皆さん、おはようございます。そしてお帰りなさい。 前回は聖の水と書いて聖水という、ご先祖さまを救い導くための天道の聖水をご紹介し ました。今回も、聖水についてのお話しです。 天道の聖水には、八大龍王水、瑠璃の宝水、加賀御神水…とたくさん種類があります。 「禄存宝水(ろくぞんほうすい)」という聖水もその一つです。禄存とは、禄高の禄に存在の 存と書き、北斗七星の中にある禄存星が由来です。古来、北斗七星は北極星を中心に、 全宇宙を運行する星神として信仰されてきました。天道では、北斗七星の各星に合わせた 救い、解消すべき因縁が割り振られ、各々の特性に合わせて神々が配属されています。 禄存星には病の苦を癒し、その因縁を解消する役割があり、そこには玉皇山弥勒寺の分 院・聖宝珠院(せいほうじゅいん)が置かれています。禄存星の下で焚かれる護摩供を、禄 存宝珠護摩供(ろくぞんほうじゅごまく)と呼んでいます。「禄存宝水」とは、禄存宝珠護摩供 で祈祷される聖水の事です。その聖宝珠院は、五行を表す五つの御堂で成り立っていま す。この5つのお堂に集う神々が、前回お話しました「八大龍王水」や「瑠璃の寶水」「御神 水」をもととし、それぞれ得意の力を結集して、総合的に心身を浄化し、あらゆる病を癒す 効力を持っている聖水へとされています。その力は体の傷や病気だけでなく、心や精神の 部分の傷や病を癒し、また魂の部分の病も癒せると天道では考えております。 さて、この禄存の名を冠した聖水がもう一つあります。それを禄存五聖杯(ろくぞんごせい はい)と言い、五つの聖なる杯(さかずき)と書きます。禄存宝珠護摩供で祈祷されるものと、 それ以外の護摩供で祈祷されるもの、2種類があります。この聖水は五行の順行を願い、全 ての霊層の霊たちが天道に縁がつながるように祈りが込められています。それにより、順行 を失い、末難を招いた五行が順行を取り戻し、今の世の乱れをも解消する事となるのです。 天道には国内だけでなく、海外の拠点でも二つの聖水が湧き出ています。その一つが、 「界光水(かいこうすい)」です。世界の界に光の水と書きます。アフリカのウガンダにある天 道の聖界光院では、界光宇炎護摩供という護摩を焚きます。「界光水」とは、ウガンダで行 われるこの護摩供で祈祷され、アフリカに眠る古代の精霊の力を、万病平癒や自然の力の 回復などに向けた善なる力として呼び出し、人々の苦しみを癒します。 更にもう一つが、昨年7月に頂いたばかりの「龍華水(りゅうげすい)」です。龍華とは、龍 がたくさんの宝の花を吐き出す様子に喩えられる想像上の木・龍華樹からきています。そし て、お釈迦様が亡くなった後に、弥勒菩薩様がこの木の下で悟りを開き、三度にわたって 仏の法を説き、供養を行う集会を開いて人々を救うとの説話があります。この「龍華水」は、 台湾の新竹にある天道の聖龍華院が根元ですが、一つの水源に限定されるものではあり ません。神様のお諭しでは、「龍華水」は時空を超える存在で、特定の地に縛られず、その 法力は絶大。時を超えて全ての霊を集め、龍華樹の下で弥勒様が開かれる大団円の宴に 導くといわれるものです。そして、天道の親神であるラウム様との再会を祝する乾杯の聖水 となるのです。また、救いの法船を浮かべる水ともなって、目指す方へとこの船を押し進め る力を発揮し、またあらゆるものを根底より押し上げ、新たな境地へと引率するとも言われま す。 現在、「龍華水」は玉皇山弥勒寺の裏山からも水が引かれ、寺の敷地内の大麻池(おお あさいけ)より湧き出して全国の皆様にお分けしています。また行事の時には参拝者の 方々に振る舞われています。なお、これらの聖水は、飲むだけでなく、敷地に奉納する事も できます。そうして大地でも、土地神や縁ある霊と共に悪因縁や邪気が清められ、癒され、 力を取り戻し、活性化する力が宿ると考えます。また、そうした土地を清めることを目的とし て、田や畑等に直接撒いて奉納する聖水に「金剛甘露水」があります。 甘露とは、甘い露と書きます。天道では、霊を救い、土地を清め、大地の力を蘇らせる聖 水として、家の敷地や農地に直接奉納させていただいています。 以上、様々な聖水をご紹介しましたが、天道には、聖水に限らず多くの救いの道具を神 様より頂いています。しかし、それらの道具の主な法力は、奉納者のご先祖様の供養と願 いの成就です。先祖供養は、奉納される方の霊気を上げます。それは、人生に悪い影響を 及ぼしている霊体を救済することです。ご先祖様を供養することで、様々な願い事が自然と かなっていくといえます。 神様が願われているのは、人々の心が清まり、他のために力を尽くせる思いやりやいたわ りを養っていくこと、そして霊の救いです。諸願の成就は、霊を救うため、救われるためのも のであるといえます。最も大切なのは、何かを願うその過程で、祈願者自身がどれほど、 霊・心・体全般で成長したか、因縁の浄化をしたか、できたかであると天道は考えていま す。 日々を精一杯生き、様々な人生の岐路で選択をしていく中で、どれほど因業を浄化し、 つまり因縁を解消し、救いへと導いたか、それを自分自身と自分にかかわる霊体、そして 人々に分け与えたかが大切なのです。 生命の源は陽の気で、それが生命を育む力です。陽気が乱れ、陰の気に転じれば、身体 を動かす純粋なエネルギーである精霊の力も失われます。汚れたものへと変わってしまい ます。天道では、病とは、本来は陽であるべき気が陰へと転じ、その陰の気が滞った身体の 場所から発生すると考えます。精霊の気を体内に取り込み、気力を充実させて正しい生活 を送れば病を寄せ付けることもないといえます。しかし人は、日々いろいろな人と交わり、社 会的な活動を行う中で知らず知らずのうちにストレスを受け、それを溜め込んでしまいがち です。そうするとマイナス思考となったり、悪想念を発したりして、心身にある五行の調和が 乱れ、霊・心・体のバランスが崩れてしまいます。この時に病は、陰の気と共に生じると考え られます。 魂の救済に形はなく、それを形に表し世に示すのは人の努力です。神の力が宿る救いの 道具も、活かすのは人の思いやりと真心です。水は物質として捉えれば単なる水ですが、 そこに物質の概念を超越した力が加わる時、それは単なる水を超え、五行の全てを収め、 大きな霊力を発して広がります。そのためには、神と人と霊の結集した妙力が必要です。つ まり神の水も、用いる者によって、ただの物質的な水に過ぎないものとなるか、それとも用い る者の光によって、更に霊力を増すかが決まります。人や霊、世の中を潤し、本当の幸せを 行き渡らせる事ができるのが水の真の力です。 平成25年2月8日 旧暦壬辰歳12月28日 今日の徐言 『孝は万善の根源であり百行にまさる』 親に孝行することは、あらゆる善行のもっとも根源であり、もっとも基本となります。 孝を果たさなければ、百の行をおこなっても人道はまっとうできません。自分の源、根源で ある親を救わずして、いったい誰を救い、救霊したと言えるでしょうか。身近な祖霊を救うこ とは、親孝行の極致であり人道の最先端です。
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