近現代史(60)「第三世界の連帯とアフリカ諸国の独立」 〇今回のポイント

近現代史(60)「第三世界の連帯とアフリカ諸国の独立」
〇今回のポイント
東西両陣営に属さず自立を強めて第三勢力を形成しようという潮流が生まれたが、アフリカでは独立後も経済的
には自立が出来ず従属国となる地域も多かった。
(1)[1.
]とは何か?
第三勢力
国際政治の中で、米ソ二大陣営のいずれにも与せず、積極中立を主張した勢力。1950 年代後半、インドを先頭
とするアジア・アフリカの新興諸国が中心となり、反植民地主義・平和共存を主張した。
(2)第三勢力の形成
①[2.
](1954 年 4 月)
コロンボ会議
・[3.
]のコロンボで開かれたインド、インドネシア、スリランカ、パキスタン、ビルマ 5
スリランカ
か国の首脳会議。インドシナ戦争の早期解決、核兵器の使用禁止、中国の国連加盟、アジア=アフリカ会議
開催などを宣言。
②[4.
](1954 年 6 月)
ネルー・周恩来会談
・インド、中国間で行われた会談で、5 つの外交上の原則を定めた。
・[5.
]…(1)領土保全と主権の尊重、(2)相互不侵略、(3)内政不干渉、(4)平等と互恵、
平和五原則
(5)平和的共存
③[6.
](1955 年 4 月)
アジア=アフリカ会議
・インドネシアの[7.
]で開かれた史上初のアジア、アフリカの首脳会議。
バンドン
・29 か国からの首相の参加を得て、平和十原則を発表し、反植民地主義・平和共存などの理念を強く打ち出
した。
‣[8.
平和十原則
]…(1)基本的人権と国連憲章の尊重、(2)主権と領土の保全、(3)人種と国家間の平等、
(4)内政不干渉、(5)自衛権の尊重、(6)集団防衛の排除、(7)武力侵略の否定、(8)国際紛争の平和的解決、(9)
相互協力の促進、(10)正義と義務の尊重
④[9.
](1961 年)
非同盟諸国首脳会議
・ティトー、ナセル、ネルーの呼びかけで、ユーゴスラヴィアの[10.
ベオグラード
]で開催。
・アジア、アフリカ、ラテン=アメリカの 25 か国と 3 オブザーバーが参加。
・平和共存、民族解放闘争の支持、外国の軍事基地の一掃、新旧植民地主義反対を宣言。
(3)アフリカ
①エジプト:第二次中東戦争(1956)とアラブ民族主義の勝利
a) [11.
]の積極的中立外交
ナセル
・エジプト革命で王政を倒した自由将校団のナセルは積極的中立政策を展開するが英米の反発を受け[12.
アスワン=ハイダム
b) ナセルの[13.
]の資金援助を中止されてしまう。
スエズ運河国有化
]。
・激怒したナセルはスエズ運河国有化宣言をするが、イスラエルと英仏が軍事行動を起こし[14.
中東戦争
第二次
]に発展する。
c) ソ連とアメリカの撤兵勧告
・ソ連のフルシチョフは同年の[15.
ハンガリー反ソ暴動
]で国際的非難を受けていたので、これ
を逸らすためにナセルを支援して撤兵を勧告。
・米の[16.
アイゼンハウアー
d) ナセルは政治的に勝利し、[17.
]は NATO 盟主なのに事前に相談を受けなかったので激怒し撤兵勧告。
アラブ民族主義
]が昂揚。エジプトは指導的地位を確立。
②仏領北アフリカ
a)[18.
]独立(1956 年 3 月)
モロッコ
・仏領モロッコが西領モロッコを併合、王国となる。
b)[19.
]独立(1956 年 3 月)
チュニジア
・独立後、王制廃止を宣言して共和政へと移行。
c)[20.
]独立(1962 年 7 月)
アルジェリア
・1954 年インドシナの独立を認めたフランスは地下資源が豊富で多額の投資をしていたアルジェリアを維持
しようとしたが、民族解放戦線(21.
FLN
)との戦いが泥沼化した。62 年ド=ゴール政権と[22.
エ
]が結ばれ独立。
ヴィアン協定
③ガーナ独立(1957 年 3 月)
・指導者は[22.
④[23.
]。サハラ以南における最初の自力独立の黒人共和国となる。
エンクルマ
]
アフリカの年
・1960 年のこと。17 の新興国がいっせいに独立したのでこう呼ぶ。
⑤[24.
](OAU)
アフリカ統一機構
・1963 年 5 月エチオピアの[25.
アディスアベバ
]でアフリカ諸国首脳会議が開かれ、アフリカ統一機構
(OAU)を結成。アフリカ諸国の統一と連帯の促進、生活水準の向上、植民地主義の一掃、国連憲章の尊重など
を目指す。2002 年には[26.
アフリカ連合
](AU)となった。
⑥独立後のアフリカ問題点
a)[27.
・[28.
]植民地
ポルトガル
]独裁政権は植民地体制の維持を目指し、アンゴラ・モザンビーク・ギニアビサ
サラザール
ウを支配下にとどめる。独立を達成するのは 1974 年に軍事クーデタにより独裁体制が倒されてから。
b)[29.
]
コンゴ動乱
・独立直後のコンゴ全土で反白人暴動が発生。経済的利権の維持をねらう[30.
資源の豊富な[31.
]を分離独立させるために軍事介入。アメリカも分離独立派(モブツ
カタンガ州
派)を支援して武力介入。激しい内戦となり、コンゴ独立運動の指導者[32.
‣cf.[33.
新植民地主義
]は重要鉱物
ベルギー
ルムンバ
]は殺害された。
]…旧来の政治・軍事支配を避けて、経済支配を維持して実質的な支配を
続けようとするもの。先進国の多国籍企業が開発途上国に進出し、莫大な利益を得続けている構造。
コンゴは地下資源に恵まれ戦略的要地でもあったので多くの欧米諸国の介入を受け、新植民地主義に
翻弄された。
c)経済的な問題
・新興独立国の経済は、植民地保有国の経済的利益に沿って開発されてきたので自立の基盤が弱い。
・交通網、電気、水道などの社会的[34.
インフラストラクチャー
]や教育、医療などの社会制度がほ
とんど整備されていない。
d)独立はしたけれど・・・
・[35.
軍事独裁政権
]…独立後の政治、経済は不安定で部族主義の対立による内戦やクーデタが頻発。武
力により支配を行う政権が諸地域で登場。
・先進国の援助に依存…新興独立国家当初の勢いは喪失。先進国の援助による近代化を目指す。