第36回全国中学生人権作文コンテスト奈良県大会 - 法務局

人権イメージキャラクター
人KENまもる君
主
催
人権イメージキャラクター
人KENあゆみちゃん
奈 良 地 方 法 務 局
奈良県人権擁護委員連合会
は
し
が
き
法務省と全国人権擁護委員連合会では,次代を担う中学生の皆さ
んに人権問題に関する作文を書いていただくことを通じて,人権尊
重の大切さや基本的人権についての理解を深めるとともに,豊かな
人権感覚を身につけていただくことを目的として,昭和56年度か
ら「全国中学生人権作文コンテスト」を実施しています。
奈良地方法務局と奈良人権擁護委員連合会においては,本年度,
奈良県教育委員会,奈良新聞社,奈良テレビ放送及びNHK奈良放
送局の御後援をいただき,本コンテスト奈良県大会を実施いたしま
したところ,県内54校から13,867編の応募がありました。
応募作品の内容としましては,「子どもに関する問題」,「高齢
者に関する問題」,「障害のある人に関する問題」,「外国人の人
権問題」,「戦争や平和に関する問題」など多岐にわたっています
が,中でも「子どもに関する問題」をテーマにする作文が応募総数
全体の29.7%を占め,このうち,「いじめ」に関する作文が,
20.1%と最も多くなっています。
いずれも,中学生の皆さんが日常生活の中で体験したことや見聞
きした中から人権問題を敏感に察知し,問題に真剣に向き合って,
その解消を図ろうとする意欲が強く感じられるものばかりで,深い
感銘を受けました。
この作文集には,本コンテスト奈良県大会における優秀作品6編
を収録しています。この貴重な作品を少しでも多くの方々に御愛読
いただき,人権尊重の輪が大きく広がる一助になることを願ってや
みません。
終わりに,本コンテスト奈良県大会の実施に当たり,熱意を持っ
て応募された中学生の皆さんを始め,御指導,御協力いただきまし
た先生方及び関係機関の皆様方に対しまして,心から感謝申し上げ
ます。
平成28年12月
奈 良 地 方 法 務 局 長
奈良県人権擁護委員連合会長
藤
布
井
施
昇
正
平
保
目
次
【最優秀賞】奈良地方法務局長賞
い
天
と
理
中
学
校 3年
伊
「ヘアドネーションを通して」
う
藤
さゆり
…………
1
…………
3
…………
6
…………
9
【最優秀賞】奈良県人権擁護委員連合会長賞
お お え だ
橿原市立橿原中学校
「未来を担う宝物」
2年
大
枝
り
な
里
奈
【優秀賞】奈良県教育委員会教育長賞
い り ぐ ち
平群町立平群中学校
「人生の山場」
3年
入
口
あ
き
明
と
大
【優秀賞】奈良新聞社賞
ひ
ら
い
斑 鳩 町 立 斑 鳩 中 学 校 3年
平 居
「障害者殺傷事件について考えたこと」
よ
う
容
た
大
【優秀賞】奈良テレビ放送賞
もり
橿 原 市 立 白 橿 中 学 校 3年
「私のクラスメイト」
り よ う ま
森
龍
馬
…………12
【優秀賞】NHK奈良放送局賞
た
智辯学園奈良カレッジ中学部
「命の扱い方」
1年
田
な
か
す
仲
涼
ず
の
乃
…………14
奈良地方法務局長賞
「ヘアドネーションを通して」
天理中学校
伊藤
3年
さゆり
私はこの春,髪をばっさり切りました。おへそくらいまで伸ばしていたので
すが,あごに届かないくらいまで短くしました。友達からも驚かれましたが私
はとても嬉しい気持ちでした。それは,私の髪を「寄附」したからです。病気
で髪の毛が抜けてしまった子どもに,元気な人が髪を切って提供し,かつらを
作る。その活動を「ヘアドネーション」というそうです。
私が髪を伸ばし始めたのは,単に自分がロングヘアに憧れていたからでした。
でも,ある時テ レビ番組の特集でこのヘアドネーションを知り,「ちょうどい
いやん」というくらいの気持ちで人毛のかつら提供を目指し始めたのですが意
外とこれが大変でした。毎日髪を傷めないようにトリートメントをしたり,ブ
ラッシングをしたり。それから一番心配だったのが,ヘアドネーションとして
髪を提供するには最低でも三十一センチ必要だという事でした。私は几帳面な
性格ではないので,毎日の髪のケアを続けていけるか不安だったのです。けれ
どそんな時,別の番組でヘアドネーションが詳しく紹介されているのを見まし
た。その番組は,実際に髪を提供した人やされた人に話を聞くというものでし
た。そこで私が驚いたのは,かつらの提供を待っている人がたくさんいること,
そしてその中には私と同年代の女の子たちがたくさんいるということです。番
組でインタビューに答えていた私と同じ十四歳で中学三年生の女の子Aさん
は,白血病と戦いながら学校に通っています。抗がん剤治療の副作用で髪を失
ってしまい,初めは化学繊維で作られた人工のかつらをつけて学校に行ってい
ました。ですが,ある日Aさんが登校していると,髪が風に吹かれて形が崩れ,
- 1 -
元に戻らなくなってしまいました。Aさんは途端に悲しくなり,誰にも見られ
ないように公園で泣いたそうです。その日から自信が失くなり学校にも行けな
くなってしまいました。そんなAさんを見た彼女のお母さんがヘアドネーショ
ンの事を知り,人毛で作られたかつらの提供を頼んだそうです。そのかつらが
届いた時,Aさんは嬉し涙が止まらなかったと言います。自分の事を心配して
くれたお母さんへの感謝,また学校に通える喜び,そして髪を提供してくれた
ドナーの人々の 善意のありがた さで,胸がいっぱいになったそうです。「これ
からはたくさん おしゃれを楽しみたいです。」と笑顔で話す彼女を見て,私は
髪を伸ばし提供する決心をしました。
女性にとって髪というものは本当に大切です。特に私たちのような思春期の
女の子は,見た目をすごく気にするし,おしゃれも好きです。なのに,病気で
髪がなく,そのため学校にも行けないなんて辛いし,悲しいです。けれど今回,
ヘアドネーションという形で,少しでも彼女達の役に立てて本当に嬉しく思い
ます。まだまだ髪のドナーは足りません。私の作文を通し少しでもこの活動が
広がっていき,一人でも多く病気と戦う子ども達が笑顔になる事を心から祈っ
ています。
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奈良県人権擁護委員連合会長賞
「未来を担う宝物」
橿原市立橿原中学校
2年
大枝
里奈
『 両 親 が パ チ ン コ に 夢 中 , 幼 児 す い 弱 』,『 全 身 あ ざ だ ら け で , 頭 が い 骨 骨
折,重体。』など,ひんぱんにテレビや ,新聞のニュースでの報道を見る度,
胸がしめつけられる。
親 自 身 が 若 く ,「 遊 び に 行 き た か っ た 。」 ,「 泣 き や ま な い か ら イ ラ イ ラ し
た 。」など,身勝手な発言が発表される と,心底,なんてひどい親か,それで
も人間か,と強い怒りを感じる。
赤ちゃん,そして幼児は話せず,泣いたり,暴れたり,体で気持ちを表す。
それしか自分の感情を伝える手段がないからだ。力も弱く,身体も小さな,明
らかに抵抗ができない子供を相手に,感情のままに接し,傷つける大人。私は,
若い結婚,出産を反対しているのではなく,若くても,親になった以上は,親
としての自覚をもつべきではないかと思う。
言葉の暴力,さらには,身体への暴力,育児放棄,気付いてもらえず,命を
落とす何の罪もない子供達。周囲が気付いて通報,保護されるケースも度々と
いうが,親のウソを見抜くことができずに,助けられなかった命も残念だが,
あるという。
私は今,中学二年生になった。ある程度のことは,一人で身の周りのことを
することができる。でも,小さい頃はやはり,できない事もたくさんあり,周
りの大人や家族に助けられていた。
母は,私が小学二年生の時に仕事に復帰。我が家は,両親とも働く,共働き
家庭となった。三才違いの姉がおり,夏休みなどは,姉と二人,長い留守番を
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遊びながらしていた記憶がある。父方,母方の祖父母が共に遠方ということも
あり,学校が始まると帰る時間の違う姉が帰宅するまで一人で待たねばならず,
とても心細かった事を覚えている。
でも,夏休みなどは,手紙つきのお弁当が二つ,食卓テーブルの上に置かれ
ていて,学校のプールから帰ると姉と二人,食べるのが楽しみだった。寂しさ
も経験したが,常に何かしら,母の気持ちをお弁当と共にその手紙から感じて
いた。
そんな私も一度,夏の暑い日,熱中症で家で倒れていたことがある。母が帰
宅するとぐったり,リビングで倒れていたという。小さかった私は,暑い炎天
下の中,プールのため学校まで登下校,うまく水分補給ができず,帰宅後,意
識がもうろうとなってしまったのだ。一緒にいた姉は,ただ昼寝をしているだ
けと思い,“寝せておいた”という。母 は帰宅するなり,私の異変に気付き,
処置をしてくれ た。その時初めて母は,「仕事,辞めようかな,大事な里奈ち
ゃんだもんね。 何かあったら,ママ,一生後悔するわ。きっと…。」と考えこ
んでしまった。
イコール
私は幼いなりにも,母が仕事を辞める=家
にいてくれる,ということを理解し,少し嬉しい気持ちになった。でも,姉に
言われた。
「今回は気付かなくてごめんね。ママにお家にいてほしいけど,
働くママもかっこいいよね。里奈は今度,気分が悪くなったら,ガマンせずに,
私に言ったり,周りの大人に言えるよね。また二人で,頑張ってみない?」
私は,迷ったけれど,うん,とうなずいた。母は結局,今もその仕事を続けて
いるが,いつも,「ごめんねぇ。みんながいつも 協力してくれるから働けるわ
ぁ…。」と,バタバタと帰ってきては, 休けいもせずに夕飯の支度にとりかか
る。
体調の悪い朝や,雨の日の塾の送迎なども,できる限り車でしてくれる。た
まにある姉や私 の寝ぼうにも,時間があれば,(車の中で,ひとしきり,お説
教を聞かなければならないが…。)怒りながらも送ってくれる。
そんな母も,半年前,高熱で寝こんだ日があった。私が知る限り,母の初め
てのダウンだ。
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母は,病気にならない,いつも元気だ,と思って疑わなかった私は,深く反
省した。母だって,人間なのだ。それから二,三日は,父,姉,私と分担し,
何とか家事をやりくりしたが,母の仕事の多さに驚いた。そして,改めて母の
偉大さに気付いた。
子供は,成長する。できるようになっていく。手がかかるのは,一時のこと。
ぎゃく待をする大人は,未来のかわいい姿を想像してみてほしい。
生命の誕生はあたりまえでなく,奇跡と聞いたことがある。お父さん,お母
さんを選んで,生まれてくるという。
そんな小さな命,人として,生きる権利を,親の身勝手でうばってほしくな
い。
家族…私にとって大切なもの。命,人にとって,かけがえのないもの…。子
供,未来を担う,世界の宝もの…。
それを胸に,社会の皆で命を育んでいくべきだと私は思う。
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奈良県教育委員会教育長賞
「人生の山場」
平群町立平群中学校
3年
入口
明大
僕は,小学六年生の頃「いじめ」という壁に衝突していました。皆より話す
事が下手で見た目も悪かったから,きっといじめ易かったんだと思います。そ
の頃の僕は,「いじめ」なんて一度も真剣になっ て考えた事が有りませんでし
た。だから,いざ自分に降りかかってくると悔しいくらいに何もできませんで
した。そんな僕が面白かったのか,いじめはエスカレートしてゆくばかりでし
た。
例えば「学校へ登校した際に上靴が違う人の下駄箱に入れられている」とい
ういじめは,運動場の真ん中などに捨てられるようになりました。その他にも
机の中に悪口の書かれた手紙が入れられていたり,色んな人に僕の悪口や良く
な い 噂 を 言 い ,「 あ い つ と 関 わ る な 。」 と い う ク ラ ス の ル ー ル を 作 っ た り さ れ
ました。そんな事をされていくうちに僕は人を信じる事ができなくなりました。
「誰と,どれだ け仲良くしても 裏切られてしまう。だから友達はいらない。」
こんな言葉を盾にして,いじめから目を背け,人生からも目を背けるようにな
りました。
そんな僕にも少し楽しくなる事ができました。それは幼稚園の頃からグダグ
ダ続けていた空手でした。少しでも強くなれば,いじめが無くなるんじゃない
かーという一つの小さな小さな希望に縋っていられたからです。考えると,
「そ
んな希望,現実で起こるはずが無い」と,すぐに分かるようなものですが当時
の僕には大きな「生きる意味」になっていたんだと思います。だから僕は空手
を習わせてくれていた両親には,とても感謝しています。僕が唯一持つ命に代
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えても守りたい大切な存在です。
空手を真剣に始めてから僕は一人だけ話せるようになった子がいました。そ
の子も昔いじめられていた事があり,自分と重なる部分がたくさんありました。
その事もあってか,その子だけには心を開く事もありました。
ある日,僕は初めてその子に,いままでのつらかった事や友達がいない事を
全て打ち明けてみました。すると,その子は黙って僕の話を聞いてくれて,
「話
してくれて有難う。もう大丈夫。つらい事があったら何でも言って。友達や
ろ?。」と言ってくれました。その瞬間 ,僕は涙をこらえる事ができずに泣い
てしまいました。誰かの前で泣いたのは初めてでした。
「 涙 を 見 せ れ ば 弱 い と 思 わ れ る 。」 と か ,「 泣 い た っ て , い じ め は 終 わ ら な い
し何も変わらない」と思っていたから涙を見せるのが怖かったんです。でも違
った。その子に涙を見せた瞬間,何かが心の中で落ちて,感じた事の無いよう
な安心感で包まれたんです。その時から僕はその子に憧れを抱くようになりま
した。
その子の持つ「愛情」や「思いやり」は人生の底で蠢いていた僕を助けてし
まうほど素敵だったからです。僕はそれから,物事と接する時は「愛情」を持
つようにした。すると,これが結構楽しくて,目の前が真っ暗だった僕に一筋
の光をくれ,灰色がかった世界は少し鮮やかに見えた。とても不思議な感覚だ
った。その影響だと思うけど,いじめは少しずつ無くなっていました。
さて,僕が「いじめ」をめぐる思い出をしたのは,皆さんに次の事を知って
ほしいからです。
それは,日本の中で「いじめ」というのはたくさん行われているという事。
また,それを理由に命を自ら捨てる人がいるという事。この二つです。僕は二
度程,死のうと思った事があるので,正直自殺してしまう人の気持ちがとても
分かります。頼れる人がいなくて,一人で何でも背負い込んで生きるつらさは,
とても良く分かります。でも,死ぬ事だけは絶対にしないで下さい。きっと転
機は訪れます。誰にだって良い事・悪い事は平等に分け与えられています。だ
から今は,理不尽な世の中にしっかりと向き合い,自分を少しずつ変えていっ
てみて下さい。すると,きっと見える世界も周りの人達も少しずつ変わってい
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くはずです。僕は,そうやって切り抜けてきました。だから今,僕は生きてい
ます。
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奈良新聞社賞
「障害者殺傷事件について考えたこと」
斑鳩町立斑鳩中学校
3年
平居
容大
僕は今回の人権作文を最初から障害者の方の事を書こうと思っていました。
そう考えていた矢先あの残虐な障害者殺傷事件がおきてしまいました。僕には
一人弟がいます。弟は重度の自閉症と知的障害をもっています。なので今回の
事件のことをニュースで聞いたときとても辛い気持ちになりました。犯人は,
「障害者なんて いなくなればいい。」と供述したといいます。恐ろしくなりま
した。とてもショックでした。そして驚いたことにこの考えに共感する人が想
像以上にいたということに対して恐怖を覚えました。そして世間の障害者に対
する考えに悲しくなりました。口に出さなくても心の中でそういう考えを持っ
ている人が少なからずいるということや,障害者に対する理解が少ないこの社
会を,現実をもっと真剣に考えるべきだと思いました。
社会には色んな人が
いて当然だと思います。どんな人も自分一人の力で生きてはいけません。皆が
支え合って生きていくものです。今回の事件はそういう人間性や協調性が失わ
れてしまった人に犯人がなってしまったことから起きてしまったと思います。
そしてどんな人もこの事件を起こした犯人のようになってしまう危険性がある
と思います。犯人の考えに共感してしまう人や心の中で少しでも障害者がいな
い方がいいなんて考えがあったらそれは,人間性や協調性を忘れてしまう序章
なのかもしれないと思います。人間誰しも何もできない赤ちゃんから始まりま
す。人の役に立つ立たないという考えで人のことを切り捨てるのでしょうか。
小さな差別の考えが肥大して今回の事件のような最悪の形として表れたのでは
ないのかと思います。いつどんな人も障害者側になるかはわかりません。突然
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の事故などで体が不自由になったり目や耳が不自由になったりするかは,わか
りません。その時自分が障害者になったらどのように思うでしょうか。知的障
害や自閉症などは事故などでなったりするようなものではありませんが,考え
方は同じだと思います。人間というのは本来他の人のことを考えることができ
るのです。動物と違い人は思いやる心を持つことができます。その心を忘れず
にお互いに接し合って支え合うのが人間の社会です。その思いやりを忘れてし
まってはいけません。自分の人への接し方はいずれ自分に返ってきます。そう
いう心がけを常にしている人は素晴らしい人ばかりです。僕もそういう人間に
なりたい,そして社会全体がそういう考えであってほしいと思います。
僕の弟はうまく喋れません。でも家族です。大切な家族なんです。僕にとっ
て弟は可愛くてときどき疲れたり悲しいことを忘れさせてくれる,いい笑顔を
見せてくれます。もちろん,弟のせいで疲れたり大変なこともあります。でも
僕は弟がいてくれて良かったと思うことの方が圧倒的に多いです。そして弟が
家にいることで僕自身もちろん家族皆が人間的に成長できていると思います。
弟と一緒に育っていくなかで思いやりの気持ちが育まれたのではないかなと思
います。僕は弟と一緒で楽しいし,幸せです。そんな家族の一員に対しての世
間の差別はとても辛いです。そんな障害者の家族のことも考えるとあのような
事件は衝激的でした。今後このような事件は絶対に起きてはならないし起きて
ほしくないです。今回の事件で,また犯人と同じような考え方の人の言動でど
れだけの人達の心が傷つけられたのでしょうか。そういう発言をした人はその
ことをわかっているのでしょうか。大変傷ついている人がいることを理解して
いない愚かな考えはこの社会にあってはならないと思います。そういう考えの
人がいずれなくなって思いやりであふれた社会になっていくことはできないの
でしょうか。社会は少しずつ変えられると思います。例えば,障害者の家族を
もった僕達のような人がそういう気持ちや思いやりの心をもっと世間に伝えて
いかなければいけないのかなと思います。学校などでもこれから障害者の方々
への正しい理解と人権のことは,教えていかなければいけないと思います。学
校というのはそういう社会性や思いやりの心も学ぶ場所だと思います。
優しい人間性,協調性の心を大人の方も忘れてはいけない,常に心がけてい
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かないといけないと思います。そして少なくとも僕は,そういう人間でありた
いと思います。そういう大人になれるように努力したいです。でも社会を変え
るためには多くの人の意識を変えなければいけません。僕はこの世の中がどん
な人も安心して暮らせる素晴らしい,本来の人間のあるべき社会にいずれなる
ことを願っています。
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奈良テレビ放送賞
「私のクラスメイト」
橿原市立白橿中学校
森
3年
龍馬
私には,部活の友人に生まれてから今まで,ずっと車いすで生活している人
がいます。彼は,障害者ではありますが,私たちと同じように明るく,同じよ
うに楽しく日々をすごしています。だから私たちも普通に接し,たまに喧嘩も
します。
そんな彼から 私が学んだことは,「できることを全力でする姿勢」です。彼
は部活では団体戦のメンバーではなく,後輩とペアを組んでいました。ですが,
彼は練習や試合で誰よりも声を出し,誰よりもチームメイトに声をかけ,最後
の最後まで絶対に諦めませんでした。そして,彼のその姿は,私たち団体戦の
メンバーに刺激を与えてくれました。
私たち三年生は,小学校で彼に出会ってから約九年間ずっと同じ学校にいま
した。彼がいることで,大変なことはたくさんありましたが,小学校の六年間
と中学校の約三年間,彼と同じ教室にいたことで学んだことはとても多いです。
私たちが彼がい たことで学んだことは,「障害者を障害者として特別扱いして
はいけない」ということです。小学生のとき,彼は「僕にだってできることは
ある。できるこ とは挑戦したい。」と言っていました。彼は体育大会や文化祭
の合唱コンクールなどの学校行事に別の人と同じように参加しました。もちろ
ん学年リレーにも出ました。その時は,距離を短くするという措置がとられま
したが,彼は精いっぱい走っていました。
障害者の方々には,やはり最低限の補助やサポートは必要だと思います。で
すが,障害者だからといって,過剰なサポートをするとその障害者の方が一人
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で何もできなくなりますし,障害を持っているから「近寄りがたいな」とか,
「あまりしゃべらないようにしよう」という態度をとってしまうとその人が居
場所をなくしてしまうことになると思います。
私たちは,障害を持っている方々に対して,その人ができるだけ私たち障害
を持っていない人と同じような生活をできるようにしなければいけないと思い
ます。そしてそれが実現するにはまだまだ時間がかかると思います。
私たち
のクラスメイトの彼は,車いすをつかっていますが,毎日,私たちと何一つ変
わりのない笑顔,そして,私たちよりも強い精神を持っていると思います。彼
は,障害者の中で,障害をもたない人に最も近いと思います。
この作文を書いていて,改めて私が感じたことは,私たちのクラスには周り
と違う人がいます。けど,周りと同じ人なんていない,顔も違えば体格も違う。
性格も,表情も,癖も違う。同じにみえても似ているだけで全く同じ人なんて
いない。その個性のなかで,彼はただ足が不自由なだけで,ただ車いすにのっ
ているだけ。その個性を否定してはいけないと思います。私も,人の個性を否
定せず,間違いは否定できる人間になりたいです。
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NHK奈良放送局賞
「命の扱い方」
智辯学園奈良カレッジ中学部
1年
田仲
涼乃
初夏のある日,突然の病気で私は父を亡くしました。いつもと同じような慌
た だ し い 朝 , 毎 日 お 決 ま り の ,「 早 く 起 き な い と 遅 刻 す る よ 。 急 ぎ や ― 。」 と
いうお父さんの声で私はとび起きました。しかし,その日の午後に仕事場で突
然倒れ,手術入院もむなしく,五十ちょっとの若さで亡くなりました。
私は,一週間毎日,朝から夜中まで母と共に父に付き添い,時には病院に何
日も泊まって,必死に生きようとする父を見続けてきました。父には残された
時間がもうあまりありませんでした。担当医の先生からそう告げられて,家族
はみんな説明のしようがない感情とたたかいながら,眠ったままの父に明るく
話かけていました。一週間毎日見ていると,ある事に気づかされました。意識
のない父に対して,看護師さん達にとても差があったからです。看護師さん達
はたくさんの患者さんをかかえています。いつもとても忙しそうにしているよ
うでした。わが家も医者家系なので,その事情はよくわかっているつもりです。
しかし,意識が戻らぬままの父をとても温かく優しい表情で丁寧にお世話をし
てくれる看護師さんと,モニターの警告音にも鈍感になり,ゴロゴロとしんど
そうなので吸引をお願いしても,父が不快感を訴えないことをいいことに粗雑
にお世話をする看護師さんを見た時,私は何とも情けない気持ちになりました。
看護師さん達はどの人もみんな忙しく,私達家族と違う立場にいることもわか
っています。でも,人の命の扱い方にあまりの差があってはいけないはずです。
父にとって,わずかに残された時間を不快なものにしてほしくないという思い
がこみ上げてきました。この人には,目の前の父の身体しか見ていなくて,最
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期まで必死に家族のために生きようとしている父の気持ちも,それをひしひし
と感じる私達家族の感情も察することなく,流れ作業のように命を扱っている
ように見えました。命は,その人がその時を終えるまでその人のものであり,
それがどんなに年老いた人であっても,若い人であっても,治る見込みがあろ
うとも,なかろうとも,最期までその人の命だと思います。そして,家族にと
ってその人はかけがえのない存在であるはずです。決して命の扱い方に違いが
あってはならないと強く思いました。
でも一方で,とても親切で残された時間を精一杯父のために尽くしてくれる
看護師さん達もたくさんいました。その人達は,私達と父の時間をとても大切
にしてくれているようで,忙しいなか,本当なら自分達でやってしまう方が早
い父の手洗いや足湯も,一つの想い出にしてあげようという気持ちで手伝わせ
てくれました。そして,そのお世話はとても丁寧で,私達にたくさん話しかけ
ながら,
「普段のお父さんは,どんな人?」と,優しい笑顔で私たちに寄り添ってくれ
るかのようでした。私には,それがとても有りがたく感じました。
私はまだ将来どんな仕事につきたいとか決まっていませんが,どんな仕事に
つこうとも,命の重みと扱い方を大切にできる人でありたいと思います。
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第35回全国中学生人権作文コンテスト奈良県大会審査員
最終審査員
奈良地方法務局長
奈良県人権擁護委員連合会長
奈良県教育委員会人権・地域教育課長
株式会社奈良新聞社総務部長
奈良テレビ放送株式会社報道制作局長
NHK奈良放送局副局長
発行者
藤
須
筒
石
小
阿
井
藤
井
川
森
部
昇 平
幸 治
昭 彦
正 規
良 二
陽 子
(敬称略)
奈良地方法務局
奈良県人権擁護委員連合会
転載について
本作文集の作品を,印刷物やインターネット上に無断転載することを禁
じます。
なお,本作文集の作品を地方自治体が人権啓発のために,広報誌に掲載
される場合などには,奈良地方法務局人権擁護課に御連絡ください。
〒630-8305
奈良県東紀寺町三丁目4-1 奈良第二法務総合庁舎
奈良地方法務局人権擁護課
TEL. 0742-23-5457
そう だん
ら
相
た
談
っ
し
あ
て
が
ね
み
!
悩
なや
SOSミニレター
SOS ミニレターはこんなふうにつかってね!
あたら
がつ
がつ
みな
わた
でん わ
いま
新しいミニレターは、10月か11月ぐらいに皆さんに渡すからね !! 今ほしい人は、
0120-007-110に電話してね !!
ほう
む
しょう じん
けん
よう
ご
きょく
ぜん
こく
じん
けん
よう
ご
い
いん
れん ごう
かい
奈良地方法務局・奈良県人権擁護委員連合会
法務省人権擁護局・全国人権擁護委員連合会