パニック障害(西洋医学編)

パニック障害(西洋医学編)
はじめに
パニック障害は 100 人中2人が発症するといわれており、けして珍しい疾患ではない。日本では
かつては「心臓神経症」や「不安神経症」と呼ばれていたが、1980 年にアメリカ精神医学会により
パニック障害とうい診断名に統一された。最近は心の病と考えるよりも、脳機能障害として扱われ
ている。またパニック障害ではうつ病を併発することが多いため、本文ではパニック障害に加えて
うつ病についても述べていく。
Ⅰパニック障害
1.定義
パニック障害は不安障害の一種で、突然理由もなく、動悸、呼吸困難、胸痛、めまい、吐き気など
多彩な身体症状が出現し、激しい不安に襲われるといったパニック発作(表1)を繰り返す病気で
ある。
不安障害:
心理的に何らかの不安があり、そのために抑うつ状態が引き起こされたり、動悸・発汗・
下痢・腹痛などの身体症状が現れたりする病気。
2.症状
突然に息切れ、めまい、動悸などのパニック発作を発症するが、10 分ほどでピークを迎え、その後
は 30 分以内に症状が収まる。
1)パニック発作
表1 パニック発作の診断基準(アメリカ精神医学会)
強い恐怖や不快を感じるはっきり他と区別できる時間で、その間、以下の症状のうち4つ以上が突然
出現し、10分以内にそのピークに達する。
①動悸、心悸亢進、または心拍数の増加
②発汗
③身震いまたは震え
④息切れ感または息苦しさ
⑤窒息感
⑥胸痛または胸部の不快感
⑦嘔気または腹部の不快感
⑧めまい感、ふらつく感じ、頭が軽くなる感じ、または気が遠くなる感じ
⑨現実感消失(現実でない感じ)、または離人症状(自分じゃない感じ)
⑩とんでもないことをしたり、気が狂うのではないかという恐怖
⑪死ぬのではないかという恐怖
⑫異常感覚(感覚麻痺またはうずき感)
⑬冷感または熱感
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2)予期不安
パニック発作を経験した後に、「またあの発作が起こったらどうしよう」という強い不安を持つこ
とを予期不安という。さらに予期不安が思考を悪循環のループに陥らせ、パニック発作を誘発する
ことがある。
3)広場恐怖
パニック発作が起こった場所や状況に対して不安を抱き、そのような場所や状況を避けるようにな
ることを広場恐怖という。広場恐怖の対象となる場所や状況は人によってそれぞれ異なるが、一般
的には、電車やバス、車、飛行機、エレベーター、歯医者、美容室、映画館、会議室など、人ごみ
もしくは一人きりになる場所、逃げるに逃げられない状況が多い。広場恐怖はパニック障害の症状
のひとつだが、パニック発作・予期不安のように必ず起こるわけではなく、広場恐怖の症状が現れ
ない場合もある。
4)うつ病
慢性化してくると、約半数はうつ病を合併する。うつ病の中でも不安うつ病、双極Ⅱ型障害の病型
をとる者も多い。
不安うつ病: 不安発作が繰り返されることで生じてくるうつ病で、気分変動性、対人関係への
過敏性、手足の鉛のような重さ、過食、過眠などの「非定形うつ病」の特徴を持
つ。
双極Ⅱ型障害: 躁の状態が軽い躁うつ病。
3.診断基準(アメリカ精神医学会)
臨床症状が次の①~④のすべてを満たすことで診断が確定する。
①表1の13項目のうち4項目以上を伴うパニック発作が、2度以上予期せずに突然起こっている。
②いずれかの発作後1ヶ月以上、予期不安が続いたり、大変な病気になってしまったと悩んだり、
仕事を辞めるなどの大きな行動上の変化が起こっている。
③薬物の影響や身体疾患では説明できない。
④他の精神疾患では説明できない。
なお、広場恐怖を伴っているかどうかも、必ず評価しておくことが必要である。
4.病因・病態生理
パニック障害の原因は未だ解明されていない。何か1つの原因で起こるのでは無く、複数の要因が
重なり脳の機能障害を来たしパニック障害に至ると考えられている。
1)遺伝的要因
パニック障害の患者の家族がパニック障害を生じる確率は、一般の人の約8倍多くみられる。
しかし、パニック障害の原因となる特定の遺伝子は見つかっておらず、多因子遺伝(特定の遺伝子
ではなく、多くの遺伝子領域が関わり合って発症する)ではないかと推測されている。
また男女比では女性の方が、男性よりも2倍多い。
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2)神経生物学的要因
乳酸、カフェイン、二酸化酸素などの物質がパニック発作を引き起こすことが報告されている。
3)神経解剖学的要因
パニック障害は脳の機能障害、つまり脳の神経伝達物質のバランスを欠いた状態である。
特に大脳皮質(前頭前野)、大脳辺縁系(海馬、扁桃体等の総称)などに分布するセロトニン神経系
のセロトニン(神経伝達物質の一つ)が、何らかの原因で少なくなっていると言われている。
セロトニンの 90%は消化管にあり、脳のセロトニンは 2%ほどだが、この脳のセロトニンが精神を
安定させるためには必要不可欠である。
セロトニン神経系は、脳幹正中部の縫線核群に数万個の細胞体として存在し、その軸索は大脳皮質
から脊髄まで広汎な脳領域に投射し、さまざまな機能に影響を与える(図 1)。
扁桃体は恐怖・不安の発信源であり、そこからの信号を抑制しているのが、セロトニンやGABA
神経系である。抑えるべき監督役のセロトニン系の働きが弱まっている為に、扁桃体からの恐怖や
不安の信号は過剰に高まり、その結果動物的本能としてのいわゆる「戦うか逃げるか固まるか反応」
(「敵が来た」→「呼吸が早まる・脈が高鳴る・手に汗を握る」
)といったいわゆる自律神経系の発
作的な過剰反応(パニック発作)が起こる。
図1
セロトニン神経投射路
(抗うつ薬理解のエッセンス、2006 年、星和書店 から引用)
~セロトニンの伝達~
神経の末端をシナプスという。細胞の中心部分が興奮すると、軸索を通して電気的な信号が伝達
されて、末端部(シナプス前終末)に到着する。シナプス前終末には、「シナプス小胞」あり、
ここに化学物質が貯蔵されている(縫線核の場合は、セロトニン)。
セロトニン系神経に電気的な信号が届くと、シナプス小胞に貯蔵されていたセロトニンが、次の
細胞との隙間(シナプス間隙)に放出される。すると、次の細胞(シナプス後細胞)の受容体が、
セロトニンをキャッチし、次の細胞が抑制されたり、興奮したりする。
前シナプス細胞がセロトニン神経で、後シナプス細胞が、ノルアドレナリン神経であれば、一般
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的には、「抑制」をかけ、ノルアドレナリン神経が興奮(不安、怒りなど)するのを抑制する。
シナプス間隙に分泌されたセロトニンは、前シナプス細胞に吸収され(再取り込み)、再びシナ
プス小胞に取り込まれ再利用される。
~セロトニンの作用~
・大脳皮質を覚醒させ、意識のレベルを調節する。
・自律神経系を調節する。
・筋肉をほどよく緊張させる。
・痛みの感覚を抑制する。
・心のバランスを保つ。
4)心理的要因
パニック障害は、ストレスや過労が発症に先立つことが多い。また不安と思考の悪循環によって発
作が習慣化すること、予期不安・広場恐怖がパニック発作を起こりやすくすることから、心の病気
としての側面も持つ。
5.治療
大きく分けて薬物療法と精神療法に分けられる。
1)薬物療法
パニック障害に対する治療の基本は薬物療法である。選択的セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI) 、
三環系抗うつ剤(TCA)
、ベンゾジアゼピン系抗不安薬などが有効である。
①抗うつ薬
a.選択的セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)
副作用が比較的少なく、身体依存や中止後の離脱反応(薬剤を減量あるいは中止時に一時的に生じ
る身体反応)がほとんど生じない為に、現在パニック障害の治療の第一選択薬である。
パニック障害では、脳内のシナプス間隙におけるセロトニンの濃度が低すぎるため、セロトニン受
容体にセロトニンが作用しにくい状態となっている。少ないセロトニンがセロトニントランスポー
ターに取り込まれて分解されると、脳内の神経伝達物質のバランスが崩れていく。
SSRIは、脳内のセロトニン神経終末におけるセロトニンの再取り込みを阻害し、シナプス間の
セロトニン濃度を上げることで、脳内の神経伝達物質のバランスを整える。
b.三環系抗うつ剤(TCA)
主にセロトニン、ノルアドレナリンの再取り込みを阻害する。
SSRI でも効果の無い時、あるいはその副作用である消化器症状などが強い場合などでは、三環系抗
うつ剤が多く用いられる。欠点は副作用(口渇・便秘・排尿障害・頻脈・口渇・発汗・倦怠感・眠
気・ふらつきなど)が出現しやすい事、過量服薬で致死の可能性がある事。
②ベンゾジアゼピン系抗不安薬(BZD)
利点は即効性(効果発現まで数十分)、そして胃腸障害の副作用がほとんど無い事である。従って
症状の急速な緩和が必要な場合、またはパニック発作時の頓服として、あるいは強い胃腸症状を認
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める患者に対して、第一選択剤となり得る。欠点は鎮静・運動失調・健忘等が起こる場合があった
り、長期使用により身体依存を引き起こしたりする(離脱症状が現れ、結果的に中止しにくくなる)
事、中断後のパニック症状のぶり返しの率が高い事である。使用期間としては約3ヶ月以内に留め
る事が望ましい。
2)精神療法
①支持的精神療法
・傾聴
・病態および症状の十分な説明、今後の治療プランの議論
・保証を与える
②認知行動療法
認知行動療法は、予期不安や広場恐怖の原因となっている場所や状況に徐々に慣れていく、またも
しも不安や発作が起こっても大丈夫だということを確認するなど、行動によって「誤った学習(認
知)」を刷新していく治療法である。
Ⅱうつ病
1.定義
うつ病は医学的には気分障害と呼ばれる。気分障害とは気分のコントロールがうまくいかず、常に
憂うつな気分に閉じ込められている状態である。
2.分類
①大うつ病
強いうつ症状が続くタイプ(双極性障害とは異なり抑うつ症状のみが現れる)。患者数が最も多く、
一般にうつ病という場合はこのタイプを指す。
②双極性障害
強い「抑うつ状態」と気分が高揚した「躁状態」の2つの傾向を併せ持つ。重症型の双極Ⅰ型障害
と軽症型の双極Ⅱ型障害に分類される。
③気分変調症
抑うつ状態は比較的軽いが、その状態が2年以上続くタイプ。
④その他
非定形うつ病:
強い抑うつ症状の他に、日中も強い眠気がある(過眠)、過食、よいことがある
と気分がよくなる、手足が鉛のように重い感覚、人間関係への過敏性などの独特
の症状があるタイプ。
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3.診断
下記の①~⑨のうち、5つ以上の症状に当てはまり(①②のどちらかは必須)、これらの症状がほ
とんど1日中、ほとんど毎日あり、2 週間以上続いていること、且つ①~⑨の症状がA~Dを満た
す場合に大うつ病と診断される。そのうえで付随する症状について分類し、どのタイプのうつ病か
を最終的に診断する。
~大うつ病の診断基準~(アメリカ精神医学会)
① 抑うつ気分:気分の落ち込みを感じる。
② 興味、喜びの著しい減退:全ての活動に対して興味や喜びを感じない。
③体重減少か増加、または食欲減退か増加:この 1 ヶ月で 5%以上の体重の減少か増加がある。
④ 不眠 または睡眠過多:不眠または過眠(10 時間以上)がある。
⑤ 精神運動静止または焦燥:何をするにも億劫で辛く感じ、仕事をするのに時間がかかるように
なった。または焦燥感でイライラしたりする。
⑥ 易疲労感または気力の減退:やる気が出ない、すぐに疲れてしまう。
⑦無価値感または罪責感:自分を無価値な存在と感じて自信がなかったり、過度に自分を責めるこ
とが多い。
⑧思考力や集中力の減退または決断困難:考えるのに時間がかかり、決断ができなくなった。
⑨ 自殺念慮等:生きるのが辛く、死について考えることがよくある。
A混合性エピソード(躁うつ)ではない。
*エピソード:
症状が発現している状態
B著しい苦痛を感じる、または社会的・職業的な機能障害がある(非常につらい、または日常生活
に支障がある。)
Cアルコールや薬物による作用や身体疾患によるものではない。
D死別反応ではない(愛する人を失った後、症状が 2 ヶ月以内ならば離別反応と考えられる。)
4.病因・病態生理
うつ病の発症機序には、神経化学・神経生理学的要因、病前性格、ストレス、依存物質の摂取、季
節変動(環境因子)、内分泌障害(体内環境因子)等多くの要因が関与するといわれている。複数
の要因が複雑に関与するために、うつ病のメカニズムを単純に説明できる仮説は存在しないが、こ
こでは生理学的要因に絞って主な仮説を挙げる。
①モノアミン仮説
ノルアドレナリンやセロトニンの低下が原因とする仮説。
神経伝達物質の中でドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンを総称してモノアミンという。シ
ナプス間隙にモノアミンが少なくなるとうつ状態になる。
②受容体仮説
受容体の機能異常によりうつ病が生じるという仮説。
健常者では、ストレスなどでモノアミンの放出が高まるとモノアミン受容体が減少し、過剰な神経
伝達が伝わらないように適応する。一方、うつ病では病前はモノアミンの放出が少なく、これを補
う為に後シナプスのモノアミン受容体の数を増やしてバランスを保っている。しかしストレスなど
で過剰なモノアミンが放出されると、受容体の数を調整できずに過剰な神経伝達が生じる。
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③視床下部‐下垂体‐副腎皮質系障害仮説
および海馬周辺の神経損傷仮説
ストレスに対する生体反応として視床下部‐下垂体‐副腎皮質系(HPA系)がある。
ストレスがかかると視床下部→脳下垂体→副腎皮質と反応し副腎皮質からコルチゾールが分泌さ
れる。コルチゾールは血糖値や血圧を上昇させてストレスに対する生体反応を引き起こす。このよ
うにHPA系はストレスに反応して一過性に機能亢進が起こる。健常者では過剰なコルチゾールが
分泌されると海馬、視床下部、脳下垂体のフィードバック機能が働いてHPA系の興奮は一過性の
ものとなる。しかしうつ病患者の一部ではフィードバック機能がうまく作用しないために、持続的
なHPA系機能亢進が生じていると考えられている。
④神経細胞新生・神経可塑性仮説
神経細胞の新生や可塑性といった神経細胞そのものに原因があるとする仮説。
以前はヒトの脳神経細胞は再生しないと考えられていたが、その後の研究で脳室周囲や海馬では神
経細胞の新生が起こることが分かっている。一方、うつ病では海馬の神経細胞数が減少しており、
海馬の神経細胞の新生・可塑性の障害がうつ病の原因ではないかと考えられている。
神経の可塑性:
神経細胞間の伝達の効率を良くしたり悪くしたりすることで、外界の変化に対する適応能力を
変化させること。
⑤うつ病の遺伝因子
遺伝が関与することが指摘されているが、メカニズムは解明されていない。
5.治療法
うつ病の治療の基本は、休養と抗うつ薬を中心とする薬物療法である。
①選択的セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)
②選択的セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害剤(SNRI)
③三環系抗うつ剤
④四環系抗うつ剤: 主にノルアドレナリンに作用する。
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