「こっち側のブタ野郎」はいかにしてつくられたか

「こっち側のブタ野郎」はいかにしてつくられたか
――セルヒオ・ラミレス『ただ影だけ』の歴史的背景
笛田千容 ニカラグアは南北アメリカ大陸をつなぐ中米地峡に位置する。太平洋と大西洋、両洋間
の結節点という地理的特徴から、中米地峡を貫く交通路の重要性は、スペイン植民地時代
から認識されていた。しかしそれが運河計画という形で浮上するのは、カリフォルニアが
米国に併合され、ゴールドラッシュに沸き始めた 1848 年以降のことである。翌 1849 年、
米国の運輸王コーネリアス・ヴァンダービルトは、同国の東海岸とサンフランシスコを結
ぶニカラグア航路を創業し、ニカラグア運河計画の先鞭をつけた。蒸気船でカリブ海から
コスタリカとの国境沿いを流れるサン・フアン川を遡上し、淡水湖としては世界屈指の規
模を誇るニカラグア湖を横断する。そこから太平洋岸までは幾つかの異なるルートが想定
されるが、距離にしてパナマ地峡のおよそ四倍。それでも、標高差が小さいニカラグア地
峡は、運河建設の有力な候補地とされた。
はじめにニカラグア運河計画について触れた理由は、それがこの物語の遠景をなす 19 世
紀後半から 20 世紀前半にかけての歴史的事件――ウィリアム・ウォーカーの侵略や、サン
ディーノ戦争――と密接に絡んでいるからである。保守党の将軍ポンシアーノ・コラルを
処刑し、ニカラグアの大統領に就任した自由党側の米国人傭兵隊長ウォーカーの背後には、
ニカラグア地峡通行権の独占を目論む米国資本の思惑が渦巻いていた。パナマ地峡におけ
る運河建設・管轄権の取得を画策した結果、1903 年にパナマをコロンビアから独立させた
米国政府は、ニカラグア運河計画をドイツや日本に持ちかけた自由党の独裁者ホセ・サン
トス・セラヤに対する保守党のクーデターに力を貸した。そして、自由党の反乱を抑える
ために海兵隊を派遣し、米国への運河建設権の譲渡を含む「ブライアン=チャモロ協定」
(1911 年)を締結した。但し、その代償として海兵隊は、自由党の将軍アウグスト・セサ
ル・サンディーノ率いる国民主権防衛軍との戦いに手を焼くことになる。
保守党と自由党の抗争は独立後の中南米諸国に共通するが、ニカラグアの場合、運河計
画などをめぐる米国の干渉に晒された結果、保守党政権が長く続いた。19 世紀後半、周辺
国で自由主義が支配的となっても、ニカラグア自由党は侵略者ウォーカーを招き入れた不
始末により権威を失墜していたため、なかなか政権をとることができなかった。ようやく
登場したセラヤ自由党政権(1893-1909 年)は前段のとおり、米国政府が後押しする保守党
のクーデターにより失脚した。
そのことは、ニカラグアの資本家階級の発達の仕方に次のような影響を与えた。保守党
と自由党は同国最古の都市グラナダとレオンをそれぞれ本拠地とする。保守党が砂糖や牧
畜、商業などを手掛ける一方、自由党はコーヒーや綿花といった先進工業国向け一次産品
の栽培を導入し、商業営利的農業の拡大と国際市場への参入を推進した。むろん、作中で
保守党の名家であるチャモロ一族が綿花事業を手掛けているように、経済活動と党派制は
完全に一致するものではない。とはいえ、セラヤ政権による自由主義改革が短命に終わっ
たニカラグアでは、同時期の隣国エルサルバドルやグアテマラで見られたような、強大な
権力を持つ「コーヒー・オリガルキー」は台頭しなかった。彼らによって土地を取り上げ
られた先住民や、農園で働く貧しい人々の反乱を抑えるために、資本家階級が軍部を重用
し、権力を握らせることもなかったのである。
以上のような歴史的背景――強力な国軍の不在と米国海兵隊の駐留、自由主義改革の頓
挫と国の実権を掌握する資本家階級の不在――が、ソモサ個人および一族による独裁を可
能にした。中規模コーヒー農園主の息子アナスタシオ(通称タチョ)
・ソモサ・ガルシアは、
海兵隊が撤退前に創設を指導した国家警備隊の総司令官の座に就くと、サンディーノを暗
殺し、自由党を牛耳り、大統領の座に就いた。そして、事実上の国軍となった国家警備隊
を基盤に、タチョ、その長男ルイス、そして本作の中心人物の一人で、
「ソモサ王朝」最悪
の恐怖政治を敷いた次男アナスタシオ(通称タチート)の、三代にわたる独裁体制を築い
たのである。
タチョは米国への留学経験から英語に堪能で、同国に挑戦的な態度をとることもなく、
善隣政策(国家主権の尊重など)を掲げつつも自国の対外政策に従順であることを中米・
カリブ地域諸国に期待する米国政府にとっては、都合の良い独裁者であった。そのことを
端的に表すのが、フランクリン・ルーズベルト大統領の発言として伝わる「ソモサはブタ
野郎だが、こっち側のブタ野郎だ」というわけである。冷戦が深刻化するなか、独裁の長
期化も容認された。父親のタチョから国家警備隊総司令官の座を継承し、1967 年に大統領
の座に就いた次男タチートは、米国のウェストポイント陸軍士官学校仕込みの腕にものを
言わせて、反対派や革命勢力を弾圧した。タチートの息子アナスタシオ(通称チグイン)・
ソモサ・ポルトカレロは、高齢化・官僚化し始めた国家警備隊のいわば活性剤として、新
たに創設された歩兵訓練学校(EEBI)の長官に就任した。そして、ベトナム戦争帰り
の元米軍特殊部隊戦闘員を顧問に招聘し、若手精鋭部隊を操って白色テロを展開した。
ソモサは急速かつ不正に富を蓄積しながら、その恩恵に預かろうとする側近や、独裁者
に協力的な経済界のメンバーからなる権力集団を形成していった。まず、米国が第二次世
界大戦に参戦したことをうけてニカラグア政府も枢軸国に宣戦布告すると、ドイツ人移民
やイタリア人移民の資産(コーヒー農園など)を接収し、私物化した。先住民の共有地を
解体し、コーヒーや綿花の栽培地を広げた。作中、タチートが手掛ける肉用生体牛の輸送
船が出航するが、これはもともと牧畜を手掛けていた南東部(保守党)の経済エリートに
コスタリカやパナマへの肉牛の輸出を禁じ、一族が独占したものである。ラニカ航空や国
営宝くじ会社も、1960 年代頃に多角化されたソモサ系企業の一例である。なかでも国民の
恨みをかったのは、貧窮者から血液を買いとり、抽出した血漿(プラズマ)を米国の医療
業界に販売していたプラズマフェレシス社である。国民の「血」を売り渡すという、吸血
鬼的イメージが政権に与えたダメージもさることながら、そのことを批判した『プレンサ』
紙社主・主筆ペドロ・ホアキン・チャモロが暗殺されたことで、国民の間に抗議の波が広
がったことは作中にあるとおりである。
一方、ソモサ一族、およびソモサ派と呼ばれる権力集団を敵手とするニカラグアの革命
運動は、階級闘争を掲げる人々を含みながらも、多分に階級横断的な国民運動としての性
格を持ち合わせていた。キューバ革命に刺激を受けて武装したサンディニスタ民族解放戦
線(FSLN)が、反米・反帝国主義の英雄サンディーノをシンボルに掲げたことにも、
その一端が表われている。かつてサンディーノ戦争に参加したエルサルバドルの革命家フ
ァラブンド・マルティは、階級闘争よりもナショナリズムに燃えるサンディーノとの温度
差を感じて連帯を諦め、距離を置くようになったと言われる。ニカラグアの革命運動は当
時既に、資本家階級を敵手とする隣国エルサルバドルの革命運動とは異なる性格を見せ始
めていた。
それ故か、ニカラグアのエリート層はFSLNを必ずしも敵視しない。作中人物イグナ
シオ・コラルのように、社会正義を求めてFSLNに協力するのも、決して珍しいことで
はなかった。チグインの手下に暗殺された新聞社社主ペドロ・ホアキン・チャモロは保守
党の名家の出身で、その未亡人ビオレタ・チャモロは 1990-97 年の大統領だが、彼らの四人
の子供のうち、二人はFSLNのメンバーである。FSLNの「クリスマス作戦」で唯一
命を落としたカスティージョ前農牧大臣(作中ではパラシオス前国家開発院長官)の娘は、
その後ソモサ派ではなく、父親の仇とも言えるFSLNの一員に加わっている。ニカラグ
ア革命は、その階級横断的な性格が、ときに出自や身分によって隔てられた人々を結びつ
け、ときに家族や友人たちを引き離してきたのである。
最後に、本作では実在した人物や事件とラミレスの創作が錯綜するが、特筆すべきは主
人公アリリオ・マルティニカと、
「性悪のメサリナ」である。前者はタチートの腹心として
国会議長などを務めたコルネリオ・ヒュック、後者はタチートの愛人ディノラ・サンプソ
ンを強く彷彿とさせる。以下、この二人の人物を中心に、物語の背景やその後日談などに
ついて述べる。
ディノラ・サンプソンは、もともとラジオ局に務める典型的なパーティー・ガールであ
った。それが 1962 年頃タチートに引き合わされ、家屋敷などを与えられて贅沢三昧の生活
を送るようになり、国の財産で奢侈淫逸にふける独裁者のイメージを国民に植え付けた。
タチートの側近らに自分への忠誠を誓わせるなど、愛人の威を借りて女帝のように振る舞
っていた。作中、メサリナのイメージを「マラカニアン宮殿に外国製靴三千足」で知られ
るフィリピンの元独裁者夫人イメルダ・マルコスに重ねているのも頷ける。
影のファーストレディであるディノラに対し、公式のファーストレディであるホープ・
ポルトカレロは、良くも悪くも、同国の上流階級を象徴する存在である。母親は名門テバ
イレ=サカサ一族の出身で、自身はマイアミで生まれ育った。ジャクリーヌ・ケネディ米
大統領夫人と並び称される社交界のファッション・リーダーで、一族と縁の深いニカラグ
アの国民的詩人ルベン・ダリオの名を冠した国立劇場の建設計画に尽力した。
二人の確執(というか、この場合ディノラの一方的な嫌がらせ)が関係省庁を巻き込
んで劇場建設の妨げになったというのは、あり得る話のように思われる。ただし、同計画
が始動したのは 1966 年だが、1967 年にルイスからタチートへの政権交代があり、その後ル
イスが他界したことなどから空白期間が生じた可能性もある。1972 年のマナグア大地震に
耐えられたほどの建造物であるから、基礎工事などに予定外の時間を費やしたかもしれな
い。いずれにせよ、本来であればダリオの生誕百周年にあたる 1967 年頃を目指していたは
ずの劇場の完成が、1969 年までずれこんだことは事実である。
コルネリオ・ヒュックは、自由党党首や国会議長などを歴任し、非軍事面から独裁政権
を支えた。妻のリア・プラタも、自由党女性部の幹部に名を連ねた。詳細は定かではない
が、革命の二年ほど前にタチートとの関係がこじれたことは事実のようである。ヒュック
は 1979 年、家族を国外に脱出させた後、所有していた農園から誘拐・殺害され、1994 年に
遺体で発見された。遺体はパジャマ姿のまま、後ろ手に縛られていたという。
主人公アリリオ・マルティニカが民衆裁判にかけられるくだりは、革命後、必ずしも旧
ソモサ派とは言えない企業や私邸までをも接収の対象とし始めたFSLNのやり方を彷彿
とさせる。それは、広場にFSLNの支持者を集め、誰それの私有財産を接収することの
是非を問い、拍手や歓声をもって正当性を確保するというものである。むろん、コルネリ
オ・ヒュックは紛う方なきソモサ派であるから、その財産は政令に基づき申し分なく接収
されたであろう。
ただし、接収された財産の行方は必ずしも明確ではない。不動産ロンダリングが横行し、
国の登記制度や財産調査制度に大きな欠陥があるからだ。ヒュックがリバス県トーラ市内
に所有していた美しい海辺の土地(作中名はサンタ・ロレナ)は近年、米国資本等による
リゾート開発候補地として脚光を浴びると同時に、名義がごちゃごちゃになっていること
も露呈した。果たして、1980 年代のサンディニスタ政権期に軍部から外国人投資家などを
経てヒュックの遺族に買い戻されたのか、ボラーニョス政権期に公的部門持株会社(CP
ONRAP)からアレマン前大統領の関連会社に渡ったのか、依然として国有地なのか。
同一の不動産に対し異なる不動産権の主張がある。
一方、マサヤ市の邸宅は市庁舎として使われている。2001 年、そこに市長として初登庁
したのは、ヒュックの孫のカルロス・イバン・ヒュックである。1994 年、祖父の遺体埋葬
のために一族の亡命先であるマイアミより帰国したカルロスは、ニカラグア政界でのしあ
がれると思ったのか、そのまま同国に留まった。そして、政治に関与してはならないとい
う母親の以前からの言いつけに背き、一族の出身地であるマサヤの市長選に出馬し、当選
を果たしたのである。そして任期満了から二年後の 2008 年、在任中の公金横領と不正蓄財
で起訴される。
このように、汚職そして法治の欠如という、本作で描かれる権力の濫用の副産物は、今
日もニカラグアに暗い影を投げかけている。