経営史 皆さん、こんにちは。経営史のシケプリを担当した田尻です。 この

経営史
皆さん、こんにちは。経営史のシケプリを担当した田尻です。
この講義のシケプリは、伊藤君が、彼の知り合いのいる他のゼミのシケプリを貰ってきて
くれるようなので、そちらのほうも参考にしてみてください。
(僕としましては、そちらのほうを重視してくれるほうが有り難いのですが・・・)
産業革命が生み出した企業経営
産業革命期に経済はどのくらい発展したのか?(1980 年代の研究)
産業革命期のイギリスの経済成長・・・6%
イギリスの経済成長のうち紡績業の占める割合・・・30%
イギリスのGDPのうち紡績業の占める割合・・・20%
⇒イギリスの経済成長は紡績業の占める割合が大きく、全経済が一度に大きく発展したと
は考えにくい。
その一方で、産業革命期における輸出統計を取ってみるとイギリスの輸出は多くの産業で
大幅に増えている。
企業経営
工場制の登場
経営形態
問屋制家内工業・・・手工業、分散
工場制手工業・・・手工業、集中
工場制工業・・・機械、集中
分散→集中に移った理由
商品の管理がしやすい為。分散状態だと原材料の横流しとか
が起こり易い。
綿工業
綿工業が発展した理由
イギリス国内の富の蓄積され、インドから輸入されていた綿製品に対する需要
が高まる。
↓
その結果、イギリス国内でも綿工業が起こり、産業の中心も毛織物から綿に移った。
1つの企業は製糸や紡績の1∼2工程しか行っていない
産業革命期の企業は設備を賃借している。1つの工場を多くの企業が借りてい
た。(工場アパート)
マコウネル=ケネディ商会(1795∼、綿繊維業)
設立時の経営
小規模の賃借の作業場で操業
生産品・・・様々な太さの糸・綿布など
販売方法・・・ディーラー、直売、委託
1797年
自己所有の大工場を建設。規模の経済を導入した経営
専門化・・・太糸、綿布をやめて需要のある細糸へ特化
多品種少量生産をやめて、少品種多量生産へ。
販売方法もすべて委託販売に。
この頃は事業を始める人も多かったが、失敗する人も多かった。事業を始める人はある程
度、差別を受けているような人たちだった。
18、19世紀のイギリスの交通網について
運河・・・1960年代まで輸送において重要な役割
馬車・・・有料馬車の登場。料金を支払っても輸送を行いたいという需要
鉄道・・・19世紀の終わりまでに全国に整備される。48時間以内にロンドンから
スコットランドへ。
イギリスの産業革命の他国への影響
アメリカ・・・イギリスへの綿花の輸出国。19世紀のアメリカの輸出品は原料品が最も
多い。
他のヨーロッパ後発工業国・・・伝統的に行われている手工業をより専門化することによ
って、高品質の商品を作る事を目指す。高品質の手工業の生産物をイギリスに輸出する。
地域的産業集積・・・イタリアの絹織物など
19世紀半ばの工場の規模
従業員1500人以上の工場もあったが、100∼200人規模の工場が最も多かった。
産業革命の企業経営
工場制と雇用
問屋制家内工業(クラフト的生産体制)・・・作業モニタが行いにくい。
職人が自分のペースで仕事を行う。訓練が必要なので徒弟制度が発生。
技能水準は絶対的で、製品の変更は容易
工場制度(大量生産体制)・・・高価、分割不可能な機械(技術)体系を用いる。
集団的に組織された生産方法・共同所有の生成(株式会社)
規律が必要なので、作業のモニタを行う。
工場制の中での雇用
工場支配人(工場管理人)・・・工場の所有者が、管理のプロであるとは限らない。そのよ
うな時、工場の管理のプロである工場支配人に現場管理を一定の範囲で任せる。
工場支配人の供給は少ないので工場所有者のコストは増える結果となった。
内部請負・・・工場の所有者が生産工程に関する知識を豊富に持っていない場合、直接雇
用した基幹工(熟練工)に工程の一つを請け負わせる事。
基幹工は、経営者から一工程の裁量権を全て与えられ、受け取った予算内で補助労働者を
雇用したりする。
基幹工の報酬は、予算―補助労働者の賃金、だったので基幹工は補助労働者を酷使すると
いうインセンティブを持っている。・・・後の児童労働の問題の発生
経営者と基幹工の対立
基幹工の養成は基幹工の組合が行う・・・基幹工の労働市場の競争を抑制するという目的
組合内では徒弟が10数年かけて教育・訓練を受けている。
↓
技術革新が起こると修行している間の時間が無駄になるの。しかし、経営者は新技術を取
り入れたい。・・・組合と企業家の対立
アメリカにおける雇用
アメリカでは内部請負制は発達しなかった。なぜならアメリカで工業化が始まったとき、
紡績業は高度な熟練を必要としない紡績機(リング紡績機)が発明されていたので、熟練
労働者に対する需要がなかったから。
イギリスの紡績業はミュール紡績機(ある程度の熟練と労力を要する)が用いられていて、
リング紡績機が発明された時には、イギリスの労働市場は熟練労働者を必要とするタイプ
に固定されていた。
産業革命期のイギリスにおける企業と資本市場
資本市場の閉鎖性
資金の調達・・・外部の資本市場に依存していない。
調達先は家族・一族・地域(地縁・血縁)・・・イギリスでは産業革命期に民富が形成
されていたので可能。
参入に必要な資金も少なめ・・・工場の賃貸制度が発達していた。
賃貸される工場や設備の持ち主は地方の地主層(貴族階級)
経営形態はパートナーシップが普通
人的な信用に基づいた資金運用。追加投資は外部から調達するのではなく、内部留
保によってまかなう。(特に長期投資)
↓
イギリスの経営者達は自分達の企業経営に新たな参加者が加わる事を嫌ったので、株式会
社制度の発達は遅かった。
短期の投資資金は手形割引によって調達されることもあった。・・・資本市場の形成
株式会社の特質
イギリス
有限責任法(1855)・・・パートナーシップの改組として株式会社(有限責
任)が広まる。
資金の調達・・・社債や優先株(株主総会で議決権を持たない株式)の発行
→
旧来の経営者が経営権を失いたくないための行動
アメリカ的製造方法(アメリカンシステム・アメリカンプラクティス・アメリカンメソッ
ド)の登場
1851年
ロンドンで第一回万国博覧会の開催
アメリカの出品の中に互換性の部品を用いた銃があった。
→イギリスは、アメリカにはイギリスとは違った製造方式が存在していると認識
アメリカンシステム登場の背景
イギリス
アメリカ東部
不熟練工
→
移
‘不熟練工’
民
↑
アメリカの開拓地(中部、西部)
→
独立し、自作農
2∼3年
アメリカ東部の不熟練工は常に流動的かつ不足していた。経営者は定着策として、高賃金
や待遇改善を行い、常に技能を持たない労働者を雇う事に対する対策として機械を多用し
た。
互換性部品
許容誤差の概念が必要・・・必ずしも、各部品が全く同じである必要はない。
A:マスターピース
A=B
A=C
B:部品
であれば
C:部品
B=C
であるという考え
イーライ=ホイットニーについて
多くの教科書や参考書ではホイットニーが互換性部品の概念を生み出した人物であるとい
う記述がなされていますが、この講義の先生はそのような考えを否定し、ホイットニーは
互換性という概念を全く理解していないという考えの持ち主であるので、注意して下さい。
スプリング・フィールド工廠
アメリカ式製造方式の中心、象徴
兵器はコストではなく性能を重視
→兵器の互換性がどんなにコストをかけても達成すべき目標であれば、徹底的にコストを
かける。(互換性部品であれば戦場において武器の修理がしやすくなり、武器の消耗も減
らせるだろうという考え)
スプリング・フィールド工廠で生まれた経営概念
原価管理・工程管理・意思決定の定式化・・・工廠は政府の税金を使って生産を行ってい
たので、政府に対する説明責任が生じこれらの考えが発達した。
19世紀後半からのアメリカ企業
1880年代の発明 電気・内燃機関・化学
系的管理運動や科学的管理法) +
+
蓄積されていった大企業の管理法(体
大規模な(国内)市場
=
アメリカ国内で大企業
が成立するための要件
ヨーロッパは言語、身分階級によって市場の大きさが制限されていた。
アメリカにおける巨大企業の形成
鉄道企業
1840∼50年代
1870年代
アメリカで鉄道建設ブーム・・・資本市場の形成(株式会社)
西海岸までの幹線鉄道が整備された。鉄道網の整備は全国市場の形成や、
全国的な一物一価をもたらした。
鉄道企業の特徴
鉄道システム
規模と技術的複雑さが大きい
固定コストが大きい
資金をどこから調達するか?
N・Y証券市場の発達。アメリカ国内の資本市場の形成
他の産業も資金調達が容易になる。
管理組織上の革新
鉄道業の莫大な資金需要・・・所有と経営の分離を促す
鉄道という仕事
自企業の鉄道が運転している地域を管轄しなければならない
↓
安全等のために情報の即時性、信頼性が要求される。(事故防止のため)
政府の命令によって単一の本部から各部署を統制するようになる。組織統制の明確化
経営効率について
大規模鉄道会社は本当に効率的か?
路線1マイルあたりのコストは大規模鉄道会社よりも小規模な会社のほうが低い
・・・規模の経済に反する結果。会社が巨大になり過ぎたのでは?
↓
大規模鉄道会社の経営陣は、小規模に戻るのではなくコストを下げるために大規模な鉄道
会社に合った企業の運営方法を見つけ出す事を選ぶ。
その結果
組織図とラインアンドスタッフ制がもたらされた。
会計においても株主に報告義務が発生したり、減価償却の概念が誕生したりした。
これらによって、鉄道業は1870年代には事業部制のような経営組織を持つようになっ
た。
株式の分散化
専門的経営者の登場・・・鉄道業に通じた人物が経営するようになった。
経営者は株式を持っていないが安定的にその地位にいた。
アメリカの専門的経営者は鉄道に特化しすぎた。鉄道のターミナルにデパートを作ったり、
沿線の土地の開発をするという方法を生み出したのは、日本の私鉄。
19世紀末に鉄道会社の組織を作り上げた人たちは、20世紀になると他の産業(特に製
造業)の組織形成に寄与した。
流通の革新
国内市場の拡大・鉄道網の形成・人口の伸びによる都市化が商圏を成立させた。
通信販売の成立
郵便制度の普及
注文を処理するための手続きの明確化、簡略化・・・流れ作業的事務能率の効率化の追求
チェーンストア
A&P
食料品チェーン店
1859年
紅茶の小売店としてスタート
紅茶の直輸入により中間マージンを排除・・・直輸入して直販すれば30%
は価格を下げれるという判断
紅茶は量り売り、ばら売りで売られていたが、包装してブランド化する方法を開発
店舗の数が拡大するにつれて取り扱い品目も増加(コーヒーや食料品)
既存の設備に余力があり、追加投資もそれ程かからないので品目を増やした。
品目を増やす事によって単位あたりのコストを下げる・・・範囲の経済
1912年∼
チェーンストアとしての拡大
掛売りと配達の廃止
現金払い、持ち帰り制
A&P
後方統合・・・生産、製造の方へ進出(ベーカリー、ミルク加工、缶詰工場など)
→自社ブランド
前方統合・・・メーカーがディーラーを統合すること
アメリカでは企業ガ垂直統合を行う事によって安定化した。
日本のスーパーは自社ブランドが弱い
シンガー(ミシン会社、1851年創立)
シンガー社についてはプリントに細かく書いてありますので、ここでは簡潔にまとめたい
と思います。
シンガー社の生産方法・・・シンガー社は創立当時から互換性部品を使ってミシンを生産
していたと言われているが、実際は擦り合せによる生産を行っていた。
ミシンという商品の特徴・・・新しい技術を用いている。素人には扱いにくい
ミシンの使い方の説明と宣伝を兼ねた販売活動が必要。アフターサービスも必要。
↓
既存の流通組織を利用できない
シンガー社が後に互換性を導入した理由・・・摺り合わせ方の部品だとアフターケアでミ
シンを修理するときに、いちいち部品を最初から作らないといけなかったから。
シンガー社が世界展開していくに連れてこの負担が大きくなってきた。
シンガー社成功の理由・・・宣伝・広告の成功
垂直統合
最初は前方統合。その後、後方統合
19世紀末のイギリス
単一職能、単一製品の企業ガ存続。
アメリカは複数の職能を持つ企業の登場
アメリカ大企業の成長の経路
内部成長型・・・1,
連続工程機械が開発されたもの
キャンベルやハインツ
2,
流通に際して特別の配慮をした企業
3,
既存の流通を利用できなかった新しい業種
スウィフトやバドワイザー
シンガーなど
19世紀末に登場した内部成長型のアメリカの大企業については、授業ではシンガー位し
かしませんでしたが、教科書にはスウィフトやマコーミックの話も載っています。
合併型・・・スタンダードオイルなど
水平統合から垂直統合へ、合併型の企業のほうが内部成長型の企業よりも多
かった。
スタンダードオイル・トラスト
ロックフェラー
元々は穀物の仲買商
1862年
23歳のとき、石油精製に出資
1865年
世界最大規模の製油所を所有
ロックフェラーと鉄道会社の交渉
毎日、輸送の為に60車両使うので、輸送費を
$2/バレル
から
$1,30/バレル
に値下げして欲しい。というロックフェラーの申し出を鉄道会社が飲んだ。
鉄道会社のメリット・・・安定的な需要曲線、安定的な収入が得られる。
石油産業の特徴・・・規模の経済が働く産業
付随的な事業(タル作りとか)がある
ロックフェラーの水平統合の方法
自社株と相手企業の株を交換。ただし、相手企業の資産を非常に安く(スクラップ価格で)
見積もる。
当時のアメリカの会社法・・・州を越えた企業活動を想定したものでは無い
↓
スタンダードオイルに買収された企業は別々の州にあると一つの企業として活動できない。
その為にロックフェラーが考えた方法・・・トラスト
スタンダードオイル
オブ
オハイオ
グループ各企業がトラスティーに株式を預け、トラスティーは、その上にある委員会の支
持に従う。
形式的には別会社であるが、実質的に同一企業としての活動が行える。
19世紀末
ニュージャージー州で一般会社法制定
持ち株会社の設立が許可される。
既存のトラストは解体されるか、持ち株会社に移行した。
スタンダードオイルの経営
管理的統合・・・持ち株会社がグループ全体を単独会社として管理
委員会制で企業を運営
職能別組織と事業部制組織
職能別組織
19世紀末アメリカで完成
単一製品・複数の職能を持った企業で広まる。
特徴
長所・・・企業内活動が統一的になる。職能のシナジーが得られる。職能別の専門化、知
識の累積、専門家の育成
短所・・・職能間の考えが対立することがある。
トップにかかる負担が大きい。(人間の管理能力の限界、Sp a n
of
Control)
組織の大規模化、階層組織の巨大化が生じやすく、情報伝達のロスが生じる可
能性が大きくなる。
デュポン社
化学会社(火薬会社)
第一次大戦の爆薬の需要増で大儲け
1917年頃になると終戦の気配が見え始め、今後の企業活動について考える。
経営の多角化をおこなうか、経営規模を縮小するか?
多角化を選択・・・戦争中に増加した経営資源の有効活用、技術的に関連のある分野
ペイント業に参入することを決定
ペイント業・・・量産(規模の経済)に適している。需要はある。中小企業が多い
ペイントと火薬の違い
ペイントは最終消費者向け、小口販売
火薬は中間消費財、大口販売
デュポンがペイントに参入した結果・・・ペイント部門は大赤字
デュポン
調査委員会の調査結果
ペイント販売に適した組織改革が必要である。
ペイントと火薬、市場に合わせて分野を分けたほうが良い。・・・事業部制
(但し、当時の社長は組織改革には反対だった。)
1925年頃に事業部制が正式な組織として認められる。その結果、ペイント部門は持ち
なおした。
バンド・ワゴン効果
1つの成功例が現れると、それが流行してしまう現象
デュポンが事業部制で成功したのを受けて、事業部制を導入する必要の無い企業まで事業
部制にしてしまった。
組織は戦略に従う・・・多角化という戦略に最も適合していたのは、事業部制であった。
だから、デュポンは事業部制を採用したのである。
事業部制組織
1960年代に入ると、大企業の中で事業部制を導入する企業が大幅に増加。
各事業部を準企業として捉える。本社は企業全体の利潤を向上させるような戦略をとる。
フォード
コンベヤによる生産システム・・・19世紀後半、缶詰工場や食肉工場で採用されていた。
フォードの生産体制
1909年
ハイランドパーク工場建設開始
機械設備のレイアウト・・・工程順に配置、間隔を詰めて配置
敷地の節約、移動時間の短縮
1913年
T型フォードのコンベヤシステムが完成
移動式組立て方法(コンベヤ方式)の工程分割・・・各工程間で加工時間が一定である必
要性が生じる
1920年代半ば
リバールージュ工場
徹底した垂直統合で、自動車生産に必要な設備を全て備えている。
労務管理
フォードの労働者は移民労働者が多い。離職率も高い。
対策・・・一般の二倍の高賃金で離職率を下げる。
英語学校を移民労働者のために建設。
フォード・大量生産方式
コンベヤシステムの採用によって、組立てに必要な時間が12時間30分から90分に
短縮された。
互換性部品
車の生産力が向上
互換性はコストがかかるが、擦り合わせのためのコストが不要になる。
低利潤は大量販売でカバー
新素材開発のための投資・・・加工しやすい鉄、鉄鋼の開発
授業では、フォードの投資はコンベヤシステムの開発ではなく、この様な材料の開発に
大部分が使われていたと先生が言っていました。フォードの自動車生産のためのコスト
低下も新素材の使用によるところが大きかったようです。
イギリスの自動車産業
1970年代ごろ、イギリス自動車産業は衰退
その理由・・・経営に問題があるのか?
労働組合(労働者)に問題があるのか?
イギリスの自動車産業の発祥
自転車製造を行っていた企業が自動車の生産に進出することが多かった。
イギリスは熟練工が多く、汎用工作機械で大抵のものが作れた。→自動車部品を内製化
国内資金市場も整備されていた。→新規参入が容易
市場
アメリカは一般大衆が対象であるが、イギリスは富裕者層が対象でデザインなど
が要求される。
1910年
アメリカの生産台数はイギリスの200倍、雇用者数はイギリスの3倍
この差は固定資本設備の差
イギリスとフォード
1911年
フォード
マンチェスター、トラフォードパークに組立工場建設
部品はアメリカから輸送
1913年
マンチェスターの工場で22週間のストライキ
労働者は高賃金を要求
1914年
15ペンス/時間
に時給が決まる・・・平均の3倍の賃金
第一次世界大戦
兵員輸送のために船を使うので、輸入の制限。自動車部品に関税(33.3%)
フォードはイギリス国内に部品工場を持っていないので、部品製造メーカーを育成し、
イギリス国内で部品調達せざるを得なくなった。
他のヨーロッパ各国も同じような政策をとったのでフォードは欧州に
直接投資しなければならなくなった。
1932年
ダゲナムの工場が稼動開始
年産12万台の生産能力・部品製造も行う
この当時の各国の保護政策によって過剰な生産設備になってしまった。
1930年代末
オースティン
モリス
フォードで60%の市場シェア
イギリスの自動車産業の特徴
イギリスの自動車企業の株式は配当率が非常に高く、株価も高かった。
資金調達はほとんど、外部から調達していた。
フォードとの関連
労働者はフォードの高賃金、日給制(ブルーカラー労働者はこの当時、普通は時給)を
経営者に求める。
1922年
オースティンがオースティン7を発売
小型でフォードの車よりも安い
1930年代
イギリスは小型車の設計は優れていた
オースティンが流れ生産システムを導入→量産化
第二次大戦後のイギリス自動車産業
政府が輸出拡大の政策を打ちだしたので、自動車産業も輸出指向型に
1948年
国内生産台数の75%が輸出される。
1950年
国内生産台数の80%が輸出される。
海外の自動車の輸出市場の約50%のシェア
1960年代
ドイツが輸出市場でイギリスを上回る
ヨーロッパ国内は高関税政策をとっていた(イギリスも含む)ので、ヨーロッパには輸出
できなった。
イギリス車の位置付けは低価格車でアメリカ向けに輸出されていたが、アメリカ企業が
小型車を生産し始めると、輸出はイギリス連邦内に向かった。
ショップスチュワードの問題
1950年代から
非公式ストライキが頻発
労働組合の指示ではなく、戦闘的なショップスチュワードによるストライキ
労働組合は構成員をきちんと管理できていない。会社側は組合の経営に不満。
衰退曲線(1960∼80年代)
イギリスの自動車産業は合併によって企業規模を拡大すべき、という考えが広まる。
政府や銀行が中心となって業界合併が進む。
イギリスの自動車産業が衰退したのは、経営がまずかったからとか、労働組合が高賃金
要求のためにやたらとストを起し、経営に悪影響を与えたからであるということではなく、
この頃の企業合併が急速に進んだ結果、違う方向・分野(低価格、量産車と高価格車)
の企業を無理に合併させたので経営に矛盾(製品群の整理・統合が出来ない。工場の統合
が出来ない。取締役間に不満が生じる。)が生じたからである。と言うのが授業の結論だっ
たと思います。
地域産業(産業集積)
スイスの時計産業
18世紀末から始る。この当時、すでに国際市場に進出
1840、50年代
北米市場に低価格品を輸出・・・品質の低下
クラフトシステムで生産
アメリカ、ウォルサム
時計の大量生産方式を確立(1870年代)
この結果19世紀末∼
スイスの時計は高給時計に転換
1970年代
クォーツ、電子技術の登場・・・スイス時計産業の危機
銀行から合併するように言われる企業、垂直統合の高い企業グループ(Swatch など)と
小企業のままで特注品を作る時計企業にわかれる。
シェフィールドとゾーリンゲン(刃物産業)
第一時代戦後
シェフィールドの生産量・・・ゾーリンゲンの1/3
シェフィールド
金属学の中心地
特殊鋼の分野では第二次大戦頃まで地位を維持しつづけた。
↓
自動車産業への工具の注文
最大の市場は北米市場、低価格品、標準化された製品
アメリカ、ニューイングランドの刃物製造業者が機械化、量産化を行うようになる。
イギリス国内でも19世紀末には機械化で生産が可能であったが、熟練工が反対した。
その結果、奢侈化した製品を作るが、市場のニーズが無かった。
↓
需要が減退し、若年層がこの産業の将来に不安を抱いたので徒弟として来るものがいなく
なった。
熟練の再生産が不可能に
ゾーリンゲン
生産に機械化を採用
シンプルなデザインの高級品と低級品を生産
第一次大戦後の問題
戦争によって徒弟制度が崩壊
アメリカ型の大量生産方式へ移行
高級品が作れなくなるという問題が発生。この問題をどうやって解決したのかと言うと、
それは、現在研究中なのでまだよく分っていないそうです
イギリスの綿産業
紡績の地域と綿布の地域が地理的に離れていることが特徴
20世紀にはいると、アメリカや日本との競争、合成繊維の登場で衰退に向う
1928年
ケインズの提案・・・紡績部門の大合同(ランカシャー・コットン・コーポレーション)
地方銀行が紡績企業にたくさん貸しだしていたので、紡績産業の崩壊が金融シ
ステムの崩壊につながる事を恐れた。
1950年代
日本の輸出が少ないので非常にうまくいっていた。
1960年代・・・衰退
日本の復興、ドイツ・イタリア・インドの進出
これらによってイギリスの綿業が停滞
香港からの輸入の影響が大きかった
その他
教科書について
教科書は「経営史講義、第2版
大河内暁夫著
東大出版会」です。
教科書は講義の内容を大部分カバーしていると思うので、読んでみてください。
内部請負とかについては授業よりも分りやすかったです。と言うより、授業と教科書の内
容が同じ所だったら、教科書のほうがかなり理解しやすいです。もっと言うと、‘あの講義
どうやってノートとりゃいいんだよっ!もっとわかりやすく説明とか板書とかしてくれ
っ!’て感じでした。
シケプリについて
かなり不満足な出来です。すいません。あんまり信用しないで、教
科書読んだり、伊藤君がよそのゼミ(多分、藤本ゼミだと思いますが)のシケプリをゲッ
トしてくれたら、そっちの方を活用してください。
中間テストについて
5月のはじめ頃に一回テストがありましたが、これを提出しなく
ても期末試験だけで単位をくれるそうです。
試験について
持込不可
中間テストの問題と過去問(と思われるプリント)を伊藤君
に渡しておきます。
この教科の試験は9月3日にあるので、皆さん、夏休みは、単位取れる程度に頑張って勉
強してください。