真の“人”であるために

真の“人”であるために
旧約単篇
創世記の福音
真の“人”であるために
創世記 2:4-25
今日は 2 章を、ご一緒に読みます。23 節の終わりの 2 行は、これまでの訳
文ですと、何のことかよく分かりませんでしたけれども、こんどはカナ書き
の部分から、ある程度分かります。ヘブライ語で「イシュ」と「イシャー」
は同じ語の男性形と女性形なのです。英語でいうと tiger と tigress みたいに、
「イシャー」の方は女性形の語尾がついております。雄の馬が「スース」で
雌の馬が「スサー」と言うのと同じです。アダムの喜びの叫びは短い詩の形
で洒落を言っておるのですね。「なるほど後のヘブライ語で言うように、男
性の“人”と女性の“人”だ!
vyai
と
hV'ai
とはよく言ったものだ!」と
いう歌になっています。これはまあ、ヘブライの都々逸のようなもの、とお
考えください。
24 節の「二人は一体となる」は、文学的には色々な意味に適用されますが、
元々ヘブライ詩の自然な意味は何だったかと言いますと、「一体」と訳して
あるのは「一つの肉」dx'a,
rf'B'
は、英語なら one flesh に当たりますが、肉
なる存在の人間としては、one unit と申しましょうか……ふたりでありなが
らひとり、仲間の人間社会に対しても、主なる神を仰ぐイスラエルの契約の
中でも聖なる“team”として立つことを言うのでしょう。
2 章の頭に戻りまして、「これが天地創造の由来である」(4a)という文
は、前回には 1 章の創造記事の結びのようにも読んでみましたけれども、こ
の後 5 章、6 章、10 章、11 章に二回、25 章に二回、36 章、37 章に反復して
出てくる使い方から見て、まとめと言うより、この後のアダムの話とエバの
創造の記事の見出しになっていると見るべきでしょう。この「由来」と訳し
たトレドート
tAdl.AT
は元々「子孫」を指す言葉で、子孫や家族の歴史を言
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いますから、以下の話は“天地創造の子孫史”、つまり天地創造から出たア
ダムの家族史である……という意味になりますか。
4.これが天地創造の由来である。
主なる神が地と天を造られたとき、 5.地上にはまだ野の木も、野の草も生
えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。
また土を耕す人もいなかった。
6.しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。7.主なる神は、
土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れら
れた。人はこうして生きる者となった。 8.主なる神は、東の方のエデンに園
を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。 9.主なる神は、見るからに好
ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また
園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。
10.エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つ
の川となっていた。 11.第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地
方全域を巡っていた。 12.その金は良質であり、そこではまた、琥珀の類や
ラピス・ラズリも産出した。 13.第二の川の名はギホンで、クシュ地方全域
を巡っていた。 14.第三の川の名はチグリスで、アシュルの東の方を流れて
おり、第四の川はユーフラテスであった。
15.主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、
守るようにされた。 16.主なる神は人に命じて言われた。
「園のすべての木から取って食べなさい。 17.ただし、善悪の知識の木か
らは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」
「東の方エデン」というのは、チグリスとユーフラテスの名が出るところ
から見て、現実の場所を意味しているとするのが自然であります。他の二つ
の川の名前や、宝石らしい名前は、不明の部分に含まれます。チグリスとユ
ーフラテスは、後の悲劇―異邦人に侵略される悲惨な歴史を暗示していま
すし、ハビラから産出した金への言及は「ソロモンの栄華」や、繁栄に伴う
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人間の悲しさを予感させます。この豊かなエデンを準備して、主なる神はア
ダムに使命をお与えになるのですすが、その前にもう一度、アダムの創造が
言わばアップで映し出されます。それが 7 節です。
7.主なる神は土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。
人はこうして生きる者となった。
「生きる者」はネフェシュ・ハッヤー
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で、生命エネルギーをこ
められた息をする生身のものという位の意味です。この句は 20 節では、生き
物すべてにも使われています。とすると、アダムもやはり生き物ファミリー
の一員として置かれていることを、謙遜に思い知らねばならないのでしょう
が……。ただアダムの場合は、神が親しく一対一で「その鼻に命の息を吹き
入れた」と表現しています。自分を造って命を込めて下さった方に、全人格
的に応答する存在……「あなた……私」という二人称の関係で神の前に生き
るもの……そういう人間存在の意味が語られています。これはどんな進化論
も、どんな人類学も教えてくれないものです。
この前半の記事で中心的な重みを持つ部分は、園の中央に置かれた二本の
木、特に後の方の、禁じられた木です。初めの方の木―命の木は(黙示録
で再び現れる場合を除いて)主として、後の「善悪の知識の木」を浮き立た
せるための背景として、補色のような役割を果たしているだけです。問題は、
神を仰いで、神に服して生きる者としての人間には、神が禁じたものはどん
なに自由と主体性が大事でも敢えて断念できるか……主なる神が定めた人間
の限界を守って信頼に生きることができるか……。その神聖なテストです。
昔の人が描いた絵では、りんごのような赤い実をつけていたりしますが、本
当はこの木と実がどんなものかは、問題ではないのでしょう。またこの木の
実が、性と何らかの関係があると見るのも見当外れです。要は造り主に信頼
して、造り主の前に人としての謙遜と服従を表すか、否か。それが、高貴な
人間であり得るかの第一テストなのです。
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「善悪の知識の木」[r'w"
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という名も、不思議な名です。も
ちろん、善悪を区別することが罪であろう筈はありません。後の 3 章 22 節の
ヒントから見て、その実を食べるなという禁止の意味は、「私は神の判断を
仰がずとも、善悪は自分が決める。私が善しとするものが善だ」と豪語する、
人間の神への主権宣言が「善悪の知識の木」に込められているのでしょう。
アダムにとって、その木の誘惑は多分こうでした。「自由な存在として造
られたのであれば、私の主権は無制限百パーセントでなければ意味はない。
私がしたいと思う事が即“善”なのだ!」すべての判断と行動に制限も禁止
もない生き方が、本当の人間の生き方なのか……。それとも、どこまでも神
の意志に服しての自由が、本当の人間の豊かな生き方なのか……。創世記は
その、人間の存在の根幹に触れる問いを、エデンの中央に置いているのです。
こうして、主なる神はアダムを園に置いて、アダムに使命を与えます。15
節に、主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、
守るようにされた。果たしてアダムは主に服して、真の人としての謙遜と信
頼をまっとうするか、それとも神が作られた美しい存在を失って、死んだ肉
の塊と化するか……「その木から食べると必ず死んでしまう」というお言葉
は、私たちにも「主の意志に服して、真の人間になる道を取るか、それとも
絶対無制限の主権を主張して死ぬか」―その選択を、開巻冒頭の 3 頁から
示しているのです。
18.主なる神は言われた。
「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
19.主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のと
ころへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、
それはすべて、生き物の名となった。 20.人はあらゆる家畜、空の鳥、野の
あらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなか
った。
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21.主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あば
ら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。 22.そして、人から抜き
取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れ
て来られると、 23.人は言った。
「ついに、これこそ
わたしの骨の骨
わたしの肉の肉。
これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう
まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」
24.こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。
25.人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。
この部分はアダムを助ける者
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として、エバを造ってお与えになった
いきさつを語ります。18 節、「彼に合う助ける者を」は、「エーゼル・ケネ
グドー」ADg>n<K.
rz<[e,彼の前にいて向き合っている助け手です。アダムと話し
合うことができる。言葉と思いを交換できる。一緒に物を考えて、「こうし
よう」と決断も助け合えるような助手です。これだけは地上のどんな生き物
の中にも見付からなかった、というのが 19~20 節です。神にかたどって造ら
れたアダムは、神と同じように「あなた、私」というつながりを持たないで
は生きられない存在です。神はアダムを憐れんで、その「助ける者」をお造
りになります。それが 21 節です。
アダムのあばら骨から女(イシャー)を造り上げた……文字どおりには「建
てた」― built(
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)です。これは詩ですから、手術室で作られるよ
うな連想は多分当たりますまい。アダムを材料として……ということは、肉
としては同質の、すべての点で共感し合える存在として造られたということ
でしょうか。しかもそれは、神の憐れみによって与えられたものです。妻な
いし夫を、そういうものとして感謝して受けられるか、それとも自分の知恵
と自分の魅力で引き付けたものと考えるか……。これもまた真の人間になる
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か、“人間もどき”のようなものになるかの境目を決めると言えましょう。
23 節のアダムの歌は、一見人間の素朴な喜びの叫びに見えますけれど、それ
はどこまでも「主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると」という文
脈の中で歌われていることを、見逃してはなりません。これは“O Sole Mio”
のような女性賛歌ではなくて、神の憐れみへの感謝が溢れて歌になったもの
です。
最後の「人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった」と
いう文は、次の 3 章の 7 節や 11 節や 21 節の伏線になっております。一見、
性にまつわる羞恥心を借りて、文学的に美しく表現してありますけれど、創
世記が言いたいのは、男女の羞恥心よりも、もっと根深い恐れと恥じが後に
人と妻を訪れることになるのを、連想ゲームのヒントのように暗示している
のだと私は思います。神が禁じたものを踏み越えたとき、人が自ら神である
と主張する時に、人間の行動のすべてが“恥”に覆われる。お互いが目を覆
うようなものになる。また神の顔を避けて“隠れ”なければならない悲しい
存在となる。この「二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった」と
いう文は、すべてを意のままにして完全な自由を得て、神と同じだけの権限
を持とうと思い上がる前のアダムと妻が、神が意図された最も麗しい姿に輝
いていたことを、詩の形で歌っているのでしょう。子を生んで地に満ちる使
命も、助ける者を得て共にエデンを耕し守る務めも、恥じることも恐れるこ
ともない、それは美しいものだったと。
私たちは、キリストを通して、再びそこへ招かれているのです。
《 まとめ 》
簡潔に、二つの点にまとめて、結びといたします。
① 一つは禁断の木、この創世記の言葉で言うと「善悪の知識の木」がエデ
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ンにある、という厳粛な事実です。どうしてこんなものが無ければならない
のかという疑問もありますけれど、これが人間が生きた人間であるための、
神聖な必要条件です。
平ったく言うと、神のごとく完全に自由なのではなくて、主に服して、人
間であるための「ノー」を守るということです。世界中が「善悪の知識の木」
を堂々と食べて、「私が正しいとする事が即“正しい事”である」と宣言す
る、今の時代の中で、モーセの十戒を基準にした清さとか、イエスの教えた
愛で生きるとか言うと、時代遅れも甚だしいと言われます。しかし、最終的
に本当の人間としての豊かな生き方を全うするのは、「完全自由」の人では
なくて、神の禁断を尊重する人です。
② もう一つは「助ける者」としての妻の存在です。これは何か婦人が従属
的地位にあることを根拠として引かれることも多いですけれど、「助ける」
は必ずしも従属を意味しません。たとえば詩篇に「主は我らの助け、我らの
盾」(33:20)とあるように、神様の方が「助ける者」rz<[e でいて下さるこ
ともあります。エーゼルは下にいて服従する者という意味ではなくて、無く
てはならない助け、有って初めて命を全うでき、有って初めて倒れずに立っ
ていられるような力です。そして何より妻は、アダムが神から与えられた第
一の務めを全うできるためにある「助ける者」なのです。アダム自身が自分
の使命が分からなくなるようでは、助けようはありませんが、神聖な使命は
二人で初めて受けることができるものです。私たちはアブラハムの事業がサ
ラと二人でお受けした“共同事業”であったことを知っています。しかしこ
のことは実はエデンのアダムの仕事の時からすでにそうだったのです。
(1990/02/11)
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