「水の翼」を読む

「水の翼」を読む
春風に誘われて恋愛小説を読む。
小池真理子著「水の翼 」(幻冬舎)である。これまで、小池真理子さんの作品など、つ
いぞ手に取ったこともなかった。しかし、この「水の翼」には、大変な感銘を受けた。た
いした筆力である。
紗江という主人公を中心に登場人物の微細な心のゆらめきが、活写されている。心憎い
ばかりである。
加えて、物語の背景となる1970年代の仙台市、伊達政宗の霊廟のある青葉山のふも
と霊屋下(おたまやした)の四季折々の情景が実に美しい。
木口木版画という独特の「美の世界」を描いているが、登場人物の声の響き、息遣い、
瞳の動きの間に、さりげなくちりばめられるのは、木々の緑であり、大木を揺する風の音
であり、雨の粒である。これら自然の移ろいが、一つのトーンとなって、作品全体の美し
さを形成している。
小説家の筆の動きとはすごいものだと改めて感服した。
構成の巧みさにも感心した。
第一章に入る前に、わずか5ページ程のプロローグともいうべき章がついているが、こ
れは、実はエピローグにもなっている。終章まで、読み了えた読者は、きっと、また、1
ページに返って、物語の余韻を楽しむに違いない。そのようにできている。私も、そうし
た。
プロローグにある5月7日の墓参はなぜなのか、なぜ女の左足がほんの少し不自由なの
か。なぜ「片隅の小さな石を振り返り、女は軽く目を細め」るのか、もう一度立ち返るこ
とによって、読者は深い感慨にひたることができる。
「水の翼」は、美に殉ずる男たちを愛した女の物語である 。「美」の純粋さ、そして、
それ故に伏在する魔性のようなものに触れる物語である。
作者は、若き天才的木版画家の最後の手紙に語らせる。
「闇や氷や苦悩や不遇、邪悪さの中にさらされ、抵抗しつつ毒を発酵させ続けてこそ、
美はそこに、不吉な天使の顔をした神聖な悪魔を宿らせるのです」と。
数日後に届いたある旅行社のPR誌に、偶然に日野啓三氏が書いている。
「美は必ずしも客観的ではない。美しさの奥行きをつくるのは、見るもの自身の魂の陰
影である 。」
はたして、我に「魂の陰影」ありや。
教育長だより第6号
平成11年
3月15日発行