ISSN 0389-5254 2010 No.2 MAR JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION 操縦士協会のめざすもの (第204回理事会決議) 1. 私達の活動の目的は、 定款に定められた通り 「航空技術の向上を図り、 航空の安全確保 につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を行い、 もって我が国航空の健全な発展を促 進する」 ことです。 2. 私達は、 定款の目的を踏まえ、 将来のあるべき姿として 「安全で誰からも信頼され、 愛 される航空を実現する」 というビジョンを描いています。 3. 私達は、 目的・ビジョンを達成するために下記を基本的指針に掲げて活動して行きます。 航空の安全文化を構築する。 (組織と個人が安全を最優先する気風や習慣を育て、 社会全体で安全意識を高めて行くこと) 地球環境と航空の発展との調和を図る。 航空に携わるものどうしが心を通わせ共存共栄を図る。 第45期 (平成21年度) 重点施策 本協会は、 航空の安全に資する事業を推進し、 航空関係者の知識と能力を育み、 もっ て空の安全と技術向上を目指し、 操縦士の社会貢献を担うと共にその促進を図ります。 また、 諸事業を通じ、 社会とりわけ航空に関心を持つ方々に直接働きかけ、 航空との 出会いと触れ合いの場を提供し、 航空に対する興味と期待に応えていきます。 特に青少 年へは、 社会教育の一部を補完する意味で、 航空という新たな世界を紹介し、 健全な成 長を応援します。 操縦士が技能育成の場を容易に持てる環境を整えます。 訓練用の機材を協会事務所に 確保し、 経験豊富な操縦士が教育にあたります。 これらを通じて技術指導の充実及び資 格の維持に貢献し、 技術者としての雇用安定にも寄与していきます。 ・教育・啓蒙事業 ・改善への貢献 ・技術支援 ・操縦士の風土作り ・適切な事業展開と運営 ・人の和と連帯感の促進 操縦士協会は会員を募集しています。 JAPAは公益法人として国土交通大臣の認可を受けた日本唯一の操縦士団体です。 目的 本協会は、 航空技術の向上を図り、 航空の安全確保につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を 行い、 もってわが国航空の健全な発展を促進することを目的とする。 協会の会員は、 下記のように分かれます。 正 会 員;協会の目的に賛同して入会された方で、 原則として操縦士技能証明をお持ちの方です。 賛助会員;協会の事業を賛助するため入会した個人または法人です。 個人賛助会員は、 満16歳以上の操 縦士技能証明を持たない方で、 法人賛助会員の資格は、 特に定めはありません。 正会員の会費;60歳未満:月額 1,700円 (内訳1,500円:協会運営費、 200円:共済費) 60歳以上:月額 1,500円:協会運営費 個人賛助会員; 月額 1,500円:協会運営費 法人賛助会員: 一口年額 50,000円:協会運営費 入会すると? ①協会機関誌 (AIM・PILOT誌など) の無償入手 ②航空関連商品 (書籍等) の割引購入 ③会員向け、 空港施設見学や講習会への参加 ④協会契約割引施設の利用 お申し込みは別途 「入会申込書」 をお送り致しますので、 事務局までご連絡下さい。 皆様のご入会をお待ち致しております! 社団法人 日本航空機操縦士協会 JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOSIATION TEL03-3501-0433 FAX03-3501-0435 E-Mail [email protected] Home page URL http://www.japa.or.jp/ 協会からのお知らせ 正会員 (60歳未満の方) 会費納入額が変更になります。 平成22年4月より1,700円から1,500円に変わります。 共済保険制度の改訂ならびに会費の減額について、 以下のように方針が固まりました。 3月開催の理事会で承認を受けた後、 下記のとおり変更されることになります。 現共済制度の廃止 新公益法人法では、 現在の制度は認められません。 一方、 ①小額短期保険業登録、 ②保険会社に事業譲渡、 の選択肢はありますが、 ①資格取得に必要な経費と運営業務 の負担増②保険料が現在の共済費200円では収まらない、 などの問題があります。 更 に、 共済事業は会員向けの共益事業として扱われるため、 公益認定を取得する上で、 不利に働くことになります。 従って現行制度を廃止することと致します。 新たに協会福利厚生制度の新設 現在の共済制度に変えて、 新公益法人制度で認められる制度、 社会通念上妥当な制 度 (弔慰金10万円以内など) を新設し、 会員サービスの低下を補います。 また、 現在の共済基金積立預金を原資とした新たな福利厚生事業積立金を設け、 運 営基金と致します。 平成22年7月に発効 会員の皆様に周知するために、 制度変更を平成22年度の総会で報告し、 7月1日よ り新たな制度をスタートさせます。 暫定措置として6月30日までは、 一般財源を充当 し現在の制度を運用します。 従いまして、 4月1日以降の共済運営費200円は必要な くなります。 会費は1,500円となります 毎月1,700円を会費として納入頂いておりましたが、 平成22年4月1日から、 月額 1,500円 (協会運営費) になります。 新制度における給付金の詳細 ・結婚祝金 20,000円 ・祝電 ・弔慰金 100,000円 ・供花料 20,000円 ・弔電 JAPA SHOP 品 名 定 価 会員価格 送料 一般価格 送料 AIM−JAPAN AIM−JAPAN 英語版 学科試験スタディーガイド パイロットガイダンス TAKE-OFF 安全飛行への招待 ヘリコプター操縦教本 第2版 航空気象 (新刊) 区分航空図501∼506各 3,500円 3,500円 3,500円 3,500円 3,500円 3,500円 2,500円 2,600円 3,150円 送料込 3,150円 送料込 3,150円 送料込 3,150円 送料込 3,150円 送料込 3,150円 送料込 2,250円 送料込 2,340円+280円 3,500円+380円 3,500円+380円 3,500円+420円 3,500円+380円 3,500円+380円 3,500円+380円 2,500円+380円 2,600円+280円 区分航空図507 ターミナル航空図253、 254 首都圏詳細航空図 パイロット手帳 PILOT 誌 手袋 ライセンスケース 空中衝突 3,100円 2,600円 3,000円 1,200円 800円 5,000円 3,800円 2,300円 2,790円+280円 2,340円+280円 2,700円+280円 1,080円+280円 720円+240円 4,500円+280円 2,800円 送料込 2,070円+380円 3,100円+280円 2,600円+280円 3,000円+280円 1,200円+280円 800円+240円 5,000円+280円 3,800円 送料込 2,300円+380円 お買い求めは操縦士協会もしくは、 お近くの販売店をご利用ください。 直販の場合は代金先払いとなりますのでお近くの郵便局よりお振込みください。 (お振込前に必ず在庫確認をお願いいたします。) 振込口座:郵便局00180−9−88490 社団法人 日本航空機操縦士協会宛 お問い合わせ先:TEL 03−3501−0433 FAX 03−3501−0435 E-Mail:[email protected] CONTENTS No.319 6 2010 No.2 MAR 航空身体検査の推移 62 副会長 8 増田 奉和 Aviation Cafe 連載・飛行力学物語 寄稿 その6 柴田 眞 蔵岡 賢治 奥貫 博 飛行訓練および操縦資格取得要領 脇田 祐三 Turbulence と航空力学 偏西風の気象学 田中 博 76 空中火災恐怖の記憶 消防航空隊操縦士 16 FAI 方式着陸競技の試行 (第3回) 特別寄稿 崇高な任務 その1 Capt.“Sully”(サレンバーガー機長) が 実証したもの 上田 80 恒夫 特集 85 FAI ニュース 祥夫 ハートで飛ばそう! 奥貫 86 Fly with Airmanship ! −6− 博 開催予告 全日本曲技飛行競技会 山 35 オススメ!情報ボックス 書籍 & Goods 紹介 シニア・パイロットのエピソード (第30回) 民間航空に生き、 愉しんだ半生を回顧する 巌 26 アメリカの GA 航空事情 第5回 84 19 GA 部会活動報告 開催案内 博行 JAPA ジェネラル・アビエーション (GA) 委員会の活動 88 JAPA 通信 91 JAPA で飛行訓練を! ジェネラル・アビエーション委員会 Flight Training Device FTD 訓練室 44 52 第31回 ATS シンポジウム IFR による Visual Flight 92 JAPA Aerial Photo Exhibition 航空史曼陀羅 94 編集後記 その34. 航空戦略のパイオニア、 ジュリオ・ドゥーエとウィリアム・ミッチェル 徳田 忠成 58 GA:ジェネアビ情報 飛行とG 奥貫 博 社団 法人 日本航空機操縦士協会 JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION 航空身体検査の推移 副会長 増 田 奉 和 はじめに 航空身体検査制度の推移 温暖化とはいえ昨今の気温変化の大きさに体 調を崩す人も多いようですが、 パイロットにとっ て自身の健康状態は特段の関心事のひとつです。 自ら希望する職業に就ける人は一割にも満た ないと言われていますが、 パイロットもご多聞 にもれず希望しても難しい面があります。 それ は操縦適性などいくつかの要因がありますが、 とりわけ身体条件が関門となっている場合が少 なくありません。 また、 プロのみならずアマチュ アパイロットにも、 一定度の身体条件が課せら れています。 パイロットを生業にする者は定年まで、 アマ チュアパイロットも航空身体検査更新日が近づ くと、 にわかに自身の健康状態が気になってき ます。 安全に空を飛ぶためには技量の発揮が求めら れますが、 その前提には健康状態が優れている ことが必要であり、 定められた身体要件をクリ アーするという大きなハードルがあります。 こ の必要条件は健康なときほど気にならないもの ですが、 いったん損ねると自らの努力では復帰 に多くの時間が費やされてしまいます。 場合に よっては復帰への努力にも拘わらず、 「健康状 態が飛行には適さず」 との判断がされることも あるでしょう。 必ずしも自助努力では解決しな いという要素もあり、 乗り越えるには技倆とは 違った次元の難しさを含んでいます。 それだけに健康を維持するために、 日常生活 のなかでの不断の健康管理が大切なことは言う までもありません。 今回は航空身体検査基準の 歴史的推移と官民が新たに取り組んでいるテー マを紹介してまいります。 パイロットは航空機の技能証明に加え、 国土 交通大臣または指定航空身体検査医 (以下指定 医) が、 航空身体検査基準に適合することを証 する航空身体検査証明を所持しなければなりま せんが、 技能証明の資格に応じて一定の有効期 間が設けられています。 わが国では昭和27年7月に航空法が制定され、 航空身体検査基準に適合する者について国が 「航空機乗組員免許」 を交付、 有効期間は、 定 期運送用操縦士は6ヶ月、 その他の資格は1年 と定められました。 昭和45年6月、 「航空機乗 組員免許」 を 「航空身体検査証明」 に名称が変 更され、 指定医制度を創設 (航空身体検査証明 に係る法的権限の付与)、 航空法の一部改正が ありました。 エアラインの乗員の身体検査につ いては航空審議会の答申を受けて、 航空身体検 査証明の実施を航空運送業者から分離、 昭和59 年6月に航空医学研究センターが設立され、 乗 員の日常健康管理の改善、 講習会の充実などの 「通達」 がだされました。 その後、 昭和63年12 月から医学の進歩、 国際基準の改正等に応じ、 概ね5年毎に航空身体検査基準の見直しが実施 されてきています。 6 2010 MAR ICAO においては62年前の1948年に定期運送 用操縦士6ヶ月、 事業用操縦士12ヶ月、 自家用 操縦士24ヶ月の有効期間の基準が作られ、 1953 年事業用操縦士の40歳以上は6ヶ月、 自家用操 縦士の40歳以上は12ヶ月の有効期間勧告があり、 その後も基準変更が行われ、 2006年に以下の第 167次改訂がありました。 定期運送用操縦士⇒12ヶ月 但し、 一人の操縦士で旅客を運送する運航 に従事する40歳以上および航空運送事業に 従事する60歳以上は6ヶ月 事業用操縦士 ⇒12ヶ月 但し、 一人の操縦士で旅客を運送する運航 に従事する40歳以上および航空運送事業に 従事する60歳以上は6ヶ月 MPL ⇒12ヶ月 但し、 航空運送事業に従事する60歳以上は 6ヶ月 自家用操縦士 ⇒60ヶ月 但し、 40歳以上は24ヶ月、 50歳以上 (勧告) は12ヶ月 上記基準は2005年の第166次改訂の基準に定 期運送用操縦士と事業用操縦士に新たに60歳以 上の年齢基準が加わり、 また MPL (マルチパ イロットライセンス=二人乗り航空機の副操縦 士に適用される資格) については、 今回初めて 設けられた規定です。 最近の動向 米国連邦航空局 (FAA) は ICAO 付属書1 の第166次改訂を受けて2008年7月以降、 定期 運送用操縦士は40歳未満は12ヶ月、 40歳以上は 6ヶ月としました。 事業用操縦士は12ヶ月と ICAO 基準とは一部異なる有効期間を設けまし たが、 自家用操縦士については ICAO 基準通 りです。 一方、 欧州合同航空当局 (JAA) は ICAO 基準と同様の有効期間を採用し、 2006年 12月に発効しました。 わが国においては MPL 制度の導入に向けた 検討が進められていますが、 MPL の制度化に 際しては MPL に係わる航空身体検査証明の有 効期間を定める必要があります。 この機会にあ わせて、 航空身体検査証明全体の有効期間の見 直しもされることになり、 航空局と有識者で構 成される 「航空身体検査証明の有効期間見直し についての検討会」 が設置され、 昨年7月より 3回の検討会が開催されました。 そして10月に、 「わが国は ICAO 基準第167次 改訂内容と同じ有効期間を定める」 という結論 がだされました。 法改正となるこの案件は今通常国会に提出さ れる予定であり、 法案が通れば1年以内に発効 となる見通しになっています。 航空身体検査の結果、 指定医により基準不適 合と判定された場合であっても、 国交大臣に申 請のあった事案については、 航空局長の諮問機 関である 「航空身体検査証明審査会」 (以下審 査会) の検討結果に基づいて航空身体検査証明 を行うかどうか判定することとしています。 審 査会は毎月一回開催され、 審査会の委員は医学 関係者 (内科、 循環器科、 眼科、 耳鼻咽喉科、 精神神経科、 外科の専門医)、 操縦士、 行政機 関で構成されています。 2007 年 度 の 航 空 身 体 検 査 受 検 者 は 、 凡 そ 11,700人で指定医の段階での基準不適合者は 810人余いました。 このうち、 90%以上の者は 審査会による審査の結果、 基準適合と判断され 証明書の交付を受けています。 今後も航空機の進歩、 運航環境の変化のなか で、 航空身体検査基準は蓄積された医学的知見 と国際基準との整合性も視野に入れながら、 継 続して見直しが進んでいくものと思います。 な お普段から健康に気をつけることは言うまでも ありません。 航空医学センターのホームページ には 「乗員の健康管理サーキュラー」 のページ があり、 航空医学に関する様々なテーマを取り 上げて解説しています。 プロ・アマを問わず参 考になる内容を提供していますので、 興味ある テーマがあれば見られてはいかがでしょうか。 どんなに丈夫な身体の持ち主であっても、 病 気にはかかります。 健康体とは、 病気にかから ないという事ではなく、 病気にかかっても治り が早いことが健康体だと言われています。 30歳 なら30歳の、 60歳なら60歳の、 その時々の年齢 での最高の健康状態を保つ健康観を持ち、 航空 機に乗り続けて長寿を全うしていくこととした いものです。 2010 MAR 7 ◎寄 稿 偏西風の気象学 筑波大学教授 田中 博 このたび、 日本航空機操縦士協会で 「偏西風の気象学」 についての講演をさせていただく機会を 与えていただきました。 大気大循環を専門とする気象学者の講演が、 操縦士協会の会員の皆様に興 味あるものとして受け入れてもらえれば幸いです。 ここでは、 大気中に見られるグローバルな現象 からミクロな現象までの間のスケール相互作用の実態と力学について、 簡単に紹介したいと思いま ます。 ●大気現象のスケール 地球大気には、 さまざまの空間スケールの現 象が特徴的な時間スケール (ライフサイクル) を持って、 発生しては消滅しています (図1)。 例えば、 地表面近くの大気境界層には、 1cm から100m 程度のスケールの渦が存在し、 数秒 から数分の時間スケールで発生・消滅を繰り返 しています。 ここで、 渦あるいは擾乱とは大小 さまざまの渦巻きが入り乱れた状態の流れの意 味で用いています。 図1 8 大気現象のスケール 2010 MAR 大気境界層上部には、 日中、 サーマル (熱気 泡) が上昇してできる積雲対流がポップコーン 状に形成されます。 晴天乱気流 (CAT) の原因 となるケルビン・ヘルムホルツ (KH) 波もこの スケールです (図2)。 流体の室内実験におい て、 速度が異なる流体の間の敷居を取り去ると、 境界に生じた強いシアーにより、 次の瞬間に特 徴的な渦が発生します。 これが KH 波です。 積雲や積乱雲が組織化されたクラウドクラス ター (雲の集合体)、 メソ擾乱 (集中豪雨のス ケールの擾乱) などのように、 空間スケールが 大きくなると、 それに伴ってライフサイクルも 長くなります。 海陸風は海陸分布の熱的なコン トラストにより日周期で交代する風系で、 代表 的なメソスケールの現象です。 さらにスケール が大きくなると、 それまで3次元的だった流れ も水平2次元的になり、 数100km の台風、 数 1000km の温帯低気圧 (高低気圧波動)、 数 10000km のプラネタリー波などがそのスケー ルを代表する顕著な大気現象となります。 図2には温帯低気圧のライフサイクルを示し ました。 天気図で見ると、 中緯度に東西に並ぶ 高低気圧波動の典型的な波長は4000km から 6000km 程度であり、 東西方向に地球を一周す る間に、 気圧の波が5から7周期含まれるよう な特徴的なスケールを持っています。 この温帯 図2 温帯低気圧のライフサイクル (上) と室内実験で作られた KH 波 (下) 低気圧に代表される東西波数5から7の波動あ るいは渦を、 気象学では総観規模擾乱と呼びま す。 図3は温帯低気圧の数値シミュレーション で得られた温度の等値線を示したもので、 低気 圧の前面 (東側) では北上する暖気が温暖前線 を形成し、 低気圧の背後 (西側) からは寒気が 南下して寒冷前線を形成します。 流体力学の相 似則により、 温帯低気圧の形状は KH 波と似 たものになりますが、 北の寒気と南の暖気とい う気団の境目で発生した渦巻が南北混合を行っ ているという特徴が見てとれます。 図3 温帯低気圧の温度分布 一方、 プラネタリー波は、 主にロッキー山脈 やチベット高原などの力学的な影響で、 偏西風 が蛇行して形成される地球規模 (マクロスケー ル) の波動であり、 地球を取り巻く東西波数1 から4程度のスケールを持ちます。 大陸と海洋 の熱的なコントラストにより、 年周期で交代す る風系をモンスーン (季節風) といいますが、 これもマクロスケールの現象です。 地球大気の 中で最も空間スケールが大きい現象のひとつと して、 放射加熱の南北差が原因で励起されるハ ドレー循環が挙げられます。 これは成因論的に は東西方向に一様と考えられ、 赤道で上昇し中 緯度で下降する東西波数0 (つまり軸対称) の 熱対流です。 その他に、 地球を東西に取り巻く 中緯度の偏西風ジェット気流、 低緯度の偏東風 ジェット気流、 高緯度の極夜ジェットなどの風 系も、 東西波数0のマクロスケールの現象にな ります。 図1の大気現象に対し、 時空間の傾きを計算 すると、 これらの現象に共通する速度として 10m/s という特徴的な値が見えてきます。 た だし、 地球のサイズは有限なので、 気候変動の ようなグローバルな現象については、 この共通 の傾きから外れてしまいます。 ●大気現象のスペクトル 地球大気にはどのスケールにどの程度の強さ の現象が存在するのかを、 定量的に分析する最 も古典的な手法に東西波数展開 (調和解析) が あります。 これは、 大学で学ぶフーリエ級数展 開に基づく解析手法です。 例えば、 気圧分布の 指標である500hPa 等圧面高度を北緯45度の緯 度円に沿ってグラフにしてみると、 ロッキー山 脈とチベット高原の影響で大陸の西岸に高気圧、 2010 MAR 9 図4 ジェット噴射と乱流 東岸に低気圧が形成されます。 そのようなマク ロスケールのプラネタリー波に、 温帯低気圧に 伴う総観規模波動が重なっている様子がうかが えます。 東西方向に周期的な500hPa 高度場を、 調和解析の手法で各々の東西波数からの貢献に 分解してみると、 どのスケールの波の振幅が大 きいかが分析できます。 これをスペクトル分布 といいます。 つまり、 高度場を異なる波数のサ インカーブの重ね合わせで表現した場合、 その 振幅を波数ごとにプロットすることで、 どの波 の振幅が最も大きいかを定量的に調べることが 可能となります。 通常は波のエネルギーの次元 となる振幅の2乗をプロットして表現します。 解析結果によると、 プラネタリー波が最も卓越 し、 次いで総観規模波動、 そしてメソ擾乱の順 にスペクトル強度が落ちて行く特徴が解かりま す。 スペクトルというと、 太陽光をプリズムで分 解して見える7色の光を思い浮かべますが、 光 を波長別に分解してその強さを比較することと、 大気大循環を波長別に分解してその強さを比較 することは、 同じ作業になります。 ●エネルギーのカスケード 地球規模の大気の運動や乱気流のような小規 模な運動が、 どのようなメカニズムで形成・維 持されているのかを研究することは、 大気大循 環研究や気象学の中心テーマです。 したがって、 10 2010 MAR 図5 乱流から生まれる巨大渦 大気エネルギーが、 どのようなプロセスで維持 され、 あるいはどのようにして変動しているの かを知ることは重要です。 図4は航空機のジェットエンジンから噴出す 気流が、 層流から波動、 渦、 そして乱流へと変 遷するプロセスを可視化したものです。 これは 3次元乱流の特徴になります。 はじめ猛スピー ドで噴射されたジェット気流は、 エンジンの出 口付近では層流になっていますが、 やがて平均 流の力学的なシアー不安定により波が急発達し、 振幅の増大によりその波は砕波して渦を巻くよ うになります。 すると、 渦の中でも強いシアーが 不安定を引き起こし、 さらに細かい渦へと細分 化が進行します。 このように大きい渦の運動エ ネルギーが小さい渦へと枝別れしてゆくプロセ スのことを、 エネルギーのカスケードといいます。 このような乱流の形態の最小単位を見てみる と、 プルーム (運動によりむくむくと成長する キノコの形をした流れ) の集合として認識する ことができます。 渦が細分化され、 相対的に粘 性の効果が大きくなると、 流れの前方で運動を 阻止するようにキノコの形をしたプルームが姿 を現してきます。 このように、 図1に示したエネルギーカスケー ドにより、 地球規模で供給される太陽放射エネ ルギーは、 はじめにハドレー循環や温帯低気圧 を形成し、 やがてより小さい渦または擾乱へと 細分化され、 最終的には境界層乱流の分子粘性 により摩擦熱になります。 ●エネルギーの逆カスケード 一方で、 総観規模波動に供給されたエネルギー の一部は、 プラネタリー波や帯状流などのより 大きなスケールの現象へも流れます。 これは水 平的な2次元乱流の特徴であり、 地球の自転効 果をより強く感じるプラネタリー波のスケール では、 流れが水平2次元的になっていることに よります。 そこでは、 細かい渦同士がぶつかり 合い、 融合を繰り返してより大きな渦へと成長 すします。 この過程では、 エネルギーが小スケー ルから大スケールに向かって流れるので、 このプ ロセスをエネルギーの逆カスケードといいます。 図5の水槽実験では、 2次元乱流の特徴を再 現するために、 強い密度成層の中に注入された 着色トレーサーの、 時間発展の様子が示されて 図6 ブロッキング高気圧 います。 始めは図5a のようにジェット状に噴 出した流れが、 3次元乱流的に細かい渦に分裂 して広がります。 しかし、 このトレーサーは、 次第に密度の釣り合う水平2次元平面に押しつ ぶされるようになります。 このときの運動は鉛 直方向の運動が抑制され。 2次元的になります。 すると、 2次元乱流の力学的束縛により、 渦同 士が融合を繰り返しながら、 やがて大きな平面 的プルームへと発達するのです (図5d)。 こ れは、 2次元乱流に見られるエネルギーの逆カ スケードの典型例といえます。 例えば、 台風の発達過程では、 潜熱放出で発 達した積雲タワーからなるメソスケールの渦が 融合を繰り返すことで巨大な渦に発達し、 中心 付近でウォームコアと台風の眼を発達させます。 これは、 小さい渦が融合して大きな渦となる逆 カスケードの典型になります。 また、 木星の大 赤班は高気圧性の巨大渦であり、 周辺のより細 かい渦によるエネルギーの逆カスケードで維持 されていると言われていますが、 これも2次元 乱流の特徴です。 ●ブロッキングと偏西風ジェット さらに、 中緯度の偏西風ジェットをブロック して長期間留まり、 各地に異常気象をもたらす 図7 偏西風ジェット気流の風速 2010 MAR 11 ブロッキング高気圧も、 総観規模波動からのエ ネルギーの逆カスケードで維持されています (図6)。 偏西風帯でブロッキング高気圧が発生 すると、 その南の接離低気圧とで一対の渦巻を 形成し、 偏西風をブロックして長期間同じ位置 に留まります。 図5d の渦対と同じ構造です。 東進する温帯低気圧や高気圧の渦は、 ブロッキ ングにブロックされて南北に引き伸ばされるよ うに砕波し、 ブロッキング本体の渦に取り込ま れることで、 巨大渦としてのブロッキングを維 持しています。 実は、 偏西風ジェットや極渦などの帯状流は、 北極から見ると地球を取り巻く最も大きな東西 波数0の渦であり、 これらも総観規模波動から のエネルギーの逆カスケードにより維持されて います (図7)。 つまり、 温帯低気圧の渦が発 達し、 偏西風ジェットに取り込まれるように引 き延ばされて、 結果として偏西風ジェットを加 速しているのです。 ●北極振動と地球温暖化 近年、 地球温暖化が問題となり、 地球規模で 異常気象をもたらす北極振動という現象が注目 されています (図8)。 これは北極圏を取り巻 く極渦 (寒帯ジェット) が強くなったり (AO プラス) 弱くなったり (AO マイナス) する現 象です。 AO プラスの時には北極圏が低圧偏差、 中緯度が高圧偏差となり、 地衡風により寒帯ジェッ トが強まります。 これにより、 北極圏に寒気が 図8 12 2010 MAR 閉じ込められるため、 北極圏が低温偏差、 中緯 度が高温偏差となります。 AO マイナスの時は その逆のパターンとなります。 この北極振動の 形成メカニズムにも、 総観規模波動からのエネ ルギーの逆カスケードが重要です。 北極振動は、 地球温暖化の地理的なパターンを決定する重要 な現象として注目されています。 ●おわりに このように、 3次元乱流としてのエネルギー のカスケードは、 大きな渦を細かい渦に細分化 することで、 流れを無秩序な乱流へと遷移させ ます。 ケルビン・ヘルムホルツ波の砕波による CAT はまさに、 エネルギーカスケードの一場 面で登場します。 それに対し、 2次元乱流とし ての逆カスケードは、 乱流状の小さな渦から秩 序だった巨大渦を形成する特徴があります。 地 球を取り巻く偏西風ジェットは、 温帯低気圧の 渦を寄せ集めて維持されており、 逆カスケード の産物と言うことができるのです。 大気大循環から境界層乱流に至るまでのさま ざまのスケールの現象は、 エネルギーのカスケー ドと逆カスケードによりスケール相互作用を行 ない、 お互いに影響を及ぼし合っています。 そ のように考えると、 偏西風ジェット気流も晴天 乱気流 (CAT) もみな繋がって見えるので、 地球流体の奥の深さに感銘を受けます。 (参考文献:田中博 2007:偏西風の気象学、 成山堂、 174pp) 北極振動と寒帯ジェットの強弱 ◎寄 稿 空中火災恐怖の記憶 消防航空隊操縦士 海上自衛隊のパイロットとして機長発令され て間もない頃、 私は夜間戦術飛行訓練で洋上に 出ていた。 仮想潜水艦追尾訓練は、 3∼4機で 同じ目標を追いかけていく。 常時高度50m 以 下、 速度200km/h で飛行し、 真っ暗な洋上で 目標を探知する最適の位置にホバリングする。 それぞれのホバリング位置や探知目標の移動状 況を頭の中でイメージしながら離脱のタイミン グを図る。 風の方向を確かめながらアプローチ、 仮想潜水艦を追いつめていく。 夜間洋上訓練において、 海面ぎりぎりの低高 度飛行をするためにはオートパイロットは必須 の装備である。 その日、 私の乗った機体は、 訓 練を開始してまもなく、 ホバリング中にオート パイロット機能の不具合を生じた。 機体の姿勢 が不安定になったため、 訓練中止を決断、 僚機 に状況を連絡して帰投することとした。 機外装備品を収納、 高度を上げ、 増速、 基地 に向かって巡航態勢に移った。 そのとき突然バッ クミラーに火の粉のようなものを視認した。 す ぐに減速し計器類を確認した。 「エンジン計器 チェック、 異常なし」 同時に後席クルーに機内 点検を命じた。 「クルー・パイロット−機内点 検」 …… 「機長、 ミッションの下が真っ赤です」 報告を受けた時に再度バックミラーを確認する と暗夜で詳細は不明ながら、 エンジン部付近に 炎が噴出しているようだった。 反射的に降下を 開始し緊急通報を発した。 “エマージェンシー、 エマージェンシー…… R-エンジンファイヤー……ポジション……” 通報している間にも状況はさらに悪化、 みる みる黒煙が吹き出してきた。 黒煙はほんの数秒 の間に天井部から迫り下りてきて、 すぐ機内に 充満した。 わずか数十センチ前方にある計器盤 が視認できなくなってしまった。 一刻の猶予も なく緊急着水しなければと焦った。 黒煙噴出前 のエンジン計器指示はグリーンゾーンで異常を 認めなかったものの、 迷ったが黒煙の充満によ りモニターができなくなり、 右エンジン付近の 火炎の状況から、 さらに火災が広がる危険性が ある。 右側エンジンの緊急停止ハンドルを引い た。 計器を見ることができず停止の確認はでき なかった。 暗夜の黒煙から逃れようと手探りで 小窓を開いたものの状況は変わらず、 何の処置 もできないまま直後に機体は海面に激突してし まった。 海面激突の感覚は強烈だった。 りんご 箱にでも詰め込まれて高いところから地面にた たき落とされ、 「グシャ」 と瞬間的に潰された ようなものだった。 高度、 速度、 機体姿勢ほか、 計器指示が何も読み取ることができない中では、 海面にソフトランディングを期待することはで きないだろう。 数秒あるいは数十秒、 自分が我れにかえるま でどのくらいの時間だったか、 真っ暗な水の中 にいることは理解できた。 とりあえず生きてい ることを自覚し、 機外に出るため、 シートベル ト金具を探し、 急いでハーネスを外した。 機外 に脱出しようとしたとき頭にやや抵抗があった。 つないだままのヘルメットコードだったかもし れない。 かまわず、 脱出窓に手をかけ、 力任せ に身体を引き寄せて機外に抜け出ることができ た。 このとき、 ヘルメットは脱げ落ちた。 機外に脱出しても海の中は真っ暗で、 上下す ら分からない状況だった。 気持ちを落ちつけ、 2010 MAR 13 救命胴衣のガス作動レバーを引いた。 身体が救 命胴衣に引っ張られる感じで海面方向に向かい 始めた。 身体の態勢が分かると泳ぐ動作もでき、 さらに、 もう一方のガス作動レバーを引き浮力 を大きくすることができた。 上を見るとわずか に明かりが見えて水面の揺れから海面まで近い ことを知った。 息が苦しくなり始めたが、 「水 泳の得意な自分が死ねば誰も助からないだろう」 などと考えながら、 必死で堪えて海面に向って 泳いだ。 海面の明かりは、 墜落状況を近くで見 ていた船が、 ライトを向けて捜索してくれたた めだった。 信仰の薄い自分でも 「我を救う天の 光」 にも見えた。 後席クルーの脱出状況はさらに厳しい。 海面 激突のショックで、 機内の音響モニター装置な ど重量装備品が床を突き破り、 機体の底部に穴 を開けた。 不幸中の幸い?というべきかクルー は、 この部分から装備品と同時に放り出された ようだった。 機体の外板が突き破られたわけで、 当然突起物がある。 おそらく衣類や救命胴衣は、 鋭い金属の突起物で引き裂けたと思われる。 ま た、 着用していたヘルメットには、 えぐられた ようにかなり深い傷と頭頂部に穿孔があった。 万が一これを被っていなかったら頭部を保護す るものはなく、 助からなかった可能性もある。 事業会社ではヘリコプターを運航する際、 ヘル メットを着用することはほとんどないが、 航空 事故はけっしてなくならない状況に鑑み、 万一 の場合被害を最小限にとどめる装備の一つとし て考えるべきものであろう。 それにしても機体の床が抜け落ちるというの は、 どのくらいの力がかかったのだろう。 黒煙 の中、 体感で降下率を判断することはまったく できなかったが、 海面に激突したときは、 1,500ft/min 超、 ほぼオートローテーションに 近い状態であったことが想像される。 海面に浮かんですぐ周囲を見渡した。 あたま 数を数えた。 1人、 2人、 3人、 自分を含め4 人全員のクルーが確認できた。 ともあれ最悪の 14 2010 MAR 事態は避けられたものと安心した。 一番近いク ルーに泳ぎ寄っていくと救命胴衣が破れて浮力 が得られない状況だった。 私の救命胴衣は無事 だったので自分のほうに引き寄せて呼吸ができ るように浮き上がらせた。 海上には、 サーチライトを照らしてくれた船 と、 さらにもう1隻が近づいてきたので二人で 大声を出して叫んだ。 照明は向けられているも のの、 船の人たちが自分達の声を聞き取ってく れたのか不安で幾度も叫び続けた。 冷たい海で 漂流している身には不安が膨らむ。 船は間違い なく近づいて、 救助を始めてくれていた。 両方 の船とも外舷が高くそのまま乗り込めず、 小型 ボートが降ろされるのを待った。 我々の機体は 目の前に落ち、 船からすべて確認できていたよ うだったが、 全員が無事船内に救助されたのは、 1時間以上経ってからだった。 房総半島付近の3月の水温はまだ16℃くらい で、 1時間浸かっていると耐寒耐水服を着て内 側に相当の厚着をしていても体温を回復するに はかなりの時間がかかる。 船内に入っても寒さ を凌ぐことが第一の問題だった。 船内に用意さ れていた毛布を借りて、 暖房器具の前に身体を 晒しても、 なかなか体温の回復につながらない。 体力には多少の自信はあったものの、 ようやく 一息つくことができたのは船を降りてからだっ た。 船を基地近くの岸壁に着けてもらって、 その まま救急車で病院に運ばれた。 クルーの怪我は 想像以上で、 大腿部骨折など何度かの手術を受 けることとなった。 彼らが完全に回復するには、 半年以上の期間を要した。 私個人は、 天への祈 りが通じたのか、 アゴを操縦桿に打ちつけたと きのわずかな傷と打撲程度で済んだ。 ただ機体 と一緒にかなりの深さまで潜ったことが災いし て、 右耳の鼓膜が破れてしまった。 診察の医師 から鼓膜は再生することを聞いて、 再起可能と 一応納得した。 自分はこの程度の怪我で済んだ が、 後席で大怪我をした他クルーの身になれば 申し訳ない気持ちで一杯になった。 機体は、 房総沖水深60m の海底に沈んでい た。 事故原因究明のため、 後日引き上げられた。 結果としては、 エンジン火災ではなく、 ローター ブレーキシステムの不具合で周辺部が加熱、 オ イル系統に引火したものと判明した。 エンジン を切った操作は間違いということになったが、 巡航速度近くで飛行している機体に対し、 前方 に向け火炎が噴出すほどの勢いであった。 この 火炎がエンジン部付近にまわり込んだ状態だっ たようだ。 夜間飛行中、 この炎を見てエンジン 火災と誤認したものだったが、 瞬時にすべてを 正確に判断することの難しさを知った。 大きな事故の記憶というのは、 人によっては トラウマとなり、 二度と同じ職に戻れず飛行で きないことも考えられる。 私の場合は軽症だっ たこともあり、 事故状況の聴取のため、 入院中 も証人として事故調査委員会に呼び出された。 右側の耳が気になったが、 目立った外傷もない ため、 ゆっくり休む間もなく、 そのまま職場復 帰した。 幸い心優しい同僚達が技能回復訓練の 初回飛行には、 事故当時と同じ条件の夜間飛行 を組んでくれたのは果たして将来を案じてのこ とだったのだろうか。 事故にもめげず、 その後 30余年、 今も現役で飛行していられるというの は、 やはり感謝すべきことなのかもしれない。 補足ながら、 海上自衛隊の鹿屋基地には当時 全国で唯一?のディッチングトレーナーが設置 されており、 ヘリコプター搭乗員は毎年ここで 緊急着水時の訓練を実施している。 この装置の レイアウトは、 自衛隊のヘリコプターを模して あり、 それぞれの配置ごとに座席が用意されて いる。 訓練は5種類のモードが設定されている。 単純な着水横転から水中深く潜り込んで横転な ど、 いろいろな状況を再現できる。 訓練とわかっ ていても、 操縦席について着水を前にすると脈 拍数は異常に高くなってくる。 注意喚起のブザー を鳴らしながら機体は水中に沈み込んでいく。 着水後しばらくは気泡が立ちこめ、 周囲は何も 見えなくなる。 気泡がなくなるのを待ってハー ネスを外して脱出する。 時々慌ててしまい自分 で脱出できない者も出てくる。 潜水資格を持っ た救助隊員が、 常に四方から見守ってくれるの で、 搭乗員は安心して訓練に臨むことができる。 この訓練を経験していたことで、 実際の事故で は落ち着いて行動できたことは、 自分自身が身 をもって証明したことになる。 大がかりな訓練装置を利用する訓練は、 民間 ではなかなか機会を得ることができない。 海上 自衛隊の協力が前提となるものの、 比較的低高 度で飛行するヘリコプター搭乗員は、 洋上飛行 の可能性があれば、 身を守るため是非とも経験 しておくべき訓練のひとつではないだろうか。 事故と同型機 シコルスキー HSS-2A 2010 MAR 15 ◎ 特別寄稿 =崇高な任務 その1= Capt.“Sully”(サレンバーガー機長)が 実証したもの 元日本航空機長 上 田 恒 夫 近影 エンジンに大型の鳥を吸い込むバード・ストライク (あるメディアでは Bird Choke とも言っ ています) を起こしながら、 全員がほとんど無傷で生還できた事故の背景にある精神を、 元日 本航空機長に語ってもらいました。 次号と2回にわたる連載です。 (NPO) 日本ビジネス航空 協会会報にも同時に連載されます。 編集委員会 やり直しフライト 2009年10月1日、 U/S Airways 1549便はあ の時と同じクルー編成で、 ニューヨーク・ラガー ディア空港をノースカロライナ州のシャーロッ トに向けて飛び立った。 あの時とは、 2009年1月15日のことである。 この日、 サレンバーガー機長が乗務していた U/S Airways 1549便は離陸直後バードストラ イクによる全エンジン停止という大緊急事態に 見舞われ、 ハドソン河に不時着水を余儀なくさ れた。 しかし、 155名の搭乗者全員がケガすら 負わずに救出されたこの事故は、 航空界に起き た奇跡としてまだわれわれの記憶にあたらしい ところである。 あの時と同じフライトをすると知ったアメリ カ人の多くは、 このフライトはサレンバーガー 機長のユーモアたっぷりのデモンストレーショ ンととらえたかも知れない。 しかし、 事故以来8ヶ月半のブランクを経て フライトに復帰した機長が、 復帰と同時に出版 した著書“HIGHEST DUTY−My Search for What Really Matters”(崇高な任務−大切な ものへの私の追及) を読んでゆくうちに、 読者 はやり直しフライトが機長の何事もおろそかに しないまじめで、 几帳面な性格から生まれた発 16 2010 MAR 想であること、 そしてこのフライトによって機 長は偉業をかげで支えた同僚クルー、 管制官、 救出に当たったすべての関係者の協力をたたえ、 人が力を合わせることの尊さを訴えていること に気付くであろう。 以下2回にわたり、 サレン バーガー機長が実証した貴重な教訓を、 著書と マスコミ報道の中で確認してみたい。 火事場の馬鹿力 機がVの字を描いて編隊飛行している鳥の群 れに突入し、 全エンジンが停止したことを知っ た時、 サレンバーガー機長は 「恐怖で気分が悪 くなり、 胃に穴が開くような、 そして床を踏み ぬいて落下してゆくような感じに襲われた」 そ うである。 機を操縦していた副操縦士スカイル ズ氏と操縦を交代し、 エンジンの再始動に専念 できたのは長年の経験と、 初対面ながらたちま ちのうちにチームとして仕事ができるようなっ たスカイルズ氏 (Jeffery Skiles) との人間関 係にあったとしている。 当時コックピットでは 高度と速度が次第に失われてゆくばかりでなく、 様 々 な 警 報 音 が け た た ま し く 鳴 り 、 GPWS (地上接近警報) は terrain! terrain!, pull up! pull up! (地面接近! 地面接近! ただちに 引き起こせ! ただちに引き起こせ!) と最高 度の緊急事態を告げる音声警報を、 点滅する警 報灯とともに発していたのである。 後になって このときのコックピットの状態をシミュレータ で再現した事故調査官たちは、 口をそろえて 「警報音がうるさくて、 とてもものを考えられ る状態ではなかった」 と証言している。 それにもかかわらず、 サレンバーガー機長と スカイルズ副操縦士は黙々と仕事を続けた。 機の操縦、 QRH (Quick Reference Handbook−緊急用チェックリスト) を使ってエンジ ンの再始動の試み、 管制官との交信、 そして何 よりもここで特記しておきたいのは、 機の状態 を的確に判断して、 次から次へと決断を変えて いったマネージメントとそれをバックアップし ていた人間性である。 すなわち、 最初のラガー ディアに引き返すという決断は、 エンジンの再 始動が不調なため、 マンハッタンの対岸にある テタボロ空港への着陸に変更された。 しかし、 この空港にも届きそうにないことを知ったサレ ンバーガー機長は、 最後にハドソン河への着水 を決断したのである。 その決断の裏には、 「地 上の人を絶対に巻き添えにしてはならない」 と いう執念にも似た“人間愛”があったのである。 空軍士官学校から戦闘機のパイロットになっ た氏は、 いつも生命が危険にさらされている実 戦の場で、 果たして自分は部下を指揮すること はおろか、 訓練されたことを忠実に再現できるだ ろうか、 という疑問を常に持っていたそうである。 サレンバーガー機長は実証したのである。 人 間はある状況下で、 自分でも信じられないよう な馬鹿力を発揮できることを。 I got to fly AGONY (アガニー航空で行かねばならないんだ) U/S Airways の歴史をたどってゆくと、 1957年ペンシルベニア州アリゲーニー郡に基地 を置くアリゲーニー航空の誕生に行き着くので ある。 鉄鋼の町ピッツバーグをひかえて、 同社 の営業は好調であったという。 しかし、 度重な る事故と不規則な運航にうんざりした乗客は、 やがてアリゲーニー航空をもじってアガニー航 空 (agony−苦悩) と呼ぶようになったという 逸話は、 今も辞典に紹介されている。 I got to fly AGONY この屈辱的な言葉は、 社員にとっても苦悩になっていたようである。 その後同社は、 小航空会社との合併、 ジェッ ト時代への移行、 規制緩和の恩恵を受けて、 路 線網を拡張していった。 好調な経済にも後押し されて1979年、 当時の社長スコフィールド氏 (Ses“Butch”Scofield) は、 社名の変更とフ リートの大更新を打ち出した。 U/S Air という新しい名前のもとで、 アメ リカを代表する航空会社に脱皮しようと社員に 呼びかけたのである。 この呼びかけは、 社員を奮起させずにはおか なかった。 「私たちはこれまでの Airline では なく、 人にやさしい Careline になろう」 とい う声が社内から自発的に起こったのである。 スコフィールド社長は、 弁護士でもあった先 代の社長コルドニー氏 (Edwin Coldney) と 違い、 アリゲーニー航空の荷物搭載係から身を 起こした異色の新社長であった。 ブッチーの愛 称で社員に親しまれていた同氏は、 「社員が働 いて得た成果は、 必ず社員にも還元する」 と約 束し、 後に U/S Air に働く喜びと、 高給とい う二物を社員に与えたのである。 人にやさしい航空会社、 社員にやさしい航空 会社として再出発した U/S Air は、 その後社 員の子弟の積極的な採用、 30年以上の勤続社員 には無償で、 生涯無制限に社機に搭乗できる制 度を設け、 家族的経営と終身雇用制度の採用と、 過去に日本式経営の神髄といわれた道をまい進 していったのである。 それはまさしく、“人間 尊重”の精神を屋台骨として社内に貫く試みで はなかっただろうか。 U/S Air はその後ヨーロッパへの進出を機 に、 British Airways (英国航空) と業務提携 を行い、 社名も U/S Airways に変更した。 愛の泉 サレンバーガー機長夫妻は、 子宝に恵まれな かった。 著書の中に何度も、 何度も出てくる二 2010 MAR 17 人の娘さんは、 生まれた直後にもらいうけた養 女なのである。 しかし、 夫妻の二人への限りな い愛は、 読者の目がしらを熱くさせないではお かない。 そればかりではなく、 その愛は難病に 苦しみ、 病院で治療を受けている他の子供たち にも向けられ、 夫妻は定期的にその子供たちの 慰問と激励に病院の訪問を続けている。 サレンバーガー氏自身は、 奥さんのローリー との最初の出会いで、 見向きもされなかったテ キサスの田舎出身の若者であった。 58歳になっ ても、 新聞記者から、 背は高いが風貌はどこに でもいるおじさん、 ときめつけられてしまうほ ど地味で、 目立たない人のようであるが、 一体 この人のどこから限りない愛が生まれてくるの であろうか。 著書の内容から想像するに、 最初の養女ケイ トを抱きかかえた時、 サレンバーガー氏の体内 に稲妻が走るような感動が生まれたようである。 生みの親が頬に一筋の涙を流して 「大事にして あげてくださいね」 と言って新生児を手渡した 時、 氏の体内で愛を受ける側から愛を与える側 への転換が起きたようである。 それはだれしも が経験する、 父親になった時の喜びと感動と同 じこころの作用であったのであろうか。 しかし、 人間の適応能力はどんなに大きな感 動も時間の経過とともに当たり前のこととして しまうので、 感動を持ち続けることは容易なこ とではない。 だが、 サレンバーガー氏の場合は サリー少年 Cadet Sully 違っていた。 11歳でパイロットにあこがれ、 16 歳で操縦を覚え、 ハドソン河の事故を経験した 後も、 再び敢然と空に向かってゆくほど空を愛 せる人なのである。 空を愛せば愛するほど、 家 族も、 仲間も、 そしてすべての人々が氏にとっ てかけがえのない存在となってゆくのである。 このかけがえのない人々の命を預かって安全 に空を飛ぶこと、 飛ばすことは、 この仕事に携 わるすべての関係者の崇高な任務 (HIGHEST DUTY) であり、 この任務を達成するために大切 なもの (WHAT REALLY MATTERS)、 それ は泉のように途切れることのない人間愛であるこ とを、 サレンバーガー機長は実証したのである。 −次号に続く− 使用した写真は Harper Collins 出版社提供による 編集委員会 上田 恒夫氏のプロファイル 1941年静岡県生まれ、 千葉県松 戸市在住。 1963年日本航空入社、 副操縦士時代米国駐在。 1972年機 長、 運航安全推進部次長、 技術研 究所基礎技術部次長、 JAPA 理 事。 2001年7月ラストフライト。 「敬天愛人」 を座右の銘に妻と長 現役時代の筆者 男の3人暮らし、 退職後は自宅か ら孫のいるアメリカと北海道を訪れる楽しみが。 テ ニスで健康維持を努めるが、 一升ビンが近くにある ことも多いと。 編集委員 柳井 記 愛妻ローリーとキャプテン・サリー 18 2010 MAR 特集 (第30回) 民間航空に生き、 愉しんだ半生を回顧する 巌 祥夫 近影 終戦前後の様子 徳田:まず終戦前後のことをお聞きします。 そ の頃は東京にお住まいでしたか。 巌:荏原区 (現在は品川区) に住んでいました が、 昭和18年の国民学校 (小学校) 4年生のと き、 集団疎開で伊豆の長岡へ移ったのです。 と ころが、 ここも爆撃で危なくなったので、 青森 県南津軽郡尾上へ再疎開して、 そこの国民学校 で間借りして勉強していました。 そこで終戦の 日を迎えたのです。 徳田:それでは東京大空襲のときは青森でした か。 巌:そうですね。 一人東京に残った父親だけが 被害に遭いました。 徳田:戦後は旧制中学校1年へ進学されました か。 巌:戦後は東京都立第八中学校へ進みました。 それで22年に6・3・3制が始まって、 それで 名前が都立小山台高校に変わって、 そこに組み 込まれたのです。 ところが体育の授業時間は、 毎日、 校庭の瓦礫の山を片付けることばっかり でした。 約2年後にようやく元どおりになりま した。 徳田:それから体育の授業が始まったのですね。 巌:それでもサッカーや水泳はよくやりましたよ。 商船大進学と日航入社の動機 徳田:東京商船大学進学の動機をお聞かせ下さ い。 巌:家が貧乏でしたから、 ボクは中学時代から アルバイトをしていま した。 それで大学を卒 業したら給料の高いと ころ、 学費の安いとこ ろ、 奨学金が貰えると ころ、 という選択で絞っ ていったのです。 それ で戦争でおよそ95%の 船舶が消失していたの 東京商船大学に入学 で、 造船と共に、 船長 を育てるという国の政 策がありましたから、 将来性があると判断した のです。 それで航海科に入学してから、 国と船 会社が出す奨学金の両方を貰いました。 徳田:将来、 船長の筈が日航へ入社された動機 は何でしょうか。 巌:大学卒業直前に必須の遠洋航海というのが あるんです。 この航海中に無線で求人票が送ら れてきて掲示板に貼りだされ、 これを見て就職 活動するのが恒例なんです。 ボクの場合は31年 の5月からの航海中でした。 それで掲示板に、 各船会社からの募集人員が 張り出されるんですね。 約30の船会社から約 400名の募集がありました。 航海科卒業生は80 名でしたから、 完全に売り手市場ですよ。 日本 郵船や大阪商船 (現・大阪商船三井船舶) の募 集に加えて、 日本航空の航空士募集10名があっ たのです。 航海士と航空士は同じ仕事をすると いうこと、 航海で4.4ノットの船に乗っている と、 余りにも遅くて参ってしまうんです。 それ で球面三角や天測を教科にしているのは、 商船 大学の航海科だけだったから、 日本航空として 2010 MAR 19 は、 そこに目をつけたんですね、 面白いと思い 日航を希望しました。 徳田:日航の将来への不安はありませんでした か。 巌:不安はありませんでした。 将来は必ず高速 輸送の時代が来るから、 航空業界が発展すると 信じていました。 新聞などで、 すでにパンナム あたりが活躍していたのを知っていましたから。 それで11名が受験して10名合格、 入社後1名は 給料が安いというので退職、 結局、 9名になり ました。 訓練を受けたのです。 訓練基地としては主に調 布飛行場でしたが、 伊丹、 福岡、 宇都宮へも行 きました。 教官と訓練生3名、 整備士1名の5 名が一組になって、 移動しながら飛行訓練を受 けました。 当時、 事業用操縦士受験時の飛行時 間は200時間以上が必要でしたが、 実際は220時 間から230時間飛びました。 機種は単発のパイ パー・カブと双発のビーチ・クインエア、 それ から航空自衛隊でノースアメリカン T-6 テキ サンにも乗りました。 B727 機長昇格の頃 パイロットへの道 徳田:日航では航空士からパイロットへ移られ たのですね。 巌:航空士として乗務しているときに、 いろい ろな機長と飛びましたが、 今のままでは機長に なれないから、 「どんな形でもよいから機長の 道を選びなさい」 と言われたのです。 徳田:33年当初からの操縦訓練と航空士の兼務 は大変だったと思いますが。 巌:大変だったね。 月、 火、 水、 木が操縦士訓 練生、 金、 土、 日がホノルル往復または香港往 復でした。 徳田:飛行訓練の様子をお聞かせください。 巌:NP-1 期として6名が採用され、 岡本徳次 さん (陸依9期) と松井三千彦さん (乗員養成 所7期) が教官を担当してくれました。 3名、 3名で岡本グループと松井グループに分かれて 訓練中の NP-1 期と教官、 左端が巌氏 20 2010 MAR 徳田:41年8月に B727 機長になられましたが、 この年は連続事故の年ですね。 巌:戦後派パイロットとして最初の B727 機長 でしが、 機長昇格で思い出すのは全日空 B727 事故でした。 巌を機長にするには少し若すぎる というんです。 検討の結果、 30歳を越している から問題ないということで機長辞令をもらいま した。 とくに基準のマニュアルがあった訳では ありません。 松尾静磨社長や小田切春雄 (元日 航役員) さんら、 上の人の胸三寸で決まったと 思います。 徳田:機長になられた直後、 日航 CV880 の事 故がありました。 巌 : あ れ は CV880 事 故 で Engine Failure After V1 の失敗でしたが、 この種目はコンベ アが一番難しかったですね。 離陸の擬似エンジ ン・カットでは方向維持が難しいため、 パイロッ トがラダー操舵を予測してしまい逆足を踏んで しまったようですね。 徳田:さらに B747 機長になられた47年は、 20年 間続いた日航の 「安全神話」 が崩れた年ですが。 巌:この年、 日航は3回大事故を起こしました。 これに対する上層部の責任の取り方が問題だっ たと思います。 10年間、 天下り社長と責任をか ばい合う上層部でこの無責任体制が醸成され、 運航の現場の飛行事故に対する不安全要素の除 去に努めなかった結果だと思いますね。 航空会 社の基本は 「安全運航」 であり、 現場第一であ り、 それは日々作り上げるものです。 香港啓徳空港でタイヤ・バースト 徳田:この辺でヒヤリハットをお伺いします。 B727 と DC8 の機長時代までで何かございますか。 巌:DC-8 の機長になって3ヶ月ほど経った43 年8月22日の香港ルートの飛行で、 夕方5時過 ぎに啓徳空港滑走路13に着陸した時にタイヤ・ バーストしました。 この時の記事が香港の South China Morning Post の一面トップに 掲載されたのです。 原因は Anti-Skid の不良 でした。 それで滑走路端から200ヤードを残し て止まったのです。 すぐ指示をして、 脱出シュー トを使って乗客乗員126名全員が無事に脱出し ました。 滑走路は2時間ほど閉鎖されましたね。 笑えない話なんだけど、 消防車が飛んできて、 消火剤を放射したのですが、 たまたま窓を開け て外の様子を見ようとした機関士の斉藤金男さ んが、 その泡沫消火剤をまともに食ってしまい ましたよ。 在外邦人救出手順の不備 徳田:DC-8 から B747 へ移行されましたね。 巌:B747 訓練では、 ダラス・フォートワース にアメリカン航空の B747 型シミュレーターを 借りてシミュレーター訓練をしたとき、 実機と 同じ筈が、 W & B の作成で、 Empty WT. が 随分重たいんですね。 それで、 いろいろ調べた ら、 構造上、 胴体の下に補強するためのキール があるんです。 何故かというと、 一旦、 どこか で緊急事態が発生したとき、 床を撤去して戦車 を載せるための補強なんです。 当然、 自重が重 くなるのです。 政府が保証してアメリカン航空 が飛ぶのです。 こういう手順が確立されている んですね。 それで日本の場合、 例えば朝鮮半島が不穏な ときに、 在韓日本人を救出する事態が発生した とします。 自衛隊だけでは間に合わないから、 当然、 民間機を借りようというケースが発生し ますね。 ところが日航だって、 そんな戦闘地域 へは飛びたくないですよ。 ところが、 このよう な手順が日本では政府あるいは自衛隊と民間と の間で全くできていないのです。 これは是非、 日本政府としても整備しなければならない重要 な課題だと思います。 B747 主席操縦教官時代 徳田:主に東京訓練所に所属されていましたが、 何か手掛けられたことはございますか。 巌:ボクが50年4月からの東京訓練所 B747 主 席操縦教官のときに、 シミュレーターに、 Wind Shear Training、 Snow Condition ない し Cross Wind Landing、 Icy Runway Training の訓練科目のソフトを組み込みました。 それから政府専用機パイロット訓練の件があ ります。 この機体の航空自衛隊パイロット訓練 を日航と全日空が請け負ったのですね。 それで 請負契約金を貰って訓練に入ったのはよいが、 予定通りプログレスしないから、 訓練時間を延 長したのです。 当然、 プラスαの費用が必要な んですが、 政府としてはそれ以上のカネを出せ ないのです。 仕方がないから日航としては赤字 で訓練をつづけて、 全員合格までもっていきま した。 モーゼズレイクの思い出 徳田:54年1月から米国ワシントン州モーゼズ レイク訓練所長として赴任されていますが、 そ の当時はお世話になりました。 私が印象に残っ ているのはセントヘレン山の噴火ですが。 巌:非常に大きな天変地変が起こったと思いま した。 セントヘレンが爆発したとき、 ボクはア メリカ人の友人とヤキマの川で釣りをやってい たのです。 前の晩から近くに泊まって、 その翌 日、 釣り場に行ったのだけど、 どういう訳か一 匹も釣れないんですね。 そうこうしている内に、 セントヘレンの方向から凄い積乱雲が出てきた のです。 以前、 モーゼズレイクに積乱雲が来た ときに、 野球ボールほどの大きさの雹が降り注 いで、 車がボコボコになってしまったという話 を聞いていたから、 それが頭によぎって、 すぐ 釣りを止めて、 2時間半くらいかかって、 モー 2010 MAR 21 ゼズレイクへ引き返したのです。 すでに、 あた りは真っ暗でした。 徳田:何時ごろでしたか。 巌:昼頃だったね。 それで家に着いたら隣の人 が 「灰が降ってきた」 というので、 焚き火の灰 程度に思って外に出たら、 砂が降ってきました。 真っ暗でね、 それで様子をみていたら、 だんだ ん粒が小さくなってベビーパウダーのようになっ て、 約1日間降り注いだのです。 飛行機が1機 ハンガーの中にあったし、 車で皆が泊まってい るホールマーク・インに行って、 今後の行動の 対策を練りました。 徳田:この時は1ヶ月間ほど訓練が中止されま したが、 灰の除去など、 訓練の再開まで大変で したね。 御巣鷹山事故のこと 徳田:60年3月に B747 乗員部長に就かれまし たが、 この年は御巣鷹山事故など大変な年でし た。 巌:3月に部長になって8月に御巣鷹山事故が 起こりました。 だけど高浜君もコパイの佐々木 君、 それから航空機関士の福田君も技術教官だっ たから、 皆、 よく知っている人たちでした。 だ から、 事故の一報が入り墜落地点を聞いたとき に、 これはパイロット・ミスではないと直感的 に思いました。 それで、 まず航空機関士の遺体が発見されま した。 その週の週末にお通夜、 翌日が告別式、 御巣鷹山にて慰霊を弔う巌氏 22 2010 MAR 次の週に副操縦士の遺体が発見され、 彼のお通 夜と告別式、 最後に高浜機長のお通夜と告別式 と、 3週間つづけてやりました。 忘れられない 事故であり、 亡くなられた方々の御冥福をお祈 りします。 それで真夏で黒い喪服を着ていたか ら、 頚の周りがアセモだらけになりました。 そ の時点で、 まだ事故原因は不明でしたが、 日航 の2年前の事故と同じかも知れないというので、 皆、 ションボリしていたのが印象的でした。 この事故で、 航空記者のほとんどが御巣鷹山 へすっ飛んで行ったものだから、 東京に残って いる航空関係記者がいないんです。 そこで羽田 記者クラブでの記者会見でボクが出ていったん だけど、 出てくる質問が非常に幼稚なんです。 チョットしたテニカル・タームを使うと、 「何 んだそれは」 となるんです。 例えばダッチロー ルという言葉を使いますね、 そしたら即質問が くるから、 「いわば、 糸の切れたタコのような ものです」 と言ったら、 「何だ、 その言い方は! 500人以上が死んだのに、 糸の切れたタコとは 何ごとだ!」 とくるんです。 こちらは立場上、 反論する訳にもいかない。 それで 「少し言葉が 足らなかったと思いますが……」 などと言って 返しました。 取締役としての課題 徳田:昭和62年6月に取締役に昇格され、 同時 に機長としてもお飛びになれて話題なりました が、 肉体的に大変きつかったと思いますが。 巌:大変忙しかったけれど充実してましたね。 B747 乗員部長、 取締役運航本部副本部長、 そ して、 機長として2年間飛びました。 最近になっ て知ったのですが今まで役員になって飛んだケー スはいないそうです。 日航役員を10年間やった のもボクだけでした。 他の役員は途中で関連会 社などに移るからね。 徳田:ラスト・フライトは昭和64年6月26日の 55歳の時ですが、 体力的に大変だったというこ とですか。 巌:これは本部長になったからです。 もし事故 が発生した場合、 本部長、 且つ事故の当事者で ところ、 近藤晃社長か らの辞令が下りたので す。 「君が JTA へ行っ ラスト・フライトのスナップ (昭64.6.26) はまずいと思って辞めました。 徳田:取締としての取り組みをお聞かせください。 巌:安全確保ですね。 それまでの安全対策とし ては、 すべて後追いなんです。 事故の70%から 80%はヒューマン・ファクターですから、 機長 が事故を起こすときは、 なんらかの要素がから んでる筈だということです。 それで事故を起こ しそうな人には、 一旦、 乗務を止めてもらうの です。 たとえば短期間ながら不幸があった場合、 親 族が亡くなった場合、 普通、 忌引は1週間です が、 これを状況によって2週間ないし3週間に 延ばすのです。 不安定な心理状態のまま飛んで いることは事故の原因になるので、 飛行を中断 してもらうのです。 JTA 社長人事の経緯 徳田:平成9年6月に日本トランスオーシャン (JTA) 社長として沖縄へ行かれた経緯をお聞 かせ下さい。 巌:JTA の資本金というのは、 準備金を入れ て75億円でした。 それで累積債務はボクが行く 直前が74億円、 次年度が75億円と試算されてい ました。 その時の JTA 社長が本社にもってき た案が、 あの会社は先行き見込みがないから一 旦潰して、 新会社を設立するというものでした。 その時に役員会が開かれて激論が戦わされまし た。 ボクは潰すことはダメだと強行に反対した て建て直してくれない か、 潰すことも視野に 入れてよいから……」 「分かりました」 とい うことで、 沖縄へ赴任 したのです。 JTA 社員750人のう ち、 日航から派遣され ているのは20名くらい JTA 社長に就任 です。 後の730名は沖 縄の人ですね。 彼らに は開設のとき以来、 相当の苦労を強いられてい るんですよ。 そういう意味から、 彼らをこれ以 上悲惨な目に遭わしてはいけないと思いました。 沖縄の人たちとの交流 徳田:JTA 在任中、 地元との交流に尽力され たと聞いていますが。 巌:沖縄の人というのは、 よく呑むんですよ。 それで2次会、 3次会をやるんです。 ボクは酒 は強くないんだけど、 歌は唄います。 全部、 沖 縄民謡でした。 沖縄には琉球時代からの大変良 い歌が沢山あるんです。 例えば 「丘の一本松」 という民謡がありますが、 それは現地の人でも 余りしゃべらないセリフがあります。 それでセ リフをボクがやって、 歌は沖縄の人が唄いまし た。 このセリフは古典的なもので、 地元の人で も言える人は少なかったようです。 それで毎年10月、 恒例の国際通りを練り歩く 琉球踊りに参加するため、 JTA 社員の予行練 習をやりましたが、 その練習風景が琉球新報に 写真入で掲載されたこともあります。 「稲しり節」 という踊りですが、 勿論、 ボクも参加していま す。 各団体の約4,000人が参加し、 沿道の人々 も巻き込んで練り歩く楽しいものです。 この頃 のボクは JTA の広報委員長もやってましたよ。 徳田:普通、 本土の者が、 しかも社長がそこま でやらないと思いますが。 2010 MAR 23 巌社長も参加して、 和気あいあいの練習風景 巌:そう言われました。 毎年元旦に放映される “うちなんちゅう”(沖縄生まれで沖縄に住ん でいる人) のかくし芸大会というのがあるんで す。 そこで本土の人が芸を披露する枠があり、 これに出たこともありました。 舞台の裾でボク が歌を唄い、 舞台では JTA の客乗や総務の社 員が、 それに合わせて踊るんです。 そこに役員 と社員との交流ができるんですよ。 そうかというとカチャーシーというテンポの 早い踊りがあって、 結婚式とか宴会などの最後 の時に踊るんです。 ボクも踊りに参加して唄う んです。 最初は奇異に見られましたが、 だんだ んと好感をもたれるようになりました。 それを 肌で感じましたね。 グスク (城) 巡り 徳田:沖縄滞在中の余暇には、 よくグスク巡り をされたようですね。 巌:平成9年6月に JTA 社長の辞令を受けた とき、 腰をすえて社長業をこなすためには中途 半端ではダメだと思い、 まず住民票を那覇市に 移しました。 それで沖縄の土地を知るためには、 その歴史、 宗教、 生活習慣を知ることが最も重 要だと思っていましたから、 まずは沖縄歴史博 物館へ行ったのです。 それで沖縄には多くのグ スクがあることを知り、 本格的にグスク巡りを やったのです。 沖縄には有名な首里城をはじめ、 グスクが 250ないし300もあるのです。 その3分の2は回 りました。 沖縄本島は、 先ず南部を見て回り、 だんだんと北へと見ていったのてす。 24 2010 MAR グスク今帰仁 (なきじん) 跡 何かの本で沖縄の方言は、“一地方の言語や 方言ではなく、 日本語の流れをくむ言葉である” と書かれてあり、 ある著名な作詞家から、 「沖 縄や奄美大島には“歌半学”という言葉があっ て、 その土地の歌を一節知ることは、 その土地 の文化を半分知ることですよ」 と言われて、 や る気がでてきたのです。 それで3年近くにもなりますと、 終いには、 ボクが若い人たちに沖縄の歴史について講義を しましたよ。 ボクのことが噂になって、 いろい ろな所から話をしてくれないか、 というオファー がくるようになりました。 宮古島ロータリー・ よみ クラブや石垣島、 那覇ロータリー・クラブ、 読 たん 谷ロータリー・クラブなどなどに招待されて出 かけました。 さらに琉球放送のラジオ取材など でも話しました。 もっぱら古典芸能を鑑賞 徳田:退職後、 ゴルフはやっておられますか。 巌:ゴルフはやっていない、 というよりできな いんです。 平成12年7月に沖縄から引き上げて きた年の10月に心筋梗塞で入院したのです。 そ れで右足の足首までの血管を一本採って、 これ を心臓の5、 6箇所に移植したのです。 だから ユックリ動くことは可能なんだけど、 激しい動 きはできないんです。 徳田:大変な手術だったのですね。 それでは日々、 どのようにお過ごしですか。 巌:ボクはね、 大学卒業時のころは、 船会社よ りは新劇の監督になりたかったんですよ。 大学 生時代に自然と興味を持つようになったのです。 それで大学が清水時代に、 3回ないし4回、 中 部地区の大学演劇祭があるんです。 それでボク が演出監督になって 「息子」 というタイトルで 劇をやったことがあります。 小山内薫原作でし たが、 この時、 3位に入賞しました。 何故止め たかといいますと、 この商売は収入が無いんで すね。 メシが食えないから諦めました。 そんな訳で、 今は能、 歌舞伎、 文楽、 日本舞 踊、 琉球舞踊などの古典芸能を観賞しています。 それにミュージカル、 最新のミュージカルは 「シカゴ」 でした。 それから今年5月にはブロー ドウェイからミュージカル 「ドリームガールズ」 が来日するので楽しみにしています。 徳田:大変豊かなご趣味ですね。 社会的責任の自覚 徳田:後輩パイロットへの助言を、 お願いしま す。 巌:ノブレス・オブリージュ (Noblesse Oblige; 仏語)、 つまり 「貴族の義務」 という言葉があ ります。 例えば第一次大戦では、 レッド・バロ ン (注:フォン・リヒトフォーヘンで、 第一次 大戦時、 84機を撃墜したドイツの撃墜王) をは じめ、 多くの貴族出身者が勇敢に戦って戦死し ました。 また近年をみると、 1982年のフォーク ランド紛争で、 英国王室のアンドルー王子が従 軍しました。 まさにノブレス・オブリージュが 脈々と受け継がれているのですね。 転じてわれわれの世界をみると、 飛行機が大 型化するにつれ、 乗員の責任、 とくに旅客機パ イロットの責任は増大しています。 一機数百億 円する機体と乗客を預かっている機長たち乗員 は、 このことを自覚し、 心しなければならない と思います。 徳田:正におっしゃる通りですね。 長い間あり がとうございました。 巌祥夫氏略歴: 昭和31年9月 東京商船大学航海科卒 昭和31年10月 日本航空株式会社入社 昭和35年11月 DC4副操縦士 昭和41年8月 B727機長 昭和47年3月 B747機長 昭和54年1月 モーゼルレイク訓練所々長 昭和60年3月 B747 乗員部々長 昭和61年9月20日 運輸大臣表彰、 航空功労者 昭和62年6月26日 取締役・部長・副本部長・ 機長 昭和64年6月 運航本部長 平成3年6月 常務取締役 平成7年6月 専務取締役 平成9年6月 JTA 社長 平成12年6月 JTA 特別顧問就任 平成13年6月 日本航空株式会社々友 平成19年9月20日 日本航空協会より航空功績 賞 総 飛 行 時 間:14,972時間 (内、 機長時間10,781時間) 取材を終えて:昨年11月上旬、 操縦士協会に ご足労願って、 数時間にわたってお話を伺っ た。 すべての事柄について、 キチッとした考 えをもっておられ、 さすがに日航パイロット の中枢を歩まれ、 頂点を極められた人だとい う印象を強くした。 演劇の監督を夢見た学生 時代、 そして古典演芸がご趣味というのは、 全力投球されていた現役時代からはとても考 えられない (失礼)、 意外な面に触れさせて いただいて興味深かった。 それだけに、 楽し かったと言われる沖縄時代は、 何か、 巌先輩 の運命を感じさせると思われてならない。 徳 田 2010 MAR 25 「ハートで飛ばそう!」 Fly with Airmanship ! 6 運航技術委員会 山 博行 ・運航技術委員会では、 前号に引き続き操縦技術や経験の伝承というコンセプトで、 操縦の技量向 上につながる考え方や、 ヒントのようなものをまとめています。 …………………………………………………………………………………………………………………… ・今回は Cruise についてお話します。 巡航 性能はかなり複雑ですが、 標準大気の概念に ついて復習して、 機体の性能と Engine の性 能について、 分けて理解するように読んでい けばわかり易いかと思います。 操縦の心 【標準大気 ISA の概略】 Jet 旅客機が高々度に上昇して巡航するのは、 空気密度 の小さい高度で大きな TAS を得 るためと言っていいでしょう。 高度とともに 変わる大気の様子を復習してみましょう。 右の図は標準大気 ISA をグラフにすると右 の図で数値の Table は最後の頁に記載して います。 )、 ISA では、 気温は地上で15℃ (288.15 圏界面36,089ft まで の割合で 下がり、 圏界面より上は−56.5℃の一定と仮 定しています。 ある高度の絶対温度を 、 上記288.15 を とした比を と定義したものがグラフの右端の線です。 26 2010 MAR あ る 高 度 の 気 圧 と 地 上 の 気 圧 (29.92inchHG) の比が Pressure Ratio で がグラフ中の太線です。 と地上の空気密度 の比 を Density Ratio として、 ある高度の密度 が の右の線です。 地上の気圧が1013.2hPa ですから、 日常よく 利用している高層天気図の500hPa は18,000 ft で気圧比 が地上の半分の0.5、 300hPa は 30,000ft で0.3となっています。 また密度比 は、 地上より気温が低いと少し大きな値とな ります。 【音速、 Mach 数、 TAS】 Jet 機が10,000ft 以上を、 IAS 250knots 以 上で飛行すると Mach 数が0.5を超え、 圧縮 性の影響が大きくなってきます。 また以下の よ う に Mach 数 と 気 温 ( 絶 対 温 度 ) か ら TAS が簡単に求まるので航空機の性能は多 くが Mach 数を使って論じられることにな ります。 ) の音速を (= 地上で15℃ (=288.15 661.5knots) とすると、 音速 は気温のみの 関数で、 次の式であらわせます。 また TAS は Mach 数 、 音速 で …… とあらわせます。 [例題1] ・高度35,000ft で標準気温での音速と Mach 0.78 の TAS を電卓で求めてみましょう。 で、 分速に直すと7.5knots/min で Mach 数 を10倍して5%引いた値に概略近くなってい ることを覚えていると役に立ちます。 気温を変化させて、 1℃に 上記例題で±10° つき 1knot の TAS が変化することを確かめ てみてください。 (例題3参照) 【巡航中の力の釣合】 巡航中の釣合は次の図のように垂直方向は揚 力 と 重 量 が 釣 合 い 、 水 平 方 向 は Thrust と抗力 が釣合っています。 ・ 、 加速度は0で、 FPA は前号 式から当然0°となります。 ・Pitch Angle は前号で説明したように で迎え角 と等しくなります。 高速域の揚力は、 次のように Mach 数と前 頁の を使ってあらわせます。 …… Drag も同じように次の式であらわせます。 …… [例題2] ・B737-800、 重量160,000lbs、 ISA±0気圧高 度35,000ft (=0.235)、 Mach 0.78で水平飛 行中の Pitch Angle と Drag を求めてみ ましょう。 なお翼面積 =1341ft2とします。 ・式から を求めると。 ・ 次 の High Speed の 図 か ら 、 Pitch Angle 2.7°が得られます。 2010 MAR 27 次に を0.56として、 次の図の Mach .78の 線とぶつけて 0.031が得られます。 式に代入して、 Drag は約8,800lbs になり ま す 。 こ の 値 は 自 重 の 約 1/18 で 、 揚 抗 比 は18となります。 18前後の機体が多 最近の Jet 旅客機は くなっています。 この値は巡航形態での滑空 比と等しくなります。 次回“Descent”でさ らに説明します。 【高々度での Aero Drag】 前頁、 式を で割ると …… …… 式から Mach 数と迎え角 ( ) を一 定で飛行するには、 燃料を消費して重量 が軽くなるにつれて、 も小さくし (徐々に 高度を上げ) ていかなければならないことが わかります。 (Climb Cruise 方式) 次の図は B737-800 160,000lbs で様々な高度 での Drag の特性をあらわしたものです。 縦 軸を 式の にすると Pressure Altitude の Factor を包含させることができるの で、 高度ごとに一枚ずつグラフを作る必要が なく傾向をつかむことができます。 (補助目 盛りは35,000ft の Drag lbs 値) 原 点 か ら 延 ば し た 接 線 と の 接 点 が Max Range の Cruise の Mach 数になります。 【Drag と Thrust Required】 例題2の計算で Mach 数を横軸に Drag の変 化傾向をみたものが次のグラフです。 次頁の説明のように Trust と Fuel Flow の 間には一定の比例関係があります。 したがっ て Fuel Flow として、 縦軸に Drag、 横軸に TAS (/Mach) で、 座標 (0, 0) の原点から引いた接線との接点に対応する速 度が TAS/Fuel Flow が Max. と見なせ、 次 頁 の Specific Range が 最 大 の Max. Range Speed 点をあらわしていることにな ります。 28 2010 MAR 35000ft が Mach 数が最も大きくなっており、 燃料効率が良好で速度も速いという、 他の交 通機関に比肩するエアラインの要請に沿って いることがわかります。 つまり Drag を出来るだけ抑えてより高い Mach 数で巡航するため、 空気の薄い高度を 利用しているわけです。 【Thrust と Fuel Flow】 Jet Engine の Thrust と Fuel Flow の関係 は単純な数式であらわしにくいのですが、 次 の図のように、 ある高度では Mach 数で少 しずつ変化するものの、 全体としては Thrust とほぼ比例関係にあります。 ( Fuel Flow) …… で TAS と Fuel Flow (All Engine) の比で あらわせます。 (この式では 1lb あたり) つまり次の図でいうと、 原点から一番浅い角 度で引いた接線との接点が Max. Range と いうことになります。 Thrust (1 Eng) と Fuel Flow (1 Eng) の 比 を TSFC (Thrust Specific Fuel Consumption) といいます。 …… 【Specific Range: S/R】 Specific Range は Burn off Fuel (単位 燃料) あたりの飛行距離です。 Jet 旅客機の Specific Range は燃料 1,000lbs あたりの Air Distance (Nautical Air Mile) で比較されます。 次の図は色々なサイズの機 体の Specific Range を比較したものです。 ・また Fuel Flow が最小 (=単位燃料あたり の飛行時間が最大) となる点が Max. Endurance Speed です。 Holding Speed はこの 点が使用されます。 高空を飛ぶ Jet 旅客機の性能は Mach 数で あらわす方が一般化しやすいし、 式から、 TAS は (気温が同じであれば) Mach 数に 比例するので、 次の図のように横軸を Mach 数にして調べます。 無風時の Specific Range NAM は Max. Range Speed が .79、 Max. Endurance (Holding) Speed が .714 (242knot IAS) 付近になっています。 L 【L D vs M ・ D 】 Jet 旅客機では高度、 重量が大きく変化する 2010 MAR 29 ので、 巡航性能を把握するためには、 色々な 角度から見る必要があります。 そこで全体像をつかむために とこれに Mach 数を掛けた という指標が使わ れます。 Max の Speed では が最小で、 単純に Fuel Flow とし、 時間あたりの燃料 消費を小さくなるだけで、 エアラインの要請 の 「より速く」 の要素が含まれていません。 そ こ で に 速 度 の 要 素 を か け た の登場です。 Specific Range の 式に 、 式を代入す ると、 この付近がこの機体の巡航中の一番いい Pitch 角であることがわかります。 各機種のマニュアル中“Cruise Control”の Mach 数はこのような計算でグラフを描き、 放物線がいちばん高い Mach 数を Constant Mach Cruise の Mach 数として採用してい ます。 水平飛行では 、 と一見複雑な式になります。 もほぼ定 しかし は定数で、 数ということがわかっています。 ・上式右の は燃料を消費するにつれて大 きくなりますが、 ある時点では定数とみなせ ます。 ・したがって、 この式の中央部に着目してり が最大となるような を選択すれ ば Max. Range の性能が得られることにな ります。 ・そうすることによって 「出来るだけ少ない燃 料でより速く」 というエアラインの要請にも 合致することになるわけです。 レ ィ ン ジ Max S/Rは M を大きく D 小さく 30 次 の 図 は 、 横 軸 を に し て を Mach 数別にプロットしたもので、 B737-800 では Mach 0.79が最も巡航に適した Mach Number である事がわかります。 また、 0.79、 0.57で例題2の の グラフから、 迎え角 が2.7°となり、 2010 MAR なんだか 「風が吹けば桶屋がもうかる」 のよ うな話で読者はきつねにつままれたような感 じがするかもしれません。 機体の空力性能は 線形の数式できっちり表せるのでまず Drag を解析して適切な Mach 数を探し、 Engine の性能を付け加えて実用のデータを作成する わけです。 これまでをかいつまんで整理すると、 ①Aero Drag は Fuel Flow とほぼ比例関 係。 したがって が Max のとき がほぼ 「最小」 になる。 ② は TAS に比例するので を出来るだ け大きくして、 飛行時間を短縮する。 ③ と を か け た が Max Range を表す指標となる。 というのがあらすじです。 Jet 旅客機の巡航性能はこういう考え方で多 く の 計 算 を し て Manual 化 さ れ FMC に Store されています。 エム エルバイディー かなめ M・L/D Max. Range の 要です のものを で 一般化したものです。 0.68×106 が Mach 数 も大きく Specific Range も大きい事を示し ています。 次の図は前出の160,000lbs が小さく なるにつれて、 も小さくし (高度を上げ) て 、 を 維 持 す る こ と に よ っ て Max. Range の性能が得られることになります。 これが“Optimum Altitude”の考え方です。 我々が長距離フライトで軽くなったら Step Up Climb を行う理由はこのためです。 したがって燃料を消費して重量 【Max. Range と Long Range Cruise】 Air Route が混雑してくると、 思うように Optimum の高度を与えてもらえないもので す。 次の図は B737-800 の35,000ft における Specific Range を重量ごとにグラフにしたもの です。 ・ カ ー ブ の 頂 点 を 結 ん だ 線 が Max. Range Speed 、 Specific Range を1%犠牲にした High Speed 側 の 点 を 結 ん だ 線 が Long Range Cruise Speed です。 軽い重量のとき ほど速度の差が大きくなっています。 Optimum 求めて 高度より高く 【Econ Speed】 FMC の搭載されている機体では各航空会社 が 運 航 Policy で 定 め た 0 ∼9999 の Cost Index を FMC に入力することによって、 Max. Range Speed を基にして、 その航空会 社の運航維持費と燃料費を勘案して、 距離あ たりの運航費用が最小になるような Econ Speed が算出されます。 ・Cost Index に0を入力すれば燃料コストだ け を 考 慮 し た Max. Range の Speed が Command されます。 ・逆に Cost Index に大きな値を入れるほど Econ Speed は大きくなり、 飛行時間が短く なります。 基 本 的 に Optimum の 高 度 で は FMC の Econ Speed で飛行するのが望ましい飛び方 で す 。 し か し 、 Optimum の 高 度 で Long Range Cruise Speed を選ぶと Fuel を多く 消費してしまいます。 ・つまり Long Range Cruise とは Traffic 状 況で低い高度で飛行せざるを得ない場合や隣 接飛行場へ Diversion する場合など、 低い高 度で Constant Altitude Cruise を余儀なく された場合に使用するものです。 誤解の無い ように選択しましょう。 L/R Cruise Optimum ALT で 使用せず 【風の影響】 Ground distance を とすると、 Specific Range は、 2010 MAR 31 となり、 当然ながら が追い風 (+) の ときは No wind に比べて が大きくなり、 向かい風 (−) のときは小さくなります。 また次の図のように、 向かい風の場合は TAS (Mach) を大きくし、 追い風の場合は 小さくすれば が改善されます。 FMC の Program で も Head/Tail Wind Component が考慮されており、 Mach 数が 自動的に調整されています。 十分の追い風で早着が予想される場合や、 Holding が予想される場合など、 通常より 小さい値の C.I.を入れて Fuel Loss を最小限 にして目的地に向かうのが良いでしょう。 冬場は Jet 気流の風速が急激に大きくなる高 度でもあります。 31,000ft から上の Mach Constant の領域で は TAS は気温の変化分 (圏界面360,89ft ま で−2knots/1,000ft) しか変化しません。 圏界面から上の気温一定の領域では TAS も 一定となり迎え風が強くなる分だけ Ground Speed が小さくなります。 また前回 Climb 編で述べたように、 30,000ft か ら下の IAS Constant の高度では、 1000ft に つき約6kt TAS が減少 (−6knots/1,000ft) します。 し た が っ て 、 6knots/1000ft 以 上 の Wind Shear が無ければ31,000ft が TAS も GS も いちばん大きいことになりますが、 30,000ft 付近は Polar Jet の走る高度ですから、 しば しば Turbulence の発生する高度でもありま す。 したがってすぐその下の高度の28,000ft が Wind Shear を避けた効率のよい高度と なる日が多いことになります。 この図は 追い風で 順風満帆 いっぽう冬場の 大船気分 Jet 気流中、 西行きで向かい 風が強い場合など、 少々の Fuel の犠牲にし ても定時性を確保するため低い高度へ Step Down した方が、 運航全体として望ましい場 合もあります。 このケースは30,000ft 付近を中心に整理する と考えやすくなります。 30,000ft∼31,000ft は 多 く の 機 種 で IAS と Mach Constant の切り替わる高度ですし、 32 2010 MAR FL280∼300 の 間 に 6knots/1000ft の Shear のある風のモデルを使って TAS と GS の関係をイメージにあらわしてみたもの です。 この例では FL300 の GS が一番大き くなっています。 冬場、 羽田から福岡方向に一斉に上がってき た飛行機が FL28,000ft∼FL300 に数珠つな ぎなっているのはこうした背景からです。 【気温の影響】 [例題3] ・Mach.70、 Mach.80で35,000ft で巡航中、 気 温が±10℃変化したとき TAS がいくら変化 するか計算してみましょう。 ・また Mach 数が0.01変化すると TAS はいく ら変化するでしょうか? ・前出の式に気温を変化させて計算してみる と次の表のようになります。 Mach M.70 M.80 −10℃ 394.2 450.5 ISA± ±0℃ 403.5 461.2 +10℃ 412.7 471.6 概ね1℃につき1knot、 Mach 数0.01につき 6knots ほど増減すると覚えておくと役立ち ます。 Turbo Fan Engine では気温が上昇すると、 同じ Thrust を得るために Fuel Flow が約3 %上昇します。 上記例題のように Mach 数 0.8付近では+10℃で TAS が約2%大きくな るので、 相殺されて Specific Range は±10 ℃につき 1%程度変化します。 【巡航中の Risk Management】 元来 Cruise 中は最も Risk の低いフライト のフェーズと考えられてきました。 そのため、 あまりの平穏に何も起こらないと安心しきっ ていないでしょうか? かといって巡航中に第3回で説明した 「意識 レベル」 をやや緊張状態の Phase 3 に保つ 必要はありません。 そんな事をしていては疲 れ切って、 最も意識を集中すべき Approach から Landing に支障を来してしまいます。 気をつけよう 油断の神様 ねらってる 【緊急事態への準備】 もし巡航中に退屈と感じたら、 その時点で考 えられる 「緊急事態」 を想定してみる事をお 勧めします。 巡航中に考えられる緊急事態の大きな Item としては、 Decompression と Engine Failure でしょう。 ・Decompression について考えると、 何げな い平穏な巡航中であっても、 例えば飛行高度 が41,000ft であれば急減圧が起こった場合の 有効意識は15秒以下と極めて短い時間で、 酸 素マスクの装着は文字どおり秒を争います。 ・やむをえず Emergency Descent を行うハメ になった場合、 Terrain と周囲の Traffic の 状況はどうでしょう。 自分の飛んでいる Area の高い山の高さを把握していますか? Traffic が多い場合どのような Action を取 りますか? ・Engine Failure について考えてみると、 中 華航空の B747-SP 機がサンフランシスコ沖 の海上で41,000ft で、 No.4 Engine の Stall を起こし、 Auto throttle が Speed を保とう として Thrust Lever を進めたため、 非対称 推力となり、 Yaw control と速度を失い、 きりもみ状態でダイブして9,000ft でやっと 回復して機体が満身創痍の状態で墜落を免れ た事故がありました。 1 Engine Failure し たとしても、 Live Engine を Max. Continuous 進めれば、 急激に高度が低下することは ありませんから、 まず Live Engine の Thrust を Apply しながら Yaw control を確保して 機体の姿勢を安定させる事が先決です。 ・また、 不運にも All Engine が Fail して Restart も出来ず、 Gliding 状態となった場合 はどうでしょう。 Gliding で周辺の飛行場に たどり着ける目安はどうやって見当をつけれ ば良いでしょうか。 自分の乗務している機体 の大体の滑空比を知らなければお手上げです。 (次回ふれたいと思います) このように日常から緊急事態のいわば想定演 習を積み重ねることによって、 Pilot として のリダンダンシーが向上します。 そしてたい ていの事でも冷静な判断を下せるようになる のです。 Cruise 中 世間話より 想定演習 【安心と慢心】 人間というものは不安感を持ち続けることを 本能的に嫌います。 その反作用として 「安心 したい」 という心理から、 やがて無自覚のま ま安心しようとする心理的傾度力が働いてし まい、 いつのまにか 「慢心」 の浴槽にどっぷ り漬かってしまいかねないので気をつけなけ ればなりません。 平穏が続いている時こそふ 2010 MAR 33 と Phase 3 の目で周囲を見回し、 状況が変 化していないか確認しなければなりません。 パイロット 最もコワイ 危機感不足 今からおよそ100年前の1912年4月14日、 当 時 「不沈」 と広く宣伝されていた豪華客船タ イタニック号が北大西洋の処女航海で、 氷山 に衝突し翌未明に沈没。 2,200人あまりの乗 員乗客のうち1,500人もの人命が失われました。 この事故のあと、 様々な憶測や風聞も含めて、 記事や著作の対象となり、 映画にもなりまし たが、 いくつかの優れた著作を読むことは空 と海の違いがありますが、 Pilot にとって 「状況把握」 「危機管理」 「コミュニケーショ ン」 「慢心」 等々、 とても示唆に富んだ想定 演習になります。 ・氷山群が予想を超えた範囲に広がっていたに も関わらずその情報が Crew 間の共通の認識 にまでにいたっていなかったため、 危機意識 が共有されていなかった。 ・南へ Deviation したから大丈夫という心理が はたらいた (?) ・初航海で遅れたくないと21ノットの全速で夜 間、 視界不良の中を航行していた。 ・見張り台の監視員が双眼鏡を使用していなかっ た。 等々、 幾多の不運と判断ミスが重なっていま す。 それにしても事故の7年前の事ですが、 スミ ス船長が新聞社のインタビューで40年間近く の船員生活をふりかえって 「すべて平穏無事 であった」 云々と答えた事は歴史の大きな皮 肉と言えばいいのでしょうか。 目撃証言が十分ではないけれど、 船長は船と ともに冷たい海へ沈んでいったと推測されて います。 空と海の違いがあるものの、 同業者としてい たたまらない気持ちになるのは筆者だけでしょ うか。 いずれにしてもプロとしては 「運が悪 かった」 などとは決して言えないのは当然の ことです。 タイタニック CRM あったら 不沈船 34 2010 MAR 次回は す Descent について述べたいと思いま J AP A ジェネラル・アビエーション (GA)委員会の活動 ジェネラル・アビエーション委員会 1. 概要 GA 委員会は様々な分野のパイロットが委員 として参画し、 幅広い活動を活発に展開してい ます。 委員の顔ぶれも自家用パイットに留まら ず、 使用事業会社パイロット、 GA 教官、 滑空 機教官、 エアライン経験の豊かな元キャプテン 等と変化に富み、 多様な経歴をお持ちの方々に 協力を頂いて活動しています。 様々な分野のパイロットで委員を構成してお りますので、 偏った思考に陥ることなく、 それ ぞれの培った専門的知識を生かして補足し合い、 柔軟に運営している点も特徴です。 また、 委員会の中に FAI (国際航空連盟) 関連の分科会 (GA, ロータークラフト, エア ロバティックス) を設置し航空スポーツ活動の 支援も行っています。 主な活動内容 (誌面の都合上、 一部紹介) や 国内にある代表的な使用事業会社、 飛行クラブ 等のご紹介は後述することにいたします。 GA 委員会の沿革を簡単に紹介しますと、 日本航 空機操縦士協会の傘下にありました1990年創設 の任意団体 「日本自家用操縦士会 (会員数約 500名)」 が、 1998年に組織力強化のため発展的 解消をして、 「日本航空機操縦士協会 自家 用操縦士部会」 として発足しました。 その後、 2002年に組織改編があり GA 分野を統合して 現在の 「日本航空機操縦士協会 ジェネラル・ アビエーション (GA) 委員会」 となりました。 GA 委員会に所属する会員数は、 約1,200名 前後を推移しており、 会員全体の約20%を占め ております。 一昨年前の米国金融危機に端を発する世界的 経済の混乱による影響により、 今後 GA 分野 がどの様に様変わりしていくかは、 これからの 社会情勢を慎重に見極めないと何とも言えませ ん。 国内では少子高齢化・資源の枯渇に伴う資 源確保・地球温暖化対策・財政再建・社会保障 制度等、 様々な課題を抱えており、 個人消費や 内需の低迷、 また若年層のニーズや価値観にも 変化が起こってきているため、 尻つぼみの懸念 も払拭できません。 少なくとも最近フライトを していて、 若年層の自家用パイロットをあまり 見かけないという現実もあります。 GA 委員会では、 このような厳しい情勢に対 応するため、 今後、 新しい需要を創出するアイ デアを模索していかなければならないと思って おります。 そのため、 航空の安全を第一とした 基幹活動はもちろんのこと、 今まで手薄だった 社会貢献的活動を積極的に展開していきます。 今までパイロットに向けて発信してきた情報等 を少し噛み砕いて一般人へも還元し、 一人でも 多くの人に空に興味を示してもらえるよう、 知 恵を絞って活動をして参りたいと思っています。 今後も引き続き、 皆様のご支援とご協力を心 からお願いいたします。 2010 MAR 35 2. 航空イベント −スカイ・レジャー・ジャパン− 「スカイ・レジャー・ジャパン‘09 in ふく しま」 が、 2009年10月17・18日両日に、 ふくし まスカイパーク (福島市) で開催されました。 スカイ・レジャー・ジャパンは、 航空スポーツ の普及・地域振興を目的として開催されている 空の祭典であり、 今回で21回目を迎えました。 日本航空機操縦士協会も GA 委員会が毎年 構成団体の一員として参加出展しており、 ご来 場いただいたお客様に大変喜ばれております。 そして JAPA ブースにおいては、 下記のイ ベントを開催いたしました。 ・JAPA の PR 活動 ・JAPA グッズ・航空用品の販売 ・ちびっこ模型飛行機工作教室 ・テレビユー福島 人気アナウンサーとの航 空教室 ・ちびっこ飛行機ゲーム大会 ・航空クイズ大会 今回行われた主なプログラムについてご紹介 いたします。 ・熱気球体験搭乗 ・スカイダイバー降下 ・JUKA・エアロバティックス ・パラモーター展示 ・ジャイロプレーン展示 ・マイクロライト展示 ・パラグライダー ・熱気球体験搭乗 ・ヘリコプター展示 ・エア・バンディッツ・3機編隊 ・スーパーウィングス演技 ・模型飛行機展示 ・FA-200・エアロバティックス ・EX300S・エアロバティックス 特に、 ちびっこ模型飛行機工作教室 「パイロッ トと一緒に飛行機を作ろう!」 では、 たくさん の子供達が、 お父さん、 お母さんと一緒に参加 して、 大人気のイベントとなりました。 その他にも、 福島のローカル TV 局の人気 アナウンサーとベテランパイロットの航空教室、 ちびっこ飛行機ゲーム大会、 航空クイズ大会で は、 たくさんのプレゼントを用意して、 子供か ら大人まで、 みなさんに楽しんでいただきまし た。 なかでも、 JAPA オリジナルグッズは、 ほかではなかなか手に入らないのもあり、 航空 ファンの方々に人気がありました。 スカイ・レジャー・ジャパン JAPA ブース 大人気のちびっ子模型飛行機工作教室 36 2010 MAR 今回は二日間ともに天候にも恵まれ、 約2万 人という沢山のお客様が来場してくださいまし た。 GA 委員会も数々のブースイベント等を通 して、 たくさんの子供達、 航空ファンの方々と 触れ合うことができ、 大変有意義な時間を共有 することができてスタッフ一同もとても満足し ております。 今年も、 更に多くのみなさまに喜んでいただ けるような、 スカイ・レジャー・ジャパンの開 催を目指し、 GA 委員会は活動を続けてまいり ますのでよろしく応援願います!! *ご参考:日本航空協会 スカイ・レジャー・ ジャパン HP http://www.aero.or.jp/koku_sports/ slj-top.htm スカイ・レジャー・ジャパンに参加の JAPA スタッフ 3. 航空安全講習会 −自家用操縦士等への航空安全啓蒙活動− 日本航空機操縦士協会における、 「法令上 の技量維持制度」 が義務付けられていない操縦 士向けの航空安全啓蒙活動は、 GA 委員会の前 身である自家用部会の発足を受け、 1998年より 開始されました。 小型機、 特に自家用運航での 事故撲滅を目指し、 局の示唆、 協力を受けなが ら、 自家用操縦士を主な対象とした 「航空安全 研修会」 として、 協会会議室を使い、 活動を行っ て来ました。 研修会は、 航空従事者試験官を講 師に招聘し、 法令等の最新情報の提供、 操縦に 関わる技術的な解説、 操縦士の心構え等、 参加 者の知識のリカレント及び安全意識の高揚と継 続を図るための研修テーマを選択しながら、 ほ ぼ毎月、 第3土曜日の午後に開催するという頻 度で活動を行って来ました。 この活動を行っている間に、 2001年、 航空 輸送技術研究センターが事務局となり 「航空従 事者の技量維持のあり方に関する調査研究」 の ための委員会が設置、 調査活動が開始されまし た。 この委員会は国際民間航空条約第1付属書 の規定に対する要件を充足するための方策の調 査、 検討が行われ、 2002年には 「航空従事者の 技量維持のあり方に関する調査研究報告書」 と して提言がなされ、 2003年に航空局通達 (国空 乗第2077号) 「自家用操縦士の飛行の安全確保 について」 が公布されましたことは、 皆様方の 御承知の通りです。 この委員会には GA 委員 会からも委員を派遣し、 各種の調査、 会議に参 加し、 意見具申を行いました。 通達では、 自家用操縦士に対し、 安全講習会 の受講や最近の飛行経験の充足により、 安全知 識の習得、 安全意識の向上や技量維持に努める 必要があるとの認識で 「自家用操縦士の技量維 持方策に係る指針」 が示されました。 この通達に則った講習会は 「航空安全講習会」 として通達の主旨に沿った、 安全啓蒙活動を行 うべく、 自家用操縦士を会員に持つ5団体が連 携して、 2003年から開催を始めました。 注) 自家用操縦士を会員に擁する5団体 日本航空機操縦士協会 日本飛行連盟 日本滑空協会 (NPO) AOPA-JAPAN 任 全国自家用ヘリコプター協議会 通達に則った講習会は、 初年度は各団体が自 主的に活動を行っていましたが、 翌2004年度か らは空港環境整備協会殿より日本航空機操 2010 MAR 37 縦士協会に対する助成対象事業として認めてい ただくことができました。 これは1998年より行っ てきた 「航空安全研修会」 の実績が評価され、 対象事業として認められたものであろうと思っ ております。 GA 委員会では 「航空安全研修会」 を開催し ながら、 「航空安全講習会」 を新たにスタート させた訳ですが、 航空安全という主旨は同じで すので、 これらの活動の共通化を計るべく企画・ 運営を行い、 「航空安全研修会」 は2004年度に て一旦休止、 2005年度以降の安全啓蒙活動は 「航空安全講習会」 に集約することといたしま した。 「航空安全研修会」 は開始以来7年間で開催 回数100回 (東京以外で行ったセミナーを含む) の実績を残すことができました。 またこの活動 が現在の 「航空安全講習会」 に引き継がれ、 2003年4月から2009年12月迄の約6年半に 「安 全講習会」 は184回開催し、 総受講者数延べ 6,000名、 1回以上受講された自家用操縦士数 は2,000名を超えています。 これは現在、 第2 種航空身体検査を更新されている方が約2,400 名程度ですので、 ほぼ国内全域を網羅した広範 囲な安全啓蒙活動ができている証であり、 GA 委員会 (前身の自家用部会) の活動がこのよう に大きく発展する基盤を作ったことになります。 「航空安全講習会」 は日本航空機操縦士協 会が事務局となり、 自家用操縦士を会員に持つ 5団体が協力・連携して運営を行っている訳で すが、 残念ながらこの5団体に属している自家 用操縦士の方、 全てが受講されている、 という 状況ではありません。 日本航空機操縦士協会でも所属する自家用 会員約600名の内、 今までにこの 「航空安全講 習会」 を1回以上受講された方は半数強の324 名程度に止まっています。 (受講者アンケートでの所属団体調査結果) 「航空安全講習会」 を、 まだ受講されていな い JAPA 会員の皆様、 並びに前回受講より2 年を経過する会員の皆様、 2010年度も全国各地 で30回の開催を計画していますので、 是非ご参 加をお願い致します。 (2010年開催計画の詳細は JAPA HP をご参 照の上、 ご出席下さい) なお、 最近は航空安全講習会とは別に、 会員 の皆様方からは、 スキルアップのための研修会 の開催要望が出てきています。 具体的には計器 飛行証明取得に向けた勉強、 グラスコックピッ ト対応のための知識習得、 より深い気象知識習 得等のための勉強会を……というような要望で す。 これらの要望に応えるべく、 2009年度は計器 認定講師による航空安全講習会 38 2010 MAR 航空安全講習会は全国各地で開催 合致するように、 4回程度の 「勉強会」 を航空 安全講習会と並行で企画、 開催していきたいと 考えています。 この 「勉強会」 のテーマに対す るご意見、 ご要望等も提案頂ければ、 可能な限 り計画に反映し、 多くの方にご参加頂けるよう 努力致したいと考えておりますので、 よろしく お願い申し上げます。 こちらの開催も JAPA HP で、 計画が決ま 航空安全講習会には様々なテーマが用意されている 飛行証明関連及び気象関連の勉強会を計4回、 セミナーという形で実施致しました。 この勉強 会には事業用操縦士の方を含め多くの会員に参 加して頂き、 いずれも好評でした。 このような 知識習得も、 より安全な飛行を行うために重要 な事項ですので、 2010年度も、 これらの要求に り次第、 順次ご案内していますので、 ご参照頂 き、 奮ってご参加下さい。 会員の皆様が、 GA 委員会の講習会活動に対 し、 提案をお寄せ頂き、 できましたら、 提案し て頂いた会員の皆様が、 ご自身の企画を持って GA 委員会委員として、 その開催、 運営等に参 加して頂ければ、 GA 委員会の活動が更に大き く拡がります。 会員の皆様の提案とご参加をお 待ちしております。 4. 航空安全セミナー −定期開催の勉強会− 航空安全セミナーは、 GA 委員会が主催する 勉強会で、 現在までに38回開催されてきました。 1998年度より開始して以来、 全国の GA の 交流の場として親しまれてきましたが、 2004年 度より航空安全講習会に主役の座を移し、 現在 は的を絞った専門的な講義を航空安全セミナー として、 定期的に年4回程度開催しております。 昨年11月のセミナー (開催地:東京) では、 航空気象委員会とのコラボレーションにより、 「気象のプロ! 気象予報士を取得した操縦士 によるウエザーブリーフィング」 をメインテー マに開催いたしました。 講師をお願いした宮本さんは、 北海道国際航 空で2009年3月まで実際に運航管理者として従 事していたプロフェッショナルであり、 更にご 自身も飛行機が大好きで、 事業用操縦士のライ センスまで取得した強者の女性パイロットです。 気象予報士、 更に操縦士のライセンスをお持ち とあれば模範的パイロットですね……。 セミナーの内容をご紹介しますと、 まず初め に、 運航管理がどのようなものかを説明して頂 きました。 時間をかけて準備した資料も実際の ブリーフィングに要する時間は10分少々……。 この10分間を有効に使うため、 運航管理者の 方々は実況天気図、 予想天気図など多くの天気 図を解析して操縦士に効率よく情報提供すると のことです。 ウエザーブリーフィングのやりが いは、 操縦士が 「わかったこれで行くよ!」 と いう一言に尽きるそうです。 航空安全セミナー 2010 MAR 39 ウエザーブリーフィングのコツも教えていた だきました。 ①天気図の時間を一致させる 現況から予報へ (実況と予想天気図を区別) 地上から高層まで、 同じ時間の天気図 ②概況:大きな場から局地天気へ 下層から上層へ (大気の立体構造) ③フライトプランと関連付ける 高度、 航路、 NOTAM、 使用 RWY、 性能……。 ④結論:出発地、 航路上、 目的地、 代替飛行場 事前に対処法を打ち合わせておく ⑤数値予報の天気図は、 必ずひとつ前の時間の 予想図と見比べること もし、 連続して同じ場所に雨域を予想してい たら、 この予報はかなり信頼度高い、 逆に予 報が前回と変わっていたら、 その予報は不安 定と見る。 当初16時過ぎには終了する予定でしたが質疑 応答が熱くなり、 終わったのは17時近くになっ てしまいました。 参加した会員の方から 「難し いけど聞かなければ何も分からないから来たん です」 という感想を聞かせて頂きました。 まさ にやらなければ分からないわけですから、 難し いからいいや……ではなく、 積極的に天気に向 かってみては如何でしょうか。 会員の皆様も知識習得のため、 当セミナーに 積極的にご参加頂ければ幸いです。 参加をお待 ちしております。 5. 使用事業会社紹介 −本田航空 (ホンダエアポート)− 本田航空は、 Honda の創業者である故本田 宗一郎により“航空業界の健全な発展”と“青 少年の大空への憧れ”を実現すべく1964年 (昭 和39年) 3月に設立され、 現在は Honda の100 %子会社の歴史ある使用事業/航空運送事業会 社です。 “ホンダエアポート”が共用を開始したのは 1970年 (昭和45年) 1月、 現在約70名の従業員 が在籍しており、 桶川本社、 栃木事業所、 熊本 運航所の3箇所にて事業を行っております。 桶川本社の主だった業務は、 操縦訓練、 航空 測量、 栃木県独協医大ドクターヘリ運航受託、 埼玉県防災航空隊と栃木県防災航空隊の運航受 託、 スカイダイビングの運航受託です。 主要事業である操縦教育のうち、 操縦教育証 明取得訓練は、 日本航空、 全日空、 エアーニッ ポン、 その他、 官庁等から長年にわたって受託 し、 現役の機長、 副操縦士等の皆さんが資格取 得の為に定期的に訓練をされています。 これは、 長年培われた操縦教育の質の高さが評価された 証でもあります。 また近年、 大学が操縦科を設立するケースが 40 2010 MAR 多くなっていますが、 2006年 (平成18年) 4月 より日本航空学園の操縦科訓練開始、 2009年 (平成21年) 4月より崇城大学操縦科訓練開始、 2010年 (平成22年) 4月からは法政大学と千葉 科学大学の操縦訓練の受託が始まります。 単発機の主力である C172型は、 本年3月か ら小型機用統合電子表示システム G1000を搭 載した最新鋭のセスナ172S に更新し、 同11月 には、 多発訓練機を G58型に更新 (G1000搭載) 出動待機するドクターヘリ G1000を装備したコックピット 従来型計器のコックピット することで、 グラスコックピットからグラス コックピット の訓練が実現します。 更に現多発訓練機の BE58コックピットを可 能な限り模擬した国土交通省認定の FTD (飛 行訓練装置) を計器飛行訓練や実地試験受験時 の一部科目に利用することで、 訓練生の負担軽 減や訓練品質向上を図っています。 尚、 航空局 の認定は取得していませんが、 簡易式の FTD も備えています。 ホンダエアポートは、 戦時中 熊谷陸軍飛行 学校桶川分教所の滑走路 として使用していた 場所で、 天候に恵まれ飛行場として最適な環境 です。 また、 24時間運用が可能な夜間照明を持 つ本田航空が管理運営・管理するプライベート 飛行場です。 この飛行場は、 2007年 (平成19年) に平行誘 埼玉県防災ヘリコプター 導路を設置し滑走路運用効率がアップしていま す。 また現在の滑走路は、 長さ600m、 幅25m ですが、 2010年 (平成22年) 中には A-PAPI の設置、 2011年 (平成23年) 中には滑走路を約 900m まで延長します。 東京近辺では TGL 訓練が自由に出来る飛行 場がないため、 調布空港や近郊のヘリポートか ら訓練機が多数飛来してくる活気あるエアポー トです。 訓練空域については、 関東甲信越4−1の中 に在り、 また4−2∼4−8に大変近いため、 訓練飛行時の時間のロスが少ないのも特徴の一 つです。 その他、 飛行船の駐機場、 安全講習会、 ホン ダ フライング・クラブ主催による飛行競技大 会などのイベントも行っております。 本田航空の企業理念として 空の産業は安全 であればこそ発展が望めるのであって、 不安全 なことがあれば、 いくら優秀な機材を投入して も何の役にもたたない。 本田航空は安全を売れ、 また安全なくして企業なしと自覚すべきである。 本田航空はこの創始者 本田宗一郎の“志”を 引き継ぎ、 お客様へ 「安全で質の高い確かな技 術を提供」 することを行動要件として今日も事 業活動を行っています。 是非、 お気軽にお立ち寄り下さい。 2010 MAR 41 本田航空本社と格納庫 最新型の C172 6. 飛行クラブ紹介 −NPO 法人 スーパーウィングス (熊本空港)− スーパーウィングスは、 小型飛行機を通じて 飛ぶ楽しさ・素晴らしさを分かち合うと共に、 安全飛行・操縦技術の向上を主たる目的に1991 年 (平成3年) に結成しました。 その後、 航空祭や各種イベントでのデモンス トレーション飛行を通じ、 スカイスポーツやス カイレジャーの普及啓蒙活動・赤十字飛行隊等 の災害救助訓練への参加などの活動を続け、 2003 年 ( 平 成 15 年 ) に 特 定 非 営 利 活 動 法 人 (NPO 法人) スーパーウィングスとなりました。 結成以来、 熊本空港を活動ベースに北は福島 県福島スカイパーク、 石川県能登空港から南は 鹿児島県枕崎空港まで様々なイベントに参加し ています。 使用している機体は、 「富士重工業 式 FA200型」、 通称 「エアロスバル」 です。 このエアロスバルを複数機使用し、 アマチュ アとしては日本で唯一、 編隊飛行やアクロバッ ト飛行の展示を行うチームです。 スーパーウィングスでは、 地域の子供達への 遊覧飛行のプレゼントを通じたボランティア活 動や、 これから飛行機の免許を取得したいとい う人へのサポートも行っています。 飛行機が好 きなだけの人、 普通のサラリーマンから自営業・ お医者さんそして公務員に管制官・飛行機の整 備士等、 全国に約70名の会員が所属しています。 スーパーウィングスの編隊飛行 急旋回中の FA200エアロスバル 42 2010 MAR ■使用機体について:富士重工業式 FA-200 型 (通称:エアロスバル) エアロスバルは、 富士重工が独自に開発し、 日本が戦後初めてそして唯一量産した単発小型 機です。 1965年 (昭和40年) に初飛行し、 1986 年 (昭和61年) までに亘って299機 (試作機3 機含む) が製造・販売されました。 その内170 機は海外へ輸出され、 現存していると思われる 機体は日本でも約30機程だと思われます。 エアロスバルの最大の特徴は、 大人4人がゆっ たりと乗れてしかも経済的、 そして何よりも宙 返りなどの基本的なアクロバットの技がこなせ る機体の強度を持っています。 【諸元 (富士 FA-200-180)】 全幅×全長×全高:9.42m×7.96m×2.59m 耐空種別: N類 (普通)、 U類 (実用)、 A類 (曲技) エンジン(出力):ライカミング製 IO-360-B1B (180hp) プロペラ:マッコーレイ B2D34C53/74E-O 油 圧定速2枚羽根×1 自重/積載量:650㎏/500㎏ 最大速度:143.0mph (230km/h) 巡航速度:100.0mph (160m/h) ※経済速度 失速速度:60.0mph (97km/h) ※フラップ下げ 上 昇 率:760fpm (232m/min) 実用上昇限度:13600ft (4145m) 燃料消費率:10gal/h (38.5l/h) 航続距離/時間:450mile (900km)/約5時間 ■団体名称: 特定非営利活動法人 スーパーウィングス ■役 員:理事長 上村 雄二郎 副理事4名、 理事8名、 監査2名、 広報3名 ■特別顧問:飛行・座学教官 岡村 五郎 ■会 員 数:70名 (熊本県内の社会人が中心) ■活動目的: 広く航空に関係する個人若しくは航空に関心 を寄せる一般市民に対して、 小型航空機を活用 した、 防災、 僻地医療、 捜索救難の支援に関す る事業、 航空知識の普及に関する事業、 航空機 を活用した国際親善活動への参画の呼びかけ等 に関する事業を行い、 保健、 医療又は福祉の増 進、 災害救援、 社会教育の推進、 国際協力、 等 に寄与することを目的とする。 ■設立年月:2003年10月 NPO 法人認定 ■事業内容: 1. 全国各地の地方空港を拠点として地方自 治体が行う防災訓練への参加事業 2. 小型航空機の運航に関する安全講習会の 開催事業 3. 小型航空機を活用した町興し、 社会教育 の推進及び航空祭への参加事業 4. 海外の関係する団体が開催する国際会議 への参加事業 5. 青少年を対象とした航空教室の開催事業 小型航空機に関する操縦技術の向上、 運航の 安全確保を図るための資料及び情報の、 インター ネット及び機関紙による開示事業 ホームページ:http://www.super-wings.com メール:[email protected] まだまだ元気に活躍する FA-200 エアロスバル 2010 MAR 43 第31回 ATS シンポジウム 第31回 ATS シンポジウム =研究発表= IFR による Visual Flight パイロットと管制官の共通認識による円滑な運用を目指して ATS 委員会 はじめに 「IFR による Visual flight」 といっても、 「漠然としていて何を指しているのか、 よく分からな い!」 多くの方は、 このテーマを聞いたときに恐らくそう思われたことでしょう。 ここで、 話を進め易 くするために、 「IFR による Visual flight」 という飛行形態の例を何点か挙げてみます。 ① 周回進入 ② 目視進入 ③ 視認進入 ④ 進入限界高度未満の進入 ⑤ 障害物を目視しながらの SID での上昇飛行 ⑥ IFR 機の復行後の場周経路の飛行 ①∼⑥は、 飛行場の周辺での 「IFR による Visual flight」 です。 ⑦は、 エンルートでの悪天候回避のための飛行です。 今回のテーマである 「IFR による Visual flight」 は、 「IFR での飛行にも目視によってナビゲー ションを行うことがある」 ということが発表の狙いではなく、 本当の狙いは 「IFR での飛行にも、 管制承認どおりの飛行のほかに、 管制官の指示に従って飛行する部分もある」 ということを再確認 して頂くことです。 管制官の指示に従った飛行の大半はパイロットが目視によってナビゲーション を行います。 そして、 この部分は VFR による飛行とよく似た性格のものですので、 IFR なのか VFR なのか、 まちまちな考え方が混在しており、 飛行の現場での運用をめぐって様々な問題が生 じています。 1 IFR とは? IFR での飛行の大部分は、 管制承認に従って公示された経路を、 きちんと定められた方式で飛 行していますが、 飛行経路が公示されていない部分の飛行方法を管制官の指示に従って飛行するこ ともあります。 この管制官の指示に従った飛行にはレーダー誘導などのように Visual flight では ない飛行もありますが、 そのいくつかが今回のテーマである 「パイロットが目視によってナビゲー ションを行う Visual flight」 です。 管制区・管制圏における IFR での飛行を分類しますと、 次頁のように ABCD の4つの飛行形態 に分けられます。 44 2010 MAR 第31回 ATS シンポジウム 「IFR による Visual flight」 のなかでも 「B」 の方式に従った Visual flight については誰もが 「IFR であること」 を疑いませんが、 「管制官の指示に従って行われる IFR による Visual flight」 である 「視認進入」、 「IFR 機の復行後の場周経路の飛行」 と 「悪天候回避のための飛行」、 特に 「IFR 機の復行後の場周経路の飛行」 の 「場周経路の飛行」 について、 これが本当に IFR なのかど うかを考えていきたいと思います。 * 「公示された経路」 とは IFR の定義でいう 「国土交通大臣が定める経路」 です。 * 「管制官の指示による経路」 は管制官が独自に指示する経路と、 パイロットの要求に沿って指示する経路が含まれます。 かつて、 「Go around」 と 「Missed approach」 の違いについて、 パイロットと管制官の間に認 識の違いが大きいことがわかり、 共通の認識を持つために2年前の ATS シンポジウムにおいて研 究発表を行いました。 シンポジウムでは、 次の図のとおり、 VFR 機は 「着陸復行」、 IFR 機は 「進入復行」 という構 図を是正するために、 「着陸復行」 という VFR 機とリンクする言葉を廃止し、 「復行」 という言葉 に改める必要性について述べ、 管制方式基準も同時期に改正されました。 この研究発表の中で、 それまで IFR 機の復行後の飛行経路は、 「国土交通大臣が定める経路」 で ある進入復行方式のみであるとする一部の管制官の認識と、 そうは思っていないパイロットの認識 のかい離を解消し、 管制圏が設定された飛行場においては、 復行後の管制指示 (多くはパイロット の要求に沿った管制指示) として、 [Go around, join downwind] などの用語を使用して、 IFR 機が場周経路を経由して着陸することについてのパイロットと管制官の共通認識を図っていくこと の重要性についても発表をしました。 「IFR による Visual flight」 に対する考え方は、 「計器飛行方式」 に対する認識によって大きく 左右されます。 「計器飛行方式」 に対する認識の差を紐解いていくために、 次に様々な事例を紹介 します。 2010 MAR 45 第31回 ATS シンポジウム 2 組織による対応の差 最初に 「IFR による Visual flight」 のテーマの発端となった事例から紹介します。 事例1 某空港で DHC8-400 が IFR で飛行中、 ILS 進入に続く、 ローアプローチのあと、 ダウンウ インドを要求。 これに対して管制官が 「IFR をキャンセルしますか?」 と尋ね、 その結果、 パイロットは IFR をキャンセルしてダウンウインドに入り、 タッチアンドゴーを実施した。 この事例で問題の焦点となった点は、 次のとおりです。 問題点 ● ダウンウインドに入ることについて、 IFR をキャンセルする必要はないのではないか。 ● IFR での訓練飛行の規定が整備されていないのではないか。 当該空港の内部規定には IFR 機のタッチアンドゴー/ローアプローチ後は SID を指示すること が規定されているため、 管制官がダウンウインドを指示するには、 「パイロットが IFR をキャンセ ルしなければならない」 という観点から、 「IFR をキャンセルするか」 と管制官がパイロットに確 認したものです。 問題点にあるように、 場周経路に入るためには VFR に切り替えなければならな いと本当に言えるのか、 パイロットはそのような決りを知るすべもないが、 管制官と共通の認識を 持っているのか、 様々な疑問が露呈してきました。 当該空港の内部規定には明確な規定があるもの の、 このように様々な疑問に答えるものではなく、 IFR の訓練飛行の規定が標準化されていると は言えません。 また、 パイロットと管制官の共通認識が図られていないのが実体であるという検討 結果になりました。 こうした背景をもとに、 全国から集めた顕著な事例を次に紹介し、 現在の日本における 「IFR による Visual flight」 の実体に更に迫りたいと思います。 事例2 過去、 羽田空港では IFR のフライトプランにより場周経路経由のタッチアンドゴー訓練を 早朝に実施していた。 DC-8 までは複数の航空機が日常的に行っていたが、 B-727 からは徐々 にシミュレーターに移行していきつつも、 B-747 や DC-10 でも時折実施していた。 そうした 訓練は1980年代まで続いた。 シミュレーターの発達とともに乗員の訓練をシミュレーターで行うことが認められるようになり、 現在の羽田空港においてはこのようなフライトは行われていませんが、 古き良き時代と言うほど、 昔の話ではありません。 また、 当時から航空法が大きく趣旨を変えた訳でもなく、 この事例が現在 においても法的に何ら問題のないことは変わりません。 事例3 某空港おいては、 IFR によるタッチアンドゴーの後、 場周経路に入る場合、 パイロットか らの通報がなくても IFR を自動的にキャンセルし、 VFR 機として取り扱い、 管制圏が IMC の場合は SVFR 機として取り扱うこととしている。 管制圏が本格的な IMC の場合はレーダー 誘導での連続訓練を実施している。 この事例で問題の焦点となったことは、 事例1で挙げたもののほか、 次のとおりです。 46 2010 MAR 第31回 ATS シンポジウム 問題点 ● パイロットの意図ではなく、 IFR を自動的にキャンセルしているとすれば、 それはルール 違反ではないか。 この事例において、 場周経路に入る場合は IFR が自動的にキャンセルされることをパイロット が事前に知らされ、 かつ、 それを了承したのであれば問題はないと思われますが、 その運用方法が 「IFR 機は場周経路に入る場合、 VFR に切り替えなければならない」 という認識を前提として作 られていたとすれば 「事例1」 と同様に 「IFR による Visual flight」 に制限を加えていることに なります。 また、 パイロットが認識することなく、 管制側が IFR をキャンセルしているとしたら 大問題です。 事例4 内部規定により、 ゴーアラウンド後 IFR 機に進入復行方式しか認めていない。 そのため、 IFR 機がゴーアラウンド後に場周経路に入るなら、 VFR 機として取り扱っている。 また、 タッ チアンドゴー等に引き続く GCA の連続訓練も IFR では不可能という見地から、 管制圏が VMC のときに VFR での模擬計器進入として連続訓練を実施させている。 この事例でも問題の焦点となったのは、 事例1および事例3で挙げたものと同様の事柄です。 事例5 某空港では、 管制圏が IMC の場合であってもパイロットが要求し、 管制官が指示した場合 は、 タッチアンドゴー等を行った IFR 機に IFR のまま、 場周経路を飛行することを指示して よい旨、 内部規定で定めている。 この例では、 管制官の処理についての運用方法が内部規定に定められおり、 パイロットの要求に 基づいて航空交通及び気象状況を考慮のうえ、 管制官が判断して場周経路への飛行を指示できる体 制が構築されています。 事例6 某空港で、 滑走路36への ILS 進入から滑走路18に周回進入を行っているとき、 風向が急変 して滑走路18への着陸が追い風で困難になったため、 ゴーアラゥンドしたところ、 タワーから 「滑走路36へのIFR の進入機がいるので、 ダウンウインドで待機せよ」 との指示を受け、 そ の後、 IFR のままで着陸した。 この事例では管制官の適切な判断で気象状況の急な変化に対応した措置がとられています。 管制 官に IFR をキャンセルしなければならないという考えがあったとしたら、 このような柔軟な対応 は不可能だったと思われます。 以上のような IFR 機の訓練飛行等に関する事例のほか、 次のような 「IFR による Visual flight」 としての適否を求められる事例もありました。 事例7 周回進入を行う航空機に対して、 管制圏が VMC でパイロットが飛行場を視認後に周回進入 区域外でブレイクする場合は周回進入としてではなく、 IFR での Visual flight として取り扱 い、 間隔を設定するため 「Make right 360°」 を指示する場合がある。 2010 MAR 47 第31回 ATS シンポジウム この事例については、 今回のテーマの発端となった 「事例1∼6」 とは、 少しニュアンスが異な る事例のように思えます。 しかし、 「IFR による Visual flight」 の問題のひとつであることに変わ りなく、 「計器飛行方式」 に対する認識という根本的な問題を抱えていることは事例1∼6と共通 しています。 この論議については、 後ほど実施されるパネルディスカッションの 「周回進入と IFR による Visual flight」 で実施することとして、 ここでは当該論議の基盤となる 「計器飛行方式」 に対する認識について話しを進めていきたいと思います。 冒頭に 「IFR による Visual flight」 について例を7つ挙げましたが、 それらのうち、 ⑥の 「IFR での場周経路の飛行」 を除いては議論の余地は全くありません。 「IFR での場周経路の飛行」 でも、 それが通常のフライトでのゴーアラゥンド後の場周経路であれば、 これに異論はないのですが、 事 例1∼6のように主に 「訓練飛行で」 ということになりますと、 途端に対応の差が顕著になります。 この対応の差の原因について考えてみましょう。 3 IFR の法的根拠と解釈 計器飛行方式とは何か? ここで原点に帰って考えてみたいと思います。 航空法に IFR の概念となる定義が初めて規定されたのは昭和35年でした。 このときの定義は、 「計器飛行方式とは、 計器気象状態において飛行する航空機に適用するように運輸省令で定める飛 行の方法をいう」 と書かれただけで、 「計器飛行での飛行」 をイメージした内容でしたが、 昭和50 年の航空法改正において、 次のように全面的に改正されました。 なお、 この内容は、 平成11年に運輸大臣が国土交通大臣になり、 平成17年に情報圏が定義されて 第二号に入るとともに第一号に 「航空交通管制圏又は航空交通管制区において、」 が追加されたほ かは、 基本的に、 現在まで変更されていません。 昭和50年航空法抜粋 第2条 16 この法律において 「計器飛行方式」 とは、 左に掲げる飛行の方式をいう。 一 第十二項の運輸大臣が指定する飛行場からの離陸及びこれに引き続く上昇飛行又は同項の 運輸大臣が指定する飛行場への着陸及びそのための降下飛行を、 運輸大臣が定める経路又は 第96条第一項の規定により運輸大臣が与える指示による経路により、 かつ、 その他の飛行の 方法について同項の規定により運輸大臣が与える指示に常時従って行う飛行の方式 二 前号に規定する飛行以外の航空交通管制区における飛行を第96条第一項の規定により、 運 輸大臣が経路その他の飛行の方法について与える指示に常時従って行う飛行の方式 この法改正によって、 「計器飛行方式」 は、 「国土交通大臣が定める経路又は管制官の指示による 経路」 を 「その他の飛行方法については常時管制官の指示に従って飛行する」 飛行の方式であるこ とが明確になりました。 つまり、 IFR の位置付けは、 「航空機が他の航空機や障害物と衝突する ことなく、 安全に飛行することができるよう、 常に航空管制に従って飛行する方式」 ということです。 4 パイロットと管制官の認識の差 事例1∼6の対応の差の原因である計器飛行方式に対する認識の差について見てみましょう。 事例1では、 ローアプローチ等を行う IFR 機には SID しか指定できないことになっていること を紹介しました。 この裏側には 「IFR 機は計器飛行で飛行できるルートしか飛行できない」 とい 48 2010 MAR 第31回 ATS シンポジウム う認識があります。 事例3や事例4にも同様の考え方を垣間見ることができます。 計器飛行方式の 法的な位置付けについて前述しましたが、 計器飛行方式とは、 計器飛行を前提とした飛行の方式で はなく、 他機との衝突を防止するために、 常時管制官の指示に従って飛行する方式であることを意 味しています。 しかし、 現実には 「計器飛行を前提」 として IFR 機を認識している風潮が未だに あり、 IFR 機には計器飛行で飛行できるルートしか認めないという認識があります。 そこまでは 言えないにしても、 管制方式基準や管制の運用規定に関連規定がないことを理由とする向きもあり、 伝統とも思える根強い認識が一部にあります。 このような意見の多くは管制官からのものでした。 IFR 機には計器飛行で飛行できるルートしか認めないという認識であれば、 当然事例1、 事例 3や事例4のような対応となってしまいます。 その一方、 IFR の位置付けを 「常時管制官の指示 に従って飛行すること」 と認識していれば、 事例2、 事例5や事例6のように対称的な対応をとる ことが可能です。 同じ航空法を基としながらも認識に相違があるために、 対応に大きな差となって現れてくること になります。 その結果、 空港によって対応が異なるばかりか、 極論すれば、 同じ空港においても管 制官によって対応の違いが出てくることもありえる状況になっています。 この対応の差は先ほどの事例のとおり、 全国的に見られます。 基準が標準化されていないという ことも大きな問題ですが、 パイロットと管制官の間ばかりか、 パイロットどうし、 管制官どうしで も認識に相違があるということは標準化以上の大きな問題です。 管制官が 「IFR 機に対しては場周経路の飛行指示を出しにくい」 と言われる原因には 「管制間 隔」 の問題と 「ナビゲーションや障害物との衝突回避の責任」 の問題があると言われています。 最初に 「管制間隔」 の問題について考えて見ます。 IFR 機には管制間隔を設定しなければなり ませんが、 管制方式基準では場周経路を飛行する IFR 機の管制間隔については明確には規定して いません。 明確な規定の制定が望まれるところですが、 実際には目視間隔を適用することが現実的 な選択になります。 しかし、 その目視間隔についても、 現段階では曖昧な基準にすぎません。 この ため、 「VFR ということにしてしまえば IFR の管制間隔を設定する必要がなく、 VMC のときは パイロットの要求にも応えることができる」 という考え方に陥り易い実態があるやに聞かれます。 しかし、 IFR が VFR に替わったところで、 周囲のトラフィックの状況が変わるわけではなく、 飛 行している航空機にしてみれば、 IFR をキャンセルすると安全性が向上する点など何もありませ ん。 VFR でなら飛行できるが IFR では飛行できないという事由が何ひとつないにも係わらず、 結 果として円滑な運用を阻むケースを生んでいるのが現状です。 もう一つの原因である 「ナビゲーションや障害物との衝突回避の責任」 について、 もっと具体的 に表現すれば 「IFR 機に場周経路の飛行を指示したら、 正確な飛行経路や最低安全高度はどう指 示するのか」 という管制側の心配ということになります。 この場合の 「管制官が指示する経路と飛 行方法の指示」 は 「トラフィックパターンを回って着陸しなさい」 という Visual Flight を行わせ る指示ですが、 もともと目視による飛行というのは VFR であれ IFR であれ、 「飛行中のナビゲー ションと、 障害物との衝突回避はパイロットが責任を持つ」 という前提で成りたっている飛行の方 法であるため、 本来、 管制官が心配することではありません。 ここでも明確な規定がないことが障 害となっていると思われます。 当然、 パイロットにも 「IFR のままとはいえ、 トラフィックパター ンを回って着陸する以上は VFR 機と同様に、 ナビゲーションと障害物との衝突回避には責任を持 つ」 という自覚が必要です。 しかし、 例えば場周経路の飛行においても、 経路、 高度等の選択には 幅があり、 最終的には経路、 高度等についてパイロットが自ら的確に判断していかなければ Visual Flight は成り立たちません。 パイロット自ら判断したことに対して、 自覚がないとは考え難い 2010 MAR 49 第31回 ATS シンポジウム ことです。 このため、 管制官から一方的に場周経路の飛行を指示された場合でも、 技術的に無理又 は自信がなければ 「できない」 と断れる訳です。 更に、 万が一の通信途絶においても場周経路を目 視で飛行すればよく、 何ら問題がありません。 5 関連規定 管制方式基準には 「ローアプローチ/タッチアンドゴー」 を行った後の飛行に関する規定が、 () レーダー使用基準の10レーダー進入にあるだけで、 ノンレーダーで行える規定がないとの指 摘があって、 近々管制方式基準の () 計器飛行管制方式に盛り込まれるという動きがあります。 必ずしも、 規定がないから行えないという訳ではありませんが、 明確な規定ができれば、 それに越 したことはありません。 ただし、 現行の、 レーダー進入後の【ローアプローチ又はタッチアンド ゴー】と同じ内容が、 改めて () 計器飛行管制方式に盛り込まれると、 場周経路を回って着陸す ることができる気象条件は、 パイロットが VMC を維持できる場合に限られることになります。 当 該気象条件が妥当かどうかは検討された結果だとは思いますが、 当該気象条件を準用して 「復行後 の場周経路も VMC を維持できる場合に限る」 とか、 更には 「飛行場の気象状態が VMC 時に限る」 ということになりますと、 論議を呼ぶことは間違いありません。 今後の動きに注目していく必要が ありそうです。 モデルケースとしてよく取り扱われる FAA には次のような規定があります。 FAA 「Air Traffic Control 」 抜粋 Chapter 4. IFR Section 8. Approach Clearance Procedures 4-8-12. LOW APPROACH AND TOUCH-AND-GO Consider an aircraft cleared for a touch-and-go, low approach, or practice approach as an arriving aircraft until that aircraft touches down or crosses the landing threshold; thereafter, consider the aircraft as a departing aircraft. Before the aircraft begins its final descent, issue the appropriate departure instructions the pilot is to follow upon completion of the approach (in accordance with para 4-3-2, Departure Clearances). Climb-out instructions must include a specific heading or a route of flight and altitude, except when the aircraft will maintain VFR and contact the tower. EXAMPLE− After completing low approach, climb and maintain six thousand. Turn right, heading three six zero. Maintain VFR, contact tower.(Issue other instructions as appropriate.) NOTE− Climb-out instructions may be omitted after the first approach if instructions remain the same. この規定は、 IFR 機のローアプローチ/タッチアンドゴーの後の措置という一場面を扱ったもの でしかありませんが、 方法論の検討を進めていく上での方向性、 糸口といったものを含んでいます。 なお、 この規定と同様のものは ICAO にはありません。 ただし、 関連規定として IFR を VFR に切り替えることをパイロットに強要することは勿論、 ほのめかしてもいけないとする規定があり ます。 50 2010 MAR 第31回 ATS シンポジウム ICAO 「Air Traffic Management (PANS-ATM) 」 抜粋 CHAPTER 4. GENERAL PROVISIONS FOR AIR TRAFFIC SERVICES 4.8 CHANGE FROM IFR TO VFR FLIGHT 4.8.1 Change from instrument flight rules (IFR) flight to visual flight rules (VFR) flight is only acceptable when a message initiated by the pilot-in-command containing the specific expression CANCELLING MY IFR FLIGHT, together with the changes, if any, to be made to the current flight plan, is received by an air traffic services unit. No invitation to change from IFR flight to VFR flight is to be made either directly or by inference. 今後は、 表に出た問題のみに捕らわれることなく、 根本的な原因を排除するために意識改革を図 るとともに共通の認識を構築しながら、 必要な基準、 規定の整備を図っていく必要があります。 6 管制の運用に求められているもの これまで、 「IFR による Visual flight」 について、 事例を交えながら考えてきましたが、 法律的 に可能なことが運用の段階で阻まれることがあってはなりません。 事例2、 事例5、 事例6や事例 7のような対応が全国の空港で当たり前のこととなれば、 IFR 機の訓練効率のみならず、 円滑な 航空交通の流れを形成することができるように運用の幅も広がります。 また、 管制の運用面におけるニーズのあるなしにかかわらず、 これまで曖昧にされてきた問題に ついて、 計器飛行方式の原点である 「公示された経路または管制官の指示する経路を、 管制官の指 示する飛行方法に従って飛行する方式」 (航空機が他の航空機や障害物と衝突することなく、 安全 に飛行することができるよう常時管制官の指示に従って飛行する方式) の趣旨に立ち返り、 意識改 革を図ることによって共通認識を醸成させるとともに、 現場における対応を明らかにする必要があ ります。 おわりに 現在、 様々な 「IFR による Visual flight」 の運用方法を全て明確に規定しているものはありま せん。 現在の管制システムは高度に制度化されているように見えますが、 「管制官の指示に従って 飛行⇒IFR」 という認識が希薄であることが明らかになってきました。 しかし、 今回のテーマは、 パイロットにしても管制官にしても、 誰もが少なくとも一度や二度は疑問に感じたり、 論議をした ことがあるのではないでしょうか? パイロット、 管制官とも関心の高い事柄でありながら、 ある 意味、 Untouchable な部分として、 長年、 解決されず、 その都度まちまちな対応や解釈がなされ た結果、 最初の事例紹介のような事態を生んでいるのではないかと思えます。 「IFR による Visual flight」 に関して、 安全や効率性といった観点で検討がなされ、 標準化されたものが一つもない状 況を好ましいと感じる方はいないでしょう。 「IFR による Visual flight」 について管制側の対応を 紹介し、 管制官の意識改革の必要性を主に述べましたが、 その意識改革のためにはパイロットが 「IFR による Visual flight」 に対して自らの責任を明確に認識することが必要なことはいうまでも なく、 今後、 パイロットと管制官の共通認識を図るには長い道のりが必要かもしれません。 しかし、 前述した事例のような事象が顕在化し始めた現在、 この問題を放置しておくのも限界に近づきつつ あります。 パイロットと管制官の共通認識の構築が急務です。 2010 MAR 51 連 載 航 空 ● 曼 史 ● 陀 羅 その34. 航空戦略のパイオニア、 ジュリオ・ドゥーエと ウィリアム・ミッチェル ● 第一次大戦の航空戦 ジュリオ・ドゥーエ (Giulio Douhet 1869− 1930) はイタリア人であり、 ウィリアム・B・ ミッチェル (William Billy Mitchell 1879− 1936) はアメリカ人である。 両人とも世界各国 の空軍創設の先駆けとして用兵 (Tactics)、 つ まり軍を指揮する航空戦略の重要性に着眼した。 しかし、 その先見性と強烈な個性は周囲から煙 たがられ、 その上、 両人とも軍法会議によって 罪に服するなどの波乱に富んだ人生を送った。 あまりにも周囲に先んじたことで、 出る釘は打 たれ、 そして蘇った。 今回は、 この2人にスポッ トをあてながら、 戦時の日本陸海軍航空史を覗 いてみたい。 ペーピン 平京 (現・北京) 郊外の盧溝橋付近で発せら れた数発の銃声によって、 日華事変が勃発した のは昭和12年7月7日である。 そのおよそ1ヶ 月後の8月中 旬、 蒋介石軍に 包囲された上海 在住の帝国海軍 陸 戦 隊 4,000 名 の兵を助けるた め、 中攻 (96式 陸上攻撃機) に よる 「渡洋爆 撃」 については 前掲した。 この 世界に例をみな い大胆不敵な作 ジュリオ・ドゥーエ (片岡氏提供) 戦は、 用兵思想 52 2010 MAR 徳田 忠成 ないし武器としての飛行機開発に、 帝国海軍に 限りない自信を与えた。 それから4年有余後の太平洋戦争は、 日米共 に航空戦が主役であった。 16年12月7日未明、 南雲中将率いる第一航空艦隊の6隻の空母から 飛び立った97艦攻、 ゼロ戦、 99艦爆など計350 機が、 ハワイ真珠湾に停泊している米太平洋艦 隊に襲いかかった。 この作戦は山本五十六が軍 令部の反対を押し切って強行した。 すでに日本 海軍の暗号は解読されていたが、 老獪なルーズ ベルト大統領は、 この日を The Day of Infamy 「屈辱の日」 として、 待っていたかのように全 米に呼びかけ、 国民の厭戦気分を一掃し、 ただ ちに日本へ宣戦布告を叩きつけたのである。 山本は、 米国民の戦意を喪失させる意図から、 次なる手段として、 「米本土攻撃」 戦略のため の巨大な 「潜水空母」 構想をもっていたが、 青 写真だけで中断している。 やや遅れてナチス・ ドイツも、 ゲーリング元帥が推進して、 米東海 岸爆撃用の戦略爆撃機をユンカース、 メッサー シュミット、 フォッケウルフ各社と共に巨人機 製作を協議したが、 これも実現することはなかっ た。 これについては機会をみて述べてみたい。 第一次大戦での列強は、 1914年7月の開戦当 初、 100機から200機程度の飛行機しかもってい なかった。 臨時の航空部隊が編成されたが、 パ イロット要員のほとんどは元騎兵隊出身者であっ た。 そして即席の飛行訓練を受けて戦場へ赴い たのである。 飛行機はスカウト (斥候兵) の役 目から、 やがて空中戦、 そして敵地の爆撃へと 移行するまでに時間はかからなかった。 4年有余続いた第一次大戦での列強の飛行機 生産数は異常ともいえる数に達している。 独、 英、 仏各国が、 それぞれ約5万機、 伊が12,000 機、 米が740機で、 戦争というものすごいエネ ルギーを感じ取ることができる。 といっても、 航空機が戦略の主流になるには、 今少し時間が かかったが、 ここに用兵としての航空戦略の重 要性を先見していた2人のパイオニアがいた。 ● 航空戦略の先覚者 まずイタリア軍のジュリオ・ドゥーエにご登 場ねがおう。 彼は早くから 「戦略爆撃」 「制空 権」 「独立空軍」 を提唱し、 第二次大戦での各 国の 「航空戦力の運用」 に、 多大な影響を与え た先覚者である。 ナポリに近いガゼルタ生まれ のドゥーエは、 1888年に軍人としての名門、 砲 術士官学校卒業後、 トリノ・ポリテクニークで 電気工学を専攻、 1900年、 陸軍参謀本部に配属 された。 その頃から彼は、 精強な軍隊は、 その 機械化にあることを主張していたが、 1909年に は、 一転、 「空中航法の諸問題」 という論文を 発表している。 これは1908年8月、 ウィルバー・ ライト (ライト兄弟の兄) によるヨーロッパ初 飛行が大変なニュースとなり、 その後のフラン スを中心とするヨーロッパの航空機開発が加速 されたのと同時期だから、 その先見性は尋常で はない。 この論文で彼は、 航空機が戦争の主流になる ことを予測した。 武器としての飛行船を否定し、 飛行機の利点は、 空から容易に敵陣を視察・攻 撃することができるとし、 早くも 「空軍」 設立 を提唱した。 ようやくルイ・ブレリオが、 わず か25馬力エンジンを装備したブレリオ型単葉 機で、 距離50キロの英仏海峡横断飛行に成功し て世間を騒がせた時代だった。 ドゥーエは、 以来、 武器としての飛行機への 関心へ傾斜していった。 その後、 1912年に創設 された陸軍第一飛行大隊司令官となって、 わが 意をえたが、 14年には航空と関係のないミラノ 歩兵師団参謀長に補された。 しかし、 戦場での彼我の状況は、 航空機、 と くに爆撃機の活用によって左右されることを重 視し、 航空機こそ、 効果的な防衛が予測できな い優れた武器であると説いた。 ここで彼は 「制 空権」 という言葉を使った最初の人物である。 制空権とは、 単に空中戦のみならず、 激しい爆 撃によって掌握される制海権に類するものとし た。 航空機は地上軍の支援ばかりでなく、 長距 離飛行を可能とする爆撃機による敵後方の都市 を攻撃することが、 敵地の武器生産拠点を粉砕 し、 国民の恐怖をエスカレートし、 戦争継続の 意志を砕くことがに容易であると説いた。 いわ ゆる戦略爆撃による制空権を確保することが、 戦争の勝敗を左右する大きなファクターである と主張したのである。 第一次大戦中、 同盟国側であったイタリアに あって、 ドゥーエは前記のような内容を骨子と した航空攻撃を積極的に主張した。 1915年には、 500機もの爆撃機による空中艦隊の設立を提案、 翌年には航空機の大量生産を可能にする産業を おこす必要性を上申している。 当時としては革 新的な着想で、 第二次大戦末期のイタリアやド イツ、 そして日本など敗戦国の惨状をみれば、 その着想は優れたものであったが、 軍上層部の 理解するところとはならなかった。 ドゥーエは諦めることなく、 閣僚の一人に文 書を送り、 参謀本部の方針を厳しく批判した。 当然、 軍上層部の逆鱗にふれた彼は、 たまたま 機密書類を列車に置き忘れたことを理由に逮捕 さ なか され、 大戦最中の16年に、 軍法会議にかけられ、 禁固1年間の刑を受けた。 これに屈することな く彼は、 獄中から空軍創設、 ないし多国籍軍に よって構成される連合航空艦隊の創設を国防大 臣に具申している。 18年には彼の主張が認められて現役に復帰、 陸軍航空局技術部長の要職に就いたが、 実質的 な権限がないとして、 あっさりとこのポストを 辞めてしまった。 21年には軍法会議の判断が誤 りであったとして破棄、 ドゥーエは将官となり、 ベニト・ムッソリーニ率いるファシスト党のロー マ進軍直後に航空委員会に補されたが、 数ヶ月 でこの職も辞し、 以降、 著述活動に専念した。 2010 MAR 53 ムッソリーニがドゥーエの考えに理解を示し たことから、 彼は政府公認の週刊誌 「イル・ド ヴェーレ (義務)」 を創刊、 その誌上に 「制空」 を連載した。 これは第一次大戦後の1927年に第 2弾が発表された大作であり、 1930年の彼の死 後、 あらためて彼の他の論文を加えた 「制空権− 航空戦技術論」 と題した本が出版された。 この 本は、 欧米列強で航空戦略のバイブルとなったが、 わが国でも、 陸軍航空本部が1934年に 「制空と 将来戦」 と題して訳され、 戦略の指針となった。 この中で彼は、 国防の要諦は制空権にあり、 これは空軍が独立してこそ、 実現可能であると 説いた。 そして航空戦力の拡大充実を図ること が、 それを保障できると力説している。 但し、 陸海軍に所属している航空機戦力は、 これを廃 止するのではなく、 補助的手段として存続させ ればよい。 まさに現在の陸海空軍の航空兵力バ ランスを、 この時点で洞察している。 飛行機は行動半径内のすべての敵陣地を、 高 速で接近し、 爆撃目標の機能を瞬時にして麻痺 させる能力に優れている。 従って、 ある都市で の空中からの攻撃は、 他の都市でも容易に、 し かも迅速に起こる。 したがって敵国民の物理的 精神的抵抗力を減退させ、 それによって受ける 心理的恐怖や苦痛は計り知れないから、 必然的 に戦争終結が早まるとした。 これは、 陸上戦闘 が中心だった第一次大戦での長い膠着戦で、 1,000万人以上の大量の戦死者をだした事実か ら結論づけたようだ。 しかも飛行機の生産は経済的で、 爆撃機1機 戦艦ドレッドノート 54 2010 MAR の生産費が100万リラとすると、 1,000機で10億 リラであり、 英国戦艦 「ドレッドノート」 (排 水量21,845トン、 当時、 最大の戦艦) 1隻分と、 ほぼ同額であるから、 戦費の経済性に大きく貢 献をすると主張した。 但し、 彼の主張はかなり蓋然的で、 航空機に しても万能軍用機を指しており、 航続距離と速 度が武器であるとしか語っていない。 従って、 敵 国を攻撃するための航空機の数、 攻撃力と量、 敵国の被害等々の具体的な裏づけに乏しい。 と はいえ、 今日の ICBM (大陸間弾道弾) の出現 は、 彼の当時の革新的な鋭い思想を裏付けている。 ● ウィリアム・ミッチェルの理論 一方、 アメリカの航空戦略家であるミッチェ ルは、 のちにドゥーエの考えに影響されるが、 あまりに急進的な考え故に、 ドゥーエと同じよ うな運命が待っていたことは興味深い。 米上院議員の息子として生まれた彼は、 1898 年4月から始まった米国・スペイン戦争に、 2 等兵として従軍、 後に陸軍通信隊少尉として、 キューバ、 フィリピン、 アラスカで軍務に就い た。 仕事は主に無線網の整備である。 次第に頭 角を現し、 1909年に参謀大学校を卒業、 最年少 の32歳で参謀本部員になった秀才である。 15年には通信隊の航空部門に移籍し、 副指揮 ウイリアム・ミッチェル (片岡氏提供) 官に就いた。 ここで飛行機の操縦を覚えた彼は、 たちまちその魅力にとりつかれると同時に、 飛 行機、 つまり空からの戦闘が、 地上戦に替わる 有力な武器になることを見抜いた。 アメリカが第一次大戦に参戦したのは、 勃発 以来、 欧州が3年近くも戦火を交えた1917年4 月からである。 ミッチェルは、 早速、 米派遣軍 航空隊長として渡英した。 ここで彼は、 ヒュー・ トレンチャード子爵を訪ねて、 3日間にわたる 航空機戦闘の講義を受けている。 航空機に造詣 の深いトレンチャード子爵は、 翌年4月1日、 ダウディング大将の下で、 世界に先駆けて王室 空軍 (RAF) を立ち上げた人である。 もとも と戦線への積極的な飛行機の導入が必要と考え ていたミッチェルは、 水をえた魚のようにトレ ンチャード子爵の話を聞き入ったにちがいない。 欧米列強の空軍創設を時系列的にみると、 英 国、 ソ連が1917年、 イタリアが1926年、 フラン スが1934年、 独が1935年、 米国が1947年、 但し、 米国は1934年には、 総司令部付航空軍として、 一指揮官隷下に統合されている。 日本では終戦 まで空軍創設が実現することはなかった。 日本 陸海軍が、 それぞれ航空兵科を創ったに止まり、 1938年12月、 陸軍航空士官学校が埼玉県豊岡市 (現・航空自衛隊入間基地) に創設されたに過 ぎない。 ミッチェルの母国アメリカは、 ライト兄弟を 生んだ国にしては、 航空産業はお粗末なもので、 第一次大戦参戦時に、 米国陸軍が保有していた 航空機は100機程度で、 すべての準備が泥縄式 であった。 ようやく実戦に参加したのが、 1918 年春だったが、 終戦を目前にしたその18年9月、 サン・ミールの戦いでの連合国による航空大攻 勢で、 ミッチェルは米英伊仏などの1,500機か らなる航空隊の指揮をとった。 これは当時とし ては最大規模の航空集団で、 500機が地上軍を 支援、 他の1,000機は追撃機と爆撃機の戦略部 隊として出撃して、 勝利をものにしている。 他の戦役でも、 地上軍支援のために200機も の爆撃機を指揮、 不利な状況ながら空中から先 制攻撃をおこなって、 連合国を勝利に導いた。 さらに終戦間際には、 ドイツ前線部隊の背後に 大規模な落下傘部隊を投下させ、 空陸一体となっ た作戦を考えるなどの功績によって、 同盟国か ら多数の勲章を授与されている。 戦後、 米国へ帰国したミッチェルは1919年に 准将に昇進、 それまでの陸軍通信隊飛行班から 航空隊に昇格した組織の副司令官に補された。 空軍創設を強力に推し進める彼は、 翌年、 議会 ですべての軍艦は爆撃によって撃沈させうると 明言し、 軍艦1隻で爆撃機1,000機を生産する ことができるから、 予算面でも優れていると説 いた。 そして抵抗する議員たちや、 陸海軍首脳 部を説得するために、 1921年6月、 空爆の威力 を証明するための実験をしている。 ドイツから戦利品として押収していた潜水艦、 駆逐艦および巡洋艦、 それにドレッドノート級 不沈戦艦を、 目標艦としてチェサピーク湾に係 留した。 そして実験の日、 マーチン MB-2 双発 爆撃機6機が飛行場を飛び立って実験場に飛来 し、 2,000lbs 爆弾6発で、 見事、 撃沈している。 この実験の効果は大きく、 旧来の軍備に固執 している関係者に多大な影響を与え、 同時に航 空母艦出現の足がかりとなった。 なお、 この実 験には、 日本海軍将校も参観しており、 後に日 本でも同じような実験をした記録がある。 ミッチェル准将は、 航空問題調査団長として 2回の海外視察旅行をし、 イタリアではジュリ オ・ドゥーエと会見して、 少なからず影響をう け、 航空優位論にさらに自信を深めた。 さらに アジアへの旅行の際には、 日本の航空戦力に対 しての過少評価を警告したが、 この中で彼は、 将来、 日本海軍による真珠湾攻撃の可能性を示 唆している。 しかし、 この頃の日本といえば、 第一次大戦後のフランスとイギリスから航空技 術団を招いて空軍のノウハウを学び、 陸海軍共 にようやく航空兵科を立ち上げようとしていた 時期だったから、 ミッチェルの洞察は予言的で すらある。 ● “空の守り”出版 いよいよ鼻息の荒くなったミッチェルは、 こ の年、 「Our Air Force (わが空軍)」 を執筆、 2010 MAR 55 三軍統合の国防省設置を主張した。 曰く、 空軍 の任務は制空であり、 航空戦は地上戦や海戦を 変える、 曰く、 大型戦艦は無用であり、 海軍は 潜水艦と航空母艦が中心になる、 曰く、 空軍を バックアップする民間航空開発の必要性、 つま り戦時のパイロット供給源であり、 航空機のメ カニック養成専門部隊の設立の必要を説いた。 しかし、 こうした一連のミッチェルの主張は、 あまりにも急進的で、 陸海軍統帥部を無能呼ば わりしたことから、 査問委員会に付された。 そ れでもミッチェルの鋭い批判は止むことがなく、 ついに1925年には大佐に降格、 軍法会議によっ て5年間の職務停止の判決を受けた。 この時、 判事の一人であったダグラス・マッカーサー将 軍は、 ミッチェルに無罪の票を投じている。 ミッチェルは1926年に除隊、 航空問題の啓蒙 活動に専念したが、 ここで大書 「Winged Defense (翼の守り)」 を出版した。 300ページに のぼる内容は、 民間航空や商業航空の開発にも ふれているが、 国防としての飛行機の重要性か ら、 空軍創設を力説している。 この本は、 翌年、 早くも 「空中国防論」 として日本兵学研究会が 翻訳し出版された。 国の平和を維持するための国防は空軍力が主 体であり、 将来は空軍、 陸軍の歩兵、 そして海 軍の潜水艦と空母でよいとし、 軍艦は無用と喝 破した。 そして、 早急に次のような政策を検討 することを主張している。 ● 陸海軍と協力して全航空問題を管掌すべき航 空省の設置 ● 航空政策大綱の確立 ● 軍部、 民間両者の航空組織を、 航空政策に応 じて適合する必要性 ● 適切な航空人材の養成と国家的航空企業の方 法を選択する必要性 ● 全航空事業に対し、 補充ないし補給の単一制 度を執る必要性 ● 全航空器材に対し、 単一の定期的点検制度を 制定する必要性 結局、 ミッチェルの航空戦略思想は、 旧弊に 56 2010 MAR 固執する陸海軍首脳の受け容れるところとなら ず、 大戦突入前後まで実現することはなかった。 しかし、 第二次大戦勃発後、 ほどなくして彼の 考えの正しさが証明された。 大戦中、 潜水艦、 とくに独のUボート (Unterseeboot) は猛威 をふるい、 空母は航空機の発進基地となり、 航 空機が彼我戦力の主役になっていった。 ミッチェ ルがようやく復権したのは戦後の1946年であり、 議会は彼に名誉勲章を授与したのである。 ● 日本軍部の用兵思想 さて、 日本の航空戦略を概観してみよう。 陸 軍がフランスから、 海軍はイギリスから航空関 すべ 係者を招き、 航空用兵の術 を伝授されたのが 1920年前後であった。 陸軍航空の基礎を築いた 井上幾太郎少将 (のち大将) は、 1918年には航 空兵科独立と航空兵団の設置、 航空学校などの 航空制度の設置を陸軍大臣に上申しており、 1921年には空軍設置の動きもみせたが、 海軍の 頑強な反対にあって潰れてしまった。 艦隊勤務 が主な仕事の海軍になじまないという理由から である。 しかし、 ここに鋭い先見性のある快男子・海 軍の中島知久平機関大尉がいた。 早くから飛行 機の時代がくることを予見した彼は、 ドゥーエ やミッチェルと同列に考えてもよい。 彼は海軍 の中枢にありながら、 大観巨砲主義に固執する 海軍指導部に見切りをつけて退役、 そして、 「飛行機は民間でやらなければ絶対に発展しな い」 という持論を実践、 中島飛行機の創始者と なったが、 こ れは次号で書 いてみたい。 第一次大戦 を対岸の出来 事のように眺 めていた日本 陸海軍が、 飛 行機を用兵思 想の中に組み 入れようとし 井上幾太郎胸像 たのは遅い。 第一次大戦では、 日英防共協定を結んでいた手 チンタオ 前、 ドイツ東洋艦隊の根拠地である青島へ出兵 し、 これと一戦を交えているが、 飛行機といえ ば、 時速100km 程度のモーリス・ファルマン 型数機が、 主に偵察用に使用されたにすぎなかっ た。 さらに大戦後は、 つかの間の平和を満喫して いたから、 飛行機の出る幕はなかった。 ようや く長い惰眠から醒めた陸海軍が、 武器としての 飛行機の重要性に目覚めたのは、 昭和10年前後 からだった。 しかし、 日清日露戦争を勝ち抜い た陸軍の歩兵中心の精神主義と、 海軍の大観巨 砲主義から脱することは容易ではなかった。 しかも陸海軍は、 伝統的に犬猿の仲だったか ら、 横断的な用兵の接点が皆無だった。 この非 能率な状況の中にあって、 前掲の井上幾太郎や 海軍の山本五十六らによる、 マイノリティの航 空戦力推進派の力によって、 日中戦争および太 平洋戦争前半までは、 航空戦力が縦横の活躍を みせるまでに開花したことは、 驚嘆に値する。 しかし、 資源の枯渇と貧弱な後方支援組織は如 何ともなしがたく、 後半戦の日本軍は、 完膚な きまでに米戦略空軍によって叩かれた。 太平洋戦争勃発直後の16年12月10日、 マレー 半島クアンタン沖合に停泊中の英東洋艦隊の不 沈戦艦 「プリンス・オブ・ウェールズ」 37,000t と重巡洋戦艦 「レパルス」 32,000t が、 日本海軍の96式中型陸上攻撃機 (俗に 「中攻」) と1式陸攻による5時間の猛攻によって撃沈さ れた。 これは、 戦後のチャーチルによる 「第二 次大戦回顧録」 によって、 「これ以上の衝撃を 受けたことはない」 と言わしめた、 欧米にとっ て想定外の大事件であった。 プリンス・オブ・ウェールズ ● 航空戦略の威力を実証 日本海軍による真珠湾攻撃以来、 終戦までの 太平洋戦争の主役は航空機であった。 珊瑚海々 戦、 ミッドウエイ海戦、 ソロモン海戦、 ガダル カナル島攻防戦、 18年に入ってラバウル航空戦、 さらに19年6月になって、 マリアナ沖海戦によっ て、 ついに日本海軍連合艦隊は壊滅した。 同じ頃、 中国の成都から B29 スーパーフォー トレス68機が出撃し、 初めて九州の八幡製鉄所 を爆撃した。 その後、 マリアナ諸島のサイパン、 テニアン、 グァムを占領した米軍は、 直ちに飛 行場を造成、 第21爆撃軍団を配備した。 日本本 土爆撃は目前に迫っていた。 主役の座は勿論 B29 であり、 戦略爆撃機の雄である。 1944年8月から終戦まで、 マリアナ諸島から 出撃した無数の B29 による大編隊は、 日本の 主要65都市を全焼させた。 64万トンの爆弾と 105万トンの焼夷弾が投下されたといわれる。 それでもドイツに投下された量の1/10でしか ない。 とくに45年3月9日から10日未明にかけ ての東京大空襲は、 延べ334機が飛来、 江東区 を中心に39万平方 km が焼夷弾爆撃の洗礼にあ い、 9万7,000人が死亡したのである。 そして 8月6日と9日、 B29 に搭載された原爆投下に よって、 広島と長崎が灰塵となり、 戦争終結の 幕が下ろされた。 そこにはミッチェルの理論を正当化する現実 があった。 参考文献:「戦略思想家事典」 片岡徹也 B29 爆撃機スーパーフォートレス 2010 MAR 57 GA:ジェネアビ情報 飛行とG 奥貫 航空機には、 飛行方向に垂直の上下に作用す る制限加重倍数の値 Nz が定められています。 この値は、 通称“G”と呼ばれることが多いの で、 本稿では“G”と記述させていただきます。 Gの値は航空機の運用限界事項として定めら れていて、 飛行中は限界内に維持しなければな らない値なのですが、 曲技飛行を行なう飛行機 は別として、 一般の民間機には、 Gメーター (加速度計) の装備がありません。 Gの限界値を超えると、 構造の変形あるいは 破壊が生じ、 最悪の場合は空中分解に至るほど の影響があることから、 運用限界として定めら れる程の重要な値なのに、 そのGの値を指示す る計器が無いことについては、 どのように考え たら良いのでしょう。 実際、 飛行中に、 乱気流、 あるいは異常姿勢 等で大きなGが作用したと思っても、 その値を 確認することは出来ません。 従って、 継続飛行 が安全か否かの確認は出来ないのです。 その昔、 積乱雲に伴う乱気流で、 主翼を変形 させて帰還した FA200 がありました。 制限加 重倍数6G、 終局加重倍数9Gに耐える主翼が 変形したのですから、 それを超えるGが作用し たわけです。 このような、 突然作用するGには、 例えGメーターを装備していても、 それが役に 立つような性質のものではないのです。 従って、 Gメーターの装備以前に、 不要なG の発生を回避するような飛行の要領を一般的な 知識として身につけることが重要となります。 では、 そのような“G”に関する話題を紹介 してみたいと思います。 58 2010 MAR 博 運用限界としての“G”制限の記述 最初に、 小型機のベストセラー C-172 の飛 行規程の運用限界における“G”制限の記述を 見てみましょう。 N類 (最大離陸重量2,450Lbs 時) ・フラップ上げ +3.8/−1.52 ・フラップ下げ +3.0 U類 (最大離陸重量2,100Lbs 時) ・フラップ上げ +4.4/−1.76 ・フラップ下げ +3.0 設計荷重倍数は上記の150%増し 次に、 複座練習用グライダーのベストセラー ASK-21 の飛行規程を見てみます。 ・VA において +6.5/−4.0 ・VNE において +5.3/−3.0 エアブレーキ展開時 +3.3/±0 これらのGの制限値は、 長い間の航空の歴史 を経て定められたものです。 飛行機とグライダー の値が大きく異なるのは、 グライダーの方が、 主翼の形態から、 大きなGが発生しやすい傾向 があること等によるものです。 実際、 このような大きなGの値は突風等の外 的要因、 又は、 科目の失敗による異常姿勢、 オー バースピード等の要因によって発生するもので す。 正常な操作では、 たとえ FA200 等で宙返 り等の基本的なフル・アクロバット飛行を実施 しても、 +3.5G程度ですから、 飛行機をきち んと飛ばしていれば、 Gの制限に抵触すること はありません。 Gの身体への影響 Gについてはその直接的な影響よりも、 不慣 れな感覚に対する心理的反応、 あるいは錯覚の 影響の方が問題のようです。 誰でも、 突然、 未 経験の事象に遭遇しますと、 その状況の認識と、 正しい判断に基づく実行は困難なのですが、 こ れがGの場合は、 不安感、 恐怖感が伴いますの で、 思わぬ異常行動に陥ることが多いのです。 良く知られている例では、 ゼロGを超え、 1G 未満の領域があります。 この領域は、 正しく対 処すれば心配は無いのですが、 突然この領域に なりますと、 1Gとの比較から、 「落ちる、 怖 い」、 といった認識に直結しやすいのです。 実際の事故例では、 グライダーのウインチ発 航における索切れへの対処があります。 大きな 機首上げ発航姿勢からの、 突然の索切れで、 G が抜けてしまうのですが、 冷静に失速からの対 処を行なえば問題は無いのに、 「失速! 墜落!」 といった意識が大きく働き、 思わず操縦桿を大 きく前方に押してしまい、 垂直に近い急降下に してしまうものです。 その結果は、 高速の急降 下姿勢で地面に激突というものですから、 悲惨 な結末になってしまいます。 グライダーの世界 では、 これを 「サブGセンセーション」 等と呼 んで、 警戒感を高めています。 その他、 Gに伴う様々な錯覚等が存在します が、 それらは、 人体の平衡認識のメカニズムに 起因するものが多いのです。 例として、 下の図 のAとBは、 視覚情報がなければ、 身体の感覚 は全くイコールですから、 識別はつきません。 地球の重力と運動によるG 図のCは、 60度バンクの水平旋回で、 2Gが かかっています。 厄介なのは、 バックプレッ シャー無しに、 Gがかかることもなく、 バンク のみが60度になってしまったBのケースで、 視 覚情報が得られない場合には、 身体には傾きの 認識が生じないのです。 そのような時に計器を 見ますと、 「水平飛行のはずなのに、 60度もバ ンクしている」、 となります。 機首方位は急に 変化し、 昇降計の指示は大きくマイナスを示し、 高度は急に下がり、 不安も伴って、 空間識失調 になりやすいのです。 その他にも、 加速減速等、 水平方向に作用するGに起因する錯覚等も存在 します。 さて、 Gの直接的な影響としては、 手が上が らない、 首が動かせない、 といったものから、 身体の血液がGで下半身の方へ行ってしまい、 視覚が喪失される。 ブラックアウト、 グレーア ウト、 更には失神に至るGロック現象まで、 様々 なものがあります。 通常の飛行でも、 45度バンク等の急旋回状態 で頭を動かすと、 異常感覚が発生し、 それが思 わぬ操縦操作につながることもありますので、 注意が必要です。 また、 Gの心身への影響は、 体調によっても 大きく変化します。 前夜の飲酒、 睡眠不足、 過 労、 空腹、 猛暑等、 心身の何らかのマイナス要 因は、 Gへの順応、 対応力、 抵抗力といった面 に、 大きな影響を及ぼします。 人体の平衡機能 をつかさどる三半規管は、 非常にデリケートな 存在ですので、 注意が必要なのです。 G体験飛行後のGメーターの指示 (+5.4/−1.6G) 2010 MAR 59 エアロバティックスの飛行領域とG さて、 Gのかかる飛行といえばエアロバティッ クスとなりますが、 次に、 速度とG (垂直加速 度 Nz) の関係を示す V-n 線図により、 エアロ バティックスの飛行領域を見てみましょう。 F:Eと同様なケースのアウトサイド系です。 垂直、 又は45°上昇の頂点近くのアウトサ イド系の前転、 横転、 その複合課目等に多 用します。 G:いわゆる、 微小Gの低速領域です。 急上昇 系の頂点での、 前転、 横転、 その複合等に 利用します。 この領域はまた、 異常姿勢からの回復にお いて、 失速を回避しながら、 機体の姿勢を 変える際に多用されます。 仮に Nz がゼロ であれば、 主翼は揚力発生の仕事から解放 されますから、 失速の概念は無いという訳 です。 一方、 プロペラ後流等で、 舵面に当 たる風があれば、 姿勢の変化は可能となる のです。 マイナスGの飛行を可能とさせる エンジン お な じ み の V-n 線 図 を 利 用 し て エ ア ロ バ ティックスの飛行領域とGの関係を解説してみ たいと思います。 A:インサイド (プラスG) 飛行系の、 垂直上 昇課目の開始、 又は、 降下ラインの課目終 了後等、 高速からの急激な引き起こしに多 用される領域で、 最大12Gにも及ぶことが あります。 フル操舵はできません。 B:アウトサイド (マイナスG) 飛行系の、 垂 直上昇課目の開始、 又は、 降下ラインの課 目終了後等、 高速からの急激な背面引き起 こしに利用される領域です。 C:インサイドの宙返り等の引起こしに常用さ れる領域です。 フル操舵も可能です。 AとCは、 Gの値が同じでも、 許容される 操舵量は異なるのです。 D:アウトサイド宙返り等の背面引起こしの常 用領域です。 フル操舵も可能です。 E:プラスGの最大揚力ラインを超え、 定常飛 行は出来ませんが、 垂直又は45°上昇の頂 点近くのインサイド系の前転、 横転、 その 複合課目等に多用する領域です。 60 2010 MAR エアロバティックスとGの話を述べてきまし たが、 通常の小型機では、 エンジンの潤滑等の 問題から、 そのままではマイナスGの飛行に耐 えることが出来ません。 現在の小型機用エンジンは、 ライカミング又 はコンチネンタル製の水平対向エンジンが主流 です。 これらのエンジンは、 クランクケース下 部のオイルサンプからポンプでオイルを吸い上 げてエンジン内部の潤滑ポイントに送る方式で すから、 マイナスGの状態では、 吸い上げるべ きオイルが得られないのです。 そこで考えられたのが、 背面飛行用のオイル システムです。 このシステムは、 エンジンの外 部に、 重力バルブとオイルセパレータを取り付 けることによって、 マイナスGでもオイルが途 切れることなく、 背面飛行等が可能になるよう にするものです。 国内では、 FA200 の3機に、 この背面飛行システム付のエンジンが装備され ています。 その他、 エアショー等で活躍中の Pitts や Extra 等の機体も、 全て、 この背面飛 行システム付のエンジンが装備されています。 次頁の図に、 その概要を示しておきましたが、 本来ならば、 エンジン下部のオイルサンプに重 力で下りてくるエンジンオイルが、 マイナスG では、 逆に、 エンジンの上部に行ってしまいま す。 従って、 オイルの吸い上げが不能になると 共に、 エンジンの最上部には、 機外に通ずるエ ンジンのブリーザー・ラインがあって、 そのま まではオイルは機外に流出してしまいます。 そこで、 マイナスG状態でエンジンの最上部 にたまったオイルを、 ブリーザー・ラインと重 力バルブを利用してオイルポンプで吸い上げ、 エンジン内部に送るのが、 この背面用オイルシ ステムです。 燃料噴射式のエンジン (IO-360 等) は、 背 面用オイルシステムを装備することによって、 マイナスG状態に耐えることが可能となります。 尚、 重力式キャブレター仕様のエンジンは、 キャ ブレター自体がマイナスG状態では作動しませ んから、 この背面飛行用オイルシステムを装備 しても、 マイナスGの飛行は出来ません。 水平対向エンジンの背面飛行用オイルシステム おわりに 飛行とGに関する話しを述べさせていただき ました。 単なる知識の部分、 あるいは注意を要 する点など、 以下のようにまとめました。 ・操縦の基本に従った慎重な飛行が重要 ・Gと視覚と体感の錯覚に注意 ・Gの錯覚への対処には事前の認識が必要 ・Gがかかっている時の操作は特に慎重に ・Gに耐えるには心身の鍛錬が必要 混乱するような言い方ですが、 「急な旋回中 には頭を動かさない」 あるいは、 「急旋回中は 積極的に頭を動かして、 見張り、 姿勢、 目標の 確認に努める」、 といった言い方は、 その目的 に応じて、 どちらも正しいのです。 計器飛行のようにデリケートで慎重な操縦が 必要な場合での旋回中は、 出来るだけ頭を動か さないことが正解ですし、 有視界飛行が中心な らば、 頭は動かすべきでしょう。 ましてや、 エ アロバティックス飛行では、 頭が自由に動かな ければ、 どうにもなりません。 さて、 冒頭に 「Gの値は運用限界として定め られるほどの重要なのに、 その値を指示する計 器が無いことについて、 どのように考えるべき か」 と書きましたが、 その答えは、 常日頃の飛 行は基本に従って、 油断無く慎重に、 となるの でしょう。 また、 積極的にGの感覚と大きさ、 及びその 影響を体験してみたい方は、 耐空類別A類でG メーターを装備した、 FA200 等の機体で、 慣 れた人に同乗飛行をお願いしてみるのが良いで しょう。 空の上では、 いつ何が起こるかわかったもの ではありませんから、 異常姿勢からの急激な加 速や、 そこから引き起こした時のGのかかり方、 N類機体の制限加重倍数3.8/−1.52の体験、 旋回中に頭を動かした時の影響、 ゼロG∼1G の間の微小G領域の飛行等々、 一度体験してお くのも悪くは無いと思います。 2010 MAR 61 我々パイロットは飛行機の Manual に従って運航しています。 しかし、 それ以外に先輩・同輩 に加え後輩からの 「技術の伝承」 で培われた部分が大きいのも否定できません。 一人前の刀鍛冶 になるのは、 少なくとも5年はかかります。 炎に照らされた鉄の色合いなどを見て判断する名工 の一挙一投足から、 技術を盗む 「技術の伝承」 で一人前になります。 この新企画は、 刀鍛冶とまではいきませんが、 「技術の伝承」 「技術の研究」 を目指す読者のサ ロンのコーナーです。 皆様からの 「技術に関する情報」 等々、 その他有益な投稿をお待ちします。 編集委員会 連載・飛行力学物語 その6 空飛ぶ翼、 全翼機の物語 JAXA 風洞技術開発センター 国産旅客機チーム客員 柴田 眞 飛行機にどうしても必要なもの、 それは主翼です。 垂直尾翼や水平尾翼は、 現代の航空技術をもっ てすれば、 無くても何とかなります。 ふつう乗客や貨物は胴体に収容しますが、 これとて、 うまく 主翼の中に収めてしまえば、 必ずしも必要ではありません。 しかしながら主翼、 すなわち揚力面は、 飛行機が大気中を飛ぶ以上、 必要不可欠なものです。 主翼だけの飛行機を作れば、 重量も軽く抵抗 の少ない機体ができる、 これが全翼機 Flying Wing の基本的な設計思想と思ってよいでしょう。 今回は、 個性豊かな全翼機の飛行力学を取り上げてみました。 ノースロップと全翼機 全翼機といえばノースロップ (John K. JackNorthrop, 1895∼1981) ですが、 彼の最初の無 尾翼機 N-1M が初飛行したのは1940年のことでした。 四十代半ば、 働き盛りの年代です。 そして 9年後の1949年の秋には、 現代の全翼機とほぼ同じ技術的基盤をもつ YB-49 が、 初飛行しました。 この YB-49 は、 図1に示すような8発の大型ジェット機です。 この機体の操縦系統は、 昇降舵と 補助翼をかねたエレボン (Elevon、 すなわち Elevator+Aileron) と、 外翼部の‘ラダー’から構 成されています。 このラダーは Split Drag Rudder などとも呼ばれ、 機構的には 「上面と下面が 分かれて独立に動く補助翼」 を想像してください。 すなわち右翼と左翼で抵抗の差を作り、 機体に ヨーイングモーメントを発生させるわけです。 このエレボンとスプリットラダーの組合せが、 全翼 機の操縦系統、 操舵面の特徴で、 現在の機体でも基本的には同じ構成になっています。 62 2010 MAR 図1 NORTHROP YB-49 YB-49 と安定増大事始め、 ヨーダンパー 図1をみると、 YB-49 には垂直尾翼が4枚もついています。 でもとても小さいので、 方向操縦 はスプリットラダーで可能としても方向安定はどうなるの、 すなわち動安定でいえばダッチロール は大丈夫かと誰でも心配になります。 それでダッチロール問題を解決するため、 この機体は、 1947 年の年末に初飛行したボーイング B-47 とともに、 安定増大装置 (SAS; Stability Augmentation System) を装備する草分け的存在となりました。 その頃まだよちよち歩きの制御技術で、 何とか ヨーダンパーを開発し、 スプリットラダーに組み込んだのです。 ここで実用化された技術が、 ボー イング707やダグラス DC-8 に受け継がれ、 初期のジェット旅客機を成立させました。 なお B-47 と YB-49 のヨーダンパー・アクチュエーターには、 レシプロ発動機 R3350 の排気タービン過給機に 用いられている waste gate servo が利用されました。 排気タービン過給機は、 自動車の高級化で ターボとして有名になりましたが、 R3350 では過給するだけでなく軸出力にも戻す形式のもので した。 究極のレシプロ発動機 R3350 は、 ダグラス DC-7C 旅客機やロッキード P2V-7 対潜哨戒機 のエンジンですから、 日本航空や海上自衛隊の OB にとっては、 いろいろ思い出のある忘れられな い名称だろうと思います。 全翼機、 ステルス技術との出合い さて YB-49 ですが、 なぜかレーダーに映りにくいことが、 飛行試験中にだんだんと知られてき ました。 当時はまだステルスの概念がはっきりしてなかった頃ですし、 ことがことだけに、 関係者 以外には伏せられていた事実だと思います。 そして30年ほどして、 全翼機 Flying Wing の形態と それまでに確立してきたステルス技術が出合って計画されたのが、 後に21機量産されることになる ノースロップの B-2 Spirit です。 時期的には東西冷戦の最終段階1980年代の話で、 1988年11月22 日の初号機のロールアウトをきっかけに、 その存在が公表されました。 ここで電波技術について言 及する余裕はありませんが、 図2で平行線の組合せで構成されている機体平面形を見てください。 このことが基本になって、 本機のレーダー反射面積はきわめて小さく、 「レーダーで見たら昆虫と 2010 MAR 63 図2 B-2 設計見直し 1983年頃 同じ」 と云われています。 もちろん冗談としての誇張でしょうけど。 突風荷重低減、 B-2 の大設計変更 ところで B-2 に対する運用要求は、 80年代の初めに、 「高空における高速」 から 「低空での高速」 へと、 劇的に変更されました。 「低空での高速」 は、 大気の乱れの大きいところを高い動圧で飛ぶ、 すなわち機体の設計が構造を中心に大幅に難しくなることを意味します。 図2に B-2 の設計見直 しによる機体平面形の変化を示しました。 構造設計が難しくなる原因が突風荷重ですので、 参考の ため、 図の右上に垂直突風による揚力変化の原理も示しておきます。 突風荷重を小さくするには、 根本的には揚力傾斜 (迎角による揚力係数増減の度合) をゆるくする必要があります。 アスペクト 比を小さくすれば、 揚力傾斜はゆるくなりますが、 本機の場合アスペクト比は性能から下限が決まっ 図3 64 2010 MAR B-2 の操舵面 てくる値なので、 それは不可能なことです。 それで突風荷重低減システムを装備して解決すること になりました。 これを実行しようとすると、 図3に示した機体中央部後縁の舵面 GLAS (Gust Load Alleviation Surface) だけでなく、 いろいろな舵面を組合わせて制御する必要があるので、 全舵面それぞれの効きが問題になります。 それで後縁の形が、 図2にみるように 「Vがふたつ」 か ら 「Wがふたつ」 になり、 舵面の数は合計10枚になりました。 このあたりの設計には、 空気力学、 構造弾性学、 制御工学の高度な組合せが必要です。 ひとつ例をあげれば当時、 計算空気力学の分野 で遷音速流れの解析が可能になっていたことが、 この機体の開発を可能にしたといえるかもしれま せん。 なおエンジン排気口の後方ですが、 この部分の後縁は固定ではなく2枚の舵面になっている という説もあります。 この場合、 B-2 の舵面の数は合計14枚になります。 輸送機、 旅客機の全翼機化 全翼機は構造設計からみて、 とても大きな特長があります。 乗客や貨物を翼内に搭載すれば、 そ れぞれの重量を、 その位置に発生する揚力で直接的に釣り合わせることができます。 ふつうの飛行 機では主翼付根に大きな曲げモーメントがかかりますが、 それを避けることができ、 合理的で軽量 な構造が成立するわけです。 このことは、 とくに重量物を運ぶ機体にとって有利なので、 まず大型 の貨物輸送機が構想されました。 これらの計画機は、 この特長の原理を示すスパンローダー (Span Loader) という名称で知られています。 もちろん旅客機でも全翼機にすれば、 同じように スパンローダー的特長を生かすことが可能です。 そして‘長距離輸送機にルネッサンスはあるか’ という課題のもと、 1980年代末から90年代にかけて NASA ラングレーが資金を出し、 当時のマク ダネルダグラス社のロングビーチの人達が中心になって BWB (Blended Wing Body) 機がまとめ られました。 機体の形態は B-2 などに比べると、 中央の胴体に相当するところが大きいのですが、 この部分にも揚力が働くので全翼機に分類することができます。 この BWB 機はその後も研究が継 続され、 今では未来型航空機の代表的なイメージになりました。 なお NASA では少し別の HWB (Hybrid Wing Body) という名称も用いて、 現在では、 より広い範囲の形態を研究の対象として います。 BWB 実験機 X-48B の飛行試験 革新的な形態の場合、 操縦性や安定性を調べるには、 実際に機体を作って飛ばしてみることが重 要です。 それで NASA では、 想定している450席級機の8.5%スケールの無人の実験機を、 まず開 発することになりました。 この実験機 X-48B を図4に示しますが、 この機体はスパン6.2m、 重量 240kg ほどで、 2007年の夏に初飛行しました。 この機体の操舵面は、 エレボン18枚とラダー2枚の 合計20枚もあります。 図を眺めていると、 ロール操縦能力は十分にあるものの、 縦の操縦能力はや や不足、 方向の操縦能力は決定的に不足、 と直感的に感じられます。 方向の操縦は、 スプリットラ ダーとウイングレットラダーの組合わせですが、 とくにウイングレットラダーと重心との距離が短 いことが気になります。 飛行試験の結果をみると、 どうやらこの直感は当っていたようで、 次の段 階の X-48C では操舵面が見直されることになりました。 2010年に飛ぶ予定の X-48C は、 さらに静 かな機体にするため、 機体中央部を後方に延長しエンジン排気音を遮蔽する形状とし、 それに合わ せて操舵面、 操縦系統の見直しも同時に実施されています。 このように段階を踏んで、 BWB 形態 の飛行性の研究が進行中ですが、 最終的な目標はもちろん、 この形態の革新的な旅客機を実現させ ることです。 ただ最初から450席級という大型機を作るのは、 技術的にも経済的にもリスクが大き 2010 MAR 65 図4 X-48B 平面形と操舵面 く、 現実的な計画はなかなか成立しません。 そのような事情から、 技術実証を目的とした150席程 度の試作旅客機の開発計画も、 可能性としては考えられるでしょう。 150席級といえばボーイング B737 やエアバス A320 の大きさで、 旅客機でいちばん数の多いクラスですから、 十分な技術試験 や実用的な運用試験を実施することが可能だろうと思われます。 おわりに 空港に行って飛行機を眺めていると、 ボーイングの機体もエアバスの機体も、 遠目ではなかなか 区別がつきません。 このことは、 現代の旅客機がきわめて成熟した工業製品であることを示します。 しかしながら、 変わった形の飛行機を作りたい、 乗ってみたい、 飛んでみたいという気持ちは、 飛 行機好きに共通する願望だろうと思います。 いつの日か、 革新的な形態の旅客機に乗りたいもので すが、 その有力候補のひとつが全翼機なので、 ここで話題として取り上げてみました。 なお余談に なりますが、 YB-49 やその原型となった XB-35 は、 アメリカでは珍しく全機廃棄されてしまった らしく、 残念ながら見た記憶がありません。 B-2 のほうは、 オハイオ州のデイトンにある空軍博物 館に展示されているので、 誰でも見ることができます。 ただあまり期待しないほうがいいでしょう。 かなり大型の機体を見上げることになるので、 エンジンの空気取入れ口や排気口付近は見えず、 「こいつは目視でもステルスだなあ」 という強い印象を与えられるだけですから。 今回参考にした 主な資料は次のとおりです。 1) 無尾翼の怪物ノースロップ XB-35、 東士郎太、 航空情報、 1974年10月号、 2001年に別冊 「21 世紀を翔ぶ」 に再録 2) Airplane Stability and Control, Malcolm J. Abzug and E. Eugene Larrabee, Cambridge Aerospace Series, 2002 3) Aviation Week & Space Technology, March 27,2006 4) B-2 Spirit in action, James Goodall, Aircraft Number 178, squadron/signal publications, 2002 66 2010 MAR 5) R.Liebeck, Design of the Blended-Wing-Body Subsonic Transport , AIAA-2002-0002, Wright Brothers Lecture, Reno 6) Dan D. Vicroy Blended-Wing-Body Low-Speed Flight Dynamics: Summary of Ground Tests and Sample Results (Invited), AIAA-2009-933, Orlando 以上 (H22.2.15記) 訂正とお詫び 先月号2010 No.1 Jan の当コラム記事 「プロペラ後流の物語」 (67ページ) の中で図4の掲 載図が違っていました。 正しくは下図のとおりです。 訂正してお詫び申し上げます。 編集委員会 図4 左旋左傾力と推力線右偏向 2010 MAR 67 Turbulence と航空力学 B767 機長 蔵岡 賢治 飛行機の運航に程度の差はあれ、 Turbulence はつきもので、 揺れない Flight は無い!と言って も過言ではありません。 その揺れに対し、 数え切れない程ある対応には Background に基づいた 操作が必要です。 千変万化する Weather の中、 我々Pilot も Background に基づき多くの対応をしなければなり ません。 Turbulence に対し、 Turbulence Penetration SPD にする のみの Operation も見られ ますが、 Operation の Background を航空力学から紐解く、 その ほんの一かけら になればと 思い書き起しました。 〈揺れの IIMAGE〉 図−① SPD や Autopilot の Mode と揺れに関し、 図−①、 車で考えれば理解が容易 になる。 SPD が速い時は、 凸凹で車体はドーンと跳上る。 跳上った後、 早く地面に戻 ろうとすれば、 地面へ落ちる角度は大きく着地の衝撃は大きい。 ゆっくり戻れば 角度は浅くなり衝撃は小さい。 車内の人は跳上る時に+G、 地面に戻る時に−G を受け、 G Control が大きいほど大きい。 SPD が遅いと地面の凸凹でゴトゴト するが跳上る事は無い。 CB (積乱雲) や強い CAT の Severe Turbulence を受けると機体はドーンと 跳上る。 Autopilot の Mode では、 Vertical SPD Mode 0fpm では跳上った 後でも 0fpm を守る。 しかし、 Severe Turbulence 以外の時、 Vertical SPD Mode では G Control が大きいので Rate 変化に対し、 元の Rate に戻る Pitch 変化は大きい。 Pitch 変化は Vertical SPD、 ALT HOLD、 VNAV PTH の順に 小さくなる。 これらを Image すれば対処が想像できる。 この図が端的に揺れと その対処の Image を表している。 68 2010 MAR Severe Turbulence に会う事は殆ど無いので、 Autopilot の Mode は G Control の小さい方が Pitch 変化が小さくて良いと思います。 Descent では、 Vertical SPD>FLCH>VNAV SPD の順に G Control が小さ くなるので SPD 変化に対し、 小さい G Control で Pitch 変化させる VNAVSPD が有利ですか? Vertical SPD は SPD Protection が無く、 Descent Rate を大 きい G Control で守り、 VNAV PTH は Pitch で Path を維持する、 何れも、 Pitch や SPD の変化が大きくなる場合もありますね。 Descent で Turbulence が 予想される時は、 Path Mode の Vertical SPD や VNAV PTH Mode はチョッ ト考えた方が良く、 その空域を通過する前に準備する必要がありますね。 〈航空力学から考える〉 飛行機の揺れには どれ位の“G”がかかったか? が問題となる。 それには、 揺れを引起す水平突風と垂直突風による Pitch 変化を語る必要がある。 水平飛行の 、 空気密度 、 速度 (TAS)、 翼面積 から、 揚力係数の を求めれば判る。 (B767-300はグラフ−①と表−①参照。) B767 300 Series の Weight 260Klbs、 Flap 0、 210kts= +80kts で求め てみよう。 Sea Level の空気密度 は0.002377、 210kts は354.43ft/sec、 翼面積 は3050ft2。 従って、 =260000×2÷{ 0.002377×(354.43)2×3050 }≒0.57、 となり、 Pitch はグラフ−①から4.8度となる。 Flap5 170kts の場合を計算し確認して欲しい。 揺れには、 その時の Weight の何倍の“G”がかかったか?が問われ、 設計重 量に対し制限荷重倍数2.5G や設計突風速度 が考慮される。 Pitch 角度は、 航空力学の水平飛行の式 グラフ−① CL/α (ALPHA) Body (B767-300 ) 表−① 高度(ft) 43000 40000 37000 36089 35000 30000 25000 20000 15000 10000 5000 0 密度() 0.000507 0.000585 0.000676 0.000706 0.000737 0.000889 0.001065 0.001266 0.001496 0.001755 0.002048 0.002377 2010 MAR 69 揺れがある空域を通過する場合、 次の5項目を参考にして欲しい。 ① 揺れに対処する Turbulence Penetration SPD 等にする。 ② Pitch 保持または変化を緩やかにする。 通過前に Pitch の値を掴んでおく。 ③ Thrust 保持または変化を小さくする。 通過前に Thrust の値を掴んでおく。 ④ 客室乗務員に揺れの状況や通過予想時間や持続時間等の情報を伝える。 ⑤ PA (機内放送) を行い Seat Belt Sign を点灯し、 乗客・乗員を座らせ Seat Belt を装着させる。 何れも揺れる空域を通過する前に準備する必要がありますね。 ①に関する SPD は B767で290kts/M.78と書かれています。 ②に関しては、 Pitch 変動をゆ るやかにする Autopilot の TURB Mode にも通じます。 ③に関しては急激な速 度変化に大きな Thrust 変化や Flame Out を防ぐ意味もあります。 揺れた時、 300kts 等から AOM (Aircraft Operating Manual) 記載の290kts に減らしま すが、 その意味は何ですか? 図−② 図−③ 飛行機は、 図−②、 V−n線図の内側で運航され、 Turbulence に関しては突 風包囲線図の内側で運航する事が望ましい。 それらを組合せたものが図−③で、 設計突風速度の も示される。 飛行機の許容最大強度は、 設計重量 (Design WT) で且つ最も荷重が大きくなる Sea Level の高度で計算される。 実際は、 そ れ以下の Weight で、 Sea Level 以上の高い高度で運航されるので許容範囲を守 る事ができる。 70 2010 MAR 飛行機の荷重倍数に関し、 図−②飛行機の運用範囲を示すV−n線図、 図−③ 設計突風66fps・50fps・25fps の突風包囲線図があり、 最大突風66fps に対応す る SPD が とされていますが、 計算が面倒で私たちの日頃の運航でも馴染み が薄い部分です。 揺れたら Turbulence Penetration SPD の290kts/M.78にしますが、 図−② V−n線図や図−③突風包囲線を組合せた図で荷重倍数と SPD の関連が判りか けてきました。 これらと実際の運航の繋がりは、 どの様になっているのでしょうか? 荷重倍数 :垂直突風 66fps グラフ−② :突風軽減係数 :Weight (lbs) :32.2 (ft/sec2) :空気密度 (lb.sec2/ft4) :平均翼弦 (B767 19.79ft) : / Body (radian) グラフ−① Flap Up 4.813 =4.813× (radian) 図−④ 水平突風 Pitching 垂直突風 Pitching 2010 MAR 71 AOM からV−n線図の一部、 図−③の楕円部分を描いてみよう。 B767-300PW の は 300kts = な の で 、 = ≒ 190kts ≒ 200kts Vs1g、 この SPD に相当する設計重量は420Klbs だが300PW の最大離陸 重量は335Klbs。 この違いは、 翼の強度は Weight 420Klbs に対応できるが、 離陸推力が小さい ので最大離陸重量が制限されている。 事実、 300PW と同じ翼形の300ER は が300kts で、 離陸推力が大きいので最大離陸重量は420Klbs の制限内の401Klbs となっている。 設計重量420Klbs に対応した Sea Level のV−n線図はグラフ−②になる。 そのV−n線図に設計最大突風 66fps の線を描き、 その交点の SPD が です ね。 最大突風 66fps は、 水平突風にすると 39kts、 垂直突風にすると Vertical SPD 3900fpm の増減となり、 その Lift 増減で、 図−④数式で荷重倍数 を計算すれ ば良い訳ですね。 水平突風の荷重倍数は 垂直突風の荷重倍数は にまとめられますね。 垂直突風66fps を受けた時、 揚力増加と考え、 その は、 66fps÷SPD fps (radian) の αBody 変化で Pitch1度=0.0017453 radian から得られる。 (参 照 グラフ−①) 但し、 垂直突風の増加は突然且つ全機に作用しないので突風軽減係数が考慮さ れる。 B767 Weight 420Klbs で計算すると0.88倍となる。 結果、 Pitch 変化は水平突 風より垂直突風が大きく、 V−n線に書くとグラフ−②となり、 その交点 は 277kts となる。 つまり、 290kts は、 より大きく突風包囲線図の外側、 ほぼ と の中間 になる。 かって、 DC8の Turbulence Penetration SPD は であったが、 最近の Jet 旅客機は Stall・Controllability・荷重倍数を考慮し、 よりやや大きい SPD を採用している。 しかし、 設計重量より軽い Weight では対応できる荷重倍数は 大きくなるが、 は更に小さくなる。 つまり、 同じ垂直突風でも“G”は大き くなるので、“G”を小さくする、 つまり、 揺れを小さくするには SPD も小さ くしなければならない。 72 2010 MAR グラフ−②のV−n線図を見てもそれが判ります。 例えば突風荷重66fps で、 420Klbs、 の280kts では2.1G、 300kts では2.2G。 軽い WT の300Klbs ではその 差も大きくなり、 SPD 増加と共に“G”も大きくなるので290kts は Max と考 えた方が良いですね。 Turbulence Penetration SPD は Turbulence 空域を早く 通過する意味もあり、 290kts やGがやや小さく に近い280kts、 など状況に応 じた SPD を考える、 ですか? Turbulence Penetration SPD は Turbulence の空域を通過する以前に安定さ せる事が重要だが、 290kts に拘るばかりに、 揺れてから或いは頻繁に SPD を変 え Pitch 変化を助長する例など、 Turbulence Penetration SPD の意味を理解し ていない例もある。 基本は、 例え300kts などの速い SPD で揺れに遭遇しても 何もしない! で あり、 一旦揺れが治まったら290kts などに減速し、 次の揺れに備える。 そして、 強い揺れの空域では、 Thrust の大きな変化は ENG Flame Out の恐れもあるの で、 Auto Throttle を外し一定 Thrust で通過する事も考慮して欲しい。 揺れる空域での Autopilot の Mode はどうしたら良いのでしょうか?過去の 機種は、 Pitch 変化を緩やかにする TURB Mode 等が装備されていた、 と聞き ましたが B767などの新しい機種ではついていません。 図−①、 地面にゆっくり 戻る Pitch 変化を緩やかにするAutopilot の Mode を考える、 ですね? B767の Autopilot での“G”Control は、 VNAV<FLCH<Vertical SPD の Mode 順に大きく、 Vertical SPD Mode には SPD Protection が無い。“G” Control が大きい Vertical SPD Mode の、 例えば2000fpm の降下で、 強い Tail Wind 減少や Head Wind 増加の水平突風で SPD が増え、 揚力増加に伴う Descent Rate 減少に対し、 素早く Pitch Down して更に SPD が増え、 垂直突風に 対する“G”も増える。 これと同じ事が Path 優先の Mode の VNAV PTH の 降下にも言える。 VNAV PTH Mode で Tail Wind 減少で急激に SPD が増加し た経験をした人もいるだろう。 その時ゆれにあったら?を考えれば容易に想像が つく。 強い揺れの空域で、 Vertical SPD や VNAV PTH の Path を守る Mode では、 垂直突風に加え SPD 変化による水平突風も受ける、 恐れがある。 2010 MAR 73 そ れ で は SPD Mode の FLCH や VNAV SPD で は ど う だ ろ う ? “ G ” Control は、 VNAV SPD の方が小さく Pitch 変化も緩やかになる。 これらの SPD Mode では、 水平突風や垂直突風でも SPD を維持する。 これらの突風を受 けた時、 突風軽減係数でも判る様に Pitch は突然に変化せず緩やかに起こり、 SPD 変化も小さく、 基本の 何もしない! に通じ、 感覚的に多少揺れが小さ いと感じた事もあった。 従って、 SPD Mode で暫く様子を見ても良い。 それでも揺れを我慢できなけ れば、 SPD Mode で SPD Brake で降下し、 揺れの空域を早く通過する。 上昇降下では、 風・温度・雲の通過など、 状況が変化するので要注意ですね。 話は変わりますが、 機種によって揺れ具合が異なる、 と聞きました。 例えば、 大型機種の B747-400より小さい B767が揺れ易い、 と揺れの情報を見る際もそれ を気にする Pilot もいます。 本当に機種によって揺れ具合が異なるのですか? 多分、 揚力と荷重倍数の関係ではないか?と思うのですが。 それらをまとめると、 グラフ―②の右の数式となるが、 実際の機種で、 例えば、 図−⑤、 グライダーと Jet 戦闘機の形状から考えた方が Image でき比較が容易 になる。 Engine が無いグライダーは、 より上昇気流を掴み易くし、 より高くより遠く 飛ぶ事を飛行目的とし、 ① 主翼の縦横比 (Aspect Ratio) が大きい。 ② 後退角が小さい。 ③ 機体の重量に比して翼面積が大きい。 つまり翼面荷重が小さい。 ④ SPD が Jet 戦闘機に比して遅い。 何れも上昇気流や垂直突風を受け易い。 これと比較し、 戦闘装備で重くなる Jet 戦闘機はグライダーとは逆で、 揺れで照準が定まらなかったり戦闘できなけ れば意味が無い。 これらと、 表−②、 自分の搭乗機種を比較し考えてみたらどう だろう? 図−⑤ 表−② 機 種 B737-400 B767-300 B777-200 B747-400 主翼面積 980ft2 3050ft2 4907ft2 5500ft2 主翼横幅 94ft 8in 156ft 1in 199ft 11in 211ft 5in 平均翼弦 11.21ft 19.79ft 23.21ft 27.32ft 翼縦横比 9.16 7.88 8.69 6.96 翼後退角 25度 31.5度 31.64度 39.5度 74 2010 MAR これまでの説明で揺れる空域の通過方法等の Background が判ってきました。 FMC を利用する場合、 Climb Page や Descent Page に に近い280kts や 290kts、 M.78等を Input すると良いですね。 IAS/Mach SPD の切替りは FL300 付近で起こるので、 FL300以下が揺れる場合、 揺れても290kts を超えず、 感じ る“G”が小さい280/M.80、 FL300以上が揺れる場合は300/M.78等々を Input する、 ですか!あとは頻繁に SPD を変える必要もなく、 Pitch や SPD の変化、 風・温度を Monitor し今後を予測すれば良い、 ですね! 過去、 乗客や乗員が負傷した事故は、 殆どが CB (積乱雲) と CAT によるも のだ。 最初にあげた Turbulence に対する対策は遭遇する前に行うものが殆どで、 遭遇を防ぐ或いは予見する為には、 気象解析や Weather Radar が欠かせない。 しかし、 揺れの情報のみを気にし、 目の前にある風・気温・雲等々の気象を解 析せず、 揺れの理由を考えない傾向がないだろうか? 揺れて慌てて SPD Bug に飛びつき Turbulence Penetration SPD にする、 或いは、 揺れた! 揺れない! に対し、 頻繁に SPD を変える形骸化した Background が乏しい単なるポーズと 思える Operation は慎んだ方が良い、 と思う。 Turbulence には、 予め SPD を FMC 等に設定し、 Turbulence に対する Autopilot の Mode を考えておく、 等々 が必要だ。 かって、 CRZ で、 強い揺れが予想される空域を、 前述5項目を行った後、 Autopilot と Auto throttle を外し、 Manual で Pitch を主に飛んだ事もある。 最近、 形式に囚われた Operation が多くなってきた、 と感じるのは杞憂だろ うか? 〈最後に〉 Turbulence による乗員乗客の負傷事故は今まで幾度となく繰り返され、 その負傷事故を“0 (zero)”にする事は、 気象予報が100%でない現在不可能な事です。 しかしながら、 その予防策で 少なからず減少させる事は現在でも可能でしょう。 その為には、 先ず最初に気象解析や揺れの情報 が不可欠です。 しかし、 揺れの情報に対して、 気象解析が無く、 情報に振り回される Operation では何時まで も負傷事故は防ぎ得ません。 揺れの情報があっても 上空で気象解析 しなければ情報は役立ちま せん。 そして、 その対処には航空力学と言う Background が、 揺れのみならず如何なる Operation でも、 必要です。 Operation を航空力学からも考える! そして、 この稿がその発端になれば幸 いです。 2010 MAR 75 GA 部会活動報告 FAI 方式着陸競技の試行 (第3回) 奥貫 FAI 方式着陸競技の第3回の試行が、 昨年 12月6日に枕崎空港で実施されました。 上の写真は優勝した三好さんの着陸です。 左 からの横風で白いマーキングのターゲットの前 方約7m に左車輪が接地しています。 前回は前後幅2m のターゲットを、 2機が ゲットしたのですが、 今回は風の条件が難しく パーフェクトは成りませんでした。 しかし、 風 向風速の変化が大きい悪条件の中、 懸命に着陸 目標を狙い、 大変な激戦となりました。 この頑 張りは技量向上につながるもので、 今回も非常 に有意義な大会となりました。 着陸競技の内容は、 以下のものです。 ①パワーを使用したノーマル着陸 ②パワーアイドルによる滑空着陸 着陸精度競技の飛行パターン (高度は対地高度) 76 2010 MAR 博 競技の採点 接地点の目標は下図の52m×12mのものです。 その中が前後5∼10mの幅に区切られ、 それぞ れにペナルティ点数が設定されています。 この目標は進入中の機体からは非常に小さく 見えます。 その中の前後幅2m を狙うのです から、 容易ではありません。 着陸区域と接地位置のペナルティ 着陸競技の準備 着陸競技は、 九州南端の枕崎飛行場で実施し ました。 滑走路は800m×幅25m、 方向は18/36、 標高は171Ft です。 枕崎空港は市が管理する公共飛行場ですが、 防災ヘリコプターの運用のみで、 定期便等の運 航はありませんので、 今回のような着陸競技の 実施が可能となるものです。 競技用滑走路には着陸区域のマーキングが必 要です。 気象データから風を判断して滑走路を 決め、 寸法を測り、 白いテープで、 マーキング をします。 ペナルティ・ゼロのターゲットは、 進入中に良く見えるよう、 前後幅2m の白い 帯にしておきます。 マーキングが完了したら、 各ペナルティ・エリアの滑走路脇に接地位置の 判定員を配置します。 ペナルティ・ゼロの基準 位置の横には審査委員長が陣取ります。 FAI の公式競技会の場合は2台のビデオカ メラを用意し、 競技機のタイヤには、 接地の瞬 間をタイヤの回り始めの位置として写真判定す るための白色の十字のマーキングを施します。 各機体の着陸の都度、 風向は飛行場の吹流を 参照して判断し、 風速は、 滑走路脇の、 高さ2 m の位置で判断します。 このような着陸競技実施のための環境は、 日 本でも少ないため、 快く利用させていただけた ことには、 毎回感謝をしています。 接地目標のマーキングが完了した滑走路 ターゲットのわずか先に接地した競技機 競技の実施 競技は2名のパイロットの互乗で行います。 これは外部の見張り、 危険の助言、 機内での不 適切な操作や違反行為の監視のためのものです。 競技に熱中のあまり、 安全上の注意の不足や無 理等があってはならないのです。 また、 自家用操縦士の技量維持の指針とされ る 「操縦する日から遡って180日以内に3回以 上の離着陸経験」 を、 この競技会への参加で充 足することも可能です。 主催の Super Wings の教育証明書所有者がセーフティ・パイロット となって、 安全に離着陸の経験を積むことがで きますので、 飛行環境が得られない方にも、 参 加をお勧めしたいと思います。 さて、 毎回繰り返して言うのですが、 この競 技で良い得点を得ることは、 飛行機をどのよう な場面でも、 狙った場所に接地させることが出 来ることを意味するものです。 単発機は、 上空 でエンジンが故障した場合、 滑空で安全な場所 に着陸させるしかないのですから、 常に狙った 場所に着陸させることの出来る技量を身に付け ていることは、 極めて重要なことです。 この競 技の着陸区域は、 前後幅52mと小さく、 滑空着 陸、 ノーマル着陸とも、 勝つことは容易ではあ りませんが、 競技には、 安全上の大きな意義が あります。 そちらの方が重要ですので、 より多 くの方に、 この競技への参加をお勧めしたいと 思います。 2010 MAR 77 Super Wings FAI 方式試行 着陸競技結果 実施日時 H21.12.5-6 実施場所 枕崎空港 滑走路 36 視程 10Km 以上 QNH 30.14in-Hg 風向 290-360° 風速 4-10Kt 横風条件 非該当 降水等 なし 参加人数 8人 順 位 1 2 3 4 5 6 7 8 氏 名 三好 恒紀 高見 厚徳 鐘尾みや子 高崎 克也 荒牧 和弘 原田 茂 峯崎 達也 上村雄二郎 機 体 FA-200 FA-200 FA-200 FA-200 FA-200 FA-200 C-172 FA-200 通常 着陸 60 10 20 200 200 60 60 200 ペナルティ 360度 その他 滑空着陸 20 200 200 40 60 200 200 100 200 合計 特記事項 80 210 220 240 260 260 360 400 着陸区域外 (*−40m) 着陸区域外 (*+200m) 着陸区域外 (*−2m) 着陸区域外 (*+5m) 着陸区域外 (*−50m) GA+操作ペナルティ100 着陸区域外 (*−15m/−5m) GA:Go Around 備考: 1. ノーマル着陸競技は FAI ジェネラルアビエーション・ラリー 飛行競技の、 着陸テストの要領と採点基準で実施した。 2. 360°滑空着陸競技は、 独自の要領を使用し、 採点のみ、 FAI ラリー飛行競技の、 着陸テストの方式で実施した。 3. 危険操作、 不正操作等監視のため、 競技は、 セーフティ・パ イロット同乗にて実施した。 4. 接地位置の判定は、 滑走路横に配置した判定員の目視で実施 した。 5. 審査委員長と補助者が、 危険を伴う無理な着陸操作と判断し た場合は、 異常な着陸としての最大150までのペナルティを 適用した。 6. 競技は安全かつ円滑に実施されたが、 突風状の横風が次第に 強くなったため、 午前中のみで競技打切りとした。 7. 採点においては、 バウンシングの後、 良い位置に再接地した 場合、 及び、 良い位置に接地した後、 バウンシングでペナル ティ点の大きいエリア外に再接地した場合は、 ペナルティの 異なるエリアにまたがる着陸として、 大きい方のペナルティ 着陸区域と接地位置のペナルティ を適用した。 8. 同点の場合は、 枠からの逸脱距離が近い方を上位とした。 * 審査及び記録 78 2010 MAR H21.12.6 競技委員長 奥貫 博 FA200 エアロバティックス飛行競技会・結果報告 IAC エアロバティックス競技採点方式試行 着 陸 競 技 の 後 に 、 FA200 に よ る エ ア ロ バ ティックス飛行競技会が IAC (International Aerobatic Club) の採点方式試行にて実施さ れました。 課目は下図のもので、 エアロバティッ クスの基本となる以下の要素を含む構成のもの です。 ・ループ (宙返り)、 1/2ループ ・ロール (横転)、 1/2ロール ・スピン (きりもみ) ・垂直ライン (上昇・降下) ・45度ライン また、 以下の点が考慮されています。 ・背面飛行装置の無い機体での実施 ・2000Ft 以内の高度ロスでの実施 ・前後1Km の範囲内での実施 今回は特に、 前日に、 FAI ジャッジの資格 を持つ鐘尾さんが採点の細部と飛行上の注意事 項を詳細にブリーフィングし、 より充実した形 での実行が図られました。 採点は、 前回同様 IAC のスコアシートを使 用して、 正式な方法で実施しました。 優勝者の荒牧さんとジャッジの鐘尾さん 結果は、 昨年優勝の荒牧さんが、 今回も全て の演技をきちんとまとめ、 優勝を飾りました。 2位の高崎さん、 3位の三好さんも、 いずれ も良い演技で、 得点に殆ど差はありません。 姿 勢、 角度、 方向、 軌跡等の僅かな差が勝敗を分 けることになりました。 尚、 反省や課題が無かった訳ではありません。 FA200 のようにパワーが少なく、 ロール率が 低い機体は、 課目実施中にエネルギーを失いや すいのですが、 課目実施前の本来であれば水平 飛行のところを、 僅かな降下として速度を上げ、 エネルギーを補充した結果、 その後の課目の出 来が良かった場合、 どのような減点にするかと いったところです。 次回までにはこの問題を解 決しておく必要があります。 IAC の採点方式の試行で行われた FA200 の エアロバティックス競技会は、 今回も無事に終 了しました。 ジャッジの鐘尾さん、 ありがとう ございました。 順位 1 2 3 4 FA200 エアロバティックス競技課目 選手 荒牧 和弘 高崎 克也 三好 恒紀 原田 茂 得点 627.0 598.5 592.8 552.0 %率 72.9 69.6 69.0 64.2 FA200 エアロバティックス競技の結果 2010 MAR 79 第5回 アメリカの GA 航空事情 「飛行訓練および操縦資格取得要領」 ジェネラルアビエーションの活性と技量維持 エアーアコード・フライングスクール校長 最終稿は、 今までお伝えしてきた内容の総括 として、 フライトの技量維持について、 FAR (航空法) を参照にしながらお伝えします。 学ぶための免許 小型機も航空輸送の一つと数えられ、 航法も 有 視 界 方 式 (VFR) お よ び 計 器 飛 行 方 式 (IFR) の両方に対応している。 空港および地 上援助施設は昼夜を問わず利用することができ る。 そして、 それ等を有効活用するには、 利用 者の増大が GA 活性化の要である事はいうま でもない。 したがって FAA (連邦航空局) が 関係する総ての分野は、 ホームページに掲載さ れている。 操縦資格と証明書 (Licenses & Certificate) の欄では、 操縦資格を取得し易くす るために、 択一式設問が採用され、 すべての資 格に対する明確な基準が www.faa.gov に公示 されている。 FAR・Part61 はパイロット資格 について、 Part91 は飛行規制について規定さ れている。 自 家 用 操 縦 士 証 明 書 (PRIVATE PILOT 脇田 祐三 CERTIFICATE) を取得すると、 技能証明に 付与された資格 (業務範囲)、 自家用操縦士の 場合は Part 61-113 の規定によって、 機長とし て同乗者を乗せ運航する事が可能で、 Part91-3 には、 冒頭に 運航の最終責任および権能は機 長にある と、 明記されている。 同時に祝辞的 な意味で、 「License to learn」 と証明書に銘記 されるのはアメリカならでは、 である。 つまり、 飛行資格を取得したのち、 PIC としての機長経 験を積み、 経験によって学ぶことを示唆した、 「学ぶための免許」 を手にした事を意味してい る。 その背景は 「Exercising the Privileges of the certificate」 であり、 トレーニングを重ね て取得した操縦資格である。 誰もが単独飛行の 緊張感や訓練モードから解き放たれ、 機長とし て、 初めてノンパイロットを搭乗させて飛ぶこ とができる。 しかしながら、 初フライトから帰 港したときの彼らの表情は、 例外なくたいへん 緊張している。 予期せぬタービュランスや離着 陸時の横風はパイロットにストレスと緊張を与 え、 同乗者への綿密なプリフライト・ブリーフィ ングを怠れば、 狭いスペースの小型機ではフラ イトへの大きな妨げとなる。 搭乗者のリアクショ ンも気になれば、 色々な質問をパイロットへ投 げかけてくるのも決まって ATC との交信中で、 返答もままならない。 さらに危険な状態が発生 した時に、 地上の人達の不安を考えると、 機長 責任の大きさを実感することになる。 運航中の落とし穴 実地試験合格 (License to learn) のセレモニー 80 2010 MAR リスクマネージメントとして学ぶ項目の一つ であるが、 パイロットが陥りやすい罠を挙げて いる。 プラン通りにフライトを敢行する危険。 搭乗者に妥協する危険。 スケジュール通りに事を運ぶ危険。 この三つへの固執が、 時にはパイロットの技 量と経験をはるかに超えたところへ嵌っていく 危険な罠になることがある。 飛行経験をいろい ろな形で積んでくると、 新米機長のときに経験 した緊張は、 要領を得て和らいでいくが、 怖さ を忘れて油断すると危険信号になる。 事故につながった当地での事例の一つをご紹 介しよう。 ある経験の浅い新米機長が、 「レイ ク・タホへスキーに行こう、 飛行機なら2時間 で行ける」 と、 自慢げに友達を誘った。 3,000 メートル級の山々に囲まれたシエラネバダ山脈 の頂にある湖は、 ホテルや別荘が建ちならび、 サマーおよびウインタースポーツで賑わう有名 なリゾート地で、 湖の南端にある海抜6,264フィー トの台地には、 8,500フィートの滑走路を有す るサウスレイクタホ空港がある。 サンノゼ空港 から北北東へ直線距離で僅か150マイルに位置 するが、 車ではハイウエイを突っ走っても約5 時間はかかる。 4人乗りであり、 日帰りスキーを予定して仲 間3名を誘った。 出発当日早朝、 夜も明けきら ない空港を4名を乗せたパイパー・アーチャー (PA28-181) は出発した。 離陸にさいしパイロッ トは、 機体の重量制限からスキー用具は積んで シエラネバダ山脈 行かないことにした。 この時点での新米機長の 判断は正しい。 天候に恵まれた日に、 このルー トを初体験した者は、 エンルートの素晴らしい 景観に感動するのが常である。 3人の乗客は、 しばし下界に連なる山系の美しさを堪能するこ とができた。 しかし、 冬場でもカリフォルニア の日中の天候は不安定で、 山頂付近まで気温が 上昇し、 十分な水分を山頂の雪と湖から吸い上 げ、 日が陰ると気温は急速に下がり、 山岳部特 有の悪天候が待ち受けている。 サウスレイクタホ空港に到着した4人は、 ス キーはできなかったが、 それでも結構、 リゾー ト地を愉しんだ。 そのうち彼らは、 帰路につく 予定時間をはるかにオーバーしてしまい、 強引 に機長を説き伏せて飛行機に乗った。 新米機長 はエンルートでの天候の悪化を知っていたが、 3人の強引な帰宅モードに屈してしまったのだ。 悪天の中の飛行を強行したために、 4名が搭乗 したパイパー・アーチャーは、 空港の5マイル 南西、 海抜8,500フィート付近、 山の傾斜部へ 上空から急降下した形で激突した。 「破損状態 と天候から、 ウイング・アイシングが起因した 事故」 と報告された。 フライトレビューと最近の飛行経験 先 に も お 伝 え し た よ う に 、 2007 年 度 は 147,600機もの単発ピストン機が飛行し、 自家 用機が大半を占めたが、 そのパイロットの目的 や、 バックグランドは様々である。 資格取得後、 頻繁に飛び回る者ばかりではない。 年間を通し て数える程しか利用できない有資格者もいる。 従って操縦技量を維持させるためには、 その頻 度ないし経験が必要なことは当然であり、 安全 に関わる重要な要因になっている。 アメリカで は技量維持を目的として、 FAR・Part61 の中 に 「61-56 Flight Review, 61-57 Recent Flight Experience Requirement」 つまり、 フライト レビュー、 最近の飛行経験の2項目が求められ ている。 先ず61-56のフライトレビューについて説明 する。 レビューは少なくても最低1時間のフラ イトと1時間の座学が求められており、 機長と 2010 MAR 81 して運航する日から遡って24ヶ月以内に、 パイ ロットが所持している、 操縦資格に付帯されて いる航空機の種類 (カテゴリー&クラス) の中 から一つを選んで完了していなければならない。 資格を重複取得していても、 何れかでレビュー を完了すれば、 他のカテゴリークラスにも適用 できる。 したがって、 完了していなければ、 機 長として運航をしてはいけない。 レビューを24 ヶ月毎としない理由は、 長期間操縦から遠ざかっ ているパイロットも存在し、 後に述べるが最近の 飛行経験事項を見てみると合理性に適っている。 また、 完了を証明するログブックへの修了書 が必要で、 レビューを実施した教官によってサ インされなければならない。 但し、 レビューを完了せずに 「機長運航」 が できる例外として、 新たに他の資格、 証明、 限定を同じ期間内 (24ヶ月) に取得した場合。 もしくは、 それ と同等のプロフィシエンシー・チェックを完 了した場合。 (チーフパイロット等に従事す る者へ、 FAA から12ヶ月毎に求められてい るチェック・フライトを指す) FAA がスポンサーとなった 「セーフティー アワードプログラム」 を同じ期間内 (24ヶ月 以内) に受講した場合。 このプログラムはフェー ズ1∼10まであり、 毎年1フェーズ毎の更新 が可能で、 安全講習会を受講し、 最低3時間 のフライト・トレーニング (マニューバー、 離着陸、 計器飛行を各1時間) が課せられて いる。 フェーズ毎に FAA から賞状とウイン グピンが贈られる。 有効期限24ヶ月の教育証明を更新した場合、 FAR・ Part91 の座学は免除される。 以上、 三通りのケースがフライトレビューに 代替することができる。 補足すると、 フライト レビューは機長運航するパイロットに求められ ており、 機長として運航しないパイロットは、 他の機長 (教育証明保持者が妥当) の同乗を求 め、 その機長の判断によって航空機を操縦する 事が可能である。 また、 操縦資格は、 一旦取得 82 2010 MAR すると資格の更新期限は無く、 資格を行使する 行為とは別に捉えなければならない。 私は仕事 柄、 何十年も操縦から遠ざかったパイロットの レビューを受け持つ機会がよくある。 こんな場 合、 航空法の改訂箇所をフォローする事は勿論 であるが、 レビューの完了は操縦資格に求めら れているプラクティカル・スタンダードに達し たかどうかであり、 見極めはレビューを実施す る教官の責任である。 「機長時間」 と 「機長時間と見做す」 場合との相異 「最近の飛行経験」 を説明する前に、 「機長 としての運航」 (Act as Pilot in Command) と 「機長時間と見做す」 (Logging Pilot in Command Time) 場合の違いを説明する。 機長と しての運航とは操縦そのものであり、 必要な資 格とフライトレビューを含む必要事項を維持し ていなければならない。 ログブックの取り扱い と記載への詳細はここでは省略するが、 1990年 初期の改訂以降、 機長時間と見做す場合は、 F AR・ 61-51- (e) より、 A sport, recreational, private or commercial pilot may log pilot-in-command time only for that flight time during which that person- ( ) Is the sole manipulator of the controls of an aircraft for which the pilot is rated or has privileges; () Is the sole occupant of the aircraft; とあり、 パイロットが取得している技能証明 (カテゴリー&クラス) の航空機を操縦した時 間、 および如何なる航空機でも単独飛行した時 間がログブックへの機長時間である。 先に述べ たレビューを受けている飛行時間、 他の機長に 同乗を依頼したフライトであっても、 自家用操 縦資格を取得後に、 事業用や計器飛行証明取得 に向けた同乗訓練フライトで、 他のパイロット からの操縦の支援を受けることなく、 操縦資格 に付帯するカテゴリー&クラスの航空機を操縦 した時間は機長時間としてログインできる。 つ まり、 操縦資格取得に求められている AERONAUTICAL EXPERIENCE (飛行経験) とし ての機長時間を認めている。 AOPA が長期にわたって FAA へ要請して いた事項で、 資格取得への刺激にもなる意味で、 改訂された。 最近の飛行経験要項 が運航規定であり、 これを前提として、 法に準 拠した 「自由と平等」 が尊重されている。 最後に、 一昨年夏アメリカに端を発した金融 破綻は世界的規模で経済の低迷を引き起こし、 新たな荒波が航空産業の隅々まで波及し、 未曾 有の不況に GA も惨憺たる状況ですが、 そも これは搭乗者を乗せて機長として運航する際 に求められた飛行経験であり、 この規定も搭乗 者を乗せて機長として運航しようとする日から 遡って、 90日間に3回の離着陸を同じカテゴリー およびクラスを使って経験していなければなら ない。 夜間飛行を行う場合も、 さかのぼって90 日間に、 夜間での3回の離着陸 (タッチアンド ゴーは不可) を、 同じカテゴリーとクラスを使っ て経験していなければならない。 この場合の夜 間とは日没1時間後∼日出1時間前と定められ ている。 補足すると、 夜間経験を持っていない 場合、 搭乗者を乗せた機長としての運航は日没 1時間後までに運航を終了していなければなら ない。 以上、 二つの規定が技量維持に大きく寄与し ている事はいうまでもないが、 規定を厳守すれ ば安全が保証される訳ではない。 使用事業会社 に帰属し、 事業用パイロットとして従事してい る場合は運航規定に従って運航するが、 自家用 操縦資格者が大半を占める GA では、 高いモ ラルが必要である。 したがってパイロット自身 そも経済の発展は技術の進歩なくして成しえま せん。 情報化社会といわれて10数年、 携帯電話 の機能が PC に匹敵する利便性を備え得たのも、 GPS を始めとする航空産業が開発した技術に よったものです。 今後さらに省エネと環境への 配慮 (エコシステム) が求められる中、 航空産 業が培ってきた技術が、 様々な分野で応用転化 されて産業の発展を導き、 世界経済を牽引する 事を願って止みません。 稿を閉じるにあたり、 日本航空機操縦士協会 には、 この度の機会を与えて下さいました事を 厚くお礼申し上げます。 また、 編集委員会の方々 へは編集のみならず文章構成並びに訂正の便宜 まで図っていただき感謝しております。 同様に、 「アメリカの GA 事情・飛行訓練および操縦資 格取得要領」 をお読みいただいた会員の皆様も、 有り難うございました。 なおご質問事項は wakita@air-accord へ何時でもお気軽にお寄 せ下さい。 会員の皆様の益々の御発展を祈念し、 この連 載が少しでも皆様のお役に立っていただければ 幸いです。 エアアコード飛行学校 エアアコード飛行学校スタッフ一同 2010 MAR 83 オススメ! 情報ボックス 書籍&Goods紹介 編集委員会 このコーナーでは、 書籍紹介を始めとして航空に関するお勧めグッズ等を紹介しています。 読者の皆 さんも、 是非、 フライトで使用している便利グッズや、 パイロット仲間に紹介したいグッズ、 書籍など の情報を、 編集委員会までお知らせください。 もちろん、 ステイ先などでの飲食店情報なども大歓迎です。 ATC 入門 −VFR 編− 著者:縄田 義直 発行:鳳文書林出版販売株式会社 〒105-0004 東京都港区新橋3 7 3 T E L :03−3591−0909 FAX :03−3591−0709 E-Mail :[email protected] 定価:2,500円+税 パイロットにとって必要な知識は、 航空法規、 航空管制、 操縦知識、 航空技術、 航空気象など 非常に多岐に及んでいますが、 本書は、 パイロッ トと管制機関との無線交信 (ATC) に主眼を 置き、 交信に関わりのある空域や気象等にも若 干触れながら、 編集されています。 また、 対象 を初心者としているため、 航空管制に関する専 84 2010 MAR 門的内容の説明は、 必要最小限とされています。 本書では、 著者が勤務している独立行政法人 航空大学校の所在する宮崎空港・帯広空港・仙 台空港を中心として、 航空大学校の訓練機が使っ ている ATC が取り上げられていますが、 基本 的には、 他の空港及び機関において操縦訓練を 行なう場合や、 既に自家用操縦士のライセンス を持ち、 飛行を行なう場合も、 変わること無く 利用出来る普遍的な内容のものです。 本書は、 7つの章から成り、 初めての人にも、 自学自習が出来るように構成されています。 最 初の2章には、 操縦訓練に先立って知っておく べきことが簡潔にまとめられています。 また、 飛行場周辺での飛行から管制圏外の飛行、 他空 港への飛行において、 更には、 緊急時における ATC が、 順を追って記述されています。 日頃、 エアラインの就航している空港等でフ ライトを行っているパイロットにとっては、 ATC 交信が必須であり、 習熟していると思い ますが、 管制の行われていない小型機の離着陸 場等でのフライトが主体の者にとっては、 ATC を円滑に行えるようにしておくには、 やはり継 続した努力が必要です。 本書は、 これから操縦を学ぼうとする人を対 象とした入門書ですが、 フライト歴は長くて、 ATC 交信の機会が少ない者にとっても、 基本 事項の復習のための最適なテキストとなるもの です。 多くの人に、 本書をお勧めします。 ews FAI N FA I ニュース Federation Aeronautique Internationale FAI の国際航空スポーツ競技会への参加は、 陸上、 体操、 水泳、 スケート等の国際競技会へ の参加と同じことなのですが、 日本では、 航空 となると、 どうも勝手が違うようです。 スポーツ競技ですから、 「職業はエアライン パイロット、 趣味はエアロバティックス競技」 といったことが、 ごく自然に認められるように なるよう、 日本でも FAI 航空スポーツの分野 を推進させていかなければと思います。 では今 月の各部門の報告です。 ロータークラフト (ヘリコプター) FAI のロータークラフト競技部門の年次総 会は、 毎年2月末に開催されていますので、 3 月号には間に合わないのですが、 次号では総会 の結果を報告できるものと思います。 基本的には、 欧州及び世界選手権、 ワールド エアゲームの一部門としてのロータークラフト 競技開催の繰り返しとなるのですが、 世界的不 景気の影響から、 開催地として立候補する国が 減少の方向となるのは避けられないようです。 そのような背景の中で、 ロシア勢は相変わら ずの強力なチーム体制で圧倒的な強さを保って いますが、 その対極として注目され、 期待され てきたのが日本の存在です。 自分達だけの手作 りチームが、 あの超小型の R22 ヘリコプター でロシアのミルヘリコプターに立ち向かい、 勝 利した実績は大変な驚きであったのです。 日本には勝つためのノウハウがありますから、 ヘリコプターで飛ぶことが大好きな人へ、 この 競技への参加をお勧めしたいと思います。 GAC:ジェネラル・アビエーション(飛行機) FAI のジェネラル・アビエーション競技の 実施場所としては、 滑走路が競技の目的に終日 使用できること、 及び、 周囲が、 航法競技に適 奥貫 博 した空域と地形であることが必要です。 国内を見渡しますと、 枕崎空港、 ふくしまス カイパーク、 但馬空港、 大分県央空港等が思い 浮かびますが、 その他、 各地の場外離着陸場や 滑空場も、 候補になり得るでしょう。 日本でもグライダーの距離飛行競技ができる のですから、 飛行機の航法競技会ができないわ けは無いのです。 「この GPS の時代に」 など と言わず、 地図を読み、 正確なコースと時間の 管理を競うこの競技を、 多少簡略なものになる としてもぜひ試行してみたいと思います。 エアロバティックス (FAA-CIVA) 年が明けて、 今年の各選手権開催国のオーガ ナイザーが次々と活動を開始しています。 オーガナイザーがまず一番始めにやることは ウェブサイトの立ち上げで、 そのサイトを通じ て開催要領やエントリーフォームなど様々な情 報を流し、 最終的にはエントリーまでウェブ上 でやってしまう場合もあります。 今年一番早くお目見えしたのはフィンランド で開催予定の EGAC (アンリミッテッド滑空 機ヨーロッパ選手権) と WAGAC (アドバン スド滑空機世界選手権) のウェブサイトでした。 WAGAC は今年初めての開催であり、 また アンリミッテッドとアドバンスドの同時開催も 初めての試みとあって、 いつもとは違った意気 込みが感じられます。 2つの選手権が行われる わけですから、 当然競技参加者は増えることが 予想され、 活気のあるものとなるでしょう (ジャッ ジは大変ですが……)。 余談ですが、 このサイトにはウェブカメラが 設けられており、 開催地のリアルタイムの映像 を見ることができます。 飛行場はまだ真っ白な 雪の中。 これから春を迎えてどのように景色が 変化していくのか楽しみです。 2010 MAR 85 開催予告 全日本曲技飛行競技会 開催案内 昨年の曲技飛行競技会 (試行) の結果を反映し、 今年は第1回全日本曲技飛行競技会を実施しま す。 この競技会は、 曲技飛行競技の要領、 安全確保、 技量向上、 審判・採点要領等の講習を含むも のとし、 また、 曲技飛行用飛行機の安全確実な着陸技術を身に付けるための着陸競技会を合せて実 施します。 この競技会は (社) 日本航空機操縦士協会の指導と後援 (予定) を得て実施します。 1. 日時 (案):平成22年10月9日 (土)、 10 (日)、 11 (月) (予定) 第1日 AM フライイン/ブリーフィング/PM 公式練習 (10分/1スロット) 第2日 競技会1日目 (10分/1スロット) 第3日 AM 競技会2日目/ディブリーフィング&表彰式/PM フライアウト 2. 場所:福島県 ふくしまスカイパーク 3. 競技の内容:曲技飛行競技: クラス1:プライマリークラス (FA200 C150/152エアロバット シタブリア等の機体) クラス2:スポーツマンクラス (デカスロン エクストラ200/300 ピッツ等の曲技飛行用機体) 着陸競技:曲技飛行競技機を優先するが、 その他の機体での着陸競技のみの参加も可とする。 4. 参加機体:曲技飛行競技への参加は、 曲技飛行の実施が承認された飛行機でなければならない。 5. 安全対策:飛行開始前にパイロットブリーフィングを実施し、 安全対策確認の署名を得る。 6. 主催・後援:主催:全日本曲技飛行競技会実行委員会 後援:社団法人日本航空機操縦士協会 (予定)、 NPO 法人ふくしま飛行協会 (予定) 7. 連絡先等 有限会社パスファインダー 福島市北沢又日行壇7 48 024 558 8318 担当:青島信介 エアロバティックス競技規定科目 (予定) クラス1 (プライマリークラス) 競技は IAC (International Aerobatic Club) の2010年の規定科目、 及び、 IAC のルールで 実施する。 Total K (Figure+Presentation) スポーツマンクラス:143 (137+6) プライマリークラス: 63 ( 60+3) 86 2010 MAR クラス2 (スポーツマンクラス) 競 技 空 域 (案) ・競技空域は1000m×1000m/下限高度 3000Ft (MSL) /上限高度 5000Ft (MSL) ・4隅にマーキングを設置 (の予定) 合せて、 曲技飛行用飛行機の確実な離着陸操作習得を目指す着陸競技を実施する。 FAI 方式準拠の着陸競技は、 Super Wings 主催の 枕崎空港での着陸競技方式に準じて実施の予定。 (PILOT 誌2009年5月号の GA 部会活動報告参照) 2010 MAR 87 通信 理事会通信 平成21年度も年度末を迎え、 第45回通常総会の準備に日々追われています。 来期活動の基本方針は、 ①航 空の安全文化の普及と啓発 支援 ②安全対策 (制度と運用など) への貢献 ③情報の伝達と提供 ④技能習熟の ⑥必要な資料の収集と調査研究 等といった各事業の公益目的への適合化を進めた内容になります。 2月18∼19日に東京・天王洲で小型航空機セーフティーセミナーが下記内容により開催され、 18日139名、 19日148名の参加がありました。 【18日】 ③ASI−NET 報告 ①航空局基調講演 (小型航空機の安全対策について) ②管制方式基準の改正 ④航空気象について (飛行前の効率的な気象チェック) ⑤事故より学ぶ (ユーロコプター社) 【19日】 ①航空局講演 (実地試験について、 運航審査について) ②事故の統計、 最近の事故の解析 ③事故より学ぶ (ユーロコプター社) [活動報告] −平成22年1月− 1月4日 仕事初め 1月23日 航空気象委員会 新年賀詞交歓会 航空安全講習会 (鹿児島) 1月5日 航空身体検査証明審査会 航空安全講習会 (東京) 1月6日 編集委員会 1月8日 航空保安大学校講義 (訓練監督者特別研 1月9日 ATS 委員会 1月13日 平成22年航空クラブ新春卓話会 学科試験問題検討会 FTD 検査 (乗員課) 1月28日 航空保安大学校講義 (訓練教官養成特別 FTD 認定検査 (安全課) 研修) 第200回常務理事会 航空医学委員会 第45期運営連絡会議 (第2回) 1月29日 航空安全講習会 (松坂) RNAV/RNP 連絡会小型機 WG (第3 回) 航空保安研究センター理事会 1月16日 学科試験問題検討会 (分科会) 1月27日 FAI 会議 修) 1月15日 1月25日 1月31日 夢は叶う Yes I Can (航空教室) 鹿児島 沖縄支部総会 1月18日 月次検査 (出塚会計事務所) −平成22年2月− 1月20日 乗員養成検討委員会 2月2日 航空身体検査証明審査会 ビジネス航空委員会 2月6日 航空安全講習会 (高松) 1月21日 経理委員会/協会制度検討会 2月7日 航空安全講習会 (松山) 1月22日 運航技術委員会 2月9日 法務委員会 88 2010 MAR 2月10日 外部監査 (八重洲監査法人) 2月20日 航空安全講習会 (東京) 2月12日 第201回常務理事会 2月21日 エアライン航空医学担当医懇談会 (航空 2月13日 ATS 委員会 航空安全講習会 (山梨) 医学委員会) 2月22日 航空安全講習会 (静岡) 2月15日 編集委員会 研究会 2月24日 ASI−NET ビジネス航空委員会 航空保安大学校講義 (レーダー管制専門 研修) 2月16日 空港安全技術懇談会 2月17日 月次検査 (出塚会計事務所) 2月18日 GA 委員会 小型航空機セーフティーセミナー 第7回将来の航空交通システムに関する 2月25日 経理委員会/協会制度検討会 編集委員会 2月26日 運航技術委員会 航空大学校卒業式 2月27日 外部講演 (富山県新湊火力発電所協力会 航空気象委員会 中部支部総会 社安全衛生推進協議会) 2月19日 小型航空機セーフティーセミナー 技量維持連絡会 航空安全委員会 西日本支部施設見学会 [活動計画] −平成22年3月− 3月1日 第2回我が国の自発的安全報告制度のあ 3月16日 機運航支援センター) り方に関する調査・研究委員会 3月2日 編集委員会 3月18日 アル改訂に関する調査委員会 3月24日 ビジネス航空委員会 航空保安大学校講義 (レーダー管制専門 3月25日 経理委員会/協会制度検討会 航空医学研究センター理事会・評議員会 研修) 3月6日 乗員養成検討委員会 (訓練監督者意見交 換会) 3月4日 航空保安システムの費用対効果分析マニュ 3月5日 平成21年度第2回理事会・評議会 (航空 東日本支部総会 3月26日 運航技術委員会 航空安全セミナー (GA) 航空安全委員会 北海道支部総会 航空保安施設信頼性センター 3月9日 航空身体検査証明審査会 事会 3月11日 航空交通管制協会理事会 3月27日 航空気象委員会 3月12日 第254理事会 3月31日 航空保安大学校卒業式 3月13日 3月15日 第40回理 ATS 委員会 西日本支部総会 −平成22年4月− 九州支部総会 4月3日 航空安全講習会 (札幌) 学科試験問題検討会 4月6日 外部監査 (八重洲監査法人) 航空振興財団理事会 航空保安協会理事会 航空身体検査証明審査会 4月10日 ATS 委員会 航空安全講習会 (東京) 2010 MAR 89 4月15日 GA 委員会 4月22日 第255回理事会 編集委員会 4月23日 内部監査 4月17日 航空安全講習会 (大阪) 4月24日 航空気象委員会 4月20日 外部監査 (八重洲監査法人) 4月25日 航空安全講習会 (埼玉県) 4月21日 経理委員会 4月28日 ASI−NET 会議 編集委員会 第45回通常総会の開催予告 早いもので今年も総会開催の時期が近づいてまいりました。 なるべく大勢の会員の皆様方に出席いただき ますようお願い致します。 日 時 平成22年5月27日 (木) PM 場 所 羽田空港第1旅客ターミナルビル (ビックバード内) 6F ギャラクシーホール 予定されている総会議案は以下の通りです。 平成21年度事業報告及び決算報告について 平成22年度事業計画及び予算案について 役員の選任について *総会議案は次号 (2010/No.3) に掲載の予定です。 JAPA ホームページ会員専用ページ開設しました JAPA ホームページ (http://www.japa.or.jp) に会員専用ページを開設しました。 ログインしていただくには、 ① TOP ページ左上の【会員専用ページ】をクリック ② ユーザー名欄に [ja 会員番号] (小文字 ja の後ろに続けて入力。 会員証の番号) ③ パスワード欄に [********] (本誌巻末の編集後記 下欄にある JAPAWEB****の数 字部分を入力) *パスワードは毎号変わります。 新しいパスワードは発行月 (奇数月) の翌月1日 (偶数月) より適用となります。 (例:3月号のパスワードは4月1日から適用) 現在 PILOT 誌記事等掲載していますが、 今後コンテンツの充実を図っていきます。 90 2010 MAR 2010 MAR 91 JAPA Aerial Photo Exhibition 1号機 JA01FJ 2号機 JA02FJ Fuji Dream Airlines のエンブラエル ERJ170-100 (有賀弘行氏撮影) 92 2010 MAR あなたが写した 航空機の写真が 表紙 に! 編集委員会では、 PILOT 誌の表紙を飾る皆様からの航空機の写真を 募集しています。 尚、 応募写真は編集委員会で審査の上、 掲載いたします。 下記応募要領をご了承の上、 ふるってご応募ください。 ・写真はカラー・白黒・Digital Data を問いませんが、 投稿者が撮 影されたものに限ります。 撮影日時・場所・説明等の添書きも添 付してください。 尚、 Digital 写真の場合はできるだけ大きな画素数で撮影したも のとして下さい。 ・応募写真の取り扱いは日本航空機操縦士協会に属し、 お返しでき ませんのでご了承ください。 ・PILOT 誌の表紙に採用させて頂いた場合、 謝礼として2万円 (複数写真で表紙構成となった場合は分割)、 表紙に掲載とならな かった場合でも優秀な写真は本誌に掲載し薄謝を進呈いたします。 ・住所、 氏名、 年齢、 職業、 電話番号、 E-Mail Address 等を明記 してください。 ※個人情報に関しては当協会で厳重な秘守扱いと致します。 送付・お問合せ先 社団法人 日本航空機操縦士協会 編集委員会 〒1050003 東京都港区西新橋1−18−14 TEL 03 (3501) 0433 FAX 03 (3501) 0435 E-mail:[email protected] JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION 2010 MAR 93 編集後記 ●新年早々、 日航が会社更生法の適用を申請、 日本列島に激震がはしった。 再生への道は至 難ながら、 関係者の英知と熱意と努力によっ て、 かつての栄光を一日も早く取り戻してく れることを信じて止まない。 (徳田) ●米国の B787、 欧州の A400M、 日本の XC2 と軒並み初飛行が続いたが、 欧米業界が発す る情報に比べ XC2 の情報のなんと少ないこ とか。 非商用機とはいえ、 民生転用を意識し た飛行機のはず、 まして国民の税金で作って いるのだから、 もっと民間に周知してもいい のではないだろうか? (カレン) ●今年の RED BULL エアレースの新人が発表 されました。 1人はエアラインのキャプテン、 もう1人は戦闘機のパイロットです。 日本で は考えられませんが、 このような人がエアレー スに参加できるのも航空文化なのでしょう。 (奥貫) ●国としての Decision Making をみるとき、 飛行機なら燃料切れで墜落だと思うこの頃で す。 Country Resource Management が欠 如していませんか。 (KEN) ●良いことは良い、 ダメなことはダメという品 ヒトシツ 質管理、 人質管理の基本中の基本が忘れられ ている気がする。 (RYU) ●中近東と東南アジアを1ヶ月近く歩いてきた が、 日本のニュースは何一つ見る (知る) こ とがなかった。 井の中の蛙、 世界から無視さ れていることを知った。 (K. A.) ●気温の上昇とともに、 目はクシャクシャ、 鼻 はグスグズ。 しばらく耐えなければならない 今月の表紙は WACO 複葉機です。 形はクラシッ クですが現在も製造販売が行なわれている新製 機で、 日本には2機が輸入されています。 米国 等のエアショーでは、 主翼の上に人を立たせた りして、 元気に飛んでいます。 (奥貫) 季節となりました。 (佐藤) ●私は毎号、 青木美和さんの I Aviation を 楽しみにしていたが、 昨年の5月号で一旦終 りになった。 その美和さんが先日 JAPA に 来られた。 今はグアムを拠点に活躍されてい るとの事。 色々エピソードをお持ちの様で再 開される様にお願いした。 (T. A.) ●間もなく JAPA 総会。 来期の編集委員会は どうなるか? (編集長 蔵岡) No.319 2010年 3 月号/平成22年3月発行 発行 社団法人 日本航空機操縦士協会 (Japan Aircraft Pilot Association) 〒105-0003 ホームページ FAX 03 3501 0435 E-Mail:[email protected] 振替口座/00180 9 88490 94 落丁・乱丁本がありましたら お取替えいたします 東京都港区西新橋1−18−14 TEL 03 3501 0433 (代) 2010 MAR 禁無断転載 URL http://www.japa.or.jp/ JAPAWEB20100301 編集人 蔵 岡 賢 治 発行人 白 石 豊 樹 定価 印 刷 800円 (税込) 株式会社プリカ
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