三重大学 I VE RS UN I INE ・ TY IC L T 医学部 News No.168 2010.9.1 D FACU ・M IE Title:168ニュース9.28 Page:1 Date: 2010/10/06 Wed 12:23:33 Y O ME F 目 次 家庭医療学の教授に就任して…………………………………………………………………………………2 地域医療学講座終了と離任のご挨拶…………………………………………………………………………4 医師国家試験結果について……………………………………………………………………………………5 平成21年度卒業生の看護師等国家試験結果と合格者の進路状況…………………………………………6 トピックス 平成22年度解剖体感謝式……………………………………………………………………………………7 脊椎外科・医用工学講座のミッション……………………………………………………………………8 認知症医療学講座、脳循環研究推進プロジェクト研究室の開設について……………………………9 BONAC研究プロジェクト研究室の開設について………………………………………………………………10 医学部オープンキャンパスの実施について………………………………………………………………11 看護学科オープンキャンパスによせて……………………………………………………………………12 三重大学病院の救命救急センターについて………………………………………………………………13 基礎研究への誘い:幸運の女神に後ろ髪なし …………………………………………………………14 アラブ首長国連邦シャルジャ大学医学部との交流とスルターン首長ご来学…………………………17 タマサート大学医学部訪問団との交流について…………………………………………………………22 「研究を語ろう会」について………………………………………………………………………………25 日本法医学会学術奨励賞受賞の報告………………………………………………………………………26 学会だより 第5回東海股関節外科研究会を開催して…………………………………………………………………27 第126回日本神経学会東海・北陸地方会を開催して……………………………………………………27 ゲノム創薬フォーラム………………………………………………………………………………………28 高血圧市民公開講座…………………………………………………………………………………………30 学位記授与式……………………………………………………………………………………………………32 人事異動(H22.4.1∼H22.9.1)……………………………………………………………………………33 編集後記…………………………………………………………………………………………………………34 家庭医療学の教授に就任して 三重大学大学院医学系研究科環境社会医学講座 家庭医療学分野・医学部附属病院 総合診療科 教 授 竹 村 洋 典 お知らせが大変に遅れて 期研修プログラムを運営しております。このプロ 申し訳ございませんでした。 グラムでは、1.できる限り患者のニーズに応え 平成22年3月1日付けで三 られるようにさまざまな臓器の疾患に対応できる 重大学大学院医学系研究科 ような包括的なケア、2.プライマリ・ケアとい 環境社会学講座家庭医療学 う患者の考えと初めて接する場で医療をする能力、 分野教授に就任させていた そして3.さまざまな医療従事者とのチーム医療、 だいた竹村洋典です。名前 少なくともこれら3つが実施できる医師を養成す は環境社会学講座ではござ るためにローテーションが計画されております。 いますが、内容は極めて臨床系の教室でございま 日本プライマリ・ケア連合学会が認定したプログ す。医学部附属病院内では総合診療科の科長も併 ラムは初期2年、後期3年以上の合計5年以上の 任させていただいております。家庭医療にかかわ 研修です。学会では家庭医療後期研修プログラム る診療や教育、家庭医の養成、そして家庭医療の の認定要件として6 ヶ月以上の家庭医療専門研 研究(主として行動科学研究)や地域医療の研究 修、6 ヶ月以上の内科研修、3 ヶ月以上の小児科 を行っております。 研修を指定しています。三重大学のプログラムで ところで家庭医は診療所での医療を担当すると は、家庭医療専門研修は県立一志病院などの病院 お考えの人も多いのではないでしょうか。しかし で実施しており、今後さらに家庭医療専門研修の 実際には我々の教室の診療や教育・研修の場は、 受け入れを増すために三重県内の他の研修施設を 地域の中小病院の比重が大きくなっております。 準備中です。内科研修も、三重県内・県外の総合 実際に、私たちの基盤となる学会、日本プライマ 病院で行っており、このような形でも地域医療に リ・ケア連合学会は家庭医療専門医(通称:家庭 貢献したいと考えております。三重大学プログラ 医)を認定しておりますが、この家庭医になるた ムでは、大学や地域病院の専門診療科のご協力も めの家庭医療後期研修プログラムにおいて、家庭 あり、整形外科、皮膚科、救急、検査、内視鏡な 医は「地域の中小病院や診療所」で活動するとなっ どの研修も受けられるよう配慮しております。ま ております。家庭医は、住民のニーズにあった医 た他の専門診療科から家庭医療研修を希望する人 師、と考えると頷いていただけると思います。三 には、これまでの研修内容を考慮しつつ、プログ 重県においても、地域の病院の勤務医が減少して ラムを組んでおります。さらに研修終了後、すぐ いる昨今、地域のニーズは地域病院で働くジェネ に指導医として活躍できるために、2∼3 ヶ月に ラリストにあるのは間違えないと思っております。 1回家庭医の指導医養成ワークショップ(FMIM) 家庭医療学教室の同僚、または、全国のこの分野 を開催してます。これらのプログラムを修了する の先生方と話すときには「家庭医」の名称を使っ と家庭医療専門医(通称:家庭医)認定審査試験 ていますが、世間ではまだまだこの名称は浸透し を受験することができ、これにパスすると家庭医 ておりませんので、地域においては内科医として になれます。三重大学プログラム経験者の多くは 活動させていただいております。 三重県内、県外の病院の勤務医や診療所の医師と 家庭医療学教室は、先に申しました家庭医療後 して、また海外の家庭医として活躍しております。 ― 2 ― 日本プライマリ・ケア連合学会では、今後、家庭 医療専門医の上にさらに病院総合診療専門医(通 称:病院総合医)を創設する予定で、来年度以降(病 院総合医認定が始まっていればですが)、三重県内 の地域の病院で病院総合診療研修も受けられるよ うに調整していきたいと思っております。生涯教 育の機会も定期的(2∼3 ヶ月に1回)に十分に 提供しております。このように、我々の教室は今 後、研修する若い家庭医の力によって三重県の地 域医療に貢献したいと思っております。 卒前教育では、1年生の通年の「医療と社会」、 3年生・4年生の家庭医療学研究室研修、4年生 大学附属病院での総合診療科の充実はやや後回し の家庭医療チュートリアル、基本的臨床技能教育 になった感があります。しかし、いずれこのこと で医療面接や診療録記載、プレゼンテーション等 についても努力をしていきたいと考えております。 の教育、5年生は必修となっている1 ヶ月の家庭 皆様のご指導ご鞭撻、そしてご協力のほど、どう 医療クリニカル・クラークシップ、および6年生 かよろしくお願い申し上げます。また、もしも家 の家庭医療選択研修やオーストラリアでの海外家 庭医療の研修や研究に興味のある方はぜひともご 庭医療研修などを行っております。これらの教育 連絡いただけたらばと思います。今後ともどうか によって、三重大学の医学生が三重県の地域医療 よろしくお願いいたします。 に興味を持つきっかけとなってくれればと思って おります。 略 歴 研究についても、これまで、家庭医療や地域医 昭和57年、早稲田大から防衛医科大に入学、昭 療に係わるエビデンスを多数作ってまいりました。 和63年に卒業。防衛医科大病院等で総合臨床医学 医療の質に係わる研究、医療面接に係わる研究、 研修を終えた後、平成3年に米国テネシー大にて 健康増進に係わるさまざまな研究など行ってまい 家庭医療レジデント(3年間)となり米国家庭医 りました。三重大学での家庭医療研究は海外の家 療学会認定家庭医療専門医および家庭医療フェ 庭医療のフィールドで注目されております。毎年、 ロー取得。平成10年から防衛医科大病院総合臨床 文科省または厚労省から科研費、さらに学会等か 部・助手。平成13年から三重大医学部附属病院総 らも研究助成をいただいております。大学院生ら 合診療科・准(助)教授、平成21年から病院教授、 も志気が向上してきていますので、今後さらに多 平成22年から三重大学大学院医学系研究科家庭医 くの家庭医療に係わるエビデンスを発信して、三 療学・教授。著書『臨床医になるための必修アイ 重大学が家庭医療研究や地域医療研究のメッカに テム』(南江堂)など。米国家庭医療学会・研究優 なるようがんばりたいと思います。 秀賞、日本プライマリ・ケア学会・学会誌優秀論 まだ、教授になって2,3 ヶ月しかたっており 文賞受賞。医学博士。日本プライマリ・ケア連合 ませんので(5月現在)、大きな動きは見えないと 学会・理事。 は思います。しかし、この1、2年間で多少無理 をしてでも基盤的な診療、教育、研究体制を構築 しようと思っております。うまくいくかとちょっ とヒヤヒヤしてはおります。地域医療の充実をプ ライオリティーの1番目に持ってきましたので、 ― 3 ― 地域医療学講座終了と離任のご挨拶 医学看護学教育センター教授 武 田 裕 子 三重大学大学院医学系研究科地域医療学講座は 部科学省の国際協力イニシアティブ事業に3年間 2007年3月1日に三重県の3年有期限の寄附講座 連続で採択されました。タイのコンケン大学、タ として発足し、活動を続けてまいりましたが、2010 ンザニアのムヒンビリ健康科学大学、UAEのシャ 年3月をもって期限を迎え活動を終了いたしまし ルジャ大学の地域医療教育部門の先生方のご協力 た。3年間、温かいご支援を賜りありがとうござ を得て、地域医療教育の実習手引書と実践事例集 いました。 の作成を行いました。持続発展教育(Education 講座開設当初は、どれだけ地域医療の発展に貢 for Sustainable Development)を導入した新しい 献できるのか、どのような活動が求められている 試みで、医学部で進められる地域連携教育に一部 のか、手探りでスタートしました。しかし、皆様 導入されることになっています。今後、国内外で のお力添えをいただき、紀南病院を中心とした 実習手引書が活用されることと期待しています。 フィールドを与えられ、実り多い3年間となりま そのほか、三重県医師会主催の若手医師・医学生 した。心がけたのは、地域の課題とニーズを把握 のライフ・ワークバランスを考える会の企画を3 し、新しいものを他所から自分たちの尺度で押し 年間担当させていただきました。 付けるのではなく、その地域のリソースを十分に 最後に研究活動の面では、教室員の多大な努力 知り活用して、地域の方たちの手で続けられる活 により医師偏在に関する調査研究を3年間行うこ 動を共に考えるということでした。有期限の講座 とができました。研究成果は、今後の地域医療に でしたので、講座終了後も持続可能性のある活動 おける人材育成に不可欠な入学者選抜等にも活か (sustainability)を常に目指しました。 せるのではないかと考えています。 まず、紀南では診療に従事する以外に、紀南病 国際協力では、持続可能な地域開発の鍵として、 院のご協力をいただいて住民の方々の啓発につな 次の4つをあげています。地域の意識改革、 がる講演会や集会を開催し、がん患者・家族の会 地域の必要に基づく計画、地域の経済的自立、 の立ち上げをサポートしました。がん患者の会は 地域が開発による恩恵を実感すること、です。 発足して2年近く経ち、自立した歩みが始まって この「開発」を「医療」に置き換えると、今後の います。また、紀南病院では常勤の内科医不足が 地域医療の目指すべき方向が見えてこないでしょ 深刻になると伺い、全国の初期研修医を地域医療 うか。国際協力に関連した活動を通じて、医療資 研修プログラムに集め、常勤医に指導医としての 源に乏しい国々の先進的な地域医療、住民参加型 役割を果たしていただくというスキームを講座初 のヘルス・プロモーションについてたくさんのこ 年度に計画しました。院内の受け入れ態勢の整備 とを学び、発信することができました。このよう が進み研修プログラムの紹介を行った結果、平成 に貴重な経験を得て、充実した活動を行えたのも、 22年度は、県外から20名を越える研修医が集まる 多くの皆様からのご支援とご協力をいただけたか ようになりました。 らにほかなりません。本当にありがとうございま 大学では、授業の担当に加えて地域医療教育モ した。 デルの開発を行いました。これは、三重大学医学 講座が終了した2010年3月以降は、医学看護学 部が、多くの学部間・大学間協定校を有している 教育センターで地域医療教育分野を担当させていた というアドバンテージによるところが大きく、文 だいておりました。9月から、ロンドン大学大学院 ― 4 ― London School of Hygiene and Tropical Medicine ことになり、British Council Japan Associationの に留学することになり、三重大学を離れることに 奨学生にも選ばれました。期待に応えるべく努力 なりました。在職中は皆様にご指導を賜り、特に する所存です。 この半年は医学看護学教育センターの堀浩樹セン 留 学 す る ロ ン ド ン 大 学 のLondon School of ター長と安藤勝彦教授にたいへんお世話になりま Hygiene and Tropical Medicineいう大学院は、 120 した。 を超える国から教員・学生が集まり、卒業生は現 9月からの留学については、今後さらに地域医 在167カ国の政府機関や大学、国際研究機関で働い 療学を究めるために、決断しました。3年前に寄 ているとのことです。年間80億円以上の研究助成 附講座に着任した際、医学部ニュースのご挨拶で 金を獲得している、研究機関でもあります。職業 「“地域医療はあっても地域医療学という学問は 人への修士教育の提供という点で、教育学の観点 ない”という言葉をいただいたので、地域医療学 から学ぶことも多いと考えています。また、留学 を体系化したい」という抱負を述べました。3年 中にRoyal College of General Practitionersで英国 間の紀南での学び、様々な途上国における国際保 の プ ラ イ マ リ・ケ ア 医 で あ るGP(general 健の取り組みから、その枠組みが見えてきたよう practitioner)による診療システムと生涯教育制度 に思います。例えば、 “地域を知り地域で学ぶ”と も同時に学びたいと願っています。 いう地域医療教育には、人類学の手法が有効です。 自分自身の原点はプライマリ・ケアを提供する医 地域のヘルス・プロモーションを進めるには、そ 師であり、患者さんと接するなかで元気をいただ の理論と実践を教育アウトカムに含める必要があ いています。その楽しさを学生・研修医に伝える ります。英国での1年間は国際保健の概念的枠組 ことが、自分のミッションと感じています。帰国 みに触れ、ネットワークを広げたいと考えていま 後は、国際地域連携を進めることで地域と地域医 す。地域におけるもっとも身近な医療の提供と、 療の魅力を増し、この領域で働く医師を育てられ 診断と治療にとどまらない幅広い活動を行える地 たらと願っています。在職中に地域医療学講座の 域医療人材育成に役立つ「地域医療学」を目指し 活動をご支援くださった皆様、力不足の私を励ま て、研鑽を積みたいと思います。幸い、グラクソ・ して応援くださった先生方、この場を借りて心よ スミスクライン国際奨学基金から助成をいただく りお礼申し上げます。 医師国 家 試 験 結 果 に つ い て 教務委員長 白 石 泰 三 平成22年3月26日に医師国家試験の合格発表が 秋期試験の結果が思わしくない学生にはメンター ありました。本年は新卒者98名受験、96名合格、 をつけ、学習環境等の支援を行っております。ま 既卒者は8名受験で4名合格となり、あわせて106 た、卒業試験も各科単位ではなく、内容毎に分け 名受験100名合格でした。合格率は新卒者98%、全 て行っております。作問にも注意を払い、質の高 体で94.3%であり、全国平均の92.8%と89.20%を上 い客観試験を出題するようにしております。学習 回りました。 環境に関してですが、今年の2月ごろまでは探索 平成18年より卒業試験を改革し、従来の卒業試 医学研究棟(旧管理棟)の改修が行われており、 験に加え、秋期試験と冬期試験を行っております。 医学部図書館が自習あるいはグループ学習に使え ― 5 ― い状態でした。改修はすべて終了し、環境整備も 不適切な使用があれば教務委員会に連絡をお願い 完了しております。ただ、今後も各棟のリフレッ します。 シュルームなどで自己学習をする学生はいると予 各先生方や、学務・教育センターのスタッフの 想されます。夜間にも使用すると思われますが、 更なる支援をいただき、国家試験合格率の向上を 皆様がたのご協力・ご理解をお願いいたします。 目指していきたいと思います。 平成21年度卒業生の看護師等国家試験結果と合格者の進路状況 看護学科学生委員長 成 田 有 吾 平成22年3月卒業の本学看護学科第9期生の看 でも大きく影響してしまいます。 護師等国家試験結果と進路状況についてご報告い 卒業生93名の進路は、職種別で看護師75名、保 たします。 健 師6名、助 産 師3名、そ の 他1名、進 学5名 国家試験の結果を下記(表)にお示しします。 (養護教諭別科2名、看護学修士課程2名、進学 平成21年度の看護師等国家試験は全国的に厳しく、 希望1名)、就職希望なし1名でした。県内外では 前年度の合格率から軒並み10%以上減の結果でし 県内39名、県外46名、三重大学医学部附属病院23 た。それでも、当学科卒業生の保健師および看護 名(看護師22名、助産師1名)でした。国家試験 師の合格率は、全国および大学卒業者に限定した 合格状況との関連では、保健師で10名の不合格者 ものと比較しても同等あるいは全国平均を少し上 がありましたが、幸い看護師の国家試験に合格し、 回っていました。しかしながら、助産師の合格率 看護師としての(保健師資格を必要としない)就 は全国および大学卒業者に限定した結果と比べて 職が内定していましたので就職に支障は生じてお も(本学は)60%と全国平均から−20%も低い成 りません。助産師不合格2名のうち1名は看護師 績でした。これは、助産師受験者数が5名と少ない 合格者であったため、内定していた病院の看護師 中で2名の不合格者が出たということによります。 職として採用されました。なお、看護師の国家試 看護師および保健師の受験資格は看護学科卒業に 験不合格者が2名(うち1名は助産師不合格者) 必要な単位を取得すれば得られますので、ほとん ありましたが、看護学科ではゼミナール指導教員 どの学生はこの二つの国家試験を受験します。一 が引き続きサポートし、次期合格を目指していま 方、助産師については看護学科の助産課程(定員 す。 6名程度)で必要な単位を取得した学生だけが受 本年も5月11日に第4学年の学生を対象に進路 験資格を得ることになります。助産師受験者の母 説明会を開催しました。この機会に、学生には、 数の少ないことから、ひとり不合格が増えただけ 国家試験、進学、就職に関する情報を提供し、個々 保 受験者数 健 師 助 合格者数 合格率(%) 受験者数 産 師 看 合格者数 合格率(%) 受験者数 護 師 合格者数 合格率(%) 全 国 13,048 11,295 86.6 1,901 1,519 83.1 52,883 47,340 89.5 (うち新卒者) 12,717 11,163 87.8 1,896 1,577 83.2 47,944 45,040 93.9 大 学 12,063 10,469 86.8 711 564 79.3 11,471 11,170 97.4 (うち新卒者) 11,773 10,346 87.9 710 564 79.4 11,156 10,925 97.9 大学(新卒) 92 82 89.1 5 ― 6 ― 3 60.0 83 81 97.6 の進路についてよく考え、国家試験のための学習 業生が就職に困ることはないものの、各地の医療 に力を入れるよう指導しています。看護学科では 機関はその確保に大変な努力を続けています。三 ゼミナール指導教員が学生とのコンタクトを高め、 重大学附属病院でも副病院長、看護部長をはじめ 学習、進路、その他の相談に適宜応じる懇切な指 多くの方々が進路説明会や育成会総会など、機会 導体制をとっています。また、国家試験に向けて あるたびに看護学科へ足を運んでいただき、本学 模擬試験が活用され、高い効用も認められること 附属病院の新築状況や奨学金制度を含む支援体制 より、引き続き今年度も予定されています。看護 など、熱意を込めて語っていただきました。学生 学科育成会からは、国家試験対策への援助(本年 委員会としても学生に適切な進路が開けるよう活 度は模擬試験回数4回以上の予定)や、学習に必 動して行きたいと考えております。附属病院各位、 要な書籍・機器購入についてもご支援いただき、 ゼミナール指導教員各位のご支援とご指導をよろ 学生の自己学習に役だっています。 しくお願いいたします。 現在、看護師や助産師の需要は非常に高く、卒 トピックス 平 成 22 年 度 解 剖 体 感 謝 式 教 授 白 石 泰 三 平成22年度の解剖体感謝式が6月2日午後1時 なお、感謝式に先立ち、当日の午前11時30分よ 30分から三重大学講堂において行われ、解剖実習、 り解剖体献体者に対する文部大臣からの感謝状伝 病理解剖、および法医解剖のためにご尊体をお委 達式が行われ、医学部を代表し、登医学部長から ねくださった故人に感謝し、ご冥福をお祈りしま ご遺族に感謝状が伝達されました。 した。 以下に当日の式次第を紹介します。 ご遺族をはじめ、三重県不老会会員、来賓、医 学部教職員、および多数の学生が参列しました。 三重大学医学部解剖体感謝式式次第 壇上には祭壇が作られ、中央には「医之礎」が置 一、開会の辞 かれ、その基に解剖実習を終え、ご遺族のもとに 一、黙祷 帰られる故人39名の遺骨をおさめた白木の箱が並 一、芳名拝誦 べられていました。 一、献辞 開学以来合祀されている9331柱に対し、黙祷が 医学部教員代表 ささげられ、その後に平成21年度に合祀された145 来賓代表 柱のご尊名が読み上げられました。教員代表、来 一、学生代表謝辞 賓(三医会会長、川原田力也氏)および学生代表 一、献花 が祭壇の前に出て感謝の言葉を捧げ、続いて参列 一、御遺骨退場 者全員が白菊を献花しました。ご遺骨が医学部学 一、御遺族代表挨拶 生に棒持されて退場したあと、ご遺族代表のご挨 一、医学部長挨拶 拶、医学部長として登教授の挨拶があり、式は滞 一、閉会の辞 りなく終了しました。 ― 7 ― 脊椎外科・医用工学講座のミッション 三重大学大学院 医学系研究科 脊椎外科・医用工学講座 笠 井 裕 一 平成22年4月1日より、三重大学大学院医学系 そこで、痛みを数 研究科・病態医科学研究棟(旧臨床研究棟)の9 値化するために、 階に『脊椎外科・医用工学講座』が設置されまし われわれは性格 た。本講座は、医療機器メーカーのKiSCO株式会 テストやQOL評価 社の寄付講座で、教授1名、助教1名(榊原紀彦) を駆使して、臨床 の小さな講座ですが、三重大学に新風を吹き込め 的・疫学的な研究 るように微力ながら努力しますので、今後とも『脊 を進めていきたい 椎外科・医用工学講座』を宜しく御願い致します。 と考えています。 さて以下に、本講座における5つのミッション 3)脊椎バイオメカ を簡単に述べたいと思います。 ニクスの研究 1)脊椎外科医の育成 三重大が工学部 超高齢社会の現在において、腰部脊柱管狭窄 と同じキャンパス 症や頚椎症性脊髄症をはじめとした脊椎疾患の にある利点を生か 患者が増えています。この腰部脊柱管狭窄症は、 し、私は10年前か 「みのもんた」が手術するまでは馴染みの薄い ら工学部の生体シ 疾患(図1)でしたが、その手術件数は激増し ステム工学研究室 ています。そこで と共同して、脊椎 三重県内において、 のバイオメカニク 図2 痛みの程度 技術的にも人間的 スに関する研究を にも優れた脊椎外 行ってきました。今後さらに、工学部で自作し 科医を数多く育成 た6軸材料試験機(図3)やAutograph AG-G したいと考えてい などの装置を用いた研究を行って、医工連携を ます。 強めていきたいと考えています。 (笠井:整形外科看護:2008) 2)運動器疼痛の臨 床研究 国際疼痛学会に おいて、 「痛みは実 質的または潜在的 な組織損傷に関連 した不快な感覚お よび情動体験であ る」と定義され、 痛みの程度を客観 図1 腰部脊柱管狭窄症 的に捉えることは (笠井:整形外科看護、2007) 困難です(図2)。 ― 8 ― 図3 工学部で自作した6軸材料試験機 4)ものづくり 5)国際貢献 医工連携などで得られた基礎的なデータを基 私 が 脊 椎 手 術 のinternational academic に、私はTadpole system(図4)という脊椎固 advisorであるため、2010年1月にミャンマー医 定用のインプラントを商品化しました。今後わ 学会総会で脊椎疾患について講演し、7月には れわれは、さらに特許や登録商標を増やして、 タイのコンケン大学で脊椎手術の指導(図5) 脊椎手術に関連する商品をはじめ、介護・福祉 を行いました。今後も、さまざまな補助を受け 製品などの『ものづくり』を行って、三重大発 つつ、東南アジアを中心に医療支援を行ってい のオリジナル商品を生み出したいと考えていま きたいと思っています。 す。 図5 タイ・コンケン大学での手術 以上のように本講座は、三重大学のため、三 重県民のため、そして人類のために、少しでも 図4 2004年に発売されたTadpole system 貢献できるように頑張りますので、ご指導ご鞭 撻を賜りますよう御願い申し上げます。 認知症医療学講座、脳循環研究推進プロジェクト研究室の開設について 神経病態内科学・認知症医療学講座 冨 本 秀 和 本年4月より、神経感覚医学講座に神経内科の に伴って急増する認知症患者は増加の一途をた 関連講座として認知症医療学講座(Department どっています。現在200万人といわれる認知症患者 of Dementia Prevention and Therapeutics)が 開 は2035年に400万人のピークを迎えるとの予測が 設されました。本講座は三重県からの寄付による あり、このような膨大な数の患者さんを全国で もので、今後4年の予定の寄附講座です。 1000人に満たない認知症専門医だけで対応するこ まず、本講座が設置された経緯について説明さ とが不可能であることは火を見るより明らかです。 せて戴きます。小生は平成20年に神経病態内科学 認知症を診るかかりつけ医の育成が焦眉の急と 講座に着任後、認知症患者を地域社会で支えてい なっており、国の施策でも、認知症サポート医の く診療連携の必要性を感じ、木田助教とともに 講習やかかりつけ医認知症対応力向上研修が推進 ネットワーク作りに奔走してまいりました。ご存 されています。 知のように、わが国の高齢化率は世界一で、加齢 幸いなことに、津市前医師会長の吉田先生をは ― 9 ― じめ、多くの先生のご支援でネットワーク作りは ら附属病院10階に音楽療法室が設置されており、 順調に推移してまいりました。加えて竹田病院長、 認知症の音楽療法も視野にいれています。 古元医療監のご尽力があり、県から認知症の寄附 神経病態内科学講座は、初代の葛原教授の時代 講座が認可されたというのが講座設置までの経緯 に紀伊ALS研究を中心に大いに発展しました。さ です。名称を「認知症学講座」としなかったのは、 らに、この4月には鈴鹿回生病院からのご寄付に 純粋に学術的な機能に限定せず、認知症ネットワー よって、脳循環研究推進プロジェクト研究室が講 クを通して社会的側面からも広く貢献したいとい 座内に設置されました。本研究室の目的は、脳虚 う願いが込められています。このため、英語名も予 血の基礎的研究や、鈴鹿回生病院に新規導入され 防から治療まで幅広く対応することを意味する た高次場MRI装置を用いた臨床研究などを通じ、 Department of Dementia Prevention and 脳血管障害に関する研究・教育体制を底上げする Therapeuticsとしております。 ことです。今後の10年を見据え、脳血管障害、認 講座の教授は小生が兼任していますが、准教授 知症など所謂common diseaseにも幅広く対応で には前東北大学高齢者高次脳医学講座准教授の佐 きる医師の育成を目指して活動してまいりたいと 藤正之先生に着任して戴いています。佐藤先生は 思います。 本学のご卒業で神経疾患の音楽療法の専門家でも 最後になりますが、認知症医療学講座は発足し あります。また、木田先生には公衆衛生学助教か たてでスタッフも少なく、全く未知数の講座です。 ら転籍いただき、引き続きネットワーク作りの中 しかし、山椒は小粒でぴりりと辛い、といわれる 心的役割を担って下さっています。講座の使命と ような社会貢献と認知症に関する学術データの発 して、認知症の診療連携の構築、地域コホート研 信を全国に向けて行っていきたいと思っています。 究、もの忘れ外来を通して地域医療に貢献するこ 皆様のご指導とご鞭撻を宜しく御願い申し上げま となどが求められています。奇しくも本年4月か す。 BONAC研究プロジェクト研究室の開設について 免疫学 教授 ガバサ エステバン Small interference (si) RNAは、病因遺伝子を選 干渉に基づくsiRNAを開発し、そのライセンス 択的に抑制する方法として、今までの低分子、た を獲得した。この成果により、BONAC社はGMP んぱく質、モノクローナル抗体などの治療薬に反 (Good Manufacturing Practice)準拠対応可能な 応しないような、特に難治性の疾患に対する治療 品質に優れたsiRNAを供給することだけでなく、 の可能性を秘めた方法として脚光を浴びている。 その使用ライセンスも提供することが出来、現在 しかし、国際的な競争の中、siRNAの有力研究者 までのsiRNAに関する他社の基本特許を回避する が創業に名を連ねる米国企業をはじめ、siRNAに ことにより、研究の活性化を促進することが可能 関する基本特許はことごとく海外に先行され、日 である。 本におけるsiRNA創薬は根本的に困難な状況に 一方では、三重大学大学院医学系研究科の免疫 なっている。そこでBONAC社(Bridge Of Nucleic 学研究室では、肺線維症、気管支喘息、肺高血圧 Acids Chemistry=核酸化学の架け橋という意)は 症、肺気腫、肝炎、肝硬変、癌、大動脈硬化症、 高度な有機合成技術により世界初の環状型RNA 糖尿病・免疫複合体・高血圧などによる糸球体硬 ― 10 ― 化症などの種々の難治性疾患に関する研究を展開 し、難治性疾患動物モデルの構築や病態因子の解 析評価を行っている。 平成22年6月1日に三重大学大学院医学系研究 科免疫学研究室内にBONAC研究プロジェクト研 究室は設置された。BONAC研究プロジェクト研 究室では各難治性疾患の発症機序に基づく新規治 療薬の開発を検討し、その臨床応用を目指して研 究を行う予定である。さらに、本研究室では教育 研究の充実・活性化を図るため、大学院生・医学部 生に研究を体験させる場を作り、論理的思考を養 い、また各疾患における病態の機序について理解 を深め、優秀な人材を輩出することを目指してい 株式会社 ボナック 代表取締役社長の林 宏剛(左) 、 三重大学大学院医学系研究科免疫学のガバザ・エステ バン(中)、三重大学大学院医学系研究科呼吸器内科 の小林 哲(右) 。 る。したがって、産学連携のもと構築されている 本プロジェクト研究室は本来の研究の活性化だけ ではなく、教育の活性化にもつながるものと考え られる。 医学部オープンキャンパスの実施について 医学科オープンキャンパス(8月11日) 入学試験委員長 那 谷 雅 之 (第一部) 医学部臨床第3講義室 医学・看護学教育センター教授 武田裕子 1.学部長挨拶(登医学部長) (受入定員)200人 (会場)臨床第3講義室 2.医学部附属病院の紹介(竹田病院長) 2.体験授業2(講義) 3.医学科入試説明(那谷入試委員長) 「三重大学での先進的な診療活動」 4.医学科での医学教育の紹介(白石教務委員長) 医学・看護学教育センター助教 5.三重県医師修学資金の紹介(古田三重県医療 政策室) 山下芳樹、高木治行、高山玲子 (受入定員)100人 (会場)臨床第1講義室 6.講義:三重大学医学部附属病院における最新 3.体験授業3(実習) の画像診断(中央放射線部・放射線診断科 「シミュレータを用いた臨床技能教育(スキル 佐久間 肇准教授) ズラボ)」 医学・看護学教育センター講師 櫻井洋至 (第二部) (受入定員)56人 (会場)臨床第2講義室 体験授業(以下の5コースからひとつを選択) 4.体験授業4(講義) 1.体験授業1(講義) 「インターネット教材を用いた実践的医学英 「地域医療って何だ?−国際協力の現場で「健 康」の前提条件を考える」 語教育」 医学・看護学教育センター非常勤講師 ― 11 ― Thaddeus Peter Dryja 「新生児集中治療室臨床実習(見学)」 (受入定員)30人 医学・看護学教育センター助教 岩佐 正 (会場)総合情報処理センター第4教室 (受入定員)10人(会場)病院6階NICU *事務補佐員が講義会場まで誘導 *担当者が実習会場まで誘導 5.体験授業5(実習) 看護学科オープ ン キ ャ ン パ ス に よ せ て 看護学科広報委員長 辻 川 真 弓 看護学科オープンキャンパスを、8月11日三翠 また、看護学科オープンキャンパスの特徴の1 ホールにて行いました。今年の参加者は過去最高 つは、在学生と参加者との「つながり」です。受 であり、高校生463名(昨年320名)と保護者の方々 付時に参加高校生にクエスチョンカードを渡し、 も含めると500名以上となりました。この時期は台 約20名の在学生は300枚近くあるカードを短時間 風4号にともない、北勢地方でも水害に見舞われ で整理し、「あなたの質問に在学生が答えます!」 ており、雨が心配されましたが、晴天のもと無事 という形で、ステージ披露をしていきました。 「在 に終了することができました。 学生にしか聞けないこと」を、多くの参加者が共 プログラム冒頭の「三重大学の魅力教えます!」 有するチャンスとなりました。その後、ユニフォー では、三重大学の共通教育科目で「広報基礎」を ム姿の在学生の案内のもとで、看護学科棟内の、 履修した2年生5名が、大学生の視点で「看護学 様々な実習室や講義室、情報ステーションなどを 科生の時間割」 「空きコマや放課後の過ごし方」な 体験するツアーも行われました。短い午後のひと どについて発表し、高校生の関心を集めました。 ときでしたが、大学生と看護を目指す高校生との 登研究科長および杉本看護学科長によるご挨拶で 距離が少し近くなったような時間を過ごすことが は、看護学を学ぶ人への期待と三重大学で学ぶ強 できました。 みについてお話いただきました。さらに、カリキュ 三重大学に魅力を感じてくれた学生さんが、こ ラムや入試説明の後に、三重大学体育会系応援団 の看護学科を志望し、そして本学で学び、卒業後 により、受験生への強いメッセージを含めた応援 も附属病院の看護師として、さらに学び続けてく が行われ、会場は笑いと心地よい感動に包まれま れることを期待しています。 した。 ― 12 ― 三重大学病院の救命救急センターについて 三重大学医学部附属病院長 竹 田 寛 本年6月1日、三重大学医学部附属病院に救命 その一つとして9月から津市内の二次輪番病院 救急センターが開設されました。県内では4番目 や三重病院と本院の救命救急センターをインター で中勢地区では初めての施設になります。 ネット上の専用回線で連結し、CTやMRIなどの救 一般に救命救急センターは、一次救急から三次 急医療画像を即時に送受信できるシステムが稼働 救急まで来院した患者は全て診るER型と、高度な 致します。このシステムは津市の補助により構築 治療を必要とする重篤な三次救急患者だけを受け されたものですが、うまく稼働すれば二次輪番病 入れる施設に大別されますが、本院における救命 院において救急患者の診断から治療方針の決定ま 救急センターは後者になります。 で大学の専門医師と電話で相談しながら行うこと 本院の救命救急センターには、二つの役割が課 ができ、二次、三次救急患者の振り分けがスムー せられています。その一つは、三重県全体を対象 ズに行われます。そうすることによって本院の救 とした三次救急の最後の砦としての役割です。そ 命救急センターへ搬送される患者さんは、本来運 のために三重県からドクター・ヘリの基地病院の ばれるべき重症の三次救急患者さんが多くを占め 指定を受けました。山田赤十字病院との共同運行 るようになるものと期待されます。他にも様々な になりますが、来年度新病棟がオープンしますと 策を講じて本院の救命救急センターの運営が円滑 屋上ヘリポートを利用してドクター・ヘリの運行 に行われるように努力して行きたいと考えていま が開始され、紀州、伊賀地域などから救急患者が す。 搬送されて来ます。医療過疎地域の住民の方々に 救命救急センターの病床数は20床でうち6床が とって、ドクター ・ヘリの利用により少しでも安 ICUです。現在本センターには4人の救急専門医 心して暮らせるようになることを願っています。 がいますが、それに他診療科からのローテーター もう一方は、津・伊賀地域における唯一の救命 などの応援医師が加わって三交代で日常業務を 救急センターとしての役割です。中勢地域におけ 行っています。しかし医師の絶対数が足りず、担 る三次救急を着実に遂行していくことにあります。 当の先生方はもとより応援医師を派遣していただ そのためには津・伊賀地域の一次救急を担当する いている診療科にも過剰な負担を強いていること 診療所の先生方や、二次救急を受け持つ市中病院 は否めません。深く御礼申し上げますと同時に、 の先生方と緊密な連携を取りながら、三次救急の 一日も早くより多くの救急専門医の確保に努めて 患者さんが確実に救命救急センターに搬送される 参ります。一方、看護師は救命救急センターの開 ようにしなければなりません。一次、二次救急の 設に合わせて増員しましたが、こちらもまだまだ 患者さんが殺到しますと、せっかくの救命救急セ 数が足りませんので現在も募集中です。救急認定 ンターも本来の機能を発揮できず崩壊してしまう 看護師を中心にして質の高い救急看護の実践と教 ことになります。そのために津市内の二次救急の 育を目指しています。皆様のまわりに救急医療を 輪番病院の先生方と1年以上前から定期的に協議 志望する医師や看護師の方がみえましたら是非ご 会を開催し、如何にしてお互いの緊密な連携と有 紹介下さい。 機的な役割分担を実現することができるか、検討 救命救急センターを円滑に運用するためには、 を重ねて来ました。 医師、看護師、技術職員、事務職員などのスタッ ― 13 ― フが一丸となって診療に参加するチーム医療の充 院内の診療各科や中央診療部、看護部、事務部な 実が大切です。そのためには、しっかりしたリー どからの熱い支援と絶大なる協力であります。周 ダーの存在が欠かせません。そこで現在、救命救 囲からの協力体制がなければ救急医療は成り立つ 急センターの教授を全国公募中であります。順調 ものではありません。本院で働く職員の皆様には、 に行けば10月にも新しい教授が決まり、年内にも 私達の病院の救急医療は救命救急センターだけで 新体制で救命救急センターが運用されるものと期 なく病院全体で取り組み支えていくものだという 待されます。 認識をお持ちいただき、今後も変わらぬご支援と 救命救急センターにとって最も大切なことは、 ご協力を心よりお願い申し上げます。 基礎研究への誘い:幸運の女神に後ろ髪なし 京都大学大学院医学研究科・生体構造医学講座・形態形成機構学教室 萩 原 正 敏 本年7月1日より前京都大学大学院医学研究科 究室での生活は楽しく、講義はそっちのけで、し 長の塩田浩平先生の後任として、形態形成機構学 ばしば大学に泊まり込んでいました。やみくもに 教室教授を拝命致しました。これまでお世話に 実験するうちに、偶然にも新しいホスホジエステ なった母校の皆様にお礼を申しあげるとともに、 ラーゼ(PDE)阻害剤が血管平滑筋や血小板で 研究者としての道を歩むことになった経緯を少し cGMPを上昇させ、血管弛緩や血小板凝集抑制を 述べさせて頂きます。後輩の皆さんが将来の進路 することを見つけ、学部学生ながら2報の英文論 を選択する上で些かなりともお役に立てば幸いで 文を書かせていただきました。このPDE阻害剤は す。 後に武田から脳循環改善薬カランとして発売され、 私の実家は祖父の代から員弁市大安町で小さな 新しい薬を見つければ臨床医として診察する以上 診療所を営んでおり、あまり深く考えることもな に患者を救える可能性のあることを実体験するこ く1978年に地元の三重大学医学部に入学しました。 とができました。研究室で実験中心の生活だった 当時人気のあった手塚治虫の漫画のブラック ので本来の講義や実習はかなりサボらせて頂きま ジャックのような外科医になって、アマゾンかア したが、同級の竹内万彦先生と高尾仁二先生の フリカでも行こうと夢想していたのですが、専門 ノートをコピーさせてもらったお陰で留年するこ 課程に進級してしばらくすると、自分はそもそも ともなく無事卒業できました。 医師に向いていないと自覚するようになりました。 内心密かに、「大学院ではセカンドメッセン というのも、考えごとを始めるとほかのことは上 ジャーによって活性化されるリン酸化酵素を研究 の空になるような私には、ミスの許されない医師 しよう」と決めていた大学6年のある日、開業医 のような仕事は到底務まるとは思えなかったので だった親父に、 「そろそろ卒業だが、何科にいくつ す。さてどうしたものかと思案していたころ、当 もりだ」と質問されました。顔色をうかがいなが 時薬理学講座の助手をされていた田中利男先生に ら、 「臨床はやめて基礎にいこうと思っている」と 誘って頂いて、遠藤登代志先生の実験のお手伝い 答えると、予想に反し、 「そうか」とうなずいたき をする機会を与えて頂きました。数々の失敗を重 り何も言いません。親父のご機嫌を取るつもりで、 ねて当時薬理学講座教授をされていた日高弘義先 「教授は大学院に籍を置いてから1、2年間臨床 生にお説教をくらうことも多かったのですが、研 研修をしていいと言っている」と話した途端、親 ― 14 ― 父は激怒し、 「そんな中途半端な気持ちで研究がで しょうが、やりたいことがはっきりしていたので、 きると思っているのか!卒後すぐに基礎の研究室 「やりたいテーマが二つある」と具体的に答えま に行って真剣に自分の才能を試せ。それでダメな した。私がMarcに話したアイデアは、CREBの脱 ら、きちんと自分の才能に見切りをつけた上で、 リン酸化によって転写が不活性化されるかどうか 生活のために臨床研修でも何でもすればよいだろ を調べることと、リン酸化したCREBだけを認識 う」と叱られました。研究で芽が出ないときに臨 する抗体を作るというものでした。Marcは私のア 床へ行けるように保険をかけておこう」といった、 イデアを聞いて、正直なところ本当かどうかわか 安易な考えを見抜かれてしまったわけです。もし らないのですが、 「私も同じようなことを考えてい 中途半端に臨床研修を受けていれば、実験が思う る」と留学を許可してくれました。日高先生に留 ように進まず悪戦苦闘していた時に、研究をやめ 学が決まった旨を報告すると、「Cell、Nature、 ていたかもしれないと思って、親父が迷いを諌め Scienceの主要3誌のいずれかに論文が掲載され 退路を断ってくれたことに、今では本当に感謝し るまで日本の土を踏むな」と独特の言い回しで励 ています。 まして頂き、薬理学講座の助手を辞することとな 今思えば、学部生時代にビギナーズラックで論 りました 文を書いて、大学院入学当時はいささか天狗に 1991年7月に渡米し、サンディエゴ空港で借り なっていたのかも知れません。運命の女神はこの たレンタカーでラホヤのソーク研究所に乗りつけ、 ような慢心を容赦せず、大学院入学後は思うよう 「Marc Montminyはどこ?」と聞いてまわってい なデータが出ずに悪戦苦闘しましたが、2年先輩 たら、「自分のボスになる人間の顔も知らないの の稲垣昌樹先生の厳しい指導のおかげで立ち直る か」とあきれられてしまいました。やっと見つけ ことができました。臨床研修も入局もしていな たMarcは米国人にしては驚くほど小柄な人で、会 かった上、卒業後すぐに家庭をもったので経済的 うなり「明日、自分の研究内容について皆の前で にもとても厳しかったのですが、遠山病院の松本 セミナーしてくれ」と言われました。たどたどし 常男先生と加藤俊夫先生が、ほとんど役に立たな い英語で話した私のセミナーを面白がってくれた い私を遠山病院の非常勤医師として雇用して頂い のか、それまで「どこの馬の骨だ」という顔をし たお陰で何とか生活できました。そうこうするう ていたスタッフの態度が一変し、仲間として受け ちにやっと論文も出始めた大学院4年の夏、日高 入れてくれ、その日から実験を始めることになり 先生が名古屋大学医学部薬理学講座の教授に転任 ました。幸いCREB脱リン酸化酵素を同定するプ されることになったので、三重大学大学院に籍を ロジェクトは予想外に順調に進捗し、渡米後10カ おいたまま名古屋大学に移り、学位取得後、名古 月目の1992年5月にCell誌に掲載されることが決 屋大学医学部薬理学講座の助手として採用して頂 まりました。主要3誌のいずれかに論文が載るま きました。 で帰国できないと思っていたので、これでやっと 2年ほど助手を務めて留学を考え始めた私は、 日本に帰れるとほっとしたのを今でも憶えていま mRNAの転写制御の分野に研究テーマを移そう す。もう一つのアイデアの方も、幸い順調に実験 と考え、転写制御を主として研究している海外の が進展し、一流誌に掲載されました。米国オレゴ 研究者をリストアップし10通以上手紙を書きまし ン 健 康 科 学 大 学 のGoodman研 と の 共 同 研 究 で た。しばらくして、cAMP応答配列結合蛋白CREB CREB結合蛋白(CBP)を発見し、Natureに共著 を見つけてクローニングした米国ソーク研究所の の論文が載ったのもこのころです。でも、そうし Dr. Marc Montminyが私に直接電話をかけてきて、 た研究上の成功よりもうれしかったのは、渡米す 「何をやりたいんだ」と質問してきました。こう るまで変人扱いされることも多く自信を失いつつ いうときは「何でもやります」と言うべきなので あった私を、ソーク研究所の人たちが、 「お前は日 ― 15 ― 本人としては珍しくまともだ」と評し、暖かく受 Krainer研でのトレーニングのお陰で技術的困 け入れてくれたことです。1年5カ月の短い留学 難を乗り越えデータは出始めたのですが、解剖学 生 活 で し た が、皆 が 集 ま っ て 開 い て く れ た 講座の助教授として集められるお金はたかが知れ farewell partyでの笑顔は、今でも忘れられません。 ています。研究費が賄えず借金がかさみ困ってい 1992年12月31日にサンディエゴを発ち元旦に日 たところ、東京医科歯科大学難治疾患研究所から 本に戻りました。帰国後、名古屋大学医学部解剖 お誘いのお話をいただきました。東京医科歯科大 学第3講座の若林隆教授の下で助手を務めること 学には全くご縁がなかったのですが、教授に選任 になったのですが、研究費も人手も研究機材もな されたとのお電話を唐突に頂きました。予想もし く、学生をつかまえては、 “生命の新しい制御機構 ていなかったので些か慌てて、現在の研究テーマ を見つけて新薬を作る”と、文字通り夢のような を継続して良いことと大学院生を連れて移れるこ 話ばかりしていました。大した研究費もないまま、 とだけを確認して受話器を置きました。傍らにい 研究上必要な試薬や機器は値段にかまわず購入し た大学院生に、 「どうも東京医科歯科大学の教授に たので、一時は莫大な借金を抱える破目になりま 決まったらしい」と告げたところ、 「先生、どの講 した。冷蔵庫を買うお金も惜しくてパン屋さんの 座ですか?」聞かれ、 「しまった!講座名を聞くの 店先に捨ててあった冷蔵庫をもらってきたので、 を忘れた!」と漫才のような会話をしていました 研究室にグリコやコカコーラのマークがついた冷 が、こうした経緯で箱根を越え、全く見知らぬ東 蔵庫が並んでいた記憶があります。そうした極貧 京に出て参りました。ところが、世の中そう上手 の厳しい研究環境にもかかわらず、不思議と熱意 い話はないもので、東京医科歯科大学に着任して のある学生さんはたくさん集まってくれて愉しく みると、助教授と二人の助手は皆私より年配で、 活気のある研究室でした。どう考えても当時はい 地方出の若造の私の指示など全く歯牙にもかけぬ ろいろな意味で苦しかったはずなのですが、今で 態度でした。数年前に退官された前任教授の方に は幸福な思い出しか思い出せません。 は、 “君、いつ辞めるの?”と嫌味を言われる始末 解剖学第3講座で遮二無二に研究に励むうち、 で、こんなことなら名古屋大学で助教授をしてい 助手、講師を経て助教授に昇任した私は、自分の た方が良かったと、正直移ってきたことを後悔し 下に集まってくれた学生達と、 「選択的スプライシ ました。しかし、後ろに戻る道はありませんし、 ング制御機構の解明」という新しい研究テーマに 莫大な借金もあったので、様々な研究費の申請書 挑むことを企てました。これは今から考えれば全 を懸命に書き続けました。文字通り必死で書いた く無謀な試みで、スプライシングに関する実験は 申請書が運命の女神と審査員の心を動かしたのか、 難度が高く、論文を頼りに幾度試みても上手く行 申請書の幾つかが通って漸く潤沢な研究資金を手 きませんでした。そこで意を決して、たまたま国 にすることができました。ラボメンバーに関して 際 学 会 で 日 本 に 来 て い たCold Spring Harbor も、解剖学第3講座で一緒に研究していた学部生 LaboratoryのAdrian Krainer教授に無理やり頼み や大学院生達が名古屋から東京に移って来てくれ 込み、共同研究を名目に、彼の研究室に1か月間、 たので、何とか研究を軌道に乗せることができま スプライシング実験を習いに行きました。テレビ した。 や新聞もなく、文字通り研究所へ泊まり込んで、 2003年に「疾患生命科学研究部・生命情報科学 朝から晩までスプライシング実験に明け暮れてひ 教育部」という新しい理学系大学院を東京医科歯 と夏を過ごしました。実験の合間に木陰で論文を 科大学に立ち上げ、ゲノム演習・発生工学演習な 読みながら、研究所の森に住み着いているリスに ど大学院生向けの充実した教育カリキュラムを整 パンくずをあげて息抜きをしていたのを覚えてい 備するとともに、海外での大学院説明会やホーム ます。 ページ・シラバス・講義の英語化などによって大 ― 16 ― 学院の国際化を推進し、各国から定員の数倍の留 います(お時間のある方はhttp://www.tmd.ac.jp/ 学生が受験するに至りました。私の研究室にもケ mri/mri-end/event.html に ア ク セ ス し て み て く ベック大学(カナダ) 、中国医科大学(中国) 、ハ ださい)。互いの個性を大事にしつつ、互いに助け ノイ医科大学(ベトナム)など各国のトップクラ 合い励まし合って困難な問題を解き、世界との競 スの大学からの優秀な留学生が、日本人学生とと 争に打克てるような人材の育成するため、Cold もに机を並べ日夜研鑽に励んでいます。13年半東 Spring HarborやGordon Research Conferenceに 京医科歯科大学にいましたが、何故か母校の三重 は、いつも複数の大学院生や若手研究者と伴って 大学からだけ一人も大学院生が来てくれなかった 参加するとともに、スプライシング制御を研究す のが、とても残念です。 る世界のトップクラスの研究者を毎年幾人も招聘 私の研究室では、自戒の意味を込めて「力を尽 して、大学院生と議論する機会も作っています。 くして狭き門より入れ」と周りの若人に言い聞か 京都大学では、スプライシング制御が形態形成や せています。誰かが切り開いてくれた道を行くの 神経発生の途上で如何なる機能を担っているかを でなく、新しい道を自ら切り開ける人材を育てた 解明するとともに、ダウン症、筋ジストロフィー いのです。実際にpre-mRNAのスプライシング暗 など従来の技術では治療方法がなかった難病に対 号の解明といった何十年も解けなかった困難な課 する治療薬開発を行っていきたいと思っています。 題に向かって、スプライシングレポーターなど新 限られた紙面では触れることができませんが、 しい実験手法を開発して乗り越えてゆく若き研究 本文に述べた以外の多くの方々に本当にお世話に 者が育ちつつあります。ラボ内では、学生・スタッ なりました。今日に至ることができましたのも、 フの区別無く忌憚無いサイエンス上の議論を戦わ 苦しい時に支援の手を差し伸べてくださった方々 せ る 一 方 で、皆 で 和 気 藹 々 と バ ー ス デ ー パ ー のお陰と心より感謝し、この場を借りて御礼申し ティーをするような大家族的雰囲気を大切にして 上げます。 アラブ首長国連邦シャルジャ大学医学部との交流とスルターン首長ご来学 三重大学医学部医学看護学教育センター 地域医療教育分野 教授 武 田 裕 子 1.はじめに されたところまで、医学部ニュースに掲載してい 2009年4月号(No.164)の医学部ニュースで、 ただきました。 三重大学医学部とアラブ首長国連邦シャルジャ大 2.シャルジャ大学の学生たちの来日 学医学部とが学部間協定を締結したご報告を申し 学部間協定締結の成果として、2009年4月には 上げました。締結式には、シャルジャ国首長His 本学の6年生3名がシャルジャ大学で実習をさせ Highness Sheik Dr. Sultan Bin Mohammed Al ていただき、そして、2009年6∼7月には8名の Qassimiのご臨席を賜り、首長主催の大昼食会に三 シャルジャ大学の学生さんたちが、三重大学で臨 重大学の一行をご招待いただきました。駒田医学 床実習をされました。シャルジャの学生の皆さん 部長(当時)がスルターン首長のお隣でご歓談さ は三重大学附属病院のさまざまな診療科で実習に れ、首長が2010年の4月に金沢大学で名誉博士号 参加し、日本の進んだ医療技術に感銘を受けた様 を授与されるために来日されると聞かれて、その 子でした。三重県のへき地である紀南にも一泊二 節は三重大学にお立ち寄りくださいとお願いがな 日で研修に出かけ、熊野の豊かな自然と日本のへ ― 17 ― ルジャ大学の学生さんのお一人が、インフルエン ザ陽性であることが実習中に判明し、実習してい た診療科はもちろんのこと大学をあげての対応が 求められました。診療科の先生方、そして感染管 理部門の田辺正樹先生にはたいへんお世話になり ました。当時大学の危機管理を担当されていた登 勉理事(現医学部長)にも様々なご配慮をいただ きました。順調に経過して、外出制限が解かれた 時には、関係者一同本当にほっとしたことでした。 またぜひ日本で学びたいという言葉を残して、 シャルジャ大学の医学生による紀南宿泊研修 8名そろって元気に三重を後にされました。 3.スルターン首長の三重大学ご訪問 さて、学部間協定締結式の後の昼食会でのお願 いが、2010年4月21日についに実現しました。大 学として準備を進めるにあたっては、医学部・医 学系研究科チーム、国際交流チームをはじめ、大 学の事務部門の皆様が力を発揮されました。首長 をお迎えするなどもちろん初めてのことでしたの で、在ドバイ総領事館の斎藤憲二主席領事、井上 武人領事にご指導とご助言を多数いただき、首長 のスペシャル・アドバイザー Dr. Amrも懇切にご シャルジャ大学交換留学生による三重大学学長(左か ら5番目)表敬訪問 指示くださいました。シャルジャ大学医学部長 Hamdy教授とDr.Amrは、3日前から来日して準 き地医療や介護保険の状況を視察しました。紀南 備にあたられました。 病院では野口孝病院長をはじめ職員の皆様に温か 当日、スルターン首長は、サイード・アルノワ く迎えていただきました。また、育生診療所の塩 イス在京UAE大使と大使館秘書の品川様ととも 貝陽而先生のお話しに熱心に耳を傾けていました。 に陸路でお見え下さいました。名古屋駅ご到着前 塩貝先生は、遠方のご自宅から何時間もかけてへ に、Hamdy教授とDr. Amr、松岡守国際担当理事 き地診療所に毎週来られている先生です。一方、 と新幹線プラットフォームに向かい、ご一行をお 紀南苑という介護保険施設では、快適な環境で職 員が心を込めてお世話する様子をみながらも、家 族の下を離れて療養するお年寄りの姿に少なから ぬショックを受けたようでした。自分たちの国で は考えられないということで、なぜ家族がお世話 をしないのかとしきりに質問をされていました。 そこから、さらに日本社会の状況や日本人の考え 方への理解が深まったようでした。 ちょうどこの時期は、日本国内で初めて新型イ ンフルエンザが発生し、日本中が大騒ぎをしてい たときです。そして、なんと来日されていたシャ ― 18 ― 近鉄名古屋駅にて池田守駅長の先導で 迎えいたしました。このとき、中部経済連合会会 にもイスラムの文化や歴史について知っていただ 長の川口文夫中部電力会長もいらしてくださり、 き、理解が深まることを切に願っている、そのた ともに出迎えて下さいました。川口会長は、 「日本・ めの働きかけを、ぜひ三重大学で行ってほしいと カタール友好協会」の会長もなさっているそうで、 述べられました。地域医療教育を専門とする私に イスラム文化にたいへん造詣が深く、近鉄名古屋 は、そのことがとても心に響きました。 駅の貴賓室でスルターン首長とご歓談されていま 次に、三重大学の卒業生で、昨年4月にシャル した。その後、近鉄特急伊勢志摩ライナーで津に ジャ大学で臨床実習を受けさせて頂いた加藤大祐 向かいました。 さんと久保倫子さんが、スルターン首長にその時 津駅から三重大学までは、内田淳正学長がご案 の様子を報告し、花束とともに感謝の気持ちを述 内され、多数の教職員の出迎えるなか、学長室に べられました。その発表を聴かれてHamdy医学部 て歓迎式がもたれました。三重大学からは、内田 長からは、胸がいっぱいになったというお言葉を いただき、お二人への励ましと共に、今後の両校 の医学教育の発展にこうした国際交流が大きな役 割を果たすことを期待するとおっしゃられました。 列席者間のなごやかな懇談が進み終わりに近づい たところで、スルターン首長から、5月に開かれ るシャルジャ大学医学部の記念すべき第一回卒業 式に、三重大学から学長、医学部長、病院長にご 参加をいただきたいというご招待があり、さらに、 イスラムの文化や歴史の理解が進むよう三重大学 歓迎の言葉を述べる三重大学内田淳正学長 淳正学長のほか、登 勉 医学部長・医学系研究科 長、竹田寛附属病院長、駒田美弘前医学部長、宇 治幸隆医学系研究科副科長、Gabazza Esteban医 学部地域・国際交流委員会委員長、珠玖 洋学長顧 問、江原 宏国際交流担当学長補佐、堀 浩樹医学 部教授と私とが出席いたしました。まずは内田学 長が歓迎のご挨拶をなさり、学部間協定に基づい て医学部学生の交換留学や研究者の交流が始まっ シャルジャ大学での臨床実習を報告する三重大学卒業生 ていること、さらに、持続発展教育(Education for Sustainable Development)を導入した地域医 に中心となってその役割を担ってほしい、ついて 療教育モデルの開発が、両大学のプロジェクトと は 三 重 大 学 にCenter for Arab and Islamic して行われていることを紹介されました。 Cultures and Heritage(アラブ・イスラム文化歴 続いて、スルターン首長のお言葉を頂戴しまし 史センター)の設立を申し出たい、とお話になら た。スルターン首長は、医学部間の様々な活動を れました。スルターン首長のお言葉を受けて、内 嬉しく思うとお話になられた後、こうした交流が 田学長からは心からの感謝とさらなる協力関係の 医学部にとどまらず、大学の他の様々な学部にも 構築に向けて大学をあげて努力したいという決意 広がることを希望するとお話になられました。さ が述べられ、歓迎の式はお開きになりました。 らに、大学のなかだけでなく、三重県の一般の方々 スルターン首長からは、ご自身の27冊ものご著 ― 19 ― 野呂昭彦三重県知事より歓迎のご挨拶(左から、アル ノワイス在京UAE大使、スルターン首長、内田学長、 野呂県知事) わりに、ご自分のお腹をポンと叩かれたのを目撃 して、心の中でガッツポーズをいたしました。大 寄贈いただいた首長のご著書 使館の品川様にも東京にもなかなか頂けないお料 書を三重大学に寄贈いただきました。ご著書のう 理とおっしゃっていただいて嬉しく思いました。 ち『アラブ海賊という神話』は、実は日本語訳が 難しい注文にも快く対応してくださったソプラノ 刊行されていてAmazon.comで購入でき、事前に の皆様に、この誌上にて感謝を申し上げます。 拝読しておりました。膨大な歴史資料に基づいて 緻密な考察がなされており、スルターン首長の学 者としての活動の一端を見せていただいた思いが していたのですが、これほどにたくさんの著述が おありとは存じ上げませんでした。学長室で、少 し時間があったときに、ご自身の半生を描かれた 自伝を手に取られそのなかの1枚の写真を指して、 これは自分が首長に就任した日の写真だと説明し てくださいました。兄が暗殺されてその日のうち に即位した、涙がうかんでいるのはそのためだと 放射線科で治療手技の説明を受けるスルターン首長 お話しくださいました。 歓迎の昼食会は、三重県の野呂昭彦知事のご臨 席を賜り、海のそばのリストランテ・ソプラノで 持たれました。野呂知事からは、歓迎のお言葉と ともに三重県の産業や歴史文化に関するご紹介を いただきました。なごやかな会となり、参加者一 同楽しいひと時を持たせていただきました。事前 にレストランに様々なお願いをして準備にあたっ た者としては、スルターン首長においしく召し上 がっていただけるかどうか気になるところでした。 最後に、内田学長がお食事を楽しまれましたかと 尋ねられたときに、スルターン首長がお返事の代 ― 20 ― プレゼントされた折り鶴をポケットにしまう ても感銘を受けました。 4.シャルジャ大学医学部第一回卒業式典 スルターン首長のお招きを受けて、2010年5月 29日に開催された卒業式に参加させていただきま した。三重大学からは、登医学部長、竹田附属病 院長、ガバザ・エステバン教授と私とでお伺いし、 折り紙のプレゼントを受け取られるスルターン首長 午後には、三重大学附属病院を竹田寛病院長の ご案内で視察されました。最初に、放射線科で「CT ガイド下ラジオ波腫瘍焼灼術」を見学していただ きました。これは、肺癌に対してCTを用いて透視 しながら、電極針を病変部に直接穿刺し、電磁波 感動につつまれた卒業式 (ラジオ波)を流して腫瘍を焼灼するという治療 法です。次に透析室に移動し、最後は小児病棟を 訪問していただきました。病室では闘病中の子供 たちから折り紙をプレゼントされ、スルターン首 長は手渡された折りヅルを胸ポケットに大事にし まわれていました。 盛りだくさんのスケジュールでしたが、在京 UAE大使とともに三重大学を後にされ、その日の うちに東京に戻られました。お疲れになられたの ではと思いましたが、後日、秘書の品川様から頂 戴したメールに、お帰りの新幹線の車中ではお話 が弾まれていて、楽しく1日をお過ごしになられ 左より登医学部長、竹田病院長、山本金沢大学大学医 薬保健研究域長、ガバザ教授 たのではと書いてくださっていました。たいへん 緊張してお迎えを致しましたが、スルターン首長 金沢大学からも山本博医薬保健研究域長がお見え の温かなお人柄と、ときどき口にされるユーモア になられました。 のセンスあふれるお言葉に、心に残る1日を過ご 医学部にとっては、初めての卒業生を送り出す させていただきました。何よりも、首長が教育を 記念すべき卒業式でした。日本の卒業式と大きく 大切にお考えになられ、大学の活動を非常に重視 異なったのは、卒業生が壇上に座り、教員や来賓 してその運営に直接に携わっていらっしゃるご様 は会場から祝福したことです。Hamdy教授がいつ 子が伝わってきて、たいへん励まされました。 も口にされる学生中心の教育が体現されていると なお、スルターン首長の三重大学ご訪問に際し 感じました。式ではスルターン首長が卒業生お一 ては、在京UAE大使館に多大なご助力を賜りまし 人お一人に卒業証書を手渡され、卒業生の感激が た。また、近畿日本鉄道名古屋駅および津駅では 伝わってきました。Hamdy医学部長がご祝辞のな 格別なお計らいをいただき、その見事な対応にと か、 「これからは医療のプロフェッショナルとして ― 21 ― 歩むみなさん、ふさわしいガウンを身にまとって に、間もなく開院する附属病院での臨床教育・診 見せて下さい」と述べられたところ、壇上の卒業 療指導に三重大学から医師派遣をという要請もい 生が一斉に式典用ガウン(アカデミック)をとる ただきました。三重大学医学部教授会では、登医 と、その下には白衣を着た姿がありました。これ 学部長、竹田病院長から早速にそのことが報告さ には出席者一同、本当に感動致しました。その後、 れました。シャルジャ大学の体系だった先進的な Hamdy教授のリードで、卒業生全員で誓いの言葉 医学教育の現場で指導にあたることは、三重大学 を述べられました。卒業生の希望に満ちた瞳に映 の教員にとって、ひいては大学にとって貴重な機 る明るい未来に心が躍る卒業式で、その場にいら 会となるでしょう。現在、大学をあげて大学間協 れたことを本当に幸せに感じました。三重大学に 定締結の準備を進めており、さらに、スルターン 実習にきた学生の皆さんと再会できたことも幸い 首長からご提案いただいたCenter for Arab and でした。 Islamic Cultures and Heritage(アラブ・イスラム 卒業式の後には、医学部に設立された、教育セ 文化歴史センター)の設立に向けて検討が始まっ ンター(Sharjah Surgical Institute)と研究セン ています。 ターにご案内いただき、スルターン首長による開 三重大学とシャルジャ大学との協力関係が双方 所式に続いて内覧会が行われました。昼食会は、 の大学にとって意義あるものに発展し、その成果 来賓一同スルターン首長の宮殿にお招きをいただ が広く国際社会への貢献につながり、一方では、 くという栄誉に預かりました。 大学を通して一般の方々にも交流が広がっていく 5.おわりに ことを切に願いつつ、報告を終えさせていただき シャルジャ大学では、今後、学生実習にとどま ま す(本 稿 は、日 本 ア ラ ブ 首 長 国 連 邦 機 関 紙 らず大学院生や教員・研究者の交流を進め研究の 「UAE」第48号掲載していただいた報告文を許可 面での協力を仰ぎたいと期待されています。さら を得て一部改変・転載いたしました)。 タマサート大学医学部訪問団との交流について 国際交流センター兼務教員(医学部) 櫻 井 しのぶ 1) はじめに この度、7月30日にタイの国立タマサート大学 医学部関係の方々が三重大学医学部を来訪されま したので、その様子を報告させて頂きます。 もともと三重大学とタマサート大学との関係の 始まりは、2006年秋に、タイ王国にある6校の本 学協定大学(チェンマイ大学、カセサート大学、 コンケン大学、スラナリー工科大学、モンクット 王工科大学、タマサート大学)と国際インターン シップに関する覚書を締結したことから交流が始 まりました。 者であり首相、元老などを務めたプリーディー・ その一校であるタマサート大学は1934年に法学 パノムヨン氏によって創設され、タイ王国では歴 ― 22 ― 史を有する大学です。人民党出身であり、 「自由タ イ」のメンバーも努めたプリーディーが設置した こともあり、民主化思想の傾向を持つ大学といわ れています。 現在、17学部が設置され4つのキャンパスを持 つ総合大学でタイの京大と言われるエリート校で あります。市内(王宮の側)のキャンパスには法 学部、商・会計学部、政治学部、教養学部、経済 学部、大学院、語学研究所、生涯教育研究所など があり、郊外のランシットキャンパスは主に理系 長・松岡国際交流担当理事、江原学長補佐の大学 の学部が設置されており、科学技術学部、工学部、 代表、病院関係者として竹田病院長、水谷、佐川、 医学部、看護学部、歯学部、健康科学学部などが 竹井、新保の各副病院長、および医学教育の責任 あります。研究組織としては、人的資源研究所、 者である堀教授や国際交流担当であるガバサ教授、 東アジア研究所、タイ・カーディ研究所があり、 他タマサート大学やタイ国とのゆかりの深い関係 様々な分野における研究が進められています。こ 者である医学部の安藤特任教授、看護学科の中西 の東アジア研究所内には、我が校のサテライト事 助教などが出席しました。双方の自己紹介がされ、 務所「三重大学タイ教育研究センター」が開所さ 一部の出席者は流暢なタイ語での歓迎挨拶に和や れており、三重大学と非常に深い関係を持ってい かなムードの中で会が進行されました。特に、学 ます。医学部とのつながりは2008年看護学科との 長がタマサート大学に来訪した際に受けたタイ式 交流により始まりましたが、今年の2月に内田学 マッサージ療法に感動された話をされ、タマサー 長がタマサート大学訪問の際に医学部長との懇談 ト大学側から拍手が湧きました。その後、三重大 があり、今回の来訪となりました。 学の紹介が松岡理事・江原学長補佐からされ、続 いて、竹田病院長から医学部付属病院の概要の説 2) タマサート大学医学部及び附属病院一団の来 訪について 明、佐川副病院長からは医師の臨床研修制度の説 明、堀教授からは医学教育の説明がされました。 タマサート大学来訪団は医学部長、病院長を始 2時間に渡っての説明に対しタマサートの方たち めとし総勢35名でしたが、そのうち20名が女性で、 は熱心に聞き入っており、質問も幾つかありまし 各分野の責任者(タイでは教授職は大学の極一部 た。その後翠稜会館の2階のパセオにて昼食を兼 であり、ほとんどが准教授職)がみえました。 ねての懇親会が行われました。タイでは日本食(お 朝9時半に三重大学に一団が到着し、会議室に 寿司、カレー、ラーメン、など)はポピュラーな て表敬訪問が行われました。三重大学側は内田学 食事であるので、一団は本場日本の食事を楽しみ、 三重大学の各々の教員と情報交換や交流が行われ ていました。 昼食後は、竹田病院長のご配慮より、建設中の 新病院の見学となりました。まだ内装工事の段階 でしたが、イメージは十分できる状況でしたので、 タマサートの方たちは大変興味深く新病院を見学 されました。また、屋上のヘリポート場では伊勢 湾を望む素晴らしい展望に感嘆の声があがり、あ ちらこちらでの写真撮影会となり、タマサート大 ― 23 ― バサ教授が務めてくださり、タマサート大学側か ら非常に活発な質問がなされました。内容として は、現在の医学生の学習に関することや、医療費 の話題、国民医療保険に関して質問があり、水谷 副病院長が丁寧にお答え下さいました。両国の医 療システムの違いはあっても、アジア人として疾 病構造が類似している点や、医学教育の難しさな どが話題となり、両国の共通課題を見つけること ができました。話が白熱し、まだまだ論議が続き 学の方々にとって良い思い出となったことと思い そうな中、予定の時間が来てしまい、翌日は富士 ます。余談ですが、タマサート大学医学部のある 山に行かれる予定があるとのことでしたので、時 ランシットキャンパスは内陸部で近くには以前の 間通りに終了し名古屋へ向かわれました。 バンコク・ドムアム国際空港があり、田園地帯の 広がる平地です。周囲がのどかな田園に囲まれた 3) 終わりに タマサート大学の方々にとって海の景色は格別 今回、タマサート大学より総勢35名の受け入れ だったのではないでしょうか。 を行いました。来日が初めての関係者も多く、日 新病院見学の後は、現在の病院の視察となりま 本文化や様々な施設などに興味関心を持ち、話を したが、来訪団の人数が多いため3つのグループ 聞かれている様子がみられました。また、1日と に分けられ、それぞれの興味のある部署での見学 短い滞在ではありましたが、本学の教員と交流す となりました。まず1つ目のグループは、午前中 る機会を設け、様々な意見交換ができたことは今 の三重大学の概要の中で説明のあった臨床研修制 後も国や大学の枠を超え、研究や教育を進めてい 度のスキルズラボでの見学でした。皆さんは、医 くことができる土台となったのではないかと思わ 療シミュレーションの機械の実際に手に取り、興 れます。 味深く、使用方法や学生の習熟の在り方などを熱 タイと日本は国政上も非常に親密な関係をもっ 心に聞いていました。2つ目のグループはNICU ており、現在のタイの新国際空港、空港からの電 と産科病棟の見学を行ない、NICUの病棟の構造 車、高速道路など多くのインフラ整備は日本の や感染対策についての興味深く質問されていまし ODAによってなされており、大変親日的な国の1 た。3つ目はCTやMRIなどの放射線部での見学で つです。 「微笑みの国タイ」と言われ、非常に魅力 した。タマサート大学側も放射線部の医師などが 的な国民性と独自の文化を持ちつつも、タイ経済 来られていましたので、非常に熱心に映像や画像 の成長は著しく、国民の生活も急速に豊かになっ の解析の方法などを視察され、写真も多く取って ており、生活習慣病による医療費の高騰、少子高 いました。約1時間の見学を終え、医学部の会議 齢化など、ほぼ日本と近似した健康問題が存在し 室にて最後の情報交換の時間が持たれました。非 ています。今までは一部の教員が交流していたタ 常に暑い日でしたので、お茶と赤福が総務の方の イ王国の大学との関係ですが、この来訪を機に更 御配慮で出され、タイの皆様も甘味にひと息つか に多くの教員が交流し、国際的な取り組みができ れました。もともとタイのお菓子はもち米を使用 るきっかけができればと思っております。 した甘いものが多いので、赤福も違和感なく喉を たくさんの方々に、お世話になり有意義な交流 通ったことと思います。 ができましたことを心から感謝申し上げます。 最後に、タマサート大学側の概要が説明され、 その後質疑応答となりました。ここでの司会はガ ― 24 ― 「研究を語ろう会」について 医学研究科幹細胞発生学分野 山 崎 英 俊 本年夏より、若手の先生や院生、学生さんの自 ですし、互いの刺激になればと思います。さらに、 由な議論の場を提供すること、また研究の活性化 いろいろな形に発展するきっかけになれば幸いで や交流を目的として、 「研究を語ろう会」を発足い す。 たしました。准教授及び教授の先生方は、大学院 第1回は、石井健一朗先生(三重大学大学院地 セミナーや講義等でご自身の研究の発表の機会や 域イノベーション学研究科・研究講師、大学院医 人となりを知る機会があります。しかし、講師或 学系研究科 腎泌尿器外科学・リサーチアソシエ は助教の先生や大学院生の方々は、あまりまと イト(兼)三重大学メディカルバンク・個人識別 まった研究のお話をされる機会が少ないと感じて 情報管理者)に「筋線維芽細胞の役割から探る発 います。また医学研究科がいくつもの建物に分散 生と癌の接点」という題目の講演をいただきまし され、活発な交流がなくなってきているような気 た。癌幹細胞はあるのか、また癌の発生は環境因 がします。そこで、若手の先生方の研究発表や自 子によるか、種側の問題であるか、おおいに議論 由な議論の場を提供し、交流の場をつくることを が盛り上がりました。第2回は、杉村 和人 先 念頭に、登研究科長の承認をいただき、修復再生 生(機能プロテオミクス分野)に「PARP-1はDNA 病理学の今中恭子先生と一緒に、「研究を語ろう 損傷に応答してDNA複製を制御する:抗がん剤と 会」を発足することにしました。若干の調整は私 してのPARP阻害剤の作用点」に関するお話と、 の方でさせていただきますが、講演希望者を募り、 平工 雄介 先生(環境分子医学分野)に「感染・ 順に発表いただいています。参加は自由です。講 炎症関連発がんにおけるDNA損傷塩基8- ニトロ 演時間は概ね30分前後で、質疑応答は20分と考え グアニンの生成とその役割」という題目でご講演 ております。もちろん、議論が盛り上がり時間が をいただきました。学部学生さんから院生、教官 延長されるのは喜ばしい事だと考えます。これく を含む30数名の方の参加をいただき、教官のみな らいの時間ですと、研究のバックグラウンドやそ らず学部の学生さんからも多くの質問や意見がで の方の考え方や人柄もわかるのではないかと思い て、大変盛り上がりました。ご参加いただいた皆 ます。共同研究の相手を捜すのもよいですが、ま 様と講演いただいた先生に感謝致します。 ずは純粋に議論を楽しみ、通常の学会では質問出 今後も、1−2 ヶ月に1回の頻度で、本会を開 来ないような事や素朴な疑問をぶつけて頂きたい 催予定です。演題を募集しております。是非、此 と思います。 の機会を利用して、自分の研究をまたご自身をア 現在、セミナーでは軽食と飲み物も用意してお ピールし、三重大医学部の研究を活性化し、盛り ります。残念ながらアルコールはありません。今 上げて頂きたいと思います。第2回より学部長の 後は、セミナー後の簡単な懇親会をしてもよいの ご配慮で援助をいただき、軽食や飲み物も用意で ではと考えております。隣の教室の先生や院生が きるようになりました。是非、軽い夕食がてら気 どんな研究をしているのか、どのようなことに疑 軽にご参加いただきたいと思います。現在は、医 問や興味をもたれているのかを知るよい機会です。 学部の「研究を語ろう会」ですが、いずれは学部 この会を契機に、より深く研究のお話をされるの 外にも解放し、自由な会にしてゆきたいと考えて もよいでしょうし、ライバルを見つけるのもよい います。また、以前にこのような会が発足されま ― 25 ― したが、自然消滅したようですので、できるだけ 学部学生のご参加とご協力をお願いいたします。 長く続けたいと思います。そのためには、少しで また会の進行や在り方へのご意見も御待ちしてお も意味の或る、役に立つ集まりにしてゆきたいと ります。 考えます。多くの医学科、看護学科の先生、院生、 日本法医学会学術奨励賞受賞の報告 大学院医学系研究科環境社会医学講座法医法科学分野 准教授 井 上 裕 匡 私は、この度第94次日本法医学会学術全国集会 肺脂肪塞栓が見られることや脂肪肝が肺脂肪塞栓 において日本法医学会学術奨励賞を受賞すること の原因となることを証明しました(Inoue et al. ができました。当分野の那谷雅之教授をはじめ教 Legal Med 2009; 11 (1) : 1-3, Inoue et al. Int J Legal 室員の皆様、これまでご指導いただきました大阪 Med 2005; 119 (5) : 275-279)。また、過去の解剖事 大学大学院医学系研究科法医学講座 的場梁次教 例を検討し、より実用的な覚醒剤中毒死の診断指 授、九州大学大学院医学研究院法医学分野 池田 針を提唱しました(Inoue et al. Legal Med 2006; 8 典昭教授に厚く御礼申し上げます。 (3) : 210-213)。このような業績が評価され、今回 私は平成9年3月に高知医科大学医学部を卒業 の受賞に至ったものだと思います。 し2年間の内科研修の後、平成11年に大阪大学大学 前述の通り、病死や外因死を含め未だ機序が不 院で法医学の道に進んで以来、九州大学を経て平 明な死は多くあり、今後も微力ながら法医診断の 成17年11月三重大学に赴任し、今年で法医学を専 精度向上に役立つ研究を行っていく所存です。ま 攻して12年目になります。これまで約1000体の死 た、社会医学という立場から、我々の法医学的ア 体検案、および約600体の司法解剖・行政解剖を執 プローチより導き出された死への機序が、臨床医 刀し(解剖補助を含めると約1200∼1300体)、死因 学における診断や治療に活かされる日が来ること の決定等に携わりましたが、死因の判断に苦慮す を望んでいます。今後も皆様のご指導、ご鞭撻を る事例は少なくありません。その理由としては、 賜りますようお願い申し上げ、受賞の報告とさせ 死者の生前の情報が少ないことや死後変化など ていただきます。 様々ですが、現実として薬物中毒死など死に至る メカニズムが未だ明確でない事例が数多く存在し ます。また、解剖によって得られた所見が原因で あるのか結果であるのか、さらにいつ生じたもの であるのか判断が困難なこともあります。従って、 法医学の研究テーマの1つは正確に死因を決定す るための診断基準を作成すると同時に、解剖時に 見られる様々な所見の機序を解明することである と私は考えています。私の研究は大学院時代に経 験した低温サウナで死亡していた男性の解剖症例 に端を発したもので、熱暴露モデル動物の作製や 解剖症例の検討により、熱中症の剖検所見として ― 26 ― 学会だより 第5回東海股関節外科研究会を開催して 運動器外科学講座(整形外科) 教授 藤 啓 広 講師 若 林 弘 樹 平成22年6月5日、栄ガスビルにて第5回東海股 にわたる臨床治療成績や、基礎研究成果をお話し 関節外科研究会を開催致しました。本研究会は東 頂き、会場は大いに盛り上がりました。重度大腿 海地区の大学の枠を越えた意見交換の場として股 骨頭壊死症の術後経過を提示して頂いた中で股関 関節外科に興味をお持ちの先生方が集まり、股関 節のremodelingの素晴らしさを拝見し、渥美先生 節外科に関する臨床的諸問題について本音で語り の卓越した手術手技と共に、人間の治癒能力につ 合う会であり、約70人の東海地区の先生方に参加 いて改めて敬服致しました。 して頂きました。 また、一般演題では人工股関節置換術の臨床成 今回は大腿骨頭壊死症に焦点をあて、県西部浜 績や、感染・骨折・深部静脈血栓症などの術後合 松医療センターの増井徹男先生には関節温存手術 併症など15演題を発表して頂き、各演題でも活発 である骨切り術について、当科の長谷川正裕先生 な討論が行われました。三重県からは三重大学、 からは人工関節置換術について解説して頂きまし 山田赤十字病院、済生会松阪総合病院から演題が た。大腿骨頭壊死症は整形外科領域でも数少ない 発表され、他大学から高い評価を頂きました。 特定疾患の一つですが、その病因は未だに解明さ 土曜日の昼から夕方までの5−6時間の研究会 れていません。青・壮年期に好発することから若 でしたが、主管大学として第5回東海股関節外科 年発症例では治療に難渋することがあります。教 研究会を無事進行運営することができたこと、ま 育研修講演では年長児ならびに若年重度大腿骨頭 た同研究会が非常に充実したものとなったことに 壊死症に対する関節温存手術について昭和大学藤 対してご協力頂いた諸先生方に深謝致します。 が丘病院の渥美敬教授にご講演頂きました。長年 第126回 日本神経学会 東海・北陸地方会を開催して 三重大学医学部附属病院 神経内科事務局担当 内 藤 寛 日本神経学会東海・北陸支部が主催する、第126回 ます。今回の地方会では71演題という非常に多く 日本神経学会東海・北陸地方会が、三重大学大学 の演題をご登録いただき、当日は東海・北陸の各 院医学系研究科神経病態内科学教授 冨本秀和会 地から258名の先生方が参加され、近年ではもっと 長のもと、平成22年3月6日(土曜日)に名古屋 も多い参加者数となりました。ランチョンセミ 市の名古屋国際会議場で開催されました。日本神 ナーには愛媛大学の野元正弘教授にお越しいただ 経学会は「神経学」を専門とする内科医の会、す き、パーキンソン病の薬物療法についてのご講演 なわち「神経内科学会」で、とくに東海地方では を拝聴することができました。 その歴史も古いことから多くの専門医を擁してい 冨本教授が着任して以来、初めて開催する地方 ― 27 ― 会でしたが、三重大学神経内科ではこれまでに 数々の全国規模の学会を開催してきたことから、 数少ない神経内科の教室スタッフの献身的な働き により、滞りのない地方会運営ができました。こ のように無事に本会を終えることができたのも、 三重大学医学部の関係各所の方々のご支援ご協力 の賜物と、心より御礼を申し上げます。 ゲノム創薬フォーラム 薬理ゲノミクス 田 中 利 男 ゲノム創薬フォーラム(http://www.genome. 情報と科学は塩基配列というゲノムの構造に関す ne.jp/gdd/index.html)は、1997年に野口照久先 る構造ゲノミクス(structural genomics)だけで 生(当時へリックス研究所代表取締役社長、元 はなく、個々の遺伝子の機能に関する機能ゲノミ 山之内製薬代表取締役副社長)を代表に、設立 クス(functional genomics)も質的・量的に着実 されました。当時ヒトゲノムの塩基配列すべてが、 に拡大し、世界中のゲノム情報は驚異的な速度で 21世紀初頭に解読されようとしている状況にあ 蓄積しつつありました。膨大な情報を前にして、 り、米国TIGR社やWellcome Trust社などの動き それらを整理し、組織し、統合し、活用する科学 を見ると、2003年までにはヒトの全遺伝子の配列 である生物情報学(bioinformatics)が生まれるの が明らかにされそうな勢いでありました。さらに は 当 然 で あ り、こ れ ら す べ て は ゲ ノ ム 科 学 ヒトのみならず、今後1000余種の生物のゲノムも (genomics)と総称されています。 解析されつつあり、ヒトを含む多数の生物種間で そこでゲノム創薬フォーラムは当初から、ゲノ の遺伝子配列の相同性が明らかにされる日も近い ム科学の目的に注目し、医薬品を作り出す創薬を と考えられていました。その結果、得られている 中心に考えていました。例えば、新しい受容体を ― 28 ― 誰かが発見すれば、それを創薬研究者たちは競っ 創薬について、オーガナイザーは、田中、永島廉 て標的としました。現在も有効なこのアプローチ 平(MCBI・取締役) 、辻本豪三(京都大学大学 を続けるうち、優れた医薬品を発見するためには、 院薬学研究科・教授)、増保安彦(東京理科大学薬 まず標的自身が新しく、ユニークでなければなら 学部・教授)で、第12回シンポジウム「疾患オミッ ないことは、よく知られていました。これを可能 クスとゲノム創薬:Diseasomeを基盤とした次世 にする創薬における画期的変化がゲノム科学を 代創薬戦略」を、開催しました。 ベースにした標的の発見とそのダイナミックな活 さらに、この疾患オミックス情報を創薬ター 用であり、これをゲノム創薬研究プロセス(Genomic ゲットに繋げる最新の創薬戦略について「最近の Drug Discovery Process)として提案し、翌年の 分子標的療法の動向と標的同定のためのパスウェ 1998年には第一回シンポジウムを、東京渋谷の薬 イ解析」をテーマに、2010年7月5日(月)日本 学会館で開催しました。日本におけるゲノム創薬 薬学会館において、オーガナイザーは、田中、林 科学の誕生であります。ゲノムを創薬に結びつけ 崎 良英(理化学研究所 オミックス基盤研究領 る動きは、アカデミアを巻きこんで欧米の製薬企 域長)、北村 俊雄(東京大学医科学研究所 教授) 業やベンチャーの間で著しい発展状況にありまし で、開催しました。主な講演は次のように民間や た。一方、ゲノム創薬科学がわが国の医薬品開発 アカデミアから最先端の報告がなされました。 において根付いたとは言い難いと思われました。 とりわけ遅れているのは、医薬品開発に有効な大 川原 弘三(株式会社ワールドフュージョン 代 規模かつ組織的なヒトゲノム情報データベースの 表取締役社長) 「新たな創薬ターゲッ 構築とbioinformaticsを駆使した遺伝子情報の解 ト経路網探索と化合物構造の融合」 析であります。企業によるヒトゲノム情報の活用 住谷 知明(プレシジョン・システムサイエンス も、大勢としては、欧米の諸国に比し、未熟であ 執行役員事業開発担当部長) 「RNA り、このような状況のなかで『ゲノム創薬フォー のデジタルカウンティング技術−次 ラム』は、創薬研究プロセス全般にわたり、何を 世代発現解析の幕開け」 どのようになすべきかをともに考え、各企業にお 宮野 悟(東京大学医科学研究所ヒトゲノム解 いて最新のゲノム科学を取り込んだ創薬研究を強 析センター 教授) 「大規模データ解 力に支援するためのシステム作り、ひいては日本 析とシミュレーションによる生命シ におけるゲノム創薬科学の定着と発展に寄与する ステムのモデル化」 ことを目標としました。その結果、全国の企業や 矢守 隆夫(財団法人癌研究会・癌化学療法セン アカデミアからの多数の参加がありました。当時 ター分子薬理部 部長) 「がん細胞パ 我が国には、通産省系のへリックス研究所と厚 ネルによる化合物の分子標的予測法 生省系の(株)ジェノックス創薬研究所(1996年 (CANCER CELL INFORMATICS): ―2003年)が、ゲノム創薬の国家プロジェクトで その方法論と分子標的薬開発への応 した。田中は、このジェノックス創薬研究所に 用」 参画していたことから、ゲノム創薬フォーラムに 等 泰 道(Head of Oncology Research/ は、設立時から参加し、現在評議委員会議長とし Metabolic disease Research at Rigel てお世話しています。 Inc.) 「Identification and Development その後、ゲノム創薬は、国際的に急激な展開を of Small Molecules that Mimic the 示し、多くの国内外の製薬企業においては、必要 Effect of Adiponectin」 不可欠な基盤技術として確立されています。そこ 後藤 俊男(理化学研究所・創薬医療技術基盤プ で、その中で最も発展が著しい疾患オミックスと ― 29 ― ログラム プログラムディレクター) 「タクロリムス(FK506)の発見と 一先生(東大院薬学系研究科特任教授、アステラ 開発について」 ス製薬株式会社代表取締役会長)と新井賢一先生 これらの講演の中でも注目すべき点は、後藤俊 (東大名誉教授、東大先端科学技術研究センター 男先生が旧藤沢薬品でタクロリムスを発見するプ システム生物医学ラボラトリー特任教授)へ、世 ロセスで、疾患モデルのスクリーニングを活用し 代交替がなされました。今後ゲノム創薬フォーラ ており、フェノタイプアッセイの重要性について ムは、ようやく当初からの目的である疾患オミッ オミックス創薬において改めて強調された点であ クスと創薬ターゲットバリデーションに具体的焦 ります。これら10年以上の歴史のあるゲノム創薬 点を当てるとともに、製薬に加え補完代替医学へ フォーラムは、現在大きな変革点を迎えつつあり、 の展開やアカデミアにおける研究教育の構築が開 疾患オミッックスからの創薬戦略に本格的に突入 始されており、この新しい研究領域における本学 しています。また、代表も共同代表として竹中登 の貢献が期待されています。 高血圧市民公開講座 循環器・腎臓内科学 伊 藤 正 明 私が三重県の支部長をしています日本高血圧協 を市民に知らせている関係もあり、毎回多くの市 会より、少なくとも年一回の市民公開講座を行っ 民の皆さんの参加があり、大変盛況です。プログ て、高血圧の啓蒙活動を行うよう勧められたこと ラム内容は、プレイベントとして健康相談、血圧 が切っ掛けで、高血圧に関する市民公開講座のボ 測定、血管年齢測定を行い、その後に私の講演 ランティア活動を2年ほど前より行っています。 (高血圧の成因、生活習慣特に食塩摂取との関係、 高血圧は国民の罹患率が最も高い国民病で、早期 治療などについて)、次いで栄養士さんによる減塩 に見つかれば臓器障害を予防でき、循環器疾患の を中心とした食事の講演をして頂いた後、市民か 一次予防の観点から、その予防と治療は極めて重 らあらかじめ受けた質問にお答えして、最後に血 要です。 圧計が当たる抽選で終わる内容で、約3時間程度で 市民公開講座には、ある地域で1回限りのもの す。 が多いですが、ボランティア活動という観点から 健康相談は、地元の医師会の先生方にボラン 継続性を重要視し、さらに費用も出来る限り押さ ティアで行っていただいています。また第4回か えた市民公開講座となるよう企画しています。 ら、ボランティア活動と共に市民からのいろいろ 2008年9月6日に第1回を行ない、その後年4回 な声を聞けるなどの勉強の場にもなることを期待 のペースで三重県内各地を回り、現在まで計8回 して三重大学医学部の学生さんにも参加しても 開催しました。5月17日は世界高血圧デーであり、 らっています。最初は会場整理のお手伝いをして この日近くの土日には三重県のどこかで高血圧市 くれていましたが、第6回では、実際に血圧の測 民公開講座を開催できるよう心がけています。今 定方法などについて市民に話をしてくれました。 までに開催した市民公開講座を下記の表に示しま さらに第7回以降は、参加してくれていた学生さ す。 んの多くが“きゅうめい部”を立ち上げたのに伴 開催に先立ち、近圏の地域に新聞の折り込みチ い、集まった市民の皆さんにAEDの使い方を含め ラシや病院・医院にポスターを掲示してその開催 たBLSの講習をプレイベントで行っており、市民 ― 30 ― 骨圧迫の手技やAEDの使い方など、BLSの一連の 流れを聴講者のみなさんにデモンストレーション をしたり、実際に体験して頂いたりして、BLSの 重要性や正しい知識についての話をさせて頂いて います。 きゅうめい部とは、一般の人にBLSを広めるこ とを目的とし、昨年9月に立ち上がった部活です。 私たちがきゅうめい部を立ち上げたきっかけは、 第4回高血圧市民公開講座(鈴鹿市ふれあいセンター、 2009年5月17日 世界高血圧デー) 終了後、スタッフとして参加頂いた栄養師さん、三重大 学医学部学生のみなさん、お手伝い頂いた企業の方たちと。 医学部内で先輩方が行っていた、学内BLSでした。 学内BLSとは、三重大学医学部の学生が開催して いる、医学生・看護学生を対象とした、BLSの講 習会のことです。そこで私たちは、医療従事者だ 開 催 場 所 津市中央公民館 久居中央公民館 伊勢市ハートプラザみその 鈴鹿市ふれあいセンター 大山田コミュニティプラザ(桑名市) 日 時 参加人数 2008年9月6日 127名 2008年11月22日 118名 2009年2月9日 280名 2009年5月17日 165名 2009年9月6日 94名 第6回 名張市武道交流会館 いきいき多目的ホール 2009年12月5日 95名 第7回 松阪市産業振興センター 2010年3月13日 3階研修ホール 148名 第8回 津市河芸中央公民館ホール 2010年5月16日 289名 第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 けでなく、誰でも行うことができるBLSの存在を 知り、 「BLSで救える命がある」ということを学び、 これを医療従事者だけが知っているのはあまりに も勿体ない、むしろ、もしもの時にその場に居合 わせる可能性の高い一般の方々にこそBLSを知っ て欲しいと考えました。そこで、まだ医師ではな いけれど、比較的自由な時間もあり、一般の人よ りも医学に詳しい私たち医学生がBLSを広めるこ の皆さんからも大変好評です。医学部ニュースに とで、少しでも社会に貢献することが出来るので 乗せて頂くせっかくの機ですので、当初より参加 はないかと思い、志を同じくする仲間数人で、きゅ してくれております医学科4年の景山拓海が代表 うめい部という部活を立ち上げました。 でその報告も続けてさせて頂きます。 創部当初はごく数名であった部員も、今では40 今後もしばらく年4回のペースで三重県内各地 人を超えるようになり、医学科・看護学科の枠を で行い、出来る限りの多くの三重県民の皆さんに 飛び超え、教育学部など他学部から参加する部員 血圧を中心とした生活習慣病の一次予防に役立つ もできました。そして、 「AEDの配備が広まって 機会を作って行きたいと思っています。三重大学 きたにもかかわらず、なかなか使用率が上がらな 医学部の先生方にもいろいろお世話になると思い い」などのニュースを聞く中、多くの人たちにこ ますがどうぞよろしくお願い申し上げます。 の簡単な救命法を伝えていきたいという思いがさ らに強くなっていきました。そのような時に、伊 藤先生から市民講座で講演をやってみないかと声 をかけて頂き、一般の方にBLSを広める良い足掛 きゅうめい部 ∼BLSを広めたい∼ かりになりました。今後も市民講座や、他にも様々 な場所に出向き、BLSの普及活動を行っていきま 三重大学医学部医学科4年 景山 拓海 す。 私たちきゅうめい部は、循環器・腎臓内科学教 最近の活動としては、プールの時期を迎えた津 授の伊藤正明先生が年4回行われている、高血圧 市内の中学校で、授業の一環としてBLSを教えさ 市民公開講座で、BLS(一次救命処置)に関する せて頂きました。また、夏休み中も高校・大学連 簡単な講演をさせて頂いています。講演では、胸 携授業として、高校生にBLSの講習を行いました。 ― 31 ― 「きゅうめい部」と、名前がひらがなである理由 も、学生が行っている部活であり、固いイメージ 今まで私たちの活動に参加してくださった一般 にしたくないというためで、授業の空いている時 の方々からは、様々な感想をいただきました。 「た 間であればいつでもどこでも行くことができる、 めになった」、「わかりやすかった」、「もしものと というフットワークの軽さも私たち学生の魅力の きは自分が助けたい」などの声を聞くことで、多 一つであると考えています。 くの喜びとやりがいを感じています。今後も、三 もちろん、まだ医師になってもいないただの学 重大学や先生方のお力を借りながら、学生という 生が、一般の方に医学の知識を正しく伝えられて 立場を活かし、積極的に活動していきます。 いるのかと不安視されることがあるというのも事 BLS講習のご要望や、きゅうめい部に興味をも 実です。そのような声を真摯に受け止め、私たち たれた方は、お気軽にご連絡下さい。きゅうめい 自身も正しい知識と正しい手技、そしてより良い 部の活動をブログにもアップしていますので、是 インストラクションを目指し、少しでも多くの人 非ご覧ください! を救うきっかけになればと思い、日々努力してい http://ameblo.jp/kyumeiclub/ ます。 学 位 記 授 与 式 平成22年7月21日(水)午前10時から総合研究棟中会議室で学位記授与式が挙行されました。 内田学長から下記の方々に、三重大学博士(医学)の称号が授与されました。 甲 第1010号 山 口 敏 郎 乙 第 824 号 野 村 英 毅 乙 第 826 号 横 地 歩 乙 第 825 号 岡 本 貴 行 乙 第 827 号 神 元 有 紀 ― 32 ― 人 事 異 動 22.4.30 辞 職 長 尾 賢 治 病態修復医学講座 助教から 市立四日市病院へ 22.5.1 採 用 高 山 恵理奈 山田赤十字病院から 病態修復医学講座 助教へ 22.6.1 昇 進 木 村 一 志 ゲノム再生医学講座 講師から ゲノム再生医学講座 准教授へ 22.6.1 採 用 杉 本 龍 亮 医学部附属病院 医員から 病態制御医学講座 助教へ 22.6.1 採 用 重 岡 稔 章 奈良先端科学技術大学院大学 博士研究員から ゲノム再生医学講座 助教へ 22.6.1 採 用 江 藤 みちる ゲノム再生医学講座 特定事業研究員から 医学・看護学教育センター 助教へ 22.6.30 辞 職 木 平 健太郎 医学・看護学教育センター 助教から 新宮市立医療センターへ 22.7.1 採 用 宮 原 慶 裕 米国トレド医科大学 Postdoctoral Fellowから がんワクチン講座 寄附講座講師へ 22.7.1 採 用 岩 佐 正 新宮市立医療センターから 医学・看護学教育センター 助教へ 22.7.31 辞 職 宮 本 由起子 病態修復医学講座 助教から 医学部附属病院 医員へ 22.7.31 辞 職 吉 田 格之進 病態解明医学講座 助教から 医学部附属病院 医員へ 22.7.31 辞 職 中 井 桂 司 環境社会医学講座 講師から 岡波総合病院へ 22.8.1 配 置 換 犬丸 杏里 医学部附属病院 看護師から 成人・精神看護学講座 助教へ 22.8.1 採 用 中 村 哲 医学部附属病院 医員から 病態修復医学講座 助教へ 22.8.1 採 用 三 宅 泰 士 医学系研究科博士課程 大学院生から 病態解明医学講座 助教へ 22.8.1 採 用 DRYJA TADDEUS PETER 医学・看護学教育センター 助教へ 22.8.16 採 用 坂 口 美 和 三重県立看護大学 准教授から 成人・精神看護学講座 准教授へ 22.8.31 辞 職 大 西 香代子 基礎看護学講座 教授から 園田学園女子大学 教授へ 22.9.1 採 用 林 智子 群馬大学医学部保健学科 講師から 基礎看護学講座 教授へ 22.9.1 採 用 村 端 真由美 愛知医科大学看護学部 講師から 母性・小児看護学講座 准教授へ ― 33 ― 三重大学医学部の理念 Mission and Core Principles of Mie University Faculty of Medicine 確固たる使命感と倫理観をもつ医療人を育成し、豊かな想像力と研究力を養い、人類の健康と福祉の向 上につとめ、地域および国際社会に貢献する。 Mie University, School of Medicine aims to raise medical personnel with a steadfast sense of mission and ethical view, and to cultivate in it students and faculties both rich creativity and research capacity. The school will strive for development of human health and welfare and contribute to regional and international society. 編 集 後 記 平成22年度の第2号となる医学部ニュースをお届けいたします。 今号におきましては、環境社会医学講座家庭医療学分野教授に就任されました竹村先生 からのご挨拶、医学看護学教育センター地域医療学講座武田先生からの離職のご挨拶、医 師および看護師等国家試験結果、卒業生の進路についてのご報告をいただきました。 今号のトピックスでは、前掲の武田先生より本学部が学部間協定を結んでいるアラブ首 長国連邦シャルジャ大学医学部のスルターン首長が本年度4月にご来学された際の交流な らびに5月に本学から登医学部長、竹田附属病院長ら一行がシャルジャ大学医学部第一回 卒業式典に参加された様子を詳細に記述いただきました。看護学科櫻井先生からはタイタ マサート大学医学部学生の学長表敬訪問についてご報告いただきました。これらの交流は 国際化社会の中で医学部にとどまらず他学部、地域を巻き込んだ国際交流に発展していく ことが期待されます。附属病院長竹田先生からは来年度オープンされる新病棟屋上にヘリ ポートを備える三重県全体の三次救急の最後の砦の役割を果たすべく開設された救命救急 センターについてご報告いただきました。講座・研究関連では、「脊椎外科・医用光学講座 開設」「認知症医療学講座開設」「BONAC研究プロジェクト研究室開設」「基礎研究への誘 い」 「研究を語る会」をご報告いただきました。各先生方の研究への姿勢が滲み出た内容と なっております。さらに、 「解剖体感謝式」 「医学部オープンキャンパス」などの行事、な らびに「東海股関節外科研究会」 「日本神経学会東海北陸地方会」 「ゲノム創薬フォーラム」 などの学会・研究会、「高血圧市民公開講座」の開催などの実績、「日本法医学会学術奨励 賞」という栄えある受賞についても喜ばしくご報告させていただいております。 お忙しい中、原稿をお寄せいただきました皆様に深く感謝申し上げます。 この夏は9月になってからも記録的な猛暑日が続き113年間の観測史上最も暑い夏にな りました。猛暑によりビール・発泡酒、冷菓、冷房器具等の売上が伸び、その恩恵に預かっ た業界もある一方、各地で熱中症による救急外来受診者が増え、経済的理由で冷房器具を 使用できずにいた貧困者が亡くなるという事件も起きました。経済の低迷が続く中、経済 格差が人命や健康に及ぼす影響を垣間見、なんともいたたまれない気持ちになりました。 株安・円高が急加速している中、一刻も早く政治と経済が安定し、未来に希望の持てる社 会が実現することを祈ってやみません。 編集委員 杉 浦 絹 子 編 集 委 員 吉田 利通 緒方 正人 田中 利男 楠 正人 丸山 一男 杉浦 絹子 坂口 美和 福永 泰治 新貝 庄吾 編集発行 三重大学 医学部ニュース編集委員会 〒514−8507 津市江戸橋2−174 国立大学法人 三重大学医学部・医学系研究科チーム 1111 (代表) FAX. 059 (232) 7498 TEL. 059(232) E-mail:[email protected] ― 34 ―
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