日本の心を発信

坂井昔雅
杖をつきながらさまよう盲目の に、二歳ずつの違いで書隆、書晴
青年芸人・弱法師︵シテ︶。高安 の三人の男の子に恵まれた。﹁強
道俊︵ワキ︶は、人の謹言でわが 要したつもりはなかったが、そろ
って能への道を選んでくれた﹂と
子・俊徳丸を追放するが、悔いて
自宅に座敷舞台を構えるなど恵
天王寺で施しをしている。道俊の 目を細める音重。
前に現れた弱法師をわが子と知
って行く−。
人。﹁三番目が物心つくころに、
り、二人は連れだって故郷へと帰 まれた環境の中で育てられた三
芸を伸ばしてきた。
︵書雅︶といい、括抗するように
先月、東京・渋谷のセルリアン 父親は一斉に稽古をつけ始めた﹂
タワー能楽堂で開かれた第二回坂
井兄弟会で坂井音雅がシテを舞っ
三十代になった三人の力量を確
見られない女子高校生らの若い観 かめた父は満を持して、海外公演
た﹁弱法師﹂。普段の能楽堂では
客が目立った。﹁部活動の能楽部 なども含む活動母体として兄弟会
で坂井先生に鍛えられているんで を発足させ、第一回を昨年十二月
ク、気さく
の甘いマス
す﹂。色白
筒﹂のシテ
次男・音隆
が能 ﹁井
に開いた。
期待許ち/
な人柄。人
を舞った。
一、二回開く会では兄弟が順番に
第二回では書雅がシテ、今後年
気の先生な
橋掛かりから舞台に登場するシ
のだろう。
﹁家の芸が身に付いているだけ
テ柱を寺の石段に見立てて杖で探 シテを舞う予定だ。
ったり、人に突き当たって落とし
いが見もの。昔雅は﹁身は落ちぶ な舞台にも顔を見せ、どんな場合
た杖を探るなど、杖の象徴的な扱 に、端正な動き、観世流のいろん
粋な青年の悩みに魅力を持った﹂
日、岩手県盛岡市民文化ホールで
囲の評価も高い。書雅は十二月一
れながらも、信仰に強く生きる純 でも安心して見ていられる﹂と周
と語る。
橋﹂ ﹁道成寺﹂などを演じた。
和と父に師事。8歳で初シテ﹁経
正﹂を舞った。ほかに﹁乱﹂ ﹁石
︵富沢慶秀︶
たい﹂と書雅は力強く語る。
晴らしさを国内外に発信していき
﹁日本文化の持つ心の豊かさや素
げ、音雅を理事長に就任させた。
父はNPO法人・白翔会堂止ち上
さらに活動の場を広げようと、
入違之伝﹂のシテを舞う。
観世流宗家一門の重鎮、書次郎 開かれる﹁盛岡能﹂で﹁土蜘蛛卜
︵一九八二年死去︶、昔重等−ロに
続く坂井家三代目は、音雅を筆頭
さかい・おとまさ 1974年、
垂兄生まれ。シテ方観世流・坂井書
﹁家の芸が身に付き、端正な動き、安心して見てい
重の長男。観世流26世宗家・観世清
られる﹂と評価も高い坂井音雅=東京都渋谷区で
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