スライド 1

この物語の舞台は福島県は大熊町、そこは日本の原風景が残る田舎町。人口数千
人のつつましやかな生活の中にも、大自然の恵みを一杯にいいただき、多くの住民
は地位会いながらも確かな幸せに感謝しつつ生活していました。
そんな村に突如、大異変が生じたのは昭和30年代、今からおよそ50年前のことです。
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「おーい、正、いるかあ?」
「こんな朝早くから、なんしただあ?」
「何いてっだ、昨日、約束したでねえか、いくって」
「おお、長者原か」
「そうだあ早くしろ、みんな外で待ってど」
「すまんすまん、ジョンがラジコン見せてくれる約束だったもんなあ、すぐ行くから
待っててくれ」
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正を迎えに来たのは悪がき仲間と田舎町、大熊には珍しい青い目の少年たちでし
た。
つぎはぎだらけのズボンに薄汚れたランニングシャツ、真っ黒に日焼けした顔に
青っパナを垂らす少年の一団。
それに対して、まばゆいばかりの白いシャツ、アイロンがかかったズボン、手には当
時、珍しかったラジコン飛行機を持つ青い目の男の子は村々で大きな話題となてっ
ていました。
しかし子供は純粋で、すぐに仲良くなり、彼らが住む長者原でよく遊んでいました。
広大な平地が広がる長者原は子供たちの格好の遊び場でしたが、そこは戦争中、
何人も立ち入れない禁断の場所だったのです。
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長者原につくやいなや、青い目の少年が青い空に向かい手に持っていたラジコン飛
行機を投げ上げます。
ふわりと浮かび上がった飛行機は大熊の風に持ち上がられるかのように上へ上へ
と上がっていった。
「すげえ、すげえ」
「とんだぞ、とんだ」
「わあ、見て見ろ旋回してっど」
「おお、宙返りしたど」
「すんげえ、すんげえ」
青く広い空を縦横無尽に飛び回るラジコン飛行機が少年たちの前にピタリと舞い降
りた時、少年たちの目の輝きは最高潮に達しました。
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あがる大歓声の中、ラジコンを持っていた青い目の少年が正に近づいてきます。そ
して、ラジコンを差出しながら「レッツ、トライ」と言います。
「どうしただ。何しろって」
「やってみろてことだよ」
「やってええだか」
「オッケーオッケー!」
正は青い目の少年からラジコンを受け取る正、震える手を抑えるように二回三回と
大きな深呼吸をしたのち、空へ向けてラジコン飛行機を投げ上げます。
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一瞬、空に浮かび上がったと思いきや、次の瞬間、飛行機は失速し地面に突き刺
さったのです。
えらいことになったと青ざめる日本の少年たちと対照的に大笑いする青い目の少年
たち。その笑いに落ちてもいいんだと云う事を知らされ、ホッとする正。
「もう一回、ワンモアチャンス」と落ちた飛行機に駆け寄ります。
「ずるいぞ、ずるい。次はオラだ」と後をおう日本の少年たちの目はどこまでも輝いて
います。
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舞い上がるラジコン飛行機を見ながら正は、親から聞いたゼロ戦の話を思い出しま
す。
長者原は、戦時中、日本軍の飛行訓練基地として使われていたのです。戦前まで
親たちの遊び場だったそこは突如、幾人もの兵隊さんがやってきて木を抜き土地を
平らにしたそうです。その時から子供たちは勿論、何人も近づくことのできない禁断
の場所となったのです。
戦争が終わり、ほどなく長者原は遊び場として子供たちの元に戻ってきたのです。
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ここで少し、この物語の舞台とねっている昭和30~40年という時代がどのような時
代であったか説明させていただきましょう。昭和30年、国会で原子力基本法が設立。
それを受けて翌年には原子力委員会が設置されました。 そして昭和32年には、日
本原子力発電株式会社が設立されたのです。
日本で最初の原子力発電が行われたのは昭和38年10月26日で、東海村に建設さ
れた動力試験炉が初発電を行ったのです。これを記念して毎年10月26日は原子力
の日となっています。そして昭和49年には電源三法が成立し、原発をつくるごとに交
付金が出てくる仕組みができたのでございます。
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青い目の少年たちがやって来た昭和40年代、日本には復興のつち音が響き渡って
いました。
そんな中、福島県は高度経済成長の波に乗り遅れ、産業近代化率も全国平均の半
分以下と低位でした。
当時、日本に渦巻いていたエネルギー革命が、皮肉にも福島の主要産業の石炭業
界に大打撃を与えたのでございます。
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「おい正!、お前ジョンの家いくだか」
「行くって、クリスマスパーチ―のことか」
「そうだパンティだ」
「ばか!パンティは女のふんどし、それいうならパーティーだあ」
「どっちでもエエ。行くのか行かねえのか」
「ビレッジに入れるチャンスだ。いこう!ところでクリスマスってなんだあ」
「お目えクリスマスも知らんのか」
「知らんから聞いてんだ」
「アメリカの神さんの誕生日だあ」
「アメリカの神さん?」
「そうだあ、アメリカのお釈迦様だあ」
「分かんねえけど、行ってみっか」
長者原に突如出現した青い目の一団が住む村を当時の人はビレッジと読んでいま
した。
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「こんちは」
「こんばんは」
「そううだ、こんばんわだ」
「ばか、それを言うならゴッドイブニングだ」
「ゴッドイブンイブニングかあ、おめえ詳しいなあ」
「父ちゃんに聞いてきただ、おらの父ちゃん大学でてっから」
「オ~!イエエ、ウレルカム」
少年たちは促されるままに中に入ります。
外見は平屋の仮設住宅ですが、中は驚くほど豪華なものです。
見たこともないような家具が並ぶ中、中央には天井まで届くほど巨大なクリスマスツ
リーが目に飛び込んできました。
少年たちは、しばし言葉を失い唖然と見上げる事しかできません。
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言葉を失った少年たちを気にする様子もなく、金髪の美しい女性がピアノ前にすわり
ます。
女性が前を横切ったとき、少年たちを包み込む香り、この世のものとは思えません。
正少年は思わず
「女神さまだあ」
とつぶやいたのでございます。
当時の大熊の少年たちでピアノを見たものはいません。あるのは小学校の音楽教
室にあるオルガンだけです。
「サ~イレンナイッ、ホ~リンナイッ」
青い目の少年たちの歌声を前に、正少年は思わず
「天子だあ」
とつぶやいたのでございます。
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クリスマスの一夜は、青い目の少年たちと鼻を垂らした正少年をいっそう近づけまし
た。
正少年は日本のお正月を見せてやろうと初日の出を見に行こうと青い目の少年た
ちを招きます。
その後も交流は深まり、春には聖徳太子祭。夏には盆踊りへと誘います。
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大熊町の長者原には、お盆にじゃんがらを踊る風習が残っており、じゃんがらの北
限と言われています。じゃんがらを踊るのは、8月13日と14日です。13日は新盆家庭
を供養し、14日は、塞神社の夜祭に盆踊りの後、踊ります。踊り手は、各隣組より4
人ずつ参加することになっています。大熊のじゃんがらは、鉦を下から頭上高くあげ
るダイナミックな動きが特徴的です。踊り手の女性たちは花笠をかぶります。これは
山形の花笠踊りをじゃんがらに取り込んだためだそうです。
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そんな暑い夏が終わりをつげようとしていた8月の終わり、いつものように学校帰り
に長者原で青い目の少年たちと遊ぼうと、正少年はそこを訪れます。
しかしあった筈の仮設住宅はありません。青い目の少年たちもいません。正少年は
必死で青い目の少年を探し回ります。
坂道を駆け上がり、藪を押しのけ、飛行場跡地にでたとき、
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正少年は目の前にそびえたつ巨大な建物に驚き思わず、その場にヘナヘナと座り
込んでしまいました。
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