古代エジプトの医学

埼玉県立大学
古代エジプトの医学
―パピルスに残されている症例報告の記録からー
埼玉県立大学理学療法学科 准教授
西原
賢
非常に古い話をします。古代エジプトの遺物として最も有名なものはツタンカーメ
ン王(紀元前 1350 年頃)の墓から出土された黄金財宝を含む副葬品ではないでしょ
うか。それらの金銭的価値を試算すると何 100 兆円にもなるようです。実は、ツタン
カーメンは即位して、脚の障害を抱えながら未成年のうちに亡くなってしまったので、
あまり目立つ王ではなかったそうです。当時の王としては小さな墓に副葬品が詰め込
まれた状態だったのにも関わらず、これほどの価値です。それから 70 年後に即位し
たラムセス2世は 90 歳で亡くなるまで 150 名以上の子供を儲けています。かなり大
きな権力を持っていたようで、おそらく彼の副葬品が現代に残っていたらその価値は
ツタンカーメンのそれをはるかに凌いでいたはずです。しかし、ラムセス2世の墓は
荒らされて何も残らなくなった反面、ツタンカーメンの墓は2度ほど盗掘に遭いなが
らも、その後は忘れられて副葬品が残されていたという違いがあるそうです。昨今の
エジプトは、政治の不安定からデモが続いていることがよくニュースになっています。
先日の 8 月 20 日には、エジプトのマラウィ国立博物館が襲撃され、古代エジプトの
収蔵品のほとんどが略奪・破壊されてしまったようです。
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ツタンカーメンの時代よりさらに 350 年もさかのぼり、紀元前 17 世紀頃のことで
す。1000 年に及んで行ってきたエジプトの医術がパピルス用紙に象形文字でまとめ
られました。それは今も残されていて、エドウィン・スミス・パピルス(Edwin
Smith Papyrus)といいます。全 48 の症例と治療方法などが記録されています。次
頁の図は、症例第4番目から第 6 番目までの報告です。どのような内容でしょうか?
古今東西どこでも医療従事者の臨床記録は読みにくいようです。グチャグチャ書か
れていますが、鳥や蛇などの動物らしきものが見えますか?それらの動物はすべて右
側を向いています。その場合、文章は右から左に向かって読みます。全部 25 行で、
2-10 行が第4症例、11-16 行が第 5 症例、17 行以降が第 6 症例について書かれ
ています。私は考古学者ではないので恐縮ではありますが、内容について少し触れま
す。
〈第4症例、第 5 症例〉頭部外傷の症例(第 5 症例は頭蓋骨の骨折が伴う場合)
検査:傷部を触診して、でこぼこの形状を確かめる。患者は震え、耳や鼻から出血
がある。頸にこわばりがあり。自分の両肩と胸が見えるまで動かせない。
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診断:患者に“頭に裂け目ができ、傷が骨に達し、骨も割れている。耳や鼻から出
血がある。頸にこわばりがある”と丁寧に伝えよ。
処置:巻き付けなくてもよいが、傷がひどい時期までは患部は支柱でしっかり固定
する。基本姿勢は座位とする。2つの固定材でしっかり支える。後に頭にグリースを
塗る。患者の頸部と両肩の緊張をおとして柔らかくさせる。
〈第 6 症例〉上述の第4、第 5 より重症の症例
*余談ですが第6症例では、
「
」という単語が5か所位繰
り返して出てきます。パズルのつも
りで探して見るのはいかがでしょう
か。きれいに書くと「
」とな
ります。最初の字(右側)は鷲で[ア]
と発音されます。2つ目は葦の穂で
[イ]、3つ目は布で[s]と発音されま
すが母音が省略されているのでサ行
のどれかの発音になります。最後
(左側)のパソコンマウスみたいなも
のは、イボを潰して膿が出ている様
子です。漢字の解剖学でよく登場す
る肉偏に相当します。発音は[アイ
ス]あたりなのでしょうか。意味は
「脳」です。内容は上述の第4-5
図.エドウィン・スミス・パピルス(紀元前 17 世紀頃)2枚目、
症例と類似していますが、頭蓋骨下 症例第4番目~第6番目
の脳を覆っている膜に溜まった体液
を取り除くべきだと書かれてあります。このままでも現代医学に通じる部分がかなり
あると思いませんか?インフォームドコンセントの概念も感じられます。
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古代エジプトでも現代でも、人は共通してとんでもない破壊行動に走ることがあり
ます。その反面、苦しんでいる患者を治すために、既に数千年前にも高度な医療技術
を発達させていたのかも知れません。
参考文献
Breasted JH, The Edwin Smith surgical papyrus, V2: Facsimile plates and line for
line hieroglyphic transliteration, The University of Chicago Press, 1930
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