もう一度ロシア革命を見直したい サンクト・ペテルブルク紀行 ⑥ 長谷川 了一 なぜ、民衆運動を語らないのか の休日になってしまっている。ロシア革命およ 今回の旅で不可解だったことがある。それ びその後のロシア国の歩みには、たしかに多く は、現地ガイドも日本のガイドもともに、ロシ の負あるいは悪の部分がある。しかし、これら ア史のなかの重要な民衆運動について、なぜ を忘れようとしたり避けようとしたりするの か、まったく語らなかったということだ。それ ではなく、歴史的事実に正面から向き合い、善 は例えば、①ロシア革命について、②革命の指 悪・正邪ともにありのままに見つめ、判断して 導者であるレーニン、トロツキー、そしてスタ いくことで、初めて良い所を伸ばし、負・悪の ーリンなどについて、③ソビエト連邦の崩壊と 部分を克服し乗り越えていくことができる。ロ その後のロシアについて、④民衆の革命的運動 シアの人々にも私たちにも、もう一度ロシア革 −デカブリストの蜂起、ナロードニキ運動、 命を見直すことが求められていると思った。 1905 年の革命などなどである。それとは対照 的に、ピョートル 1 世やエカテリーナ 2 世など 皇帝の事績が頻りに語られた。いったいこれは どういうことなのか? 新しい時代を生み出したロシア十月革命 ロシア十月革命で成立し、レーニンが率いた ソビエト政府は 11 月 11 日には 8 時間労働制と 社会保障制度を全ロシアで実現した。この二つ の制度及び有給休暇制はともに世界最初の実 施であった。1918 年からは、教育と医療の無 料制度を確立した。またソビエト政府は、革命 が勝利した 1 週間後に「ロシア諸民族の権利宣 言」を発し、ロシア領内の諸民族の民族自決権 を認め、独立国家を形成してもよいとした。フ ロシア大統領官邸(モスクアのクレムリン内) 粗野で野蛮な資本主義になっているロシア 現在では、ロシアのホテルの朝食はアメリカ 式のバイキング方式となり、ざわざわと騒がし く、まずいものになっている。黒パンは褐色で ィンランド、ポーランド、バルト三国はこの宣 ポロポロしており、紅茶はトワイニングやリプ 言で独立した。ついで、「平和に関する布告」 トンのティーバッグ、ホテルによってはネスレ の約束通り、アフガニスタン、トルコ、イラン、 のインスタントのパックに入った粉に湯を注 中国などにロシア帝国が奪った領土を返還し ぐコーヒーが出た。今、ロシアではアメリカ資 た。このように、ロシア十月革命は世界に積極 本主義の一番悪しき所、粗野で野蛮な資本主義 的な影響を与え、新しい時代を生み出した。 への移行が終わっているように感じた。 なくなった「十月社会主義革命記念日」 しかし、ロシアのナロード(民衆)がいまよ ところが、今のロシアでは「十月社会主義革 うやく手に入れた自由と民主主義を失うこと 命記念日」がなくなり、モスクアの赤の広場で がなければ、彼らの知恵と歴史的経験に立って のロシア軍の軍事パレードもなく、11 月 7 日 ナロードのほんとうの幸福の道を見つけ出す はいまでは「和解と調和の日」と呼ばれ、ただ であろうと思った。 (つづく)
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