110. 前頭前野における動機付け制御の神経機構とセロトニンの役割の解明

 上原記念生命科学財団研究報告集, 24(2010)
110. 前頭前野における動機付け制御の神経機構とセロトニンの役割の解明
-うつ病の病態解明を目指して-
南本 敬史
Key words:うつ病,動機づけ,報酬,セロトニン,サル
放射線医学総合研究所 分子イメージング
研究センター 分子神経イメージング研究
グループ
緒 言
我々は日常生活において,食べ物・快楽・成功などといった報酬を得るために行動を計画し実行する.ここで我々の脳は,①状
況から予測される報酬の価値,②報酬を獲得するために費やされるコスト,③報酬がどの程度必要かという内部の欲求,の3
つを併せて評価することで適切に行動を動機付けている.この動機付け制御機能の障害が精神疾患における様々な症状を引き
起こしている可能性がある.例えば,自発性の低下,意欲の低下,そして無関心などを主症状とする精神疾患であるうつ病に
おいて,内部の欲求の低下や,報酬の価値を低く見積もる,行動のコストを大きく見積もる,などの動機付け制御機能の障害が
強く疑われる.一方,うつ病の死後脳の前頭前野において 5-HT2 受容体結合が増加しているなどの所見や抗うつ剤の効果か
ら,脳内のセロトニンレベルの低下との関連が注目されている.しかし,うつ病にみられる動機づけの低下とセロトニンとの関係
について,十分な知見が得られていない.
近年我々はサルに報酬獲得行動を行わせ,その行動から動機付けレベルを定量し,報酬,コストそして欲求との関係を詳しく調
べ,動機づけが制御される仕組みの数理モデルを導出した 1).さらに,この行動課題を用い,前頭前野がコストと報酬を統合し
て評価することに必須であることを明らかにした 2).本研究においては,うつ病同様に意欲の低下や無関心などの症状を呈する
ことが知られている甲状腺機能低下症に着目し,この実験系と数理モデルを用いて,特にうつ病で生じる動機づけレベルの低
下の原因とセロトニンとの関係を調べた.
方 法
3頭のアガゲザル(オス,5-7 kg)を用いた.全ての実験プロトコルは放射線医学総合研究所動物実験委員会の承認を得て
当該ガイドラインに従い実験を行った.サルの水分摂取を制限する.サルの動機づけレベルを測定するために,次のような行動
課題を学習させる.コンピュータスクリーンに呈示されたターゲットを検出してバーを放し,成功した場合,報酬として水またはジ
ュースを与える.その量に4段階 (0.1, 0.2, 0.4, 0.8 ml) あり,それぞれ対応した視覚刺激を呈示して,報酬量に伴って変化
する動機づけレベルを行動で判定する.これまでに,行動のエラー率 E と報酬量 R との間に反比例関係があり,自由パラメー
タ a を用いて E = 1/aR とモデル化できることが分かっている 1).本研究では自由パラメータを1つ追加したモデル,E = 1/
(aR+b) を用いた.ここで,a は報酬量に依存してエラー率を変化させるパラメータであるため,“報酬感受性”と呼び,b は報酬
量に関係しないエラー率を表すため,“コスト感受性”と呼ぶことにした.サルに甲状腺ホルモン合成阻害剤メチマゾール (10-100
mg/day) を投与し,サイロキシン T4 を正常値の半量以下 (2μg/dl) に低下させ,甲状腺機能低下状態にする.経時的に行
動課題を行わせ,行動データをメチマゾール投与前 (コントロール) と甲状腺機能低下状態 (HT) で比較した.また甲状腺機
能低下状態において,SSRI の中でもセロトニン選択性の高い Citalopram (1-8 mg/day) を投与し,セロトニンと甲状腺機能
低下に伴う動機づけ低下との関係,つまり報酬感受性とコスト感受性の変化を調べた.
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結果および考察
3頭のアカゲザルに 1-1.5 ヶ月間メチマゾールを投与することで,サイロキシン T4 の値が正常値の 40% (2μg/dl) 以下に減少
した.この状態で報酬量の予測に基づく動機づけ行動を行わせると,全ての個体において,報酬量に関わらずエラー率の増
大,つまり動機づけレベルの低下が確認された (図 1A).このエラー率と報酬量との関係についてモデルを用いて解析したとこ
ろ,報酬感受性が平均6割減少し,コスト感受性が有意に増大していることが分かった (図 1B-C; HT).またこの動機づけレ
ベルの低下状態で SSRI である Citalopram を投与すると,サルの動機づけ低下が回復した.同様にモデルを用いて解析した
ところ,報酬感受性には変化がなく,コスト感受性がコントロールレベルまで減少していることがわかった (図 1B-C; HT
+SSRI).以上の結果より,甲状腺機能低下症に伴う動機づけ低下には,報酬感受性の低下とコスト感受性の増大の2要因が
あり,後者については脳内セロトニンレベルの減少が深く関わることが示唆された.今後,前頭前野におけるセロトニンの作用と
コスト感受性との関係を調べることで,より詳しい動機づけとその障害の仕組みを明らかにすることができると考えられる.
図 1. 動機づけ低下に伴う行動エラーの増加とその要因.
動機づけ行動課題におけるエラー率と報酬量の関係(A).報酬感受性(B).コスト感受性(C).コントロールに比べ,
甲状腺機能低下状態 (HT) において報酬感受性の有意な減少とコスト感受性の有意な増大が認められた.Citalopram
投与により,コスト感受性がコントロールと差がないレベルまで回復した (C:HT+SSRI).* p < 0.01 Bonferroni
test.
共同研究者
本研究の共同研究者は,放射線医学総合研究所分子イメージング研究センターの大西 新博士,堀由紀子博士,永井裕司
研究員及び須原哲也グループリーダーである. 文 献
1) Minamimoto, T., La Camera, G. & Richmond, B. J.:Measuring and modeling the interaction among
reward size, delay to reward, and satiation level on motivation in monkeys. J. Neurophysiol., 101:
437-447, 2009.
2) Simmons, J. M., Minamimoto, T., Murray, E. A. & Richmond, B. J.:Lesions of orbitofrontal cortex in
rhesus monkeys disrupt assessments of outcome value as a function of cost. Abstract of Annual
meeting of Society for Neuroscience, SanDiego, CA. Program No. 311.4, 2007.
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