蛍光標識によるアクチン繊維の運動阻害 山形大学工学部応用生命システム工学科 1.はじめに アクチン繊維とは、すべての真核細胞に豊富に存 在し、酵母、粘菌、大豆からアメーバ、ヒトにいた るまで主要な細胞骨格を形づくっている蛋白質のひ とつである。さらに、筋肉細胞中においてアクチン 繊維とミオシン繊維は結合し、ATP(アデノシン3 リン酸)が ADP(アデノシン2リン酸)と Pi(リン 酸)に加水分解するときに放出されるエネルギーを 用いて、互いの結合面を滑るように運動する。これ を 滑り運動 といい、全ての筋収縮運動はこの滑 り運動に起因している。この滑り運動の過程は、筋 肉から単離されたアクチン分子とミオシン分子だけ から成る再構成系において再現が可能である。そし て、アクチン繊維を蛍光標識することで、直接にそ の運動を観察することができ、筋収縮のメカニズム について分子レベルでの調査が行われている。 本研究では、従来用いられてきた蛍光標識剤 (Rhodamine-phalloidin)より安定で蛍光強度の高い 蛍光標識剤(IC3-OSu)を直接結合させることで、よ り詳細なアクチン繊維の蛍光像を得ることを目的と した。しかし予期せぬことに、IC3-OSu によって標 識したアクチン繊維は、繊維自体の重合機能に、ミ オシン繊維との結合機能も正常ながら、滑り運動機 能だけが欠如という非常に興味深い性質を示した。 この蛍光標識による運動の阻害が、どのような原因 によるものかを調査することで、滑り運動のメカニ ズムに対して新たな知見が得られると考え、イオン 強度や疎水環境による影響の調査、さらにはこの運 動能の欠如したアクチンと運動能を有するアクチン とを混合した複合体繊維を作製し、運動阻害の力学 的な性質に関して調べた。 2.実験方法 2.1 アクチン繊維の蛍光標識 ウサギの骨格筋より抽出した 1 mg/mLのF-アクチ ン 1 mLと、4 mg/mLの蛍光標識剤IC3-OSu(同仁堂; 励起波長 550 nm, 蛍光波長 570 nm)20 µL(DMSO 中に溶解)を混合し、25℃で 90 分間反応させた。そ の後に 50 µgの 2M Tris-HCl (pH 7.5)を加えて反応を 停止させた。そしてG-buffer(2 mM Tris-HCl (pH 8.0), 0.2 mM ATP, 0.1 mM CaCl2, 0.1 mM DTT)に対して 24 時間の透析でアクチンを脱重合させた後、ゲルろ過 によってフリーの蛍光色素を除去した。 (※以下、こ の過程によって調製された、IC3-OSuで蛍光標識した アクチン繊維を IC3 アクチン と呼ぶ。) 松下 俊介 2.2 滑り運動系の調製と観測 コロジオン処理したスライドガラス上にヘビーメ ロミオシン(HMM;ミオシン分子の活性部位)を固 定し、そこへIC3 アクチンとATPを加えた。最終的な 溶液条件は 25 mM KCl, 25 mM imidazole-HCl (pH 7.4), 4 mM MgCl2, 1 mM ATP, 0.5% 2-mercaptoethanol, と した。蛍光 の退色を抑 制するため に 3 mg/mL glucose, 0.02 mg/mL glucose-oxidase, 0.1 mg/mL catalaseを加えた。HMM分子上でのIC3 アクチンを倒 立型蛍光顕微鏡(Nikon, Diaphoto-TMD)で観察した。 観察された顕微鏡画像を高感度カメラ(浜松ホトニ クス, C2400-08)を通して画像取得ボード(Scion, LG-3)を用いて時系列にコンピュータ(Apple社, PowerMac G3)に取り込んだ。 2.3 イオン強度と疎水性の影響 IC3 アクチンの滑り運動の観測の際に、KCl 濃度を 0∼300 mM の範囲で変化させて、IC3 アクチンとミ オシンとの結合に対するイオン強度の影響を調べた。 また同様に、エタノール濃度を 1∼10%の範囲で変 化させて、IC3 アクチンとミオシンとの結合の疎水 効果を調べた。 2.4 正常アクチンとの複合体繊維の作製 アクチン研究の分野において一般的な蛍光標識剤 である Rhodamine-phalloidin(シグマ社;アクチン繊 維に対して選択的に結合, 励起波長 540 nm, 蛍光 570 nm) で蛍 光 標識 した ア クチ ン繊 維 (※ 以下 Rhodamine アクチン と呼ぶ)と IC3 アクチンを 1 : 1 の比率で混合し、それに超音波ホモジナイザー (TAITEC, VP-5, 20kHz 50W)で超音波処理を施して 繊維を断片化させた後、自発的に繊維断片が再結合 するまで放置した。それにより 2 種類のアクチンが より斑となる複合体繊維を作製した。この複合体繊 維の滑り運動を観測し、その全長に対する IC3 アク チンの割合と滑り運動の速度の関係を調べた。 3.結果・考察 IC3 アクチンの IC3-OSu ラベル率(アクチン 1 分 子に対する IC3-OSu の結合比率)は 5.9 となった。 調製された IC3 アクチンは、Rhodamine アクチン よりも高い蛍光強度を持ち(Fig.1、Fig.2 参照)、自 身の重合能にミオシンとの結合能も持ち合わせてい た。しかし滑り運動は行わず、運動機能のみ欠如し ていた。 1/1 Table 2 Fig.1 Fig.2 ※震え反応(小・中・大)とは、IC3 アクチンの端 末が僅かに震える反応のことで、その頻度を目測で 3 段階に位置づけたものである。 IC3 アクチンの蛍光顕微鏡画像 (スクリーン横幅:50 µm) KCl 濃度増加は、静止状態の IC3 アクチンに震え 反応を引き起こさせ、さらに反応を増加させたのち ミオシンとの結合を解離させた。KCl は液中でイオ ン化するため、KCl 増加はアクチン・ミオシン間の イオン的な結合を弱らせる、その結果解離に至った ものと考えられる。また、Rhodamine アクチンも同 様に 50 mM 以上の KCl 濃度で解離に至ることから、 IC3 アクチンとミオシンの結合のイオン強度は正常 であるものと思われる。 エタノールの濃度増加は、1 %時に最大の震え反応 を観測したが、2 %からは全て最小の震え反応を示し た。エタノールは疎水性を持つため、アクチンとミ オシン間の疎水的な結合力を緩和させ、アクチンの 反応の増大が予測された。しかしこの結果は、エタ ノール濃度最小の 1 %時が、IC3 アクチンとミオシン の疎水結合を最も弱らせる濃度であったことを示し た。この、エタノール濃度の増加と IC3 アクチンの 反応の大きさが結びつかなかった原因は、アクチ ン・ミオシン間に働く疎水結合がさほど強く作用し ていないためと考えられる。 Rhodamine アクチンの蛍光顕微鏡画像 (スクリーン横幅:50 µm) KCl とエタノール濃度変化による、アクチン・ミ オシン間のイオン強度と疎水環境の変化は、いずれ の場合も IC3 アクチンの滑り運動には至らなかった (Table 1、Table 2 参照) 。詳細は以下のようになった。 Table 1 エタノール濃度別の IC3 アクチンの反応 IC3 アクチンと Rhodamine アクチンとの複合体繊 維は、蛍光顕微鏡より滑り運動が観測された。Fig.3 は観測した複合体繊維の蛍光顕微鏡画像である。こ れにより運動能の欠落した IC3 アクチンが運動能を 有する Rhodamine アクチンと結合することで、運動 性が回復することが確認された。 また、Fig.4 はこの画像より計測した 複合体繊維 の全長に対する IC3 アクチンの長さの割合 と 滑 り運動速度 の関係を示したものである。これより 複合体繊維中の IC3 アクチンの割合が増加するにつ れ、複合体繊維の速度の減少が明らかとなった。こ のことは IC3 アクチンが運動に対して負荷となって いることを意味する。しかし、複合体繊維中の IC3 アクチンを 単なる 負荷としたなら、IC3 アクチ ンの割合と速度の関係は Fig.4 のような凸型とはな らず、双曲線を描くことが予想される。よって、こ の結果は IC3 アクチンが 負荷 以外の形で運動に 関与していることを示しており、それはアクチン分 子間に協同性の存在を思わせる結果となった。 KCl 濃度別の IC3 アクチンの反応 2/2 Fig.3 複合体繊維の蛍光顕微鏡画像 (スクリーン横幅:50 µm) 滑り運動速度 (μm/s) 3 2 1 0 0 20 40 60 80 100 全長に対するIC3アクチンの長さの割合 (%) Fig.4 全長に対する IC3 アクチンの割合と滑り運動速度 4. まとめ IC3-OSu で蛍光標識したアクチン繊維は、従来用 いられてきた蛍光標識剤 Rhodamine-phalloidin で標 識したものよりも高い蛍光強度を示した。しかし、 そのアクチン繊維は運動機能が欠如しており、滑り 運動を行わなかった。 イオン強度と疎水環境の変化は、IC3 アクチンと ミオシン繊維の結合状態に若干の影響を与えたが、 滑り運動に至ることはなかった。 Rhodamine アクチンと重合した IC3 アクチンは、 滑り運動の負荷としての働き以外にも運動に関与し ていた。 参考文献 [1]神谷律、丸山工作:細胞の運動,7/13,培風館(1992). [2]竹縄忠臣ら:細胞骨格と細胞運動,3/5,シュプリンガ ー・フェアラーク [3] Wayne M.Becker, Lewis J.Kleinsmith, Jeff Hardin: 細胞の世界,729/732,西村書店 指導教員 羽鳥晋由 3/3
© Copyright 2024 Paperzz