海を渡った民藝 スイス・ルガーノで生き続ける民藝 apanese

J apanese tex t
2011年 秋/冬号 日本語編
民藝
世紀の白い磁器と、母親から貰った清水焼の酒器(p.61)に
海を渡った民藝
―国外最大級
モンゴメリー・コレクション初公開
魅了されたジェフリー・モンゴメリーさんは、今日に至るま
で、民藝の美術品の収集にひたすら情熱を傾けている。収
集を始めた当時は、自分の収集していたものが、日本の美
撮影=阿部 浩 文=編集部
術品であるとか、それが「民藝」という分野に属するとは、
p.052
知らなかったと話す。ただ、心惹かれるものを集めていた
イタリアとの国境からわずか数キロメートル北に位置するスイ
だけだった。結果的に、日本の「民藝」と称されるものが
ス南部の町、ルガーノに日本国外最大の規模と質を誇る民藝
集まったのだ。
のコレクションがある。ジェフリー・モンゴメリーさんが、過
「日本の美術は、他のアジアの国の美術品とは全く異なりま
去 30 年間にわたり収集した数は 700 点以上。彼の民藝に
す。例えば、鳥を描いた一枚の絵があるとします。中国の
対する想いは強い。素朴で力強い民藝の美は、単なる日本
絵の中の鳥は、まるで羽が動いているようにリアルで素晴ら
の文化のひとつではなく、世界の大切な遺産だと語る。
しい。でも、日本の絵の中の鳥は、今この瞬間に飛び去っ
てしまうような躍動感があるのです」
(p.052)
左・「これが何なのか全く知りませんでした。ただ、この美しい彫刻のよ
けやき
うなフォルムと、樹齢約 200 年の欅 の木目に無性に惹かれたのです」
とモンゴメリーさんは語る。これは自在鉤という、日本家屋の囲炉裏の
理屈や知識ではなく、自分の直感でモノに秘められた美
しさを見出すモンゴメリーさんは、日本の庶民が使ってきた
生活道具の中にある、「素朴な美」に惹かれると話す。「自
上につるし、鍋や釜などの位置を調節するために作られた道具。
在鉤や器など、木や土などの自然の素材から作られたモノ、
右・モンゴメリーさんは、家族や友人を自宅に招く時、大切なコレクショ
何十年、何百年もの間、数多くの人の手に渡り、大切に使っ
ンの器を使う。壁に掛かっているのは、明治時代に作られた筒描(布団
てきたモノの中には、エネルギーがみなぎっているのです」。
カバー)
。水屋箪笥は江戸後期のもの。テーブルと椅子は、ジョージ・
鑑賞するために作られた絵画や彫刻などのアートと異なり、
ナカシマの作品。
自在鉤のように、自然の素材から作られ、生活の必需性か
ら生まれた形や色は、素朴で力強い美がある。モンゴメリー
(p.054)
上・18 世紀の琉球漆器(直径 21㌢)。第二次世界大戦前に西洋に渡っ
さんは、こう続ける。「民藝は、単なる日本文化の一つでは
ていたため、沖縄戦の壊滅的な被害を免れた。骨董の琉球漆器は、日
なく、人類の偉大なる遺産だと思うのです。この実利主義
本でも珍しい。
が加速する世の中で、根源的なもの、本質的なものに人間
右・リビングルームの棚には、江戸後期~明治初期につくられた鉄瓶や
は帰するという、普遍的な認識を形にしたものだと思うので
鉄製の酒器、茶釜、置物などが並ぶ。一番右側、上から二番目にある
のは茄子形の鉄瓶、モンゴメリーさんのお気に入り。イギリス製の鳥の
置物 (Guy Tuplin 作 ) と組み合わせて、鉄器のコレクションを飾っている。
す」
モンゴメリーさんは、掛け物や置物、器などのお気に入
りのコレクションを時折倉庫から取り出して、部屋のディス
プレイを入れ替える。大切な友人や家族との集まりには、
大切な器に手料理を盛り、骨董の焼き物に庭の草花を生け
1
る。彼のコレクションは、ルガーノの自宅で使われ、更にそ
スイス・ルガーノで生き続ける民藝
の美しさを増している。生きたコレクションなのだ。
p.057
幼い頃、ノルウェイ人だった母方の祖母から譲り受けた 18
Copyright - Sekai Bunka Publishing Inc. All rights reserved.
Reproduction in whole or in part without permission is prohibited.
Autumn / Winter 2011 Vol. 28[ 民藝 ]
1
詣が深く、料理人としても素晴らしい腕を持っています。ティ
(p.057)
左ページ、左上・地元のオリーブを盛っているのは、沖縄出身の人間
国宝、金城次郎作の線彫魚文皿。
右上・食後のエスプレッソは、伊万里の蕎麦猪口(江戸時代作)に入れて。
下の写真2点・河井寛次郎作の花器。
チーノ州は、気取らない郷土料理や地元のぶどう園ででき
たワインを供する田舎風のレストランがあることで有名な地
域で、
その多くは古い石造りの建物にあります。例えばグロッ
上・自宅のリビングからは、真っ青なルガーノ湖が一望できる。
ト・デル・オルティーガは 150 年以上前から、シンプルで
右上・自宅から近くの山には、愛犬2匹とよく散歩に出かける。
美味しい料理を何世代にもわたって常連客に提供してきまし
右下・ボートで約 20 分南下すれば、イタリアとの国境に出る。
た。それから、フェラーロ家のリストランテ・カミーノは、シー
フード料理で有名なお店です。この二軒のレストランと懇意
(p.059)
左ページの写真・手前は瀬戸の柳文石皿(18 世紀後半~ 19 世紀前半)。
石皿は、日本の民家の台所には必ず 1 枚や 2 枚あったもの。丈夫で日々
の食事に使われた。ティーポットとティーカップは、モンゴメリーさんが
にしているジェフリーは、自らのコレクションの中でもお気
に入りの品をシェフたちに試験的に使ってもらいました。日
本の食器類には馴染みのないシェフたちも、食べ物と器が
ドイツで購入した現代作家のもの。左・明治時代の京焼唐草文皿にス
互いに引き立つよう直感的に盛り付けたところ、こちらの食
イスのチョコレートを入れて。下・ティータイムにくつろぐモンゴメリー
欲をそそる料理が完成しました。シーフードサラダを日本の
夫妻。壁に掛けられているのは、鳳凰文の筒描(布団カバー)。
お皿に盛り付けたシェフフェラーロ氏は感想を聞かれ、貝殻
の形をした器は「料理をまるで子供のように抱きかかえてい
るようだ」と話していました。
p.059
■ 味覚と感性
文=マイケル・ダン
真に芸術を理解する人は、ほぼ間違いなく美食家であるこ
とを、美術商の人間なら誰でも知っています。私も何年も
前に、日本の骨董品を売っていたときにこのことを実感しま
した。食事やワインを味わうという喜びに興味のない顧客に
は、最高の品を見せても無駄だとわかったからです。食べ
1
海外で最高にして最大級の
民藝コレクションとの出会い
文=マイケル・ダン
p.060
物やワインの味がわからない人は、殆どと言っていいほど、
初めてジェフリーに会ったのは、1990 年のある夜のこと。
芸術や美の世界を理解できないのです。お茶の道具、お酒
私は、その日夕食を一緒にすることになっていた人から、民
の徳利や盃、季節ごとのご馳走を供する器などが、値段も
藝の展覧会に行かないかと誘われた。会場は地元の著名建
つけられないほど高価な芸術作品として扱われる日本では、
築家、マリオ・ボッタの設計でルガーノに新しくできたゴッ
この考えは当たり前のことでしょう。ふさわしい器に見た目
タード銀行ビルだ。暑い夏の午後、マッジョーレ湖から山道
も美しく盛り付けられた食べ物は、食欲をそそる――どんな
をずっとドライブしてきた私には、アートよりもイタリアンレ
アートディーラーもこのことをよくわかっています。だから、
ストランでの冷たい飲み物の方が魅力的に思え、正直なとこ
彼らの持っている美味しいお店の最新情報は信頼できるの
ろ、展覧会にはさほど興味をそそられなかった。だが、誘
です。
いにのったお陰で、私はそれまで日本民藝館と倉敷民藝館
ジェフリー・モンゴメリーは日本の骨董品を日々の暮らし
でしか見たことのなかった、質の高い骨董の工芸品を目に
の中で楽しむ一方で、名高い北イタリア料理についても造
することとなった。それは、私の想像を絶する選りすぐりの
Autumn / Winter 2011 Vol. 28[ 民藝 ]
2
品々だった。しかも、そのコレクションのオーナーであるジェ
述のゴッタード銀行での展覧会を機に、彼のコレクションは
フリー・モンゴメリーにも会えたのだ。この幸運な出会いか
国際的な注目を集めることとなった。それ以来、彼のコレク
ら、私はジェフリーと彼のパートナー、マリアンジェラと親
ションは、その一部をさまざまに組み合わせて、世界各地
交を深め、ここ 20 年間は新たな作品の収集や展示会や執
の美術館などで展示されている。現在まで 30 回を超える展
筆活動を通じて、私も彼のコレクションの拡大に関わってき
覧会が、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館、チュー
た。現在、モンゴメリー・コレクションの総数は 765 作品。
リッヒのベルリーヴ美術館、ニースのアジア美術館、ニュー
うち陶磁器が 300 以上、織物が 142、お面や神道の神像な
ヨークのジャパン・ソサエティー・ギャラリーなどで開催さ
どの彫刻が 135、さらに漆器や絵画、昔ながらの家具など
れた。こういった国際的な展覧会は多数の入場者を集め、
が多数含まれている。
マスコミの批評も好意的だった。さらに展覧会に合わせる
さて、アメリカ国籍を持つジェフリーが、いかにしてスイ
形で、彼のコレクションは著名な学者の評論を付して多くの
スで民藝の収集家となったのだろうか。ジェフリー本人によ
書籍やカタログに収められ、結果的にヨーロッパ言語で書
れば、ペルージャとフィレンツェでイタリア語を勉強した後、
かれた民藝の最良の参考資料となっている。ヴィクトリア&
1969 年にルガーノに居を構え、時計販売会社にしばらく勤
アルバート博物館東洋部上級学芸員のルパート・フォーク
めた後、旧市街地の中世の古い建物内に自分好みのデザイ
ナーの言葉を借りれば、「ジェフリー・モンゴメリーのコレク
ンやアート性を備えた品々を売る店を開いたのだという。陶
ションは、日本国外に存在する民藝作品の最高級の集合体
磁器や実用美術品をヨーロッパ中の工芸家から買い集めて
として広く認識されている」のだ。
いた彼は、作品探しの最中に日本の骨董品に出くわすこと
日本の民藝作品は、どうして西洋の鑑賞者の感性を揺さ
があった。明治から戦前にかけて日本に暮らした欧米の旧
ぶるのだろうか。民藝作品の多くは、欧米人には殆ど馴染
家の放出品が市場に出回ることがあったのだ。この頃、彼
みのない、消滅寸前の日本の伝統的な生活様式に特有の品
が手に入れて今も所蔵しているものの多くは、今となっては
物であることを考えると、よけいに不思議に思う。ひとつの
日本ですらなかなかお目にかかれない逸品揃いで、他に類
答えとして考えられるのは、こういった工芸作品は、作り手
を見ないものがいくつもある。中でも室町時代の作品と思
の心が直接、見る人に伝わるからなのかも知れない。現代
われる表情豊かな木彫りの狼像は、私が知る限り、どの美
美術の展覧会で、多くの人が頭を抱えてしまう言葉の壁や
術館や出版物でも見たことがないほど、独特な作品である。
知性の難問といった障害とは無縁の世界だから。形や材質
また、彼の所蔵する沖縄漆器も非常に珍しいものだ。これ
の美しさはそのまま目に入るし、この作品とともに暮らすと
らは、第二次世界大戦のはるか昔に西洋に渡っていたため
心地よく、満たされそうだとすんなり感じとれる。ジェフリー
に、沖縄戦の壊滅的な被害から免れたのである。ジェフリー
はこの言葉にならない美しさをよく認識し、自らの鑑識眼と
は店でヨーロッパの工芸品を販売していたが、自らが見出し
知識を駆使して、並外れた作品の数々を欧米で収集してき
た日本の民藝は手放しがたく、それが自らのコレクションに
た――まだ民藝への関心が薄く、競争相手となるバイヤー
なったのだという。民藝の研究や発掘に夢中になって一、
がほぼ皆無だった時代から。現在、彼のコレクションは国
二年が過ぎたとき、仕事をする時間が殆ど残ってないことに
際的なアートディーラーの間でよく知られる存在となった。
気づいた彼は店をたたみ、フルタイムで収集活動にあたる
そして今でも、美術品市場に民藝の作品が登場し、それ
ことにした。
がジェフリーの厳しい鑑識眼にかなったときは、彼のコレク
ジェフリーはかねてより、自らの楽しみのために民藝作品
ションに加えられるのである。
を集めてきた。その情熱は今も変わらない。ところが、前
Autumn / Winter 2011 Vol. 28[ 民藝 ]
3
マイケル・ダン
や美術品を楽しんで使ったり、飾ったりしている。
イギリス生まれ。40 年以上前に来日し、美術品の取引や執筆業に従事。
自然の素材から作られた、素朴な味わいの日本の生活道
2001 年には、ニューヨークのジャパン・ソサエティーの招聘学芸員とし
て展覧会『Five Tastes』を企画。ジャパン・タイムズ等に寄稿多数。著
書に『Inspired Design, Japan’s Traditional Arts』
(5 Continents Editions
刊)
、『Five Tastes, Traditional Japanese Design』
(Abrams 刊)、共著に
具は、このスイス・ルガーノの自宅にすんなり溶け込んでい
る。民藝は、使い手によって、様々な文化のものと融合す
る普遍性を兼ね備えているのだ。
『The Art of East Asia』
(Koenemann 刊)がある。
(p.060)
(p.063)
モンゴメリー・コレクションには、計 47 の恵比寿様や大黒様の像がある。
左ページ、左上・染色型紙の青と白に合わせた、イギリス製の牛の置
木彫が大半だが、中には青銅やいん石を彫ったと思われるものもある。
物とチベットのカーペット。チェストは 18 世紀スイス南部のもの。
恵比寿様は、海の神様、豊漁の神様。一方大黒様は、五穀豊穣を表し
左下・マリアンジェラさんは寝室に 18 世紀前期の琳派調の屏風を、絵
ている。恵比寿様や大黒様は、商家によく置かれていた。
画のように壁に飾っている。
(p.061)
リス製の渡り鳥の置物。
リビングルームで寛ぎ、濱田庄司作の器を手にするジェフリー・モンゴ
右下・本来、着物を染める道具として使われていた型紙だが、モンゴメ
メリーさん。その他、17 世紀の二川焼の皿、16 世紀の備前の徳利、
リー夫妻の手にかかるとアートに変わる。
室町時代の丹波焼、18 世紀の常滑の花器など、お気に入りの作品が並
上左・マリアンジェラさんは、日本の籠を収集している。花を生けるの
ぶ。部屋の隅にあるのは、江戸時代の仏像。右の写真にある清水焼の
が大好きだ。
左上・モンゴメリーさんは、アンティークの動物の置物が大好き。イギ
酒器を母親から譲り受けたことがきっかけで、モンゴメリーさんは日本
上右・愛犬のルパードとココを家族の一員のように可愛がるモンゴメリー
の民藝に興味を持ち始めた。松、竹、梅の花の絵が描かれている。
さん。
p.063
1
無名の職人が生み出した、比類のない美
日本の古い生活道具や美術品は、モンゴメリー夫妻の手に
掛かると、まるで新しい命を得たかのようだ。現代の日本の
文=マイケル・ダン
日常生活では使われない、または捨てられてしまうようなも
p.064
のも、彼らの自宅では新しい使い道を得て輝いている。例
民藝の何がそれほど特別なのでしょうか? 柳宗悦に言わせ
えば、上の写真のランプの台は、動物や魚の絵を漆で施し
れば、ごく普通の無名の、しかもその殆どが無学である職人
た 19 世紀の茶釜。これは、茶道具の一種で、日本でもお
たちが、自然素材を使って荘厳な美しさを秘めた作品を創り
茶の席以外にはほとんど使われないが、モンゴメリーさん
出すことに意味があったのです。彼の著作を読めば、私たち
は、これをソファの両脇にあるランプの台として使っている。
も本当の審美眼を持てるかも知れません。
左の写真にある、透明の額にフレームされているのは、
着物などを染色するための型紙。型紙のコレクションは約
日本の究極の美学を西洋人にも意味明瞭に説いたことで知
400 枚ある。北イタリアやスイス南部のアンティークの家具
られる作家・思想家で、著書『英文版 柳宗悦評論集 The
や、イギリスの置物などと組み合わせて、日本の古い道具
Unknown Craftsman』
(講談社インターナショナル刊 1972
Autumn / Winter 2011 Vol. 28[ 民藝 ]
4
年)で手工芸品の美を分析したのが、柳宗悦(1889-1961)
例えば、陶磁器のどの角度からも美しく見えるように絵が描
です。この大変独創的な著作の中で、柳は日常使いの物の
かれているものや、意図的に曲面を使ったものも美のあり
中にこそ、並外れた美が見出せるのだと説いています。本
方を心得ています。その上で、彼は、日本の職人の美の表
物の職人によって創り出された物にこそ圧倒的な美しさがあ
現の仕方、あえてデザインをしない空白のスペースの使い
る。一方、芸術家が美しいものを意図的に作ろうとしても、
方に魅了されると言います。つまり、図柄の中で彩色されて
大抵は失敗するだけだというのが柳の考えです。もちろん
いない部分が、彩色部分を引き立てて強調するという、西
近代以前には、殆どすべての物が、時間をかけて使いこむ
洋美術の構図規範からまったくかけ離れた、非常に先進的
ほどに美しさを増す自然素材で作られていたという歴史的背
な芸術的センスが感じられると言うのです。
景も考慮する必要はあるでしょう。それに比べて現代の合成
近代まで、日本の職人の社会的地位は低く、生活は苦し
素材は、新品のときには見た目も感触も心地よくない上に、
かったようです。では、文化や教養のない身分の低い職人が、
あっという間に劣化していくのですから。
どうやってあれほど美しい作品を創り出したのでしょうか。
芸術や美の追求においてはるかに先進的だった日本の茶
伝統的に日本の職人は、まず見習いとしてもっとも厳しく辛
人は、よく考えて選び抜かれた日常使いの道具類に美しさ
い下働きをこなしながら、先輩の仕事ぶりを見て学びました。
を見出していました。例えば、質素な朝鮮陶磁器の中には、
やがて実際に制作をするようになると、その腕前がどこま
やがて値段もつけられないほど高価な貴重品となったもの
で上がるかで、将来が決まりました。柳は職人について、
もありました。当初、朝鮮や中国から輸入された品々は、
次のように理論づけています。まず職人個人は「自力」、つ
その芸術性や希少性から高く評価されていましたが、その
まり知性とは関係なく、その人の魂から直接わきおこる内的
後、千利休などの茶人は、ごく普通の日本の応用美術品の
な力を引き出すのです。一方、窯元などで共に働く職人集
美的価値を認めるようになりました。それからまもなく、陶
団は「他力」
、つまり全員の能力の総計以上の魔法のパワー
磁器、金属細工、竹かご細工の職人は、茶人から注文を受
を引き出すのです。こういった内なる力で産み出された作
けるようになります。都市部、特に文化の都であった京都
品は、たちまち感受性のある人たちに真価を評され、また、
の洗練された趣味人向けの、道具や花器の制作依頼でした。
そこから得られる深い喜びは、理由や思想を超えて、人々
そもそも日常使いの品々は、当たり前のものとして、気に
の心に伝わるのです。
も留められていませんでした。柳は、おそらく工業の時代の
現代的素材への反動もあって、自然素材で作られた品物が
柳宗悦(1889-1961)
持っている本来の美しさに、私たちの目を向けさせてくれた
思想家。濱田庄司、河井寛次郎などの陶芸家と交友を持ち、「民藝」運
のでしょう。今日、20 世紀半ば以降のモダンアートのトレン
ドである抽象的な作品に注目が集まりますが、だからこそ、
はいぐすり
動を起こし、後に東京に日本民藝館を設立。彼の著作は日本が急激に
工業化する時代に、誠実に作られた工芸品の美しさを、多くの人々に気
づかせてくれた。
多くの人が中世の壷の灰釉の染みや、古い時代の木製の自
在鉤の彫刻的な形に惹きつけられるのです。ジェフリー・
(p.065)
モンゴメリーは日本文化に強い愛着を感じており、日本の工
左ページ・20 世紀を代表する民藝の大家による陶芸作品を庭に配置し
芸品の目利きでもあります。彼はある民藝を見ると、「これ
た。背の高い瓶はバーナード・リーチ作、その隣(時計回り)の瓶は島
だ!」と言います。つまり、単純に言葉では表現できないほ
どの美しさが溢れ出る傑出したものだという意味です。
もちろん彼は、装飾的なデザインの美も理解しています。
岡達三作、抽象的な「二匹の魚」が描かれた浅い皿は濱田庄司(18941978)作、花の浮き出し模様が入った皿と瓶は河井寛次郎(1890-1966)
作。
Autumn / Winter 2011 Vol. 28[ 民藝 ]
5
せっき
右・江戸時代後期に瀬戸の窯で大量生産された炻器の一種である石皿
の三例。石皿は、自然や民俗的な図柄を下絵付け用の青や酸化鉄で迅
速に描くのが特徴。その愉快で無邪気な特質が多くの日本の民藝ファン
を魅了している。
■ 柳宗悦—暮らしへの眼差し—
柳宗悦の没後 50 年と、彼が創立した日本民藝館 75 周年を
記念して、彼の仕事を紹介する展覧会が開かれる。会場は
5章に分かれており、第1章では、彼が身辺で使用してい
た品や、家族や友人たちとの写真や書籍などを展示する。
第3章の「柳宗悦の眼」では、彼が3年間かけて日本全国
をまわり、木喰仏を研究した際の書籍や、実筆原稿などを
紹介。1938 年に初めて訪れた沖縄で収集した紅型や、陶器、
漆器なども展示される。
また、日本民藝館名誉館長でプロダクトデザイナーとして
活躍する長男・柳宗理の仕事も展示される。展示数は、約
250 点。
会期:2011 年 9 月 15 日から 9 月 26 日
時間:10 : 00 〜 20 : 00 (最終日は 17 時閉場。入場は閉場の 30 分前まで)
会場:松屋銀座 8 階 イベントスクエア
東京都中央区銀座 3-6-1
電話:03-3567-1211
入場料:1000 円(一般)
左上・沖縄の紅型衣装(19 世紀)
右上・独楽盆 19 世紀
いずれも日本民藝館蔵
下・会場では、旧柳宗悦邸の応接間を再現し、民藝運動を支えた、バー
ナード・リーチ、濱田庄司、河井寛次郎、棟方志功などの個人作家の
作品を展示する。柳邸に集まった仲間たちとの交友の一端も紹介する。
Autumn / Winter 2011 Vol. 28[ 民藝 ]
6