マルコによる福音書 第1章1-11節

「マルコによる福音書 1 章1~11 まで」
2015 年 1 月 11 日
(1)マルコによる福音書 第 1 章1-11 節
聖書の最初の書物である創世記は次のように書き出しています。
「初めに、神は天地を創造された。」この文章は、これ以上の言葉が見つからな
いほど、すばらしい書き出しだと思います。
新約聖書の中ではヨハネによる福音書の書き出しを挙げることが出来ます。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」
これらの書物に引きを取らない、いや、それ以上のすばらしい書き出しをしてい
るのが、マルコによる福音書です。「神の子イエス・キリストの福音の初め」。
「神の子イエス・キリストの福音の初め」を書き出しの文章とし、主イエスの公
生涯を私達に伝えているのはマルコとされている人物です。マルコによって書か
れたこの福音書は、新約聖書の 4 つの福音書の中でも最も古い、つまり 4 つの福
音書の中で最も早く書かれた福音書です。
参考までに、マタイによる福音書とルカによる福音書は、このマルコによる福
音書を資料にして、それぞれの教会の特徴を生かして書いた福音書です。ですか
ら福音書の中でこのマルコによる福音書は重要な役割を占めていると言うこと
が出来ます。
マルコが最初に書き出した文章、それは彼の信仰告白でもありました。地上に
生き、やがて十字架上で処刑され、3 日目に復活されたイエス。このイエスを神
の子と告白し、キリスト、すなわち「救い主」と告白する信仰告白をもって文章
を始めているのです。
これから書く文書の最初を自分の信仰告白を載せるマルコも相当苦しんだ節。
このようなすばらしい書き出しをしたのではないかと想像いたします。この 1 節
の書き出しは、人によっては、マルコによる福音書の表題であると言う人もいま
す。
今、私達の聖書には、1 節の前に、
「マルコによる福音書」と太い字で書かれて
いて、それが表題の役割をしていますが、実は、この表題は、この福音書が書か
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れてから、もう少し時間が経てから付けられた、しかもマルコが書いた福音書と
いう意味で付けられたのです。
では何故、イエス・キリストが福音となるでしょうか。福音とは何でしょうか。
ご存知のように、「福音」とは、「良い知らせ」の意味です。
その「良い知らせ」とは、一般に、戦いに勝利したという吉報(きっぽう)、
皇帝、王などに世継ぎである王子(おうじ)が生まれたという知らせです。
この 1 節の御言葉が、本の表題であれ、文章の最初の書き出しであれ、いずれ
にしても、ローマの皇帝ではない他の人に、このような表現をするという事は、
命をかけるくらい、当時としては危険な言葉でした。
若き頃、伝道者として大きな挫折を味わったマルコ。大きな挫折を経験したが、
母を初め、信仰の仲間たちの支えによって挫折から立ち上がり、やがて伝道者と
しての歩みを歩み切ったマルコです。
ペトロ、バルナバ、パウロといった、初代教会の主(しゅ)たる人々と共に伝
道旅行をしながら、マルコは彼らが語る言葉を通して、主イエスがお語りになっ
た言葉や奇跡などの行動について誰よりも詳しく学ぶことが出来ました。
そして自分が見聞きした主イエスについてのことを一冊の書物として書くに
当たり、その表題を「神の子イエス・キリストの福音の初め」と付けました。
私達は今日、
「神の子イエス・キリストの福音の初め」という表題を本の最初の
頁をめくりました。最初に私達が目にした言葉、それは旧約聖書からの引用の言
葉であり、その言葉の成就(せいじゅく)として一人の人物を出会います。
その名前は、洗礼者、あるいはバプテスマと言う修飾語がつくヨハネです。彼
は、後から登場する、主人公であるイエス・キリストのために、その方が来られ
る道を真っ直ぐにする働きをしています。
マルコによる福音書がどのような時代背景の下(もと)で書かれたのか、ある
聖書学者が次のように記していました。孫引きになりますが、そのまま引用させ
ていただきます。
「紀元 64 年頃、ローマに大きな火災が発生し、全都市に広がってしまいまし
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た。火災が鎮火(ちんか)される頃、ローマ市内の相当の地域が完全に灰の山とな
ってしまいました。まもなくローマ全域(ぜんいき)に悪い噂が飛び始めます。
ネロ皇帝が火を付けるよう、命じた張本人だという噂です。勿論当局はこれを
一蹴(いっしゅう)してしまいますが、噂は静まるどころか、返って火柱(ひばし
ら)のように起こり始めました。
自分がやった事を隠蔽(いんぺい)し、それを擦(なす)り付けるための犠牲の
餌食(えじき)を探していた当局はやがてキリスト者たちを生け贄(いけにえ)
とする事になります。
多くのクリスチャン達が放火の疑いで逮捕され、監禁されるか、処刑されまし
た。生き残ったクリスチャン達は、ある人達はカタコムの深い洞窟(どうくつ)
の中に身を隠し、またある人たちは海外へと逃げて行きました。
どころで、このような一連の事件が起こった直後に、小さな小冊子(しょうさ
っし)が人々の手から手へと渡され始めました。その小冊子はこのように始まっ
ています。
『神の子イエス・キリストの福音の初め』。その小冊子がマルコによる
福音書だったのです。」
迫害を受けながらも、逃げて行きながらも彼らが黙っていることが出来なかった
知らせ。人生の中で決定的な損害を被(こうむ)りながらも、財産を失いながら
も、カタコムの深い洞窟の中に身を隠しながらも、彼らが黙っている事が出来ず、
ローマ帝国全域に知らせたかった良い知らせは、
「神の子イエス・キリストが福音の初め」だと言う事でした。彼らは「イエス・
キリスト」こそが真の福音、まことの良い知らせであり、その方こそが自分たち
の時代の唯一の希望、喜びであると信じていました。
マルコによる福音書はこのような時代に、書かれ、そして人々の手から手へと
渡されたのです。
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今日は、マルコが書いた福音書の最初のところ、まだ主イエス・キリストが登
場していませんが、そのイエス・キリストのために働いている洗礼者、あるいは
バプテスマヨハネについて記録しているところを皆様と一緒に読んで行きたい
と思っております。
バプテスマ・ヨハネの働きについて知るために、まず、マルコが引用している
旧約聖書に当たってみたいと思います。
先ず、2 節に引用されているのは、旧約聖書の最後の書である、マラキ書 3 章
1 節の前半の御言葉です。
「見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える」
このマラキ書の言葉をマルコは、
「見よ、私はあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。」と
いうふうに言葉を少し、変えて引用しています。
次に 3 節に引用されている御言葉は、イヤ書の 40 章 3 節からの引用です。
「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、私達の神のために、
荒地(あれち)に広い道を通せ」
このイザヤ書は 1 章から 39 章までが一(ひと)まとまりであって、40 章から
は全く新しい調子となります。
イザヤ書は 1 章からイスラエルの罪、悪への鋭(するど)い告発がありますが、
40 章からは一転(いってん)して「慰めよ、わたしの民を慰めよ」と慰めを語り
出します。
この 40 章の時代的背景ですが、国が滅び、バビロニアに連れ去られていたイ
スラエルの民が、いよいよそのバビロン捕囚(ほしゅう)・捕虜(ほりょ)から
解放される時期です。
40 章 2 節は、イスラエルの罪、悪に対する一応の裁きとして、バビロン捕囚が
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ありましたが、いよいよ、その期間が終わり、解放される事を語っています。
「エルサレムの心に語りかけ、彼女に呼びかけよ。苦役(くえき)の時は今や
満ち、彼女の咎(とが)は償(つくな)われた、と。罪のすべてに倍する報
いを主の御手から受けた、と。」
バビロニアに戦争捕虜として連れ去られ、奴隷のような生活を強(し)いられ
ていたイスラエルの民は、ペルシャ王のキュロス時代となって捕囚が解かれて、
祖国へ帰れる希望が与えられ、それを歌っています。これを受けて先ほどの 3 節
が続くのです。
イスラエルの罪は赦され、彼らは故郷イスラエルに帰れる。神様がイスラエル
に帰ってきますが、しかし、その道は、主を受け入れるには余りにも荒れ果て、
道はくねくねとしています。
このままでは主を迎え入れられないのです。そこで主として来られる方のため
に、道が無かった荒れ野に道を備え、荒地に広い道を通す必要があります。
先ほどのマラキ書の 3 章 1 節もそうですが、イザヤ書が言う、道を真っ直ぐに
すること、これは罪と悪の故、神様から離れ、やがて罪の奴隷となっていた私達
を、そこから解放させるために救い主が来られる。
その方を受け入れるためには、先ず、心に真っ直ぐな道を作らなければならな
いのです。では、どのようにすれば、私達の心に広く真っ直ぐな道を作れるか。
そのための作業が悔い改めです。
3 節の最後と 4 節を読みますと、
「そのとおり、洗礼者ヨハネは荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔
い改めのバプテスマを述べ伝えた」とあります。
慰め主として、罪を赦す方として来られるメシアを迎え入れる道を整えるため
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にバプテスマ・ヨハネは現われ、悔い改めとそれの標(しるじ)としてのバプテ
スマを受けるよう述べ伝えたのです。
罪を赦す方を迎えいれるために道を真っ直ぐにする事、それは他ならぬ悔い改
めだとバプテスマ・ヨハネは強く語っています。
悔い改めとは方向転換を意味します。東に行かなくてはならない人が、西に向
かって行ったら、それは反対方向です。
その人は方向転換をしなければ決して行くべき所には行けないのです。
私達は向かうべき方向へと歩んでいるでしょうか。聖書が示している方向、そ
れは神様を中心とする生き方です。ある人は、エゴイズム、即ち自己中心的生き
方こそ罪であると言いました。
聖書がいう罪とは、社会の法律を破ったりする、所謂(いわゆる)法律上のも
のではありません。本来なら神様を中心に神様との交わりの中で生きるべき人間
が、その交わりから離れ、自己中心的に生きる事を罪と言っています。
自己中心的な生き方から、神様中心に、またその現われとしての隣人への愛を
中心にする生き方へと心と生活を変える事、それが悔い改めであり、そのしるし
としてのバプテスマを受けると言う事です。
主の道を真っ直ぐにすべく、悔い改めを宣べ伝えるバプテスマ・ヨハネ。彼は
その業を荒れ野で行なっていました。民全体に悔い改めを求めるべく召されたに
もかかわらず、何故、町の中ではなく、荒れ野で宣教を開始したでしょうか。
これには旧約聖書時代からの背景があります。私たちが荒れ野と聞いて先ず思
い起こす事は、モーセに導かれてエジプトを脱出したイスラエルの民が、40 年と
いう年月(としつき)を過ごした所です。
荒れ野は神様が厳しい訓練を通して、彼らを約束の地へと導かれた時と場所を
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象徴した言葉です。
新約聖書においては主イエスが 40 日間、荒れ野に止(とど)まり、サタンか
らの誘惑に会われた所として聖書は伝えています。
こうして見ますと、荒れ野とは信仰者にとって、信仰が試(ため)される場所
と言えると思います。信仰が試されるけれども、それは信仰者を突き落とすため
のものではなく、やがて信仰者を約束の地、救いの地へと導きいれるためのもの
です。
荒れ野において悔い改めのバプテスマを宣べ伝えるバプテスマ・ヨハネのもと
に、多くの人々が集まってきました。5 節です。
「ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、
ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。」
荒れ野とは、人がいない、人が住めない事も意味します。私達が荒れ野と言う
言葉を聞いて想像しますのは、砂漠のような、言葉とおり荒涼(こうりょう)と
した所ですが、しかし、聖書で言う荒れ野は、そういう所ではありません。
実際にバプテスマ・ヨハネがいた荒れ野とはヨルダン川が流れている、木々(き
ぎ)が茂(しげ)っている所です。
それなのに荒れ野と言ったのは、このような水があり、木々が茂っていても人
が住まない、住もうとは、思わない所だったからです。
そのような所においてバプテスマ・ヨハネは宣教活動をしていますが、5 節に
よると、彼のところに、多くの人々が集まって来たのです。何故、集まってきた
のか。それは、バプテスマ・ヨハネは、バプテスマを授けるにおいて、人々を区
別しなかったからです。
主イエスの時代、エッセネ派と呼ばれるグループがありました。彼らはエルサ
レム神殿における祭儀的宗教の欺瞞性 (ぎませい)を厳しく批判し、自ら世
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かくぜつ
と隔絶(かくぜつ)する事で清くあろうとし、厳格(げんかく)な禁欲的共同生
活を守っていました。そして、汚(よご)れを洗い清めるために、毎年バプテス
マを繰り返して行なっていました。
バプテスマ・ヨハネは、このようなグループの出身だったのではないかと言わ
れています。
けれどもバプテスマ・ヨハネが授けたバプテスマとは、一回(いっかい)きり
のバプテスマの事であって、毎年繰り返すものではありませんでした。
1 回限りのバプテスマの起源はどこにあるかと言いますと、エッセネ派ではあ
りません。それは異邦人がユダヤ教に改宗する時に受けたバプテスマなのです。
ユダヤ人はバプテスマを受ける必要は、なかったのです。
生まれながら聖いからです。もっぱら異邦人改宗者のためにのみ、バプテスマ
があったのです。
しかし、ここで注目すべき事は、バプテスマ・ヨハネは異邦人ではなく、同じ
ユダヤ人にそのようなバプテスマを促(うなが)し、また授けている事です。何
故か。罪の赦しは皆が受けなければならないからです。
罪の赦しがなければ誰も生きられないからです。罪の赦しなど、なくても生き
られると言う人は地上に一人もいないからです。罪の赦しを得るために悔い改め
る必要は皆あるからです。
ですから、悔い改めのバプテスマの前においては、ユダヤ人も異邦人も区別は
なく、全く同じ罪人として立たされるのです。
ここにメシア時代の到来の意味があるのです。そして、それは教会の世界宣教
に連なる契機(けいき)がここにあるのです。
悔い改めを迫(せま)り、それを受け入れる人はユダヤ人も異邦人も、貧しい
人も富める人も、律法学者も徴税人も、誰一人として隔てる事なく、バプテスマ
を授ける事によって主の道を整えるバ プテスマ・ヨハネですが、後に主イエ
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スは、彼のことを、旧約聖書のマラキ書 3 章 23 節に預言されているエリヤだと
語りました。マラキ書 3 章 23 節には、次のように記されています。
「大いなる恐るべき主の日が来る前に、預言者エリヤをあなたに遣わす。」
このマラキ書の預言以来、ユダヤ人達はメシアが来る前に、旧約時代の有名な
預言者エリヤが再び来られると信じていました。
主イエスは、このバプテスマ・ヨハネこそ、あのマラキ書で預言されたエリヤ
であると、マタイによる福音書 11 章 14 節で語ったのです。
そういう主イエスの言葉を思ったのでしょうか、6 節に出てきますバプテス
マ・ヨハネの服装(ふくそう)は、旧約時代のエリヤの服装と全く同じです。
列王記下 1 章 8 節によりますと、預言者エリヤの服装は「毛衣(けごろも)を
着て、腰には革帯(かわおび)を締めていた」とあります。
主の日が来る前に、その道を真っ直ぐに、するために遣わされたバプテスマ・
ヨハネ。彼の働きは、あくまでも主イエスの道備えでした。最後までそのことを
貫いた人です。7 節と 8 節です。
「彼は、こう宣べ伝えた『わたしよりも優れた方が、後から来られる。私は、
かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。私は水であなた達にバプ
テスマを授けたが、その方は聖霊でバプテスマをお授けになる。』」
主イエスの語った言葉をお借りすると、この世に生まれた人々の中で最も偉大
な人であったバプテスマ・ヨハネでしたが、彼は最期(さいご)まで自分の任務、
務めを忘れませんでした。
人間同士の実力、比べによると自分は、他の人々に遥かに勝(まさ)るかも知
れませんが、けれどもそれは所詮(いわゆる)どんぐり背比べに過ぎないのです。
後から来られるその方は自分の全てを遥かに超える方だとバプテスマ・ヨハネ
は語っているのです。
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自分はその方の履物のひもを解くにも値(あたい)しない。こう語っているの
です。
靴を脱がす行為は奴隷だけが、する事です。そうしますと、バプテスマ・ヨハ
ネの
自意識としては、来るべきメシアに対して、自分は奴隷以下だと言うのです。
奴隷にも値(あたい)しないと言うのは、何を言っているのか。主イエスと言
う方がどんなに高い方か、と言う事です。
神様なのですから、比べようがありません。しかし、その比べようもない神様
であるイエスがここに来て下さったのです。そして、私達に、聖霊でバプテスマ
をお授けになるのです。
バプテスマ・ヨハネが主イエス・キリストそのものの先駆けだと言う事は、主
イエス・キリストこそ、まさに神そのものであったと言う信仰を含んでいると言
っても良いのです。
私達が主イエス・キリストを信じて生きると言う事は、神がおられる、しかも、
ここに来て下さった神であると言う事を信じると言う事です。
マルコによる福音書は、マタイによる福音書とルカによる福音書と共に、共観
福音書と言われ、ヨハネによる福音書まで入れては 4 福音書と言っています。
福音書で、一番初めに書かれたマルコによる福音書の著者のマルコは、若い時
代に、宣教の現場で逃げてしまう挫折の経験がありました。
使徒言行録 12 章 12 節には、ペトロとマルコの名前が出ています。
「こう分かると、ペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行
った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた」この節によりますと、マルコ
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は、いわゆるクリスチャンの家で育った事が分かります。その母マリアは、まだ
教会堂を持たなかったエルサレムの人々に御自分の家を開放していた人でした。
キリスト教が迫害されていた時代、教会の集まりの為に自分の家を開放する事は
大変な決断を要する事だったのです。
ペトロはこのマルコの母、マリアの家に住み込みながら、そこで主イエスの物
語を繰り返し、語ったでしょう。そしてこのマルコを、まるで自分の子のように
可愛がったのではないかと想像します。
このような環境の中で育ったマルコですが、使徒言行録をもう少し読んで行き
ますと、このマルコはやがて伝道者になります。13 章 5 節によりますと、パウロ
とバルナバが伝道旅行を始めた時に、それに付き添った事が記されています。し
かし、13 節に至ると、理由は分かりませんが、このマルコが、突然、パウロ達を
おいて家に帰ってしまいます。まだ若かったマルコは、迫害などから来る恐さ、
不安、辛さなどによって、自身を失い、もう、ついていけない、と思ったかもし
れません。疑いが生じたかも知れません。兎に角、マルコはパウロの反対を押し
切って帰ってしまいました。
マルコのこのような行動は、初代教会の二人の偉大な伝道者を喧嘩別れにさせ
る事になります。この伝道旅行から帰ってきてから、また、パウロとバルナバが
次の伝道旅行を計画した時に、バルナバはマルコを連れて行く事を頑固として主
張しましたが、それに強く反対するパウロと、激しい口論となり、ある意味で喧
嘩別れをするようになります。そして、別々の道をたどって伝道を続ける事にな
ります。
それ以降、マルコはどのような信仰の歩みをしたのかは知れませんが、コロサ
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イの信徒への手紙第 4 章 10 節によると、不思議な事に、パウロは、捕らわれ身
となって獄中にいますが、そこにマルコが共にいると書いてあります。
そしてマルコは、バルナバの「いとこ」と書いてあります。ここにはマルコが
あの時の挫折を乗り越え、今やパウロのよき同労者となっている事が分かります。
彼は、今や伝道者の
働きの故に、獄に捕らえられている事を良しとして、パウロの傍(かたわ)ら
にいたのです。こうして、ペトロとパウロと言う、キリスト教、史上最大の伝道
者達の傍らに、いながら、ペトロからは主イエスの物語を繰り返して聞き、パウ
ロからは、福音とは何かと言う事を
見事に言い表す言葉を聴き続けたのです。
彼の最期(さいご)はどうなったか、分かりませんが、もしかしたら、ペトロ
やパウロのように同じ殉教の道を、たどったかもしれません。
若き頃、伝道者として大きな挫折を味わったマルコ。そのマルコを、福音を伝
える為なら
牢屋の中に捕らわれ身となる事さえ、厭(いと)わない者にさせたもの、それ
は何だったでしょうか。もしかしたら、母マリアの熱き祈りだったのかもしれま
せん。先ほどの使徒言行録には、マルコの父の名前や、兄弟の名前はありません。
父は亡くなっており、マルコは一人息子だったのかも知れません。その息子が
人生最初の、最大の挫折を味わって落ち込んでいた時、母マリアは、息子の弱さ
を温かく受け入れたと思います。この母の愛と温かさ、そして祈りによって彼は
立ち直り、福音の伝道の為なら自らの死も恐がらない者となったと思います。
挫折した息子のマルコを励まし、偉大な伝道者の道に歩むようにした母、マリ
アの信仰と祈りがあったでしょう。
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母の愛は、しばしば神様の愛に例えられます。マルコを生かした母の愛。それ
は私達一人一人を有りのまま、弱さのまま、温かく受け入れ、弱さ、罪を赦し、
福音を伝える者へと立てて下さる神様の愛に、他ありません。この愛に入れられ
る時、私達もマルコのように、神の子イエス・キリストの福音の初めと告白する
ようになるのです。ご自分の家庭と教会の中でも霊的な母として、霊的な世代主
として、マルコのように挫折の息子マルコを祈りと愛によって、立ち上がらせた
り、家族伝道をしたりするナルド会の一人一人のメンバーになりますように願い
ます。
主イエスの公生涯は、ルカによる福音書 3 章 23 節によると、およそ 30 歳から
35 歳の間だったのです。その間の 30 年間ないし 35 年間、どのように成長し、生
活して来たかは、知る術(じゅつ)はありません。けれども、お育ちになった故
郷だけは聖書の証言から分かります。主イエスが 30 年間から 35 年間、過ごされ
た村、それはガリラヤ地方の小さな村、ナザレです。
私達にとってナザレと言う村は主イエスがお育ちになった所として良く知ら
れていますが、しかし、主イエス当時のユダヤ人達にとっては決して有名な所で
はありませんでした。旧約聖書にも、ナザレと言う地名は見られません。それほ
ど鄙(ひな)びた、小さな、あまり人目につかない村であったようです。だからで
しょうか、ユダヤ人達はこの小さな村からは偉大な人物などが現れるはずがない
と思っていたようです。
主イエスの弟子となったフィリポがナタナエルに主イエスを紹介する時、ナタ
ナエルの口から出た最初の言葉は、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」
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(ヨハネ 1:46)と言う言葉でした。このような小さな村、人々からは軽視されて
いた村において主イエスは 30 年間位過ごされました。しかも、父の仕事を引き
継いで大工の仕事をしながら 30 年間位を過ごされたでしょう。
ご自分の生涯の大半を大工として小さな村ナザレで過ごされた主イエスは、時
が来たでしょうか、いよいよ歴史の表舞台に現れます。先ほど共に聴きました 9
節にはこのように記されています。
「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネからバ
プテスマを受けられた。」
「そのころ」、つまり、バプテスマ・ヨハネが荒れ野に現れて罪の赦しを得
させるバプテスマを多くの人々に授けていた頃、主イエスも、あの小さな村ナザ
レから出て、多くの人々の中に混ざってバプテスマ・ヨハネの所に来ました。ヨ
ハネからバプテスマを受けるために、わざわざです。
いよいよ歴史の表舞台で活動するに当たり、主イエスが最初になさった事、そ
れはバプテスマ・ヨハネからバプテスマを受ける事でした。主イエスがヨハネか
らバプテスマを受けられた、と言う言葉を読んで私達には一つの疑問が生じます。
マルコによる福音書 1 章の 4 節によると、バプテスマ・ヨハネのバプテスマは、
罪の赦しを得させるための悔い改めのバプテスマであった事が分かります。そう
すると、主イエスも罪人として、罪の赦しを得るためにバプテスマを受けられた
のか、と言う疑問です。本当に主イエスも罪の赦しを得なければならない方だっ
たでしょうか。勿論、そうではありません。眞の神である主イエスが罪の赦しを
得る何って考えられません。
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そういう影響もあったでしょうか、このマルコによる福音書より、後に書か
れているルカによる福音書やマタイによる福音書の平行記事を読んでみますと、
ルカは、バプテスマ・ヨハネの名前を省(はぶ)いていますし、マタイでは、主
イエスがバプテスマを受けに来た時、ヨハネは相当戸惑い、自分こそ、あなたか
ら受けるべきなのに、あなたが私のところへ来られたのですか」と言いながらバ
プテスマを授ける事を躊躇している様子を記録しています。それほど、主イエス
がヨハネからバプテスマを受けた事は理解に苦しむ事柄です。
では、何故ヨハネからバプテスマを受けられたでしょうか。それは私達・人間
を救うために、私達と同じくなられるためでした。罪のない神の独り子イエスが、
私達の罪をその身に背負い、その赦しを得るためにバプテスマを受けられたので
す。だから私達はバプテスマを受ける事によって、私達と同じようにバプテスマ
をお受けになった主イエス・キリストと共に生きる事が許されるのです。ガラテ
ヤの信徒への手紙 3 章 26、27 節においてパウロは次のように語っています。
「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。
バプテスマを受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているか
らです。」
バプテスマは、キリスト教の信者になるための儀式や悔い改めのしるしだけで
はなく、何よりも、私達の罪を赦すために十字架にお架かりになった主イエス・
キリストを自分の身に着る、つまり主イエスと私達が、一つに結ばれる事のしる
しです。主イエスは、私達と同じく、バプテスマを受ける事を通して、私達と一
つとなって下さいました。
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マルコが余計な修飾語を使わず、淡々と語っている主イエスのバプテスマ、そ
れは他ならぬ父なる神様の御心であったのです。11 節に、バプテスマをお受けに
なって水の中から上がられた主イエスに「あなたは私の愛する子、私の心に適う
者」と言う声が聞こえました。この天からの声は、主イエスが私達すべての罪を
背負い、しかも私達と同じくなられ、バプテスマを受けられた事こそ、父なる神
様の御心であった事を意味します。独り子を罪人の人間を救うために、人間と同
じバプテスマを受ける事を良しとされる父なる神様。
この 11 節の言葉について聖書学者たちは、旧約聖書の中で 3 箇所を挙げ、こ
の言葉の説明をしています。初めは、創世記 22 章の、アブラハムが独り子イサ
クを捧げようとしているところです。教会は昔からこの 22 章に出て来るイサク
と主イエスを重ねて読んで来ましたが、その 22 章の例えば 2 節や 12、16 節に
「あなたの愛する独り子」「自分の独り子」と言う言葉が繰り返し出てきます。
愛する独り子を神様のご命令により、父が自分を捧げようとした。その父の子で
あったのです。主イエスは父なる神様の御心に従ってここでバプテスマを受けた
のです。
次に挙げているのは、詩篇の第 2 編です。この詩篇第 2 編は、イスラエルにお
いて王様が即位(そくい)する時に歌われた歌だと言われていますが、その 7 節
に「お前はわたしの子」と言う言葉があります。マルコの言葉は、この詩篇の影
響もあったのではないかと言われています。
もう一つは、イザヤ書 42 章 1 節です。
「見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。
彼の上にわたしの霊はおかれ、彼は国々の裁きを導き出す。」
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ここに記されている選びの器は、主の僕として御業を行うべく召されたと理解
できます。この僕はイザヤ書 53 章にいたって、苦難の僕に結びつき、頂点に達
します。これはイザヤ書に見られる主イエスの驚くべき預言と言わざるを得ない
ものです。
このような旧約聖書を背景にして、主イエスは神の子としてメシア、王である
と同時に、主の僕と言う二重の立場で水の中から上がられたのです。
王は民の支配者、指導者、救済者であり、人の上に立つ存在です。そして、僕
とは、民の中でも身を屈(くっ)して仕える、人の下に立つ存在です。このよう
に、王と僕は相対立する、矛盾する身分ですが、しかし主イエスの場合、王であ
りながら僕、僕でありながら王である事を通して、私達に救いをもたらし下さっ
たのです。
さて、ヨハネからバプテスマを受け、「水の中から上がるとすぐ、天が裂けて
“霊”が鳩のように御自分に降ってくるのを、ご覧になった」と 10 節に記され
ています。ここにこの福音書における重要な単語が使われています。「天が裂け
て」と言う言葉です。この言葉はこの福音書の終わりの所で、もう一度用いられ
ています。主イエスが十字架に架かられ、わが神、わが神、何故わたしをお見捨
てになったのですか、と叫ばれた後、息を引き取られた時、神殿の垂れ幕が上か
ら下まで真っ二つに裂けたと 15 章 38 節に書かれています。この 15 章 38 節の「裂
けた」と言う言葉は 10 節の裂けてと言う言葉と同じ言葉です。
天が裂け、垂れ幕が裂けた事は一体何を意味しているでしょか。
「天と垂れ幕」
とは、神様と我々人間との間を遮(さえぎ)っていたものです。エルサレム神殿
における垂れ幕とは、聖所と至聖所を遮るものでした。至聖所は神様がご臨在す
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る所として、一般の人は入(はい)れない、祭司であっても大祭司以外は入(は
い)れない所でした。大祭司も 1 年に一回しか入(はい)れない所でした。
このように神様と人間とを遮(さえぎ)っていた垂れ幕が真っ二つに裂けた事
は、それからは、いつでも神様にお会いする道が開かれた事を意味します。しか
も大祭司だけではなく、誰もが、お会いできるようになった事を意味します。主
イエスの十字架上での死がこのような道を開いて下さったのです。
それと同じく、今、主イエスのバプテスマに際(さい)して「天が裂けた」こ
とは、人間に対し、閉ざされていた神様への道を、神様の方(ほう)から開いて
下さった事を意味します。この場合の「天」とは、霊的、神的実在としての天で
あって、物理的、空間的概念としての天、大空(おおぞら)ではありません。使
徒言行録 7 章 55、56 節をよりますと、ステファノが殉教する時、彼は「天が開
いて、人の子が神の右に立っておられるのが見えた」と言っています。そうする
と、「天が開く」あるいは「天が裂ける」と言う事は、神様が見える、霊的現実が
見えると言う事です。そして、天が見えないと言う事は、神が見えない事です。
この 10 節の御言葉も旧約聖書の中にその背景を持っています。イザヤ書 63 章
19 節にこのような言葉が書かれています。
「あなたの統治(とうち)を受けられなくなってから、あなたの御名で呼ばわ
れない者となってから、私達は久(ひさ)しい時を過ごしています。どうか、天
を裂いて降(くだ)って下さい。御前(みまえ)に山々が揺れ動くように」
ここでは天が裂けていない状態で、願いが神様に申し述べられています。神様
が見えない、神様の御業が見えない。神の民イスラエルの歴史は暗澹(あんたん)
たるものでした。その中で祈られた祈り、それがイザヤ書 63 章 19 節です。
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私達の人生においても、暗雲(あんうん)垂れこもるような、あるいは長いト
ンネルを潜(くぐ)るような、神様の御業、どこにも見えないような、そんな歩み
の時があります。自分の目の前に置かれている問題が山のように行く手を阻(は
ば)んで微動(びどう)だにしない。そういう時イザヤのように祈った事が私達
にもあります。「どうか、天を裂いて降ってください。御前に山々が揺れ動くよ
うに」と。
イスラエルの人々が長い間、待ち焦(こ)がれていた事、神様が天を裂いて地
上に降(くだ)ってきて自分たちを助けて下さるとの願いが、今、主イエスのバ
プテスマに際(さい)して叶(かな)えられたのです。長い間、天を閉じ、罪に
満ちた人間達に御顔を隠していた神様は、主イエスのバプテスマを契機(けいき)
に天を裂き、歴史の中に再び介入(かいにゅう)なさったのです。
もはや神様は、どこか天の高みにおられて遠く地上を見下ろしておられるので
はなく、天は裂けたのです。そして聖霊が鳩のように降(お)りました。
主イエスは、“霊”が鳩のように御自分に降(くだ)って来るのをご覧になり
ました。
聖書の中で聖霊を表すシンボルの一つに“鳩”があります。それは、鳩が飛ん
で来て、木の枝にとまる時や、地面に降りたつ時などの、あの美しい姿が、さも
(정말로)聖霊が天から降臨(こうりん)する時のようだと言う事から“鳩のよ
うに”と言う言葉が
用いられるのです。
しかし、ここでマルコが、聖霊が鳩のように主イエスの上に降(くだ)ったと
言う
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言葉を用いる時、そこには旧約聖書、創世記の天地創造のことを念頭において
いる事を見逃してはならないと思います。創世記の 1 章 2 節に「地は混沌であっ
て、闇が深遠の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」と言う言葉があります
が、ここで「動いている」と言うのは、まるで鶏(にわとり)が空を舞うように
激しく働くと言う意味だと言われています。
神様が天地をお創りになった時に、神の霊が鳩のように、鳥のように動いて、
そして地に神様の御業を生み出されたのです。それと同じく、今、主イエスがバ
プテスマを受けられた時、神様の霊が、新しく動き始め、天から地上に、主イエ
スに降ってくる。新しい時の始まる表現です。その意味では、かつての天地創造
のような、新しい創造が今ここに始まるのです。
王であると同時に罪人に仕える僕、この一見矛盾するような事が主イエスにお
いて、成就(じょうじゅ)し、それをもって新しい、キリストの愛に満ちた歴史
が始まるのです。
聖書が語る福音、それは主イエスのバプテスマを持って始まり、やがて十字架
上での死と復活に続き、そのメッセージを聴く者のバプテスマで一応、完結しま
す。主イエスのバプテスマに始まって私達のバプテスマに至る。これが福音です。
これは私達一人一人にとって何を意味するでしょうか。それは主イエスが神の子、
「私の愛する子、私の心に適う者」とされたように、私達も神様から「私の愛す
る子、私の心に適う者」と呼ばれるに至ると言う事です。
このような神様の愛を信じてこの一週間もそれぞれの生活の場へと遣わされ
たいと願います。
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お祈り致しましょう。
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