日仏会館食品安全講義録 日仏会館食品安全講義録(4月20日) 4月20日) 食品安全制度の日、欧、米比較 食品安全制度の日、欧、米比較 高橋悌二 , 東京大学農学部大学院講師 食品安全制度の根本的な改正 1996年にヨーロッパにおいてBSEが人間に感染することを公式にイギリス政府が 認めて以来、また、日本においてはEUの警告があったにもかかわらず、2001年にB SEが発生して以来、今までの食品安全制度の根本的な見直しが行われました。 この新しい食品安全制度の特徴は、科学の原則を重視し、リスク分析手法を食品安全の 基礎としたことです。御承知のようにリスク分析手法は、リスク評価、リスク管理及びリ スクコミュニケーションから成ります。つまり、食品安全措置は厳密にリスク評価による 科学的証拠に基づかなければならないということです。第2番目はリスク評価機関とリス ク管理機関の分離です。つまり、リスク評価機関が業界や政治的な思惑から独立して評価 ができるようにするということです。第3番目は、農場から食卓までのすべての段階で安 全措置を実施することです。 食品安全の定義 食品安全措置は科学的証拠に基づかなければならないといっても、 、消費者を含め、多く の人は、心理的、文化的、社会的要素がからむ個人的な考えや価値観も視野に入れてリス クを判断するのが一般的です。一方、科学者は、このような価値観に惑わされず判断を下 すのがベストと考える傾向にあります。これは、アメリカのマリオン・ネスレのほか多く の人が言っていることであります。 食品安全政策をとる時その基礎となる食品安全とは何かは、科学原則(リスクが起きる 科学的確率)に加えて、消費者が考慮する以上のような要素をどのように食品安全制度に 採り入れるかによって異なってきます。 日本、EU及びアメリカの食品全制度はこの点で食品安全に関する考え方がそれぞれに 異なり、それに従って、食品安全制度が異なります。 EUの食品安全 まず、EUから見てみましょう、EUは、2002年に食品法の一般原則を定める規則 を採択しました。その基本的目的は、高度の食品安全(sécurité alimentaire au niveau élevé) です。この目的を達成するためには今申し上げた消費者が考慮する心理的、文化的、社会 的な要素をかなりの程度考慮して、消費者の信頼を得る、あるいは消費者の信頼を回復す 1 ることを重視したものです。 従って、科学の原則を基礎としつつも、予防原則(principe de précaution)や、トレー サビリティを食品法の重要事項として取り入れました。予防原則とは、科学的証拠が不確 実であっても、危害が予測される時に予防的に臨時措置をとることができることを原則と するというものです。確かに、科学的証拠には限界もあり、BSEの場合のように長い間 科学的証拠がはっきりしない場合や、科学が発展すれば変わり、また、科学者によって意 見が異なることもあります。アメリカはこの予防原則に強力に反対しています。 トレーサビリティは皆様ご承知のことと思います。トレーサビリティはヨーロッパで発 展してきたものです。フランスでは今から約100年前のワインの原産地呼称法に採り入 れられておりました。ただ目的はワインの表示の信頼性の確保でした。EUはトレーサビ リティを重視しており、厳格なものから緩やかなものまで含めて多くの産品について重層 的にトレーサビリティを義務付けています。 また、リスク評価に基づいて措置をとる場合、リスク評価以外にその他正当な事項が考 慮(autres facteurs légitimes)できるという考え方もとられています。つまり、食習慣や、 文化的、歴史的、あるいは環境的要素も必要な場合には考慮して食品安全措置をとるとい うものです。これについても国際的には意見の分かれているところです。 さらに、EUで取られた措置は、消費者の知る権利の尊重です。これも食品安全に関す る消費者の信頼を確保するためであります。リスク分析手法からは導き出せない措置です。 一例としては、基本的に例外のないGMO表示であります。最近では、生鮮食品と一部加 工食品に対する原産国表示の義務付けを検討することとなりました。 日本の食品安全 次に日本の食品安全についてです。日本は2003年に食品安全基本法が制定され、こ の法律に食品安全の基本的考え方が示されています。EUと異なる点は、食品安全措置と はリスク評価を受けた措置のみとしていることです。食品安全基本法第11条をんでいた だくとわかります。したがって、トレーサビリティなどは食品安全にとって絶対に必要な ものでなく、法律による規制ではなく、民間で自主的に行われるべきものとの位置付けに なっています。日本ではGAPも民間の措置であり、農家段階での農薬使用の記録も法的 義務ではなく民間で自主的に行われる措置です。EUは法的義務です。このように考える と日本の食品安全の定義はEUと比較し狭いと思います。 したがって、消費者の信頼を得る措置あるいは安心の措置は法律の対象ではないとした 2 と解釈されます。これは、狂牛病発生後、新しい食品安全制度を構築するに当たって、E Uやアメリカが発展させてきたリスク分析手法のみにとらわれ、消費者が重視する食品安 全上の心理的、文化的、社会的要素を十分考慮しなかったといえるでしょう。 このような状況ですから、消費者団体の幹部までが「安心は心の問題である」などとい い、あたかも食品安全行政の対象に値しないような発言をしていました。科学的なリスク 評価を重視する人は、このような考慮は物事を混乱させるだけであると考える傾向にあり ます。 しかし、日本では、法律では軽視されましたが、トレーサビリティや原産はどこか、誰 が作ったのか、どのように作られたのかなどの安心の措置は重視され、NPOを含み民間 でそれぞれ活発に実施されています。食品衛生法を補完する形で、一部JAS法の下でも 行われています。それらは、品質表示基準としてのGMO表示義務、生鮮食品と一部加工 食品の原材料の原産地表示、また、トレーサビリティの一形態としての取引における原材 料表示義務などです。これらは消費者の知る権利にも対応しているものといえます。 なお、予防原則については、日本では法律上明確ではありません。食品安全基本法にお いては、リスク評価をする暇がないときは、臨時に措置をとることができると規定されて いるのみです。 アメリカの食品安全 最後にアメリカの食品安全制度です。アメリカは非常に明快です。 リスク評価に基づく科学的根拠がない食品安全措置は、意味がないし、効率を阻害した り、貿易障害となるのでとってはならないということを基本としています。したがって、 予防原則は受け入れられないと主張しています。また、社会的、文化的、歴史的などの要 素は、食品安全とは関係のないことであり、これを考慮すると混乱するので、できるだけ 考慮すべきではないとしています。考慮するとすれば、費用と便益です。つまり、リスク を回避するのにどのくらいのコストがかかるかということです。 アメリカでもう一つの特徴的な考え方は、どのように生産されたか、流通したかは問題 としない。つまり行政は介入しないことを原則としていることです。最終製品が安全であ ればよいのであって、安全は最終製品のチェックによって確保できるということです。た とえば、GM表示について、実質同等ということで安全は確認されているのでどのように 生産されたのかつまりGM技術によって生産されたことを表示する必要はないとしている わけです。また、トレーサビリティもこのような考え方に立って必要ないとしていました。 以上のようにアメリカの食品安全の定義は非常に狭いのですが、最近大きく変わりつつ あります。その背景には、バイオテロを含む輸入食品の安全に対する不安と、一向に減ら ない、むしろ増加している食中毒の頻発であろうかと思います。2002年成立のバイオ 3 テロリズム法によってトレーサビリティがすべての食品と飼料に義務付けられました。時 間があればアメリカの変化につきまし後にご説明したいと思います。 以上、日、欧、米の食品安全制度の基本的な違いを述べてきました。世界はグローバル 化しており、食品安全制度はほぼ同じかと思われるかもしれませんが、このように大きな 違いがあるのです。この違いは、消費者が重視する事項をどの程度取り入れるかという問 題でもありますが、皆様既にお気づきかと思うのですが、効率と自由貿易をどの程度重視 するのかという問題でもあろうと思います。食品安全は、一見、科学の原則で達成できる ように思われますが、現実には先ほど申し上げました、文化的、歴史的、社会的要素のほ か業界の効率性を損なわないとか自由貿易を促進するなどの政治的・経済的要素がどうし ても絡んでくる複雑な問題なのです。 また、各国比較しますと、現在は、日本の食品安全制度が一番遅れているような気がし ます。トレーサビリティも法律上の義務ではありませんし、HACCP も義務ではありませ ん。したがって、食品安全の定義を見直し、消費者の信頼を得るという観点に立って、安 心の措置をどのようにとり入れるかを検討し、食品安全法などを改正すべきではないかと 思われます。 日、欧、米の食品安全に対する基本的な違いによって、具体的な食品安全措置に違いが 生じてきます。その例を二つ取り上げてみようと思います。それはGMO表示とアレルギ ー表示です。 GMO表示 第 1 のGMO表示です。日本のGMO表示制度は、ここに書いてあります。皆様御承知 のことと思いますので、詳しくはご説明しませんが、日本の制度は表示をしなくてもいい 例外が多いと思います。したがって、日本人は表示のないところでかなり多くのGM農産 物を原料とした食品を食べていることになります。もし、EUのようにすべて表示するこ ととし、意図しない混入率も0.9%としますと、納豆、豆腐や醤油、大豆油、トウモロコシ 油など植物油を食べなくなり、ひいては、食料が不足することになってしまいます。つま り、トウモロコシや、大豆を大量に海外に依存する日本では、GMO農産物からできた食 品であってもそれを食べるようにしないと食料が不足してしまいます。したがって、巧み に例外を設けているといってもよいと思います。日本の制度は科学の原則と経済的実態を 巧みに組み合わせたものといえます。 EUはどうでしょうか。EUは 2003 年に最終的な規則が採択され、GMOを含む食品、 GMO産品を原料とする食品はすべて表示義務とトレーサビリティ義務があります。日本 4 のようにGMOが残留していない場合は表示しなくてもよいということにはなっていませ ん。意図せざる混入の限度も.0.9%であります。EUがこのように厳しい表示規制を採用し ているのは、高度の食品安全の達成の方針に沿っているからであります。また、EUはG MO農産物やGMO食品を輸入しなくてもさして困らないという食料事情にあるからとも いえます。ただ、EUのこの厳しい表示規制は、GMO食品の輸入や流通を事実上禁止す るものであるとの批判もあります。 アメリカは、そもそも安全な食品を供給する義務は事業者にあり、FDAは、認可をし ません。協議を受けるだけで、最終的には企業の責任としています。ただ、BTコーンの ように農薬としての効果をもつものはEPAの認可が必要になります。協議や認可を経て 市場に出回るGM食品は従来のものと実質的に同等であり、安全が確認されているので、 GM食品であることを表示する必要は何らないという考え方がとられています。これは、 アメリカの原則であるどのように生産されたかを問わない、最終製品が安全であるかどう かであるとの方針に沿ったものであります。 しかし、アメリカのこの制度も消費者の知る権利を奪ったものであり、GM産業を保護 するためのものであるとの批判もあります。 アレルギー表示 次の例がアレルギー表示であります。アレルギー表示は比較的新しい表示です。 加工食品にアレルギー物質を産品の原料としている場合、それを表示しなければならな いというものです。 日本では、義務表示対象産品は、卵、牛乳、小麦、そば、落花生 えび、かにの 7 品目 です。また、表示が推奨される産品は、この表にありますように、アワビなど 20 品目 ほどです。 EUはどうでしょうか、12 品目とそのそれを原料とする加工品が表示義務となってい ます。 アメリカは、は 8 品目が表示義務となっています。 これを、比較しますと、EUが高度の食品安全という目的から、また、消費者への 情報提供という立場から比較的多くの品目を表示義務としています。アメリカは、品 目数は少なくなっています。これは、リスク評価をしてみて科学的根拠がはっきりし ているものは表示義務としたがそうでないものは義務としなかったということであ りましょう。日本は、義務表示品目は少ないのですが、推奨品目はかなり多くなって います。推奨品目とは何のことかよくわかりません。腰の定まらない規制だと思いま す。極めて日本的でこのような規制も日本文化を反映したものといえるでしょう。 5 輸入食品の安全確保 農産物と食品の輸入が多い日本では、輸入食品の安全を確保することは極めて重要 です。しかし、EUやアメリカと比較し、遅れているといわざるを得ません。 日本は水際での検査に依存しすぎていると思います。消費者グループの皆さんも学 者の皆さんも、検査率が落ちた、十分な検査官が確保されていないと嘆きますが、確 かに検査率などはこれ以上落とさず、引き上げることは必要です。しかし、輸入量が 多くなり、輸入申告数が急速に増大する中で検査率を大幅に上げることは極めて難し いのです。 それでは、EUやアメリカはどうしているのでしょうか。EUを見ますと、まず、 2002 年の食品法の一般原則を定める規則には、EUと同等の食品衛生規則が適用さ れていない国からの輸入は認めないとの基準がうたわれております。したがって、E UはHACCPをすべての業種と事業者に義務付けていますので、輸出国でHACC Pが適用されているかそれと同等のものが適用された食品しか輸入しないとしてい ます。さらに動物由来の食品つまり肉、魚からの食品は輸入施設を登録させ、登録に 当たってはEUが検査するというものです。さらに、EUに輸出できる国を指定する ことも行っております。さらに、EUは、畜産物について輸出国の輸出施設を検査し ております。 アメリカを見てみましょう。アメリカはバイオテロリズム法以来、急速に輸入食品 の安全対策を強化してきました。まず、海外の輸出施設をFDAに登録しなければな らないこととしました。アメリカがHACCP を義務としている食品の輸入は、輸出 国においてもHACCP 及び同等の制度が適用されていないと輸出できないとしてい ます。輸入品も含めアメリカ国内での流通にトレーサビリティを義務付けたことです。 さらに、農務省は食肉について輸出施設を検査しています。 なお、輸入食品の安全確保にとって、輸入業者を含む民間企業の果たす役割は非常 に大きいのです。政府の輸入検査のみでは達成できませんし、政府の権限は海外では 行使できません。しかし、民間企業では契約により海外の生産段階にまで介入できま す。この点ではヨーロッパ諸国において最近、民間による国際的な品質安全基準が発 展してきております。この基準を満たしていない産品は輸入しないという強制力があ ります。しかし、途上国からは貿易障害であるとの苦情も出ます。WTO でどのように 取り扱うかも問題となっています。 日本では、HACCPが法的義務となっておりませんので輸出国にHACCP 適用を 6 義務付けることができないばかりでなく、輸入食品の安全の基本原則が食品安基本法に 定められておりません。また、輸出施設を登録したり、検査することも基本的には行わ れていません。さらに民間においても、それぞれ契約によって輸出国の企業の検査など をしていると思われますが、内容が必ずしもよくわからない状態になっています。この ように見ますと、日本は、EUやアメリカのように水際検査だけに頼らず、輸出国の段 階での安全の確保も行うよう制度を改正する必要があると思います。 食中毒の発生 最後に食中毒についてみてみましょう。国によって大きな違いがあることが分かりま す。HACCP はアメリカの食中毒問題に対処するため発展してきた制度です。この表 を既にご覧になった方も多いと思います。アメリカが何故食中毒がこれほど多いのでし ょうか。日本は、海外に比べて非常に安全な国でしょうか。 アメリカのこの数値は報告実数をもとに綿密な推計を行って算出した数値です。日本 のもののみが医者、保険所、県を通して国に報告される実数値です。日本では多くの場 合この食中毒統計に載ってきません。専門家によれば日本でもアメリカと同じぐらいの 割合で食中毒が発生しているのではないかといっています。日本では、食品安全対策の 基礎となる食中毒の程度と原因を把握する努力を怠っているという人もいます。 アメリカは現在食中毒の頻発に悩んでおります。BSEどころではないのです。FD Aの体制の強化も叫ばれています。しかし、食品の製造段階ではリスク評価によって危 害の発生確率は極めて低く確保されているはずです。しかし、食中毒と人間との関係で みると発生率は25%にもなるのです。科学の原則で確保されている安全がなぜそのよ うになるのか、これをよく分析し、今後の食品安全対策を改善していかなければならな いと思います。 以上、日、欧、アメリカの食品安全制度についてご説明してきましたが、それぞれの 社会的、経済的及び文化的背景の違いを反映し、制度がかなり異なることがお分かりい ただけたかと思います。食品安全措置は、国民の健康を守るため国の権限でとることが できるものであります。また、国際条約においても自由貿易の原則を適用しなくてもよ いとされています。それだけに、貿易障害となりやすく、食品安全措置に関する協定が 1994 年にウルグアイラウンドの一環として成立しました。しかし、なお、国際的に対 立する問題も多いのです。 日本につきましては、ご説明しましたように、食品安全対策の多くの分野でEUやア メリカと比較して遅れてきています。日本は安全であるといっても安心してはならない と思います。今後、早急に安全制度の見直しを行う必要があるように感じる次第です。 7 8
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