2014日本自動車殿堂 歴史車

2014日本自動車殿堂 歴史車
2014
Historic Car
of Japan
日本の自動車の歴史に優れた足跡を残した名車を選定し
日本自動車殿堂に登録して永く伝承します
Cars that blazed the trail in the history of Japanese automobiles are selected,
registered at the Hal of Fame and are to be widely conveyed to the next generation.
いすゞ117クーペ
ISUZU 117 COUPÉ
イタリアのカロッツェリア・ギア社により、美しくデザインされたいすゞ117 クーペは、
日伊合作による開発方式の成功例のひとつであり、
この手法は日本の
自動車開発に大きな影響を与えた。その後、
いすゞ117 クーペは基本スタイリングは変わらず 12 年間にわたって生産されたのである。
いすゞ 117クーペ(1968年)主要諸元
全
長 4,280mm
型
全
幅 1,600mm
エ ン ジ ン 型 式 G161
式 PA90
全
高 1,320mm
駆 動 方 式 FR
ホイールベース 2,500mm
エ ン ジ ン 水冷直列4気筒DOHC
ト レ ッ ド 前 1,325mm
ボア×ストローク 82mm×75mm
後 1,310mm
総 排 気 量 1584cc
車 両 重 量 1,050kg
圧
乗 車 定 員 4名
最 高 出 力 120ps/6,400rpm
最 高 速 度
200km/h
縮
比 10.3
最 大 ト ル ク 14.5kg・m/ 5,000rpm
(ファイナルギア比3.727)
最小 回 転半 径 5.2m
50
登 坂 能 力 sinθ0.437
変
タイヤ サ イズ 6.45H-14-4PR
価
速
機 前進4段オールシンクロ
格 1,720,000円
いすゞ117クーペの原型となった写真の「ISUZU117SPORT」は、
1966年3月にジュネーブショーで発表された。
ヨーロッパ車を思わせるインテリアは、当時の日本でも大流行し、欧州
調のデザインの導入は、
その後のいすゞ乗用車の特徴となった。
エンジンは、直列 4 気筒 1584cc の DOHC エンジン搭載し、最高出
力は 120 馬力を発生。0-400m 加速 16.8 秒、最高速度は 200km/h
という高性能を誇り、
レースなどにも転用された。
いすゞ自動車は、我が国の自動車製造においても
■当初はハンドメイドで生産された
最古の歴史を持つ自動車メーカーである。明治以前
いすゞ117クーペ
に設立された石川島造船所など数社をルーツとし、
117 クーペの原型となるプロトタイプは、1966 年
戦後の 1949 年(昭和 24 年)に社名をヂーゼル自
(昭和 41 年)に完成し、すぐにジュネーブ・モーター
動車工業から、いすゞ自動車に変更して、本格的に乗
ショーに出展されてコンクール・デレガンスで見事優
用車事業へ参入、当初は英国のルーツ社と提携を結
勝を果たした。またイタリアの国際自動車デザイン・
び、ヒルマンを国産化して他の乗用車メーカーに対抗
ビエンナーレにおいても名誉大賞を受賞するなど
した。
華々しいデビューとなった。
その後、急速に自動車に関する技術を習得したい
同年 10 月には、東京モーターショーにおいて、フ
すゞ技術陣は、独自で開発したべレルを 1962 年(昭
ローリアンとともに「いすゞ117スポーツ」という名称
和 37 年)に発表、翌年には本格的な小型乗用車の
で展示されたが、ファンからの予想をはるかに超える
ベレットを世に送り出している。このべレルとベレット
人気に押され、開発コード番号そのままのいすゞ 117
の中間クラスのファミリーセダンとして開発が決まっ
クーペと名づけられ、量産することになった。ただし、
たのが、1966 年(昭和 41 年)の東京モーターショー
その美しいデザインを守るため、製造の初期段階は
で「いすゞ117」としてデビューしたフローリアンで
手作業でおこなわれ、1968 年(昭和 43 年)に発売
あった。
されたハンドメイドモデルと呼ばれた初期型は月産で
当時の日本は、クルマのデザインを日産自動車は
50 台ほどであったという。
ピニンファリーナ、東洋工業はベルトーネ、日野自動
1970 年(昭和 45 年)には日本初となる電子制御
車はミケロッティなど、イタリアのデザイナーに依頼す
の燃料噴射装置が装着され、1973 年(昭和 48 年)
る手法が多く取られており、乗用車メーカーとしては
にはオートマチックモデルが投入されるなど、
117クー
後発のいすゞも、
フローリアンのデザインをカロッツェ
ペは時代の要請に応じた改良が施されていった。
リア・ギア社に発注した。このいすゞとカロッツェリア・
1975 年 ( 昭和 50 年 ) の厳しい排ガス規制にも適合
ギア社との提携関係が大きなきっかけとなって、一台
し、1977 年(昭和 52 年)には角型ヘッドライトにマ
のスポーツカーの開発がスタートするのである。この
イナーチェンジされるが、1981 年(昭和 56 年)にい
クルマを担当したのは、ギア社のジョルジェット・ジウ
すゞピアッツァが登場。8 万 6192 台が世に送り出さ
ジアーロであった。ジウジアーロはその後、VW ゴル
れ、約 12 年にわたった117クーペの生産は終了した。
フやフィアットパンダなどの世界の名車を担当し、そ
の名声を高めたデザイナーである。
(日本自動車殿堂会員 小林謙一)
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