氏名 鈴木 ヨミガナ スズキ ノブコ 学位の種類 博士(美術) 学位記番号 博 美 第 421号 学位授与年月日 平 成 26年 3月 25日 学位論文等題目 伸子 〈論文〉 ロベール・カンパン研究 ― 周 辺 作 品 お よ び 15世 紀 か ら 16世 紀 前 半 の ネ ー デ ル ラ ン ト 絵 画 に お ける受容の問題を中心として 論文等審査委員 (主査) 東京藝術大学 教授 (美術学部) 田辺 幹之助 (副査) 東京藝術大学 教授 (美術学部) 越川 倫明 (副査) 東京藝術大学 准教授 (美術学部) 佐藤 直樹 (副査) 東京藝術大学 教授 (大学美術館) 薩摩 雅登 (論文内容の要旨) 19世 紀 前 半 、 ロ ヒ ー ル ・ フ ァ ン ・ デ ル ・ ウ ェ イ デ ン ( ca. 1399/1400-1464) に 関 連 づ け ら れ た 作 品 群 と は 異なる特質を示すがゆえに逸脱するグループが形成された。 「 フ レ マ ー ル の 画 家 」と は 同 グ ル ー プ の 作 者 と し て 措 定 さ れ た 名 称 で あ る が 、後 に こ の 画 家 は ロ ヒ ー ル の 師 で あ る ロ ベ ー ル・カ ン パ ン( ca. 1375-1444)と 同 定されることで、同グループの作品の制作年代等もほぼ推定可能となった。留意すべきは、三点の板絵から な る「 フ レ マ ー ル・パ ネ ル 」 ( フ ラ ン ク フ ル ト 、シ ュ テ ー デ ル 美 術 館 )等 の 基 準 作 品 を 除 い て 、カ ン パ ン に 関 連 づ け ら れ た 作 品 の 多 く は 工 房 、 周 辺 画 家 の 間 で 帰 属 が 揺 れ 動 い て き た 点 で あ る 。 こ う し た 作 品 群 は 、 1990 年 代 の 科 学 的 調 査 以 降 、 シ ャ ト レ ( 1996)、 ケ ン パ ー デ ィ ッ ク ( 1997)、 テ ュ ル レ マ ン ( 2002) の モ ノ グ ラ フ や 近 年 開 催 さ れ た 展 覧 会 に お い て 、 弟 子 の ロ ヒ ー ル や ジ ャ ッ ク ・ ダ レ ( ca. 1400-after 1468)、 あ る い は 、 作品の図像に基づく仮称の画家に帰属されてきた。しかしながら、画家の手を峻別する指標を確立すること は困難であり、科学的調査に基づく帰属の解明も限界を迎えている。むしろ、帰属研究に拘泥することによ って画家の美術史的な成果に立ち入ることが出来なくなるのではないだろうか。そこで本論は、基準作品に 含 ま れ て こ な か っ た カ ン パ ン の 後 期 作 品 、 工 房 作 品 を 含 む 周 辺 作 品 、 追 随 作 品 を 分 析 す る こ と で 、 15世 紀 か ら 16世 紀 前 半 の ネ ー デ ル ラ ン ト 絵 画 に お け る カ ン パ ン の 新 た な 位 置 づ け を 試 み る も の で あ る 。 第 一 章 で は 先 行 研 究 を 概 観 す る 。19世 紀 の パ ッ サ ヴ ァ ン の 初 期 研 究 か ら 、ペ ヒ ト( 1933、1989、1994)、パ ノ フ ス キ ー ( 1953) 等 の 様 式 研 究 、 キ ャ ン ベ ル ( 1976、 1981) 等 の 南 ネ ー デ ル ラ ン ト の 絵 画 市 場 や 工 房 の 研 究 、 フ ァ ン ・ ア ス ペ レ ン ・ デ ・ ブ ー ル 等 の 1990年 代 の 科 学 的 調 査 を 経 て 、 近 年 の モ ノ グ ラ フ と 展 覧 会 に 至 る までの研究動向を辿る。 第二章ではカンパンの後期作品を再考する。後期作品はロヒールとの類似性ゆえにパノフスキー等によっ て否定的な評価を下されてきたが、近年の議論はこうした評価に追随し、後期作品をロヒールの初期作品あ るいはロヒール工房に帰属し、カンパンの周辺作品と見做す傾向にある。しかし主たる論拠はモティーフの 比較や下描きの様式分析に留まり総合的な考察は十分にはなされていない。そこでカンパンの初期、中期作 品 と ロ ヒ ー ル の 初 期 作 品 の 造 形 的 性 格 を 把 握 し た 上 で 、カ ン パ ン の 後 期 作 品 に し て 帰 属 の 議 論 が 集 中 す る《 ヴ ェ ル ル 祭 壇 画 》( マ ド リ ー ド 、 プ ラ ド 美 術 館 ) と 《 太 陽 の 聖 母 子 》( エ ク ス ・ ア ン ・ プ ロ ヴ ァ ン ス 、 グ ラ ネ 美 術館)等を取り上げる。後期作品が中期までに培った造形を把持しつつ、ロヒールやヤン・ファン・エイク ( ca. 1390-1400/1441) の 造 形 を 摂 取 す る こ と で 新 た な 絵 画 空 間 を 構 成 す る と 同 時 に 、 先 行 作 例 と は 一 線 を 画する図像を形成していることを確認し、後期作品を積極的に評価し得ることを主張した。 続 く 第 三 章 で は カ ン パ ン の 原 作 が 残 さ れ た 周 辺 作 品 を 追 う 。基 準 作 品 で あ る「 フ レ マ ー ル・パ ネ ル 」の《 聖 三 位 一 体( 父 な る 神 の ピ エ タ / 恩 寵 の 御 座 )》、さ ら に《 メ ロ ー ド 祭 壇 画 》 ( ニ ュ ー ヨ ー ク 、メ ト ロ ポ リ タ ン 美 術館クロイスターズ分館)を指標として関連づけられる作品群を検討する。図像と造形、機能を確認し、造 形様式と下描き形式の観点から周辺作品において原作がどのように受容されたのかを具体的に見てゆく。 第四章ではカンパンの原作が残されていない周辺作品に目を向ける。周辺作品の中でも質量とヴァリエー ションに富んだ、 「 聖 母 の 婚 約 」、 「 聖 グ レ ゴ リ ウ ス の ミ サ 」、 「 聖 母 子 を 描 く 聖 ル カ 」、 「 三 王 礼 拝 」を 主 題 と す る一連の作品を取りあげる。造形と下描きの様式や傾向に加えて、失われたカンパンの原型と周辺作品の関 係 を 分 析 し 、 図 像 の 展 開 と 様 式 の 波 及 を 示 す 。 以 上 の 考 察 を 踏 ま え て 最 後 に 、 周 辺 作 品 と 追 随 作 品 が 15世 紀 末 か ら 16世 紀 前 半 に 多 数 制 作 さ れ て い る こ と に 着 目 し 、 ネ ー デ ル ラ ン ト 絵 画 に お け る 擬 古 主 義 の 動 向 に お い てカンパンの作品が担った役割とその意義を浮かび上がらせて結びとした。 このように本論では、近年の帰属問題に偏向したカンパン研究に対する問題意識から出発し、主として画 家 の 後 期 作 品 、 周 辺 作 品 、 追 随 作 品 を 分 析 の 対 象 と し て 、 15世 紀 か ら 16世 紀 前 半 の ネ ー デ ル ラ ン ト 絵 画 ま で を視野に収め、ネーデルラント絵画における画家の位置を明らかにした。別巻のカタログに収められた多数 の関連作品からもわかるように、カンパンの原型は周辺作品と追随作品に繰り返され多様に描かれている。 イタリア絵画と拮抗したネーデルラント絵画の伝統への回顧現象のなかで、カンパンの造形と図像が重要な 位置を占めたのではないだろうか。 (総合審査結果の要旨) 本 論 文 は 、 ト ゥ ル ネ ー で 活 動 し た 初 期 ネ ー デ ル ラ ン ト の 画 家 ロ ベ ー ル ・ カ ン パ ン ( ca.1375-1444) を 対 象 とし、基準作も限られているこの画家の再評価を試みるものである。論文は4章からなる。第1章で筆者は ま ず 、1 9 世 紀 か ら 今 日 に 至 る ま で の 研 究 史 の 動 向 を 整 理 し 、こ の 画 家 を 巡 る 研 究 の 問 題 点 を 指 摘 し て い る 。 すなわちロベール・カンパンという画家の造形的性格と歴史的評価は19世紀前半から20世紀の半ばごろ ま で に 徐 々 に 確 か め ら れ て き た が 、そ の 中 で 、一 時 期 カ ン パ ン 工 房 で 活 動 し て い た ロ ヒ ー ル・フ ァ ン・デ ル・ ウェイデンとの関わりが大きな論点として立ち現れる。とりわけカンパンの後期作品とロヒールの初期作品 の間には、今日に至るまで帰属の曖昧な一連の作品が残されている。一方20世紀後半に始まる科学調査の 手法は下絵素描の様式とディテイルの比較研究に道を開き、カンパン研究に新たな視点を提供したが、その 結果として20世紀の末からカンパンとその周辺作品の帰属について、さらなる議論が起こっている。この ように研究史の中でカンパン像はいまだに大きく揺れ動いているのだが、これに対して筆者は、時代様式と の関わりで論じられてきた歴史的な評価と、科学的な手法によって確かめられる帰属の問題に分裂が生じて いると指摘した上で、本論文の目的を、科学的な手法による知見と歴史的な評価に再検討を加え、また基準 作 の み な ら ず 失 わ れ た 作 品 を も 視 野 に 入 れ て 、カ ン パ ン に 対 す る 総 合 的 な ア プ ロ ー チ を 図 る こ と と し て い る 。 そのために筆者は、まず評価の分かれている後期作品の問題を取り上げ、さらにカンパンの周辺作品を16 世紀前半の作例にまで対象を広げて調査することで、初期ネーデルラント絵画に刻印されたこの画家の影響 を確かめつつ、分裂したカンパン像を再構築しようと試みている。 第2章ではカンパンの後期作品が取り上げられる。その中心となるのはしばしばロヒールの手に帰されて き た 《 ヴ ェ ル ル 祭 壇 画 》 (プ ラ ド 美 術 館 )で あ る 。 筆 者 は 本 作 に つ い て 、 ま ず 様 式 分 析 か ら カ ン パ ン に 特 徴 的 な造形が見られることを指摘する。そしてさらに下書き素描の分析を試みているが、そこで筆者は形態的特 徴からすればロヒールの下絵素描に類似する本作のそれが、むしろ陰影を表したロヒールよりも彫塑性を際 立たせるカンパンの下絵素描に近い性格を示していると指摘する。こうした観察から筆者は本作をカンパン の後期作品とした上で、ヤン・ファン・エイクやロヒールの作品から借用されたモティーフが絵画空間と現 実空間のかかわりを再構築するためのものであるとして、パノフスキーらによって否定的な評価を与えられ ていたカンパンの後期作品に積極的な評価を与えている。筆者はさらに同様の分析手法によって、帰属が争 わ れ て い た 《 太 陽 の 聖 母 子 》( エ ク ス ・ ア ン ・ プ ロ ヴ ァ ン ス 、 グ ラ ネ 美 術 館 ) と 《 磔 刑 》( ベ ル リ ン 国 立 絵 画 館)をカンパンの後期作品に位置づける。 第3章では、これまで基準作として挙げられてきた作品に関連づけられる周辺作品が取り上げられる。こ の章の考察の中心となるのは、 《聖三位一体》 ( フ ラ ン ク フ ル ト 、シ ュ テ ー デ ル 美 術 館 )に 関 わ る 2 点 の 作 品 、 すなわちエルミタージュ美術館に所蔵される二連画パネルとルーヴェン市立美術館所蔵の祭壇画中央パネル である。筆者はそこでまず、カンパンの基準作であるシュテーデル美術館の《聖三位一体》について、この 祭壇画平日礼拝面のグリザイユ像が視覚的現実に即した祈念像としての聖三位一体像であるという点にその 革新性を認めている。そしてこの革新性は、基準作の構図が他の図像形式の作品に移植された際、それぞれ の図像形式に即した新たな意味を獲得したとする。このような議論を踏まえつつ、筆者は造形様式と下書き 素描の形式から、これら2点の作品をカンパンに近い位置にいた画家の手に帰する一方で、コリン・デ・コ ーテルや「聖血の画家」の同主題の作品を取り上げ、カンパンの受容が16世紀の前半に至るまで見られる ことを指摘している。こうして筆者は、基準作に確認されるカンパンの生み出した図像が、さまざまな形で 初期ネーデルラント絵画史の中に浸透してゆく過程を論証しているのである。これに続き、同様に後代まで 継承されたカンパンの図像の例として、 《 メ ロ ー デ 祭 壇 画 》の 中 央 パ ネ ル に 遡 る こ と の で き る 受 胎 告 知 図 が 挙 げられている。 第4章ではさらに、カンパンのオリジナル作品は確認できないものの、図像と様式の特徴からカンパンの 原 作 に 基 づ く 可 能 性 が 提 示 さ れ て き た「 聖 母 の 婚 約 」 「聖グレゴリウスのミサ」 「聖母子を描く聖ルカ」 「三王 礼拝」を主題とする一連の作品が取り挙げられる。これらの作品には、15世紀に制作されたカンパンのコ ピーという説があるものから16世紀前半に制作された追随者の翻案と見なされる作品までもが含まれてい る。そこで筆者はまず前者の作例について研究史を整理した後、様式批判と近年の科学分析の所見を用いて カンパンのコピーであることを確認し、さらに16世紀の追随者の作例がどのようなかたちでカンパンの当 初の構図を継承したかを調査する。そして上記のような分析をもとに筆者は、初期ネーデルラント絵画にお けるカンパンの意味を総括している。すなわちカンパンは後期作品においても新たな創造性を発揮し、基準 作だけではなく失われた作品を通じてネーデルラント絵画に多大な影響を与えたのみならず、15世紀末か ら16世紀初頭にかけてとりわけ多数の追随作品が制作されていることからして、ネーデルラント絵画がイ タリア絵画の影響を強く受けた時期に至っても懐古主義的な潮流の中で、一定の存在感を示していたと結論 づけるのである。 申請者の論文は、今日まで美術史上、多くの議論を呼んできた画家ロベール・カンパンを巡る膨大な研究 史を整理しつつ、この画家に対する妥当な見解を示そうと試みるものである。16世紀前半の追随者の作品 を含めて筆者はカンパンに関連づけられる作品をカタログ化しているが、本論文はこうした基礎作業に支え られた包括的な研究として評価すべきものである。論文中の個々の問題についてはさらに考察を重ねる必要 がある点も多く認められるものの、カンパンという画家に対する総合的な観点から膨大な資料を整理し、分 析を加えることで独自の見解を示そうとしたという点において、博士論文の要件を満たす論考であると認め られる。
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