ウェストミンスタ-小教理問答 67-69 「第6戒」 十戒の第六戒は、殺人禁止の戒めです。 命を守ること 小教理問答は、この戒めの積極的意図は命を守ることだ、と理解しています。 殺人をしないことだけではなく、人の命を守るための様々な努力も命じている、と 言うのです。 1、 人の命は、次のような場合に危険にさらされます。 ①人の悪意(憎しみや殺意) 、②病気、③健康を損なう生活、④飢えや悪い環境等。 2、 そこで、私たちの命を守るための努力は様々な方面に及びます。殺人をしないこ とだけではなく、憎しみを押さえる道徳的努力、社会的秩序の維持、医療や福祉の 努力、健康の自己管理などです。 第六戒は、そのような努力を命じる幅広い戒めです。 第六戒のさらに広い意義 第六戒は、命を守ることよりもさらに広い範囲にまで及んで、私たちの生き方を正 しくするように命じる戒めです。 1、これは、人間尊重の戒めでもあります。 ①人は、 神のかたちとして尊厳性を帯びる存在ですから、 殺してはならないのです。 人の血を流す者は、人に血を流される、神が自分のかたちに人を造られたゆ えに。(創世記 9:6) ②主イエスによれば、人間の尊厳を軽んじる罪は、殺人と同類の罪です。 「昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。し かし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄 弟に『ばか』と言う者は最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の 地獄に投げ込まれる。(マタイ 5:21 -22)。 ③ですから、 「殺してはならない」とは、自分と自分以外のすべての人を、神のかた ちである存在として尊ぶように、ということです。 ④私たちはこの点で皆、罪人であり、主イエスにその罪を赦されながら、すべての 人を尊ぶ生き方を目指し続けるのです。 2、また、これは、人の存在を拒否する(憎む)ことを禁じる戒めであり、その逆に人 の存在を喜ぶこと(愛すること)を命じる戒めです。 ①愛する事の反対は憎むことですが、それは殺すことと同じ思いです。人を愛する 時、私たちは、その人の存在自体を喜びます。反対に、愛さない時に(憎む時に)、 私たちは、その人の存在を煙たく思い、その人が存在しなくなることさえ願いま す。殺人者と同じ傾向の心です。 「殺してはならない」は、そのような愛の対極に ある態度の禁止であり、愛すること(互いの存在を喜ぶ事)の命令なのです。 わたしたちは、自分が死から命へと移ったことを知っています。兄弟を愛し ているからです。……兄弟を憎む者は皆、人殺しです。 (ヨハネ第一書 3:14 ~15) ②私たちはこの点でも罪人です。人の存在を喜べずにうとましく思うことさえあ ります。けれども、本当に不思議なことに、イエス・キリストを信じてキリス トの体である教会に連なるとき、人を愛する力のないはずの私たちのうちにも 「兄弟を愛している」と言えるほどには、人の存在を喜ぶ心が湧きます。罪を 赦していただきながら、与えられている愛の心を成長させるように、私たちは 招かれているのです。
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