都市再生におけるタウンマネージメント

特別寄稿
都市再生におけるタウンマネージメント
高
田
昇
Ⅰ.はじめに―求められる都市再生の新しい枠組み
Ⅱ.都市再生の目的と方法の変化、発展
Ⅲ.都市再生の事例にみるタウンマネージメント
Ⅳ.タウンマネージメントの形成とタウンマネージメント組織
Ⅴ.おわりに―公民の役割分担と協働への視点
Ⅰ.はじめに―求められる都市再生の新しい枠組み
「都市再生」は、最近になって国の政策、制度に多用されるキーワードの一つとなっている
が、ヨーロッパ諸国で「都市再開発」が「都市再生」の同義語として「アーバンリニューアル」
と表現されてきた歴史と、わが国では軌を一つにしない。
「再開発とは、一般に既存の建物などを撤去し、新たに施設の整備を行なう事。日本では都
市再開発法に定める
市街地再開発
を指すことも多く、同法に基づく事業を法定再開発と呼
ぶが、必ずしも法律に基づかず、任意で同様の事業が行われる場合もある」と、ネットに流れ
るフリー百科事典『ウィキペディア』(2008年1月10日検索)は「再開発」について説明して
いる。ただし、「この項目は、その主題が日本に置かれた記述になっており、世界的観点から
の説明がされていない可能性があります。ノートでの議論と記事の発展への協力をお願いしま
す」と冒頭で呼びかけている。その状況認識と前向きな姿勢に敬意を払いたい。
都市再開発が日本より先行し今も盛んな欧米において、都市再開発(アーバンリニューアル)
と言えば、上記事典が説明するケースは、むしろ少ない方で、古い建物の保存・再生やコンバ
ージョン、密集した街区の中にオープンスペースを生み出して居住環境を改善する、といった
修復的な方法をとることの方が多い。
ドイツのベルリン市に立ち寄る機会があり、最近の都市再開発事例を見たいと案内をお願い
したところ、国内メディアではボストン広場周辺のビッグプロジェクトばかりが目立つが、実
にバリエーション豊かな都市再開発現場を確めることができた。古いオフィスビルを再生させ
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政策科学
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たエコ建築のモデルである小学校、駐車場ビルを再利用した保育所、映画会社の跡地に出来た
劇場や木工所、カフェ、レストランもあるエコビレッジ。5年、10年とかけて街区単位で老朽
化したビル群を補修したり、間引いて広場をつくったり、長年文字通りリニューアルをやり続
けているケースも多い。
わが国の都市問題・都市政策の専門分野で日本型「都市再開発」を克服し、「都市再生」と
いう概念を明確にし、キーワードとして使ったのは宮本憲一が最初ではないだろうか。著書
「都市経済論」(1980)で内発的発展論とともにその考え方の萌芽が読み取れ、篠塚昭次・早川
和男・宮本憲一の編書「都市の再生」(1982)で明確な用語として登場している。陣内秀信が
「イタリア都市再生の論理」(1978)などで、都市再生の実像を提示してきたことも、注目して
おきたい。
一方、わが国のまちづくり三法をはじめとする都市再生に関する諸施策は、2000年前後か
ら多方面で展開されてきたが、必ずしも十分な成果を得るには到っていない。それら施策は、
国内では少ない事例である滋賀県・長浜市や長野県の小布施町・飯田市、埼玉県・川越市、
大分県・由布市湯布院町(由布院盆地)などにおける都市再生の実績をモデルとして立案さ
れてきたものである。それにもかかわらず新規施策が十分に機能しないのは、モデルとされ
る地域が、いずれも内発的発展を達成するための一手段として、それぞれが地域の特性、事
情、工夫により独自のタウンマネージメントを形成してきたプロセスへの視点が欠けている
のではないかと考えられる。それぞれが同類ではなく、また一つの枠組みを想定してきたも
のではないのである。
さらには、最近の各地での取組みの中で、都市再生の目的、方法がすでに既成の法・制度の
枠組みから大きく変化、発展していること、それに対応するタウンマネージメントとは何かを
見定めること、という基本的な課題が見落とされがちになっているのではないか。
また、タウンマネージメントを実践するための組織についての認識が不十分なままではない
か、といった疑問が残る。都市のハード面と同時に新たな、そして急速な変化を続ける社会・
経済・文化面を含む都市再生が問われているのである。既存組織の安易な組み合わせで、タウ
ンマネージメント組織を立ち上げることには期待が持てない。
そこで都市再生をめぐる目的と方法がどのように変化、発展しているかを概観しつつ、その
視点から、改めて都市再生のモデルを見直すことにより、目的と方法の多様化、複合化に対応
できるタウンマネージメントの形成とタウンマネージメント組織のあり方を明らかにしたい。
Ⅱ.都市再生の目的と方法の変化、発展
1.既存の法・制度にみる都市再生の目的と手法
都市の再生をはかる上で、今日ではその地域の歴史的文脈を読み、都市としての固有の文化
をどう継続発展させるか、ということは計画作業の出発点において欠かせない。
例えば、都市における歴史的環境の保存・整備・活用の場合についてみると、まず再開発、
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都市再生におけるタウンマネージメント(高田)
という手法が世界的に保全・修復型手法を含む方向に進んでいるという現実がある。そこには
歴史的まちなみ・建築のもつ現代的価値を再発見し、生かそうという考え方がベースにあり、
都市建設に地域個性や人間らしさ、文化、環境共生といった要素が不可欠となる時代背景があ
る。さらに都市のストックは「古いもの」というだけではなく「まだ使えるもの」という捉え
方があり、歴史ある生活・産業・技術や文化を再評価し,近世,近代から現代,未来に連ねる
都市空間としての時代的連続性としての意義をもつものとの捉え方がある。
そこで、都市再生のプランニングにあたってはそれぞれの地にふさわしい歴史的市街地・建
築の捉え方と生かし方を改めて考えるとともに、都市の再生、活性化を系統的、持続的に展開
する中に歴史的市街地・建築の活用をシステムとして導入する方向性を確立しようとすること
になる。
しかし、わが国の都市再開発が法・制度として始動して以来の約半世紀を遡ると、そのよう
な視点は無く、しかも当時の法・制度の骨格は今も変わらず、都市再開発の柱をなしている。
まず都市をリニューアルする目的の一つは土地の高度利用、そしてもう一つは都市機能の更新
である。それを実行するためにとられた事業手法は、土地区画整理事業(1954〜)、住宅地区
改良事業(1960〜)、市街地再開発事業(1969〜)などに代表されるスクラップアンドビルド
型の手法である。その中でも再開発手法を代表する「都市再開発法」による市街地再開発事業
は、全国で約700件の実績を積み、今も170ヵ所程で進行している。
都市再開発の当初目的であった土地の高度利用、都市機能の更新といった課題が今も残され
ているのも確かではある。例えば土地の高度利用を一概に否定する論調が強まっているが、は
たしてそれは都市のあり方にとって良いことなのか。日本の多くの都心部や中心市街地の現場
は、未だに昔ながらの平屋や二階建の建物と小さなペンシルビルが混在するような様相を呈し
ている。都心部で土地所有形態が小刻みになった状況を脱し、土地の共有化、公有化を進め、
オープンスペースを生み出しつつ、せめてヨーロッパ都市にみられるような中層高密のまちな
みが形成されねばならない。人が住み、働き、楽しむコンパクトでにぎわいのあるまちをめざ
すための土地利用の高度化、共同化は避けて通れないのではないか。
そのような意味では、土地を共有にし、その権利を共同建築の床に置き換えていく「権利変
換手法」という法定都市再開発はとてもよく工夫され、優れた手法の一つではある。しかし補
助制度があるとはいえ、独立採算で行われることから、必ずしも求められる機能ではなくても、
建物のボリウムを大きくし、高層化をせざるを得なくなる。その結果、需要に合わない建物床
をかかえて、事業の成立性を危うくさせたり、それをカバーするために自治体の負担が過大と
なる。さらには完成後の維持・管理に支障を来たす、という矛盾をはらむケースが少なくない。
そのため今の制度のままでは、それが有効な守備範囲は限定されてきた。また、余りにも手続
き、プロセスが複雑化していることもあり、事業の長期化という時代性とのミスマッチも生じ
ている。
都市再開発の上位計画である都市の総合計画、マスタープランなども含めて、いろんな面で、
これまでの制度とそれに付随するマニュアルを見直すときではないだろうか。たとえば行政施
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策のバイブルとなっているはずの自治体総合計画などは、その際たるもの。明らかに制度疲労
を来たしている。実行性を伴わないケースが余りにも多い。そこに気づき、改善された実例が
ある。2006年末に、滋賀県大津市の新総合計画が議決されたが、計画策定に費やした時間は約
半年。これまで2〜3年かけていたことだ。しかし手抜きはないどころか、庁内、市民の両サ
イドで緻密な議論が重ねられ、パブリックコメント等で出されたすべての疑問、意見に答えを
文面として返していく丁寧な参加のプロセスを大切にしている。
また、10年先の予知不可能な計画を総花的に並べることはやめて、そのかわりにしっかりと
したコンセプト、都市構造といった基本は押さえ、一方ですぐにも動かすべきリーディングプ
ロジェクトを明確に打ち出す、というメリハリのきいた計画となっている。基本構想と実行計
画の二層立てで、これまで最も重視されたその中間に位置する基本計画はカット。
総合計画は市議会で議決されると同時に、リーディングプロジェクトのいくつかが予算化さ
れスタートしている。そのトップバッターは懸案のまま動きがとれなかったオールドタウンの
民主導による再生事業である。その一年後には㈱まちづくり大津を行政、商工会議所と共に
150人を超える多くの市民、企業の出資で立ち上げ、大津市中心市街地活性化協議会を設立し
ている。
都市は生きているのであり、その都市を扱う法・制度は時と共にその目的、方法を点検
し、更新していくべきは当然のことである。ただ、小幅な修正を加えて済ませられる場面
と、抜本的見直しが求められる場面の見極めが重要ではないだろうか。2 0 0 8 年に入って、
ようやく国から「歴史まちづくり法案」が示されたが、このような動きを加速させねばな
らない。
2.都市再生の目的と方法の多様化、複合化
今、目前に迫る都市再生のニーズはどこにあるのか。まずハード面からの具体的事象を見た
い。産業構造の変化に伴い工場や倉庫などの土地利用の転換が急速に進んでいる。いわゆる跡
地利用である。非被戦災の居住地や高度経済成長期の密集市街地の改善は依然として残されて
いる。大量の40年、50年を経過した公共住宅団地や「ニュータウン」の再生、分譲マンション
再生も初動期から本格活動期に移行しようとしている。かつて全国の都市の外縁部に大量建設
された単一機能の民間住宅団地の多くは、居住者の高齢化、若者の流出、小家族化、空家化が
進み、生活を支える機能の複合化や世代交代の促進が望まれている。20年も経った再開発ビル
は、そのほとんどが大規模リニューアルを求められている。さらにこれまでの再開発から取り
残された、巨大ターミナル周辺以外の商業地は、例外なく疲弊している。老朽化・機能不全が
進む大型業務施設、公共施設も少なくない。歴史的市街地や個性的景観をもつエリアにおいて
も、建物の老朽化、滅失、住む人の高齢化、孤独化、流出が顕著に見られる。しかし、それら
の課題に適確に対応できる制度は未だ見当たらない。
広義の都市再開発は、それらのすべてに応えるべきものであり、そのニーズは深く、広く、
多様化している。
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都市再生におけるタウンマネージメント(高田)
同時に、それらハード面に加えて、少子・高齢化への対応、環境配慮型まちづくり、創造都
市への指向、新産業の創出、ライフスタイルの変化への対応、相互扶助・自立の機能をもつコ
ミュニティ再構築、といった新しい都市再生の目的が加わり、まちづくりのめざすところが複
合性を求めている。
1998年に完成した大津市中心市街地に立地する再開発ビルで、その6年後に約10,000平方メ
ートルの床面積をもつ商業施設が撤退をし、空洞化するという劇的な出来事を迎えた。私はそ
の「事後処理」をどうするべきか、というプロジェクトに参画することになった。普通の発想
としては店が撤退したのなら新しい店を探せばよい、ということになるのだろうが、そのプロ
ジェクトでは原因究明を先行させたところ、発想の転換が不可避であるという結論に達した。
第一の理由は、その場所で、大型商業施設は市民のニーズと合致していないのではないかと
いう疑いが濃いということ。第二の理由は周辺が疲弊を続ける市街地のまま、孤立する再開発
ビルの存続には無理がある、ということであった。
市民のニーズに合う施設機能は何か、専門分野による需要の掘り起こし、市民との直接対話、
ワークショップによるアイディア出しなどを重ねる中で明確な道筋が見えてきた。それは、モ
ノを売り買いする場ではなく、子ども・子育て支援や健康づくり、NPOなどの市民活動サポー
ト、といったまわりに住み、活動している市民の日常生活を支える拠点とする、という方向性
である。空ビルになって2年後2006年に、再開発ビルはその方針に沿ってリニューアルオープ
ン、その後多くの人が集まり、交流する場として息を吹き返すことになった。同時に周辺のま
ちなかの再生がより重要だ、との認識が市民、行政の共有するところとなり、前述する中心市
街地活性化への本腰を入れた取組みへとつながるのである。
このような成果が得られたのは、行政がこれまでの枠を超えて、計画・事業化を共有する場
をもち、市民・民間、専門家が共に研究、プランニングし、実施方策にも公民協働が組み込ま
れるという都市をマネージメントする実体が短期間にせよ実在したからであろう。
現実の都市に見られる都市再生に求められるところを改めて要約すると以下の通りとなろう。
①少子・高齢化への対応、コミュニティの再構築
②都市福利機能の充足(福祉、健康、生涯学習、公共交通など)
③まちなか居住の促進・生活支援機能の整備
④安全・安心の確保(防犯、防災、医療、バリアフリーなど)
⑤地域産業の活性化(商業、観光、新産業、地域ブランドなど)
⑥文化芸術基盤、創造都市づくり
⑦ライフスタイルの変化への対応
⑧都市環境の保全・形成(景観、まちなみ、自然回復など)
都市再生の現実に生じているニーズ、そして目的がいずれもどんどん多様化しつつあるのだ。
その事態に対し、従来の制度、枠組を、何とかあてはめようと苦労したり、あるいは安易な民活、
市場原理に委ねている、というのが都市をめぐる混沌さ加減ではないだろうか。結果としていた
るところ都心部では高層マンション、郊外では巨大ショッピングセンター、という光景に代表さ
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政策科学
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れるまちなみと機能のアンバランスに帰結する。このような動きが、これからも続けていけると
は到底考えられない。一言でいえば、適切な都市機能の計画的複合化をはかりつつ品格のある持
続するまちをどうつくるか、ということになるのだろうか。その具現のためには、都市再生に必
要なコントロールやプロジェクト創出を企画・調整し、行動に移せる機能が求められる。
Ⅲ.都市再生の事例にみるタウンマネージメント
都市再生は、その目的とするところが多様化し、さらには変化を続けている中で、制度・手
法が追いつかないというジレンマをかかえている。そしてもっと深刻なのは行政の機構、人材
がまちづくりの進化に対応できず、行政の枠でやれることは、先細りするばかりという、現実
の地域に存在するニーズとの乖離である。そのギャップを埋め、さらに創造性を加えてきたの
が、各地で、先進的に機能しはじめているタウンマネージメントの実践である。ここでは、神
戸、長浜、由布院の3地区における事例から、何が読み取れるのか考察したい。
1.神戸市・新開地にみるタウンマネージメント
「新開地」は、その名の通り100年前に新しく開かれた街。山と海が近い神戸の中心部にあっ
て、湊川という「あばれもの」の川を付け替え、埋め立てた跡に、芝居小屋ができ、娯楽場、
飲食店が建ち並び、商店街というより盛り場に。そのうちに市役所や新開地デパートが集まり、
1960年頃、映画の最盛期には20館を超える劇場・映画館のある、東京・浅草と並ぶ歓楽街へと
発展、通りは人波であふれていた。
しかし、まちは生き物。公共施設が移転、映画が斜
陽、臨海部の工場が減少という時の流れと共に、急激
に衰退が進み、1日20万人の人通りがあっというまに
20分の1以下になった。そこで商店街の人たちが立ち
上がり、自治会とも一体になった「新開地周辺地区ま
ちづくり協議会」を1983年に創設、神戸市のまちづく
り条例による助成と専門家派遣を受けて、再生への船
出をしたのである。
そこで第一歩として「まちづくり構想」をつくり、
人が住めるようにとコーポラティブ住宅づくりや、
「まちは変わる!」と内外に強く発信するため、イメ
ージの一新をはかって、アーケードの一部をとり払い、
光と緑のモールへと一新した。ひとまずイメージチェ
ンジには成功したものの、にぎわいをとり戻すにはも
っとまちの独自カラーを打ち出さなければ、という思
神戸・新開地のアートビレッジセンター
いが募った。
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都市再生におけるタウンマネージメント(高田)
第二ステージは1991年の「アートビレッジ構想」の
打ち出し。ここから若いアーティストが育ち、まちの
人とアーティストがふれあうアートのまちに、という
新手をあみ出したのである。市と民間が協力してその
拠点となるアートビレッジセンター建設、古くからの
映画館や芝居小屋のリニューアル、そしてハコモノだ
けではなく、音楽、演劇、美術、建築のプロデューサ
ーによる「ソフトチーム」を編成して、イベントやコ
ンサート、ギャラリー活動などを常に展開。よそには
ないまちの空気がだんだんと生まれてきた。
ようやく立ち直りかけたかと思った途端、1995年大
震災が直撃、まちの7割の建物が壊れた。しかし、そ
れまで10年余り辛抱しながら続けてきたまちづくりパ
ワーが、この時に発揮される。まわりが右往左往して
いる中で、新開地は住民がすぐにも独自に復興本部の
テントを張り、一ヵ月後には専門家の復興プランを受
新開地のアートな商店街ゲート、再開発ビル
けて行動に立ち上がる。その目標は、震災前に戻すの
ではなく、これを機にまちづくり構想を一気に実現さ
せよう、というものであった。
それ以来10年余り、アートビレッジのコンセプトを
貫きながら小さな横丁や街角ガーデンからゲート、ア
ーケード、再開発ビルなど一つひとつのプロジェクト
を「デザイン委員会」が参加してつくりあげ、月並み
ではない、創造力をかき立てられるまちをめざして、
イメージだけではなく、まちのカタチとして変革をと
げてきた。
その間、1997年には、まちづくりを持続させるため
の仕組みとして「新開地まちづくりNPO」を立ち上げ。
企業協力、行政支援を得ながら、NPOは複数の専任ス
タッフ、多くのボランティアスタッフに支えられ、年
間5,000万円を越す事業規模をこなす、全国有数のま
新開地アートビレッジ構想による「芸術
作品」としてのアーケード
ちづくりNPOとして確立されている。
新開地のまちづくりは、地元が結束してまちづくり協議会を設立した第一ステージから、行
政とのパートナーシップを築いた第二ステージ、そして、タウンマネージメント組織として新
開地まちづくりNPOを設立した第三ステージへと発展してきた。現在は、まちづくり協議会、
行政、新開地まちづくりNPOがそれぞれの役割を果たしながら、まちづくりを進めている。
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支援者
地元まちづくり機関
まちづくり関連部局
地元企業・その他
新開地
まちづくりNPO
提案・交渉・調整・協働事業実施
商業部局
参加・協力
市民・ボランティア
(まち協事務局兼)
専門家など
文化部局
区民部局
都市計画部局
︵
調
整
・
区
ま
ち
づ
く
り
推
進
課
︶
決定
地区外関連団体
神
戸
提案等
新開地・まちづくり
パートナーシップ会議
新開地周辺地区
まちづくり協議会
(執行部役員)
市
地区内各種団体
協力・連携
区選出議員団
<総合調整>
友好団体等
建設部局
商
店
街
①
情報交換
商
店
街
②
商
店
街
③
自
治
会
①
会
員
企
業
まち協構成団体
図1
新開地周辺地区まちづくりの推進機構(新開地まちづくりNPO資料より)
新開地では、地元にしっかりしたまちづくり協議会をつくり、それを行政と専門家が支援す
るというスタイルで出発した。そのことが商店街のモール化を実現させ、市有地の活用やアー
トビレッジセンターなどにつながっている。そのような実績を重ねつつ、まちづくり協議会が
母体となって、まちづくりNPOを設立したことをきっかけに、パートナーシップの仕組みを確
立させ、持続的に機能するように工夫を重ねてきたのである。その結果、地元はNPOを核とし
て、商店街、自治会だけでなく、企業、ボランティア、地区外団体と協力関係を構築している。
同時に、行政側は関連部局が連携する体制をとり、行政と地元が定期的に総合調整のためのパ
ートナーシップ会議をもっている。
まちづくりを通じて、十数棟の新しい建物が生み出され、まちが必要とする住宅や集客施設
を精力的に連鎖型で生み出す方法をとり、そのデザイン面でも、アートなまちをめざし、デザ
イン誘導制度をもって、まちとしてのカラーをつくり込む手法が取り入れられてきた。さらに
まちの本質的な変革をめざすため、アートなまちを実現させるイベントを数多く生み出し、音
楽や美術、芸能などを常に身近に感じられる試みを続け、街角ガーデニングや灯かりのまちな
みづくりなどを通じて、住民の誰もが参加できる活動を定着させてきた。
まちづくりの成果として、もっとも特徴的なのは人口が増えたこと。10年余の間に約700戸
の住宅ができて、2,000人近くの人口増が見られる。同時に再開発などによって商店数が増加
し、またイメージアップにより人通りが増え、客層も女性や若い世代が増えるという効果につ
ながっている。それらが相まってまちの賑わいが取り戻されつつある。新開地は明確な構想を
もち、それを5年毎くらいには評価、更新しつつ、実行の体制、仕組みを整えることでまちは
変わる、ということを如実に示してきた。
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都市再生におけるタウンマネージメント(高田)
2.滋賀県・長浜にみるタウンマネージメント
長浜城は豊臣秀吉が、はじめて町人自治による城下町を築き、まちづくりの才能を発揮し、
天下をとる動機になったところから「出世城」とも呼ばれている。そんな伝統もあって、この
20年間でさびれて、ほとんど人通りの途絶えていたまちに、民間のパワーを集めて人波を呼び
込み、歴史上もっとも輝き、元気のある時代を築きつつある。
長浜市では、まちの中心が徐々に郊外へと移動を始めたことへの危機感を背景に、1983年に
長浜城を市民の寄付や浄財に支えられて再建し、これをきっかけにまちづくりへの気運が高ま
る。その後、1986年には商店街と商工会議所、行政が連携して、郊外型ショッピングセンター
にはない独自のまちなみの復原を「表参道」の商店街の一画に実現させる、といった動きが前
ぶれとしてあった上で劇的な黒壁事業が立ち上がる。
その後の活性化の核となったのは第三セクター・株式会社黒壁である。8人の民間人と市が
中心となり設立されたこのまちづくり会社は、「黒壁銀行」と呼ばれていた明治建築を守るた
めに取得、ガラス工房・ガラスショップ・レストランをもつ黒壁スクエアの一画をつくること
からスタート。次々と空家を活用して魅
力あるガラス関連ショップや飲食店を展
開してきた。
この成功の秘訣は、第一に黒壁を支え
る人たちが常に勉強を重ねることで強い
絆と価値観を共有してきたこと、第二に
は市行政の広場・道・駐車場などの公共
空間整備や店づくり助成制度といったま
ちづくり施策と協働したこと、第三には
黒壁は単独ではなく商工会議所、NPO法
人、グループ会社など外部のネットワー
クを広げ、連携したことにある。
ファサードを歴史復原で一新した長浜「表参道」
長浜のまちづくりは、1 5 年間ほどで
100店舗ほどのリニューアル、新規出店
を呼び起こし、アート・工芸や和装文化
をよみがえらせ、多くの雇用と経済活動
を創り出し、郊外に展開する大型スーパ
ー・ショッピングセンターと中心市街地
が共生するポジションを確立した。この
動きと、そのコアとなった黒壁のタウン
マネージメント機能は、「まちづくり三
法」見直しのモデルとされたのである。
長浜市のまちづくりは、商店街組織や
第三セクター ㈱ 黒壁の原点「黒壁スクェア」
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政策科学
15−3,Mar.2008
市民組織、公的組織と黒壁グループが密に連携しながらまちづくりに取り組んでいる点が大きな
特徴となっている。その背景には、青年会議所のOBを中心に設立された「未来ながはま市民会
議」や経営思想を学び合う「光友クラブ」といった活動を通じて、商業者、市民、行政などの横
のつながりが生まれたことがあり、後のまちづくりに大きな影響を与えている。さらに、黒壁と
長浜市や商工会議所が連携し、同時に黒壁は黒壁グループ協議会や新長浜計画㈱、NPO法人まち
づくり役場などの設立を促し、ネットワークとしてタウンマネージメント機能を発揮してきた。
黒壁グループ
新長浜計画㈱
㈱ロマネスク
黒壁グループ協議会
市民・商業者組織
公的組織
NPO法人
まちづくり役場
み〜な編集局
出島塾
商店街
北国街道町衆の会
光友クラブ
未来ながはま市民会議
観光ボランタリーガイド協会
プラチナプラザ
㈱黒壁
長浜市役所
長浜商工会議所
長浜青年会議所
図2㈱黒壁を核とする長浜中心市街地再生スキーム(筆者作成)
その中核をなす㈱黒壁は黒壁スクエアを1989年にオープンして以来、ガラスショップ、工房、
ギャラリー、ガラス美術館、レストランなど10館を直営。グループ館として黒壁まちづくりに
参画する20館と共にまちの求心力を高めている。
㈱黒壁の特徴は、以下のように整理できるだろう
・経営と文化事業、まちづくりの一体性
・民主導による「公共性」の拡大、確立
・まちの多分野(行政、商工会議所、商店街、市民、企業など)との連携、役割分担
・本体とネットワークによるTMOの機能を発揮
・事業コンセプト、経営理念・手法などについての深化と進化
長浜の中心市街地は、一時期は道を歩く人さえほとんど見られないほど衰退していたが、現
在は、黒壁スクエアだけで年間200万人、長浜市全体では年間500万人が長浜を訪れるようにな
った。多くの人が訪れるようになったことで、黒壁だけでも従業員とパートをあわせて100名
以上の雇用を生み出し、そのほとんどが女性スタッフ。また、経済波及効果は、黒壁目的の観
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都市再生におけるタウンマネージメント(高田)
行政も街なかに公共施設づくり「曳山博物館」
光客によるガラス購入、近隣商店での消費、駐車場利用や宿泊で直接消費額約15億円、2次効
果まで含めると約23億円を滋賀県全体にもたらしたとの試算もある。
地元商店街への波及効果も大きく、黒壁スクエアへの来客数の増加に伴い、㈱黒壁の加盟店
舗以外の店舗でもリニューアルなどにより魅力向上を図る動きが生まれ、出店希望者の数が増
加。その結果、地区内約230の店舗のうち90店舗に新規店舗があったほか、既存店も90店がリ
ニューアルされており、これにより更なる商店街の吸引力アップが図られてきたのである。
㈱黒壁をコアとする長浜のまちなかネットワークは、この成功に止まることなく、さらにガ
ラス文化事業のスキルアップ、滞在型・都市型観光への進化、まちなか定住の促進といった新
たな事業にむけて、チャレンジを続けることが期待されている。
3.大分県・由布院にみるタウンマネージメント
由布院は、名峰・由布岳を望む盆地であり、森につつまれた田園の中に清流と共に豊かな温
泉が湧く。その環境と風景が由布院まちづくりの源であり、目標でもある。しかし、豊かな自
然、歴史は、日本全国のどこにも、姿は変われど存在する。訪れたいまちナンバーワンの座を
保ち続け、由布院の人たちが楽しさと誇りをもって暮らし、働く人が増え続けているのは、そ
の舞台を生かす見事な演じ手が居るからである。
観光地・由布院の魅力を支える最大の
要素は、玉の湯、亀の井別荘、夢想園を
はじめとする突出して優れた旅館群であ
ることは確かだろう。全国の旅館が客を
囲い込み、閉鎖的であるのとは違い、誰
もがその美しく、磨きぬかれたセンスよ
い空間に自由に出入りできるまちとの一
体性。宿泊だけではなく、食事、買物、
読書、散策を、自分の泊まっている旅館
の枠を超えて楽しむことができる回遊
性。その目に見えないシステムをつくり
由布岳の見えるまちのため行政との連携で「条例化」
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政策科学
15−3,Mar.2008
上げてきた有名旅館経営者個人とそのつながりこそ、由布院が今日ある基盤といえよう。
まちそのものが心を癒し、楽しませるという発想と行動は、次の展開を生み出す。ただの温
泉地だったところに、今では30ヵ所ほどの美術館・ギャラリーがあり、質の高い木工の工房が
あり、チョコレートやケーキ、いずれも一流のモノが生み出されている。その新しいシンボル
は山の中腹に山荘・無量塔(むらた)が新たに創出し続けているギャラリー、ショップ、レス
トラン、バー、ライブラリーなど魅力空間の数々であろう。この一画だけで大都市にひけを取
らない充実した時間を過ごせる。「小都市空間」をつくってきたのである。
由布院が人を引きつけるのはまちのカタチだけではない。辻馬車からはじまって、映画祭、
音楽祭、牛喰い絶叫大会、食べ物文化フェアと、年中飽きさせることのない、文化的刺激が充
満している。それらを続けるのは大変なエネルギーだと思われるが、徹底した「おもてなし」
スピリットがそのバックボーンにある。これからの観光にきわめて重要とされるホスピタリテ
ィの真髄をみることができる。
30年前の由布院は、こうではなかった。せいぜい訪れる人は1日2〜3千人、年間100万人
そこそこ。さびれた観光地に年間400万人、毎日町の人口と同じだけの人が訪れるだけの力を
貯えてくるのには、まちづくりの歴史がある。大型集客施設は一つもない、ビックプロジェク
トなきまちづくりを支えてきたのは人とそのつながりと思う。溝口薫平、中谷健太郎、志手淑
子といったリーダーグループ。そして藤林晃司、桑野和泉、米田誠司といったニューリーダー。
まちの人は彼らのやることを見ていると、何をやれば良いかわかる、と言う。大・小かかわら
ず、まちのいろんな団体・グループが網の目のようにつながり合い、それをリードする独自の
スタイルが持続している。その要の位置にあるのが由布院観光総合事務所だろう。まさに実力
派タウンマネージメントの見本ともいえる。
由布院では、旅館がまちづくりの重要な核となってきた面が強い。歓楽型温泉地が団体客を
集めていた1960年代、大型旅館も歓楽施設もなかった由布院はさびれた温泉地であった。亀の
井別荘の中谷健太郎氏や玉の湯の溝口薫平氏は、地元の豆腐やお寺の住職の話など由布院で自
慢できるものを旅館からまちへ出て探し、お客さんを由布院のまち全体でもてなした。こうし
たもてなしのスタイルは旅館とまちを密
接につなげ、現在の由布院の大きな魅力
となっている。例えば、一般的に旅館は
1泊2食付きというスタイルであるが、
B&B(Bed & Breakfast)方式をとり入
れ、宿泊客がまちなかや他の旅館で自由
に食事できるようにしている。由布院を
訪れた人がまちを散策する中で旅館のシ
ョップやレストラン、カフェやバーを利
用することもできる。
由布院・コミュニティガーデンの先駆をめざす「亀の井別荘」
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また、まちに魅力がなければ旅館も成
都市再生におけるタウンマネージメント(高田)
り立たないとの考えから、まちなかに店
を増やすための起業支援も行ってきた。
旅館の料理人を独立させて小料理屋を開
店させる、旅館のジャムづくりの職人を
独立させてジャム店を開店させるなど、
こうして起業した店は20店舗以上にのぼ
る。地元農業や加工業とも密接に結びつ
いており、旅館では地元食材や地元でつ
くられたクラフト食器などを活用し、シ
ョップでの販売も行う。
由布院のまちづくりは、まちを支える
由布院・街なかの空地を環境緑地として取得した「玉の湯」
大・小いろんな団体が、ゆるやかに連携してきたこと、それをつなぎとめる優れたリーダーグ
ループの強い結束がつちかわれてきたこと、といった独自の「目に見えない仕組み」に特徴が
見出される。
また、まちづくりの各事業を構想し、実行するプロセスで、そのつど実行母体となるグルー
プを編成し、熱心に共同学習と話し合いをくり返すというスタイルが定着し、それらを通じて、
さらに人と組織力のスキルアップが達成されてきた。それらの動きのコアにいつも存在するの
が由布院観光総合事務所である。由布院観光総合事務所は、由布院温泉観光協会と由布院温泉
旅館組合が共同でつくった組織で、6人のスタッフをかかえてまちづくりのコーディネート、
ネットワーク、調整などの役割を担っている。
信頼性の高い実務体制とそれを支えるつねに高い志をもち、深い知恵をもつリーダーグルー
プ・組織連携による果敢な行動が伴って、由布院は、まだまだ新しいサスティナブルツーリズ
ムの世界を切り拓いていくはずだ。
観光協会
観光総合
事務所
行政
外部
サポーター
図3
旅館組合
各種団体
民間事業者
商工会
市民
グループ
由布院における関係組織のゆるやかな連携(筆者作成)
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政策科学
15−3,Mar.2008
ここで紹介した3ケース以外にも長野県・飯田市の㈱飯田まちづくりカンパニー、兵庫県・
丹波市の㈱まちづくり柏原などで、それぞれの地域に独自のタウンマネージメントを形成しつ
つある。しかし、その形成は「型」や制度にあてはめるやり方ではなく、地域に根づいてきた
市民の連帯、絆を基盤に、地域の事情、必要性に合わせて、新しい組織とネットワークを一段
一段つみあげるプロセスである。またそれらに共通するのは、コア組織となるのはNPO、まち
づくり会社、任意団体のセンターと形態は一律でないが、優秀なスタッフを抱え強いイニシア
ティブと影響力を発揮しつつ、民主的な運営や新・旧外部組織、専門家チームとのつながりを
大切に、どんどんネットワークを広げていることである。タウンマネージメントもまた多様で、
複合的である。
Ⅳ.タウンマネージメントの形成とタウンマネージメント組織
1.タウンマネージメントの意義と必要性
都市再生という言葉のもつ内容や範囲が時代と共に変化し、とりわけ今日のように都市が大
きく、早く変容する時代には、その定義も流動的となるということを前に述べた。同時にタウ
ンマネージメントというものも、地域により様々な主体、形態、機能がみられることが事例を
通して示される。
実はそのこと自体が重要なのであり、画一的で、類型的でないタウンマネージメントこそが、
効果を発揮するものと思われる。企業のマネージメントでさえ、単一のマニュアルで成果が得
られるものではないことを想起すれば、長い歴史、独自の産業や文化、そして多様な人と生活
を内包する都市のマネージメントは、簡単に類型として括れるものではない。まずは、そのこ
とを念頭に置くべきであろう。
しかし同時に、現代多くの地域でタウンマネージメントが必要とされていること、そして欧
米の例を見るまでもなく、タウンマネージメントの有無、あるいはその力の強弱により、地域
の行方が大きく左右される時代を迎えていることは確かである。ここで改めてタウンマネージ
メントが求められる背景を整理しておきたい。
端的に言えば、都市再生をめぐる状況が、従来からの都市の管理・経営のやり方では対応で
きなくなってきているということであろう。その状況を構成する主な要素は以下のようである
と考えられる。
(1)都市構造の転換―コンパクトなまちへ
20世紀の後半、都市は人を集め、業務機能を集積、高度化しつつ、空間として拡大を続け、
そのことが都市の発展と見えていた。ある程度の都市の拡大は必要であろうが、それを続ける
ことは矛盾をはらむことにつながり、すでにそれは限界点に達している。
郊外の丘陵、農地を開発で失い続けることは、都市の環境、食料の自給という基本問題を大
きくする。そこに住む人たちは長時間の移動を毎日余儀なくされ、環境・エネルギーの浪費と
共に人間らしい心身の健康を蝕まれる。大型商業施設や公共施設の郊外化も同じ問題をもつ。
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都市再生におけるタウンマネージメント(高田)
都市の外に向かう成長は、固有の価値ある歴史的市街地の疲弊や都心部の空洞化をも招く。長
い年月かけて培われてきた人と人、人と地域のつながりを希薄にする。そこに子どもを育て、
女性や高齢者などの自立を支える力を失い、防犯、防災といった面でもコミュニティとしての
力を弱めていく要因が秘められている。
このような都市が抱える深刻な事態に対し、1980年代から欧米ではコンパクトシティ論が盛
んに展開されるようになり、EUによる1990年の「都市環境に関する緑書」をきっかけとして、
コンパクトシティのキャンペーンが盛んとなるとともに90年代後半、多くの国、都市で郊外開
発を抑制する政策がとられ、実践例も見られるようになってきた。多くの先進国で、都市は拡
大から凝縮へ向かおうとしているのである。
わが国では、超長期に及ぶ人口減少社会への突入、底知れない自治体財政の悪化、という現
実は、もはや都市拡大は必然性もなければ、可能性すらなくなりつつある。真剣にコンパクト
なまちづくりへの転換を考えなければならない。
コンパクトシティについての考え方を、海道清信は欧米でのコンパクトシティ論を踏まえて
以下の通り整理している。
①高い居住と就業などの密度
②複合的な土地利用の生活圏
③自動車だけに依存しない交通
④多様な居住者と多様な空間
⑤独自な地域空間
⑥明確な境界
⑦社会的な公平さ
⑧日常生活上の自足性
⑨地域運営の自律性
このような方向で都市再生を達成するには、長い時間と大きな力が必要とされるが、少なく
とも始動させるためには都市の計画、開発、経営に市民が深く参加する、新たな共同とパート
ナーシップの枠組みが不可欠となる。
(2)公・民関係の見直し―公民協働と多様な民間主体の参画
都市を動かす原動力として、これまで長年公共事業主導と民間の市場原理依存の両極にふれ
てきた。行政はハコモノと呼ばれる大型公共施設はもとより、道路、鉄道、上・下水道、さら
には臨海部の埋立て造成、丘陵部開発といった大規模な公共事業をリードしてきた。民間は工
場団地・コンビナートからはじまって、オフィス群、ターミナル開発、ショッピングセンター、
ホテルやアミューズメント施設、そして近年は高層・大型マンションと、その折に最も収益性
の高い事業を競い合ってきた。
しかし多くの大規模公共事業は大きな赤字を抱えたまま終戦処理へ。市場原理に委ねた民間
事業は自らの中には過剰投資、外には都市機能の極端なアンバランスという負荷を残そうとし
ている。新しい都市再生の時代にふさわしい公共、民間の役割とその関係性の見直しが迫られ
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政策科学
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ている。行政は限られた財源の一方で、多様化し、広がる行政需要にどう対応するのか。都市
政策の各分野で何が優先されるべきか、民間がやれることは何か、そのために行政がやるべき
ことは何か、といった点検を科学的、計画的に行わなければならない。
例えば高齢者対策というのはかつて国の敷いた、それも猫の目のように変わってきたレール
に乗っているだけでは効果は極めて低い。実際には「福祉」以前の就業や自己実現、居住、安
心・安全、相互扶助が課題となっている。子育て支援は狭義の福祉としての「保育」だけでは
なく、小家族化が進む中で孤独な女性を支え、社会参加を促すことを含む、生活の安定抜きに
語れない。若者定住はその時代に合った住宅と共に仕事、遊びや学びがセットでないと実現し
ない。いずれもコミュニティの再構築を伴う施策展開が求められるところである。
そこで、市民活動で行われている子ども・子育てサークルやNPO、企業の子育て支援サービ
スとの連携、シニア世代によるコミュニティビジネス、地域の中小企業による福祉事業、市民
グループによるコーポラティブ住宅のような自立する共同事業といった新たなまちづくりの枠
組みを創造し、確立していくために行政が果たせる役割は多い。しかし、それは市民、民間と
共に考え、行動しなければならないことでもある。
まちづくり三法(大型店立地法、都市計画法、中心市街地活性化法)が2006年、抜本見直し
された。そのねらいの基本は、都市機能を分散させず、集約させ、コンパクトでにぎわいある
まちをつくろう、との方針である。そのために、都市計画法で市街化調整区域における開発、
大型集客施設の郊外立地を規制する一方で、商業、住宅はもとより公共交通、文化、福祉、医
療、健康など多様な都市機能がまちなかに集約することをめざす。その実現にむけて、行政も
参加し、民間主導のまちづくり会社や商工会議所を中心とする中心市街地活性化推進協議会の
設置を法律で位置づける。そして行政が活性化効果と実現性を兼ねそなえる「基本計画」を策
定し、国の認定を受ける。それらの条件を満たすところに対しては、国が「選択と集中」をキ
ーワードに深堀り支援をする、というもの。それも国の直結補助で、一民間事業者からNPOま
でが対象となる。
まちづくり三法はまだ不十分なところを残しているし、限定されたエリアでしか適用され
ないが、都市再生の新しいスキームのあり方を示唆していることは確かだと思う。この制度
で私自身プランづくりに参加している滋賀県大津市では50件近くある事業計画のうち、事業
主体が多くの民間事業者に委ねられるものが7割を占める。長野県飯田市においても、ほぼ
同様である。
ここで課題となるのは多分野、各主体にわたる事業を、毎年の予算、事業計画に反映させ、
一貫性をもってコーディネートしていく機関の存在である。また多様な民間の事業主体が収益
性を保ちつつ、まちづくりの一端を担えるような動き方に向けていくための誘導・推進機能も
求められる。行政の実施する事業に市民の参加を促し、管理・運営に民間が参入するつながり
を継続的に企画・調整する役割も必要となる。いずれも従来の行政、民間組織だけでやれるこ
とではないし、単独の組織でやるべきものでもない。新たなタウンマネージメントの登場が望
まれるのである。
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都市再生におけるタウンマネージメント(高田)
(3)計画論の再構築―持続可能な都市再生のために
各地域における都市政策の基本になると見なされるものは、多くは10年先を目標年次とし、
それぞれ根拠法をもつ自治体の総合計画(地方自治法)や都市マスタープラン(都市計画法)、
土地利用計画(国土法)である。
それらの計画は、福祉、教育、環境、産業、交通、住宅といった従来からの施策体系を基盤
として組み立てられる。行政運営が日常的にタテ型テーマで行われている限り、それが必要で
あることは否定できない。しかし前述したように少子・高齢化対策は「福祉」ではない。また
現象を表面的、統計的に捉えたデータをもとに政策立案されるだけではとうてい問題発見、解
決に到らない場面が広がっている。少子化対策のために結婚を促す、それで駄目なら二子、三
子の誕生を促す、といった「施策」などがまかり通っているレベルが現実に多く見られるので
ある。少子化を克服しつつある北欧などではその類の「少子化対策」に力を入れたのではなく、
教育、就業や住宅そして母子・父子家族も含めて安心して子どもを生み育てられる市民生活全
般を支える社会システムの構築に取り組んだ結果としての少子化傾向脱皮なのである。
従来の対症療法的で、タテ割型の取組みを脱し、深く専門的で、横断的な研究・分析と創造
的で現実性をもつ構想力がどうしても必要である。
さらには、どの都市にとっても「持続可能な都市(サスティナブル・シティ)」をめざすため
の議論は避けて通れない時代である。言葉としては、むしろ氾濫気味のキーワードであるが、
その具体性を伴う都市形態については十分に理解されているとはいえないだろう。イギリスの
建築家リチャード・ロジャースは、サスティナブル・シティの特性は以下の7要素としている。
①正義の都市:食物、教育、保健、希望がフェアに配分される。
②美の都市:芸術、建築、景観がイメージをかきたて精神を高める。
③創造的な都市:開かれた心と経験が人的資源のポテンシャルを高めて変化にすばやく反応
できる。
④エコロジカルな都市:生態への影響を最小限にし、景観と市街地形態がバランスし、建物
とインフラが安全で資源が効率的に使われる。
⑤到達のしやすさと移動性が高い都市:フェイス・ツー・フェイスでも通信手段でも情報が
やりとりしやすい。
⑥コンパクトで多中心(ポリセントリック)な都市:農村地域を保全し、近隣コミュニティ
が結ばれ、交流が高められる。
⑦多様な都市:幅の広い重層的な活動が活力を生み、活気のある市民生活を促す。
このような都市像を、それぞれの地域で具現化するためには、行政が一部の研究者、コンサ
ルタントと軽い相談をする、形式的な市民参加機会を設ける、という方法ではとうてい手の届
くところとはならないだろう。適確な情報の収集と提供、市民、行政それぞれの共同学習、専
門チームによる研究、構想提案、民間企業のノウハウ・技術提供といった取組みが精力的に、
協働のスタイルをとりながら行われる必要があるだろう。ここでも都市の管理に新しい枠組み
が求められるのである。
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政策科学
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また時代の流れはとても早い。これまでのように2〜3年かけて10年先の計画をつくると
いうような方法は、多くの場合、現実と隔離しているといえないだろうか。基本構想の骨格
くらいは半年くらいでまとめあげ、少なくとも1年目でモデルプロジェクトを示し、2年目
に事業バリエーションを多様化し、3年目には本格的な事業展開、5年で成果、そして評価、
見直し、というくらいのスピード感が求められるのではないか。2〜3年もかけて計画をつ
くっていたのでは、すでに前提条件が変わってしまっている。人の意識、ニーズの変化にも
乗り遅れる。
計画の内容でも、大型プロジェクトを一つやって上がり、というのではなく、効果的なミニ
プロジェクトを持続的、連鎖的に展開する方向に転換することだ。また単一の事業手法・主体
ではなく、多様な手法・主体の導入が有効となる。
そこで必要となるのは、それらを統括的に企画し、展開するための進行管理、すなわちタウ
ンマネージメントといった機能である。その主たる担い手は考え、行動する内容からして民
間・市民のネットワークであり、コアの役割を果たすプロフェッショナルである。行政はその
動機をつくり、サポートする、というのが主な役割となるだろう。
2.タウンマネージメント組織
(1)タウンマネージメント組織の成り立ち
わが国でタウンマネージメント組織が制度上明示されるようになったのは、1998年の旧中
心市街地活性化法以来である。市街地の整備改善と商業活性化を目的とした同法にもとづく
事業を推進するためには、さびれた商店街などを一つのショッピングモールと捉えて、まち
全体を総合的に経営する考え方をとる必要がある、との方針から、その主体を商工会議所・
商工会か第三セクターのまちづくり会社のいずれかをTMO(Town Management Organization)
とする旨が義務づけられた。そのことにより、以前はほとんど知られていなかったタウンマ
ネージメント手法というものの存在が、地域商業者などの間にも認識されるところとなった
のである。
しかしこの制度による多くのTMOは、一つには必ずしもタウンマネージメント能力を備え
た機関ではないのにとり急ぎ制度の枠にあてはめようとしたこと、もう一つには商業活性化に
偏っていたことにより、十分にその成果をあげるに到らず、2006年の中心市街地活性化法を含
むまちづくり三法の抜本的改正につながる。
本論に述べようとするタウンマネージメント組織は、旧法によるTMOとは区別したい。そ
れはかつてTMO手法の創設がモデルとしたのは、欧米の事例や長浜の㈱黒壁などであった点
では共通するが、制度そのものも限定的であり、制度により短期間に「大量発生」したTMO
は、本来のタウンマネージメント組織の体をなしていないと見られるからである。
タウンマネージメント組織は、突然にして成立するものではない。㈱黒壁が誕生する1 0
年以上前に、光友クラブという「文化と教育を語る会」として、経営思想を学び合う真剣
な集まりができており、未来ながはま市民会議という青年会議所O B を中心とするまちづく
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都市再生におけるタウンマネージメント(高田)
り団体ができている。それらの組織は、行政職員と、市民、企業人がまちづくりの情報と
行動を共にする場となり、質の高い文化・まちづくり事業の実践を重ねつつあった。由布
院では、ゴルフ場建設に対抗する自然保護運動、暴力排除の戦い、そして「外資」による
高層ホテル建設への対抗策として行政と手を組んで環境・景観条例の先駆けをつける、と
いった行動を通じて、持続可能な観光のあり方を長年かけて共通の理念として構築してき
た。神戸・新開地では、任意のまちづくり協議会を何とか立上げてからN P O 法人の設立ま
で1 4 年の歳月をかけている。実力を伴うタウンマネージメント組織にはしかるべき前史が
ある。
大抵の地域には、まちづくりをめぐって憂い、志をもつ人が居り、まちづくりの土壌や種は
あるはずだ。しかし、それらは必ずしも既存の商工団体等に結集されているものではないこと
の方が多い。大津市でも4年程前TMO設立へ、という課題が出た時、多くの人たちが悲観的
であった。その理由の第一は、商店街や既存団体に「やる気がない」というのである。しかし
その後、誰もが参加できる開かれたフォーラム、集中的にアイディアを出し合うワークショッ
プ、商店街の有志による車座の会合、そんな機会が重ねられた。そして行政が都市政策の根幹
にまちなか再生をすえるという明確なメッセージを発する、といった道程を経て、タウンマネ
ージメント組織を立ち上げることができたのである。
今日、全国的にモデルとされるところは、「カリスマの存在」あるいは、「自然発生的」成果
とみられることがあるが、必ずしもそうではない。リーダーグループが明確な方向性をもち、
適切な手順を踏み、地域に潜在する力を引き出すことにより、意図的、計画的に、そしてスピ
ーディにタウンマネージメント組織を成立させることができる。その発意は一市民であっても、
一行政職員であっても、地域の友人たちの小さな集まりであってもよいのである。大切なのは
発意を次へ次へとつなげていくステップである。
(2)タウンマネージメント組織の特徴
わが国では多くのタウンマネージメント組織は、行政が人や資金の一部を出す第三セクター
の形をとる。そこで「かつての第三セクター」がもつマイナスイメージが伴うことも少なくな
い。しかし、タウンマネージメント組織は外郭団体としての第三セクターや大規模プロジェク
トのための第三セクターとは全く目的や体質を異にしている。
わが国でタウンマネージメント組織の多くが第三セクターとなるのには二つの背景があるの
ではないだろうか。一つはNPO、非営利組織の法制度面、そして担い手面での弱さ、未成熟さ
である。もう一つは、道路・広場・住宅・公共交通といった都市政策上の基盤が欧米諸国と較
べてかなり立ち遅れており、都市再生に必要な事業の中で行政が果たすべき役割が今なお大き
い、という現実がある。
ここで、日本型とも言うべきタウンマネージメント組織の特徴について、先例や、法改正と
ともに動き出している新しい事例をもとに整理しておきたい。主な特徴は以下に記す四点に要
約できよう。
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政策科学
15−3,Mar.2008
①公益性
都市再生のためにまち全体を管理するという立場にあり、きわめて公益性の強いポジショ
ンにある。しかし、行政や既成団体が「公平性」「平均的」を求められるために思い切っ
た手を打てなかったのと違って、都市経営の視点で事業の優先性を意識し、重点的な取組
みへのシフトが可能である。
②独立性
自発的設立、自治的運営、自立経営を基本とする。法人格をもち、契約の当事者となり、
従来の組織では実施が困難であった空地・空家の借上げ、取得やテナントミックスなどの
事業主体となりうる。
③総合性
まち全体を管理し、都市再生を達成するためには、タウンマネージメント組織そのものが
都市再生にかかわる総合的能力を備えていると同時に、行政・市民・NPO・企業等各分野
が連携して支えるべきものである。
④専門性
都市再生に向けて創造的で、効果的なプランニング、事業推進を行うためには、当然既存
の組織にはない専門的能力が求められる。様々な主体が参加する事業をコーディネート、
場合によってはプロデュースするのも高度な専門職能である。
以上のような特徴を生かしていくことは、実際には容易ではない。公益性や総合性をまっと
うするためには一定の権限の附与が必要となる場面がある。収益性のみ追求しても経営体の維
持がそんなに簡単なものではないことを考えると、公益性と自立経営のバランスをとることは
特にむずかしい。事務所維持のような日常業務に伴う負担を軽くする工夫や経営収支がレール
に乗るまでの何年間かは行政が側面支援すること、安定収入源の確保といった地域社会がサポ
ートしない「自立」は困難とみるべきであろう。
専門性の面でも、長年のストックをもつシンクタンクやコンサルタントを超える力を早い段
階に持つことは現実的ではない。むしろ外部の専門家との業務提携が効果的となる。しかし、
ビジネスライクな提携にはそれほど期待できない。都市再生を共にする専門ブレーンは、地域
への愛着と高い志をも共にできることが条件となる。
(3)タウンマネージメント組織の役割、事業
神戸の新開地まちづくりNPOは、設立時の企業基金により取得した自前の3フロアーをも
つ建物を店舗、多機能ホールとして活用して、自らが集客・交流拠点を経営しつつ、映画・
音楽・寄席など年に10回以上のイベントを実施、さらに「街角ガーデニング」「まちなみデザ
イン事業」「灯かりのいえなみ」「店舗誘致事業」といった定常的なまちづくり活動をこなし
ている。
長浜の㈱黒壁は、NPO法人や別会社など関連団体を生み出しながらさらに事業規模・範囲を
広げている。当初のガラス館、スタジオに加えてガラス美術館、ステンドガラス館、グラスギ
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都市再生におけるタウンマネージメント(高田)
ャラリーなど10館の直営、さらに企画・あっせんや関連会社の参画などで20館を加えて30館の
黒壁グループ協議会が活性化を牽引してきた。並行して㈱黒壁が主導しつつ、新長浜計画㈱を
設立し、空ビル取得によるオルゴール堂、まち家横町、ミュージアムとしての利用の他、駐車
場運営、高齢者による店づくり組織・プラチナプラザの事務局代行と事業範囲を拡大している。
さらにNPO法人まちづくり役場を設立し、マップ作成、出版、ラジオ放送のサテライト運営、
大学連携プロジェクトといったソフト事業を多方面に展開してきた。
由布院では、由布院観光総合事務所を観光協会の中に置き、旅館組合、まちづくり情報セン
ターなどの関連団体がつながり合いながら、全国発信の多彩なイベント企画・運営から充実し
たホームページを軸にした着地型観光の拠点機能を果たし、国民宿舎の指定管理者となって滞
在型保養地への試行に取り組む、名物となっている辻馬車運営、由布院駅アートホール運営と
その事業はきわめて多岐にわたる。また、他の地域では類をみない学習、調査・研究開発が多
分野に及び継続性を保っていることに注目しておくべきだろう。観光地としてのもてなし、料
理をますます深めている他、ボランティアガイド、緑化美化、農村景観保全、ユニバーサルデ
ザイン、伝統芸能継承、子育て支援、グッズ制作、マーケティング、共同購入、国際化対応と
その多様さは群を抜く。この内に向かうソフトの充実が、地域の人を創り、合意を合成しつつ
由布院の魅力を維持し、価値を高め続けている源泉ではないかと思う。
このように見てくると、タウンマネージメント組織が実際に行っている内容は一様ではなく、
地域により、そして同じ地域においても組織の発展段階により異なるといえる。その前提に立
った上でタウンマネージメント組織の果たす役割、主な事業、活動範囲について共通する点を
要約すると以下の通りと考えられる。
①都市再生の目的にかなう事業計画の立案、コンセンサス形成
②多様な事業主体による事業の掘り起し、企画提案、事業化プロデュース、経営サポート
③まちづくりの推進機構(中心市街地活性化協議会など)の事務局運営、企画・調整
④先導的プロジェクト、テナントミックスなど既存組織では取組みにくい事業の実施
同じ中心市街地であっても後背人口150万人規模の神戸市、10万人規模の長浜市、そして1
万3000人の由布院盆地の三ケースを中心に、国内各地さらに欧米の動きを視野に入れてタウン
マネージメント組織を考察してきた。都市規模をはじめ、地域の特性により都市再生の方法も
タウンマネージメント手法にも違いがあって当然である。しかし、小さなまちに世界に通じる
都市魅力、世界に発信できる力を有することが可能な時代である。同時に小さなまちが、失っ
てはならない固有の価値とともに、荒廃し、埋没することで、やがて日本全体が沈んでいく姿
を見るにはしのびない時代に向かっている。
ここでは、都市再生への取組みが急務であるとの問題意識から、日本の現状、地域の特性を
踏まえて、「すぐにでも、その気になればやれそうなこと」からメッセージするのが現実的で
ある、との考えで議論を進めてきた。しかしおわりに付言しておかねばならないのは、日本の
置かれている状況は深刻であるにもかかわらず、この面で後発的であるということである。
都市再生をめざして欧米の多くの都市ではサスティナブルシティ、コンパクトシティ、さら
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政策科学
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にはその次の展開について都市政策の根幹にかかわることとして研究を深め、現実の政策課題
として行動プログラムを機能させている。EU、政府、専門家集団などが常に議論を深め、提
言を活発に行っている。タウンマネージメントについても法制度として、1980〜1990年代に第
一段階の確立を成し、今は更に高度な水準をめざす第二ステージにかかっている。タウンマネ
ージメント組織は、人的・組織的・経済的力量において、日本にみられる事例と同じ線上で評
価するには失礼なところに到達している。ここで紹介した「日本の先進モデル」が、その位置
に安住することなく、さらに高いレベルをめざすことを期待せずにはおれない。
地方都市、小都市にこそタウンマネージメントの樹立が望まれるし、都市再生にむけてより
効果的で、行動力のあるタウンマネージメント組織形成の可能性が高いことを先例が示してい
る。地方からの危機感をもった意欲ある取組みが続き、それらを強力にサポートする国の都市
再生・タウンマネージメント推進の政策を求めたい。
Ⅴ.おわりに―公民の役割分担と協働への視点
これまで「公」の分野は行政が役割を担う、そして民間のすることは「私」の分野である、
との線引きが長年定着していた認識である。しかし時代は変わって、「公」のパートをどれだ
け民間が担えるか、さらには民間の行動が「公」をより質の高い、豊かなものにしていけるか、
が問われている。全国のまちづくりをリードしている長浜や由布院は、正に民間が「公」をど
んどんひろげてきた街だ。月並みなやり方との違いであり、そこにこれからの都市間の格差を
生じる大きな要素があると思う。
地域が子どもや高齢者を支え、安全な地域社会をつくっていくためには、従来からの福祉・
防災行政以上に強いコミュニティの形成が不可欠となっている。環境を守り、まちなみを整え
ていくのに、都市公園や公共施設の緑化には限界があり、待ったなしの目標達成には身近な街
角のコミュニティガーデンから省エネ・省資源システムの導入に市民、企業が組織的に強い行
動力を発揮する他に方法は見当たらない。人口減少時代の都市再生には、交流人口を増やし、
観光を振興させることを真剣に考えなければならない。少子化対策の決め手は、行政の限られ
た事業ではなく、地域社会の子育てパワーの向上であろう。
要は市民が地域社会の主人公と位置づけられ、行動の主体となるという市民社会を現実の
課題として目指し、その実現へのプログラムを持たない限り、都市に明るい未来は見えない
のである。しかし、それは、手をこまねいていては、何も変わらない。「がんばる行政」では
なく、「がんばる市民」のために、行政に何ができるのか、という点が勝負どころではないだ
ろうか。自治基本条例やまちづくり条例といった制度としての枠組みも必要であるが、それ
以上に行政職員が市民と共に情報と知恵を出し合い、市民の自発的、主体的な活動の動機づ
け行い、行動を促していく協働のプロセスが意味をもつ。その延長線上にタウンマネージメ
ントが確立される。
その意味では、タウンマネージメントの組織論、事業論以上に重要なのは、都市再生における
公民の役割と協働関係を、それぞれの地域で真剣に見直し、再構築することではないだろうか。
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都市再生におけるタウンマネージメント(高田)
そこで基本として押さえるべき課題を、改めて要約しておきたい。
①都市再生へ市民・民間組織の主体的参加
市民活動団体、NPO、地域産業などの民間がその活動範囲を拡大し、都市再生の主たる担
い手にならない限り、市民の地域への愛着も行動も湧きあがることはない。そのための市
民の意識の高まり、組織化、社会的支援の充実が望まれる。
②公民によるパートナーシップ型のまちづくりの確立
公共と民間が協働体を形成する、公共と民間が一つの事業の各断面を分担しあう、など多
様で柔軟な枠組みを様々な場面で実行できるように、行政、民間それぞれが従来の枠をは
み出すことに躊躇しないことを願いたい。
③行政のまちづくりおけるイニシアティブの発揮
特にまちづくりの基礎自治体である市町村が、まちづくりに対する理念を明確化し、率先
して発言、行動する主導性を示すことが求められる。
都市再生、タウンマネージメントいずれも未知の部分が大きい。しかしわが国そして世界の
多くの都市においてこの20年間程で大きな進展があり、その必要性と効果が明らかにされてき
た。その先に市民がまち全体を管理するというめざすべき市民社会が見えている。今多くの課
題を抱えつつも、タウンマネージメント第一世代が次世代にどのように引き継いでいくかが問
われている。
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