かるた 郷 土 史 丁目交差点付近から、私 見られる﹁山根街道﹂は、私部 山道を通って、傍示地区にあ 田・ 私 市・ 森 の 集 落 を 抜 け、 明 治 年 の﹃ 大 阪 府 史 ﹄に あ る、寝 屋 川 市 寝 屋 か ら、星 を 結 ぶ 道 を、地 元 で﹁ 山 の 根 寺・森の各地の古社寺や遺跡 これらの道のほかに、枚方 市津田から東倉治・神宮寺・ 番 外 編 其 之 二 部・倉治の集落を抜けて、枚 る奈良県との県境までの道が の道﹂と呼んでいた道があり る文があ 大道﹂ ﹁山の根 すじの大道﹂な どの名前の道 が登場します。 これらの道 は京都から紀 州高野山に通 じ る﹁ 高 野 街 道﹂のことだと 考えられ、交野 では郡津集落 から星田集落 の北を通る東 高野街道がこ れ、京都から鎌倉へ護送され 転覆を企てたとして捕えら されても不思議ではなく、道 中は悲惨なものであったとい います。 交野の春と嵐山の秋、京都 た。 山の紅葉と匹敵するほどでし り、当 時 か ら 交 野 の 桜 は、嵐 この文は、先ほど紹介した 藤原俊成の歌を元にしてお が浮かびます。 の対比は、その鮮やかな情景 の南の交野と北にある嵐山と ﹁あまのがわ﹂と聞いて、み なさんが最初に思い浮かべる ます。 れにあたります。 方市に入り、津田・藤阪・長 南山根街道です。 が 狩 り を す る 場 だ っ た た め、 また、交野が原を流れる天 野川の名称から、七夕伝説と る段の冒頭部分です。 る野﹂という意味です。 結びつけて、貴族たちの遊び り、多くの歌人や貴族が歌を 残しました。 ﹁またや見ん交野の御野の 桜がり花の雪ちる春の曙︵交 という藤原俊成の歌が、﹃新古 今和歌集﹄ に残されています。 ﹃ 太 平 記 ﹄巻 2 に、 ﹁落花の す。 太平記では、その道行をき よ う で、ぜ ひ、ま た 見 た い ︶﹂ らびやかな名文で飾っていま 野の桜の散るさまは雪の降る 俊基は倒幕の急先鋒であ り、護送される途中でいつ殺 心をくすぐる歌の題材とな これは、後醍醐天皇の側近 だった日野俊基が、鎌倉幕府 ります。 れ﹂と始ま 秋の夕暮 嵐の山の き て 帰 る、 紅葉の錦 く ら 狩 り、 の春のさ 迷う片野 雪にふみ 行﹄には﹁山の根道﹂ ﹁山根の また、江戸時代の学者であ る貝原益軒が書いた﹃南遊紀 36 一般の人の﹁ ︵狩りを︶禁止す 枚 方 市 の﹁ 禁 野 ﹂と い う 地 明の由来は、ここが貴族たち 山根街道には、別ルートの ﹁南山根街道﹂もあります。 境までの道のことです。 西 尾の各集落を通り八幡市との 交野・讃良郡役所統計書﹄に ささら め く り 交野郷土史かるたを地区別に紹介する﹁かるた郷土史 めくり﹂の第8回は、山や川など、自然にまつわる話を集 めた番外編です。 今回紹介するかるたの﹁かた野﹂は、交野市内に限らず、 天野川沿いから枚方市の禁野付近の、昔でいう交野が原 を意味します。平安京から近く、自然豊かな交野が原は、 あります。 年 の﹃ 大 阪 府 茨 田・ まった そのため、交野市内を通る 道には同様の名前がいくつか た。 どと呼ばれるようになりまし 皇族や平安貴族にとって人気の観光地となっていまし た。 交野東部の山々は、大阪府 と奈良県の境界である生駒山 地に属します。 この生駒山地の山すその集 落 間 を 人 々 が 行 き か う 道 は、 山の根元にある道という意味 明治 ない︶ 、印 南 野、交 野、駒 野、 のは、七夕伝説に登場する天 飛火野、しめし野、春日野、そ で、山根街道や山の根の道な の 川 で し ょ う か。織 姫 と 牽 牛 うけ野こそすずろにをかし こまの が、年に一度七月七日に天の けれ︵なんとなく風情を感じ い な み の 川に架けられたカササギの橋 る︶﹂と記しています。 意味します。 ﹁野﹂とは、人の手がかけら れていない広い土地のことを とびひの を 渡 っ て 出 会 う と い う 話 は、 中国伝来の天上界の話です。 しかし、交野では天野川を 挟んで、倉治にある機物神社 の織姫の神と、枚方の中山廃 寺の牽牛石の牽牛が、七夕の 日に出会うという地上の話に になっています。 天野川には七夕伝説のほか に、中国から伝わったとされ る羽衣伝説や、平安時代のプ レイボーイ、交野少将と娘の として挙げるほど、交野はす このころは、自然が手つか ずで残された土地も多い中 天野川はこのような恋の物 語が生まれるのにふさわし ばらしい景色だったのでしょ 悲恋話などが残っています。 い、美しい川であったようで う。 平安時代の貴族にとって良い ty 妙見の桜並木 ご好評をいただいております「かる た歴史ウオーク」は、 12 月・1 月はお休み させていただきます。 問い合わせ 文化財事業団(℡893・ 8111) で、清少納言が風情のある野 す。 風 情 あ る 野 に つ い て、 ﹁野は 狩り場でした。 お知らせ 4 22.11.01 (28) (29)22.11.01 平安時代の歌人である清少 歌や随筆で紹介されてい 納言は、著名な﹃枕草子﹄で、 た、交 野 が 原 は 自 然 が 多 く、 嵯峨野さらなり︵言うまでも 27
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