量産体制の確立 7.日本のモータリゼーションの到来 2 急展開したモータリゼーション 1965年以降、日本の自動車産業は、国内市場の急成長と輸出拡大に伴い生産力を飛躍的に増大させ、世界の 自動車生産の一角を占めるまでに成長しました。同時に高速道路の建設が始まり、本格的なモータリゼーシ ョンが到来します。 1 量産体制、販売体制の整備 1950年代後半、来るべき自由化に備えるため、日本の各自動車メーカーは大量生産をめざした大規模な設備 ● 所得倍増計画にもとづく自動車生産計画−自動車メーカーの増産を先導 投資を行ったり、量販体制の整備(販売店系列の複数化)による販売力の強化を進めるなど、今日の基礎を築 (資料:1,000台) 通産省と経済企画庁の生産計画には きました。 ● 量販体制のためのオートメーション化 トランス・ファーマシンライン (日産横浜工場、1956年) 1965(昭和40)年 隔たりがあり、調整されました(下表)。 通産省 企画庁 1970(昭和45)年 調整案 通産省 計画は、乗用車と小型四輪トラック 乗用車 550 (150 ) 343(90 ) 需要の増加に応え、また来るべき自由化に備えるため、自動車生 の生産に重点を置き、全体の62.9% バス 11.4( 1.5) 15( 1.5) 15( 1.5) 産体制のオートメーション化を急速に進展させました。量産によ を占めています。実績は計画の1.7倍 小型四輪トラック 420 ( 10 ) 332(45 ) るコスト低減のために、新しい生産方式も取り入れられました。 140 ( 40 ) この基本的な考え方は「必要なときに、必要な物を、必要な量だ (197万8957台)に達し、10年後(1970年) 普通トラック の目標の88.3%を5年間で達成して 三輪車 355 ( 15 ) け入手し、それを必要な場所に提供する」というもの。その結果、 しまいました。 1950年代後半、日本の各自動車メーカーは経済の高度成長に伴う 在庫・輸送費などの大幅なコスト削減を実現しました。 (注)( 890(240) 1,040(400) 15( 2) 21( 2) 21( 2) 327( 10 ) 640( 40) 555( 75) 570( 40) 138(45 ) 138( 45 ) 200( 70) 199( 75) 199( 75) 266( 3 ) 278( 15 ) 470( 30) 385( 5) 410( 30) 1,486.4 (218.5) 1,094(184.5) 1,161(221.5) 2,325(542) 2,050(397) 2,240(547) )は輸出向け台数で内数。 403(150 ) 1,000(400) 調整案 資料: 「日刊自動車新聞」(昭和35年11月9付) ● 大衆車の登場 ● 東名高速道路の開通(1969年) 1964年にわずか181kmにすぎなかった高速道路が、74年末には 計 企画庁 資料: 「日本自動車産業史」日本自動車工業会 1,519kmにまで延長されました。それに伴い、自動車の性能も大 トヨタ「パブリカ」 日本の乗用車に「大衆車」という新しいカテゴリーをもたら したのは、1961(昭和36)年6月に発表されたトヨタの「パブ リカ」(一般公募から選ばれた愛称。パブリック+カー)とい きく向上していくことになります。 われています。「パブリカ」は、通産省が立案した「国民車構 想」(自動車を戦略産業として育成するため、大衆需要の喚起 ● 国の計画経済と自動車産業の関連 をねらった案)を受けて、前年の自動車ショーで発表したもの 日本の高度経済成長は昭和30年代から始まりました。このガイ です。1962年にはわずか14%にすぎなかった乗用車需要に占 ドラインとなったのが国の経済計画で、自動車の発展もこれに める個人比率が、67年には39%、70年には50.6%に達しまし 連動していました。いくつかのマイナス面も指摘されていまし 資料:トヨタ博物館提供 た。この1970年代前後が、日本の本格的なモータリゼーション たが、この「国民所得倍増計画」(1960年発表)が誘導役となって、 の確立期といわれています。 国民の生活水準のみならず、世界における日本の経済・産業の 地位を一気に引き上げました。 1958(昭和33)年 7月 1960(昭和35)年 12月 1965(昭和40)年 7月 資料:日本道路公団提供 ● 1966∼76年の運転免許保有者数の推移(男女別) 運転免許保有者数の推移 (100万人) 35 「新長期経済計画」の発表 個人所得の上昇と低価格車の普及に伴って、次第に個人によ 「日本貿易振興会」(JETRO)発足 る乗用車購入が拡大し、運転免許保有者数も年々増加してい 30 きました。 25 「国民所得倍増計画」の発表 女性 男性 20 10月 1966(昭和41)年 1967(昭和42)年 12月 1969(昭和44)年 3月 名神高速道路の開通 乗用車の輸入自由化の実施に伴い、海外メーカーとの技術提携を解消 ● 世界の自動車メーカーの動向 世界各国の自動車メーカーとの提携がめまぐるしく進むのが 「国土開発幹線自動車道路建設法」の制定 自動車生産台数がアメリカ、ドイツに次ぎ世界第3位となる この時代の特徴です。一方でアメリカの景気が後退し、乗用 中央自動車道一部(調布∼八王子)開通 衡を理由に一部輸入品に課徴金をかけるなど、経済面からの 東名高速道路の開通 国際関係の緊張が始まります。 車販売が減少したり、イタリアやイギリスが貿易収支の不均 15 10 5 0 1966 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 (年) (注)1966∼68年は男女合計。 資料:警察庁調べ
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