現代物理学B (`14年版)

現代物理学 B (’14 年版)
(到達目標) 非常に多数の原子や分子が集まって出来ている巨視的な物体の示す様々
な性質について記述する「統計力学」や「熱力学」の手法を学びます。出
発点となる仮定を述べた後、それから導かれるミクロカノニカル分布、カ
ノニカル分布の概念を学びます。また、これらを用いて物理量をどの様
に求めるか、具体例を用いながら解説します。また、授業の後半では、密
接に関係する量子力学につき、現代物理学 A で学んだ内容より少し進ん
だ話題 (水素原子、摂動論の手法、等) について学びます。
(講義スケジュール)
1. 統計力学の考え方
2. エネルギーの移動と熱平衡 3. 等確率の原理とエントロピー 4. ミクロカノニカル分布と理想気体(自由粒子の量子力学)
5. 熱と仕事
6. カノニカル分布とエネルギーのゆらぎ
7. 自由エネルギーとその最小原理
8. ギブスの自由エネルギー
9. 熱力学の諸関係 10. 中心力ポテンシャルの場合のシュレディンガー方程式
11. 水素原子
12. 量子力学における摂動論
(参考書等)
講義ノートにおいて最も参考にするのは、統計力学の分野では ・
「統計力学」 長岡洋介著 岩波書店。 その他、以下の図書も参考にしてください:
・
「統計力学」久保亮五著 共立出版
・
「熱学・統計力学」確井恒丸著 パリティー物理学コース 丸善
・
“ Statistical Physics ” (Berkley Physics Course 5) MacGraw-Hill
2
そのほか必要に応じて紹介します。
(成績評価方法)
平常点 (授業・実験への出席・参加状況) とレポートにより総合的に評価
する。
(ホームページ)
講義ノート、期末レポート問題等は、林の個人 HP の「講義内容」
http://lab.twcu.ac.jp/lim/sub4.html の所に、また休講等の急なアナウンスは個人 HP の「トップページ」
http://lab.twcu.ac.jp/lim/index.html
に掲示するので活用して下さい。 3
5
第1章
統計力学の考え方
物理学には大きく分けて二つの柱がある: 「素粒子物理学」、 「物性物理学」 素粒子物理学は万物を構成する最も基本的な粒子である素粒子につい
て扱う学問でミクロの世界の話である。これに対して、現実の身の周り
にある物質はおびただしい数の素粒子が集まって出来ている。こうした
マクロな物質の性質を扱う学問が物性物理学である。
原理的には、最も基本的な粒子である素粒子の従う物理法則が分かれ
ば、様々な物質の性質もそれから導かれるはずである。しかしながら、こ
れは現実的に無理である。実際、古典的な力学においても、ニュートン
~ = m~a が与えられても、粒子の数が少し増
の第二法則(運動方程式)F
えると、運動方程式を解析的に解くことは出来なくなる。2 個の粒子(質
点)の運動(2 体問題)であれば、重心運動と、重心の周りの相対運動に
分けて解くことが出来るが、3 個になると(3 体問題)、もはや一般的な
解法は存在しない。仮に、スーパーコンピューターを用いて数値的に解
析したとしても、多数の粒子の運動方程式を解くには膨大な時間がかか
り、実質的に無理である。
では、マクロな物質の性質は解析できないのであろうか?実はそうで
はなく、粒子の数が非常に多数になると、逆にそれによって統計的な性
質が顕著に現れる始めるのである。ちょうど非常に多くの人の身長の分
布をみると、ある一定のパターンで山形に分布するのと同様である。
この様に、物性物理学では、粒子の数が非常に多い事に起因する統計
的な性質を上手く用いて、巨視的な物質の性質を探る手法が取られてい
て、その理論的枠組み(フレームワーク)が 「統計力学」
と呼ばれるものである。
統計的な性質の例としては気体の温度がある。空気などの気体は分子
(窒素分子 N2 、酸素分子 O2 )が無数に集まって出来ているが、それぞれ
第1章
6
統計力学の考え方
の分子は全く勝手な方向に運動し、そのエネルギー(運動エネルギー)も
全くばらばらであるが、全体としては、エネルギーに依存した一定のパ
ターンの分布(ボルツマン分布と呼ばれる)をしていて、気体分子のエ
ネルギーの平均値が正に気体の絶対温度に対応する(比例する)事が知
られてる。
では、我々の身の周りの物質は、どれくらいの数の分子(や原子)で
出来ているのであろうか?例えば、32 g の酸素の気体は
NA = 6.0221367 × 1023
(1.1)
個の酸素分子を含んでいる。この NA はアボガドロ定数 (Avogadro number) と呼ばれ、この個数の分子、原子を 1 mol と言う。
この様な非常に多数の粒子から成る物質を
「マクロな系 (macroscopic system)」
それを構成する分子や原子を
「ミクロな粒子 (microscopic particle)」
と呼ぶ事にする。統計力学が扱うのは、このマクロな系なのである。 1.1
粗視可、統計、確率
マクロな系であっても、その性質は、原理的にはそれを構成するミク
ロな粒子の振る舞いで決定される。例えば水の温度を何度まで下げれば
氷になるか(その温度を “凝固点”と言う)、といった性質は水分子の間に
働く力、即ち水分子の従う力学法則により決まるはずである。水に塩を
混ぜると凝固点が下がるが(凝固点降下。寒い所で道路の凍結を防ぐの
に用いられる)、これも “不純物”である塩の存在により、水分子の間の力
が変化するためであると考えられる。
なお、本来ミクロな粒子の従う力学法則は量子力学であるが、この場
合には、実質的に古典力学に従って運動していると思っても大きな間違
いにはならない。
では、ミクロの粒子が従う古典力学に基づいて本当にマクロの系の振
る舞いを解析しようとすると、どうなるであろうか?古典力学では、あ
る瞬間(例えば t = 0)での、全ての粒子の位置と速度(初速度)
(まとめ
て “初期条件”と呼ばれる)が与えられれば、それ以降の粒子の運動は運
動方程式(ニュートン力学の第二法則)を用いて何の不定性もなく完全
1.1. 粗視可、統計、確率
7
に決定される。ちょうど人工衛星の軌道を予測出来る様に。しかし、本
当にこの考えを実行しようとすると、次の様な手順が必要となる:
(1)NA ' 6 × 1023 個程度の全ての分子の初期条件(位置、(重心の)初速
度、更に水分子だと重心の周りの回転速度と回転軸の方向)のデータを
全て集める。
(2)NA 個程度の膨大な数の運動方程式(連立微分方程式)を、(1) で得ら
れた初期条件の下で解く。
(3) ある時刻経過後の NA 個程度の分子に関する膨大な数の、位置、速度
等の情報を得る。
このプログラムを実行するのは最高性能のスーパーコンピューターでも
不可能である。
大切な事は、これは不可能であるばかりでなく、例えば 18 g (1 mol)
の水のマクロな性質を理解しようという目的からすれば、不要な事であ
る、という事実である。 この辺の事情を簡単な例を用いて、より深く理解することにしよう。図
1-1 の様な、真ん中に仕切りのある箱がある。左右の領域の体積は同じで
あるとする。初め、左側の領域にのみ気体を押し込め、右側の領域は空っ
ぽで真空の状態にしてあるとする(図の(a))。ある瞬間(例えば t = 0)
に仕切りの壁に孔をあけると、気体は右側に噴出していく(図の (b))。
それから十分時間が経つと、気体は箱全体に一様な密度で広がるであろ
う(図の (c))。
この場合でも、各気体分子の運動は厳密に力学法則に従っている。し
かしながら、上のプログラムを実行しようにも、我々の知っている初期
条件は、t = 0 で分子は全て左の領域にあったということ、後はせいぜい
気体の絶対温度(気体の平均エネルギー)位のもので、NA 個の分子の初
期条件にはほど遠い。その為、何度も同じ実験を行っても、ミクロな粒
子の運動状態は、その度ごとに異なっているであろう。しかし、孔があい
第1章
8
統計力学の考え方
た後の気体の状態について我々が興味があるのは、個々の粒子の運動状
態ではなく、例えば、1 分、1 時間後の右の領域にある分子の数、といっ
た大雑把な情報である。それを得る為だけに、膨大な数の運動方程式を
解くというのはやり過ぎである、と言える。
この様に、我々にとって本当に興味がある性質は “大雑把”な物質の性
質であるが、その様に大雑把に粗く物を見る事を
「粗視化」
という。詳しく見すぎると全体像が見えない事は良くある。全国的な体
格調査をする際も、個人ごとの身長、体重といった情報を正確に知って
も、それを羅列するだけでは全体的動向は見えて来ない。
ここで有用なのが
「統計」的な手法
である。具体的には、例えば身長を 5cm の幅で区切り、150∼154(cm)
の人が何人というようにまとめて身長の分布を作成するといった手法で
ある。また、試験の成績でも同様な手法で、平均点や標準偏差を求める
事が出来る。
所で、物性物理学では物質の性質について理論的な説明や予言をする
必要があるが、膨大なデータが統計的な分布に従う時に、その分布の形
(それを示す関数)をどの様に理論的に決定すれば良いであろか?そのた
めの数学的な手法が
「確率」論
である。例えば、サイコロ 1 個を振った時どの数の目が出るかを言うの
は難しいが、60000 個のサイコロを同時に振る、あるいは 1 個のさいころ
を 60000 回振る、という事をした場合には、各目は 10000 個(10000 回)
ずつ出る、と誰しも期待するであろう。この基本にある考えは、サイコ
ロは振り方により複雑な運動をするので、数多く振っている内にどの目
も均等な確率で実現するという、いわば “等確率”の考え方である。統計
力学でも、これに良く似た考え方が後程登場する。 1.2
気体分子の分布確率
上述の気体分子の左右の領域への分布の確率についても、サイコロの
目の場合と同様な考え方を用いることが出来る。ここで少し詳しくそれ
をみてみよう。
一つの気体分子の運動に着目すると、最初は左側の他の分子や壁と衝
1.2. 気体分子の分布確率
9
突して運動方向を変えながら複雑な運動をする。その内、偶然穴の位置に
来ると右側の領域に移り、また様々な衝突の後しばらくして左側に移り、
といった事を繰り返すはずである。分子の左右の領域での一回の平均滞
在時間は左右の体積が同じなので同じであると考えられ、これを τ とし
よう。すると、孔をあけてからの経過時間が τ より十分長くなると、こ
の分子は左右どちらの領域にも同確率で存在するであろう。つまり、左
右それぞれに存在する確率は共に 12 となるはずである。これは、初め分
子が左側に居た、という初期条件には依存しない性質である事に注意し
よう。
従って、仮に全部で 6 × 1023 個の分子があるとすると、孔をあけてから
十分時間が経つと、ほぼ 3 × 1023 個ずつ左右に分かれて存在することに
なる。ここで「ほぼ」と言ったのは、分子は穴を通じて左右に行き来する
ので、ある瞬間をとると、左右に同数づつ存在するとは限らない、とい
う事である。つまり、左右に偏って存在する確率もゼロではない、という
事である。しかし、常識的にも、大きく左右に偏る事も無さそうである。
そこで、確率論の知識を用いて、左右に偏る確率を具体的に求めてみよ
う。気体の分子の総数を N とする。各分子は左右にそれぞれ 21 の確率で
存在し、それぞれの分子の左右に居るという事象は独立事象であると考
える(つまり他の分子が左右どちらにいるかに影響されないと考える)。
すると N 個の内で n 個が右にある確率 PN (n) は、ある特定の n 個が右に
居る確率が ( 12 )n 、残りの N − n 個が左に居る確率が ( 12 )N −n 、また特定の
n 個を N 個の分子から選ぶ選び方は N Cn 通りあるので
1 1
1
1
N!
PN (n) =N Cn ( )n ( )N −n =N Cn ( )N = ( )N
2 2
2
2 n!(N − n)!
(1.2)
で与えられる。PN (n) は確率なので、当然次の条件(規格化の条件)を
満たすはずである:
N
∑
n=0
PN (n) = 1.
(1.3)
第1章
10
統計力学の考え方
(演習問題 1)(1.3) を示しなさい。ヒント:二項定理
∑
n N −n
(a + b)N = N
を用いると良い。
n=0 N Cn a b
例として、(a) N = 10 の場合、(b) N = 100 の場合のそれぞれについ
て PN (n) を求めグラフに表すと下図の様になる。
図から分かる様に、それぞれ n = 5, n = 50 の場合に存在確率 PN (n)
が最大になる事が分かる。更に、N = 10 の場合より N = 100 の場合の
方が、分布を表す曲線(分布曲線)のピークが鋭くなっている事が分か
る。これは、分子の総数が非常に大きくなると左右に偏って存在する確
率は非常に小さく成ることを示唆している。
しかし、分子の総数が NA 個程度といった非常に大きな数になると、
(1.2) に従って確率を正確に計算するのは困難である。そこで、統計力学
で良く登場する “スターリングの公式”を用いて (1.2) を簡単な関数で近似
することにする。スターリングの公式とは、N À 1 の時
log N ! ' N (log N − 1)
(1.4)
の様に近似できる、というものである。これを用いて、N, n, N − n の全
てが 1 より十分に大きいとして(1.2)の対数をとって近似すると
log PN (n) = log N ! − log n! − log(N − n)! − N log 2
n
n
N −n
N −n
' −N (log 2 + log +
log
) (1.5)
N
N
N
N
となる。更に、n =
を予想し
N
2
つまり Nn =
1
2
の時に PN (n) は鋭いピークとなる事
n
1
= +x
N
2
(1.6)
1.2. 気体分子の分布確率
11
として x を定義する。x は Nn の 12 からのずれ、即ち分子の左右への偏り
を表す量で、
(N が非常に大きいので)連続変数の様に考えて良い。そし
て(左右への偏りは非常に小さいと予想されるので)x の小さい所のみ
を考え、(1.5) を x で表してから x についてテーラー(マクローリン)展
開してみる。すると
1
log(1 + t) = t − t2 + . . . (for |t| ¿ 1)
2
(1.7)
を用いて x の 2 次の項まで求めると
log PN (n) ' −2N x2 → PN (n) ' e−2N x
2
(1.8)
が得られる。x は連続変数なので x が x から x + dx の間にある確率を
PN (x)dx と書くと
√
2N −2N x2
PN (x) =
e
(1.9)
π
√
となる。
2N
π
の因子は (1.8) からは正確には導かれないが、これは(1.4)
√
の様にスターリングの公式で近似したためである。
∫
∞
−∞
PN (x)dx = 1
2N
π
は、規格化の条件
(1.10)
を満たす様に決めた。尚、厳密には x の定義域は − 12 ≤ x ≤ 21 であるが、
x がゼロから離れると確率は急激に小さくなるので −∞ < x < ∞ に拡
2
張して考えても特に問題ない。(1.9) で表される e−cx (c : 定数) の形の分
布は統計に良く出て来るもので
「ガウス分布 (Gaussian distribution)」
と呼ばれるものである。
(演習問題 2)次の積分公式を用いて (1.10) が成立することを確かめな
さい:
√
∫ ∞
π
−cx2
e
=
(1.11)
c
−∞
分布のピークの周りの広がりの程度(ゆらぎ(fluctuation))は、統計
で言われる「標準偏差」(平均値からのずれの 2 乗の平均の平方根)σ に
より表される。(1.11) を c で微分して得られる
√
∫ ∞
π 1
2 −cx2
xe
=
(1.12)
2 c 32
−∞
第1章
12
を用いると
∫
2
σ =
となる。つまり
∞
−∞
x2 PN (x)dx =
1
4N
1
σ= √
2 N
統計力学の考え方
(1.13)
(1.14)
と標準偏差が求まる。つまり広がりの程度が 2√1N という事だか、これは
(1.9)のガウス分布において 2N x2 が 1 を超えると関数が急激に小さくな
る事から 2N σ 2 ∼ 1 として大雑把に見積もる事も出来る。
例えば N ∼ NA ∼ 1024 とすると σ ∼ 10−12 となり、分布は非常に鋭い
ピークになり、予想した通り、左右に分子の分布が偏る確率はほぼゼロ
であり、殆ど起こり得ない事が分かる。
1.3
可逆と不可逆、平衡と非平衡
上述の様に最初箱の左側にあった気体は時間が経つと箱全体に広がり、
もはや左には戻らない。つまり
「不可逆変化 (irreversible change)」
が起きたことに成る。しかし、一方で元の力学法則(運動方程式)は時
間の進む向きを逆転する
「時間反転」t → −t
の下で不変なはずである。例えば、振り子の運動をビデオに撮って、
(同
じ速さで)逆回しすると、振り子の運動方向は変わるだろうが、その運
動に何の違和感もないであろう。逆回しの運動も同じ運動方程式に従っ
ているという証拠である。また、下図 (a) の様な 2 粒子の散乱を時間反転
すると、運動方向が逆転して下図 (b) の様になるが、この散乱もきちん
1.3. 可逆と不可逆、平衡と非平衡
13
と運動方程式に従っている。 しかし、いったん全体に広がってしまった気体が再び左に “集結”する
ことはほぼ起こり得ない。みしも気体の運動をビデオに撮り逆戻しすれ
ば左に集結するであろうが、そうした運動は実際にはほぼ有り得ないの
である。これは、ちょうどビンからこぼれて床に散らばったミルクが再
びビンに戻ることが有り得ないのと同じことである:
It’s of no use crying over spilt milk.
つまり、マクロな系では、必ず、秩序だった状態はより乱雑な状態に向
かう。これを
「エントロピー増大の法則」
という。
十分時間が経って気体が箱全体に一様に広がった状態は、いつまでも
そのままで、マクロに見る限り時間的に変化しないように見える。こう
した状態を
「熱平衡状態 (thermal equilibrium)」
という。これに対して、仕切りを取って孔があいてしばらくは、気体は
右に向かって流れだしマクロにも状態は変化する。こうした状態を
「非平衡状態 (non-equilibrium state)」
という。つまり
不可逆な状態: 非平衡状態 → 平衡状態 という変化であり、一度熱平衡に達するとそのままで留まるという事で
ある。
15
第2章
エネルギーの移動と熱
平衡
上述の箱の中の気体の運動の場合は、気体分子が移動して熱平衡状態
に達した。今度は、粒子は移動せず、エネルギーが移動することに依って
熱平衡に達する場合を考える。
より具体的には、高温の物質と低温の物質を接触させると高温の物質
は冷え、低温の物質は温まって最終的に同じ温度に成る、という場合を
考える。例としては (a) 熱した小石を水に入れる
(b) 温度の違う水を混ぜる といったものが挙げられる。気体の場合に述べた様に、
温度が高い → エネルギーが高い を意味する。よって、高温(高エネルギー)の物質から低温(低エネル
ギー)の物質にエネルギーが移動し、同一の温度の所で落ち着く、とい
う事が起こっていることに成る。
そうした例の一つとして、温度の異なる二つの個体 A、B を接触させ
る場合を考えよう。
目標: A、B の温度、即ち A、B それぞれにおける原子の平均エネルギー
が等しい状態が、確率が最大の状態として実現することを示す。
個体とは、原子が格子状に規則的に配列したものを言う(下図参照)。
絶対 0 度(T = 0)では、原子は皆、平衡点(周りからの力がつり合っ
16
第 2 章 エネルギーの移動と熱平衡
て合力ゼロの点)に静止しているが、有限温度 (T > 0) に成ると、その平
衡点の周りで微小振動(単振動)をしている。固体の温度は、この振動に
よる原子の力学的エネルギー(運動エネルギー + 位置エネルギー)の平
均値を表している(正確には平均値をボルツマン定数 k で割ったもの)。
二つの固体の接している面を通じて、温度の高い固体中の原子の激し
い振動が、温度の低い固体中の原子に伝わることで、原子が移動するこ
となくエネルギーの移動が起きる。これが、高温側から低温側に熱が伝
わる 「熱伝導」
という現象である。 2.1
孤立した固体のミクロな状態
一般的に、Na 個の原子からなる、他とは接触していない
「孤立した固体」
を考えよう。固体の原子は、平衡点の周りで微小振動(単振動)する互
いに(ほぼ)独立な調和振動子 (harmonic oscillator) と考えてよい。一個
の原子は、x, y, z 軸の各方向に振動するので、固体全体では
N = 3Na
(2.1)
個の独立な振動子がある。上で、
「ほぼ」独立、と言ったのは、実際には、
例えば一つの原子のみが振動したとすると、その振動は周りの原子にも
徐々に伝わり、十分時間が経つと固体全体が一様に振動する様に成るは
ずで、その意味で 「微弱な相互作用」
が存在するからである。上述の様に正にこの相互作用に依って熱伝導が
起こるのである。
さて、微弱な相互作用を(取りあえず)無視するとして、固体全体の
エネルギーが E と決められた時に、ミクロの個々の振動子の振動状態は
どうなっているか考えよう。なお、固体は孤立しているので、エネルギー
E は保存され変化しない事に気を付けよう。 x 軸に沿って振動する、1 次元的な(調和)振動子の持つエネルギーに
ついて考える。古典力学では振動子のエネルギーは連続的に変化出来る。
実際、(説明はしないが)振動子の力学的エネルギーは A2 (A : 振幅) で
2.1. 孤立した固体のミクロな状態
17
与えられるが、振幅 A は自由に変えられる。これは、ブランコに乗って
いる人の背を少しずつ押すと、乗っている人の力学的エネルギーを連続
的に変化させられるのと同様。
しかし、原子や分子といったミクロの世界を記述する現代物理学であ
る
「量子力学」
によると、他から受ける力によって限定された領域に束縛されている
「束縛状態(bound state)」の粒子
については、エネルギーは、連続的には変化できず、とびとびの
「離散的エネルギー」
のみとる事が可能である。このため、例えば水素原子の電子の軌道は特
定の半径(円軌道だと仮定し)に限定される。
調和振動子も束縛状態にあるので、そのエネルギーは離散的になり、
(説
明しないが)
1
En = (n + )h̄ω (ω : 角振動数)
(2.2)
2
ここで n = 0, 1, 2, 3, . . .、また
h̄ ≡
h
,
2π
h = 6.63 × 10−34 (J · s)
(2.3)
で、h はプランク定数と呼ばれ、量子力学に必ず現れる基本的な定数であ
る。古典物理では振動子が静止している時が一番エネルギーが低く E = 0
であるが、量子力学だと、最低(n = 0 の場合)でも E0 = 21 h̄ω という
“ゼロ点振動”を持つことになる。これは、量子力学特有の、ハイゼンベ
ルグの「不確定性原理」の帰結である(説明しない)。しかし、ここでは
(エネルギーにおける定数の違いは物理的意味を持たないので)ゼロ点振
動は無視して
En = nh̄ω
(2.4)
とする。つまり、振動子のエネルギーは h̄ω の整数倍のみをとる事になる。
この様に離散的になることを
「エネルギーが “量子化”される」
と言う。
しかし、日常的には、エネルギーが離散的に変わることは実感できな
い。それは、
(2.3)の様にプランク定数が非常に小さな数なので h̄ω は一
般に非常に小さく、従ってマクロの世界では連続的に変化するように見
えるからである。よってマクロのシステムである固体を考えるのには古
第 2 章 エネルギーの移動と熱平衡
18
典物理でも大きな問題はないが、離散的に扱うほうが振動子のとり得る
状態の数を数えるのに便利でもあり、ここでは量子力学を用いる。
すると、固体のエネルギー E も量子化され
E = M h̄ω
(2.5)
と書ける。M はゼロ以上の整数。固体全体で N = 3Na 個の(ほぼ)独
立な振動子が存在し、それぞれの振動子のエネルギーは (2.3) の様な量子
化されたエネルギーを持つので、それを表す整数((2.4)の n に当たる)
をそれぞれ
n1 , n 2 , . . . , n N
(2.6)
の様に表すと、固体全体のエネルギーを表す整数 M は
E = M h̄ω = (n1 + n2 + . . . + nN )h̄ω → M = n1 + n2 + . . . + nN (2.7)
で与えられる。
ここで考えたいのは、固体のエネルギー E 、つまり M が固定されたとき
に、振動子のとり得る状態の数、即ち整数の集合 (n1 , n2 , . . . , nN ) の可能の
場合の数である。例えば N = 3、M = 2 だと n1 + n2 + n3 = 2 を満たす解
を探す問題であり、解は (n1 , n2 , n3 ) = (1, 1, 0), (1, 0, 1), (0, 1, 1), (2, 0, 0),
(0, 2, 0), (0, 0, 2) の 6 通りあるが、これは赤、白、青の 3 色のボールから
(色の)重複を許して 2 個のボールを取り出す取り出し方の数である “重
複組み合わせの数” 3 H2 =3+2−1 C2 =4 C2 = 6 と同じである。
よって、(2.7) を満たす解、即、許される振動状態 (“量子状態”) の数を
WN (M ) と書くと WN (M ) =N HM =N +M −1 CM =
(N + M − 1)!
(N − 1)!M !
(2.8)
で与えられる。特に WN (0) = 1 であるが、これは E = 0 の時には全ての
振動子が静止(正確にはゼロ点振動)している状態のみが許される事を
言っている。しかし、M が大きくなると、許される量子状態の数は非常
に大きくなる。
(演習問題 3)
n 個の異なる物から重複を許して r 個取り出す時の組み合わせの数で
ある “重複組み合わせの数”n Hr が n Hr
=n+r−1 Cr
2.1. 孤立した固体のミクロな状態
19
で与えられることを説明しなさい。 ここで、非常に重要な、またもっともらしい仮定を設ける事にする。原
子が独立に振動しているとすると、時間が経っても状態は変化しない。仮
に一つの原子だけが振動しているとすると、その振動が周りに伝わる事
は無い。しかしながら、実際には、微弱な相互作用が存在し、振動は周
囲に伝わる。実際、熱伝導は、この相互作用のために起きる。十分時間
が経てば固体全体に一様な振動が生じるであろう。そこで、その状況下
では
「WN (M ) 個の可能な量子状態(振動状態)の一つ一つは 等確率 で起き
る」
と考えるのが妥当であろう。例えば、N = 3, M = 2 の場合の
(n1 , n2 , n3 ) = (1, 1, 0), (0, 1, 1), . . .
(2.9)
の 6 つの状態は、
(サイコロの目の数の場合と同様)皆 16 の等確率で起き
る、と考えるのである。 この仮定を用いて、いよいよ固体 A と固体 B という二つの固体を接し
て置いた時の熱伝導現象について考えてみよう。簡単のため二つの固体
は同種のものであるとし、それぞれの固体中の(独立な)振動子の数を
NA , NB 個
とする。二つの固体を合わせた全体は
N = NA + NB
(2.10)
個の振動子を持つ「孤立した固体」と見なすことが出来る。それぞれの
固体のエネルギーを EA , EB とすると、EA , EB の各々は、二つの固体
間のエネルギーのやり取りで変化し得るが、全体のエネルギー E = EA + EB
(2.11)
は、孤立しているので保存され変化しない。
二つの固体を合わせた「孤立系」として考えると、二つの固体を接触
させ十分時間が経つと、等確率の仮定により
WN (M ) (M =
E
)
h̄ω
(2.12)
個の可能な量子状態が、全て等確率で存在することになる。ここで、全
エネルギー E を一定に保ちながら、それそれの固体に EA , EB とエネル
第 2 章 エネルギーの移動と熱平衡
20
ギーが分配される確率を計算してみよう。固体 A がエネルギー EA 、固体
B がエネルギー EB を持つ時、それぞれの可能な量子状態の数はそれぞれ
WNA (MA ), WNB (MB ) (MA =
EA
EB
, MB =
)
h̄ω
h̄ω
(2.13)
で与えられ、従って孤立系全体としては WNA (MA ) · WNB (MB ) 個の状態
が存在することになる。よって EA , EB と分配される確率は
P (EA , EB ) =
WNA (MA ) · WNB (MB )
WN (M )
(N = NA + NB , M = MA + MB )
(2.14)
で与えられる。ただし、関数 WN (M ) は (2.8) で与えられる。
いよいよ、M = MA + MB を固定しながら MA , MB を動かすとき、ど
の様な場合に P (EA , EB ) が最大に成るか、計算して求めてみよう。その
場合が実際に熱平衡で実現する状態だと考えられるからである(ちょう
ど、箱の中の気体の場合に、左右に同数ずつ存在する場合が確率最大で、
かつ熱平衡で実現する状態であった様に)。そこで、(2.14) の分母は一定
なので、分子の log
Σ(EA , EB ) ≡ log(WNA (MA ) · WNB (MB ))
(2.15)
を考え、スターリングの公式を用いた (N + M )!
)
N !M !
' (N + M )[log(N + M ) − 1]
log WN (M ) ' log(
−N [log N − 1] − M [log M − 1]
M
M
M
M
= N {(1 + ) log(1 + ) −
log }
N
N
N
N
(2.16)
て近似すると
Σ(EA , EB )
MA
MA
MA
MA
) log(1 +
)−
log
}
NA
NA
NA
NA
MB
MB
MB
MB
+NB {(1 +
) log(1 +
)−
log
}.(2.17)
NB
NB
NB
NB
' NA {(1 +
M
A,B
ここで、MA,B は本来整数だが、式中では常に NA,B
の形で現れるので、あ
たかも連続変数の様に見なして構わない。そこで (2.17) を MA で微分し
d
d
d
=
=−
(2.18)
M = MA + MB →
dMA
−(dMB )
dMB
2.1. 孤立した固体のミクロな状態
21
に注意すると、Σ(EA , EB ) が最大となる条件は
dΣ(EA , EB )
dMA
MA
MA
MB
MB
' log(1 +
) − log
− {log(1 +
) − log
}=0
NA
NA
NB
NB
MA
MB
MB
MA
) − log
= log(1 +
) − log
, (2.19)
→ log(1 +
NA
NA
NB
NB
即ち
MA
MB
M
=
=
→
NA
NB
N
EA
EB
E
=
=
NA
NB
N
(2.20)
となる。(2.20) の物理的な意味は 「固体 A と固体 B の平均エネルギーが一致する場合が最も確率が高い」
という事である。既に述べた様にエネルギーの平均値は絶対温度に比例
するので、これは
「固体 A と固体 B の温度が一致する場合が熱平衡状態として実現する」
ことを強く示唆するのである。
念のため、気体分子の時と同様に、最も確率の高い (2.20) の状態から
ズレる確率がどの程度か考えて見よう。その為に
MA =
NA
M + x,
N
MB =
NB
M − x (MA + MB = M )
N
(2.21)
の様に “ズレ”を表す変数 x を導入しよう。(2.17)に (2.21) を代入し、x
が小さいとしてテーラー展開し x2 の項(オーダー)まで求めると(演習
問題を参照)
Σ(EA , EB ) ' Σ0 −
N3
x2
2(N + M )M NA NB
(2.22)
となる。ここで
Σ0 ≡ N {(1 +
M
M
M
M
) log(1 + ) −
log }.
N
N
N
N
(2.23)
よって、NA ∼ NB ∼ N であり、また M ∼ N とすれば、(2.22) の x2 の
2
項は ∼ − xN の様に振る舞うので、結局 (2.14)、(2.15) より
P (EA , EB ) ∝ exp(−
x2
)
N
(2.24)
第 2 章 エネルギーの移動と熱平衡
22
の様に振る舞い、従って気体分子の運動の場合と同様に((1.9) 参照)、x
の標準偏差は
√
|x| ∼ N
(2.25)
程度である。これから、エネルギの揺らぎ |²| = h̄ω|x| は全エネルギー E
に対して相対的に |²|
h̄ω|x|
|x|
1
=
∼
∼√
E
h̄ωM
N
N
(2.26)
となり、N がアボガドロ数程度だと殆ど無視できることになる。こうし
て、予想通り「固体 A と固体 B の温度が一致する場合が熱平衡状態とし
て実現」し、いったんこの状態が実現すると固体のマクロな状態は(殆
ど)変化しないことが示された。
(演習問題 4)
Σ(EA , EB )
MA
MA
MA
MA
) log(1 +
)−
log
}
NA
NA
NA
NA
MB
MB
MB
MB
+NB {(1 +
) log(1 +
)−
log
}.
NB
NB
NB
NB
' NA {(1 +
に
NB
NA
M + x, MB =
M −x
N
N
を代入して x についてのテーラー展開を実行し、x2 の項まで求めなさい。
MA =
23
第3章
等確率の原理とエント
ロピー
前章では、簡単な固体のモデルを用いて熱平衡の問題を考察したが、そ
こでの議論は一般化することが出来る。ここでは、エントロピーの概念
を導入して熱平衡の問題を一般的に考える。 3.1
等確率の原理
孤立したマクロな物体(孤立系)を考える。物体のエネルギーが E の
場合の、可能な量子状態の数を
W (E)
(3.1)
と書く。前章の (2.16) より分かる様に、log W (E) は N (N : 系に含まれ
る粒子数) のオーダー(係数は無視し、桁くらいを問題にする)なので、
W (E) は eN のオーダーの膨大な数になる。 粒子間の相互作用によって常に可能な状態間で移り変わっていて、可能
な量子状態のどれが特別に実現確率が高くなると考える理由はない。そ
こで 「孤立系では、十分長い時間でみると、実現可能な量子状態の各々は皆
等しい確率で実現する」
という仮定を置く。これを
「等確率の原理 (principle of equal a priori probabilities) 」
という。
次に二つの物体 A、B(前章と違い、互いに異なる物体でも構わない)
を接触させる場合を考える。A、B のそれぞれが EA , EB のエネルギー
を持つ時の、それぞれの可能な量子状態の数を WA (EA ), WB (EB ) とする
(物体が違えば関数 WA,B (E) も一般に異なる)。A、B をまとめた全体の
第3章
24
等確率の原理とエントロピー
孤立系がエネルギー E である時、接触により EA,B のそれぞれは変化す
るが
E = EA + EB
(3.2)
は一定に保たれるので、全体としての可能な状態数 W (E) は W (E) =
∑
W (EA , EB )
(3.3)
EA +EB =E
である。ここで
W (EA , EB ) ≡ WA (EA ) · WB (EB )
(3.4)
は A, B が EA,B という特定のエネルギーを持つ時の系全体の状態数を表す。
「等確率の原理」から、(3.3) で与えられる個数の可能な状態は全て等
しい確率で実現するので、A, B が EA,B という特定のエネルギーを持つ
確率 P (EA , EB ) は
W (EA , EB )
P (EA , EB ) =
(3.5)
W (E)
で与えられる。 3.2
エントロピーと温度
前章の具体例でみた様に、この孤立系が熱平衡に成った時のエネルギー
の配分(EA , EB )は、(3.5)が最大に成る様に決まる。その条件は
W (EA , EB ) の対数をとったものが最大に成る条件と同じである。そこで、
一般に量子状態の数 W (E) の対数をとって
「エントロピー(entropy)S(E)」
を次のように定義する: S(E) = kB log W (E),
(3.6)
ここで係数
kB = 1.380658 × 10−23 J/K (K : ケルビン、絶対温度の単位)
(3.7)
3.2. エントロピーと温度
25
は
「ボルツマン定数」
と呼ばれ、統計力学における最も基本的な定数である。
(N.B.) 確率最大の条件を考えるだけなら、(3.6) の比例定数は何でもよい
が、kB を採用することで「熱力学」で登場するエントロピーと一致する
のである。
エントロピーの定義に従って
S(EA , EB ) = kB log W (EA , EB ) = SA (EA ) + SB (EB )
(3.8)
と書く。ここで
SA (EA ) = kB log WA (EA ), SB (EB ) = kB log WB (EB ).
(3.9)
熱平衡の状態を決める条件式は、E = EA + EB を固定しながら EA を
変化させた時に S(EA , EB ) が最大に成る条件、即ち
dS(EA , EB )
dS(EA ) dS(EB )
=
−
=0
dEA
dEA
dEB
(3.10)
である。ここで dMd A = − dMd B ((2.18) 参照)の関係を用いた。(3.10) よ
り、熱平衡の条件式は
dS(EA )
dS(EB )
=
dEA
dEB
(3.11)
となる。この関係が成立する時の EA,B を
EA = EA0 , EB = EB0 ,
(3.12)
と書くと、この (EA0 , EB0 ) の組み合わせが、熱平衡で実現するエネルギー
の配分に他ならない。 前章の具体例では、(3.11) は、固体 A と固体 B の(1 振動子当たりの)
平均のエネルギーが等しい、即ち絶対温度が等しい、という条件であるこ
とをみた。そこで、エントロピーをエネルギーで微分したものは (絶対)
温度 T と関係すると考えられる。実際、温度 T とは、次の様に定義され
るものである:
1
dS
= .
(3.13)
dE
T
第3章
26
等確率の原理とエントロピー
すると、(3.11) の熱平衡の条件式は
1
1
=
TA
TB
→
TA = TB ,
(3.14)
となり、
「二つの物体の温度が等しくなった所で熱平衡が実現する」
という、直感(常識)にも合った結論が得られた事になる。
dS
所で、エントロピーのエネルギー微分を温度の逆数ではなく、仮に dE
=
T の様に定義しても「温度が一致する」と言う結論に変わりはない。で
dS
は、何故 dE
は温度の逆数である必要があるか、少し考えてみよう。
二つの物体を接触させた時に(3.11)が満たされず
(a)
dS(EA )
dS(EB )
>
dEA
dEB
(b)
dS(EA )
dS(EB )
<
dEA
dEB
(3.15)
のいずれかであった場合、その後何が起きるであろうか ? 例えば (a) の
場合には dS(EA , EB )
dS(EA ) dS(EB )
=
−
>0
(3.16)
dEA
dEA
dEB
なので((3.10) 参照)、EA が増え、EB が減少する方が実現確率 S(EA , EB )
が大きくなる事が分かる。よって、その方向に動くと熱平衡が実現する
A)
B)
と考えられる。(a) の時には dS(E
の方が dS(E
より大きいが、一方で、
dEA
dEB
この時には、A の方が温度が低いために、B から A に熱エネルギーが移る
B)
A)
、 dS(E
は A, B の温度ではなく、その逆
と考えられる。とって、 dS(E
dEA
dEB
数と考えるのが妥当なのである。実際、(3.13) の定義の下では 、(a), (b)
はぞれぞれ
(a) TA < TB , (b) TA > TB
(3.17)
を意味し、熱が高温側から低温側に移動するという日常の経験則と一致
することになる。
(N.B.) ボルツマン定数 kB は J/K の単位を持つので ((3.7) 参照)、
(log は
無次元なので)エントロピーも同じく J/K の単位を持ち、従って、これ
をエネルギーで微分すると 1/K の単位となるので、1/T と定義するのが
妥当である事が分かる。しかし、これはむしろ論理が逆であり、上の議
論が本来の理由である。
尚、熱平衡からのエネルギーのズレを ² で
EA = EA0 + ²,
EB = EB0 − ²,
(3.18)
3.3. 示量的と示強的
27
と表し、S(EA , EB ) を ² の 2 次までテーラー展開すると 1 d2 SA
d 2 SB
S(EA , EB ) = S(EA0 , EB0 ) + {(
)
+
(
)0 }²2
0
2 dEA2
dEB2
(3.19)
となる。ここで ² の項は(3.11)より(当然ではあるが)消える事に注意
2
しよう。また、例えば ( ddES2A )0 は EA = EA0 での値であることを意味する。
A
S(EA0 , EB0 ) が最大値であるためには、2 次の項の係数が (
d2 SA
d2 SB
)
+
(
)0 < 0
0
dEA2
dEB2
(3.20)
を満たす必要がある。つまり一般に
d2 S
<0
dE 2
(3.21)
である必要があるが、前章の具体例ではこれが確かに満たされることを
見た((2.22)を参照)。 エントロピー増大の法則 上で議論したように、熱平衡からずれた状態から出発すると、エント
ロピーが増大しながらエントロピー最大の熱平衡状態に近づく。この変
化は不可逆過程であり、エントロピーは常に増大するという事になる。こ
れを
「エントロピー増大の法則 (law of increasing entropy)」
と言う。
3.3
示量的と示強的
(3.8)において、A, B が同じ物質で出来た質量も同じ全く同等の物体
であったとすると、全体のエントロピーは個々のエントロピーの 2 倍に
なる。つまり、エントロピーは物質の量が 2 倍になると 2 倍になる。この
様に、物質量に比例して増大する物理量を
「示量的 (extensive) な量」
という。これに対して、示量的な量であるエントロピーを、同じく示量
的な量であるエネルギーで微分して得られる温度は物質量を 2 倍にして
も変化しない。実際、同じ温度の水を混ぜても温度は変化しない。この
28
様に物質量に依らない物理量を
「示強的 (intensive) な量」
という。
第3章
等確率の原理とエントロピー
29
第4章
ミクロカノニカル分布と
理想気体(自由粒子の量
子力学)
熱平衡にある孤立系では、与えられたエネルギー E の、可能な “ミク
ロな”量子状態は全て等確率で実現すると考える。この様な量子状態の確
率的な分布を
「ミクロカノニカル分布(microcanonical distribution, 小さな正準分布)」
と言う。ちょうどサイコロの各目の出る確率が分かれば、目の数の期待
値を計算することが出来る様に、ミクロカノニカル分布が分かれば、色々
な物理量の期待値(平均値)を求めることが出来る。簡単な系以外では、
こうした計算は容易ではないし、また現実の物体は孤立系ではない場合
が多い。しかし、統計力学の基礎となる考え方なので、“理想気体”の場
合にこの考え方を適応して何が言えるかみてみよう。
4.1
量子力学の簡単な復習
ここで、少し量子力学の復習をしておこう。
4.1.1
波動関数と物質波
古典物理学では、例えば電子は粒子であって、ある時刻における位置
は空間の一点に確定していると考えている。しかし、量子力学では電子
の位置は確定せず、従って 「位置の不確定性」
が存在すると考える。つまり、ある時刻における位置は、空間的に確率
的に分布し、その分布を表すのが 「波動関数」ψ(t, ~r) (~r:電子の位置ベクトル)
30
第 4 章 ミクロカノニカル分布と理想気体(自由粒子の量子力学)
である。注意するのは波動関数は一般に複素数であり、時刻 t に位置 ~r に
電子が存在する確率は
|ψ(t, ~r)|2
(4.1)
で表される。正確には(4.1)は確率密度である:~r の点を含む無限小体
積 dV 中に存在する無限小確率 dP は dP = |ψ(t, ~r)|2 dV
↔
dP
= |ψ(t, ~r)|2
dV
(4.2)
で表される。こうして、古典物理では粒子と考えられていたものが波動
性も併せ持つ、という驚くべき結論が得られる:
「粒子性と波動性の両立」。
逆に、それまで波動であると考えられていた光(電磁波)は粒子性も
併せ持ち、光の粒子である光子(アインシュタインが提唱)の持つエネ
ルギーは E = hν = h̄ω
(4.3)
で与えられる。ここで h, h̄ は (2.3) で与えられる定数であり、また ν は
光の振動数であり、ω = 2πν は角振動数(単振動では角速度とも呼ばれ
る)。つまり、光のエネルギーは nh̄ω (n = 0, 1, 2, · · ·) の様に “量子化” さ
れる事になる。興味深い事に、これは、調和振動子についての (2.4) と全
く同じ状況であるが、これは偶然ではなく、電磁波も色々な振動数(波
長)の調和振動子の集まりと物理的には同等であると言えるからである。
歴史的には、プランクが光のエネルギーの量子化を発見したのが量子
力学の誕生であり、更にアインシュタインによって光は光子という粒子
性を持つ事が指摘された。その後、ド・ブロイによって、逆に今まで粒
子(物質)と考えられていたものも波動性を持つに違いないという
「物質波 (matter wave)」
の考え方が提唱されたのである。
ド・ブロイは、エネルギー E 、運動量の大きさ p = mv (m, v:粒子の
質量、速さ) の粒子の持つ物質波の振動数 ν と波長 λ は
E
,
h
h
λ= ,
p
ν=
で与えられるとした。これを 「ド・ブロイの関係式」
(4.4)
4.1. 量子力学の簡単な復習
31
と言い、 特に λ = hp で与えられる波長を
“ド・ブロイ波長”
と言う。ド・ブロイは光の場合を参考に、この関係を提唱したと言われて
いる。まず、光子の場合には(4.3)が成り立つので、これを ν について
解いたのが (4.4) の上の式である。また、下の式については、光を波動と
考えた時の波の基本式 c = νλ、および粒子だと考えた時の、光速で運動
する質量ゼロの粒子の満たす E = cP から
c = νλ =
E
p
→ λ=
E1
Eh
h
=
=
pν
pE
p
(4.5)
として導いたと言われている。(4.5)の最後の変形では ν = Eh を代入
した。 簡単のために、一次元的な運動を考えると、力を受けない粒子は等速
直線運動をする。こうした粒子を
「自由粒子」(free particle)
と呼ぶ。この場合、速度従って運動量 p(正確には、その x 成分) が一定
の運動であるので、物質波で考えると波長が λ = hp で一定の波動で表さ
れる。
例えば海水によって生じる、波長 λ、振動数 ν の波の時刻 t における変
位(波が無い時からの海面の上下の変化)y は
x
y = A sin{2π( − νt)} = A sin(kx − ωt) (A : 振幅)
λ
(4.6)
は “波数”と呼ばれる(正確に
で与えられる(“正弦波”)。ここで k ≡ 2π
λ
は、波数ベクトルの x 成分)。
同様に、x 軸に沿って運動する自由粒子の運動は
ψ = Aei(kx−ωt) = Aei
(px−Et)
h̄
(4.7)
という波動関数で表される。ここで、k = 2π
, ω = 2πν および、ド・ブロ
λ
イの関係式 (4.4) を用いた。注意すべき事は、運動量の確定した波動関数
は必然的に(4.7)の様な複素数に成るという事である。これは、量子力
学では、運動量には、次の様な空間座標に関する偏微分が対応するため
である
∂
p → −ih̄ .
(4.8)
∂x
これを
「対応原理」
32
第 4 章 ミクロカノニカル分布と理想気体(自由粒子の量子力学)
と言う。実際、(4.7) の波動関数に (4.8) の偏微分を行うと
(px−Et)
∂
ψ = Apei h̄ = pψ
(4.9)
∂x
となり、確かに波動関数が p 倍されることが分かる。逆に言えば、(4.9)
の様に偏微分して p 倍(定数倍)に成る時に波動関数は運動量が p で確定
した粒子の運動を表していることに成る。
しかし、例えば、実数の波動関数(正弦波)を考えるとオイラーの公
iθ
−iθ
式より sin θ = e −e
なので 2i
−ih̄
px
px
px
Aei h̄ − Ae−i h̄
A sin( ) =
(4.10)
h̄
2i
と書ける(t 依存性は無視した)。つまり、実数の波動関数は運動量が p
と −p の逆向きの運動が混じったものを表していて、運動量が確定して
いない(どっち付かずの)状態に成ってしまうのである。
4.1.2
束縛状態におけるエネルギーの量子化
既に、単振動についての説明において、束縛状態ではエネルギーが量
子化されると述べたが、これを、水素原子の電子の場合について、物質
波を用いて理解してみよう。水素原子において電子が半径 r の円軌道上
を運動しているとしよう。その時の運動量の大きさを p とすると、円軌
道に沿ってド・ブロイ波長
h
λ=
(4.11)
p
の物質波が生じることになる(図を参照)。
波動関数は一周すると元の値に戻る必要があるので(これを
「周期的境界条件 (periodic boundary condition)」
4.1. 量子力学の簡単な復習
33
という)、図の様に、円の円周がド・ブロイ波長の整数倍、即ち
2πr = n
h
p
→ rp = nh̄ (n = 1, 2, · · ·)
(4.12)
という条件式が導かれる。
(直感的には、もしこの条件が満たされないと、
電子が軌道を回る毎に物質波の干渉効果で波が次第に打ち消されてしま
う、と考えることも出来る。)尚、(4.12)で rp は角運動量の、円軌道の
面に垂直な成分を表しているので、この条件式は 「角運動量は h̄ の整数倍に量子化される」
という条件式とも言える。これは
「ボーア・ゾンマーフェルトの量子化条件」
と呼ばれるものである。
すると、電子が原子核中の陽子からの電気的引力(クーロン力)を受
けて円運動をするとき、(4.12)の条件を満たす軌道半径 r は限られたも
のに限定される(演習問題を参照)
: h̄2 2
rn =
n (n = 1, 2, · · ·).
mke2
(4.13)
これから、電子の持つエネルギーも離散的に成り、
「エネルギーの量子化」
が起きることになる:
En = −
mk 2 e4 1
(n = 1, 2, · · ·).
2h̄2 n2
(4.14)
(4.14) の導出については、各自トライして頂きたい。 (演習問題 5)
水素原子の電子の円軌道の半径が
h̄2 2
rn =
n (n = 1, 2, · · ·).
mke2
と離散的になる事を、ボーア・ゾンマーフェルトの量子化条件
rp = nh̄ (n = 1, 2, · · ·)
を用いて示しなさい。
(ヒント)電子は、陽子からクーロン力(引力)を
2
2
受けるので、運動方程式より k re2 = m vr を満たす。ただし、k はクーロ
ンの法則の比例定数、e は陽子の電荷(電気素量)、m, v は電子の質量と
速さである。
34
4.2
第 4 章 ミクロカノニカル分布と理想気体(自由粒子の量子力学)
理想気体 (自由粒子の量子力学)
気体とは、分子が空間を自由に飛び回っている状態。実際には分子間
に力は働く(それで散乱が起きる)が、その機会は少ない。そこで、理
想化した、分子間の力が全く働かない 「理想気体(ideal gas)」
をモデルとして考える。
一辺が L の立方体の容器に入っている理想気体を考え、気体分子の集
団の量子状態がどの様であるか調べてみよう。理想気体では各分子は独
立に運動する。そこで、まず、ある一つの粒子の運動を考える。更に、そ
の 1 次元的な(x 軸方向の)運動に着目する。力を受けない自由粒子の運
動量は保存され一定なので、これを p(運動量の x 成分)とすると、この
粒子の波動関数は (4.7) より(t に依存した部分は省略)
ψ(x) = Aeikx
(4.15)
で与えられる。ただし
p
.
(4.16)
h̄
さて、自由粒子とは言っても実際には粒子の運動範囲は容器内の領域で
ある 0 ≤ x ≤ L に限定されている。そこで、ちょうど円周 L の円に拘束
されて運動する粒子の場合と同様に、x 座標が L 進むと波動関数は元に
戻るという条件
ψ(x + L) = ψ(x)
(4.17)
k=
を課すことにする。こうした条件を 「周期的境界条件 (periodic boundary condition)」
という。(4.17) を満たすためには波数 k は
k=
2π
n (n = 0, ±1, ±2, . . .)
L
(4.18)
の様に離散化され、また (4.16) より運動量も p=
2πh̄
n (n = 0, ±1, ±2, . . .)
L
(4.19)
と離散化される必要がある。
この議論を実際の 3 次元空間中の運動に一般化すると、粒子の x, y, z
それぞれの方向の運動量成分 px , py , pz は、いずれも (4.19) の様に離散化
4.2. 理想気体 (自由粒子の量子力学)
35
される:
2πh̄
2πh̄
2πh̄
n x , py =
ny , pz =
nz , (nx , ny , nz = 0, ±1, ±2, . . .).
L
L
L
(4.20)
この粒子の持つエネルギーを ² とすると
px =
²=
p2 + p2y + p2z
|~p|2
(2πh̄)2 2
= x
=
(n + n2y + n2z )
2m
2m
2mL2 x
(4.21)
となる。
運動量が量子化(離散化)される様子を、少し簡単化して (px , py ) のみ
(pz = 0 として)の 2 次元的な場合に px , py の値をそれぞれ横軸、縦軸に
とる
「運動量空間」
の格子
で表すと下図の様に、可能な状態は、縦横の間隔がいずれも 2πh̄
L
点で表される。
エネルギーが ² 以下の可能な量子状態の数は、
p2x + p2y
≤²
2m
→
p2x + p2y ≤ 2m²
(4.22)
√
より、運動量空間において、原点を中心とする半径 2m² の円内に入る
格子点の数に等しい。運動量空間において、格子点は面積 ( 2πh̄
)2 当たり
L
一つ存在すると言える。よって ² 以下の可能な量子状態の数は、円の面
)2 で割って
積を ( 2πh̄
L
√
√
L2
π( 2m²)2
=
π( 2m²)2
2πh̄ 2
2
(2πh̄)
( L )
となる。
(4.23)
36
第 4 章 ミクロカノニカル分布と理想気体(自由粒子の量子力学)
同様に、現実的な 3 次元空間の場合には、
2πh̄ 2
2πh̄ 3 (2πh̄)3
) → (
) =
(V = L3 : 容器の体積),
L
L
V
√
3
4π
円の面積π( 2m²)2 → 球の体積 (2m²) 2
(4.24)
3
(
と置き換える事で、エネルギーが ² 以下の可能な量子状態の数 Ω(²) が
Ω(²) =
3
V 4π
(2m²) 2
3
(2πh̄) 3
(4.25)
と求まる。
4.3
理想気体のエントロピー
ここまで体積 V の容器中の 1 粒子の量子状態について考えた。この知
識を基に、N 個の同種分子からなる理想気体を考える。簡単のため、こ
こでは気体分子は一個の原子のみの
「単原子分子」
である場合を考える。
(水素分子 H2 や酸素分子 O2 の場合には、重心運動
の他に重心の周りの回転運動によるエネルギーも考慮する必要がある。)
各分子が 3 成分の運動量 (pix , piy , piz ) (i = 1, 2, · · · , N ) を持つので、全部
で運動量の成分の数は 3N 個になり、従って運動量空間は
3N 次元
になる。また、3N 個の運動量の成分は皆 (4.20) と同様な量子化条件を満
たす。
更に、理想気体全体のエネルギー E は E=
p2 + p21y + p21z + p22x + p22y + p22z + · · ·
|~p1 |2 |~p2 |2
+
+ · · · = 1x
(4.26)
2m
2m
2m
と表わされる。よって、理想気体のエネルギーが E 以下の状態の数 Ω(E)
√
3N
は、3N 次元空間の半径 2mE の球の体積を ( 2πh̄
)3N = (2πh̄)
で割れば
L
VN
得られる。所で、一般に n 次元空間における半径 R の球の体積 Vn (R) は
n
2π 2 n
Vn (R) =
R
nΓ( n2 )
(4.27)
4.3. 理想気体のエントロピー
37
で与えられる (n = 2, 3 の場合には πR2 ,
ンマ関数と呼ばれる関数で、定義は
∫
Γ(z) =
∞
4πR3
3
となる)。ここで Γ(z) はガ
tz−1 e−t dt
(4.28)
0
であり、Γ(z + 1) = zΓ(z) という基本的性質と Γ(1) = 1, Γ( 21 ) =
いると、0 以上の整数 n について
Γ(n + 1) = n!,
1
(2n)! √
Γ(n + ) = 2n
π
2
2 n!
√
π を用
(4.29)
である。こうして、E 以下の状態の数 Ω(E) が
3N
3N
VN
2π 2
2
Ω(E) =
3N (2mE)
3N
(2πh̄) 3N Γ( 2 )
(4.30)
と求まる。
これから、理想気体のエネルギーが E ∼E + ∆E の微小の幅 ∆E の中
∆Ω
dΩ
に存在する量子状態数を W (E) とすると、 ∆E
' dE
より
W (E) = Ω(E + ∆E) − Ω(E) = ∆Ω '
dΩ
∆E
dE
(4.31)
で表される。微分を実行すると、∆E が十分小さければ
3N
3N ∆E
VN
π 2
2
W (E) =
3N (2mE)
3N
(2πh̄) Γ( 2 )
E
(4.32)
となる。 こうして、エントロピー S(E) は (3.6) より
3
4πmE
3
S(E) = N kB { log(
) + log V + }
2
2
3(2πh̄) N
2
(4.33)
で与えられる。ただし、(4.33) の導出においては Γ( 3N
) について(4.29)
2
∆E
およびスターリングの公式を用いた。また、kB log( E ) は示強的な量な
ので、示量的な量である N のオーダーの項に比べて無視し、log N 、1 の
オーダーの項も無視した。
38
第 4 章 ミクロカノニカル分布と理想気体(自由粒子の量子力学)
(N.B.)
実は、(4.33) の結果は正確ではない。エントロピーは示量的な量のハズ
であるが、例えば N, E, V を全て 2 倍にした時に (4.33) の S(E) は正確に
2 倍にはならない。それは log V から余分な log 2 の項が生じてしまうから
である。これは、同種粒子(同一の種類の分子の気体を考えている)の扱
いが正しくないからである。ここまでは N 個の粒子を区別出来るものと考
え、例えば粒子 1 と粒子 2 が (~
pa , p~b ) の状態にある場合と、(~pb , p~a ) の状態
にある場合を区別して来た。しかし量子力学では、これら 2 通りの状態は
区別出来ないものと考える。つまり順列の 2! 通りの場合を重複して数えて
いる事になる。つまり、全体として N ! 通りの数え過ぎがある事に成る。そ
こで、(4.32) を N ! で割り、従って (4.33) から kB log N ! ' kB N (log N − 1)
を引けば
3
4πmE
V
5
S(E) = N kB { log(
) + log( ) + }
2
2
3(2πh̄) N
N
2
(4.34)
V
)
とエントロピーが修正される。今度は N, E, V が 2 倍になっても log( N
は不変なので、S(E) は正しく示量的になる。
4.4
当分配の法則
エントロピーが求まったので、これから理想気体の温度とエネルギー
の関係を導くことが出来る。(3.13)より気体の温度が
1
dS(E)
d 3
3
1
=
=
( N kB log E) = N kB .
T
dE
dE 2
2
E
(4.35)
これから
3
E = N kB T
2
となる。つまり、粒子(気体分子)1 個当たり平均して 3
kB T
2
(4.36)
(4.37)
のエネルギーを持つ事になる。これは、分子の種類に依らず、言わば全
ての分子に “等しく 23 kB T ずつエネルギーが分配される”、という事で
「当分配の法則」
と呼ばれる。
4.4. 当分配の法則
39
1 モルの気体分子を考えると (4.37) を NA (アボガドロ数)倍して
3
RT
2
(4.38)
のエネルギーを持つ事になる。ここで
R ≡ NA kB = 8.314510 J/K
(4.39)
は、化学で学んだ気体定数 (gas constant) に他ならないことが分かる(値
がぴったり一致する)。(4.38) は(単原子分子の)1 モルの気体の持つ “
内部エネルギー”として知られているものである。理解の仕方としては、
x, y, z それぞれの方向の運動ごとに 21 RT の内部エネルギーが与えられる
と考えれば良い。
尚、水素や酸素の気体 H2 , O2 の様な “二原子分子”の場合には、重心の
周りの回転運動のエネルギーも考慮する必要があるため、内部エネルギー
は 52 RT となる。
41
第5章
熱と仕事
ここまで、孤立した、熱平衡にある系の状態をエントロピーを用いて
考えて来た。
ここでは、孤立系に外部から影響を与える(エネルギーを与えたり、体
積を変えたり)と、系の状態がどの様に変化するか考えてみよう。 5.1
熱と温度
孤立系の温度は(3.13)より
1
dS(E)
=
T
dE
(5.1)
で与えられるが、系の量子状態数 W (E) やエントロピー S(E) は、その系
を特徴づけるパラメター(固体なら原子振動の ω 、理想気体なら容器の
体積 V の様な)にも実際には依存する。そこで、理想気体の場合につい
てはエントロピーを
S(E, V )
(5.2)
の様に書くことにしよう(実際には(4.34)の様に粒子数 N にも依るが、
粒子数は当面一定と考えるので、その依存性は無視)。すると、
(3.13)は、
V を一定にし、E のみについて微分するので、偏微分で
∂S(E, V )
1
=
∂E
T
あるいは (5.3)
1
∂S
)V =
(5.4)
∂E
T
の様に表される。(5.4)で添字の V は体積を一定に保つ事を意味する。
所で、
(5.4)は気体のエネルギーが変わるとそれに応じてエントロピー
も変化することを言っているが、実際に(気体の体積を一定に保ったま
ま)気体のエネルギーを変えるにはどうしたら良いであろうか?例えば、
(
第5章
42
熱と仕事
エネルギーを大きくしたければ、即ち(4.37)より気体の温度を高くした
ければ、気体を温めれば良い。容器の温度を気体の温度より高くしてや
れば、容器の壁の分子と気体分子の相互作用によって、容器のエネルギー
が気体に移動し、気体の温度、つまり気体の内部エネルギーが大きくな
る。この様に、ミクロな過程によって移動するエネルギーを
「熱(熱エネルギー, heat)」
という。
(5.4)は、V 一定の条件下では、エネルギーどエントロピーの無限小
の変化 dE, dS の間に
dS
1
=
dE
T
↔ dE = T dS
(5.5)
の関係があることを言っているが、この場合 dE は外部から与えられる
(無限小の)熱(q と書こう)に等しいので q = T dS
(5.6)
と書くことができる。これは熱とエントロピーの間の重要な関係式である。
5.2
断熱変化、仕事と圧力
系の(内部)エネルギーを変えるもう一つの方法は、系を特徴づける
パラメターを変えることである。気体の場合なら、外部からの熱を遮断
して容器の体積 V を変えればよい。
体積を変えると気体分子の運動はどう変化するだろうか?最初、気体
分子は古典力学に従って運動するとしよう。下図の様なピストン付の容
器に入った気体を考える。ピストンをゆっくりと引き、容器の体積を増
やすと、ピストンに衝突して跳ね返るときの分子の速さは、衝突前より
小さくなり、分子の運動エネルギーも減少する。つまりピストンの引く
ことで気体の内部エネルギーは減少し温度が下がることになる。これを
マクロにみると、気体はその圧力でピストンを押し、その方向にピスト
ンを動かすことでピストンに対して仕事をし、その結果自分自身の内部
エネルギーを失ったと考えることが出来る。逆に、ピストンをゆっくり
5.2. 断熱変化、仕事と圧力
43
押し込めると、気体のエネルギーは増加する。
次に、これを量子力学的に考えてみよう。ピストンを x 軸方向にゆっ
くり引くと考えると、運動量の x 成分が px = πh̄
n と整数 n で表される
L
状態にあった分子は、n は変化しないまま(ゆっくり変化させるので)、
L が L0 と長くなり(L < L0 )、p0x = πh̄
n の状態に変化する。よって、運
L0
動量が減るのでエネルギーも減少する事になる。直観的には、体積の増
加でド・ブロイ波長が長くなり、運動量が減ってエネルギーも減少する、
というわけである。
尚、この様に系の状態が徐々に変わり、量子状態を表す n が変化しな
いような状態変化を
「断熱変化 (adiabatic change)」
という。断熱変化では、体積変化 V → V 0 によりエネルギーも E → E 0
と変化するが対応する状態の数は変化しない:
W (E, V ) = W (E 0 , V 0 )
(5.7)
よってエントロピーも変化しない:
S(E, V ) = S(E 0 , V 0 ).
(5.8)
即ち 「断熱変化では、エントロピーは一定に保たれる。」
さて、上述のように、ピストンが引かれて容器の体積が大きくなると
気体のエネルギーが減少するのは、気体がその圧力でピストンを押し、そ
の方向にピストンを動かす事でピストンに対して仕事をしたために内部
エネルギーを失ったと考えることが出来る。気体の圧力を p とし、ピス
トンの断面積を A とすると、気体がピストンを押す力は pA である。こ
第5章
44
熱と仕事
の力で、ピストンが無限小の距離 dL だけ動いた(スライドした)とする
と、この時に気体がピストンに対してした無限小の仕事 dW は
dW = (pA)dL = p(AdL) = pdV
(5.9)
と表される。ここで dV は容器の体積 V の変化量で、dV = AdL である。
この仕事の分だけ気体の内部エネルギー E は減少するので、その無限小
の変化 dE は dE = −pdV
(5.10)
と書ける。
(5.2)の様に、エントロピー S(E, V ) は E, V の関数であるが、これか
ら E は S, V の関数とも考えられる。
(5.5)は V を一定にした時、dE
=T
dS
である事、即ち、E = E(S, V ) と考えた時の S に関する偏微分が
(
∂E
)V = T
∂S
(5.11)
となる事を意味する。一方、上述の様に、断熱変化の時には S が一定で
dE
あり、(5.10) より dV
= −p なので
(
∂E
)S = −p
∂V
(5.12)
である。
一般に、例えば x, y の関数 f (x, y) について
df =
∂f
∂f
dx +
dy
∂x
∂y
(全微分の式)
(5.13)
が成立する。これから、S, V の関数 E についても dE = (
∂E
∂E
)V dS + (
)S dV
∂S
∂V
(5.14)
が言える。よって、(5.11)、(5.12) より
dE = T dS − pdV
(5.15)
となる。これが、一般にエントロピーと体積が dS, dV だけ変化した時の
内部エネルギーの変化 dE を表す式である。(5.6)、
(5.9)を用いて書き換
えると dE = q − dW
(5.16)
5.3. 定積比熱と定圧比熱
45
という関係が得られるが、これは、気体の内部エネルギーは、外部から
得た熱 q から外部に対してした仕事 dW を差し引いただけ増加する、と
いう事を言っていて、エネルギー保存則を述べているに過ぎない事が分
かる。(5.16) の関係式を
「熱力学の第 1 法則」
と言う。
さて、理想気体のエントロピーの式 (4.34) から (4.25)((5.11) と同等の
式) の様にして温度 T を求めたが、今度は (5.12) に従って、圧力 p を計算
してみよう。
(4.34)から E を S, V の関数として表し、V で偏微分すれば
良いが、ここでは (4.34) を S を一定にして V で微分してみる(陰関数の
微分)。S は一定なので、この微分はゼロであり、E が V に依存する事を
考慮すると 0 = N kB
∂ 3
3 1 ∂E
1
( log E + log V ) = N kB {
(
)S + }.
∂V 2
2 E ∂V
V
(5.17)
これから
∂E
2E
)S =
∂V
3V
が得られる。更に内部エネルギーの式 (4.36) を代入すると
p = −(
pV = N kB T
(5.18)
(5.19)
が得られる。特に気体が 1 モルの場合、つまり N = NA の時には NA kB =
R より
pV = RT
(5.20)
であるが、これは良く知られた 「気体の状態方程式」
に他ならない。
5.3
定積比熱と定圧比熱
理想気体に熱を加えると温度が上昇する。単位量(例えば 1 モル)の
気体に(無限小の)熱 q を加えた時に気体の温度が dT だけ上昇したとす
ると q
C=
(5.21)
dT
第5章
46
熱と仕事
を気体の
「比熱」(specific heat)
と言う。
「単位温度上昇させるのに必要な熱」
という意味で、比熱の大きい気体ほど温度が変わり難いと言える。1モ
ルの気体の比熱を「モル比熱」という。
実際には、外部から同じ熱 q を与えても、
(同じ気体でも)温度の上昇
の仕方は状況に依り異なる。そこで、二つの典型的な場合について比熱
を求めてみよう。
5.3.1
定積比熱
まず、気体の体積 V が変化しない(ピストンを固定)、“定積変化”の場
合の比熱である
「定積比熱」Cv
について考えよう。熱力学の第1法則より、熱と気体の内部エネルギーの間
の基本的関係として、
(5.16)の関係、dE = q −dW 、あるいは dW = pdV
((5.9) 式)より
dE = q − pdV
(5.22)
の関係がある。
定積変化では dV = 0 なので、dE = q となり、この場合の比熱は (5.21)
より
dE
Cv =
(5.23)
dT
と書ける。すると、1モル当たりの気体の内部エネルギー E =
((4.38))を代入すると、“定積モル比熱”は Cv =
d 3
3
( RT ) = R
dT 2
2
3
RT
2
(5.24)
と求まる。 5.3.2
定圧比熱
次に、気体の圧力を一定に保ちながら熱を加え膨張させる “定圧変化”
の場合の比熱である
5.4. 固体の内部エネルギーと比熱
47
「定圧比熱」Cp
を考えよう。例えば、容器を鉛直に立てて、ピストンに質量 M の重りを
乗せながら気体を膨張させると、気体の圧力は(ピストンが軽いとして)
Mg
に保たれる事になる(定圧)。
A
この場合には体積は変化するので、dV 6= 0 であり、(5.22) より
q = dE + pdV
(5.25)
である。一方、1 モルの気体の状態方程式 pV = RT ((5.20)) より、両辺
の全微分を考えると
RdT = d(pV ) = V dp + pdV
(5.26)
という関係が得られる。
(N.B.)(5.26) の右辺は、例えば x, y の関数 f (x, y) = xy について df =
d(xy) = ydx + xdy ( ∂f
= y, ∂f
= x) という全微分の式が成り立つこと
∂x
∂y
から(“積の微分”と本質的に同じ)容易に理解できる。
(5.26) において定圧変化なので dP = 0 とすると
pdV = RdT
(5.27)
の関係が得られる。これを (5.25) に代入すれば、q = dE + RdT となり、
よって
dE + RdT
dE
Cp =
=
+R
(5.28)
dT
dT
となる。つまり、(5.23), (5.24) より
3
5
Cp = Cv + R = R + R = R
2
2
(5.29)
という “定圧モル比熱”が得られる。
5.4
固体の内部エネルギーと比熱
理想気体の場合の議論にならって、以前議論した固体の場合について
エントロピーを基に内部エネルギーと比熱を求めてみよう。
第5章
48
熱と仕事
N 個の分子からなる固体のエントロピーは、(2.16)、及び E = M h̄ω
((2.5)) より得られる M
= NEh̄ω を用いると N
S(E) = kB log WN (M ) ' N kB {(
−
E
E
+ 1) log(
+ 1)
N h̄ω
N h̄ω
E
E
log(
)}
N h̄ω
N h̄ω
(5.30)
の様に書ける。これから、固体の温度を求めると、(3.13) より
1
dS
kB
E
E
=
=
{log(
+ 1) − log(
)}
T
dE
h̄ω
N h̄ω
N h̄ω
(5.31)
となる。これを E について解けば E=
N h̄ω
(5.32)
h̄ω
e kB T − 1
が得られる。
(N.B.) (5.32) は、
(2.4)に見られる様に、調和振動子のエネルギー・レベ
1
ル En = (n + 2 )h̄ω において、 12 h̄ω の “ゼロ点振動”の効果を無視して得
られたものであった。ゼロ点振動も考慮し、(5.32) を書き直すと 1
N h̄ω
E = N h̄ω + h̄ω
2
e kB T − 1
(5.33)
が得られる。これが、固体の持つ内部エネルギーである。
(5.33)から固体の比熱も容易に求められる: h̄ω
dE
N (h̄ω)2
e kB T
C=
=
.
h̄ω
dT
kB T 2 (e kB T − 1)2
(5.34)
比熱は温度に依存して変化する(下図参照)。特に絶対零度で比熱が 0 と
なる事に注意しよう。
(N.B.) 古典物理学の極限について 一般に、量子力学を用いて求めた結果において h̄ → 0 という “形式的”
極限をとると、古典物理の結果に帰着する。それは、古典物理では h̄ が
あまりに小さいために、例えば h̄ω は 0 と見なされ、そのため調和振動子
のエネルギーが連続的になる、といった事になるからである。
5.4. 固体の内部エネルギーと比熱
49
さて、まず (5.33) において h̄ → 0 の極限をとると E →
N h̄ω
= N kB T
1 + kh̄ω
−
1
T
B
(5.35)
となる。これは理想気体の時に述べた 「当分配の法則」
に対応するものである。kB T = 2 × 12 kB T であるが、この 2 倍は、調和振
動子のエネルギーが、運動エネルギーと位置エネルギーの和であり、そ
れぞれのエネルギーに 21 kB T ずつエネルギーが当分配されるという事を
表している。
次に比熱であるが、(5.35) のエネルギーを T で微分すると
C=
d
(N kB T ) = N kB
dT
(5.36)
と定数になる。
所で、この値は比熱の図を見ると分かる様に、T → ∞ の場合にちょう
ど相当する。これは、(5.34)を見ると分かる様に、比熱は kh̄ω
の関数な
BT
ので、古典の極限 h̄ → 0 と高温の極限 T → ∞ が同等であるからである。
一方、先に述べた様な、低温、あるいはこれと同等な振動数 ω が大き
い極限、即ち h̄ω À kB T
(5.37)
の場合に比熱がゼロに近づくといった現象は、古典物理では有り得ず、量
子力学に特有の効果であると言える。
尚、光(電磁波)のエネルギーについても、固体の場合の様に振動数
が高い、即ち h̄ω = hf À kB T
(5.38)
の様な振動数 f の光のエネルギーは、古典物理学で得られる当分配の法
則に従わず、抑制される事が知られている。これは偶然ではなく、電磁
波というのは色々な振動数 (波長) の波の集合と見なせ、言わば 「調和振動子の集合」
であり、それぞれの振動数の電磁波の振動は調和振動子の振幅と同様に “
量子化”される事を考えると当然であるとも言える。
歴史的には、溶鉱炉の様な熱い物体から発せられる光である 「熱放射(黒体輻射)」
50
第5章
熱と仕事
において、振動数の高い光の強度が抑制される事実を古典物理学では説
明できない、という問題を解決しようとしてプランク (M. Planck) が光
のエネルギーは
hf
(5.39)
という “エネルギー量子”の整数倍に量子化される、と提唱したのが量子
力学の誕生であった。