2010 5 65 第 23 回料理コンクール 各職場代表のみなさんが熱心に審査中(関連記事は8頁) もく じ 特集 ࡓ ܨȊ ̮ಿ̯ͭ 私の健康法 ………………………………………………… 2 ……………………………………………………………………………………… 5 松本清張文学散歩③ …………………………………………………………………… 6 職場紹介(大手町病院外来医事課)…………………………………… 7 料理コンクール開催 …………………………………………………………………… 8 友の会だより ………………………………………………………………………………… 9 読者のひろば ……………………………………………………………………………… 10 …………………………………………………………………………………… 14 雑学カルテ クイズでくいず・編集後記 ………………………………………………… 15 さわら 鰆とアスパラのバターしょうゆ炒め……………………………… 16 友の会会員 20,328世帯 いつでも元気 1,861部 (2010 年3月末現在) No.65 65 健康と長寿の秘けつは何ですか? ご長寿さん 大 特 集 いつまでも健康で長生きしたい。誰もが共通の願いだ と思います。友の会には90 歳になっても元気に生活して いるご長寿さんがたくさんいます。みなさん元気に人生 を楽しく、生きがいをもって生活しています。そんなみ なさんの元気のみなもとは?健康の秘けつとは?今回 の特集を読んで、人生を楽しく健康に生きるヒント見つ けませんか? ︻大正9年6月 毎日を楽しく元気に 一人旅行も オシャレも大好き てキャッシュカードを使っ 山中ミツエ さん 一 人 で 旅 行 も。新 幹 線 に 乗って徳山や鹿児島にも行 昆布の手巻き内職を、今も続 て お 金 の 出 し 入 れ も 自 在。人 き ま す。ま た、銀 行 に も 行 っ けています。手先を使うので の世話にならなくて自分で 小倉健康友の会 日生まれ︼ 脳の刺激にもいいとのこと て 砂 津 に 住 ん で い ま し た が、 半 年 前 に 結 婚 し て、小 倉 に 来 鹿 児 島 生 ま れ で 八 人 兄 弟、 現 在 妹 二 人 が い ま す。終 戦 の がとても楽しく、そこで刺激 間ばなしをみんなでするの の こ と、政 治 の こ と な ど、世 に 出 て、健 康 の こ と、世 の 中 班会議で血管年齢を測定 したら七十歳と言われ、ます イス。 ﹁若い人も体に気をつけて 長 生 き し て ほ し い ﹂と ア ド バ 一〇〇歳が目標。 り ま せ ん で し た。こ れ か ら は も ら う と、異 常 は ま っ た く あ 月二回病院に行って健康 診 断。検 査 デ ー タ ー を 見 せ て これからは一〇〇歳が目標 時々食べて、健康を維持。 が 朝 食 で、に ん に く 卵 黄 も んの手作りパンとコーヒー 食生活では毎朝ヨーグル ト を 飲 み、同 居 し て い る 娘 さ います。 し、お し ゃ れ に も 気 を つ け て ンプーやトリートメントを し た が、美 容 院 に 行 っ て シ ャ 白 髪 の 艶 が と て も 良 く、よ く手入れしている髪の毛で するようにしています。 今も続けられている昆布の手巻き内職 でした。 人生で今が一番 終 戦 間 際、ア メ リ カ 軍 が 門 司 を受けることが若さの秘け 生きていくのに 精一杯だった終戦後 に爆弾を投下するのを見ま つとのこと。 人生の中で今が一番極楽 だそうです。友の会の班会議 し た。終 戦 後 は 何 も か も 大 変 で、会 社 勤 め も し て 生 計 を 維 ます元気になっています。 で、生 き て い く こ と が 精 一 杯 持 し ま し た。退 職 後 は じ め た 2 89ᱦ 19 ︻大正6年 月 家にとじこもらず 外に出てみんなとおしゃべり て、一人暮らしも心配ありま せん。 て い ま せ ん。出 る 時 は 重 い かけるなど家に閉じこもっ 物に出かけ、会合にもよく出 ような世相を案じています。 が薄れ、物や命を粗末にする 会になった半面、人の温もり 足も、帰りには元気になると から、声を掛けてくれると嬉 一日一日を大切に前向き に生き、仏前の供花はこの手 の こ と。﹁ み ん な に 会 っ て 話 趣味は本を読むこと、いろ いろな新聞を読むことです。 しい。あまり遠慮されると困 でと、花作りに日々はげんで みんなに元気を もらいます が、新婦人の活動です。 かかりつけの医者から歳の る。﹂と 笑 顔 で 話 し て く れ ま い ま す。ま た、日 々 巡 り 会 う さん 藤川 靖子 ﹁まあ良くやってきた わりに目が良いと言われま した。 花や歌づくりに 生きがいを感じ な と 思 い ま す。皆 さ ん す。買 物 は、生 協 の 宅 配 を 利 われ、みなさんの前に出るよ ︻大正7年3月 日生まれ︼ きとう し お え 木藤志生恵 さん 小倉南区上横代生ま れで七人兄弟の志生恵 戦争のいたみは 忘れられない 小倉南健康友の会 自分の身に合ったよい習慣 生きがいづくりを大切に すことで元気を貰うから。だ の 悩 み を 聞 い た り、相 用していますが、魚などは買 門司に生まれ門司で育ち ま し た。二 十 九 歳 で 結 婚。男 うになったそうです。この運 さ ん。現 在 義 理 の 娘、孫 健やかに生きるために必 要 な こ と は、食 事、嗜 好 品、運 人生の先輩として アドバイス す。 よく噛んでと心がけていま え、三 度 の 食 事 を お い し く、 ます。間食はできるだけひか どをして心身をほぐしてい 健 康 体 操、絵 手 紙、ゲ ー ム な デ イ サ ー ビス︵ た ま り 場 ︶で 健 康 の た め、歩 い て 十 五 分、市民センターの週二回の 短歌にこめています。 自然の美しさを、一日一首の 談 に 乗 っ た り、人 に 頼 りにされたりが一番 の 幸 せ。﹂と 話 し ま す。 活 動 の き っ か け は、以 前住んでいた清見の 市営アパートに風呂 がない事から風呂を 付けるように行政に働きか けた事があり、行政の人の前 に い く と、み な さ ん 尻 ご み。 子二人と女子二人の子供を 動は五年かかりましたが願 と四人家族で暮らして に合ったよい習慣をみつけ 動、仕 事、睡 眠 な ど の 日 常 生 九十二年の長い人生 で忘れられないのは二 実行すること。これが長生き います。 人の弟の戦死などの戦 の秘けつです。 活を今一度見直し、自分の身 争のいたみです。 戦時中に比べ、恵まれた社 3 門司健康友の会 日生まれ︼ 貧乏生活で鍛えられ 藤 川 さ ん は、現 在 市 営 ア パートの五階に一人暮らし 他 の 人 か ら﹁ 藤 川 さ ん、私 た 授かりました。藤川さんの結 いが叶いました。行政との窓 です。 婚生活は、ご主人の失業で貧 口の一人として携わり議会 ち の 意 見 を 言 っ て ね。﹂と 言 乏 生 活 で し た。﹁ 私 は そ れ で の傍聴にも足を運びました。 の一人が転居するまでお世 大変だったようですが、最後 人の気持ちをまとめるのは 鍛 え ら れ ま し た。﹂と 話 し ま す。 新婦人では大活躍 話をしました。今も友達がい 92ᱦ 10 12 92ᱦ 12 欠かすことができないの ■元気なご長寿さん大特集 3 タバコは控え、 お酒はほどほどに 8 お元気長寿さん目指して 家にこもらず、お買物や 友の会へどんどん出か けましょう たくさんの人と おしゃべりしましょう 好きなことをして 毎日を楽しくイキイキと 過ごしましょう おしゃれも忘れずに 何と言っても 長寿の秘けつは日頃の心がけ た 細 胞 か ら﹁ 万 能 細 胞 ﹂を で す。昔 な が ら の 知 恵 は 医 食がいいといわれること 作 る こ と に 成 功 し ま し た。 こ れ を、心 臓 の 筋 肉 細 胞 に 変化させて心筋梗塞で壊 れたところに注入して元 気な心臓に戻す可能性が 出 て き ま し た。医 学 の 進 歩 を延ばすことでしょう。 はこれからも人間の寿命 け つ を 皆 さ ん お 持 ち で す。 を 予 防 し、体 と 頭 を 使 い、 人任せでない長寿の秘 生活は共通している日頃 奥井 敬雄 ルに行っています。 ある思永中学の温水プー と、週 に 1 ∼ 3 回、近 く に ち な み に、私 は 朝 の 散 歩 ましょう。 か、皆 さ ん と 競 争 し て い き まで近づくことができる 年 と 言 わ れ て い ま す。ど こ 人の寿命は最高120 かもしれません。 学の進歩より頼りになる 興 味 が あ る の は、皆 さ ん 粗 の 心 が け の よ う で す。特 に 所長 京 都 大 学 の 中 山 教 授 が、 患者さんの皮膚から採っ 大手町診療所 親や周りの人に感謝する 4 お医者さ ん 聞きまし に た 生活習慣予防は動脈硬化 できるだけ体を動かしましょう 歩くだけでも立派な運動 ただし、無理は禁物 適度に運動 お出かけしましょう 6 5 身だしなみにも気を使いましょう 気持ちが若くなります 寝る・起きる・食べる時間は きちんと決めて みんなに刺激をもらって 頭の体操 規則正しい生活を 2 9 オーバーペースにならずに 何でも自分のペースで 趣味を楽しむ 日々のこころがけ 4 10カ条 7 ごはんを主食に野菜、海藻類、魚介など をバランス良く、腹八分で ご長寿さんになっても 安心して暮らせる街づくり 何事もマイペースで タバコは厳禁 お酒は、たまに少しだけ 1日3食、良く噛んで 1 友の会活動を活発に 10 No.65 ■元気なご長寿さん大特集 健康法 井上 欣具 美人ヘルパーさんとカラオケ屋でデュエット だったようです。 心もスッキリ。どうやら選挙疲れ に﹁ほほう、これが点滴か﹂と身も もらいました。生れて初めての経験 大里おおかわ診療所で点滴を打って がするだけです。でも昨年は一回、 にカゼ薬を二回ほど飲んだような気 いうと、このかた三十年ぐらいの間 に悩んでいるわけでもなく、薬はと 確かに七十三歳になる今日まで、 一度も入院したことはないし、持病 門司健康友の会 振り返って気づいたこと もが﹁あなたは健康ですね﹂とよく いる訳ではないからです。しかし誰 れといったものを、継続してやって と答えたことがありません。別にこ これまで﹁あなたの健康法は﹂と 問われたことはあっても、はっきり 言われてみれば健康だった 私の 言ってくれます。 大里西部九条の会の街頭宣伝(右から二人目でマイ クを持って腹をペコペコ) そうです。今、おおかわ診療所で は健康友の会の役員さんはじめ、 働いていたころ、編集局も活版もと 底から声を出すことです。新聞社で 。よく考えて さて私の健康法 ― みると確かにあった。それは、腹の て賑やかに。何かにつけカラオケ ます。近所の奥さんたちも参加し パソコン教室を週に一回開いてい 員やヘルパーさんたちが合同で、 腹の底から声を出せば ても騒々しかった。小さな声では仕 屋さんに行ったりもします。ここ 年金者組合員と診療所の女性事務 事にならない。つい声が大きくなっ のも健康に良いようです。 間は四時起きで新聞を配っている 暴飲暴食は控えて、早寝早起き にも徹しています。週のうち四日 新聞配りに旅行に集会・・・ に悪いはずがありません。 さんとデュエットをすれば、健康 でもマイクを握り、美人ヘルパー い。マイクと言えば夜のカラオケも ます。これが健康の秘訣かも知れな ペコペコ動かしながらしゃべってい 現在は街頭宣伝などでマイクを握 ることも多いが、気が付くとお腹を ていたのです。 門司健康友の会で3月にバスハイク(吉野ヶ里遺跡を見学) とにかく家にいません。新聞O B会のグルメの旅、年金者組合の 温泉一泊旅行、健康友の会のバス ハイク、各種の集会から連日の 数々の会議まで、総て出席しま す。︵よくガッチ合うので、どち らかは欠席ですが︶身体を動かし 出掛けること、これこそ最大の健 康法であることに、今回、気づい た次第です。 5 〈シリーズ〉 調査研究の完成を見ぬまま病篤く亡く なる。耕作の死後、鷗外の日記は発見 され、耕作の努力は空しいものとなっ てしまうというのがその内容である。 耕作が推理を働かせ鷗外の足跡を 訪ね歩き取材する方法が、推理小説を 思 わ せ る こ と を 最 初 に 指 摘 し た の は、 芥川賞の選考委員であった坂口安吾で あ る。﹁ こ の 文 章 は 実 は 殺 人 犯 を も 追 跡しうる自在な力があり、その時はま たこれと趣が変わりながらも同じよう に達意巧者に行き届いた仕上げのでき る作者である﹂︵中略︶﹁不遇﹂の中に 埋没することなく、小倉の鷗外を追跡 し続ける耕作は、自己実現を求める清 張そのものであった。清張が耕作の実 名を使った理由もここに見出せる。清 張の自己実現の中に耕作を生かしたの である。田上耕作の名前は﹁或る﹃小 倉日記﹄伝﹂とともに読者の中で生き 続ける。 ︾ 6 たくさんの寺院が登場 いたします。 る か な ﹂ で し た。 訂 正 し て お 詫 び し て い ま し た が 正 し く は﹁ 和 布 刈 三月号②時間の習俗の冒頭の句 の 読 み 仮 名 を﹁ 和 布 刈 る か な ﹂ と この小説の中には小倉北区香春口 にあります﹁カトリック小倉教会﹂を はじめ、たくさんのお寺が登場します。 柳河︵現柳川︶の天叟寺、広寿山福聚 寺︵ 小 倉 北 区 寿 山 町 ︶、 東 禅 寺、 護 聖 寺︵ 小 倉 南 区 三 岳 ︶、 安 国 寺︵ 小 倉 北 区竪町︶等々。清張の会では二〇〇四 年︵平成十六︶十月三十一日に﹁文学 散歩・或る﹃小倉日記﹄伝﹂でゆかり の地を巡りましたが大変好評でした。 またこの作品は、松本清張一周忌特 別番組として一九九三年︵平成五︶八 月にテレビ映画化され、母ふじを松坂 慶子、田上耕作を筒井道隆が好演しま した。 偶然ですが、昨年︵二〇〇九年三月︶ この映画に出演した仲島健一郎さんに お会いすることができました。 仲島さんは小倉北区古船場にある ﹁居酒屋﹃人力車﹄﹂の大将で、松坂慶 子扮する母ふじを乗せて走る人力車の 車 夫 役 で 出 演 し ま し た。 私 が、﹁ 松 坂 慶 子 は ど う で し た か?﹂ 問 う と、﹁ う ちの女房の方がいい女ですよ﹂と笑い ながら答えてくれました。 今でもお店に行くと当時の新聞や 写真が置いてあり、ひと声かけると気 軽に見せていただけます。 森鷗外旧居 ― 旧陸軍第 12 師団軍医部長として明治 32 年6月より1年半住んだ。(小倉北区鍛治町) ₊ ઐུୄಫڠ८༜ ③ 或る﹃小倉日記﹄伝 ︽松本清張の初 シリーズ 期の代表作とされ る﹁ 或 る﹃ 小 倉 日 記 ﹄ 伝 ﹂ は、 清 張 の膨大な作品群の 中 で も、 特 に 取 り 上げられることの 多い作品の一つで 清張の会 上 田 喜久雄 あ る。 一 九 五 二 年 昭和二七年後半期 の芥川賞を受賞し た清張の出世作で あ り、 清 張 文 学 の 原点ともいえる作 品 で あ る。 清 張 が 後 に﹁ 社 会 派 推 理 小説﹂という文学 のジャンルを新た に 確 立 し、 古 代 史 や昭和史にも業績 を残したことは、多くの知るところで あ る が、 こ の﹁ 或 る﹃ 小 倉 日 記 ﹄ 伝 ﹂ 或る論考を紐解く はすでに、そうした清張のその後の業 今回の文学散歩は、木々高太郎︵三 績に発展することを予測させるような 田文学編集人︶の世話で昭和二十七年 要素を持っていた。静謐な筆致で描か 九月三田文学に発表された﹁或る﹃小 れ る 大 正 時 代 の 小 倉 に、﹁ ち り ん ち り 倉日記﹄伝﹂です。この作品について ん﹂と﹁でんびんや﹂の鈴の音が哀切 は、清張の会発行の雑誌﹁清張・創刊 に響く。この情感に心惹かれる読者も 号 ﹂ に 森 本 泰 子 ︵ ペ ン ネ ー ム ︶ さ ん が 多いはずである。森鷗外の小倉在住時 ︿自己実現の書﹁或る﹃小倉日記﹄伝﹂ 代の﹁小倉日記﹂を題材にしたこの作 考﹀を一四ページ︵五章︶にわたって 品の主人公は、実在の人物で生まれつ まとめられています。大変読み応えの いての神経性の障害を持つ青年田上耕 ある論考となっていますのでその一部 作である。行方不明となっている鷗外 を紹介させていただきます。 の小倉時代の日記の空白を埋めよう と、鷗外の小倉での足跡を訪ね歩くが、 65 ふっくら清張さん ペンネーム・夏代 落水(高2) い合わせ等の業務も行っています。 の受付や、入院患者さんに関する問 受付を行っていきます。他には書類 通り患者さんに確認を取りながら、 す。一方、職員による受付は、従来 再診で予約のある方が対象となりま 付を行っています。自動受付機は、 の一つです。 しが出来る状態にする事も管理業務 場所を分けて、分かり易くカルテ出 末になると当年ごとにカルテの保管 の注意を払っています。その他、年 けにミスを発生させないよう、細心 務自体は単純なのですが、単純なだ な業務に支障が出てしまいます。業 会計 す。この業務に不備があると患者さ 正しい保管場所に戻したりしていま 者さんの会計もこちらで取り扱って 金をお支払いいただきます。入院患 の計算を元に患者さんから一部負担 外来カルテは患者さん一人に一カ 患者さんに一部負担金をお支払い ルテで作成しています。これを日々 いただく為に、医療費を計算し、そ の業務で使用したり、使用後直ちに 外来カルテの管理 健和会大手町病院 外来医事課 患者さんの不安を少しでも解消できる 力になりたい 外来医事課では皆、一丸となり ﹁だれもが安心できる良い医療と福 祉を、患者様、地域の皆様とともに 力を合わせて実現します。﹂という 当院の理念のもと、病院の顔として 日々働いています。 不安をお抱えの患者さんに、少し でもお力になれる事が、私たち職員 んの待ち時間が長くなるなど、円滑 います。窓口の混雑を緩和する為に 2つの窓口で会計を行っています。 外来診療報酬の請求 患者さんにお支払いいただいた一 部負担金の残りの医療費を病院から 患者さんが加入している各保険者に 毎月請求しています。この業務を診 療報酬請求業務といい、病院の収入 となります。 このように患者さんと接する業務 を行いながら、多岐に渡る業務をこ なしている職場です。 ︵ 課長 村上 隆裕 ︶ 7 の願いです。職員一同、力を合わせ お気軽にお声を掛けて下さい。 外来受診の際にまず受付をしてい ただきますが、当院では職員による 受 付 電話対応等、多岐に渡ります。 んの対応、慢性疾患患者会の運営、 ︵外来・救急︶、事故・労災患者さ 外来医事課の業務は受付、外来カ ルテ管理、会計、診療報酬の請求 スタッフ一同力を合わせて頑張っています 受付と、自動受付機の二通りの受 入力業務 て皆さんのお役に立てる様、努力し ていますので、何かお困りの際は、 外来受付カウンター 65 お菓子の部 テーマの部 ̲̠ͭ͘͟ δΙλ͕̠͂ ̷̠͈ͦͭΏϋ έΣȜ おさゆきリハビリテーション病院 (利息は、いずれも単利計算です) ●お申し込みは… 各病院・診療所窓口まで 8 財務部(直通)☎ 592-3045 または各病院・診療所窓口まで お申し込みは… 基金は 3 年満期で無利息です。 申し出がない場合は自動的に更新します。 年利 ● 5 年満期 年利 増額・減額は随時できます。 ● 3 年満期 0.5% 1.0% 1.5% 年利 協力債 ● 2 年満期 基金は1口、1,000 円で、何口 でも応募できます(上限は、お一人 500 万円まで) い ま はやし イメージ図です 保育所 デイサービス 在宅ケアセンター 1 口、10,000 円から応募できます 健和会は、おさゆき病院の移転や、高齢者優良賃貸住宅の建設を含めた第四次 中長期計画を策定し、今、実現に向けて準備を始めています。みなさんのご支援 をよろしくお願いします。 協同 基金 健和看護学院 職員寮 大手町病院 新築・移転 高齢者優良賃貸住宅 ますますの ご協力を お願いします 保健・医療・介護・福祉の総合的なサービスモデル 健和会の医療活動充実のために さとる 健和会町上津役診療所 新任所長紹介 創作の部 ̠ͣͣ 四月から新しく経鼻電子内視鏡︵鼻から挿 入の為、身体的負担が軽い︶が導入され、月 に一回しかできなかった内視鏡検査もご要望 に応じてお気軽に検査ができるようになりま し た。 成 人 病 予 防 の 健 康 診 断 や 患 者 さ ん が 安心して自宅で過ごせる在宅医療にも力を入 れ、地域の皆さんに信頼される診療所として 今後も頑張っていきます。 ︵事務長 庄野 利枝子︶ んをはじめ、各事業所の 職員代表が審査委員とし て参加しました。 内容は三部門にわか れ、テーマの部は︿ミン チ肉八〇㌔カロリー以上 を使用した一膳︵六五〇 ㌔カロリー以内︶ ﹀ 、創 作 の 部 は︿ 春 の 行 事 食︵統一食材として鯛、 牛 肉、 大 根、 春 菊、 八 朔 を 使 用 し、 材 料 費 一〇〇〇円以内︶ ﹀ 、お 菓 子 の 部 は︿ 野 菜 ス イ ーツ﹀でした。 各事業所とも何ヶ月 もかけて練り上げた知 恵と技を競い合いまし た。 ߄રરै 今 林 悟 所長 毎 年、 栄 養 部 門 の 技術研修として行ってい る﹁料理コンクール﹂も 二十三回目を迎えまし た。 今年は三月十一日に開 催され、友の会の幹事さ Ⴏͤષ̬̹ࠃ͈͂ܿއ 平成二十二年四 月一日より町上津 役診療所に今林悟 所 長︵ 四 十 四 歳 ︶ が就任しました。 今林所長は内科 ︵内視鏡専門医︶ ・ 外科・健診など豊 富な経験と実績を活かして毎日、奮闘してい ます。 ૰ྸ⇙∙⇕∞∑͵ 協同基金・協力債のご案内 「友の会」の会員の方から募集します。 体育館 東八幡健康友の会 のもと三月十四日︵日︶に、唐 津・みつせルベール牧場・吉野 ヶ里歴史公園コースで、バス二 台総勢七十二名の参加となりま した。唐津おさかな村で会員さ んたちはしっかり買い物をすま せ、ルベール牧場では、ワイン 販売︵試飲︶とシュークリーム に舌鼓?をうっていました。吉 野ヶ里歴史公園は、広大な敷地 で一部しかまわれませんでした が、すこしくたびれるくらい歩 いたようです。 ﹁ 来 年 は、 温 泉 な ど で ゆ っ く りしたいね﹂などの声もでてい ます。みなさんおつかれさまで した。 景は皿倉山から見る夜景のすば らしさと又違って、胸躍らせる、 すばらしいものでした。散策後 は昼食で目の前の御馳走に舌鼓 を う ち、 腹 八 分 目 に な っ た 頃、 色々な歌を皆で歌い、面白い話 に腹を抱えて笑い、原田さんの 訴 え で 戦 争 に よ る 悲 劇 に 涙 し、 胸あつく、ぐっと来るものがあ りました。帰路の途中、買物を し、それぞれの手にお土産が一 杯でバスが重くなりました。皆 さん元気でに無事八幡に到着で きました。今日一日お世話にな った運転士さんに感謝です。 ︵立石トミエ︶ びを申し上げるとともに、患者様が気持ちよく病 院を利用していただけるよう努力してまいります。 救急外来の夜間受付職員の態度が悪い。医師に 直接話をしなければ体裁が悪いこともあるので、 受付用紙への記載を求められても困ることがある。 MRI の検査中大きな音がするため耳栓を申し込 んだが粗悪品でしかなかった。 回 答 回 答 さっそく、新しいオーディオを購入いたしまし た。音楽が常に検査室に流れている状態にしてお ります。少しでも不安等を紛らわすことにつなが ればと思っています。 救急受診の方には、ご気分が悪い中での受付・ 問診は負担になっていることと思いますので、診 療に必要最低限の事項のみご記入いただく内容に しています。問診は診療をスムーズに実施するた めに必要なものです。ご理解とご協力をお願いい たします。 また職員の接遇についても向上のためのとりく みをおこなっています。不充分な面についてお詫 9 二 回 目 と な っ た、 門 司 健 康 友 の 会 の バ ス ハ イ ク は、 好 天 片渕所長を囲んで、美味しい昼食 天気に恵まれ暖かい陽射しの もとで、四十九名元気に出発し ました。二時間程度で火の山公 園に到着し展望台と庭園の散策 を楽しみました。桜の花が、今 を盛りと咲きほこっていまし た。 甘 い 香りに誘 われ春を 身体一杯 に受けて とても幸 せな気分 で し た。 展望台か ら見る光 《大手町病院》 ご意見 皆さまからお寄せいただいたご意見やご要望の実現に 向けて積極的に取り組んでいます。 ご意見用紙とٝ൞ ̩̹͍̩̞ͦͥͣͅਰ̱̹ ΨΑΧͼ· 門司健康友の会 ̞̞̲̹ͬ̽͋ۜΨΑΧͼ· ご意見 !! !! 小倉北区 白井 武 博 私 は、 北 九 州 市 は と う の 昔 に 宣 言 し て い る と 思 っ て ま し た。 北九州が長崎に変わって被爆都 小倉南区 安永 アツ子 トやラジオ体操をしていますが、 が又楽しみです。 ◆春を感じながら 小倉北区 出畑 ミツ子 運 動 不 足 で す 。 オ リ ン ピ ッ ク を 見 季 節 の い ち ご を 使 っ た﹁ い ち 八幡西区 栗下 良子 ◆考えさせられる ご 大 福& い ち ご ロ ー ル ﹂ 、特にい て い て 、 ス ゴ イ の 一 言 で す 。 選 手 ぱーとなーを何時も心待ちし 国東市 郷司 貢一 て い ま す。 ク イ ズ 大 好 き 人 間 で ちご大福が簡単そうで、一度作っ の皆さんに力をもらい応援して 車の窓から梅の花が咲いてい る の が 見 え ま す。 春 を 感 じ な が 今 回 の 特 集 は 考 え さ せ ら れ る すので毎回楽しく頭を働かせて います。頑張れ日本。ぱーとなー、 てみたいと思ってしまいました。 ら ド ラ イ ブ を 楽 し ん で い ま す。 も の で し た ね。 こ の よ う な 活 動 い ま す。 こ れ か ら も 友 の 会 の 発 あまり手間がかからなくておい 楽しみにしています。 をしているスタッフの方々に頭 も う 年 で す が、 ま だ ま だ ド ラ イ 展を期待しております。 しい物を楽しみにしています。 ◆小さな力が大きな力に が 下 が り ま す。 こ の 時 代、 い い ブをしたいで∼す。 ◆あっという間に 門司区 上田 キヨ子 ◆ホッとして 悪 い は 別 と し て、 そ の よ う な 人 ◆北九州市非核平和都市宣言 小倉南区 松尾 寿恵 門司区 美浦 憲司 第 六 十 二 回 の﹁ ク イ ズ で く い たちがいて困っていることを忘 ず﹂で図書券をいただき有難うご れてはならないと思いました。 息子が幼稚園に入ってはや一 今 日 は 三 月 三 日、 ひ な 祭 り で ざいました。嬉しいです。早速 ﹁核 年 が 経 と う と し て い ま す。 最 初 あ る。 振 り 返 る と、 二 月 は 大 変 兵器のない世界を﹂ハガキを出 は 泣 い て 大 変 で し た が、 今 で は な月だった。 ﹁健康のためだ﹂と し 大 賛 成 い た し ま し た。 私 共 の 毎 日 笑 顔 で す。 あ っ と い う 間 に 妻 に 脅 か さ れ て、 胃 カ メ ラ を 飲 ◆クイズ大好き人間 市の可能性のあった歴史的事実 小 さ な 力 も、 集 ま れ ば 大 き な 力 小学校に行くようになるんだろ ◆作ってみました があって、何で今までしてなかっ に な る 事 と 思 い ま す。 い つ も 応 う な ぁ と 思 う 日 々 で す。 子 供 の 行橋市 米田 淳子 た の だ ろ う。 時 の 自 民 党 政 権 に 援しています。頑張って下さい。 成長はとってもはやい 遠慮してたと思う。 レ シ ピ を 見 て、 い ち ご 大 福・ ◆ひなまつり ◆シベリア いちごロールを作ってみました。 ◆出会いと別れの季節 八幡東区 西 すず子 八幡東区 金堀 昭江 おいしそうにできあがり満足満 八幡東区 福本 鈴子 足。 で も、 全 部 食 べ た 私 の 体 に 花 冷 え の ひ と と き 不 景 気 の 私 の 兄 は シ ベ リ ア 帰 り で、 ま 話 題 ば か り の 新 聞、 テ レ ビ。 幼 と も な 仕 事 も つ け ず 体 も 弱 く、 は着実に変化あり。おにくになっ 春は出会いと別れの季節。この 度、 娘 が 転 勤 で 遠 方 に 行 く 事 に き孫達の将来が不安になります。 私 に 何 時 も 寒 く て 苦 し か っ た そ て、身についてしまいました。あ なり、孫とも今までのようには、 ∼あ。 ば ー ち ゃ ん の 言 葉 ↓﹁ 賢 く 生 き の当時の話をよくしてくれまし なかなか会えなくなりそうです。 てネ。 ﹂乙女にかえり雛を飾る白 た。 先 日、 テ レ ビ で、 生 存 し て ◆サクラが満開 寂しいですが明るく送り出して 酒ならず甘酒を求め桃の花をお おられるシベリア帰りの方々が 下関市 三村 寿江 あげないといけませんね。 供 え し ま し た 。 政府に陳情してるのを見ました。 何 故 今 な の だ ろ う。 あ ま り に も 庭 の サ ク ラ︵ サ ク ラ ン ボ ︶ が ・蛤の香りほのぼの雛まつり ◆バンクーバーオリンピック 満 開 で す。 や は り 春 は う れ し い ・ 暮れなずむ花冷えの街いそぎあし 遅 い。 兄 は 銀 盃 一 つ で 打 ち 切 ら 行橋市 奥 昌子 ぱーとなーの皆様お元気で⋮ネ で す ね。 あ た た か く な る の と 一 れ、 年 金 も な く 悔 や み な が ら 十 緒に庭の花もすこしずつ開きつ 年前に亡くなり悲しい生涯でし ワクワクしたバンクーバーオ ◆気をつけているつもりが リンピックのフィギュアスケー つあります。実にたのしみです。 た。 で も 赤 旗 を 配 り、 人 の お 世 小倉南区 前田 マツ子 ト。 真 央 ち ゃ ん 銀 メ ダ ル お め で 話 を 楽 し み に 生 き ま し た。 兄 の ◆活気づいて とう。 気 持 ち を、 ま だ ま だ 生 存 し て お 母の介護のため体には気をつ 八幡西区 上原 秀子 け て い る つ も り で す が、 ち ょ っ ら れ る 方 々 に 託 し て、 政 府 に は フィギュアスケートの大会の ◆為になる と し た 動 き の 中 で 捻 挫 し た り、 一 日 も 早 い 善 処 を 期 待 し た い で たびに真央ちゃんを家族で応援 冬から春へ野や山も活気づい 門司区 荒 牧 美奈子 て 来 ま し た。 次 々 に 春 の 花 が 咲 転 ん だ り。 今、 胸 に は 白 い サ ラ し て い ま す。 世 界 で 活 躍 し て い す。 き始めるので楽しみです シ を 締 め て い ま す。 三 ヶ 月 位 で る日本の若者をこれからも注目 ◆簡単でおいしい物を 良 く な る と か。 時 々、 ス ク ワ ッ し て い き た い で す ね。 次 の 大 会 投稿文字数は200字以内でお願いします。 いつも為になる情報を有難う ございます。 65 10 ◆スポーツにもしっかり支援を ◆バレンタインデー 行 き ま し た。 二 月 の 末 に、 桃 の ま さ れ た り、 痛 く も な い 腹 を 探 整えてほしい。 ◆友人と楽しく 花 の よ う に ピ ン ク が 濃 く て、 大 ◆暖かいと思っていたら ら れ た り し た。 そ の 結 果、 医 者 ◆ ﹁長寿の妙薬﹂ 健康なこころ 若松区 福井 久 門司区 土生 艶子 ・・・ きな花びらで本当にきれいでし は大腸のポリープを除去したほ 豊後高田市 尾鶴 勝子 暖 か い 春 と 思 っ て い た ら、 ま 二 月 末、 主 人 の 運 転 で 総 勢 七 た。またソメイヨシノの桜もと、 う が 良 い と 言 う。 仕 方 な く、 二 た 寒 い 冬。 後 期 高 齢 者 に は な か 人、 飯 塚 へ 伊 藤 伝 衛 門 邸、 麻 生 老 人 ク ラ ブ 主 宰 の﹁ 地 方 リ ー 二回も桜が楽しめるなんて、ラッ 月十七日に一泊入院して除去し な か で す。 新 し い 政 府 に 期 待 す 氏大浦邸、嘉穂劇場を見学した。 ダ ー 研 修 会 ﹂ に 誘 わ れ、 夫 と 共 キー た。 何 も 変 わ り は な い が、 少 し に参加しました。 ﹁全老連ヘルス る こ と も な く、 ラ ジ オ の 国 会 中 丁 度 雛 祭 り の シ ー ズ ン で、 沢 山 ﹁ホッと﹂している。これで、あ ◆ショック プ ロ モ ー シ ョ ン リ ー ダ ー﹂ の 肩 継 を 聞 き な が ら、 独 り で﹁ バ カ の お ひ な 様 と 巡 り 会 え た。 特 に と五∼六年はもつだろう。 八幡西区 シュンちゃんママ 書 き を も っ た 講 師 が﹁ ウ ォ ー キ ヤ ロ ー﹂ な ど と つ ぶ や き、 針 を 大 浦 邸 の ガ ラ ス︵ ベ ネ チ ア ︶ 雛 ◆ 鴬 が鳴ける頃には ングと健康﹂ ﹁長寿の秘訣﹂につ 動かしています。 は 珍 し か っ た。 帰 り に は 日 帰 り いつもこのコーナーに応募し 小倉北区 川本 政子 て い ま し た が、 前 回 つ い つ い 忘 い て 語 り ま し た。 ウ ォ ー キ ン グ 温 泉﹁ か っ ぱ の 湯 ﹂ に 浸 り、 心 ◆忙しい毎日 れ て し ま い シ ョ ッ ク で し た。 今 が高齢者の健康増進にとって最 身 共 に 温 ま っ て 極 楽 極 楽。 気 心 一年振りの応募に図書券が当 戸畑区 アジサイ た り、 う れ し い で す。 あ り が と 回は図書券が当たればと思う忘 も 良 い 運 動 で あ る こ と は 分 か っ の 合 っ た 友 人 と の ド ラ イ ブ は い ﹁こ う ご ざ い ま し た。 友 達 が 一 月 五 れんぼのシュンちゃんママです。 友 の 会 の 週 二 回 の 中 国 語 学 習 ていても、 ﹁長寿の妙薬﹂ ・・・ つも楽しい。 。一月九 と市民センターでの運動、畑作り こ ろ の 健 康 ﹂ に つ い て は、 つ い 日 に 救 急 車 で 病 院 へ ・・・ ◆少しでも良くなれば ◆侘助が 日 に﹁ さ よ な ら ﹂ も 言 わ な い で と、忙しい毎日を送っています。 見 過 ご し て し ま っ て い ま し た。 戸畑区 長い夜 八幡東区 森岡 久代 ﹁ 心 配 事 を 持 た な い こ と ﹂ 他界しまして、 私の心は﹁ブルー﹂ そ の 上、 遅 れ ば せ な が ら パ ソ コ ﹁好き の 毎 日 を 過 ご し て い ま し た。 二 二 月 四 日 に 八 十 四 歳 の 誕 生 日 ン を 始 め ま し た。 説 明 本 を 読 ん 三月は急に寒い日もある月で、 嫌いを言わないこと﹂ ﹁威張らな をむかえた母が急病で二月五日 気温だけでなく天候も激しい変 月 十 八 日、 と て も 上 手 と は 言 え だ り、 上 手 な 方 に 教 わ っ た り し いこと﹂ ﹁ありがとうの感謝の言 入 院 し ま し た。 入 院 後 に 母 が 言 わ り 方 で 不 安 定 で す。 そ の 中 で な い 鴬 の 鳴 き 声 に、 少 し の 間 立 ながら勉強しています。一度習っ 葉﹂ 。老人クラブの会合に誘われ ち 止 ま っ て 聞 い て い ま し た。 春 います。 仕事が終わって夕方外に出ると、 る 歳 に な っ た こ と に 抵 抗 感 を 感 ても忘れてしまうので、一つのこ で す ね。 こ の 鴬 が 上 手 に 鳴 け る ﹁ 看 護 師 さ ん の 仕 事 は 大 変 ね ぇ﹂ と を 何 度 も 復 習 し て い ま す。 絶 侘 助 が 咲 い て い ま し た。 ホ ッ と じた自分のくだらなさに愕然と 頃 に は、 私 も 元 気 に な り、 何 か ﹁一日中走り回ってるみたい﹂ した気分になります。 ﹁こ 対 マ ス タ ー し て、 中 国 語 の テ キ し た 思 い。 こ れ か ら は﹁ あ り が 楽しみを見つける事にしたいと んなに忙しいとは思わんかった﹂ ストを作れるようになるぞ∼。 とう﹂の感謝の気持ちをもって も う 春 で す ネ! 仕 事、 頑 張 り 考 え て い ま す。 二 〇 〇 九 年 十 一 たいと思いました。 等 々 ・・。 過ごそうと夫と話し合いました。 ・私 自 身 も そ う 思 い な ◆養成セミナーで 月 号 の シ ャ ケ ご 飯 作 り ま し た。 が ら、 も う 何 年 も 現 場 で 働 い て ! ! 若松区 宮 﨑 惣六 い ま す。 少 し で も 労 働 条 件 が 良 おいしかったですよ 門司区 安藤 昭 雄 戸畑区 唐川 勉 くなればいいですね。 若松区の次世代を担い、地域の ◆クロスワードを解く 核 と な っ て 活 躍 す る 人 材 育 成 を ﹁平和の祭典﹂バンクーバー五 私 の 若 い 頃 に は、 こ ん な も の 行橋市 菜の花バーバ ◆花便り 輪 の 熱 戦 の 幕 が 閉 じ た 。 日 本 代 無 か っ た 様 な 気 が し ま す。 今 年 目 的 と し た 実 践 研 修 方 式 の ま ち 福岡市東区 田 中 成子 表 選 手 に 感 動 の 拍 手 を 送 り な が は本命チョコを七個も。義理チョ づ く り プ ラ ン ナ ー 養 成 セ ミ ナ ー 私 は 八 十 一 歳 で す。 雨 が 降 っ た り、 何 も す る こ と が な い 時、 桜 の 花 便 り が 目 に つ く 頃 に な ら ふ と 次 の 事 が 頭 を よ ぎ る。 海 コ で は あ り ま せ ん。 今 年 七 十 九 で、 平 成 二 十 一 年 度﹁ 若 松 み ら り ま し た。 私 達 日 本 人 に と っ て クロスワードを解くのが楽しみ 外遠征や用具購入の多額の費用 歳 に な る 後 期 高 齢 者、 そ の 上、 いネット﹂ ︵三期生︶第一グルー 桜はやっぱり特別の感がします。 プを代表して発表。タイトルは、 が 所 属 企 業 の 支 援、 選 手 の 自 己 に な っ て い ま す。 図 書 券 で ク イ 両 下 肢 機 能 障 害 者。 二 枚 看 板 を ところが、今年もこの時期シカゴ ﹁若松のルーツを探る!ウォーキ ズの本を買いたいものです。 負 担 と は。 選 手 強 化 予 算 は 韓 国 背負って毎日杖をついてリハビ 行 き と な り、 満 開 の 桜 見 が 出 来 や欧米諸国の三割や六割程度だ。 リ の た め に 歩 い て い ま す。 蓼 食 ングロードの開発﹂ 。 ﹁島郷地区 ◆二回も楽しめるなんて ﹂という ﹁事業仕分け﹂は科学、芸術、ス な い の が 残 念 で な り ま せ ん。 皆 う 虫 も 好 き 好 き。 と か。 こ ん な 史跡めぐりであるき ing 事 業 を 実 施。 七 人 の 個 性 あ る 方 さんは大いに楽しんで下さい。 ポーツ等削減せずに国の援助で 私でも心から愛してくれる女性 たちに巡りあえ、心から感謝。 選手が競技に打ち込める環境を が 七 人 も い ま す。?? 有 り 難 い !! 行橋市 有角 静子 先 日、 豊 前 市 の 河 津 桜 を 見 に ♪読者のひろば♪ 11 ことです。もう暫く頑張ります。 ⋮⋮ ジ エ モ ン に 見 え る ん や け ど ⋮﹂ 。 小二の娘の不思議。 前向きにがんばります。 ◆いやされて 食べておこうかな ◆久し振りに雪ダルマを !! !! !! ちょっと驚きもありました。 ◆レシピが増えます 中津市 田 上 紀美子 いなーと思いながら読みました。 ご ざ い ま し た。 毎 回 楽 し み に 頭 せん。⋮ 小倉北区 池末 昌子 の体操をするのに待っておりま いつの時代も一般庶民は恵ま ま だ ま だ 少 な い で す ね。 小 倉 南 福 の 神 さ ま。 ヨ ロ シ ク お 願 い れ な い 生 活 を し て い る の に、 あ 三 月 号 の﹁ ク イ ズ で く い ず ﹂ す。 今 朝 は 三 月 の 忘 れ 雪、 突 然 区にも早く出来ることを願って 致します。 の解答をしながら懐かしい思い る大物政治家の人達は金を溜め 朝 か ら 一 面 真 っ 白 に な り、 よ く います。 ◆カワイクナイ! に 浸 り ま し た。 四 十 五 年 も 前 の こ み 出 す 事 を し な い。 あ る 人 が 冷 え ま し た。 先 日 三 月 三 日 に 夫 水巻町 江上 淑子 ◆私の心掛け 私たちの新婚旅行も龍馬と同じ 言 い ま し た 。 流 通 が 悪 い か ら 腐 り の 育 て の 親 ・ 義 母 が 九 十 二 歳 で 八幡西区 髙山 不二子 霧 島 温 泉 で し た。 当 時 は 日 々 食 亡くなりました。今日は初七日。 病 気 に な り 早 死 に を す る。 こ れ 未知の地で九十三歳から夢の べていくことでいっぱいだった 一に運動、二に運動、三 四が アパートでの独居生活を開始し 世の習いなり!出入口、出納簿と 庭の梅の花、寒椿がたちまち真っ ・ ﹁思い出 な く て 五 に 運 動。 健 康 を 維 持 す てちょうど一年の母。先日、 ﹁元 いうように出が先です︵入出口、 ので、旅行は夢でした。 白になり、見事な景色でした。亡 になるから行きなさい。 ﹂と両親 る た め に は、 運 動 を し て 体 を よ 気な高齢者というのでインタ 納出簿とはいわない︶ 。大きく出 く な っ た 母 を 忘 れ る な と、 な ご が背中を押してくれました。 ﹁そ く 動 か し、 気 持 ち よ く 自 分 の 事 ビューしたいんだってよ﹂と伝 し た ら 大 き く 入 る。 大 き く 出 す り 雪 が 降 り、 悲 し み の 中 と っ て の 内、 自 分 達 も 一 度 く ら い は 別 は自分でする事が大切です。 え る と、 ﹁ イ ヤ ダ ァ ー。 私、 元 気 金 は あ り ま せ ん が ⋮。 私 も こ の も嬉しかったです。 府温泉に行こうね。 ﹂と言った父 な フ リ し て い る だ け よ! も っ と 教えに沿って頑張ります。 ◆前向きに ◆今のうちに は、 同 じ 年 に な く な り ま し た。 若 い 高 齢 者 い な い の?﹂ で す っ 戸畑区 藤野 邦子 行橋市 土屋 美穂子 ◆喜んだり驚いたり 家 族 旅 行 を す る﹁ ゆ と り ﹂ な ど て。 そ し て 横 向 い て プ イ! な ん 門司区 門司 花子 ない時代でした。霧島温泉には、 とカワイクナイ! 平成二十二年も年が明けて早 私の大好物のクロマグロが口 そ の 後 縁 が な か っ た の で す が、 や 三 ヶ 月 目 で す。 昨 年 は 大 火 傷 に 入 ら な く な る と ニ ュ ー ス で 放 三月十日久しぶりの雪。わが家 ◆娘の不思議 桜 の 頃 に な る と、 三 分 咲 き だ っ の 屋 根 に も 雪 が 積 も り、 夕 方 雪 の治療で病院の中から春を見て 送されていた。鯨に続きクロマグ た霧島の桜を思い出します。 が屋根よりドシャーッと地面に い ま し た が、 今 年 は 自 分 の 体 で ロ! 食 物 の 恨 み は 恐 ろ し い。 こ 落 ち 始 め ま し た。 静 か な 夜 に ド 春 を 感 じ て い ま す。 又、 三 度 目 れから鯖とサンマを食べて体を ◆落語を楽しむ カーッと落ちた音に一瞬、心臓が の 手 術 が 有 り ま す が、 ま だ ま だ 慣 れ さ せ よ う。 大 好 物 が 食 べ ら 若松区 藤 井 美智子 ドキッとなります。最初、明るい 体 で 季 節 を 感 じ て、 も っ と も っ れ な く な る の は 悲 し い で す ね! 雪景色を喜んだりもしましたが、 三 月 三 日、 若 松 市 民 会 館 で N とやりたい事が山ほど有ります。 今 の う ち に 腹 一 杯 ク ロ マ グ ロ を ◆龍馬と同じ ◆節分 ◆正解かな? 戸畑区 唐川 良子 小倉北区 小 橋 智香子 若松区 小野 ユキ子 築上郡 勝藤 勝子 門司区 廣本 孝次 毎 号 楽 し み に し て い ま す。 内 鬼は外、福は内。⋮⋮ 子供達 久 し ぶ り に 孫 と 息 子 と い と う 庭 の 桜 も つ ぼ み を つ け、 今 か 容もいろいろためになりますが、 が 小 さ か っ た 頃 に は 毎 年、 節 分 久 し ぶ り の 応 募 で す。 正 解 か ずの森に行って来ました。動物の 今かと花開くのを待ちわびる季 表・ 裏 表 紙 が い つ も 暖 か い 色 調 な? に は 豆 撒 き を し て い ま し た。 子 好きな私はほんとうに気持ちも 節 に な り ま し た が、 先 日 は 雪 が に包まれているのが良いですね。 供達が所帯を持ち独立してから おだやか、いやされて、毎日でも 久 し 振 り に 積 も り ま し た。 子 供 ◆願っています 早速レシピのいちご大福を作っ は、私たち夫婦二人では豆撒きも 来 た い 位 で す。 こ れ も 健 康 の 為 の 頃 を 想 い 出 し、 雪 ダ ル マ を 作 小倉南区 小松 恭子 だんだんと忘れてしまいました。 になるのでは︵気持ち・精神の︶ 。 り ま し た。 顔 は 炭 で 目・ 鼻・ 口、 てみました。本格的な求肥︵ぎゅ うひ︶が電子レンジで簡単に出 私 は 脳 梗 塞。 主 人 は 糖 尿 病 か ら 今 の と こ ろ は 一 人 で 生 活 を エ クイズはボケ防止ですね。 手 は ホ ウ キ で 作 り ま し た。 と て 来 て 感 激。 和 菓 子 の レ シ ピ が 増 ン ジ ョ イ し て い る が、 車 の 運 転 合 併 症。 あ ま り に も 悪 い 事 が 続 も 立 派 に で き、 一 人 で 自 画 自 賛 ◆三月の忘れ雪 え て う れ し い で す。 電 子 レ ン ジ もできなくなり行動範囲が狭く き ま し た。 そ こ で、 今 年 の 節 分 し ま し た。 何 十 年 振 り の 楽 し い 門司区 上田 キヨ子 簡単活用術がはやっていますね。 には豆撒きの真似事をしました。 なることを考えると、ぱーとなー 時 を 過 ご し ま し た 。 また、載せてください。 三 月 号 で 紹 介 さ れ た ケ ア ハ ウ ス 先 日 は﹁ ク イ ズ で く い ず ﹂ で 鬼 は 外、 福 は 内。 ⋮⋮ 今 年 は ◆流通をよくしよう 図書券をいただき本当に有難う やグループホームに入れたらい 何 か、 よ い 事 が あ る か も し れ ま !? !? 水巻町 大庭 ゆかり ﹁ねえねえ、体の六十五% は水 分なんだってよ。ジイチャンの体 の 中 っ て、 水 分 あ る ん?﹂ ﹁どう 見たってしわしわでホネカワス 12 65 13 H K ラ ジ オ の 公 開 放 送﹁ 落 語 真 打 競 演 会 ﹂ が あ り ま し た。 デ ィ レクターの合図で何回も拍手の け い こ を し ⋮。 三 遊 亭 幸 楽・ 歌 之 助・ ケ ー シ ー 高 峰・ 江 戸 家 猫 八 ⋮。 や は り テ レ ビ と は 違 っ て 笑 点 の﹁ 幸 楽 ﹂ を じ か に 見 て 満 足 し ま し た。 二 時 間 近 く 並 ん だ 甲斐がありました。 雪 が ふ り ま し た ね。 桜 の た よ り ら 読 み 始 め、 ホ ー ム レ ス 支 援 活 ことも後押しをしていると思う。 もやっときける様になり楽しみ 動に健和会のみなさんが真剣に 核兵器は戦争抑圧に何ら力にな ◆もう三十七冊め です。 取り組んでいることに感銘を受 らないことは、全世界の人々が認 小倉北区 和田 隆子 け ま し た。 民 医 連 の 役 割 は 大 き 識していることだと思う。二十一 ◆母を思い出す いですね。 世紀の早い段階で核兵器が廃絶 結婚と同時に家計簿をつけ始 小倉北区 大西 寛子 め て か ら、 も う 三 十 七 冊 め に な さ れ る こ と を 心 よ り 願 っ て い る 。 ◆春が一番好き り ま す。 余 白 に は、 家 族 の 事・ 今年もすぐ桜の花の季節が参 門司区 すてきな奥さん ◆ついてゆけない り ま す。 桜 の 花 を 見 る と 母 を 思 そ の 日 の 出 来 事・ 覚 え て お き た 八幡東区 伊勢 薫 い 出 し ま す。 久 留 米 に 住 ん で い クイズ大好き人間です。でもは い 事 な ど を 書 き 込 み ま す。 古 ぼ じめて応募。冬は大きらいです。 匙 加減 くるいはじめし 四温かな た 幼 い 頃、 兄 弟 三 人 を つ れ て 毎 け た 家 計 簿 に は、 子 供 た ち が 幼 こ の 春 は な ん と 気 温・ 天 気 の 肩 が こ り ま す。 春 が 一 番 好 き で 年筑後川の土手に弁当を持って かった頃の言葉や行動なども逐 変 化 の 慌 た だ し い 事 か。 体 も 心 母 が 連 れ て 行 っ て く れ ま し た。 す。 心 が 明 る く な り ま す。 一 月 一 書 い て あ る の で、 そ の 当 時 を もついてゆけないでおたおた⋮。 懐かしく思い出させてくれます。 生 れ で す か ら、 一 年 め ぐ る と 一 食糧のない頃はお芋を蒸してそ はやく安心してゆっくりと花を 番 に 加 齢 し ま す。 年 齢 だ け は 増 れ を 持 っ て 行 っ て ま し た。 遊 び 私 に と っ て 家 計 簿 は、 我 が 家 の 咲かせてあげたいものです。 つかれてお腹がすいたと言うと、 やしたくないのですが⋮。 歴 史 で あ り、 子 供 た ち の 成 長 記 そ の 芋 を く れ ま し た。 そ ん な 母 録でもあるのです。 ◆元気をもらえそう! が 一 番 す き で し た。 ご ち そ う の 時より芋を花の下で食べた頃が ページへ続く← 一番なつかしく母を思い出しま す。 ◆感銘を受けました 戸畑区 小屋 弘子 時 節 は 坦 々 と 巡 り、 又 桜 の 季 節を迎えています。春ですねぇ! 新しいことへのスタートの時期 で も あ り ま す。 花 の 開 花 と 共 に 木 々 の 息 吹 を 感 じ ま す。 私 も 元 気 を も ら え そ う! 明 日 は 三 〇 年 振りに職場の友人達とお花見で す。 ◆非核平和都市宣言 小倉南区 美濃部 勝 北 九 州 市 が 今 年 の 二 月 十 日、 政令指定都市十八市の中で十番 目にやっと非核平和都市宣言を し た。 長 崎 へ の 原 爆 投 下 は、 天 候がよければ確実に北九州市︵軍 都小倉︶に投下されていたはず だ。本当に他人事とは思えない。 昨年アメリカのオバマ大統領が チ ェ コ の プ ラ ハ で、 全 世 界 に 向 けて核廃絶の訴えを呼びかけた 14 ◆私の健康法 つくば市 太田 フジ子 エレベー ﹁私の健康法﹂の中に、 ターがないので七十段の階段を 昇り降りするという所がありま す。 人 は 足 腰 か ら 弱 る と 聞 い て いるので、私も一日一回ですが、 一六〇段を昇り降りしています。 ち ょ っ と 苦 し い で す が、 二 年 近 く続いています。 三月になっても 小倉北区 元気印 観客を 無視して続く 小沢劇 ボウズです ハゲじゃないよと 自己暗示 責任の 意味がわからぬ 鳩の脳 八幡東区 浦崎 信子 期限切れ お毒味役は 婆の舌 車椅子 火の山登れば 桜全開 二年飲む 薬の名前 未だ知らん チリ地震 津波と言うが 波じゃない 門司区 福原 サダ子 門司区 佐々木 一郎 今年は三月になっても寒くて ぱーとなーの三月号トップか ♪読者のひろば♪ 帯﹂し忘れて電車に乗っ 先日、携帯電話︵以下 ﹁携帯﹂と略︶を﹁携 うにしているが、 ことなのだろうか。 それにしても、か 携帯端末は、電波を発 つてどこにでも する送信機能と電波を受 帯﹂を忘れないよ それ以来、外出 時には携帯の﹁携 発車。 乗っていた電車が ムからさっきまで いると、向かい側のホー 十円玉を入れて電話して 銭入れに一つだけあった 衆電話にたどり着き、小 いう。やっとのことで公 側のホームに一つあると い。駅員に聞くと向かい 話を探すが、見あたらな とホームに下りて公衆電 ので、家人に連絡しよう きだしそうな気配がない どそのまま待ったが、動 けて信号︵音声︶を取り きるというのはどういう 手と移動しながら通話で 携帯の中でただ一つの相 本だけで一億台以上ある 無線通信と同じだが、日 発明された電磁波による ところで、携帯の基本 的しくみは一八九五年に しまった。 話はほとんど撤去されて ︵二〇〇三年︶。公衆電 に 普 及 率 が 九 〇% を 越 し ごろから。あっという間 及し出すのは一九九五年 ものだった。爆発的に普 のエリートが使う は会社の社長など 一九七九年。当時 めて出現したのは が、わが国ではじ ば﹂の方はどうかといえ 肝心の交わされる﹁こと 進歩には驚かされるが、 的の携帯に電波でつなぐ 中継し、そこからその目 ているアンテナに信号を 相手の番号が登録され 機にその情報が送られ、 ナ経由で電話会社の交換 れ、最寄りの固定アンテ ていると通話しなくても 電源を入れっぱなしにし することになっている。 社の交換システムに登録 範囲内にあるかを電話会 の携帯がどのアンテナの 的に交信が行われ、特定 定アンテナとの間で自動 時でも携帯と最寄りの固 を入れると、通話しない ていないが、携帯の電源 ではない。あまり知られ 雑学カルテ ていたら、突然ある駅 あった公衆電話 出す受信機能を兼ね備え ば、﹁?﹂。︵今︶ 携帯を﹁携帯﹂し忘れ て思う ࠈఝഩდ で停車。﹁事故のため停 が、ほとんど姿を た、昔からある﹁トラン ₉₉ 車。運転再開の時間は 消してしまってい シーバー﹂の一種だが、 ことを一瞬で行う技術の というわけ。これだけの が携帯から電波で送信さ すときは、番号の信号 だ。特定の携帯を呼び出 電池が減るのはこのため 不明﹂とのつれない車内 ることには驚かさ 携帯同士が直接電波をや りとりして通話するわけ ←﹁読者のひろば﹂ ◆おだやかな一日 ページから続く 﨑野 恵美 八幡西区 図書券がやっと当たりました。有難うござい ます。早速この図書券を使って好きな本を買い ます。ヤッタ∼。 ◆ヤッタ∼ 半田 絹枝 戸畑区 八十歳を少し過ぎたお隣さんは、老々介護の 日々の中に、白いマルチーズの可愛いワンちゃ んが仲間入りしました。元々犬好きなお二人さ んだから、癒しにもなるかと。ところがやんちゃ 盛りで遊びたいばかりのワンちゃんにとうとう 疲れ果て、 もらい手をさがしていました。やっと、 あるグループホームにもらわれ、ホッとしたも の で す。 時 々 里 帰 り に お 泊 り で 来 ま す が、 別 人 になってお利口さん。先方では郵便の配達など も し て、 み な さ ん に か わ い が ら れ、 別 名・ 課 長 とも呼ばれているそうです。犬も人間もホメら れて成長することを実感しています。今後とも 元気で活躍することを祈っています。 ◆可愛い課長さん 野中 温子 若松区 ﹁リーン、リーン﹂と電話が鳴ったので、 先日、 ﹁ も し も し ﹂ と 出 る と、 ﹁ ○ ○ だ け ど ⋮﹂ と 長 男 を名乗る男性の声がした。全然、 声質が違うので、 ﹁あなたはどなた?﹂と聞き返すと、 ﹁○○です。 ﹂ と同じ答え。嘘だったけど、 ﹁○○はここにいま すよ。代わりましょうか?﹂そしたら、 ﹁ガチャ ン!﹂まさか、まさかびっくりしました。 ◆我が家にもまさか! 13 宮﨑 尚子 若松区 久しぶりに、列車にゆられ花見に出かけまし た。 ﹁福北ゆたか線﹂で娘と二人で、のんびりお し ゃ べ り し な が ら、 菜 の 花・ サ ク ラ を 車 窓 で な が め、 ゆ っ た り し た 時 間 を す ご し ま し た。 途 中 下 車 し て、 つ く し や ヨ モ ギ を 摘 ん だ り し て、 幸 福なおだやかな一日でした。 14 ことばを一瞬にして交 わす仕組み 放送が流れる。三十分ほ れる。 携帯というもの 1997∼2004年までの歴代携帯電話の変遷 65 第 64 回 クイズに答えて図書券をゲット! 今月のパートナーは日本国憲法に関する問題を出題致します。答えをA∼C の中からお選び下さい。 ▼応募のしかた ❶ 5 月 3 日は憲法記念日として国民の祝日となって います。さて、この「国民の祝日」は一年間に何 ●答えを紙( 葉書)に書いて、下記までお送下さ 日あるでしょう? い。 .10日 .15日 .20日 ❷ 憲法記念日として国民の祝日と定められた 1948 年に生まれた子供の名前に入れることの多かった 字は? . 国 . 憲 . 法 ❸ 日本国憲法が施行されたのは昭和何年の 5 月 3 日? . 昭和 20 年 . 昭和 22 年 . 昭和 25 年 ❹ 3 つの柱を持つ日本国憲法。その 1 つである「平 和主義」を定めたのは憲法第何条でしょうか? ●〆切りは平成22年5月末日、 「読者のひろば」 への 投稿文字数は200字以内でお願いしま す。200字以上は編集部で割愛させて頂く場合 があります。 ●送付先 〒803-8543 北九州市小倉北区大手町15-1 健和会大手町病院内 北九州健康友の会連合会 電話・FAX(093)592-3383 正解者の中から抽選で20名様に図書券〈500 円〉が当たります。 正解と当選者の発表は次号に掲載します。 . 9 .14 .25 ❺ 日本国憲法公布にかかわった吉田茂内閣総理大 当選おめでとうございます。 臣は次のうち誰の祖父にあたるでしょう? 当選者(敬称略・五十音順) . 安倍晋三 . 山崎 拓 . 麻生太郎 お便りを添えてご応募ください。お待ちしております。 3月号の正解 ❶…A(坂本龍馬) ❷…C(霧島温泉) ❸…A(ダージリン) ❹…B(金) ❺…D(回れ) 第 63 回“クイズでくいず” 応募総数:80通 正解率:53.8%でした。 たくさんのご応募、ありがとうございました。 ア ジ サ イ(戸畑区) 荒牧 美奈子(門司区) 池末 昌子(小倉北) 上原 秀子(八幡西) 奥 昌子(行橋市) 勝藤 勝子(築上郡) 唐川 良子(戸畑区) 古閑 寛(京都郡) 小橋 智香子(小倉北) 舌間 恵(八幡西) ◆セリ獲りに行きました 15 八幡東区 小司 宏士 、趣味で習っている日舞の先生から 二月二十八日︵日︶ ﹁ セ リ 獲 り に 行 こ う よ ﹂ と 電 話 が あ り、 先 生 と お 弟 子 さ ん一人・私と愛犬一匹で包丁二本・ビニール袋を用意し、 宗像まで出かけました。セリ獲り役は専ら女性二人、私 は愛犬の遊び役で二時間ほど遊びました。獲ったセリは、 腰の痛さに関係なく三人で分け、帰りの車中はセリ料理 の講習会⋮。我家では夕食にセリの卵とじ、翌日はお吸 い物に入れて食べました。九十六歳の母は珍しい、美味 しい美味しいと喜んで食べていました。ちょっと親孝行・ 愛犬孝行をしたような一日でした。 後期高齢者医療制度廃止という民主党の公約 は、後退に後退を重ね、結局、厚労省官僚主導 で、変な新制度づくりになりそうな雲行きです。 財 界 と そ の 御 用 マ ス コ ミ は、 こ の﹁ 公 約 違 反 ﹂ に は 寛 容なようで、あまり騒ぎませんが、大きな問題です。 一方、海の向こうのアメリカでは、公約にこだわっ たオバマ大統領主導の﹁医療改革法案﹂が三月下旬に 成立し、いよいよアメリカが﹁国民皆保険制度﹂に向 け動き出すことになりました。この﹁オバマ医療改革﹂ に つ い て は、 ア メ リ カ の 事 情 に 詳 し い 専 門 家 ほ ど そ の 成功には悲観的でした。なにしろ、百年前の大統領選 挙で提唱されて以来、何人もの大統領が成立を試みて き ま し た が、 議 会 の 賛 成 を 得 ら れ ず に 全 て 挫 折 し て き たからです。今回も、野党の共和党は﹁絶対反対﹂で 団結し、世界一金持ちの保険会社が莫大な工作資金を 投 じ て 必 死 の 世 論 誘 導・ 与 党 議 員 切 り 崩 し を 図 り ま し た。﹁ 社 会 主 義 化 ﹂ ﹁ 国 家 財 政 破 綻 確 実 ﹂﹁ 政 府 に よ る 国民支配﹂などなどの﹁脅し文句﹂がテレビコマーシャ ルで乱れ飛び、世論も大きく揺れましたが、一度回り 出した歴史の歯車をとめることはできなかったという ことでしょう。隣の中国でも本格的な医療保障制度の 整備が進行中。 ﹁いのちの平等﹂を求める運動には全 地球的普遍性があります。︵今︶ 編集 後記 末 節子(小倉南) 田上 紀美子(中津市) 田中 成子(福岡市) 土屋 美穂子(行橋市) 鶴留たくろう(戸畑区) 土生 艶子(門司区) 長 い 夜(戸畑区) 松尾 寿恵(小倉南) 美浦 憲司(門司区) 米田 淳子(行橋市) έρͼΩϋ͌͂̾́۰ౙ·Λ΅ϋΈ ̯ͩͣ 鰆とアスパラの バターしょうゆ炒め おさゆきリハビリテーション病院 こ 調理師 だ ま し げ は る 兒 玉 茂 治 季節の 料理 【栄養価(1 人分) 】 ●エネルギー…… 232kcal ●たんぱく質……… 15.8g ●脂 質…………… 13.6g ●糖 質………………9.0g ●塩 分………………1.4g ♪作り方 ♪材料(2人分 ) { ❶アスパラは根元を切って下半分の皮をむき、長 鰆(さわら)の切り身 …… 2切れ グリーンアスパラガス … 5本 プチトマト ……………… 6個 レモン …………………… 1/2個 にんにく ………………… 1かけ しょうゆ ………………… 小さじ2 酒 ………………………… バター …………………… 塩 ………………………… 粗挽きこしょう ………… 小麦粉 …………………… サラダ油 ………………… さ 4 ∼5㎝に切る。太ければ縦半分に切る。 レモンは1/ 4個は絞り、残りは2∼4等分に切 る。鰆は大きめの一口大に切り、塩、粗挽きこ しょうをふる。 ❷フライパンにグリーンアスパラと水大さじ2を 小さじ2 小さじ1 少々 少々 適宜 小さじ2 入れてふたをし、中火にかける。2∼3分、柔 らかくなるまで蒸しゆでにし、水を切る。 ❸鰆に薄く小麦粉をまぶす。フライパンにサラダ 油小さじ2を中火で熱し、薄切りにしたにんに くを炒める。香りがたったら鰆を入れて、両面 を3∼4分焼く。弱火にし、 を順に加える。 アスパラとプチトマトを入れてさっと炒め合わ せ、レモン汁を回しかける。器に盛り、レモン を添える。 ●編集・発行/健和会・友の会編集委員会 〒 803-8543 北九州市小倉北区大手町 15-1 健和会大手町病院内 TEL 093-592-3383(内線 4056) FAX 093-592-3383 ホームページアドレス h t t p : / / w w w . k e n w a k a i . g r . j p 16
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