いのちの作法通信:PDF 4.9MB

記録映画制作西和賀後援会発足する
―
会長には高橋
繁町長
―
西和賀町の記録映画が制作されることにともない、町全体でこの映画を支援し盛り上げていくため
の組織の結成が待たれていましたが、8 月 10 日に「記録映画制作西和賀後援会」の設立総会が開か
れました。総会では、高橋繁西和賀町長を会長に選出し、映画を支援していく体制が整いました。
後援会では、今後の活動として映画制作のための募金集めを行うほか、映画制作に関してのさまざ
まな応援や、完成した映画のPRなどに取り組んでいく予定です。また、映画上映会などを通して、
映画スタッフと住民の皆さんの交流なども積極的に行っていきたいと考えています。
岩手・西和賀発 世界へ
第1号
2006.10.15
発行
「いのちの作法」通信
発 行:記録映画制作西和賀後援会 発行責任者:高橋典成
連絡先:〒029-5614 和賀郡西和賀町沢内字太田2−115 ℡ 0197‐85-2212
○ 記録映画制作西和賀後援会役員
会 長
副会長
〃
理 事
事務局長
高
太
早
佐
内
照
加
真
淀
高
注)(
橋
田
川
藤
記
井
藤
壁
川
橋
祖
正
一
正
富
久
信
典
繁(西和賀町長)
電(西和賀町社会福祉協議会会長)
剛(西和賀町教育委員会・教育委員長)
久(西和賀商工会長)
志(西和賀町老人クラブ連合会会長)
太(西和賀町身体障害者協議会会長)
子(西和賀町婦人連絡協議会会長)
男(西和賀町観光協会会長)
豊(湯田沢内若者による地域を考える会実行委員長)
成(ワークステーション湯田沢内事務局長)
)内は町内での主な役職
制作協力金募金のお願い
○
記録映画制作西和賀後援会では、この映画制作の支援のため、皆様からの協力金をお願いして
います。ご協力いただける方は、町内の各郵便局に備え付けている郵便振替用紙を使用の上、後
援会の口座にお振込みください。また、後援会の加入団体でも募金活動を行っております。詳し
いことは事務局までお問い合わせください。
○ 募金いただいた方は、完成した映画の上映会にご招待します。
(招待券は上映会の日程が決まっ
てからお届けします。
)
○ 5,000 円以上の募金者に対しては、完成した映画のDVDを贈呈します。
問合せ先
記録映画制作西和賀後援会事務局
〒029-5614 西和賀町沢内字太田 2−115
℡ 0197−85−2212 担当:都鳥
または 西和賀町役場行革推進室 畠山(℡ 0197−82−3286)まで
∼あとがき∼
「西和賀で映画の撮影してるんだと……。」という話は聞くものの、実際に何を撮っているのか、ど
んな内容なのか、ということは多くの方がご存じないと思います。内容については、出来上がるまでわ
からないというのが本当のところですが、映画について少しでも多くの情報をお伝えするために、この
通信を作成しました。第 2 号、第 3 号と続きますのでお楽しみに。
(H)
2006 年 8 月 5 日、記録映画「いのちの作法 沢内『生命行政』を継ぐ者たち(仮題)」の制作ス
タッフが西和賀町入りしました。北上市出身の双子の都鳥拓也・都鳥伸也兄弟(23 歳)が企画し、
昨年の夏から取材・調査が行われてきた本作品の撮影が一年後、遂に、始まりました。
幸い天候にも恵まれて、夏の暑い日々の撮影はあっという間に二ヶ月が経過しました。光寿苑
の盆踊り大会から始まり、全国の児童養護施設の子どもたちを西和賀町独自の人、自然、文化力
で受け入れる「全国・さわうちまるごと児童養護施設事業」や、湯川温泉郷でのきのこまつり…、
さらに、西和賀町の美しい風景を記録してきました。
制作スタッフは毎晩のように酒の勢いをかりて議論を重ねながら、時には、事務所を訪れた人
たちと一緒になって深夜まで語り合いながら、本作品の制作を進めてきました。
そして、その間、本当に多くの方々から励ましの声をいただきました。毎日のようにとうもろ
こしや美味しいトマトやナス、キュウリなどの差し入れもありました。本作品は多くの方の善意
に支えられながら、そして、自然や文化のあり方に教えられながら、共に制作しているのです。
気が付けば、夏の長期撮影もあと一ヶ月を切りました。制作スタッフは、町民の大きな期待を
受け止めながら、西和賀という地域に生きて『いのち』に向き合う人々の魅力や様々な活動を、
しっかりと見つめて、記録しています。
奥羽山脈の木々が色づき始め、黄金色の絨毯のような田圃では稲の収穫が行われています。景
観や人々の暮らしに、映画も惹きつけられています。
西和賀はいま、稔りの秋です。
都鳥兄弟に一問一答
スタッフ紹介 − 記録映画を制作するスタッフの皆さんをご紹介します。
みちのくの奇跡を世界へ発信する
ゼネラルプロデューサー
武重邦夫
『 い の ち の 作 法 』 は 岩 手 県 の 若 者 、 23 歳 の 都 鳥 兄 弟 に よ り 企 画 提 案 さ れ
たドキュメンタリー映画です。みちのくの誇りを広く日本全国に伝えようという壮
大な構想です。
その企画提案を都鳥兄弟から受け、正直のところ私は躊躇しました。<若い映画
人の育成と映画による地域創造>を目指した「映画制作研究所」 は昨年の秋に設立
したばかりです。夢と情熱と第1級の技術力は持っているが、豊富な資力など在る
筈がありません。制作に踏み切るか否か、とても難しい選択でした。
しかし、振り返って見れば、私たちや子供や家族が生きている日本や世界の混迷は目を覆うばかり、人間が人間
としての尊厳を手放しそうな現実が目前に迫っております。こうした時代に、「人間の尊厳」 を町是の第一義に掲げ
た西和賀町の人々の存在は奇跡としか思えません。世界数万の自治体の何処にも見当たらない勇気ある挑戦です。
「人間の尊厳」 を静かに紡ぎ続ける小さな町とそこに住む人々…。
みちのくの誇りは私たち日本人の誇りであり、 世界の人々への希望の光です。世界に誇れる素晴らしい作品が出
来ると確信しています。
1939 年 愛知県生。
1965 年 今村昌平監督に師事し、今村プロ結成に参加する。
1975 年 今村監督と共に横浜放送映画専門学校(現・日本映画学校)創立。
監督、プロデューサー、日本映画学校顧問・演出講師。
センストン映画制作研究所代表。
【主な作品】
70 年 『黒念仏殺人事件』
(戯曲) 芸術祭奨励賞
80 年 『ユリ子からの手紙』(監督)
94 年 『民と匠の伝説』(監督) 文部大臣賞
03 年 『掘るまいか』(プロデューサー)
−この映画をつくろうと思ったきっかけは?−
−若い映画人としてこの仕事についての感想は?−
旧沢内村の深沢村長について書かれた「村長ありき」
と古本屋で偶然出会ったことです。自分たちが生まれた
北上市の隣にこんなすごい村があったのか、という驚き
と感動で、いつか沢内村を題材とした映画をつくりたい
と思っていました。
映画学校の恩師である武重さんが、日本の誇りを映画
に残すためそれにふさわしい企画を募集しているのを知
り、沢内をテーマにして書いた僕たちの企画書が認めら
れて映画制作がスタートしたのです。
監督の小池さん、カメラマンの一之瀬さんは、ドキュ
メンタリー映画の世界では一流の方々です。そうした
方々と仕事ができるのは光栄なことですし、一緒に生活
をしていて学ぶことがとても多いです。23 歳でこんな体
験ができるなんて、僕たちは本当に恵まれていると思い
ます。
全てがはじめての体験ですし、毎日新鮮な感動を覚え
ています。この映画制作が終わったあとは、地元で映画
会社を立ち上げて、地域の映画作りをしていくつもりで
すので、今回の経験が大きな財産になると思います。
−製作に当たっての苦労はどうでしたか?−
−今後の予定はどうなっていますか?−
隣町といっても、西和賀町のことは何も知りませんで
したから、昔の広報誌やいろいろな資料を読んで勉強す
るところからはじめましたが、短い期間での作業でした
から大変でした。
実際に西和賀町での事前取材にも何回か入りました
が、町役場でも好意的に応じていただき、取材させてい
ただいた方々も親切な方ばかりで、準備はとてもスムー
ズにいったと思います。
−実際に西和賀町に入って感じていることは?−
プロデューサー
都鳥拓也/都鳥伸也
1982 年 岩手県生まれ
2004 年 日本映画学校
を卒業。
その後、武重邦夫氏
が主宰するスーパース
タッフプログラムの研
究生となり、本企画を
提出する。
故郷・岩手県の誇り
を映像化するため、現
地を奔走している。
監督
小池征人
1944 年 満州生まれ
現在、日本映画学校・
人間研究講師を担当。
【主な作品】
89 年『脱原発元年』 毎
日映画コンクール記録
文化映画賞
93 年『免田栄・獄中の
生』毎日映画コンクー
ル記録文化映画賞
03 年『白神の夢‐森と
海に生きる』ほか多数。
撮影
一之瀬正史
1945 年 山梨県生まれ
【主な作品】
78 年 『わが街わが青
春∼石川さゆり水俣熱
唱』(監督・土本典昭)
97 年 『ナージャの村』
(監督・本橋成一) 日
本映画撮影監督協会
JSC 賞受賞
03 年『白神の夢-森と海
に生きる』
(監督・小池
征人)ほか多数。
録音
若林大介
1978 年 東京都生まれ
2001 年 日本映画学
校(13 期生)を卒業。
録音ゼミ卒業後フリ
ー。録音助手を経て、
現在デジタル化した日
本映画学校の録音スタ
ジオの管理、及びデジ
タル録音の指導を務め
る。
助監督
中越信輔
1982 年 高知県生まれ
2004 年 日本映画学
校を卒業。
日本映画学校では 16
期生・卒業制作『蛍の
瞬間』の脚本・監督を
務める。その後、武重
邦夫氏が主宰するスー
パースタッフプログラ
ムの研究生となり、本
企画に参画する。
撮影は長期間になりますので、まずは住むところから
探さなければなりませんでした。僕たちは資金もあまり
ないので、かなり無理なお願いをしましたが、太田の深
沢弥右ェ門さんが旧家を快く貸してくれることになり、
本当に感謝しています。
食事のお世話も太田の米沢洋子さんにお願いをし、僕
たちのお母さんみたいな存在になっていますし、大家さ
んや近所の方々、婦人会の方々などからもたくさんの差
し入れをいただいています。
身近な人たちとの交流や、撮影を通して接する西和賀
の人たちの心の温かさを実感しています。
それは、この地域が長い歴史の中で育ててきたものだ
と思いますし、そうした精神・心を現代社会に伝えるこ
とが僕たちの映画の目的でもあるわけです。
前期の撮影はいったん 10 月いっぱいで終わりとし、1
月、2 月に再び後期の撮影に入ります。春には最終撮影
合宿を行い、そのあと編集作業を行うわけで、最終的に
映画が出来上がるのは来年の年末あたりだと思います。
ただ、僕たちは来年の春以降もここに住んで、上映活
動も含めて 3 年ぐらいは仕事を続ける予定ですので、よ
ろしくお願いします。冬の西和賀は初めての経験なので、
正直言ってちょっと雪が怖いかなと思いますが、それも
また貴重な経験ですよね。
−最後にお二人の見分け方を教えてください?−
僕たちは双子ということで、当人たちはずいぶん違う
顔だと思っているのですが、初めての人は見分けが難し
いですよね。髪を茶色に染めているのが兄の拓也です。
「チャタク」っておぼえてくださいね。
フィルム日誌 − スタッフは毎日、西和賀町をかけまわっていますが、撮影の中で印象に残ったいくつかのシーンを紹介します。 僕たちを町で見かけたら声をかけてくださいね。
8 月 7 日 光寿苑
老人養護施設・光
寿苑の『盆踊り大会』
でクランク・イン!
さんさの唄と太鼓が
鳴り響く中、お年寄
りと地域の人たちの
楽しんでいる姿を撮
影しました。
8 月 16 日舟っこ流し
新町で毎年行われ
る送り盆の伝統行事
『舟っこ流し』、藁舟
に立てられた蝋燭の
いのちの火 が幻想
的 な雰 囲気を 生み 出
しています。
9 月 3 日佐々木吉男さん
深沢村政時代の助役
『佐々木吉男』さんと、
畠山幸雄さんに清吉稲荷
でインタビュー。94 歳と
いう年齢を感じさせない
佐々木さんの話に引き込
まれました。
9 月 24 日 湯川ハウス
湯川温泉郷の奥の湯に
あるグループホーム『高
藤館(湯川ハウス)
』の休
日を訪れました。解放的
な空間の中、ボールで遊
ぶ入居者の笑顔が印象的
です。
岩手・西和賀発 世界へ
映画上映会を開催します
2007 年 2 月 3 日(土)
銀河ホールを会場に
後援会では、2 回目となる映画上映会を行います。8 月の第 1 回では、新潟県・旧山古志村を
描いた「掘るまいか」をごらんいただき、好評でしたが、今回の上映会では、小池監督と一之瀬
カメラマンの作品を中心に、数本を上映する予定です。
時間や上映作品については後日詳しくお知らせします。どうぞお楽しみに。
第2号
2006.12.25
発行
「いのちの作法」通信
発 行:記録映画制作西和賀後援会 発行責任者:高橋典成
連絡先:〒029-5614 和賀郡西和賀町沢内字太田2−115 ℡ 0197‐85-2212
北上市での支援要請−後援会長が工業クラブ、商工会議所等訪問
11 月 24 日、後援会長である高橋繁町長と都鳥兄弟が、北上工業クラブと北上商工会議所、北上青年
会議所を訪問し、映画への支援を要請しました。
北上市はプロデューサーの都鳥兄弟の出身地であり、西和賀地域とも歴史的・文化的に深い交流があ
ることから、10 月 5 日には高橋町長が伊藤彬・北上市長を訪れて支援要請を行い、快諾をしていただい
ています。今回は、北上市長と熊田淳・県南広域振興局北上総合支局長からの激励メッセージを添えた
要請書を携えての訪問となりました。
高橋町長は「北上と西和賀は昔から深いつながりがある。今回の映画についても、北上の青年が西
和賀の映画を撮るというすばらしい企画に対し、北上と西和賀が力を合わせて応援をしていきたい。」と
それぞれの団体の代表や役員の方々に要請書を手渡し、支援をお願いしました。
後援会からの要請に対し、3 団体とも前向きに検討することを約束していただいたことは、今後の活
動に大きな弾みがつくものと期待されます。
制作協力金募金のお願い
○
記録映画制作西和賀後援会では、この映画制作の支援のため、皆様からの協力金をお願いしてい
ます。ご協力いただける方は、町内の各郵便局に備え付けている郵便振替用紙を使用の上、後援会
の口座にお振込みください。また、後援会の加入団体でも募金活動を行っております。詳しいこと
は事務局までお問い合わせください。
○ 募金いただいた方は、完成した映画の上映会にご招待します。(招待券は上映会の日程が決まっ
てからお届けします。
)
○ 5,000 円以上の募金者に対しては、完成した映画のDVDを贈呈します。
問合せ先
記録映画制作西和賀後援会事務局
〒029-5614 西和賀町沢内字太田 2−115
℡ 0197−85−2212 担当:都鳥
または 西和賀町役場行革推進室 畠山(℡ 0197−82−3286)まで
∼あとがき∼
今年もあとわずかとなりました。あまり明るい話題の無かった今年ですが、新生・西和賀町に飛び込
んできた映画制作の企画は、映画を通して町づくりにも大きな効果をもたらしてくれるはずです。1 月
からは冬の撮影が始まります。映画パワーで来年はきっといい年になりますよ(^_^)。 (H)
支援会議関係者と撮影スタッフ
いよいよ12月を迎え、西和賀の山々も雪に覆われて冬の厳しさを感じさせるようになりました。
今年8月から始まった記録映画『いのちの作法 沢内「生命行政」を継ぐ者たち(仮題)』の 夏季
集中撮影 が10月一杯で無事、終了しました。
本誌第1号にもありましたように、住民のみなさまのたくさんのご支援、ご協力が映画制作の大き
な支えとなりました。この場をかりて感謝申し上げます。どうもありがとうございました。
撮影終了後、小池征人監督と中越信輔助監督は東京に戻り、編集作業を開始。まずはこれまで撮影
した70時間以上の映像と向き合い、冬季の撮影に向けて、さらに深堀りしていくポイントを探り始
めています。
また、プロデューサーの都鳥拓也・都鳥伸也兄弟は制作資金集めのために「記録映画制作西和賀後
援会」とともに隣の北上市の北上工業クラブや北上商工会議所、また北上青年会議所などの各種団体
へ協力を呼びかけ始めました。この映画制作は 西和賀町 という行政の単位を越えて、ゆっくりと
広がりを見せはじめています。
新春1月からは西和賀の真髄とも言うべき、豪雪の季節の 冬季集中撮影 がスタートします。障
害をもつ人たちや、高齢者、児童養護施設の子供たちなど、たくさんの いのち を守り、支えてい
る『いのちの器』がこの西和賀の大地に少しずつ見えてきました。その中にある、ひとりひとりの人
間の いのちの輝き を見出したい。それがこれからの撮影の大切なテーマです。
記録映画『いのちの作法 沢内「生命行政」を継ぐ者たち』の制作は、まだまだ、続きます。今後
もみなさま、どうぞよろしくお願い致します。
小池征人監督へのインタビュー
西和賀町婦人連絡協議会から 35 万 7 千円
「人間、生きているだけで美しい」
映画制作協力金に募金いただきました
―普通の人の暮らしを撮り続け 34 年―
会員など 253 名が募金
私の主な作品は、86 年「人間の街‐大阪・被差別部落」
89 年「脱原発元年」毎日映画コンクール記録文化映画賞
93 年「免田栄・獄中の生」毎日映画コンクール記録文化
賞 03 年「白神の夢‐森と海にいきる‐」などがありま
す。
−絶えず底辺の人たちを追っていますね。―
◇ 一之瀬カメラマンと打ち合わせする小池監督
−プロフィールをお聞かせください。−
1944 年 12 月、満州吉林省徳恵で5人兄弟の末っ子と
して生れました。父は教師でした。27 才の時、母と結婚
した直後、開拓団の学校つくりで満州に渡ったのです。
1946 年、満州から引き揚げて来るんですが、引き揚げ
者のお世話活動の過労から父が、病気ですぐ上の兄が亡
くなるんです。母が4人の子どもを抱え、父の実家山梨
県大同村に身を寄せることになります。父の面影は全然
ありません。高校卒業まで山梨県で暮らしました。
東京に出たのはその後です。1967 年中央大学法学部を
卒業しました。
フィルム日誌
−どういうきっかけで映画に出会いましたか。−
大学卒業後、東京大学新聞研究所に3年間在籍しまし
た。社会学の第一人者、大衆社会論の日高六郎先生に師
事しました。その後、先生の鎌倉の自宅で書生として5
年間つかえました。その時に、先生の知り合いであった、
記録映画の巨匠、土本典昭監督を紹介され、手伝うよう
になりました。
土本典昭監督は「水俣」を撮り続け「水俣‐患者さん
とその世界」が代表作です。記録映画水俣シリーズが、
水俣の患者運動を支えたといわれています。
28 才で映画界に入りましたので今年で 34 年目、映画
だけの人生です。
−今までどんな作品をつくってきましたか。―
岩波映画製作所の契約社員5年の経験以外は、フリー
で仕事をしてきました。
岩波映画製作所では、日テレ系の「生きもの万才」の
仕事をしていました。
私自身、子ども4人の母子家庭で育ちました。共に励
まし、支え合って生きる幼少期の地域環境、普通の庶民
の生活が私の物事を考える原点です。
「人間、生きているだけで美しい」とも思えるように
なりました。
「記憶は塩漬けされて堆積しているのではなくて、今
の生き方の中に記憶が想起するのです」
。今、一生懸命生
きる中から幼少期を思い起こし、普通に生きることの大
切さ、大事さを噛み締めています。
「普通に生きている人
間が好きですネ」。このスタンスが私の映画づくりです。
−西和賀記録映画で何を観せたいですか。ー
西和賀には、庶民の普通の暮らしがあります。華やか
さはありませんが、人間らしい営みがあります。
この地には「三せい運動」の歴史があります。一人ひ
とりがせい。話し合ってせい。皆でせい。まさに民主主
義です。
心と体を癒す温泉があります。居住福祉の原点です。
西和賀には3つの「いのちの器」があります。
虐待を受けた子どもたちを地域ぐるみで養護する器。
高齢者の健康と暮らしを守る器。障害者の地域生活を支
える器。この3つの器があります。
ハンディを持っていても、逆境の中でも輝く「いのち」
の尊厳を表現したいと思います。
−最後に小池監督の家族を紹介ください。―
映画界に入った 28 才のとき結婚しました。
(奥さんは)
今は仕事をしていませんが、大学職員や高校の図書館司
書等の仕事をして助けてきました。2つ年上です。子ど
もが2人います。長男は平塚市役所に勤めていますし、
長女は東京農大の4年生です。どちらも独身です。
長男が独立していますので、今は3人家族です。
撮影に入ると長く家を留守にします。今回も3ヵ月の
夏の撮影でした。家族や友人が映画づくりの最大の理解
者であり、被害者だと思っています。
(文
責/インタビュアー
高橋典成)
西和賀町婦人連絡協議会(加藤久子会長)では、10
月から 11 月にかけて会員を中心に映画の制作協力金の
募金活動を行ってきましたが、11 月 16 日にそれまで集
まった募金を後援会の事務局に届けてくださいました。
11 月 16 日現在で募金に協力いただいた方は 253 名、
募金総額は 35 万 7 千円となっています。各地区の会長
の方々が中心となり、婦人会員や地域の人たちに対して
映画への支援を呼びかけてくれました。中には、だんな
さんや家族の方が「俺も募金するべ」といって協力して
くれたお宅もあったとのことです。
また、募金だけでなくお米や野菜などの差し入れもた
くさんいただいております。
町婦人連絡協議会が募金に取り組むきっかけとなっ
たのは、9 月 13 日の単位会会長会議の際に、映画の紹
介をする時間をとっていただいたことに始まります。役
員会の席上でプロデューサーの都鳥伸也君が、自分たち
兄弟が経験してきたことや西和賀町の映画を撮ること
になった経過などを説明し、役員の方々は、北上市出身
の小柄な青年の夢を実現させるために会として協力す
ることを決定してくださいました。
後援会では、制作協力金へのご協力をお願いしていま
す。映画についての話を聞いてみたい、映画制作の応援
をしてくださるという方は、後援会事務局までお知らせ
ください。皆様のご支援をお待ちしております。
尊厳なタイトルのもとに「いの
ちの作法―沢内生命行政を継ぐ者
たち(仮称)」の記録映画が制作
されております。
かつて旧沢内村の婦人連絡協議
会も、生命尊重の理念のもとに
「保健の村」を築き上げる原動力
の一端を担った歴史があります。
記録映画の制作にあたり、西和賀町婦人連絡協議会も後
援団体の一員となり、「生命尊重」の灯を守ろう、を合言
葉に、制作スタッフとの話し合いや上映会等に参加し、理
解を深め合いました。
また、物資の支援や制作協力金の募金活動に取り組み、
36 万円ほどの支援をすることができました。
歴史は現代と過去の対話であるといわれています。その
作業に取り組む映画制作に協力することは、町民の皆様、
未来を担う子ども達への西和賀町婦人連絡協議会からの
ささやかな贈り物でもあります。
山脈(やまなみ)が輝く西和賀の地に目を向けてくださ
ったゼネラルプロデューサー・武重邦夫氏をはじめ、スタ
ッフの皆様に感謝いたします。
西和賀町婦人連絡協議会
会長 加藤
久子
フィルム日誌−10 月もたくさんのステキな出会いがありました。西和賀町での撮影は毎日が感動です。
10 月 19 日川舟保育所
「西和賀を好きになっ
て欲しい」と自然観察
指導員の増田洋さん。
毎木曜の昼、子ども達
とお散歩。暖かい日差
しの中、自然と触れあ
う子ども達を撮影しま
した。
10 月 27 日 雪見橇
故太田受宣苑長が「光
寿苑のお年寄りに街を
見せたい」と取組んだ
雪見橇、その復活を太
田宣承さんが決意。若
者たちで博物館に眠る
雪見橇を引き出しまし
た。
10 月 23 日祖母努力賞
故高橋清吉さんが発
案した昭和 37 年度の
「祖母努力賞」。虚弱
児を 慈悲と努力 で
育てた家族に贈られ
た表彰状を今でも大
切にしている方を訪
ねました。
10 月 29 日白木野人形
白木野集落の厄除け人
形、その土産品を作る
老人たちを撮影しまし
た。一本一本藁を紡い
で形を作る細かい作業
に、受け継がれてきた
文化と伝統を感じまし
た。
岩手・西和賀発 世界へ
第3号
2007.1.25
発行
「いのちの作法」通信
発 行:記録映画制作西和賀後援会 発行責任者:高橋典成
連絡先:〒029-5614 和賀郡西和賀町沢内字太田2−115 ℡ 0197‐85-2212
川舟の家でほっぴきを楽しむ婦人ボランティア「なめとこ」の皆さんと川舟小の子どもたち
あけましておめでとうございます。新年を迎え、いよいよ 冬季集中撮影 が始まりました。
1 月 11 日に川舟小学校の生徒が、西和賀文化遺産伝承協会が保存している川舟の家で行なった「生活
体験キャンプ」からクランクイン。子どもたちが一所懸命に作った雪灯りの幻想的な風景と、地域の婦
人ボランティア「なめとこ」の方々と ほっぴき を楽しむ子どもたちの姿が印象的でした。
そして、長瀬野の「新集落移転 35 周年記念式典・祝賀会」の撮影。原点に立ち返るため、移転前の場
所にそのまま保存されている旧家屋 清吉稲荷 で開かれた行事の模様を記録しました。小正月のミズ
キ団子づくりや長瀬野小校歌の合唱、盆踊りなど、地域の一体感を浮き彫りにする感動的な場面でした。
さらに白木野の人形送りなど、雪がしんしんと降り積もる中、撮影は続いています。
また、この場を借りてのご報告となりますが、昨年末に都鳥拓也・都鳥伸也プロデューサーは西和賀
町に住民票を移し、西和賀町民となりました。これは 西和賀発 の映画作りにさらに集中していこう
という意気込みと、映画完成後の上映活動の中心を町内に置き、
「西和賀原産映画」として全国へ発信し
て行こうという挑戦です。
まだ都鳥兄弟は地域の中では新住民です。しかし、映画の人間としての視点からですが、西和賀のこ
とを考える気持ちは皆さんと一緒です。
これから、冬季撮影と 5 月のカタクリの季節の撮影、完成後の上映活動とまだまだ、長期に渡って西
和賀町の皆さんとのお付き合いは続きます。町民の皆さん、新しい仲間を暖かく見守ってあげて下さい。
『いのちの作法 沢内「生命行政」を継ぐ者たち(仮題)』後半戦のスタートです。完成をご期待下さい。
撮影再開記念! 上映会の第二弾!!
映画と町民の交流会
記録映画『いのちの作法 沢内「生命行政」を継ぐ者たち』(仮題)
昨年、西和賀町で始まった記録映画『いのちの作法』の制作は、年が明け、再び映画制作スタッフ
が現地に集結、冬期撮影がスタートしました。
これに合わせて、2回目となる映画上映会を行います。昨年8月の第1回目では、新潟県旧山古志
村を描いた記録映画『掘るまいか』をご覧いただき、好評でしたが、今回は、小池征人監督と一之瀬
正史カメラマンの初期作品を2本立てで上映します。
上映後には、記録映画『いのちの作法』制作スタッフと町民の皆様との交流会として、上映作品や
現在制作中の記録映画『いのちの作法』について意見を交換し、語り合いたいと思います。映画と町
民の交流会を通じて、「町づくり」と「映画づくり」が一体となるきっかけになればと思います。
皆様、お誘い合わせの上ご来場くださいますようご案内申し上げます。
日時:2007年2月3日(土) 午後1時30分(開場)
開演:午後2時
開場:西和賀町文化創造館「銀河ホール」
料金:入場無料
=上映作品=
、
小
池
征
人
監
督
か ん だ ち め
製作:岩波映画
監督:小池征人
1979年/24分
日本海と太平洋の海流が激しくぶつかり、船の墓場
といわれる下北半島。その尻屋崎の草地には馬が放
牧されています。南部藩領時代から田名部馬と呼ば
れる小柄で寒気と粗食に耐え、持久力に富んだ馬で
す。明治・大正・昭和にわたって、主に軍用馬や農
耕馬として改良されてきました。
この馬は厳冬の時期、腹の中に新しい生命を宿し、
前脚で雪をかきわけ、豪雪の下から貧しい草をくい
ちぎりながら生きています。粗食に耐え、厳寒の季
節、力強く立ちつくす姿は命の尊さとたくましさを
みせ、「寒立馬」として愛称されています。
わが街わが青春
‐石川さゆり水俣熱唱‐
製作:青林舎
監督:土本典昭
1978年/43分
水俣病の公式発見から20年、胎児性水俣病の患者た
ちも20歳を迎えた。「何かデッカイことをやりたい
!」一人の青年が石川さゆりショーを考えついた。
水俣病の患者施設「明水園」の寝たきりの仲間たち
に石川さゆりの歌を聴かせたい、というのがその理
由だった。この企画はホリプロダクションの社長の
好意のもと、実現した。暑い夏、「石川さゆりショ
ー」の宣伝カーが走る。若い患者たちが不自由な体
でポスターを貼りチラシを配る。毎日交替で不知火
海の津々浦々をまわる日々は「こんなところにも自
分たちと同じ患者がいる」という新しい出会いの連
続だった。そして、当日。公演会場は定員を超える
大入りの客だ。幕が上がる。さゆりの登場。熱唱に
盛りあがる一時。
企画を実現するのに
走りまわった日々が
蘇る。この日は彼ら
にとって本当の成人
式のようだった。
一
之
瀬
正
史
カ
メ
ラ
マ
ン
・
デ
ビ
ュー
一
之
瀬
正
史
カ
メ
ラ
マ
ン
初
期
作
品
!
寒立馬
作
品
!
一之瀬カメラマンへのインタビュー
「記録なければ歴史なし」―酒はよい人間関係を紡ぐ―
−奥さんとの出会いは映画だそうですね。−
日本大学芸術学部映画学科に 1964 年に入学したんで
すが、67 年 9 月に中退し、劇映画やPR映画の撮影助手
をしていました。
70 年に「水俣−患者さんとその世界」という記録映画
に係わるんです。熊本県水俣市が撮影現場でした。
患者の身体的な苦しみや経済的な行き詰まり、企業責
任を問う人や擁護する人、住民同士の葛藤、行政に対す
る不満等が渦巻いている中での撮影でした。
一人ひとりの患者に寄り添う中から「よそもの」でも
仕事をすることができました。障害や病気を診るのでな
く、人間を見ることを教えられました。そういう意味で
は、監督の土本典昭さんにはずいぶん鍛えられました。
彼女は、熊本第一病院の院長秘書をしていました。ま
た、
「水俣病を告発する会」で患者支援、裁判支援等も行
っていました。
訴訟派 のカンパ活動の取材を通して、患者さんの
ケアーを担当していた彼女に出会い、71 年に結婚しまし
た。彼女 26 歳、私(一之瀬正史)24 歳でした。
撮影中の一之瀬カメラマン
言います。利便性を求める暮らしが、本当に人間らし
いのかを随分考えさせられました。
大家=深澤弥右衛門さん・
節子さんご夫妻
「記録映画班の食事作りをして」
映画スタッフの皆さんとは、昨年春に宿を貸して
ほしいということでおいでになってからの付き合い
になります。古い建物でもあり、最初はお断りした
のですが、是非にということでしたので、映画作り
は町のためにもいいことと思い、お受けしました。
息子達が外に出ていて、夫婦 2 人だけなので、急
に家族が増えたような気分です。ときどきは事務局
の皆さんとの交流会に参加させてもらったりして、
楽しませてもらっています。
映画のことはよくわかりませんが、スタッフの皆
さんは本当に熱心に動いていることがわかります。
映画の完成がいま
から待ち遠しいで
すね。
皆さんがんばっ
てください。
現在、記録映画のスタッフ
の方々の夕食のお手伝いをさ
せて頂いている米沢です。
8月∼10 月までの夏季撮影
から参加していますが、最初
のうちは、本当の事を言うと、
台所に立つ米沢さん
はっきり言って予算の方がち
ょっと少ないので、本当にとまどいながら作りました。
でも、西和賀の記録映画を作るとの事で、西和賀に
とっても名誉ある事、歴史に残る大事な映画になると
思っています。
私も少しでも協力できる事、たずさわれた事を嬉し
く思いながら食事作りをしています。
スタッフの皆さんを見ていると、雨の日も風の日も、
夜遅くまで飛び回っています。又、双子の都鳥兄弟で
すが、言葉使いがとても良くおぼっちゃま育ちか
な・・・・・・?
拓也君・伸也君、とても可愛いです。
一月からの撮影はまだ始まったばかりですが頑張っ
て下さい。完成を楽しみにしています。
太田 米沢洋子
−一之瀬さんにとって映画とは。ー
1978 年、32 歳のときです。「わが街青春∼石川さゆり
水俣熱唱」という作品です。この作品は、今度 2 月 3 日
(土)銀河ホールで上映することにしていますので、ぜ
ひ足をお運びいただきたいと思います。
フィルム日誌
障害者問題に係わる映画を撮影する機会も多々ありま
した。1990 年の『しがらきから吹いてくる風』という作
品はそのうちの 1 本です。陶器づくりのまちで、知的障
害者が家内製陶場で生き生きと働いている姿を描いてい
ます。
―心に残っている作品を紹介してください。−
1997 年の「ナージャの村」です。
1986 年 4 月 26 日、チェルノブイリ原発事故が発生、
放射性物質が大気中に大量に放出されました。死者 4 千
人とも言われていますが、はっきり分かっていません。
約 16 万人が住み続けることができず移住しました。
このような中で、96 年 5 月に現地入りし、翌年 2 月ま
で 4 シーズン撮影しました。8 歳のナージャという娘と
その一家が、原発の悲劇を乗り越え、したたかに生きる
姿を追ったものです。
2000 年に「アレクセイと泉」という作品も撮りました。
原発事故現場から 70km 離れている、移住勧告を受けた村
に住むアレクセイは、昔ながらの暮らしを続ける 33 歳の
未婚男性。
その村の小さな泉はこんこんと湧き出ている。不思議
なことにこの水は放射性物質に汚染されていないので
す。村人は「100 年前に降った雨が今、姿を表す」と
−最後に家族を紹介してください。―
水俣で知り合った妻は病院事務を退職し、今は介護保
険のケアマネージャーをしています。
娘は医療系出版社の編集者をしています。まだ独身で
す。どなたかよい人を紹介してくださいませんか。
(一之瀬さん、これからは西和賀の時代です。西和賀に
つれてきてくださいよ。)
(文
責/インタビュアー
高橋典成)
賄い=米沢洋子さん
「映画スタッフを迎えて」
太田
深澤
−カメラマンデビューはいつですか。−
映像は、写真では伝えられない音、息づかい、言葉と
一体で表現ができます。人々の営みや環境、自然などを
記録することによって、後世に「さまざまな思い」を伝
えることができます。つまり「記録なければ歴史なし」
なんです。
権力を持った人の歴史は伝わる。しかし権力を持たな
い庶民の歴史にこそ価値があり、残していかなければな
らない。記録映画を通して庶民の歴史を紡いでいると思
っています。
それに記録映画には感性が必要です。私の場合、感性
の源は「酒」です。よい酒があり、それに群れるよい人
がいれば必ずよい映画ができます。
お世話になってます
弥右衛門さんと節子さん。後ろに見
えるのが事務所です。
弥右衛門
節子
本当に安い家賃にもかかわらず宿を貸してもらい、トイレまで新しくしてくれた大家さん。いつも元気で家中を明るくし
てくれる米沢さん。私たちのかけがえのない支えです。いつもありがとうございます。(スタッフ一同 m(__)m )
フィルム日誌−1 月、雪が少ないとはいえ、南国育ち(高知県)の私には驚きと感動の雪中生活です。(中越)
1月 11 日 川舟の家
川 舟小 学校の 子ど も達
が冬キャンプ。昔の生活
を体験しようと「川舟の
家」で一泊しました。雪
あかりを造ったり、ほっ
ぴきをしたり。アッとい
う 間に 夜が更 けて いき
ました。
1月 16 日 雪見橇
雪見橇が2月 10 日の本
番 に向 けて着 々と 準備
が進んでいます。光寿苑
の職員も加わり、博物館
の 下か ら引き 出し た雪
見橇を、修理のために大
工 さん の仕事 場に 移動
させました。
1月 14 日 記念式典
長瀬野新集落移転 35 周
年を祝う式典が、原点に
立 ち返 ろうと 「清 吉稲
荷」で行われました。今
ま で地 域づく りを 担っ
て きた 世代か ら次 世代
の若者たちへ、継承の場
でもありました。
1月 19 日 白木野人形
集 落の 人々が 藁を 持ち
寄り、巨大な男根のある
「白木野人形」を作り上
げました。法螺貝を先頭
に雪道を歩き、集落の外
れ にあ る栗の 木に 縛り
つけた人形に、人々は手
を 合わ せて一 年間 の無
病息災を祈りました。
ご来場ありがとうございました
岩手・西和賀発 世界へ
映画と町民の交流会を開催
たくさんの方が参加してくれた上映会
現在の募金額は
第4号
2007.2.25
発行
「いのちの作法」通信
後援会では、去る 2 月 3 日、銀河ホールにおいて第 2 回の
上映会となる「映画と町民の交流会」を開催しました。
当日は、小池監督・一之瀬カメラマンのコンビで制作した
作品「寒立馬(かんだちめ)」と、一之瀬カメラマンのデビ
ュー作品「わが街わが青春―石川さゆり水俣熱唱―」の 2 作
品を上映しました。
会場には、町内外から 130 人余りが来場し、今から 30 年
前に制作された感動的な作品に見入っていました。
上映会終了後は、会場の皆さんから感想をうかがったり、
小池監督、一之瀬カメラマンが撮影の思い出話を紹介するな
ど、会場と映画スタッフの交流もあり、和やかな上映会とな
りました。
発 行:記録映画制作西和賀後援会 発行責任者:高橋典成
連絡先:〒029-5614 和賀郡西和賀町沢内字太田2−115 ℡ 0197‐85-2212
554万3100円
上映会に先立っての高橋繁後援会長のあいさつでは、映画への支援活動が大きな広がりを見せていることを紹
介し、今年末の映画の完成に向けてさらに地域全体で応援していきましょうと呼びかけました。
また、高橋典成事務局長からは、募金活動の中間報告があり、全体として550万円余りの募金高になってい
ることが報告されました。このうち、西和賀町での募金は280万円ほどになっています。
後援会では、さらなる皆様のご支援をお待ちしています。よろしくお願いいたします。
応援メッセージ
北上市青年会議所の伊藤さんから応援のメッセージをいただきました。都鳥兄弟の出身地でもある北上
市でも、
「いのちの作法」への応援の輪が広がっています。
先人達が培ってきた高潔な精神を後世にしっかりと伝えていく。まさに現代人の我々に足りな
い部分であると思います。 こんな殺伐とした時代だからこそ、いま都鳥兄弟様が撮影している
沢内村の生命尊重の行政を題材とした記録映画「いのちの作法」が地元の人間だけでなく、多く
の人間に見ていただき、共感していただければと思います。
雪のない湯本地区の町道に、地域の皆さんの協力で雪見橇(そり)の道がつくられていきます。
2 月半ばを過ぎ、
『いのちの作法 沢内「生命行政」を継ぐ者たち(仮題)』の 冬季集中撮影 も佳境
を迎え、いよいよ大詰めとなってきました。
1 月 27・28 日には長瀬野地区で「みちのくみどり学園」の子どもたちを 1 泊 2 日、地域の家庭で受け
入れる『長瀬野地域転住』
(家庭体験)の撮影が行なわれました。長瀬野会館に飾られた鯉のぼりと入口
エ
都鳥兄弟様とは昨年知人を介してお会いしました。その熱意に私もパワーをいただき、本年度
は北上の地でも、映画という手法を介しながら、都鳥兄弟様とまちづくり活動を行っていきます。
「いのちの作法」の完成と上映を今から心より楽しみにしております。頑張って下さい。
北上青年会議所 2007 年度まちづくり委員会・委員長
伊
藤
隆
一
∼あとがき∼ 第2回上映会「映画と町民の交流会」は大成功でした。 帰りの駐車場で、「本当にいい映画だっ
た。子どもたちにも見せてやりたいと思ったよ。」と言ってくれた太田のおばあちゃんをはじめとして、ホールから出て
くる皆さんの顔を見れば、満足してくれたことがよくわかります。 第 3 弾、またやりますからね。お楽しみに ( o )
に書かれた「良ぐ来たナ」の文字が子どもたちを迎え、子どもたちは各家庭で施設では感じることの出
来ない 普通 の時間を体験しました。まるで本当の家族のように接する家庭の様子に「地域転住」の
意味を強く感じました。
2 月 10 日には湯本地区の特別養護老人ホーム「光寿苑」の『雪見橇(そり)』を撮影しました。これ
は前苑長・太田受宣さんが発案したもので、14 年ぶりに地域の人々の手によって復活しました。暖冬の
ため道路に雪がなく、一時中止も議論されましたが、深夜、 雪がなくてもやろう と決断。当日は雪を
敷き始めると近所の方々も姿を現し、1 本の雪の道が完成しました。雪の道の完成は 人の道 であると
感じました。雪がないという逆境の中、計画を実行した若者たちの姿とそれを応援した地域の人々。そ
して橇に乗って「雪祭り」を楽しんだ老人たちの姿がとても印象的でした。
雪も本格的に降り出し、重機による除雪や人間の手による除雪、雪の中の凍み大根など、西和賀の豪
雪の中の生活もようやく撮影することが出来ました。来月 3 月は冬季ロケのラストスパートです。
スタッフインタビュー 助監督・中越信輔(なかごし しんすけ)さん
都鳥伸也プロデューサー 湯田中学校で講演
「事実は創作を超えている」
2 月 7 日、都鳥伸也さんが湯田中学校に招かれ、ミニ講演会を行いました。都鳥さんは映画にかける
自分たち兄弟の情熱を語り、生徒たちに「明日に向かって強く生きていこう」と呼びかけました。
− 今はドキュメンタリーに夢中です−
‐高校野球の名門、高知商業の出身だそうですね‐
確かに高校野球は全国的に有名ですね。いま、阪神タイ
ガースで活躍しているピッチャーの藤川球児選手も同窓
です。
高知商業は1学年 40 名のクラスが8クラスでした。自
分は「商業科」ではなく、
「国際経済科」に入りました。
あまり学校の勉強をする方でもなかったので、高校進学に
は確たる目的もありませんでした。そんな中、部活で「放
送部」と出会えたのが幸運だったと思います。
‐放送部でどんな活動をしましたか‐
自分が部長の時に、放送部の全国大会であるNHK杯に
参加して、テレビドキュメント部門で全国優勝することが
できました。高知県では初めての快挙と誉められました。
その当時、高知県は、10 代の中絶率が五年連続全国一
高い(ワースト1)と報じられていました。それを取り上
げた番組「高校性」を制作しました。「成人向けビデオを
観たことがあるか」
「性の知識をどこで得たか」等々を、
高校生と先生から聞いて回りました。生徒も先生も対等の
関係で、意見を述べたのが評価されたと思います。8分に
まとめたこの作品が全国一になりました。
高校時代はこの作品を含め、4本つくりました。
‐日本映画学校に入るきっかけは‐
映画をつくりたいと思ったのは、中学2、3年の頃でし
た。高校での放送部の活動が評価されたこともあって、専
門的に映画を学びたいと思ったのは自然の流れだったと
思います。日本映画学校を知ったのは、映画館に置いてあ
ったパンフレットからです。
父は工務店を経営し、母は専業主婦です。母は進路を決
定する際、「税理士がいいがじゃないかえ」とは言ってい
ましたが、両親共に理解があり、進路は自由に選択させて
もらうことができました。
撮影作業中の中越さん
講演の感想を色紙に書いて贈っていただいた
ので、ここに紹介をさせていただきます。湯田中
学校の皆さん、ありがとうございました。
(伸也)
‐映画学校で都鳥兄弟と出会いましたね‐
日本映画学校は3学年までで、1学年 20 人のクラスが
8クラスありました。1年の時、都鳥拓也君(兄)と同じ
クラスでした。それが今に繋がっていることを思うと、出
会いの大切さを感じます。
映画を志す人は、アクがあり自己主張の強い人が多い中
で、拓也君や自分は(自分で言うのも気恥ずかしいですが)
「気質がナイーブ、内向的なのが共通」で友達になりまし
た。拓也君を通して、伸也君とも知り合いました。
更に、武重邦夫先生が主宰するスーパースタッフプログ
ラム研究生、同学年5人ですが、卒業後も一緒に活動して
いました。この活動が、今回の西和賀記録映画『いのちの
作法(仮)』を生むことになったのです。
‐今回の記録映画ではどんなことをしていますか‐
助監督という立場で、議論のまとめを作成したりしてい
ます。また、現場では録音を担当しています。
映画学校では脚本コースを選択しました。脚本で進行す
る劇映画等と違い、ドキュメンタリーは、構想はあっても
脚本はありません。
いろんな人に出会って、その土地に根づいた生き方、考
え方、そこから発せられる言葉の重みに日々感動していま
す。まさに「脚本の創作を越える事実」に魂を揺さぶられ
ています。
‐西和賀で暮らしての感想は‐
南国高知の生まれですが、不思議と西和賀の寒さ、雪は
大変と思いません。初めての雪体験は今までにない体験で
すが、楽しいですね。
「暖冬の今年で、西和賀の冬を判断してもらっては困りま
すぞ。」
(文 責/インタビュー 高橋典成)
都鳥伸也さんへ
私は絵が好きで、美術関係の仕事をしたいと思
っていました。でも、それで食べていけるかがと
ても心配で色々と進路ということに悩んでいま
した。
だけど、都鳥伸也さんの話を聞いて、自分も夢
に向かってがんばっていこうと思いました。都鳥
伸也さんの最後に言った「明日をみろ」という言
葉を胸にいだいて、一歩一歩進もうと思います。
夢は変わるかもしれませんが、くじけそうにな
ったときは、都鳥伸也さんの話を思い出して生き
ていきたいです。ありがとうございました。
3年
南川恵美
2月8日
「岩手日日新聞」で紹
介されました。
フィルム日誌 − 極端に雪の少ない今年の西和賀町。スタッフとして本来の冬の様子が撮れないのは残念です。 でも、本当の西和賀の冬、体験したかったような、助かったような・・・。
1月 20 日 御宮参り
12 月に待望の第一子が誕生
した西和水道土木の高橋宏
明さん一家の御宮参りを撮
影。赤ちゃんの柔らかい生
命と、奥さんの「地域が好
きになれた時にこの子を授
かることが出来た気がす
る」という言葉が印象的で
した。
1月 27 日長瀬野地域転住
盛岡の児童養護施設「みど
り学園」の子どもたちが、
週末を利用して長瀬野の 5
世帯に一泊しました。ソフ
ァに横になって漫画を読
む、一緒に買い物をして、
食事をするといった、施設
で は得難い「普通の家庭体
験」をしました。
2月8日 カンジキ作り
カンジキ作りの名人、高橋
栄治さん。手だけではなく
足までも器用に使いなが
ら木を曲げ、形を作ってい
きます。随所に細かいこだ
わりを見せる一連の制作
過程に、技術だけではな
く、その精神に感動させら
れました。
2月 10 日 雪見橇(そり)
小雪のために見送りも検
討された雪見橇が、湯本青
年会や住民の方々の協力
を得て遂に復活。総出で敷
きつめた雪の道は正に「人
の道」でもありました。橇
に乗った光寿苑のお年寄
りは本当に素敵な笑顔を
見せてくれました。
第 5 号
2007.3.15
岩手・西和賀発 世界へ
発行
「いのちの作法」通信
発 行:記録映画制作西和賀後援会 発行責任者:高橋典成
連絡先:〒029-5614 和賀郡西和賀町沢内字太田2−115 ℡ 0197‐85-2212
3 月 4 日に行なわれた「どんと祭」の奉納相撲は湯川温泉郷・桧峠会に約 20 年続く冬の 一大イベント。今
年は湯川の人たちの好意により、湯川にグループホームを置いて今年で4年目となるワークステーションの
面々も、前座相撲として同じ土俵に上がった。
記録映画『いのちの作法 沢内「生命行政」を継ぐ者たち(仮題)』の冬季集中ロケも遂に終了間近に
なりました。夏の長期ロケ 3 ヶ月を含めた約 6 ヶ月、現在はその集大成とも言える場面の撮影が進んで
います。
ホー ム ステ イ
2 月 24・25 日、みどり学園の子どもたちが、再び長瀬野地区に訪れて家庭体験を行なった『第 2 回地
域転住』の撮影。地域の人々のご協力で、毎年行なわれている うさぎ狩り に子どもたちが参加しま
した。子どもたちは猟に参加することと、うさぎを解体し、食するまでの流れに立ち会うことで「生き
物の生命を絶つことで自分たちが生かされているのだ」という生命の営みを感じていきました。
また、3 月 4 日は湯川温泉の『どんと祭』の撮影がありました。湯川で約 20 年続けられている恒例行
事、奉納相撲です。オムツのように二つに折りたたんだマットレスを股にはさみ、もう一つマットレス
に穴を開け、頭から被り、袴を着たような姿になって、地域の大人たちが真面目に相撲を楽しむ地域の
遊びです。この遊びの場に、奥の湯に居を構えるグループホーム・湯川ハウスの住人たちの代行として、
ワークステーション湯田・沢内に通う二人の男性が、湯川の人々の好意で前座相撲という形で初参加し
ました。地域の人々の遊びに彼らが参加することは、暮らし始めて今年で 4 年目となる湯川という地域
に対する、隣人としての改めての挨拶の場でもありました。これからもこの前座相撲が地域に根付き続
けられていって欲しいと願っています。
今後も光寿苑の職員・利用者・家族の三者を囲んだ「死生観を問う」職員研修の様子や、明治生まれ
の 99 歳の老人が、障害を持つ娘の働きの場であるワークステーションを訪問する模様など、まだまだ大
事な現場に立会い、撮影を行なっていきます。どうぞよろしくお願い致します。
スタッフインタビュー 録音担当・若林大介(わかばやしだいすけ)さん
「いのちの作法」応援団 − 佐々木貞雄さん
『西和賀の音は、心を癒す音
−蜩(ひぐらし)や小川のせせらぎに心和む−』
(前郷出身 東京都在住)
記録映画制作には、たくさんの方々からさまざまな励ましの言葉をいただいています。その中で私たちスタッ
フが大変感激したメッセージをご紹介させていただきます。東京都在住の佐々木貞雄さん。前郷出身の佐々木さ
んは、遠く離れた故郷のことを愛し、いつも気にかけておられます。そんな思いがひしひしと伝わるお手紙です。
なお、佐々木さんには多額の募金もしていただいております。ありがとうございます。
−今回の記録映画でどんな仕事をしていますか−
映画の「音」の責任者です。現場で集めた音を、完成し
た画面に入れ込む仕事です。
音とは、インタビューの言葉、自然界の音などです。で
すから、カメラが回っている時に収音しますし、単独に吹
雪や雨の音、昆虫や動物の鳴き声の音も集めます。それを
編集した画面に入れるのです。画面を際立たせることもで
きますし、さっぱり効果が出ないこともあります。非常に
神経を使う仕事です。
映画づくりの最初(撮影)から最後(編集)まで関われ
るのが魅力です。カメラは、瞬時が勝負ですが、音はやり
直しが利く面もあります。じっくり考えたり、テストをし
てみることもできます。
素材として集めた音をどう料理するか、場面、場面に合
う音を探し、臨場感を出し効果を引き出す、まさに豊かな
感性が求められます。
私自身ものを創ることが好きですし、こだわりが強い性
格です。この仕事は性に合っていると思っています。
−音の面で、西和賀の印象は−
一言でいうと(無駄な)音のない世界だと思います。雑
音というか、人工音のない(少ない)ところです。遠くの
音がきれいに聞こえます。
西和賀に来たとき,蜩(ひぐらし)の鳴き声が山にこだ
まし、心に染み渡りました。畦道の側を流れている小川の
せせらぎ、チョロチョロ流れるあの音も好きです。
都会の雑踏の音、人工的に作られた騒音の中で生活して
いると、西和賀は音がない、静かだと思います。しかし耳
を澄ますと、自然の音、心が豊かになる音がいっぱいあり
ます。
一時期、農山村から都会へ目が向いていました。物質的
な豊かさに憧れてきました。しかし、虐待や過労死、精神
を病む人が多く出るなど、都市生活の弊害も多く出てきま
した。
農山村の良さが見直されつつあります。そこには、心を
癒し、人間性を取り戻せる静かな、そして豊かな「音」が
あるからです。
−今どんな仕事をしていますか−
自分が卒業した日本映画学校の講師として、音に関わる
全てのことを教えています。
私は、東京都町田市の生まれで、町田高校を卒業すると
き「テニスを選ぶか、もの創りを選ぶか」随分、迷いまし
た。テニスも東京の 16 位だったので、大学に入って最初
からやり直したいとも思いました。しかし、もの創りの夢
は消すことができず、2 年間悩み続けたときに、今村昌平
監督の『うなぎ』がカンヌ映画祭のグランプリに輝いたこ
とを知りました。1998 年のことだったと思います。
心を動かされ、今村監督が関わっている学校を探した
ら、自分の家からバイクで 15 分の所に日本映画学校があ
ったのです。
「人間の個性を尊重する」という教育理念に
も共鳴するものがあり入学を決意したのです。
−家族の紹介をしてください−
両親と 4 人の兄弟、6 人家族です。
父は、洋服の仕立て関係の仕事をしています。母は専業
主婦でしたが、今は介護福祉士の資格を取ってその仕事を
しています。妹(25 歳)はデザイン関係の仕事、弟(24
歳)は日本映画学校で勉強中、監督を目指しています。下
の弟(21 歳)はペンキ屋で頑張っています。
父に、会社勤めをするというと「おまえは、それで良い
のか」という人です。そういう影響があって私や妹、弟た
ちも、もの創りの道を歩んでいます。
「気鋭の若き映画人に捧げる!」
流石に若者の目は鋭い。書店に残って居た一冊の本から、旧沢内村の人とその事業を映画化しよう!
と気づいた都鳥兄弟を褒めるべきか。
『村長ありき』の本を書いた著者か。考えればやはりその根本に
は、あの元村長の偉大な業績があるのではないか。それが 2 社の記者の耳と目を駆り立てたのでしょ
う。そこに記者のジャーナリズム魂があったのでしょう。
私も遠い昔、古里の村で進行中の『先駆的取り組み』がテレビで紹介されるや、都会の中で、いつ
もは消極的な人間が変わったように『あれが私の村だ』と吹聴していた。更に時が流れ『村長ありき』
の本が発行された時には、10 冊余りを購入し友人知己に配った。涙を流して読んだと読後感を寄せて
くれた人もあった。
都鳥兄弟の提案(感性)を即座に受容した、小池監督と武重プロデューサーの『生命行政』の壮大
な仮説と主題を、短い取材会見で見抜き、記事にした 2 社の名文があった。地元でも 10 余年前には、
『深沢記念館』を作ろうとして発起人会まで立ち上げながら、色々の隘路に挫折した事は既にお聞き
及びの通り。
その事情は、今もご健在の元助役佐々木吉男氏、元村長の太田祖電氏、元病院主査照井富太氏(我
が畏友)の良く知る所、良き後継ぎと惜しまれる中で急逝した加藤前村長は教え子だった。
『まさおに
続け』と合唱しながら成人した、曾ての少年佐々木孝道氏は、昨年『まさお生誕地』の立て看板を建
てたばかりです。
『支援会議』の幹事諸氏に執っても『映画化』は好機到来で立ち上がったばかりです。本事業のご
成功を切に祈りつつ、茲に貧者の一灯を捧げたいと思います。若き都鳥兄弟の、本との出会いに運命
的なものを感じるのは、ひとり私だけではありません。申し遅れましたが、私は都内在住の西和賀町
(旧沢内)生まれで、今丁度 80 歳。中度難聴者です。
−スキー指導もしているそうですね−
6 年前からスキーのインストラクター(指導員)をして
います。今は時間が取れず、スキーを履けませんでしたが、
今度は岩手で滑りたいと思っています。
(来シーズンは是非西和賀で滑ってください。スキーの
後のウイスキーは私もつきあいます。)
〔文責/インタビュアー
高橋典成〕
東京の貞雄君は私の同級生。
「生命行政日本一の村」とマスコミが呼ぶようになった。彼は、沢内村は私のふる里なんだと、誇りをもって
生きてきたと云う。
「自分たちで生命を守った村」(菊地武雄・著)、
「村長ありき 沢内村深沢晟雄の生涯」
(及川和男・著)などの
本が出版される都度、たくさん買って交流の深い人々に贈ったと言っていた。
記録映画制作西和賀後援会
理事
照井富太
フィルム日誌 − 冬の撮影もあとわずか。小雪暖冬の今年でしたが、西和賀らしい吹雪も体験することができました。あっという間に過ぎた撮影期間・・・・西和賀で過ごした6ヶ月間は私たちの大切な宝物です。
2月 22 日 母親努力賞
昭和 37 年に母親努力賞をも
らった高橋夫妻を撮影しま
した。壁に画鋲で留められ
た表彰状は色褪せ、長い月
日の流れを感じさせられま
した。大切に保管されてい
た当時の日記には、表彰状
を受け取った時の感慨深い
思いが書かれていました。
2月 23 日スノーバスターズ
ワークステーションの通所者
で結成されたスノーバスター
ズ。一人暮らしのお年寄りの
家庭を廻り、代わりに雪掻き。
雪で隠れていた窓から次第に
家の中に光が差し込んでいき
ます。地域の一員として生き
る通所者の姿を垣間見ること
が出来ました。
2月 24 日第二回地域転住
先月に続いて行われた長瀬
野地域転住。みどり学園の
子ども6人が3家庭に入っ
て一泊二日過ごしました。
二日目には、地域行事 ウ
サギ狩り にも参加。捕獲
されたウサギの解体に立会
い、子どもたちは真正面か
ら生命に向き合いました。
3月2日 高橋志郎さん
シベリア抑留体験を持つ高橋
志郎さんの散歩風景を撮影。
腰を曲げてとことこ歩いてい
た志郎さんは突然立ち止ま
り、旧沢内村長 深澤晟雄
について熱く語り始めまし
た。生命尊重を掲げた深澤村
長は 社会に於ける医者その
もの だったと言うのです。
=上映会のご案内=
3月いっぱいをもって、昨年夏からスタートした記
録映画『いのちの作法(仮題)』の長期撮影全てが終
了いたします。夏・冬合わせて6ヶ月にわたり西和賀
の皆様には本当にお世話になりました。
その感謝の気持ちとご挨拶をかねて、第3回目とな
る「映画と町民の交流会」を開催致します。スタッフ
の携わった作品を通し、完成される映画へのイメージ
を広げて頂くとともに映画の完成にご期待下さい。
皆様、お誘い合わせの上ご来場くださいますようご
案内申し上げます。
‐大阪・被差別部落‐
1986年/80分
監督:小池征人
撮影:一之瀬正史
◆いのちの重さ、人間の輝き
映画は郵便局勤務の男性の語りから始まる。彼のところには
名ざしで職場をやめろ、死んでしまえなどという手紙が来る。
差別は厳然と存在している。この映画は被差別部落の人びと
のさまざまな語りからその差別の重さを感じさせる。いくつ
あ
っ
主 催:記録映画制作西和賀後援会/センストン映画制作研究所
問合せ先:記録映画制作西和賀後援会事務局(℡ 0197-85-2212)
と
こ
と
ん
や
さ
し
い
、
かの物語をつなぎ合わせて、人間のもつ輝きを拾い集めよう
としている。
◆立ち上がる解放運動
住宅要求闘争を語る女性。入居した時はうれしかったが、部
落の共同性が失われていった。また、住宅がねたみの対象と
され、新しい差別をうんだ。部落の男性と結婚した女性は結
婚後15年たっても家族との交流がない。しかし、彼らは差別
にうちひしがれてばかりはいない。「障害児も地域であたり
まえに生きたらいい」と解放運動に教えられ、障害者の施設
を部落の中に作った人びとがいる。「この地域やから生きて
ゆけるんとちがうかなー」と語る。水俣出身であることを隠
してきた一家は子どもの保育園入所をめぐって部落の人たち
と知り合い、解放運動に立ち上がった。「部落は私のいのち
です」と母は語り、息子も「部落がふるさと」と言い切る。
◆「誰れかが牛殺さな」
圧巻は屠畜場の屠畜シーンと屠畜技術者が小学校に出向いて
自分の仕事について子どもたちに語りかけるシーンである。
ナイフ一本で肉にしていく確かな仕事は職人芸である。彼は
言う。「 誰れかが牛殺さな、たべてかれへんねん、肉たべ
られへんねん て言えるくらいな、みんな子どもになってほ
しいなと思う」
と
こ
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か
ら
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記録映画『いのちの作法』映画班
プロデューサー:都鳥拓也、都鳥伸也 監督:小池征人
撮影:一之瀬正史 録音:若林大介、中越信輔
人間の街
製作:青林舎
た
か
や
<撮影終了!!
岩手・西和賀発 世界へ
第 3 回『映画と町民の交流会』開催>
3 月 24 日、夏・冬併せて 6 ヶ月の長期撮影を終えたことから、町民
の皆様への感謝を込めて、第 3 回目となる『映画と町民の交流会』を
開催しました。上映した作品は『人間の街−大阪・被差別部落−』
。
小池監督と一之瀬カメラマンがコンビを組んだ初期の代表作です。
上映終了後には、映画班で東京に戻る 3 人に花束が贈呈され、その後
会場からの花束を受けるスタッフ
高橋典成後援会事務局長から募金活動の報告がありました。3 月 24 日
現在の総計は 627 万円(募金者 726 人)ということです。皆様一人ひとりの力がスタッフたちにとって大
きな支えとなっており、心から感謝申し上げます。これから映画は仕上げの作業に入ります。今後もますま
すのご支援どうぞよろしくお願い致します。
町民の皆様からは、
「この交流会を続けて欲しい」という意見もお聞きしています。これからも出来る限
りそういった催しが出来るよう努力していきたいと考えています。開催の際には、また本誌紙面等で、お知
らせ致しますのでお楽しみに!!
<北上、盛岡でも好評!!
北上市民交流プラザと湯沢団地集会所で
応援上映会
第 6 号
2007.4.25
発行
「いのちの作法」通信
発 行:記録映画制作西和賀後援会 発行責任者:高橋典成
連絡先:〒029-5614 和賀郡西和賀町沢内字太田2−115−1 ℡ 0197‐85-2212
開催>
先月末、北上市の市民交流プラザと盛岡市の湯沢団地集会所の 2 ヶ所で
『いのちの作法応援上映会』が開催されました。上映作品は、第2回『映
画と町民の交流会』で西和賀の皆様から大好評を得た『わが街わが青春−
石川さゆり水俣熱唱−』
(一之瀬カメラマンのデビュー作品で、小池監督最
後の助監督作品)です。
22 日の北上での上映会は、北上市、北上工業クラブ、北上商工会議所、
北上料飲店組合、北上ケーブルテレビの共催と県南広域振興局北上総合支
盛岡上映会に参加してくれた方々
局、北上青年会議所の後援を得て実施され、当日は 50 名という動員予想を
はるかに超える 76 名ものお客様で賑わいました。
上映会終了後は、共催・後援団体により北上での『いのちの作法』応援組織の結成に向けた話し合いが持た
れています。応援組織については、5 月の結成を目指し進行中です。
26 日の盛岡湯沢団地での上映会は、沢内・前郷出身の遠藤寿美子さんと沢内・太田出身の米沢慎悦さんの
主催で行なわれました。
20∼30 名と予想された動員数を超え、約 40 名の湯沢団地の住民の皆様が来場。主催の米沢さんは「本当
は僕たちのような西和賀出身の人間たちがやらなければいけない、伝えていかなければいけないこと。それを
この兄弟が代わりにやってくれている。そのことがとても嬉しいし、出身者として僕たちはそれを応援して行
きたい」と挨拶しました。
胎児性水俣病の患者さんたちが、体におった障害と戦いながらひとつのイベントを成功させて行く姿に、涙
ぐみながら鑑賞された方もおり、大変好評のうちに上映会は幕を閉じました。
『いのちの作法(仮題)
』はこうして、西和賀町という範囲を超えて広がり始めています。
出前上映会はいかがですか?
記録映画制作西和賀後援会では、各地区の公民館などで映画上映会を開催していく予定です。「いのちの作
法」製作スタッフがかかわってきた作品を中心に、ドキュメンタリー映画の魅力を味わっていただきたいと思
います。わが地区で開催をと希望される方は、どうぞ後援会事務局までお知らせください。お待ちしています。
3 月 10 日、西和賀の冬の風景を撮るために太田の玉泉寺裏山に登ったスタッフ。今年の冬は雪が少
ないとはいえ、踏み固められていない雪の山道は大変でしたが、山頂からの眺めはすばらしかった!
去る 3 月 30 日、
『いのちの作法 沢内「生命行政」を継ぐ者たち(仮題)』の冬季集中撮影が終了し
ました。夏季の 3 ヶ月を含めた長期ロケ約 6 ヶ月、西和賀町の皆様には様々な形でお世話になりました。
改めて感謝申し上げます。どうもありがとうございました。
これでクランクアップということになりますが、これだけでは映画は完成しません。4 月 9 日から小
池監督と中越助監督は編集作業を開始しました。これまで撮影した約 130 時間を 90∼120 分の 作品
としてまとめあげる作業です。
また、西和賀町に残ったプロデューサーの都鳥兄弟は、制作資金集めのための「北上応援団」の結成
や、町民の皆様との交流の場として「星の家シアター上映会」の開催などの新たな活動を開始します。
映画の撮影隊は西和賀を離れましたが、まだまだ映画製作のための活動は続いて行きます。次号から
心機一転で紙面の形を変えながら、『いのちの作法通信』の中でも映画の進行状況を伝えていきます。
また、今回から「生田編集室だより」として、編集の経過報告をしていきます。撮影されたたくさんの
映像が、編集作業を通して、如何に 1 本の映画として完成していくのか? その過程を皆様にお伝えし
ていきます。
皆様、これからも記録映画『いのちの作法 沢内「生命行政」を継ぐ者たち(仮題)』をよろしくお
願い致します。
「いのちの作法」編集現場からのメッセージ
スタッフインタビュー プロデューサー・都鳥伸也(とどりしんや)さん
生田編集室だより
西和賀の人は優しい
−年末の完成を目指して、映画編集中−
いくた
へんしゅうしつ
だより
センストンが入るビル
―撮影が 3 月いっぱいで終わりましたね。西和賀で一番印
象に残ったことは。―
とにかく人が親切で優しいということが印象的でした。
例えば、2 月 10 日の雪あかりで、光寿苑の雪見橇を 10
数年ぶりに復活させたときのことです。当日は雪が降ら
ず、主催した方々が道路に雪を敷いて橇を引いたのです
が、そのときに湯本の方々が「自分の家の前は自分でやる
よ」と自主的に力を貸してくれました。都会では見てみぬ
フリで終わってしまうことですよね。
また、子育ち子育て支援会議が行なった 長瀬野地域転
住 の家庭体験では、見ず知らずの子どもたちを親代わり
として受け入れたご家族の方々がとても印象的深いです。
1 月と 2 月の 2 回、お付き合いさせて頂きましたが、子ど
も達の顔が一度目と二度目では変化していて、徐々にリラ
ックスしていく様子が伺えました。これも子ども達のこと
を親身になって考えるご家族の優しさがあってこそだと
思います。
湯川のどんと祭にワークステーションの通所者が初参
加したときのことも思い出に残ります。はじめは住民から
は反対の意見も出ていたんです。しかし、話し合いの結果、
地域の皆様によそからの住民が受け入れられました。西和
賀の人には他人に心を開く懐の深さがありますよね。
この間、東京へ行ったとき、関東出身の友人に西和賀で
の話をしたところ、
「この町の人は優しいですねぇ」とと
ても驚いていました。
―これからのスケジュールは。―
東京に戻った小池監督と助監督の中越君は 9 日から編
集作業に入っています。記録映画には脚本がないので、完
成形が全く分かりません。羅針盤のない状態から形にする
わけですから撮影にかかった日数と同じぐらい、あるいは
それ以上の時間がかかります。
今回もその類にもれず、9 ヶ月の仕上期間を経て 12 月
の完成を目指しています。皆様にご覧頂けるのは来年の初
頭になる予定です。
プロデューサーである僕たち兄弟は、今後、編集作業や
上映、宣伝にかかってくる制作費の調達活動を主に行なっ
ていきます。
−上映までの間、西和賀に滞在するわけですが、どのよ
うな活動を予定していますか。−
西和賀では、七内川のビデオシアター「星の家」で、月
一回の映画上映会を行ないたいと考えています。記録映画
にこだわらず、地域の方々と映画を楽しむための上映会に
出来れば嬉しいですね。
また、各地区の公民館で「いのちの作法」に携わったス
タッフの関連作品の上映会も行ないたいと考えています。
過去 3 回ほど「町民と映画の交流会」を銀河ホールで行い
ましたが、そのときに貝沢の方などは会場が遠すぎたため
に参加出来なかったというお話も聞いています。そういっ
た方々のために今度は各地区に出張して、交流を深めてい
きたいという企画です。
また、隣の北上市では北上青年会議所が開催する市民向
けの映画ワークショップに参加します。母校の日本映画学
校から講師を呼び、市民に映画制作のノウハウを教えて
30 分の短編映画を制作するというものです。
「いのちの作
法」に対しては北上の多くの団体からも応援して頂いてお
りますので、その恩返しになれば嬉しいですね。
―今回の作品に期待する西和賀の住民は多いと思います。
出来栄えは。―
町民の皆様のご協力もあり、たくさん良いものが撮影出
来たと思っています。特にこの地域で頑張って生きている
30、40 代の方々の活動(
「全国さわうちまるごと児童養護
施設事業」などを始めとする 子育ち子育て支援会議 の
活動や、 湯田沢内若者による地域を考える会 に参加す
る方々の活動)を丹念に撮影出来たのは幸いでした。
今回のような過去の偉業を柱にした作品の多くは、昔、
活躍した老人ばかりが注目され、その後を担う世代という
のはなかなか目を向けられることが少ないですから。
他の過疎地域に生きる多くの人たちが、西和賀の 30、
40 代の方々の活動から「生きるヒントを貰った」とか「勇
気付けられた」とか、そんな風に言って頂けると嬉しいで
すね。
〔文責/インタビュアー 高橋典成〕
映画スタッフはのべ6ヶ月間の撮影を終え、いよいよ映画の編集作業に入っています。編集室は神奈川
県川崎市多摩区生田にあり、ここで小池征人監督と中越信輔助監督が「いのちの作法」を形にしていくこ
とになります。
西和賀で撮りためられた映像がどのように作品として形作られていくのか。通信では、小池監督と中越
助監督からの編集作業などの情報を「生田編集室だより」としてお伝えしていきます。お楽しみに(^_^)
第一回
縄文の里で見つめる生と死
縄文時代の遺跡等が多く発掘されている多摩丘陵、栗谷といった地名等もあり、様々な点から縄文文化
を感じる事が出来る。
そうした広大な多摩丘陵の南の山頂に、センストン映画制作研究所がある。研究所は、地域情報誌『多
摩人』や『でじたま(http://www.tamajin.jp)』を発行する株式会社センストンが母体となっている。建物
は春秋苑という墓地と集合住宅の狭間にあり、今回の、生と死を見つめる作品には適した場所かも知れな
い。
センストンの一室が、編集室になっている。六畳ほどの空間に、西和賀町で撮影したビデオテープや資
料が棚に並べられている。撮影済みのテープは合計で約 130 時間にも及ぶ。単純に計算しても、その 100
分の1が、今回の作品になるのである。撮影を終えてこの多摩丘陵に戻った一週間後、4月9日には、早
速、編集作業に向けた準備が始まった。1カット1カット、何を撮影したか、書き出していく地道な作業
である。
そして、これから毎日毎日、撮影済みのテープを繰り返して見つめていく事になる。撮影前には、 生命
とは目に見えないものだと思っていた。しかし、今回の撮影で出会う事が出来た西和賀という地域に生き
る人々の姿に、言葉や想いに、ほとばしる 生命 を見せつけられた。その 生命 が、確かに、記録さ
れているのである。
今回の記録映画『いのちの作法(仮)』は、小池監督曰く SF映画 である。直接的な事実や現象等を、
ただ単に後追いした記録ではない。未だ成就は出来ていないが、西和賀で生きる人々が持つ希望や過去か
ら受け継いだ思想の未来を、 映画 という形で表現しようとしているのである。そうした意味で、
「 スー
パーファンタジー(Super Fantasy) な映画を作るんだ」と、言いながら楽しんでいる。
映画の完成は、12 月を予定している。その日まで、試行錯誤を重ね、編集作業は行われていく。
(文/責 中越信輔)
株式会社センストンとは ー センストンは神奈川県川崎市多摩区にあり、広告代理業や地域情報誌の出版
を行っている会社です。地域の活性化にも力を注いでおり、映画「いのちの作法」の制作も、地域の魅力を
引き出したいという同社の思いからスタートしました。センストンという社名は、千(せん)の石(ストー
ン)をひとつずつしっかりと積み上げていきたいという同社の基本姿勢を表わしています。
フィルム日誌 − 撮影もいよいよ終了・・・。この撮影を通して出会った西和賀の人々、西和賀の自然、多くの宝物を映像として記録できたことを私たちはとてもうれしく思っています。
3月 14 日死生観を語る研修
特養老人ホーム光寿苑で行われ
た、死生観を語る座談会。職員
だけでなく、お年寄りと家族も
参加しました。一般的に死がタ
ブーとされる場所で、三者が集
い語り合うのは全国にも例を見
ません。涙を流しながら、笑い
ながら、取り繕う事なく語る中
から、参加者の生き方が見えて
きました。
3月 16 日 高橋正太郎さん
ダウン症の娘を持つ、百歳に
なる高橋正太郎さん。娘が気
がかりなのが長生きの理由と
言う。初めて娘の働くワーク
ステーションを訪れ、福祉作
業所時代からの知り合いや、
娘の仲間達に声を掛けて歩き
ました。最後に、
「娘をお頼み
申します」と施設長等に手を
合わせる姿が印象的でした。
3月 22 日 高橋千潤くん
御宮参りを撮影した高橋千潤
君の入浴場面に立ち合いまし
た。さっぱりした千潤君、「ア
ァ」と言葉にならない声で喜ん
でいました。「この瞬間は今し
かないから、すぐに大きくなら
なくていい。この子と一緒に成
長したい」という夫妻の想いに
抱かれて、すこやかに育ってい
ます。
3月 28 日 春山歩き
自然観察指導員の増田洋さん
と高橋二雄さんの春山歩き。洋
さんが、「自然に対して謙虚。
常に感謝の気持ちを持つ人」と
慕う二雄さんは、まさにマタギ
の精神を受け継いだ人物。カモ
シカの足跡を見つけたり、木の
芽について話をしながら歩く
二人の姿に、自然と共生すると
いう本来の在り方を見ました。
(社)北上 JC が『自主映画制作事業』スタート!
監督、カメラマン等、撮影スタッフ急募!!――地域間交流目指して――
昨年から『いのちの作法(仮題)』を応援して下さっている北
上青年会議所が、5 月 14 日(月)に北上市役所で『自主映画制
作事業』を発表する記者会見を行ないました。
スタッフやキャストは全て市民公募で行い、プロの映画監督、
撮影監督、録音技師の指導を受け、実撮影は全て市民が主体と
なって行なう、市民参加型の一大イベントです。
この事業には『いのちの作法』の都鳥兄弟がプロデューサー
として参加し、彼らの母校である日本映画学校の全面協力の下、
実施されます。
北上青年会議所は西和賀町へも後援を要請。参加者を募集し
ます。
「西和賀町は、映画制作では先輩です。映画という共通の
事業発表で気勢をあげる北上青年会議所会員と
ツールを通して互いに地域づくりへの想いを語り合えれば
都鳥プロデューサー 若い力がはじけます
嬉しいです」と、青年会議所・まちづくり委員会の伊藤隆一さ
んは言います。
映画が大好き、興味があるという 18 歳以上の町民の皆様、ぜひ参加してみませんか?
<対象者>
・ 北上市、西和賀町在住または北上市・西和賀町内に勤務の 18 歳以上の方々。
<定員>
・ 30 名
<募集期限>
・ 5 月 14 日∼6 月 3 日まで
<応募方法>
・ 参加申込書を期日までに北上青年会議所事務局に FAX または郵送下さい。
参加申込書は、湯夢ぷらざ、まりや書店、沢内バーデンに設置しております。
<参加費>
・ 10,000 円(講師謝礼・撮影機材使用料・配布用 DVD 制作費)
スタッフに選ばれた方は 6 月上旬までに指定の振込み口座までご入金下さい。
<映画教室日程>
・ 第一回講座 6 月 9 日(土)
、10 日(日)
、
・ 第二回講座 7 月 14 日(土)
、15 日(日)
、
・ 第三回講座 7 月下旬予定。
撮影は 8 月 6 日∼9 月 3 日までの間の土日を利用した 10 日以内となる予定です。完成発表は 11 月上旬に、
北上さくらホール中ホールで行なう他、西和賀町内での上映も検討中です。
※
お問い合せは北上青年会議所(0197−65−0281/受け付け時間 10:00∼16:00)迄どうぞ。
∼あとがき∼
映画の撮影が終了してから 2 ヶ月近くが経過しました。映画スタッフは、小池監督と中越助監督が神奈川県川崎市で映
画の編集作業、都鳥プロデューサーは西和賀に残って、北上市での後援会の立ち上げなどにがんばっています。
この通信も、紙面を新しくしてそれぞれの活動の内容を皆様にお伝えしていきますので、お楽しみに。
岩手・西和賀発 世界へ
第 7 号
2007.5.25
発行
「いのちの作法」通信
発 行:記録映画制作西和賀後援会 発行責任者:高橋典成
連絡先:〒029-5614 和賀郡西和賀町沢内字太田2−115−1 ℡ 0197‐85-2212
解散式の後、それぞれの施設に帰っていく子どもたちを見送る関係者の皆さん
今号より、『いのちの作法通信』は紙面を一新し、巻頭では昨年8月から行われてきた撮影の中から、印
象に残った場面を紹介していきます。今回は、2006 年 8 月に行なわれた『全国・さわうちまるごと児童養護
施設事業』を紹介します。この事業は、全国の児童養護施設に参加を呼び掛け、主に関東圏から子ども達が、
四泊五日、西和賀町に宿泊。西和賀の自然や風土の中で様々な体験を行う取組みです。
映画班がこの事業に出会ったのは、2005 年8月、旧沢内村を初めて訪れたときでした。 清吉稲荷 とい
う名前だけを頼りに、生命行政を担った故・高橋清吉さんの旧家を訪れていたときです。偶然、第三回目の
事業に参加していた子ども達が帰って来たのです。そして、映画班は子ども達と一緒にいた、胸の肌蹴た野
性的な男性の存在感に惹かれました。その男性は、この事業を主催する『子育ち・子育て支援会議』の増田
洋さんでした。
この出会いは、生命行政という過去だけを描くのではなく、その思想を受け継いだ現在形を探していた映
画班にとって、「これで映画が出来る!」と確信した瞬間でした。
翌年、4 回目となるこの事業に合わせ、夏季撮影が始まりました。最初は緊張していた子ども達が、和賀
川の冷たい水に足を浸して山椒魚を探したり、地元の人と一緒に農作業したりと様々な体験を通すことで、
児童養護施設という 狭い世界から全てが本物の世界 に解放され、心を開いていく様子や、子ども達の一
挙手一投足をしっかりと 見つめる 、増田さんを始めとする事業スタッフの姿を記録していきました。
婦人会をはじめ、様々な人々の協力を得て、 日本一の子育ち・子育ての町 を目指す、西和賀町全体の
取組みとして広がりを見せてきたこの事業は、記録映画『いのちの作法』でも、西和賀独自の 人・自然・
文化 の力を感じさせることの出来る大切な場面となります。
スタッフインタビュー プロデューサー・
都鳥拓也(とどりたくや)さん
地域の個性を生かすメディアが求められる
−
地元に映画会社を設立する
が夢−
―自分の生まれ育った北上と、最初の仕事の現場と
なった西和賀。このフィールドを活かしたこれから
の仕事(活動)の夢を聞かせてください。―
地元に映画会社を設立し、映像の仕事を続けて行
きたいと考えています。まずは『いのちの作法(仮
題)』の上映運動が仕事の中心となっていくと思いま
すが、平行しながら小さな映像制作の仕事をし、力
を蓄えながら次の映画を製作出来る体制を作って行
きたいです。
最終的には東京に負けないメディアの発信を岩手
から出来るようにしたいですね。中央が支配するメ
ディアではなく、地方の個性、生き方を尊重するメ
ディアのあり方が求められています。その一翼を担
いたいと思います。
自分たちの地元でこうした文化的な活動が出来る
ようになれば、若者の中央に対する視線が変わって
くるだろうし、僕たちの活動が、若い世代にとって
拠り所になっていくと嬉しいです。
北上や西和賀といったフィールドをどのように活
かしていくのか、まだ見えていないのですが、これ
《第 2 回
編集作業開始!!》
4 月 18 日から、実際に映像を繋ぎ合わせる作業を
開始しました。まずは完成尺を気にせずに、重要な
場面を繋いでいく作業です。表紙でもご紹介した『全
国・さわうちまるごと児童養護施設事業』から、そ
の作業は始まりました。
「懐かしいね、全然違って見えるね」
改めて見直すと、木々や花の色彩、青々とした田
圃の向こうに見える清吉稲荷の存在感を強烈に感じ
たのです。感覚が一気に画面の中へと引き込まれて
いきました。
布団の運び込みといった準備段階から、子ども達
を出迎える場面等を、監督と意見を交わしながら繋
いでいきます。
特に難しかったのが、自然体験ということで、子
ども達が真昼岳や弁天島の渓流を訪れた場面です。
山椒魚や蛙を捕まえたり、石を研いで様々な色を作
ったり、賑やかに遊んでいるカットをテンポ良く繋
いでみたものの、違和感が残るのです。観る側に何
も感じさせることが出来ないのです。
その時に思い出したのが、この事業の中心人物の
一人増田洋さんの一言でした。それは、ゴムボート
での川を下り体験の最中、速さを競って必死に漕い
でいた子ども達に向かって叫んだ、
「頑張り過ぎ!」
まで映画制作で培ってきた人間関係が今後の活動の
大きな支えになるのではないかと感じています。
−今、青年は「夢がない」と言われていますが、どう
思いますか。−
今の若い世代は非常に現実的な考え方を持ってい
るのだと思います。常識のレールに乗りたくない、と
いうよりはレールに乗って将来の生活の安定を求め
ているように感じます。それだけ、現代社会が疲弊し
ているのだと思います。経済面でも生活環境を取り巻
く社会的な面でも、全ての状況が青年たちから夢を奪
っていると思います。
また、学歴偏重の学校教育も悪影響を与えていると
感じます。いい得点を取り、いい大学に入ることを大
事に考えるあまり、本来、自分がやりたいと思ってい
た職業から離れていってしまうことが多と思います。
どちらにしろ、これは難しい問題です。実際に今の
日本は簡単に「夢を持て!」とは言えない状態にあり
ます。この状態をどう変えていくのかが今後の日本の
課題ではないでしょうか。
という言葉です。そして、川の流れに任せてゆっくり
と下るボートを見て増田さんは「こういう時間を体験
して欲しいんだ」と言っていたのです。
映画は、目についたカットを切り取っていけば良い
という訳ではなく、この事業を主催するスタッフ達が
この事業に込めた想いを、映像を通して表現しなけれ
ばならない―――。
真昼岳の自然体験に足りなかったのは、正に、ゆっ
くりとした時間でした。カット数を少なくして、その
分、ワンカットを使う秒数を長くして見せる。そうす
ることだけでも、自然の中で過ごす時間の重要さを表
現出来、木や生き物と触れ合う子ども達の表情がより
一層見えてくるのです。
清吉稲荷で行なわれた、この事業の解散式。事業ス
タッフの中には、子ども達と別れる際、涙を流す人も
いました。児童養護施設という狭い世界の中で生きる
子ども達を想って流すその純粋な涙、そして、子ども
達に最後に託すメッセージには、観る者の胸をぎゅっ
と締め付けるものがあります。解散式を終えた子ども
達がバスに乗込み、それぞれの施設へと帰っていく。
それがこの事業の最後のシーンとなりました。
「本当にこれで映画が出来ると思う?」
撮影中、監督がスタッフ一同に問い掛けたことがあ
りました。劇映画と違い、脚本が無い記録映画。そし
生
都鳥プロデューサー
―映画の仕事に、おじいさんの理解、協力があると思い
ます。おじいさんや家族への 思い は。―
家族には迷惑をかけていると思います。それに映画制
作は身近にない、まるで浮き草生活に近いような仕事で
もあるので、心配をかけていると思います。しかし、そ
れと同時に一番の理解者であり、協力者であるのも事実
です。
祖父には小さい頃からお世話になっていました。いろ
いろな場所に連れていってもらったりしましたし、趣味
でやっている油絵を真似て僕たちも絵を描いたり、たく
さんの影響を受けました。
祖父は昔、画家になりたかったそうですが、それをあ
きらめたという話を聞いたことがあります。そうしたこ
ともあり、僕たちの仕事には理解をもってくれているの
だと思います。そうした意味では祖父に感謝していま
す。
『いのちの作法(仮題)』が良い映画に仕上がり、広
く、多くの方々に見て頂ける様になることが、家族に対
する恩返しだと考えています。また、それはこれまで支
援して下さった多くの方々に対する恩返しでもあると
思います。
今後、12 月の完成に向けて映画の形も見え初めてきて
います。もうしばらくお待たせしてしまいますが、皆様
に素晴らしい作品をお届けしたいと思っています。ご期
待下さい。
〔文責/インタビュアー
高橋典成〕
「いのちの作法」編集現場からのメッセージ
生田編集室だより
いくた
へんしゅうしつ
だより
て、 生命 という非常に抽象的なテーマに向き合ってい
たからです。度重なる議論、試行錯誤を繰り返しながら
長期間、撮影を行なう中で、不安に駆られることもあり
ました。しかし、実際に編集を開始した今感じるのは、
間違いなく 撮れている ということです。
私たちは今、映画の完成に向けて、一歩一歩、着実に
前進しています。
(文/責 中越信輔)
清吉稲荷で打ち合わせを
するスタッフ
本内川での川遊びの様子
を撮影。
活
動
日
誌
<4月 21 日(土)∼5 月 5 日(土)春季風景撮影>
都鳥拓也君が撮
影助手としての
経験を生かしミ
ズバショウやカ
タクリなど、西
和賀の代表とも
言える春の植物
の他、農作業風
景や和賀川の風
景などを撮影しました。長い冬を終え、一斉に顔
を出した草木が眩しいほどに記録されています。
<4 月 30 日(月)星の家映画鑑賞会『夢』>
七内川のホーム
シアター「星の
家」で映画鑑賞
会を開催。集ま
った皆様は黒澤
明の描く幻想世
界に浸り、食い
入るように画面
に見入っていま
した。終了後、「心に突き刺さる、深い作品で感
動しました」と感想を頂きました。
<5 月 10 日(木)北上工業クラブ総会>
半年振りに岩手
を訪れた武重ゼ
ネラルプロデュ
ーサーが、北上
工業クラブの総
会で制作協力の
呼び掛けを行な
いました。会員
の皆様は、暖か
く迎え入れて下さり、懇親会では様々な想いを語
り合いました。
<5 月 11 日(金)北上応援組織結成会議>
北上翠明荘で、
北上での応援組
織の結成に向け
て会議が持たれ
ました。
北上市、県南広
域振興局北上総
合支局、北上工
業クラブ、北上
青年会議所の他、地域住民の方々も参加し、事務
局体制等について議論が重ねられています。
『いのちの作法(仮題)』特別編集版
岩手愛児会 50 周年記念式典で上映!
夏季転住 (現・カタクリ転住)を始めとする様々な
活動で 20 年以上も西和賀町沢内と連携し、子どもたちの
地域養護を行なってきた盛岡の児童養護施設、みちのく
みどり学園。その母体である、社会福祉法人・岩手愛児会
の創立 50 周年記念式典が、去る 6 月 16 日(土)に盛岡市
のアイ−ナ(いわて県民情報交流センター)で行なわれま
した。
式典後の特別講演では、作家・大江健三郎先生のお話を
始め、名人・高橋正慶さんによる沢内甚句などが披露され
ましたが、その後の懇親会では、
『いのちの作法』の一部
が特別上映されたのです。
毎年、夏に行なわれる 全国さわうちまるごと児童養護
施設事業 や長瀬野地区での子どもたちの 地域転住
祝賀会であいさつをする小池監督
(ホームステイ)。
『いのちの作法(仮題)
』では、みどり
学園が西和賀町とともに取り組んで来た地域養護の活動もたくさん撮影してきました。今回上映されたのは、
それらの活動を約 20 分にまとめた特別編集版です。
岩手・西和賀発 世界へ
第 8 号
2007.6.25
発行
「いのちの作法」通信
発 行:記録映画制作西和賀後援会 発行責任者:高橋典成
連絡先:〒029-5614 和賀郡西和賀町沢内字太田2−115−1 ℡ 0197‐85-2212
「みどり学園が西和賀と共に築き上げてきた地域養護の成果を映像として紹介したい」
藤澤昇園長の強い想いが、
「 原稿用紙になぐり書きした小説の下書き のような編集途中の作品をお客様に
お見せすることは出来ない」という信条を持つ小池監督を動かしたのです。昨年、8 月のことでした。
50周年という重さの中に、みどり学園と
西和賀町の歴史も刻まれています。
﹁いのちの作法﹂では、そうした大事な歴
史の断片を伝えたいと思っています
音楽もナレーションもない未完の作品で、どこまで人に作り手の想いが伝わるのか?
この日の上映は監督にとって、普段の上映会以上に緊張するものだったでしょう。
しかし、そんなスタッフの不安をよそに、
「画が綺麗」
、
「自然が美しい」、
「12 月に完成
する本編が楽しみです」と、上映の結果は大
好評。会場から多くの賞賛の声を頂きました。
監督も僕たち兄弟も、その反響に確かな手
応えを感じ、自信を得て会場を後にしました。
別れ際、藤澤園長が監督の手を握り締め、
「小池さん、有難うございました!」と一言。
その嬉しそうな表情がとても印象的でした。
<文責/都鳥伸也(プロデューサー)>
∼あとがき∼
6月も終わろうとしていますが、今年はどうやら空梅雨のようです。夏も暑くなるとの予報も出ており、水不足などち
ょっと心配ですね。でも、この「いのちの作法」の制作だけではなく、全国版 TV 番組の撮影など西和賀町にはいろいろ
といいニュースが届いています。暑さに負けず、 熱く燃える西和賀町 としてがんばりましょう。
祭りが始まる前の境内
―
ここは老若男女が集う憩いの場でもあります
旧湯田町の左草集落では、かつて地区で行われていた小さな祭りを復活し、現在でも大切にしています。
それが、 山祇神社祭り です。当日の朝、境内の清掃作業や、紅白の垂幕や幟を立てるといった準備を、
各戸から必ず一人は出て来て皆で行います。
五穀豊穣と家内安全を願い、小さな神輿が、集落内の各戸を廻って行きます。子ども達が、神輿を担いだ
大人達の後を「わっしょい、わっしょい」と掛け声を出して歩きます。地区の子ども達が少なくなり、隣の
集落の子ども達も応援に駆けつけていました。
その 山祇神社祭り には、旧沢内村前郷地区の坂本神楽団が、合併以前から呼ばれて参加しています。
山祇神社の境内で神楽の舞いを披露するという、 地域間交流 を行っているのです。徐々に天候が崩れ、
雨が降り始めた境内で、坂本神楽団団員の高橋光世さんが「いくら雨が降っても続けます!」と叫びます。
そして、法螺貝の音が辺りに鳴り響き渡りました。次第に激しくなる雨に打たれながら、神楽が舞います。
坂本神楽団は、社の中からジッと見つめる人々の 集落に対する願い を感じながら、そして、生命の源で
ある 恵みの雨 を感じながら、最後まで舞い続けたのです。
小さな地域の小さな伝統行事に、映画班は、決して切り捨ててはいけない 本当の美しさ を見ました。
スタッフインタビュー ゼネラルプロデューサー武重邦夫さんに聞く
世界を歩ける映画に
ます。それも不正な方法で。
日本を元気にするには、地方を元気にしなければなりま
せん。そのためにも地域で映画をつくるべきです。都鳥く
んたちにそれを期待しているのです。
都鳥プロデューサー
活
動
日
誌
∼今が値打ち「いのちの作法(仮題)」∼
−今だから『いのち』の大切さを−
−印象に残る岩手との出会いは−
旧玉山村で昭和 30 年代の後半に殺人事件が起きまし
た。
「藪川事件」です。わずか 13 戸の集落で 40 歳ぐら
いの女性が殺されました。狭い村での殺人事件だったの
で、誰もがすぐに犯人が検挙されるものと思っていまし
た。それが結局、迷宮入りの事件となったのです。村落
共同体の「むら意識」が「むらから犯人を出さない」結
果になったと思われます。
このことについて調査に入ったのが岩手県との最初
の出会いです。これを 1970 年に「黒念仏殺人事件」
(戯
曲)として世に出し、芸術祭の奨励賞をいただきました。
2 回目は 1976 年に田野畑村に入りました。日本映画
学校の卒業制作の指導としてです。
岩手の人・自然・文化に触れ合えたのが、私の映画人生
に大きな影響を与えています。その中に、「岩手が生ん
だ天才カメラマン」
、盛岡市出身の栃沢正夫さん(故人)
との出会いもあります。
−岩手の風土が育んだ天才カメラマンとの出会い−
私は、日本映画界の巨匠、今村昌平監督に師事しまし
た。今村プロの結成に参加したり、今村監督と共に、
横浜放送映画専門学院(現・日本映画学校)を創立す
るなど、様々な活動に従事しながら、「神々の深き欲
望」や「楢山節考」等、名作と言われる今村作品に係
ってきました。
《第三回
言葉の選択》
劇映画には無い、記録映画ならではの大切な要素の一
つに、インタビューがあります。今回の撮影でも、様々
な人にお話を伺いました。碧祥寺の太田祖電さんと太田
宣承さんによる対談は、約三時間にも及びました。しか
し、どんなに密度の濃い時間でも、完成尺を考えると、
当然、全てが使える訳ではありません。
「本当に僅かな時間しか使えないんですよ。一分程度
になるかも知れないですし…」と、インタビュー終了時
には、予め断るようにしてきました。すると、「いいん
ですよ、何なら全部カットして下さい」なんて冗談で応
えてくれたり、反対に、
「上手く喋れなくてごめんさい」
と、申し訳なさそうに言うのです。
少し話はそれますが、上手く喋れない、という気持ち
は本当によく分かります。スタッフ議論を重視して記録
映画の製作をする小池監督と一之瀬カメラマンのベテ
ラン二人に比べ、経験も無い若者三人(特に自分)は、
まともに意見すら言えませんでした。「何か喋れよ!」
という小池監督の言葉を、撮影期間中、果たして何度耳
にしたでしょうか…。
ある時、「(三人は映画という世界では)赤ちゃんと
しかし、東北の人は厳しい自然、四季のメリハリ、人
情に厚い暮らしが影響しているせいか、感性が磨かれて
いるように思います。栃沢さんにもそれを感じました。
カメラという機械が写す世界には差は無い、一定の技
術があれば誰が撮っても同じだと思うのですが、実はそ
うではないのです。今村監督が「栃沢の絵には艶がある」
と言っていました。今村作品を陰で支えていたのが、栃
沢さんだったのです。
今年 11 月には盛岡市で栃沢作品の特集上映会を企画
しています。岩手が生んだ天才カメラマンの作品を、是
非、じっくりとご覧いただきたいと思います。
−岩手から発信の映画をつくりたい−
映画は地域でつくるべきだと思っています。昨年夏、
銀河ホールで新潟県の旧・山古志村を舞台に私がプロデ
ュースした「掘るまいか」を上映しましたが、これも
その一環です。
映画づくりは東京では限界があります。文化は東京から
地方に流れる、というのはウソです。地域社会を掘り起
こすことによって、日本再生が図れると思っています。
地域には「人間らしい暮らし」があります。六本木の
ヒルズ族に代表される実態のない、金儲けだけに走る人
はいません。心が必要な介護まで金儲けの手段にしてい
同じ。色々なモノをじっと見つめて吸収していって、
成長したら、ちゃんと自分達の言葉を発するようになる」
と、撮影でお世話になった方に言われた事がありました。
言葉を発するという事は、自己の考えや想いを伝える作
業です。その考えや想いは、正に、その人が様々なモノ
を吸収しながら生きてきた道です。喋るのが上手い下手
にかかわらず、言葉には人生があります。本当に何気無
いたった一言でも、胸に突き刺さる言葉もあるのです。
「生命には、言葉の生命もあると思いますし、表現の
生命もあると思いますし。で、行動や仕草、全ての事に
生命が繋がっていると思います」
太田宣承さんに、単独でインタビューをした際の言葉
です。この言葉には、今回の作品を編集するに当っての
姿勢を教えられた様な気がします。
実際にどの言葉を選択するか迫られた今、本当に悩ま
されています。その人の喋り方や間の取り方でも、選ぶ
言葉は違ってきます。AさんとBさんが同じ様な事を言
っている場合、どちらに言ってもらった方がよりいいか
…、ここの話はナレーションで伝えた方がいいんじゃな
いか…、等など。
しかし、どんなに限られた時間でも、皆さんから受け取
った生命を、作品として繋げていきたい。そのために今、
耳を傾けています。
(文/責 中越信輔)
映画は「その時々のもの」。タイミングが必要です。条件
が整い、資金が集まってから始める、では遅い場合があり
ます。
今回の映画は正に今がチャンスです。
「いのち」が今ほど
軽んじられている時はありません。親の身体を切断し、そ
れを持ち歩く子ども、幼児を簡単に殺す親、児童虐待や介
護虐待の増加、現職大臣の自殺、3 万人を超える自殺者が 9
年も連続している・・・・・・等々。
このような時だからこそ、
「いのち」の大切さを実践して
きた人々がいることを紹介したいのです。
−最後に西和賀町に言いたいことは−
町や関係機関、多くの町民に大変お世話になり、良い場
面を撮影することが出来ました。本当に感謝したいと思い
ます。合併し、新自治体となった今、西和賀を発信すべき
だと思います。その時に、この映画をどんどん活用してい
ただきたいと思います。
「西和賀が世界の中心だという意識、誇り、自信」が必
要です。この映画は、日本のみならず世界を歩ける映画に
なると思います。
〔文責/インタビュアー
高橋典成〕
「いのちの作法」編集現場からのメッセージ
生田編集室だより
いくた
へんしゅうしつ
だより
太田祖電さんと宣承さん。二人の話は尽きません。
<6 月 8 日(金)「鬼柳に 応援コーナー 設置」>
都鳥兄弟の出身地
・北上市鬼柳町の
地区交流センター
に『いのちの作法
応援コーナー』が
設置されました。
これはセンター長
の千田幸男さんの
「地域の人たちにもっと二人の活動を知っても
らいたい」という、ご好意によって実現しました。
着実に『いのちの作法(仮題)』は北上へと浸透
しています。
<6 月 9・10 日「北上で 映画講座 開催」>
北上青年会議所の
映画制作事業がい
よいよスタートし
ました。
第 1 回の『監督術』
の講座には 30 名の
市民が集まり、佐藤
武光監督(「孔雀王」や「蕨野行」のプロデューサ
ーとして知られ、監督作にTVドラマ「大空港」、
「ザ・コップ」等)の指導に熱心に耳を傾けてい
ました。
<6 月 12 日(火)「武重さん北上市役所訪問」>
武重ゼネラルプロ
デューサーが伊藤
彬北上市長との面
会のため、北上市
役所を訪問しまし
た。伊藤市長は
「西和賀の文化を
全国に発信することは非常に意義深いこと」と、
今後の北上での応援活動に関して、武重ゼネラル
プロデューサーと熱心に話し合われました。
<6 月 20 日(水)「北上後援会結成にむけて」>
いよいよ、北上後援会の
発足準備会が結成されよ
うとしています。この日
は、その呼びかけ前の最
終確認会議。準備会の呼
びかけ人は元・北上市議
会議員の館川毅氏。館川氏は「隣町の映画ではな
く、我らの映画と思って応援していきたい」と会
議に集まった方がたに呼びかけました。北上後援
会の結成は 7 月末を目指して進行中です。
北上「記録映画いのちの作法」制作後援会がついに発足!
会長に元・北上市議会議員の舘川毅氏
記録映画「いのちの作法」制作推進委員会と当後援会
では、昨年 7 月から都鳥兄弟プロデューサーの出身地で
ある北上市の各種団体に協力を呼びかけてきましたが、
いくら都鳥兄弟プロデューサーの出身地とは言っても、
映画の舞台でもない北上市内での協力の呼びかけは困難
を極めるものでした。
しかし、当初から理解の深かった北上工業クラブや
北上商工会議所、北上青年会議所など様々な団体、個人
の協力のもとにその下準備は進められて、7月 24 日に
『北上「記録映画いのちの作法」制作後援会』の設立に
至りました。
設立総会で会長に就任したのは元・北上市議会議員の
舘川毅さん。舘川さんは「同じ鬼柳町出身の若者を応援
設立総会であいさつをする舘川毅会長
したい」と設立発起人会の頃から、呼びかけ人として後
援会設立に尽力してくださった方です。舘川さんは設立
発起人の代表として「この映画の伝える『生命尊重』というメッセージは市町村の枠を超えて大切なこと。北
上市でも地域一丸となって盛り上げていきたい」と挨拶しました。
また、総会には北上市の及川副市長、岩手県南広域振興局北上総合支局の熊田支局長が来賓として出席し、
激励の挨拶をいただきました。記録映画制作西和賀後援会からは、高橋典成事務局長が出席しています。
総会後には、先月、岩手愛児会の 50 周年記念式典で好評だった児童養護に関してまとめた映像も上映され、
集まった各団体の方がたは、これから支援していく「いのちの作法」という作品の完成イメージを膨らませて
いました。
北上後援会では今後、各団体で会員や加盟企業などに制作協力金を呼び掛けるなどの活動を行う他、完成後
の上映活動も含めて「いのちの作法(仮題)
」を支援して行く予定です。
『北上「記録映画いのちの作法」制作後援会
役員』
岩手・西和賀発 世界へ
第 9 号
2007.8.5
発行
「いのちの作法」通信
発 行:記録映画制作西和賀後援会 発行責任者:高橋典成
連絡先:〒029-5614 和賀郡西和賀町沢内字太田2−115−1 ℡ 0197‐85-2212
(敬称略)
会長
舘川
毅
(元・北上市議会議員/日本林産化成株式会社
取締役会長)
副会長
藤原
中舘
義延
輝子
(前・北上ロータリークラブ
(北上市各種婦人団体協議会
常任委員
中村
高須
高橋
高橋
片方
高橋
畠山
高橋
及川
高橋
好雄
伸賢
利和
賢輔
勇吉
敏
泰彦
侃大
和夫
良誠
(北上商工会議所 会頭)
(北上工業クラブ 会長)
(北上ロータリークラブ 会長)
(北上観光協会 会長)
(職業訓練法人職業訓練協会 会長)
(北上ケーブルテレビ株式会社 代表取締役社長)
(映画サークル北上シネマディクト 代表)
(専修大学北上高等学校同窓会 会長)
(専修大学北上福祉教育専門学校 校長)
(社団法人北上青年会議所 2007 年度理事長)
会長)
会長)
特養ホームの盆踊りとは思えない立派な会場に、スタッフはとても驚かされました。
委員
小笠原徹宗(北上和賀ロータリークラブ 会長)
及川
優 (北上医師会 会長)
八重樫 哲 (北上市芸術文化協会 会長)
多田 勝江 (北上市保健推進員協議会 会長)
高木 敬蔵 (専修大学北上高等学校 校長)
高橋
聡 (北上市 PTA 連合会 会長)
2006 年8月7日は、記録映画『いのちの作法』の映画班にとって、忘れられない一日となりました。その
日が、この作品の撮影開始日だったのです。
撮影したのは、湯本地区にある特別養護老人ホーム「光寿苑」での盆踊り大会です。町内から大勢の人々
が集まり、現在では西和賀町で一、二を争う盛り上がりを見せる光寿苑の盆踊り大会。そこには、特養とい
う施設が地域になかなか認知されにくい時代から、町に開かれた施設を積極的に目指してきた故・太田受宣
苑長の想いが感じられました。
夕方、光寿苑の入所者が、職員に車椅子を押されて会場に出て来ます。さんさの太鼓が鳴り響き、踊りの
輪が広がるのを手を叩き見ている老人たち。その手拍子に合わせて、故・太田受宣苑長の遺志を継ぐ、息子
の太田宣承副苑長も、会場に訪れた娘さんと一緒に飛び跳ねて躍っていました。映画班も、撮影初日の緊張
感と太鼓の迫力に昂揚し、無我夢中でカメラを廻し続けました。一年に一度、死んだ人と生きている人の魂
の交流の場でもある盆踊り大会に、子どもから若者、そして、お年寄りが相集い、一緒になってぐるぐると
廻る盆踊りの輪は、地域で生きる人々の 生命の循環 の象徴でもありました。
早くも、その日から一年が経とうとしています。ふと想いを馳せると、まるで昨日のことの様に太鼓の音
がよみがえってきます。
この人に聞く−記録映画を支える人たち
「いのち」に真正面から向き合う
特別養護老人ホーム
副苑長
太田
宣承さん
−記録映画の撮影が光寿苑にも入りましたね−
3 度入りました。1 回目は 8 月の盆踊りです。さんさ
の歌と太鼓が鳴り響く中、お年寄りと地域の人たちの楽
しんでいるすがたが撮影されました。これが記録映画の
クランクインになりました。
2 回目は冬の雪見橇(そり)を走らせたとき。今年の
2 月のことです。雪見橇は 14 年ぶりの復活でした。
私の父である受宣が施設長をしていたとき、冬期間も
利用者が外に出られるようにと、暖房入りの橇を考案し
たのです。身体の不自由な高齢者は、夏は、買い物にも、
散歩にも、旅行にも車椅子で出かけることができる。し
かし、冬の期間は一歩も外に出られない。そもそも光寿
苑は、地域との交流を大切にしようと町中につくった施
設です。当時は、町の中にある施設は珍しがられた時代
でした。
雪見橇は大変画期的な取り組みでした。寝たきり状態
のお年寄りが雪に触れ、人々と交流ができたのです。大
変喜ばれたようです。4、5 年走りましたが、父の死以
後は使われず、寺の縁下で眠っていました。それをよみ
がえらせ、湯本の町中を走らせようと取り組んだのです
が、あいにくと記録的な暖冬で、道路には雪が皆無。あ
きらめかけました。しかし、あきらめきれない職員がス
コップで雪を道に敷き始めました。そしたら、驚くこと
に家々から人が出てきて雪の道を作ってくれるではあ
りませんか。奇跡的なことが起きました。感動的でした。
この雪の道は、
「高齢者を皆で支える道」
「いのち輝く道」
になったのです。光寿苑が地域から支えられていること
《 第4回
映画の形
》
約 130 時間にも及ぶ膨大な記録、三ヶ月ほどが経過し
た今、ようやく整理を終えることが出来ました。そして、
遂に、最初に決めた映画の構成表をもとにして、編集作
業を開始することになったのです。
「今回の作品の上映時間は二時間以内」と、武重ゼネ
ラルプロデューサーには、編集を開始する前から、口を
酸っぱくするほど言われています。それを念頭に置いて
作業を進めていくのですが、それぞれに思い入れのある
シーンばかり。最近の口癖は、
「もったいない…」です。
撮影はしたけれど、映画に全く登場させることが出来な
い場面も出て来ます。そんな時は、「シナリオがある訳
じゃないし、あの時点では、判断出来なかったよね」と、
自分たちに言い聞かせながら進んでいくのです。
「もったいない。申し訳ない。それでも、いい作品を
作るためには仕方がない」の繰り返しで、映画が徐々に
形作られていきます。
小池監督曰く、
「映画は省略の文法」です。
「どこで切
断(カット)するかは、作り手の時代に対する認識が問
われくる」のです。そして、それが作り手の一方的なも
のでもいけません。観る側の時代に対する感覚と一致す
今月から、記録映画の制
作にかかわった方々へのイ
ンタビューを掲載していき
ます。
映画制作の背景や、西和
賀町でのさまざまな動きを
感じ取ってもらえればと思
っています。お楽しみに
を強く実感しました。
撮影の3回目は、死生観を語る研修会です。
−終わっていく「いのち」に向き合うことは−
死生観を語る研修会は、施設として常に行っています。
しかし、家族、利用者、職員の3者合同で行ったのは初
めてのことです。
家族と利用者といっても、夫と妻の場合もあります。
親と子の場合もあります。病気が進んでいる場合もあり
ます。様々な家族の形態があり、身体や精神の症状が人
それぞれ違う中で、
「生きること」「死ぬこと」を語り合
うのは大変なことです。
しかし、終わっていく「いのち」に真正面から向き合
うことにより、明るく死を語れるものだと思いました。
夫が妻に「私が先に逝って待っているから、寄り道をし
ないで来いよ」と自然に話ができることに、夫婦の深い
積み重ねの人生、お互いの信頼感を覚えました。
−高齢者はどのような状態で人生を閉じたいと思っ
ているでしょうか−
光寿苑を利用している高齢者の6割は、自宅で最後を
迎えたいと思っています。やはり最後は思い出がいっぱ
い詰まった自宅という願望が強いようです。
残りの4割はここ(光寿苑)で自然の形で死を迎えた
いと思っています。誰一人として高度医療、身体に管を
付けて延命されることを望んでいません。
るよう、せめぎ合い、模索していくのです。そのために
は、「何度も繰り返し見るしかない」と言います。
そして実際に映像で構成していくと、当初頭で考えた
構成通りにはいきません。映像だけで伝えたいことがわ
かると判断すれば、それを補足するようなインタビュー
はもう必要ないなと外したりもします。また、シーンと
シーンを入れ替えた方が良い、まとめた方が良い、とい
うことなどが次々と出て来るのです。
二週間ほどかかり、7月 18 日、構成通りに繋ぐ第一回
目の作業を終えました。尺は、約5時間になりました。
短くすることを念頭に置いていても、最初から二時間以
内と、そう簡単にはいかないようです。しかし、小池監
督の前作である記録映画『白神の夢』は、完成尺が3時
間 20 分ですが、一回目の編集では約9時間あったそうで
す。それを考えると、今回の作品は、二時間以内には収
まるのかな…、と思ったり。
まだまだがっちりとした構成ではありませんが、記録
した映像が、ようやく映画の形になってきました。原石
をさらに磨いて磨いて、砕くことの出来ない強さと美し
さを兼ね備えた作品にしていきたいと思います。そのた
めには、まだまだ、
「もったいない…」と呟きながら作業
をする必要がありそうです。 (文/責 中越信輔)
一方、家族の方の6割は、病院で医療行為を駆使し、少
しでも長く生きてもらいたいと願っています。家族の心情
としては納得できないことではありません。残りの4割は、
ここ(光寿苑)で自然の形で終えさせたいと考えています。
自宅で引き取って、という人はほとんどありません。
高齢者の思いと家族の現実に開きがあります。残念なが
ら北欧と異なり、介護が必要になった場合に高齢者が自己
決定する事が難しい面があります。だからこそ、死生観を
語る研修会が必要なのです。
−小池監督や一之瀬カメラマンとも親しく交流してい
ましたね−
大変楽しかったです。大いに触発されました。雪見橇の
復活に代表されるように、
「宝物」を世に出すきっかけをつ
くっていただきました。介護をめぐる日々の忙しさ、これ
からの新たな事業展開等だけに目が向いて、今までの歩み
の検証が欠けていたのです。
それを小池さんや一之瀬さんとの交流から気づかせてい
ただきました。同時にやる気も起こさせていただきました。
記録映画は、今あるものだけの撮影ではなく、良いものを
掘り起こし、それを現在にあったものに作り上げていくこ
とであると思います。つまり記録映画づくりは地域づくり
そのものなのです。
−最後に家族を紹介してください−
妻と4人女の子です。四女は6月に生まれたばかりです。
若草物語を地でいっています。
妻は京都の生まれです。
(宣承さんは、大学時代は京都で
生活。スキーで骨折したときの看護師が奥さんだったとか。
一時的な看護でなく人生のサポート役になったようです。)
お寺(碧祥寺)という特殊な環境のなかで、地域の人、檀
家の人、宗教関係者などとの慣れない付き合いや、食事つ
くりなど嫌がらずやってくれています。頭が下がる思いで
す。
〔文責/インタビュアー 高橋典成〕
「いのちの作法」編集現場からのメッセージ
生田編集室だより
いくた
へんしゅうしつ
だより
冬の撮影の様子 − 多くの撮影シーンから作品を紡ぎ出して行く
作業は困難で、原石を磨く作業のようです。磨くほど「いのち」の
宝石が輝きを増していきます。
都鳥プロデューサー
活
動
日
誌
<6 月 24 日(日)第二回星の家シアター映画鑑賞会>
4 月 30 日以来となる
第二回目の上映作品は、
ジョン・フォード監督の
「駅馬車」。
気取った紳士に酔っ払
いの医者等など、一つの
駅馬車に乗り合わせた人
たちが織り成すドラマは
正に社会の縮図そのもの。
鑑賞に集まった方々も、
登場人物それぞれに思いを馳せて、スクリーンを見
つめていました。
<7 月6日(金) 盛岡「記録映画『いのちの作法』
」
後援団体連絡会議>
いわて生協、岩手自治労
連、岩手愛児会、盛岡医療
福祉専門学校等、昨年から
後援を頂いてきた盛岡の各
種団体が集まり、今後、ど
のような形で「いのちの作法」を支援していくかが
話し合われました。この会議は今後も続けられてい
く予定で、来年以降の上映活動の基盤となることを
目指しています。
<7 月 8 日(日) 第三回星の家シアター映画鑑賞会>
今回の上映作品は、福島県
の常磐ハワイアンセンター創
設に係る物語「フラガール」。
昭和 40 年の常磐炭鉱を舞
台とした物語に、鑑賞に来て
下さった方々も涙。「殺伐と
した作品が多い昨今に、この
ような心温まる作品が若手監督から生まれていると
言うことが嬉しい」と感想を頂きました。
<7月 13 日(金)北上「記録映画いのちの作法」制作
後援会設立発起人会>
北上後援会結成に向けて
発起人会が行なわれました。
市内から、北上工業クラブ
や北上商工会議所、北上 JC、
専大北上高校、保健推進員
協議会等など様々な団体が
参加。東京から駆けつけた武重ゼネラルプロデュー
サーは「北上出身の兄弟の活動は西和賀だけでなく、
北上でも誇れる活動です。ぜひとも応援して頂きた
い」と呼びかけました。
子育ち・子育て日本一の町をめざして
∼第 5 回全国・さわうちまるごと児童養護施設事業開催される∼
西和賀町の沢内子育ち・子育て支援会議(高橋典成会長)と
盛岡市の児童養護施設みちのくみどり学園(藤沢昇園長)が主
催する「第 5 回全国・さわうちまるごと児童養護施設」事業は、
平成 15 年にスタートしました。この事業は、西和賀地域全体を
児童養護のフィールドと見立て、そこに暮らす人たちや、暮ら
しの中から生まれた文化、豊かな自然などに触れる体験活動を
通して、子どもたちに生き抜く力を学んでもらおうという事業
です。
今年は 8 月 20 日から 25 日、8 月 26 日から 30 日までの 2 つ
の班に分かれて実施し、東京都、神奈川県、千葉県とみどり学
園の計7施設から小中高校生21人が参加しました。子どもた
ちは長瀬野の「清吉稲荷」に寝泊まりし、川遊びやわら細工、
保育所での園児との交流、農作業体験などを通していろいろな
清吉稲荷の前で記念撮影する参加者の皆さん
ことを学びました。
記録映画では、昨年の事業の様子を撮影しており、その様子が次のように紹介されています。
岩手・西和賀発 世界へ
第 10 号
2007.9.5
発行
「いのちの作法」通信
発 行:記録映画制作西和賀後援会 発行責任者:高橋典成
連絡先:〒029-5614 和賀郡西和賀町沢内字太田2−115−1 ℡ 0197‐85-2212
最初は緊張していた子ども達が、和賀川の冷たい水に足を浸して山椒魚を探したり、地元の人と一緒に農作業
したりと様々な体験を通すことで、児童養護施設という 狭い世界から全てが本物の世界 に解放され、心を開
いていく様子や、子ども達の一挙手一投足をしっかりと 見つめる 、増田さんを始めとする事業スタッフの姿
を記録していきました。婦人会をはじめ、様々な人々の協力を得て、 日本一の子育ち・子育ての町 を目指す、
西和賀町全体の取組みとして広がりを見せてきたこの事業は、記録映画『いのちの作法』でも、西和賀独自の
人・自然・文化 の力を感じさせることの出来る大切な場面となります。(通信 7 号より)
映画の中で、子どもたちは、そして私たちが住む西和賀はどんな風に輝いているのでしょうね。完成が楽しみです。
∼昨年の参加者の感想から∼
「沢内村に行って、去年よりも、すっごく楽しかった。第 2 日目の川遊び。午前行った川はつめたくて、水がきれい
だった。水の中に箱根サンショウウオがたくさんいた。午後は、水の中に石を投げて遊んだ。夜は、蛍を見ながらか
えるを捕った。とても大きくてびっくりした。(M.F)」
「夜空の星を見た。のぶさん(スタッフ)に星座を教えてもらった。寝るときは、さなえさん(スタッフ)と寝た。
うれしかった。とっても、とっても。とうとうお別れの日、最後の朝食を食べて、一人一人感想を言った。玄関を出
るとき、農家のおじさんからリンドウをもらった。北上駅まで送ってもらい別れをつげた。とても悲しかったけどう
れしかった。また来年も行きたいっっ…(J.M)」
「ひげじい(スタッフ)また夜星見ような絶対。覚えたよ北斗七星のしゃくのまっすぐに北極星。カシオペア座、さ
そり座、はくちょう座とか天の川、ラッキーだから流れ星も見れた。ひげじいの話を聞くと面白くて楽しいから、ま
た来年も話してね。星のこと、だからちゃんと留守番してね。(SHIGE)」
「3 日目は、パン工房に行ってパンとピザをつくりました。おいしかったです。
夜は、押し花としおりをつくりました。友達と一緒にテントで寝ました。
(H.
O)」
「坂本さん(スタッフ)ユキ(馬)に乗せてくれてありがとう。鈴木さん(調
理スタッフ)ご飯作ってくれてありがとう。おいしかったベスト 3 は……第 3
位はカレーライス、第 2 位ビビンバ、そしてそして 1 位に輝いたのは∼ズズキ
丼でした。パチパチ………(T.M)」
参加者とくつろぐ藤沢園長
「5 日目の朝、お別れ会をしました。園長先生(スタッフ)がりんごの木と男
の人の話をしてくれました。うべさん(スタッフ)が泣いていました。のぶさ
んも泣いていました。ひとりずつお別れのことばがありました。みんなも話し
ました。最後に私はすごく泣けて何も話せなかった。それで、のぶさんが代わ
りに話してくれました。(C.K)」
(有)沢内電業さんの協力を得て、長瀬野集落の俯瞰撮影を敢行しました
記録映画『いのちの作法』の映画班が、西和賀町の長瀬野集落を訪れたのは、2005 年8月、第1回目の調
査の時です。住民運動の一つとして、
「三せい運動(一人ひとりがせい、皆でせい、話し合ってせい)」とい
う民主主義の考え方そのものを実践してきた 住民自治の原点 が、一体どういう場所なのかを知るためで
す。
車一台しか通行出来ない狭い幅の八年橋(集落の人々は互助橋、修身橋とも言う)を渡り、1970 年代の集
落再編成事業で築かれた新集落へと入って行った途端、不思議な世界に入り込んだ感覚になりました。長瀬
野集落の中心には、広場と公民館があり、その周囲に各家々が整然と建ち並んでいる。まるで、公園の中に
家が建っている様に感じられたのです。そして、広場には、 心を一つにして事に当たる という意味が込
められた、「和衷協同」の碑が据えられていました。
その後、長瀬野集落では、度々撮影でお世話になりました。いのちの作法通信でも紹介してきましたが、
深沢村政時代に祖母努力賞など 独自の政策の発想 で活躍した故・高橋清吉さんの妻・高橋イサさんや、
シベリア抑留体験を持つ高橋志郎さんへのインタビュー。集落に暮す人々みんなで、広場の芝や街路樹の雑
草を刈るという、新集落移転から 35 年間継続し続けている作業などを撮影してきました。そして中でも、
県都盛岡の児童養護施設「みちのくみどり学園」の子どもたちを、集落全体で受け入れる 地域養護 の取
り組みは、映画にとっても重要な場面となりそうです。
長瀬野集落を撮り続ける中で映画班は、現在も受け継がれる 和衷協同の精神 と、深沢村長の考えを体
現していると言われる長瀬野集落の 地域力 を確かに見ました。
この人に聞く−記録映画を支える人たち
子育ての育ち直し
みちのくみどり学園
園長
藤沢
昇さん
−岩手愛児会 50 周年記念事業で みどり学園関係の
部が上映されましたね−
みどり学園を経営する岩手愛児会(社会福祉法人)が
創立 50 周年を迎え、6 月に記念式典を行いましたが、
その時に、小池監督等の厚意で上映していただきまし
た。昨年の夏に行われた「全国・さわうちまるごと児童
養護施設事業」「長瀬野地区での地域転住やホームステ
イ」等、みどり学園関係を 20 分にまとめたものです。
子どもの持っている魅力が捉えられ、子どもが輝いて
見えました。一緒に観た職員たちにも、「映像がきれい
だった」「施設生活が良く描かれている」と上場の評判
でした。
たぶんこの映画は、いろんな都合により家庭で育てら
れない子どもたちを地域で育てていく「地域養護」の考
え方を紹介する作品としても価値があると思いますし、
この先、先駆的な取り組みを全国に紹介していく作品で
もあります。
西和賀町が、全国唯一無二の「地域養護」の場になれ
ばいいと思っています。「子育て日本一の町」も夢では
ないと思います。
この意味を、施設の側からも多くの人たちに伝えてい
きたいと思います。
−なぜ「みどり学園」にスポットが当たったのでし
ょうか−
盛岡の「みどり学園」にスポットが当たったのではな
く、旧沢内村時代から、沢内の人たちと一緒に「子育て
《 第5回
試写
》
構成通りに繋いでいく作業が続き、漸く3時間 20 分
程度にまとまりました。しかし、そこからどう短くして
いけばいいのか…、完全に行き詰まってしまいました。
「どうしよう、一回、考えるのを止めようか」
試しに一日休んでみても、ずっと同じ事を繰り返し続
けてきたためか、短くするための思い切った発想が出来
ません。
そこで一旦、映画班を対象にした試写をすることにし
ました。今までの編集作業は、小池監督と助監督の自分
だけで進めてきました。一之瀬カメラマンは、どういう
風に編集されているのか全く知りません。武重ゼネラル
プロデューサーは、撮影した映像を見るのも今回が初め
てです。映画を知り尽くした二人に観客としての意見を
聴いた上で、今後の編集を行っていく事にしたのです。
2007 年8月 10 日、生田の編集室に、武重ゼネラルプ
ロデューサーと一之瀬カメラマンがやって来ました。一
之瀬カメラマンは、現在撮影中のバオバブの木を題材に
した本橋成一監督の記録映画の撮影で、アフリカ・セネ
ガルから戻って来たばかりでした。
「セネガルよりこっちの方があついよ」と言う一之瀬
今月の「この人に聞く」
は、盛岡市の児童養護施設、
みちのくみどり学園の藤沢
園長です。藤沢園長は、当
初から映画支援会議のメン
バーとして、映画制作に協
力いただいています。
実践」をしてきたことが注目されたと思います。
沢内とみどり学園との関係は、みどり学園の創始者、
石川敬治郎先生(故人)が小児医療を通して、長年にわ
たって沢内に入っていたことに起因します。最初は「地
域医療」でしたが、最近は「地域養護」です。みどり学
園の療育を考えた場合、施設の中だけでは限界がありま
す。特に難しい課題を抱えている子どもにとっては、
「地
域まるごと」が必要だと思っています。子育ての育ち直
しの必須要件です。
−藤沢先生はいつから沢内に入っていますか−
昭和 61 年に始めた夏季転住からですから、22 年前に
なります。施設での処遇に限界を感じたとき、石川先生
に紹介されたのが長瀬野の「清吉稲荷」です。第 1 回夏
季転住の始まりです。
みどり学園の原点は虚弱児施設です。小児慢性疾患の
子どもへの対応、医療面のケアが大切でしたが、昭和 57
年、58 年ごろになると、社会病理を反映し、不登校や心
身症が目立つようになりました。これが夏季転住の背景
です。心の弱い子のケアには、施設を出ることが必要だ
ったのです。10 年前ごろからは、虐待を受ける子どもが
増えてきました。
「しつけ」だという親もいますが、虐待
の自己弁護に過ぎません。それは犯罪です。
−夏季転住から学んだことは何ですか−
生活に根ざした「文化」が子育てに必要なことを学び
ました。落ち着きのない多動な子でも、おじいさんたち
カメラマン。しかも、上映のためにエアコンの無い室内
を、暗くするためにカーテンで締め切ります。
一同、汗をダラダラ流しながらの3時間 20 分は、いつ
も見るより長く感じられました。しかし、二人の意見は、
やはり的を得たものでした。
「映像をまとめただけで、映画に成っていない」
「団子はいっぱいあるけど、串が無い」
「登場人物にどういう過去があり、どういう思いで活動
しているかが見えてこない」
違和感を感じていた部分を具体的に指摘されたり、あ
る思いを持って編集した場面も、その思いが伝わらない
等、様々な問題が浮かび上がってきました。しかし、そ
れも全て収穫です。
武重ゼネラルプロデューサーは、
「御年寄りや障害を持
った人達には凄いエネルギーを感じる。撮れているもの
は素晴らしい」と言います。その上で、これからどう修
正していけばいいのか、具体的なアドバイスを頂きまし
た。
とにかく、このままではダメだという事がハッキリと
分かりました。今、構成もゼロから考え直し、再挑戦し
ています。
(文/責 中越信輔)
とのワラジ作りでは 30 分も集中できるのです。
冬場、囲炉裏を囲み「じっくり」
「ゆっくり」行われた農
作業、この状態こそが生活ゼロの子たちには必要なことな
のです。日常の暮らし、生活基盤に立脚した「文化」こそ、
子どもたちにわかりやすく浸透するのです。
虐待を受けた子どもたちにとっては、カタカナの文化で
はなく、地域から発祥した生活文化こそ必要なのです。
−西和賀町に期待することは−
子育ち、子育てを町政の柱にしてほしいことです。
西和賀町全体が児童養護の施設、全戸がそれに参加する。
子どもたちの状態に応じ、ホームステイや里親(各家庭)、
地域小規模児童養護施設(支援体制の本部)で暮らす。西
和賀町全体を施設として考えてはどうでしょうか。今年で
5 回続けている「全国・さわうちまるごと児童養護施設事
業」の発展形態として。
「全国・さわうちまるごと…」事業には、今年も 20 名の
子どもたちが首都圏から参加しました。
この 5 年間で約 120
名の子どもたちが参加しています。また、子どもを通して
名古屋や京都からボランティアも多数訪れています。福祉
を学ぶ学生も、先駆的な事業を学びたいと参加しています。
子どもたちが参加する施設も、統率者なしで毎年参加者
を送ってきてくれます。これは、主催者や西和賀町に全幅
の信頼を寄せていてくれる証です。
このように「子育て」は「町おこし」そのものなのです。
−最後に、記録映画を発案した都鳥兄弟に一言−
長く眠っていた獅子を目覚めさせた功績は大であると
思います。町村合併して新たな町づくりが試行されている
時、「いのち」の大切さ、「人らしく生きるとは何か」を考
える原点になると思います。
このことに火をつけた二人に拍手、そして敬意を評した
いと思います。町民栄誉賞ものですね(笑)。
〔文責/インタビュアー 高橋典成〕
都鳥プロデューサー
活
動
日
誌
※都鳥兄弟は、北上 JC が主催する市民映画プロジェ
クトの協力プロデューサーとして、北上市民が制作
する映画の現場を、日本映画学校の金澤裕さん(
『楢
山節考』等の作品に携わってきたキャメラマン)と
共にサポートしています。今回はその撮影現場の様
子をリポートする形で、活動日誌とさせて頂きます。
<8 月 5∼7 日(日∼火) 市民映画クランクイン!>
8 月 5 日、北上 JC が企画する市民映画『フォーチュ
ン・クローバー(仮題)』がついにクランクイン。
この日はクライマックスとなるみちのく芸能まつり
の様子を撮影。6 日には
同じく花火の撮影も行い
ました。7 日にはそのド
ラマ部分を花火大会の様
子を再現して撮影。
市民からオーディション
で選ばれたキャストたち
が熱心に芝居に取り組み
ます。
<8 月 11、12 日(土、日)喜久盛酒造ロケ撮影>
映画のメイン舞台となる醤油工場。今回は、北上市
唯一の造り酒屋である喜久盛酒造さんのご厚意で工
場を借り切っての撮影が実
現。何年か前まで実際に醤
油を製造していた醤油蔵の
跡地で、作り物では決して
出せない深みのある映像が
生み出されます。
「いのちの作法」編集現場からのメッセージ
生田編集室だより
いくた
へんしゅうしつ
だより
ワークステーションで生き生きと働く通所者の皆さん
<8 月 15 日(水)和賀仙人の大姥杉>
樹齢 900 年の大木、和賀仙人の大姥杉。この日は映
画の中でも特にポイントとなる撮影。
市民スタッフも熱い中、40
分かけて仙人峠を登りまし
た。大姥杉のとてつもない
佇まいに疲れを忘れ、つい
見とれてしまうスタッフも
・・・・・・。
<8 月 16 日(木)田郷病院跡地ロケ撮影>
この日は、田郷病院の跡地で病室の場面を撮影。実
際の病院だっただけに非常に説得力のあるロケセッ
トが組むことが出来、市民
スタッフも大満足。現場を
重ね、リズムが出来てきた
市民スタッフたち。この調
子でクランクアップを迎え
ることが出来るのか?撮影
は 9 月の初頭までまだまだ
続きます。
<北上「記録映画いのちの作法」制作後援会、募金活動はじまる!>
9 月末から北上「記録映画いのちの作法」制作後援会の募金活動がスタートしました。
9 月 6 日(金)の常任委員会会議で、北上市内での募金目標金額は総制作費 3,000 万円の 6 分の1である 500 万
円と決定。
現在、岩手県県南広域振興局北上総合支局や北上市、専修大学北上福祉教育専門学校で職員向けに募金の呼びかけ
を行なう他、工業クラブや北上医師会では各会員に案内をし、協力を呼びかけています。
9 月 20 日には、都鳥兄弟プロデューサーが母校である専修大学北上高校を訪れ、お世話になった先生方に募金を
呼びかけました。ちょうど 9 月末には NHK の「その時、歴史が動いた」で深澤晟雄村長と乳児死亡率ゼロ達成が
取り上げられ、話題となっていたこともあり、高木敬蔵校長先生を初めとして 16 名の先生方からご協力いただき
ました。
今後、北上各種女性団体協議会や北上商工会議所、北上ロータリークラブなど他の後援会加盟各団体からもご協
力いただききながら、制作協力金の呼びかけとその周知活動を広めていく予定です。
※
※
岩手・西和賀発 世界へ
第 11 号
2007.10.5
発行
「いのちの作法」通信
発 行:記録映画制作西和賀後援会 発行責任者:高橋典成
連絡先:〒029-5614 和賀郡西和賀町沢内字太田2−115−1 ℡ 0197‐85-2212
訂正のお知らせ
本誌 9 号で、『北上「記録映画いのちの作法」制作後援会』の名簿をご紹介しておりましたが、名簿に一部
間違いがございました。
委員の中に 小笠原徹宗(北上和賀ロータリークラブ 会長) と 高橋聡(北上市 PTA 連合会 会長) と
ありましたが、お二人は発起人会への参加のみで、後援会自体への入会申し込みはなされておりませんでした。
また、北上和賀ロータリークラブの会長は役員改選で変わっていることが分かりました。現在の会長は高橋
和敬さんです。
この二点について、ここで紙面をお借りして訂正させて頂きます。事務局の不注意で大変失礼致しました。
心より、お詫び申し上げます。
<記録映画制作西和賀後援会でも制作協力金を受け付けております>
撮影のスタートした昨年 8 月から、西和賀後援会では町内での募金活動を続けております。これまで約 300 万円
余りの制作協力金が集まり、夏 3 ヶ月、冬 3 ヶ月の長期合宿撮影を支えていただきました。ご協力下さいました町
民の皆様に心より御礼申し上げます。
撮影は終了しましたが、映画制作にはまだ仕上げの作業が残されています。
『記録映画「いのちの作法」制作推進委員会』では、編集や録音のためのスタジオ費用や音楽関係費など、映画
制作にまだまだたくさんの資金を必要としています。撮影が終了し、協力金の募金が「もう手遅れ」と思っている
方々もたくさんおられるようですが、今からでも遅くありません。
映画の制作意図にご賛同頂ける町民の皆様ご協力を、何卒よろしくお願い致します。
■
問い合わせ先
岩手県和賀郡西和賀町沢内太田 2-115-1 記録映画制作西和賀後援会事務所
℡ 0197-85-2212 担当 都鳥(携帯 拓也 090-8593-0597/伸也 090‐2637‐5670)
または
ワークステーション・高橋典成(℡ 85-2019) 西和賀町役場湯田庁舎・畠山幸雄(℡
82-3286)まで。
編集後記
次第に秋も深まってきました。皆さんには農作業などで大忙しの毎日だと思います。
記録映画『いのちの作法』も、今まさに実りの時、収穫の時期を迎えています。編集室では小池監督をはじめ
として、スタッフの皆さんが連日の作業を繰り返しているとのこと。年内の完成、そして年明けの上映開始を目
指してのラストスパートです。皆さん、お楽しみに!!
暖かい日差しの中での稲刈り、休憩する通所者たち。
西和賀町のまんなかに、時計台が目印のハイカラな建物が県道沿いにあります。知的障害者通所授産施設
「ワークステーション湯田・沢内」です。町内のあちこちから送迎バンで通所して来る利用者が、箸の袋詰
めや野菜づくりなど、さまざまな作業を日々行っています。
深沢村政の掲げた生命行政は、乳幼児や老人を対象とした医療費無料化などの取り組みを国に先がけて行
いましたが、障害者に対する取り組みは、その時点では行われませんでした。しかし、生命尊重の理念を継
ぐ元保健婦の深澤久子さんや、深沢村長の妻・ミキさんと共に、福祉活動に積極的に取り組んでいた高橋典
成さんを始めとする多くの人々の手で、障害を持っていても、楽しくて安心して働ける場所づくりが始まり
ました。その流れが、平成 14 年4月に設立された、「ワークステーション湯田・沢内」となったのです。
記録映画『いのちの作法』の撮影では、そうしたワークステーションの日常の作業から、稲刈り、秋祭り、
ふるさと宅急便といった活動を追いかけました。そして、もうすぐ百歳になる高橋正太郎さんによるワーク
ステーションの訪問。高橋正太郎さんは、ダウン症の娘がいることから、福祉作業所時代から障害者に対す
る取り組みに参加してきましたが、ワークステーションには一度も訪れたことがありませんでした。娘の働
く姿を見たり、娘の仲間たちに声を掛けて見学した後、正太郎さんは、「娘を宜しくお願いします」と施設
長の坂巻潤子さんに手を合わせたのです。
「ワークステーション湯田・沢内」は、生命行政が掲げた すこやかに生まれ、すこやかに育ち、すこや
かに老いる という理念が確かに受け継がれた、生命を託すことのできる場所なのです。
この人に聞く−記録映画を支える人たち
子どもたちに最良の体験を
∼普通の人が見過ごすものに大事なものがある∼
記録映画支援会議
増
田
洋
さん
−初めての映画クルーとの出会いは−
2005 年8月下旬、沢内の清吉稲荷です。私は、全国・
沢内まるごと児童養護施設事業の真っ最中で、首都圏の
子どもたちと川遊びの活動から戻った夕方でした。
映画のクルーは、西和賀で本当に記録映画を作れるだ
ろうかと、町内を探訪して回って歩いたときのようで
す。まったく偶然の出会いでした。
監督の小池さんが、「私たちは決して怪しいものでは
ありません。最近『白神の夢』という記録映画を作って、
それが愛知地球万博に使われることになりました」と盛
んに話していたことが印象に残っています。
その時はそれっきりでした。
12 月に再来町したとき連絡があり、会いました。小
池さん、カメラマンの一之瀬さんとの出会いは、久々に
話が通じる人と語り合えたという、大いなる満足感があ
りました。月並みな言葉ですが、客観的に地域を見つめ
ている、外国での映画づくり等も経験しているせいか、
視野が広く、洞察力が深いと感心しました。
狭い地域の中での価値観の共有ではない、自由な、前
向きな発想に新鮮さを覚えました。この人たちとなら映
画づくりも楽しそうだと思いました。
−小池さんから本をプレゼントされたそうですね−
法政大学教授、市村弘正氏の『社会の喪失』『名づけの
精神史』『小さなものの諸形態』です。いただいたもの
だけでなく、自分で取り寄せ、この方の著書をほぼ全部
読みました。
(私は『社会の喪失』を読み始めましたが、
《 第6回
ナレーション
》
9月9日に2回目の試写を行い、尺は約2時間 20 分
と、ようやく完成尺に近づいてきました。2回目の試写
の前には、武重ゼネラルプロデューサーから、「構成台
本を用意してほしい」というお願いがありました。
日本映画学校では、劇映画の脚本について勉強をした
のですが、記録映画の構成台本に関する知識は全くあり
ませんでした。そこで、武重ゼネラルプロデューサーが
以前携わった構成台本を見本としていただきました。
構成台本というのは、編集した映像の流れや、台詞、
インタビューした人の言葉を全て文字として書き込ん
だものです。劇映画の脚本とはまた違った形式で書かれ
ていました。
そして、今回の記録映画『いのちの作法』の構成台本
を作成するために、小池監督と作業を分けて行うことに
なりました。台詞やインタビューの言葉を書き起こす作
業を助監督の自分が行い、小池監督は、記録映画の重要
な要素の一つ、 ナレーション を考える作業に取り組
みます。そのナレーションが、難しいのです。どこに入
れるか、何を喋るか…。基本的に、画面に映っているこ
とを喋る必要はありません。我々映画班が現場で何を見
たのか、それをどう捉えたのか、映像だけでは伝えきれ
今月の「この人に聞く」
は、貝沢の増田洋さんです。
増田さんは、映画支援会議
のメンバーであり、子ども
たちへの自然体験の指導者
としてもさまざまな場面で
活躍をしています。
途中で投げ出しました。さすが増田君)
中でも『小さなものの諸形態』は「普通の人が見過ご
す小さなものの中にある大事もの」といった自分の価値
観を具現化してくれているような内容で感動しました。
−映画に、何を期待していますか−
私たちの根源である「いのち」
、旧沢内村が長年かけて
育んできたこと、戦いながら守ってきたこと、その中で
今自分が行っている活動……等を、地域から発信できる
機会をもらえたことが嬉しいです。
私が行っている自然観察や野外活動は、
「子どもと一緒
に遊んでいるだけ」としか映らないかもしれません。し
かし、これらの活動を通して、生きる力、他者も含む「い
のち」に思いを馳せる精神を育んでいるんです。
現在「子ども向けのイベント」が数多く行われていま
すが、子どもはスケジュールに乗せられるだけで、実質
は主催者やスポンサーを喜ばせるための事業です。
「全国・沢内まるごと児童養護施設」では、細かいス
ケジュールを決めていません。子ども対象の現場経験が
豊富、もしくは自然や人など地域の資源を良く知るスタ
ッフが、実際に参加している子どもの男女比や年齢構成、
子ども同士の関わり合いのしかた、興味の対象、更には
天候や同行のボランティアの力量などまで考慮して、瞬
時に計画を立てるのです。
(スケジュールがないのではな
く、最良の体験を子どもたちにプレゼントしようと
する、これが最高のスケジュールだと思いました。)
−この事業の最終日(5 日目)は、子どもたちの感動的
な涙が印象的ですね−
ただの「面白かった」自然体験や地域交流では、子ども
たちの目に涙が浮かぶことはありません。子どもたちとス
タッフの信頼関係が確立されることが大前提です。
子どもの立場がわからない大人は、概して「関心なき干
渉」をします。
「子どもの立場」とは、周囲の環境を含めて
子どもを良く見つめ、深く考慮することであって、単純に
自分を子どもと置き換えることではありません。
いわゆる「まるごと」事業は、都会から来る施設の子ど
ものための事業ではなく「来てくれたあなたたち一人ひと
りのため」の取り組みです。心の底に残るお土産を少しで
も多く持たせることができるよう、スタッフは、精一杯努
力しています。県内や、遠く関西から来る学生を中心とし
たボランティアも真剣です。真剣に向き合う5日間は子ど
もたちとスタッフの心を一つにします。これが信頼です。
涙の根源です。
−今、子どもの活動に夢中なようですが、きっかけは−
自分の子ども時代の「何かをして欲しいのではない、た
だありのままの自分をみてほしい」といった大人に対する
満たされない思い。みどり学園の職員として、社会の都合
で施設での生活を余儀なくされた子どもたちとの関わり。
そして現在の子どもが置かれている環境に対する憤り。き
っかけは、そういったところでしょうか。
社会の歪みは確実に弱者である子どもの世界を侵してい
ます。最たるものが虐待です。したがって「子どものニー
ズ」に真正面から向き合わなければなりません。故・石川
敬治郎先生が言った「子どもが原点」
「子どものため怒りを
もって対処せよ」が教訓です。
−最後に、結婚はまだですか−
生年月日はトム・クルーズと一緒(ということは 45 歳、
年に不足はなしですネ)ですが、浮いた話はないです。
門戸は閉ざしてません。自立した女性がいいのですが。
文責/インタビュアー
ない部分を、ナレーションという方法で伝えるのです。
しかし、当然、喋り過ぎてもいけません。観ている人に
も想像力があります。下手をすると、こちらの考えを一
方的に押し付けてしまうことになるのです。
小池監督はナレーションを考えるにあたり、今回の映
画制作の原点である、及川和男さんの書かれた『村長あ
りき』を再読。その上で、資料を片手に、編集した映像
に向かいました。
「思い付いたぞ、よし」と、順調に書き
綴っていたかと思えば、時々、手が止まり考え込みます。
何度も繰り返し映像を見ながら、そして、画面に合わせ
て読んでみながら作業を進めていきます。
そうして小池監督が書き上げたナレーションの第1稿
を、第2回目の試写では、助監督の自分が読み上げまし
た。試写に立ち会ったのは、前回と同じメンバーです。
多数の小池監督作品でナレーターをされている伊藤惣一
さんの様に読み上げる…、ということは全く出来ず、途
切れ途切れのひどいナレーションとなってしまいました
が、完成した映画により近い形で観たことで、手応えを
感じた部分もあり、また、新たな発見もありました。
現在は、ナレーションにより一層の磨きをかけつつ、
完成尺が2時間以内になる様に編集作業を進めていま
す。
(文/責 中越信輔)
高橋典成〕
「いのちの作法」編集現場からのメッセージ
生田編集室だより
いくた
へんしゅうしつ
だより
『村長ありき』(著・及川和男)と構成台本の第一稿
都鳥プロデューサー
活
動
日
誌
<9 月 7 日(金)北上後援会常任委員会会議>
藤原、中舘両副会長と、
北上工業クラブや北上
商工会議所、専大北上
高校同窓会など常任委
員となっている方々が
集まり、活動開始に向
けて最終確認会議が行
なわれました。北上で
の募金目標金額の設定
や協力要請の趣意書の内容など、細部まで最善策を
探り、何度も議論が繰り広げられました。
<9 月 15 日(土)、16 日(日)長瀬野地域転住>
この日は久々の「長瀬
野地域転住」の日。今
回は 8 人の子どもたち
が、施設では体験出来
ない 家庭 を体験。
長瀬野の4つの家庭が
子どもたちを受け入れ
ました。
都鳥兄弟も激励のため、見送りなどに参加。5 月の
カタクリ転住以来、久しぶりにみどり学園の子ども
たちと触れ合いました。
<9 月 17 日(月)第四回星の家シアター映画鑑賞会>
今回の上映作品は、
オードリー・ヘップバ
ーン主演のロマンティ
ックコメディの名作
「ローマの休日」。近
年まれに見る大雨の中
でも 2 名の方が参加し
て下さいました。
ウィリアム・ワイラー監督のツボを押さえた演出に、
笑いが絶えない和やかな上映会でした。
<9 月 18 日(火)
『輝け「いのち」ネットワーク』設
立準備会議>
西和賀町がこれまで取
り組んで来た子どもた
ちへの事業や、生命行
政の研究、資料収集な
どを統括して行なう
NPO を結成しようと集
まりが持たれ、都鳥兄
弟もそこに参加。
健康管理課の黄金期を支えたメンバーや子どもたち
の事業に関わってきた方々の参加もあり、会の方針
などが議論されました。
記録映画『いのちの作法』に寄せて
岩手・西和賀発 世界へ
北上市でも記録映画の後援会が設立されたことはすでにお知らせしていますが、会長の舘川毅さんと顧問の久保
孝喜さんから記録映画『いのちの作法』に寄せてメッセージをいただきましたので、ここにご紹介いたします。
第 12 号
2007.11.5
発行
「いのちの作法」通信
舘川 毅
北上『記録映画いのちの作法』制作後援会 会長
(日本現代詩歌文学館運営協会 監事)
発 行:記録映画制作西和賀後援会 発行責任者:高橋典成
連絡先:〒029-5614 和賀郡西和賀町沢内字太田2−115−1 ℡ 0197‐85-2212
旧・沢内村の「生命尊重の行政」は、同じ和賀川の流域に暮らす、私たち北上市民にとって、大きな驚きであり、
誇りであった。
あれから 40 年以上の歳月が流れた。豪雪や貧困といった生命の危機は過去の物となった。しかし、親殺しや子
殺しと言った事件は多発し、児童虐待や老人介護等の様々な社会問題が、現在、私たちの目の前に広がっている。
そういった時代に、再び「生命尊重の行政」に目が向けられ、記録映画として全国に伝えられるという。私はその
ことに多いな喜びを感じた。しかも、映画づくりは同郷の北上市鬼柳町出身の若者である、都鳥拓也・伸也兄弟の
発案によるものだという。私にとっては二重の喜びである。
私は映画の成功のために、北上『記録映画いのちの作法』制作後援会の会長として力を尽くして行きたいと思う。
岩手県議会議員
久保
孝喜
NHKの番組「その時歴史が動いた」が放送されて以来、いったい何人に声をかけられただろう。誰もが感動を
口にし、みんなが「すごい人だね」と感嘆し褒めちぎる。改めてメディアの持つ力を感じさせられた。昭和28年
生まれの私にとっても、深沢村長は「伝説」でしかない。リアルタイムの接点があるとすれば、冬の夜に葬列を迎
えに出た、という記憶だけである。小学校の5年生位だったろうか。祖母が誰よりも悲しんでいた、という印象だ
けが残っている。
ともあれ、深沢村長が掲げた「生命尊重行政」なるものが、少年から青年へと成長する時期に体内に刷り込まれ
た、唯一の政治的DNAとなった。学校や地域で語られる「偉大さ」や「先進性」は、この地で生まれ育った意味
もないコンプレックスを乗り越えるに十分な力となった。やがて、様々な出版物やTV番組やなにかが次々と世に
出始めると、社会人の私にとっては自らの出自を語るのに格好のネタとなり、自己紹介アイテムにすらなっていっ
た。あげくに、20代で政治活動に首をつっこんでからは、
「自らの政治的原点としての沢内」を語り出すはめとな
った。いささかの調子良さも手伝い、以来30数年経た今もなお、その出自が政治生活のバックボーンとなってい
ることは、ありがたい事である。
しかし、はたして沢内のこの歴史は、沢内だからこそ、の歴史だったのだろうか。本当に「村長ありき」の歴史
だったのだろうか。深沢村長の指導力や発想、類い希なリーダーシップは疑いのない事実であり、当時の行政を動
かした最大の要素ではあるだろう。傑出した指導者。しかし、沢内を語るのにそれだけでいいのだろうか・・・と
思っていた。
実は、
「いのちの作法」というタイトルを眼にした時、その「作法」という言葉にいたく感心した。そうだ、作法
なんだと、それまでのモヤモヤが晴れた気がした。有史以来の沢内の風土が、誰のものでもない歴史が、幾多の先
人の知恵の集積が、沢内には確かにあり、深沢村長の存在がそれを引き出し、輝かせ、新たな歴史を作り出したの
だと。「いのち」にまつわる数多くの歴史、家族や部落や、村々に伝わる「いのち」との長い長い向き合いの日々。
たとえば「草木供養碑」であり、たとえば「およねの人身御供伝説」であり、そして数限りない飢饉の壮絶苛烈な
「いのち」との向き合い。だから、
「作法」なんだと。沢内に暮らす人々、そこに連なる無数のいのちと向き合って
きた「作法」を、私たちは思い起こさなくてはならないと思う。
照葉樹林文化帯の北のはずれで、稲作文化をもっとも遅くに手にした我らが祖先。いにしえの反権力に身を焦が
した先人の悲憤と、苛烈きわまる自然の猛威と優しさとに息づいた我らが祖先。その先に、その先の歴史に生まれ
た深沢晟雄なる男、巡り会った私たち。そのすべてが、それらの連なりが「沢内」なのだと得心するとき、私たち
は「作法」の意味に気づき、
「いのちの作法」が私たちに伝える何か、生み出してくれる何か、にまたもや感動する
に違いない。
今はただ映画の完成に向けて、自分に出来る事をやり遂げたいと思う。必ずやTV番組では伝えられなかったも
のに出会える事を信じて・・・。
2005 年 12 月 22 日、初めて訪れた映画スタッフに助役当時の話をしてくださる吉男さん。
追悼
佐々木吉男さん
10 月 23 日、深澤晟雄村長時代の助役として活躍された佐々木吉男さんが亡くなった。享年 96 歳。記録
映画『いのちの作法』は、吉男さんの最後の記録映像となってしまった。僕たち自身、最後の機会だとは覚
悟していたが、こんなにも早くお別れがやって来ることになるとは思っていなかった。
「深澤村長が人々を沢内に呼び寄せているんだ!」生前、吉男さんはそう語っていた。年が経つごとに一
人また一人と同じ記憶を共有した仲間たちが消えて行く。吉男さんの心の中に記憶の風化に対する不安があ
ったのだろう。僕たち映画班が取材に入ったことを、吉男さんは大変喜んでいた。そんな思い出があるから、
完成した映画を観ていただけないままになってしまったことが残念でならない。
『天佑神助』
。吉男さんはインタビューの中で、深澤村長にかけられたこの言葉を何度も繰り返していた。
「良いことをすれば天は必ず見ていて助けてくれる」という意味の言葉だ。当たり前の道徳だが、現在の社
会では当たり前に真面目であることの方が難しい。良いことを続けるのは至難の技である。だからこそ、こ
の言葉はとても深く僕の心に響いた。それはまさに、
「村長ありき」
(著者・及川和男)に描かれた真っ当に
生きる沢内住民の姿そのものであった。
映画では少ししかご紹介できないが、吉男さんの独特の存在感は観る者の心に残り続けると信じている。
吉男さん、少しの間だったけど、良い時間をありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り致します。
(文・記録映画『いのちの作法』プロデューサー都鳥伸也)
この人に聞く−記録映画を支える人たち
まちづくりはひとづくり
∼ひとりひとりの意識が地域を変える∼
湯田・沢内若者による地域を考える会
実行委員長 淀川豊さん
−若者たちの活動を行っていますが、そのキッカケ
は−
私は、23 歳で湯田町に帰ってきたのですが、30 歳の
頃に同級生の誘いで北上青年会議所に入りました。青年
会議所の中でまちづくりに関する活動や海外研修、日本
青年会議所への出向など様々なことをやってきました。
しかし、6 年前に湯田町の商工会青年部の部長となった
とき、自分が地域のことをよく分かっていないというこ
とを知り、外でいくら立派なことを言っても、自分の足
元である湯田町に何も還元出来ていないことに疑問を
抱くようになりました。
どう地域と繋がっていけば良いか悩んでいた頃、合併
の話が起きていたこともあり、若者たちが集って話し合
う場を作ろうという運動に参加したのです。それが現在
の「湯田・沢内若者による地域を考える会」の始まりで
す。仲間たちの推薦もあり、私がその実行委員長をする
ことになりました。
−これまでどういった活動を行ってきましたか−
大きなものでは、最初の合併の説明会や西和賀ウルト
ラクイズなどがあります。他には「ふくし友の会」と共
催で、碧祥寺で 寺小屋 やアーティストを招いての音
楽コンサートを行っています。あとは西和賀高校で年に
1、2回、生徒の皆さんと しゃべり場 (グループデ
ィスカッション)の活動もやっています。
《
7回
予告編
》
編集を進めて約 2 時間 20 分となった段階で、新たに
プロの編集者に参加して頂く事になりました。その方
は、劇映画『Shall We ダンス?』や劇映画『容疑者 室
井慎次』等、日本映画を代表をする数々の作品を手掛け
てきた、菊池純一さんです。本当に心強い味方です。今
後は生田編集室を出て、菊地さんの仕事場がある東京都
板橋区で編集作業が行われる事になりました。ビデオテ
ープでの編集から、これからはパソコンでのデジタル編
集です。
そのため、約 2 時間 20 分にまとめられたデータを、
全てパソコンに取り込む事になりました。その作業に一
週間ほどかかります。
その一週間を利用して、助監督の自分は、予告編の編
集を始めました。岩手に残って制作費を集めたり、上映
の段取りを進めるプロデューサーの都鳥兄弟から、「ど
ういうものが出来ているのか早く観てみたい、とよく言
われる」という事もありました。
予告編は、数分間で作品の魅力をギュッとまとめた映
像。映画館に足を運ぶかどうかを左右する重要なもので
今月の「この人に聞く」
は、淀川豊さんです。西和
賀の若者のリーダー的な存
在として活躍されている淀
川さん。映画の取材でもい
ろいろとお世話になりまし
た。
−合併がありましたが、どう捉えていますか−
私は合併に賛成のスタンスでした。両町村が単独でや
っていけるヴィジョンが無い限り、西和賀町という新し
いヴィジョンを持って地域づくりをやっていく方が未来
があるのではないかと考えたのです。
合併しても良いことが無い、という声を聞きますが、
良いことが無いのではなくて良かったと思えることを何
もしていないのです。町長選挙や議会選挙などがありま
したが、地域をつくるのは行政の意識や議員の意識では
なく、地域の住民の意識なのです。住民の意識が変われ
ば地域は劇的に変わっていくのだと思います。
−若者たちとの活動を通して、地域はどう見えていま
すか−
やればやるほど地域が疲弊している姿が浮き彫りにな
ってきます。合併から2年が過ぎましたが、仲間のお店
が閉店したり、様々な形で状況は変化しています。そん
な中で現状を変えるのは簡単ではありません。まずは、
もっと住民同士の垣根を無くさなければならないのだと
思います。結びつきの無い人たちと結びつきを作って行
きたいです。そして、末端のひとりひとりが 自分に何
が出来るか を考えることが出来る活動に発展させたい
と思っています。強力なリーダーが一人居ても地域が変
わるものではありません。
合併で旧行政単位での壁がありますが、今は湯田だ、
沢内だと言っているときではないのです。
す。今では予告編を専門に作る会社もありますが、昔の
日本映画の予告編は助監督が作っていたそうです。まず
は紙の上で、どういう流れにするか文章で考える事にし
ました。
「殺伐とした日本列島の/北のはずれに/生命尊
重の理念を町是に掲げた/日本では稀有の/品格と哲学
を持った町がある」と始まり、そして最後は「生命と豊
かな心を求める/素晴らしき西和賀の人々の物語」とい
う風に決めました。後は、考えた文章に合った映像を当
てはめて行きます。印象に強く残っている映像ばかりを
選択していくのですが、それでも、
「これはもったいない
から」と本編にとって置いたものもあります。予告編で
全部観せてはつまらないですからね。
初めての予告編作り、本当にこれで良いのだろうかと
いう不安や、映像に載せた文章が多過ぎたな…、という
反省もあります。何だか、昔の日本映画の予告編の様で
すが、少しでも本編の魅力を感じて頂ければいいなと思
います。11 月中には、記録映画『いのちの作法』の公式
サイトで観て頂ける様に準備を進めていますので、その
際はぜひチェックしてみて下さい。
(文/責 中越信輔)
−映画の撮影がありましたが、映画クルーと出会って感
じたことは−
違う地域で育った人たちが映画を撮り始めたことは、こ
の山里の西和賀に新しい空気を入れてくれましたよね。ま
た、撮影クルーが来て西和賀に後援会が発足したりして、
様々な活動が行われていくことが、自分たち自身の活動に
とっても大きな刺激となりました。
この地域にいて体験出来ることとしては、本当に貴重な
ことだったと思います。東京や外の地域では違うんでしょ
うけども。
−小池監督や一之瀬カメラマンの印象は−
冷静に色んなことを見ていると感じました。一之瀬さん
はカメラを通して、小池さんは映画の構想の中で冷静に見
ている。私たちが分からないことであったり、感じないこ
とを指摘して頂いたりすることが多かったです。ここにい
るだけでは、感じないし気が付かないことが沢山あること
を教えられました。同じ まちづくり でも、全く違う発
想の中で考えるお二人の話にはとても刺激を受けました。
―もうすぐ映画が完成しますが、期待することは―
自分たちのやってきた活動が地域の後輩たちに引き継い
でいけるよう、10、20 年後に次の世代に残るものであって
欲しいですね。
深沢村長たちの偉大な村づくりと同列とはいかないです
が、こうして、ある時代に若者たちがこうやって地域を良
くして行こうと頑張っていたんだ、ということが伝わる映
画であればと願います。
深沢村長や太田祖電さんたちが行っていた青年活動と、
私たちがやっている活動も根本は変わらないと思っていま
す。地域を良くして行きたいという 想い は共通なので
す。
〔文/インタビュアー 都鳥拓也 都鳥伸也〕
「いのちの作法」編集現場からのメッセージ
生田編集室だより
いくた
へんしゅうしつ
だより
都鳥プロデューサー
活
動
日
誌
<10 月 21 日(日) 「輝け『いのち』ネットワーク」
設立総会>
先月から準備が進めら
れてきた「いのちネット」
の設立総会。「子育ち子
育て支援」や「生命尊重
行政研究所」計画など様
々な活動について、議論
が繰り広げられました。顧問に太田祖電氏、
増田進氏、照井富太氏を
迎え、いよいよ始動です。
「いのちネット」では、来
年からの『いのちの作法』上映活動の支援を予定し
ています。
<10 月 25 日(木) 北上市各種女性団体協議会理事会
参加>
北上市各種女性団体
協議会の理事会へ参加。
募金活動への協力を呼
びかけました。現在、
北上市女性団体協議会
で、は募金活動をどの
ように行なっていくか
議論がなされています。
<10 月 27 日(土) 北上市民映画最終仕上げ>
今年、4 月から都鳥兄
弟プロデューサーが全面
参加し制作されてきた北
上市民映画の最終仕上げ
が日本映画学校で行なわ
れました。作品タイトル
は「北上シロツメクサ物
語」に決定。11 月 15 日
に北上さくらホールで上映会を開催します。開場
18:00.詳しくは北上 JC⇒0197‐65‐0281 まで。
<10 月 28 日(日) 鬼柳小学校 20 周年記念式典>
都鳥プロデューサーの
出身校である鬼柳小学校
が今年で 20 周年を迎え
ました。その記念式典の
祝賀会では、中越助監督
がまとめた「いのちの作
法」の予告編が初お披露
目されました。美しい映
像に会場に集まった方々は期待を膨らませてスクリ
ーンに見入っていました。予告編は後日、ホームペ
ージ上で公開する予定です。
日本映画学校のスタジオで予告編を確認する都鳥兄弟
『いのちの作法』の完成間近!−1 月に完成披露上映会
皆様には長らくお待たせしましたが、記録映画『いのちの作法』がほぼ完成というところまでこぎつけました。
現在、東京では音楽のレコーディングやナレーションの収録、音の調整など、最終仕上げ作業の真っ最中です。
完成は来年 1 月 18 日を予定しており、その 10 日後にはいよいよ銀河ホールでの完成披露上映会が開催されます。
皆様のご協力により、私たちの夢が実現します。本当にありがとうございました。
完成のめどはたったものの、11 月 21 日の岩手日報朝刊で報じられたように、制作費が足りない状態であるのに
変わりはありません。現在、北上後援会が募金活動を精力的に行っておりますが、西和賀後援会でも制作協力金
の募金を受け付けております。皆様の小さなご支援が、制作スタッフ一同にとってとても大きな心の支えとなり
ます。どうか、皆様のお力添えをどうぞよろしくお願い致します。
岩手・西和賀発 世界へ
第 13 号
2007.12.5
発行
「いのちの作法」通信
発 行:記録映画制作西和賀後援会 発行責任者:高橋典成
連絡先:〒029-5614 和賀郡西和賀町沢内字太田2−115−1 ℡ 0197‐85-2212
記録映画『いのちの作法』プロデューサー都鳥拓也・伸也
○ 募金いただいた方は、完成披露上映会にご招待します。
○ 5,000 円以上の募金者に対しては、完成した映画のDVDを贈呈します。
<お問い合わせ先>
募金をしてくださる方、映画に関してのお問い合わせ等がある方は、下記までお知らせください。
記録映画制作西和賀後援会事務局
高橋典成 / 85‐2019(ワークステーション湯田・沢内)
畠山幸雄 / 82‐3286(役場湯田庁舎・行革推進室)
都鳥拓也 / 090‐8593‐0597 都鳥伸也 / 090‐2637‐5670
冬の山にウサギ狩りの撮影に入った撮影スタッフ。いのちと向き合う姿がここでも見られました。
(小・中学生は前売り、当日とも 500 円)
○
○
入場前売り券は、1 月から販売の予定です。
寄付をいただいた方々には、招待券をお届けいたします。(発送は 1 月上旬予定)
2007 年も 12 月を迎え、残すところあとわずかとなりました。先月から降り始めた雪も勢いは衰えず、今
年は例年通りの 豪雪 を感じさせています。
さて、4 月から編集期間に入った記録映画『いのちの作法』ですが、通信でも編集室訪問などで作業の経
過をお伝えしてまいりました。約 9 ヶ月間の編集作業で、130 時間に及んだ西和賀の映像記録も 1 時間 50
分ほどの 作品 としての形が見えてきました。
西和賀後援会でも、来年 2008 年 1 月の完成に向けて、上映会開催についての会議を行っております。詳
しくは本誌裏面に出ておりますが、西和賀での完成披露上映会は、1 月 26 日(土)
・27 日(日)の2日間開
催されます。
かつて「保健の村」
・
「福祉の村」と呼ばれた旧沢内村が、合併して西和賀となった現在。どのようなまち
づくりをして、どのように「生命尊重」の理念を受け継いでいるのかを発見する映画づくりであったと感じ
ております。その映画班のとらえてきた西和賀が、映画として私たちに届けられます。
新春、記録映画『いのちの作法』の制作が始まってから約 2 年半の時間を経て、いよいよ公開となります。
どうぞ、ご期待下さい。
(文・記録映画『いのちの作法』プロデューサー都鳥拓也)
この人に聞く−記録映画を支える人たち
ふだんのくらしが映画に
∼『いのちの作法』に感謝します∼
記録映画協力者
元沢内村保健婦長
深沢
久子さん
今月の「この人に聞く」
は、深沢久子さんです。旧
沢内村の保健婦長だった深
沢さんは、現在も福祉分野
に携わっており、映画の撮
影でも大変お世話になりま
した。
−映画では、どのような撮影現場に立ち会ってきま
したか−
その1 助産婦さん
現在 90 歳になる元助産婦さんを訪問。昔は産婆さん
と呼んでいましたが、その方は旧沢内村生まれで、盛岡
市にある産婆さんの資格を取得できる学校に入りまし
た。当時はみんな自宅分娩で、免許を持たない取り上げ
婆さんが多かった中で、きちんとした資格をとりたいと
盛岡に行ったそうです。その当時の資格証を見せていた
だきましたが、大変貴重なものだと思います。
「『いのち』は生まれるところから始まります」と言
った元助産婦さんのお話はとても新鮮でした。
その3 障害者のグループホーム
障害者のグループホームが湯川地区にあり、私はそこ
の管理人兼世話人をしています。ここの撮影にも立ち会
いました。
障害を持っていても安心して住める場所があるという
ことは、基本であり最低条件です。ゆったり流れる時間
で、談笑したり、ボール遊びをしているところが撮影さ
れました。また、雪上相撲大会も見学しました。寒さを
忘れ一生懸命応援している姿は感動的でした。
障害を持っていても地域で暮らす、これは障害者にと
ってとても大切なことです。湯川地区の皆さんには常に
お世話になっています。
その2 おばあちゃん努力賞
乳児死亡率の高かった西和賀地域では、それを半減に
することが地域の悲願でした。そのため「赤ちゃんコン
クール」というのがありました。丈夫な赤ちゃんに育て
ることが自慢だったのです。これは保健所で推奨してい
たので、全県で行われていたと思います。
旧沢内村では、それだけでなく「おばあちゃん努力賞」
を創設したのです。当時母親は農作業で忙しく、子育て
はおばあちゃんの役割でした。そのおばあちゃんをたた
えようとしたのがこの賞です。この賞により、家族ぐる
みで子育てをしようという雰囲気が作られたと思いま
す。たしか7人ほどに贈られていますが、村広報で確認
ができたのでその受賞者を訪問しました。
−全国・地域まるごと児童養護施設事業にもかかわっ
ていますね−
地域を児童養護施設に見立て、いろんな体験をしなが
ら子供らしさを培っていくのがこの事業です。5年前か
ら行っていますが、最初からスタッフ兼ボランティアで
かかわっています。
撮影が入った昨年度は、水不足の年でした。拠点の「清
吉稲荷」でも、水は大切に使わなければなりません。食
事を作るところと洗い場を別々にしたり、衛生状態には
大変気を使いました。洗い場はテントを設営し、別の場
所から水を調達しましたが、この様子を見ていた子ども
たちは、ちり紙で皿を拭いてから洗い場に持ってきてく
れました。トイレの水も大切に使いました。
《 7回
ラストスパート
》
いよいよ、菊池純一さんによる編集作業が始まりまし
た。生田の編集室から菊池さんの編集室へ通う毎日。朝
のラッシュ時、満員電車に揺られて行きます。
作業をして数日、小池監督が、11 月 15 日に行われる
北上市民映画の上映会にあわせて、みちのくみどり学園
の藤澤昇園長に会うなど、地元の人たちとの打ち合わせ
をするために二日間、岩手へ行くことが急きょ決まりま
した。
「あとは任せるから、よろしく」
その二日間は、菊池さんと助監督の自分、二人だけの
作業。任された以上、その間に出来るだけ短くしようと
取り組みました。短くした状態で小池監督に見てもらえ
れば、そこから本当に必要なものが、改めて見えて来る
はずだと思ったのです。
菊池さんは映画全体を通して見つめ、大胆に、しかし
正確に切って行きます。その結果、1時間 45 分になり
ました。今年4月から開始した編集作業で初めて、2時
間を切ることが出来ました。更に、短くすることで面白
さや良さが減少する訳でもなく、映画にリズムが出来
て、より映画の魅力が伝わるようになりました。
その後、小池監督が戻り試写。その結果に満足しても
らうことも出来、その1時間 45 分を基準に、再度、小
池監督の意見を反映させながら編集していくことになり
ました。
菊池さんは、今までどこにどう使えば良いかわからな
かった資料写真を巧く活用し、また、西和賀の美しい風
景描写を足していってくれます。黄金色の夕焼け空がひ
とつ入るだけで、情緒が増し、感情的にもぐっと惹き付
けられるようになるんですね。
編集室へ通う道の銀杏並木も色づき、気が付けば、今
年もあとわずか。最近、撮影でお世話になった方から栗
の渋皮煮の差し入れを届けていただいたり、東京の飯田
橋で毎年行われている「ふるさと交流会」で西和賀の人々
に元気をいただきました。この調子で、ラスト・スパー
トです。
今後は武重ゼネラルプロデューサーを含めての試写。
その上で更に編集を行った後、音の整理や音楽、ナレー
ションを入れる作業が行われる予定です。
(文/責 中越信輔)
普段は蛇口をひねると自由に使える水。しかし資源には
限りがあるということを子どもたちは学んだようです。
何にも不足のない時代です。お金さえあれば手に入る時
代です。子どもに、このようなことを自由にやらせていい
のかと疑問に思うときがあります。もっともっと不便さを
体験させるべきです。資源には限りがあることを教えるべ
きです。私はその意味で「水不足体験」はよかったと思い
ます。この様子もしっかり撮影されていました。
−今どんな仕事をしていますか−
障害者のグループホームの管理人兼世話人と、
「かたくり
の園」の看護師(今年度中のお手伝い)をしています。か
たくりの園は高齢者のデイサービスセンターで、遠くから
通ってきます。高齢者には、自宅から出られることで多く
の人との交流ができますし、家族の側では、一時介護の手
が離れます。どちらにも大切なことです。
通園する高齢者の大部分は、入浴を楽しみにしています。
ゆっくりお風呂につかり、髪を洗ってさっぱりする。とて
も気持ちのいいことです。私は以前、旧沢内社協で移動入
浴車による入浴サービスにもかかわったことがあります
が、これは、歩けない人、寝たきり状態の人には大変喜ば
れています。どちらも体験し、両方とも必要なことが実感
できました。
―記録映画に期待することは―
都鳥兄弟が「村長ありき」と言う本を手にしてくれたと
きからすべてが始まりました。それに感謝したいと思いま
す。映画の予告編を見ましたが、音楽もよかったし画面も
大変きれいでした。見ていて私の「いのち」が洗われるよ
うでした。1月の上映会が本当に楽しみです。
〔文/インタビュアー
高橋
生田編集室だより
へんしゅうしつ
活
動
日
誌
<11 月 9 日(金) 高橋典成事務局長、小池監督と
武重ゼネプロを激励>
この日、当後援会事務
局長が編集作業中の小池
監督と武重ゼネラルプロ
デューサーを激励しまし
た。撮影終了後、約 11
ヵ月ぶりの再会に様々な
話が弾みます。
武重さんは「様々な地
域にも通じる普遍的な映画になってきている」と、
自信を語っていました。
<11 月 11 日(日)ふるさと交流会参加>
毎年、東京飯田橋で
行われているふるさと
交流会。関東地方の西
和賀出身の人たちや西
和賀にゆかりのある人
たちが集う大切なイベ
ントのひとつです。「い
のちの作法」のクルーが
ここに参加するのももう 3 年目。予告編の上映とス
タッフの報告で、完成が近づいた「いのちの作法」
に更なる期待が膨らんでいます。
典成〕
「いのちの作法」編集現場からのメッセージ
いくた
都鳥プロデューサー
だより
<11 月 15 日(木)北上市民映画完成上映会>
都鳥兄弟が協力して
制作してきた北上JC
主催の市民映画「北上
シロツメクサ物語」の
上映会がさくらホール
で行われました。北上
はもちろん、西和賀町
からも人が集まり、約
500 人の観客で賑わいました。この日は「いのちの作
法」の予告編も同時上映され、大好評を博しました。
<11 月 24 日(土) いのちの灯 碑前集会>
西和賀町内や北上市、
盛岡市、宮城県など多
くから 80 人あまりが
集まり、6 年ぶりに
いのちの灯 碑を囲
む会が行われました。
都鳥プロデューサーも
参加し、「いのちの作法」
の予告編を町民の皆様に初公開し、現在の制作状況
と今後の進行について報告しました。
パソコンで編集作業をする菊池純一さん
∼メッセージ∼
無事映画が完成し、西和賀での上映会も大成功のうちに終えることができました。今まで都鳥兄弟を支えてい
ただいた町民の皆様に対しての感謝のメッセージを、2 人のご両親である都鳥正司さん、○○さんからいただいて
いますので、ご紹介させていただきます。
記録映画「いのちの作法」の完成にあたって
初上映会の当日は私達も、完成を待ちわびていた映画と、息子の晴れ姿を見に西和賀まで行こうと、早々とチケット
を購入していました。数日前の大荒れの天気が 26 日でなくて、本当に良かった。
「きっと、映画を観ながら、いままで
の苦労を思い出し、泣けてくるんだろうな」なんて思いながら銀河ホールに着きました。駐車場には次々と車が入って
きます。最初は「良かったな、たくさん来てくれて」と思っていましたが、その後も続く人の数にだんだん心配になっ
てきました。
「えっ、この人数、入れるの?」
、会場がいっぱいになっても、まだまだ来ます。そのうえ、送迎バスまで
来るのだそうです。何もできないのですが、ハラハラのしどうしでした。
岩手・西和賀発 世界へ
第 14 号
2008.2.5
発行
「いのちの作法」通信
発 行:記録映画制作西和賀後援会 発行責任者:高橋典成
連絡先:〒029-5614 和賀郡西和賀町沢内字太田2−115−1 ℡ 0197‐85-2212
やはり 1 回での上映での入場は無理となり、急遽 16:00 からも上映することになりました。その間、待たなくては
ならなかった方、観ることのできなかった方には、本当に申し訳ありませんでした。やっと、立ち見も出る中、上映が
始まり、ホッとしたのもつかの間、今度はプロジェクターの調子が悪く会場が暗闇になってしまうハプニング。今まで
の苦労を思い、涙の鑑賞なんてものではなくなってしまいました。この 1 回目、初上映会にこんなハラハラづくめの気
分で終わるとは・・・。これもきっと良い思い出になるのでしょう。
映画の中で、今は体調不良の子供より、親に虐待された子供が多くなってきたという施設生活の子供たちが、沢内で
ホームステイする場面があります。ホームステイ先のおばあちゃんが親の事を聞くと、元気に「離婚した etc・・・」
と答えました。その明るさに思わず会場では笑い声がありました。私達も顔が緩みました。本来なら、この子たちは、
親の愛情を一身に受け育っているはずなのです。どうしてこんな事になってしまったのか、そして、この子たちの親も
当然、老いていくことになります。本当につらい事です。この子たちの将来がしわせでありますようにと願わずにはい
られませんでした。
この映画は、ご協力してくださった皆様のおかげで完成する事ができました。優しさに満ちた、それでいて全く便利
でない地での人々の強さが表れていて、私達はおかげ様でよい映画ができたなと思っています。でも、これを「ああ、
完成したな、いい映画だったな」で終わらせてほしくないのです。この映画には日本中に伝えたいもの、訴えたいもの
があるはずです。福祉の問題は重いものです。でも、この「いのちの作法」がその問題に少しでも力になる事を願って
います。
最後にこの映画の制作にあたり、協力してくださった方々、頑張ってくれたスタッフの方々、そして、息子に感謝し
ます。ありがとうございました。
(「いのちの作法」プロデューサー 都鳥拓也・伸也の両親より)
完成を祝って、映画スタッフに花束が手渡されました。スタッフの皆さん、本当にご苦労様でした。
お詫び
今回の記録映画「いのちの作法」上映に際しましては、ご来場いただいた皆様にいろいろとご迷惑を
おかけいたし、本当に申し訳ございませんでした。この紙面をお借りして、深くお詫び申し上げます。
上映会終了後、時間がなくて行けなかったという方や、もう一度見たいという声が多く寄せられております。
「い
のちの作法」は、これからの全国での上映に向けて準備を進めておりますが、西和賀町においてもできるだけ早
い機会に再上映をしたいと考えておりますので、今しばらくお待ちください。
なお、現在決定している上映予定は次のとおりです。
2 月 17 日(日)北上市・「さくらホール」
2 月 23 日(日)盛岡市・岩手教育会館
※
1 回目:午後 2 時
午後 2 時
2 回目:午後 6 時
チケットは町内でも購入できます。ご希望の方は後援会事務局(役場湯田庁舎・畠山 82−3286)まで
ご連絡ください。また、招待券をお持ちの方は、両会場とも入場できますのでご利用ください。
ついに完成した記録映画『いのちの作法 沢内「生命行政」を継ぐ者たち』の完成披露上映会が 1 月 26
日・27 日の二日間にわたって開催されました。都鳥兄弟や小池監督たちが、「映画を作りたい」といって西
和賀を訪れてから約 2 年半。待望の公開に当たっては、町内外から約 1000 人の方々が銀河ホールに集まり、
映画を鑑賞して下さいました。
作品に描かれた、子ども達との活動や老人介護の活動、障害者福祉の活動などを通して観客の皆様は色々
なメッセージを心に刻んで下さったのではないでしょうか。予想以上の動員で、次の上映までお待たせして
しまったこと。プロジェクターの故障で上映がストップしてしまいご迷惑をおかけしてしまったこと。映画
を鑑賞しに来て下さったことへの感謝と、トラブルを起こしてしまったことに対するお詫びをここで申し上
げます。
本当に皆様、どうもありがとうございました。そして、ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございません
でした。
いよいよ公開が始まった、『いのちの作法』は、これから 2 月 17 日に北上・さくらホール、2 月 23 日に
は盛岡・岩手教育会館での上映が行われていきます。まだ観ていない方は、是非、足をお運び下さい。今後
1 年間は県内外での上映活動が行われます。今後も記録映画『いのちの作法』をどうぞよろしくお願いしま
す。
(文・記録映画『いのちの作法』プロデューサー都鳥拓也)
都鳥プロデューサー
「ついに完成!
『いのちの作法』西和賀町を皮切りに上映活動スタート!!」
1 月 26 日土曜日、ついに二年半の歳月をか
けて制作されてきた『いのちの作法 沢内「生
命行政」を継ぐ者たち』がそのベールを脱ぎ
ました。
開場予定の 1 時間以上前からお客様の姿が現れ始
めます。寒いところでお待たせするのも申し訳なく
思い、早めに開場すると、次から次へとお客様がや
ってきます。
予定時間になると、送迎バスが到着していないにも
関わらず、既に会場は満席状態。バスにも予定以上の
お客様が乗っているとのことで、急きょ、16 時からの
上映を追加することになりました。わざわざバスに乗
ってお越し下さり、さらに別室やロビーで一回目の上
映が終わるまでお待ち下さった皆様、本当にありがと
うございました。
上映前、製作総指揮の武重邦夫さんは
「地方から中央を越える映画が出来た。こ
の作品は色々な地域を元気にする、地域へ
の応援歌です」とあいさつ。
詰めかけた町民の皆様は、なじみ深い町
内を舞台に繰り広げられる映画を、時に笑
い、時には真剣に、時には涙しながら鑑賞
しており、エンドタイトルが終わるや否や
大きな拍手が巻き起こりました。
上映後は、「西和賀の地で、ぜひ演奏を
したい」と、今回の上映会に参加した音楽
の森拓治さんによるウクレレの生演奏が
披露され、お客様を更なる感動に包みま
す。
上映前 30 分なのに、会場は観客であふれんばかりになりました。
《
第9回
ナレーション収録
》
防音ガラスの向こう側にいる伊藤さんに、小池監督が
2007 年 12 月 28 日、ナレーションの収録が行われま 「はい」と声をかけてナレーションのキューを出します。
した。場所は、川崎市アートセンター。日本映画学校な 「奥羽山脈の山裾に広がる西和賀地方は、沢内盆地と言
どがある新百合ケ丘駅周辺地域を「しんゆり・芸術のま われ、——」
ち」にしようという計画で昨年 10 月 31 日にオープン
ナレーションの収録が遂に始まりました。小池監督が
したばかりの建物です。劇場や編集室、録音室を備えた 試行錯誤を重ね、何度も何度も修正して完成したナレー
施設なのですが、録音室を使用するのは、今回の記録映 ション原稿を、伊藤さんの深く味のある声で読み上げら
画『いのちの作法』が初めてのことでした。
れていきました。今までは助監督の自分の声を仮で作品
ナレーターは伊藤惣一さん。ドキュメンタリーのナレ にあてていましたが、やはり比べものになりません。プ
ーターの第一人者です。小池監督の作品ではお馴染みの ロデューサーの都鳥兄弟も、来た甲斐があったと感激。
声でもあり、前作の記録映画『白神の夢』も伊藤さんの
5 時間ほどのナレーション収録は、記録映画『いのち
ナレーションです。長い付き合いから、全幅の信頼を寄 の作法』に、生命が吹き込まれていくような作業でした。
せています。
最終仕上げで追われて慌ただしい年越し。2008 年、あ
午前中に録音の若林さんと慌ただしく収録のための と 10 日ほどで完成予定。そして、今月末の 26、27 日に
準備を行い、そして、午後1時、伊藤さんの登場です。 は西和賀町での上映になります。皆様、お楽しみに。
挨拶を交わしてから、打ち合わせ。ゼネラルプロデュー
サーの武重さんや小池監督と読み方についての確認が
(文/責 中越信輔)
行われました。そして、この日にあわせて上京していた
プロデューサーの都鳥兄弟が、言葉のイントネーション
などのアドバイスをした後、早速収録となりました。
終了後、会場から出てくるお客様から「良かった」と
いう感想や握手をいただき、制作スタッフも後援会メン
バーも一安心。映画の更なる広がりを予感させる上映と
なりました。
3 回目の上映が終わった後は、2 年半をかけて西和賀
町の素晴らしい映画を製作して下さったスタッフに後
援会から花束の贈呈も行われました。
最後に都鳥兄弟プロデューサーは「この 2 年半、西和
賀の皆様に育てていただいたような気がします。この映
画を多くの方々に観ていただくことが僕たちに出来る
恩返しだと思います」とあいさつ。今後の上映活動に対
する意気込みを語り、上映初日は終了しました。
翌 27 日の日曜日も「昨日あんなに来てくれたんだか
ら、今日は少ないかも」という予想に反し、お客様が途
絶えることなく受け付けにやってきます。場内も程よく
満員になりました。
2 日合わせての動員数は約 950 人。ある人は言いまし
た。「ここでこんな騒ぎになったのは二回しかない。一
回目は『村長ありき』を舞台化した『燃える雪』で二回
目は『いのちの作法』だ」と。
両作品とも地元を舞台に、丹念に取材され時間を要し
て作られた作品です。地元に対する町民の想いの深さを
改めて感じさせてくれるような気がしました。
今後、北上、盛岡、そして全国へと発信されていく『い
のちの作法』。これからもたくさんの人たちに観ていた
だき、その胸に残り続けてくれることを願っています。
(両日ともに機材トラブルにより上映がストップして
しまうハプニングがあり、深くお詫び申し上げます。復
旧まで、辛抱強くお待ち下さった町民の皆様にはとても
感謝しております)
(文/責 都鳥拓也/伸也)
「いのちの作法」編集現場からのメッセージ
生田編集室だより
いくた
へんしゅうしつ
だより
活
動
日
誌
<12 月 16 日(日)第 36 回長瀬野新集落移転記念祭>
この日は、和衷会に
依頼され撮影した『移
転 35 年記念式典・祝賀
会』の映像を仮編集し
たものを公開。式典や
祝賀会の様子に真剣に
見入ったり、笑い声が
もれたりと、和やかな
ムードが会場に溢れま
した。最後の長瀬野小学校校歌の大合唱には、大き
な拍手が起こりました。
<12 月 28 日(金) ナレーション録音作業>
神奈川県川崎市の
「川崎アートセンター」の録音室で、今回
で映画のナレーション
の録音作業が行われま
した。ナレーターを務
めて下さったのは伊藤
惣一さんです。小池監
督からの「空から仙人
が降りてきて、見てきた地域を語るような感じで」
という難しい注文に答えながら映画の色合いを作り
上げてくれました。
<1 月 18 日(金) 整音作業>
日本映画学校で映画
づくりの最後の作業で
ある、整音作業が行わ
れました。音楽やナレ
ーション、それに現場
で録ってきた音を合わ
せて綺麗に整えていく
作業です。いくつかのブロックに分けて時間をかけ
て作業を進めて行きます。僕たちが行ったのは作業
2日目。いよいよ映画としての形が完成しました。
<1 月 25 日(金)西和賀町映画関係者むけ試写会>
1 週間前に完成した映
画を、町長を始めとした
関係者に向けて試写しま
した。スタッフ以外の方
が観るのはこれが最初。
どういった感想がでるの
か僕たちも緊張しました。
エンドクレジットが終わり、町長から「素晴らし
い映画ですね」と言って頂き、僕たちもホッと胸を
撫で下ろしました。
パソコンで編集作業をする菊池純一さん
「いのちの作法」全国上映運動の推進に向けて
∼上映運動のための新たな組織を立ち上げます∼
「いのちの作法」は西和賀町の財産
記録映画「いのちの作法」の作法が完成してから3ヶ月が経過しました。表紙にも書いていますが、
今まで約5500人の方々に鑑賞していただいています。その後も各地から上映会の申し込みが届いて
おり、雫石町、平泉町、紫波町、奥州市などでの上映会が計画されています。そのほかにも多くの問い
合わせがあり、調整をしているところです。
岩手・西和賀発 世界へ
第 15 号(最終号)
2008.4.25 発行
「いのちの作法」通信
発 行:記録映画制作西和賀後援会 発行責任者:高橋典成
連絡先:〒029-5614 和賀郡西和賀町沢内字太田2−115−1 ℡ 0197‐85-2212
映画は都鳥プロデューサーをはじめとした制作スタッフの熱意で作られましたが、それを支えたのは
西和賀町民であり、全国で西和賀町を応援してくれている方々であったと思います。多くの方々の思い
が詰まったこの作品「いのちの作法」は西和賀町の大きな財産であり、これを広く全国に知らせること
は、映画制作委員会だけでなく西和賀町民の役割でもあります。また上映が各地で行われることによっ
て、合併した西和賀町を全国にPRする大きなチャンスともなります。
平成20年度中に10万人の観客動員を
「いのちの作法」の上映活動は、都鳥兄弟が中心となって映画制作委員会で行うことになりますが、
それだけでは大きな輪につながりません。制作委員会では平成20年度中に10万人の方々にこの映画
を見ていただくことをめざしており、それを実現するために、西和賀町においても上映運動を推進する
ための組織を立ち上げることとしました。
この組織は、今までの記録映画制作西和賀後援会の構成団体や個人が中心になりますが、興味のある
方はぜひご参加いただきたいと思います。映画を通じてさまざまな活動をしてみたい人はぜひともご参
加ください。
推進組織の立ち上げは、5月中旬から下旬を予定しています。
興味のある方は、
都鳥伸也(090−2637−5670)
または高橋典成(85−3273)までご連絡ください。
「いのちの作法」西和賀上映会のお知らせ
「いのちの作法」の再上映はいつあるの?多くの方々からの問い合わせをいただいていましたが、
田植えがほぼ落ち着く6月3日、沢内農業者トレーニングセンターで上映することとしました。まだ
ご覧になっていない方も、もう一度ご覧になりたい方も、ぜひ足をお運びください。
○ 6月3日(火) 沢内農業者トレーニングセンター
○ 開演 午後7時00分(開場は6時30分の予定です)
人
1,000円(当日は1,200円)
○ 入場料 大
中・高校生
500円(当日も同額)
入場券の販売については、町内のプレイガイド等にお願いをする予定です。詳しいことにつ
いては改めてお知らせいたします。
『いのちの作法』では、私たちの大好きな西和賀の風景が美しく映し出されています。
4月も後半を迎え、西和賀にも桜の季節が訪れました。
記録映画『いのちの作法 沢内「生命行政」を継ぐ者たち』の完成披露上映会から3ヶ月。西和賀町、
北上市、盛岡市で上映会が行われた他、沢内中学校や西和賀高校・湯田中学校の生徒さんたちに向けて
の上映会。それに3月に初の県外上映ということで、宮城県栗原市若柳地区での上映会も行われました。
これまでの『いのちの作法』の動員数は約5500人。観客の皆様からは口々に、「こうした町が、
人たちがまだ日本にいるんですね」、
「見ただけじゃなく、これからの地域づくりの参考にして行きたい」
などの感想をいただいております。
私たち「記録映画制作西和賀後援会」は、制作協力金の募金活動や、映画制作の支援という役割を終
え、4月10日に解散総会を行いました。今後は、西和賀町の財産でもある『いのちの作法』を全国に
向けて発信していくための支援組織として、新たな団体の結成を計画しております。
『いのちの作法通信』は今号をもって最終回となりますが、今後とも記録映画『いのちの作法』をど
うぞよろしくお願いします。
『いのちの作法』通信最終号に寄せて
「希 望 を 作 る 努 力」
ゼネラルプロデューサー
武重邦夫
西和賀町の皆様!
この度、私達は西和賀の人たちに学び、町の人たちと共に力を合わせ「いのちの作法」という映画を作りあ
げました。 そしてこの小さな映画は、ともすれば自信を失いそうになっている日本中の地方や地域社会の
希望 となるべく上映が広がっています。
私達はしがない映画屋ですが、こうした撮影に参加できたことに誇りと喜びを感じています。そして、我々
の人生に新たな契機を与えて下さった西和賀の皆様に心から感謝と御礼申し上げます。有難うございまし
た。
この3年間、皆様の多大なるご支援ご協力を賜り、有り難うございました。
おかげさまで、記録映画『いのちの作法』を完成させることが出来ました。
そして今、西和賀の皆さんと僕ら映画スタッフが作り上げた1本の映画が、
日本中に日本人が未来に生きる一つの指針を提示し、静かにゆるやかでは
ありますが、「小さな希望の芽」を拡げつつあります。
3年前、私は西和賀町を訪れて、深沢晟雄というに日本史上に輝く巨人の業績に触れ、また、その哲学を継
承する西和賀の人々の姿を目の当たりにし驚嘆いたしました。
太平洋戦争終了後、
「国家の主権より前に、まず、個々の国民の幸せが優先する」との新しい国創りの理想
を実現してきた人たちが存在したこと、そして更に、その理念を50年余り繋ぎ続けてきた人々が居た事で
す。なぜなら、未曾有の犠牲者・英霊の思いを教訓とすることなく、私達の日本はいつの間にか経済主義を
価値観の本筋に据え、国益を錦の御旗に破滅に向かい爆走してきたからです。
私が大学を卒業した頃、高度経済成長が始まりました。豊かさが経済活動に収斂され、やがてバブルの時代
に突入して行きます。当時、或る映画の素材調査で農村地帯を調査していた私は、集団就職などで若者を都
市に持っていかれた地方の共同体が、過疎と老齢化で崩壊の道を辿っている実態を見て仰天致しました。明
治維新から昭和にかけて、近代日本を構築してきた地方という基盤が崩れ始めている。これからの日本はど
うなるのか?
そうした危機感の中で、私は地方での映画作りに踏み出しました。
2008年4月19日、
「いのちの作法」スタッフ代表・武重邦夫。
記録映画制作西和賀後援会解散のお知らせ
住民の皆様からの多大なるご協力をいただいて、『いのちの作法』の完成に向けて活動をしてきた
記録映画制作西和賀後援会ですが、このたびその役目を終え、解散することとなりました。皆様には
制作協力金の寄付や映画上映会などでお世話になり、本当にありがとうございました。
後援会は解散となりますが、新たに「いのちの作法」の上映運動を推進するための組織を立ち上げ
る予定ですので、皆様の引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。
後援会の解散にあたり、この紙面上で後援会の決算報告をさせていただきます。
◎映画制作協力金関係(西和賀町分)
収入の部
283万6700円 (映画制作協力金
私は経済も文化の一部であるという考えの持ち主です。
経済活動も所詮、人間の行為であります。社会的モラルや人間の生き方・・つまり、生存の哲学に立脚して
いるのです。そして、競争原理の働く都市部が健全に機能するためには、地方や地域社会の「モラルの源泉」
からの清流が都市部に流れ込み、日本人総体のバランスをとってきたのです。無論一方では、都市部から世
界の趨勢や文化が地方に流れこんでいました。かつての日本にはそうした還流機能が正常に働いていまし
た。
支出の部
211万9975円 (映画制作基金へ入金)
52万 668円 (事務関係の経費)
収支差引き額
19万6057円 (上映運動推進組織に引き継ぐこととしました。)
国家という巨木も地方という根が朽ちれば、ひとたまりもなく倒壊するのです。
「日本をこんなに豊かにしたのは誰ですか、何処の政党ですか!」
バブルの頃、政権党の政治家からよくそんな演説を聞かされたものでした。
しかし、その結果が今日の日本の惨状です。余りに虚しく悲しくなります。
刻苦勉励してきた国民の努力を無にした政治家たち、その甘言や嘘を信じて選択してきた私達日本人の悲し
みです。
こうした絶望感の中で私達の中に甦ってくるのは、やっぱり、東北の小さな村の中で日本の未来を見据えて、
自己の信念を貫き実行した深沢晟雄という村長さんです。
私は映画学校で現代史の講義をしてきましたが、国政を司る政治家に彼ほどの逸材が居なかったのが日本の
不幸だったと思っています。
「深沢村長は傑物だったが、しかし、彼が生まれてくる背景には過酷な自然風土と政治状況の和賀地方、広
く言えば みちのく が存在した」
これは地方政治家・久保幸喜さんの書かれた一節ですが、目から鱗の思いでした。
確かに、私達が西和賀で目の当たりにしたのは中山間地の過疎や地域格差です。
しかし、西和賀の人たちの凄さは、そうしたハンディを抱えながらも自分達の町の本質を問い、未来につな
げようとする数々の試みが実行されていることです。
単なる小手先の町興しではなく、日本列島そのものを変えていく様々な取り組みが行われている事です。日
本国と我々日本人の未来への希望を生み出す努力です。
525 人分)
◎映画制作協力金の状況(全国分)
項
目
金
額
制作協力金(全体) 1026万2918円
うち西和賀町分
※
283万6700円
割
合
募金者数
割
合
100.0%
1306人
100.0%
27.6%
525人
40.2%
5千円以上のご寄付をいただいた方々には、
『いのちの作法』のDVDを贈呈する
こととしていますが、お届けする時期は今年の年末を予定しています。クリスマス
プレゼントとして楽しみにお待ちいただければと思います。