カトリック研究講座・「遠藤周作における人生観」 概略 ・文学作品は、作家

カトリック研究講座・「遠藤周作における人生観」
サクラファミリア・2011 年 7 月 12 日・19 日・26 日
①
概略
・文学作品は、作家なしには存在しない。作家の伝記の重要性。
・「I-novel」、日本文学の伝統では、「私小説」となる。
・この伝記において、遠藤の人生におけるもっとも重要な転機を強調してとりあげる。
・日本人・キリスト教徒。
・遠藤周作の最初の裏切りの感覚からはじまる。
・第 2 の転機:3 年間にわたるフランスへの留学である。
・3 回の肺の手術をともなった2年半にわたる入院生活。
・苦しみに対処することをおぼえ、苦しみの救いへの効果を直感的に感じ取った。
・「沈黙」(1966 年)。
・「沈黙」の出版からはじめ「侍」までつづく。
・仏教とユングの深層心理学。小説「スキャンダル」。
・彼の最後の小説「深い河」。
・神の力の普遍性は、それが異なった宗教で働いているものとして描かれる。
1.「似合わない洋服」
・遠藤周作は 1923 年 3 月 27 日に東京の巣鴨で、次男として生まれた。兄は 2 歳。
・1926 年に父は満州の大連に転勤し、家族もこの遠い地へ移った。
・4 つの痕跡:外国人との接触、軍人たちの有様、犬への深い愛着、両親の離婚。
・「外国宗教」の信者になり、全生涯にわたる葛藤の象徴的な原因となる。
・軍人たちも後に戦争の時代の日本における強いいイメージとなる。
・犬への愛着は彼の孤独の結果であり、両親の離婚と結びついている。
1.1 裏切りと弱さ
・犬への愛着。両親の仲が悪くなって、クロが腹心の友となる。
・クロの目 → イエスの目。犬と他の動物の目:1965 年に出版された短編集『哀歌』。
・裏切り:①母、②犬クロ。彼は罪と裏切りの感覚を克服できなかった。
・『イエスの生涯』(1973)を書き、聖書ですべての弟子がイエスを見放し裏切った。
・良心の痛み → 隠れキリシタン。
・裏切り → 弱者と結び付けており、彼の作品のもうひとつの重要なテーマとなる。
・ふたつの違った意味での弱さ:①『沈黙』(1966)のキチジローのような卑怯者の弱さ。
②イザヤ書のようにいじめられている無垢の者、例えば、小説『深い河』
(1993)の大津。
1.2「似合わない洋服」を与えられる
・神戸の母の姉の家に落ち着く。
・カトリック夙川教会に所属で洗礼をうける(1935 年 6 月 23 日)。
・合わない服を着せられるようなものだった。
カトリック研究講座・遠藤周作における人生観
サクラファミリア・2011 年 7 月 12 日・19 日・26 日
①
・「まともな信者」にくらべて、この「合わない服」は彼に劣等感をうみだした。
・慶應義塾大学で Fran ois Mauriac (モーリアック、1885-1970)や Georges Bernanos (ベルナ
ノス、1888-1948)その他のフランスのカトリック作家を中心にフランス文学を勉強する。
・これらのカトリック作家の影響が明らかに見られる。
・「洋服」を日本の宗教的・文化的伝統のきものに適合させるのが彼の仕事。
1.3 劣等感
・「まともな信者」とよぶ人々と比べたときの遠藤周作の劣等感。
・カトリックの作家の問題や困難さについて、Jacques Maritain (1882-1973)や Charles du Bos
(1882-1939)のようなフランスの作家に精神的支えを求めた。
・勉強の難しさと子供時代から大学の時代まで続く成績の悪さ。
・学校の同級生、教師、家族の友人は彼を馬鹿だと思っていた。母は、彼は話がうまいか
ら小説家になるべきだとも言う。
1.4 学問面での苦闘
・1942 年から 1943 年に遠藤周作は大学入学試験に失敗。
・結局、彼は慶応大学に入学する。
・父が指示した医学部に行くことを拒否したため、勘当され父の家を追い出される。
・Jacques Maritain (1882-1973)の弟子のカトリック哲学者の吉満義彦(1904-1945)の学生。
・1945 年に徴兵検査に合格するが、肋膜炎のために入営は延期される。
・小説『満潮の時刻』(1965)。
1.5 ひとすじの光
・慶応大学で安岡章太郎と知り合いになり、日本の文学界を知るようになる。
・1947 年に、雑誌「四季」にエッセイ「神々と神と」を掲載し、「三田文学」に「カトリ
ック作家の問題」を発表する。
・1948、慶応大学を卒業する
・1949 年に三田文学のメンバーになる。それによって日本文学界の代表的な人物と知り合
うことができる:丸岡章(1907-1968)、原民喜(1905-1951)、山本健吉(1907-1988)、
柴田錬三郎(1917-1978)、堀田善衛(1918-1998)等々。
・遠藤周作は 27 歳になっており、作家としての登場の基礎はすでにととのっている。
2. フランス留学(1950-1953)
・遠藤周作が戦後最初の外国留学生としてフランスに行ったのは 1950 年の 6 月。
・彼はフランスでの滞在について、『フランスの大学生』(1953)。
・①西洋文化を理解したような印象。②言葉に「裏」の意味があるために理解できない。
2
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③理解するのは不可能だろうという結論。
・もっとも困難な時期は 1951 年から 1952 年にかけて。
2.1 違いの経験
・フランソワ・モーリアックの深い影響。
・キリスト教徒へのなりかたが似ている。しかし、モーリアックはキリスト教世界の読者
に向かって作品を書き、遠藤は、大部分の読者がキリスト教徒ではない国に属し住んで
いる。
・東洋と西洋の問題、同時に日本人でありキリスト教徒であり作家であるという問題。
2.2 距離感
・距離感と言う場合の距離:①「ヨーロッパと私」、②「キリスト教のヨーロッパと私」、
③「キリスト教文学と私」、④「日本と小説家を目指す若い文学学徒である私」の間。
・罪の意識の問題。『白い人』と『黄色い人』(1955)から『海と毒薬』(1958)までに描
かれた欲求不満から、罪の意識へ、『沈黙』(1966)へ到達。
・母の突然の死にショック。
・「海と毒薬」の改訂(1958)の後、2 年半続く入院。3 回の肺の手術。
3. 苦悩と救済
・
『サド伝』の資料を集めるために 1959 年から 1960 年にかけてフランス、イギリス、イタ
リア、スペイン、エルサレムを旅行したあと、入院しなければならない。
・1965 年と 1966 年の間に書かれた小説「満潮の時刻」
:病院での経験についての私小説。
・佐藤泰正が指摘しているように、遠藤が踏み絵のテーマと 17 世紀にあのように多くのキ
リスト教徒に棄教を余儀なくさせた歴史的・情緒的な状況に特別に興味を持つようにな
ったのは、入院の時期からである。
・小説『沈黙』の心理的な準備。
3.1 苦しみの神秘
・誰でもその人生のある時期に神あるいは仏の存在に疑問を持つ。問題が生じた時に宗教
が生まれる。
・なぜ穢れない子供が苦しみを受けるのか?これらは、遠藤周作がこの小説の主人公であ
る明石を通じて示した疑問である。
3.2 救いのしるし
・遠藤周作が戦争で死んだ友人たちのことを考えるとき感じる良心の呵責。手術の苦痛と
死の危険をともなう。病院でのこの苦痛は、良心の呵責からの解放の手段。
・もう一つの救いのしるしは、2 重のイメージと踏み絵とのつながりを持つ目に関連して
いる。愛で照らされた悲しみの目である。この目は、踏み絵の上のイエスの目。
・死んだ鳥の目、クロの目、踏み絵のキリスト像の目。長崎へ行き踏み絵を見る。
・鳥の身代わり。
3.3 入院の後
・弱い人間の苦しみを理解する。
・結核の苦痛に満ちた経験の後、彼は、その作品にこれまでとは違った人物を登場させ始
3
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める。
・東洋と西洋の間の深い溝の状況を新しい目で見るようになる。
・日本人にもキリスト教徒になる可能性があると結論づける。そのためには、この心の中
に隠された宗教性とは何かをつかむ必要がある。
4. 新しいキリスト像
・はじめに要約的に述べておこう。遠藤周作はキリスト教を棄てる事はできなかった。な
ぜならキリスト教は子供の頃から血の中にあったからである。しかし同時に、日本人で
あるために彼は距離感に悩んだ。この感覚が、『黄色い人』、『海と毒薬』、『留学』
などの小説の源であった。彼は、踏み絵との精神的な「出会い」という経験をしたが、
それが彼の作家としての仕事、信仰、キリスト教の概念の転機となった。
・彼が長崎へ行き国立歴史博物館で踏み絵を見たとき、ひとつの疑問が心にうかんだ。17
世紀の迫害の時期のキリスト教徒が出会ったとおなじこのような状況に出会ったら自分
はどうするだろうか?踏み絵を踏みつけるだろうか?「もちろん決定的なことは言えぬ
が、私のようなぐうたらは踏んだであろう」。この考えが、長編小説『沈黙』の創作の
出発点のひとつである。
・彼は、踏み絵の上のキリストの顔に強い印象を受けた。悲しげな目は彼に踏みつけるよ
うに言っているように見えた。そうであるのは、イエスは弱者の心の辛さや彼の顔を踏
みつける者の足の痛みを誰よりも良くわかっていたからである。このことは、小説『沈
黙』のなかにはっきりと描かれている。作者は、この小説をもって作家としての仕事の
最初の局面、東洋と西洋の間の距離感の局面を終え、文化的精神的世界を調和させ心を
静めるために新しいキリスト像を創り出す第 2 の局面をはじめた。
4.1 「沈黙」から「死海のほとり」へ
・日本人の考え方に適合するであろうキリスト像を創り出したいと一貫して考える。
・
「父なる宗教」から「母なる宗教」への転換の見透かし。この母なる宗教の概念は、『死
海のほとり』(1973)と『イエスの生涯』(1973)で最も強くあらわされている。
・新しいキリスト像の 3 つの基本的な特徴:①母性的な包容力、②同伴者、③無力。すで
に『おバカさん』(1959)、『わたしが・棄てた・女』(1964)の登場人物を通じて間接
的に導入され、『死海のほとり』と『イエスの生涯』でさらに展開される無力さという
特徴。
・
『沈黙』から『死海のほとり』までは 7 年間。母なる宗教のテーマの一貫した追求によっ
て、『沈黙』の登場人物が感じた母性的イメージは『死海のほとり』でよりはっきりと
あらわれてきている。
4.1.1 母性的感覚
・
『死海のほとり』と二つのイエス・キリストについての批評的伝記『イエスの生涯』と『キ
リストの誕生』
(1978)で母性の神学。しかし、『沈黙』の後 3 年以内に重要な短編『母
なるもの』。
・作者は、母性的宗教としてのキリスト教の概念を展開する。
・「西洋的宗教」と日本のあいだに橋をかけるみちを見つけ始めたのである。
4.2 弱さ
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・弱さは、遠藤周作の人生と作品に繰り返しあらわれるテーマである。
・小説『おバカさん』:ガストン → 無垢の僕。
・『わたしが・棄てた・女』:ミツ → 無垢な僕。
4.3 同伴者
・『沈黙』。イエスのイメージを変えることの必要性。
・苦しみにつきそう同伴者、痛みの共有、人は一人だけで苦しむのではないという自覚。
・同伴者と日本語「同行二人」。
・『沈黙』の後、大きな転機をともなう 7 年間が続く。『沈黙』(母なる宗教と弱き者の救
済)の後、『イエスの生涯』と『死海のほとり』(同伴者としてのイエス)を創作する。
・そして、7 年後に、『侍』(伝統的な日本人の同伴者として特定された同伴者)
・
「似合わない洋服」は、最終的に新しい形をとり、日本人としての彼のものであるキリス
ト教になる。
・
『侍』のほとんど終わりの方で、主人公の長谷倉が死に直面したとき、彼の忠実な従者は,
謎のようなことを言う。「ここからは…あの方が、お供なされます」と。
・
『侍』において、『沈黙』で始まった遠藤の日本人とキリスト教徒という 2 重の存在の折
り合いをつけることがかなったのである。
5. 深層心理学と老年
・最後の長編小説『深い河』(1993)。
・フランス留学の間に関心を持っていたこと、人間の深層における分身の形の無意識と悪
のテーマ。これは、1986 年に出版された長編小説『スキャンダル』
(1986)で扱われる。
5.1 分身と老年の苦悩
・1980 年代の間、Sigmund Freud と Carl Gustav Jung の研究。同時に、仏教と無意識の現象
を研究。
6. 普遍的な力として神を感知する
・1989 年 12 月に父が 93 歳で亡くなると、彼の家族で残るのは彼だけになる。
・健康状態は悪化していく。
6.1
人生の河
・1994 年の 1 月に、遠藤周作は小説『深い河』に対して毎日芸術賞を受賞する。
・
『深い河』は、作者の持つ葛藤や問題のいくつかをまとめており、なかでも、最も重要な
のは、普遍性の問題と復活とその生まれ変わりとの関係という面倒な問題である。
・まったく異なった性格を持つ異なった登場人物たちが、ここではインドのヴァラナシの
偉大な母たるガンジス河によってあらわされる同じ命の河に流れ集まっていくことを描
いている。ここが、キリスト教、ヒンズー教、仏教が出会う場所である。
6.2
存在に対する働きとしての神
「悪の中にも罪の中にも神の働きがあるということを言っておかなければなりません。ど
んなものにも神の働きがあるということです。病気でも、物欲でも、女を抱くことにでも
神の働きがあるということを、小説を書いているうちに私はだんだん感じるようになりま
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①
した。神は存在じゃなく、働きなのです。」
・
『私にとって神とは』
(1983)
:作者は、神は目に見えない動きであり人生における眼に見
えない働きかけである。
・神の存在は、「働き」によってわかるのである。この働きが我々の人生を後ろから押し、
人生のそれぞれの瞬間をもたらしているのである。
6.3 光の終息
・1995 年 4 月に三田文学の会長の任期を終わった直後に映画『深い河』の公開と同時期に
入院する。
・1995 年 9 月に、脳出血のために順天堂大学病院にふたたび入院する。
・1996 年 4 月に腎臓の治療のために慶応大学病院に入院する。9 月 29 日に肺炎のため亡く
なる。10 月 2 日に東京麹町のセント・イグナティウス教会で葬儀が営まれる。そして、
府中のカトリック教会の墓地の遠藤家の墓に埋葬される。
7. まとめ
日本人は悪と罪についての極端な考え方を嫌い、一般に神の問題について無関心であ
る[…]。彼らは三つのことについて無関心である。神について、罪について、死につい
て。
Francis Mathy は、ここで神に対して、罪に対して、死に対してという三つの日本人の無
関心を数え上げている。遠藤周作は、日本人としてそのような特徴をその血のうちに持っ
ていた。そして、異なった血液型から輸血を受けることは困難である。ところが、彼は、
母が彼を洗礼させることによって与えた«洋服»によって輸血を受けた。これが、彼のすべ
ての戦いのよってきたるところである。彼がカトリック教徒になったということから、彼
の人生のすべてが観察され評価されるべきである。最初の 30 年間は、東洋と西洋のあい
だの深い溝、一神教と汎神教のあいだの亀裂、裏切りの問題に没頭した。フランスでの 3
年間で、東洋と西洋の対立は罪の意識の有無によることがわかる。ついで、日本に戻って、
つらい病気の時期を過ごしたが、それは、精神的純化と新しい段階への準備の時期であっ
た。西洋のキリスト教的伝統に直面した日本人らしさに関する問題は、新たな深みに達し
た。問題は、苦しみ、死、神に向かってさらに進んだ。さらに、遠藤は、キリスト教を日
本の宗教的・文化的基礎に適合するようにするやりかたがあることがわかり、新しいキリ
ストのイメージを作り始めた。この新しいキリストのイメージは新しい普遍性の性質を持
ち、人間の心の中で働き、人生を突き動かす力となるものである。
東洋と西洋の対立、裏切り、罪の意識、悪、人間の心における無意識の悪意、弱者の
救済、母性的な宗教に向かうキリストの新しいイメージ、苦しみと救い、身代わり、働き
としての神。こうした事柄は、遠藤周作の小説にくりかえしあらわれるテーマである。
Adelino Ascenso
アシェンソ・アデリノ
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