一一 捕虜暴動に いまを重ね

事
「力ウラの班長会議J
(焼光群)
F司
を 単 純 に 舞 台 化す る ので は
な く 、そ れ を テ l マ に 劇映
画 を 作 る 女 子学 生 と い う 外
側 の 視 点 を 持 ち 込 ん だ 。映
各 自
画 の ス タ ッ フ 国人 は 、
一人 の兵 隊 のイ メ ージ を 作
り上 げ る よ う に 求 め ら れ
「 カ ウ ラ 」の
る 。そ の 結 果 、
兵 士 た ち の 問 題 は 、「 フ ク
シ マ 」後 の日 本 の状 祝 に 相
通 じ る も の に なっ て 行く 。
女 子学 生 た ち のカ ウ ラ 収
容 所 は 実際 よりも 穏や か で
ちは 戦 陣 訓 の暴 力 に
民 主 的 に 見 え る 。そ れ で
彼
も、
抗 え な い 。私 た ち の 日 本 は
そ れ よりは ま し に なっ て い
る の だ ろ う か 。様 々 な し が
落 とす とい う 痛ま しい 事 件
走 を 試 み、 2 3 5人 が命 を
え る 日 本 人 捕虜 が暴 動・ 脱
千 人を超
る 捕虜 収 容 所 で 、
ース ト ラ リ ア のカ ウ ラ に あ
オ
1 9 4 4 年 8 月 5日 、
こ と だ 。「生 き て 虜 囚 の辱
主 的 」に 決定 さ れ た とい う
の無 記名 投 票 に よ っ て 「 民
全
令 に よっ て で は なく 、
第 二 に 、 暴 動 は 指 揮 官 の命
して 人 道的 だ っ た ことだ 。
で の日 本 人 捕虜 の待 遇 は 概
効果的 。
結 末 のひ ね り と 問 い か け も
け た 。群 舞 の よ う な 動き 、
物 の1 人 1 人 を 良 く 描き 分
は 大き い 。
か 。作 品 が 突 き つ け る 問 題
た ち に 強 い て い ない だ ろ う
者)
M日 ま で 、
東
ズナ リ
京・ ザ・ ス
(北 野 雅 弘・ 演 劇学 研 究
舞台 は、
ω 人 近い 登 場人
が起き た 。燐 光群 の「 カ ウ
め を 受 け ず」 と い う 戦陣 訓
員
ラ の班 長 会 議」 (坂 手 洋 二
に 支 配さ れ た 捕虜 は 、 い わ
乙 の悲 惨 な 事 件
坂手 は、
け に 蜂 起し た 。
作 ・ 演 出) は 乙 の 「カ ウ ラ
徴 が あ る 。第 一 に 、 収 容 所
カ ウ ラ 事 件 に は こ つ の特
ば 死に 場所 を求め るため だ
い 選 択 を 自ら 行う よ う に 私
ら みが 、 本 当 は 望 ん で い な
手前中央=杉山英之、手前向かつて左=城田将
志、手前向かつて右=猪熊恒和。古元道広撮影
事 件 」 を 題 材に し て い る 。
捕 虜 暴 動 に いま を 重 ね
演劇
旗
しんぶんJ一
堅
一一
2013年3月20日鑑聖日)
(9)