早稲田大学 人間科学部 世界史 講評 出題形式 試験時間 特徴・その他 マークセンス方式 60分 全問選択問題。大問5題、問題総数は49問。ここ数年47問と48問を推移していたので 微増。昨年、2009年以来久々に復活した地図問題は姿を消した。そのかわりに2013年 以来出題されていなかった図版が復活した。全体として今年も昨年並みの難易度とい える。 〔大問別講評〕 番号 出題内容 コメント Ⅰ 古代オリエント・メソポタミア 設問X A-dの「ウルナンム法典」は細かい。 標準 山川用語集の新旧版とも項目にはないがウル (一部やや難) 第三王朝の説明文には登場している。B-aの ハットゥシャはヒッタイトの都の当時の名称。 現在の地名はボアズキョイでこちらの方が一 般的である。C-d「海の民」は頻出事項。ただ、 その役割や実態については諸説がある。D-b 「ギルガメシュ叙事詩」は洪水伝説の原型とし て有名な存在である。E-d「ジッグラト」も簡 単だが、そのジッグラトをモデルにした旧約の 中の建築物が「バベルの塔」であり、語群中に並 置してあるので考えすぎない方がいい。 設問Y ①-b「川と川の間の地域」は基礎的 事項。この種のカタカナ語句は何語でなんとい う意味かおさえておきたい。ちなみにメソポタ ミアはギリシア語である。②-aは細かい出題 である。アッカドは「南メソポタミアの北部」か ら台頭した。bのサルゴン1世は前21世紀では なく前24世紀が正しい。dのウル第3王朝は今 年の文化構想学部でも出題されていた。③のミ タンニは北メソポタミアを支配した王国。cの マルドゥクはバビロンの守護神である。④-a は中王国ではなく新王国が正しい。⑤-cのピ ンダロスではなくヘシオドス(『神統記』)が正 しい。 Ⅱ 1929年~1956年の東アジア 設問X (1)-bはいわゆる第一次上海事変 (1932年1~5月)。それ以外は非常に選びやす い。 設問Y ①-(エ)は文章自体は正しい内容だ が、「世界恐慌時における各国の政治経済政策」 ではないので誤りとなる。②-(ア)は英独海軍 協定(1935年6月)の内容。(イ)が正解。(ウ)は ワシントン海軍軍備制限条約(1922年)の内容。 (エ)はヴェルサイユ条約(1919年)の内容とほ ぼ一致。(オ)は不戦条約(1928年)にあたる。 1/3 難易度 標準 (一部易) 番号 出題内容 Ⅱ コメント 難易度 ③-(ウ)は信託統治ではなく委任統治が正し い。④-(イ)は平和十原則(1955)年ではなく前 年の平和五原則が正しい。⑤-(エ)は「北樺太」 が誤り。「南樺太」が正しい。 Ⅲ 百年戦争関係史 設問X A-c「エドワード3世」とB-「カレ ー」は基礎的内容。Cのテューダー朝成立の年 代(1485年)も自信をもって選択したい。 設問Y ①-aの自由7科の上級4科には「物 理」はなくかわりに「音楽」がある。②-cのシ ャルル9世の母后はカトリーヌ=ド=メディ シスが正しい。サンバルテルミの虐殺(1572年) のを画策した人物である。③-bはヘンリ1世 ではなくヘンリ2世が正しい。④-cのジャッ クリー(1358)年は貴族ではなく農民の反乱で ある。⑤は選びにくい。そもそもこうした文化 人をその活躍した時代にからめた問題は難問 になりやすい。ブリューゲルとホルバインが16 世紀とわかれば二択に追い込める。そしてデュ ーラーは15世紀後半で正解はファン=アイク 兄弟となる。⑥は年代を全部忘れていても、直 接関係した人物さえわかれば正解できる。ヘン リ8世(国王至上法)→エドワード6世(一般祈 祷書)→メアリ1世(カトリック復活)→エリザ ベス1世(アルマダ海戦)である。 標準 (一部やや難) Ⅳ モンゴル帝国・元関係史 設問Xの空欄補充はすべて教科書レベルであ る。全問正答したい。 設問Y ①-bの燕雲十六州は「後梁」ではな く「後晋」が正しい。cの「猛安・謀克」は遼では なく金の制度である。dの澶淵の盟(1004)での 宋と遼の関係は宋が兄で遼が弟である。②はキ プチャク=ハン国建国(1243)が一番早いとわ かると簡単だがそうでないと厳しい。マルコ= ポーロはフビライに17年間つかえたが、その間 に二回の日本遠征もあった。③のフラグ関係は aの内容が正しいことは疑いない。④-dの李 贄(李卓吾)は明代の思想家。⑤のaは契丹文 字、bは女真文字、dは西夏文字。パスパ文字 はインド系のチベット文字をベースにしてい るので外見からみても漢字系の文字とは異質 である。 標準 (一部易) Ⅴ ウイーン体制関係史 設問Xの空欄補充はすべて教科書レベルであ る。全問正解したい。 標準 2/3 番号 出題内容 Ⅴ コメント 難易度 設問Y ①はエジプト遠征(1798~99)とアウ ステルリッツの戦い(1805年12月)の前後がわ かれば二択となりときやすい。②-dの三月革 命時のメッテルニヒは英に亡命が正しい。1848 年~49年には各国から英、とくにロンドンに亡 命者が流れ込んだ。③-bは一見すると難問に 思えるが、神聖ローマ帝国がハンガリーやチェ コといった東欧のオーストリア領をも含んで いたのに対し、ドイツ連邦はドイツ圏しか含ん でいないことから正解できる。また、教科書の ウィーン体制の地図を想起しても簡単に答え られるだろう。④-dのポーランド立憲王国の 国王はロシア皇帝が正しい。dは「大ドイツ主 義」ではなく「小ドイツ主義」が正しい。 〔総合コメント〕 設問Xの空欄補充問題には易しい問題が目立つ。ここでは絶対に取りこぼしはゆるされない。設問Y の正誤判定問題は難易さまざまだが、一文字だけで正しい文章になるようなものが意外にある。あわ てずに間違いを読み飛ばさないように気を付けたい。年表完成問題は面倒なように見えてもすぐに四 択を二択に絞れる場合がほとんどである。二択にしておいてからじつくり考えられると楽である。今 年は地図問題が消滅したが復活の可能性は高い。図説とあわせて教科書に載っているものは入念にチ ェックしておきたい。得点しにくい問題には、用語集の説明文の中の語句をいじったものがある。ま た、「自由7科」のように事項が羅列してあるものも要注意である。学習というか記憶する側からいえ ば面倒極まりないが、面倒そうな箇所を聞くのが入試でもある(とくに難関私大の正誤判定の場合 は)。教科書・用語集(山川の場合は新旧両版)を徹底的に隅々まで学習すれば高得点は確実となる。 3/3
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