序文—–前書き

序文—–前書き
第 4 版(原著)への序文
クーラント (Courant) とヒルベルト (Hilbert) による著作『数理物理学の
方法』の第 I 巻は,数理解析,応用数学,物理学の専門家を育成する際に決
定的に重要な,互いに有機的なつながりをもつ一連のテーマへの導入である.
本の内容は,解析的な立場で線形代数を述べることから始まる.その結果,
無限次元の関数空間およびそこで働く作用素への一般化がごく自然に行なわ
れ,特殊関数を含む直交関数系の議論が展開される.同様な見方によって,
(積
分方程式についての)フレドホルム (Fredholm) の理論が,さらには,変分
法の基礎事実が述べられる.連続体の力学系の振動に関する内容豊富な章も
設けられているが,それは常微分方程式と偏微分方程式の固有関数の理論の
行き届いた考察でもある.
初版の刊行以来 70 年になる現在でもなお,本書は上記のテーマへの卓越し
た入門書として役立つのである.読者は,テーマの核心をなす理念に向かっ
てソフトにしかもスピーディに導かれると同時に,技巧的な詳細にわずらわ
されることなしに,これらの理論の応用を学ぶことができる.記述の仕方は,
いわゆる「定義–定理–証明」のスタイルとは対極をなすものであり,式と式
の間には多くの語りが加えられている.このことだけでも,クーラント–ヒル
ベルト本の新たな版の刊行は意義があるといえよう.
なお,クーラント–ヒルベルト本の第 II 巻の最後の章—–英語版では除かれ
た章—–がこの新版には含まれている.K.O. フリードリックス (Friedrichs)
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序文—–前書き
が執筆したこの章は,他の部分よりも数学的な程度が高い.この章には楕円
型偏微分方程式の境界値問題について,解の存在と固有関数の完全性の厳密
な証明が含まれている.ここでも具体的な記述は,クーラントにとって身近
な変分法の言葉で綴られているが,指導精神はヒルベルト空間のそれである.
「なぜヒルベルト空間論の利器を駆使しなかったのですか」とある人がクーラ
ントに尋ねたとき,彼,クーラントは,そうすると「数学の問題」を離れて
ヒルベルト空間論の問題との取り組みになってしまう恐れがあるのでね,と
答えている.
クーラント–ヒルベルト本の第 I 巻が出版された 2 年後にシュレーディン
ガー (Schrödinger) が波動力学を発見した.これはその 1 年前にハイゼンベ
ルク (Heisenberg) によって発見された量子力学の行列表現と等価(同値)な
ものであったが,シュレーディンガーの理論は偏微分作用素とその固有値,固
有関数を用いて定式化されていた.ところが,幸いにも,シュレーディンガー
方程式を理解し,かつ解くために必要な数学の多くを,クーラント–ヒルベル
ト本はすでに含んでいたのである.これは,物理学の新理論が必要とするも
のを数学が見越して発表していたという衝撃的な例の一つといえる.
数学指向の読者であれば自問されるかもしれない:
「理論物理学が最も強く
求めるものは自己共役作用素の厳密な理論ではなかったのか」と.これにつ
いて,フリードリックスは披露すべき次の経験をした.1960 年代のあるとき,
たまたまハイゼンベルクに会ったフリードリックスは,その機会を利用して,
かくも多くの美しい数学をもたらした量子力学の創始者に対して,数学者か
らの感謝の意を伝えた.ハイゼンベルクはその意を受け入れた.これに勢い
づいたフリードリックスは,数学の側もある程度は物理学に対して恩返しが
できたと思うと言い添えた.ハイゼンベルクが一向に乗ってこない風情なの
で,フリードリックスは「フォン・ノイマン (von Neumann) という数学者
がおりますが,彼は自己共役な作用素と単に対称というだけの作用素との間
の相違を明らかにしました」とコメントした.それに対してハイゼンベルク
は「その違いが何だというのです?」との問いを返したのであった.
本書の源がゲッティンゲンにおけるヒルベルトの講義にあるとはいえ,両
者が同様である点は少ない.すでに 1924 年にはヒルベルトの興味は(数理)
論理学の方に移っていたため,本書の執筆作業は完全にクーラントの手にゆ
xv
だねられた.クーラントは偏微分作用素の固有値と固有関数に関する自身の
研究の多くを取り入れている.本書のスタイルはクーラントの数学者として
の個性を反映したものである.それは諸分野のパノラマであり,木にこだわ
ることなく森をよく見ることができ,技巧的な詳細は真似することのできな
い軽やかな手際でスケッチされている.
クーラントの波乱に満ちた人生,収めた大成功,人を魅了する個性に興
味をもたれる向きにはコンスタンス・リード (Constance Reid) による伝記
(Springer-Verlag 刊1 )がお勧めである.この伝記の副題は英語版では『稀有
な数学者の物語』となっている(ドイツ語版では『時代人としての数学者』).
クーラント,その人を知ったすべての者は,しばしば皮肉の装いのもとに伝
わってくる彼の温かい心と友情を,懐疑とカップルされた彼のエネルギーと
情熱を,そうしてまた,克服できそうにない障害に直面しても決して萎える
ことのなかった彼の楽天主義を,いつまでも思い起こすのである.
ルーン・レイク (Loon Lake),N.Y. にて 1993 年 8 月
ピーター・ラックス (Peter Lax)
1
[訳註]加藤瑞枝による和訳は岩波書店刊,副題は『数学界の不死鳥』.
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序文—–前書き
第 3 版への序文
『数理物理学の方法』が刊行されて以来(第 I 巻の第 1 版は 1924 年,同第
2 版は 1930 年,第 II 巻は 1937 年),この領域において様々な進歩が達成さ
れた.私は,第 I 巻の英語版および本質的に改変した第 II 巻の英語版(John
Wiley-Interscience, New York,それぞれ 1953 年および 1962 年)において,
これらの進歩に適応することを願ったのであったが,その試みは当然ながら
ちよくせつ
分量の増大をもたらしたし,また,場所によっては,記述の直截さを損なっ
たかもしれない.
それゆえに,シュプリンガー社が,長らく「在庫切れ」であったこの著作
を元のままの形で,より広い読者層に届くよう手配する決断をされたことを,
私は嬉しく思うのである.
この新版が数学および物理学に関わる諸々の読者に,とりわけ学生諸君に
対して大いに役立つことを願っている.
ここに,私はシュプリンガー社に衷心からの謝意を表わしたい.
ニュー・ロシェル (New Rochelle) にて 1967 年 10 月
R. クーラント
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初版への序文から
古くより数学は,解析学の問題および方法と物理学の直観的な問題提起と
の間にある密接な関係から,力強い刺激を得てきたのである.ところが最近
かげ
の 10 年に到って,この関係に翳りが見られる.すなわち,数学の研究がしば
しばその直観的な出発点から遠ざかってしまい,特に解析学においては,方
法の洗練と概念の尖鋭化に専らの努力が集中され過ぎているという次第であ
る.その結果,解析学の代表者の多くが,自身の学問が物理学をはじめとす
る他分野と同属のものであるとの意識を失ってしまい,一方,物理学者の側
では,数学者の問題や方法についてのみならず,そもそもの数学の研究領域
や言葉に対する理解が失われるという有様である.疑うべくもなく,この傾
向には科学全般に対する脅威が内在している.すなわち科学の発展の流れが
ますます細分化し,潤いを失い,遂には乾上ってしまう危険がある.このよ
うな運命を避けるためには,我われは総合的な視点から多様な事実を貫く内
的な関係を明らかにすることによって,分離したものを再び一つにするべく,
正しい方向に力を発揮しなければならない.そのようにしてこそ,学生たち
は素材を効果的にマスターすることができ,研究者たちは有機的な研究展開
の素地を用意できるのである.
本書の使命は,数理物理学の分野において,以上の目的に奉仕することで
ある.18 世紀および 19 世紀の古典物理学の問題設定に関連して築かれた数
学的方法を展開し,かつ得られた結果を一貫した数学理論に仕上げることを
目指している.完全さは我われが敢えて追求するものではないが,本書の述
べるところによって,重要かつ最も美しい関係に富んだ分野への参入が容易
になることを願っている.純粋に方法的な内容を別にして,本書は専門家に
とっても新しいであろう項目を多く含んでいる.
本書について,構想および執筆の大部分が自分の手によるものであるゆえ
に,私はそのすべての責任を負うものである.また,私は本書の多くの箇所
において,個々の著者による原論文の少なからぬ部分をほとんど手を加えな
いで遠慮なしに引用させて頂いている.このような事情にもかかわらず,本
書を世に出すにあたり,私の尊敬する恩師であり,同僚であり,さらに友人
であるヒルベルトの名を共著者として掲げることに私が固執したのは,ヒル
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序文—–前書き
ベルトの論文や講義からの材料がしばしば用いられていることへの配慮だけ
によるものではない.むしろ,何にもまして私は次のことを強調したい:本
書に代表されている科学的ならびに教育的な努力は,永久にヒルベルトの名
前と共に伝えられるべき数学的精神の「子供たち」なのである.
ゲッティンゲンにて 1924 年 2 月 11 日
R. クーラント
第 2 版への序文
第 2 版においても全般的な素材の配列に変わりはない.一方,この版は多
くの項目について第 1 版になかった簡単化や拡張を含んでいる.それらの内
容はこの間になされた進歩を考慮したものであり,いくつかの部分は今まで
ここでのような形では未発表のものである.
ゲッティンゲンにおける私の若い友人たちの献身的な共同作業がなければ,
本書を今回のように改めることはほとんど不可能であった.この点で私は,ま
ず,すでに初版のときから私の助手であったクルト・フリードリックスに加え
て,F. レリッヒと R. リューネブルグの名を挙げねばならない.この新版が
彼らに負っている実質的なおかげの大きさは,本文中の個々の場所でその名
前を挙げるだけではすまないものである.さらにフェンヒェル,ウェーハー,
ウェーグナーの三氏については,原稿の批判的な精査および校正を通じての
貴重な助力に対し,私は心から謝意を表するものである.
本書で扱う素材の構成については,詳しい目次がそれを明らかにしている.
配列の趣旨については,素材よりもむしろ方法に重きを置いた.各章は然る
べき程度に独立した単位になっており,本質的には他の章の知識なしに読む
ことができる.詳しい索引を利用すれば,読み方の方向づけが容易になろう.
なお,文献,特に各章に添えてある文献表は体系的な完全性とは程遠いもの
である.
この第 2 版の出現は,本来「合わせて 2 巻もの」である本書を完結させる
べき第 II 巻の刊行に関する私の義務の重さを倍増した.第 II 巻の仕上げの
xix
遅れは,そこでの対象に関わる一連の問題点をなお完全に解明したいという
私の願いのせいである.遠くない時期に結果を出し,それによって刊行の遅
れを正当化できることを希望している.
ゲッティンゲンにて 1930 年 10 月
R. クーラント