オフィス文化論 「書家・宇佐美志都の、『文字学』を、今、伝えたい…」 第10回 成り立ちを探ることでわかる漢字の本来の意味は 生活におけるさまざまな心がけを唱えてくれています。 3歳のころから筆を手にしていたという宇佐美志都氏は、お手本 を忠実に再現する「習字」ではなく、創作する「書」の楽しみを知 ったことが自分にとって最も大きな転機だったといいます。そし て創作の幅を広げるためにさまざまな勉強をしていくうちに出逢 ったのが民俗学・神話・文学を包括し、漢字の成り立ちを紐解いた 古代中国文学者、故白川静氏でした。漢字の由来(字源)に、ある 一つの文字の新解釈を発見、その後、紐解かれていく漢字の物語 …それが、 「白川文字学」。そうとも呼ばれる膨大な知識体系を築 いた氏の功績は日中両国で認められ、その学問的な成果は、漢字 学や書の世界だけでなく、日々の生活や心がけを見直していくう えでも大いなる教えを告げてくれていると宇佐美氏はいいます。 さらに、オフィスにつながる理想の空間の「場づくり」においても、 字源から学ぶことはたくさんあります。今回のオフィス文化論では、 そんなお話しをしていただきました。 宇佐美 志都氏 書家 宇佐美本店株式会社 代表取締役社長 http://www.shizuusami.com/ http://www.usamihonten.com/ うさみ・しづ。1977年、北九州市小倉生まれ。3歳の頃より書を始め、福岡教育大学特 設書道科に進む。経済産業省・ (社) 日本木造住宅産業協会等の機関誌や書籍の 表紙等に揮毫(きごう)。日本の慣習や文字の成り立ちについての執筆連載や、NHK 「国語の時間ですよ」にて、毎月、 自らの書作品を用い、折々の日本の慣習や文字の成 り立ちについて解説。また、NHKラジオでも、 「季節のエッセイ」の執筆を務めるなど、個 展による書作品の発表をする一方で、文字の成り立ちを分かりやすく広める事にも従事。 また、書によるプロダクトデザインにも取り組んでおり、文字の成り立ちを元にした書によ る浴衣デザインや、家業である宇佐美本店の経営者、同時にプロデューサーとして商 品開発や商品ロゴ製作に携わる。平成15年、認定NPO法人文字文化研究所の故白 川静氏より、当時最年少で文字文化研究所認定講師を賜る。 自立できなければ「人」とはみなされない 自立した人達でなければ、 そもそも組織はつくれない サイとは、 「神への申し文を入れる器」で、 上部の開いた器に、 (横画で) 文字の成り立ちを学んでいくと、 いろいろ考えさせられることがあります。 ■文字学は多くのことを教えてくれる 使う道具ではなく、神との交信具で、 この中に、 「どうか、雨を降らせてく しています。だから人間は一人では生きられないんですね」 と、 お茶の間 ださい」 といったお願いごとを書いて入れたのです。 に説いたのは武田鉄矢さん扮する金八先生です。武田さんは私の大学 古代において神との交信は、 非常に重要な日々の儀式であり、 生活の の先輩でもあり、 申し上げにくいのですが、実はこのお話は漢字の解釈 「言」の根 重要な行為としてそのものがありました。その神との交信が、 としては正しくありません。 「言」 (上部は、針の形で、下部はサイ。約束を破っ 底にも存在します。 漢字の「人」は確かに人に関わる形象が元ですが、 表しているのはあ た時の罰を受けることを示す) を神に捧げ、 その器の中に神の思し召し くまでも一人の姿。人が、 腕を前に出した姿を横から見た「側身形」です。 の反応が現れることを「音」 といいました。 したがって、 「人」の字が意味するのは、人間はまず一人で存在しな ちなみに、 「言う」と同義の「曰(いわく)」という字は、 サイの中に祝詞 ければはじまらないという教えだと思います。そして、 それぞれが自立で を収めた形を示しており、 想い・願いの伝達手段として、 身体の口(くち) きなければ支えあうこともできず、 強い組織は、 自立し、 自律性を持った個 ではなく、 祝詞を入れた「サイ」が、 その役割をなし、 想い・願いの相手は、 の集合であるといわれますが、 そんな現代の企業組織論に通じる思想が、 人と人の間で交わす事ではなく、神々と交わすものであったことを伺い 人という漢字にはすでに込められているのです。 知ることが出来ます。 金八先生の教えは、助けあう心が大切だという意味なのでしょうが、 白川先生の解釈は、今では日本の文部科学省はもちろん、中国当局 最近は自立するより先に他人に頼る人も多いようですので、正しい「人」 もそれを認め、 教育内容も変えるように動いていますが、 その認識の広ま の文字の解釈を、 今こそ広めるべきだと思っています。 りは、 皆さんがご存知ではないという事実からも実感されるように、 路半ば なお、人を側身形ではなく正面形、つまり真正面から見て文字にした です。 のが、 「大」という漢字です。両手を広げている一人の人の姿を象形化 サイの発見が重要なのは、象形文字の多くが見える形象だけを単に したものと解釈してもらえればいいと思います。 象形化したものではなく、神との交信のような呪術的な意味を含んでい さらに、 「大」の象形の下に大地を表す横画を一本加えると、 「立」と るという点です。そしてそこからその真意に問うてみたならば、 「人」の いう漢字になります。 「立」という漢字で、初めて本当の自立した状態を 私たちに伝えてくれる。だからこそ、 字が示すような哲学的な教えまでをも、 表しているのです。 文字学を学ぶ意義があるのです。 「立」の横にもう一つ「立」が来ると 「並」。つまり、 大地に独り立ちでき た人が並んでようやく組織ができてくるわけです。 日本を代表する漢字学者である白川静氏が大きく進歩させた文字学は、 漢字の成り立ち(字源)を知ることで、現代の私たちにも教訓を与えてく れる。 ■「人」は支えあっている様子を表してはいない 「人」という漢字は、立っている一人の人を横から見た形。頭・首・腰・足 を一画で表し、短い二画目では、腕が表現されている。支えあった二人 の形ではなく、一人の人の姿だ。 「大」も一人の人が両手を広げている姿を表し、 また、 「立」は、大地の 上で一人が立った形、 その二人が「並」んで、初めて組織の起源(この 場合は二人) となる。つまり、頼りあうことが理想の組織ではない。 ■明るすぎるオフィスで忘れていること 「明」は、夜、窓から差す月の光の様子、 そして、感謝の意が表れている。 人にとっては、 そのくらいの明るさでも充分にありがたかったのだ。今、私 たちはオフィス全体をあたりまえのように照らしているが、 それは人にとっ て明るすぎるのかもしれない。 「暗」は、元来「闇」と書かれていた。闇は、神聖なる「廟門」内で、自ら の問いを繰り返し、 「神の音なひ」を待った。つまり、暗い所で、音から気 づきを得ることができるという、 ある種の希望をも内包する漢字のように も思える。現代人は「明るい=プラス、暗い=マイナス」と単純な二元 論で考えがちだが、字源を探れば決してそうではないことがわかる。 ■「四十八茶百鼠」を生んだ粋の心を 立命館大学教授、同名誉教授、文字文化研究所所長、同理事長などを務めた。 代表的な著書である『字統』 (1984年)、 『字訓』 (1987年)、 『字通』 (1996年) は漢字学三部作と呼ばれる。2004年に文化勲章を受章。 このように、文字の成り立ちを研究していく学問が、現在、文字学(も じがく、 もんじがく) と呼ばれる学問です。この分野の第一人者が、私が 師匠と仰ぐ白川静先生です。 白川先生の最大の功績の一つが、 「サイ」の発見です。 顔にある口の形から来たものだ みなさんは「口」 という漢字の由来を、 江戸時代の町民は、茶や鼠色程度しか着物に使えない環境であっても、 その色彩の幅の中で色彩の幅と楽しみを生み出し、 そして、独自の文化 を築き、 その時代を牽引した。その心は、 ある種限られた条件を伴うオフ ィスづくりにも通ずるのではないか。 『字統』 (新訂普及版) 白川静/著 ■「場」は単なる空間ではないのだから… 平凡社 6,300円(税込) 2007年6月発行 ISBN:978-4-582-12813-0 ※白川氏の研究成果をまとめた字源辞典 (その他、記載レベルにより、多種発刊されている) オフィスなど目的のために構築されるべき空間を「場(Ba)」と呼ぶ。 「場」 は本来、台上に玉を置き、 その玉光が下方に放射している形で、玉によ る魂振り (たまふり)の儀礼をする所を意味するという。昔の人は、 そうい う場を大切に設けたはず。現代人もオフィスを実りある場にするべきだ。 ▼「オフィス文化論」の下記バックナンバーはhttp://www.websanko.com をご覧ください。 ●「オフィス文化論」 ・08年 IV号 経営環境の変化に対応できるフレキシビリティと「知」のサイクルを視覚化できるオフィス空間へ・08年 III号 経営環境は企業によってすべて異なるからそ こから派生する文化もオフィスも百社百様だ・08年 II号 社会、企業、人の関係を上手に構築するには固有の文化というキーワードが欠かせない・07年 IV号 刷新という イノベーションで常に変わり続ける日本型ワークプレイスの「変わらない」本質 ・07年 III号 グローバリゼーションが進む時代だからこそ自分の中の「ローカルの軸足」 を知るべきです・07年 II号 「知的創造」の時代に企業が成長していくには人間の関係を考えたオフィスづくりが必要である ・06年 IV号 オフィスの「文化」をみんなで 育てていこう!・06年 III号「文化」が違えばオフィスも違ってくるはず ・06年 II号 なぜオフィスに「文化論」が必要なのか? ●オフィスでも忘れてはいけない「おもてなしの心」 ・05年 IV号 「しつらえ」に「もてなし」が加わることでオフィス空間は初めて居心地がよくなります。・05年 III号 作法の文化を若い世代に伝えていけるオフィスなら 贅沢な空間がなくとも「おもてなし」はできます。・05年 II 号「おもてなし」はその場その時のコミュニケーションの工夫 ●「日本の伝統に学ぶ21世紀のオフィス文化」 ・04年10月号 仮説の空間 ・04年 7月号 空間の領域 ・04年 4月号 仕切りの構造 白川 静(1910∼2006) しらかわ・しずか。古代中国文学者、漢字学者。漢字研究の第一人者として知られ、 奥にある民族学・神話・文化の発見とそれらの融合 ■暗いところだからこそ感じることができるものもある 蓋をした形象を象形化したものです。ただし、器といっても日常生活に たとえば「人」という漢字。これを「人と人が支えあっている様子を表 文字学の第一人者だった白川静の功績は漢字の生い立ちの オフィス文化論 ● はやわかりメモ 生は、 ある文献(甲骨文・金文)の研究を深め、 見直し、 その研究の末に 「サイ」の発見を成し得たのですね。 と習ったはずです。日本だけでなく、 漢字の故郷である中国でも、 先生が 正式に発表される1970年迄の長い間、 そう信じられ、字書の類もそれを 元に編纂されていました。 しかし、 白川先生は、字源研究を続ける中で、 「口」はほとんどの場合 は、顔の口を示しているのではないという事実を掴んだのです。様々な 発掘・発見がされる度に見直されるべきものが「歴史」であるように、先 オフィス文化論「書家・宇佐美志都の、 『 文字学』を、今、伝えたい…」 第10回 成り立ちを探ることでわかる漢字の本来の意味は生活におけるさまざまな心がけを唱えてくれています。 「明」という字は月の光が丸窓から差し込む様子 慈しみの心を忘れた現代人は本当の明るさを知らない 多いのは、仕事の内容は、 より多様化し、経済発展もしてきているのに、 オフィス照明だけは、画一化されたままで、置き去りになっているように思 江戸町民が築いてきた「粋」という文化は 現状に屈せず工夫をこらしてきた賜物 私は、 書家ですので、 書室が私の「場」であ ります 。私の場合は、 えてきます。 それでは、文字学が現代の生活を考え直すきっかけになる、 もう一つ 漢字の話だけでは肩を凝らせてしまいそうなので、少しテーマを変え 東に向かって大きく窓 の例を紹介しましょう。 「明」 という漢字の成り立ちです。 ましょう。 が開け、 「筆墨硯紙(ひ 私は、着物が好きでよく着ているのですが、和装文化にも、昔の人の つぼくけんし)」 と呼ば 「明」は決して「日 (太陽) と月が一緒に出たらとても明るくなる」 という 「暗い」 「闇」を、本当にあなたは嫌い? そんな前向きな精神を思い起こさせてくれる漢字 知恵や工夫、 洒落っ気が表れた言葉があります。みなさんは「四十八茶 れる必要な用具用材 明るくはなりませんよね。 「明」の漢字についてお話しをさせて頂いたので、 「闇」についても触 百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)」 という言葉をご存じですか? と書 物だけを置いた この字の右側の「月」は文字通り月ですが、左側の「日」は太陽では れておきましょう。なお、 「暗」は、 元来、 「闇」 と書かれていたので、 成り立 江戸時代の後期、 武士に変わって町民が文化の担い手になっていき 簡素で色彩のない空 ありません。これは古(いにしえ)の家々にあった窓の形を表しており、 そ ちは同じと考えて頂いて結構です。 ます。その時期には、 華麗なる商人達も現れ、 贅沢をするようになりました。 意味ではありません。実際、夕方の暗くなる前に月が出たからといって、 間を心がけています。 こから入ってきてくれる月の光をありがたい「明るさ」 と感じ、 それを象形 そこで、 幕府は「奢侈(しゃし)禁止令」を出し、 彼らの食物や遊び、 当時 文房四宝(=筆墨硯紙) と呼応し、 自分の場に重ね、 書を生み出すには、 化したのです。 の日常着であった着物の色に規制をかけました。 自分の求める以外のものは邪魔。勿論、 それらがあったとしても、 それら 「日」の部分の真ん中の横棒は、実在の意味を表す点が打たれてお 当時許されたのは、藍染の紺色、茶色や鼠色。彼らはその色の幅の は存在として、私の胸中には入ってきませんが…。更に、 その場でしか り、 つまり、窓の中に点を打つことにより、 そこに何かがあるということを示 中で各々の個性を発見し、 その色調を楽しむ中で、 「粋」の精神を育む 出来ない行為(=書作すること) があるので、 「場」自体の存在が要です。 しています(指示点)。つまり、 その点がなければ、窓の中は“虚”、点が こととなったのです。茶と鼠で、 かなり多くの色彩を生んだという例えから、 書を通して文字学に出逢い、 私の世界は大きく広がり、 そして新たな 存在する「日」は、つまり“実”、 そこには実態があることを意味している 四十八色の茶色と百色の鼠色という例えの数字を用いて、色彩の幅広 るものが生まれていきました。漢字や言葉の一つひとつには、 それぞれ のです。つまり、 私たちは、 天体の動きを文字にしたということもいえます。 さを語呂よく表現しました。限られた状況の中で、工夫したことにより、文 の物語があり、 宇宙がそこに広がっていき、 創造性は留まるところがあり 同じ例でいえば、 「上」 化が生まれたという好例ですね。 ません。 という漢字は、横棒の この話は、以前、 オフィスのデザインについてご質問を受けたときに思 この世界観は、 文字を用い記録したり、 それを元に思考をしたりしてい 「闇」の字を分解すると、 「門」 と 「音」になります。 「門」は、左右対称 い出しました。 「日本では今、 画一的なオフィスが多く、 そこには文化が生 く総ての人に、 きっと通じることだと確信しています。言葉を文字記録にし 漢字で、つまり、掌の上 の観音開きの戸が付いた大きな門を表し、廟(王者・偉人などの霊を祭 まれないのではないか。なんとかできないのか…」 と、 いった嘆きが、 江戸 てきた東洋人。更に言えば、 文字を鋳込み刻み、 そして、 筆を用い文字を に指示点を加えた指示 ったところ)や、 寺院といった、 聖なる場所の入口を示しています。 「サイ」 の町民の当時の着物事情につながるような気がしたのです。 書いてきた私たちには、 西洋人が戦後恐れ、 中止させた「筆文字」、 つま 文字であり、 「下」はそ のご説明をした時と同じで、 神聖なる場所の存在が根底にあります。 オフィスは仕事の場ですから、 いわゆる派手な装飾は好ましくないとい り 「書」文化を持っているのも、 私たちの総ての後ろ盾に思います。 の逆です。 その廟の中で、神へ対し、 自分の誓いを「サイ」 (祝詞を入れる器) を った前提があります。だからといって、 あらゆる工夫をそこであきらめてし 文字学が語りかけてきてくれるもの、 それは、一つひとつの漢字にそ つまり、窓から射し 用いて行います。その自分のお願い事や誓いの入った「サイ」の中に、 まったら、 そこからは、 文化どころか何も生まれない様な気がします。 れぞれ一編の神話・物語があるということ、 そして、 それが変遷や淘汰 込む月の光を「明るさ」 その誓いに対しての思し召しが、 人知れず現れる事を、 指示点(実態の たとえばブラウンやグレーが主流の内装品にも、 「この空間にはこの色 を経て今に伝わり、 今この瞬間にも尚も育まれ続けているという、 東洋精 と感じ、 それに感謝するということは、現代人の今の照明環境を思えば、 ある様子) として加え表現したものが「音」。 しかない」という意図や確信があれば、 そこから広がる世界もあるはず 神・文化の息の永さ、 そして、 万物に対する慈しみの心、 そしてそれらを その慈しみの心を失っているからかも知れませんね。自然に対する慈し それが、廟の中で行われることが、 「闇」という漢字の意味です。つま です。やがて、 そんな挑戦の中から、次々と「いいオフィス環境」が発見 脈々と受け継ごうとする揺ぎ無い精神。そのことを、今、皆さんに伝えた みも忘れ、 人に対する慈しみをも忘れた現代人に寂しささえ感じます。 り、廟門で神に問い、 その、訴えに対する答えとして、 そのサイの中に神 されていけば、 そこはもっとふさわしい空間になるに違いありません。 いです。東洋への、 そして『日本への回帰』。そう信じ、 私は、 学び、 書き、 そもそも電灯というものがなかった時代、 夜は本当に真っ暗です。 しか の思し召しが表れること 「音なひ」 といい、 その「音なひ」があらわれるこ 文化は、 そこに生きる人自らが生み出し、 培っていくもの。重要なのは、 そして語りつづけていきたいのです。 し月が出て、 しかも満月に近いころは本当に明るい。実際、 紙に書いてあ とを「闇」 というのです。ですから、 思し召しや教え、 お導き…といったこと 自分自身がその担い手、襷(たすき) を預かった一人であることを強く心 る文字が充分に読めるほど、 月の光は明るいのです。 は、 神の現れる「闇」の場であったということです。 得ることが大事なのです。 上に、指示点を打った もちろん、太陽の光に比べれば、 その質は異なり薄く届いてくるのが 「闇」 とか「暗い」 というと、 まさに、 暗く、 不便な印象を受けがちですね。 事実です。それでも昔の人は、 夜空に出る月をありがたいと想い、 その光 しかし、 「闇」の中でこそ、五感を研ぎ澄まし感じ得てきた事を、 「闇」の を「明るい」と表現し、字に残した。その謙虚で慈しみのある心を、私た 文字も教えてくれています。確かに太陽の光はありませんが、周囲に気 ちは、 今、 忘れているような気がしてなりません。 を配ると、風の音なども聞こえてきますね。それによって、例え、時に朧化 だからといって、 この世の総てのも 今は電気照明があたりまえですが、 であってもどこに何かがあるとか、少しずつ創造できてくることでしょう。 最後に、 空間に関する文字の由来を、 一つ紹介しておきましょう。 のを煌々 (こうこう) と照らせばいいというものではないと思います。明る あるいは、 もし、 恐ろしい動物が近くに寄ってきたとしても、 耳を澄まして、 聞くところによると、 日本語の「場」は、 「Ba」 として、何か目的を持った すぎるのは、 必ずしも快適な空間ということではないのではないでしょうか。 その足音を聞き分ければ逃げることができるかも知れませんね。 空間を示す世界の共通語になりつつあるそうです。この字は「陽」と似 その他、匂いや皮膚の感触など、光を受け見えなくても、人は自分の ていることでもわかるように、作りの部分が、光放つものを表します。 した 窓から月の光が入るように、 部分的な照明で必要なスペースを照らす 「場」と「陽」はどうして似ているのだろう? そんな発見から「場」の持つ重要性がわかる ほうが、行為に集中でき、思考も円滑に廻るように思います。書家である 五感を用い、 あらゆる方法でまわりの様子を掴むことができる。研ぎ澄ま がって「場」は、台の上に置いた玉の光が下方に放射している形で、玉 私は、 昼の太陽光が入る時間に紙に向かうことも多いですが、 情熱の夕 された五感の先には、 六感までもが生まれるようにすら思います。更に、 「闇」 による魂振り (たまふり)の儀礼をする所を意味するといわれています。 日の照らしてくれる時間帯や、 万物が寝静まりかける夜に、 紙に向かうこ は、 そういう希望すら今の私たちに伝えてくれているように感じます。つま 昔の人は、 そういう場を大切に設けました。当時の人たちの大切な行為 ともしばしば。でも、 そのせっかくの夜という特別な時間帯に、決して部 り、 今のように悲観的な意味ではなかったのですね。 であった儀礼がなされたのが「場」ですので、現代に働く人の中心とな 屋全体を均質の明るさにはしません。向かっている内容や、 その時の感 現代でも、 考えごとをするときには少し部屋を暗くしたほうがいいとも言 るところがオフィスであれば、 オフィスこそが、 「場」に当たるわけです。た 情などにより照明の位置を変えることも出来るようにしてあり、 その時の自 われていますね。視界にいろいろなものが入ってくるよりも思考に没頭でき、 だ居る場所ということではなく、 もっと神聖なる場、 ここであるという確信を 分の為に、 その時の作品を生み出す為に、 それらと呼吸し、 それらが求 創造性を生み出すことができるのでしょうね。つまり、 脳が視覚のみに頼っ 持って据え、 その環境についても考えていく必要があるように思います。 めてくる時空間を演出します。 ていない状態…それが、 「闇」であり 「暗」の状態なのだと思います。 私たちは、 毎日の仕事のためにどのような「場」をつくればよいか、 それは 月の光に、電気照明が加わったことで、私たちは、 その時の自分好み どの場においても必要以上に明るくすることが、人にとって良好かつ 自分で土 そこを使うすべての人が考えるべきです。農業を始めるなら、 の明るさを実現できる術を得たということも、 一方では言えると思います。 心地よい環境につながるわけではありません。 「明るい=プラス、暗い= 地を探し、耕すように、 オフィスであっても他人任せにしているだけでは、 マイナス」 といった単純な発想は、 もうやめるべきなのではないでしょうか。 いい環境にはならいと思います。 それなのに、建物に備え付けの天井照明のみに頼りきりというオフィスが
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