The artistic quest of REDCAT A laboratory at the California Institute

国際交流基金 The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Presenter Interview
2013.4.30
プレゼンター・インタビュー
The artistic quest of REDCAT
A laboratory at the California Institute of the Arts
カリフォルニア芸術大学の実験室
REDCATが目指すもの
マーク・マーフィー氏
Mr. Mark Murphy
1978 年にダンス、演劇、音楽、パフォーマンスなどさまざまな分野のアーティス
REDCAT(Roy and Edna Disney/CalArts
Theater)
http://www.redcat.org/
トが集まって設立したシアトルの現代舞台芸術の団体「オン・ザ・ボード」。以来、
若手アーティストの新作づくりや海外アーティストの米国デビューを手助けし、現
在では、北西部の現代舞台芸術の拠点としてなくてはならない存在になっている。
その立役者として知られるのが、1988 年から 2001 年までアーティスティック・
ディレクターを務めたマーク・マーフィー氏だ。その彼が、新たに初代エグゼクティ
ブ・ディレクターに就任したのが、フランク・ゲーリーの設計で有名な複合施設「ウォ
ルト・ディズニー・コンサートホール」内にオープンした「REDCAT(レッドキャッ
ト)
」である。REDCAT は、「Roy and Edna Disney/CalArts Theater」の略。
劇場スペース(650㎡)とギャラリースペース(280㎡)を有するカリフォルニア
芸術大学、通称 CalArts(カルアーツ)のダウンタウンセンターだ。学生や教授陣
によるジャンルを横断した実験的な活動が行われるのに加え、世界各国のアーティ
ストや地元アーティストの活動にも力を入れるなど、ロサンゼルスの新拠点として
注目されている。マーク・マーフィー氏に、オン・ザ・ボードや REDCAT での活
動についてインタビューした。
聞き手:塩谷陽子[ジャパン・ソサエティー芸術監督]
■
──私が初めて REDCAT を訪れたのはまだオープンから間もないころだったと思い
ますが、マーフィーさんが面白い話をしてくれたのを覚えています。「ヨーロッパで
は公演の後に、観客がダラダラと飲みながら午前 1 時や 2 時まで、いま観た公演に
ついてアーティストや知らない人と話している。ああいうシーンをここにもつくり
たいけど、誰も残らない。そこでワインを片手にしている “ サクラ ” をロビーに仕込
んだんだ」って。
そうでしたね。公演後に観客に残ってもらい、飲みながら、そこでアーティスト
と対面するという習慣をつくるのはとても大切だと思ってて。でもロサンゼルスで
は、通常、公演後にバーは閉まっている。そこで REDCAT では、公演直後のロビー
エリアに音楽をかけて、劇場案内係とスタッフをサクラにして、楽しそうな雰囲気
づくりをしました。
──サクラ作戦は成功しましたか? 観客が公演後に残るという習慣は根付きまし
たか?
あっと言う間に根付きましたね。成功への鍵のひとつと言ってもよいくらいです。
何しろギャラリーの展覧会や劇場での催しに関連させてこのスペースをめぐる「コ
ミュニティー感覚」をつくるのは、とても大切なことですから。そもそもアーティ
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ストだった私がプレゼンターの仕事をするようになった理由のひとつは、地元のアー
ティストが広い世界の芸術──特に舞台芸術──の動きや発展に常に触れていられ
る状態をつくるのが大切だと思ったからです。それによって、彼ら自身が現代の文
化の動きをめぐる国際的な議論の一部になれるかもしれませんし、彼らの作品が世
界の議論に影響を与えるかもしれない。あるいは世界で起こっていることを眺める
彼らの目がもっと肥えた洗練されたものになるかもしれない──そう思ったのです。
REDCAT が誕生する前のロサンゼルスには、ジャンルを横断した作品を取りあげ
るところは「ハイウェイ・パフォーマンス・スペース」が極小規模なものを上演し
ていた以外、どこにもなかったんです。UCLA の舞台芸術センターは、ディビッド・
セフトン氏がディレクターになった時代にかなり実験的なものを上演するようには
なりましたが、それもメインストリームなもの主でした。それに対して REDCAT は
いわばニッチ。277 席のスペースで実験的なものを見せる唯一の場所になっていま
す。
── REDCAT のラインナップを眺めると、フィルムやビデオのプログラムも非常に
多いですが、舞台作品に限定すると年間どのぐらいの公演を主催していますか。
公演数で言うと年間約 100 本、プロダクション数で言うと 70 ~ 80 本でしょう
か。その中には一晩だけのコンサートもあれば 4 週間のレジデンシーもありますか
ら実にいろいろですが、必ず地元ロサンゼルスのアーティストと外部のアーティス
トの両方が含まれています。2013 年には隔年開催の LA レーダー・フェスティバル
(ニューヨークのアンダー・ザ・レーダー・フェスティバルの姉妹プロジェクト)も
あるので、そのときには 15 本のプロダクションが加わります。
── REDCAT のウェブサイトには「カリフォルニア芸術大学(CalArts)の伝統を
踏襲して…」とあります。この「伝統」とはどのようなものなのですか。また、そ
の伝統をどのような形で REDCAT のプログラミングや活動に取り入れているのか、
解説していただけますか。
CalArts の特徴のひとつは、舞台芸術、美術、映画、その他のあらゆる種類の芸
術表現に属するものを、すべてひとつ屋根の下、巨大な建築の中にまとめて入れた
最初の芸術専門大学だということです。そこではアーティストや生徒たちが自分の
専門分野を越えて互いに協働するよう奨励されますが、この伝統こそが REDCAT に
とっても非常に大切なポリシーなのです。私たちは、REDCAT を、
「異種のジャン
ルの芸術が互いに協働するための実験室」、「アーティストが新しいテ
クノロジーに挑戦するための実験室」だと考えています。
このことはアーティストにとって重要な環境だと思っていますが、当時に私の個
人的価値観に照らしてもとても大切なことです。後に詳しく話しますが、オン・ザ・
ボードのルーツにもつながってきます。私がオン・ザ・ボードで働き始めた頃、そ
こはダンス、演劇、音楽など各ジャンル出身のアーティストたちが集まって新しい
表現を模索する場であり、旧態依然とした演劇やダンスを越えたところを目指す
フィールドでした。REDCAT では、“ いわゆる演劇・ダンス ” の上演ももちろんし
ますが、最も歓迎するのは、多岐の芸術形態がシャッフルして発展し、新たな語り
かける力を持っている作品なのです。
私たちは、REDCAT の観客に、「知らないアーティストを見るリスク」をとって
くださいと呼びかけています。チケットを買うという行為は、「創造のプロセスにあ
なたも参加しているのだということ」、そして「まったく新しい何かの発見をするか
もしれないということ」です。そのことを観客も理解してくれています。だからこそ、
作品を見終わった後に、お酒を片手にいま観た作品についてアーティストと会話を
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することがとても大切なのです。
──シーズン・ブロシュアを見ますと、米国内を巡演している、私もよく知ってい
る海外アーティストの作品もありますが、面白そうなアーティストなのに名前を聞
いたことがない人も多数含まれています。彼らは地元のアーティストなのですか。
はい。うちでは多くの地元団体とパートナーシップを組んで協働プロジェクトや
提携公演を行っています。また CalArts の同僚とも協働しています。彼らは、私の
全く知らない新進の作曲家のことを熟知しているような連中です。例えば、CalArts
はレジデントの作曲家を受け入れていますが、彼がレジデンシーの一環として行っ
た新プロジェクトの成果を REDCAT で初演することもあります。それが次の新作委
嘱につながることもある。なので、特に私の専門(演劇・ダンス)以外の音楽学科
や美術学科、映画学科、ビデオ&アニメーション学科などの同僚(教授陣)との協
働は、非常にエキサイティングで、毎日が新しい何かへの芽になっています。
ちなみにレジデント・アーティストというのは、他の国・都市などから CalArts
に訪問滞在している作家のことです。CalArts には、現役アーティストを客員教授
やゲスト講師として迎える長い歴史があり、生徒とワークショップを行ったり、し
ばしばアーツ・コミュニティの一員として新作づくりに関わったりしています。
── REDCAT にはどのような観客が来場していますか。 やはり CalArts の生徒
が中心ですか。
いや、そんなことはありません。CalArts と REDCAT は互いに 30 マイルも離れ
ていますから。チケット価格を押さえ、学生割引を設けて若者の来場を奨励してい
ることもありますが、とにかく観客の年齢層は若いですし、アーティストも多いです。
観客のバックグラウンドも多彩で、演劇とダンスの公演には、映画やアニメーショ
ン、音楽や美術のバックグラウンドを持つ観客もたくさん来場しています。
つい先頃、長年よい関係を保っているウースター・グループの公演を行いました
が、同グループの設立メンバーで演出家のエリザベル・ルコンプトが「ロサンゼル
スの観客は演劇というものに過剰なこだわりがないから好きだ。むしろどうやって
演劇を鑑賞するか知らないのかもしれない」と言っていました。もちろん彼女が言
わんとしているのは、ロサンゼルスの観客はオープンで「演劇とはこういうものだ」
という固定観念に縛られていないということです。思うに、巨大な商業演劇業界が
確立しているニューヨークと違い、LA のクリエイティブ業界は、
(いずれも商業ベー
スではありますが)音楽業界、映画業界、アニメーション業界などがいろいろあって、
ジャンルを種分けしようとする感覚が希薄なのかもしれません。
──ニューヨークのアーツ・コミュニティーの強さは、道端や劇場やバーで簡単に
色々な人とめぐり会えるところにある、とよく言われます。一方、ロサンゼルスは「車
社会」だから路上でばったり人に会うことはありません。このハンディーをどのよ
うにして克服しているのですか?
私も、ここに引っ越して来た当初はどうしたものかと、かなりナーバスになりま
した。毎日青空で、車で街を横切るのも一苦労というロサンゼルスで、いったい誰
が劇場に行こうという気になるのだろうと。ところが、ここの住人は車や家の中と
いう他人から遮断されたところにいることが多いせいで、かえって社交的な機会─
─特に文化がらみの社交の機会を欲していると、気づいたんです。特に、近頃はソー
シャル・ネットワークが発達したせいで、多くの人が自分がどこで何をするのかを
人に知らせようとします。REDCAT の催しは、そういう人々が直に出会える貴重な
社交の機会になっているんです。
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ロサンゼルスに来たばかりの頃は、私も他の劇場のプログラムをよく観に行きま
した。今はアソシエイト・ディレクターのジョージ・ラグがカバーしてくれています。
ジョージ以外のスタッフは、彼ら自身がパフォーマー、俳優、ミュージシャンといっ
たアーティストなので、文化イベントを大いに享受する生活を送っています。です
から、REDCAT のオフィスでは、何が面白かったとか、次に何があるといった会話
が絶えません。
──最近はどのぐらい劇場に行かれているのですか。
当初は週に 4、5 晩出かけていましたが、このごろは 1、2 晩かな(笑)──何せ
ここでやらなければならないことが山積みですから。でも私とジョージを合わせれ
ば、それで世の中で何が起こっているかはだいたい把握できます。それでも《すべ
てを観る》のは不可能なので、
「STUDIO」というプログラム・シリーズでは、アー
ティストをゲスト・キュレーターとして招いています。また「NEW ORIGINAL
WORKS」というフェスティバルでは選考委員として招き、企画書の審査を手伝っ
てもらっています。この二つはいずれも公募プログラムで、誰もが応募できます。
── STUDIO プログラム、NEW ORIGINAL WORKS はどのような内容ですか。
制作途中の作品やできたばかりの新作を上演するショウケースです。新人アーティ
ストにとっては作品づくりに磨きをかける機会に、また成熟したアーティストにとっ
ては制作の途中段階を観客に見せることで作品を吟味する機会になります。毎回、
地元コミュニティのアーティストが入れ替え制でキュレーターを務め、生の舞台を
観て選考しています。また、キュレーターを務めたアーティスト自身の新作の途中
経過も、15 分間の出しものとして上演されます。STUDIO プログラムは、年 3 回催
しますが、
1 回あたり 50 ~ 60 件の応募があります。その中から、12 ~ 15 件をキュ
レーターに観てもらいます。最終的に 5 ~ 6 作品だけが上演されます。
「NEW ORIGINAL WORKS」は、ジャンルを越えて制作された作品を 3 週間にわ
たって紹介するフェスティバルです。短編作品から長めのものまで、いずれもここ
が初演となる新作ばかりです。毎年夏に 120 ~ 150 件の企画書が寄せられますが、
アーティストと CalArts の同僚で構成された選考委員が 20 件に絞ります。それを
ジョージと私が 8 ~ 10 件に絞り、フェスティバルで上演します。選考されたアーティ
ストには、リハーサル・スペースやテクニカル面での指導などが与えられ、些少な
がらも謝金も提供されます。
これらの公募プログラムが “ 飛び石出世 ” に繋がることもあるんですよ。つまり
──「STUDIO プログラムによって、新人が頭角を現す。そのアーティストが次に
NEW ORIGINAL WORKS フェスティバルに応募して選考されたら、ステップアッ
プした創造の機会を得られる。NEW ORIGINAL WORKS で上演された作品のいく
つかは、その後、さらに磨きをかける機会が与えられ、委嘱や共同委嘱に発展し、
最終的にツアーをする──といった具合です。
── REDCAT での委嘱の数は毎年どれくらいですか。
資金調達の関係で増減しますが、舞台ものだけに限って言えば、年 3 ~ 5 本で、
単独委嘱もあれば、共同委嘱もあります。加えて年 3 ~ 4 本のギャラリーでの展覧
会委嘱があります。また共同委嘱のパートナー数を増やせれば、ナショナル・パフォー
マンス・ネットワークやナショナル・ダンス・プロジェクト、あるいはナショナル・
シアター・プロジェクトといった大きな助成金を期待することができます。
NEW ORIGINAL WORKS フェスティバルで上演する作品などは、委嘱とは言っ
ても、まとまった現金を渡すという類のものではありません。我々が提供するのは
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リハーサルのための時間やスペースや専門知識であり、キャッシュはせいぜい謝礼
程度の金額。ですが、これが下地にあれば、必要な資金をアーティスト自身が集め
ようとする時にファンドレイジングの可能性が増します。
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──そもそもマーフィーさんが舞台芸術の世界で生きる人間だと認識したのは、い
つ頃なのですか?
かなり若い時期でした。何せ私の家は演劇の家系で、祖父は劇作家、演出家、お
まけにシェイクスピアの学者。叔父も劇作家、演出家。父は俳優でテレビ番組の司
会者をしていて、母も画家ですから。芸術は、私の育つ過程で常に生活の一部でした。
生まれはアイダホですが、3 歳の時にニューヨークに引っ越しました。ニューヨー
クではタップダンスを習って、そして 13 歳の時に、祖父が大学の英語学科の教授を
していたワシントン州のワラワラという小さな町に引っ越しました。祖父はその町
のアマチュア劇団の設立者でもありました。私の最初の「プロとしての仕事」は 15
歳の時で、役者として舞台に立ちました。ミュージカルもやりましたが、歌はお粗
末なので歌っているふりをしてましたね(笑)。その後も演劇やダンスを続けました。
ちなみに私は姉・妹・弟 2 人の 5 人兄弟ですが、血統なのでしょうね、全員がプロ
やアマで演劇に関わっていました。
大学は、シアトルとバンクーバの中間のベリングハム市にあるフェアヘーブン大
学という、ウェスタン・ワシントン大学附属の小さなカレッジです。その大学には
「専攻」以外に、各自が自由に組み立てる「集中」というオルタナティブなプログラ
ムがありました。1968 年にできた大学ですから多分にヒッピー的で、政治や社会に
関する意識が高く前衛的だったんだと思います。私はそれで「社会変革の触媒とし
て機能をするコミュニケーションたる芸術」をテーマにしました。演劇のトレーニ
ングもその一部でした。ちなみに専攻は国語(英語)、準専攻のはコミュニケーショ
ンで、その中にはラジオや TV が含まれていました。実はラジオのドキュメンタリー
番組やラジオ演劇のプロデュースをしていた時代もあります。
──そういえば、REDCAT のウェブサイトに掲載されたプロフィールに「プロフェッ
ショナル・ジャーナリスト・ソサエティの『脚本およびラジオ・ドキュメンタリー番組』
部門最優秀賞受賞」とありました。
はい。1980 年代に、生活費のために夜のアルバイトでラジオの DJ をしていた頃
です。何しろ大学時代は演劇に明け暮れていて、同時にコンサートや講演会を制作
するプレゼンター的な活動にも従事していました。学生自治体が、学生のためのイ
ベントを推進していて、その関係でメレディス・モンクを招聘したこともあります。
彼女もまだそれほど有名じゃなくて、少なくともベリングハムでは知る人もいない
時代でした。
その後、一時期、ワシントン州の首都のオリンピアに住んで州立大学の学長のロ
ビイストをしていたこともあります。授業料の引き下げとか高等教育の法制度に関
するロビー活動ですが、これも一種の「演技」だなぁなんて思いましたね。でもロ
ビーの仕事をしている時に、「自分にとって大切なのは、クリエイティブな人々の中
で働くことだ」と気づき、シアトルに移って演劇を続けることにしました。それか
ら 1984 年にオン・ザ・ボードに就職しました。
オン・ザ・ボードは、1978 年設立当時は、ダンス、演劇、音楽、パフォーマン
ス、文学などジャンルを横断したアーティストが集まって設立した現代パフォーミ
ングアーツの団体でした。私は、プロデュースから上演、広報からマーケティングと、
地元のアーティストの演目に関するあらゆる職務を手がけて、1988 年に正式にアー
ティスティック・ディレクターに就任しました。主な仕事は、シアトルと近郊のアー
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ティストのための新作づくりを手助けすることでした。特にダンス、演劇、音楽な
どジャンルを横断した作品をつくる協働作業では、彼らが求めていることを明確に
し、どうしたらそれを実現できるかを一緒に考えました。事業として特に名付けら
れないような小さな手助けから、年次フェスティバルの開催や作品の委嘱までやり
ました。
──オン・ザ・ボードに就職してからアーティスト活動はどうしたのですか?
できる限り続けていました。ソロの舞台をやったり、小さな劇団もつくっていた
のでそこで短編を発表したり、インディペンデント・フィルムを制作したり。ソロ
のアーティストとしてツアーしたこともあります。他の人の作品にも出演しました
が、ほとんどは自作自演の 15 分くらいの短い作品で、それをオン・ザ・ボードの公
演プログラムの一部で上演したりしていました。
米国では、ダンサーや俳優といった実演家や物書きはたいてい昼間の仕事を持っ
ていて、アーティスト活動と両立させています。私にとってオン・ザ・ボードの仕
事は、給料は多くはないけれど「昼間」の仕事でした。ロサンゼルスに移るまで、
私は少なくとも半年に 1 本は自分のアーティスト活動をするというルールを敷いて
実践していました。REDCAT をオープンさせてからは難しくなってしまいましたが、
今も書くことだけは続けています。クリエイティブなアタマを持ち続けているのは
とても大切なこと。脳みその別の部分を使いますからね。またいつか、舞台に立つ
ことがあるかもしれません。
──ワシントン州を長く地元として育ち活動してきたマーフィーさんが、ロサンゼ
ルスに移ろうと思った動機は何でしょう?
シアトルでは、プロデュースという意味でも上演という意味でも非常に多くの成
功を収めました。アジアを含む海外の作品紹介も増やしましたし、ある時期には日
本からの舞台芸術を紹介する米国で唯一の場所だったくらいです。大野一雄から山
海塾、ダムタイプ、伊藤キム、笠井叡、舞踏舎天鶏など、実にいろいろなプロジェ
クトをやりました。オン・ザ・ボードの新しい劇場を 1998 年にオープンさせまし
たが、その時点で私はすでに 15 年もそこで仕事をしていたことになります。「次に
何をやろうか?」と考えていた時、2001 年に CalArts プレジデントのスティーブン・
ラバインさんから連絡をもらいました。ウォルト・ディズニー・コンサートホール
の建物の中に REDCAT を作る計画を進めていた時で、
「オン・ザ・ボードの話が聞
きたいのでロサンゼルスに出向いてもらえないか」というリクエストでした。その後、
「立ち上げを手伝って欲しい」というオファーをいただきました。自分としては、多
額の資金集めをして、工事現場や建築家とのやりとりをこなし、大小ふたつの劇場
を持つオン・ザ・ボードの新施設をオープンさせる困難な仕事を終えたばかりで、
「も
うこんな大変なことは二度としない」と誓っていたのですが。気がついたら、ロサ
ンゼルスの建築現場を歩き回ってた(笑)
。2001 年に REDCAT のコンサルタント
として働き始め、翌年 1 月にロサンゼルスに引っ越し、REDCAT がオープンしたの
が 2003 年の秋でした。
──新しいオン・ザ・ボードに居たのはたったの 3 年…。新施設を使って好き勝手
やろうという思いはなかったのですか?
ありましたよ、たった 3 年でしたが非常に良い仕事をしたと思います。でも多額
の資金調達をして新施設つくるという大事業をすると、理事会も新たな方針を出し
てきたりして、いろいろ複雑になった。新しいチャンスはとても嬉しいことでしたし、
CalArts とコネクションのある REDCAT はとてもユニークな存在ですから。
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──オン・ザ・ボード時代を振り返って、一番の達成感は?
もっとも誇りにできるのは、「上演(Presenting)」と「制作(Produce)
」の 2
つを非常に良くバランスさせたことです。もうひとつは、海外の非常に面白いアー
ティストの米国デビューをいくつも手がけ、海外作品を数多く紹介し、海外とのネッ
トワークを構築したこと。さらに地元で制作した多くの新作が、米国各地や国外に
ツアーをするという成功を収めたことも、非常に喜ばしい結果です。
──そういえば、マーフィーさんはナショナル・パフォーマンス・ネットワーク(NPN)
の立ち上げメンバーでしたね。
はい、オン・ザ・ボードは NPN を立ち上げたの 5 ~ 6 団体のうちのひとつです。
初年の 1985 年に NPN が行った大きな全米会合のうちのひとつは、オン・ザ・ボー
ドのホストによりシアトルで開催されました。NPN の「スーツケース助成」によっ
て海外の作品を紹介することが容易になりましたが、それは大変エキサイティング
なことでした。当時はインターネットもメールもなかったし、コミュニケーション
もファックスがあれば良いほうで、物理的に手紙や契約書を郵送していました。安
くない郵送費をかけて嵩張るビデオテープを送り合い、旅行の機会があればいつ
でも出かけて行きました。当時のシアトルは私にとって非常に隔離された場所で、
ニューヨークに行くのでさえ大変でした。海外に行けるのは年に 1 度か、せいぜい
2 度。海外のアーティストの作品の情報を得るのは難しく、今日とは隔世の感があ
ります。だからこそ、NPN は重要だった。そこでは各地のプレゼンターが集合し、
各自の持っているビデオ・テープを紹介しあい、どこが面白いか話し合ったものです。
NPN は海外からゲストを招くこともあり、それが海外の人との知己を得る貴重な機
会になりました。
── REDCAT に話を戻しましょう。正職員のサラリーなどは含まないで、劇場での
事業のための年間コストは?
アーティストへの公演料を含めて、約 70 万ドル(映画やビデオなどライブ・パ
フォーマンスでないプログラムの事業費を省く)です。
──マーフィーさん自身が資金調達にかける時間は?
大量です。70%の時間が資金調達のための時間。40%がプログラミングのため。
さらに 40%がさまざまなアドミニストレーションのための時間。合計で 150%に
なっちゃいました(笑)。フェスティバルのような大規模なプログラムを含むか含ま
ないかで前後しますが、だいたい毎年、約 120 万ドルから 150 万ドルの資金を調
達しなければなりません。120 万ドルというのは我々の全体予算の半分にあたりま
す。
事業収入はとても大切な資金源になっています。あと、基金が 500 万ドルほどあ
ります。一時期はもう少し金額が大きかったのですが、今は 500 万ドルと 600 万
ドルの間くらいで、この運用益が毎年 25 万ドルくらいあります。今年は創立 10 周
年にあたるので、10 年前に REDCAT を作るために寄附金を寄せてくれた個人の方々
や助成財団が、
「次の 10 年を目指して再投資」する話し合いを、おそらく起こして
くれるのではないかと期待しています。
── REDCAT はウォルト・ディズニー・コンサートホールの建築物の一部を占めて
いるわけですが、ディズニー家の人々は、サポートしているのですか?
はい。ディズニー家の一員であるロイ・ディズニー氏は、REDCAT 設立のために
一番大きな資金を提供してくれた方でした。何しろ REDCAT というのは、Roy and
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Edna Disney Cal Arts Theater の頭文字をとった名前ですからね。彼は 2 年前に
他界してしまいましたが、その息子のティム(ウォルト・ディズニーは大叔父にあ
たる)が、理事会会長と顧問委員を務めていて、非常に熱心に関わってくれていま
す。とても頭の切れる、しかも情熱的な人物で、自身もアーティストとしてインディ
ペンデントの映画製作をしていらっしゃいます。ディズニー社の方も CalArts に関
与していますから、当然 REDCAT にも関心が深いです。
そもそも CalArts はウォールト・ディズニーが作った大学で、「ジャンルをまたぐ
創造」というミッションは、ウォルト・ディズニーの信念なんです。ディズニーは、
「アニメーターは、筋書きを語るということの何たるかを知らなければならない。つ
まり演劇に精通しているべき。さらに振り付けということの意味や空間の中での体
の動きということにも精通しているべき。となればダンスや音楽のことも理解して
いなければならない」と考えていました。アーティストでつくられるコミュニティ
こそが、発明を生む温床だと信じていた人なんです。彼は「まだ見たことも聞いた
こともないアートの形態」をつくり出す場として、CalArts を創立したのです。
──最後に日本の舞台芸術のアーティストについての所感をお聞かせください。
国際交流基金のパフォーミング・アーツ・ジャパンの審査員の期間終了以来、日
本の舞台芸術界で起きている現象に関する情報を更新しそびれています。情報を追
いかけたい、リサーチをしようと思っているのですが、できていない。最後に日本
へ行ったのは 10 年も前ですから、圧倒的に遅れをとってしまっています。早々にな
んとかしなければ。何せ日本のアーティスト紹介は絶対に続けていきたいですから。
──ロサンゼルスは大きな日系人コミュニティがありますが、これが日本のアーティ
ストを紹介し続けたいと思う理由のひとつなのでしょうか。
ロサンゼルスは米国の南西に位置していて、文化的影響という意味では、ヨー
ロッパよりもアジアとラテン・アメリカからのものが圧倒的です。これはロサンゼ
ルスのカルチャーにとって非常に大切な様相。ロサンゼルスの学区の中では、なん
と 200 種類もの言語がしゃべられているというくらい、おそろしく多様な都市です。
そんな中で、アジア──特に日本──の舞台芸術に対する興味はものすごく強い。
しかもアジア系の人たちの間だけでなく、ごく一般の人にもそうなんです。だから
日本からのアーティストの作品をもっともっとプログラムの中に入れていきたいと
思っています。今年は梅田宏明を入れていますし、昨年は塩谷さんもご存知のよう
に岡田利規を入れました。ざっとあげれば、この他に、REDCAT のこけら落としの
ラインナップに加えたダムタイプをはじめ、麿赤兒、桂勘、音楽方面では刀根康尚、
吉増剛造と大友良英のコラボレーションもやりました。古典では、ジャパン・ソサ
エティーと連携した淡路人形座公演があります。
──日本のポップカルチャーの影響をどう見てらしゃいますか。
ここロサンゼルスでも、ポップ・カルチャーにおける日本の影響は容易に見てと
れます。例えば、REDCAT をサポートしてくれている親しい友人のひとりは、
「ジャ
イアント・ロボット・マガジン」の編集者です。ジャイアント・ロボット、ご存
知ですか? アメリカとアジアに関するコンテンポラリー・ポップ・カルチャーに
フォーカスした雑誌ですが、音楽・ファッション・美術に関連するものをいろいろ
と紹介しています。日本のファッションと、もちろんアニメに関する興味も絶大で
すね。昨年は、「国際アニメ祭プラットフォーム」というフェスティバルの一環とし
て大きなプログラムを主催したのですが、『AKIRA』で有名な大友克洋氏にも来てい
ただいて、彼の新作の短編映画を上映しました。
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──マーフィーさんの目からご覧になって、日本のアーティストや舞台芸術の形態
の中に特徴的に見られる美点のようなものは、何かありますか?
あまりに広範囲の日本のアーティストと仕事をしてきていますから、「これ」と明
確に規定して説明するのは難しい。でも全体として私が非常に感銘を受けるのは、
ある特定的な身体様式とか演劇表現とかに対してものすごく深いコミットメントと
いうか執心をしていることです。どうしてなんでしょうね。日本の古典芸能の様式
に関してはもちろんですが、コンテンポラリーのアーティストたちもそれとほぼ同
じくらい、儀式的と呼んでもいいくらい真剣なアプローチを以て独自の創造を叫び
ます。このことは特に舞踏の中にはっきりと見られます。楽し気なものを書く劇作
家とか演劇人とかですら、例えば岡田利規の作品などでも、詩人に匹敵する繊細さ
があるでしょう。他の文化圏から生まれた作品と比べても、日本で生まれた作品多
くの芸術的要素を内包しているのだと私は思います。なぜだかわからないのですが、
そして全く見当違いなのかもしれませんが、「芸術とその研鑽に対して深い敬意を抱
く」という姿勢そのものが、日本のアーティストにとってはある種の “ 様式 ” なのか
もしれないですね。
──お忙しい時間を割いておつきあいいただき、本当にありがとうございました。
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