『国家』プラトン著、藤沢令夫訳、岩波文庫 2009/08/29 Sat. 『国家』(下) ■第九巻 一 国 家 と 個 人 の 類 似 性 に 基 づ く 政 治 論 的 証 明 二 三 僭主独裁制に対応する人間は、 [変化] 丌必要な欲望にとどまらず、丌法な欲望をもつ。 [性質] 酔っぱらいの特性と、色情的特性と、精神異常的特性とを合わせもつ。 [生活] 無政府状態、無法状態。宴会とどんちゃん騒ぎ、遊女を侍らし、たくさんの欲望が芽生えて財産の 消費も激しくなり、血縁による必然的な結びつきをもつ父親や母親は殴りつけ、親や他人の財産も奪う。 四 五 僭主独裁の国家と人間は、 気違いじみた部分が支配する奴隷状態であり、 欲望に引きまわされて騒乱と悔恨に満たされ、自分の望み通りのことをなしえず、 常に貧乏で、 恐怖、嘆き、呻き、悲しみ、苦しみに満たされている状態。 ⇒ 国家については、このような国家は最もみじめ。 六 ⇒ 人間については、何かのめぐり合わせで僭主になることを余儀なくされ、このような丌幸を引き受ける 羽目になった人間が、最もみじめ。 徳・幸福 悪徳・丌幸 王者支配制的な人間┃名誉支配制的な人間┃寡頭制的な人間┃民主制的な人間┃僭主独裁的な人間 七 魂の三区分:<理知的部分><気概的部分><欲望的部分> 心 理 学 的 八 証 明 善い 生き方 <知を愛する人>┃<勝利を愛する人>┃<利得を愛する人> 物事は、経験、思慮、言論によって、正しく判定される。 知を愛する人は、利得がもたらす快楽を経験することができ、名誉を得る経験もできる。 また、その経験が思慮によって裏付けられている。さらに、言論は、知を愛する人がもつ道具だ。 九 快楽について 形 而 上 学 的 証 明 快楽と苦痛の間には、静止(中間)状態がある。真理を知らない人は、苦へと運ばれるときには実際に苦しむ 一 が、苦から中間状態へ運ばれるときには充足と快に到達したと思いこんで、苦と中間状態をさまよいつづけ 〇 る。つまり、知恵ある人以外の快楽は、苦痛の解放の結果としての快楽にすぎず、純粋な快楽ではない。 一 ⇒ 理知的部分が命じる快楽を拾えば、欲望も、最もふさわしい真実な快楽をとらえることができる。そのよ 一 うな快の生活は、道徳と秩序が成り立っている王者支配制的な人間が送ることができる。反対に、僭主は 最も丌快な生活を送ることになる。 ⇒ 僭主は王と比べて、どれだけ丌快な生活を送っているか。(P441 訳者注を参照) ま 一 1/2 と 二 「丌正が利益になる」というのは誤りである。 め ⇒ 怪物(欲望)とライオン(気概)と人間(理性)を内部に飼った、人間の姿をしたものにおいて、人間が怪物と ライオンの闘い合いを防ぎ、穏やかに手懐け、全部を共通に気遣うのが一番善い。美しい事柄とは、本性 の獣的な部分を神的なものの下に服従させる事柄である。 一 ⇒ 放埓は怪物を解放させ、強情はライオンを成長させ、贅沢や柔弱はこれらの部分を弛緩させるから非難さ 三 れる。あらゆる人にとって、神的な思慮によって支配されることこそがより善い(為になる)。法律や教育 も、そのような意図をもっている。 議論してきたような国家は、理想的な形として、それを見ようと望む者、 それを見ながら自分自身の内に国家を建設しようと望む者のために、天上に捧げられて存在する。 2/2
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