氏名 梅原 ヨミガナ ウメハラ 学位の種類 博士(美術) 学位記番号 博 美 第 513号 学位授与年月日 平 成 28年 3月 25日 学位論文等題目 麻紀 マキ 〈 論 文 〉 コ ラ ボ レ ー シ ョ ン と ア ー カ イ ブ の 研 究 ― ア ー テ ィ ス ト・コ レ ク テ ィ ブ の実践をもとに― 〈作品〉 アーカイブ ― HAYY( ハ イ ) ― 論文等審査委員 (主査) 東京藝術大学 教授 (美術学部) 伊藤 俊治 (論文第1副査) 東京藝術大学 教授 (美術学部) 古川 聖 (作品第1副査) 東京藝術大学 准教授 (美術学部) 鈴木 理策 (副査) 多摩美術大学 教授 港 千尋 (論文内容の要旨) 本論文は、アーティスト・コレクティブ(以下、コレクティブ)によるコラボレーションとアーカイブの 意義を明らかにするものである。研究仮説は、コレクティブの持続的な実践により、新しい芸術創造が可能 ではないかということである。ここではコラボレーションは芸術創造における共同制作を、コレクティブは コラボレーションを行うアーティスト・グループのことを指している。 第 1 章 は 、コ レ ク テ ィ ブ の 実 践 と 密 接 に 関 係 す る キ ー ワ ー ド で あ る「 ア イ デ ン テ ィ テ ィ 」と「 ア ー カ イ ブ 」 に つ い て 検 討 し て い る 。 筆 者 は 、 2006年 に ド イ ツ 人 ア ー テ ィ ス ト の ア ナ ・ ハ イ デ ン ハ イ ン と エ ル マ ー ・ ヘ ア マ ン と と も に コ レ ク テ ィ ブ 「 ニ ュ ア ン ス 」 を 結 成 し 、 最 近 で は 12世 紀 の イ ブ ン ・ ト フ ァ イ ル の 小 説 『 独 学 の 哲 学 者 』を も と に プ ロ ジ ェ ク ト“ H A Y Y ― 独 学 の ミ ュ ー ジ カ ル( 以 下 、H A Y Y )”を 行 っ た 。こ の よ う な 実践を主要な対象として、コラボレーションの可能性を考察している。 第 2 章 は 、 コ ラ ボ レ ー シ ョ ン の 先 行 研 究 、 お よ び 「 記 録 」、「 他 者 」、「 変 容 」、「 歴 史 ・ 背 景 」 の 観 点 に 留 意 してアーカイブの先行研究を考察している。匿名性と主体の二重性という役割を持つコレクティブを通して コラボレーションが実践されること、さらには共同制作によるプロジェクトが社会へ発信され、アーカイブ へと展開することを具体的に解明している。 第 3 章 で は 、プ ロ ジ ェ ク ト“ H A Y Y ”の コ ン セ プ ト に つ い て 記 し て い る 。 “ H A Y Y ”を 通 し て 、個 人 の アイデンティティが確立されてきた哲学の歴史をひも解き、コラボレーションのあり方を問うている。個人 の 人 格 形 成 の 歴 史 を 扱 い な が ら 、同 時 に 、コ ラ ボ レ ー シ ョ ン の 理 論 と 実 践 を 取 り 上 げ て い る 。主 人 公 ハ イ は 、 誰もが自身の中に秘める「もう一人の自分」と「全てを知るもの」との対話の可能性を体現している。自己 と 他 者 、隠 喩 と し て の「 島 」と 隣 の「 島 」、個 人 と 共 同 性 と し て の「 島 」と「 群 島 」に つ い て 、様 々 な 距 離 感 を検討している。このなかでアーカイブが時空を超えて展開する場では、オルタナティブな創造へ導かれる ものと位置づけている。 第4章では、コレクティブの実践とアーカイブについて分析している。プロジェクト“HAYY”は、複 数人で体現するハイの人格形成の時間軸を縦糸に、シチリア・イスタンブール・東京・デュッセルドルフ・ ベ ル リ ン な ど の 空 間 軸 を 横 糸 に し て 、そ の 展 開 の 姿 を 描 く 。 “ H A Y Y ”の ア ー カ イ ブ が 、プ ロ ジ ェ ク ト を 通 してどのように変化したのかを以下の順に記している。①対話と映像言語モンタージュ、②アーティストの 日常生活、③渋谷の由緒ある神社とジョゼフ・コスースの作品への訪問者の理解、④人間以外の自然や動物 との交感の各記録、⑤映像とアーティスト・ブックの編集、⑥様々な組み合わせの可能性の記録、⑦制作過 程の記録の陳列、である。同じ登場人物や振り付けであるが、異なる場所で衣装や動作などが微妙に変化し ながら現れてくるのである。 第5章では、コラボレーションとアーカイブの構造を分析している。考察の位置づけをいったん「ニュア ンス」のプロジェクトから離れて検証するために、バリ島の祝祭儀礼におけるコラボレーションとアーカイ ブ、そして人間性を取り戻すための哲学的思索の視点を取り入れたヴィレム・フルッサーの出版物について 考察する。また、レバノンに端を発したマイケル・H・シャンバーグの「タートル」プロジェクトからは、 ネットワーク・システムを論じている。美術史の文脈だけではなく、属する社会の伝統の継承をコラボレー ションやアーカイブのなかで再構築するために、現代社会での他者性の問題を検討し、議論を掘り下げてい る。 第6章では、研究仮説で挙げた創造の可能性について、①コラボレーションの芸術創造―複眼的思考で生 み出される作品、②芸術創造主体としてのアーティスト・コレクティブ―異質なものの協力で引き出される 潜在能力、③芸術創造におけるアーカイブ―未来に出会う他者との喜びの共有という3つの点を指摘し、論 文の結論としている。開かれた場としてのアーカイブが記録として残り、後に個人とコレクティブ、あるい は個人とグループのコラボレーションの記憶を呼び起こすことが可能となる。それは、未来に出会う他者と 喜びを共有する作品としての意味を持つ。消えていた感覚を再び知覚するだけではなく、鑑賞者自身の解釈 によってアーカイブとの新しい関係性を築くことになる。最後に、そのようなアーカイブとのコミュニケー ションを通して生起する絶え間ない知覚の反復運動は、単なる反復ではなく、新しい芸術創造をもたらすと 結論づけている。 (論文審査結果の要旨) 本論文において、梅原はコラボレーションによる芸術創造の可能性について、様々な視点から資料をもと に、その現代における意義を明らかにした。そして、その過程で生起する活動やその結果として生まれる表 現、作品などをアーカイブとして位置付けつつも、それらを単なるアーカイブをこえた次元でとらえる視座 を示し、その場にいない鑑賞者や未来の鑑賞者との対話を可能とする作品表現として新しい位置付けを行っ た 。 論 文 は コ レ ク テ ィ ブ の 実 践 に 関 わ る キ ー ワ ー ド 「 ア イ デ ン テ ィ テ ィ 」、「 ア ー カ イ ブ 」 の 検 討 か ら 始 め ら れ 、 さ ら に コ ラ ボ レ ー シ ョ ン 、 ア ー カ イ ブ に 関 す る 先 行 研 究 に 「 記 録 」、「 他 者 」、「 変 容 」、「 歴 史 ・ 背 景 」 の 観点から考察が加えられ、つぎにこの論考の核に据えられているプロジェクトの実践、彼女と彼女をとりま く ユ ニ ッ ト 「 ニ ュ ア ン ス 」 に よ り 行 わ れ た プ ロ ジ ェ ク ト ” HAYY” の コ ン セ プ ト が 示 さ れ た 。 さ ら に こ の 世 界 各 地 で 行 わ れ て き た 、 プ ロ ジ ェ ク ト ” HAYY” の ア ー カ イ ブ が 時 間 軸 の な か で ど の よ う に 変 化 し 展 開 さ れ て し たか詳論され、それらをもとにコラボレーションとアーカイブの構造分析がおこなわれた。そして最後に結 論としてコラボレーションに創造的意義を与え、その主体となるアーティスト・コレクティーブとその作品 表現としてのアーカイブはあたらし芸術創造の母体となりうるとしている。 このように梅原の論文の特徴はその論考がユニット「ニュアンス」の活動に密接にむすびつき、そのプロ ジェクトとの相互貫入の関係にあり、実践に裏打ちされていることにある。そのことにより論考には血肉が あたえられ、強い説得力あるものになっている。論文の全体の論理構成やバランスは明晰に整理され、考え ぬかれた秀逸なものである。以上の理由から、本論文は学位授与に値すると認め、合格とする。 (作品審査結果の要旨) 梅原麻紀はアメリカ、ドイツ、オランダでの留学経験を経た後、ドイツを拠点としつつインドでのレジデ ンスを経験するなど欧米やアジアで十数年にわたり精力的な制作活動を続けてきた。その関心は現実に内包 されるフィクションに注がれ、立体、平面、アーティスト・ブック、写真、映像、インスタレーションによ る表現を通して、作品の中で生み出される現実とフィクションをもうひとつの現実として提示することを探 求している。 2006年 に は ド イ ツ 人 ア ー テ ィ ス ト の ア ナ ・ ハ イ デ ン ハ イ ン と エ ル マ ー ・ ヘ ア マ ン と 共 に 「 ニ ュ ア ン ス 」 を 結成し、共同制作によるプロジェクトを開始した。博士論文は「ニュアンス」での活動の経験を主軸として 持続的な共同制作の実践における新しい芸術を創造する可能性を考察するものであり、博士作品の展示は博 士論文における考察をもとに構成されている。 博 士 作 品「 ア ー カ イ ブ - HAYY-」は 映 画「 HAYY」の 上 映 、HAYYに 関 す る イ ン タ ビ ュ ー 映 像 の 上 映 、HAYYに 関 す る 資 料 展 示 と い う 3 つ の 要 素 か ら な る 。 映 画 「 HAYY」 は 12世 紀 の 小 説 『 独 学 の 哲 学 者 』 を も と に し た 「 ニ ュ ア ン ス 」 の プ ロ ジ ェ ク ト 「 HAYY- 独 学 の ミ ュ ー ジ カ ル 」 の イ タ リ ア 、 ド イ ツ 、 東 京 に お け る 記 録 映 像 で あ る 。壁 一 面 に 投 影 さ れ た 映 像 の 中 心 に 対 し 少 し ず れ た 位 置 に 置 か れ た 観 客 席 は 、こ の 上 映 が 不 可 侵 な「 作 品 」 の一方向的な提示ではなく、鑑賞者の意識を複眼的に広げるアーカイブとしての展示であるという作者の意 図 を 示 す 。映 画 に は 異 な る 文 化 的 背 景 を 持 つ 者 同 士 が 様 々 な 土 地 で 数 日 に わ た る 共 同 生 活 を 送 り な が ら 制 作・ 発表を行っていく中での変化が記録されており、コラボレーションにおける創造的可能性を考察する上で非 常 に 示 唆 に 富 む 。 二 つ 目 の 要 素 で あ る 展 示 壁 に 取 り 付 け ら れ た デ ィ ス プ レ イ に 映 し 出 さ れ た 映 像 は 「 HAYY」 プロジェクト参加者に梅原が行ったインタビューであり、フィクションを検証するドキュメントというフィ ク シ ョ ン 、と い っ た メ タ 表 現 的 構 造 を 持 つ 点 が 興 味 深 い 。三 つ 目 の 要 素 は 物 質 的 資 料 で あ り 、 「 HAYY」の ポ ス タ ー 、ア ー テ ィ ス ト・ブ ッ ク 、映 画「 HAYY」の オ リ ジ ナ ル 版 が 保 存 さ れ た USBス テ ィ ッ ク 、博 士 論 文 な ど が 展 示された。これらは取り出し使用され得るアーカイブであり、鑑賞者よって新しい解釈が生み出されること を歓迎するもので、芸術創造の可能性に対する作者の信頼と希望を感じさせる。 審査会では、梅原が十数年にわたって異文化と交流し続け、意見を交換することで互いに新たな視点を獲 得し、他者や歴史を知る経験を積み重ねながら新しい表現を真摯に探求してきた活動の集大成であり、芸術 創造におけるコミュニケーションの意義を再考させる意義を持つ優れた作品として本作品を評価し、全員一 致で博士の学位を認めると判定した。 (総合審査結果の要旨) 梅原麻紀の作品及び論文は、コラボレーション(共同創造)とアーカイブ(記録資料体)に関する深い経 験と考察に導かれ出来上がったものである。梅原自身、ドイツ人アーティストと「ニュアンス」というアー ティスト・コレクティブを組み、ヨーロッパ、アメリカ、アジアで国際的に活動しているが、今回の博士作 品「アーカイブ HAYY」 で は そ う し た 10年 近 く に 渡 る ユ ニ ッ ト 活 動 を 総 括 し 、 編 集 し 、 読 み 換 え な が ら 独 自 の想起と共有の場を提示するものである。 “ HAYY“ は 、主 人 公 ハ イ の 人 格 形 成 の 時 間 の 流 れ を 縦 糸 に 、シ チ リ ア、イスタンブール、東京、デュッセルドルフ、ベルリンといった都市の移動を横糸にして、各プロジェク トを通しハイがどのように変容していったのかが描かれる。 論文もまたそうした方向に沿い、近年、重要性を増す、異なる文化環境における共同創造の可能性に関す る優れた論考になっている。国籍、言語、民族、ジャンルを異にするコラボレーションの形式であるアーテ ィスト・コレクティブの長期に渡る継続的な実践やその情報を記録し、資料体とし新たな芸術創造へ繋げる ことの可能性に関して、自身の様々なプロジェクトの経験から説得力に富む形で論じられている。共に創造 するとはどのようなことなのか、その創造のプロセスで他者と交流し、価値を分かち合うことは何を契機と して可能になるのか。また他者との出会いを通し、さらなる創造を生む上で大切なことは何なのか。こうし た問題への洞察に満ちた論考は、アーティスト・コレクティブを目指す人々にとって有意義な指針となるだ ろう。 作品及び論文ともに内容や構成をよく練られたものであり、博士号に値するものと判断する。
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