平成 25 年 11 月号 むかわ町生涯学習課社会教育グループ 文 化 財 だ よ り かいたく じ だい 【むかわの開拓時代】 今回は、むかわの開拓時代を写し た古写真を紹介します。 写真 1 は、大正 11 年頃の曙地区 における開墾風景を写したものと 伝えられています。写真は、馬 2 頭 にプラウを牽かせて土を起こして いる場面と思われます。プラウとは、 種まきをする前に土を起こして畑 を耕すための機械です。現在は、ト ラクターにプラウを牽かせて畑を 耕しますが、当時は馬や牛など 【写真1】曙地区の開拓風景 力のある家畜を利用していました。 写真 2 は、大正 10 年代に生田地 区に開かれた初期の水田の姿を写 したものと伝えられています。写真 は、開通してまもない川東の用水路 と、切り株の残る水田が写っていま す。水田には水を溜めてあるように 見えますので、作付けまでに切り株 の処分が間に合わなかったのかも しれません。力強い重機があれば簡 単に処分できる切り株も、当時は人 や家畜の力で時間をかけて引き抜 【写真2】生田地区の開拓風景 かなければならなかったのです。 写真 3 は、昭和 17 年頃に「タコ足直播機」(たこあしちょくはんき)という機械を使用した 籾まき作業の姿を写したものと伝えられています。稲の苗を育てる際、本州では日当たりの良い 水田の一角に種籾(たねもみ)をまき、1 ヶ月半ほどして生育した苗を別の水田に移植する方法 が行われますが、北海道は年間を通じて本州よりも気温が低く、植物の生育に適した暖かい期間 が短いため、大正時代になるとタコ足直播機を使用して整然と種籾をまき、苗の育成期間を短縮 する方法が開発されました。水田のなかで長時間立ち続けて作業をすることができるよう、タコ 足直播機は軽いブリキで作られ、小さなフロートも付いていました。むかわでは、直播機による 田植えと、本州流の田植えの両方が行われていたようです。 写真 4 は、昭和 38 年頃の鵡川駅前における米の出荷風景を写しものと伝えられています。道 路は現在の中央道路です。当時はまだ砂利敷きであったため、雨が降るたびにぬかるんで、路面 がデコボコしていたそうです。道路沿いには米俵を満載した荷車が並んでいます。荷車は全て馬 車であり、自動車は 1 台もみあたりません。車輪に鉄輪をはめた金輪台車と、ゴムタイヤをつけ た保道車が使われていたようです。1 俵は 4 斗入り(約 60kg)ですから、馬車に積まれた 10 俵以上の重さは 600kg 以上になります。道路脇にずらりとならんだ馬車の車列の姿からは、馬が 北海道の経済を支えるとても重要な役割を担っていたことがわかります。 【写真3】種籾をまく作業風景 【写真4】米の出荷風景 【連絡先】むかわ町教育委員会生涯学習課社会教育G 電話 42-2487 FAX 42-4994
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