病薬アワー 2013 年 7 月 29 日放送 企画協力:社団法人 日本病院薬剤師会 協 賛:MSD 株式会社 胃食道逆流症の薬物療法 東北大学大学院医学系研究科 消化器病態学分野 特命教授 小池 智幸 ●はじめに● 胃食道逆流症(GERD)は、食道裂孔ヘルニアや食道胃運動機能障害により胃酸を含んだ 胃内容物が食道内に逆流停滞するために発症する疾患であり、定型症状は胸やけ、呑酸と いうことになります。そして、食道にびらん・粘膜障害があればびらん性GERD(逆流性食 道炎)、食道にびらんが認められない場合は非びらん性胃食道逆流症(NERD)と定義され ます。近年、日本人の胃酸分泌能が食生活の欧米化により上昇してきていること、衛生環 境の向上や除菌療法の普及に伴うヘリコバクターピロリ感染率の低下による萎縮性胃炎の 減少、すなわち胃酸分泌低下例の減少により、わが国でのGERD患者の増加が報告されてい ます。 本日は、このわが国で増加傾向にあるGERDに対する薬物療法について、日本消化器病学 会編集胃食道逆流症(GERD)診療ガイドラインの内容をふまえて概説していきたいと思い ます。 ●胃食道逆流症の薬物療法● まず、GERD治療の目的ですが、GERD患者の長期管理の主要目的は、症状のコントロー ルとQOLの改善に加え、合併症、すなわち、貧血、出血、食道狭窄、Barrett食道、さらに は食道腺がんの発生の予防であり、GERD患者さんの低下したQOLは、酸逆流を防ぐ治療に より改善するとされています。 実際のGERDに対する治療ですが、その中心は薬物療法ということになります。 制酸薬、アルギン酸塩は、GERDの一時的症状改善に効果がありますが、重症例では有用 性が低いのが現状であり、実際の診療で多く処方されるのは酸分泌抑制薬ということにな ります。 びらん性GERD(逆流性食道炎)の治癒速度および症状消失の速さは、薬剤の酸分泌抑制 力に依存すると報告されています。よって、酸分泌抑制薬のなかでも強力な酸分泌抑制力 をもつプロトンポンプ阻害薬(PPI)が、GERDの初期治療において、他剤と比較して優れ た症状改善ならびに食道炎治癒をもたらし、費用効果にも優れていることから、GERDの第 一選択薬としてGERD診療ガイドラインでも推奨されています。 また、GERDは治療を継続しないと再発を来しやすい疾患ですが、GERDの維持療法にお いてもPPIを用いるのが最も効果が高く、費用対効果に優れ、安全性も高いと報告されてい ます。また、PPI初期治療に反応するNERDや軽症の逆流性食道炎の長期管理については、 PPIのオンデマンド療法の有用性も報告されています。なお軽症のGERDの場合は、理論的 には、単回投与においてPPIより酸分泌抑制効果発現が早いと報告されているH2ブロッカー が有用な可能性もあると推察されます。 また、GERD診療ガイドラインでは、GERDの長期管理について、患者の視点からは、効 果(症状の寛解)、安全性、費用、剤型(服用のしやすさ)、服用回数なども考慮すべきで あるとされています。 ●逆流性食道炎が難治化する要因● さて、いままで述べてきたように、GERDの薬物療法の中心となるPPIですが、PPIの治療 効果は非常に高く、逆流性食道炎のPPI投与後8週間の時点での治癒率は、80~90%と報告 されています。しかし8週間のPPI投与でも治癒が得られない逆流性食道炎も存在すること は事実であり、そのような難治性の逆流性食道炎が臨床上問題となっています。よって、 ここからは、逆流性食道炎の難治化の要因について主に薬剤の観点から考察を加えつつ概 説していきたいとい思います。 逆流性食道炎の難治化の要因の1つとしてまず考慮しなければならないのは、CYP2C19 遺伝子多型の問題です。PPIは主に肝の代謝酵素CYP2C19で代謝を受けるとされています。 このCYP2C19には遺伝子多型が存在することが報告されており、その酵素活性が遺伝子型 により異なり、代謝活性の高い順にhomo extensive metabolizer、hetero extensive metabolizer、 poor metabolizerの3群に分類されています。すなわち、PPIの酸分泌抑制効果は、代謝の遅 いpoor metabolizerでは強く、代謝の早いhomo extensive metabolizerでは弱くなることが推察 され、実際に24時間胃内pHモニタリングの結果からこのことが証明されています。さらに CYP2C19遺伝子多型のばらつきは、欧米白人に比較して日本人で大きいことも明らかにな っています。 そこで、我々は実際の逆流性食道炎患者で、このCYP2C19遺伝子多型がPPI投与時の逆流 性食道炎の治癒率に影響を及ぼすかどうか、多施設共同研究を行いました。その結果、homo extensive metabolizerではpoor metabolizerに比較して初期治療における治癒率が有意に低く、 維持療法においてもhomo extensive metabolizerのほうが有意に再発しやすいことが明らかと なりました。すなわち、逆流性食道炎の難治化の要因の1つとしてPPI投与時のCYP2C19遺 伝子多型の影響が挙げられます。日常臨床においてはCYP2C19遺伝子多型を測定すること はなかなか困難なのが現状かと思いますので、実際には逆流性食道炎が難治の場合には、 CYP2C19遺伝子多型の影響を考慮してCYP2C19遺伝子多型の影響を受けにくいPPIに変更 してみるといった対応を行うことになるかと思います。 また、難治化のもう1つの要因としてPPI製剤の特徴があると推察されます。すなわちPPI は酸と接触すると失活してしまう特性があり、PPIはすべて腸溶製剤となっています。よっ て、PPIの作用発現には薬剤が速やかに胃を通過して小腸に達する必要があります。逆に申 しますと、潰瘍瘢痕などによる胃の変形や幽門部狭窄などのために胃排出遅延がある症例 では、PPIが胃内に長時間停滞するために失活してしまい、その酸分泌抑制効果が減弱する 可能性が容易に想像されます。このような症例の場合、逆流性食道炎が難治となることを しばしば経験します。この場合は、PPIをH2ブロッカーに変更、もしくはPPIの剤形を錠剤 から顆粒や細粒製剤に変更してみるのも1つの方法かと思います。 ところで、GERD診療ガイドラインでは、常用量のPPIの1日1回投与にもかかわらず食 道炎が治癒しない、もしくは強い症状を訴える場合には、PPIの倍量投与など投与量、投与 方法の変更により、食道炎治癒および症状消失が得られる場合があると記載されています。 すなわち、標準量のPPI治療に反応しない患者でも、PPI倍量投与により食道炎治癒および症 状消失が得られるとする報告がみられ、常用量のPPIの1日1回投与でGERDに対する十分 なコントロールが得られない場合の現実的な対応として推奨されています。また、倍量投 与の際に、朝、夕と分割投与したほうが、酸分泌抑制効果が高いとの報告もあり、分割投 与を考慮するのも1つの方法です。また、PPIは、食事により活性化するプロトンポンプを 阻害するという作用機序や、錠剤の場合は空腹時強収縮により胃より小腸にすみやかに薬 剤が移行し効果が出現する可能性があることから、理論的にはPPIは食前投与のほうが、そ の酸分泌抑制効果がすみやかに発現すると考えられます。わが国の場合、ほかの薬剤と一 緒にPPIを内服することを考慮し、食後にPPIを投与することが多いのが現状かと思いますが、 難治性GERDの場合は、食前投与を考慮したほうがよい可能性があります。 さらに、逆流性食道炎の難治化の要因の1つとして、PPI投与中にもかかわらず夜間の酸 分泌が抑制されない例の存在が指摘されています。これはnocturnal gastric acid breakthrough (NAB)とよばれるもので、PPI投与中にもかかわらず夜間の胃内pHが4.0以下になる時間が 1時間以上連続して認められる現象です。このNABに対して就寝前にH2ブロッカーを追加 投与することにより、夜間の酸分泌が抑制されることが報告されており、PPIで効果不十分 なGERD患者の治療として行われることがあります。 さて、GERD診療ガイドラインにはGERD治療のフローチャートが掲載されています。実 際の日常臨床においてこのフローチャートに従って診療を行った多施設の共同調査では、 症状が持続した場合にフローチャートから逸脱する例が非常に多いことが明らかとなりま した。 また、この調査で、内視鏡検査を投薬前に行いますとびらん性GERDかNERDか診断でき るわけですが、びらん性GERDよりNERDでPPIの症状改善率が低い傾向にあることが明らか となりました。このことは、NERD患者では酸以外の逆流の要因がある症例が多く含まれて いる可能性を示唆しています。このような場合、消化管運動賦活剤投与が有効な場合があ ります。また逆流と関連のない胸やけ症状は、functional heartburn(機能性胸やけ)と診断 され、精神的な要因と判断されれば、抗鬱薬の投与を検討する場合もあります。 最後に、日常臨床においてPPI投与中の患者さんのGERD症状が実際にどのくらいコント ロールされているかについてお話したいと思います。PPI投与中のGERD症状残存率の報告 では、PPI投与中にもかかわらず約40~70%の患者さんが週1回以上のGERD症状を訴えて いることが明らかとなっています。週1回以上のGERD症状はQOLに影響するとされていま すので、われわれ医師は患者さんの症状をよく聞き、PPIの投与量などを決定していく必要 があるかと思います。そのためにはFスケールやGERDQに代表されます問診票の活用も有 用です。 本日は、GERDに対する薬物療法について、主に日本消化器病学会編集GERD診療ガイド ラインの内容につき私見を交えて概説させていただきました。 ●文献● 胃食道逆流症 (GERD) 診療 ガイド ライン 392-397, 2010 編集日 本消化器病学 会 南光堂 , 200913:
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