ム
の
内
藤
千
代
子
女
藤
は
日
本
山
岳
会
の
会
員
で
は
な
と
い
第
題
。
四
す
巻
る
登 第
山 四
姿 号
︵
の 大
内 正
籐 四
の 年
写 四
真 月
︵
写 一
真 日
② ︶
の
︶
で 画
あ 報
る ︵
。 筆
淑 者
女 注
*
画 グ
報 ラ
ビ
の ア
同 ︶
号
は に
掲
結 載
婚 さ
風 れ
俗 た
号
ヴ
で ア
内 ー
注
目
す
べ
き
は
、
淑
女
画
報
も
あ
り
、
こ
ん
な
筈
で
は
な
か
つ
た
の
に
け
ふ
の
苦
し
さ
は
普
通
事
ぢ
や
な
い
。
と
登
山
の
嗜
み
が
あ
る
こ
と
を
匂
わ
せ
て
い
る
。
な
お
内
︵ 難
女 記
学
世 が
界
女
第 学
一 世
五 界
巻
第 第
一 一
〇 三
号 巻
第
大 一
正 二
四 号
︵
年 大
一 正
〇 二
月 年
一 九
日 月
︶ 一
で 五
は 日
、 ︶
徳 に
本 掲
峠 載
越 さ
え れ
の て
場 い
面 る
で 。
ま
私 た
は
今 日
ま 本
で ア
山 ル
登 プ
り ス
に へ
は 엊
か ︵
な そ
り の
経 二
験 ︶
で
は
、
内
藤
は
山
と
ど
の
よ
う
に
関
わ
っ
て
き
た
の
で
あ
ろ
う
か
。
内
藤
は
富
士
山
の
七
合
目
ま
で
登
山
し
た
経
験
を
綴
っ
た
第 60号(20
16年3月)
そ
れ
が
登
山
の
隆
盛
に
も
結
び
つ
い
た
と
言
え
よ
う
。
富
士
遭
17
9
も
大
な
る
関
心
が
抱
か
れ
、
様
々
な
営
み
が
な
さ
れ
て
い
た
の
で
あ
る
。
そ
し
て
こ
れ
ら
に
よ
り
山
の
魅
力
は
広
く
知
ら
れ
る
こ
と
と
な
り
、
茨
木
猪
之
吉
・
丸
山
晩
霞
ら
も
日
本
山
岳
会
会
員
で
、
山
の
絵
を
残
し
た
。
山
に
登
る
だ
け
で
は
な
く
、
山
の
魅
力
を
描
き
伝
え
る
こ
と
に
羅
し
た
る
会
の
、
他
に
あ
る
を
知
ら
ず
、
是
れ
本
会
の
栄
と
す
る
こ
と
な
り
。
と
述
べ
て
い
る
。
な
お
作
家
だ
け
で
は
な
く
、
大
下
藤
次
郎
・
し
て
小
山
内
薫
・
柳
田
国
男
・
河
井
酔
茗
・
正
岡
芸
陽
ら
の
名
を
挙
げ
、
文
学
会
に
あ
ら
ず
し
て
、
か
く
の
如
く
、
多
く
の
詩
人
文
士
を
網
旨
と
す
る
が
如
き
、
一
方
に
偏
し
た
る
も
の
に
あ
ら
ざ
る
た
め
に
も
、
因
る
べ
き
が
、
詩
人
文
士
の
入
会
せ
ら
る
ゝ
向
き
、
甚
だ
多
し
ま
た
日
本
山
岳
会
は
山
岳
第
一
年
第
三
号
︵
明
治
三
九
年
一
一
月
一
三
日
︶
会
報
欄
で
、
本
会
は
性
質
上
、
純
正
科
学
を
の
と み
と
し
て
の
味
わ
い
も
併
せ
持
つ
点
が
小
島
の
特
長
で
、
こ
れ
に
よ
り
山
の
魅
力
が
伝
え
ら
れ
た
の
で
あ
っ
た
。
記
述
が
見
ら
れ
る
と
し
て
い
る
。
実
体
験
に
基
づ
く
正
確
な
自
然
描
写
を
身
上
と
し
な
が
ら
、
無
機
質
な
文
体
に
陥
る
こ
と
な
く
文
学
作
品
写
に
科
学
的
知
識
を
盛
り
込
む
試
み
と
評
価
し
、
鎗
ヶ
嶽
探
険
記
に
は
美
文
に
よ
っ
て
綴
ら
れ
た
紀
行
文
に
は
な
い
正
確
な
︵
六
六
︶
作家と山
日
本
ア
ル
プ
ス
は
山
々
の
︵
六
七
︶
称
で
個
々
の
山
に
は
知
ら
れ
て
い
な
い
も
の
も
多
い
た
め
、
日
本
ア
ル
プ
ス
に
は
未
知
の
地
と
い
う
魅
力
が
述
べ
て
地 を
理 言 明 い
書 は 科 る
の ず 停 。
上 に 車
で 、 場
は 日 を
有 本 下
名 ア り
に ル る
な プ と
つ ス 、
て と 犀
ゐ 、 川
な こ の
が ゝ 西
ら を に
、 呼 、
山 ん 一
が で 列
ど ゐ の
こ る 大
に 、 山
こ 脈
く の が
れ 山 峙
て 々 つ
ゐ に て
る は ゐ
の 、 る
か 名 の
、 の が
今 無 見
ま い え
る
で 、
或
解 は 、
ら 名 我
な の 々
か 知 は
つ ら 飛
た れ 騨
の て 山
も ゐ 脈
あ な な
る い ど
ゝ
高 、
山 小
が さ
多 い
い 名
、
小
島
烏
水
は
梓
川
の
上
流
︵
얨内藤千代子
第
三
節
日
本
ア
ル
プ
ス
へ
の
目
早
稲
田
文
学
第
一
七
号
明
治
四
〇
年
五
5
4
月쐍
︶
︶
の
冒
頭
で
、
日
本
ア
ル
プ
ス
の
魅
力
を
次
の
よ
う
に
小
説冷炎
を例として (仙波)
赴
き
、
翌
年
小説
冷
炎
を
世
に
送
っ
た
の
で
あ
っ
た
。
写真② 淑女画報 第4巻第4号
(神奈川近代文学館所蔵)
で
あ
る
。
大
正
四
年
夏
、
内
藤
は
こ
の
よ
う
な
営
み
を
担
う
べ
く
上
高
地
へ
17
8
魅
力
を
描
き
出
さ
ん
と
す
る
作
家
や
画
家
に
よ
る
営
み
も
な
さ
れ
て
い
た
の
験
す
る
こ
と
に
よ
り
知
的
好
奇
心
を
満
た
す
場
で
も
あ
っ
た
。
そ
し
て
山
の
と
し
て
悩
み
多
き
青
年
を
惹
き
付
け
た
。
ま
た
山
は
、
文
学
の
世
界
を
追
体
わ の 存 を の
山 れ は 在 拒 説
は る 、 と 否 明
、 。 登 位 す が
山 置 る 付
自
に づ 内 さ
然
対 け 藤 れ
の
す ら の て
偉
る れ 持 い
大
造 て 論 る
さ
詣 い で 。
に
を る 、 ヴ
触
示 。 登 ア
れ
す 内 山 ー
禅
意 藤 姿 ジ
の
図 が の ニ
三
が こ 内 ズ
昧
あ の 藤 ム
っ よ は
た う
神
た な 結 処
来
め 写 婚 女
主
で 真
を
は 撮 と 義
体
な 影 は
感
い に 対 と
し
か 応 照 は
得
と じ 的 結
る
思 た な 婚
場
北海学園大学人文論集
쐍
55
︶
TheJapanes
eAl
ps
*
A Handbook f
orTr
avel
er
si
n Cent
r
aland Nor
t
her
n
一
八
八
一
︵
明
治
一
四
︶
年
︶
第
一
版
で
、
同
書
で
は
次
の
よ
う
に
述
べ
ら
れ
て
い
る
。
︵
日
本
ア
ル
プ
ス
︶
と
最
初
に
記
し
た
の
は
サ
OF THE ORI
GI
N OF THE TERM THE JAPANESE ALPS
*
越
中
及
び
飛
騨
︶
の
東
側
の
境
界
に
接
す
る
山
脈
は
日
本
で
最
も
重
要
で
、
お
そ
ら
く
日
本
ア
ル
プ
ス
と
マ
レ
ー
社
Handbook f
orJapan
17
7
こ
れ
ら
の
地
域
︵
筆
者
注
ト 四
あ
ウ 月 ウ る
︵ 一 ェ 。
七 ス
日 ト
︶ ン
に
よ
る
と
︶ 、
編 飛
騨
と
信
州
に
ま
た
が
る
山
岳
︵ 地
筆 帯
者 を
注
Er
nes
tSat
ow
名
付
け
ら
れ
る
で
あ
ろ
う
。
︵
筆
者
訳
︶
Japan
ド
︵ ウ
ェ
ス
ト
ン
の
記
事
に
よ
明 れ
治 ば
一 、
一 サ
年 ト
七 ウ
月 の
二 記
八 憶
日 で
外 は
国 、
人 日
と 本
し ア
て ル
槍 プ
ヶ ス
岳
初 の
登 呼
56称
頂쐍
︶
︶ は
の 造
提 幣
案 局
で に
あ 技
っ 師
た と
。 し
し て
か 来
し 日
ガ し
ウ て
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ン た
ド ガ
は ウ
そ ラ
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heE.i
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hemos
tcons
i
der
abl
ei
nt
heEmpi
r
e,andmi
ghtper
hapsbe
The
The Pl
aygr
ound of
昭
和
四
五
年
︶
の
書
名
に
も
の
語
を
用
い
る
よ
う
に
な
っ
た
結
果
、
日
本
ア
ル
プ
ス
を
否
定
し
、
日
本
ア
ル
プ
ス
を
訪
れ
る
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
人
が
稀
で
あ
っ
た
こ
と
か
ら
こ
の
呼
称
は
や
が
て
忘
れ
ら
れ
て
し
ま
っ
た
。
し
か
し
ウ
ェ
t
er
medt
heJ
apanes
eAl
ps
.
山
と
渓
谷
社
日
本
ア
ル
プ
ス
Mount
ai
neer
i
ng and Expl
or
at
i
on i
n t
he
極
東
の
遊
歩
場
を
初
め
多
く
の
著
作
物
や
講
演
に
お
い
て
ス
ト
ン
が
明
治
二
四
年
に
日
本
ア
ル
プ
ス
に
初
め
て
足
を
踏
み
入
れ
、
そ
の
後
自
著
Wi
l
l
i
am Gowl
and
岡
村
精
一
訳
Japanes
eAl
ps
一
九
一
八
︵
大
正
七
︶
年
Japan Al
ps
t
heFarEas
t
︵
マ
レ
ー
社
巻 の
呼
と 称
し は
て 広
世 く
の に 知
語 送 ら
を っ れ
て る
用 お よ
す り う
る 、 に
の 日 な
を 本 っ
数 ア た
度 ル の
に プ で
わ ス あ
た に る
り 対 。
見 す
た る 山
こ 関 岳
と 心 は
が の 第
あ 高 一
る さ 年
が を 第
そ 見 三
れ る 号
は こ ︵
間 と 明
違 が 治
い で 三
で き 九
あ る 年
る 。 一
こ な 一
5
7お
と쐍
︶
月
、 ウ 一
ェ
自
三
著 ス 日
ト
ン ︶
を
は
、 日
日 本
本 ア
人 ル
が プ
ス
の
第 60号(20
16年3月)
︵
山
岳
第
一
三
年
第
二
号
大
正
八
年
あ
っ
た
。
加
え
て
、
日
本
ア
ル
プ
ス
と
い
う
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
の
香
り
が
す
る
呼
称
も
、
他
の
地
域
の
山
と
は
異
な
る
魅
力
を
醸
し
出
し
た
の
で
︵
六
八
︶
作家と山
▲
原
稿
マ
マ
︵
六
九
︶
加
え
て
、
大
阪
毎
日
新
聞
が
今
夏
の
中
央
ア
ル
プ
ス
は
多
く
▲
新
噴
火
の
焼
嶽
登
が
大
流
行
に
な
る
ら
し
い
も
、
こ
の
よ
う
な
登
山
記
の
隆
盛
の
中
に
位
置
づ
け
る
こ
と
が
で
き
よ
う
。
と
報
じ
た
よ
う
に
、
쐍
6
4
︶
こ
れ
ら
に
よ
り
、
日
本
ア
ル
プ
ス
の
魅
力
が
広
く
伝
え
ら
れ
た
の
で
あ
っ
た
。
内
藤
が
女
学
世
界
に
連
載
し
た
日
本
ア
ル
プ
ス
へ
엊
べ
て
い
る
。
当
初
一
巻
の
み
の
予
歌 定
誌 で
国 あ
民 っ
文 た
学 が
、
に 遂
連 に
載 第
し 四
た 巻
の ま
も で
大 刊
正 行
四 す
年 る
で に
あ 至
6
3っ
る쐍
︶
。 た
の
で
あ
っ
た
。
ま
た
窪
田
空
穂
が
大
正
二
年
夏
に
行
っ
た
槍
ヶ
岳
の
登
山
記
を
た 刊
ち 行
の さ
注 れ
目 た
を の
惹 も
い 大
た 正
ら 四
し 年
く で
、 あ
そ っ
の た
頃 ︵
と 七
し 月
て ︶
。
、 小
高 島
価 は
な 、
贅
沢 日
な 本
本 ア
で ル
あ プ
り ス
な
が は
ら 、
、 名
予 前
想 が
よ 珍
り し
は い
、 だ
善
い け
売 に
れ 、
行 可
き な
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あ に
つ 旅
た 行
好
。쐍
6
2き
︶
と の
述 人
そ
し
て
明
治
四
三
年
七
月
に
前
川
文
栄
閣
よ
り
刊
行
が
開
始
さ
れ
た
小
島
烏
水
日
本
ア
ル
プ
ス
第
四
巻
が
三
年
の
ブ
ラ
ン
ク
を
経
て
小
説冷炎
南 南
京 洋
・ 占
上 領
海 地
︵
参 の
加 見
者 学
約 ︵
一 五
〇 一
名 日
︶ 間
等 、
を 参
訪 加
れ 者
る 一
大 八
陸 名
方 ︶
面 、
の 青
二 島
隊 ・
の 北
旅 京
行 ・
奉
も 天
実 ・
施 大
し 連
て ︵
い 約
6
1四
る쐍
︶
。 〇
日
間
、
参
加
者
数
不
明
︶
、
青
島
・
北
京
・
17
6
を例として (
仙波)
部
で
は
同
年
に
日
光
奥
山
の
探
訪
も
行
っ
た
ほ
か
、
第
一
次
世
界
大
戦
勃
発
に
よ
る
海
外
雄
飛
熱
の
高
ま
り
を
受
け
、
海
軍
の
協
力
に
よ
る
月
二
日
∼
九
月
一
二
日
全
三
五
回
︶
、
立
山
跋
渉
記
︵
万
朝
報
八
月
八
∼
一
五
日
全
五
回
︶
と
し
て
連
載
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た
。
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一
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行
一 聞 と 破
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6
0た쐍
5
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︶
︶
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を
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部 市 回 、
5
8七
も 教 ︶쐍
︶
赤 育 。 月
石 会 長 八
山 は 谷 日
脈 登 川 か
縦 山 如 ら
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二
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山 集 東 日
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朝 に で ル
プ
日
、 ス
新 け
聞 、 朝 縦
八 日 走
八 月 新 記
大
正
四
年
は
、
日
本
ア
ル
プ
ス
に
対
す
る
関
心
が
さ
ら
に
高
ま
っ
た
年
で
あ
る
と
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よ
う
。
大
阪
毎
日
新
聞
用
い
た
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heFarEas
t
→
大
正
四
年
六
月
四
日
の
焼
岳
の
噴
火
が
焼
岳
の
み
な
ら
ず
そ
の
周
辺
地
域
の
景
観
を
大
き
く
変
え
た
こ
と
も
、
大
正
四
年
夏
に
日
本
ア
ル
プ
얨内藤千代子
の
名
に
日
本
ア
ル
プ
ス
ほ
ど
ふ
さ
わ
し
い
場
所
は
な
い
と
も
述
べ
は て
い
大 る
和 。
ア
ル
プ
ス
踏
北海学園大学人文論集
く
で
あ
る
。
焼
嶽
は
地
獄
の
ア
ル
プ
ス
の
様
な
活
火
山
だ
つ
た
。
赤
黒
い
醜
怪
な
地
肌
を
露
出
し
て
、
た
ゞ
枯
木
の
幹
ば
か
り
す
く
〳
〵
白
金
を
磨
き
上
げ
た
や
う
な
太
陽
が
赫
と
面
を
打
つ
て
、
焼
嶽
に
映
ず
る
と
、
噴
煙
が
金
色
を
帯
び
て
さ
な
が
ら
金
龍
の
の
た
く
る
如
一
方
焼
岳
に
つ
い
て
は
、
内
藤
は
次
の
よ
う
に
描
い
て
い
る
。
し
た
日
の
夕
方
大
正
池
を
見
に
行
っ
て
お
り
、
焼
岳
の
噴
火
に
対
す
る
内
藤
の
関
心
の
高
さ
を
示
し
て
い
る
。
た し
樹 か 透
々 し き 云 や
は う
は 硫 徹 ず に
つ
、 黄
熊 焼
こ の て 笹 け
の 匂 ゐ と こ
景 ひ 乍 云 げ
ら
観
は た
が や 凄 ず 樹
い
、 々
惨 下 ほ 被 は
状 駄 ど つ 灰
の 真 た 泥
と 歯 青 灰 に
よ に
の 埋
ぶ 吸 な 重 ま
湖
べ ひ
量 つ
き つ 水 に て
も く か 得 散
ら
の
堪 乱
で も の へ し
あ の ぞ ず 、
る に く 、 対
こ
生 岸
と 小 白 き の
を 家 樺 乍 山
気 ほ の ら も
づ ど 林 し 四
か も
つ 合
せ あ は く 目
、
る る
ひ あ
の 大 上 細 た
高
石
で
工 り
あ 、 地 の ま
っ そ の お で
た し 新 化 は
。 て た の そ
な
小説 周
美 や の
冷 囲 観 う 惨
炎 の と に 害
な を
で 白 と つ か
ら
玉 骨
て ふ
川 の え 垂 む
は や る れ つ
上 う こ 下 て
高 に と つ 樹
地 焼 も て 木
に け で ゐ の
到 こ き る 枝
65と
着 げ る 。쐍
︶
。
第 60号(20
16年3月)
た
や
う
な
地
上
は
、
ま
だ
い
く
ら
か
硫
黄
の
匂
ひ
も
し
て
、
ね
と
〳
〵
と
下
駄
の
歯
に
吸
ひ
つ
く
。
小
家
ほ
ど
も
あ
る
大
石
や
白
骨
の
17
5
け
れ
ど
も
ま
た
そ
の
四
囲
の
惨
状
は
目
も
あ
て
ら
れ
ぬ
。
火
事
場
と
も
地
震
の
跡
と
も
云
ひ
や
う
が
な
か
つ
た
。
灰
汁
の
か
た
ま
つ
も
見
て
も
見
あ
か
な
い
。
い
奇
観
で
あ
つ
た
。
池
の
水
は
綺
麗
に
透
き
徹
つ
て
ゐ
乍
ら
凄
い
ほ
ど
真
青
だ
つ
た
。
ま
る
で
エ
メ
ラ
ル
ド
を
溶
か
し
た
や
う
。
見
て
ま
ゝ
池
中
の
も
の
と
な
つ
て
し
ま
つ
て
、
満
々
と
湛
へ
た
水
に
青
い
梢
や
白
い
幹
の
影
を
落
し
て
ゐ
る
さ
ま
は
実
に
た
と
へ
や
う
も
な
載 ス
内 し が
湖 大 藤 て 関
水 正 は い 心
る を
み 池
た は 小説 ︵ よ
や そ 冷 ∼ ん
う の 炎 七 だ
月 一
な 年
も 六 に 一 因
の 月 お 六 と
が 焼 い 日 し
て
現 嶽 て
出 大 、 全 あ
焼
二 げ
さ 爆
れ 発 岳 〇 る
て の の 回 こ
と
了 と 噴 ︶
。 が
つ き 火
で
た 凄 に
き
の じ よ
り
よ
で く
う
あ 崩 作
。
る 落 ら
れ
。 し
大
ま た た
阪
大
た 土
毎
の 砂 正
日
名 や 池
新
を
を 大
聞
押 次
は
白 出 の
、
樺 の よ
同
の 為 う
に
年
池 に
六
、 描
月
と 梓 い
二
も 川 て
四
云 の い
日
ふ 一 る
よ
。 部 。
り
な が
日
ぜ せ
本
な き
ア
ら と
ル
ば め
プ
白 ら
ス
樺 れ
の
の て
写
林 、
真
が 細
を
そ 長
連
の い
︵
七
〇
︶
作家と山
︵
七
一
︶
だ は る
。 其 や
細 、
密 繊
な 細
彫 美
刻 は
に な
美 い
が が
あ 、
る 然
で し
あ 人
る の
、 勢
太 力
の
は 及
其 ば
始 ざ
原 る
的 大
な な
、 る
大 美
な が
る あ
所 る
に 、
崇 日
高 光
な の
美
が 築
あ と
る 、
、 伊
上 勢
高 の
地 太
の
美 と
は を
後 較
者 べ
に た
属 ら
す 、
る 前
方 者
上
高
地
の
地
た
る
や
、
文
人
の
筆
に
、
画
家
の
カ
ン
バ
ス
に
、
其
自
然
美
を
へ
ら
れ
た
も
の
は
、
蓋
し
稀
で
あ
る
、
上
高
地
の
景
た
一
号
明
治
四
二
年
三
月
二
五
日
︶
で
次
の
よ
う
に
述
べ
て
い
る
。
얨内藤千代子
第
一
冷 節
炎
上
に 高
お 地
い の
て 魅
主 力
人
小
説冷炎
上
高
地
で
過
ご
し
た
内
藤
は
、
正
に
注
目
の
的
と
な
っ
て
い
た
日
本
ア
ル
プ
ス
に
そ
の
身
を
置
い
て
い
た
と
言
え
る
の
で
あ
る
。
小説
玉
川
和
子
が
半
月
余
り
滞
在
し
た
上
高
地
の
魅
力
を
、
高
野
鷹
蔵
は
第
二
章
避
暑
地
上
高
地
上
高
地
の
記
︵
山
岳
第
四
年
第
17
4
を例として (仙波)
を
目
の
当
た
り
に
し
得
る
場
と
も
な
り
、
従
来
よ
り
の
関
心
の
高
ま
り
と
相
待
ち
さ
ら
に
注
目
を
集
め
て
い
た
の
で
あ
る
。
大
正
四
年
夏
を
う 小説
日 。 冷 焼
本
炎 岳 に 仕 立
を 冲 方 つ
ア
ル
す が て
に
プ
は 地 る な 立
ス
焼 獄 。 か つ
は
末 つ て
岳
、
の 赤 は た ゐ
日
噴 黒 薄 。 る
本
火 い れ 今 の
に
に 醜 て 一 が
あ
対 怪 雲 つ 遠
り
す な に お く
な
入 ま か
る
が
恐 と る け ら
ら
怖 表 。 に 見
未
は 現 青 こ る
知
見 し 大 の と
で
ら た 空 お 、
あ
れ 一 に ぢ 恰
っ
な 方 行 い ど
た
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た
が 、 も ん 人
め
、 煙 知 、 の
、
こ を ら 薬 禿
人
の 吐 ず 缶 頭
々
記 く ⋮ 頭 に
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の
述
쐍6
関
方 よ
は 薬 。6
︶
缶
心
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活 頭
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火 に
き
や と
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付
た 髪
え
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ら の
あ る
た
に 残
り と
。
煙 つ
少
様
そ
を て
を し
し
吐 る
生 ユ
て
い 通
ー
々
大
て り
モ
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正
ゐ な
く ラ
四
る の
ス
伝
年
。 で
に
え
夏
幾 和
て も
に
條 子
描
い
は
に は
写
る
自
も 可
と し
笑
然
言 て
の
れ し
い
え
威
て く
よ る
力
天 て
。
北海学園大学人文論集
︵
積
善
館
本
店
New Nat
i
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と
し
て
登
場
す
る
。
第
五
三
用
さ
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て
い
た
ク 白
と 雪
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は 々
ざ た
る る
べ 、
け 高
ん 山
や あ
6
9り
。쐍
︶
、
渓
流
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り
、
森
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あ
り
放
馬
あ
り
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牛
あ
り
、
温
泉
あ
り
、
何
を
か
日
本
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ロ
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、
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、
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︵
筆
者
注
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、
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明
治
三
五
年
︶
第
五
三 は
課 、
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英
語
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科
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N THE YELLOWSTONE COUNTRY
쐍
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は
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が
も
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た
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三
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〇
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に
も
満
た
な
い
小
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な
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が
あ
る
。
︵
筆
者
訳
︶
課
は
山
間
の
イ
エ
ロ
ー
ス
ト
ー
ン
川
の
描
写
で
始
ま
り
、
次
の
よ
う
な
記
述
が
み
ら
れ
る
。
第 60号(20
16年3月)
17
3
︶
を
訪
ふ
に
躊
躇
す
る
勿
れ
。
そ 義 六
ま し 付 年
旧 た て け ︶
た で
年
の 山 文 か 、
上 岳 人 っ 小
の た 島
高
地 に 筆 意 の
図 主
は 掲
今 載 画 か 張
日 さ 家 ら は
の れ の で 誤
上 た カ あ り
高 上 ン ろ で
地 高 バ う あ
る
に 地 ス 。쐍
6
8
︶ と
非 温
と
ず 泉 に 述 し
、 の 触 べ た
昨 広
う
夏 告 れ た え
よ
ら
来 で
で
遊 は れ う
せ 、 て に 穂
ら 上 い 、 高
れ 高 な 上 明
し 地 い 高 神
諸 の 無 地 信
君 魅 垢 は 仰
、 力 な 神 に
未 を 点 の 傾
だ 次 も 地 く
上 の 上 と 人
高 よ 高 と た
地 う 地 ら ち
を に の え が
知 謳 魅 ら ︵
ら っ 力 れ 中
さ て で 、 略
る い あ そ ︶
諸 る っ の 上
君 。 た 魅 高
の 力 地
、
此
で が を
日
あ 語 穂
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る ら 高
の
。 れ 明
エ
た
ロ
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ー
で の
、
あ 神
ス
っ 域
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た と
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。 意
河 の
内 及 高
ば 野
の ざ に
表 る よ
記 大 る
を な と
用 る 、
い 美 上
る
高
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き あ の
と る
主 。 自
張 そ 然
し れ 美
た は
小 、 は
島 宮
烏 川 繊
水 の 細
の 池 美
イ の
メ 畔 で
ー に は
ジ あ な
と る い
重 穂 が
な 高 、
67
る쐍
︶ 神 伊
。 社 勢
横 奥 の
山 宮 太
篤 の
美 穂
が 高 の
如
上 見 く
高 命
地 が 始
開 上 原
発 高 的
地
の
︵ 土 崇
山 地 高
と の
渓 神 で
谷 で 、
社 あ
る 人
昭 故 の
勢
和
四 神 力
︵
七
二
︶
作家と山
︵
七
三
︶
で
、
高
低
参
差
た
る
連
亘
、
信
飛
の
山
嶺
を
、
飛
騨
か
ら
吹
き
あ
ぐ
る
風
は
、
七
月
の
上
高
地
に
、
殆
の
園
と
い
う
異
国
情
緒
を
醸
し
出
し
て
い
た
の
で
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っ
た
。
は
黄
に
紫
に
名
も
知
ら
ぬ
花
が
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鵞
絨
の
や
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な
艶
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き
の
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内 賞 渓 地
얧 藤 し 谷 の
内 も て 美 気
を
、 は 候
行 小説 日 容
く 冷 本 易 で
や 炎 の に も
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あ 徳 な ー ら
つ 本 り ジ れ
た 峠 と し て
。 の 称 得 い
花 麓 へ る る
崗 の ん も 。
岩 林 と の 英
の の 欲 と 語
川 中 す な の
床 の る っ 教
쐍
7
3た 科
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︶
流 景 と の 書
れ を 述 で に
る 、 べ あ 登
て っ 場
つ 渓
て 流 そ い た す
ゐ は れ る 。 る
た 似 は 。 ま イ
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る ま
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︶ も る
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描 の で
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大
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雪 青 れ
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観 れ
水 で く
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る
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か き 書
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余 に
自 め ど
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上 り
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地 上
り 生 西
平 高
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原 地
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第
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〇
号
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大
正
二
年
一
二
月
四
日
︶
に
掲
載
さ
れ
た
伊
藤
徳
之
助
指
定
さ
れ
て
お
り
、
上
高
地
を
日
本
の
エ
ロ
ー
、
ス
ト
ー
ン
、
パ
ー
ク
と
喩
え
る
こ
と
は
的
を
射
た
表
現
で
あ
っ
た
と
言
え
よ
う
。
上 日
17
2
立
園
の
候
補
地
と
し
て
挙
げ
ら
れ
、
昭
和
九
年
に
は
白
馬
・
立
山
を
含
む
中
部
山
岳
国
立
園
と
し
て
日
本
最
初
の
国
立
園
の
一
つ
に
を例として (仙波)
ア
メ
リ
カ
の
イ
エ
ロ
ー
ス
ト
ー
ン
国
立
園
は
一
八
七
二
年
に
世
界
最
初
の
国
立
園
に
指
定
さ
れ
た
が
、
上
高
地
は
大
正
一
〇
年
に
国
さ 治
れ 一
、 七
そ 年
の 四
後 月
牧 二
場 三
区 日
域 に
を 南
拡 安
大 曇
す 郡
る 安
発 曇
展 村
を 奥
み 原
せ 甚
て 三
い 郎
た 他
の 四
で 名
あ は
っ 農
72商
た쐍
︶
。 務
省
へ
牧
場
の
借
地
願
い
を
提
出
し
同
年
一
二
月
一
〇
日
に
許
可
静
か
に
穏
や
か
に
流
れ
続
け
る
︵
筆
者
訳
︶
︶
様
も
ま
た
、
夏
期
に
牛
の
放
牧
が
行
わ
れ
る
上
高
地
の
自
然
豊
か
な
光
景
を
彷
彿
さ
せ
る
。
明
に
明
神
池
で
あ
る
。
ま
た
t
heYel
l
ows
t
onef
l
owst
hr
oughagr
as
s
y,meadowl
i
keval
l
ey,wi
t
hac
al
m,s
t
eadycur
r
ent
,
上
高
地
の
気
候
わ
れ
た
上
高
地
の
景
観
は
、
西
洋
小
説冷炎
gi
vi
ngnowar
ni
ngunt
i
lver
yneart
hef
al
l
s
ま
た
伊
藤
は
얨内藤千代子
쐍
7
1
︶
︵
イ
エ
ロ
ー
ス
ト
ー
ン
川
は
、
草
の
生
い
茂
る
牧
場
の
よ
う
な
谷
間
を
滝
付
近
ま
で
は
高
山
、
常
念
岳
の
雪
や
氷
が
、
森
林
の
中
で
新
醸
る
玉
の
水
が
上
高
地
を
作
る
と
い
う
イ
メ
ー
ジ
と
重
な
る
。
渓
谷
の
端
に
あ
る
湖
は
正
雪
解
け
水
を
以
て
な
す
川
が
流
れ
る
地
は
、
小
島
烏
水
が
梓
川
の
記
で
描
い
た
ア
ル
プ
ス
の
一
線
で
最
も
天
に
近
い
槍
ヶ
岳
・
穂
北海学園大学人文論集
生
に
出
掛
け
る
。
夏
季
に
は
毎
年
二
千
人
位
の
避
暑
客
が
あ
つ
て
、
登
山
好
き
の
若
い
令
嬢
や
婦
人
の
元
気
な
姿
を
毎
日
の
や
う
に
見
此
処
は
遂
近
年
ま
で
一
軒
の
湯
宿
も
無
か
つ
た
が
、
今
で
は
温
泉
宿
が
一
軒
、
旅
籠
屋
が
一
軒
出
来
て
、
美
術
家
な
ど
が
盛
ん
に
写
︵
中
略
︶
に
は
余
程
足
達
者
な
婦
人
で
な
け
れ
ば
と
て
も
覚
束
な
い
。
憧
が
れ
る
そ
れ
等
の
婦
人
に
向
つ
て
先
づ
鎗
ヶ
嶽
山
麓
の
上
高
地
温
泉
に
遊
ぶ
事
を
お
勧
め
す
る
。
山
麓
と
云
つ
て
も
こ
ゝ
ま
で
登
る
富
士
と
違
つ
て
日
本
ア
ル
プ
ス
の
登
山
は
、
婦
人
に
取
つ
て
な
か
〳
〵
容
易
な
事
で
は
な
い
。
だ
か
ら
私
は
日
本
ア
ル
プ
ス
の
雄
姿
に
の
よ
う
に
推
奨
し
て
い
る
。
小
島
烏
水
は
日
本
ア
ル
プ
ス
の
昔
語
り
︵
女
学
世
界
第
一
五
巻
第
八
号
大
正
四
年
八
月
一
日
︶
に
お
い
て
、
上
高
地
行
き
を
次
従
来
よ
り
は
身
近
に
な
っ
た
と
認
識
さ
れ
る
よ
う
に
な
っ
て
い
た
の
で
あ
る
。
第 60号(20
16年3月)
い
此
渓
谷
は
、
潤
ほ
ひ
に
充
ち
た
え 島
て 々
達 谷
す を
る 徳
こ 本
と 峠
が の
出 頂
来 上
る 迄
や 四
う 里
に 登
な り
つ づ
た め
。쐍
7
6の
︶
と 道
述 と
べ 、
た 峠
よ か
う ら
に 梓
、 河
徳 畔
本 の
峠 温
が 泉
あ ま
る で
も 二
の 里
の 降
、 り
上 づ
高 め
地 の
は 林
道
と
、
合
せ
て
六
里
の
山
道
を
17
1
峠
を
通
り
白
沢
に
抜
け
る
道
が
明
治
三
三
年
に
開
通
す
る
と
、
田
部
が
十
有
余
年
以
前
島
々
谷
に
林
道
が
切
り
開
か
れ
て
か
ら
、
深
い
深
あ
っ
た
。
江
戸
時
代
よ
り
杣
道
と
し
て
わ
れ
て
い
た
所
謂
島
々
谷
の
林
道
の
改
修
工
事
が
明
治
二
三
年
に
開
始
さ
れ
、
岩
魚
留
か
ら
徳
本
帰
に る
路 そ よ 役
に し つ 割
て て を
用 宮 殊 担
さ 川 に っ
れ の 発 て
た 池 揮 い
徳 の さ た
本 畔 れ の
峠 に る で
쐍
7
5あ
経 位
︶
由 置 と っ
の す 述 た
ル る べ 。
ー 穂 て 田
ト 高 い 部
が 神 る 重
利 社 。 治
用 奥 上 も
さ 宮 高
れ 造 地 日
る 営 の 本
よ の 魅 ア
う 際 力 ル
に の は プ
な 往 、
川 ス
り 路 や と
そ に 雨 秩
の
と
改 用 い 巡
修 さ っ 礼
が れ た ︵
進 た 水 北
ん 鍋 と 星
だ 冠 共 堂
こ 山 に
と ・
大 語 大
も 滝 ら 正
、 山 れ 八
上 を る 年
高 経 も ︶
地 由 の で
の す で 、
魅 る あ
力 ル っ 上
が ー た 高
増 ト と 地
し で 言 の
た は え 美
一 な よ は
因 く う 、
で 、 。 雨
を
掠
め
て
地
一
面
に
凄
し
い
影
を
ひ
か
ぶ
せ
て
、
人
は
恐
威
の
力
に
悚
す
る
。
と
も
述
べ
て
い
る
。
雨
も
ま
た
上
高
地
の
魅
力
を
高
め
ど
日
々
に
雷
雨
を
誘
つ
て
白
樺
の
鮮
緑
の
梢
に
、
み
る
か
ら
に
す
が
す
が
し
い
露
を
宿
ら
す
。
濛
々
た
る
乱
雲
、
乱
積
雲
は
穂
高
霞
沢
の
頂
︵
七
四
︶
作家と山
は
上
高
地
を
小
説
の
舞
台
に
選
ん
だ
の
で
あ
る
。
︵
七
五
︶
関
わ
ら
ず
、
比
較
的
足
を
運
び
や
す
い
と
い
う
長
所
も
備
え
て
い
た
。
こ
の
よ
う
な
上
高
地
の
魅
力
が
知
ら
れ
る
よ
う
に
な
っ
た
中
、
内
藤
上
高
地
は
、
神
の
地
で
あ
り
な
が
ら
異
国
情
緒
に
あ
ふ
れ
て
い
た
。
そ
し
て
日
本
ア
ル
プ
ス
の
荒
々
し
い
自
然
に
満
ち
た
場
で
あ
る
に
も
と
と
ら
え
て
い
る
。
上
高
地
は
既
に
日
本
ア
ル
プ
ス
の
大
自
然
の
一
部
な
の
で
あ
っ
た
。
平
塚
は
上
高
地
を
、
戦
慄
せ
ず
に
は
居
ら
れ
な
い
荒
涼
、
凄
惨
な
光
景
と
い
っ
た
自
然
の
荒
々
し
さ
を
目
の
当
た
り
に
し
得
る
場
얨内藤千代子
る 烈
か な
ら 噴
、 烟
荒 に
涼 天
、 を
凄 焦
惨 し
な 、
光 万
景 目
で 死
あ に
ら 閉
う ぢ
7
8て
。쐍
︶
、
四
辺
は
緑
の
一
点
も
な
く
、
髑
髏
の
や
う
な
枯
木
立
は
無
限
の
恨
を
天
風
に
訴
へ
、
見
に
靡
い
て
高
く
消
え
る
。
け
れ
ど
、
上
高
地
温
泉
あ
た
り
か
ら
で
も
眺
め
や
う
も
の
な
ら
、
戦
慄
せ
ず
に
は
居
ら
れ
な
い
や
う
な
、
猛
小
説冷炎
か
の
憤
怒
の
焼
ヶ
岳
は
今
日
は
い
か
に
も
呑
気
さ
う
に
幟
の
や
う
な
烟
柱
を
真
直
に
立
て
ゝ
碧
空
を
白
く
二
し
た
末
は
や
ゝ
横
ざ
ま
17
0
を
馳
せ
て
い
る
。
を例として (仙波)
ま
た
所
謂
煤
煙
事
件
の
後
知
人
を
頼
り
明
治
四
一
年
秋
を
信
州
本
で
過
ご
し
た
平
塚
明
子
は
、
山
麓
か
ら
上
高
地
に
次
の
よ
う
に
思
い
強
く
印
象
付
け
て
い
る
。
と
ら
え
ら
れ
て
い
た
の
で
あ
っ
た
。
小説
冷
炎
は
徳
本
峠
越
え
に
一
三
ペ
ー
ジ
を
費
や
し
、
読
者
に
そ
の
厳
し
さ
と
共
に
景
色
の
美
し
さ
を
見 れ
や た
う 登
と 山
い 記
ふ に
位 お
の い
婦 て
人 も
に 、
な ︵
ら 徳
訳 本
な 峠
く は
跨 ︶
げ 女
ら の
れ 足
る で
山 は
で 迚
あ も
る 越
。쐍
せ
7
7
︶ な
と
述 い
べ と
ら い
れ ふ
て 程
い の
る 難
所
。
上 で
高 は
地 な
行 く
き 一
は 番
日 日
本 本
ア ア
ル ル
プ プ
ス ス
登 に
山 ぶ
の つ
序 か
章 つ
と て
束
な 日
い 本 掛
け
と ア る
ル
述
。
べ プ
た ス
よ の
う 登
に 山
、 と
こ い
こ っ
で て
は も
徳 、
本 小
峠 島
越 が
え
に 山
よ 麓
っ と
て 云
ま つ
ず て
上 も
高 こ
地 ゝ
に ま
至 で
る 登
こ る
と に
を は
指 余
し 程
て 足
い 達
る 者
。 な
大 婦
阪 人
毎 で
日 な
新 け
聞 れ
ば
に と
連 て
載 も
さ 覚
北海学園大学人文論集
記
事
に
あ
る
の
は
正
に
二
人
の
再
会
の
場
面
で
あ
る
。
上
高
地
で
の
様
子
を
、
高
村
は
次
の
よ
う
に
描
い
て
い
る
。
地
に
滞
在
し
て
い
た
。
九
月
に
長
沼
が
訪
ね
て
き
た
際
、
高
村
は
岩
魚
止
ま
で
長
沼
を
迎
え
に
行
き
共
に
徳
本
峠
を
越
え
た
の
で
あ
る
が
、
高
村 た ゐ 光 き
光
る 太 乍
太 얧 仲 郎 ら
郎 と ぢ 氏 俄
岡 や と に
智 焼 も 青 元
恵 生 の
気
子 か 、 社 づ
の ら 二 員 い
半 の 人 で て
生
し 女 温
︵ り て 流 泉
昭 が 日 洋 の
和 あ 本 画 方
一 つ쐍 ア 家 へ
0ル の 向
五 た8
︶
プ 長 つ
年
ス 沼 て
︶
に
の 千 上
よ
大 恵 つ
る
● 子 て
と
に で い
、
接 あ つ
高
し る た
村
︵ 、 、
は
中 二 美
大
略 人 術
正
︶ が 家
二
早 相 連
年
く 愛 は
八
か の 唖
月
ら 仲 然
か
滞 は ︵
ら
在 久 中
窪
し し 略
田
て い ︶
空
ゐ も 彫
穂
る の 刻
や
光 で 家
茨
太 今 の
木
郎 で 泰
猪 ︵ 氏 は 斗
之 ● を
高
吉 は 訪 別 村
ら 判 ふ 居 光
と 読 た 結 雲
と 不 も 婚 氏
も 能 の
の
に 箇 と を 息
上 所 知 し 高
高 ︶ れ て 村
人
の
青
年
が
強
力
を
つ
れ
て
と
ぼ
〳
〵
と
下
り
て
く
る
、
と
下
か
ら
美
人
、
上
か
ら
青
年
、
ハ
タ
と
視
線
が
合
ふ
と
握
手
し
て
手
を
引
た
い
け
︵
中
略
︶
手
を
引
い
て
や
つ
て
山
中
に
は
珍
ら
し
い
美
人
か
ら
感
謝
の
言
葉
を
戴
か
う
と
思
つ
て
ゐ
る
と
今
度
は
山
上
か
ら
一
第 60号(20
16年3月)
び
に
い
つ
て
麓
の
道
を
見
下
し
て
ゐ
る
と
一
人
の
美
人
が
二
人
の
強
力
に
荷
物
を
背
負
は
せ
乍
ら
挙
つ
て
く
る
、
其
姿
が
い
か
に
も
い
16
9
鎗
ヶ
嶽
の
麓
の
上
高
地
温
泉
、
此
附
近
に
は
文
士
の
窪
田
空
穂
氏
や
美
術
学
の
生
徒
な
ど
が
ゐ
る
、
或
日
の
事
此
美
術
家
の
群
が
遊
智
恵
子
が
訪
ね
、
東
京
日
日
新
聞
で
報
じ
ら
れ
て
話
題
に
な
っ
た
の
で
あ
る
。
大
正
二
年
夏
、
上
高
地
は
、
美
く
し
い
山
上
の
恋
の
舞
台
と
し
て
知
ら
れ
る
こ
と
と
な
っ
た
。
上
高
地
滞
在
中
の
高
村
光
太
郎
を
長
沼
力
を
語
っ
て
い
る
よ
う
に
、
上
高
地
は
画
家
や
作
家
・
歌
人
等
に
注
目
さ
れ
て
い
た
の
で
あ
っ
た
。
月
︶
に
掲
載
さ
れ
た
夏
の
旅
行
地
の
感
想
で
、
島
木
赤
彦
が
徳
合
峠
の
林
道
、
芥
川
龍
之
介
が
信
濃
の
上
河
内
と
題
し
そ
の
魅
人 が
が 多
余 く
程 、
増 登
え 山
て 者
温 に
泉 ま
宿 で
に
も 絵
其 か
の き
五 宿
六 と
人 よ
の ば
姿 れ
を て
見 親
ぬ し
事 ま
は
な れ
い た
ほ
。쐍
7
9ど
︶
と で
述 あ
べ っ
て た
い 。
る 一
。 高
ま の
た 生
徒
新 も
潮 、
第 近
二 年
九 画
巻 家
第 で
二 夏
号 を
︵ 此
大 の
正 地
七 に
年 過
八 す
黒
田
清
輝
の
下
で
洋
画
を
学
ん
だ
井
口
良
一
が
大
正
四
年
に
梓
川
左
岸
の
河
童
橋
の
た
も
と
に
開
業
し
た
養
老
館
に
は
文
人
墨
客
の
滞
在
第
二
節
作
の
地
と
し
て
︵
七
六
︶
作家と山
︵
七
七
︶
た
聳
え
る
山
々
が
上
高
地
に
足
を
踏
み
入
れ
た
者
を
圧
倒
す
る
だ
け
で
は
な
く
、
朝
幻
想
的
な
世
界
を
作
り
出
す
梓
川
が
日
中
に
は
強
い
日
異
国
情
緒
に
満
ち
て
い
る
故
、
高
村
や
茨
木
に
と
り
上
高
地
の
景
観
は
妙
に
親
し
み
の
無
い
景
色
と
感
じ
ら
れ
た
の
で
あ
っ
た
。
ま
か
I う
君 、
は 圧
澄 迫
ん さ
だ れ
眼 る
に や
、 う
著 で
し な
い ⋮
暗 ⋮
い
影
を
漂
は
せ
た
82
。쐍
︶
い
け
な
い
の
か
ね
、
* 此
茨 所
木 は
猪 ?
之
吉
︶
に
向
つ
て
云
つ
た
。
私
は
I
君
︵
筆
者
注
얨内藤千代子
所
に
も
驚
き
の
あ
る
こ
の
上
高
地
も
、
こ
の
人
達
に
は
つ
ま
ら
な
い
の
か
知
ら
と
思
つ
た
。
画
家
の
感
動
を
繫
ぐ
自
然
の
、
私
た
ち
の
見
る
も
の
よ
り
遠
く
離
れ
て
ゐ
る
こ
と
は
、
幾
度
も
思
は
せ
ら
れ
た
。
が
、
眼
を
遣
る
何
好
い
に
は
好
い
が
、
妙
に
親
し
み
の
無
い
景
色
だ
か
ら
な
小
説冷炎
と
、
T
君
︵
筆
者
注
*
高
村
光
太
郎
︶
も
呟
い
た
。
も
う
僕
は
此
所
に
飽
き
飽
き
し
ち
ま
つ
た
。
画
は
描
く
気
に
も
な
ら
な
い
ん
だ
し
、
食
物
は
あ
の
通
り
だ
し
⋮
⋮
を例として (仙波)
書
房 尤
も
大 、
正 上
五 高
年 地
︶ 独
で 特
、 の
上 自
高 然
地 は
に 馴
滞 染
在 み
中 難
の さ
画 を
家 感
等 じ
の さ
会 せ
話 る
を 一
次 面
の も
よ あ
う っ
に た
記 よ
し う
て で
い あ
る る
。 。
窪
田
空
穂
は
日
本
ア
ル
プ
ス
へ
︵
天
弦
堂
16
8
地
と
し
て
も
知
ら
れ
た
上
高
地
を
小
説
の
舞
台
に
選
ん
だ
の
で
あ
る
。
く
さ
れ
た
の
で
あ
る
が
、
美
く
し
い
山
上
の
恋
は
上
高
地
に
新
た
な
魅
力
を
加
え
た
と
言
え
よ
う
。
内
藤
は
、
こ
の
よ
う
な
ロ
マ
ン
ス
の
こ
こ
か
ら
、
上
高
地
の
景
観
が
作
意
欲
を
か
き
た
て
る
も
の
で
あ
っ
た
こ
と
が
か
る
。
こ
の
記
事
が
原
因
で
二
人
は
帰
京
を
余
儀
な
彼 わ
女 っ
の た
事 。
︵
を 中
妹 略
さ ︶
ん 私
か は
、 穂
夫 高
人 、
か 明
と 神
問 、
わ 焼
れ 岳
た 、
。 霞
友 沢
達 、
で 六
す 百
と 岳
答 、
え 梓
た 川
ら と
苦 触
笑 目
し を
て
い 悉
た く
画
81
。쐍
︶ い
た
。
︵
中
略
︶
そ
の
時
ウ
エ
ス
ト
ン
か
ら
上
高
地
の
風
光
に
接
し
た
彼
女
の
喜
は
実
に
大
き
か
っ
た
。
そ
れ
か
ら
毎
日
私
が
二
人
の
画
の
道
具
を
肩
に
か
け
て
写
生
に
歩
き
ま
北海学園大学人文論集
男
女
は
夥
し
い
書
物
や
雑
誌
類
を
持
込
ん
で
二
人
で
寝
そ
べ
つ
て
書
見
し
て
ゐ
た
。
室
の
壁
に
は
二
万
の
上
高
地
地
図
が
貼
ら
れ
て
、
そ
し
て
八
月
一
二
日
の
同
紙
で
は
、
上
高
地
滞
在
中
の
内
藤
の
様
子
が
次
の
よ
う
に
報
じ
ら
れ
て
い
る
。
室
に
深
く
隠
れ
姿
を
現
は
さ
ず
쐍
86高
︶
と 山
報 の
じ 気
て
い を
る 味
。 は
ひ
つ
ゝ
著
述
を
な
す
と
云
へ
り
天
候
定
ま
り
登
山
安
全
と
な
ら
ば
日
本
婦
人
穂
高
登
山
の
先
鞭
た
ら
ん
と
云
ひ
居
れ
り
い
た
。
ま
た
あ
第
る 小説 三
が 冷 節
、 炎
現
上
実 に 高
大 に は 地
阪 も
に
毎
東 お
日 読 京 け
新 売 の る
聞 新 諸 内
は 聞 新 藤
聞 千
、
が は 代
上
い 子
高 よ ち
地 み 疾
温 う く
泉 り
に 抄 玉
は
川
唯 欄 和
一 で 子
人
女
の 内
女 藤 は
客 千 日
と 代 本
し 子 ア
て 氏 ル
内 は プ
藤 信 ス
千 州 に
代 上 新
子 高 婚
あ 地 旅
り 温 行
二 泉 中
十 に 。
四 新
五 婚 と
歳 旅 報
の 行 じ
青 中 て
ゐ
年 な た
を り 。
쐍
8
4
伴 と
︶
쐍
8
5と
ひ
︶
二 と の
階 報 記
の じ 述
一 て が
第 60号(20
16年3月)
描
き
出
さ
れ
伝
え
ら
れ
た
。
内
藤
も
ま
た
、
大
正
四
年
夏
に
そ
の
一
員
と
な
っ
た
の
で
あ
る
。
16
7
独
特
の
自
然
と
ロ
マ
ン
ス
の
舞
台
で
知
ら
れ
る
上
高
地
に
は
、
そ
の
自
然
を
愛
す
る
作
家
や
画
家
ら
が
集
い
、
彼
ら
に
よ
り
そ
の
魅
力
が
を
離
れ
大
自
然
の
中
に
い
な
が
ら
に
し
て
刺
激
を
得
ら
れ
る
上
高
地
は
、
作
に
最
適
の
地
で
あ
る
と
言
え
る
の
で
は
な
い
だ
ろ
う
か
。
上
高
地
は
、
避
暑
地
で
あ
り
な
が
ら
緊
張
的
な
歓
喜
に
満
ち
て
お
り
、
安
閑
と
過
ご
す
場
で
は
な
か
っ
た
。
し
か
し
な
が
ら
、
都
会
た 界
と に
云 彷
つ 徨
て す
よ る
い 感
位 じ
、 其
私 物
に で
取 あ
つ つ
て た
緊 。
急 つ
的 ま
な り
情 此
緒 二
に 十
充 日
ち 間
て は
居 最
た も
の 強
で い
あ 音
る 楽
8
3に
。쐍
︶
魅
せ
ら
れ
た
瞬
間
の
引
き
ば
さ
れ
た
も
の
で
あ
つ
上
高
地
の
二
十
日
間
の
滞
在
は
、
私
に
何
を
与
へ
た
ら
う
か
。
そ
れ
は
徹
頭
徹
尾
切
実
な
、
疲
労
を
知
ら
な
い
緊
張
的
な
歓
喜
の
世
あ 差
田 っ し
部 た に
重 。 照
ら
治
さ
は
れ
、
煌
上
き
高
、
地
落
の
ち
魅
着
力
か
を
な
次
い
の
気
よ
う
に
に
さ
述
せ
べ
る
て
。
い
こ
る
の
。
よ
う
な
風
景
は
圧
迫
を
与
え
、
絵
心
を
そ
そ
る
と
は
限
ら
な
い
の
で
︵
七
八
︶
作家と山
つ
で
あ
っ
た
が
早
朝
や
雨
天
時
の
寒
さ
に
備
え
て
火
鉢
が
常
備
さ
れ
、
梅
雨
明
け
か
ら
八
月
半
ば
に
か
け
て
時
折
︵
七
九
︶
用
さ
れ
た
。
室
、
新
館
は
一
〇
畳
の
部
て 屋
つ が
け 各
の 階
悪 に
い 六
こ 室
と あ
夥 っ
だ た
し 。
い 一
쐍
9
1高
︶
と の
記 生
し 徒
て は
い 客
る 室
。 の
電 様
気 子
は を
な 、
く 旧
明 寮
か の
り 三
は 階
ラ で
ン は
プ な
で い
、 け
暖 れ
房 ど
は 天
囲 井
炉 が
裏 張
と つ
こ て
た な
い
壁
は
荒
壁
の
ま
ゝ
、
話
上 を
高 記
地 し
温 て
泉 い
は る
、 。
開
業
当
初
は
平
屋
一
棟
で
あ
っ
た
が
明
治
末
に
二
階
屋
の
新
館
が
増
築
さ
90
れ쐍
︶
、
客
室
は
平
屋
に
六
畳
五
室
と
四
畳
半
一
翌
四
十
三
年
は
、
千
百
九
十
人
で
、
最
も
混
雑
す
る
時
は
、
一
日
に
九
十
人
位
を
泊
め
る
こ
と
が
あ
る
さ
う
で
あ
る
얨内藤千代子
外
の
客
も
見
ら
れ
る
よ
う
に
な
っ
た
。
小
島
烏
水
は
信
濃
毎
日
新
聞
に
、
明
治
四
十
二
年
は
、
宿
帳
に
せ
ら
れ
쐍
8
9
︶ た
と
加 客
藤 が
か 千
ら 百
聞 三
い 十
た 人
、
明
治
四
二
年
に
加
藤
が
直
接
経
営
に
乗
り
出
し
て
山
岳
に
広
告
を
掲
載
し
東
京
方
面
で
の
客
の
勧
誘
を
行
う
な
ど
し
た
結
果
、
登
山
以
上
高
地
温
泉
は
、
明
治
三
七
年
一
月
八
日
に
上
高
地
温
泉
株
式
会
社
と
な
っ
た
際
に
島
々
の
旅
館
清
水
屋
の
主
人
加
藤
惣
吉
が
加
わ
り
、
小
説冷炎
と
こ
ろ
と
な
っ
た
の
で
あ
っ
た
。
16
6
を例として (仙波)
談 の
に 著
も 作
熱 の
心 読
に 者
耳 も
を い
傾 た
け と
て 思
い わ
る れ
8
8る
が쐍
︶
、 。
内 ま
藤 た
も 小説
そ 冷
う 炎
で
あ で
っ 玉
た 川
と は
思 一
わ 高
れ 生
る と
。 ト
そ ラ
し ン
て プ
こ を
れ し
ら た
に り
よ 中
り 学
、 生
内 と
藤 会
の 話
上 を
高
地 わ
滞 し
在 た
は り
知 し
ら 、
れ 登
る 山
計
百
人
以
上
︵
八
月
六
日
上
高
地
に
て
ら
内
藤
に
着
目
し
て
い
た
。
こ
の
年
、
宮 山
三 岳
郎
︶쐍
の
87
︶
と
の 会
投 員
書 通
が 信
み
ら 欄
れ に
る
よ 上
う 高
に 地
上 は
高 満
地 員
は で
賑 す
わ 大
い 阪
を の
極 団
め 体
て 六
お 十
り 人
、 、
そ 附
の 属
中 中
に 学
は 三
内 十
藤 人
、
れ
初
め
て
大
阪
へ
と
題
し
た
周
遊
記
を
連
載
す
る
な
ど
︵
大
正
二
年
一
月
四
∼
二
〇
日
全
一
四
回
︶
、
大
阪
毎
日
新
聞
は
早
く
か
前
述
の
通
り
内
藤
は
大
正
元
年
に
の
少
女
と
し
て
大
阪
毎
日
新
聞
に
登
場
し
、
同
年
末
に
は
同
社
の
招
聘
に
よ
り
大
阪
を
訪
が
咲
く
。
︵
中
略
︶
侶
伴
の
青
年
は
二
十
四
五
歳
の
背
の
高
い
逞
ま
し
げ
な
男
で
あ
つ
た
。
の
で
す
つ
か
り
煙
に
か
れ
て
し
ま
ひ
︵
中
略
︶
二
階
に
忍
ん
で
ゐ
る
女
は
内
藤
千
代
子
女
だ
と
い
ふ
者
が
あ
つ
て
、
再
び
の
花
赤
い
線
や
青
い
線
が
引
張
つ
て
あ
つ
た
。
探
険
に
往
つ
た
物
好
き
な
団
員
は
二
三
質
問
を
発
し
た
が
、
女
が
落
付
き
払
つ
て
応
酬
し
た
北海学園大学人文論集
滞
在
中
の
内
藤
も
こ
の
よ
う
で
あ
っ
た
と
思
わ
れ
、
登
山
客
も
多
い
中
、
朝
早
く
か
ら
き
ち
ん
と
化
粧
を
し
た
姿
は
人
目
を
引
い
た
で
あ
朝 ん
縁 と
側 髪
の を
欄 結
に つ
見 て
ら 了
れ つ
た て
9
7洗
。쐍
︶
面
所
へ
下
り
て
行
つ
た
。
さ
う
し
て
綺
麗
に
化
粧
を
す
ま
し
た
和
子
の
浮
き
出
す
や
う
に
白
い
顔
は
、
毎
朝
も
四
時
過
ぎ
に
は
き
つ
と
目
を
さ
ま
し
た
。
︵
中
略
︶
女
中
が
焚
き
お
と
し
を
十
能
に
盛
つ
て
火
鉢
へ
入
れ
に
来
る
頃
に
は
、
ち
や
ら
し
い
書
斎
で
、
玉
川
は
次
の
よ
う
な
日
々
を
送
っ
て
い
た
。
先
の
大
阪
毎
日
新
聞
の
記
事
と
の
共
通
点
も
多
く
、
実
際
の
内
藤
の
部
屋
の
内
部
も
こ
の
よ
う
で
あ
っ
た
と
思
わ
れ
る
。
女
流
作
家
格 に
子 貼
の り
意 つ
気 け
な て
濡 、
手 通
拭 つ
が て
か 来
け た
ら 路
れ と
た こ
9
6れ
。쐍
︶
か
ら
踏
破
し
や
う
と
云
ふ
区
域
と
に
、
紫
と
赤
筆
で
し
る
し
を
つ
け
た
。
手
欄
に
は
市
村
一
室
に
不
似
合
い
な
濃
艶
の
気
を
み
な
ぎ
ら
せ
た
。
瀬
川
︵
筆
者
注
*
出
版
関
係
者
︶
か
ら
の
贈
物
で
あ
る
二
万
の
上
高
地
地
図
は
壁
第 60号(20
16年3月)
だ
綺
麗
な
化
粧
函
や
、
ハ
イ
カ
ラ
な
バ
ス
ケ
ツ
ト
や
衣
裳
袋
や
、
袖
畳
み
に
し
た
お
召
の
羽
織
や
緋
の
帯
揚
な
ど
が
、
そ
の
雑
風
景
な
16
5
あ
っ
た
床 。
の
間
に
は
原
稿
用
紙
だ
の
、
書
籍
、
雑
誌
類
を
積
み
重
ね
、
び
か
〳
〵
光
つ
た
ニ
ツ
ケ
ル
台
の
卓
上
鏡
や
白
い
細
い
針
金
で
編
ん
た
る
焼
嶽
の
山
容
も
一
目
に
見
渡
さ
れ
る
。
座
敷
も
宿
中
で
は
一
番
上
等
で
小
綺
麗
玉
川
和
子
は
、
上
高
地
温
泉
新
館
の
二
階
に
あ
る
欄
は
梓
川
の
清
流
に
臨
み
、
쐍
95霞
︶
な 沢
部 岳
屋 の
に 翠
滞 巒
在 と
し 相
た 対
。 し
部 て
屋 、
の 西
内 側
部 へ
は ま
次 は
の れ
よ ば
う 荒
で 涼
高
く
て
、
食
物
쐍
1
6粗
︶
と 末
声 な
を れ
か ば
け 、
る 此
こ 後
と 御
も 出
あ で
っ の
た 節
。 に
は
、
お
れ
の
小
屋
に
泊
ま
り
な
さ
い
、
岩
魚
の
御
馳
走
は
、
沢
山
し
ま
す
、
宿
料
は
実
費
で
よ
い
か
ら
は が
日 明 山
本 治 岳
食 末
で か に
一 ら 掲
人 大 載
一 正 さ
円 初 れ
二 期 た
〇 に 上
銭 か 高
か け 地
ら て 温
一 の 泉
円 登 の
四 山 広
〇 記 告
銭 等 に
で に よ
あ は
っ 六 る
と
94五
た쐍
︶
。 銭 宿
ま と 料
た の は
、 記 一
案 述 泊
内 が 三
人 多 〇
銭
93
の く쐍
︶
上 、 か
条 六 ら
嘉 五 八
門 銭 〇
次 が 銭
が 相 で
案 場 、
内 で 御
の あ 来
途 っ 場
中 た の
で よ 砌
う 御
温 で 指
泉 あ 名
場 る を
は 。 乞
宿 な ふ
쐍
9
2
料 お
︶
ば 外 と
か 国 あ
り 人 る
︵
八
〇
︶
作家と山
が
上
高
地
温
泉
の
宿
泊
客
の
食
膳
に
上
っ
た
こ
と
が
え
ら
れ
る
。
フ
キ
に
つ
い
て
は
、
小
島
烏
水
も
︵
八
一
︶
宿
屋
界
隈
に
多
い
の
は
、
蕗
で
大
雪
解
け
の
遅
い
場
所
で
と
れ
る
フ
キ
ノ
ト
ウ
の
他
、
六
月
頃
か
ら
山
ウ
ド
・
ヤ
マ
ブ
キ
・
ミ
ズ
・
コ
ゴ
ミ
等
が
採
取
で
き
た
た
め
、
こ
れ
ら
を
作
っ
て
い
た
た
め
、
そ
れ
を
上
高
地
温
泉
の
料
理
に
っ
た
の
で
あ
ろ
う
。
な
お
上
高
地
温
泉
で
は
ヤ
ギ
や
鶏
も
飼
っ
て
い
た
。
山
菜
は
、
た
。
岩
魚
は
囲
炉
裏
を
利
用
し
て
燻
製
に
す
る
。
ま
た
案
内
人
の
大
井
庄
吉
は
上
高
地
温
泉
の
敷
地
内
に
小
屋
を
て
て
住
み
そ
こ
で
豆
腐
上
高
地
は
岩
魚
が
豊
富
で
、
案
内
人
の
内
野
常
次
郎
は
上
高
地
温
泉
の
裏
に
あ
る
小
屋
に
住
み
岩
魚
を
釣
っ
て
上
高
地
温
泉
に
売
っ
て
い
の
外
皆
無
と
来
て
ゐ
る
얨内藤千代子
る
。
ま
だ
岩
魚
の
天
ぷ
ら
が
い
ち
ば
ん
美
味
い
。
そ
の
他
に
は
魚
類
も
肉
類
も
、
ブ
リ
キ
く
さ
い
缶
づ
め
物
ば
か
り
。
野
菜
類
も
馬
鈴
客
の
た
て
こ
ん
だ
折
な
ど
は
三
度
〳
〵
お
豆
腐
の
お
汁
と
、
だ
し
が
ら
の
や
う
に
味
の
な
い
岩
魚
の
煮
び
た
し
ば
か
り
食
べ
さ
せ
ら
れ
上
高
地
温
泉
の
食
事
に
つ
い
て
、
内
藤
は
日
本
ア
ル
プ
ス
へ
엊
︵
そ
の
二
︶
に
次
の
よ
う
に
記
し
て
い
る
。
小
説冷炎
つ こ
た の
花 名
が が
一 つ
面 け
に ら
咲 れ
い た
て 。
ゐ 大
た 正
。쐍 二
︶ 年
と に
柳 上
蘭 高
に 地
つ を
い 訪
て れ
記 た
し 窪
て 田
い 空
る 穂
他 も
、 、
丸
山 す
注 い
連 す
三 い
郎 と
他
の
槍 高
が い
嶽 、
乃 茎
美 も
観 葉
も
で 柳
も に
取 似
り た
上 、
げ 紅
て ゐ
い の
花
る쐍
︶
。 を
も
16
4
を例として (仙波)
蘭
と
も
い
い
、
上
高
地
温
泉
周
辺
で
見
ら
れ
、
高
さ
一
∼
一
・
五
メ
ー
ト
ル
で
、
葉
が
ヤ
ナ
ギ
、
紫
色
の
花
が
ラ
ン
に
似
て
い
る
こ
と
か
ら
虎
の
尾
、
百
合
、
白 あ
昼 ざ
で み
も 、
虫 い
が ち
啼 ば
い ん
て 多
ゐ い
た の
。쐍 が
︶
と 例
い の
う 柳
自 草
然 。
の 八
中 千
で 草
過 が
ご 咲
し き
た 乱
。 れ
内 、
藤 古
も の
同 物
様 語
で か
あ 絵
っ 巻
た 物
と に
思 で
わ も
れ あ
る り
。 さ
う
柳 な
草 場
面
は 。
柳 薄
も
穂
に
出
て
엊
は
う
よ
り
、
家
屋
が
草
の
中
に
埋
も
つ
て
了
つ
て
る
と
云
つ
た
方
が
適
当
な
く
ら
ゐ
。
釣
鐘
草
の
薄
紫
や
毒
草
だ
と
い
ふ
鳥
兜
。
つ
は
ぷ
き
、
た
後
宿
が
絹 立
の ち
や の
う ぼ
な る
大 靄 。
風 の そ
の 底 れ
凪 を が
い 、 対
だ 真 岸
後 珠 の
の の 山
や や や
う う 林
な な を
静 底 微
け 光 妙
さ り な
쐍 を
も
︶
に 帯 の
な び に
る て し
と 水 て
、 が 見
流
家 れ せ
︵ る る
筆 。쐍 。
99瀬
者
︶
の
と
注
* い 音
上 う も
高 梓 ま
地 川 だ
温 独 眠
泉 特 り
︶ の か
の 朝 ら
ま の 醒
は 光 め
り 景 ぬ
に を や
は 目 う
夏 に に
草 し や
が 、 は
茂 登 ら
つ 山 か
て 客 で
ゐ が あ
る 出 る
と 発 。
云 し 薄
ろ
う
。
帯
も
い
つ
も
好
ん
で
き
ち
ん
と
お
太
鼓
に
結
ん
で
ゐ
쐍
9
8
︶
た
。
そ
し
て
玉
川
は
、
屋
根
か
ら
も
川
面
か
ら
も
ほ
の
〴
〵
と
水
蒸
気
が
北海学園大学人文論集
た
の
で
あ
っ
た
。
出
し
、
避
暑
地
暮
ら
し
を
満
喫
し
て
い
た
と
思
わ
れ
る
。
そ
し
て
新
興
の
避
暑
地
上
高
地
で
夏
を
過
ご
す
作
家
と
い
う
新
た
な
魅
力
を
放
っ
で
あ
っ
た
で
あ
ろ
う
。
し
か
し
約
三
週
間
上
高
地
に
滞
在
し
た
こ
と
か
ら
み
て
、
内
藤
は
こ
れ
ら
を
補
っ
て
余
り
あ
る
魅
力
を
上
高
地
に
見
る
。
数
少
な
い
女
の
客
と
し
て
他
の
宿
泊
客
の
好
奇
の
目
に
さ
ら
さ
れ
、
作
家
内
藤
千
代
子
を
知
る
宿
泊
客
か
ら
は
何
か
と
索
さ
れ
る
日
々
小説
冷
炎
に
は
玉
川
の
執
筆
の
様
子
は
描
か
れ
て
い
な
い
が
、
上
高
地
滞
在
中
内
藤
は
第6
0号(2
0
1
6年3月)
と
が
魅
力
で
あ
っ
た
と
思
わ
れ
る
。
ま
た
長
期
滞
在
に
も
向
い
て
い
る
と
言
え
よ
う
。
小説
毒
蛇
の
執
筆
に
時
間
を
費
や
し
た
と
思
わ
れ
16
3
上
口
の
湯
屋
と
し
て
江
戸
時
代
よ
り
注
目
さ
れ
て
い
た
上
高
地
温
泉
で
あ
っ
た
が
、
効
能
よ
り
徳
本
峠
越
え
や
登
山
の
汗
を
流
せ
る
こ
広
い
こ
と
は
広
か
、
天
井
は
張
つ
て
な
い
が
棟
に
上
高
地
温
泉
株
式
会
社
と
書
い
て
あ
る
。
湯
怠 は
を 清
慰 澄
す 、
る 何
に 泉
は だ
足 か
つ 知
た ら
。쐍
ぬ
︶
が
塩
泉
か
炭
酸
位
な
の
で
病
気
に
は
あ
ま
り
き
ゝ
め
も
あ
る
ま
い
、
而
し
吾
等
の
疲
れ
否
山
中
生
活
の
温
泉
に
つ
い
て
は
、
一
高
の
生
徒
が
次
の
よ
う
に
記
し
て
い
る
。
い
う
ほ
ど
で
あ
っ
た
。
な
お
食
事
は
、
新
館
の
み
各
部
屋
に
運
ば
れ
た
。
が
続
け
ば
食
事
は
保
存
食
の
岩
魚
ば
か
り
に
な
る
。
ま
た
そ
の
味
も
、
一
高
生
が
上
記
以
外
の
食
料
や
炭
な
ど
は
徳
本
峠
を
越
え
て
運
ば
な
け
れ
ば
な
ら
な
い
た
め
学 、
費
な 用
ら の
吾 点
等 か
は ら
正 も
に 種
▲ 類
卓 ・
子 量
を 共
顚 に
覆 限
ら
し れ
た 、
筈 悪
쐍
9
1天
︶
と 候
て き
、 い
三 の
度 は
の 五
飯 六
に 尺
味 の
噌
汁 に
と 達
し す
て る
出 と
さ 述
れ べ
た て
の い
に る
は 。
閉 ま
口
し た
た︵ 小
島
︶
と は
も 、
記 何
し と
て い
い ふ
る 茸
。 か
知
ら
ぬ
が
、
饅
頭
笠
の
大
き
さ
ほ
ど
の
を
採
つ
て
来
←
▲
︵
八
二
︶
原
稿
マ
マ
作家と山
れ
ば
万
山
富
士
に
は
其
徳
を
敬
し
、
鎗
ヶ
嶽
に
は
其
威
を
畏
る
。
︵
八
三
︶
鎗
ヶ
嶽
は
万
山
を
統
べ
て
、
東
南
の
方
を
顧
み
、
威
武
遠
く
富
士
に
迫
れ
ど
も
、
大
霊
の
鍾
ま
る
と
こ
ろ
、
謙
り
て
之
を
凌
が
ず
、
さ
얨内藤千代子
︵
︵
中 そ 鎗 中 山
略 の ヶ 略 尖
︶ 体 嶽 ︶ り
て
た は
嶮
ら 、
し
く い
け
は か
れ
日 に
ば
本 名
な
山 称
り
嶽 自
。
に
通 と
有 は
せ い
る ひ
尖 な
塔 が
形 ら
に 、
あ そ
ら の
ず 轟
、 々
一 と
個 し
無 て
煙 鋭
の く
尖
煙チ
ム
れ
筒子
イ
形 る
を と
成 こ
し ろ
て 、
聳 一
ゆ 穂
る の
な 寒
り 剣
、
晃
々
と
し
て
天
を
削
る
。
山
高
け
れ
ば
な
り
。
何
が
故
に
然
り
し
か
。
小
説冷炎
余
が
鎗
ヶ
嶽
登
山
を
お
も
ひ
立
ち
た
る
は
、
一
朝
一
夕
の
こ
と
に
あ
ら
ず
。
16
2
槍
ヶ
岳
の
魅
力
に
つ
い
て
、
小
島
は
連
載
の
冒
頭
で
次
の
よ
う
に
述
べ
て
い
る
。
を例として (仙波)
様
を
綴
っ
た
も
の
で
あ
る
。
水 中
で
鎗 も
ヶ 特
嶽 に
探 注
険 目
記 さ
れ
に て
よ い
る た
と 山
こ で
ろ 、
が そ
大 の
き 理
い 由
。 は
同 明
登 治
山 三
記 六
は 年
明 一
治 月
三 か
五 ら
年 一
夏 二
に 月
小 ま
島 で
が 九
岡 回
野 に
金 わ
次 た
郎 り
と
共 文
に 庫
槍
ヶ に
岳 連
に 載
登 さ
頂 れ
し た
た 小
際 島
の 烏
を
割
き
︵
二
六
〇
ペ
ー
ジ
中
三
一
ペ
ー
ジ
︶
、
描
写
も
詳
細
で
あ
る
。
文
政
一
一
年
に
幡
隆
に
よ
り
開
山
さ
れ
た
槍
ヶ
岳
は
日
本
ア
ル
プ
ス
の
第
内 一
藤 節
は
槍
小説
ヶ
冷 岳
炎 の
魅
に 力
お
い
て
玉
川
の
槍
ヶ
岳
・
焼
岳
・
穂
高
岳
登
頂
を
描
い
て
い
る
が
、
そ
の
中
で
も
槍
ヶ
岳
登
山
に
最
も
多
く
ペ
ー
ジ
第
三
章
小説
冷
炎
と
槍
ヶ
岳
登
頂
北海学園大学人文論集
あ
っ
た
と
言
え
よ
鎗 う
ヶ 。
嶽
な
お
小
島
は
の
表
記
を
用
い
て
い
る
が
、
そ
の
意
図
は
信
濃
と
越
後
の
境
界
に
位
置
す
る
鎗
ヶ
岳
と
区
別
す
る
こ
と
に
쐍
︶
槍
ヶ
岳
の
魅
力
は
、
そ
の
特
異
な
山
容
が
屹
然
と
聳
え
る
と
こ
ろ
に
あ
っ
た
。
近
寄
り
難
い
囲
気
も
ま
た
、
槍
ヶ
岳
の
魅
力
の
一
つ
で
て
剣 表
い ま 半 現
険 具 信 る た 天 し
峻 し 陽 。 明 ニ た
治 亘 よ
、 の
三 ル う
か 周 西
九 コ な
に ら 陬
年 ト 独
宇 す 一
に 、 特
内 に 大
刊 野 の
に 深 剣
行 中 形
絶 渓 峰
さ ノ で
し を あ
れ 一 、
蒼 以 り
た 本 ア
勁 て 、
丸 杉 ル
し 槍
山 ノ プ
削 、 ヶ
注 如 ス
常 囲 嶽
連 ク を
に む と
三 、 も
杳 に 謂
郎 日 擬
々 峻 ふ
他 本 似
た 嶽 。
山 体
る を 中
槍 嶽 験
白 以 央
が 中 し
雲 て 山
嶽 、 得
を す
乃 コ る
冠 。 の
美 ノ 山
と 海 群
観 奇 で
し 抜 巒
あ
、 一 を
︵
万 脚
高 ヲ っ
一 下
美 他 た
と 千 に
書 ニ 。
し 尺 平
店 見 高
て 、 伏
︶ ズ쐍 頭
で
式
空 高 せ
︶
は と
際 き し
、 そ 日
に に め
聳 於 、
槍 の 本
ゆ て 尖
ヶ 特 山
。쐍
岳 異 嶽
富 鋭
︶
の な 志
岳
魅 姿
に 矗
力 が に
一 立
が 記 お
籌 真
次 さ い
を に
の れ て
輸 碧
よ て も
す 落
う い 、
と を
に る 尖
雖 摩
述 。 削
も す
べ
シ
、 の
ら
テ
そ 観
れ
孤
の を
16
1
を と
い
え
ば
富
士
山
の
よ
う
な
小
島 ひ る
は つ 雲
槍 け 霧
ヶ て に
岳 、 刷
の 千 か
魅 万 れ
力 年 て
と の 黒
し 後 写
尖 て 、 さ
塔 、 之 る
形 ま を ゝ
ず 解 の
で
き み
あ 一 得 、
る 個 る 彼
の 無 天 の
に 煙 才 影
対 の の は
し 煙チ
ム 現 紙
、 筒子
イ ず に
槍 形 る 落
ヶ を を ち
쐍 岳 成 俟 ず
︶
︵ は し つ쐍 、
槍 ウ て 。︶ 筆
に
ヶ ェ 聳
載
岳 ス ゆ
ら
、 ト る
ン
ず
槍
、
の が と
只
峰 上 い
う
田
だ
、
そ
か
宇
日
宙
本 ら の
独
の
の
特
本
或
マ
一
ッ へ の
点
タ 向 姿
を
か
に
ー
あ
ホ う あ
や
ル 途 げ
て
中
し
ン
げ
︵ に い
な
筆 見 る
。
た
る
者
日
そ
弧
訳
の 本
線
︶
︶ 山 の
を
と 容 山
結
Yar
i
gat
ake,t
he SpearPeak,t
heMat
t
er
hor
nofJapan
あ
っ
た
、
小
島
は
、
余
の
所
謂
鎗
ヶ
嶽
乗
鞍
嶽
は
信
飛
境
上
の
も
の
に
し
て
、
鎗
の
高
さ
は
海
抜
三
千
五
百
三
十
一
米
突
︵
中
略
︶
余
が
目
第 60号(20
16年3月)
初
め
て
醒
む
る
の
快
き
を
お
も
ふ
、
富
士
は
詩
に
入
り
画
に
入
り
た
れ
ど
、
彼
は
只
だ
天
上
の
光
線
を
浴
び
て
白
描
せ
ら
れ
、
混
沌
た
︵
他 中
略
は ︶
円
錐
に
し
て
彼
は
尖
錐
な
り
、
吾
性
素
よ
り
尖
を
愛
す
、
他
は
婉
容
に
し
彼
は
冷
な
り
、
我
は
冷
や
か
な
る
も
の
に
参
し
て
︵
八
四
︶
作家と山
︵
八
五
︶
ニ
ス
ト
初 の
め 手
て 記
槍
ケ 書
岳 物
の 展
名 望
を 社
知
つ 昭
て 和
か 一
ら 一
、 年
こ ︶
の で
山 、
に 花
憧 崗
憬 岩
し に
た つ
の い
も て
、 次
久 の
し よ
い う
間 に
で 述
あ べ
つ て
た い
。 る
そ 。
れ
は
志
賀
重
昴
先
生
の
日
本
風
景
然
の
神
秘
を
体
感
す
る
場
を
求
め
る
登
山
者
が
槍
ヶ
岳
を
め
ざ
し
た
理
由
は
こ
こ
に
あ
っ
た
。
小
島
は
槍
ヶ
岳
か
ら
の
黎
明
︵
ア
ル
ピ
얨内藤千代子
崗 ら
い じ
岩 ん ま な て
は と た い쐍
、
︶
欲 志 。 富
江 せ 賀
士
山 ば は
山
の 、
の
洵 須 日
一
美 ら 本
万
、 く 風
二
流 此 景
千
水 山 論
四
の ︵
百
쐍
澄 筆 で
六
︶
者
と 澈
、
十
い 、 注
七
* 日
う 太 槍
尺
長 気 ヶ 本
に
の
所 の 岳
次
山
を 清 ︶
い
備 爽 に 嶽
で
中
え 、 登
、
、
、 地 る
鎗
花 盤 べ 火
ヶ
山
崗 の し
嶽
쐍 岩
岩 堅
第
︶ に
と
か
二
︵
ら 、 槍 次
ぎ
傍
成 土 ヶ
点
る 壌 岳 高
筆
槍 の の 邁
者
ヶ 浄 さ な
る
︶
岳 潔 ら
は 、 な は
の
花
心 微 る 崗
部
身 菌 魅 岩
を 発 力
쐍
は
浄 達 を で︶
化 の 説 あ
山
さ 予 き る
水
せ 防 、 た
無
る と 小 め
尽
場 な 島 、
蔵
で り に
あ 無 も 花
に
っ 形 影 崗
お
た 上 響 岩
い
の 亦 を 山
て
で た 与 の
修
あ 其 え 本
正
る の た 色
さ
。 所 。 を
れ
自 在 花 知
て
民
人
の
気
風
を
感
化
す
る
所
多
し
小
説冷炎
高
が
列
挙
さ
れ
る
が
、
山
水
無
尽
蔵
で
は
そ
れ
が
軒
並
み
修
正
さ
れ
る
。
と
述
べ
て
い
る
が
、
鎗
ヶ
嶽
探
険
記
の
日
本
全
国
を
通
16
0
日
本
第
二
峰
で
は
な
く
な
っ
て
い
る
。
な
お
熊
谷
は
前
掲
論
文
に
お
い
て
鎗
ヶ
嶽
探
険
記
第
二
章
で
は
、
日
本
ア
ル
プ
ス
の
山
々
の
標
を例として (仙波)
た 明 て
だ 治 お
し 三 り
、 五 、
現 年 日
在 九 本
の 月 第
日 で 二
本 、 峰
第 標 と
二 高 い
峰 三 う
北 一 点
岳 七 が
の 七 魅
三 ・ 力
等 五 で
三 メ あ
角 ー っ
点 ト た
測 ル こ
と と
量 さ
は れ쐍 が
明 、︶
治 小 か
三 島 る
七 が 。
陸
年
に 鎗 軍
行 ヶ 測
わ 嶽 量
れ 探 部
に
て
お 険 よ
쐍 記
り︶
る
、
を 槍
鎗 連 ヶ
ヶ 載 岳
嶽 し の
探 た 二
険 当 等
記 時 三
角
連 は 点
日
載
測
の 本 量
翌 第 が
年 二 行
に 峰 わ
槍 で れ
ヶ あ た
岳 っ の
は た は
。
一 に
米 関
突︵ 心
が
︶
と 寄
記 せ
し ら
た れ
こ た
と 一
に 因
よ で
る あ
。 る
小 と
島
は え
ら
海 れ
抜 る
三 。
五 小
三 島
一 の
米 こ
突 の
と 記
い 述
ふ は
高 、
さ 志
は 賀
、 重
富 昴
士 が
山
に 日
亜 本
ぐ 風
高 景
山 論
で
あ で
る 槍
に ヶ
於 岳
て を
を
や 海
쐍
抜
︶
と 三
述 五
べ 三
そ
し
て
小
島
が
日
本
全
国
を
通
じ
て
、
富
士
山
の
一
万
二
千
四
百
六
十
七
尺
に
次
い
で
、
鎗
ヶ
嶽
第
二
쐍
︶
と
記
し
た
こ
と
も
、
槍
ヶ
岳
し
て
い
る
。
的
の
鎗
ヶ
嶽
が
、
人
跡
未
だ
到
ら
ざ
る
と
こ
ろ
に
、
牢
く
神
秘
の
扉
を
閉
し
て
峻
絶
嶮
絶
を
極
め
た
る
さ
ま
は
測
知
す
る
に
難
か
ら
ず
と
쐍
︶
北海学園大学人文論集
答 ⋮ う
は ⋮ か
上
穂 と 条
高 の に
は 回 問
嶮 答 い
山 を 、
ぢ 得 人
や た が
で の 二
な で 日
。 あ な
る
で が ら
、 、 三
こ そ 日
れ の も
に 際 掛
よ に る
つ
り
玉 穂 も
川 高 り
は と で
槍 鎗 な
ヶ で 、
岳 は 無
を ど 理
選 つ を
ん ち せ
だ が ず
の 易 と
で し や
あ い つ
っ ん て
見
た쐍
︶ で
。 し る
一 や か
方 う な
。 。
な
日
本 と ア
ア の に
ル 質 、
プ 問 大
ス も し
へ し た
︵ て こ
三 い と
︶ る は
。 ね
で そ え
内 の で
藤 回 엊
ぜ
内
藤
は
槍
ヶ
岳
を
選
択
し
た
で
あ
ろ
う
か
。
し
か
し
な
が
ら
、
前
述
の
大
正
四
年
八
月
八
小説 日
冷 付
炎
大
で 阪
玉 毎
川 日
は 新
、 聞
上
条 に
嘉 あ
門 る
次 よ
の う
小 に
屋 穂
を 高
訪 岳
れ も
た 日
際 本
に 婦
自 人
未
が 登
槍 頂
ヶ で
岳 あ
に っ
登 た
れ 。
る で
か は
ど な
い 踏
た で
の あ
で る
あ と
っ 聞
た쐍
き
︶
。 及
び
、
一
つ
私
達
が
卒
先
し
て
立
派
に
巾
界
の
レ
コ
ー
ド
を
つ
く
つ
て
や
ら
う
じ
や
あ
り
ま
せ
ん
か
と
の
思
い
を
抱
の
妻
フ
ラ
ン
セ
ス
︵
Fr
ancesWes
t
on
は
、
き
け
ば
穂
高
は
嶮
山
だ
け
れ
ど
も
、
距
離
が
近
い
の
で
日
帰
り
に
出
来
る
。
鎗
ヶ
嶽
の
方
は
ど
う
し
て
も
途
中
野
宿
同
様
の
岩
窟
に
一
︶
が
夫
と
共
に
槍
ヶ
岳
の
登
頂
に
成
功
し
婦
人
初
の
登
頂
者
と
さ
れ
て
い
た
一
方
で
日
本
婦
人
は
未
第 60号(20
16年3月)
た
り
刺
戟
さ
れ
た
り
、
ど
う
に
も
脾
肉
の
歎
に
堪
へ
ら
れ
な
く
な
り
登
山
に
至
っ
た
と
し
て
い
る
。
加
え
て
、
大
正
二
年
に
ウ
ェ
ス
ト
ン
15
9
の
苦
し
さ
が
忘
れ
ら
れ
ず
、
も
う
〳
〵
登
山
癖
な
ん
ぞ
真
平
だ
と
懲
り
〳
〵
言
ひ
合
つ
て
ゐ
た
。
し
か
し
周
囲
の
怪
気
に
あ
て
ら
れ
へ
엊 で
は
の 、
冒 内
頭 藤
で は
は ど
、 の
よ
登 う
山 な
は 理
兎 由
も か
角 ら
上 槍
高 ヶ
地 岳
温 に
泉 着
に 目
二 し
十 た
日 の
ば で
か あ
り ろ
暑 う
を か
避 。
け 内
る
予 藤
定 は
。쐍
女
︶
と 学
述 世
べ 界
、
上 に
高 連
地 載
到 さ
着 れ
後 た
も
日
徳 本
本 ア
峠 ル
越 プ
え ス
あ
っ
た
。
ヲ
挟
ン
デ
花
崗
ノ
白
礫
雪
ノ
如
ク
、
数
里
ノ
間
ニ
布
ク
ヲ
見
ル
と
述
べ
て
い
る
。
花
崗
岩
か
ら
成
る
上
高
地
も
ま
た
、
清
浄
な
場
な
の
で
쐍
︶
花
崗
岩
が
大
な
る
魅
力
を
持
つ
も
の
で
あ
っ
た
こ
と
が
か
る
。
な
お
高
頭
は
日
本
山
嶽
志
で
、
上
河
内
︹
カ
ミ
ウ
チ
︺
ハ
、
梓
川
説 る
い 片
て 麻
あ 岩
る 帯
と と
こ の
ろ 間
に に
打 、
ち 劈
込 入
ん せ
だ る
の 火
で 山
あ 岩
つ 帯
た と
。쐍
、
︶
こ
の
三
岩
帯
の
錯
す
る
処
、
是
れ
日
本
国
中
の
真
成
な
る
深
山
幽
谷
論
を
読
ん
で
、
中
部
日
本
の
花
崗
岩
の
章
に
至
つ
て
、
越
後
越
中
信
濃
飛
騨
の
境
上
に
綿
亘
せ
る
花
崗
岩
帯
と
、
そ
の
西
に
と 縁
、 せ
︵
八
六
︶
作家と山
こ
の
ペ
ー
ジ
は
、
内
藤
が
槍
ヶ
岳
出
発
前
に
︵
八
七
︶
編
集
部
へ
送
り
、
そ
の
後
槍
ヶ
昨
朝
六
時
十
五
出
発
。
ど
う
や
ら
鎗
ヶ
嶽
一
万
六
百
尺
の
険
を
よ
ぢ
、
下
山
の
途
中
坊
主
茶
屋
と
申
す
露
営
同
様
の
岩
室
に
日
本
ア
ル
プ
ス
へ
엊
︵
そ
の
二
︶
の
冒
頭
︵
写
真
③
︶
に
、
本
文
と
は
別
に
小
さ
い
字
で
次
大
正
四
年
一
〇
月
一
日
一
、
内
藤
千
代
子
二
、
笹
野
雪
彦
正
四
年
一
〇
日 月
本 一 日
ア 日 本
ル
ア
プ
ル
ス
プ
で
ス
見
へ
た
엊
内
︵
藤
そ
千
の
代
二
子
︶
女
・
日
本
ア
惜
ル
春
プ
譜
ス
へ
に
︵
現
三
は
︶
れ
た
い
女
ず
れ
の
も
苦
悶
女
学
世
界
淑
女
第
画
一
報
五
第
巻
四
第
巻
一
第
〇
一
号
〇
号
大
=
女
学
世
界
쐍
八
月
十
三
日
︶
一
泊
い
た
し
、
今
日
午
後
三
時
半
無
事
上
高
地
温
泉
に
帰
宿
仕
り
候
。
日
本
婦
人
最
初
の
登
山
者
と
し
て
の
レ
コ
ー
ド
を
つ
り
し
を
御
三
、
信
濃
民
女 報
学
世 大
界 正
五
に 年
掲 八
載 月
さ 一
れ 六
た 日
内
藤
は
、
小
説冷炎
=
日
本
ア
ル
プ
ス
へ
엊
︵
そ
の
二
︶
本
文
を
よ
ろ
こ
び
下
さ
る
べ
く
候
。
の
よ
う
に
槍
ヶ
岳
登
頂
を
記
し
て
い
る
。
얨内藤千代子
15
8
を例として (仙波)
登
頂
の
証
左
を
挙
げ
る
の
は
非
常
に
困
難
で
あ
る
が
、
以
下
の
記
事
に
お
い
て
内
藤
の
槍
ヶ
岳
登
頂
に
関
す
る
記
述
が
み
ら
れ
る
。
で
は
、
内
藤
は
槍
ヶ
岳
に
登
頂
し
た
の
で
あ
ろ
う
か
。
そ
し
て
そ
れ
は
日
本
婦
人
の
初
登
頂
で
あ
る
と
言
え
る
の
で
あ
ろ
う
か
。
山
岳
の
第
二
節
槍
ヶ
岳
登
頂
を
め
ぐ
り
て
、
日
本
婦
人
未
踏
の
地
と
い
う
点
も
ま
た
、
内
藤
に
と
っ
て
魅
力
で
あ
っ
た
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思
わ
れ
る
。
内
藤
は
、
日
本
に
あ
り
な
が
ら
特
異
か
つ
未
知
な
存
在
で
、
よ
り
登
山
の
醍
醐
味
を
味
わ
え
る
槍
ヶ
岳
を
小
説
の
素
材
に
選
ん
だ
。
加
え
理
由
は
こ
こ
に
あ
る
と
言
え
よ
う
。
泊
、
も
し
く
は
二
泊
し
な
け
れ
ば
な
ら
ぬ
と
言
ふ
の
が
興
味
を
そ
ゝ
つ
て
槍
ヶ
岳
を
選
ん
だ
と
述
べ
て
い
る
。
内
藤
が
槍
ヶ
岳
を
選
ん
だ
北海学園大学人文論集
笹
野
は
、
内
藤
の
取
材
を
登
頂
せ
ず
登
山
記
を
書
く
も
の
と
批
判
し
、
登
山
姿
を
も
浮
つ
い
た
心
情
の
発
露
と
と
ら
え
て
い
る
。
小説
冷
炎
て
ゐ
ま
し
た
。
様
子
を
熱
心
に
き
い
た
り
、
あ
な
た
の
室
の
壁
に
は
つ
て
あ
る
ア
ル
プ
ス
の
地
図
に
紫
筆
で
線
を
ひ
い
て
あ
る
の
を
知
つ
て
憤
慨
し
い
つ
、
中
腹
ま
で
昇
つ
て
、
引
返
し
た
く
せ
に
絶
頂
ま
で
行
つ
た
や
う
に
書
く
ぜ
엊
と
あ
る
一
人
は
、
あ
な
た
が
他
の
人
に
絶
頂
の
し
か
も
、
し
ま
り
の
な
い
日
本
服
に
、
エ
ー
ル
を
つ
た
あ
な
た
の
姿
は
、
私
等
の
仲
間
の
反
感
を
少
か
ら
ず
買
つ
た
の
で
す
。
あ
あ
る
雑
誌
に
日
本
ア
ル
プ
ス
登
山
の
記
事
を
書
く
た
め
に
来
た
と
い
ふ
あ
な
た
は
、
穂
高
の
中
腹
ま
で
登
つ
て
引
返
し
て
し
ま
つ
た
。
し
、
内
藤
の
様
子
を
次
の
よ
う
に
描
い
て
い
る
。
的
に
内
藤
に
対
し
好
意
的
で
あ
る
と
は
言
い
難
い
内
容
で
あ
る
。
笹
野
は
冒
頭
部
で
内
藤
が
男
性
と
共
に
上
高
地
を
訪
れ
た
こ
と
を
揶
揄
第 60号(20
16年3月)
い
る쐍
︶
。
笹
野
は
前
述
の
大
阪
市
教
育
会
の
登
山
団
の
一
員
で
あ
っ
た
可
能
性 玉
が 川
あ が
る 大
。 阪
笹 の
野 小
の
投 学
稿
の 教
主 師
旨 と
は
わ
惜 し
春 た
譜 会
批 話
判 が
で 記
、 さ
全 れ
体 て
15
7
写真③ 女学世界 第 1
5巻第 1
0号
(神奈川近代文学館所蔵)
あ
な
た
と
同
宿
し
た
の
で
す
。
と
述
べ
て
お
り
、
小説
冷
炎
に
も
腕
白
連
と
一
緒
で
上
高
地
の
温
泉
旅
館
に
於
て
、
偶
然
に
も
一
方
笹
野
は
投
稿
の
冒
頭
で
、
大
阪
の
教
育
家
と
そ
の
つ
れ
の
て
い
る
の
で
あ
る
。
も
ま
た
日
本
ア
ル
プ
ス
へ
엊
︵
そ
の
二
︶
と
同
号
に
掲
載
さ
れ
よ
う
。
し
か
し
、
槍
ヶ
岳
登
頂
を
記
し
た
日
本
ア
ル
プ
ス
へ
︵
三
︶
る に 岳
部 挿 に
入 登
は し 頂
、 た し
言 か て
わ の
ば よ 女
速 う 学
報 な 世
と 印 界
し 象
て を 編
の 与 集
役 え 部
割 る へ
を 。 報
担 槍 告
っ ヶ し
て 岳 た
い 登 も
る 頂 の
と を を
言 告 こ
え げ こ
︵
八
八
︶
作家と山
て
い
る
。
︵
八
九
︶
と 日
し 本
て
い 登
山
る쐍
︶
他
、 年
布 表
川 ︵
欣 山
一 と
編 渓
谷
目 社
で
見 平
る 成
日 一
本 七
登 年
山 ︶
は
︵
山 信
と 濃
渓 民
谷 報
社
の
二 同
〇 記
〇 事
五 を
典
年쐍
︶
︶ 拠
も と
内 し
藤 て
を 内
日 藤
本 を
婦 日
人 本
初 婦
の 人
槍 初
ヶ の
岳 槍
登 ヶ
頂 岳
者 登
と 頂
し 者
の
生
徒
の
居
住
地
が
番
地
ま
で
書
か
れ
て
い
る
が
、
岡
は
四
名
の
う
ち
三
名
が
実
名
で
は
な
い
こ
と
を
指
摘
し
て
い
る
。
遠
藤
甲
太
他
編
얨内藤千代子
い を
岡 る 踏 ま
生 茂 。 破 た
徒 雄 こ し
の た 信
の
穂 落 記 際 濃
高 穂 事 に 民
岳 を か
報
登 拾 ら 昨
山 う 、 年 に
大 内 は
に
つ ︵ 正 藤 登
い ア 四 千 頂
て ル 年 代 当
述 プ に 子 時
お が の
べ
た 第 け 槍 記
も 一 る ヶ 事
の 一 内 嶽 は
で 〇 藤 に な
内 号 の 登 い
槍 り が
藤
の 昭 ヶ て 、
槍 和 岳 大 翌
ヶ 四 登 に 大
岳 二 頂 気 正
登 年 が を 五
頂 四 現 吐 年
地 き 八
に 月쐍
︶
は ︶ で た 月
言 は は る 一
及 こ 認 が 三
し の 知 流 日
て 記 を 石 に
い 事 得 に 奈
な を て 穂 良
い と い 高 女
。 り た 嶽 子
な あ こ に 高
お げ と は 等
記 て が 登 師
事 い
る 範
に る か 事 学
は が る を
奈 、 。 得 の
良 奈
ざ 生
り 徒
女 良
き 四
子 女
쐍
高 子
名
︶
と が
等 高
ふ 穂
師 等
れ 高
範 師
て 岳
学 範
学
小
説冷炎
へ
엊
︵
そ
の
二
︶
の
冒
頭
部
は
槍
ヶ
岳
登
頂
以
前
に
書
か
れ
た
も
の
で
あ
る
故
、
槍
ヶ
岳
登
頂
の
証
左
た
り
得
な
い
こ
と
に
な
る
。
15
6
岳
登
頂
を
な
し
得
た
こ
と
を
示
し
て
い
る
と
言
え
る
の
で
は
な
い
だ
ろ
う
か
。
た
だ
し
笹
野
の
言
が
正
し
い
と
す
れ
ば
、
日
本
ア
ル
プ
ス
を例として (仙波)
こ
と
に
な
る
。
内
藤
批
判
を
旨
と
す
る
笹
野
の
投
稿
に
お
け
る
私
は
満
腔
の
熱
誠
を
以
て
祝
福
し
た
と
の
好
意
的
な
言
は
、
内
籐
が
槍
ヶ
る
と
、
内
藤
は
某
所
に
通
信
さ
日 れ
本 た
ア 事
ル
プ と
ス は
へ 、
엊 前
︵ 述
そ の
の
二 日
︶ 本
全 ア
文 ル
を プ
ス
女 へ
学 엊
世 ︵
界 そ
の
編 二
集 ︶
部 の
へ 冒
送 頭
っ 部
た
後 で
、 あ
槍 る
ヶ と
岳 思
登 わ
頂 れ
を る
。
真 笹
に 野
実 の
行 投
さ 稿
れ に
た よ
あ
な
た
は
真
に
実
行
さ
れ
た
も
の
と
し
て
、
私
は
満
腔
の
熱
誠
を
以
て
祝
福
し
た
。
只
今
槍
ヶ
岳
の
険
を
跋
渉
し
て
下
山
致
し
候
。
日
本
婦
人
と
し
て
登
山
の
レ
コ
ー
ド
を
作
り
申
し
候
。
と
某
所
に
通
信
さ
れ
た
事
を
、
内
藤
に
対
し
批
判
的
な
笹
野
で
あ
る
が
、
槍
ヶ
岳
登
頂
に
関
し
て
は
次
の
よ
う
に
述
べ
て
い
る
の
で
あ
る
。
で
玉
川
は
쐍
上
︶
を 高
付 地
け 出
て 発
い 時
た 、
。
化
長 粧
い は
袂 相
は 変
登 ら
山 ず
向 濃
き く
で 長
は い
な 袂
い を
が 朝
、 風
下 に
着 ひ
は ら
登 〳
山 〵
に さ
適 せ쐍
し
︶
て 、
い 袴
る の
。 下
袴 に
を 西
は 洋
き 婦
足 人
元 の
は 穿
わ く
ら や
じ う
で な
あ 真
っ 白
た な
。
ヅ
ロ
ー
ス
北海学園大学人文論集
と
か
ら
、
高
頭
の
言
う
婦
人
の
槍
ヶ
岳
に
登
ら
れ
た
最
初
が
内
藤
で
あ
る
と
断
定
す
る
こ
と
は
で
き
な
い
と
え
る
。
従
っ
て
高
頭
の
第 60号(20
16年3月)
本 に 岳
本
な の て 岳
員 岳
こ 登 お 登 編 夫 初 ま 婦 こ
い 婦 い ・ 高
。 人 る 奥 頭 あ に 東 こ 山 い 頂 纂 人 登 た 人 こ
て 者 委 で 頂 高 の で
雑 と
京 で
東 誌 は 穂 の る 登 の 典
指
ら
︵ も と 員 あ に 頭 初 摘
京 に 言 高 同
或 拠 白 、 し 会 る つ 仁 登
れ
記
岳
の 婦 え
た る と 水 大 て 編 内 い 兵 頂 し
或 人 る ・ 事
最 銀 さ 社 正 い
藤 て 衛 で て
る の で 前 に
日 千 触 は あ お
四 る쐍
初 行 れ
︶
銀 登 あ 穂 は
る き
だ の て 昭 年 。 本 代 れ
行 山 ろ 高 私
さ 重 い 和 の ま 山 子 、 山 と た
の の う 岳 も
う 役 る 四 夏 た 岳 に 山 岳 は い
重 写 。 縦 一
記 の
で の 高 二 に 上 会 よ 崎
走
役 真 し
昨
あ 若 頭 年 東 田 百 っ は 第 述 は
の を か を 年
一 し 、
つ 夫 の ︶ 京 茂 年 て
若 見 し 大 の
新 三 て 先
婦 記 に の 春
て
は
正
夫 る 高
夏
、 が 述 は 銀
じ 稿 年 い に
婦 こ 頭 五 に
私 、 は 、 行 日 続 め 日 第 な 挙
年
と と は と 穂
も 私 以 婦 員 本 編 て 本 二 い げ
い は 雑 し 高
そ が 下 人 夫 の ・ 行 登 号 こ た
う で 誌 て の
の 穂 の の 人 女 資 わ 山 ︵ と 三
大 で 点
部 き に お 中
婦 高 通 槍 で 流 料 れ
の
る 掲 り쐍
人 へ り ヶ あ 登 編 た で 正 あ の
︶
も も 載 、 三
が 登 で 岳 る 山 ︵ 。쐍 高 八 る 記
内 の さ こ 峯
槍 つ あ 初 内 家 日 と︶ 頭 年 。 事
四
は
本 述
藤 の れ の に
ヶ た る 登 藤
と
登
い
に 、 た
岳 前 。 頂 千 人 山 べ 岡 月
一
ず
代 と 岳 た
当 管 写 婦 つ
の 年
に
を
七
本 会 。
れ
子
て 見 真 人 て
絶 に
関
典 日
も
が
は の を の 見
嶺 、
佐
︵
す
内
槍 未 二 々 拠 ︶
ま 限 以 槍 て
に 槍
る
と
藤
ヶ 来 〇 木
ら り て ヶ
居 ヶ
雑
記
し
と
の
〇
岳
ず で 婦 岳
ら 岳
録
誉
工
述
槍
に 房 七 実 、
、 は 人 に あ
れ に
そ
る
ヶ
年 は 日 欄
登
何 内 の 登
た 登
の
が
っ
岳
︶
本
よ 藤 槍 ら
写 ら
に
も た 昭
登
を
女
り に ヶ れ 、
真 れ
掲
新
の
쐍 和
頂
典 稿 性 載
氏 関 岳 た 山
を た
︶ 六
が
崎
と
を
拠
に
名 す 初 最
、 さ
さ
日
な 記 二
示
と
よ
が る 登 初 新
去 う
れ
本
い 述 年
し
し 登 る た
明 こ 頂
る で
稿
。
さ
て
て 山 槍
記 の の が 日
婦 あ
信
れ
は
内
ヶ
さ よ 証 大 本
人 る
山
て 州 藤
い
岳 ば
れ う 左 正 登
雑 、
大
い
る
を 及 登 な
て な と 四 山
誌 こ
学
る
び 頂 し
が
日
い 写 し 年
で れ
付
。
、
な 真 て の
拝 は
な 属 本 日 は
内
い は い 出 は
見 婦
お 図 婦 本 、 で
山
藤
人
婦
東
。 存 る 来 高
し 人
山 書
岳
以
初
人
京
以 在 が 事 頭
た の
崎 館
外
上 し 、 を の
こ 槍
の 所 の 会 の の
は
槍 百 銀 槍
の て 当 指 槍
と ヶ
蔵
日
年 行 ヶ
日
ヶ
こ い 時 し ヶ
が 岳
︶
15
5
︵
九
〇
︶
作家と山
︵
九
一
︶
登
頂
の
証
左
と
な
る
一
方
で
、
こ
こ
に
氏
名
を
見
出
す
こ
と
が
で
き
な
け
れ
ば
未
登
頂
と
の
判
断
を
さ
れ
か
ね
な
い
で
あ
ろ
う
。
し
か
し
内
り れ
ば
筆 、
の 横
走 文
り 字
書 の
に 走
其 り
旨 書
を も
誌 あ
し る
て 、
止 有
め 名
て な
あ る
る 日
쐍
本
︶
と ア
記 ル
し プ
た ス
よ の
う 紹
に 介
、 者
槍 英
ヶ 人
岳 ウ
頂 オ
上 ー
の ル
小 タ
祠 ー
に 、
名 ウ
を エ
残 ス
す ト
登 ン
山 氏
者 も
が 昨
多 年
か 夫
っ 人
た を
。 伴
こ ふ
れ て
は 来
一
高
の
生
徒
が
小
祠
︵
筆
者
注
*
槍
ヶ
岳
山
頂
の
小
祠
︶
の
中
に
は
い
ろ
ん
な
人
の
名
刺
が
あ
る
日
本
山
岳
会
会
員
何
某
と
し
た
の
も
あ
と
し
内
藤
の
槍
ヶ
岳
登
頂
を
認
め
て
い
な
い
。
こ
こ
で
も
内
藤
の
取
材
が
揶
揄
さ
れ
、
女
学
世
界
に
掲
載
さ
れ
た
日
本
ア
ル
プ
ス
へ
︵
三
︶
は
嘘
だ
ら
け
の
登
山
談
で
あ
る
얨内藤千代子
り 禁
だ ず
ら る
う を
と 得
右 な
御 い
茶 の
の で
み す
話 、
に 然
候쐍
し
︶
そ
れ
が
ま
た
嘘
だ
ら
け
の
登
山
談
だ
か
ら
愉
快
で
も
あ
り
ま
す
、
要
す
る
に
此
れ
は
山
岳
の
茶
目
振
題
で
し
た
、
俄
然
十
月
一
日
の
女
学
世
界
に
は
槍
の
登
山
と
お
出
で
な
す
つ
た
其
稚
気
や
大
に
愛
す
べ
き
も
の
が
あ
る
の
を
見
て
笑
を
小
説冷炎
人
に
は
槍
の
話
を
き
い
て
居
ま
し
た
、
そ
こ
で
私
は
女
が
三
山
中
ど
の
山
に
登
つ
た
記
行
を
書
く
か
と
云
ふ
事
が
実
に
興
味
あ
る
問
15
4
来
て
居
り
ま
し
た
、
さ
う
し
て
焼
か
ら
帰
つ
た
人
に
は
焼
の
話
を
き
ゝ
穂
高
か
ら
帰
つ
た
人
に
は
穂
高
の
話
を
き
ゝ
、
槍
か
ら
帰
つ
た
を例として (仙波)
︵
小説 え 時
一 平 冷 な 代
凡
い は
女 方
社 炎
쐍
学
︶
こ だ
世 山
に
界 岳 平 お と ら
成
に
け を け
内 に 一 る 根
四
拠 ︵
籐 は
年
平
千 、
臨 に 凡
︶
代 内
場 内
子 藤 は 感 藤 社
、
の
が の
上 登 横 を 槍 平
田
成
高 頂
根 ヶ
地 を を 拠 岳 一
を 否 典 に 登 四
書 と 拠 内 頂 年
い す と 藤 を ︶
で
て る し の 事 詳
て
居 次
槍 実 述
り の 内 ヶ と し
藤
ま よ
岳 し た
す う を 登 て 。
日
が な
頂 い 横
御 投 本 を る 田
覧 稿 婦 事 が は
で が 人 実 、
す 掲 初 と 作 小説
か 載 の す 家 冷
女 さ 槍 る の 炎
れ ヶ こ 作
は て 岳 と 品 が
私 い 登 は に
あ
が る 頂 で
行 。 者 き 臨 ま
と
場 り
つ
し な 感 に
て
い
て
も
居
い 。 が 臨
ま
쐍 ま
る︶
備 場
し
。 た わ 感
た
遠 っ
頃
藤 て が
に
甲 い あ
若
太 る っ
て
い
の
登 は 、
美
山 当 作
男
り
子
然
の で 話
と
森 あ と
一
へ り は
緒
思
に
、
横
田
順
弥
は
雑
書
集
め
の
お
も
し
ろ
さ
︵
図
書
第
六
〇
九
号
平
成
一
二
年
一
月
︶
で
内
藤
の
槍
ヶ
岳
登
頂
を
取
り
上
げ
、
明
治
こ
の
記
事
は
、
内
藤
の
槍
ヶ
岳
登
頂
を
示
し
得
る
も
の
た
り
得
な
い
。
北海学園大学人文論集
絶
頂
の
美
観
を
描
く
た
め
に
は
、
作
家
自
身
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絶
頂
を
極
め
る
こ
と
が
不
可
欠
で
あ
っ
た
。
そ
し
て
若
者
の
世
界
を
描
き
支
持
を
得
方 春
面 秋
か 社
ら
次 大
第 正
に 一
進 二
ん 年
で ︶
で
、 、
や
が 山
て 嶺
絶 の
頂 美
の の
美 文
観 芸
が 的
そ 表
の 現
表 は
現 ど
相 う
を で
持 あ
つ ら
こ う
と か
に 。
な 遠
る 景
で 美
あ 観
ら 、
う 或
。쐍 は
︶
と 中
述 腹
べ 以
て 下
い の
る 人
。 事
と
遠 密
景 接
に
で
は 渉
な あ
く る
多
く
の
人
々
を
魅
了
し
た
仏
ロ
マ
ン
主
義
文
学
に
お
い
て
山
岳
が
描
か
れ
た
こ
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に
つ
い
て
、
吉
江
喬
を
示
す
作
品
で
あ
る
と
言
え
る
。
で
は
、
内
藤
は
な
ぜ
小説
冷
炎
に
お
い
て
登
山
を
描
い
た
の
で
あ
ろ
う
は か
。
山
岳
美
論
︵
自
然
美
論
第
書 三
名 節
に
小 自
説 然
の
を 復
冠 讐
し
た
小説
冷
炎
は
、
内
藤
に
と
っ
て
言
わ
ば
初
の
小
説
で
あ
り
、
作
家
と
し
て
新
た
な
世
界
を
拓
い
た
こ
と
未
だ
確
認
し
得
な
い
の
で
あ
る
。
第 60号(20
16年3月)
で る 行 毒 の
頂 藤
内 え あ こ さ 蛇 著 内 の の
書 藤 証 槍
藤 る る と れ
の 。 こ が た の で の 左 ヶ
と 多 際 主 書 槍 た 岳
大
を い の 人 名 ヶ り 登
正
強 が 書
に 岳 得 頂
四
調 、 名 小
登 る を
年
し 小説 は 林 小 頂 も 巡
夏
説 の の る
た 春
に
幸
書 雨 毒 世
正 は 議
お
名
蛇 は が 否 確 論
け
付 に 認 に
と に
る
作
見 は で 家 さ 関 さ お
槍
る 女 あ で れ し れ い
ヶ
て 、 て て
べ の っ
岳
き 作 た 女 い 筆 い 、
登
で 家 。 学 る 者 な こ
頂
、 は 内 世 の は い の
は
同 登 藤 界 は
の 小
小説
書 場 の
で 祠
信
小説
冷
に せ 作 連 冷 炎 あ の
濃
お ず 品 載 炎
る 紙
民
け 、 は 中
。 片
報
の
る 内 内 は と 書 な を
大
玉 藤 藤
に
名 お 証
川 自 自 小説 正 に 前 左
よ
述 と
和 身 身 毒 七
り
子 を が 蛇 年 小 の し
確
に 説 通 て
の 描 主
認
り 論
登 い 人 と 刊
で
題 行 の 、 じ
頂 た
き
即 も で し さ 語 小説 ら
る
ち の 内 た れ が 冷 れ
が
内 で 藤 が た 付 炎 て
、
藤 は の 、 小説 さ で い
日
の な 実 単 春 れ 玉 る
本
槍 い 体 行 雨 て 川 も
婦
い 一 の
ヶ 。 験 本
人
岳 従 を と ︵ る 行 は
初
登 っ 描 し 京 点 は な
で
頂 て い て 橋 を 小 く
あ
と 小説 た 大 堂 指 祠 、
る
す 冷 も 正 出 摘 に 槍
こ
る 炎 の 八 版 し 紙 ヶ
と
こ
と 年 部 て 片 岳
を
と も 理 に ︶
示
の お を 山
は フ 解 三 二 き 残 頂
し
で ィ さ 徳 作 た し で
得
き ク れ 社 で い て 内
る
な シ 読 か あ 。 い 藤
も
い ョ ま ら る 内 る の
の
と ン れ 刊 。 藤 。 登
は
15
3
︵
九
二
︶
作家と山
田
国
男
、
老
エ
ー
ク
ダ
ル
が
北
方
の
山
林
で
森
の
偽
地
図
を
書
い
た
こ
と
に
森
が
つ
き
ま
と
う
て
来
る
︵
九
三
︶
の
だ
と
す
る
岩
野
泡
鳴
の
ト
リ
イ
な
ぞ
を
不
自
然
に
も
森
の
内
へ
檎
に
し
て
老
エ
イ
ク
ダ
ル
は
楽
ん
で
居
る
、
斯
う
な
る
の
は
自
然
の
復
讐
ぢ
や
な
い
か
。
と
す
る
柳
て
森
の
復
讐
と
は
ヘ
ー
ド
イ
ッ
ヒ
へ
の
親
の
虐
待
に
対
し
て
な
さ
れ
た
も
の
で
あ
り
、
ま
た
自
然
に
発
達
す
る
鳥
や
ク
リ
ス
マ
ス
、
第
八
回
イ
ブ
セ
ン
会
の
合
評
に
お
い
て
、
長
谷
川
天
渓
は
其
れ
に
し
て
も
森
の
復
讐
と
い
ふ
の
は
解
ら
ぬ
。
と
口
火
を
切
っ
た
。
そ
し
幕
で
銃
に
よ
り
孫
の
ヘ
ー
ド
イ
ッ
ヒ
が
死
亡
し
た
際
に
も
、
老
エ
ー
ク
ダ
ル
は
老
エ
ー
ク
ダ
ル
は
얨内藤千代子
鴨
に
お
け
る
そ 自
り 然
や の
危 復
険 讐
だ
ね と
。 は
結 、
果 以
は 下
好 の
く 通
な り
い で
よ あ
。 る
山 。
林 第
と 二
云 幕
ふ に
も お
森 の い
が は て
復 復 、
讐 讐 山
す す 林
る る を
の か 濫
だ ら 伐
。 ね し
。 た
と
と
二 と い
度 警 う
呟 鐘 ク
い を レ
て 鳴 ー
い ら쐍 ゲ
す︶
る쐍
ル
︶ 。
。
ま ス
た に
第 対
五 し
、
小
説冷炎
及
一
鴨 び 年 巻
三
︵
第
の 八 月 大
一
合 回
正
評 イ 八 元
日
が ブ
年
行 セ 付 一
わ ン 東 一
れ 会 京 月
て ︵ 朝 一
お 明 日 日
り 治 新 ︶
、 四 聞 に
関 〇
森
心 年 に 田
は
の 一
草
高 二 再 平
版
さ 月
が
を 六 の 翻
広
示 日
訳
し 開 告 を
が
て 催쐍
発
い ︶︶ 掲 表
載
る に
し
。 お さ ︵
れ 未
い て
て い 完
、 る ︶
、
柳 。 大
田 ま 正
国 た 二
男 第 年
・ 七 二
長 回 月
谷 イ 一
川 ブ 八
天 セ 日
渓 ン に
・ 会 新
岩 ︵ 潮
野 明 社
泡 治 よ
鳴 四 り
・ 〇 刊
岡 年 行
村 一 さ
千 一 れ
秋 月 た
ら 一 。
日 大
に 開
よ 催쐍 正
る ︶︶ 二
15
2
を例として (仙波)
自
然
の
復
讐
は
、
イ
プ
セ
ン
鴨
︵
野
鴨
︶
で
用
い
ら
れ
て
い
る
台
詞
に
よ
る
と
思
わ
れ
る
。
鴨
は
新
小
説
第
一
七
年
第
一
下 や
落 う
す に
る も
こ 見
と え
ゝ る
な 。
る さ
故 し
、 づ
な め
ど 自
と
思 は
ひ 第
つ 一
ゞ の
け 憎
た ま
。쐍
れ
︶
役
で
あ
ら
う
、
女
に
さ
へ
登
れ
た
と
云
ふ
と
鎗
の
資
格
は
、
こ
の
後
大
へ
ん
つ
た
く
山
霊
と
い
ふ
も
の
は
あ
る
か
と
疑
は
れ
る
。
そ
し
て
人
間
の
手
に
神
秘
の
鍵
を
握
ら
る
ゝ
の
を
厭
ふ
て
、
相
い
ま
し
め
て
ゐ
る
ぢ
つ
と
見
つ
め
て
ゐ
る
中
に
、
イ
プ
セ
ン
の
所
謂
自
然
の
復
讐
と
云
ふ
言
葉
を
思
ひ
出
し
て
、
何
と
な
く
肩
先
寒
く
覚
え
た
。
ま
槍
ヶ
岳
登
頂
の
場
面
で
、
内
藤
は
次
の
よ
う
に
述
べ
て
い
る
。
頂
の
美
観
を
描
か
ん
と
の
作
家
と
し
て
の
試
み
で
あ
っ
た
と
言
え
る
。
て
き
た
内
藤
に
と
り
、
青
年
を
魅
了
し
て
い
る
文
学
の
世
界
を
体
現
す
る
こ
と
は
挑
む
に
値
す
る
課
題
で
あ
っ
た
の
で
あ
る
。
登
山
は
、
絶
↓字取りあり
北海学園大学人文論集
ア
ル
プ
ス
は
、
そ
の
舞
台
と
し
て
多
彩
な
魅
力
を
放
っ
た
の
で
あ
る
。
い
た
文
章
に
よ
り
自
然
と
の
ふ
れ
あ
い
を
求
め
た
の
で
あ
っ
た
。
数
多
の
険
峻
と
日
本
に
あ
り
な
が
ら
未
知
で
異
国
情
緒
に
あ
ふ
れ
た
日
本
神
秘
に
触
れ
、
ま
た
文
学
の
世
界
を
追
体
験
す
る
場
を
求
め
て
山
に
足
を
運
ぶ
人
々
が
現
れ
、
そ
れ
を
な
し
得
な
い
多
く
の
人
々
は
山
を
描
内
藤
千
代
子
終
小説
章
冷
炎
か
ら
は
、
文
学
の
人
気
と
相
待
つ
中
で
山
へ
の
関
心
が
高
ま
っ
て
い
た
様
を
見
る
こ
と
が
で
き
る
。
山
の
自
然
の
品
と
は
趣
を
異
に
す
る
が
、
独
自
の
世
界
を
示
し
た
も
の
で
あ
る
と
言
え
る
で
あ
ろ
う
。
内
藤
は
、
登
山
に
よ
り
絶
頂
の
美
観
を
描
く
こ
と
を
試
み
、
山
頂
で
第6
0号(
21
06年3月)
語
を
冠
し
て
著
書
を
世
に
送
っ
た
一
因
で
は
な
い
だ
ろ
う
か
。
自
然
の
復
讐
を
想
起
し
た
。
山
の
魅
力
を
伝
え
る
文
学
作
15
1
が 藤
ゐ は
ん 、
の 穂
ぢ 高
や 岳
も の
の 頂
ね 上
。쐍 で
︶
と 案
語 内
ら 人
せ の
て 佐
い 内
る に
が
、 残
山 念
岳 ぢ
の や
登 、
頂 こ
を ん
証 な
明 事
す 実
る を
こ み
と ん
の な
難 実
し 際
さ と
を 思
知 は
っ ね
た え
こ だ
と か
も も
ま 知
た れ
、 ま
書 し
名 ね
に え
、
小 他
説 に
證
の 人
全
く
触
れ
て
い
な
い
が
、
自
然
の
復
讐
に
対
す
る
思
い
や
女
の
登
山
に
対
す
る
拒
否
反
応
と
無
縁
で
は
な
い
よ
う
に
思
わ
れ
る
。
ま
た
内
内
藤
は
、
槍
ヶ
岳
登
頂
を
描
い
た
著
書
の
書
名
に
小
説
の
語
を
付
し
、
女
学
世
界
の
連
載
と
小説
冷
炎
以
外
で
槍
ヶ
岳
登
頂
に
像
し
、
話
題
と
な
っ
た
鴨
の
こ
の
記
述
を
想
起
し
た
の
で
あ
っ
た
。
ま
た
、
女
の
登
山
に
対
す
る
拒
否
反
応
に
つ
い
て
も
言
及
し
て
い
る
。
感
じ
さ
せ
る
山
で
は
な
く
、
む
し
ろ
人
を
拒
絶
す
る
も
の
で
あ
る
。
そ
し
て
内
藤
は
、
登
頂
に
よ
る
内
藤
が
描
い
た
人
間
の
手
に
神
秘
の
鍵
を
握
ら
る
ゝ
の
を
厭
ふ
て
、
相
い
ま
し
め
て
ゐ
る
や
う
に
山 も
霊 見
え
の る
祟
り 槍
の ヶ
よ 岳
う は
な 、
も 親
の し
を み
想 を
し
て
な
さ
れ
る
罰
を
森
の
復
讐
と
と
ら
え
て
い
る
こ
と
が
か
る
。
説
等
が
出
さ
れ
て
い
る
。
結
論
は
出
て
い
な
い
が
、
人
の
成
長
を
含
む
自
然
の
あ
り
の
ま
ま
の
状
態
に
足
を
踏
み
込
も
う
と
す
る
行
為
に
対
︵
九
四
︶
作家と山
︵
九
五
︶
쐍
쐍
쐍
3
6 5 쐍
4
︶ ︶ ︶ 日 ︶
に
女 小説 内 行 小説
学 冷 藤 わ 冷
世 炎 千 れ 炎
代 て
界
子 き 二
二
第 〇 小説 た 頁
一 ∼ 冷 同 に
七 二 炎 祭 は
は
巻 一
第 頁 京 、 四
大
六
橋 正 月
号
堂 四 廿
五
年
大
大 の 日
正
正 み
六
五 四 と
年
年 月 あ
る
六
二 が
月
四 〇
一
六 日 、
日
頁 に 第
一
行 高
わ 等
れ 学
た
︵ 寄
五 宿
一 寮
∼ 編
五 ・
二 発
頁 行
︶
向
陵
誌
︵
大
正
一
四
年
︶
に
よ
る
と
、
例
年
三
月
一
쐍
2 쐍
1
︶ ︶
広
女
学 告
よ
世
り
界
第 内
一 藤
七 千
巻 代
第 子
六 惜
号 春
︵ 譜
大
正 牧
六 民
年 社
六
月
一 大
日 正
︶ 四
年
ま
で
連
載
さ
れ
、
加
筆
修
正
後
大
正
八
年
一
〇
月
一
日
三
徳
社
よ
り
刊
行
얨内藤千代子
注
小
説冷炎
で
あ
る
。
15
0
の
従
来
の
作
品
と
は
異
な
り
日
常
の
俗
事
に
翻
弄
さ
れ
る
作
家
が
描
か
れ
て
お
り
、
こ
こ
か
ら
も
内
藤
が
転
機
を
迎
え
た
こ
と
が
伺
え
る
の
を例として (仙波)
大
正
四
年
八
月
に
女
学
世
界
で
連
載
が
始
ま
っ
た
小説
毒
蛇
に
対
す
る
期
待
に
も
結
び
つ
い
た
と
思
わ
れ
る
。
小説
毒
蛇
に
は
、
内
藤
れ
て
い
た
文
学
の
世
界
を
体
現
せ
ん
と
す
る
様
は
円
熟
味
を
増
す
作
家
内
藤
千
代
子
の
新
た
な
魅
力
と
な
っ
た
の
で
あ
っ
た
。
ま
た
そ
れ
は
、
揮
と
も
言
え
る
も
の
で
、
読
者
の
期
待
に
応
え
得
る
作
品
で
あ
っ
た
と
言
え
よ
う
。
そ
し
て
上
高
地
に
滞
在
し
て
登
山
に
挑
み
、
広
く
愛
さ
た
。 内
藤
沼 千
や 代
箱 子
根 は
に 、
滞 自
在 然
す の
る 描
若 き
者 手
を と
描 な
い り
て 作
人 家
気 と
を し
博 て
し の
て
き な
た る
内 飛
藤 躍
に を
と 図
り る
、 べ
新 く
興 上
の 高
避 地
暑 を
地 訪
上 れ
高 、
地 小説
冷
を 炎
舞
台 を
と 世
し に
た 送
小 っ
説 た
は の
本 で
領 あ
発 っ
こ
と
は
注
目
す
べ
き
で
あ
り
、
新
た
な
営
み
と
し
て
と
ら
え
る
こ
と
が
で
き
る
。
家
の
み
な
ら
ず
、
画
家
や
詩
人
ら
多
彩
な
野
の
芸
術
家
も
そ
れ
に
加
わ
っ
た
。
自
然
の
描
き
手
た
ら
ん
こ
と
に
も
関
心
が
抱
か
れ
て
い
た
こ
の
よ
う
な
中
、
避
暑
地
上
高
地
に
滞
在
し
て
自
ら
登
山
を
試
み
、
新
し
い
文
学
の
世
界
を
体
現
せ
ん
と
す
る
者
が
登
場
し
て
い
た
。
作
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
쐍
쐍
쐍
쐍
쐍
26 쐍
25 쐍
2
3쐍
1쐍
2
0쐍
1
9쐍
1
8쐍
6쐍
4쐍
1
3쐍
1
2쐍
1
1쐍
1
0쐍
9
24
1
71
1
51
2
22
︶ ︶ ︶ 所 ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶
収
烏 小説 高 小説 小説 小説 小説
横
小説 小説 小説
乗 小説
大 小説 小説 小説 小説
水 冷 橋 冷 冷 冷 冷
冷 冷 冷
冷 山 阪 冷 冷 冷 冷
鞍
炎 炎 炎
炎 宮 炎 炎 炎 炎 の 炎 篤 毎 炎 炎 炎 炎
鎗
二
美
堂
日
ヶ
新 二 二 一 五
二 二 二
探 一 一 一 一 守 一
嶽 一 探
上
勝険
二 三 三
探 八 日 八 八 六 六 と 一 高 聞 六 五 四 四
九 七 一
〇 八 九 頁
険 九 本 七 二 四 一 穂 二 地
頁 ∼ 頁
記 頁 ア 頁 ∼ 頁 頁 高 頁 物 大 頁 頁 頁
の
二
一
語 正
ル
仙
四
三
八
第
プ
人
年
八
三
九
ス
얧 七
︵
頁
頁
章
そ 月
と
板
の
山
殿
歴 一
麓
文
正
四
の
庫
太
日
と
景
郎
自
勝
第
然
二
と
教
四
上
山
倫
巻
條
と
堂
第
嘉
渓
出
五
門
谷
版
号
次
社
部
明
︶
昭
明
治
和
治
三
山
五
四
六
岳
六
三
年
年
年
一
第
一
四
一
六
月
年
二
五
一
第
五
頁
五
三
頁
日
号
、
明
山
治
水
四
無
二
尽
年
蔵
一
︵
一
隆
月
文
三
館
日
明
治
三
九
年
︶
쐍
쐍
8 7
︶ ︶
小説 小説
冷 冷
炎 炎
六 六
七 六
頁 頁
︵
九
六
︶
14
9
作家と山
︵
九
七
︶
얨内藤千代子
小
説冷炎
を例として (仙波)
쐍
쐍
쐍 쐍 쐍 쐍 쐍 쐍 쐍 쐍 쐍 쐍
7
47 쐍
46 쐍
45 쐍
44 쐍
4
3쐍
4
2쐍
4
1쐍
4
0쐍
3
9쐍
82
3
83
73
63
53
43
33
23
13
02
92
︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶
第
作 第 二
牛 教
上
日 志
一
一
雑 日
会 山
会 会
誌 女 小説
高 一 高 道 一 高 報 本 丸 科 報 岳 本 條 報 報 本 賀 友 学 冷
高
好 高 山
工 書
市 武
山 重
旅
旅
山
世 炎
等
男 等 岳
編 研
編
岳 昴 倶
行
行
欄 岳
欄
第
欄
欄
楽
界
学
・ 学 会
上
会
部
部 江
会 芥 究
四
部
二
部
会
高
百
日
五 寄 五 藤 旅
山 百 川
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越
秋
元
裕
子
瀧
口
修
造
の
シ
ネ
・
ポ
エ
ム
卵
の
エ
チ
ュ
ー
ド
北海学園大学人文論集
の
理
由
の
一
端
が
示
さ
れ
て
い
る
。
の
一
文
ジ
学
ャ
シ
ン
ナ
ル
リ
と
オ
し
の
て
独
、
立
文
学
と
シ
題
し 麺 ナ
た 麭 リ
オ
エ
ッ ︵
セ 一 を
イ 九 確
を 三 立
寄 二 せ
せ 年 ん
て 一 と
い 一 し
る 月 た
が ∼ の
、 一 だ
そ 九 っ
こ 三 た
に 八 。
は 年
、 一
月
文 、
学 全
シ 六
ナ 一
リ 冊
オ ︶
の
が 一
な 九
ぜ 三
求 七
め 年
ら 二
れ 月
て 号
い で
た 、
か 村
、 木
そ 馨
が
北
川
の
主
催
し
て
い
た
同
人
誌
半
に
な
っ
て
、
映
画
雑
誌
九
〇
四
∼
一
九
八
八
︶
の
キ
ネ
マ
旬
報
軍
艦
︵
一
九
二
八
年
︶
・
豹
の
編
集
者
で
も
あ
っ
た
詩
人
の
北
川
冬
彦
︵
一
九
〇
〇
∼
一
九
九
〇
︶
が
中
心
と
な
り
、
文
学
︵
同
︶
な
ど
の
シ
ネ
・
ポ
エ
ム
に
お
い
て
試
み
ら
れ
て
い
た
が
、
三
〇
年
代
後
詩
と
映
画
の
融
合
は
昭
和
初
期
か
ら
、
詩
人
竹
中
郁
︵
一
九
〇
四
∼
一
九
八
九
︶
の
ラ
グ
ビ
イ
︵
一
九
二
九
年
︶
や
詩
人
近
藤
東
︵
一
第 60号(20
16年3月)
人
会 卵
の
の エ
同 チ
人 ュ
で ー
あ ド
っ
た が
。 書
こ か
の れ
グ た
ル 当
ー 時
プ 、
は 瀧
ど 口
の は
よ
う 文
な 学
理 シ
由 ナ
で リ
発 オ
足
し と
た い
の う
だ ジ
ろ ャ
う ン
か ル
。 を
追
究
す
る
グ
ル
ー
プ
、
シ
ナ
リ
オ
研
究
十
2
43
1
シ
ナ
リ
オ
研
究
十
人
会
の
同
人
と
し
て
像
に
よ
っ
て
喚
起
さ
れ
る
世
界
を
探
っ
て
い
く
。
月
︶
を
取
り
上
げ
、
そ
こ
に
、
ど
の
よ
う
な
方
法
に
よ
っ
て
如
何
な
る
影
像
が
描
か
れ
て
い
る
か
を
析
・
検
討
し
た
上
で
、
描
か
れ
た
影
影
ポ
エ 実 像
ム 際 と
瀧 、
を 口 現
自 実
作 身 に
し が 起
て 監 っ
い 督 て
る し い
。 て る
本 映 現
稿 画 象
で を と
は 撮 が
、 っ 融
瀧 た け
口 こ 合
の と っ
シ は た
ネ な 世
・ か 界
ポ っ の
エ た な
ム と か
は に
卵 い 入
の え り
エ 、 込
チ 戦 ん
ュ 前 で
ー に い
ド は た
文 の
︵ 字 で
シ で あ
ナ 書 ろ
リ か う
オ れ 。
研 た
究 映
画
第 で
四 あ
冊 る
、 、
一 所
九 謂
三
八 シ
年 ネ
三 ・
記
憶
の
中
で
は
一
つ
に
な
っ
て
い
る
と
語
っ
て
い
4
る쐍
︶
。
い
わ
ば
、
瀧
口
は
そ
の
最
初
の
映
画
体
験
に
お
い
て
、
ス
ク
リ
ー
ン ︵
に 二
映 ︶
さ
れ
た
瀧口修造のシネ・ポエム
さ
れ
る
よ
う
に
な
っ
た
の
で
あ
る
。
︵
三
︶
法
の
施
行
を
直
前
に
控
え
た
一
九
三
七
、
八
年
頃
に
は
、
質
の
高
い
文
化
映
画
の
シ
ナ
リ
オ
を
書
く
必
要
性
が
、
映
画
関
係
者
に
強
く
認
識
は
長
篇
劇
映
画
の
上
映
に
際
し
て
、
文
化
映
画
と
呼
ば
れ
る
短
篇
記
録
映
画
を
併
映
す
る
こ
と
を
義
務
づ
け
ら
れ
た
。
し
た
が
っ
て
、
映
画
事
前
検
閲
を
義
務
化
し
、
監
督
、
撮
影
者
、
技
術
者
、
俳
優
の
登
録
を
制
度
化
し
た
法
律
で
あ
る
。
加
え
て
、
こ
の
法
律
に
よ
っ
て
映
画
館
九
年
一
〇
月
一
日
に
施
行
さ
れ
た
映
画
法
の
存
在
で
あ
る
。
映
画
法
と
は
、
映
画
製
作
を
統
制
下
に
置
く
た
め
に
、
シ
ナ
リ
オ
の
段
階
で
の
一
方
、
当
時
シ
ナ
リ
オ
の
重
要
性
が
映
画
関
係
者
た
ち
に
認
識
さ
れ
ね
ば
な
ら
な
か
っ
た
、
制
度
的
な
事
情
が
あ
る
。
そ
れ
は
、
一
九
三
れ ナ
な ル
け ・
れ シ
ば ナ
な リ
ら オ
7 を
ぬ쐍
︶
正
と し
い く
う 生
趣 む
旨 た
の め
下 に
で は
刊 、
行 シ
さ ナ
れ リ
た オ
の の
だ 本
っ 質
た 論
。 そ
れ
か
ら
映
画
の
精
神
や
既
成
シ
ナ
リ
オ
の
研
究
批
判
が
執
拗
に
為
さ
同
人
誌
と
し
て
季
刊
誌
シ
ナ
リ
オ
研
究
︵
一
九
三
七
年
五
月
∼
一
九
四
〇
年
九
月
、
全
八
冊
︶
を
発
行
し
て
い
た
が
、
そ
れ
は
オ
リ
ヂ
卵のエチュード
拡
こ げ
の る
よ た
う め
に に
、 、
文 文
学 学
シ シ
ナ ナ
リ リ
オ オ
の
重 の
要 重
性 要
が 性
主 が
張 主
さ 張
れ さ
る れ
な て
か い
で た
、 こ
一 と
九 が
三 わ
六 か
年 る
、 。
シ
ナ
リ
オ
研
究
十
人
会
が
発
足
し
6
た쐍
︶
。
こ
の
会
は
、
2
42
映
画
化
さ
れ
る
こ
と
が
な
い
と
わ
か
っ
て
い
て
も
、
利
潤
追
求
の
目
的
か
ら
離
れ
た
、
芸
術
性
の
高
い
映
画
が
現
わ
れ
る
可
能
性
を
(秋元)
画
は 当
時
商 、
品 大
会
化 社
し に
て よ
い っ
た て
。 製
そ 作
の さ
よ れ
う た
な 商
状 業
況 的
で な
、 映
た 画
と 、
え つ
そ ま
れ り
が 投
資
現 の
実 対
の 象
映 と
画 し
作 て
品 の
を 映
遊 画
離 が
し 隆
た 盛
理 の
想 道
の を
映
画 っ
て
で い
あ る
り な
、 か
実 で
際 、
に 映
実 画
の 作
映 品
画 は
作 無
品 限
を の
遊 利
離 潤
し 追
た 求
理 の
想 手
の 段
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画 過
が ぎ
思 な
は い
れ 、
、 芸
そ 術
れ 性
の は
た 所
め
の 第
シ 二
ナ 義
リ 的
オ な
が も
発 の
生 で
し あ
て る
も 。
︵
よ 略
い ・
の 引
で 用
は 者
な ︶
か か
ら う
う し
5 た
か쐍
︶
。 場
合
、
現
画
は
す
で
に
芸
術
と
し
て
成
立
し
て
ゐ
る
が
、
然
し
そ
の
発
展
を
阻
止
す
る
主
要
な
る
理
由
は
映
画
の
商
品
性
で
あ
る
。
こ
ゝ
で
は
映
す
で
に
文
学
シ
ナ
リ
オ
が
提
唱
さ
れ
そ
れ
が
実
践
に
移
さ
れ
て
も
よ
い
時
期
が
来
て
ゐ
る
の
で
は
な
か
ら
う
か
。
︵
略
・
引
用
者
︶
映
北海学園大学人文論集
れ
る
か
ど
う
か
は
別
と
し
て
、
作
家
な
い
の
で
、
そ
れ
ぞ
れ
の
人
が
映
画
的
が に
シ
ナ へ
リ て
オ み
た
作 り
に 、
お 表
い 現
て し
て
映 み
画 た
的 り
な
す
へ る
方 こ
、 と
見 も
方 で
き
を る
用 し
い 、
る ま
こ た
と 映
も 画
で が
き 実
る 際
の に
で 製
あ 作
る さ
。
る
立
場
に
い
る
こ
と
も
確
か
で
あ
る
。
映
画
の
普
及
に
よ
っ
て
、
映
画
的
な
た
か
ら
、
プ
ロ
フ
エ
ツ
シ
ヨ
ナ
ル
な
映
画
的
野
心
を
持
っ
て
い
な
い
が
、
そ
へ れ
方 ゆ
、 え
見
方 映
画
が の
一 実
般 現
に 性
も
浸 を
透 自
し 由
て に
い
る え
こ る
と こ
は と
間 が
違 で
い き
あ
る
こ
と
が
述
べ
ら
れ
て
い
る
。
こ
の
文
章
が
書
か
れ
た
一
九
三
七
年
に
は
、
瀧
口
は
、
映
画
製
作
の
現
場
を
す
で
に
離
れ
て
し
ま
っ
て
い
映
画
を
初
め
て
見
た
幼
少
期
の
体
験
と
同
様
に
、
こ
こ
で
も
映
画
は
瀧
口
に
と
っ
て
夢
と
現
実
と
の
、
消
し
難
い
魅
力
の
接
触
点
で
各
人
が
よ
り
自
由
な
風
に
︵
略
・
引
用
者
︶
映
作 画
︵ 的
略 に
・
引 へ
用 て
者 み
︶ た
を り
こ 、
ゝ 表
ろ 現
み し
た て
り み
し た
て り
み 、
な ま
い た
の 作
が 家
不 が
思 、
議 直
な ち
ほ に
ど 映
で 画
あ 化
9 さ
る쐍
︶
。 れ
る
や
う
な
目
的
の
有
無
に
拘
ら
ず
、
映
画
的
な
第 60号(20
16年3月)
映
画
は
、
と
い
ふ
よ
り
も
映
画
的
な
へ
方
、
見
方
と
い
ふ
も
の
も
、
も
う
か
な
り
普
遍
し
て
ゐ
る
筈
で
は
な
か
ら
う
か
。
む
し
ろ
24
1
か
し
映
画
の
実
現
性
と
い
ふ
も
の
を
、
こ
れ
ま
で
よ
り
も
ず
つ
と
自
由
な
意
味
で
へ
て
み
た
い
と
思
つ
て
ゐ
る
。
私
の
い
ま
の
立
場
に
は
、
プ
ロ
フ
エ
ツ
シ
ヨ
ナ
ル
な
映
画
的
野
心
と
い
へ
る
も
の
が
な
い
こ
と
を
告
白
し
な
け
れ
ば
な
ら
な
い
。
し
映
画
は
私
に
と
つ
て
、
や
は
り
夢
と
現
実
と
の
、
消
し
難
い
魅
力
の
接
触
点
で
あ
る
。
リ
オ
を
書
く
に
当
た
っ
て
の
一
九
三
七
年
七
月
の
で
は
、
瀧
口
は
文
学
シ
ナ
リ
オ
シ
ナ
抱 リ
負 オ
研
が 究 に
つ
語
ら に い
れ 掲 て
て 載 、
い さ ど
8 れ の
る쐍
︶
。 た よ
う
同 な
人
語 え
を
に 持
は っ
、 て
瀧 い
口 た
が の
シ で
ナ あ
リ ろ
オ う
研 か
究 。
十
人
会
同
人
と
し
て
、
文
学
シ
ナ
性
の
認
識
と
が
、
合
流
す
る
地
点
で
生
ま
れ
た
と
見
な
せ
よ
う
。
言
う
な
れ
ば
文
学
シ
ナ
リ
オ
は
、
昭
和
初
期
以
来
の
、
文
学
と
映
画
の
融
合
を
試
み
る
実
験
精
神
と
、
制
度
上
の
シ
ナ
リ
オ
の
重
要
︵
四
︶
瀧口修造のシネ・ポエム
︶
ア
ン
ダ
ル
シ
ア
の
犬
︵
一
九
二
九
年
︶
に
よ
っ
て
、
フ
ラ
ン
ス
の
シ
ュ
ー
ル
レ
ア
リ
ス
ト
に
認
め
ら
れ
、
あ 全
瀧 っ な 現
口 た が 在
が 。 ら は
初
も 二
め
世 十
と て
界 世
い ダ
で 紀
ふ リ
最 芸
雑 の
初 術
誌 名
に の
を
ダ 巨
を 知
リ 匠
介 っ
に と
し た
関 し
て の
す て
の は
る 世
こ 、
単 界
と 一
行 的
だ 九
本 に
っ 二
遍
た 〇
を く
と 年
刊 認
い 代
行 知
쐍
2の
う1
す さ
︶
。 後
る れ
そ 半
と て
れ 、
い い
は ダ
う る
ダ リ
ダ
リ が
偶 リ
が
然 で
ル 未
の あ
イ だ
光 る
ス 西
栄 が
・ 班
を 、
ブ 牙
に そ
ニ に
な の
っ 才
ュ ゐ
能
エ た
1
1に
た쐍
ル 頃
︶
の い
︵ 出
は ち
一 し
、 早
九 て
他 く
〇 い
な 眼
〇 た
ら を
∼
ぬ つ
一
瀧 け
九
口 て
八
修 、
三
造 不
︶
で 完
と
2
얧
ダ
リ
作
シ
ナ
リ
オ
卵
の
エ
チ
ュ
ー
ド
バ
バ
ウ
オ
作
ま
で
の
、
瀧
口
の
ダ
リ
受
容
・
絵
画
ナ
ル
シ
ス
の
変
貌
の
重
要
性
LAMI
C DE
︵
五
共
同
で
脚
本
を
執
筆
し
た
映
画
LES ARTS
シ
ュ
ー
ル
レ
ア
リ
ス
ム
の
芸
術
運
動
に
加
わ
る
以
前
の
こ
と
で
あ
っ
た
。
卵のエチュード
24
0
性
を
見
出
す
。
(秋元)
し
支
え
あ
る
ま
い
。
一
方
、
ダ
リ
か
ら
瀧
口
に
対
す
る
具
体
的
な
芸
術
的
影
響
に
つ
い
て
は
、
実
証
的
に
と 充
ダ
リ 裏
の づ
芸 け
術 ら
論 れ
・
作 て
品 い
と る
の と
関 は
係 言
い
難
い
。
そ
こ
で
次
節
で
は
、
瀧
口
の
ダ
リ
受
容
を
検
証
す
る
こ
と
に
よ
っ
て
、
卵
の
エ
チ
ュ
ー
ド
指 ろ
摘 う
が か
あ 。
1
0
る쐍
︶
。 卵
そ の
う エ
で チ
あ ュ
れ ー
ば ド
、
ダ は
リ 、
の サ
芸 ル
術 バ
論 ド
や ー
作 ル
・
品 ダ
か リ
ら ︵
、 一
何 九
ら 〇
か 四
の ∼
一
映 九
画 八
的 九
な ︶
か
へ ら
方 の
、 芸
見 術
方 的
影
を 響
受 が
け 反
取 映
っ さ
た れ
と て
い
え る
て と
も い
差 う
瀧
口
の
言
う
映
画
的
な
へ
方
、
見
方
は
、
シ
ネ
・
ポ
エ
ム
卵
の
エ
チ
ュ
ー
ド
に
お
い
て
、
ど
の
よ
う
に
具
体
化
さ
れ
た
の
だ
を
実
現
す
る
た
め
の
形
式
だ
っ
た
こ
と
が
わ
か
る
。
つ
ま
り
、
瀧
口
に
と
っ
て
文
学
シ
ナ
リ
オ
は
、
直
ち
に
映
画
化
さ
れ
る
や
う
な
目
的
を
差
し
置
い
て
、
映
画
的
な
へ
方
、
見
方
北海学園大学人文論集
実
主
義
の
作
品
に
つ
い
て
︵
フ
ラ
ン
ス
新
興
美
術
展
を
見
る
主
と
し
て
超
現
マ
瀧 デ
口 ツ
は ク
、 、
こ ル
の ー
展 イ
覧 ・
会 ル
を ー
見 の
に 、
行 計
き 三
、 一
大 点
変 に
な 及
感 ぶ
動 作
と 品
興 が
奮 展
を 示
味 さ
わ れ
っ た
た 。
こ
と
を
回
想
し
て
い
1
5
る쐍
︶
も
の
の
、
こ
こ
に
ダ
リ
の
作
品
が
含
ま
レ
イ
、
キ
リ
コ
、
サ
ヴ
ィ
ニ
オ
、
ミ
ロ
、
ピ
カ
ソ
、
セ
リ
グ
マ
ン
、
マ
ッ
ソ
ン
、
ピ
カ
ビ
ア
、
ヴ
エ
ズ
レ
イ
、
ロ
ワ
、
ア
ル
プ
、
ド
・
ケ
ル
聞
巴 パ
里 リ
・
東 文
京 芸
新 部
興 長
美 の
術
展 尾
覧 邦
1
4之
会쐍
︶
助
が ︵
開 一
催 八
さ 九
れ 九
、 ∼
超 一
現 九
実 七
派 五
︵ ︶
シ が
ユ 企
ー 画
ル し
・ 、
レ 画
ア 家
リ 斎
ス 藤
ト 五
︶ 百
と 枝
し ︵
て 一
、 八
エ 八
ル 四
ン ∼
ス 一
ト 九
、 六
タ 六
ン ︶
ギ が
ー 支
、 援
マ し
ン た
・ 、
一
方
、
日
本
で
は
、
三
二
年
一
二
月
よ
り
、
画
家
峰
岸
義
一
︵
一
九
〇
〇
∼
一
九
八
五
︶
・
小
城
基
︵
一
九
三
七
∼
一
九
七
〇
︶
、
読
売
新
周
辺
で
知
れ
渡
っ
て
い
た
の
だ
っ
た
。
23
9
リ
は
パ
リ
の
シ
ュ
ー
ル
レ
ア
リ
ス
ム
運
動
に
加
わ
っ
て
お
り
、
一
九
三
〇
年
代
早
々
に
は
、
既
に
そ
の
作
品
は
、
彼
の
奇
行
と
と
も
に
パ
リ
既
述
の
と
お
り
、
シ
ュ
ー
ル
レ
ア
リ
ス
ト
た
ち
に
よ
っ
て
映
画
ア
ン
ダ
ル
シ
ア
の
犬
が
絶
賛
さ
れ
た
こ
と
を
き
っ
か
け
と
し
て
、
ダ
チ
ュ
ー
ド
作
に
至
る
ま
で
の
、
瀧
口
の
ダ
リ
受
容
に
つ
い
て
簡
潔
に
示
し
た
い
。
の
よ
う
な
方
法
に
よ
っ
て
、
ど
の
よ
う
な
世
界
が
描
か
れ
て
い
る
か
を
検
証
し
て
い
く
の
だ
が
、
そ
の
検
証
に
踏
み
込
む
前
に
、
卵
の
エ
本
論
文
で
は
、
瀧
口
が
ダ
リ
か
ら
ど
の
よ
う
な
啓
示
を
受
け
て
卵
の
エ
チ
ュ
ー
ド
を
作
し
た
の
か
、
こ
の
シ
ネ
・
ポ
エ
ム
に
は
ど
し で ム
た あ 運 と
い っ 動 は
た の い
と 。 情 え
述 瀧 勢 、
べ 口 に 瀧
て は つ 口
、 こ い の
ダ こ て 美
リ で 述 術
の
べ 批
芸 サ た 評
術 ル エ に
論 バ ッ お
に ド セ い
対 ー イ て
最
す ル
初
る ・
ダ
に
関 リ
ダ
心 の
リ
の
に
深
つ
さ
い
を
て
示
し
⋮ 言
て
⋮ 及
い
さ
1
3
︵ れ
る쐍
︶
。 と 文 た
い 学 の
は
う
芸 第 、
術 一 一
論 冊 九
を 、 三
取 厚 二
り 生 年
上 閣 、
げ 、 フ
、 一 ラ
九 ン
別 三 ス
の 二 の
機 年 シ
会 三 ュ
で 月 ー
詳 ︶ ル
し に レ
く お ア
紹 い リ
介 て ス
LeSur
r
썝
e
al
i
s
mee
t
新
美
術
研
究
︶
と
い
う
エ
ッ
セ
イ
に
お
い
て
、
西
班
牙
人
の
画
家
ダ
リ
は
︵
略
・
引
用
者
︶
、
偏
執
病
的
傾
れ
て
い
な
い
こ
と
に
つ
い
て
、
三
三
年
一
月
、
こ
の
展
覧
会
を
見
て
の
感
想
を
綴
っ
た
잰Fe
잱
mmevi
s
i
bl
e
向
を
論
拠
と
す
る
特
異
な
理
論
家
と
し
て
、
ま
た
こ
の
派
︵
シ
ュ
ー
ル
レ
ア
リ
ス
ム
|
引
用
者
に
よ
る
︶
の
最
近
の
重
要
な
傾
向
で
あ
る
諸
第 60号(20
16年3月)
︵
六
︶
瀧口修造のシネ・ポエム
︶
論
を
示
唆
し
た
エ
ッ
セ
イ
ラ
フ
ァ
エ
ル
前
派
に
現
れ
た
永
遠
の
女
性
の
亡
霊
的
シ
ュ
ル
レ
ア
リ
ズ
ム
、
一
九
三
七
年
四
月
、
シ
ナ
リ
オ
れ
る
烈
し
い
恐
怖
と
煩
悶
非
合
理
性
の
絵
画
、
一
九
三
を 七
認
年
2
0
め쐍
︶
、 一
そ 月
れ 、
を 美
術
永 誌
遠 ヱ
の コ
女 ル
性 ド
東
像 京
に
重 に
ね お
合 い
わ て
せ 、
て ラ
、 フ
い ァ
わ エ
ゆ ル
る 前
派
可 の
食 描
的 い
た
な 女
る 性
ダ に
リ 対
独 し
自 て
の
芸 食
術 べ
理 ら
が
み 物 一 さ
づ 体 九 て
ゑ の 三 、
追 五 三
に 究 年 〇
お へ 三 年
い と 月 代
て 発 、 、
、 展 詩 瀧
ダ す 雑 口
リ る 誌 は
独 方
ダ
自 向 詩 リ
の 性 法 の
芸 を
芸
術 示 に 術
理 し お 論
論 た い お
で 評 て よ
あ 論 、 び
る
ダ シ
シ リ ナ
偏 ュ が リ
執 ル シ オ
狂 レ ュ の
的 ア ー 翻
批 リ ル 訳
判 ス レ を
的 ム ア 次
活 の リ の
動 実 ス よ
験 ム う
に に の に
つ 現 様 行
い は 々 っ
て れ な て
詳 た 実 い
説 対 験 る
し 象 を 。
た 、
評 一 析
論 九 し
三 た
サ 六 上
ル 年 で
ウ 六 、
ァ 月 そ
ド 、 れ
ル 美 ら
・
ダ 術 の
リ 雑 実
と 誌 験
23
8
は
後
述
す
る
。
も
ダ
リ
の
芸
術
的
特
徴
の
核
心
部
を
捉
え
て
述
べ
て
い
る
。
こ
の
偏
執
狂
的
と
認
識
さ
れ
て
い
る
、
ダ
リ
の
芸
術
的
特
徴
に
つ
い
て
(秋元)
解 関 ア
説 わ リ
し っ ス
、 た ム
の
ダ ブ 動
ニ
リ
向
に ュ
お エ ︵
い ル 文
て 作 学
は の
、 映 第
偏 画 五
執 黄 冊
狂 金 、
の 時 厚
執 代쐍
1
8生
︶
拗
閣
さ ︵ 、
を 一 一
も 九 九
っ 三 三
て 〇 三
、 年 年
夢 ︶
・ 三
と ダ 月
い リ ︶
う 作 に
に 絵 お
は 画 い
あ
て
ま 見 、
り え 映
に な 画
も い
強 人 ア
烈 間 ン
な
ダ
実 ︵ ル
一
在
シ
性 九 ア
を 二 の
追 九 犬
求 年
・
し ︶
な ダ
て ど リ
い
を が
19
る쐍
︶ と シ
と り ナ
、 あ リ
早 げ オ
く て に
い
か
に
具
体
化
さ
れ
て
い
る
か
、
展
覧
会
で
直
に
そ
れ
を
捉
え
る
こ
と
を
楽
し
み
左 に
翼 し
転 て
1
7い
向쐍
︶
た
に ゆ
つ え
い の
て 不
満
析 で
し あ
た ろ
エ う
ッ 。
セ
イ
同
年
、
瀧
口
は
、
フ
ラ
ン
ス
の
一
部
の
シ
ュ
ー
ル
レ
ア
リ
ス
ト
の
い
わ
ゆ
る
シ
ュ
ル
レ
と 種
、 の
不 実
満 験
を の
述 指
べ 導
て 者
い と
1
6し
る쐍
︶
。 て
こ 目
の 覚
頃 ま
、 し
す い
で 活
に 躍
ダ を
リ 示
の し
芸 て
術 ゐ
論 る
彼
の
作
品
の
な
い
こ
等 と
を は
読 ︵
み 略
込 ・
み 引
、 用
そ 者
の ︶
理 物
論 足
が り
ダ な
リ い
の こ
作 と
品 で
に あ
お つ
い た
て
Fe
mmevi
s
i
bl
e
︵
七
セ 画 文
学
イ
に 全
ハ お 集
リ い
ウ て 第
ッ 、 六
ド ハ 巻
の リ
超 ウ 前
現 ッ 衛
実 ド シ
主 映 ナ
義 画 リ
オ
、 の 集
俳
一 優
︵
九
河
三 ハ
ル
出
八
年 ポ 書
房
六 ・
月 マ ︶
、 ル に
ク お
み ス い
づ を て
ゑ 太 、
陽 シ
に に ナ
お 、 リ
い 女 オ
て 優
、 グ バ
同 レ バ
名 タ ウ
の ・ オ
絵 ガ
画 ル 、
の ボ 一
解 を 九
説 月 三
と に 七
と 例 年
も え 九
に て 月
、
、
こ 析 映
の し 画
絵 て 雑
画 い 誌
の る
説 エ 新
明 ッ 映
卵のエチュード
北海学園大学人文論集
一
月
︶
。
ル
シ
ス
の
変
貌
︵
一
九
三
六
∼
三
七
年
︶
を
受
容
し
て
い
る
の
で
あ
る
︵
瀧
口
修
造
海
外
前
衛
美
術
消
息
み
づ
ゑ
、
一
九
三
七
年
一
媒
︵
三
七
年
十
月
︶
が
発
表
さ
れ
て
か
ら
、
卵
の
エ
チ
ュ
ー
ド
︵
三
八
年
三
月
︶
が
書
か
れ
る
ま
で
の
間
に
、
瀧
口
は
ダ
リ
の
絵
画
実
際
瀧
口
の
シ
ネ
・
ポ
エ
ム
卵
の
エ
チ
ュ
ー
ド
は
、
三
八
年
三
月
の
シ
ナ
リ
オ
研
究
第
四
冊
に
発
表
さ
れ
た
の
だ
が
、
夏
の
ナ 触
症 そ
に の
罹 間
つ 、
た 映
や 画
う と
で い
あ ふ
2
3も
る쐍
︶
の
と ゝ
述 関
べ 心
、 さ
シ へ
ネ 何
・ 処
ポ か
エ へ
ム 遠
を の
書 い
く て
気 ゐ
が た
衰 や
え う
た で
こ あ
と る
を 。
打 私
ち は
明 ま
け る
て で
い 映
る 画
。 に
対
し
て
煙
の
や
う
に
な
り
、
欠
語
夏
の
う
ち
で
も
最
も
長
く
感
じ
ら
れ
た
夏
で
あ
っ
た
が
、
企
図
し
て
ゐ
た
シ
ネ
・
ポ
エ
ム
に
さ
へ
遂
に
手
を
つ
け
ず
に
過
ご
し
て
し
ま
つ
た
。
ナ
リ
オ
研
究
︵
第
二
冊
︶
で
瀧
口
夏 は
の
触 文
媒 学
シ
︵ ナ
シ リ
ナ オ
リ
オ に
研 対
究 す
る
第 抱
三 負
冊 を
︶ 述
に べ
お た
い も
て の
、 の
︵
こ 既
の 述
ひ ︶
と 、
夏 同
の 年
間 十
、 月
そ 、
れ こ
は の
私 年
が の
経 夏
験 に
し 見
た た
映
画
に
つ
い
て
綴
っ
た
エ
ッ
セ
イ
第 60号(20
16年3月)
七
年
四
月
に
そ
の
翻
訳
を
発
表
し
て
い
る
。
そ
の
翌
月
︵
三
七
年
五
月
︶
に
、
同
人
誌
シ
ナ
リ
オ
研
究
験
の
紹
介
・
析
を
行
っ
た
評
論
超
現
実
造
型
論
︵
み
づ
ゑ
︶
で
ダ
リ
の
シ
ナ
リ
オ
バ
バ
ウ
オ
に
初
め
て
言
及
し
て
お
り
、
翌
シ 三
が
発
刊
し
、
同
年
七
月
の
23
7
既
述
の
と
お
り
、
一
九
三
六
年
、
シ
ナ
リ
オ
研
究
十
人
会
が
発
足
し
た
が
、
瀧
口
は
同
年
五
月
、
様
々
な
シ
ュ
ー
ル
レ
ア
リ
ス
ト
の
実
浮
か
び
上
が
っ
て
来
る
。
こ
こ
で
瀧
口
の
シ
ナ
リ
オ
研
究
十
人
会
で
の
活
動
と
彼
の
ダ
リ
受
容
を
照
ら
し
合
わ
せ
る
と
、
卵
の
エ
チ
ュ
ー
ド
作
の
動
機
が
こ
の
よ
う
に
見
て
来
る
と
、
三
〇
年
代
、
瀧
口
が
芸
術
観
に
お
い
て
、
い
か
に
ダ
リ
に
共
感
し
て
い
た
か
が
明
確
に
覗
え
る
で
あ
ろ
う
。
と た
な エ
っ ッ
て セ
い イ
る
︶ 真
を 珠
、 論
瀧 ︵
口 な
は お
翻 、
訳 こ
し の
て
い タ
イ
2
2
る쐍
︶
。 ト
ル
は
翻
訳
し
た
瀧
口
が
付
け
た
も
の
で
あ
り
、
原
文
・
資
料
は
瀧
口
の
手
元
に
な
く
、
不
明
る と
柔 な
ら る
か 詩
な が
変 記
幻 さ
き れ
わ て
ま い
り る
な エ
い ッ
2
1セ
光쐍
︶
イ
を
賞 ナ
賛 ル
し シ
、 ス
ダ の
リ 変
特 貌
有
の 、
影 一
像 九
論 四
を 〇
展 年
開 七
す 月
る 、
と 美
と 術
も 雑
に 誌
、
真 ア
珠 ト
と リ
頭 ヱ
蓋
骨 に
の お
形 い
態 て
の 、
一 真
致 珠
を に
論 お
じ け
︵
八
︶
瀧口修造のシネ・ポエム
︵
九
︶
と そ
変 う
化 は
し 言
て っ
い て
2
9も
く쐍
︶
、
と フ
い ロ
う イ
、 ト
い 流
わ の
ば 精
卵 神
に
対 析
す 的
る 解
恐 釈
怖 に
が 従
、 っ
こ て
の 、
作 何
品 の
の 変
哲
も も
っ な
と い
も 卵
重 が
要 、
な し
部 だ
い
に
で 青
あ 年
る に
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は っ
断 て
言 恐
で ろ
き し
ま い
い 物
。 体
な へ
既
に
検
証
し
た
と
お
り
、
瀧
口
が
ダ
リ
の
作
品
か
ら
啓
発
さ
れ
て
卵
の
エ
チ
ュ
ー
ド
を
作
し
た
こ
と
は
間
違
い
な
い
と
言
え
る
。
た
上
で
、
そ
れ
を
幻
覚
的
な
影
像
に
よ
っ
て
描
い
た
作
品
だ
と
い
う
こ
と
に
な
ろ
う
か
。
る が く
と 反 の こ
映 政 の
卵
治 作
の し 的 品
エ て 締 に
チ い め つ
ュ る つ い
2
6て
ー と け쐍
︶
ド み
、
な に 日
쐍
2
7
は し︶ 起 本
、 、 因 文
大 青 す 学
戦 年 る 研
前 の
究
夜 不 喪 者
の 安 失 岩
重 感 と 崎
苦 が 閉 美
し 伝 塞 弥
い わ の 子
社 る 心 ︵
会 心 理 一
状 理 を 九
況 的 読 六
に 要 み 二
お 素 取 ∼
け が っ ︶
は
る 強 た 、
、 い 上 一
あ 作 で 九
る 品쐍
2
8
︶ 、 三
青
〇
年 で 画 年
の あ 家 代
異 る ダ 後
常 と リ 半
な 位 が に
強 置 展 お
迫 づ 開 け
観 け し る
念 て た 、
の い フ 前
対 る ロ 衛
象 。 イ 芸
を 岩 ト 術
卵 崎 的 に
に の オ 対
象 見 ブ す
徴 方 ジ る
さ に ェ
せ よ 論 多
す
る
執
着
が
中
心
テ
ー
マ
と
な
っ
て
お
り
、
こ
の
青
年
の
幻
想
と
現
実
と
が
視
覚
的
に
描
か
れ
て
い
る
。
卵のエチュード
さ
て
、
卵
の
エ
チ
ュ
ー
ド
は
、
話
の
筋
ら
し
い
筋
は
な
く
、
幻
想
の
中
で
鶏
小
屋
か
ら
卵
を
掴
み
取
っ
て
逃
走
し
た
青
年
の
、
卵
に
対
23
6
作
を
促
し
た
、
よ
り
決
定
的
な
作
品
は
ナ
ル
シ
ス
の
変
貌
で
あ
り
、
そ
の
意
味
に
お
い
て
重
要
性
は
高
い
と
み
な
さ
れ
よ
う
。
的
な
刺
激
と
、
ナ
ル
シ
ス
の
変
貌
に
お
け
る
そ
れ
と
が
、
瀧
口
の
作
意
欲
を
奮
い
起
こ
し
た
の
で
あ
る
。
こ
れ
ら
の
う
ち
、
瀧
口
の
し
た
が
っ
て
、
ダ
リ
の
二
つ
の
作
品
が
、
瀧
口
を
作
に
向
か
わ
せ
た
と
言
え
よ
う
。
つ
ま
り
、
バ
バ
ウ
オ
に
お
け
る
何
ら
か
の
芸
術
(秋元)
の
、
ダ
リ
の
絵
画
シ
ナ
リ
オ
研
究
十
人
ナ 会
ル
シ の
ス 同
の 人
変 と
貌 な
っ
に て
触 、
発 自
さ ら
れ シ
て ネ
、 ・
ポ
卵 エ
の ム
エ を
チ
ュ 作
ー し
ド よ
う
を と
し
作 た
し 。
た し
と か
見 し
て 、
差 一
し 時
支 は
え そ
あ の
る 気
ま 力
い が
。 衰
え
た
も
の
こ
れ
ら
の
事
実
に
鑑
み
て
、
瀧
口
は
、
ダ
リ
の
シ
ナ
リ
オ
バ
バ
ウ
オ
の
翻
訳
と
ほ
ぼ
同
時
期
に
文
学
シ
ナ
リ
オ
に
関
心
を
持
ち
、
幻 論
想 に こ
の お の
活 い 絵
発 て 画
な 、
感 ダ ナ
情 リ ル
に の シ
関 作 ス
し 品 の
て の 変
は 中 貌
し で に
ば
つ
し 異 い
常
ば
て
偉 な 、
大 成 瀧
な 功 口
芸 を は
術 果 、
家 た 一
の し 九
霊 た 三
感 も 八
に の 年
も だ 六
匹 と 月
敵 み
す な サ
25
る쐍
︶ し ル
と て ウ
、 お쐍 ァ
4ド
絶 り2
︶
ル
、
賛
と そ ・
ダ
言 の リ
受
っ
の
て 容 形
も 後 態
良 は 学
い 、
ほ ダ ︵
ど リ み
に に づ
評 対 ゑ
価 し
し て ︶
て も と
い そ い
る の う
評
。
北海学園大学人文論集
バ
バ
ウ
オ
︵
カ
イ
エ
・
リ
ー
3
ダ
リ
か
ら
の
芸
術
的
啓
示
︵
1
︶
얧
シ
ナ
リ
オ
バ
バ
ウ
オ
絵 が
画 試 そ
み の
ナ ら こ
ル れ と
シ て と
ス い 同
の る 様
変 か に
貌 を 、
検 卵
か 証 の
ら す エ
、 る チ
瀧 こ ュ
口 と ー
が が ド
何 重
を 要 に
読 だ お
み と い
取 思 て
っ わ 、
た れ ダ
か る リ
を 。 の
検 し 何
証 た を
し が
て っ 方
い て 法
く 、 的
。 次 モ
節 デ
以 ル
下
で と
は し
、 て
ダ 、
リ ど
作 の
シ よ
ナ う
リ な
オ 芸
バ 術
バ 的
ウ
オ 追
千 的
葉 追
は
注 造
目 を
し 試
て み
い て
3
3
る쐍
︶
。 い
る
こ
と
お
よ
び
、
こ
の
詩
の
と 造
、
に
、
方
法
的
モ
デ
ル
と
し
て
、
ダ
リ
の
い
わ
ゆ
る
偏
執
狂
的
批
判
的
方
法
23
5
掲
載
さ
れ
た
、
瀧
析 口
し の
て
い 七
る つ
。 の
そ 詩
こ
で の
は な
、 か
瀧 の
口
が サ
ル
シ ウ
ュ ア
ー ド
ル ル
レ
ア ダ
リ リ
ス
ム と
絵 い
画 う
の 詩
世 を
界 取
と り
相 上
対 げ
し て
た 、
上 資
で 料
、 に
こ 基
の づ
詩 き
に 実
お 証
い 的
て に
ダ
詩 リ
か
ら
の
影
響
を
あ
一 る
方 。
、
比
較
文
学
研
究
者
千
葉
宣
一
︵
一
九
三
〇
31
∼쐍
︶
︶
は
、
Ĺ
ECHANGE SURŔ
EALI
STE
ブ
ル シ
社 ナ
、 リ
一 オ
九
三 バ
二 バ
年 ウ
︶ オ
に
所 は
収 、
さ こ
れ の
て 作
い 品
3
4と
る쐍
︶
。 同
名
の
、
主
に
映
画
批
評
を
中
心
と
し
た
ダ
リ
に
よ
る
著
書
第 60号(20
16年3月)
쐍
32
︶
︵
ボ
ン
書
店
、
一
九
三
六
年
︶
に
人
の
よ
う
な
世
な 界
理 に
由 住
が む
あ 人
る 間
と で
自 は
任 な
し い
て と
い 述
る べ
て
と 、
主 異
張
し 常
性
3
0
て쐍
︶
、 の
む 点
し に
ろ お
芸 い
術 て
性 ダ
に リ
お と
け 比
る 較
ダ さ
リ れ
と る
の こ
親 と
近 を
感 拒
を む
強 反
調 面
し 、
て 彼
い の
る 芸
か 術
ら に
で 興
味
を
持
つ
十
に
、
フ
ロ
イ
ト
的
解
釈
が
な
さ
れ
て
も
納
得
で
き
る
部
が
あ
る
と
は
い
え
、
瀧
口
自
身
は
僕
は
ダ
リ
の
よ
う
な
パ
ラ
ノ
イ
ア
ッ
ク
な
狂
は
、
彼
自
身
エ
デ
ィ
プ
ス
・
コ
ン
プ
レ
ッ
ク
ス
や
性
的
コ
ン
プ
レ
ッ
ク
ス
を
認
め
て
お
り
、
か
つ
、
作
品
に
お
け
る
異
常
性
が
目
立
つ
ゆ
え
ぜ
な
ら
ば
、
瀧
口
に
と
っ
て
卵
が
何
を
象
徴
し
て
い
る
か
が
、
十
に
検
証
さ
れ
て
い
な
い
か
ら
で
あ
る
。
さ
ら
に
、
ダ
リ
に
関
し
て
︵
一
〇
︶
瀧口修造のシネ・ポエム
た
ぬ
方
法
で
表
現
で
き
る
映
画
の
豊
か
さ
を
否
応
な
く
証
明
し
て
い
る
︵
一
一
︶
と
み
な
し
て
、
こ
の
シ
ナ
リ
オ
を
評
価
し
て
い
る
。
て あ ま 従 一
、 り た 僕 九
自 、 キ の 三
制 ル 、 二
の 約 ー あ 年
反 さ は ら に
映 れ 、 ゆ 、
画 た 映 る 無
理 も 画 奇 価
論 の は 癖 値
に で 、 が と
反 あ 文 こ は
し る 学 こ い
た に や に え
こ す 、 は な
と ぎ 絵 露 い
を な 画 出 シ
や い や し ュ
っ
、 て ル
て と 彫 お レ
い い 刻 り ア
る う や 、 リ
。 、 、 サ ス
つ ダ
デ ム
ま リ 築 ィ の
り の に ズ シ
こ 映 較 ム ナ
の 画 べ 的 リ
シ 観 て で オ
ナ に 、 露
リ 触 思 出 バ
オ れ
症 バ
は た の 的 ウ
、 上 現 な オ
で
思 、 実 シ
的 ー を
の ダ な ン 発
真 リ 働 の 表
の は き 堆 し
の 積 た
働
き バ 表 か 。
バ 現 ら こ
を ウ と 一 の
、 オ し つ 、
た
て の ま
だ の 、 力 ぎ
一 シ は が れ
つ ナ る 発 も
、 リ か し な
制 オ に て い
い 法
約 に
3
5王
を よ 弱 る쐍
︶
持 っ で 。 の
さ
て
、
こ
の
シ
ナ
リ
オ
の
評
価
を
、
批
評
家
・
映
画
監
督
の
ア
ド
・
キ
ル
ー
︵
一
九
二
三
∼
︶
が
、
次
の
よ
う
に
述
べ
て
い
る
。
ダ
リ
は
ナ
リ
オ
は
終
わ
っ
て
い
る
。
ロ
ー
︶
が
最
初
に
描
か
れ
た
も
の
の
、
や
が
て
再
び
幻
想
に
入
り
込
み
、
最
後
に
彼
が
機
関
銃
で
襲
撃
さ
れ
て
斃
れ
た
と
こ
ろ
で
、
こ
の
シ
卵のエチュード
後
半
は
前
半
部
の
後
日
譚
と
な
っ
て
お
り
、
視
力
を
回
復
し
た
バ
バ
ウ
オ
の
、
牧
歌
的
風
景
と
穏
や
か
な
生
活
の
中
で
の
作
︵
タ
ブ
23
4
嚙
み
つ
き
、
そ
の
弾
み
で
自
動
車
は
大
樹
に
衝
突
し
て
大
破
し
、
マ
チ
ル
ド
は
死
亡
、
バ
バ
ウ
オ
は
視
力
を
失
っ
た
。
オ
と
マ
チ
ル
ド
は
、
自
動
車
で
逃
亡
す
る
。
と
こ
ろ
が
、
バ
バ
ウ
オ
の
運
転
中
、
突
如
マ
チ
ル
ド
が
バ
バ
ウ
オ
に
襲
い
か
か
っ
て
、
首
筋
に
バ
バ
ウ
オ
は
、
何
と
か
マ
チ
ル
ド
の
居
る
城
に
り
着
く
が
、
そ
こ
で
マ
チ
ル
ド
の
母
と
そ
の
友
人
た
ち
と
の
狂
乱
が
始
ま
り
、
バ
バ
ウ
(秋元)
る
大
管
弦
楽
団
、
地
下
鉄
の
乗
客
で
あ
る
郵
集
配
人
の
靴
か
ら
滑
り
落
ち
る
落
と
し
卵
等
々
、
非
現
実
的
な
影
像
が
描
か
れ
て
い
る
。
る
様
々
な
ガ
ラ
ク
タ
物
、
街
路
で
ゆ
っ
く
り
と
互
い
に
擦
れ
違
っ
て
行
く
自
転
車
に
乗
っ
た
大
勢
の
男
、
地
下
鉄
の
ホ
ー
ム
で
演
奏
し
て
い
さ
れ
て
、
彼
女
の
居
る
、
あ
る
城
へ
と
大
急
ぎ
で
向
か
う
。
そ
の
途
中
で
、
現
実
の
出
来
事
と
幻
想
と
が
入
り
乱
れ
、
急
流
に
押
し
流
さ
れ
前
半
で
は
、
ホ
テ
ル
の
一
室
で
仲
間
た
ち
と
乱
痴
気
騒
ぎ
を
し
て
い
た
バ
バ
ウ
オ
と
い
う
男
性
が
、
マ
チ
ル
ド
と
い
う
女
性
か
ら
呼
び
出
述
べ
た
い
。
こ
の
シ
ナ
リ
オ
は
、
前
半
部
と
後
半
部
︵
エ
ピ
ロ
ー
グ
︶
の
二
段
構
成
に
な
っ
て
い
る
が
、
そ
れ
ぞ
れ
の
部
の
筋
立
て
を
簡
潔
に
北海学園大学人文論集
翻
訳
し
た
瀧
口
の
印
象
で
は
、
バ
バ
ウ
オ
は
一
種
の
妖
怪
映
画
に
見
え
た
と
い
う
の
だ
が
、
そ
の
、
言
わ
ば
不
気
味
さ
が
充
満
し
添 的
う な
よ 光
う 景
に が
常 ソ
に フ
存 ト
在 ・
し フ
て ォ
い ー
る カ
よ ス
う で
に 描
感 か
じ れ
ら て
れ い
る る
の 。
36し
だ쐍
︶
。 か
も
こ
の
孤
独
な
静
か
な
世
界
は
驚
天
動
地
の
事
件
の
背
後
に
影
の
形
に
恐
怖
心
を
よ
く
あ
ら
わ
し
て
い
る
。
さ
ま
ざ
ま
な
驚
天
動
地
の
事
件
の
後
に
、
そ
の
エ
ピ
ロ
ー
グ
で
は
ブ
ル
タ
ー
ニ
ュ
の
美
し
い
牧
歌
お
よ
そ
百
あ
ま
り
の
大
理
石
の
テ
ー
ブ
ル
の
上
に
た
だ
ひ
と
つ
布
巾
が
丁
寧
に
畳
ん
で
お
い
て
あ
る
と
い
っ
た
場
面
な
ど
は
、
ダ
リ
の
ほ
ど
、
フ
ァ
ン
ト
マ
テ
ィ
ッ
ク
な
空
気
が
あ
る
。
얧
荒
れ
果
て
て
、
住
む
人
の
い
な
い
町
の
キ
ャ
フ
ェ
の
空
家
へ
は
い
っ
て
ゆ
く
と
、
用
者
に
よ
る
︶
に
く
ら
べ
て
い
っ
そ
う
孤
独
な
、
薄
気
味
わ
る
い
囲
気
が
た
え
ず
み
な
ぎ
っ
て
い
る
。
一
種
の
妖
怪
映
画
と
い
え
る
背
景
が
古
城
の
あ
る
荒
廃
し
た
地
方
で
あ
る
こ
と
も
手
伝
っ
て
、
前
の
二
つ
の
映
画
︵
ア
ン
ダ
ル
シ
ア
の
犬
と
黄
金
時
代
|
引
第 60号(20
16年3月)
ジ
を
自
由
奔
放
に
書
い
て
い
る
の
で
、
ダ
リ
の
映
画
的
感
覚
を
充
に
想
像
す
る
こ
と
が
で
き
る
。
こ
の
シ
ナ
リ
オ
で
は
事
件
の
主
な
23
3
ま
だ
映
画
化
さ
れ
て
い
な
い
ダ
リ
の
シ
ナ
リ
オ
バ
バ
ウ
オ
は
、
描
写
が
か
な
り
微
細
に
わ
た
っ
て
い
る
こ
と
と
映
画
の
イ
メ
ー
す
る
単
行
本
で
あ
る
西
洋
美
術
文
庫
ダ
リ
︵
ア
ト
リ
ヱ
社
、
一
九
三
九
年
一
月
︶
に
お
い
て
、
瀧
口
は
次
の
よ
う
に
述
べ
て
い
る
。
一
方
瀧
口
は
、
こ
の
シ
ナ
リ
オ
に
対
し
て
、
一
般
的
な
見
解
以
上
の
も
の
を
読
み
取
っ
て
い
た
よ
う
で
あ
る
。
世
界
で
最
初
に
ダ
リ
に
関
ル
レ
ア
リ
ス
ム
解
釈
を
踏
ま
え
た
、
い
わ
ば
正
論
で
あ
る
と
思
わ
れ
る
。
わ
す
表
現
手
段
と
し
て
、
特
に
優
れ
た
媒
体
で
あ
る
と
み
な
す
捉
え
方
に
お
い
て
、
キ
ル
ー
の
意
見
は
、
一
般
的
な
ダ
リ
解
釈
お
よ
び
シ
ュ
ー
の 価
、
奇 つ
癖 ま
り
の
お 思
か
げ の
で 真
効 の
果 働
的 き
に
実 を
現 あ
さ か
れ ら
て さ
い ま
る に
と す
い る
う と
こ い
と う
と シ
、 ュ
さ ー
ら ル
に レ
は ア
映 リ
画 ス
を ム
の
思 理
念
の が
真 、
の こ
働 の
き シ
ナ
の リ
ダ オ
イ に
ナ お
ミ い
ズ て
ム 、
を ダ
表 リ
こ
こ
で
言
わ
れ
て
い
る
、
サ
デ
ィ
ズ
ム
的
で
露
出
症
的
で
あ
る
奇
癖
を
持
つ
ダ
リ
作
の
シ
ナ
リ
オ
バ
バ
ウ
オ
に
対
す
る
評
︵
一
二
︶
瀧口修造のシネ・ポエム
︵
一
三
︶
見
ら
れ
る
。
そ
の
区
別
は
、
そ
れ
ぞ
れ
ど
の
よ
う
な
こ
と
を
言
い
表
し
て
い
る
の
だ
ろ
う
か
。
先
に
、
自
然
色
︵
天
然
色
︶
と
白
黒
の
写
真
・
着
色
写
真
と
い
う
区
別
が
な
さ
れ
て
い
る
こ
と
で
あ
る
。
こ
れ
ら
の
区
別
は
、
す
で
に
瀧
口
の
戦
前
の
評
論
に
白 お
黒 い
の て
あ
る 活
部 動
・ 写
シ 真
ー
ン は
の 、
み 基
を 本
着 的
色 に
し 白
た 黒
映 フ
画 ィ
が ル
、 ム
い で
つ 撮
ま 影
で さ
も れ
瀧 て
口 い
の の
印 だ
3
8
象 が쐍
︶
に 、
残 効
っ 果
て 的
い な
た 表
。 現
興 を
味 行
深 う
い 意
こ 図
と や
は 、
、 芸
こ 術
の 的
引 な
用 意
で 図
自 を
然 も
色 っ
て
・ 、
移 を
る 抹
と 殺
き し
の て
お 瞬
ど 間
ろ に
き ド
を ラ
、 マ
初 テ
期 ィ
の ッ
映 ク
画 な
は 空
素 気
朴 で
に す
利 べ
用 て
し を
た つ
の つ
で ん
あ で
っ し
3
7ま
た쐍
︶
。 う
の
で
あ
る
。
殊
に
白
黒
の
写
真
か
ら
急
に
着
色
写
真
に
ら
れ
た
も
の
で
、
筋
も
題
も
忘
れ
た
が
、
美
し
い
風
景
な
ど
絵
は
が
き
の
よ
う
に
眼
に
残
っ
て
い
る
。
︵
略
・
引
用
者
︶
そ
れ
は
自
然
色
で
、
と
こ
ろ
ど
こ
ろ
美
し
い
セ
ピ
ア
色
調
に
着
色
さ
れ
た
の
が
あ
っ
た
こ
と
を
憶
え
て
い
る
。
あ
れ
な
ど
は
芸
術
写
真
の
意
図
で
つ
く
卵のエチュード
え
る
が
、
人
間
の
官
能
と
幻
想
を
刺
激
す
る
機
微
は
ち
ゃ
ん
と
つ
か
ん
で
い
た
わ
け
で
あ
る
。
や
は
り
そ
の
頃
に
イ
タ
リ
ア
映
画
な
ど
23
2
が
青
く
着
色
さ
れ
て
い
る
。
そ
れ
で
も
結
構
、
ス
リ
ル
を
感
じ
、
感
傷
的
な
気
に
つ
り
こ
ま
れ
た
わ
け
で
あ
る
。
稚
拙
と
い
え
ば
い
昔
見
た
活
動
写
真
で
、
火
事
に
な
る
と
、
場
面
全
体
が
突
如
真
赤
に
着
色
さ
れ
た
の
が
あ
っ
た
。
そ
ん
な
映
画
で
は
、
月
夜
の
場
面
(秋元)
月
︶
に
お
い
て
、
戦
前
の
映
画
に
つ
い
て
次
の
よ
う
に
回
想
し
て
い
る
。
は
映
画
に
お
け
る
色
の
効
果
に
つ
い
て
述
べ
た
エ
ッ
セ
イ
色
の
な
い
写
真
・
色
の
あ
る
写
真
︵
フ
ォ
ト
グ
ラ
フ
ィ
、
一
九
四
九
年
一
二
す
る
問
題
で
あ
る
。
瀧
口
は
、
映
画
の
影
像
の
色
彩
に
、
非
常
に
重
要
な
問
題
を
見
出
し
て
い
た
の
で
あ
る
。
戦
後
に
な
っ
て
か
ら
、
瀧
口
と
は
い
え
、
瀧
口
が
バ
バ
ウ
オ
か
ら
受
け
取
っ
た
も
の
は
こ
れ
だ
け
に
と
ど
ま
ら
な
か
っ
た
。
端
的
に
言
っ
て
、
そ
れ
は
色
彩
に
関
つ
の
世
界
の
重
な
り
合
い
に
お
い
て
映
画
の
魅
力
を
感
じ
て
い
た
、
瀧
口
な
ら
で
は
の
見
方
で
あ
る
と
言
え
よ
う
か
。
て
い
る
恐
怖
の
世
界
と
、
素
朴
で
叙
情
的
で
静
か
な
牧
歌
的
世
界
と
が
、
同
時
に
存
在
す
る
も
の
と
し
て
捉
え
ら
れ
て
い
る
。
相
異
な
る
二
は
、
運
転
手
の
思
い
掛
け
な
い
行
動
と
、
イ
ン
デ
ィ
ア
ン
の
羽
帽
子
と
い
う
突
拍
子
も
に な
よ い
っ 小
て 道
表 具
現 に
・ よ
強 っ
調 て
さ 、
れ バ
て
い バ
ウ
4
2
る쐍
︶
と オ
言 が
え 非
よ 現
う 実
。 的
な
世
界
に
入
り
込
ん
で
い
る
こ
と
を
示
し
て
お
り
、
そ
の
こ
と
が
、
通
俗
な
天
然
色
樹
か
ら
降
り
て
来
さ
せ
よ
う
と
す
る
も
、
無
駄
骨
に
終
わ
り
、
バ
バ
ウ
オ
自
ら
が
運
転
し
て
城
へ
向
か
う
と
い
う
場
面
で
あ
る
。
こ
の
場
面
に
よ
じ
登
っ
て
、
そ
こ
か
ら
動
こ
う
と
し
な
く
な
る
。
一
刻
も
早
く
城
に
到
着
し
た
い
バ
バ
ウ
オ
は
、
あ
ら
ゆ
る
方
法
を
っ
て
運
転
手
を
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
ナ よ
リ っ 確
オ て か
指 に
バ 定 、
バ さ 瀧
ウ れ 口
オ た の
場 言
に 面 う
お が よ
い あ う
て り に
は 、 、
、 そ シ
天 の ナ
然 場 リ
色 面 オ
が
に 終 バ
よ わ バ
っ る ウ
て と オ
描
か こ に
れ こ は
て で 一
い 天 箇
る 然 所
一 色 だ
場 の け
面 部
こ
が
強 は の
調 終 瞬
さ わ 間
れ る か
ら
て
い と 映
る 指 画
の 定 は
で さ 天
あ れ 然
る て 色
。 い に
そ る な
4
1
れ 。 る쐍
︶
は す
ど な と
の わ 、
よ ち ダ
う 、 リ
な シ に
な
色
彩
の
効
果
を
見
出
し
た
の
だ
ろ
う
か
。
シ
ー
が
原
野
を
横
切
っ
た
と
き
、
運
転
手
が
突
然
車
を
止
め
て
外
へ
出
て
、
イ
ン
デ
ィ
ア
ン
の
羽
の
つ
い
た
帽
子
を
被
り
、
樅
の
木
の
大
樹
場
面
か
と
い
う
と
、
バ
バ
ウ
オ
の
前
半
部
で
、
バ
バ
ウ
オ
が
マ
チ
ル
ド
の
城
へ
向
か
う
途
中
、
タ
ク
シ
ー
に
乗
り
込
む
の
だ
が
、
タ
ク
23
1
果 ア
的 ン
に の
逆 帽
用 子
し を
て 被
ゐ る
る と
の こ
も ろ
面 か
白 ら
い ︶
と を
思 天
つ 然
4
0色
た쐍
︶
。 に
し
て
ゐ
る
手
法
は
、
画
家
ら
し
い
や
り
方
で
あ
り
、
通
俗
な
天
然
色
を
そ
の
ま
ゝ
効
最
近
私
は
ダ
リ
の
バ
バ
ウ
オ
を
読
ん
で
、
彼
が
劇
中
の
或
る
場
面
だ
け
︵
た
と
へ
ば
運
転
手
が
突
然
ア
メ
リ
カ
ン
・
イ
ン
デ
イ
役 イ
割 で
に
つ 映
い 画
て の
綴 対
っ 物
て 性
お
3
9と
り쐍
︶
、 い
そ う
こ 視
で 点
瀧 か
口 ら
は
曾
バ て
バ の
ウ 前
オ 衛
映
の 画
色 の
彩 功
に 罪
言
及 に
し つ
て い
い て
る 述
。 べ
瀧 る
口 と
は と
こ も
の に
シ 、
ナ シ
リ ナ
オ リ
に オ
お 文
い 学
て に
、 期
ど 待
の さ
よ れ
う る
瀧
口
は
一
九
三
七
年
七
月
、
シ
ナ
リ
オ
研
究
第
二
冊
に
写
真
と
は
、
ど
の
よ
う
に
異
な
っ
て
い
る
か
を
検
証
す
る
。
前
衛
映
画
の
行
方
と
い
う
エ
ッ
セ
イ
を
発
表
し
て
い
る
が
、
こ
の
エ
ッ
セ
︵
一
四
︶
瀧口修造のシネ・ポエム
の は
で 、
あ 突
っ 然
4
4画
た쐍
︶
。 面
が
色
彩
を
帯
び
る
部
︵
一
五
︶
が
あ
る
。
こ
れ
な
ど
は
黒
白
と
色
彩
と
を
、
超
現
実
的
な
メ
カ
ニ
ズ
ム
と
し
て
対
立
さ
せ
た
も
シ
ュ
ル
レ
ア
リ
ス
ム
の
画
家
サ
ル
ヴ
ァ
ド
ー
ル
・
ダ
リ
の
シ
ナ
リ
オ
バ
バ
ウ
オ
︵
新
興
シ
ナ
リ
オ
全
集
に
拙
訳
が
あ
る
︶
の
中
に
さ
ら
に
瀧
口
が
、
る
現
実
世
界
の
色
彩
を
再
現
し
て
い
よ
う
と
も
、
映
画
に
お
い
て
は
非
現
実
的
な
独
特
の
魅
力
が
あ
る
と
い
う
の
も
首
肯
で
き
よ
う
。
お
け
る
モ
ノ
ク
ロ
ー
ム
の
リ
ア
リ
テ
ィ
ー
に
慣
れ
親
し
ん
で
い
る
身
と
し
て
は
、
バ
バ
ウ
オ
の
天
然
色
場
面
は
、
た
と
え
肉
眼
で
見
て
い
と
感
嘆
す
る
よ
う
な
カ
ラ
ー
写
真
に
は
、
か
え
っ
て
違
和
感
が
あ
る
と
い
う
こ
と
を
示
唆
し
て
い
よ
う
。
そ
の
よ
う
な
、
言
わ
ば
、
映
画
に
の
表
現
の
発
展
を
担
っ
て
来
た
ゆ
え
に
、
白
黒
の
影
像
に
こ
そ
現
実
感
が
あ
る
と
い
う
の
で
あ
る
。
し
た
が
っ
て
、
ま
る
で
本
物
の
よ
う
だ
卵のエチュード
つ
ま
り
、
写
真
や
映
画
の
影
像
に
お
い
て
、
カ
ラ
ー
・
フ
ィ
ル
ム
の
普
及
以
前
は
、
白
黒
フ
ィ
ル
ム
が
映
画
に
お
け
る
レ
ア
リ
ズ
ム
23
0
モ 実
ノ 感
ク
ロ と
ー は
ム か
的 な
な り
表 ち
象 が
が っ
視 た
覚 も
言 の
語 で
と あ
し ろ
て う
通 。
︵
用 略
し ・
て 引
い 用
る 者
か ︶
ぎ ダ
り リ
、 の
や シ
は ナ
り リ
独 オ
特 の
の 例
魅 に
力 見
を る
失 ま
わ で
な も
い な
だ く
ろ 、
43わ
う쐍
︶
。 れ
わ
れ
の
周
囲
に
(秋元)
誌
の
広
告
な
ど
で
、
料
理
や
ケ
ー
キ
の
色
彩
を
見
て
、
ま
る
で
本
物
の
よ
う
だ
と
感
心
す
る
の
は
、
モ
ノ
ク
ロ
ー
ム
の
場
合
の
写
う
印
象
は
、
こ
れ
ま
で
は
黒
白
に
抽
象
さ
れ
た
画
面
の
表
現
か
ら
う
け
る
も
の
で
あ
る
。
こ
れ
に
対
し
て
、
今
日
ア
メ
リ
カ
の
大
衆
雑
写
真
に
お
け
る
レ
ア
リ
ズ
ム
の
表
現
は
モ
ノ
ク
ロ
ー
ム
の
写
真
の
中
で
発
達
し
て
き
て
い
る
。
す
ば
ら
し
く
リ
ア
ル
だ
と
い
真
・
色
の
あ
る
写
真
で
次
の
よ
う
に
説
明
し
て
い
る
。
で
は
、
な
ぜ
天
然
色
が
非
現
実
的
な
世
界
を
表
現
す
る
こ
と
が
逆
用
だ
と
い
う
の
で
あ
ろ
う
か
。
瀧
口
は
エ
ッ
セ
イ
色
の
な
い
写
北海学園大学人文論集
持
つ
象
徴
性
を
体
系
化
し
た
も
の
だ
と
言
え
よ
う
か
。
色
彩
映
画
で
は
色
そ
の
も
の
の
持
つ
象
徴
性
を
、
効
果
的
か
つ
意
識
的
に
利
用
す
系 の
だ
と っ
は た
、 。
色 た
と だ
人 し
間 そ
の れ
は
複 、
雑 前
な 衛
心 絵
理 画
が
と 実
の 験
密 し
接 て
な ゐ
関 る
係 色
性 彩
が 体
体 系
系
的 が
に 、
秩 映
序 画
づ に
け お
ら い
れ て
た 利
も 用
の さ
で れ
あ た
り 場
、 合
そ で
の あ
点 る
に 。
お そ
い の
て
、 色
色 彩
の 体
瀧
口
に
と
っ
て
、
白
黒
フ
ィ
ル
ム
で
撮
っ
た
影
像
に
着
色
し
た
色
彩
映
画
は
、
複
雑
な
心
理
を
表
現
す
る
場
合
に
有
効
な
手
法
な
4
5り
る쐍
︶
。 、
絵
画
映
画
で
さ
へ
あ
る
。
そ
し
て
こ
の
映
画
が
、
時
に
長
た
ら
し
い
劇
映
画
と
比
較
に
な
ら
な
い
ほ
ど
深
い
感
銘
を
与
へ
て
呉
れ
皮
肉
だ
け
で
は
な
く
な
る
時
が
来
る
で
あ
ら
う
。
︵
略
・
引
用
者
︶
天
然
色
映
画
か
ら
見
れ
ば
、
色
彩
映
画
は
、
厳
密
に
色
彩
映
画
で
あ
第 60号(20
16年3月)
に 代 心 誇
、 の 理 張
自 前 を し
衛 表 た
な 絵 現 色
ら 画 す 彩
ば が る や
、 実 映 、
グ 験 画 ロ
レ し が マ
イ て 作 ン
と ゐ ら テ
ロ る れ イ
オ 色 る ツ
ズ 彩 や ク
の 体 う な
二 系 に 泰
色 が な 西
で 映 れ 名
統 画 ば 画
一 に 、 の
し 取 当 複
た り 然 製
色 入 か の
彩 れ う や
映 ら し う
画 れ た な
を る 色 色
作 時 彩 彩
り が で で
た 来 は あ
い る 物 る
と に 足 が
書 相 り 、
い 違 な 賦
て な く 彩
ゐ い な 技
た 。 る 術
と ル で が
思 ネ あ 一
ふ ・ ら 般
が ク う 化
、 レ 。 さ
こ エ 色 れ
れ ル 彩 、
も が の も
強 か 上 つ
ち な に と
彼 り は 複
流 以 、 雑
の 前 現 な
22
9
色
彩
映
画
は
現
在
の
と
こ
ろ
、
多
く
は
異
国
情
緒
や
極
端
に
ロ
マ
ン
テ
イ
ツ
ク
な
も
の
な
ど
に
限
ら
れ
て
ゐ
て
、
名
所
絵
葉
書
的
に
九
三
七
年
七
月
︶
と
い
う
エ
ッ
セ
イ
に
お
い
て
、
次
の
よ
う
に
述
べ
て
い
る
。
か
に
な
っ
た
。
で
は
、
着
色
写
真
以
上
の
検
証
に
よ
っ
て
、
瀧
口
が
と
を
止
揚
す
る
超
現
実
的
な
メ
カ
ニ
に
つ 自 ズ
い 然 ム
て 色
は ︵ と
ど 天 し
う 然 て
な 色 作
の ︶ 用
だ と す
る
ろ
う 白 の
か 黒 で
。 の あ
瀧 写 る
口 真 。
は
に
前 つ
衛 い
映 て
画 、
の ど
行 の
方 よ
う
︵ な
シ
ナ え
リ を
オ 持
研 っ
究 て
い
第 た
二 か
冊 が
、 明
一 ら
と
述
べ
て
い
る
よ
う
に
、
現
実
感
を
表
わ
す
白
黒
の
影
像
と
、
非
現
実
感
を
印
象
付
け
る
天
然
色
の
影
像
の
対
立
が
、
現
実
感
と
非
現
実
感
︵
一
六
︶
瀧口修造のシネ・ポエム
︵
一
七
︶
の う
出 わ
現 け
が で
メ あ
ッ る
セ 。
ー そ
ジ し
を て
伝 瀧
え 口
て は
機 、
能 階
を 段
果 は
た ヤ
す コ
わ ブ
け の
だ 梯
か 子
ら で
、 も
カ あ
メ る
ラ 訳
マ だ
ン し
は 、
デ 壺
ザ は
イ ヤ
ナ ク
ー シ
と ニ
協 の
力 腹
し を
て 象
、 徴
絵 し
作 て
り い
を て
す 、
べ そ
き の
4
9イ
だ쐍
︶
メ
と ー
話 ジ
陰
影
に
う
ご
め
く
神
秘
的
な
イ
メ
ー
ジ
と
現
実
の
世
界
と
を
結
び
つ
け
て
、
そ
の
神
秘
的
な
イ
メ
ー
ジ
を
観
客
に
訴
え
て
来
る
と
い
あ こ
る と
こ 、
と 特
を に
強 画
調 面
し の
4
8深
た쐍
︶
と い
い 陰
う 影
。 に
い う
わ ご
ば め
、 く
ス 神
ク 秘
リ 的
ー な
ン イ
上 メ
に ー
映 ジ
し を
出 現
さ 実
れ の
た 中
映 に
画 引
の き
小 込
道 む
具 幻
や 想
セ 効
ッ 果
ト の
な 手
ど 段
の と
影 し
像 て
が 、
、 き
わ
画 め
面 て
の 有
深 効
い で
渡
辺
の
話
に
よ
る
と
、
瀧
口
は
生
活
用
具
の
小
道
具
や
築
構
図
と
し
て
の
階
段
等
が
、
ど
ん
な
に
重
要
な
役
割
を
果
た
す
か
と
い
う
が
、
そ
の
成
城
の
喫
茶
店
で
瀧
口
が
語
っ
た
こ
と
を
、
渡
辺
は
中
古
に
伝
え
、
中
古
は
そ
れ
を
回
想
し
て
い
る
。
渡
辺
は
、
あ
る
時
成
城
の
喫
茶
店
で
瀧
口
お
よ
び
、
画
家
福
沢
一
郎
︵
一
八
九
八
∼
一
九
九
二
︶
と
長
い
時
間
話
し
込
ん
だ
と
い
う
の
だ
一
九
三
八
年
か
三
九
年
の
こ
と
、
当
時
中
古
の
助
手
を
つ
と
め
て
い
た
渡
辺
武
と
い
う
青
年
が
い
た
。
卵のエチュード
熱
意
を
も
っ
て
い
た
か
、
次
の
エ
ピ
ソ
ー
ド
か
ら
、
よ
り
具
体
的
に
覗
い
知
る
こ
と
が
で
瀧 き
口 る
修 。
造 瀧
と 口
P が
C P
4
7C
L쐍
︶
L
か で
ら 働
引 い
用 て
す い
る た
。 時
期
に
、
そ
こ
で
当
時
美
術
助
手
を
し
て
い
た
中
古
智
︵
一
九
一
二
∼
一
九
九
四
︶
の
エ
ッ
セ
イ
22
8
を ら
見 で
出 あ
し る
、 。
瀧
映 口
画 は
独 、
自 映
の 画
象
徴 望
46
性쐍
︶ 郷
の
確
立
の
必
要
を
示
し
て
い
た
。
瀧
口
が
こ
の
映
画
独
自
の
象
徴
性
の
確
立
に
つ
い
て
、
い
か
に
︵
一
九
三
七
年
︶
に
お
い
て
映
し
出
さ
れ
た
俳
優
の
顔
の
影
像
に
、
監
督
の
計
算
を
超
え
た
意
味
合
い
(秋元)
の
え
の
中
に
あ
っ
た
こ
と
は
間
違
い
な
い
。
と
い
う
の
も
、
瀧
口
は
、
映
画
の
影
像
に
お
け
る
象
徴
性
に
つ
い
て
、
重
要
視
し
て
い
た
か
も
ち
ろ
ん
、
色
そ
の
も
の
の
象
徴
性
を
強
調
す
る
だ
け
で
は
な
く
、
着
色
さ
れ
た
物
体
の
象
徴
性
を
効
果
的
に
表
現
す
る
こ
と
も
、
瀧
口
も
、
色
彩
に
関
す
る
瀧
口
の
強
い
関
心
が
う
か
が
え
る
こ
と
は
確
か
で
あ
る
。
や
、
筋
に
重
点
を
置
い
た
長
た
ら
し
い
劇
映
画
よ
り
も
、
深
い
感
銘
を
与
へ
て
呉
れ
る
も
の
だ
っ
た
の
で
あ
ろ
う
。
い
ず
れ
に
し
て
で
あ
る
。
瀧
口
に
と
っ
て
、
こ
の
よ
う
な
意
識
的
に
彩
色
を
施
し
た
色
彩
映
画
は
、
あ
り
の
ま
ま
の
色
を
映
し
出
し
た
天
然
色
映
画
る
こ
と
が
で
き
、
そ
の
意
味
に
お
い
て
絵
画
の
手
法
を
取
り
入
れ
て
い
る
と
言
え
、
し
た
が
っ
て
絵
画
映
画
と
呼
ぶ
こ
と
が
で
き
る
の
北海学園大学人文論集
が
、
ダ
リ
に
つ
い
て
の
評
伝
で
、
次
の
よ
う
に
述
べ
て
い
る
こ
と
か
ら
も
、
そ
れ
が
わ
か
る
。
ダ
リ
自
身
が
そ
れ
に
気
づ
き
、
次
な
る
芸
術
的
方
向
を
模
索
し
て
い
た
の
は
確
か
で
あ
る
。
美
術
研
究
者
ジ
ャ
ン
・
ル
イ
・
ガ
イ
ユ
マ
ン
あ
ま
り
に
も
技
巧
に
走
り
す
ぎ
た
ゆ
え
に
、
た
だ
の
視
覚
遊
び
と
も
言
え
る
作
品
が
目
立
つ
よ
う
に
な
っ
て
い
た
の
で
あ
る
。
と
は
い
え
、
世
の
中
の
人
々
の
度
肝
を
抜
き
、
注
目
を
集
め
た
ダ
リ
で
あ
っ
た
が
、
三
〇
年
代
半
ば
に
な
る
と
、
芸
術
的
な
行
き
詰
ま
り
を
見
せ
始
め
た
。
一
九
三
〇
年
代
初
め
に
は
、
斬
新
な
作
品
に
よ
っ
て
シ
ュ
ー
ル
レ
ア
リ
ス
ム
の
芸
術
運
動
に
新
風
を
吹
き
込
み
、
奇
抜
な
行
動
に
よ
っ
て
4
ダ
リ
か
ら
の
芸
術
的
啓
示
︵
2
︶
얧
絵
画
ナ
ル
シ
ス
の
変
貌
し
て
お
り
、
そ
の
こ
と
が
、
シ
ネ
・
ポ
エ
ム
卵
の
エ
チ
ュ
ー
ド
に
お
い
て
実
験
さ
れ
て
い
る
と
見
て
差
し
支
え
あ
る
ま
い
。
第 60号(20
16年3月)
さ
ら
に
、
白
黒
フ
ィ
ル
ム
の
一
部
に
着
色
し
た
影
像
に
よ
っ
て
、
色
彩
や
物
体
の
象
徴
性
が
効
果
的
に
強
調
さ
れ
る
こ
と
を
瀧
口
は
重
視
22
7
へ
方
、
見
方
で
あ
る
と
言
え
よ
う
。
と
し
て
働
く
の
で
あ
る
。
こ
の
こ
と
が
、
ダ
リ
に
啓
発
さ
れ
た
こ
と
に
よ
っ
て
深
め
ら
れ
た
、
瀧
口
独
自
の
と
い
う
、
二
つ
の
世
界
を
同
時
に
捉
え
る
こ
と
が
で
き
る
よ
う
に
な
る
。
つ
ま
り
、
そ
れ
は
二
つ
の
世
界
の
対
立
を
超
越
す
る
映
画
的
な
超
現
実
的
な
メ
カ
ニ
ズ
ム
の
非
現
実
性
の
効
果
を
見
出
し
た
と
み
な
さ
れ
る
。
こ
の
白
黒
と
天
然
色
と
の
対
立
に
よ
っ
て
、
映
画
に
お
け
る
現
実
世
界
と
非
現
実
世
界
こ
こ
ま
で
の
析
に
よ
り
、
瀧
口
は
ダ
リ
の
シ
ナ
リ
オ
バ
バ
ウ
オ
に
お
い
て
、
白
黒
の
影
像
の
現
実
感
に
対
す
る
、
天
然
色
の
影
像
つ 徴
い の
て 機
能
、 や
撮 価
影 値
所 を
で 大
瀧 い
口 に
さ 利
ん 用
に す
会 べ
う き
た だ
び と
断 言
片 う
的 ︵
に 瀧
は 口
聞 の
い |
て 引
い 用
5
0者
た쐍
︶
に
と よ
述 る
べ ︶
て 主
い 張
る や
。 、
美
術
家
と
カ
メ
ラ
マ
ン
の
協
力
の
必
要
性
に
渡
辺
の
語
っ
た
、
こ
の
成
城
の
喫
茶
店
で
の
エ
ピ
ソ
ー
ド
を
裏
付
け
る
か
の
よ
う
に
、
中
古
も
P
C
L
在
職
当
時
の
瀧
口
を
回
想
し
、
象
し
、
映
画
に
お
け
る
、
象
徴
と
影
像
と
の
関
係
の
重
要
性
に
つ
い
て
主
張
し
た
の
だ
っ
た
。
︵
一
八
︶
瀧口修造のシネ・ポエム
の
︵
一
九
︶
さ 果
え を
与 助
え 成
て し
い て
る い
。 る
そ 。
し こ
て の
こ 作
れ 品
は は
画 早
面 春
に の
お 叙
け 情
る 的
モ な
ン
タ 囲
ー 気
ジ を
ュ す
の ば
新 ら
し し
い い
変 迫
貌 力
だ で
と 描
も き
い 、
え 水
5
2仙
る쐍
︶
。 の
悲
劇
的
神
話
に
厳
粛
な
香
気
を
作 や
品 や わ
後 た
ナ 期 し
ル の は
シ も ダ
ス の リ
の に の
変 、 偏
貌 そ 執
の 狂
は 本 的
、 領 と
こ が 称
の い す
原 っ る
理 そ 方
を う 法
並 完 は
置 全 、
︵
的 に 略
に 発 ・
適 揮 引
用 さ 用
し れ 者
て て ︶
、 い そ
し る れ
か と ︵
も
ダ
水 え リ
面 る の
と 。 絵
地 一 画
面 九
と 三 見
の 八 え
マ 年 な
ジ に い
ッ 発 男
ク 表
な さ |
境 れ 引
界 た 用
に も 者
よ っ に
っ と よ
て も る
そ 新 ︶
の し よ
効 い り
造
者
サ
ル
バ
ド
ー
ル
・
ダ
リ
こ
の
ダ
リ
作
絵
画
ナ
ル
シ
ス
の
変
か 貌
ら
引 に
用 対
す し
る て
。 、
瀧
口
は
ど
の
よ
う
に
評
し
て
い
る
の
だ
ろ
う
か
。
前
述
の
瀧
口
の
エ
ッ
セ
イ
ら
れ
ず
、
恋
を
受
け
止
め
て
も
ら
え
る
こ
と
も
な
く
、
衰
弱
し
て
命
を
失
っ
た
、
と
い
う
神
話
で
あ
る
。
卵のエチュード
女
神
は
そ
れ
を
聞
き
入
れ
た
。
つ
ま
り
、
ナ
ル
シ
ス
は
、
泉
の
水
面
に
映
っ
た
彼
自
身
の
影
像
に
恋
焦
が
れ
て
し
ま
い
、
そ
の
場
か
ら
離
れ
22
6
求
愛
者
の
一
人
が
、
ナ
ル
シ
ス
も
恋
を
知
り
、
そ
の
恋
の
相
手
を
彼
自
身
の
も
の
に
で
き
な
い
よ
う
に
と
、
復
讐
の
女
神
に
願
い
を
掛
け
、
を
問
わ
ず
多
く
の
人
々
を
惹
き
つ
け
て
い
た
が
、
誰
の
愛
も
受
け
入
れ
な
か
っ
た
。
そ
の
よ
う
な
、
彼
の
思
い
あ
が
っ
た
態
度
に
対
し
て
、
ろ
う
、
ギ
リ
シ
ア
神
話
の
有
名
な
話
を
モ
チ
ー
フ
と
し
て
い
る
。
す
な
わ
ち
、
美
少
年
ナ
ル
シ
ス
は
、
そ
の
類
い
稀
な
美
貌
ゆ
え
に
、
男
女
(秋元)
ダ
リ
の
絵
画
ナ
ル
シ
ス
の
変
身
︵
本
稿
で
は
ナ
ル
シ
ス
の
変
貌
と
い
う
名
称
に
統
一
し
て
い
る
︶
は
、
誰
も
が
知
っ
て
い
る
で
あ
9
3
4
年
に
は
、
混
乱
や
病
的
な
イ
メ
ー
ジ
で
伝
統
を
破
壊
し
よ
う
と
し
て
い
た
が
、
1
9
3
7
年
で に
、 は
こ
れ 全
は さ
1 を
9 と
2 り
9 も
年 ど
の し
再
春 生
し
よ
う
と
い
う
と 意
同 欲
じ が
く 見
、 ら
ダ れ
リ る
の よ
新 う
た に
な な
出 っ
発 た
を 。
告 そ
げ の
る 象
作 徴
品 的
と な
な 作
っ 品
5
1が
た쐍
︶
。
ナ
ル
シ
ス
の
変
身
の
は
じ
ま
り
こ
う
し
た
技
巧
上
の
行
き
づ
ま
り
と
平
行
し
て
、
外
界
に
対
す
る
ダ
リ
の
態
度
も
変
化
し
て
い
っ
た
。
人
肉
食
の
幻
影
を
描
い
た
1
北海学園大学人文論集
第 60号(20
16年3月)
쐕
写
真
資
料
쐖
ダリ作 ナルシスの変貌 、油彩、5
0
.
8
×7
8
.
3cm、テート・ギャラリー(ロ
ンドン)蔵。
☆なお本稿の写真資料は、岡田隆彦責任編集 アート・ギャラリー 現代世
界の美術 (18) ダリ 集英社、第8刷、1
9
9
2年(図版 2
5
、2
7頁)より
複製した。
こ
こ
で
、
瀧
口
が
ダ
リ
の
偏
執
狂
的
と
称
す
る
方
法
に
つ
い
評
価
を
与
え
て
い
た
こ
と
は
確
か
で
あ
る
。
い
ず
れ
に
せ
よ
、
瀧
口
が
こ
の
絵
画
に
対
し
て
感
銘
を
受
け
、
高
い
い
う
、
画
家
ダ
リ
の
力
量
が
感
じ
ら
れ
る
の
で
は
な
い
だ
ろ
う
か
。
早
春
の
叙
情
的
な
で
伝
統
を
破
壊
し
よ
う
囲
気 と
に い
う
厳 目
粛 論
な み
香 は
気 感
じ
を ら
添 れ
え ず
て 、
描 む
く し
と ろ
け
る
の
に
役
立
っ
て
い
る
。
そ
こ
に
は
、
混
乱
や
病
的
な
イ
メ
ー
ジ
り
、
あ
た
か
も
劇
的
な
マ
ジ
ッ
ク
の
よ
う
な
影
像
の
変
化
を
印
象
づ
が
、
明
る
い
色
調
と
暗
い
色
調
の
は
っ
き
り
と
し
た
境
と
な
っ
て
お
し
て
い
た
水
面
︵
左
画
面
︶
が
、
地
面
︵
右
画
面
︶
に
転
じ
る
境
界
22
5
い ジ よ 方
変 ュ っ 法
貌 の て を
方 初 用
だ 法 め い
と と て て
み は 試 い
な 異 み る
さ な ら の
れ る れ だ
よ 、 た が
う 画 も 、
。 面 の こ
さ に で の
ら お あ よ
に け り う
、 る 、
ナ モ そ な
ル ン れ 構
シ タ ま 成
ス ー で 方
の ジ の 法
影 ュ モ は
像 の ン ダ
を 新 タ リ
映 し ー に
く 前
、 と
並 後
列 の
さ 二
せ つ
て の
、 影
つ 像
ま を
り
、 重
視 ね
覚 た
の り
移
動 錯
に さ
よ せ
っ た
て り
感 す
じ る
さ の
せ で
5
3
る쐍
︶ な
持
っ
た
手
︵
右
画
面
︶
に
変
化
す
る
様
が
描
か
れ
て
い
る
。
変
化
の
た
自
ら
の
影
像
を
凝
視
し
て
い
る
ナ
ル
シ
ス
︵
左
画
面
︶
が
、
卵
を
絵
画
ナ
ル
シ
ス
の
変
貌
︵
写
真
資
料
参
照
︶
で
は
、
水
面
に
映
っ
︵
二
〇
︶
瀧口修造のシネ・ポエム
さ
ら
に
瀧
口
は
、
こ
の
よ
う
な
現
象
を
二
重
像
と
い
う
言
葉
で
言
い
換
え
て
い
る
。
︵
二
一
︶
た
り
す
る
と
い
う
の
で
あ
る
。
に
、
偏
執
狂
的
と
言
い
表
わ
さ
れ
る
の
で
あ
ろ
う
。
そ
し
て
長
期
間
に
亘
っ
て
、
こ
の
よ
う
な
現
象
が
、
い
き
な
り
襲
っ
て
来
た
り
収
ま
っ
く
る
。
す
る
と
、
そ
の
影
像
か
ら
、
ま
っ
た
く
予
想
し
な
か
っ
た
別
の
影
像
が
派
生
的
に
現
わ
れ
る
。
こ
の
よ
う
な
、
妄
想
的
な
現
象
ゆ
え
え
た
の
か
も
し
れ
な
い
。
そ
し
て
そ
の
影
像
が
頭
か
ら
離
れ
な
く
な
り
、
何
度
振
り
払
お
う
と
し
て
も
、
繰
り
返
し
し
つ
こ
く
頭
に
甦
っ
て
あ
る
と
き
、
突
然
、
何
か
具
体
的
で
日
常
的
な
も
の
が
、
ふ
っ
と
脳
裏
に
思
い
浮
か
ぶ
、
と
言
う
よ
り
も
、
ダ
リ
の
場
合
は
、
実
際
に
見
れ れ
が た
長 日
期 常
間 の
に 対
わ 象
た が
っ 執
て 念
間 深
歇 く
的 ま
に つ
現 わ
わ り
れ つ
56き
る쐍
︶
。 、
そ
こ
か
ら
ま
っ
た
く
意
想
外
の
イ
メ
ー
ジ
が
同
時
に
派
生
し
た
り
し
て
、
し
か
も
そ
卵のエチュード
な
具
象
性
を
帯
び
て
し
ま
う
。
有
名
な
偏
執
狂
的
・
批
判
的
な
方
法
と
い
う
も
の
が
そ
れ
で
、
あ
る
と
き
突
然
イ
メ
ー
ジ
に
現
わ
2
24
あ
ら
ゆ
る
幻
覚
的
な
出
来
事
、
あ
ら
ゆ
る
虚
像
的
な
存
在
、
あ
ら
ゆ
る
錯
乱
的
な
現
象
も
、
ダ
リ
の
手
に
か
か
る
と
け
つ
く
よ
う
用
す
る
。
次
の
文
章
は
、
一
九
六
四
年
九
月
、
戦
後
、
日
本
で
初
の
ダ
リ
展
の
カ
タ
ロ
グ
に
寄
せ
ら
れ
た
エ
ッ
セ
イ
で
あ
る
。
(秋元)
を リ
こ 示 受
の し 容
て の
偏 い 最
執 た も
狂 か 早
的 ら い
と で 時
称 あ 期
す る か
る 。 ら
方 そ こ
法 こ の
に 方
に 瀧 法
つ 口 に
い の 注
て ダ 目
、 リ し
瀧 理 て
口 解 お
は の り
戦 核 、
後 が こ
に あ の
な る 方
っ こ 法
て と に
か は お
ら 間 い
非 違 て
常 い ダ
に な リ
平 か の
明 ろ 芸
な う 術
言 。 的
特
葉
質
で
を
説
見
明
抜
し
く
て
と
い
と
る
も
の
に
で
、
、
強
そ
い
れ
共
を
感
引
ひ あ て
と ま 、
つ り ど
の に の
未 も よ
知 強 う
な 烈 に
新 な 捉
要 実 え
素 在 て
、 性 い
す を た
な 追 の
わ 求 か
ち し を
偏 て 検
執 い 証
5
4し
狂 る쐍
︶
た
的
︵
い
方
法 一 。
が 九 な
も 三 ぜ
た 三 な
ら 年 ら
さ ︶
、 ば
、
れ
サ
55
た쐍
︶ ル ダ
︵ バ リ
一 ド に
九 ー お
三 ル い
て
六 ・
ダ
年 リ は
︶ の 、
な
偏
ど 出 執
と 現 狂
述 と の
べ と 執
て も 拗
い に さ
る 、 を
よ 超 も
う 現 っ
に 実 て
、 主 、
瀧 義 夢
口 の と
は 領 い
そ 域 う
の に に
ダ は は
北海学園大学人文論集
次
に
、
第
二
の
漁
夫
リ
ガ
ト
港
の
第
一
の
漁
夫
얧
お
前
が
知
り 얧
た あ
け の
り 若
や 者
教 が
へ 日
て が
や な
ら 一
う 日
、
、
︵ 鏡
声 と
を 睨
落 め
し つ
て こ
︶ を
奴 し
の て
頭 ゐ
に る
や の
球 は
根 、
が 一
あ 体
る
の 如
何
5
8
さ쐍
︶
。 し
た
わ
け
だ
ら
う
?
ダ
リ
の
場
合
は
、
次
に
引
用
す
る
、
ナ
ル
シ
ス
の
変
貌
と
い
う
詩
文
か
ら
読
み
取
り
た
い
。
こ
の
文
章
は
、
同
名
の
絵
画
を
補
足
す
る
影
像
を
、
愛
の
向
か
う
対
象
だ
と
思
い
込
ん
で
い
た
の
で
あ
る
。
2
23
ギ
リ
シ
ア
神
話
の
ナ
ル
シ
ス
は
、
泉
に
映
っ
た
自
と
こ
ろ
で
、
ダ
リ
と
瀧
口
に
と
っ
て
、
そ
れ
ぞ
れ
自 の
身
の ナ
影 ル
像 シ
に ス
恋
焦 と
が は
れ 、
る ど
若 の
者 よ
で う
あ な
っ も
た の
。 だ
い っ
わ た
ば の
、 だ
自 ろ
う
自 か
身 。
に 前
由 述
来 の
し と
て お
い り
る 、
が
、
一
つ
に
重
な
り
、
二
重
の
影
像
と
し
て
現
わ
れ
る
こ
と
を
、
意
識
的
に
作
に
取
り
入
れ
て
描
く
こ
と
で
あ
る
と
み
な
さ
れ
よ
う
。
端
的
に
言
え
ば
、
ダ
リ
の
偏
執
狂
的
と
称
す
る
方
法
=
の
口
に
し
た
言
葉
の
意
味
が
説
明
さ
れ
る
。
第
二
の
漁
夫
も
の
と
し
て
読
む
こ
と
が
で
き
る
の 。
容
姿
に
陶
酔
し
て
い
る
、
文
字
通
り
ナ
ル
シ
ス
ト
の
若
者
を
、
二
人
の
漁
夫
が
揶
揄
し
て
い
る
。
こ
の
詩
文
の
冒
頭
で
は
、
自
第 60号(20
16年3月)
二
重
像
の
方
法
と
は
、
あ
る
影
像
と
、
そ
れ
か
ら
派
生
し
た
他
の
影
像
と
す る
と ︶
い ダ
う リ
方 は
法 そ
は れ
、 を
技 具
術 体
的 的
に に
困 絵
難 の
な 上
こ に
と 表
な わ
ん そ
で う
す と
が し
、 た
ダ わ
リ け
は で
そ す
れ よ
を 。
あ ひ
え と
て つ
い の
ろ も
い の
ろ で
な あ
や り
り な
方 が
で ら
試 二
み つ
て の
い イ
ま メ
5
7ー
す쐍
︶
。 ジ
を
表
わ
見
え
る
と
い
う
こ
と
で
、
簡
単
な
例
で
い
え
ば
、
天
井
の
木
目
や
節
が
人
の
顔
に
見
え
た
り
す
る
こ
と
が
あ
る
。
︵
略
・
引
用
者
に
よ
た
と
え
ば
、
二
重
像
と
い
う
の
が
あ
り
ま
す
ね
、
こ
れ
は
、
あ
る
ひ
と
つ
の
影
像
が
、
同
時
に
も
う
ひ
と
つ
の
別
な
も
の
の
影
像
に
︵
二
二
︶
瀧口修造のシネ・ポエム
水
の
花
の
ご
と
く
眠
る
。
︶
222
き
く
育
っ
て
い
く
の
で
あ
ろ
う
か
。
と
り
わ
け
、
劣
等
感
に
も
連
な
る
、
感
情
・
心
理
の
負
の
要
素
を
蓄
え
続
け
る
と
、
そ
れ
ら
は
頭
の
中
様
々
な
感
情
の
複
合
体
얧
の
こ
と
を
、
頭
の
中
の
球
根
と
表
現
す
る
と
い
う
。
そ
の
球
根
は
、
人
の
感
情
や
心
理
を
養
と
し
て
、
大
ダ
リ
の
出
身
地
、
ス
ペ
イ
ン
の
フ
ィ
ラ
ゲ
ス
の
言
語
で
あ
る
カ
タ
ル
ニ
ア
語
で
は
、
コ
ン
プ
レ
ッ
ク
ス
얧
意
識
に
よ
っ
て
抑
圧
さ
れ
た
も
人 の
の で
頭 あ
に る
球 。
根
が
あ
る
と
す
れ
ば
、
そ
れ
は
軈
て
花
ひ
ら
く
だ
ら
う
、
ナ
ル
シ
ス
の
花
が
59
엊쐍
︶
カ
タ
ロ
オ
ニ
ユ
語
で
頭
の
中
の
球
根
と
い
ふ
言
葉
は
、
恰
度
、
精
神
析
学
上
の
コ
ン
プ
レ
ッ
ク
ス
잱
︵
二
三
に
根
を
張
っ
て
、
人
を
苦
し
め
る
も
の
と
な
ろ
う
。
し
か
し
、
そ
の
球
根
は
、
固
い
塊
の
状
態
か
ら
解
き
ほ
ぐ
れ
て
、
や
が
て
花
を
咲
か
せ
잰
で
、
そ
れ
が
明
示
さ
れ
て
い
る
。
る
と
い
う
の
で
あ
る
。
잱
で
は
、
ダ
リ
に
と
っ
て
ナ
ル
シ
ス
の
花
と
は
何
で
あ
る
か
。
こ
の
詩
文
の
結
末
部
(秋元)
잰
た
ち
ま
ち
大
い
な
る
神
秘
が
近
づ
き
内 澄 し ︵
誰 ナ
気 み か 略 で ル
な 透 し ︶ も シ
花 る お
眠 ス
の 青 ま
つ よ
形 春 へ
て 、
を の 、
ゐ お
し 香 ナ
る ま
た り ル
の へ
お 高 シ
か は
ま い ス
と あ
へ
よ
思 ま
は
ふ り
。 ぢ
っ
と
し
て
ゐ
る
の
で
卵のエチュード
の
概
念
と
一
致
す
る
北海学園大学人文論集
ナ
ル
シ
ス
の
愛
の
エ
ネ
ル
ギ
ー
は
、
自
自
身
の
内
側
へ
と
向
か
っ
て
お
り
、
そ
の
こ
と
に
よ
っ
て
こ
の
若
者
は
、
あ
た
か
も
ブ
ラ
ッ
ク
・
る
こ
と
の
で
き
な
い
も
の
を
示
唆
し
、
そ
の
神
秘
性
を
よ
り
印
象
づ
け
る
と
言
え
よ
う
か
。
に
見
入
っ
て
い
る
の
で
あ
ろ
う
が
、
一
方
水
の
中
の
花
と
読
む
の
で
あ
れ
ば
、
水
中
か
ら
ナ
ル
シ
ス
を
誘
う
、
彼
が
実
際
に
は
手
に
す
な
る
。
水
の
花
を
、
水
辺
の
花
と
受
け
取
る
の
な
ら
、
ま
さ
に
こ
の
花
は
ナ
ル
シ
ス
と
同
様
に
、
水
面
に
そ
の
姿
を
映
し
て
己
の
姿
ん
だ
ナ
ル
シ
ス
の
、
若
さ
ゆ
え
の
自
惚
れ
と
内
気
さ
は
、
そ
の
ま
ま
、
美
貌
と
才
能
に
対
す
る
自
負
と
不
安
を
抱
い
て
い
た
ダ
リ
本
人
と
重
様
を
、
ダ
リ
は
眠
る
と
言
い
表
わ
し
て
い
る
の
で
あ
ろ
う
。
こ
の
、
自
で
自
を
愛
す
る
と
い
う
、
閉
じ
ら
れ
た
世
界
に
嵌
ま
り
込
水
面
に
映
っ
て
い
る
自
身
の
影
像
に
魅
入
り
、
あ
る
い
は
そ
れ
に
魅
入
ら
れ
て
、
動
け
な
く
な
っ
て
し
ま
っ
た
ナ
ル
シ
ス
の
自
己
陶
酔
の
第 60号(20
16年3月)
わ ギ
が ャ
ナ ラ
ル よ
シ
6
0
ス쐍
︶ 얧
。
新
し
き
ナ
ル
シ
ス
こ
の
頭
こ
そ
花
に
な
る
で
あ
ら
う
こ
の
頭
が
破
裂
す
る
で
あ
ら
う
時
、
お 肉 ナ 偉
こ ︵
の 略 の 食 ル 大
頭 ︶ れ 植 シ な
の 物 ス 変
が
影 の は 貌
に 消 動 が
び
吸 化 か 起
割
ひ の ぬ ら
れ
こ 緩 姿 う
す
ま 慢 の と
る
れ さ ま し
で
て を ゝ て
あ
ゐ
見 も
ら
る
え つ
う
。
な て
時
く
、
な
つ
て
し
ま
ふ
。
︵
二
四
︶
2
21
瀧口修造のシネ・ポエム
動
か
な
★ い
ナ
ル
シ
ス
︵
二
五
︶
の
や
う
に
角
笛
は
澄
ん
だ
水
底
に
あ
る
言
葉
言
葉
言
葉
一
九
四
〇
年
八
月
詩
雑
誌
一
方
、
瀧
口
に
と
っ
て
の
蝋
人 ナ
形 ル
シ
に ス
掲 は
載 、
さ ど
れ の
、 よ
幻 う
想 な
的 意
な 味
影 合
像 い
を が
断 あ
片 っ
的 た
に の
綴 だ
っ ろ
た う
詩 か
。
詩 次
と の
ペ 詩
ン か
ら
の 読
冒 み
頭 解
部 き
た
で い
あ 。
る こ
。 れ
は
、
ダ
リ
の
芸
術
的
再
生
感
と
言
っ
て
も
よ
か
ろ
う
。
ま
た
、
同
名
の
絵
画
か
ら
同
様
に
そ
れ
が
感
じ
取
ら
れ
て
も
、
決
し
て
不
思
議
で
は
な
い
。
こ
の
よ
う
に
、
ナ
ル
シ
ス
の
変
貌
と
い
う
詩
文
か
ら
は
、
ダ
リ
の
再
生
感
が
読
み
取
れ
る
が
、
そ
れ
は
、
芸
術
に
行
き
詰
ま
っ
て
い
た
卵のエチュード
咲
か
せ
た
の
で
は
な
か
ろ
う
か
。
220
が
妻
ガ
ラ
と
一
致
し
た
と
き
、
頭
の
中
に
根
づ
い
て
い
た
ダ
リ
の
凝
り
固
ま
っ
た
コ
ン
プ
レ
ッ
ク
ス
が
ほ
ど
け
、
頭
を
突
き
破
っ
て
、
花
を
︵
ギ
ャ
ラ
︶
と
同
一
視
さ
れ
て
い
る
か
ら
で
あ
る
。
ナ
ル
シ
ス
の
花
は
、
ダ
リ
の
愛
の
向
か
う
対
象
の
象
徴
で
あ
る
と
み
な
せ
よ
う
が
、
そ
れ
こ
の
詩
文
の
末
尾
で
生
し
た
新
し
き
ナ
ル
シ
ス
、
す
な
わ
ち
頭
を
破
裂
さ
せ
て
咲
い
た
新
し
き
ナ
ル
シ
ス
の
花
が
、
ダ
リ
の
妻
ガ
ラ
(秋元)
を
滅
ぼ
し
て
し
ま
っ
た
、
ギ
リ
シ
ア
神
話
の
ナ
ル
シ
ス
の
悲
劇
を
乗
り
超
え
る
偉
大
な
変
貌
で
あ
っ
た
よ
う
に
読
め
る
。
と
い
う
の
も
、
な と 的 物
変 言 に の
貌 え 植 こ
る 物 と
と 。 に で
い で 転 あ
う は じ ろ
表 い る う
現 っ と か
か た い 。
ら い う 動
は 、 こ 物
、 こ と ︵
何 の で 虫
か 変 も ︶
し 化 あ が
ら は ろ 植
肯 、 う 物
定 ナ 。 に
的 ル い 捕
で シ わ ら
希 ス ば え
望 に こ ら
あ と の れ
る っ 劇 て
印 て 的 消
象 不 な 化
を 幸 変 さ
受 な 化 れ
け こ は る
る と 、 こ
の な 一 と
で の 瞬 は
は で に 、
な あ し 動
か ろ て 物
ろ う 起 が
う か き 養
か 。 る
。 む の と
そ し で し
れ ろ は て
は 、 な 植
、 大 く 物
自 い 、 に
己 な 緩 取
陶 る 慢 り
込
酔 神
の 秘 に ま
果 ・ 行 れ
わ 、
て
に 偉 れ 結
身 大 る 果
ホ
ー
ル
に
引
き
ず
り
込
ま
れ
た
か
の
よ
う
に
自
の
影
像
に
吸
い
込
ま
れ
て
し
ま
い
、
実
体
を
失
っ
て
い
っ
た
。
肉
食
植
物
と
は
、
食
虫
植
北海学園大学人文論集
の
新
鮮
さ
、
そ
の
充
ナ
ル
シ
ス
は
、
芸
術
に
お
け
る
何
ら
か
の
絶
対
性
を
、
言
葉
影
像
を
通
し
て
希
求
す
る
者
で
あ
る
と
み
芸
術
に
お
け
る
、
何
か
し
ら
の
絶
対
的
・
超
越
的
存
在
と
、
唯
ひ
と
つ
の
言
葉
=
で
果 あ
実 る
と
と い
換
え
れ
ば
、
瀧
口
に
お
け
る
=
ぶ
り
が
読
み
取
れ
る
一
方
で
、
絶
対
的
・
超
越
的
存
在
そ
の
も
の
が
な
さ
れ
る
。
そ
の
よ
う
な
絶
対
的
・
超
越
的
存
在
に
包
ま
れ
、
い
わ
ば
そ
れ
と
一
体
化
す
る
の
は
、
水
々
し
た
果
実
の
瞬
間
影
像
と
の
関
係
が
示
さ
れ
て
い
る
と
言
え
よ
う
。
言
い
瀧 え
そ 口 る
の に こ
お と
唯 い が
ひ て で
と 言 き
つ 葉 る
の と の
言 影 で
葉 像 あ
は ろ
唯 、 う
一 緊 。
の 密 逆
影 に に
像 結 、
は び 唯
、 つ 一
い つ
無 て の
色 い 影
無 る 像
類 の は
の で 、
太 あ
陽 る 唯
が 。 一
つ
こ
の
の
言
地
葉
上
を
に
つ
よ
ゝ
っ
む
て
時
捉
え
に
ら
も
れ
た
る
ら
と
さ
も
れ
言
る
え
。
る
こ
。
の
そ
表
の
現
よ
に
う
は
に
、
、
=
う
。
こ
の
表
現
か
ら
は
、
果
実
け
る
、
言
葉
と
影
像
と
の
関
係
が
示
唆
さ
れ
て
い
る
。
彼
の
求
め
て
い
る
唯
ひ
と
つ
の
言
葉
は
、
そ
れ
に
対
応
す
る
影
像
を
通
し
て
捉
ひ
と
つ
の
言
葉
で
も
あ
り
、
か
つ
、
唯
一
の
第 60号(20
16年3月)
の
と
き
、
自
自
身
に
由
来
す
る
影
像
は
、
自
私 が
の 自
影
に
で さ
も さ
あ や
る く
も 言
の 葉
を で
欲 も
し あ
て る
い の
る で
の あ
で ろ
あ う
る 。
。 言
こ い
こ 換
に え
、 れ
瀧 ば
口 、
の ナ
内 ル
的 シ
世 ス
界 は
に 、
お 唯
2
19
ナ
ル
シ
ス
は
泉
の
ほ
と
り
で
自
の
影
像
に
見
入
る
と
同
時
に
、
水
底
か
ら
響
い
て
く
る
音
・
言
葉
に
聞
き
入
っ
て
も
い
る
の
で
あ
る
。
こ
る
こ
と
か
ら
、
こ
の
神
と
の
繫
が
り
も
深
い
。
ど
ち
ら
に
し
て
も
、
芸
術
・
音
楽
・
詩
︵
言
葉
︶
と
の
深
い
関
係
が
示
唆
さ
れ
て
い
よ
う
。
リ
シ
ア
神
話
に
お
い
て
、
芸
術
の
守
護
者
で
あ
る
太
陽
神
の
持
ち
物
で
あ
る
と
さ
れ
る
。
ま
た
、
音
楽
の
神
パ
ン
が
頭
に
角
を
生
や
し
て
い
ナ
ル
シ
ス
が
、
水
面
を
覗
き
こ
ん
で
い
る
と
き
、
水
底
に
は
の
よ
う
に
重
い
角
笛
が
沈
ん
で
い
て
、
微
動
だ
に
し
な
い
。
角
笛
は
、
ギ
唯
ひ
と
つ
の
言
葉
私
は
私
に
さ
ゝ
や
く
私
の
6
1
影쐍
︶
あ
の
水
々
し
た
果
実
の
瞬
間
に
無
色
無
類
の
太
陽
が
こ
の
地
上
を
つ
ゝ
む
時
︵
二
六
︶
瀧口修造のシネ・ポエム
.
.
︶
卵
の
エ
チ
ュ
ー
ド
얧
色
彩
と
影
像
の
実
験
218
と
い
う
の
は
、
水
は
風
が
吹
い
た
だ
け
で
揺
れ
動
く
も
の
で
あ
る
ゆ
え
に
、
水
鏡
に
映
っ
た
影
像
は
不
安
定
で
あ
っ
て
、
波
紋
と
と
も
に
(秋元)
と 影
こ 述 像 シ
の べ は ネ
て 、 マ
水 い 神 の
鏡 る 秘 魔
な 力
と の
の
で
い あ 惑 中
う る を に
表 。 伴 は
現
ふ 、
説
に
の き
は
で 難
、
あ い
瞬
ら 雑
間
う 多
的
。 な
人
に
間
時
の を
間
発 蔵
を
見 し
定
は て
着
、
す
︵ ゐ
る
略 る
・ こ
写
引 と
真
用 を
と
者 知
は
︶
違
さ る
う
ら の
、
に で
映
新 あ
画
し る
の
い 。
ナ
影
神 ル
像
秘 シ
の
を ス
特
の
徴
造 水
が
す 鏡
示
る の
さ
こ や
れ
と う
て
で に
い
あ 、
る
る 何
よ
ら 時
う
し の
で
い 世
の に
あ
6
2も
だ쐍
る
︶
。
、
に
つ
い
て
言
及
し
て
い
る
美
術
と
シ
ネ
マ
の
流
︵
美
術
手
帖
CAHI
ERDART
︵
二
七
5
あ 像 化
変
る に し 水 化
鏡
。 魅 て
す
了 い と る
さ く い か
れ 様 う ら
た を 表 で
者 見 現 あ
は 続 は る
、 け 、 。
そ 、 ま 映
の そ さ 画
魅 れ に は
力 に 映 、
か 伴 画 一
ら っ の つ
離 て 影 の
れ 、 像 影
ら 影 を 像
れ 像 言 が
ま に い 刻
い 喚 表 々
。 起 わ と
い さ す 変
わ れ の 化
ば て に し
映 次 ふ て
画 々 さ い
の と わ く
影 現 し 、
像 れ い そ
の る と の
思 変
魅
力 神 わ 化
秘 れ そ
る の
魔
。 も
を
力
垣 一 の
に 間 つ を
た 見 の 捉
ぶ 続 影 え
ら け 像 る
か る か こ
さ こ ら と
れ と 他 が
て に の で
し よ 影 き
ま っ 像 る
っ て へ の
た 、 刻 だ
か 一 々 か
ら 度 と ら
で 影 変 、
=
し
先 て 本
に 読 節
み で
卵 、 は
の 쒀 、
瀧
エ
チ 卵 口
ュ の 修
ー 象 造
ド 徴 作
性 の
に を シ
ネ
つ
い 察 ・
て す ポ
、 る エ
場 こ ム
面 と
の に 卵
転 よ の
換 っ エ
に て チ
注 、 ュ
目 こ ー
し の ド
て シ
、 ネ を
そ ・ 、
れ ポ 쑿
ぞ エ
れ ム 色
の の 彩
場 テ の
面 ー 効
に マ 果
ど を 、
の 探 二
よ る 重
う こ 影
な と 像
影 に 、
像 す 二
が る つ
描 。 の
世
か
界
れ
の
て
融
い
合
る
に
か
注
を
目
、
卵のエチュード
、
一
九
三
五
年
一
月
︶
と
い
う
評
論
に
お
い
て
、
さ
ら
に
瀧
口
は
、
映
画
に
お
け
る
影
像
を
、
ナ
ル
シ
ス
の
神
話
を
た
と
え
に
し
て
説
明
し
て
い
る
。
す
な
わ
ち
、
映
画
の
影
像
の
可
能
性
し
て
結
実
・
実
体
化
し
た
と
受
け
取
る
こ
と
も
で
き
よ
う
。
北海学園大学人文論集
せ
た
骨
骼
を
描
く
の
が
や
つ
と
の
こ
と
で
あ
る
。
だ
が
空
を
無
益
に
き
む
し
つ
て
ゐ
る
や
う
二
︶
︵
み
す
ず
書
房
、
一
九
九
三
年
︶
の
二
六
七
頁
∼
二
七
〇
頁
か
ら
行
う
。
以
下
、
卵
の
エ
チ
ュ
ー
ド
の
全
文
を
、
場
面
ご
と
に
引
用
し
な
が
ら
読
ん
で
い
く
。
引
用
は
す
べ
て
Ⅰ
.
쐕
場
で
面
も 灰 ①
あ 色 쐖
る の
。 空
。
裸
の
樹
々
の
枝
が
、
色
彩
の
効
果
・
二
重
影
像
・
二
つ
の
世
界
の
融
合
第 60号(20
16年3月)
の
エ
チ
ュ
ー
ド
に
お
い
て
見
て
取
れ
る
。
コ
レ
ク
シ
ョ
ン
・
瀧
口
修
造
︵
一
2
17
⑨
、
青
年
が
窓
か
ら
日
の
沈
む
の
を
眺
め
て
い
る
。
皿
の
上
に
、
一
輪
の
日
ま
わ
り
の
花
が
置
か
れ
て
い
る
。
以
上
の
九
つ
の
場
面
が
、
卵
も
っ
て
い
る
。
同
じ
景
色
が
、
春
、
夏
へ
と
移
り
変
わ
っ
て
い
く
。
巨
大
な
卵
と
、
地
平
線
に
沈
ん
で
い
く
大
き
な
日
が
描
か
れ
る
。
場
面
屋
の
窓
か
ら
、
青
年
が
外
を
見
て
い
る
。
外
に
は
雪
が
降
っ
て
い
る
。
場
面
⑧
、
原
野
の
よ
う
な
土
地
で
、
雪
が
巨
大
な
卵
の
上
に
降
り
積
を
、
一
本
ず
つ
海
に
放
り
投
げ
る
。
場
面
⑥
、
海
岸
の
崖
の
下
に
落
ち
て
い
る
、
た
く
さ
ん
の
卵
が
描
か
れ
る
。
場
面
⑦
、
街
の
見
え
る
部
い
て
い
る
は
ず
な
の
に
、
い
つ
の
間
に
か
青
年
は
日
ま
わ
り
の
花
束
を
抱
い
て
い
る
。
場
面
⑤
、
海
岸
の
絶
壁
で
、
青
年
は
日
ま
わ
り
の
花
叢
の
中
の
無
数
の
卵
を
拾
い
な
が
ら
歩
い
て
行
く
。
場
面
④
、
小
高
い
岩
山
の
上
で
、
青
年
は
立
ち
止
ま
り
、
卵
を
拾
う
。
無
数
の
卵
を
抱
の
一
本
道
を
逃
走
す
る
青
年
が
描
か
れ
る
。
青
年
は
卵
を
落
と
し
て
割
っ
て
し
ま
う
。
場
面
③
、
荒
廃
し
た
土
地
を
歩
い
て
い
る
青
年
が
、
場
面
①
、
空
、
裸
の
木
々
の
枝
、
自
の
掌
を
み
つ
め
て
い
る
青
年
が
描
か
れ
て
い
る
。
場
面
②
、
鶏
小
屋
、
卵
を
掴
み
取
っ
て
、
田
舎
簡
潔
に
示
す
。
本
論
文
の
宜
上
、
各
場
面
に
数
字
を
付
す
が
、
こ
れ
は
卵
の
エ
チ
ュ
ー
ド
本
文
に
は
な
い
も
の
で
あ
る
。
︵
二
八
︶
瀧口修造のシネ・ポエム
︵
二
九
︶
쐕
場
そ
面
れ 鶏 ②
を 卵 쐖
摑 一
ん 箇
だ 、
。 土
の
上
に
白
く
輝
い
て
ゐ
る
。
そ
れ
は
鶏
小
屋
の
一
隅
で
あ
る
。
牝
鶏
が
け
た
ゝ
ま
し
く
逃
げ
去
る
と
、
青
年
の
手
が
も
に
、
神
経
質
で
苛
立
っ
た
様
子
が
読
み
取
れ
よ
う
か
。
い
ず
れ
に
し
て
も
、
青
年
だ
完
全
に
希
望
を
棄
て
切
っ
て
は
い
な
い
の
で
あ
ろ
う
。
ま
る
く
、
と
が
っ
て
ゐ
る
の
若
さ
を
印
象
付
け
て
い
よ
う
。
と
い
う
そ
の
眼
に
は
、
彼
の
実
直
さ
・
純
真
さ
と
と
そ
の
眼
だ
け
は
辛
う
じ
て
生
き
て
ゐ
る
。
つ
ま
り
彼
は
、
求
め
て
い
る
も
の
を
手
に
入
れ
ら
れ
ず
に
い
る
不
本
意
な
状
況
に
在
る
が
、
ま
を
強
く
求
め
て
、
も
が
い
て
い
る
こ
と
を
想
起
さ
せ
る
の
で
は
な
か
ろ
う
か
。
彼
は
像
と
し
て
描
か
れ
て
い
る
。
空
を
無
益
に
き
む
し
つ
て
ゐ
る
よ
う
な
裸
の
樹
々
し の
く 枝
て
の
力 影
な 像
く は
、
せ こ
て の
ゐ
る 青
年
若
者 の
で 手
あ が
る 、
が 何
、 か
卵のエチュード
(秋元)
樹 青 の ポ 指
々 年 海 エ し 卵
ム 示 の
の
枝 が も に す エ
、 お も チ
は
こ い の
、 灰 の て で ュ
そ 色 シ 、 あ ー
の の ネ 現 ろ ド
形 空 ・ 実 う の
ポ の 。
態
、
の を エ 世 場 ま
類 見 ム 界 面 さ
似 上 に を ① に
性 げ お 生 で 冒
を て け き は 頭
結 い る て 、 で
び る 現 い 印 描
目 姿 実 る 象 か
的
と が 世
れ
し 示 界 青 な て
を
唆
色
て
年
彩 い
、 さ 指
れ し を を る
青 て 示
見 無
年 い し 強 出 彩
く
る て
す 色
の 。 い 印 こ の
象
る 付 と
力
と
が 灰
な せ 見 け で 色
く た て て き の
骨 よ い
な 空
せ 骼 か る い
は
。
て
ろ
を う そ こ 、
と
い 、 ︵ れ か い
る 空 後 と ら わ
ゆ
を 述 同
並 背 す 様 見 る
べ 景 る に て モ
て に ︶ 場 も ノ
拡 し 。 面 、 ク
げ て こ ⑥ 灰 ロ
た 描 の で 色 ー
両 く 冒 描 の ム
の か 頭 か 空 の
掌 の 場 れ は リ
よ 面 て 、 ア
と う で い こ リ
、 な は る の テ
、
二
シ ィ
重 裸 あ 灰 ネ ー
影 の る 色 ・ を
216
青
年
の
眼
は
窪
ん
で
う
つ
ろ
で
あ
る
が
、
ま
る
く
、
と
が
っ
て
ゐ
る
。
辛
う
じ
て
生
き
て
ゐ
る
唯
一
の
も
の
だ
。
肩
か
ら
見
え
る
。
手
、
並
べ
て
拡
げ
た
両
の
掌
、
力
な
く
せ
て
ゐ
る
十
本
の
指
。
青
年
は
自
の
掌
を
み
つ
め
て
ゐ
る
の
で
あ
る
。
そ
れ
が
し
い
北海学園大学人文論集
す
。
こ
の
黄
身
の
黄
色
に
よ
っ
て
、
黄
身
と
い
う
影
像
そ
の
も
の
が
強
調
さ
れ
て
お
り
、
そ
の
、
ど
ろ
り
と
し
た
質
感
に
伴
っ
て
、
不
気
味
と
も
あ
れ
、
青
年
は
卵
を
掴
み
取
っ
て
逃
走
す
る
。
夢
中
で
走
り
続
け
て
い
る
う
ち
に
、
卵
は
路
上
に
落
ち
て
割
れ
、
黄
身
が
流
れ
出
世
界
が
描
か
れ
て
い
る
と
見
る
こ
と
が
で
き
よ
う
。
れ
ば
、
場
面
①
で
は
現
実
世
界
を
生
き
て
い
る
青
年
で
あ
っ
た
が
、
場
面
②
で
は
、
彼
の
内
的
世
界
に
関
わ
る
影
像
の
世
界
・
幻
想
の
う
。
つ
ま
り
、
現
実
を
生
き
る
ナ
ル
シ
ス
と
、
彼
自
身
に
由
来
す
る
影
像
の
世
界
と
の
関
係
を
窺
わ
せ
る
の
で
は
な
か
ろ
う
か
。
そ
う
で
あ
水
面
を
覗
き
こ
む
ナ
ル
シ
ス
と
、
そ
の
ナ
ル
シ
ス
を
見
上
げ
る
か
の
よ
う
に
映
っ
て
い
る
彼
の
影
像
と
を
想
起
す
る
こ
と
が
で
き
る
で
あ
ろ
第 60号(20
16年3月)
無
鶏 彩 場
小 色 面
屋 の ②
支 の
の 配 冒
し 頭
土 て で
の い は
上 る 、
場
の 面 土
卵 ① の
に と 上
注 は に
が 異 白
れ な く
て っ 輝
い て い
る い て
。 よ
い う い
わ 。 る
ば 場 鶏
、 面 卵
見 ① 一
上 で 箇
げ 空
る を が
青 見 描
年 上 か
が げ れ
、 て て
見 い い
下 る る
ろ 姿 が
す が 、
青 示 こ
年 唆 と
に さ さ
反 れ ら
転 て に
し い 白
た た が
強
の
で 青 調
あ 年 さ
れ
る
。 の て
あ 目 い
た 線 る
か は 点
も 、 が
、
、
彼
と
は
関
係
な
し
に
。
し
か
し
そ
れ
は
青
年
の
行
き
過
ぎ
た
路
上
を
か
げ
ら
ふ
の
縞
の
や
う
に
消
え
去
つ
て
し
ま
ふ
。
2
15
て
来
る
と
、
同
じ
薔
薇
が
前
よ
り
も
多
少
鮮
明
に
、
一
つ
、
二
つ
、
三
つ
、
と
断
続
し
て
、
下
か
ら
上
へ
と
空
間
を
上
昇
し
て
ゆ
く
。
青
年
の
咽
喉
。
ほ
ん
の
瞬
間
で
は
あ
る
が
、
仄
か
な
ピ
ン
ク
色
の
薔
薇
が
か
す
つ
て
行
つ
た
や
う
で
あ
る
。
青
年
が
よ
ろ
よ
ろ
歩
い
幾
つ
も
の
路
を
、
青
年
は
苦
し
げ
に
走
る
。
咽
喉
が
引
き
つ
る
の
だ
。
茫
然
と
し
た
青
年
。
そ
れ
が
振
り
か
へ
り
ざ
ま
彼
は
再
び
駆
け
出
す
。
瞬
間
、
卵
は
落
ち
て
、
路
上
に
割
れ
て
終
ふ
。
黄
味
が
流
れ
出
し
て
ゐ
る
。
青
年
は
走
り
つ
ゞ
け
る
。
遠
く
の
家
の
裏
木
戸
か
ら
は
誰
も
追
つ
て
来
な
い
。
田
舎
の
一
本
道
を
逃
走
す
る
青
年
。
︵
三
〇
︶
瀧口修造のシネ・ポエム
卵 卵 岩
。 。 の
て
つ
ぺ
ん
に
卵
。
︵
三
一
︶
路
の
曲
り
角
に
卵
。
岩
だ
ら
け
の
不
毛
の
荒
地
。
岩
陰
に
ま
た
白
い
卵
。
そ
れ
を
拾
つ
て
行
く
青
年
の
後
姿
。
め
や る 足
は 。 元
の
り
叢
白
の
い
中
卵
に
で
卵
あ
が
る
白
。
く
彼
光
は
つ
そ
て
つ
ゐ
と
る
拾
。
い
彼
上
は
げ
恐
て
怖
握
に
る
襲
。
は
そ
れ
し
て
て
、
機
思
械
は
的
ず
に
眼
歩
を
き
始
ふ
め
。
る
そ
青
れ
年
か
の
ら
後
再
姿
び
。
確
か
め
る
や
う
に
見
つ
卵のエチュード
쐕
場
面
青 や ③
年 が 쐖
は て
ぎ 青
よ 年
つ は
と 、
し 荒
て 廃
立 し
ち た
ど 土
ま 地
る を
。 歩
い
て
ゐ
る
。
路
は
狭
く
な
り
、
雑
草
は
無
愛
想
に
所
々
生
え
繁
つ
て
ゐ
る
。
214
を
上
昇
し
て
ゆ
く
。
(秋元)
声
が
、
美
し
い
ピ
ン
ク
色
の
薔
薇
と
な
っ
て
、
水
中
を
上
昇
し
て
は
消
え
て
い
く
泡
で
で
も
あ
る
か
の
よ
う
に
、
下
か
ら
上
へ
と
空
間
る
と
と
も
に
、
あ
る
い
は
美
な
ど
の
よ
う
な
、
何
か
芸
術
に
お
い
て
希
求
さ
れ
る
も
の
を
示
す
の
か
も
し
れ
な
い
。
若
い
青
年
の
息
や
描
か
れ
て
い
る
。
の
若 咽
々 頭
し
さ が
や 、
、 声
肉 や
体 言
的 葉
な に
関
康 係
さ し
を て
強 い
調 る
し こ
て と
い は
る 容
と 易
見 に
る 類
こ 推
と で
が き
で る
き が
る 、
。 そ
れ
薔 が
薇
ピ
は ン
、 ク
そ 色
の
美 と
し 結
さ び
を つ
印 い
象 て
付 い
け る
の
は
、
青
年
り
続
け
る
。
こ
こ
で
青
年
の
咽
喉
と
仄
か
な
ピ
ン
ク
色
の
薔
薇
と
が
、
そ
れ
ら
の
色
彩
の
類
似
を
媒
介
に
し
た
二
重
影
像
と
し
て
さ
・
不
安
さ
が
よ
り
強
く
印
象
に
残
る
の
で
は
な
か
ろ
う
か
。
彼
は
再
び
そ
の
場
か
ら
逃
げ
る
よ
う
に
駆
け
出
し
て
行
き
、
喘
ぎ
な
が
ら
走
的
意
味
合
い
を
示
唆
し
て
い
る
と
読
む
こ
と
も
で
き
よ
う
。
さ
て
、
言
う
ま
で
も
な
く
、
ひ
ま
わ
り
は
象
徴
的
な
意
味
合
い
に
お
い
て
、
太
彩
色
す
る
場
合
、
黄
身
の
色
と
ひ
ま
わ
り
の
花
の
色
は
色
調
が
異
な
る
の
で
あ
ろ
う
が
、
こ
の
シ
ネ
・
ポ
エ
ム
に
お
い
て
は
、
黄
色
の
両
義
方
、
場
面
②
に
お
い
て
黄
色
は
、
卵
の
黄
身
の
不
気
味
さ
や
不
安
を
表
わ
す
た
め
に
強
調
さ
れ
た
色
彩
で
も
あ
っ
た
。
実
際
に
フ
ィ
ル
ム
に
の
色
彩
︵
黄
色
︶
が
強
調
さ
れ
て
い
る
。
こ
の
黄
色
か
ら
は
、
夏
に
咲
く
花
、
ひ
ま
わ
り
の
力
強
い
生
命
力
が
読
み
取
れ
る
で
あ
ろ
う
。
一
が
、
彼
の
抱
い
て
い
る
は
ず
の
無
数
の
卵
は
、
眼
の
覚
め
る
や
う
な
日
ま
わ
り
の
花
束
に
変
化
し
て
い
た
。
こ
こ
で
は
、
ひ
ま
わ
り
の
花
岩
だ
ら
け
の
不
毛
の
荒
地
に
落
ち
て
い
る
無
数
の
卵
を
拾
い
集
め
て
、
青
年
は
小
高
い
岩
山
の
上
に
り
着
い
た
。
と
こ
ろ
青
年
は
放
心
し
た
や
う
に
そ
れ
を
見
つ
め
て
ゐ
る
。
沁
み
る
や
う
に
強
烈
な
花
。
第 60号(20
16年3月)
し
か
し
、
卵
を
無
数
に
抱
い
て
ゐ
る
筈
の
青
年
の
半
身
は
、
眼
の
覚
め
る
や
う
な
日
ま
わ
り
の
花
束
を
抱
い
て
ゐ
る
。
そ
れ
は
眼
に
2
13
쐕
場
面
青 つ ④
年 ひ 쐖
の に
後 青
姿 年
は は
屈 小
ん 高
で い
、 岩
確 山
か の
に 上
白 に
い 出
卵 た
を 。
拾 彼
ひ は
上 そ
げ こ
た で
。 も
卵
を
見
出
し
て
、
立
ち
停
つ
た
や
う
で
あ
る
。
お
い
て
行
う
。
る
が
、
卵
に
関
す
る
析
は
、
こ
の
シ
ネ
・
ポ
エ
ム
の
重
要
な
テ
ー
マ
に
関
わ
る
こ
と
で
も
あ
る
の
で
、
本
稿
場
面
③
で
は
、
荒
廃
し
た
土
地
を
、
取
り
憑
か
れ
た
よ
う
に
白
い
卵
を
拾
い
集
め
な
が
ら
歩
い
て
行
く
쒀 青
年
卵
の が
象 描
徴 か
性 れ
て
に い
.
北海学園大学人文論集
か
う
し
て
青
年
の
後
姿
は
、
し
だ
い
に
小
さ
く
な
る
ま
で
、
殆
ん
ど
機
械
的
に
卵
を
拾
ひ
な
が
ら
、
歩
い
て
ゆ
く
の
で
あ
る
。
︵
三
二
︶
に
二
重
影
像
が
見
出
せ
よ
う
。
︵
三
三
︶
角 世
界
で に
割 、
れ 青
た 年
卵
が
か 入
ら り
流 込
れ ん
出 で
た い
卵 る
黄 こ
に と
変 の
化 指
し 標
て と
い し
る て
が 捉
、 え
こ る
れ こ
は と
、 が
色 で
彩 き
を る
媒 。
介 こ
に こ
し で
た 崖
影 下
像 に
の 落
変 と
化 さ
と れ
見 た
る ひ
こ ま
と わ
が り
で の
き 花
、 は
そ 、
こ 岩
れ
と
同
様
に
、
場
面
②
で
描
か
れ
た
下
か
ら
上
へ
と
空
間
を
上
昇
し
て
ゆ
く
ピ
ン
ク
色
の
薔
薇
も
ま
た
、
上
下
の
反
転
し
た
幻
想
の
た
世
界
が
描
か
れ
始
め
た
と
見
る
な
ら
ば
、
海
に
落
ち
て
い
く
太
陽
は
、
同
時
に
空
に
昇
っ
て
い
く
太
陽
で
も
あ
る
と
見
な
せ
よ
う
か
。
そ
の
強
い
関
係
性
を
踏
ま
え
れ
ば
、
落
ち
て
い
く
ひ
ま
わ
り
の
花
は
、
落
陽
を
想
起
さ
せ
よ
う
。
一
方
、
場
面
②
に
お
い
て
、
上
下
が
反
転
し
卵のエチュード
青
年
岩
角
に
ぐ
し
や
つ
と
ぶ
れ
た
卵
。
は
、
ひ
ま
わ
り
の
花
束
を
抱
い
て
海
岸
の
絶
壁
に
立
っ
て
お
り
、
崖
下
の
海
に
花
を
一
本
一
本
放
り
投
げ
て
い
る
。
太
陽
と
212
青
年
の
眼
は
そ
れ
ら
を
追
ふ
얧 や
う
に
見
つ
め
る
。
岩
角
に
と
ま
る
花
も
あ
る
(秋元)
쐕
場
面
彼 す ⑤
は る 쐖
日 と
ま 急
わ に
り 海
の 鳴
花 り
を の
一 音
本 、
一 い
本 や
擲 、
り 波
投 の
げ 砕
る け
。 る
急 音
速 が
度 聞
に こ
、 え
く だ
る す
く 。
る 青
海 年
面 の
へ 立
向 つ
つ て
て ゐ
落 る
ち の
て は
ゆ 海
く 岸
花 の
。 絶
壁
で
あ
る
。
テ
ー
マ
を
え
る
上
で
非
常
に
重
要
で
あ
り
、
쒀
.
瀧口修造のシネ・ポエム
卵
の
象
徴
性
で
察
す
る
。
陽
と
の
関
係
性
が
強
い
が
、
そ
の
こ
と
と
相
ま
っ
て
、
何
故
卵
が
ひ
ま
わ
り
の
花
に
転
じ
た
か
、
と
い
う
こ
と
が
、
こ
の
シ
ネ
・
ポ
エ
ム
の
北海学園大学人文論集
囲 下
気 の
の 評
二 を
つ 、
の そ
次 の
元 ま
が ま
、 当
色 て
彩 嵌
の め
変 て
化 も
と い
明 い
暗 と
の 思
マ え
ジ る
ッ ほ
ク ど
に で
よ あ
っ る
て 。
、 す
巧 な
み わ
に ち
ひ 、
と 瀧
つ 口
の は
空 こ
気 の
に 絵
融 画
け に
合 つ
っ い
て て
い
6
3ま
る쐍
︶
と っ
述 た
べ く
て 異
い な
る っ
が た
、
こ
の
シ
ネ
・
ポ
エ
ム
に
お
け
る
現
実
世
界
と
幻
想
世
界
と
の
融
合
に
つ
い
て
、
ダ
リ
の
絵
画
ナ
ル
シ
ス
の
変
貌
に
対
す
る
瀧
口
の
以
超
現
実
的
な
メ
カ
ニ
ズ
ム
が
作
用
し
て
い
る
と
見
な
す
こ
と
が
で
き
る
。
の る
指
青 標
年 と
な
と っ
の て
対 い
応 よ
を う
見 。
出 場
す 面
こ ①
と の
も 、
で 空
き を
る 見
。 上
こ げ
の る
、 現
現 実
実 世
世 界
界 の
と
幻 青
想 年
世
界 と
の 、
、 場
青 面
年 ⑥
の
に 、
お 崖
け の
る 上
一 か
致 ら
に 海
お を
い 見
て 下
、 ろ
瀧 す
口 幻
の 想
言 世
う 界
は
場
面
①
の
灰
色
の
空
と
対
応
し
て
い
る
も
の
で
あ
り
、
こ
の
灰
色
の
海
ら
何
か
が
生
ま
れ
出
よ
う
と
し
て
い
る
か
の
よ
う
に
、
脈
動
を
始
め
た
。
こ
こ
で
無
彩
色
の
以
下
の
場
面
で 灰
再 色
び の
海
青
年 が
描
の か
現 れ
実 て
世 い
界 る
が が
描 、
か そ
れ れ
第 60号(20
16年3月)
場
面
⑤
で
崖
下
に
投
げ
ら
れ
た
卵
に
は
、
つ
ぶ
れ
ず
に
残
っ
た
も
の
が
い
く
つ
も
あ
っ
た
。
そ
の
中
の
一
つ
は
、
巨
大
化
し
て
、
そ
こ
か
そ
し
て
再
び
大
き
な
卵
얧
そ
れ
が
画
面
一
杯
の
大
き
さ
に
な
る
。
波
。
岩
。
時
折
、
鷗
の
よ
ぎ
つ
て
ゆ
く
蒼
茫
と
し
た
灰
色
の
海
。
そ
の
上
、
そ
の
一
つ
は
み
つ
め
る
と
、
び
く
び
く
動
き
出
す
よ
う
で
も
あ
る
。
脈
動
の
や
う
に
。
き
い
の
だ
。
そ
れ
ら
の
卵
は
︵
気
の
せ
い
か
?
︶
し
だ
い
に
鶏
卵
よ
り
は
大
き
い
感
じ
が
す
る
。
︵
い
や
気
の
せ
い
で
は
な
い
︶
或
る
卵
は
随
大
2
11
飛
沫
に
洗
は
れ
た
岩
の
皺
か
ら
現
は
れ
る
卵
も
あ
る
。
し
た
花
の
や
う
だ
。
쐕
場
面
し ⑥
か 쐖
し
そ
の
辺
り
よ
く
視
る
と
、
其
処
に
も
、
此
処
に
も
、
岩
陰
に
白
く
、
つ
ぶ
ら
な
卵
が
あ
る
。
そ
れ
は
急
に
ち
ら
ほ
ら
咲
き
出
︵
三
四
︶
瀧口修造のシネ・ポエム
の
上
に
置
か
れ
た
卵
に
な
っ
て
い
る
、
と
い
う
こ
と
で
あ
ろ
う
。
青
年
︵
三
五
︶
は
、
場
面
①
で
描
か
れ
た
、
現
実
世
界
を
生
き
る
者
に
戻
っ
た
よ
プ
さ
れ
、
ス
ク
リ
ー
ン
一
杯
に
映
し
出
さ
れ
る
が
、
す
ぐ
に
カ
メ
ラ
は
卵
か
ら
遠
ざ
か
っ
て
い
く
。
す
る
と
、
大
き
な
卵
は
、
室
内
の
皿
実
際
の
映
画
の
画
面
に
映
し
出
さ
れ
た
卵
の
影
像
を
想
定
し
て
い
る
の
で
あ
る
。
大
き
な
卵
が
、
カ
メ
ラ
・
ワ
ー
ク
で
ク
ロ
ー
ズ
・
ア
ッ
こ
こ
で
は
、
前
の
場
面
で
描
か
れ
た
画
面
一
杯
の
大
き
さ
に
ま
で
巨
大
化
し
た
卵
が
、
皿
の
上
の
卵
に
転
じ
て
い
る
。
つ
ま
り
、
窓
の
外
を
雪
が
ひ
ゝ
と
降
つ
て
ゐ
る
。
卵のエチュード
が
止
揚
さ
れ
た
、
い
わ
ば
超
現
実
の
世
界
を
描
こ
う
と
し
た
こ
と
は
、
間
違
い
な
い
と
思
わ
れ
る
。
쐕
場
面
街 静 ⑦
の か 쐖
見 に
え 、
る 遠
部 ざ
屋 か
の る
窓 と
、 、
青 そ
年 れ
は は
立 皿
つ の
て 上
外 の
を 卵
眺 で
め あ
て る
ゐ 。
る 画
。 面
ゆ
た
か
に
描
い
た
清
潔
な
静
物
画
の
や
う
に
。
210
い
ず
れ
に
し
て
も
、
瀧
口
は
の
異
な
る
世
界
を
相
互
補
完
的
卵 に
の
エ 捉
チ え
ュ る
ー よ
ド う
に
に 働
お き
い か
て け
、 て
ダ い
リ る
か 、
ら と
受 い
け う
取 こ
っ と
た で
方 あ
法 ろ
を う
重 。
視
し
て
、
現
実
世
界
と
幻
想
世
界
と
(秋元)
て
い
る
様
︵
右
側
︶
が
、
暖
色
と
寒
色
と
に
描
き
け
ら
れ
て
お
り
、
そ
の
こ
と
に
よ
っ
て
、
い
わ
ば
こ
の
絵
を
見
る
者
に
対
し
て
、
二
つ
り
、
泉
の
水
面
を
覗
き
込
ん
で
い
る
ナ
ル
シ
ス
︵
左
側
︶
が
、
卵
の
を
突
き
破
っ
て
咲
い
て
い
る
水
仙
と
、
そ
の
卵
を
持
つ
手
に
変
化
し
| ダ
引 リ
用 の
者 評
に 伝
よ の
る 著
︶ 者
は で
、 あ
見 る
る エ
者 リ
が ッ
ふ ク
た ・
シ
つ ェ
の ー
形 ン
態 ズ
を は
相 、
互
補 人
完 体
的 の
に 暖
み 色
よ ︵
う 絵
と 画
す の
る 左
感 側
覚 |
に 引
は 用
た 者
ら に
き よ
か る
6
4︶
け쐍
︶
と
る 手
と の
述 寒
べ 色
て ︵
い 絵
る 画
。 の
つ 右
ま 側
い
て
い
る
の
で
は
な
か
ろ
う
か
。
絵
画
ナ
ル
シ
ス
の
変
貌
に
お
け
る
、
い
わ
ゆ
る
色
彩
の
変
化
と
明
暗
の
マ
ジ
ッ
ク
に
つ
い
て
、
彼
自
身
が
卵
の
エ
チ
ュ
ー
ド
に
お
い
て
、
相
異
な
る
二
つ
の
世
界
を
、
色
彩
と
、
明
暗
と
い
う
色
調
の
違
い
を
効
果
的
に
利
用
し
て
描
北海学園大学人文論集
ろ
う
か
。
少
な
く
と
も
、
色
彩
や
形
態
の
類
似
性
と
い
っ
た
も
の
だ
け
が
理
由
で
は
あ
る
ま
い
。
そ
れ
に
関
し
て
は
後
述
す
る
。
二
重
影
像
と
し
て
描
か
れ
て
い
る
と
見
る
こ
と
も
で
き
る
が
、
そ
う
で
あ
れ
ば
、
こ
の
二
つ
の
も
の
は
、
何
故
結
び
つ
け
ら
れ
て
い
る
の
だ
面
に
、
天
然
色
の
非
現
実
感
を
認
め
る
こ
と
も
で
き
よ
う
か
。
こ
の
場
面
で
は
、
巨
大
な
卵
と
地
平
線
に
沈
む
大
き
な
日
と
が
、
陽
な
ど
の
影
像
に
、
言
葉
の
形
で
顕
在
化
し
て
い
な
い
に
せ
よ
、
様
々
な
色
彩
を
見
出
す
こ
と
が
で
き
よ
う
。
そ
の
点
に
お
い
て
、
こ
の
場
第 60号(20
16年3月)
な る
卵 う 前
ち の
の に 場
上 、 面
に 場 で
、 面 、
雪 ⑧ し
が で き
降 再 り
り び に
積 幻 降
も 想 る
っ の 雪
て 世 を
い 界 見
く に て
の 引 い
を き た
見 込
て ま 青
い れ 年
る て
。 し は
そ ま 、
の っ 瀧
雪 た 口
の の 自
白 だ 身
さ ろ の
の う 最
他 か 初
に 。 の
、 彼 映
春 は 画
体
の
景 原 験
色 野 と
・ の 同
蝶 や じ
の う よ
姿 な う
・ 土 に
地 地 、
雪
平
線 に の
に 置 降
沈 か る
ん れ の
で た を
見
い
く 巨 て
太 大 い
地
平
線
、
大
き
な
日
が
沈
む
と
こ
ろ
で
あ
る
。
巨
大
な
卵
が
一
つ
、
奇
怪
な
大
理
石
像
の
や
う
に
横
は
つ
て
ゐ
る
。
や
が
て
日
光
の
ぎ
ら
ぎ
ら
し
た
夏
と
な
る
。
蝶
が
飛
ん
で
ゐ
る
。
や
が
て
同
じ
景
色
は
、
し
づ
か
に
春
と
な
る
。
鳥
の
声
さ
へ
澄
ん
で
聞
こ
え
る
頃
、
쐕
場
面
巨 何 ⑧
大 処 쐖
な か
卵 原
の 野
上 の
に や
、 う
雪 な
が 土
降 地
り 、
つ 雪
も は
つ 小
て 止
ゐ み
る な
。 く
降
つ
て
ゐ
る
。
う
で
あ
る
。
彼
の
部
屋
の
窓
か
ら
、
し
き
り
に
雪
が
降
っ
て
い
る
外
の
景
色
を
眺
め
て
い
る
の
で
あ
る
。
︵
三
六
︶
2
09
瀧口修造のシネ・ポエム
︵
三
七
︶
作
に
お
い
て
試
み
た
だ
以
上
、
瀧
口
が
ダ
リ
か
ら
受
け
取
っ
た
方
法
が
、
い
か
に
卵
の
エ
チ
ュ
ー
ド
に
取
り
入
れ
ら
れ
、
そ
こ
に
ど
の
よ
う
な
影
像
が
描
か
Ⅱ
.
れ
て
い
る
か
を
見
て
来
た
。
し
か
し
な
が
ら
、
瀧
口
は
、
た
だ
ダ
リ
か
ら
芸
術
的
啓
示
を
受
け
て
、
そ
の
方
法
を
卵
の
象
徴
性
合
い
を
読
み
取
ら
ざ
る
を
得
な
い
で
あ
ろ
う
。
も
で
き
よ
う
。
い
ず
れ
に
せ
よ
、
こ
の
影
像
が
卵
の
エ
チ
ュ
ー
ド
と
い
う
作
品
を
締
め
括
る
も
の
で
あ
る
以
上
、
そ
こ
に
重
要
な
意
味
年 の
上
の の
現 卵
実
世 が
界 転
に じ
、 た
幻 も
想 の
世 で
界 あ
の ろ
ひ う
ま 。
わ や
り は
の り
花 こ
が こ
混 で
入 も
し 、
て 卵
、 か
二 ら
つ ひ
の ま
世 わ
界 り
の の
融 花
合 ︵
し 太
た 陽
、 ︶
へ
超 の
現 変
実 化
の が
世 見
界 出
が せ
開 る
か 。
れ あ
た る
と い
見 は
る 、
こ
と 青
卵のエチュード
ネ
・
ポ
エ
ム
で
は
、
部
屋
の
窓
か
ら
外
を
眺
め
て
い
る
現
実
世
界
の
空 一
ら 人
の の
皿
の 青
6
5年
上쐍
︶
か
れ
て
い
た
こ
と
が
明
か
さ
れ
た
の
で
あ
る
。
最
後
に
描
か
れ
た
の の
姿
一 と
輪 、
の 彼
日 が
ま 外
わ を
り 眺
の め
花 て
い
は る
、 間
場 の
面 幻
⑦ 想
の と
が
皿 描
208
こ
と
が
示
さ
れ
て
い
る
。
言
い
換
え
れ
ば
、
卵
の
エ
チ
ュ
ー
ド
全
体
の
構
成
が
、
最
後
の
場
面
で
明
示
さ
れ
て
い
る
。
つ
ま
り
、
こ
の
シ
で
窓
か
ら
雪
の
降
る
外
を
見
て
い
た
青
年
、
そ
し
て
場
面
⑨
の
青
年
が
、
同
じ
時
間
・
空
間
を
呼
吸
し
て
い
た
同
一
の
青
年
で
あ
っ
た
(秋元)
쐕
場
面
空 窓 ⑨
ら 、 쐖
の 青
皿 年
の は
上 同
に じ
一 日
輪 の
の 沈
日 む
ま の
わ を
り 眺
の め
花 て
。 ゐ
る
。
同
じ
窓
、
同
じ
姿
。
青
年
は
、
同
じ
窓
か
ら
同
じ
姿
で
、
同
じ
日
の
沈
む
の
を
眺
め
て
い
る
。
場
面
①
で
空
を
見
上
げ
て
い
た
青
年
、
場
面
⑦
終
。
北海学園大学人文論集
一
つ
目
の
卵
は
、
大
理
石
の
彫
刻
の
卵
で
あ
り
、
そ
の
形
態
や
色
彩
、
あ
る
い
は
質
感
が
単
純
明
快
を
讃
へ
る
現
代
彫
刻
の
美
が
、 ブ
単 ラ
純 ン
明 キ
快 ユ
を ー
6
6
讃 ジ쐍
︶
へ と
る い
現 ふ
代 彫
彫 刻
刻 家
の は
モ 、
デ 大
ル 理
に 石
な で
つ 卵
た そ
の つ
は く
自 り
然 の
で 彫
あ 刻
67を
る쐍
︶
。 作
り
、
世
界
の
始
め
と
い
ふ
題
を
つ
け
た
。
卵
の
美
学
味
合
い
が
述
べ
ら
れ
て
い
る
。
卵
あ
る
記
︵
婦
人
画
報
、
一
九
四
〇
年
七
月
︶
と
い
う
エ
ッ
セ
イ
か
ら
引
用
す
る
が
、
そ
こ
で
は
芸
術
に
お
け
る
三
つ
の
そ
れ
で
は
、
実
際
瀧
口
は
、
卵
に
つ
い
て
、
ど
の
よ
う
な
え
を
持
っ
て
い
た
の
だ
ろ
う
か
、
文
字
通
り
卵
に
関
す
る
え
卵 を
綴
の っ
意 た
の
象
徴
性
が
見
出
せ
る
か
ど
う
か
で
は
あ
る
ま
い
か
。
第 60号(20
16年3月)
徴
が
時
代
的
閉
塞
感
を
表
わ
す
と
は
限
る
ま
い
。
重
要
な
こ
と
は
、
時
代
性
や
社
会
的
状
況
を
超
え
た
と
こ
ろ
に
も
な
お
、
瀧
口
特
有
の
卵
2
07
象
る 家 て
、 本 徴
よ
う 動 喪 稿 性
な 員 失 第 に
法 と 二 つ
囲 が 閉 節 い
気 制 塞 で て
に 定 の 述 検
包 さ 心 べ 証
ま れ 理 た し
よ た
れ 、
て 国 を う い
い 民 象 に 。
た 生 徴 、
こ 活 す 岩
と 全 る 崎
は 般 も 美
推 に の 弥
測 亘 だ 子
で っ と は
き て み
る 統 な 卵
。 制 し の
と が て エ
は 強 い チ
言 化 た ュ
っ さ 。 ー
て れ 確 ド
も た か
、 折 に に
そ で 、 お
の あ こ け
時 り の る
期 、 シ
に 激 ネ 卵
化 ・
作 す ポ を
さ る エ 、
れ 戦 ム
た 争 が 作
詩 に 発 時
に 向 表 の
お け さ 時
い て れ 代
て 、 た ・
、 国 一 社
す 民 九 会
べ 全 三 状
て 体 八 況
の が 年 を
詩 息 は 重
的 詰 、 視
象 ま 国 し
最
後
に
、
卵
の
エ
チ
ュ
ー
ド
の
テ
ー
マ
を
析
す
る
こ
と
に
お
い
て
、
最
も
重
要
だ
と
思
わ
れ
る
点
、
つ
ま
り
、
瀧
口
に
お
け
る
卵
の
マ
の
上
で
、
ダ
リ
を
乗
り
越
え
る
試
み
を
見
出
す
こ
と
が
で
き
る
の
で
あ
ろ
う
か
。
ろ
ん
、
こ
の
詩
文
の
翻
訳
者
で
あ
る
瀧
口
が
そ
れ
を
読
み
取
っ
て
い
た
こ
と
は
間
違
い
な
い
。
で
は
、
卵
の
エ
チ
ュ
ー
ド
に
お
い
て
、
テ
ー
け
で
は
あ
る
ま
い
。
ダ
リ
の
絵
画
・
詩
文
ナ
ル
シ
ス
の
変
貌
で
は
、
ダ
リ
の
芸
術
的
再
生
感
が
重
要
な
テ
ー
マ
と
な
っ
て
い
た
。
も
ち
︵
三
八
︶
瀧口修造のシネ・ポエム
︵
三
九
︶
い ダ
て に
ゐ も
た 、
の
で 造
あ 主
7
0ブ
る쐍
︶
。 ラ
ー
マ
が
ま
づ
卵
を
作
り
、
そ
の
中
か
ら
天
地
が
生
ま
れ
た
と
い
ふ
こ
と
が
あ
る
。
た
ゞ
こ
の
卵
は
黄
金
色
に
輝
フ
イ
ン
ラ
ン
ド
の
伝
説
に
卵
の
黄
味
か
ら
太
陽
が
生
ま
れ
、
白
味
か
ら
月
が
う
ま
れ
た
と
い
ふ
宇
宙
造
説
が
あ
る
。
印
度
の
ウ
エ
ー
ば
イ
デ
ア
の
体
現
で
あ
る
も
の
の
、
対
極
に
あ
る
の
で
は
な
か
ろ
う
か
。
そ
し
て
、
三
つ
目
の
卵
は
、
く
れ
る
も
の
で
あ
ろ
う
。
こ
の
落
し
卵
は
、
大
理
石
の
卵
と
い
う
外
側
の
し
ん
と
し
た
古
典
的
な
彫
塑
性
を
感
じ
さ
せ
る
、
い
わ
言
え
よ
う
か
。
そ
れ
は
人
が
普
段
意
識
し
て
い
な
い
不
安
で
あ
る
ゆ
え
に
、
そ
の
露
わ
な
姿
で
私
達
を
ど
き
つ
と
さ
せ
、
眼
を
開
か
せ
て
る
不
気
味
さ
や
不
快
感
は
、
露
わ
に
投
げ
出
さ
れ
た
生
命
︵
黄
身
︶
の
不
安
定
さ
と
相
ま
っ
て
、
現
代
性
の
不
安
そ
の
も
の
を
表
わ
す
と
卵のエチュード
と
述
べ
ら
れ
て
い
る
よ
う
に
、
そ
れ
は
ダ
リ
の
落
し
卵
で
あ
る
。
無
防
備
に
か
ら
流
れ
出
た
黄
身
の
、
視
覚
や
触
感
か
ら
感
じ
ら
れ
206
(秋元)
と 落 割
言 し つ
へ 卵 て
よ を み
69好 た
う쐍
︶
。 ん の
で で
描 あ
68る
く쐍
︶
。 。
こ ヌ
れ ル
は ツ
卵 と
の し
外 た
側 澄
の 明
し な
ん 白
と 味
し の
た 中
古 に
典 浮
的 ん
な だ
彫 黄
塑 味
性 は
の 、
中 私
で 達
忘 を
れ ど
ら き
れ つ
て と
ゐ さ
た せ
現 る
代 。
性 画
の 家
不 ダ
安 リ
そ は
の い
も は
の ゆ
だ る
し
か
し
こ
ゝ
に
一
人
の
反
逆
児
が
出
て
来
て
、
こ
の
プ
ラ
ト
ン
的
な
、
彫
塑
的
な
卵
を
、
ま
る
で
料
理
で
も
す
る
や
う
に
無
造
作
に
て
い
る
。
こ
の
意
味
に
お
い
て
、
哲
学
的
な
卵
で
も
あ
る
。
ま
た
、
二
つ
目
の
卵
は
、
的
な
、
彫
塑
的
な
卵
と
も
表
現
さ
れ
て
お
り
、
何
ら
か
の
、
世
界
自
体
を
表
わ
す
イ
デ
ア
が
形
を
取
っ
た
も
の
で
あ
る
こ
と
が
示
唆
さ
れ
学
を
体
現
し
て
い
る
と
い
う
の
で
あ
ろ
う
。
こ
の
大
理
石
の
卵
は
、
世
界
の
始
め
を
表
わ
す
も
の
で
あ
る
が
、
同
じ
文
章
で
プ
ラ
ト
ン
北海学園大学人文論集
あ
る
い
は
、
い
わ
ば
ダ
リ
的
な
現
代
性
の
不
安
そ
の
も
の
と
い
っ
た
も
の
を
、
驚
愕
と
と
も
に
青
年
に
感
じ
さ
せ
た
。
思 た
。
力 し
を か
失 し
っ 、
た 逃
か 走
の 中
よ 、
う 卵
に は
、 路
そ 上
の に
場 落
で ち
て
茫 割
然 れ
と て
し
す ま
る い
。 、
そ 黄
れ 身
は が
白 流
く れ
輝 出
く す
卵 。
突
の 然
純 の
粋 出
性 来
と 事
は に
全 衝
く 撃
異 を
質 受
な け
、 て
不 、
気 青
味 年
さ は
・ 判
不
快 断
感 力
・
、
で
あ
ろ
う
。
そ
の
卵
に
、
青
年
に
と
っ
て
の
重
要
性
を
直
観
し
た
か
ら
な
の
か
、
彼
は
そ
れ
を
掴
み
取
っ
て
逃
走
せ
ず
に
は
い
ら
れ
な
か
っ
口
に
と
っ
て
外
側
の
し
ん
と
し
た
古
典
的
な
彫
塑
性
を
感
じ
さ
せ
る
も
の
で
あ
っ
て
、
何
ら
か
の
イ
デ
ア
の
体
現
を
象
徴
し
て
い
る
の
鶏
小
屋
に
生
ま
れ
た
て
の
卵
が
白
く
輝
い
て
い
る
︵
場
面
②
︶
。
白
く
輝
く
卵
は
、
色
彩
の
純
粋
性
や
形
態
の
単
純
性
と
と
も
に
、
瀧
さ
て
、
卵
の
エ
チ
ュ
ー
ド
か
に
な
っ
た
。
に
描
か
れ
て
い
る
卵
に
は
、
芸
術
に
お
け
る
ど
の
よ
う
な
象
徴
性
が
託
さ
れ
て
い
る
の
で
あ
ろ
う
か
。
2
05
な
い を
る 驚 以 か
卵 愕 上 ろ
と の う
か
얧 と
も 察 。
太 に に
陽 指 よ
と し っ
関 示 て
連 す 、
瀧
性
が 落 口
あ し は
る 卵 、
イ
、 デ
얧
と 造 ア
い 性 の
う あ 体
、 る 現
芸 い と
術 は し
て
に
お 造 の
け 原 静
る 理 的
三 に か
つ 関 つ
の わ 純
卵 り 粋
の 動 な
意 的 大
味 か 理
合 つ 石
い 生 の
︵ 命 彫
象 力 刻
徴 を の
性 感 卵
︶ じ
を さ 、
見 せ 現
出 る 代
し
性
て 黄 の
い 金 不
た 色 安
こ に そ
と 輝 の
が い も
明 て の
ら
は
、
よ
り
動
的
か
つ
生
命
力
に
じ
さ
せ
る
と
と
も
に
純
粋
性
の
強
調
が
読
み
取
れ
る
の
に
対
し
て
、
世
界
の
れ
た
も
の
を
感
じ
さ
せ
、
そ
の
意
味
に
お
い
て
、 造
芸
術 も
の し
く
造 は
原
理 造
そ 性
の そ
も の
の も
を の
示 を
唆 表
し わ
て す
い 三
る つ
の 目
で の
は 卵
よ
う
で
あ
る
が
、
大
理
石
の
卵
が
あ
く
ま
で
も
イ
デ
ア
と
い
う
観
念
を
具
現
化
し
た
も
の
で
あ
っ
て
、
そ
の
点
に
お
い
て
静
的
な
も
の
を
感
と
い
う
関
連
性
が
述
べ
ら
れ
て
い
る
。
こ
の
卵
は
、
世
界
の
始
ま
り
、
つ
ま
り
世
界
の
起
源
を
体
現
し
て
い
る
一
つ
目
の
卵
と
似
て
い
る
と
あ
る
よ
う
に
、
黄
金
色
に
輝
い
て
い
る
卵
で
、
宇
宙
・
天
地
の
造
に
関
わ
る
も
の
で
あ
り
、
黄
味
太
陽
、
白
味
=
と
こ
ろ
が
、
割
れ
た
は
ず
の
卵
が
、
ま
た
も
や
青
年
の
眼
の
前
に
現
わ
れ
る
︵
場
面
③
︶
。
叢
の
中
に
、
白
く
輝
く
卵
が
置
か
れ
て
い
る
の
=
で
あ
る
。
青
年
は
、
そ
れ
が
再
び
割
れ
て
、
あ
の
不
気
味
な
黄
身
が
再
び
流
れ
出
す
こ
と
を
想
起
し
た
の
か
、
恐
怖
に
襲
わ
れ
る
。
確
か
め
第 60号(20
16年3月)
月
︵
四
〇
︶
瀧口修造のシネ・ポエム
︵
四
一
︶
卵 一
つ
に は
転 、
じ 生
た 命
。 を
青 胚
年 胎
は し
部 て
屋 い
の る
窓 か
か の
ら よ
、 う
し に
き 脈
り 動
に し
降 、
る 巨
白 大
い 化
雪 す
を る
見 が
て 、
い 次
る の
が 場
、 面
い ⑦
つ で
の は
間 青
に 年
か の
景 部
色 屋
が の
原 中
野 に
に 置
変 か
わ れ
り た
、
そ 皿
こ の
で 上
巨 の
の
花
に
変
化
し
た
の
を
見
た
と
き
︵
場
面
④
︶
に
、
す
で
に
あ
の
恐
怖
を
克
服
し
て
い
た
の
で
あ
ろ
う
。
こ
の
白
く
、
つ
ぶ
ら
な
卵
の
其
処
こ
こ
に
、
ひ
ま
わ
り
の
花
が
変
化
し
た
白
く
、
つ
ぶ
ら
な
卵
を
見
出
し
た
︵
場
面
⑥
︶
。
お
そ
ら
く
青
年
は
、
白
い
卵
が
ひ
ま
わ
り
る
が
、
岩
の
角
に
ぐ
し
や
つ
と
つ
ぶ
れ
た
卵
を
認
め
る
。
し
か
し
、
再
び
恐
怖
と
不
安
が
甦
っ
て
来
る
の
で
は
な
く
、
青
年
は
岩
陰
の
卵のエチュード
(秋元)
う 象 に 身 強 か た ひ
青 。 徴 、 を い を の ま し
す 潜 想 こ 求 か わ か
年
る 在 起 と め 、 り し
は
も 的 さ と て 青 の 、
抱
の に せ 、 い 年 花 無
い
と 存 る ま た は 束 数
て
を の
、 在 も た 青
い
し の 、 年 放 抱 卵
る
落 て で そ で 心 い を
ひ
し い も の あ し て か
ま
卵 る あ 色 っ た い き
わ
抱
が 黄 る 彩 た よ た
り
︵
象 身 。 か が う 場 い
の
徴 を つ ら 、 に 面 て
花
い
す 経 ま 、 こ
を
④
こ そ ︶ る
る て り
、
も い 、 造 で の 。 は
一
の る 白 性 は 花 そ ず
本
と と く に 、 束 の の
ず
の み 輝 関 ひ を 美 青
つ
双 な く わ ま 見 し 年
崖
方 す 卵 る わ つ さ な
下
り め に の
を こ は
の
、 と 、 黄 の る 心 に
海
何 も 一 金 鮮 。 を 、
へ
ら で 足 色 烈 い 奪 い
放
か き 飛 に さ ず わ つ
り
の よ び 輝 に れ れ の
投
魅 に た 間
形 う に
げ
で 。 ひ く 了 せ の に
る
︵
超 そ ま 卵 さ よ か か
場
越 う わ と れ 、 、 、
面
し で り 関 た 白 そ 彼
⑤
た あ の 連 の く れ は
︶
も れ 花 が で 輝 と 眼
。
の ば に あ あ く も の
青
が 、 変 ろ る 卵 、 覚
年
託 ひ 化 う 。 に 黄 め
は
さ ま し 。 ひ 象 身 る
そ
れ わ た と ま 徴 の よ
れ
て り の こ わ さ 指 う
ら
い の で ろ り れ し な
を
る 花 は が は る 示 鮮
追
と に な 反 、 、 す 烈
う
見 は く 面 太 観 恐 な
よ
て 、 、 、 陽 念 怖 色
う
も 白 そ そ と 的 か 彩
に
よ く の の の ・ ら ︵
見
い 輝 変 色 関 純 解 黄
つ
で く 化 彩 係 粋 放 色
め
あ 卵 の は 性 な さ ︶
て
ろ が 間 黄 が 何 れ の
い
204
な
い
で
あ
ろ
う
。
れ
ら
を
拾
い
集
め
る
。
拾
わ
ず
に
は
い
ら
れ
な
い
の
で
あ
る
。
こ
こ
で
は
白
く
輝
く
卵
に
対
す
る
、
青
年
の
強
い
執
着
心
を
感
じ
ざ
る
を
得
そ
っ
と
割
れ
な
い
よ
う
に
拾
い
上
げ
る
。
荒
地
に
無
数
の
白
い
卵
が
落
ち
て
い
る
が
、
青
年
は
取
り
憑
か
れ
た
か
の
よ
う
に
、
機
械
的
に
そ
る
よ
う
に
見
つ
め
な
お
す
と
、
や
は
り
そ
こ
に
は
、
白
い
卵
が
在
っ
た
。
青
年
に
と
っ
て
、
そ
れ
は
非
常
に
大
切
な
も
の
な
の
で
あ
ろ
う
、
北海学園大学人文論集
太
陽
に
捕
へ
ら
れ
た
僕
氷
花
の
や
う
に
瀧
口
に
と
っ
て
太
陽
は
ど
の
よ
う
な
意
味
合
い
が
あ
る
の
で
あ
ろ
う
か
。
そ
れ
は
次
の
詩
の
一
節
か
ら
読
み
取
る
こ
と
が
で
き
る
。
こ
の
、
卵
と
太
陽
の
、
象
徴
性
の
上
で
の
一
致
に
つ
い
て
、
察
を
深
め
て
い
き
た
い
。
中 瀧
に 口
忍 に
び と
込 っ
む て
太 非
7
1常
陽쐍
︶
︵ に
瀧 重
口 要
修 な
造 影
像
卵 で
形 あ
の る
室 と
内 思
わ
れ
三 る
田 。
文 な
学 ぜ
、 な
一 ら
九 ば
三 、
八 卵
年 の
七 エ
月 チ
︶ ュ
の ー
影 ド
像
が が
描 書
か か
れ れ
て た
い 同
る じ
か 年
ら に
で 、
あ ま
る さ
。 に
以
下 卵
、 の
絶
対
性
を
、
造
の
原
理
に
よ
っ
て
掬
い
取
ろ
う
と
す
る
こ
と
で
あ
ろ
う
얧
を
象
徴
し
て
い
る
と
み
な
さ
れ
る
、
卵
と
太
陽
と
の
同
化
は
、
遠
的
・
観
念
的
な
も
の
と
造
性
︵
造
原
理
︶
の
一
体
化
얧
そ
れ
は
、
イ
デ
ア
と
い
う
哲
学
的
な
観
念
に
限
ら
ず
、
何
ら
か
の
芸
術
的
第 60号(20
16年3月)
ド え
た
の と
登 こ
場 ろ
人 に
物 生
に ま
則 れ
し た
て 、
言
え 造
ば 性
、 の
青 重
年 視
と
は い
内 う
的 、
瀧
藤 口
の の
果 芸
て 術
に 観
芸 を
術 読
的 み
再 取
生 る
感 こ
に と
が
り で
着 き
い る
た の
と で
み あ
な る
せ 。
よ そ
う れ
か を
。
な 卵
か の
で エ
も チ
、 ュ
永 ー
2
03
取
れ
る
。
そ
こ
に
、
観
念
的
な
美
を
体
現
し
よ
う
と
す
る
美
意
識
と
、
恐
怖
・
不
安
を
描
こ
う
と
す
る
ダ
リ
的
美
意
識
と
の
対
立
を
乗
り
超
わ
り
の
花
が
太
陽
に
転
じ
る
と
い
う
影
像
の
変
化
が
描
か
れ
て
お
り
、
最
後
に
は
白
い
卵
と
太
陽
と
の
同
化
が
描
か
れ
て
い
る
こ
と
が
見
て
簡
潔
に
言
え
ば
、
卵
の
エ
チ
ュ
ー
ド
に
は
、
白
く
輝
く
卵
が
割
れ
て
流
れ
出
た
黄
身
に
転
じ
、
黄
身
が
ひ
ま
わ
り
の
花
に
転
じ
、
ひ
ま
し
、
場
面
⑦
で
描
か
れ
て
い
た
皿
の
上
の
卵
が
、
ひ
ま
わ
り
の
花
に
転
じ
て
い
た
と
こ
ろ
で
、
こ
の
シ
ネ
・
ポ
エ
ム
は
完
結
し
て
い
る
。
一
体
化
を
示
唆
し
て
い
る
と
み
な
せ
よ
う
。
場
面
⑨
で
は
、
青
年
が
場
面
⑦
と
同
じ
窓
か
ら
、
場
面
⑧
と
同
じ
落
日
を
眺
め
て
い
る
。
し
か
巨
大
な
卵
と
と
も
に
、
地
平
線
に
沈
ん
で
い
く
太
陽
が
描
か
れ
て
お
り
、
永
遠
的
・
観
念
的
な
も
の
と
造
的
な
も
の
︵
造
原
理
︶
と
の
の
よ
う
に
横
た
わ
っ
て
い
る
。
時
間
の
推
移
に
も
変
化
し
な
い
、
観
念
の
永
遠
性
が
読
み
取
れ
よ
う
か
。
こ
こ
で
こ
の
大
理
石
像
の
よ
う
な
大
な
卵
の
上
に
雪
が
降
り
積
も
っ
て
い
る
︵
場
面
⑧
︶
。
季
節
は
冬
か
ら
春
、
夏
へ
と
移
っ
て
い
っ
た
が
、
そ
こ
に
は
巨
大
な
卵
が
大
理
石
像
︵
四
二
︶
瀧口修造のシネ・ポエム
こ
の
詩
の
僕
は
、
太
陽
︵
四
三
︶
に
捕
ら
え
ら
て
身
動
き
が
取
れ
な
く
な
っ
て
も
、
眠
る
こ
と
を
欲
し
て
い
な
い
。
い
つ
ま
で
も
眠
り
に
落
い
と
い
う
願
望
で
あ
る
。
こ
れ
ら
は
、
芸
術
家
の
、
造
の
動
機
に
関
わ
る
こ
と
で
も
あ
ろ
う
。
い
と
い
う
願
望
で
あ
り
、
そ
れ
に
対
し
て
後
者
は
、
太
陽
と
い
う
、
あ
る
意
味
で
の
絶
対
的
存
在
に
、
い
つ
ま
で
も
取
り
憑
か
れ
て
い
た
陽 花
の
と よ
共 う
に に
在 、
り 永
た 遠
い に
と 美
い し
う さ
望 を
み 留
で め
あ た
る い
。 と
前 い
者 う
は 望
、 み
時 で
間 あ
の り
移 、
ろ も
い う
に ひ
よ と
っ つ
て は
左 、
右 太
さ 陽
れ
な そ
い の
、 も
永 の
遠 に
性 縛
に ら
連 れ
な て
る 、
美 い
を つ
留 ま
め で
置 も
き
た 太
ひ
と
つ
は
、
氷
花
、
つ
ま
り
水
に
入
れ
ら
れ
て
そ
の
ま
ま
凍
ら
さ
れ
、
咲
い
た
ま
ま
︵
あ
る
い
は
蕾
の
ま
ま
︶
で
氷
に
閉
じ
込
め
ら
れ
た
一
方
、
こ
こ
に
挙
げ
た
瀧
口
の
詩
に
お
け
る
太
陽
に
捕
へ
ら
れ
た
僕
に
は
、
少
な
く
と
も
僕
の
二
通
り
の
願
望
が
読
み
取
れ
る
。
の
神
話
は
、
人
間
的
・
文
化
的
な
人
間
は
こ
の
火
に
よ
っ
て
、
他
の
動
物
と
は
違
う
能
力
︵
道
具
︶
を
手
に
入
れ
、
文
化
を
造
の
、
永
遠
の
苦
し
み
を
示
唆
し
て
い
る
と
言
え
よ
う
。 造
し
始
め
た
。
い
わ
ば
、
こ
の
プ
ロ
メ
テ
卵のエチュード
間
に
与
え
た
こ
と
に
よ
っ
て
ゼ
ウ
ス
の
怒
り
を
買
い
、
大
鷲
に
よ
っ
て
五
臓
六
腑
を
永
遠
に
ま
れ
、
苦
し
み
続
け
る
と
い
う
罰
を
受
け
た
。
202
プ
ロ
メ
テ
は
、
ギ
リ
シ
ア
神
話
で
、
ゼ
ウ
ス
と
い
う
オ
リ
ン
ポ
ス
の
絶
対
的
存
在
に
よ
っ
て
支
配
さ
れ
て
い
る
火
を
盗
み
、
そ
れ
を
人
で
あ
る
。
こ
の
詩
は
、
芸
術
家
ハ
ー
バ
ー
ト
・
リ
ス
ト
に
よ
る
写
真
か
ら
発
想
を
与
え
ら
れ
た
も
の
で
あ
る
。
一
九
四
〇
年
六
月
、
写
真
誌
フ
ォ
ト
タ
イ
ム
ス
に
掲
載
さ
れ
た
、
ハ
ー
バ
ー
ト
・
リ
ス
ト
作
魚
に
寄
せ
て
と
い
う
詩
の
一
節
(秋元)
︵
僕 太 略 動 僕
は 陽 ︶ け は
な ま
こ よ
い だ
の
だ 眠
金 僕
け つ
縛 を
の て
り 小
こ は
の さ
と い
一 な
だ な
瞬 プ
い
間 ロ
を メ
愛 テ
す の
7
2や
る쐍
︶
う
に
い
つ
ま
で
も
縛
つ
て
置
い
て
く
れ
北海学園大学人文論集
こ
で
は
問
わ
な
い
こ
と
に
し
て
、
そ
れ
が
一
個
の
ユ
ー
ト
ピ
ア
に
似
た
、
不
可
能
の
夢
を
ぎ
っ
し
り
抱
懐
し
た
物
質
で
あ
り
、
︵
瀧
口
瀧
口
の
詩
に
お
け
る
卵
の
イ
メ
ー
ジ
が
、
天
や
愛
を
知
っ
た
女
人
の
み
の
近
づ
き
う
る
も
の
で
あ
る
か
ど
う
か
に
つ
い
て
、
こ
や 渋
愛 澤
を に
知 よ
っ る
た と
女 、
人 瀧
の 口
み の
の 詩
近 に
づ お
き け
う る
る
、 卵
一 の
個 イ
の メ
ユ ー
ー ジ
ト は
ピ 、
ア
に 復
似 活
た と
、 未
不 来
可 生
能 活
の の
夢 シ
を ン
ぎ ボ
っ ル
し
り と
抱 い
懐 っ
し た
た も
物 の
質 で
あ
で る
あ 以
る 上
と に
い 、
75
う쐍
︶
。 天
の
詩
的
イ
メ
ー
ジ
の
と 性
述 質
べ は
て 、
、 本
瀧 来
口 、
に 経
お 験
け や
る 学
影 習
像 に
と よ
彼 っ
の て
資 体
質 得
的 さ
な れ
も る
の と
と い
の う
関 よ
係 り
に も
つ 、
い む
て し
示 ろ
唆 先
し 天
て 的
い に
7
4持
る쐍
︶
。 っ
て
生
れ
た
も
の
だ
ろ
う
と
信
じ
ら
れ
る
瀧
う
口 文 も
の 芸 の
評 以
詩 論 上
的 家 の
発 ・ 何
想 小 か
の 説 を
モ 家 読
テ で み
ィ あ 取
ー る れ
フ 渋 る
澤 だ
と 龍 ろ
し 彦 う
て ︵ か
瀧 一 。
口 九
の 二
詩 八
に ∼
一
石 九
や 八
鳥 七
や ︶
大 は
気 、
現 卵
象 型
の の
イ 夢
メ
ー 瀧
ジ 口
修
を 造
読 私
73
み 論쐍
︶
取
っ と
た い
上 う
で エ
、 ッ
セ
各 イ
人 に
そ お
れ い
ぞ て
れ 、
第 60号(20
16年3月)
い て と の ち
る る も
こ う い い 状 な
で 。 も
の 造 の 。 る う 態 い
は
で の よ そ の 願 は ま
、
あ 苦 う こ で 望 、 ま
瀧
り し に に は が ま で
口
、 み 、 、 な 読 さ 、
が
加 と こ 芸 か み し 捕
描
え 、 の 術 ろ 取 く ら
い
え
て そ 詩 に う れ
た
、 れ に お か る 金 ら
彼 に お い 。 か 縛 れ
卵
を 伴 け て と も り た
の
状
う る 永 こ し
中
遠 ろ れ の 態
造 歓
に
に び 太 性 が な 状 を
忍
向 を 陽 や 、 い 態 享
び
絶 太 。 で 受
か 味
込
わ わ は 対 陽 つ あ し
む
せ わ 、 性 に ま る て
太
る せ 芸 を 捕 り と い
陽
原 る 術 垣 へ こ 言 た
理 存 に 間 ら の え い
の
で 在 お 見 れ 詩 よ の
影
の う で
あ で け る
像
る あ る こ る 僕 か あ
に
。 ろ
と る 永 と と
、
こ こ 遠 の い は そ う
永
ろ と 性 難 う 、 こ 。
遠
し 、 ま に 身
の が ・
的
絶
さ 、 動
も 読 対 さ
・
の み 性 が 僕 に プ き
観
芸 ロ は
を 取 に 読
念
、 れ 連 み に 術 メ で
的
と
き
家
取
る
な
太 。 な れ っ の テ な
も
陽 し る よ て 苦 の い
の
存
に た 在 う の し 苦 が
と
象 が で 。 幸 み し 半
運 と み ば
徴 っ あ
造
は 、 を 意
さ て り
性
、 そ 、 識
せ 、 、
︵
て 瀧 か
一 れ 意 が
い 口 つ
造
瞬 に 識 あ
る は 、
原
間 伴 的 る
う に よ
と 、
理
し 恍 味 う
見 彼 僕
︶
か 惚 わ な
る が
の
訪 感 っ 、
こ 希 に
一
れ を て 半
と 求 い
体
な 味 い 睡
が し つ
化
い わ た 半
で て ま
と
と っ い 覚
き い で
い
2
01
︵
四
四
︶
瀧口修造のシネ・ポエム
ウ
ィ
リ
ア
ム
・
ブ
レ
イ
ク
︵
一
七
五
七
∼
一
八
二
七
︶
の
︵
四
五
︶
と
い
う
宇
宙
を
変
容
さ
せ
造 、
原 そ
理 の
と 中
は か
何 ら
で 新
あ た
ろ な
う 宇
か 宙
。 と
一 そ し
粒 れ て
の は 自
砂 、 ら
に 彼 生
も が ま
れ
世
界 一 出
を 番 る
、 影 の
一 響 で
輪 を は
の う あ
野 け쐍 る
8ま
の て7
︶
い
花
に い か
も た 。
天 と
国 さ
を れ
7
9る
見쐍
︶
、
と 英
い 国
う の
詩 詩
句 人
に ・
よ 画
っ 家
そ
れ
で
は
、
瀧
口
の
お に 芸 の
い は 術 世
て 、 的 界
や 絶 で
卵 が 対 も
を て 性 あ
お る
も
変 卵 よ 、
び 彼
容
の
さ か
せ ら 造 世
て 生 原 界
い ま 理 全
る れ と 体
か 出 の ︵
の る 緊 全
よ た 密 宇
う め な 宙
な に 関 ︶
意 、 係 の
味 太 性 こ
合 陽 を と
表 で
い
を 自 わ は
捉 身 し な
え が て か
い ろ
る
こ 卵 る う
と か
と
が の 思 。
で 中 わ そ
き に れ れ
な 入 る ゆ
い り 。 え
だ 込 ま 、
ろ み た 卵
う 、 、
か 受 卵 と
。 胎 の
太
太 ︵ 中 陽
受
に
陽
精 忍 の
と ︶ び 同
い を 込 化
う 行 む は
な 太 、
造 い 陽 彼
原 、
の
理 そ と 全
が の い 宇
、 意 う 宙
味 影
卵 に 像 と
、
い
う
存
在
自
体
で
も
あ
る
と
み
な
す
こ
と
が
で
き
る
。
言
い
換
え
れ
ば
、
そ
れ
は
、
内
的
世
界
で
あ
る
と
同
時
に
、
外
的
か
つ
具
体
的
対
象
卵のエチュード
在 在 希
以 で そ 求
上 も の す
の あ も る
る の
で 卵
察
の 究 あ
と 極 る は
お の こ 、
り 憧 と 不
、 憬 が 可
瀧 の 捕 能
口 対 捉 の
に 象 さ 夢
れ の
と
っ を て 精
て 希 い 錬
の 求 る さ
す の れ
卵 る が る
瀧 読
は 口 み 場
、 自 取 所
太 身 れ で
陽 を る あ
見 。 る
と 出 そ 、
同 す う 彼
様 こ で 自
に と あ 身
、 も れ の
彼 で ば 内
の き 、 的
よ 瀧 世
究 う 口 界
極 。 の に
描 由
の
い 来
憧
た し
憬
ナ 、
の
ル そ
対
シ の
象
ス 意
に 味
で
お に
あ
い お
っ
て い
て
、 て
、
彼 彼
か
と と
つ
い い
、
う う
彼
存 存
と
200
(秋元)
坩 せ
堝 る
、 と
そ い
れ う
こ 意
そ 味
卵 で
で 、
あ 卵
り
、 は
こ
こ 不
に 可
お 能
い の
て 夢
、 を
卵 ぎ
は っ
瀧 し
口 り
氏 抱
の 懐
存 し
在 た
そ 物
の 質
も
の な
の の
形 で
と あ
一 ろ
致
す う
。
77
る쐍
︶ さ
と ら
い に
う 、
渋 不
澤 可
の 能
言 の
葉 夢
か の
ら 精
、 錬
瀧 さ
口 れ
の る
実
際
ど
こ
に
も
な
い
。
つ
ま
り
、
究
極
的
に
そ
れ
を
希
求
し
つ
つ
も
、
一
方
で
ど
こ
に
も
な
い
場
所
で
も
あ
る
芸
術
的
理
想
郷
を
垣
間
見
さ
な
わ
ち
、
卵
は
、
瀧
口
の
究
極
の
憧
憬
の
対
象
で
あ
る
芸
術
的
理
想
郷
を
夢
見
さ
せ
て
く
れ
る
。
し
か
し
、
そ
の
よ
う
な
理
想
郷
は
、
う
形
を
と
っ
て
現
わ
れ
て
い
る
こ
と
を
言
い
当
て
て
お
り
、
さ
ら
に
瀧
口
と
芸
術
的
理
想
郷
と
の
関
係
を
掴
み
っ
て
い
る
か
ら
で
あ
る
。
す
い
て
、
渋
澤
の
見
解
は
示
唆
に
富
ん
で
い
る
こ
と
は
間
違
い
な
い
。
な
ぜ
な
ら
、
瀧
口
の
希
求
し
て
い
る
も
の
が
、
卵
の
イ
メ
ー
ジ
と
い
の
|
引
用
者
に
よ
る
︶
窮
極
の
憧
憬
の
対
象
は
、
つ
ね
に
卵
形
に
像
を
む
す
び
、
卵
形
に
凝
固
す
7
6
る쐍
︶
と
い
う
こ
と
を
捉
え
て
い
る
点
に
お
北海学園大学人文論集
ン
・
ミ
ロ
︵
一
八
九
三
∼
一
九
八
三
︶
얧
ダ
リ
と
同
じ
く
、
瀧
口
が
評
伝
と
解
説
を
書
き
、
世
界
で
最
初
に
単
行
本
の
形
で
出
版
し
た
얧
筆
者
の
今
後
の
研
究
課
題
と
し
て
、
瀧
口
と
影
像
と
の
関
係
性
を
、
よ
り
詳
細
に
析
す
る
こ
と
、
お
よ
び
、
ス
ペ
イ
ン
の
画
家
ジ
ョ
ア
な
い
で
あ
ろ
う
。
そ
の
よ
う
な
、
太
陽
と
瀧
口
を
媒
介
し
て
く
れ
る
も
の
こ
そ
が
、
彼
に
と
っ
て
の
影
像
だ
っ
た
の
で
あ
る
。
る
太
陽
の
姿
は
、
何
か
を
媒
介
に
し
て
見
出
す
か
、
何
か
に
映
し
出
す
か
、
そ
の
痕
跡
を
探
し
出
す
か
し
な
け
れ
ば
、
捉
え
る
こ
と
が
で
き
希
求
す
る
対
象
で
あ
り
、
か
つ
、
造
原
理
を
象
徴
し
て
い
る
太
陽
の
姿
を
、
直
接
見
る
こ
と
は
で
き
ま
い
。
そ
れ
ゆ
え
に
、
瀧
口
の
求
め
芸
術
に
お
け
る
永
遠
性
・
絶
対
性
、
も
し
く
は
彼
の
全
宇
宙
を
垣
間
見
せ
て
く
れ
る
も
の
だ
っ
た
の
で
あ
る
。
瀧
口
に
と
っ
て
、
究
極
的
に
て
影
像
は
、
そ
の
卓
越
し
た
絵
画
的
技
巧
や
発
想
の
新
奇
さ
を
示
す
手
段
で
あ
っ
た
側
面
も
あ
ろ
う
が
、
一
方
瀧
口
に
と
っ
て
の
影
像
は
、
こ
の
よ
う
に
し
て
、
瀧
口
が
ダ
リ
の
美
意
識
を
超
越
し
た
の
は
、
影
像
に
対
し
て
独
特
の
え
方
が
あ
っ
た
か
ら
で
あ
ろ
う
。
ダ
リ
に
と
っ
意
識
を
超
越
す
る
た
め
の
過
程
で
も
あ
っ
た
。
瀧
口
は
そ
こ
に
、
自
身
の
芸
術
観
を
反
映
さ
せ
た
の
で
あ
る
。
第 60号(20
16年3月)
に
も
託
さ
れ
て
い
る
と
見
る
こ
と
が
で
き
た
。
し
か
し
な
が
ら
、
明
ら
か
と
な
っ
た
。
ま
た
、
ダ
リ
の
絵
画
・
詩
文
ナ
ル
シ
ス
の
変
卵 貌
の
エ に
チ お
ュ い
ー て
ド 読
の み
取
青 れ
年 た
芸
の 術
的
っ 再
た 生
幻 感
想 は
の 、
旅 卵
は の
、 エ
ダ チ
リ ュ
的 ー
な ド
美
1
99
ド
に
お
い
て
具
体
化
し
、
そ
れ
に
よ
っ
て
現
実
世
界
と
幻
想
世
界
の
融
合
し
た
、
い
わ
ば
超
現
実
の
世
界
を
描
こ
う
と
し
て
い
た
こ
と
が
本
稿
に
お
け
る
察
に
よ
っ
て
、
瀧
口
は
ダ
リ
の
芸
術
論
・
作
品
か
ら
受
け
取
っ
た
芸
術
的
方
法
を
、
シ
ネ
・
ポ
エ
ム
卵
の
エ
チ
ュ
ー
結
び
た
か
っ
た
の
で
あ
る
。
シ
ス
の
よ
う
に
、
唯
一
つ
の
言
葉
・
唯
一
つ
の
影
像
と
、
そ
れ
に
喚
起
さ
れ
た
想
像
力
の
働
き
に
よ
っ
て
、
瀧
口
は
彼
の
全
宇
宙
を
捕
捉
し
て
窺
い
知
る
こ
と
が
で
き
る
。
す
な
わ
ち
、
一
粒
の
砂
と
世
界
全
体
を
結
び
つ
け
る
力
は
、
想
像
力
に
他
な
る
ま
い
。
自
身
で
描
い
た
ナ
ル
︵
四
六
︶
瀧口修造のシネ・ポエム
쐍 쐍
10 9
︶ ︶
岩 同
崎 書
美 ︵
弥 一
子 〇
八
卵 頁
の ︶
エ 。
チ
ュ
ー
ド
瀧
口
修
造
沈
黙
す
る
球
体
水
声
社
、
一
九
九
八
年
︵
一
一
一
頁
︶
。
︵
四
七
︶
쐍
8
︶
瀧
口
修
造
쐍
7
︶
一
九
三
七
年
同 九
人 月
語 の
大
岡
信
他
監
修
コ
レ
ク
シ
ョ
ン
・
瀧
口
修
造
︵
一
二
︶
み
す
ず
書
房
、
一
九
九
三
年
︵
一
〇
九
頁
︶
。
麺
麭
に
掲
載
さ
れ
た
、
一
九
三
七
年
七
月
発
行
の
シ
ナ
リ
オ
研
究
第
二
冊
夏
の
号
広
告
文
よ
り
引
用
。
杉
本
峻
一
、
そ
し
て
瀧
口
修
造
が
参
加
し
て
お
り
、
会
友
と
し
て
萩
原
朔
太
郎
、
神
原
泰
、
辻
久
一
、
清
水
光
が
名
を
連
ね
て
い
る
。
쐍
6
︶
シ
ナ
リ
オ
研
究
十
人
会
は
、
会
員
と
し
て
飯
田
心
美
、
井
原
彦
六
、
堀
場
正
夫
、
大
黒
東
洋
士
、
浅
野
晃
、
沢
村
勉
、
北
川
冬
彦
、
滋
野
辰
彦
、
쐍
5
︶
村
木
馨
文
学
シ
ナ
リ
オ
の
独
立
麺
麭
、
一
九
三
七
年
二
月
︵
六
一
頁
︶
。
쐍
4
︶
同
書
︵
一
七
三
頁
︶
。
쐍
3
︶
瀧
口
修
造
私
の
映
画
体
験
大
岡
信
他
監
修
コ
レ
ク
シ
ョ
ン
・
瀧
口
修
造
︵
六
︶
み
す
ず
書
房
、
一
九
九
一
年
︵
一
七
二
頁
︶
。
ン
に
引
き
渡
さ
れ
、
一
九
五
五
年
に
勅
河
原
宏
監
督
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制
作
編
集
し
な
お
さ
れ
た
。
卵のエチュード
(秋元)
쐍
쐍
2
1
の 一 折 加 ︶ 頁 ︶
︶
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口
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う
第
修
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造
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ち い
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超
、 ナ 完 は う
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昭 リ
、
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主
社 、 し 口 は
義
、 撮 た に
と
美
一 影
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の
六 本 斎 え 映
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詩
九 を
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年 書
宮
体
、 き 美 島 究
術
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会
一
五 、 映 義 の
大
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岡
頁 年 製 、 ル
ほ 作 末 ー
信
︶
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て ん 諸 正 に
監
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修
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塚 企
レ
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ク
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シ
っ る ク 、 れ
ョ
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ン
。 、 ョ 川 も
・
瀧 資 ン 透
瀧
の
口 金 ・
口
瀧 徹
た 難 口 、 で
修
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造
が た 造 谷 り
︵
撮 め ︵ 川 、
一
影 中 六 三
︶
し 断 ︶ 郎 い
み
た 挫 、 、 ろ
す
フ 折 三 村 い
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ろ
ィ
治
二
書
ル ︵ 六 夫 の
房
立
ム 瀧 頁
、
は 口 ︶ だ 場
一
、 修 。 っ で
造
九
と た こ
別
九
の 自 こ ︵ の
一
プ 筆 ろ 瀧 映
年
ロ 年 が 口 画
︵
ダ 譜 、 修 の
三
一 造 計
ク
画
九
九
シ
三
ョ 本 五 挫 に
198
注
と
瀧
口
と
の
流
か
ら
生
ま
れ
た
作
品
の
析
・
解
釈
を
挙
げ
て
お
き
た
い
。
北海学園大学人文論集
쐍 쐍
쐍
쐍
1
5
1
81
7
1
6
︶ ︶ 巻 ︶ 五 ︶ 作
品
頁
瀧 で
ダ 前 み 瀧 ︶
。 口 あ
リ 掲 す 口
は 書 ず 修
修 る
造 。
当 、 書 造
初 瀧 房
シ
、 口 、 フ
ブ 修 一 ラ
ュ
ニ 造 九 ン
ル
ュ
レ
九 ス
エ シ 八 新
ア
ル ュ 年 興
リ
と ル ︵ 美
ス
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ム
に ア 頁 展
十
こ リ ︶ を
年
。
の ス
見
の
映 ム
る
記
画 の
の 動
主
大
制 向
と
岡
作
し
信
に
て
他
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超
監
レ
わ
現
修
ク
っ
実
シ
た
主
コ
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義
レ
ン
の
の
ク
の ・
作
シ
、 瀧
品
ョ
そ 口
に
ン
の 修
・
つ
途 造
瀧
い
中 ︵
口
て
一
で
修
一
二
造
大
人 ︶
︵
岡
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一
信
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三
他
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︶
監
が 八
修
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悪 頁
す
化 ︶
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ず
し
レ
書
た
ク
房
こ
シ
、
と
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一
に
ン
九
よ
・
瀧
九
っ
五
口
て
修
年
、
造
︵
こ
三
の
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五
映
1
97
ボ
ー
フ
オ
ビ
ス
ト
︶
、
ツ
ク
︶
、
立
体
派
︵
キ
ユ
ビ
ス
ト
︶
、
新
自
然
派
︵
ネ
オ
・
ナ
チ
ユ
ラ
リ
ス
ト
︶
、
社
講
堂
で
催
さ
れ
た
。
こ
の
展
覧
会
の
目
録
に
よ
る
と
、
こ
の
と
き
出
品
さ
れ
た
の
は
音
楽
派
︵
ミ
ユ
ジ
カ
リ
ス
ト
︶
、
写
実
派
︵
レ
ア
リ
ス
ト
︶
超
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東 ︵ 派
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品 ー ユ
作 ル リ
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あ ア ︶
る リ 及
斎 ス 新
藤 ト 造
五 ︶ 型
百 、 派
枝 新 ︵
と 野 ネ
峰 獣 オ
・
岸 派 プ
義 ︵ ラ
一 ヌ ス
の ー チ
そ
の
後
大
阪
、
京
都
、
名
古
屋
、
金
沢
、
福
岡
、
熊
本
、
大
連
で
の
展
示
を
経
て
、
一
九
三
三
年
二
月
一
五
日
か
ら
二
月
二
一
日
ま
で
福
岡
日
日
新
聞
쐍
쐍
1
4쐍
2쐍
1
1
1
31
︶ ︶ ︶ ︶
巴
里
・
東
京
新
興
美
術
展
覧
会
は
、
一
九
三
二
年
一
二
月
六
日
か
ら
一
二
月
二
〇
日
に
か
け
て
上
野
園
内
の
東
京
府
美
術
館
で
開
催
さ
れ
、
前
掲
書
、
瀧
口
修
造
LeSur
r
썝
eal
i
s
mee
t
쐍
20 쐍
1
9画
︶ ︶ に
前 前 関
掲 掲 わ
書 書 っ
、 、 た
ダ 瀧 こ
リ 口 と
作 修 を
・ 造 否
瀧
定
口 シ し
修 ュ て
造 ル い
訳 レ る
ア 。
ラ リ
フ ス
ァ ム
エ の
ル 動
前 向
派
に
現 コ
れ レ
た ク
永 シ
遠 ョ
の ン
女 ・
性 瀧
の 口
亡 修
霊 造
的 ︵
シ 一
ュ 一
ル ︶
レ ︵
ア 三
リ 二
ズ 五
ム 頁
︶
。
コ
レ
ク
シ
ョ
ン
・
瀧
口
修
造
瀧
口
修
造
瀧
口
修
造
SALVADOR DALI
쐍
22 쐍
21 ︵
︶ ︶ 一
他 前 二
︶
に 掲 ︵
も 書 一
、 、
八
瀧 ダ
口 リ 七
は 作 頁
三 ・ ︶
。
〇 瀧
年 口
代 修
、 造
そ 訳
の
様 真
々 珠
な 論
著
作 コ
物 レ
に ク
お シ
い ョ
て ン
、 ・
ダ 瀧
リ 口
お 修
よ 造
び ︵
そ 一
の 三
芸 ︶
術 ︵
を
以 五
下 三
四
の 頁
よ ︶
う 。
に
熱
心
に
紹
介
し
て
い
る
。
第 60号(20
16年3月)
異
邦
人
大
岡
信
⋮ 他
⋮ 監
修
コ
レ コ
ク レ
シ ク
ョ シ
ン ョ
・ ン
瀧 ・
口 瀧
修 口
造 修
︵ 造
一 ︵
一 一
︶ 一
︵ ︶
二 み
七 す
二 ず
頁 書
︶
。 房
、
一
九
九
一
年
︵
五
二
三
頁
︶
。
大
岡
信
他
監
修
コ
レ
ク
シ
ョ
ン
・
瀧
口
修
造
︵
九
︶
み
す
ず
書
房
、
一
九
九
二
年
︵
二
六
三
頁
︶
。
︵
四
八
︶
瀧口修造のシネ・ポエム
︵
四
九
︶
リ
ヱ
、
一
九
三
九
年
一
月
︶
、
こ
の
他
に
も
、
本
稿
で
取
り
ダ 上
リ げ
の た
近 ダ
況 リ
︵ の
み 形
づ 態
ゑ 学
、 ︵
一 み
九 づ
三 ゑ
九
年 、
七 一
月 九
︶ 三
等 八
、 年
お 六
よ 月
び ︶
、 、
戦
前 の
に
お 造
け 者
る
瀧 サ
口 ル
の バ
代 ド
表 ー
的 ル
著 ・
作 ダ
近 リ
代 ︵
芸
術 ア
ト
諸
問
題
︵
六
∼
三
七
年
︶
に
触
れ
、
絵
画
リ
カ
で
の
活
み
動
づ
を
ゑ
紹
介
︶
、
で
同
は
年
、
絵 怪 一
画 物 一
月
の 、
内
乱 生 海
の
外
予 ︵ 前
感 一 衛
九
︵ 三 美
一 七 術
九 年 消
三 ︶ 息
六 ・ ︵
年 狂 み
︶ 燥 づ
を 性 ゑ
取 の
り 恋 ︶
に
上
げ ︵ お
て 不 い
、 明 て
こ ︶ 、
の を 初
絵 挙 め
の げ て
タ て ダ
イ い リ
ト る の
ル 。 絵
の 一 画
誤 九
訳 三 ナ
を 八 ル
指 年 シ
摘 四 ス
し 月 の
て 、 変
い 前 貌
る 衛 ︵
。 芸 一
術 九
の 三
196
る
可
食
性
に
つ
い
て
書
い
た
文
章
を
紹
介
、
同
年
七
月
、
超
現
実
主
義
の
国
際
的
歓
︵
セ
ル
パ
ン
︶
に
お
い
て
、
渡
米
し
た
ダ
リ
の
ア
メ
ALBUM SURŔ
EALI
STE
쐍
2
7쐍
26 쐍
25 쐍
24 쐍
2
3︵
︶ ︶ ︶ ︶ ︶ 三
笠
同 前 同 前 前
書 掲 書 掲 掲 書
房
︵ 書 ︵ 書 書
、
一 、 三 、 、 一
一 岩 三 瀧 瀧
九
一 崎 〇 口 口 三
頁 美 頁 修 修 八
︶
︶ 造 造 年
。 弥
子
サ 夏 九
卵
ル の 月
の
ウ 触 ︶
エ
ァ 媒 に
お
チ
ド
ュ
ル コ い
ー
・ レ て
ド
ダ ク 、
リ シ ダ
の ョ リ
瀧
形 ン を
口
態 ・ 紹
修
学 瀧 介
造
し
口 て
沈
コ 修 い
黙
レ 造 る
す
ク ︵ 。
る
シ 一
球
ョ 二
体
ン ︶
・ ︵
︵
瀧 一
一
口 四
一
修 五
八
造 ∼
頁
︵ 一
︶
。
一 四
二 六
︶ 頁
︵ ︶
三 。
三
五
頁
︶
。
卵のエチュード
緒
言
︵
み
づ
ゑ
リ
の
詩
集
愛
と
記
憶
︵
一
九
三
一
年
︶
を
脚
注
で
紹
介
し
、
シ
ナ
リ
オ
臨
時
増
刊
号
︶
に
お
い バ
て バ
、 ウ
オ
作
家 ︵
の 一
言 九
葉 三
二
と 年
し ︶
に
て 初
、 め
ダ て
リ 言
が 及
絵 し
画 て
に い
描 る
く 。
対 三
象 七
の 年
い 五
わ 月
ゆ 、
た
著
作
物
と
し
て
、
ダ
リ
の
最
初
の
著
作
(秋元)
の
晩
鐘
の
悲
劇
的
神
話
を
予
告
、
同
年
九
見 月
え
る 超
女 現
実
に 造
収 型
め 論
ら
れ ︵
た み
エ づ
ッ ゑ
セ
イ ︶
に
腐 お
れ い
る て
驢 、
馬 い
わ
︵ ゆ
一 る
九
三 偏
〇 執
年 狂
︶ 的
を 方
紹 法
介
す が
る 初
と め
と て
も 提
に 示
、 さ
ダ れ
派 リ 瀧
︵ の 口
詳 修
セ し 造
ル い ︵
パ 紹 一
ン 介 一
︶
︶ を
に す 三
お る 五
い と 六
て と 頁
、 も ︶
に と
非 、 い
合 ダ う
理 リ 一
性 作 文
の 絵 を
征 画 紹
服
夕 介
︵ 暮 、
一 れ 三
九 の 五
三 間 年
五 歇 三
年 遺 月
︶ 伝
シ
を
、 ︵ ュ
ダ 一 ル
リ 九 レ
の 三 ア
近 三 リ
著 ∼ ス
と 三 ム
し 四 美
て 年 術
紹 ︶
を の
介 紹 新
す 介 動
る 、 向
と 三 ︵
と 六
も 年 セ
に 五 ル
、 月 パ
次 、 ン
作
︶
と 超 、
し 現 に
て 実 お
派 い
ミ と て
レ 抽 、
エ 象 ダ
の
詩
句
と
し
て
、
熱
し
た
無
数
の
種
族
の
獣
の
背
に
は
、
有
名
な
湖
水
と
そ
れ
か
ら
別
な
種
類
の
薄
明
と
が
描
か
れ
て
い
た
︵
コ
レ
ク
シ
ョ
ン
・
一
九
三
四
年
五
月
、
シ
ュ
ル
・
レ
ア
リ
ス
ト
の
文
章
︵
日
本
現
代
文
章
講
座
第
八
巻
、
厚
生
閣
︶
に
お
い
て
、
エ
リ
ュ
ア
ー
ル
が
選
ん
だ
ダ
リ
北海学園大学人文論集
バ
バ
ウ
オ
︵
一
九
三
二
年
、
パ
リ
、
カ
イ
エ
・
リ
ー
ブ
ル
쐍
3
4쐍
3
3知
︶ ︶
ら
山 前 せ
中 掲 る
散 書 の
生 、 に
千 、
シ 葉 す
ュ 宣 く
ル 一 な
レ
か
ア 滝 ら
リ 口 ず
ス 修 役
ム 造 立
っ
資 国 た
料 文 よ
と 学 う
回
で
想 解 あ
︵ 釈 る
一 と ︵
九 教 同
一 材 書
頁 の 、
︶ 研 一
で 究 五
は
四
、 쐕 頁
こ 現 ︶
の 代 と
本 詩 自
の の 負
図 1 し
録 1 て
に 0 い
付 人 る
け を 。
ら 読
れ む
た ︵
七
バ 四
バ 頁
ウ ︶
。
オ
と
い
う
書
物
︵
図
版
年
︶
に
お
い
て
、
本
書
の
出
版
は
、
日
本
に
お
い
て
シ
ュ
ル
レ
ア
リ
ス
ム
が
受
け
入
れ
ら
れ
て
い
る
こ
と
を
、
海
外
の
シ
ュ
ル
レ
ア
リ
ス
ト
た
ち
に
で
あ
る
。
表
紙
の
絵
と
構
成
は
、
下
郷
羊
雄
が
担
当
し
て
い
る
。
山
中
散
生
は
シ
ュ
ル
レ
ア
リ
ス
ム
資
料
と
回
想
︵
美
術
出
版
社
、
一
九
七
一
ペ ま
ル レ た
ネ
作 ツ
・ ァ
マ 山 ラ
グ 中 作
リ 散 ・
ッ 生 瀧
ト 訳 口
・ 詩 修
造
ホ 二
訳
ア 篇
ン 、
瀧 夜
ミ 口 の
ロ 修 略
造 説
・
七
パ つ 抄
ブ の 、
ロ 詩 エ
リ
ピ が ュ
カ 掲 ア
ソ 載 ー
さ
・ れ ル
作
マ た ・
ン 。 葦
こ ノ
レ れ 原
イ は 鶴
、 蔵
・
サ 訳
イ ル
ヴ バ
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35 動 ア 版
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第 60号(20
16年3月)
︵
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瀧口修造のシネ・ポエム
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52
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