Bringing the dramaturge to the cutting edge The approach of

国際交流基金 The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Presenter Interview
2011.7.13
プレゼンター・インタビュー
Bringing the dramaturge to the cutting edge
The approach of Niedersachsen Staatstheater Hannover
ドラマトゥルクの最前線
ハノーファー州立劇場の取り組み
Profile
ユーディット・ゲルステンベルク氏
(Ms. Judith Gerstenberg)
ハノーファー州立劇場
Staatstheater Hannover
http://www.staatstheater-hannover.de/
2009 年にラルス=オーレ ・ ワールブルク(Lars-Ole Walburg)が演劇部門の芸
術監督に就任して以来、フィールドワークに基づいた実験的な演劇プロジェクトを
次々に実現しているハノーファー州立劇場。そうしたプロジェクトに不可欠なのが
ドラマトゥルクの存在である。チーフ ・ ドラマトゥルクのユーディット ・ ゲルステ
ンベルクに地域や社会の問題に真っ向から立ち向かっている演劇プロジェクトやド
ラマトゥルクの仕事について聞いた。
(聞き手:クラウトハイム・ウルリケ)
■
──ゲルステンベルクさんは 2009 年からハノーファー州立劇場で芸術監督のラル
ス=オーレ・ワールブルク(Lars-Ole Walburg)のチームでチーフドラマトゥルク
を務めていらっしゃいます。先ずハノーファー州立劇場の基本情報を教えてくださ
い。
ハノーファー州立劇場は、非常に歴史のある歌劇場の他に、演劇部門として 650
席のホール、400 席の会場、200 席の会場 2 カ所という 5 つの劇場がある大きな施
設です。全体の年間予算は 5,200 万~ 5,400 万ユーロ(約 60 億円~ 62 億 3,000
万円)です。ニーダーザクセン州が負担していて、ハノーファー市からの支援はあ
りません。オペラ部門、演劇部門、劇場管理部門があり、予算のほとんどは建物の
維持 ・ 管理費に費やされていて、演劇部門の予算は年間約 600 万ユーロで、年間約
30 作品を製作しています。ヴッパータール劇場が閉鎖されたことからもわかるよう
に、ドイツではいま劇場の閉鎖が相次いでいます。ハノーファー州立劇場はいまの
ところその心配はないとはいえ、予算の削減や人件費の高騰による事業予算の縮小
など対応に追われています。
演劇部門は芸術面ではオペラ部門から完全に独立していて、芸術監督のワールブ
ルクと予算やスケジュールなどを管理する事務局長の元で事業を行っています。ド
ラマトゥリギー部は演劇部門における「企画部」のような役割で、チーフドラマ
トゥルクを務めている私の他に 5 人のドラマトゥルクがいます。その内の 1 人は、
Töpfer 財団の助成を受けて 1 年間だけ雇用されている特別プロジェクト専属です。
そのプロジェクトは、数年にわたって行われる「植物学の長期的演劇」というもので、
作品のリサーチに集中的に取り組むため専属のドラマトゥルクが必要でした。
ハノーファー州立劇場には青少年劇場があり、5 人目は主にそちらのプロダク
ションを担当しているので、演劇部門の年間プログラムをメインでやっているのは
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4 人です。ちなみに青少年劇場には別の芸術監督、マルク・プレートシュ(Marc
Prätsch)がいて、彼は演劇部門の企画づくりにも関わっています。
以前は、青少年劇場は独立した部門として運営されていましたが、ワールブルク
が芸術監督に就任したときに統合し、ドラマトゥルクも両方のプロダクションに関
わるようになりました。最近、青少年劇場の専属アンサンブルも演劇部門のアンサ
ンブルと統合されました。ちなみにアンサンブルには全部で 29 名の俳優が所属して
います。
──ドラマトゥルクが 6 名というのは、多いような気がします。
私たちは、非常に手間のかかるプログラムを組んでいます。上演するのはプロジェ
クト型のものが多くて、台本づくりを始め、チームがゼロから創作する企画に積極
的に取り組んでいます。それと、ドラマトゥルギー部の体制も普通と少し違っていて、
ドラマトゥルクの内の一人は演出家 ・ 劇作家を兼任していますし、もう一人は舞台
美術家としても仕事をしています。つまり、ドラマトゥルギー部は、クリエイティ
ブなブレインのプールなんです。
──つまり、現在のドラマトゥルクというのは以前と役割が変わって、図書館に座っ
てじっと調べ物をしているのではなく、もっと幅広い仕事をしているということで
すか?
はい、そうだと思います。勿論劇場によってドラマトゥルクの役割はいろいろな
ので一概には言えませんが、近年では自分で芸術活動を行っているドラマトゥルク
が確かに増えています。その上、ハノーファー州立劇場のドラマトゥルギー部は台
本も含めて創作しているので、ドラマトゥルクの仕事の範囲は特に広いと思います。
例えば、すでにドイツ語に翻訳されていた井上ひさしの戯曲『少年口伝隊 1945』を
ハノーファー州立劇場で取り上げることになったのですが、アンサンブルに所属し
ていた俳優の原サチコさんから翻訳の問題点についての指摘がありました。それで、
劇場所属の劇作家であるシェーレン・ヴォイマ(Sören Voima)は原作に相応しい
言語を探って新たな上演台本をつくりました。
──『少年口伝隊 1945』については、後ほど詳しくお話を伺いたいと思いますが、
その前に専属アンサンブルについてご紹介いただけますでしょうか。
専属アンサンブルの俳優とは年間契約を行っていて、彼らを中心キャストとして
配役しながらプロダクション毎に必要な客演を招いて公演を行っています。それか
ら芸術監督のワールブルクの他にアンサンブル所属の演出家が二人います。トム・
キューネル(Tom Kühnel)とフロリアン・フィードラー(Florian Fiedler)で、
ワー
ルブルクとは全く異なるスタイルをもった演出家です。二人は、年 2 本の演出作品
を担当し、アンサンブルの編成にも大きく関わっていて、演劇部門のプログラム全
体をサポートしています。
──アンサンブル所属の演出家とドラマトゥルクの役割分担はどのようになってい
ますか。
所属演出家の芸術的な表現やアイデアをとても評価しているので、可能な限り彼
らにも関わってもらっています。例えば、来年のラインナップについては、みんな
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で田舎に行って 2 日間合宿し、会議を行う予定です。ただ、彼らは別の劇場とも仕
事をしているので、劇場全体のコンセプトやラインナップは基本的に芸術監督とド
ラマトゥルキー部で考えていて、彼らにはアドバイザー的なスタンスで関わっても
らっています。
──ゲルステンベルクさんがハノーファー州立劇場に就任したのは 2009 年です。
そのときハノーファーをどのような地域だと思っていましたか。
ハノーファー市はドイツでも比較的大きな州であるニーダーザクセン州の首都で
す。市の人口は約 55 万人で、「あまり面白くない都市」というイメージがあります。
景観も魅力的ではなく、私のようにウィーンから移ったり、ライプツィッヒやベル
リンから移ってきたチームのメンバーにとっては正直にいうと面白くない町にしか
思えませんでした。
そこで私たちは、まず、ハノーファー市の歴史に向き合うことにしました。それ
で自分たちが住む町を探索してみたら、ここにはとても面白い歴史があることがわ
かってきました。ハノーファーは軍需産業で栄えた町だったので、世界第二次大戦
のときの爆撃で町の 80%ぐらいが破壊されていたのです。今の町は、1950 年代に
Hillebrecht(ヒッレブレヒト)が描いたモータリゼーションに対応した都市計画に
則ったもので、敗戦後、ドイツの都市の約 8 割で行われた復興でできた町の典型の
ようなものだったのです。フォールドワークによってこうした町の歴史に触れると、
テーマがどんどん浮かんできました。もちろんそれをそのまま舞台に上げるわけに
はいかないので、ドラマトゥルギー的な仕掛けは必要になりますが…。
──そういうフィールドワークによって作品がつくられた例を具体的に教えていた
だけますか。
青少年劇場が会場として使っているバルホーフ(Ballhof)の近くに、ヨハン・ト
ロルマン(Johann Trollmann)という人の名前が付いた 100 メートルほどの道り
があります。通りの名前を記した標示板の下に、彼がどういう人だったかのちょっ
とした説明がついています。彼は 1930 年代のドイツのボクシング ・ チャンピオン
だったにもかかわらず、シンティ(ジプシー)だったためになかなか正式なチャン
ピオンとして認められなかったのです。チャンピオンになった 2 日後に、ナチスか
らタイトルを剥奪されました。その事実を知り、彼の経歴をもっと詳しく調べました。
とてもハンサムだったので、当時のハノーファーで非常に人気があり、練習を見に
来る女性ファンのために、わざわざ屋外に練習用のリングを立てて見せていたそう
です。ナチスは、彼がシンティなのでボクシングスタイルがダンスのようでドイツ
的ではないと、タイトルを剥奪しました。
その後の彼は本当に悲運でした。タイトルが剥奪された次の試合で、肌を白塗りし、
髪の毛を金髪に染めてリングに立ち、戦わないでノック・アウトされることで抗議し
ましたが、それで彼のボクサー人生に終止符が打たれました。その後、国防軍の一
員として東戦線へ送られ、負傷。帰国後に逮捕され、ノイエンガンメ(Neuengamme)
強制収容所へ送られて、殺されました。その事実を、ハノーファーのほとんどの人
が知りません。この通りがあるところはトロルマンさんが育った地域だったのです。
これをきっかけに、このボクサーをテーマとしたプロジェクトを立ち上げました。
そのプロセスでわかったのですが、バルホーフはかつてヒトラー・ユーゲントの寮
だったのです。その事実もハノーファー市のアーカイブの奥底にしまい込まれてい
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ました。プロジェクトではこのエピソードも含めて展開しました。シンティは居留
地に移住させられ、母語であるロマニスを失いつつ、現在では多くの人々が「HartzIV」
という生活保護を受けて暮らしています。プロジェクトでは、シンティの青年を語
り手にして、ボクサーの物語を再現しました。
また、イュールゲン・クットナー(Jürgen Kuttner)という伝説的なラジオ ・ モ
デレーターの作・演出でハノーファー市の歴史などをユーモラスに描いた「ハノー
ファーレビュー」もやりました。所属演出家のキューネルと人形作家のズーゼ・ヴェ
ヒター(Suse Wächter)も参加して、色々と遊んだ作品です。
──トロルマンのプロジェクトについてどのように組み立てていったのか、ドラマ
トゥルクの関わりを含めてもう少し詳しく教えてください。
まず、ハノーファー出身の演出家が「Johann-Trollmann 道り」を見つけて、詳
しく調べてみるといい材料になることがわかりました。問題は、そこからどうやっ
て台本をつくるかでしたが、私は劇作家のビョルン・ビッカー(Björn Bicker)が
いいのではと思いつきました。彼はミュンヘンのカンメルシュピーレ劇場で素人、
特に問題行動を起こした青少年や社会的マイノリティーの人が参加する演劇をつ
くっていてとても豊富な経験があります。例えば、ミュンヘンにハーゼンベルグル
(Hasenbergl)というさびれた高層マンションの並んだ団地がありますが、そこの
住民と一緒にプロジェクトを行っています。ドキュメント的な素材をコラージュす
るだけでなく、素材からテキストをつくるという方法をとっている劇作家です。私
はビッカーと後に青少年劇場芸術監督になるプレートシュを組み合わせました。こ
うした座組をつくるのもドラマトゥルクの役割です。
二人はシンティと知り合うために、様々なところに訪ねていきました。シンティ
のコミュニティは閉鎖的であり、州立劇場を疑惑の目で見ているので、知り合いに
なるのはとても大変でした。幸いシンティを対象にした就職支援所のジョブ・セン
ターの紹介で、シンティにプロジェクトに参加して、舞台に出演してもらうことが
できるようになりました。トロルマンの甥の息子も見つかったので、彼に語り手の
青年をやってもらいました。
──シンティを取り上げたことで新しい客層が開拓できるなど、何か影響がありま
したか? ビッカーが言ったことですが、演劇においての仕事は社会事業に変わりつつあり
ます。このプロジェクトでの私たちの仕事は、確かに 8 割ぐらいが社会的なものだっ
たと思います。その過程でシンティとの文化の違いがどれほど大きいか改めて気づ
きました。それまで、自分はマイノリティーについて興味もあったし、偏見ももっ
ていないと思っていましたが、私も社会的なギャップについてよく理解できていな
かったことを思い知らされました。
シンティはナチスに迫害されたため、今も犠牲者としての意識を強くもっていま
す。稽古中に劇場スタッフがナチスのように敵視されることもありました。初日な
どはお客さんのほとんどがシンティで、遠くから駆けつけた人や劇場に初めて来た
人も多かったと思います。素晴らしいことに、参加者はこのプロジェクトを通して
「初
めてシンティに声が与えられた」と言ってくれました。出演者が民族の代表のようで、
舞台は哀愁に溢れ、ボクサーへの鎮魂歌のような感じになりました。
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このプロジェクトの結果、町にいろいろな動きが生まれました。ハノーファー市
で最大のプロテスタントの集まりである「Markt」教会が建物を提供してくれたお
かげで、
観客が劇場から教会に移動して上演する形をとれました。また、ハノーファー
市またはニーダーザクセン州はシンティとローマに対する政策を徐々に問い直すよ
うになりました。
──演劇においての仕事が社会事業に変わりつつあるということを、もう少し詳し
く説明してください。
まさにトロルマンのプロジェクトがその典型でしょう。また、最近の演劇教育
(theatre pedagogics)の拡大もそうした例になると思いますが、青少年が出演す
るなど色々な形で関わるプロジェクトも多く行われていますし、「演劇トラック」で
のアウトリーチも積極的に進めています。対象は両親を通して演劇への窓口を持っ
ている、よく教育を受けた中流階級の子どもとは全く異なる若者たちです。青少年
を路上から引っ張りだして、彼らに声を与えるような、移民をバックグラウンドと
している青少年に向けたプロジェクトも多く行っています。
最近、若い客層を開拓するのに、多くの劇場に「ヤング劇場」部門が設けられる
ようになりました。そこで若者が出演するような作品の創作も行われていますが、
その傾向が広がり過ぎていて、このままでいいのかが問われています。ハノーファー
州立劇場では青少年劇場がこうしたプログラムを担当していますが、全体からみる
と一部の取り組みに過ぎません。年間で 30 演目も製作していますので、私たちにとっ
てはあくまでも大ホールのプログラムが主だと考えています。
本当の意味で社会に波紋を投げかけたのは、今シーズンの冒頭に発表した『Freie
Republik Wendland』(ウェントランド自由連合)というプロジェクトです。これ
は若者が参加したプロジェクトで、ニーダーザクセン州のゴアレーベン市の近くで
30 年前に実際に起こったことを再現しました。当時、ゴアレーベン市に核廃棄物処
理場が計画されていて、その反対運動の一環として、農家と活動家がその近くのウェ
ンドランド(Wendland)に小屋で村をつくり、30 日間にわたって社会的ユートピ
ア「ウェントランド自由連合」を実現する試みを行いました。村で交流を深めて深
い関係を築いていったのですが、その村での面白い逸話がたくさん残っています。
このプロジェクトでは、若者たちを誘ってバルホーフ会場の前の広場に小屋を建
てて村をつくり、実際に運動に参加していた人にも集まってもらいました。小屋で
運動家たちが若者たちに自分の経験を語り、現在の政治状況についても議論を行い
ました。それから普段劇場内で上演しているイブセンの『民衆の敵』など、演劇作
品も何本か村で上演しました。それから、青少年と一緒にフリードリッヒ・デュレ
ンマット作『物理学者』を上演し、パフォーマンスなども行いました。
しかし、このプロジェクトは、市議会から劇場に質問状が送られてくるなど、物
議をかもしました。州から予算をもらっている劇場が反政府活動に拠点を提供して
いると思われたようです。もちろんそれは誤解です。『Freie Republik Wendland』
関連で起こった問題をめぐって、劇場で「政治は誰のものか」というタイトルで公
開討論を行うことにしました。劇場は政治活動をするべきではなく、私たちの仕事
は戯曲をいいレベルで上演することだとよく言われました。ドイツでは最近、国民
と政治の間にギャップが生まれ、多くの国民は政治が自分たちの気持ちを代弁して
いるように思えなくなっています。その結果、政治的な運動が激しくなりつつあり
ますが、こうした状況に対して、劇場はそれとは質の異なる公的な場を提供できる
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のではないかと考えています。
劇場を公共の場としてとらえ、演劇が持つ方法論を分析装置として物事を目に見
えるようにすることによって演劇が人々の認識を変えられることを願っています。
また、観劇で体験したことが現実の行動に結びつくことが私たちの希望です。劇場
が、古代ギリシャの都市国家ポリスで市民が集った広場「アゴラ」のようになるこ
と私たちは願っています。現代の問題は、みんな自分の財産を守るので精一杯で、
今のことしか考えられず、未来が怖くて、将来が見えてこない状況だということです。
それに誰も過去と向き合おうとしません。ですから、私たちは、演劇を通じて、広
い視野からの大いなる問いかけをしたいと思っています。それもできるだけ具体的
なことを通じて行う必要があります。
例えば、別のドキュメンタリー的なプロジェクトでは『モスク DE(Moschee
DE)
』 を 製 作 し ま し た。 ベ ル リ ン の 郊 外 に あ る パ ン コ ー ・ ハ イ ナ ー ズ ド ル フ
(Heinersdorf)地区のモスクの建設をテーマにした作品です。これはハノーファー
ではなく、ベルリンなので非常に特別なケースだったのですが、歴史への意識を育
てることを目標にすればこの具体例にフォーカスするのも面白いと考えました。こ
の仕事をする前にみんなで相談しているときに、今、歴史認識や、歴史と現代の関
係性への眼識がなくなっているのではないかという話しになりました。それでこう
したモスクの建設をめぐる社会的な事件に関わっている人々の考え方や動機をなる
べく具体的に取り上げることで、もっと大きな問題についての判断が可能になるの
ではないかと思いました。
このモスクの建設をめぐっては、2006 年から地域のイスラム化を危惧する近隣
住民の反対運動が起こっていました。賛否を問う署名を求められた映像作家は、こ
れをきっかけにエッセイストと二人でハイナーズドルフに移り住んでこの問題に関
わった多くの人々を取材しました。
『モスク DE』では彼らが集めた素材を台本にま
とめました。とても興味深いことに、ハノーファー市内のシュテッケン(Stöcken)
で同じようなことが起きていたことが後から分りました。
ドイツでは、今、移民統合についての大々的な議論が巻き起こっています。スイ
スではモスクの礼拝時刻を告知するための塔(ミナレット)についての国民投票が
行われ、反対されました。こうした社会を二分するような事件について自分がどち
らにつくかが人の経歴にどういう意味をもつかということに、私たちは気づきまし
た。ハイナーズドルフのモスク建設反対運動のことを調べて、市民が賛否を決める
プロセスでほとんどの人に似たような転回点があったことがわかりました。つまり、
賛否に関わらず、モスクを通じて市民のストーリーが成立していたのです。このよ
うなプロセスの分析は私達にとって非常に興味深いものでした。
──こうした社会のマイノリティーや地域の問題を扱ったプログラムについて、市
民はどのように思っているのでしょうか。
ついてきてくれるように願っていますが、いまはまだ何とも言えません。チーム
が就任した最初のシーズンのオープニングでハイナー・ミュラーの『ヴォロコラ
ムスク幹線路』とイルヤ・エーレンブルク(Ilja Ehrenburg)の『車の生命(Das
Leben der Autos)
』を 2 本立てで上演しましたが、
「古くて社会主義の崩壊をテー
マとした戯曲をプログラムすることはないだろう。こんなものには今は誰も興味を
持っていない」と多くの人が思ったようです。1929 年に書かれたエーレンブルクの
戯曲は誰も知らない作品でしたが、株式市場の暴落を扱ったものです。シトロエン
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社の自動車の開発を例に、資本主義の失敗を描いていて、例えばタイヤに使うゴム
はどこから来るのかなど、我々の暮しのもとになっているシステムが全体的に見せ
るテキストになっています。資本主義の失敗は道化師が出てくるレビュー形式で観
せる演出で、両作品とも観客の心に響いたようです。真面目すぎるという感想もあ
りますが、最近は、皮肉を込めて、
『ハノーファー州立劇場―貴方の道徳的施設』を
スローガンに使っています。世間の批判に攻撃的に向き合う戦略です。途中で方針
を曲げることは絶対にしたくないですし、受けるものを入れてたまに社会的な作品
をやるという考え方は好きではありません。私が演出家に最も強く求めているのは、
観客の問題意識を呼び起こすことなのです
──ドキュメンタリー的なプロジェクト以外のプログラムについて教えてください。
前任のウィルフリート・シュルツ(Wilfried Schulz)が芸術監督だった時代には、
シェイクスピアなど古典的なレパートリーが多く上演されていました。なので、逆
に私たちは別のことを考える必要がありました。それで最初のシーズンに取り上げ
たのが、小説が原作の『ジンプリチシムスの冒険』で、所属劇作家の Sören Voima
が戯曲に書き換えたテキストで上演しました。この小説は 30 年間の戦争(1618 ~
1648)を生き抜いた主人公をめぐる作品です。Voima のバージョンは、作品を現
代風にするつもりはなかったのですが、それにも関わらず、作品が描く価値観の損失、
当時の崩壊及び混迷した状況について自然に現代との共通点がでてきたのです。
それからもう一つの目玉作品として『パルジファル』を取り上げました。私が、
とても重要な現代劇作家だと思っているスイス人のルーカス・ベアフッス(Lukas
Bärfuss)にヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの原作を元に新しいバージョ
ンを書いてもらいました。ベアフッスは、戯曲でリベラルな社会から生まれるジレ
ンマを扱っています。常に不正行為を行う人達の自己が、ある具体的な事情に対応
しなければならない時、崩れていくことは彼の主題の一つです。彼は『パルジファル』
の新バージョンで、エッシェンバッハのテキストではまだ存在している、問題解決
にむけた発想がもうなくなった現代で改めてこの物語を語る必要性を見せたかった
のです。とても面白かったです。
このように現代の視点から過去を見て、興味深い文学的な題材を探ることを試み
ました。
『アルケスティス』もラインアップに入れて、それから映画のアダプテーショ
ンで『Adams Äpfel』、『Träumer』や『Das Fest』も上演しました。
──現代劇作家の作品についてはいかがですか?
現 在、 非 常 に 期 待 が で き る 劇 作 家 が 割 り と 多 く い る と 思 い ま す。 例 え
ば、 ハ ノ ー フ ァ ー で も 上 演 し た ロ ー ラ ン ド・ シ ン メ ル プ フ ェ ニ ッ ヒ(Roland
Schimmelpfennig)の『Der goldene Drache』はドイツで批評家が選ぶ 2010 年
の「年間最優秀戯曲」に選ばれました。フェリドゥン・ツァイモグルー(Feridun
Zaimoglu)
とルーカス・ベアフッス(Lukas Bärfuss)の作品も上演しました。その他、
まだハノーファーでは上演していませんが、ヘンドル・クラウス(Händl Klaus)
やエルフリーデ・イェリネク(Elfriede Jelinek)も面白いと思っています。私た
ちは、年間プログラムとして、ドキュメンタリー型のプロジェクト、歴史上の題
材、現代戯曲のバランスを目指しています。それと真面目な作品とユーモラスな作
品のバランスもあります。最近 Jürgen Kuttner と一緒に『Kunst wird woanders
gebraucht als wo sie rumsteht』というレビューを製作しました。哲学的な背景
をもったエンタテインメントです。ただし、プログラムはあくまで内的な必然性に
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よって組むべきだと考えています。
──ドキュメンタリー型のプロジェクトには役者も劇場も必要ありません。そうい
うプロジェクトを行うことは州立劇場のシステムそのものを問うことになります。
州立 ・ 市立劇場の役割をどう考えていますか?
それはいい質問です。確かに州立 ・ 市立劇場のシステムを問うプロジェクトが多
くなっています。しかし、私はそれでもそのシステムを強く支持しています。確か
に今後、どこの都市にも専属俳優のアンサンブルや技術部を持った劇場が要るのか、
という質問はでてくると思います。しかし、州や市から補助金を受けているからこそ、
自由に発想できる、あらゆる可能性を想像する、代わりとなる(社会)モデルを展
開して考察する場としての劇場を存在させることができる。その当然さがなくなっ
たら、とても危険です。市立 ・ 州立劇場は、議論の場、考察の場、問題意識を呼び
起こす場、社会状況を確認する場、そしてそれを観客と共有する場として維持すべ
きだと考えています。
──それでは、井上ひさしの『少年口伝隊 1945』について話していただけますか。
『少年口伝隊 1945』は、青少年劇場の会場になっているバルホーフのオープニン
グとして上演しました。ハノーファーが広島の姉妹都市だったので、以前から広島
について調べていました。姉妹都市企画として、観客の代表をひとり選んで姉妹都
市に派遣し、現地で演劇公演を観て報告してもらうという取り組みを行ったのです
が、その関係で広島市とのやりとりが始まりました。また、原サチコさんが、戯曲
と上演 DVD を持ってきてくれたことから『リトル・ボーイ、ビッグ・タイフーン~
少年口伝隊一九四五』という面白い朗読劇のテキストがあるのを知りました。
テキストの中心になっているのが 3 人の中学生です。被爆で肉親を失った 3 人の中
学生が、建物が破壊されて新聞が発行できなくなった新聞社に雇われ、口伝で町中
にニュースを伝えるメッセンジャーになります。出演したのは原さんを含めて 3 人
の俳優と 3 人の子どもたちです。
『少年口伝隊』のテキストをそのまま上演するのではなく、広島に原爆を投下した
爆撃機のパイロットだったクロード・イザリー(Claude Eatherly)をめぐるビッカー
のテキストを組み合わせて上演しました。イザリーは、
「広島の空は晴れ、広島市は
いいターゲットだ」と言い出した人です。彼については、ドイツの小説家ギュンター・
アンデルス(Günther Anders)の文通相手だったので、素材が多く残されています。
イザリーは第二次世界大戦後、わざと捕まりたくて郵便局強盗を働いたとか、罪の
意識から広島にお金を送ったといった逸話も残っています。アンデルスはイザリー
との知的格差を感じ、それを埋めようとイザリーからもらった手紙を書き換えたと
も言われていて、残された手紙については意見が分かれています。また、イザリー
については別の作家が書いた全く異なる伝記もあって、原爆が引き起こした人生の
パラダイムシフトが異なる観点でぶつかりあっているのは大変興味深いことでした。
──この 2 本のテキストを組み合わせるアイデアはどこから生まれたのですか?
そもそもは私が出したアイデアです。井上さんの作品は外から広島を見る視点で
はなくて、まさに現場の真っ直中から状況を報告する構造になっていますが、我々
はその反対側にいるわけです。反対側にいる我々が、その事態にどのように関係し
ていて、今までどのように記憶を紡いできたのかを問うべきだと考えました。その
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ためにはもう一つのテキストが必要でしたが、最初はモンタージュする予定はなく
て、2 部構成あるいはエピローグで追加する、別の会場で上演するといったことを
考えていました。結局、演出家がモンタージュに決めました。上演毎にポスト・パ
フォーマンス・トークを行い、観客と議論することにしました。
2010 年夏に、原さんは映像作家のアクセル・テプファー(Axel Töpfer)と一緒
に広島に行き、現地取材をしました。ハノーファーと広島の姉妹都市交流の関係者
のお一人は被爆者だったのですが、その方にも取材しました。本当はその映像を舞
台で使う予定だったのですが、演出プランが変わり、使えなくなってしまいました。
それで、原さんがスタッフを集めて、そうした映像などの材料を見せながら広島を
伝える「ヒロシマ ・ サロン」という企画を考え、1 月からスタートする予定です。
──ゲルステンベルクさんのご自身の履歴について伺いたいと思います。ゲルステ
ンベルクさんはベルリン自由大学で演劇学ではなくて、文学、哲学と美術史を学ば
れました。どうして演劇に興味をもたれたのですか?
私が大学で勉強したころには、「ドラマトゥルギー」という学科はまだありません
でした。ドラマトゥリギー学科できたのは割と最近のことです。演劇学という学科
はありましたが、それは私にとって劇場での実践に結びつく道ではありませんでし
たし、当時はまだ劇場で働きたいとも思っていませんでした。でも、お祖母さんが
女優で、父が演出家として劇場で仕事をしていたので、子どもの頃から演劇はとて
も身近なものでした。高校卒業後、すぐに大学に進学したくなかったので、ハンブ
ルクのターリア劇場でインターンをした後、大学に進学しました。美術史で学んだ
絵画考察や絵画記述の方法、例えば絵の観察から情報を読み取ってその背景にある
社会について推測するといったことは、演劇学で演劇を学ぶ以上に今の仕事に役立っ
ていると思います。
演劇に興味を持ったのは、演劇という方法によって呈示される世界に対する視点
に魅力を感じたからです。現実の中の演劇性をどう発見していくか、日常に潜んで
いる演出をどう意識するか、日常の体験にどう向き合うか、その問いのあり方、あ
る種の言語とも言えるものに惹きつけられました。
それで演出法が異なる作品をいろいろと観ました。その中で特に影響を受けたの
は、ベルリンのシャウビューネ劇場がピークの頃、ペーター・シュタイン(Peter
Stein)が芸術監督を務め、クラウス・ミハエル・グリューバー(Klaus-Michael
Grüber)も演出をしていたときの舞台です。また、その後に登場したカストルフに
も大きな影響を受けました。
劇場で働き始めたきっかけは、クリストフ ・ マルターラーとの出会いです。大学
ではパウル・ツェランについて研究していたので、そのまま博士課程に進むつもり
だったのですが、マルターラーの『ファウスト』と『ムルクス』を観て衝撃を受け
ました。マルターラーが、自分が子どもの頃いつもクリスマスの童話を観ていたハ
ンブルク市のシャウシュピールハウスの所属になることを知り、思い切ってアシス
タントに応募して採用されました。1992 年か 93 年頃のことで、フランク・バウム
バウアー(Frank Baumbauer)が芸術監督に就任し、シャウシュピールハウスが新
しい試みを始めようとしていた時期でした。
ハンブルクには、ターリア劇場とシャウシュピールハウスという大きな 2 つの劇
場があり、当時、ターリア劇場は高いレベルの古典と現代戯曲の公演を行いとても
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Bringing the dramaturge to the cutting edge
The approach of Niedersachsen Staatstheater
Hannover
ドラマトゥルクの最前線
ハノーファー州立劇場の取り組み
人気がありました。それに対して、シャウシュピールハウスは別の特徴をつくらな
ければならず、ライナルト・ゲツ(Rainald Götz)やイェリネクを取り上げる大胆
なプログラミングで打って出ました。しかし、世間からは「なんということだ!客
席は空で、新聞の文芸欄だけで評判がいい」などと酷評されました。そういう難局
を乗り越えて、シュリンゲンシーフ(Schlingensief)もカストルフもハンブルクで
仕事をするようになりました。私は彼らからも大きな影響を受けて、演劇の分野で
の仕事を続けることにしました。
2 年後にチューリッヒのノイマルクト劇場からオファーがきて、移りました。そ
の劇場は専属俳優アンサンブルが 6 人、スタッフは工房のスタッフを含めて 40 人
という小さな劇場でした。その頃、ノイマルクト劇場ではプロジェクト性のある作
品がよく創作されていたので、そこでモンタージュや台本の創作などの方法につい
て学ぶことができました。その後、私と同世代のチームの一員としてバーゼル劇場
に移りましたが、そこで今の私が形づくられました。バーゼルがシュテファン・バッ
ハマン(Stefan Bachmann)とラース・オーレ・ワールブルクを中心とした若いチー
ムに劇場の運営を任せてくれたのです。私たちは劇場運営のルールは全く知らなかっ
たし、
「これは駄目で、こうしなければいけない」という人も周りにいませんでした。
経験が浅いながら勇気を持ったチームで、壁にもよくもぶつかりましたが、とても
幸せでした。その後、ウィ-ンのブルクテアターに移り、そこで初めて両親や祖父
母の世代と仕事しました。とてもいい経験でしたが、自分のキャリアがそうした劇
場から始まったのではなかったのもよかったと思います。ウィーンは大規模な劇場
で私が慣れていた仕事の仕方と違っていたこともあり、自分がみわたせる範囲で仕
事がしたい、またプロジェクトの創作に関わりたいと思いハノーファーに移りまし
た。
──改めてドラマトゥルクの仕事について、どのように考えていますか。
ドラマトゥルクというのはドイツ語圏にしか存在しない独特の職業です。ドイツ
語圏の演劇のレベルは、多様な要素を横並びにし、結束させるドラマトゥルクが企
画の中心にいて仕事をすることに大きく関係していると言ってもいいと思います。
劇場のドラマトゥルクは、個々のプロジェクトに演出家や俳優を集めるだけではな
くて、1 シーズンのプログラム全体を徹底的に考えることができます。キャスティ
ングする場合も、それぞれの履歴をみながら、特定の俳優だけに主役をさせるので
はなく、バランスのとれた効果的なキャスティングを行うこともできます。そして、
劇場が対外的にどのようなイメージを発信し、どのようにコミュニケーションを図
るかを考えるのもドラマトゥルクの仕事です。それは劇場の扉にスローガンを掲げ
るのかどうか、広報物のコンセプトをどうするかといったことにまで及びます。
つまり、ドラマトゥルクの役割とは、すでにある素材の中に眠っているものを目
に見えるようにする、写真の現像のようなものだと思います。目に見えないものに
名前を付け、記述し、語ることを通じて、次のステップに進むことが可能になります。
優秀なドラマトゥルクは、いうまでもないですが、本がよく読めますし、世の中の
ことに対してユニークな視点を持っています。優秀なドラマトゥルクの条件は、ド
ラマトゥルギー科を卒業したことではなく、世の中を見る視点やものごとの関係性
を発見する能力、アーティストをインスパイアーする力、そしてアイデアを実現す
る手段をもっていることです。そして、劇場の内部から抵抗があってもアイデアを
遂行し、プロダクションを劇場の組織から守ることもあれば、逆に組織をプロダク
ションから守ることもあります。そういう組織とプロダクション(創作)の仲介者
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という立場に価値があることを願っています。
──ドラマトゥルク・チームと芸術監督の役割分担について教えてください。
それについては一般論では答えられません。その芸術監督のやり方やチームの編
成によって異なるからです。芸術監督の立場がとても強くて、プログラムの基本方
針も自分が決め、演出家とも交渉し、キャスティングも行う劇場も少なからずあり
ます。その場合はドラマトゥルギー部の役割も異なってきます。私の場合、幸いド
ラマトゥルギー部が企画の中心を担っている劇場しか経験していませんし、バーゼ
ルもハノーファーも上下関係にあまり縛られないところです。ちなみに、芸術監督
が替わるとドラマトゥルギー部のメンバーは必ず替わります。劇場専属アンサンブ
ルは場合によって異なりますが、芸術監督と一緒に動く俳優もいますし、劇場との
契約が解約できない俳優もいます。技術スタッフと事務局スタッフは芸術監督が替
わっても残ります。
──最後に、ゲルステンベルクさんが今後実現したいと思っているプロジェクトに
ついてひとつ紹介してください。
一つだけ取り上げるのは大変難しいのですが、特別なプロジェクトがあるので紹
介します。それが最初に少し触れた「植物学の長期的演劇-我々なき世界」です。
これがプロジェクトとしてどのように成立するのか私も想像できないのですが、主
役は植物です。つまり、我々人類がいなくなった後の世界がどう見えるかを問題に
していて、本当に植物が出演する演劇に挑戦しています。
現在、プロジェクトは人類が滅亡して 30 年のところまで進んでいます。かつて
軍事施設だったところに庭をつくり、3 カ月毎に 4 日間ずつ入って、植物を植え替
えたりしながら、5 年後に人類が滅亡した 100 万年後の姿として見せる計画です。
このプロジェクトのために、植物学と地球の未来のシナリオについて勉強していま
す。これは私たちにとって全く新しい挑戦で、今までのプロジェクトに相当する(植
物を主役にした)独自の芸術的かつ演劇的な構造を生み出す必要があります。観客
はバスで会場まで行き、改装したコンテナの中に座り、大きな窓から植物が描き出
す世界を観ます。植物の世界は役者によって演出されます。ある植物は主役となり、
次のエピソードでその植物に不幸がおこるといったような大きな物語です。ワール
ブルクの芸術監督の任期(5 年)が更新されれば、このプロジェクトも更新するつ
もりです。
──演出家は演劇界のひとですか?
生物学者兼演出家兼作家のトビアス・ラウシュ(Tobias Rausch)です。彼がそ
もそもこのプロジェクトを考えたのですが、ベルリンを拠点にしたパフォーマンス・
プロジェクトユニット「ルナティクス(Lunatiks)」に所属しています。ハノーファー
州立劇場のドラマトゥルクの 1 人もそこに所属しています。ルナティクスというの
は、プロジェクトが本当に実現できるかどうかに関わらず世の中のことを熟考する
ことを目的に定期的にミーティングしている集団です。ユニット内でアーティスト
と研究者の交流が活発に行われていて、そこから毎回違う人たちが関わったプロジェ
クトが生まれつつあります。
──とても興味深いお話を聞かせていただき、どうもありがとうございました。
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