数学とは何か - 長岡技術科学大学

小林 ­治
数学とは何か
『数学とは何か』
R. クーラント、H. ロビンズ著
岩波書店
この本を最初に手にしたのは大学受験のための勉強を始めたころであったと記
憶している。公式を暗記し入試問題を解く練習をするばかりの受験勉強に少々う
んざりしていたときに、当時すでに大学生であった数学好きな先輩から「この本
を読んで見ろ」と勧められた。受験勉強の合間に(時には放り出して)
、今から思
えば書いてあることの多くを理解できないままに、無我夢中で読んでいたのを懐
かしく思い出す。数学には、数千年を超える歴史があり、それは人の素朴な好奇
心から始まった。各時代の多くの先人達の絶え間ない探求心と努力、そして天才
の閃きにより少しずつ発展し、様々な分野が生まれ育ってきた。それにもかかわ
らずいくつもの問題が現在でも未解決のままである。数学のそれぞれの分野は互
いに、また数学以外のあらゆることに深く関連していること等。それまで数学の
本としては学校の教科書と受験参考書しか読んだことのなかった無知な未成年に
はすべてが新鮮に響いたのだと思う。
大学に入学し理学部数学科に進んでからも時々この本のページを開くことがあ
った。たとえば、数学を専門にしている者としてちょっと恥ずかしいので今まで
誰にも言わずに秘密にしてきたのであるが、ここで初めて白状する。数学科では
「極限と連続」を厳密に論ずるためにいわゆる「ε−δ論法」を真っ先に教えられ
る。大学の講義でこれを最初に聞いたとき、正直に言ってなんの意味だかまった
く理解できなかった。後にこの『数学とは何か』の第Ⅵ章を読んでこの論法の意
味するところを理解できたのである。この経験が、拙著『常微分方程式要論』
(近
代科学社刊)の巻末の補章の中に、ε−δ論法を導入せずに一様収束の概念を理
解させることを目指した1節を書く動機となった。大学院に進学し、いろいろあ
ったけれども、曲がりなりにも数学の教育研究に細々ながら携わるようになった。
今日まで、それなりにおそらく何百冊もの数学書を読んできたのであろうが、こ
の『数学とは何か』を超える名著には残念ながら出会っていない。もっとも、数
学書に限らず毎日数え切れないほどの書籍が発刊され続けているので、全く目に
も手にさえもしていない数学書が世の中には無数にあるのだが。
誉めてばかりでは公正でない(出版社から賄賂を貰っているわけではない)ので、
本書の欠点についても書いておこう。何と言ってもこの本は古い。原著“ What is
1
Mathematics? − an Elementary Approach to Ideas and Methods ”が Oxford
University Press から出版されたのは1941年であり、その日本語訳が岩波書店から
出版されたのが1966年である。何度か版を重ねた後、多くの修正とその後の発展
についての1章(第Ⅸ章、おそらくI.スチュワートによる)が加えられた Second
Edition が初版から半世紀以上経った1996年に出版され、その日本語訳は2001年に
出た(懐かしくなってすぐに買った)
。初めて手にしてから40年近くたった今冷静
に見てみると、この『数学とは何か』は、当然のことながら、数学の一部分を大
数学者である2人の著者が彼らの好む方向から眺めたものである。出版後に発展
した分野はもちろん、ここには全く触れられていない数学の分野が膨大にあるの
である。書名に釣られてこの本を隅から隅まで熟読したとしても、数学とは何か
の答えが得られるわけではない。
実を言うと、自分の講義の雑談や課題問題、そして時には試験問題の題材を探
すために今でも時々この本を開いている。だから、私の講義の受講生にこの本を
読まれてしまったらネタがばれてしまって正直言ってちょっと困ることになる。
最後に、別な意味で数学とは何かを考えさせられた興味深い本を最近読んだの
で、これを紹介しよう。
『数学する本能』
(キース・デブリン著、富永星訳、日本評
論社)である。最近の研究によれば、アフリカの砂漠で獲物を追いかけ回した後
に正確に最短距離で自分の巣に戻る蜘蛛や、地球規模で北から南へと正確に毎年
大旅行する渡り鳥たちは、人類が月面に宇宙船アポロを送ったと同じかそれ以上
の高等数学と観測装置を持っていなければならないことになる。他にも、一般的
に知能が低いと思われている動物たちが(中には植物でさえ)高等数学を理解し
ていなくてはとても出来ないことをいとも簡単にやってしまっている例がたくさ
んあるらしい。人類は長い進化の過程で本能を失ってしまったので、我々は一生
懸命に数学を勉強しなくてはならないのか、と思うこの頃である。
執筆者紹介
i治
小林 i
本学教授。専門領域は、複素解析とその応用。東京工業大学理学部教員から本学へ。
理学センター長として、理数分野の教育の取りまとめ役を務めている。音楽(特にモ
ーツァルト)が好きで、自らも楽器を弾いて楽しんでいる。長岡市民を中心に平成10
年に結成された弦楽合奏団「アンサンブル・リリック」にヴィオラ奏者として参画し、
平成19 年3月には10周年コンサートに出演した。
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『書名』 著者名(翻訳者名) 出版社または文庫・シリーズ名 出版年 税込み価格
『数学とは何か』 R. クーラント, H. ロビンズ共著(森口繁一監訳) 岩波書店 2001年 品切
『常微分方程式要論』 小林昇治著 近代科学社 1990年 1,995円
『数学する本能』 キース・デブリン著(冨永星訳) 日本評論社 2006年 2,310円
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