巻頭言 - 慶應義塾大学 法学部研究会サーバー

巻頭言
法学部
教授
萩原 能久
現代人は「全体主義」という語によってどのようなイメージを喚起されるだろ
うか。全体主義の一般的イメージの形成に絶大な影響力を及ぼしたのがカール・
フリードリヒとその弟子、ズビグネフ・ブレジンスキーという二人の政治学者に
よって書かれた Totalitarian Dictatorship and Autocracy である。この書物の
なかで彼らは全体主義に特有の本質的要素としていわゆる「六点症候群」を提示
した。それは 1.単一のイデオロギー、2.単一の支配政党、3.秘密警察、4.国家の
情報独占、5.国家の暴力独占、そして 6.中央統制経済の六点である。しかし彼ら
の研究に対しては、そもそもナチズムとスターリニズムを「類似した」統治形態
とみなしてよいかどうか問題であり、全体主義という、極めて二〇世紀的な支配
形態の特性を著しく矮小化したものでしかないとの批判もある。歴史的・思想的
文脈を度外視して両体制の外面的・形式的共通性を抽出してみたところでそれ
が何の役に立とうか。それ以上に、全体主義概念がそもそも分析的概念であるの
か、それとも相手側を誹謗するための政治的レッテル貼りなのかということも
問題であろう。ほとんどの場合は後者なのである。いずれにせよ、そのように全
体主義を捉えてしまうと、それはもはや克服済みの過去の遺物であり、二〇世紀
政治史の汚点として他人事のように語られてしまうだけである。
アーレントの全体主義論が傑出しているのは、何よりも全体主義を政治体制
の問題としてではなくモッブという扇動者に導かれた大衆の「運動」として捉え
た点であろう。この運動は法の形式性を侮蔑しつつ、ネーションによって国家を
征服しようと試みる。
「運動」は一九世紀の国民国家という「制度」のように「外
部の敵」との対決姿勢をとり続けることに飽き足らない。
「運動」は常に形を変
えつつ、内部から新たに敵をあぶり出し続けていく。無用な者、有害な者は不断
に除去されなければならないのだ。自転車が漕ぐのを止めれば倒れてしまうよ
うに、「運動」は立ち止まってはならない。
また全体主義において、他者との一切のつながりを断たれた大衆は、その外面
的行為のみならず精神の奥底まで国家によって支配される。そのための手段が
内部から人を強制するイデオロギーと外部から人を強制するテロルである。ヒ
トラーやスターリンといった名指ししうる特定の独裁者の暴虐が問題なのでは
ない。社会システムという匿名の支配、
「無人支配」が問題なのであり、それを
可能にするのが共通の世界も持たず(worldlessness)、みずからの判断能力も放
棄した(thoughtlessness)大衆なのである。そのような全体主義は、一言で言うな
らば、人間の自由に対する根源的否定なのだ。
アーレントの『全体主義の起原』全三巻、丸山真男の「無責任の体系」として
の日本型ファシズム論、そして藤田省三の全体主義論を精読し議論することに
よってまず理論武装から始めたのが今年度の萩原研究会である。本論文集は
個々のゼミ生がそれぞれの問題関心に添いつつ、そうして培われた視点から「わ
れわれのなかに今なお潜み続ける全体主義」の痕跡を辿る試みである。多くのゼ
ミ生諸君にとって、これまでレポートや感想文くらいを書いた経験はあっただ
ろうが、学問的な論文を執筆したのは今回が初めてのことだと思う。
「こんなこ
とを書きたい」と思って準備を進め、勉強してきたことのほんの数十%くらいし
か表現できなかったというもどかしさを誰もが覚えたにちがいない。そんなも
のである。その割合をもう少し高めるチャレンジが次回に続いてくのだし、今は
ともかくも「何か」を形にできたことを誇りに思い、反省すべき点は今後の自分
の人生に活かして行って欲しい。人間は自分のあやまりからいちばん多くのこ
とを学び、貴重な教訓を引き出すことができるのだから。
目次
萩原能久
1
自粛ムードの心理と全体主義
岩井友里
5
沖縄の共同体
川崎晴人
13
全体主義の現在形
――藤田省三の全体主義論の再検討を通して――
河野誓也
22
現代日本における全体主義的政治宣伝の出現可能性
佐藤彩香
34
佐藤有利乃
43
城 緑
52
日本における全体主義的なものの解明
杉村健人
60
全体主義運動と大衆の関係性
鈴木智貴
69
ザ・女社会
――女子コミュニティをめぐる諸問題について――
匿名希望
77
精神構造に潜む全体主義化の危険
――丸山眞男「軍国支配者の精神形態」から見た現代社会
田口雄飛
93
ISIL のプロパガンダに見られる全体主義性
長尾将徳
98
全体主義下での映画統制とプロパガンダ映画
――コルベルク・桃太郎 海の神兵
中島啓彩 108
新たな生の決定の形
中村晴香 117
障害者の生について考える
古川夏月 125
日本の戦後責任論
――ネオ・ナショナリズムを超えて――
山田涼平 133
日本教育現場の全体主義性について
渡部真央 141
巻頭言
法学部教授
沖縄戦における「集団自決」
SNS における仮想社会の二面的な可能性
22 期名簿
157
編集後記
158
沖縄の共同体
川崎晴人
1.概要、研究意義
昨今、日本というひとつの国の中でも人々の置かれている立場や思想的背景
は多様化してきており、多様化の結果として多くのマイノリティが現在も生ま
れ、苦しんでいる。国民の同一性をうたう国民国家にとって、内部と外部の間に
境界線を引き、同一でないマイノリティを排除してしまうことは避けがたい問
題であるだろう。中でも私が注目したいのはひとつの県が丸ごとマイノリティ
となっているという特殊な状況に置かれている沖縄である。一九四五年八月十
五日を境に日本国家という境界線から名実ともに排除された沖縄を「難民 1」と
呼ぶ C・ダグラス・ラミスに対して誰も反論することは出来ないだろう。一九七
二年の本土復帰後も、沖縄にとってかつて排除されていたという記憶が消える
ことはない。
先日沖縄では名護市辺野古における新基地建設が決定した。この事を受けて
現地では米軍だけでなく、沖縄に過剰な負担を強いる日本政府に対する反対運
動が活発になっている。そうした反対運動は参加者にとって共通の目的を持つ、
一種の共同体となっていると言えるだろう。しかしそういった抵抗運動として
の共同体は他者の声を排除してしまうなどの問題点を持っているのではないだ
ろうか。国民国家によるマイノリティへの排除に対する抵抗の共同体が、他者の
声の排除と言う点で全体主義的になってしまっているという矛盾が生み出され
ているのではないか。そこで本研究ではまず前提となっている国民国家の境界
線の暴力を生み続けるという性質とその暴力が沖縄に向いていることを明らか
にする。その上で従来型の共同体の特徴と問題点を明らかにし、従来の共同体を
乗り越えた新しい共同体の在り方を模索することによって、現代における政治
的暴力を乗り越える方法を探っていく。境界線の暴力を生んでいる国民国家へ
の抵抗運動としての反対運動、共同体の在り方を問い直すことが本研究の狙い
である。
2.沖縄を語る限界
本論に入る前にまず明らかにしておかなくてはならないのは、今回扱おうと
している沖縄自体が一章で述べたように丸ごとマイノリティとなっており、本
土に住む私にまで沖縄住民の声が十分に届いていない可能性は高いということ
である。ガヤトリ・C・スピヴァクは自民族中心主義的な発想でマイノリティを
救い出そうとする試みは無意味であると述べる。つまりそれは、次のようなイン
ドの女性に対する白人の状況と酷似しているのだ。
「白人の男性たちは、茶色い
女性たちを茶色い男性たちから救い出そうとしているのだと言いながら、(…
…)、良き妻であることと夫の火葬用の薪の上で自己を犠牲に供することとを絶
対的に同一視することによって、それらの女性たちにいっそう大きなイデオロ
ギー的強制を課す結果となっているのである 2」。確かにスピヴァクがここで念
頭においているのは第三世界の女性であり、彼女たちは発信するほどの考えを
持つ主体ですらなかったという特殊な状況であったため、今回考えたい沖縄と
一概に同じ問題だとは言えない。しかし沖縄の状況を考えると、沖縄に対する差
別と排除は佐藤優が言うように「構造化された差別 3」であるため、本土に住む
人も沖縄に住む人もその排除になかなか気づかないのである。排除にすらなか
なか気づかないという点では、沖縄は少なくとも部分的にはスピヴァクが問題
視するようなサバルタン的主体であると言えるだろう。
サバルタン的主体を扱うときの注意点は、自分に届く沖縄の部分的でしかな
い声や、沖縄住民が完全な主体ではない状態で発した言葉のみを参考とはでき
ないという点である。そういった意味で沖縄の外部に存在する筆者が沖縄につ
いて語ろうとする行為には必然的な限界があると言えるだろう。しかしだから
と言ってこれらの前提の上で沖縄について議論することが不可能になる訳では
ない。筆者にできることは、外部から軽々しく沖縄を規定することは慎むべきだ
という道徳観念を常に持ちながら、慎重に議論を進めることであろう。
3.境界線の暴力
3-1.国民国家と境界線の暴力
杉田敦は著書『境界線の政治学』の冒頭において「政治とは何かについては、
もちろんいろいろな考え方があるが、近代の政治は、境界線によって支えられて
きた 4」と述べている。この記述の具体的内容は国家が土地と人々を恣意的な境
界線によって囲い込み、対外的には外敵からの守護、対内的には内部の最適化を
図るというものである。まず内部の最適化についてだが、境界線を安定させるた
めには内部と外部の明らかな「差異」が必要となる。外部に対する共通の「差異」
が生まれるためには内部の国民の同質性が強調されることになる。国家はこの
国民の同質性を、教育、公用語の強制、国民文化の確立という具体的手法を通じ
て作り上げる。国家が国民の同質性を作る過程とその危険性は生政治としてミ
シェル・フーコーらが論じている通りである。どんな集団内でも人々が複数存在
するかぎり差異は実際に存在するのだが、国民国家の中ではそのような差異は
認められず、個々の国民に対しては同化圧力がかけられる。そして、このような
過程の中で同質的な国民にならなかった人々は国家から排除されていくことに
なる。なぜなら、国民国家の役割は境界線の内側にのみ保護を与えることだから
である。同質的な国民とならなかった存在は国民国家からは保護するべき対象
ではないとして排除される。このような排除は境界線の政治の対外的側面であ
り、このように国家の内側から外側へと排除された人々を、ハンナ・アーレント
は無国籍者 5として、ジョルジョ・アガンベンはホモ・サケル 6として描き出し
ている。
境界線の暴力は、二○世紀に起こった全体主義運動と非常に密接な関係にあ
る。なぜなら全体主義という運動を、境界線の暴力が最も表に表れた場として捉
えることが出来るからだ。内部の同質化と外部の排除という境界線の暴力は、ナ
チという全体主義国家においてはユダヤ人虐殺と対外的戦争という形で表れた
と言える。境界線の暴力を克服することが出来ない限りはトラヴェルソの言う
ように「ソヴィエト連邦が崩壊して以来、全体主義はもはやアクチュアルな概念
ではない 7」と断言することは到底できないであろう。
3-2.沖縄に降りかかる境界線の暴力
では実際に今回取り扱う沖縄と、境界線の暴力の関係について考えていきた
い。私が今回取り上げようとしている沖縄も、在日米軍基地の過度な押しつけと
いう点で、国家による境界線の暴力の被害者であると言えるのであろうか。まず
数字の上で見ると、国土の 0.6%の面積しか持たない沖縄に 74% 8もの在日米軍
基地が集中している様は異常であると言う他ない。この数字を見る限りにおい
て、沖縄は何らかの暴力の被害者となっていることは明らかである。ではこの暴
力の正体は何なのであろうか。先述したような国家権力による境界線の暴力と
特定できるのであろうか。そのことを具体的に検証していきたい。
二○一一年の東日本大震災、それに続く福島第一原子力発電所の痛ましい事
故の後には、
「がんばろう日本!」という復興スローガンが盛んに使われた。震
災から四年経った現在でも盛んに使われていると言っていいだろう。現在の政
権与党のホームページの復興支援ページ 9でもこのスローガンが使われている。
この「がんばろう日本!」という言葉自体に同化圧力的な境界線の暴力を感じな
いわけではないが、より問題とされなければならないのは、このスローガンが論
じる「日本」の中から沖縄が排除されていないかということである。もし、日本
をひとつにまとめ上げるようなこのスローガンが想定する「日本」から沖縄が排
除されているのであれば、沖縄の受けている何らかの暴力は国家権力による境
界線の暴力であると言って差し支えないであろう。新庄郁夫は著書の中で、原発
事故の問題と沖縄の基地問題が連動性を持つ 10と述べている。実際、日本の進む
べき道を考えるべき岐路という点で両者は共通していると言えるだろう。しか
し震災と原発事故からの復興という文脈で盛んに用いられてきた「がんばろう
日本!」というスローガンは、沖縄の基地問題に関しては私の知る限りにおいて
一度も用いられていない。この事実こそが、沖縄に向けられている境界線の暴力
である。国家は本土で起きた問題に対しては沖縄の人にも共に頑張ってほしい
と語るが、沖縄で起きた問題に対してはこのスローガンは適用されない。国家に
よる同質化の失敗と言えるのか否かは分からないが、少なくとも事実として境
界線の暴力は沖縄を排除しているのである。
しかし注意を払わなくてはいけないのは、沖縄を排除されている一枚岩的な
主体として論じることは、沖縄の中でも多様に存在する差異を見えなくしてし
まうことである。沖縄を沖縄住民全員のアイデンティティとして捉えてしまう
ことは、沖縄の中でのマジョリティとは異なる考えを持つ人々への同化圧力へ
と変化し、新たな境界線の暴力を起こしてしまう。3-1 において国家権力が境界
線の暴力を引き起こすと述べたが、境界線の暴力の主体は国家に限られないは
ず 11である。沖縄を本土との関係性の中に見たときにはマイノリティとして境界
線の暴力の被害者となりうるが、沖縄が沖縄内部で語られるときには境界線の
暴力の加害者となりうるのではないか。カール・シュミットは政治を友と敵の間
の境界線設定に求めたが 12、その境界線は必ずしも国境とは限らないと述べてい
る。われわれは民族間、地域間の対立に目を奪われがちだが、民族内、地域内の
消し去られた境界線にも目を向けるべきではないだろうか。次章では沖縄内で
本来あるべき差異と境界線が恣意的に消し去られている可能性、今後消し去ら
れる危険性を論じる。
4.共同体としての基地移設反対運動
4-1.新基地建設反対運動
米海兵隊の新基地建設予定地となっている沖縄県名護市辺野古では、連日大浦
湾の埋め立て工事に対する抗議活動が二十四時間体制で行われている。筆者が
基地建設予定地ゲート前の抗議活動テント村を訪れた際には、「不屈座り込み
437 日目」というプラカードが掲げられていた。工事車両などとの衝突がない時
には座り込み抗議活動の参加者同士が話し合うなどの和気藹藹とした雰囲気が
見られ、まさに共同体といったような状況が見られた。新基地建設に対する反対
運動としての共同体は、まさに三章で論じたような境界線の暴力に対する沖縄
住民の抵抗だと言えるだろう。
4-2.「オール沖縄」、「イデオロギーよりアイデンティティ」
二○一五年現在、辺野古新基地建設反対運動の旗頭となっているのは翁長雄
志沖縄県知事である。辺野古のゲート前で座り込んでいる方々によるスピーチ
で翁長氏の言葉が引用されることも多く、翁長氏が基地移設反対派に非常に信
頼されていることが分かる。ここでは、翁長氏の掲げるふたつのスローガンを見
ることによって、基地移設反対派の現在の在り方を探っていく。
翁長雄志沖縄県知事が二○一四年十一月に沖縄県知事に立候補したときのス
ローガンは「オール沖縄」、
「イデオロギーよりアイデンティティ」というもので
ある。まず「オール沖縄」についてだが、これは非常に示唆的である。このスロ
ーガンのように沖縄自体をひとつの主体として考えてしまうことは、沖縄県民
の多様な声というものを見えなくしてしまっていると言えるのではないか。こ
の点をはっきりさせるためにはそもそも沖縄の声が多様なのかという問いに答
えなければならない。二○一四年の沖縄県知事選挙では翁長氏が十万票の大差
をつけて勝利したが、それでも翁長氏に票を投じなかった人が沖縄県内に少な
くとも三十三万人は存在する 13。加えて、辺野古新基地建設反対運動に参加して
いる人々のほとんどは高齢者である。高齢者の方が若者に比べて時間的余裕が
ある人が多いとは言えるであろうが、彼らが沖縄の全体を代表できているとは、
少なくとも言えないであろう 14。以上の二点から、沖縄県民は決して一枚岩的な
存在ではなく、
「オール沖縄」というスローガンは県民の多様性を見えづらくし
てしまっていると言えるだろう。
次に「イデオロギーよりアイデンティティ」について考えたい。このスローガ
ンの意味は、二○一五年七月に東京で行われたシンポジウム 15の中で、翁長氏自
身が言及している。ここでのイデオロギーとは、冷戦時代の東西対立に沖縄が巻
き込まれ、米軍基地が多く建設されたことを指している。アイデンティティとは、
沖縄のあるべき姿と日本のあるべき姿を考えるという意味で使われているよう
だ 16。つまりこのスローガンには冷戦終了から二十年以上経った今、本土と沖縄
での在日米軍基地の必要性とそのバランスについて考え直したいという翁長氏
の思いが込められている。このようにスローガンの含意を見ると、それ自体は極
めて正論であろう。在日米軍基地の必要性に関しては国際政治や安全保障論な
ども関わってくるためここでは論じないにしても、日本の国土の 0.6%にあたる
沖縄県に、在日米軍基地のうち 74%もの施設が集中している構図は見直しの必
要があると言わざるを得ないだろう。しかし、こういった含意のある主張に対し
て、アイデンティティという言葉を用いる点に関しては、慎重でなければならな
い。3-2 で論じたように、国家の恣意に対抗してアイデンティティに立脚したコ
ミュニティを挙げる多文化主義には、マイノリティ内部の差異や境界線を見え
なくし、マイノリティ内部のマイノリティを生み出してしまうという問題点が
つきまとうからである。
アイデンティティの主張がマイノリティ内での新たなマイノリティを生み出
してしまう例は、先述したシンポジウムでの翁長雄志のスピーチの冒頭、あいさ
つ部分によく表れている。翁長雄志は「はいさい 17」から始まり自己紹介とあい
さつを全て「島クトゥバ」
(琉球方言)で行った。島クトゥバは沖縄に所属して
いるというアイデンティティの表れと言えるだろう。翁長雄志自身、島クトゥバ
を理解できる人が少ないと思われる東京において島クトゥバをあえて用いたの
には、沖縄のアイデンティティを示す目的があったはずだ。現在、島クトゥバを
理解できるのは沖縄住民の中でも全てではないと思われる。島クトゥバの中で
も地域差、世代差があれば全く通じないこともあるそうだ。そう考えると、島ク
トゥバを用いてアイデンティティを主張するという行為には、理解できない者
を無意識的に排除してしまう側面があると言える。われわれが模索するべき境
界線の暴力への抵抗の在り方が、新たな排除を生むようなことがあってはいけ
ない。帰属意識やアイデンティティに頼ることのない共同体は存在し得るのか。
国家権力の恣意的な暴力を受けてわれわれはどんな手段で対抗していけるのだ
ろうか。
5.進むべき道としての「共に生きる」共同体
三章では沖縄が国家から境界線の暴力を受け排除されていることを、四章で
は排除に対する抵抗運動の現状が、沖縄を同質的なアイデンティティ集団と捉
えることによって更なる境界線の暴力を生み出してしまう可能性を、それぞれ
論じてきた。五章では、アイデンティティなどに頼ることなく、いかにして境界
線の暴力に対抗していけるかという問題を論じたい。
5-1.共生へと向かう共同体
この問題については、新庄郁夫が沖縄の過去の言説を引用しながら論じてい
るのが示唆的である。新庄郁夫は『沖縄の傷という回路』において、反復帰論者
である新川明が、沖縄人の本土に対する異質感に立脚した議論を展開していた
こと 18に注目する。新庄郁夫は、本土への異質感から沖縄とは何かを考える危険
性を二点にわたって論じている。ひとつめは、沖縄という異質なものを日本国家
が自らの同質性獲得のための否定的媒介として必要としていることである。国
家の暴力への対抗のつもりが国家の同質性構築の手助けになっているというこ
の議論を見逃すことは出来ない。本土に対する異質感から沖縄をまとめ上げる
危険性の二点目は、中国やアメリカなどといった、本土よりも大きな異質感に今
後沖縄が直面した場合、本土に取り込まれていくしかないという点である。新庄
郁夫は異質感や差異意識に立脚した議論に対して以上の批判を加えながら、「<
共生>へと向かう共同体」という解決策を示している。
「<共生>へと向かう共同体」とは如何なるものか。このイメージは新庄郁夫の
著作のいたるところに表れている。その中のひとつが、
「他者の声」の可能性で
ある。ここでの他者とは、共同体外から聞こえてくる異質な意見ということにな
る。他者の声は共同体内で意見が固定化される中で共同体の構成員に、固定化さ
れた意見とは違う、別の可能性を示す。新庄郁夫がこの文脈で意図しているのは
チビチリガマで起こった悲惨な集団自決に反対した生還者のことである。生還
者の方は、もう死ぬしかないというガマ内で支配的であった言説ではなく、共同
体の雰囲気に縛られなかった息子による、死ぬなという声に耳を傾けることに
よって生き残ることが出来たのである。この状況下での息子の声は共同体の支
配的な言説に囚われないという点で他者の声である。この話は集団自決という
特殊な文脈の話ではあるが、このガマ内もまた、ひとつの意見が固定化されるよ
うな特殊な状況にあった共同体であったと捉えると、現代にも十分通用する話
と言えるだろう。しかし、このような他者の声は従来の共同体の中では排除され
る危険性を帯びている。この他者の声の排除の危険性こそが、「仲間内の語り」
である。仲間内の語り、つまり共通の言語を媒介とする語りは気楽に語れるため
真実が浮かび上がってきやすいという側面がある一方、その言語を知らない他
者を排除してしまうのだ。言語による排除という側面は、三章で扱ったシンポジ
ウムでの翁長雄志の冒頭のあいさつが「島クトゥバ」で行われたことを連想させ
る。もちろんこれは公用語の強制という同化圧力的な国家の暴力に対する翁長
氏の抵抗なのだが、これでは排除に対して排除で抵抗していることになってし
まい、排除そのものに対抗できているかと言うと疑問が残る。共同体の支配的言
説が必ずしも正しいわけではないという可能性を感じ、他者の声が聞けるよう
にしておくにはどうすればいいだろうか。新庄郁夫のここでの解答は、仲間内で
の語り――聞く関係を外部に開いていくことで、常に生まれてしまう「わたした
ち」という同一性に積極的に亀裂を入れていくということである。外部に開いて
いくという実践が上手くいけばいくほど、外部と内部の実質的な境界はなくな
っていく。
しかし、このような理想的共同体の追求を、あくまで沖縄県という恣意的な線
引きによって作り出された政治的単位の中で行おうとしている所に、新庄郁夫
の限界があると言えるだろう。沖縄がマイノリティとして境界線の暴力に晒さ
れていることは疑いようがないが、新庄郁夫の「ともに生きる共同体」もまた、
沖縄の外部に対して排除を行ってしまうのだ。新庄郁夫の目指す、
「人を属性で
排除しないこと」を真に達成するためには、まずは自分自身の属性を取り払う覚
悟がなければ無理だろう。
5-2.否定的共同体
一般に共同体とは、構成員で何かを共有しているということを前提としてい
る。19今まで見てきたように翁長雄志や新庄郁夫の場合にはそれが沖縄人である
というアイデンティティであった。しかし何かを共有し、構成員に何らかの同一
性を認めることは、内部に対する同化圧力と異質なものの排除という境界線の
暴力に繋がることは三章で述べた。そこで、何かを共有するのではなく何かの不
在によって共同体が成り立つと考えたのが、モーリス・ブランショである。ブラ
ンショにとっての共同体は、全ての人は必ず死ぬという点で有限であるという
ことから出発する。死にゆく者の隣人が共同体を基礎づけると、ブランショは言
う 20。人は有限なため、自分の所属する共同体が自分の死後も存続することを願
うのだ。そして共同体内の誰かの死を共有することで、自分の有限性に気づき、
共同体との結びつきを強めるのである。
アイデンティティなどではなく死の共有という点でブランショの考える共同
体も画期的ではあるとも言えるが、それとて結局共同体の基礎を死の「共有」に
求めたという点では、アイデンティティの共有に立脚した共同体とその暴力性
を乗り越えることは出来ないだろう。
5-3.なんであれ構わない単独者の共同体
先述したふたつの共同体は、そのメンバーが何らかのものを共有していると
いう前提からは足を踏み出さなかった。しかしこのような前提のもとにある共
同体では、誰がメンバーなのかという線引きが必ず行われる。そしてこの線引き
は歴史上例外なく失敗し、境界線の暴力が生み出されることになる。そこで発想
を転換し、何も共有しない共同体の可能性を探ったのが、ジョルジョ・アガンベ
ンである。今まで見てきた思想では沖縄というアイデンティティや他者の死な
どを共有したメンバーによる共同体を作ろうと模索したが、アガンベンは「なん
であれ構わない存在 21」によって構成された共同体を模索する。
なんであれ構わない存在とは、どんなアイデンティティを持っていようがそ
れ自体として他の人に愛され、望まれる一人の人間である。われわれは誰か人を
愛するときにその人の特定の要素ではなくその人自身を愛するというのは経験
則から誰もが同意出来ることであろう。このような文脈で使われるその人自身
という言葉こそが、なんであれ構わない存在となる。
なんであれ構わない存在による共同体というのは外部との間に境界線を引か
ないため、実際の施政に用いることは出来ない。実際の施政においてはサービス
を誰に提供するのかが決定されていなければならないからである。施政を考え
る時にはわれわれが一度放棄した、共同体は何かを共有したメンバーによって
構成されているという常識を再び取り戻さなくてはならない。誰にサービスを
提供するのかというメンバーシップの問題が解決しないままでは、誰にもサー
ビスが提供されないからだ。しかしだからと言って、なんであれ構わない存在に
よる共同体が不可能だということではない。それは、国家を中心とした施政とは
別の次元において成立し得るものなのである。
5-4.なんであれ構わない存在による共同体と国家権力の緊張関係
では、なんであれ構わない存在による共同体と国家権力の関係性はいかなる
ものになるのか。国家権力は人々を何らかの帰属意識やアイデンティティによ
って線引きすることによって国民を管理する。だとすれば、
「なんであれ構わな
い存在」が存在することは国家権力にとって許せない事態であり、人々がなんで
あれ構わない存在として現れることこそが、境界線の暴力に対する対抗策にな
り得るはずだ。そのような可能性こそが、アガンベンにとっては『到来する共同
体』の最後の章題にもなっている、天安門事件である。天安門事件のデモとして
の大きな特徴は、具体的な要求がないことであった。さしたる具体的な要求がな
かったにもかかわらず、このデモは国家権力から非常に大きな武力弾圧を受け
た。この事件はアガンベンにとって衝撃的であり、デモはアガンベンにとっての
共同体の具体的事例に近いものとなった。岡田温司は天安門の章で『到来する共
同体』が締めくくられている意味について、絶えず線引きを行う主権権力にとっ
て、なんであれ構わない存在は許容しがたいのだと解釈している 22。
5-5.われわれにできること
沖縄問題の本質は沖縄自体が国家権力によって境界線の外側にはじき出され
ていることにある。その境界線の暴力に抵抗活動を続けている沖縄の側の問題
点は、沖縄というアイデンティティを自ら強調していくことによって新たな境
界線の暴力を生み出さざるを得ない点にある。アガンベンによるなんであれ構
わない存在が集まるという抵抗手段は、暴力を伴わないという点で、今われわれ
が考えるべき沖縄問題においても効果的ではないだろうか。政治というとわれ
われは国家や議会などの目に見えるものを想定しがちであるが、そういったも
のを壊すことなく、国家とは全く別次元において共同体は成立していくのだろ
う。
しかし、アガンベンの共同体論を唯一の解決策だとし、これを目指すべく働き
かけていくというのもまたひとつの危険性をはらんでいる。それは、アガンベン
の目指す共同体に賛同できない人に対して新たな境界線を引いて排除すること
に他ならないからである。この批判はほとんど全ての政治理論に当てはまるだ
ろう。しかし、だからと言って沖縄の共同体がどうあるべきか思考し続けること
は決して無意味なのではない。多種多様な考え方やアプローチが存在すること
を学ぶ中で、人は現在存在している国家権力や境界線の暴力を相対化すること
が出来る。二○世紀に起こった恐るべき全体主義運動にも通じる境界線の暴力
に対抗できる唯一の対抗策は、共同体や政治の在り方を思考し続け、現在常識と
考えられているものを相対化し続けるということになるだろう。
C・ダグラス・ラミス、姜尚中、萱野稔人著『国家とアイデンティティを問う』、岩波
書店、一九頁。
2
ガヤトリ・C・スピヴァク著『サバルタンは語ることができるか』
、みすず書房、一○
五頁。
3
翁長雄志、寺島実郎、佐藤優、山口昇、朝日新聞取材班著『沖縄と本土 いま、立ち止
まって考える 辺野古移設・日米安保・民主主義』
、朝日新聞出版、三九頁。
4
杉田敦著『境界線の政治学』
、岩波書店。
5
国家こそが自国の住民の一部を領土から追放し、国民としての身分を奪ったことによっ
1
て無国籍者が生まれたとしている。ハナ・アーレント著『全体主義の起原2 帝国主義』
みすず書房、二五一頁。
6
ジョルジョ・アガンベン著『ホモ・サケル』、以文社。
7
E・トラヴェルソ著『全体主義』
、平凡社、一八五頁。
8
翁長雄志、寺島実郎、佐藤優、山口昇、朝日新聞取材班著『沖縄と本土 いま、立ち止
まって考える 辺野古移設・日米安保・民主主義』
、朝日新聞出版、一四頁。
9
自由民主党ホームページの中の震災復興に関するページを参照。
<https://www.jimin.jp/reconstruction/>(最終更新日 2015/10/25)
10
新庄郁夫は『沖縄の傷という回路』の第一章の最初の小見出しを、
「原発と沖縄と――
危機の産出と危機の隠蔽」とつけている。国家による実質的な暴力であるという点で両者
が共通しているという文脈である。新庄郁夫著『沖縄の傷という回路』、岩波書店、二三
頁。
11
ひとつの国家の内部に多くの文化的マイノリティが存在することを強調する「多文化
主義」が存在する。杉田敦は多文化主義を「国民の全体性を相対化する上で重要」としな
がらも、
「そうしたマイノリティのアイデンティティが、生物学的な等質性や文化的な同
質性にもとづいて過度に厳密に定義される場合には、国民という単位におけるのと同様
に、内部を全体化する圧力が、マイノリティの内部ではたらくことになる。
」と批判して
いる。杉田敦著『境界線の政治学』
、岩波書店、四八頁。
12 「国家という、あらゆる対立を包み込む政治的統一の存在によって、相対化されてはい
るが、――国家内部における対立と敵対とが、つねに、政治的なものという概念を構成し
ているのである。
」C・シュミット著『政治的なものの概念』
、未来社、二一頁。
13
沖縄県公式 HP を参照。正確には、翁長雄志氏が 360,820 票、仲井眞弘多氏が
261,076 票、喜納昌吉氏が 7,821 票、下地みきお氏が 69,447 票それぞれ得票している。
<http://www.pref.okinawa.jp/site/senkan_i/event/tijisen/h26tijisen.html>(最終更新日
2015/5/21)
14
世代間で分けて論じることも一種の恣意的な線引きであることは、注意が必要であ
る。
15
二○一五年七月二十九日に朝日新聞主催で行われたシンポジウム「いま、沖縄と本土
を考える」
(朝日新聞東京本社)のこと。翁長氏の基調講演に対して寺島実郎、佐藤優、
山口昇の三人のパネリストが提言を行うという形で行われた。朝日新聞出版からシンポジ
ウムの内容を収録したものが出版されているので今回はそれを参考にしている。翁長雄
志、寺島実郎、佐藤優、山口昇、朝日新聞取材班著『沖縄と本土 いま、立ち止まって考
える 辺野古移設・日米安保・民主主義』、朝日新聞出版。
16
前掲書、一三頁。
17
前掲書、一一頁。
18 「沖縄の『異質性』を反復帰反国家論の思想的根拠として対抗的に提示しようとしてい
るように見えてしまうのである。
」新庄郁夫著『沖縄の傷という回路』
、岩波書店、四六
頁。
19
岡田恩司著『アガンベン読解』
、平凡社、一○九頁。
20
モーリス・ブランショ著『明かしえぬ共同体』
、朝日出版社、二九頁。
21
ジョルジョ・アガンベン著『到来する共同体』
、月曜社、八頁。
22
前掲書、一一七頁。
全体主義の現在形
――藤田省三の全体主義論の再検討を通して――
河野誓也
1.はじめに
全体主義の時代は遠く去ったかのように言われる。しかしわれわれは依然と
して全体主義の危機の淵にいるのではないだろうか。全体主義論の古典として
の評価が定着している『全体主義の起原 1』においてハンナ・アーレント 2は、
ナチズムの勃興について、資本主義の欲望を満たせなくなったことで国家が力
を失い、ネイションがステイトを簒奪する形で全体主義が台頭したと分析して
いる。翻って現代について考えてみると、その大枠の構造は変わっていないと
言えるのではないだろうか。佐伯啓思 3は現代世界の最大の特徴として、文化
の解体を伴うグローバル化の進行を挙げる。国境を越えて文化的・経済的な交
流が行われていること自体は現代に特有の現象ではないだろう。古来そのよう
な例は枚挙に暇がないだけでなく、イマニュエル・ウォーラーステイン 4の指
摘するように資本主義を一五世紀末に誕生した資本の自己増殖を第一の目的と
した歴史的な社会システムと捉えるならば、それは本来的にグローバルなもの
であるからだ。しかし佐伯は、いわゆる「マクドナライゼーション」などを例
にとりながら、グローバルとローカルの相互作用によって、「場所の空間化」
(佐伯)が発生し文化がアイデンティティを失うことはきわめて現代的だと指
摘する。グローバル商品が世界中に拡散され(多様に受容され)るだけでな
く、ローカルなニュースもすぐに世界大のものになる中で、「出来事がある場
所から切断され、断片化され、それが別の場所に埋め込まれるという形で空間
の相互貫入が生じる 5」のは、衛星放送やインターネットなどメディアの発達
によるところが大きい。こうしたグローバル化の進行は資本主義の論理による
ものであり、それを特に強力に推進するのが新自由主義である。そして新自由
主義のヘゲモニーは今日において優勢であることに変わりはない。帝国主義は
植民地の獲得を通して「横への膨張」を目指したが、新自由主義はそれまで市
場化されていなかった領域を市場化する、言わば「縦への膨張」を要求してい
る。国家はこの要求への対応を迫られる。カール・ポランニー 6の指摘するよう
に、完全な自由市場は自然には存在せず、国家が介入してはじめて実現するか
らである。市場の自由化要求を国家が果たせない場合、(信頼性の問題から国
家が管理せざるを得ないのが現状である)通貨が悪影響を受けることで、国家
は打撃を受ける。一九九七年のアジア通貨危機の際、マレーシアのマハティー
ル首相がヘッジファンドの動きを批判した結果マレーシア通貨がさらに下落し
た例などは象徴的といえよう。斎藤日出治の言うように、「国家は市場の自由
競争をたんに監視するのではなく、市場に能動的に介入して市場の自由な空間
を創出するという任務を課せられる 7」のであり、市場の反応を伺いながら他
国と競争して市場の自由化を進めていかざるを得ないのだ。以上を鑑みると、
現代の状況は全体主義の発生を用意した一八八四年から一九一四年の期間と相
似形にあると言えるのではないだろうか。こうした問題意識に基づき、本稿で
は現代における全体主義の危機について研究することを目的とする。
市場経済の浸透による全体主義の萌芽という危機意識に基づいた先駆的考察
として挙げられるのが、藤田省三の全体主義論である。藤田の論考は日本の高
度経済成長を背景に展開されたものであるが、新自由主義の発展の歴史を鑑み
ると、その問題意識は現代に十分通用する。ここで重要になるのは、安易な新
自由主義批判ではなく、むしろ新自由主義的状況を近代の必然の帰結として捉
え、そのうえで市場主義の適する領域の限界を画定するという(カント的な)
意味での批判だ。したがって本稿ではまずアーレント以来の全体主義論の文脈
を整理したうえで、藤田の全体主義論を検討する。そして藤田の全体主義論を
現代の具体的な問題系に照らしながらアクチュアルに読み直し、現代において
全体主義の萌芽の可能性があると考えられる領域、具体的には医療現場を取り
上げて議論を進めていく。新自由主義の生政治の展開の中で、全体主義の萌芽
に抗する思考が今求められている。
2.全体主義論の系譜
2‐1.ハンナ・アーレントの全体主義論
一般的に歴史的な全体主義体制として論じられるのは、ドイツのナチズムと
ソ連のスターリニズムである。こうした全体主義論の枠組みを形作ってきたの
が、ハンナ・アーレントの『全体主義の起原』だ。現代の全体主義について考
えるうえで、全体主義という体制の新しさを看破したアーレントの論考は依然
としてアクチュアルな意義を持つ。
全体主義の本質はテロルであるとアーレントは主張する。これがイタリアの
ファシズムと全体主義体制を分かつ最大の特徴である。古来暴力的な体制は無
数に存在したが、「暴力も権力も未だかつて政治的行為の明確な最終目標だっ
たことはない 8」のである。手段と目的が転倒したこの運動は帝国主義の論理
に由来している。その最大の被害者となったのがユダヤ人である。アーレント
が『全体主義の起原』の議論をまず反ユダヤ主義から始めていることは象徴的
である。膨張を目的とする帝国主義(=資本主義)の論理に、人種主義の概念
が結合したとき、全体主義が発生した。共同体の内部に敵を見出して排除の暴
力を振るうことを第一の目的とした運動こそが全体主義の運動であった。この
運動はモッブが先導し、エリートが運営し、大衆が賛同したことによって加速
度的に広まった。アーレントの大衆心理の分析は、エーリッヒ・フロムの『自
由からの逃走 9』における議論と近い。帝国主義の勃興、そして第一次世界大
戦を決定的な契機として、階級社会は崩壊し、大衆社会が出現する。近代化が
進む中で宗教が生を支える力を失い、同時にコミュニティや文化的アイデンテ
ィティが崩壊することで、近代の大衆は孤独に苛まれるようになる。また工業
化によって個人の存在は小さくなり、自分無しでも世界が動いていく永遠回帰
の中でニヒリズムに陥る。ここから、暴力的なまでの同一化の衝動が生まれる
のだ。その単位はネイションであり、こうしてナショナリズムの運動につなが
る。権力を志向するモッブが目を付けたのはまさにこの点であり、ネイション
における同一化=全体化を世界の目的として提示したのである。大衆はまさに
ネイションの全体性の中に同一化することで生の安心を感じるようになったの
であり、それを確証するために異質な他者(ナチズムにおいてはユダヤ人)を
排除するようになる。そうしてネイションはステイトを簒奪し、全体主義が国
家を覆うようになったのだ。この国家を運営するのは、官僚制のエリートであ
る。『全体主義の起原』においてエリートがモッブに協力した様を描いたアー
レントは、『イェルサレムのアイヒマン 10』においてさらにその思考を進め、
「無思考性」の議論に至る。ナチス官僚としてユダヤ人大量虐殺の責任者であ
ったアイヒマンは、大胆不敵な極悪人ではなく、上司の命令で行ったと繰り返
す木っ端役人だった。自身の保身や出世欲のために巨大な悪に手を染める「悪
の陳腐さ」をアーレントは指摘する。そこには、自分の携わる行為がどのよう
な帰結を生むか想像することをせず、自分が手を引いても「大海の一滴」に過
ぎない以上無意味であるとして思考を停止したことに対する痛烈な批判が込め
られている。
全体主義というこの全く新しい体制は、人類史上初めての「根源悪」を生ん
だとアーレントは告発する。それは人類に対する罪であり、それを放置するな
らば人間性は失われ、人類は絶滅へと向かう。人間性を担保するのは人権であ
るが、近代世界においてそれを保障することのできる主体は国家である。その
国家が特定の人々(ナチズムにおいてはユダヤ人)を排除した帰結は、アーレ
ントが「人権の喪失が起こるのは(……)人間世界における足場を失ったとき
のみである 11」と述べている通りである。特に核兵器に代表されるように地球
全体を容易に破壊するだけの技術を手にしてしまった現代において、全体主義
の再来はそのまま人類の滅亡を意味することになるであろうから、全体主義に
ついて再考することはなお重要なのである。
2‐2.アーレント後の全体主義論
一方で、アーレント以後の全体主義論はしばしば現代的なアクチュアリティ
を失っている。その主要な原因として挙げられるのは、全体主義という言葉が
冷戦下において双方の陣営に対するレッテル貼りの道具に使われてしまったこ
とである。一九五六年にはアメリカの政治学者カール・J・フリードリッヒと
ズビグネフ・ブレジンスキが Totalitarian Dictatorship and Autocracy を発表し、
比較政治学的にシステムとしての 12全体主義の特徴を列挙してソ連とナチズム
の類似性を主張したが、これは明らかにアメリカの外交政策の正当化を企図し
たものであった。しかし特に一九六〇年代には泥沼化するベトナム戦争などを
背景に、「全体主義の概念がアメリカの政治的語彙であることが、その概念自
体に疑いの目を向けさせ 13」ることとなった。その後低調となった全体主義論
は一九八九年以降冷戦終結に伴って改めて同様の西側諸国の文脈で繰り返され
たに過ぎない。全体主義論の歴史を概観したエンツォ・トラヴェルソも、「全
体主義はもはやアクチュアルな概念ではない 14」と述べている。
2‐3.全体主義論のアクチュアリティ
しかし、そうした全体主義を過去の遺物として捉える見方は冷戦期の西側陣
営正当化のためのバイアスがかかった全体主義論に基づいており、ここで思考
を停止することには問題があるだろう。アーレントが全体主義の起原として指
摘した帝国主義の勃興や大衆のメンタリティには、現代の状況と共通する点が
多い。そもそもナチズムが自由民主主義的なヴァイマル共和国から生まれたの
は周知の事実だが、われわれ自由民主主義社会に生きる人間こそ、自己批判的
に現代における全体主義の萌芽の危険性について思考する義務があるのではな
いだろうか。そもそも状況の類似を越えて、全体主義は近代の必然の帰結だと
捉えることも可能だろう。ヴァルター・ベンヤミンは「資本主義はひとつの宗
教とみなすことができる 15」と喝破した。その宗教的構造としてベンヤミンは
三つの特徴を挙げる。ひとつは(紙幣に対する)礼拝行為の目的化。ふたつめ
に礼拝の永続。そして三点目が罪を引き起こすことである。こうしたことが引
き起こされる原因は、資本主義の時代にあってはその中での敗者には精神的な
逃げ道が用意されていないことであるとされているが、ここに全体主義への回
路が垣間見える。そうした問題意識を継いで全体主義論にまとめたのが先に紹
介した藤田省三である。事実、藤田は一九七〇年代半ば以降にベンヤミンを読
み込み 16、後述するような精神から経験への方法的転回を行っている。
3.藤田省三の全体主義論
3‐1.藤田の全体主義論とその背景
藤田省三の全体主義論は、一九八五年に発表された「『安楽』への全体主
義」と、一九八六年に発表された「全体主義の時代経験」のふたつの論文に集
約される。前者は藤田の全体主義観を端的に示すものであり、後者はその理論
的・歴史的裏付けを行っている作品である。全体主義についての論考は藤田に
とって最も後期の仕事である。事実、両論文が収められた『全体主義の時代経
験』に寄せた序文において藤田は、「私の責任で文章を発表するのは、これを
以て終わりとする 17」と宣言している。したがって、藤田の全体主義論を理解
するためには藤田の思想の流れを追う必要がある。藤田が丸山眞男門下生とし
て出発したことは有名であるが、丸山の天皇制国家論を引き継いだとも言える
『天皇制国家の支配原理』でデビューした初期の藤田は、アジア太平洋戦争へ
突入した日本の精神構造を反省しながら、その克服の道として「戦後精神」に
期待を寄せていた。戦後精神とは、敗戦によって何もかも失った日本人が経験
した精神的な意味でのホッブズ的自然状態(具体的には闇市を生き抜いていく
ような精神)であり、そこに藤田は法以前の相互交流を通して社会が形成され
ていく萌芽を見たのであった。しかし、藤田の希望は裏切られることとなる。
予想を超える速さで経済成長が進み、それにともなって人口も増え、藤田の夢
想したようなコミュニティが根付く契機は失われてしまったのだ。この状況に
直面して藤田は方法的転回を行い、天皇制などの思惟様式に着目する従来の方
法論から、共同体の経験の在り方に着目する方法を採るようになる。そうして
藤田は中期の代表作『精神史的考察』において、成年式を取り上げながら 18、
「『祭式的』なるものが、社会の構成と秩序の更新と社会全体の再生を担う核
心的な出来事 19」であること、そして現代ではそれが喪失されてしまったこと
を見抜く。それは端的にいえば、経験の喪失であった。藤田の提起する「経
験」とは、他者や物事との相互主体的な交流である。したがってその喪失は個
の喪失につながることが必然的に導かれるだろう。そこから藤田は全体主義論
へと至ることになる。
既述のように、藤田の全体主義論の特徴は現代を全体主義の萌芽の時代だと
捉えていることだ。現代の全体主義は、「安楽」への全体主義であると藤田は
主張する 20。それは、「私たちに少しでも不愉快な感情を起こさせたり苦痛の
感覚を与えたりするものは全て一掃してしまいたいとするたえざる心の動
き 21」である。不快を避け安楽を模索する行為自体は人類が古来繰り返してき
たことである。それには他者・物事との対峙が不可欠であり、そこに「経験」
が生まれる。そして不快の源を乗り越えた経験だけが「喜び」の感情をもたら
すのである。一方現代では不快の源との対面が全面的に避けられているのであ
り、そこで得られるものは「『安らぎをうしなった安楽』という前古未曾有の
逆説 22」的な事態である。こうした状況を藤田は「能動的ニヒリズム」と呼
び、それは「次々と使い捨てていく単一効用を『享受』する楽しみ 23」に過ぎ
ないと喝破した。喜びや苦しみといった人生のリズムと断絶した人々はますま
す人生から疎外されていくことになる。自己から疎外された人間に残るのは、
「競争者としての他者を『傷つける喜び』 24」だけだ。この新しい形の全体主
義がいかに深刻な問題であるかは自明だろう。
この「『安楽』への全体主義」は、藤田の分類 25では全体主義の第三段階に
あたる。第一段階は、第一次世界大戦から現れた「戦争の在り方における全体
主義」である。総力戦という新たな概念が誕生し、ナショナリズムに訴えた宣
伝戦によって一般国民も銃後として戦争に動員されるとともに、それに呼応し
て一般国民までもが機関銃と戦車の普及によって可能となった大量殺戮の対象
となった。それを政治制度化したのが第二段階の「政治支配の在り方における
全体主義」である。これは一般に言われる全体主義を指しており、藤田の理解
は基本的にハンナ・アーレントの理解を踏襲している 26。以上の二段階が暴力
的な全体主義であるのに比べ、第三段階の全体主義は平穏な日常生活の中で受
け継がれている「生活様式における全体主義」だ。藤田は市場経済が日常生活
にまで浸透した社会状況が全体主義と共通の本質的特徴を持つと説明してい
る。例として挙げられているのが、交換活動の媒介として生み出された貨幣ま
でもが擬制商品(ポランニー)として市場で取引される現実である。通貨価格
は大多数の人々の生活に大きな影響を与えている。擬制商品のうち、土地と労
働は近代初期から売買市場に登場していたが、貨幣が商品となったのは現代的
な現象である。聖域なく全てのモノが「激しく且つ絶え間ない流通・流動」に
飲み込まれる状況こそ、新しい全体主義であるといえる。ただしそれは「具体
物・対象の量的次元への還元 27」を綱領としてきた近代という運動の必然的帰
結でもある。そのうえで、「人間の最後の健全さを保つには、病者を含め
て 28、具体的対象性と性格的独立性の維持が決定的」だと藤田は些か抽象的に
未来への希望を見据える。ここから具体的な問題系に沿って議論を進めていく
ことが後に残された者の課題であろう。
以上みてきた藤田の議論は、高度経済成長の衝撃の下に書かれたものである
ため、現代の文脈からすると時代遅れとなってしまった部分もあるかもしれな
い。しかし、藤田の全体主義論が発表されてから現代に至るまでの歴史は、大
まかにいえば新自由主義の浸透の歴史として連続していると評価することは可
能(これについては四章で検討する)であろう。したがって藤田の全体主義論
をアクチュアルに読み直すことも可能なはずだ。それにあたって必要なこと
は、まず藤田の全体主義論の論理的妥当性を検証することと、次いでそれを現
代の文脈において検証することである。
3‐2.藤田の全体主義論の論理的妥当性
「安楽」への全体主義を提起する藤田の議論において問題となるのは次の二
点である。一点目は、全体主義についての二論文の論理的整合性、つまり
「『安楽』への全体主義」と「生活様式における全体主義」の対応性を検証す
ることである。藤田は現代の状況を、「直接的な貨幣利益への一義的執着が全
てを衝き動かしている 29」と述べている。だから貨幣利益を生み出すうえで障
害となるものは排除の対象となるのだ。疎外された現代の人々にとって、それ
は自由な判断(と思い込んでいるもの)を支える確かな基準となり、宗教的と
言えるような機能を果たしているのである。藤田はこうした安楽への隷属によ
って喜びという感情が不可能になると看破しているが、それはすなわち複合的
統合体としての個人精神が解体・雲散することを意味する。個人としての確証
が失われていくことで人々はさらに貨幣利益という判断基準=不快なものの排
除に拘泥していくようになり、「分断された刹那享受の無限連鎖を生 30」んで
いくことになるのである。ここで二点目の論点が顕わになってくる。すなわ
ち、目的化された全体的流動を全体主義の本質として捉えることは果たして妥
当かという問いである。先述のようにアーレントは全体主義の本質はテロルで
あり、その行使を目的とした運動こそが全体主義であるとした。そしてそれを
可能にした社会的背景として大衆の実存的不安を挙げている。一方藤田の議論
は、それを逆から辿っているように読むことができる。資本主義の生活領域へ
の浸透に伴って労働者=消費者として疎外された大衆が思考の余地と生の実感
を失っている現状分析と、それが社会的には全体的流動性として現れて、両者
が負の循環に陥っている相貌を描くことが藤田の仕事の要点であった。藤田は
全体主義の萌芽に対して警告を行ったのである。ここでわれわれが新たに検討
すべきことは、それがテロルにつながる可能性であろう。
3‐3.現代的文脈における藤田の議論の意義
藤田の議論は、資本主義の生活領域への浸透が特定の人間の排除そのものを
目的とするテロルへとつながる危険性はあるかという問いを突き付けてくる点
で、現代的な意義を持つ。この危険性について、ふたつの議論の回路が考えら
れる。ひとつは新自由主義の浸透に伴って市場原理による選別・排除が社会的
に容認されるようになるという方向である。ニコラス・ローズ 31は、生そのも
のが市場化されていくことによって、生そのものを最適化していくことが倫理
として要請されるようにとなると予測している。ローズはこうした未来予測に
対して楽観的だが、リスク管理の自己責任を強調する社会においては、渋谷
望 32の指摘するように、ハイ・リスクとされる人々が社会的な経済合理性の観
点から排除されるようになる危険が潜んでいる。リスクとは、事前的な概念で
あり、予防すべきものとして捉えられる。その純粋形態が、発達障害児の早期
発見のための予防的テクノロジーである。福祉国家においては、ハイ・リスク
とされた人々も規律訓練の形を通して再びシステムに組み込まれたが、新自由
主義下にあってはコストのかかる規律訓練は好まれない。そして、排除の対象
となるかどうかは本人もわからないのである。自分がその対象とならないこと
を確証するために排除に加担するという構図が生まれる危険性が無いとは言い
切ることはできない。他方、斎藤貴男 33の展開するような議論も無視できな
い。ジャーナリストである斎藤は、具体的な現代の問題をファシズムの萌芽と
いう文脈において捉えており、藤田の時代的制約や議論の抽象性を補完しう
る。斎藤の議論は(著者自身が言及している通り)全体主義の理論的考察を十
分に踏まえているとは言い難く、また安易な政権批判に堕している面も否めな
いが、藤田の全体主義論によって理論的補強を加えれば十分に全体主義の議論
の俎上に乗せることが可能になる。斎藤は、新自由主義のディストピアが訪れ
るという予想はしていないが、人々が権威に頼って思考を停止させる状況が常
態化すると、戦争動員につながる言説に対しても無批判になってしまうという
事態が生じると警鐘を鳴らす。どちらの議論にしろ、人々が判断基準を外的な
権威に求めてしまっている状況が全体主義につながるという視角においては共
通する。したがって四章においては、両者の議論を具体的に展開し、現代にお
けるテロルの可能性について考察する。そのうえで、両者ともに挙げている問
題系である医療現場における全体主義の萌芽について具体的に取り上げて検討
する。藤田省三自身が、現代の全体主義においては自分の寿命に従って死ぬこ
とすら困難になるのではないかと暗示的に述べて彼の最後の著書の序文を締め
くくっていることは、大変示唆的である。
4.現代における全体主義の可能性
4‐1.新自由主義のヘゲモニーとテロル
ここで新自由主義のディストピアの可能性についての考察を始める前に、藤
田の議論のアクチュアリティを傍証するため、まず藤田の全体主義論が著され
た当時と現代の間には共通点があることを確認しておく必要があるだろう。そ
れは、資本主義の生活領域への浸透を加速させている新自由主義的な動きであ
る。藤田は貨幣の商品化を現代の全体主義の萌芽として重視したが、新自由主義
研究の白眉であるデヴィッド・ハーヴェイが「新自由主義化が意味したのはあら
ゆるものの金融化だった 34」と述べているように、この動きは新自由主義の発
展に伴って生まれてきた、きわめて現代的な状況である。新自由主義は資本主義
と国家の新たな結託 35の形と言える。帝国主義の時代には国家は植民地へと進
出し、新たなフロンティアを獲得することによって資本主義の欲望を満たそう
とした。しかし、そうした「横への膨張」は限界を迎える。そこで新たな動きと
して登場してきたのが、これまで市場とは無関係であった領域を市場化する、言
わば「縦への膨張」であった。歴史的に見ると、新自由主義とされる動きは貨幣
の自由化から始まる。一九六〇年代後半、資本蓄積の危機が起きたことでスタグ
フレーションが発生するとともに、特にアメリカがベトナム戦争で痛手を負っ
たこともあり、金兌換に支えられたドルの固定相場制は行き詰まりを見せてい
た。結果として、一九七一年にはスミソニアン体制に移行したものの、一九七三
年以降は実質的に変動相場制へと移行する。これはケインズ以来の「埋め込まれ
た自由主義」から新自由主義へと先進諸国が移行したことを意味した。以来、一
部の国は管理変動相場制を採用するなどしているが、主要な先進諸国では変動
相場制が採られている。一九八〇年代に入ると、イギリスのサッチャー首相やア
メリカのレーガン大統領、日本の中曽根首相らにより、各種規制の緩和や国有企
業の民営化なども含めた小さな政府を追及する動きが見られるようになり、新
自由主義のヘゲモニーが到来するようになる。日本では小泉首相がより徹底し
た新自由主義政策を採り、安倍首相も基本的にこの路線を継承しているように、
現在も大枠において新自由主義優位の流れは変わっていない。そもそも、新自由
主義は資本主義社会の必然的帰結とも評価できるだろう。資本主義はフロンテ
ィアを発見し、拡大再生産を行っていくことでしか維持できないシステムなの
である。世界中が市場経済化されフロンティアが消失していく状態を目の前に
し、人類は大きな岐路に立たされていることを大澤真幸ら 36が指摘している。
しかし資本主義から降りることはその競争原理に照らしても非現実的である以
上、
「縦への膨張」という形で資本主義の延命を図るのは当然であると言えよう。
藤田の問題意識が現代にまで連なるものであることを確認したところで、全
体主義の議論に戻ろう。ここで問われるのは、新自由主義がテロルとなる可能性
は(どの程度)あるのかということである。渋谷望は、
「消費社会においては貧
困者は定義上、その存在が――行為がではなく――『欠陥』であり『罪悪』なの
である 37」と主張している。ここで指摘されているのは、優生学的人種主義の萌
芽である。そもそも人種概念自体が恣意的なものである以上、経済的基準に基づ
く人種主義も原理的には十分に発生しうるのである。貧困者は恐怖を喚起する
ための見せしめとして利用され、他の人々は自分がその対象とならないよう排
除に加担する。そうして新自由主義のヘゲモニーは強固なものになっていくの
だ。これを全体化の萌芽と捉えることも可能だろう。そしてその監視社会的圧力
が出生前診断に向けられ、
「技術として確立された以上それを利用しない母親は
反社会的行為を働いている」とするような社会の圧力が発生するならば、それは
明白なテロルと見なしていいだろう。高度消費社会=監視社会としての現代に
おける全体主義の分水嶺はここに位置するはずだ。
4‐2.安心のファシズム
一方斎藤貴男は、藤田や渋谷と同様新自由主義のヘゲモニーを批判しながら
も、新自由主義の暴走だけでなく、国家が能動的に(戦争動員につながりう
る)思想統制や監視社会化を進めることと、国民が「安心」を求めるためにそ
れに対して無批判である現状を問題視している。これは、国家による古典的な
全体主義の再発を懸念している議論だと読むことができるだろう。国家が思想
統制を企図した例としては、イラク人質事件が挙げられている。犯行グループ
の要求する自衛隊の撤退を政府に要請した人質の家族を、政府関係者は個人に
対する国家の優位を論拠に非難した。それと同時に、特にインターネットを舞
台として、同調した人々による猛バッシングが繰り広げられた。斎藤は、バッ
シングをする人々は人質の家族が絶対的な弱者であることを知り抜いたうえで
このようなバッシングを行い、それが彼らの「癒し」になっているのではない
かと主張する。これは丸山眞男の抑圧移譲論の発想と近い。一方監視社会化の
動きとしては自動改札や携帯電話の普及の例が挙げられているほか、特に著者
は国家=警察が主導する監視カメラの普及を批判している。異質な他者との対
峙を避けるようになった現代の「何もかもが怖い人々は、とりあえず最も強そ
うなものに縋りつく 38」ために、国家が安心をもたらしてくれることを無防備
に期待するのである。誰もが国家に犯罪者予備軍として扱われうる危険な状況
と紙一重であるにも拘わらず、人々が自らの表面的な安心のみを求める結果、
政府主導の監視社会化に無批判である現状では国家権力の暴走が生じることを
斎藤は危惧している。そうしたコンフリクトを避けるための無思考が最も原理
的に現れる場所として、斎藤もまた医療現場を挙げる。慢性疾患対策や出生前
診断は、新自由主義のシンプルなアイデアと医療技術の権威によって、まさに
「コンフリクト・フリー」に結論が出されやすいと考えられるのだ。全体主義
の萌芽の最前線を捉えた斎藤の警告もまた重く響く。「新自由主義に貫かれた
現代の帝国に『福祉』の二文字は存在しない。代わりに採られた国民統合のた
めの方法論は、ハイテクノロジーという凶器を得て、むしろ剥き出しの暴力性
を帯びた 39」のである。
4‐3.医療現場における全体主義の萌芽の可能性
医療現場における全体主義こそが現代において最も先鋭的に表れている全体
主義の形である。今日、身体の自己決定権は逆説的な形で犯されつつある。主
な手法は、新しい技術の誕生を肯定的に説明し、その選択肢を取らないことは
旧時代的だ(進歩に依存する近代的発想)という無言の圧力の下で、「自由
な」判断を迫るといったものだ。米本昌平 40は、ナチスが実際には優生主義的
政策以上に医療管理政策に力を入れていたことを指摘したうえで、現代医療が
「慢性疾患対策をまじめに推進すればするほど、表面的には、ナチスが目指し
た超国家医療体制に似てきてしまう 41」と述べている。その再来を防ぐために
は、「病者でいる権利」を訴えていくことだと米本は主張している。確かに慢
性疾患対策であれば個人としての意思を通すことも可能な場合が多いのかもし
れないが、弱者を相手とする出生前診断においてはどうだろうか。出生前診断
はしばしば母親の身体の自己決定権を保障するための手段として説明され
る 42。しかし、胎児を抱えた不安な状態で、知的障害者に対する偏見が根強く
残る社会の中で、自由な判断など可能であろうか。自由の名を借りた強制が行
われていると考えることも可能だ。それを可能にするのは医学(医師)の権威
である。しかし指摘されるべきは、出生前診断に関わる判断は倫理的、社会的
な問題であり、医学の領域の問題ではないことである。権威となっている医学
(医師)の判断の隠れた前提には、無意識的に市場経済全体主義につながる発
想が潜んでいることはないだろうか。問われているのは社会の選択であり、技
術決定論の採用は判断からの逃避に過ぎない。
坂井律子は出生前診断 43をめぐる様々な立場の当事者にインタビューを行
い、賛成・反対それぞれの背景や論理をまとめている 44。賛否問わず多くの回
答者に共通していたのは、出生前診断のマス・クリーニング化は優生思想の復
活であって避けなければならないとする意見である。挙げられている賛成派の
論拠は主に二点に分けられる。一点目は感情的なものである。ある日本の医師
はインタビューにおいてこのように回答している。
ダウン症の子を産んだ女性が、祖父母も連れて家族揃ってやってきて、「育
てられません」という。置いて行ってしまう人もいる。親から存在すら否
定される人生の悲しさは想像を超えるものがある。だから、出生前検査に
ついて、もっと伝えないといけない。 45
このような感情に訴える回答の抱える問題は、出生前診断のマス・クリーニン
グ化を肯定する論理に利用される危険が大きいことである。しかし、ダウン症
児を育てることが困難であるという問題は、経済的側面と社会的側面という二
つの文脈でとらえることができるが、共にマス・クリーニングの必要性を否定
するものであることは言及しておく必要があるだろう。ダウン症児を育てるの
がその家族にとって経済的に困難であるという側面は、(経済的に養育不可能
であるといった)妊娠中絶が認められる場合についての既存の議論の中に包含
される。それだけで出生前診断全般を否定する論理を導くことは難しいが、そ
れを全ての妊婦に適用すべきであるという主張は否定される。それ以上に大き
いのがダウン症を持つ人々とその家族に対する偏見といった社会的側面ではな
いだろうか。そうした事実からは偏見を無くす方策を考え実行すべきであると
いう指針は導かれても、出生前診断をすべきであるという指針は論理的に導け
ない。
二点目の論拠に挙げられるのが、社会的なコストだ。これが優生学的な発想
につながることは、以下のインタビューが示している。「一九八〇年代からイ
ギリスでダウン症スクリーニングプログラムの土台をつくっていた 46」ハワー
ド・カックルは、ダウン症の人を減らそうとすることは優生学的ではないかと
の坂井の質問に対し、次のように回答している。
私たちは人類の遺伝子を変えようとしているわけではありません。ダウン
症を伴う出産を減らそうとしているだけなのです。ただし、そういう出産
を減らすこと、それが目的なのですから確かに優生学には違いありませ
ん。第二次大戦中、ナチスによって行われた実験のために優生学という言
葉は評判を落としました。ですから私たちには新しい言葉が必要です。
この発想の背景にあるのは、社会的なコストの問題である。例えばイギリスの
マイク・ギルは一九八七年に、ダウン症の人とその他の人の人生のコストを細
密に計算した論文 47を発表し、出生前診断の費用対効果を証明しようとした。
これまでの議論から、この思想は特定の人々の社会的な排除が自己目的化する
全体主義のテロルと見なせることは自明である。ナチスの時代と異なり、社会
的コストという一見客観的な論理の仮面を被っていることが現代的特徴と言え
よう。こうしたマス・クリーニングが国家単位で行われるようになったとき、
全体主義は新たな形で復活する 48。
5.結論
繰り返しになるが、膨張を目的とする帝国主義(=資本主義)の論理に人種
主義の概念が結合させられたとき全体主義が発生したというのが全体主義の起
源に関するアーレントの分析であった。藤田はその構図が形を変えて現代に現
れるのだとする論理を提出したのだ。現代における全体主義の発生は、資本主
義が生活領域をどこまで飲み込むかにかかっており、生そのものの領域がその
分水嶺であるというのが藤田の議論を今日的な文脈において展開した結果であ
る。国家権力と社会の共犯が全体主義を生むのであって、新自由主義的思潮と
優生学的発想の結託を防ぐために、われわれには重大な課題が課せられてい
る。それはアーレントが喝破したように、「思考すること」なのであろう。問
われているのは人権の在り方であり、それをどう保障するのか 49ということで
ある。その際、われわれの思考がしばしば新自由主義のヘゲモニーに影響され
ているということに意識的であることは重要ではないだろうか。カール・マン
ハイムの望んだ、自己の拠って立つ無意識の前提に自覚的であろうと努め、絶
えず自己批判を繰り返すような知性の在り方が、今日依然として求められてい
るのである。
ハナ・アーレント(1951)『全体主義の起原 2』、みすず書房。
アーレントの名前の表記は訳者によってハナ・アーレント、ハンナ・アレントなど様々
なものが存在するが、本稿ではハンナ・アーレントと表記する。
3 佐伯啓思(2005)『倫理としてのナショナリズム』
、NTT 出版。
4 イマニュエル・ウォーラーステイン(1983)『史的システムとしての資本主義』
、岩波書
店。
5 同上、二〇一頁。
6 カール・ポラニー(1944)『大転換』
、東洋経済新報社。
7 斉藤日出治(2013)「原子力の産業的利用と『市場経済全体主義』
」(
『大阪産業大学経済
論集』第 14 巻、第 1 号所収)
、四九頁。
8 前掲、アーレント(1951)、二六頁。
9 エーリッヒ・フロム(1941)『自由からの逃走』
、東京創元社。
10 ハンナ・アーレント(1963)『イェルサレムのアイヒマン』
、みすず書房。
11 前掲、アーレント(1951)、二八〇頁。
12 その背景には当時のアメリカの社会科学がタルコット・パーソンズの機能主義に席巻
されていたことがある。
13 エンツォ・トラヴェルソ(2002)『全体主義』
、平凡社、一二八頁。
14 同上、一八五頁。
15 ヴァルター・ベンヤミン(1921)「宗教としての資本主義」
(『来たるべき哲学のプログ
ラム』
、晶文社所収)
。
16 市村弘正(2010)「解説――藤田省三を読むために」
(『藤田省三セレクション』
、平凡社
所収)
。
17 藤田省三(1995)「序」
(
『全体主義の時代経験』、みすず書房所収)、ⅶ頁。
18 藤田省三(1981)「ある喪失の経験」
(『精神史的考察』
、平凡社所収)
。
19 前掲、市村(2010)、四二五頁。
20 藤田省三(1985)「
『安楽』への全体主義」(『全体主義の時代経験』、みすず書房所収)
。
21 同上、四~五頁。
22 同上、六頁。
23 同上、九頁。
24 同上、一四頁。
25 藤田省三(1986)「全体主義の時代経験」
(『全体主義の時代経験』、みすず書房所収)
。
26 唯一相違があるのはイデオロギーに関する理解である。藤田は、政治的全体主義はイ
デオロギーの支配だとするアーレントらの理解は誤りであり、全体主義においてイデオロ
ギーは形骸化され道具として使用されたにすぎないと指摘している。だからこそ全体主義
は既存の体制に対するアンチの思想(これが不満を抱える民衆の心を捉えた)に基づくの
だというのが藤田の主張である。
27 前掲、藤田(1986)、四九頁。
28 ここで「病者」という言葉が唐突に現れるが、本稿での議論にとっては大変示唆的な
言及である。
29 同上、五五頁。
1
2
30
前掲、藤田(1985)、一〇頁。
ニコラス・ローズ(2014)『生そのものの政治学』
、法政大学出版。
32 渋谷望(2003)『魂の労働』
、青土社。
33 斎藤貴男(2004)『安心のファシズム』
、岩波書店。
34 デヴィッド・ハーヴェイ(2005)『新自由主義』
、作品社、四八頁。
35 新自由主義国家という試みが初めて実験されたのは、1973 年のチリで起きたクーデタ
ーにおいてであった。クーデターを支えたのは、社会主義寄りの政策を展開していたアジ
ェンダ政権に対して危機感を覚えたビジネス・エリート達である。政権を掌握したピノチ
ェト将軍を、反共という観点からアメリカが支援することになる。そこでアメリカ側でミ
ルトン・フリードマンらが招集され、チリの経済政策を立案し、また IMF からの借款の
交渉にあたった。この動きは 1982 年のラテンアメリカの債務危機が起こるまで続いた。
36 水野和夫、大澤真幸(2013)『資本主義という謎』
、NHK 出版。
37 前掲、渋谷(2003)、九〇頁。
38 前掲、斎藤(2004)、一七四頁。
39 同上、一六五頁。
40 米本昌平(1989)『遺伝管理社会』
、弘文堂。
41 同上、一九八頁。
42 坂井律子(2013)『いのちを選ぶ社会』
、NHK 出版。
43 現在各国で導入されている出生前診断はダウン症の発症可能性を診断するものである。
これは 21 番染色体が三本ある(21 トリソミーと呼ばれる)胎児を見抜くという方法によ
って行われる。
44 前掲、坂井(2013)。
45 同上、二三〇頁。
46 同上、一四二頁。
47 Mike Gill et. al(1987), An economic appraisal of screening for Down syndrome in
pregnancy using maternal age and serum Alpha-fetoprotein concentation, Soc. Sci.
Med. Vol.24, No.9.
48 日本がかつて優生保護法という法律を施行していた実態も再び批判されねばならないだ
ろう。
49 そもそも全体主義とは人権を破壊するがゆえに究極の悪なのであった。
31
日本の戦後責任論
−ネオ・ナショナリズムを超えて−
山田涼平
1.はじめに
現在日本と韓国との外交上の問題において「従軍慰安婦」や「歴史教科書問
題」、
「強制連行」、
「歴史認識問題」をはじめとした日本の戦後責任が元になって
発生してきた問題が多く山積し、議論が交わされている。しかし実際これらのこ
とについて正確な知識を持った上で語っている者は少なく、かなり自国側に寄
った見方をしている者や、主観的な論を展開している者も多い。また昨今、
「未
来志向」という言葉のもとに、日本の戦争犯罪から目を背けようとする動きや、
「歴史修正主義」的な運動が勃興している。今世界には顕著なグローバル化傾向
があり、日本もその流れの中で外交をしていかなければ、資源に乏しいだけに国
際社会の中で生き残っていくことはできないだろう。その中にあって、国全体が
前述のようなある種自国中心史的な見方をしていると捉えられれば、明らかに
外交上不利な結果を生み出してしまうであろうことは言うまでもない。書店に
行くと、あまりにも安易な日本賛美の新書や単行本が氾濫している。それに付随
して、中国・韓国へのヘイトを強めるような書籍や、太平洋戦争は日本側に圧倒
的に正しい理由があり、ことによると中国・韓国への侵略戦争も日本に正義があ
ったとまで言い兼ねないような書籍までもが溢れている。それらの是非は別と
して、このような状況に陥ってしまったのは、日本人の歴史認識の甘さ、歴史情
報に対するリテラシー能力の低さが根本的な原因のひとつであると思われる。
本稿では、戦後責任という耳慣れない言葉を定義し、日本において戦後責任に対
してどのような言説が交わされているのかを分析する。その上で、戦後責任を日
本が他国の思うようには果たして来なかったということから起こった歴史認識
問題と、それに伴う日本の「右傾化」を通じて、昨今の日本での全体主義的傾向
を描き出す。そして、現状を改善し問題の「解決」へ向かうためにわれわれが日
本に生きる一個人として(この言い方が適切であるかどうかわからないが)とし
てどのような態度を取るべきなのかを、デリダの「赦し」論を使いながら論じる。
2-1.戦後責任とは何か――定義
まず、戦後責任とは「戦争責任」とは明確に区別されるべきものである。戦争責
任とは広義には戦争に行って犯した罪、また侵略戦争を犯した罪のことであり、
国際法上禁止されている軍事行為や強盗、強姦などを行った兵士、もしくは戦争
を起こした指導者などに課せられる刑法上の罪のことである。日本では極東国
際軍事裁判において裁かれた戦争犯罪者がこれにあたり、そのうちで戦争を実
際に引き起こした「平和に対する罪」に該当するものが A 級戦犯、
「戦争犯罪」
に該当するものが B 級戦犯、
「人道に対する罪」に該当するものが C 級戦犯とな
り、通常三つに分けられる(日本では B,C 級戦犯がまとめられている)。そして
死刑や禁錮など、実刑が課せられることになるのが戦争犯罪者であり、戦争責任
である。
これに対して戦後責任は辞書等に明確な定義があるわけではないが、一般に
よく使われる意味は「戦後に国もしくは国民全体が負っている責任」であろう。
これは、戦争で損害を与えた国への賠償などの責任、戦争被害者への賠償などの
責任と様々な文脈で使われる責任であるが、本稿では特に「他国への、もしくは
他国の被害者への」責任と定義して用いることにする。具体的には、たとえば戦
後に戦敗国に課せられる賠償責任や戦争被害者への賠償、謝罪責任は戦後責任
の一部といえるだろう。
2-2.戦後責任は存在するのか
戦後責任論は「戦争に行っていない人が直接的に賠償や謝罪の責任に晒され
るのは不適切である」という言説の中で語られることが多い。一方で他国に注目
しても、現実的に従軍慰安婦として戦争に連行された主張する女性たちはかな
りの高齢でありすでに亡くなっている方も多く存在し、彼女たち=当事者たち
で存命中の人はすくない。では現在、従軍慰安婦問題やその他の問題についての
政治的な言説が鎮静化しているかというと、全くもってそうとは言えないだろ
う。たとえば、以下のようなデータがある。
表1 1
日本
1945-49
1950-54
1955-59
1960-64
1965-69
1970-74
1975-79
1980-84
1985-89
1990-94
1995-99
2000-04
2005-09
1236
936
3250
4534
3535
5620
4643
5133
4748
17539
28121
34943
35867
歴史認
識
0
0
0
0
0
0
0
1
0
45
113
135
101
歴史問
題
0
0
0
0
0
0
0
0
0
39
47
56
141
賠償
親日派
47
13
24
22
7
8
5
4
4
344
357
286
215
31
2
3
2
3
0
1
0
2
79
119
174
217
独島
0
22
9
31
26
6
44
13
12
56
550
386
1341
強制連
行
0
0
0
2
3
2
0
2
11
150
186
44
27
慰安
婦
0
0
0
0
0
0
0
0
0
3
459
349
366
これは、
『朝鮮日報』において題目もしくは本文に「日本」という語句と、表
で示したそれぞれの語句を同時に含む記事の数を表している。もちろん経済成
長に伴ってページ数も時代を下るにつれて増えているために、このデータが直
ちに韓国社会の状況を正確に反映しているということは難しいかもしれない。
だとしても明らかに一九八〇年代と一九九〇年代の間には断絶がある。例えば、
現在では歴史認識問題の中心的な話題とされることが多い従軍慰安婦について
は、九〇年代に入るまでは一度も姿を現していない。つまり、被害者の数と、戦
後責任の追及の度合いや歴史認識問題として「流行」するかどうかというような
問題は関係がないということが見てとれる。このようなデータが見られた理由
として韓国側に関して述べるならば、
「一九八七年の民主化運動」によって言論
空間における自由の拡大がもたらされ、その結果それまでタブー視されていた
議論が可能になったと言われることが多い。日本側を見た場合、社会の全体的な
右傾化が頻繁に指摘されるが、これは3章にて後述する。
このように見ると戦後責任とは、被害者の数とは直接関係がなくわれわれ国
民全体が負わされるものであり、この問題をめぐって実際に韓国などとの間に
コンフリクトが引き起こされているのである。つまり、先ほど述べた「戦後世代
に責任はない」とするような言説は、外交上の問題を考える際に実際的な問題か
ら目を背けるものでしかありえず、単なる開き直りでしかないのだ。ここで重要
なのは、
「実際にその事実があったかどうか」というようなことではなく「その
問題について今、戦後責任を問われている」という事実である。
2-3.戦後責任の様々な形
戦後責任には賠償や謝罪という実際的に行使される問題は当然あるのだが、
ここでは高橋哲哉による「応答可能性」という概念を用いた議論を見てみる。こ
れは、ある問題に関して被害者たちが存在し、彼らが加害者に向かって呼びかけ
をする時、呼びかけられた側には応答可能性、言い換えれば応答責任が生じると
いうものである。応答責任は当然無視することもできるが、より良い政治的関係
や国際的な立場を望む場合に、応答責任を果たすことは望ましいことである。そ
れは、加害者本人であるかどうかということは関係ない。日本が過去に起こした
行為に対しての呼びかけは、あくまで法的・政治的共同体である日本人が皆応答
責任に晒されるものであり、国家補償や責任者処罰などを日本政府が求められ
ている以上、法的・政治的に日本人とされている人間が自分は無関係だと言い逃
れることはできない。
ここには、記憶の問題が深く関わっている。そもそも応答責任を発生させるよ
うな呼びかけを行う被害者たちの動機は様々であろう。相手政府からの賠償を
求めて、あるいは謝罪を求めるため、場合によっては同じ悲劇を起こさないよう
に後世に伝えていくため等々あるのだろう。しかしここで重要なのは、応答責任
が生じることによって、呼びかけられた側はその問題について考え、記憶するき
っかけとなるということだ。この記憶、本稿では特に従軍慰安婦などについての
戦争記憶だが、これはある意味アナクロニズム的な時間軸を辿って来る記憶で
ある。高橋哲哉はこのような時間軸を遡って現れてくる戦争記憶を「亡霊」と呼
んでいるが、ここではそのアナクロニズムこそが重要なのである。
過去を「克服」しようと望むなら、
「喪の作業」つまり「苦痛に満ちた想起の
作業」がどうしても必要なんだ、というわけです。 2
自分たちにとっては辛い記憶を忘れず、記憶し、それを哀しむことこそが被害者
から呼びかけられた応答責任に答える唯一の方法であるのだ。応答責任が生じ
ているわれわれの中に、戦争責任がある者、今回の場合なら従軍慰安婦に実際に
苦痛を与えた兵士や、連行を行い、指示した者はほとんど存在していない。しか
し、
「亡霊」はアナクロニズム的にやってきて、現在に亀裂をもたらす。とする
と、そのような呼びかけを行う戦争被害者に対して「われわれは戦争に参加して
いないから関係ない。それは過去の話だ」言うことは、他者のトラウマ的記憶か
ら目を背けることにほかならず、暴力を伴った記憶の抹消作業へと転化する可
能性がある。つまり応答責任の側面から考えても、先ほどのような「未来志向」
的言論は明らかに国際社会において相応しくないと言える。
2−4
様々な戦後責任論
日本と同様に戦後責任を厳しく追及された国としては、やはり西洋世界で最
大の戦争犯罪とみなされているホロコーストに代表されるような犯罪を行った
ドイツが挙げられる。敗戦の直後、ドイツの戦後責任を論じるにあたってカー
ル・ヤスパースは戦争責任を四つの罪に分けた。①刑法上の罪、すなわちナチ犯
罪への直接的関与、②政治的罪、すなわちナチ体制を支持し、共に参加した罪、
③道徳的罪、すなわちナチ体制に対する消極的同調者であったことの罪、そして
④形而上学的な罪、すなわちその場に遭遇しながら見て見ぬふりをした罪であ
る。その上でヤスパースは、戦争責任に関して、当時の責任者などを直接法的に
処罰したり、被害者に補償をしていくことと、自らが負っている罪について道徳
的・宗教的に反省することは別だとした。つまりこれらの罪は「集団の罪」とし
て捉えることができず、個人の罪としてしか捉えられないということであり、そ
れによって、ドイツ人たちは個々人が戦後責任を個人のものとして捉えること
ができたのだと仲正昌樹は述べている 3。対して日本においてはヤスパースのよ
うな知識人がおらず、先ほどから述べているような責任逃れのような言説が国
民の大部分を占めるようになったと指摘している。
丸山眞男も「超国家主義の論理と心理」という論文の中で、
「超国家主義」を、
天皇を政治的に利用し国民をコントロールしようとする支配者の論理と、それ
を受容してきた国民の心理の結合体として描き出したうえで、中国やフィリピ
ンでの日本軍の暴虐な振る舞いの「直接の下手人」は、一般兵隊であることを指
摘している。つまり、天皇の権威を笠に着て命令を押し付けてくる上官からの抑
圧を受けた存在として一般人を描き出しているとも読むことができる。つまり、
そもそも一般人に罪はなく、一般人とは無思考性と官僚機構によって生み出さ
れた全体主義の被害者だということを述べているのだ 4。
以上のような文脈の中で、日本人は戦後責任をあまり意識することがなく、か
つ戦後責任を問われた場合に自分とは関係ないものとして捉えるようになった
のではないかと考える。戦後70年という今になって語られる戦争の記憶は前
述の通りアナクロニズム的なものであり、直接「戦争責任」は負っていない私た
ちが苦しめられるのは理不尽かもしれない。だが、法的・政治的な枠組みとして
の「日本人」である以上は、この戦後責任・記憶の責任から逃れられることはな
い。また、この戦後責任を果たしてこなかったからこそ、現在に至っても歴史認
識問題が大きな問題として残っているのではないか。
3−1
歴史認識問題の現況と理論的枠組み
歴史認識問題において問題にされる悲惨な過去は世界のほとんどにおいて忘
却の彼方にあり、誰にも見向きもされない状況にある。その中で、表1で見たよ
うに今なお(当事者たちから謝罪があったにも拘らず)葛藤が存在するものや、
むしろ現在になってから議論が活発になっている問題がある。反対に、謝罪が皆
無であるのに議論がなされなくなった問題もある。つまり、ある歴史認識問題が
想定している過去について議論することと、なぜその歴史的過去が歴史認識問
題として大きな問題になっているかは別個に議論しなければならないのである。
この歴史認識問題を考える上で、木村幹の理論的枠組みが参考になる。木村幹に
よると、ある過去の事象に関してそれが歴史認識問題として成立するためには、
以下のような三つの条件が必要である。それは、①ある事象に意味を見出す複数
のアクターの存在、②複数のアクターがそれぞれ異なる見解を示していること、
③彼らを実際の行動に駆り立てる利益を見出していることである 5。たとえば従
軍慰安婦問題に関しては、当然のことながらこの問題において被害者本人、被害
者の子孫、日韓それぞれの政治家、日韓国民、全てがそれぞれ異なった見解を有
している。そしてそのようなことが原因となって、歴史認識問題が引き起こされ
ているのだ。
3−2
日本の「右傾化」について
現在の日韓関係の悪化を、日本側の「過去の侵略を肯定的なものとし、さらに
美化しようとする」ような動きによって説明しようとする議論がある。教科書問
題などがそのひとつといえるが、果たして日韓関係の悪化は日本の「右傾化」に
よってもたらされたものなのだろうか。先に挙げたような戦争賛美的風潮があ
るかどうかを調べるために、教科書問題についてどのような言論があったのか
を見てみる。鄭奈美(2008)によると、東京書籍による高校日本史教科書の中で
「強制連行」、
「従軍慰安婦」、
「安重根」などについての記述は二〇〇〇年まで登
場せず、明らかに近年(一九八〇年代以降)になるにつれて両国の歴史認識に関
する記述は詳しくなっているようだ。言い換えれば、この時期における日本の歴
史教科書は、
「右傾化」するどころか日本の朝鮮半島侵略やその支配の実態をよ
り詳しく記述する方向に変化しているということになり、八〇年代以降の歴史
教科書問題をこの時期の日本の教科書の右傾化によって説明することは不可能
という見方もできると木村幹は述べている 6。
だとしたら、なぜ歴史教科書問題において右傾化が叫ばれているのか。まず、
よく言及されるものとしては、西尾幹二などをはじめとした「新しい歴史教科書
をつくる会」による活動が挙げられる。それは、
「健全なナショナリズムの復権」
の名の下に著しく自国中心・自民族中心的な歴史観を主張し、
「従軍慰安婦」等
の問題に極めて反動的な拒絶の態度を打ち出してきた。
「新しい歴史教科書をつ
くる会」によれば、
「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」といった「自虐的な」記述
は、日本国民の誇りを取り戻すためにはぜひとも抹消しなければならないもの
だというのである。そして、このようないわゆる自由主義史観の問題点のひとつ
として、否定論(ホロコースト否定論などと同じ)にまで突き進むことがあり、
それが「右傾化」として捉えられたのではないかとも考えられる。
3−3
歴史認識問題と日本のネオ・ナショナリズム
このような自由主義史観から、藤岡信勝は「健全なナショナリズム」を提唱し
ている。高橋哲哉によるとこれは「国益中心主義」のことである。
藤岡氏は、国益とは必ずしも経済的なものではない、「日本人の名誉」まで
含めて「国益」なんだ、
「慰安婦」への補償は補償自体といより、
「日本人の
名誉」を否定するという意味で「国益」に反するんだ、といっているからで
す。 7
戦後責任を負うというのは、特定の国家対国家、民族対民族の関係には尽くさ
れない、人間の人間に対する不正、暴力的支配や抑圧への批判という、普遍的な
地平が孕まれているわけであり、そもそもナショナリズムは国家や民族という
一なるものへの融合、同一化を要求する、時として暴力を孕む危険性を持った機
構だということを忘れるわけにはいかない。
「健全なナショナリズム」とは、そ
れを国益の名のもとに正当化するある閉じられた内部を作り出す操作に他なら
ないのである。そしてこの論理からするならばたとえば現在「自虐史観を述べる
日本人」や、西尾幹二の述べるような「間違った」歴史を唱える在日韓国人に対
する排斥の暴力が発生する可能性はある(そして、実際にそうした言説が繰り広
げられている)。
「国益中心」というイデオロギーを推し進めるならば、それは永遠に国益に反
する存在を排斥する暴力を働かせ続けるほかありえない。今はある程度限定さ
れている対象も、たとえば生活保護の受給者に対する排斥の暴力、あるいは(出
生率を挙げないという理由からくる)性的マイノリティへの差別・排斥など、国
内外に新たな敵を見出し、それと対峙していくイデオロギーにほかならない。
「日本の国益を重視する日本人」という幻想を抱き、そこからはみでる存在を排
除していくという運動は、まさにある種の全体主義だ。
4-1
「解決」に向かって──赦しの難問
戦後責任の「解決」は可能なのか。もちろんこの解決とはカッコつきの解決で
あり、すべての禍根を断ち切る根本的な解決はおそらく永遠に果たされないで
あろう(一見、関係他国と良好な関係を築いていると思われるドイツも、今だに
ギリシャ危機などの際にホロコーストについて言及されることがある)。そもそ
も「赦すこと」は可能なのか。デリダは「世紀と赦し」の対談において、次のよ
うに語っている。
赦しが、(社会の、国民の、政治の、心理)正常性の回復へと向かうそのつ
ど、──純粋ではない。
(中略)それは、不可能なものの試練に耐えつつ、例
外的なまま、異常なままであるべきでしょう。 8
逆にいえば、解決、この場合は戦争被害者による「赦し」に向かう力とは、あ
る種の見返りを求めることのない「誇張的な」倫理的ヴィジョンによる謝罪(赦
しを乞うこと)、デリダの言葉を使用するなら交換なき、条件なき、恩寵的で無
条件的純粋性を備えた謝罪でなければならないということである。そうするこ
とによってようやく「赦し」へと到達できるのである。そうだとすると、たとえ
ば「多額の戦後補償をしてきたのだからこれ以上この問題を蒸し返すべきでな
い」というような経済的支援を「赦し」の根拠にした議論は成り立たなくなる。
そもそも「赦し」は被害者側の問題であって、加害者であるわれわれが「もう謝
罪は十分だ」と言うことは許されない。また、これが個人の感情のレベルでの問
題である以上、裁判による判決は同じく「赦し」を意味しない。もちろん、補償
を行ない法的責任を果たし責任者を処罰していくことは解決に向けての必要条
件ではあるが、十分条件ではない。2−3で挙げたように辛い記憶を忘れず、伝
えていくことや、ヤスパース流の個人的な責任を感じること、ヴァイツゼッカー
の演説を引用するならば「隠蔽された罪」を感じ続けることでしか、赦しへの道
は開けないのである。
この前提に立つのであれば、たとえ謝罪を表明したところで永遠に十分であ
ることはなく、
(そのようなことはありえないのであるが)被害者全員からの「赦
し」を得られるまで「赦し」を乞い続けなければならない。
4-2
「解決」に向かって──方法論
以上の前提に立った上で、よりよい関係を築いていくためにはどうしたらい
いのか。従軍慰安婦問題について実証的な視点から様々な資料を公開し、意見を
表明しているウェブサイト"Fight for Justice"によると、
「解決」に必要なのは
以下の三点である。
第一は、旧日本軍と日本政府が女性たちをその意思に反して性奴隷状態に置
いたこと、それは当時でも違法であったことを日本政府が明確に認めること
です(事実の認定)。
(中略)被害者や国際社会は明確に日本軍「慰安婦」制
度は性奴隷制であり、日本軍・日本政府に責任があると判断しています。
第二は、日本政府による被害者への謝罪とその証である補償の実現です(謝
罪と補償)。日本政府はすでに「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉
と尊厳を深く傷つけた問題」
(河野談話)だと認めたのですから、まっ 先
にすべきなのは被害者に対する明確で、あいまいさのない「謝罪と補償
(国家賠償)」です。
第三は、歴史教育・人権教育を通じて、同じことが繰り返されないように日
本軍「慰安婦」問題の記憶を継承していくことです(記憶の継承)。日本政
府はすでに「河野談話」で、
「歴史研究、歴史教育を通じて、このような問
題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を
改めて表明」しています。 9
この声明における「解決」が何を指しているのか不明瞭である。外交上の問題
として取り上げられなくなることか、われわれが賠償と謝罪を「完了」する時点
のことなのかもわからない。しかし今まで見てきたような観点からすれば、これ
は割合妥当な「解決策」である。まず4−1で挙げたような謝罪の問題、2−3で
挙げたような記憶の問題を包含した議論である(もちろん「河野談話」は軍の関
与と強制性を認めたが、
「慰安婦」制度を創設・運営した主体と責任をあいまい
にしているという問題はあるが)。
しかし歴史認識問題の解決の第一歩は、やはり「謝罪」の問題であると考える。
よく「日本は戦後賠償をドイツよりも多くしてきたし、韓国もそれによって発展
することができた」と金銭による賠償を根拠にある種の開き直りをする者がい
るが、先のデリダの議論を援用するならば金銭は根本的な解決を全く意味しな
い。ヴァイツゼッカーが述べたように、ドイツの戦後責任の果たし方はとにかく
「個人の反省」が主たる目的であった。その上でポーランドやその他関係他国と
の真摯で緻密な歴史教科書の討議がなされ、賠償も行われた結果、関係他国とあ
る程度良好な関係を築くことに成功してきたのだ。
日本の「戦後」はまだ終わっていない。そこにコンフリクトが残り続ける限り、
われわれはなんらかの形でアクションを起こしていかなければならない。ミネ
ルヴァの梟は未だ飛び立たず、今あるこの現実に真摯に向かって被害者の言葉
を受け止め、謝罪を続けることでしか解決の糸口を見つけることはできないの
ではないか。
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木村幹 『日韓歴史認識問題とは何か』
、ミネルヴァ書房、一六頁。
高橋哲哉『戦後責任論』
、講談社学術文庫、八一頁。
仲正昌樹『日本とドイツ 二つの戦後思想』、光文社新書、三六〜九頁。
丸山眞男『超国家主義の論理と心理 他八篇』
、岩波文庫、一一〜四〇頁。
木村幹 同上、三〇〜三頁。
木村幹 同上、七五〜八二頁。
高橋哲哉 同上、一八二頁。
ジャック・デリダ「世紀と赦し」
(『現代思想』二〇〇〇年十一月号)、八九〜一〇九頁。
「Fight for Justice」 <http://fightforjustice.info>