『アレキサンダー』と『英雄伝』

『アレキサンダー』と『英雄伝』
オリバー・ストーン監督の『アレキサンダー』の原作本は Robin Lane Fox という歴史家
の Alexander the Great (Penguin, 1986, c1973) であるが、恐らく彼が参照したであろう
史料に、プルータルコスの『英雄伝』がある。
プルータルコスはデルフォイとテーバイの間に位置するカイローネイアで、紀元後 48 年
頃、裕福な家に生まれたローマ時代の散文家である。生まれ故郷の執政官や、デルフォイ
の神官を務め、120 年頃亡くなっている。
『英雄伝』は『対比列伝』とも呼ばれる。それはギリシアとローマの英雄たちの生涯を
交互に述べた22対の伝記だからである。アレクサンドロスの次には、ローマの制度を確
立したカエサルの物語が来る。
映画はマケドニア軍とペルシア軍とが対峙している様子を、空高く舞う一羽の鷲が見下
ろす場面から始まる。『英雄伝』にも「アレクサンドロスの頭上高く舞う一羽の鷲が敵軍に
向かって真直に飛んで行く」のを預言者が示したので、「見るものには盛んに元気が湧
き・・・」とある。
映画の中で母親のオリュンピアスは、蛇をペットのように腕に抱いたり、肩に乗せたり、
足に絡ませたりする。何故だろうと思っていたら、彼女はオルフェウスの密教とディオニ
ューソスの霊感的な信仰に入っていたのであった。
『英雄伝』には、もちろん、アレクサン
ドロスが少年の頃、誰にも乗れなかった荒馬ブーケファラースを無事に乗り回したことも
書いてある。
父王フィリッポスはアレクサンドロスの教師としてあのアリストテレース
アリストテレースを招いた。映
アリストテレース
画の中では、哲学者が戸外で若きアレクサンドロスとその友人たちに講義をしているシー
ンがある。プルータルコスによれば、アレクサンドロスに医学好きの癖をつけたのもアリ
ストテレースだという。また、映画にもあるが、アレクサンドロスは遠征に出かける時も、
ホメーロスの『イーリアス』を持って行き、いつも短剣と一緒に枕の下に置いていた。
映画の中で印象的だったのは、マケドニア軍の騎兵が象に乗ったインドのポーロス王に
蹴散らされるところだが、これも『英雄伝』に書いてある。それによれば、ポーロス王は
数多くの投槍を浴びてアレクサンドロスの捕虜となった。その時、象は王が落ちないよう
に静かに地面に伏し、鼻で王の体から投槍を一つ一つそっと抜き取ったという。
アレクサンドロスがバビュローンまで戻ってきた時、
「気違いじみた熱を出して激しく咽
喉が渇き」
、十日後に亡くなった。あまり急だったので、後に毒殺の疑いも出たが、プルー
タルコスは、大王の遺体を始末するまで、暑い息のつまる場所に幾日も置いていたが、そ
のような毒殺の徴候は少しも無く、清潔で新鮮に保たれていた、と書いている。
『英雄伝』に出てくるアレクサンドロスの言葉
「私は勝利を盗まない」
「成程これが王の生活というものだ」(ダーレイオスのテントの中に入って)
「ペルシャの女は目の毒だ」
「自分自身にさえ賢明にできないソフィストは、私は嫌いだ」
「私がもしアレクサンドロスでなかったならば、ディオゲネースになりたい」
アレクサンドロス大王
紀元前 356 年 7 月
略年表
アレクサンドロス3世誕生
マケドニア王フィリッポス2世とエペイロス王女オリンピュアスの間に生まれ、幼
年期にアリストテレスを家庭教師に迎えギリシアの基礎的な教養を身につけた。
紀元前 338 年
カイロネイアの戦いに従軍(初陣)
ギリシア出兵の一軍の将として従軍。精鋭の騎兵を率いて、アテナイ・テーバイ連
合軍を破った。
紀元前 336 年
父フィリップス2世暗殺
紀元前 334 年
ペルシア東征に出発 (ギリシア軍との同盟軍)
紀元前 334 年 5 月
グラニコス川の戦い
ミトリダテスの率いるペルシャ軍4万を破る。
紀元前 333 年 10 月
イッソスの戦い
ダレイオス3世が率いる10万のペルシア軍を撃破。ダレイオスは逃げたが、その
母、妻、娘を捕虜にした。
紀元前 332 年
エジプト征服
新都市アレキサンドリアを建設。ファラオとしてエジプトに君臨。
紀元前 331 年 10 月
ガウガメーラの戦い(アルベラの戦い)
ダレイオス3世が率いる膨大な軍を打ち破った。ダレイオスは逃げ延びたが、配下
のベッソスに暗殺され、アケメネス朝ペルシアは滅びた。
紀元前 327 年
ソグディアナ征服
中央アジアに進出しソグド人のゲリラ攻撃に悩まされた。
紀元前 326 年
インド遠征
インダス川を越えて、インドのパンジャブ地方に侵攻、ポーロス王と戦う。
紀元前 323 年
アレクサンドロス大王急逝
バビロンに戻ったアレクサンドロスはアラビア遠征を計画していたが、ある夜の祝
宴中に突然倒れ、10日間高熱にうなされ「最強の者が帝国を継承せよ」と遺言し
死去してしまった。