20,013世帯 1,863部

2010
7
はる か
NPT再検討会議・平和行動に参加した山本陽香さん。自由の女神像とツーショット
もく じ
特 集 核兵器のない世界を
……………………………………
2
医療雑感 …………………………………………………………………………………………… 5
松本清張文学散歩④ 黒地の絵……………………………………………… 6
職場紹介(おさゆきリハビリテーション病院2病棟)
………
7
健和会の環境問題への取り組み …………………………………………… 8
友の会だより
………………………………………………………………………………
10
友の会会員
読者のひろば
………………………………………………………………………………
11
20,013世帯
韓国旅行記①
………………………………………………………………………………
14
クイズでくいず・編集後記 ………………………………………………… 15
ささみの梅あんがらめ …………………………………………………………… 16
いつでも元気
1,863部
(2010 年5月末現在)
66
No.66
66
世界中の人々がニューヨーク・タイムズスクエアをパレード
長年、反核活
動を続けるピ
シオットさん
リバーサイド教会で平和の大合唱
健和会おさゆきリハビリテーション病院 看護師 平原 田美子
際行動デー﹂に参加し、首都ワシントンを
N Y での﹁ 核 兵 器 の な い 世 界 の た め の 国
か れ て 渡 米 し ま し た。私 が 参 加 し た の は
含 め 総 勢 千 六 百 人 余 り が、グ ル ー プ に 分
ニューヨークで行われた平和行動に参
加 す る た め、全 日 本 民 医 連 か ら の 代 表 を
を 世 界 か ら 集 ま っ た 核 廃 絶・平 和 な 世 界
た。N Y の 中 心 タ イ ム ズ ス ク エ ア の 通 り
して多くの方に受け取ってもらいまし
らお預かりした﹁折鶴﹂も、平和の使者と
止 め ご 協 力 を い た だ き ま し た。皆 さ ん か
交 え な が ら、そ れ で も 何 人 も の 方 が 足 を
の 署 名 活 動 を 行 い ま し た。片 言 の 英 語 を
訪問するコースでした。
を訴える一万五千人を超える仲間ととも
備 を 整 え て 渡 米 し た つ も り で い ま し た。
重 な お 話 を た く さ ん お 伺 い し て、心 の 準
や 核 廃 絶 に 取 り 組 ま れ て い る 方 々 の、貴
女 性 デ ー 小 倉 地 区 集 会 に 参 加 し て、平 和
水 協 学 校、そ し て 新 日 本 婦 人 の会・ 国 際
葉 と と も に、日 本 か ら の 署 名 を 含 め て 約
す﹂﹁核兵器禁止・廃絶条約を必ず﹂との言
に、﹁ こ れ は 私 た ち の 意 思 で あ り、希 望 で
ア ル テ 国 連 上 級 代表︵ 軍 縮 担 当 ︶の 両 氏
らカバクテュランNPT会議議長とドゥ
た。この列の先頭では、国際行動代表団か
に、国 連 本 部 ビ ル ま で を パ レ ー ド し ま し
し か し、強 く 平 和 を 願 い 集 ま っ て 来 ら れ
六百九十万筆の国際署名が手渡されたの
今 回 の 参 加 が 決 ま っ て か ら、全 日 本 民
医 連 の 決 起 集 会、九州・ 沖 縄 ブ ロ ッ ク 原
た 世 界 中 の 方 々 の、長 年 積 み 重 ね て き た
です。
うたごえ交流会に参加しました。
た、国 際 平 和 会 議 の 公 開 シ ン ポ ジ ウ ム と
五 月 三 日、い よ い よ N P T 再 検 討 会 議
が 開 会。私 は リ バ ー サ イ ド 教 会 で 行 わ れ
平和や核廃絶に
どっぷり浸かった一週間
取 り 組 み を 目 の 当 り に し て、あ ま り に も
未 熟 な 自 分 を 恥 ず か し く 思 う と と も に、
熱い信念を肌で感じました。
一万五千人の仲間と
六百九十万人の願いを届ける
五 月 二 日 の N Y は 気 温 二 十 八 度。グ
ループに分かれて市内の各所で﹁核廃絶﹂
2
山本さん(左)と平原さん(右)
ニューヨークで合流した
スミソニアン博物館に展示
されている広島に原爆を投
下したエノラゲイ
(B29)
■核兵器のない世界を!
健和会で集めた署名を届けました
世界中から集まった 690 万の署名
田上長崎市長、秋葉広島
市長も核廃絶を訴え
戻 っ た 今 が、私 に と っ て 平 和 へ の 願 い や
五 月 四 日、S E I U 一 一 九 九 で 行 わ れ 和 や 核 廃 絶 の 行 動 に ど っ ぷ り と 浸 か っ
た﹁ 核 兵 器 の な い 世 界 を 女 性 の 交 流 会 ﹂ た 一 週 間 で し た。帰 国 し て 日 頃 の 生 活 に
や
﹁ 医 療 福 祉 関 係 者 の つ ど い ﹂で も、市 民
ら な い と い う こ と を 実 感 し て い ま す。今
核廃絶の行動の始まりだと実感していま
五月五日にはワシントンに移動。﹁被爆
体 験 を 聞 く 集 会 ﹂で は 日 本 以 外 か ら の 参
回は皆さんの貴重なカンパのお陰で素晴
レベルでの平和をテーマにした熱い討論
加 者 の 方 も、原 爆 の 悲 惨 さ に 涙 し て お ら
ら し い 経 験 を さ せ て い た だ き ま し た。本
す。ひ と り で は 何 も で き な い か も し れ ま
れました。ホワイトハウス前で、たった一
当 に あ り が と う ご ざ い ま し た。こ れ か ら
せ ん が、一 人 ひ と り が 今 始 め な け れ ば な
人で長年反核行動を続けるピシオットさ
も平和について取り組んでいきたいと思
が続きました。
んとお会いしたことも感動的でした。
います。
コ ン サ ー ト へ の 参 加 や、医 療・福 祉 関 係
て は、署 名 活 動、パ レ ー ド、そ の 他 ピ ー ス
せ て い た だ き ま し た。具 体 的 な 活 動 と し
四月三十日から五月六日までの五泊七
日 で、N P T ニ ュ ー ヨ ー ク 行 動 に 参 加 さ
ら な い。﹂と 発 言 し ま し た。一 般 市 民 の 声
社会の熱意に私たちは応えなければな
ラ ン 氏 は﹁ 署 名 を 受 け 取 り ま し た。市 民
てN P T 再 検 討 会 議 議 長 の カ バ ク テ ュ
提出することができました。それを受け
ア メ リ カ と い う 異 空 間 に 身 を 置 き、平
はるか
者のつどい、青年のつどい、女性のつどい
もこうした大きな集団となり声を合わ
健和会京町病院 作業療法士 山本 陽香
と い っ た 各 分 科 会 に 参 加 し、多 く の 人 と
せることによって国際政治を動かす力
片言の英語で話す私たちに真剣に耳を傾
署 名 活 動 で は、最 初 は 英 語 で 話 し か け
る こ と に 対 し て 戸 惑 い が あ り ま し た が、
道からの応援も多く、とても温かい気持
人にもなったとの報告がありました。沿
レードでは、各国からの参加で総勢二万
九百六十万千三十七筆の署名を国連に
の交流をしてきました。
け て 下 さ る 方 も 多 く、広 島 や 長 崎 の こ と
ちになりました。
分科会では被爆者の方の話を聞くこ
被爆者の方々の思い
を持つということを強く感じました。パ
は、ほ と ん ど の 人 が 知 っ て い る と 答 え、
核兵器廃絶を願う署名をしてほしいと
伝えると、応じてくれました。それらの署
名と日本から持っていった分を合わせて
3
たくさんの方が署名に応じてくれました
(上が山本さん、下が平原さん)
ホワイトハウス前でアピール行動
志位共産党委員長も
パレードに参加
ないという非常に強い思いを話され
く人たちをこれ以上増やしてほしく
きてこられたことや同じ苦しみを抱
精 神 的・社 会 的 な 苦 し み を 抱 え て 生
とができたのですが、ひどく身体的・
の明るい未来を生むことが被爆者の
けて具体的な指標が作られるなど
に で き る だ け 早 く、核 兵 器 廃 絶 に 向
た 方 も 多 く い る 中 で、生 き て い る 間
で訴え続ける方や亡くなってしまっ
被 爆 者 の 方 が 高 齢 化 し、不 自 由 な 体
ことです。自分や家族、大切な人が核
と分かり合えるテーマであるという
て も 共 通 の 願 い と し て、世 界 の 人 々
いった願いは、国や宗教、思想を超え
今回の活動を通して感じたこと
は、核 兵 器 廃 絶 や 戦 争 を な く す と
今 回、こ の よ う な 貴 重 な 機 会 を 与
え て い た だ き、と て も い い 経 験 が で
す。
単に答えが出るはずだと私は思いま
す。自 分 の こ と と し て 考 え れ ば、簡
を受ける可能性を持つということで
を 持 つ と 思 い ま す。核 兵 器 が 存 在 す
ま し た。外 国 人 に も 伝 わ っ て い た と
方 々 に と っ て の 一 番 の 心 の 慰 め、償
兵器による被害を受けるということ
きました。深く感謝しています。
核廃絶は世界共通の願い
思 い ま す。苦 し み の 実 態 を 伝 え て 訴
い、に な る の で は な い か と 感 じ ま し
を 想 像 し た 時、誰 で も 必 ず 恐 怖 の 念
会 議 の 冒 頭 、 議 長 が﹁ 市 民 社 会
の熱意に応えねばならない。﹂と発
言。最終の合意では二千年の核廃
絶の明確な約束が再確認され核保
有国は十四年のNPT準備会に進
捗状況を報告する。十五年の会議
でそれを検討する。核廃絶の小委
員会の設立が求められること。ま
た、十二年に中東非核化の関係国
会議開催が合意されました。時期
が明示された最初の合意文書です。
様々な意見の対立を乗り越え十
年ぶりに国際的合意を実現し新た
な前進の一歩を踏み出したことを
歓迎します。
様々な意見の対立を
乗り越えた国際合意
んでしたが、大きな成果をあげま
し た 。 会 議 前 に 米・ ソ は 核 弾 頭 を
千五百五十発に削減する合意、英
国も上限を二百二十五発と公表し
ました。
る と い う こ と は、誰 で も が そ の 被 害
え る と い う、唯 一 の 被 爆 国 で あ る 日
た。
福岡県平和委員会
茂嘉
代表理事 塩塚
一九七〇年三月発効したNPT条約
︵日本は七十六年五月批准︶
は不 平 等 条
約との批判がありましたが、百九十カ
国が参加、条約の運用を五年ごとに確
認する再検討会議
が開かれ、二十五
年後の一九九五年
には無期限延長が
決められました。
二〇〇〇年には
新アジェンダ連合
の働きかけで﹁核保
有国を含む核廃絶
の明確な約束﹂
が確
認され世界の人々
に大きな希望を与
えました。ところ
が五年後の再検討
会議では超大国ア
メリカの横暴で国際合意は決裂、世界
の人を失望させました。
今年の第八回NPT再検討会議は
﹁廃止条約の交渉﹂
まで に は 至 り ま せ
ニューヨークでのパレード(中央:平原さん)
本 の 役 割 の 大 き さ も 感 じ ま し た し、
NPT再検討会議
十年ぶりの国際合意
核廃絶への
重要な一歩前進
に 合 意 す る こ と を よ び か け る 。﹂
平和行動が
要請 署 名 約 七 百 万 筆 を 携 え て
各国代表をあと押し
参加しました。世界中から結集
した核兵器廃絶を願う人々が約
五月三日から二十八日まで米国
ニューヨークで開かれた核兵器不拡
二万人、ニューヨークの国連本
散条約︵NPT︶再検討会議に向けた
部周辺にあふれ、会議参加の各
大行動に健和会からも職員の平原田
国代表を激励、会議の前進を後
美子さんと山本陽香さんが参加しま
押ししました。
した。ご苦労様でした。
核をなくすための人類の英知
今年の再検討会議は昨年四月プラ
ハ で の 米 オ バ マ 大 統 領 の﹁ 核 兵 器 の
大戦後の東西冷戦、核軍拡競
な い 世 界 を ﹂の演 説 以 来 、 新 し い 歴
争 で 米・ 英・ 仏・ ソ 連・ 中 国 の 五
史の流れの中で、世界中から大きな
カ国で数万発の核兵器が製造・保
期 待 が 寄 せ ら れ 、 日 本 か ら も 広 島・
有されました。これは全世界の
長崎の被爆者をはじめ各団体の代表
人 類・ 生 命 を 何 回 も 繰 り 返 し 壊 滅 さ せ
団 約 二 千 名 が﹁ 核 保 有 国 を は じ め す
得る量でした。
べての国の政府が速やかに核兵器禁
しかし、人類の英知はその事態から
止・ 廃 絶 条 約 の 交 渉 を 開 始 し 、 締 結
何とか抜け出す努力を続けました。
4
No.66
■核兵器のない世界を!
膝の痛み
膝の痛みはなぜ起こる
健 和 会 登 録 医和 田
文夫
わかります。総コレステロール値で
正常上限の219 を多くの人が越
大部分です。このコレステロールの
が、その事でコレステロールが上が
皆さん、骨を強くするために牛
乳、乳製品を摂る方が多いのです
乳製品もほどほどに
高値は、体質によるのではなく食事
り、脳梗塞、心筋梗塞など増えたり
え、正常範囲でも210前後の方が
による所が大きいようです。牛乳、
すると、意味がないという事になり
ケーキ、チョコレート、イタリアン
てもらわないと痛みがなかなかとれ
コレステロールが上がる食事も変え
私は、血流を増やすビタミンEな
どの薬を処方しますが、このような
ヨーグルト、チーズ、バターなどの
では、人工関節は?全く必要あり
ません。膝の痛みをコントロールで
パスタ、焼肉、唐揚げなどと聞いて
ます。
きないから、人工関節という結論が
いくと、どれかが当たります。
乳製品、ピーナッツ、マヨネーズ、
先に出てくるだけで、痛みが癒れ
ば、当然、人工関節は必要
整形外科には、膝の痛い方がよく
来られます。女性でご年配の方が多
いようです。ひどく痛そうに、顔を
ません。逆に言えば、食事もキチン
のではないでしょうか?
和田文夫先生のプロフィール
和田整形外科
院長
︵小倉北区京町二 七
- 八
- 小
倉 ビ ル6 F
電話 〇九三
五五一 三-九〇〇︶
健和会登録医
福岡県保険医協会理事
-
人のように膝の痛む人はいなかった
江戸時代には、ヨーグルトも焼肉
もありません。脚気を除けば、現代
となると、膝の痛みは癒ります。
ないという事になります。
ります。診察してみますと、膝の内
側を押えると痛いという方が多く、
ビタミンE摂取と
低コレステロール
では、膝の痛みはどうす
ればとれるのか?まず血
腫れはあまり強くない事が多いよう
院に行っても〝人工関節しかないで
流を増やすという事を考え
です。痛みの強い方は、﹁どこの病
すね〟と言われました。﹂との事。
す。プロスタグランジンの
液がサラサラになる薬も配
あり、しかも安全です。血
ような高価な薬より効果が
ると、ビタミンE が有効で
では、膝の関節は何故に痛く、何
故に人工関節を入れなければいけな
いのでしょうか?
結論を先に言います。膝の痛みは
膝の血流の低下を表わしています。
私は、膝痛の方に、よく
血液検査をしています。す
薬します。
や心筋梗塞で胸が痛いというのと同
ると大部分の方で、コレス
全身の動脈硬化症の症状の一つとし
じように、膝も血流が低下したから
テロールがかなり高い事が
て膝に痛みが現れたのです。狭心症
痛いのです。
5
しかめながら歩いて来られる方もお
アメリカ自然史博物館(ニューヨーク)
映画「ナイトミュージアム」の舞台になった
医療
雑感
20
松本清張文学散歩
りかえったこととしてとらえています
が、ここに出てくる小倉の城野キャン
プ︵補給所︶は、戦争中は日本帝国陸
軍の補給廠でしたが、戦後米軍が駐留
してからも補給所として使用されてい
ました。
米軍撤収後は、陸上自衛隊小倉駐
屯地城野分屯地として防衛庁︵現防衛
省︶の管理下にありましたが、平成
年︵二〇〇八︶三月三十一日付けをもっ
て、財務省に所管替えが行われました。
現在は、二万坪に及ぶ敷地内にあっ
たすべての建物︵兵舎ほか︶やプラッ
トホームがすべて取り壊され、
更地︵写
真①︶となり、往時の面影を残してい
るのは黒人兵が脱走した排水溝のみと
なっています。
︵写真②︶
清張はこの小説の映画化に強い執念
を燃やし、シナリオは勿論、霧プロダ
クションまで作りましたが、残念なが
ら今日まで日の目をみずにいます。
さらにこの小説は、沖縄の普天間問
題をどうとらえるか、政府の言う﹁抑
止力﹂云々がいかに詭弁であるかを見
事に見抜いている作品でもあると思い
ます。
写真②
黒人兵が脱走した排水溝
6
=
④ 黒地の絵
た事件で、この騒
写 真 ① 跡 形 も な く 取 り 姦します。な
シリ ー ズ
壊 さ れ た 旧 城 野 キ ャ ン すすべを失っ
動のとき、私もそ
プ。後方は公務員AP
の暴動地域の中に
た留吉は、黒
住んでいた。しか
人兵のうちの
し、黒人のこの暴
二人が胴など
動は、関係のない
に鷲と女性器
ところでは全然気
の刺青をして
がつかれずに、私
いるのを目に
清張の会 上 田
喜久雄
も翌朝になって事
焼き付けます。
実を聞いたような次第だった。新聞に
鎮圧部隊が出
梅雨空に思い出す
は小倉キャンプの司令官が遺憾の意を
動して脱走騒
梅雨空に祇園太鼓の音がひびく季節
表する意味の抽象的で簡単な発表を載
ぎ は 終 わ り、
となりました。
せただけで、事件の詳しい報道を一切
黒人兵は朝鮮
この頃になると思い出されるのが、
許
さ
れ
な
か
っ
た
。
ま
た
、
こ
の
短
い
公
式
半島の前線に
︵1950年
冒頭から緊迫した外電︽
発表も北九州地区の新聞に載っただけ
送 ら れ ま す。
六月 ワシントン特電二十八日発AP︶
で
、
全
国
的
に
は
報
ら
さ
れ
な
か
っ
た
。
こ
戦況は北朝鮮
米国防省は二十八日韓国の首都京城が
れを書くため小倉に戻って、当時の人
が優勢で、小倉キャンプには次々に戦
陥落したことを確認した。
︵ワシントン
たちの話を聞いたが、被害の届け出が
死体が搬送され、
基地内のAGRS︵死
三十日発UP︶目下帰米中のマックアー
少
な
か
っ
た
の
と
、
占
領
下
だ
っ
た
た
め
に
、
体処理班︶で死体識別作業をしていた
サー元帥副官ハフ大佐は三十日国防省
現在でもよく分かっていない。
︾を、清
歯科医の香坂二郎は、同じ電車で通勤
で次のように語った。四万の米軍が朝
張一流の﹁虚﹂と﹁実﹂を綯交ぜにし
する一人の駐留軍労務者前野留吉に注
鮮に派遣されるだろう。それは日本駐
た
異
色
作
で
す
。
意を引かれます。前野留吉と名乗るそ
在の第一騎兵師団一万と総司令部直轄
の男は、なぜか黒人兵の死体の刺青に
あらすじ
部隊三万である。
︵大田特電七月一日発
興味を持っており、ある日香坂は、前
UP︶韓国に派遣された米軍部隊は一
あ ら す じ は、
﹁昭和二十五年
野がある死体の刺青を解剖用ナイフで
日午後大田に到着した。さらに後続部 ︵一九五〇︶七月十一日の夜、祇園祭
切り刻んでいる場面を目撃します﹂で
隊も輸送途上にあるものとみられてい
を
翌
日
に
控
え
て
町
中
に
太
鼓
の
音
が
響
終わっていますが、まさに鬼気迫る描
︵新潮 ・ くなか、小倉キャンプから黒人兵約
る。
︾で始まる﹁黒地の絵﹂
写です。
3∼4︶です。
二五〇名が集団脱走し、付近の民家に
清張自身が映画化を望んだが
押し入って略奪や暴行を働きます。そ 実話をもとにした作品
清 張 は、 黒 人 兵 の 脱 走 を、 数 日 後
の被害者のひとり、炭坑事務員前野留
には朝鮮に送られる絶望と恐怖、さら
吉の家では、六人の兵士が台所から焼
には抑圧された衝動とが太鼓の音に撹
酎を持ち出して飲んだあと、押入れに
拌され、黒人特有の狩猟的な血がたぎ
隠れていた妻芳子を引きずり出して輪
58
この小説は、
清張自身が全集︵三十七
巻︶のあとがきで書いているように、
︽朝鮮戦争中に実際に九州小倉で起こっ
66
の上映︶など楽しく入院生活が送れ
日 の 公 園 散 歩、 五 月 の 誕 生 会︵ 影 絵
年 会︵ 大 正 琴 の 演 奏 ︶、 四 月 の 晴 れ た
り︵ ス イ カ 割 り 大 会、 花 火 大 会 ︶、 新
供 達 の フ ラ ダ ン ス シ ョ ー︶、 病 棟 夏 祭
ア活動を利用し、クリスマス会に︵子
ています。
好になり職場の雰囲気が明るくなっ
気 が 流 れ、 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン が 良
も自分も喜びを感じる事で楽しい空
生 会・ ビ ン ゴ ゲ ー ム な ど 行 い、 相 手
成、 歓 送 迎 会 も ほ ぼ 全 員 参 加 で、 誕
異 動・ 結 婚 式 に は D V D・ 色 紙 を 作
レクリエーションに対して患者さ
ん ご 家 族 か ら も、﹁ 空 気 が お い し い ﹂
生き生きとした職場作りの一つと
し て〝 F is h 〟 哲 学 を 取 り 入 れ
な事をしてもらって音が聞こえるだ
れいにしてもらって﹂﹁最近はいろん
﹁気分がはればれするね﹂﹁いつもき
職員一人ひとりが元気に明るくを
けでも嬉しいです﹂という声もあり、
職員でFis h を
るよう日々がんばっています。
おさゆきリハビリテーション病院2病棟
患者さんと共に笑顔になれる病棟を
看護科の理念
2病棟は医療療養型病棟で、看護師
︵十四名︶ケアワーカー
︵十三名︶パー
ト
︵二名︶の職員で、
﹁看護・介護の倫
理観を高め患者の人権を守り、患者の
立場に立つ、質の高い看護・介護を提
供しましょう。看護・介護職員の協働
モ ッ ト ー に、 サ ー ビ ス 向 上 委 員 会 の
ス ロ ー ガ ン コ ン ク ー ル で は、 病 棟 で 又、 明
「 るい病棟に入院してよかった
も コ ン ク ー ル を 実 施 し 表 彰、 同 僚 の です と
」 感謝の言葉がきかれます。
日 々、 患 者 さ ん と 共 に、 キ ラ ッ と
輝ける笑顔の職場です。
︵ 2病棟
師長
松本
真由美 ︶
Fis h哲学とは
﹁Fish哲学﹂とは、アメリカのシ
アトルにある魚市場で生まれた哲学
で、市場のオーナーと従業員が﹁世界
的に有名な魚市場を目指そう﹂と決心
し、1・仕事を楽しむ、2・人を喜ば
せる、3・注意を向ける、4・態度を
選ぶの4つの﹁Fish哲学﹂が考え
られ、やがて職場が活気づき、今では
大変有名になったそうです。
7
をすすめ、元気にいきいきと働ける職
場をつくりましょう﹂という当院看護
科の理念のもと五十四名の患者さんの
看護・介護をしています。
レクリエーションの充実
生活にメリハリを考え、昨年度から、
レクリエーションに力を入れていま
す。 病 室 の 入 り 口 に は、 四 季 を 考 え
毎 月 の 飾 り、 詰 所 前 に は 誕 生 月 の 患
者さんの写真の掲示、又、ボランティ
晴れた日におさゆき中央公園へ散歩
病棟新年会に大正琴の演奏
長 期 入 院 患 者・ 寝 た き り 患 者 さ ん
が 多 い た め、 単 調 に な り が ち な 入 院
全員参加の歓送迎会
ら に 課 し、 八 月 末 ま で に I
部審査機関による認証を自
-0.4 (年)
保育所 デイサービス 在宅ケアセンター
健和会は、おさゆき病院の移転や、高齢者優良賃貸住宅の建設を含めた第四次中長期計画を
策定し、今、実現に向けて準備を始めています。みなさんのご支援をよろしくお願いします。
基金は 3 年満期で無利息です。
申し出がない場合は自動的に更新します。
●お申し込みは… 各病院・診療所窓口まで
イメージ図です
体育館
国際環境基準
ISO14001 取得をめざして
開始しました。
づいて四月から取り組みを
健和会は環境問題に積極的に取り組みます
も ち ろ ん、 個 人 や 民 間 の 事
健和会理事会で確認した
SO14001という国際
業所も環境問題を意識して
し、 四 月 一 日 か ら 本 格 的 に
﹁ 環 境 宣 言 ﹂ は、 ① 事 業 活
基準に基づいた審査を受け
おさゆきリハビリテーション病院
財団法人健和会はこのほ
環境問題への取り組みを開
動がもたらす環境への影響
ることにしています。
ど、 法 人 と し て 環 境 問 題 に
さ ら に、 こ の 取 り 組 み を
始しました。
を 常 に 意 識 し、 環 境 へ の 負
各事業所で環境問題への
活動することが求められま
地 球 温 暖 化 現 象 が、 世 界
荷ができるだけ小さくなる
取り組みを中心になって担
積極的に取り組むことを規
の 生 産・ 経 済 活 動 が 急 激 に
ように努める②人々が安心
う﹁ 内 部 監 査 員 ﹂ の 活 動 が
0.0 8
形 骸 化 さ せ な い た め に、 外
進 展 す る 中 で、 深 刻 化 し て
して暮らせる環境づくりの
大きなポイントとなります
0.2 (上限は、お一人 500 万円まで)
増額・減額は随時できます。
す。
き て い ま す が、 こ れ を 緩 和
社会的諸活動
が、 三 月 十 五 日、 十 六 日、
環境問題を正しく管理し
にとりくむ︱
て い く た め に は、 内 部 の 努
三十日に﹁内部監査員研修﹂
す。 こ の﹁ 宣
力 の ほ か に、 外 部 か ら の 情
︱ことを内外
言﹂に基づ
報 提 供、 率 直 な 意 見 の 表 明
を 行 い、 合 計 二 百 四 十 七 人
き、 各 事 業 所
が 不 可 欠 で す。 各 事 業 所 の
に約束すると
での環境管理
活動について環境面で問題
が修了しました。
の仕組みを定
がありましたら率直にご指
め た﹁ 環 境 マ
ニュアル﹂な
摘下さい。
︵健和会ISO事務局︶
ど一連の方針
文書を作成
し、 こ れ に 基
基金は1口、1,000 円で、何口でも応募できます
協同
基金
た め、 地 域 の 人 々 と と も に
0.4 大手町病院
新築・移転
高齢者優良賃貸住宅
保健・医療・介護・福祉の総合的なサービスモデル
健和会の医療活動充実のために
定 し た﹁ 環 境 宣 言 ﹂ を 確 認
-0.2 す る た め に は、 公 の 機 関 は
(℃)
0.6 健和看護学院
職員寮
ますますの
ご協力を
お願いします
いうもので
1900
1920
1940
1960
1980
2000
※気温は1981∼1990年の平均からの気温の偏差値を
表す 出典)IPCC第3次評価報告書
1880
1860
「友の会」の会員の方から募集します。
協同基金のご案内
66
国保料の引き下げ運動
北九州市
の高すぎる国
保料を引き下
げさせるため
看護職場 の改善を
私たちの願いです
から三十日ま
に、四月一日
の会の署名活動を行い、六九四筆の署名を集
健和会から三十三名の参加でナースウェーブ
五月八日の五月晴れのリバーウォーク前で
ナースウェーブの会署名活動
での一ヶ月間
北九州の看護の仲間とともに買い物客で賑
めることが出来ました。
対して、直接
わう土曜日の午後、多くの若者やベビーカー
北九州市長に
請求署名をと
め快く署名に協力していただきました。それ
りくみました。 を 押 す 家 族 連 れ な ど が 私 た ち の 訴 え に 足 を 止
私たちは、こ
のもとに運ば
くさんの人々
の思いは、た
配られた色とりどりの風船とともに私たち
ど看護職員の労働環境の改善を訴えました。
職員配置基準の引き上げや夜勤日数の規制な
が、声高らかに看護職員確保法の改正、看護
名行動を盛り上げました。健和会からは五名
の一ヶ月間で、 ぞれの病院からも街頭宣伝行動に参加し、署
市内有権者から十一万七一五七筆の署名を集め
ることができました。六月八日に北九州市長に
この署名を渡しました。北九州市は市議会で審
議することになります。
一九年前にも同様のとりくみをしました。そ
の時市議会は、市民の願いを聞き入れることな
く否決しましたが、数ヵ月後には国保料の引下
げをすることになりました。今回もしっかり注
視しましょう。
私たちの3つの要求
一 ・北 九 州 市 の 国 保 条 例 第 一 条 に﹁ 社 会
保障制度﹂であることを明記する。
二 ・一 世 帯 平 均 三 万 円 の 保 険 料 を 引 き 下
げる。
三 ・保 険 料 と 窓 口 一 部 負 担 金 の 減 免 制 度
を改善する。
いです。
が私たちの願
ら・・・ そ れ
顔でいたいか
た。 い つ も 笑
れてゆきまし
リバーウォーク前にて訴える
京町病院 西総師長
㈶健和会・第二四期役員
財団法人健和会は五月二十九日に第七九
回評議員会を開催し、第二四期役員を選出
しました︵五十音順・敬称略︶。
︵新︶
菅野
慎一
田 中 信 而 ︵再︶
︵再︶
谷原
勝義
中島
宏 ︵再︶
︵再︶
西
節代
︵再︶
藤丸
啓一
︵新︶
前田
和彦
山 本 規 美 子 ︵再︶
吉 野 興 一 郎 ︵新︶
︵再︶
西中
徳治
前 田 真 理 子 ︵新︶
増 田 裕 幸 ︵再︶
︵再︶
光廣
眞
︵再︶
村本
則行
︻理事長︼
三宅
昌 ︵再︶
︻副理事長︼
大脇
為常 ︵再︶
二見 哲夫 ︵再︶
︻専務理事︼
山内
正人 ︵再︶
︻副専務理事︼ 平嶋 良次 ︵再︶
︻常任理事︼
天 野 ま ち の ︵再︶ 有光
信 恵 ︵再︶ 稲津
征 雄 ︵新︶ 岡崎
健 ︵再︶ 緒方
昌 代 ︵新︶ 加 藤 は る か ︵再︶ 川 上 公 美 子 ︵新︶ 河野
孝 子 ︵新︶ 後藤
厚 司 ︵再︶ ︵再︶ 洗川
和也
︵再︶ 伊藤
淳一
︵新︶ 小野瀬英明
︵新︶ 長野美智子
︵再︶ 築島
直紀
︻理事︼
︻常勤幹事︼
︵再︶
阿比留幸子
︻非常勤幹事︼
江 水 壽 美 江 ︵再︶ 諸 岡 昭 三 郎 ︵再︶
田中
照 二 ︵再︶ 渡 邉
榮 子 ︵再︶
日坂
隆 ︵再︶
9
国保署名を選管に提出
66
小倉南健康友の会
小倉・西八幡健康友の会
江口 道 子 さんを 議 長に推
去る五月
二 十 九 日 に 富 薦し、平成二十一年度活
士 見 ホ ールで、 動報告、収支報告、平成
健 康 友 の 会の 総 会 が 開 か 二 十 二 年 度 活 動 方 針 の 発
れました。最初に谷原会 表があり、最後に新役員
長、 高 瀬 菜 穂 子 前 県 議、 の紹介で無事総会が終了
渡辺義雄︵北九州健康友 しました。
﹁噺の会﹂山椒
の会連合会副会長等の挨 休憩後、
拶があり、その中で、菅 屋小粒さんの落語﹁笑っ
野真一おさゆきリハビリ て 泣 い て 健 康 な 人 生 学 ﹂
テ ー シ ョ ン 病 院 院 長 か を楽しみました。本当に
ら、二年後に健和会本部 笑うことは健康にとても
の隣接地におさゆき病院 良いことだと思いました。
は移転すること、そして その後美味しい弁当を
病床数を一〇八床増やし 頂き楽しい一日を過ごす
三二九床にして、リハビ ことができました。
リ専門にするとのことが ︵美濃部
勝︶
報告されました。その後
昼食会場にて記念撮影
テント前には
行列が
楽しい昼食(西八幡)
六月五日︵土︶∼六
日︵日︶に夜宮公園で
行われた菖蒲まつりに
て、友の会と戸畑けん
わ病院職員共同の青
空健康チェックを開催
しました。まつりの賑
やかさと相まって、健
康 チ ェ ッ ク も 大 盛 況、
五七〇名の方が受けら
れ、二名の友の会入会
た催しとなりました。
骨 密 度 と 血 液 がありました。地域の
サ ラ サ ラ 度 の 健康づくりに一役かっ
チェック
各健康友の会会長紹介
健
篤子
勝義
久代
征雄
田 中 信 而
北九州健康友の会連合会
小倉健康友の会
稲津
若戸健康友の会
宮崎
小倉南健康友の会
谷原
京築健康友の会
後藤
東八幡健康友の会
孝子
啓一
岡崎
西八幡健康友の会
藤丸
門司健康友の会
河野
10
菖蒲まつりで
青空健康チェ
ック
若松・戸畑健康友の会
で、そして温泉入浴。今
六月六日・二十日、二 の 会 恒 例のバスハイ ク、
回に分けて、小倉健康友 今 年 は 六 月 六 日 八 十 五 回は時間をゆっくりとっ 西八幡健康友の会も
名、六月二〇日八十八名 たので皆さんのんびりと
また同日、西八幡健康友の会もバス二
が熊本県山鹿温泉の日 過ごすことができまし
台、八十六名の
帰 り 旅 行 を 楽 し み ま し た。温泉に入らない人た
参加で佐賀県
た。 午 前 中 は 山 鹿 灯 篭 ち は 国 指 定 重 要 文 化 財
唐津の日帰り
記 念 館 見 学 と 酒 蔵 見 学 の芝居小屋﹁八千 代 座﹂
旅行に行ってき
でした。豊前街道沿いに を 見 学、 六 日 は 興 行 が
ました。
あ り、 歴 史 あ る 建 物 が 行なわれていなかったこ
それぞれが晴
多 く 見 られる所でした。 と も あ り、 建 物 の 中 も
天に恵まれ、初
昼食前の酒蔵では、日本 見学できました。帰りは
夏の日差しが心
酒、 焼 酎、 甘 酒 な ど の 道の駅で買い物 をして、
地よいバスハイ
試 飲 も あ り、 皆 さ ん ホ 無 事 予 定 ど お り 帰 っ て
クになりまし
ロ酔い気分でした。お楽 くることができました。
た。
しみのお昼ご飯はホテル
第16回総会にて 楽しいひととき
晴天に恵まれた日帰りバスハイク
◆天引き始まる
◆夢は大きく
八幡西区
永沼 和子
玉葱の苗を五〇本程買って初
め て 植 え て み ま し た。 わ り と 簡
単 で、 す く す く 育 っ て い ま す。
サラダにカレーにチャーハンに
期 待 し て い る の で、 元 気 に 丸 々
太ってネ!
◆入りたくない年齢
戸畑区
唐川 勉
門司区
安藤 昭雄
私は今年七十九歳になります。
五∼六年前から二型糖尿病です。
後期高齢者医療制度を廃止で
発症した時は、合併症も進行し、 は な く、 四 年 後 へ 先 送 り。
﹁姥
両下肢閉塞性動脈硬化症と診断
捨 て 山 ﹂ へ の﹁ 入 山 年 齢 ﹂ を
さ れ ま し た。 壊 死 を 起 こ し 左 足
六十五歳に引き下げようと考え
の 指 三 本 を 失 い ま し た。 自 身 の
て い る。 私 は 前 期 高 齢 者 で す。
不 摂 生 か ら 身 障 者 に な り、 今 は
鳩 山 首 相 に 一 言。 こ の 山 に は 入
亡き両親に申し訳なくて隠れて
山 し た く あ り ま せ ん。 今 す ぐ こ
◆糖尿病は怖くて厄介
泣 き ま し た。 毎 日 リ ハ ビ リ の た
証拠。アニメの﹁ちびまる子ちゃ
う 名 前 で す。 近 日 中、 共 産 党 の
め 歩 行 訓 練 で す。 こ れ を 怠 る と
志 位 さ ん が 訪 米 な さ る と の 事。 ん ﹂ の お じ い ち ゃ ん の と も ぞ う
又 々 足 の 先 か ら 腐 る の で す。 網
さ ん そ っ く り! ク イ ズ に 当 た っ
ぜひがんばって行って来て下さ
膜 症 も あ り ま す。 朝 目 覚 め る と
たら、
﹁ちびまる子ちゃん﹂の本
い。
真 っ 暗 闇。 思 っ た だ け で も 身 震
を父に買ってやりたーい。
◆なんじゃもんじゃ
い し ま す。 糖 尿 病 は 本 当 に 怖 い
◆野菜の苗を
戸畑区
藤野 千鶴子
厄 介 な 病 気 で す。 血 糖 値 の コ ン
小倉南区
安永 アツ子
トロールには真面目に対処しま
戸 畑 夜 宮 公 園 の 前 の 通 り に、
しょう。
な ん じ ゃ も ん じ ゃ︵ ヒ ト ツ バ タ
五月の連休にいろいろな野菜
ゴ ︶ の 真 白 い 花 が 咲 き ま し た。 の 苗 を 植 え ま し た。 育 っ て い く
◆孫の代になると
その木の下にはピンクのつつじ
のが楽しみです。
若松区
福井 久
の 花 が 一 杯。 車 イ ス の 母 と 一 緒
に 見 た こ と を 思 い 出 し ま し た。 ◆鍵の閉じこみ
終戦後、憲法が施行された時、
戸畑区
中野 和男
島 原 で は、 山 一 面 が こ の 花 で 覆
﹁
憲法のはなし﹂という小冊子が
わ れ て い て、 そ れ は す ば ら し い
小 学 生 に も 配 ら れ、 高 く 評 価 さ
春休みを利用して孫をつれて
眺めでした。
阿蘇のファームランドに行った。 れ、 私 た ち の 国 は す ば ら し い と
喜 び あ い ま し た。 総 理 大 臣 が 孫
着いてまもなく孫が車に忘れ物
◆タダでも とらん!
し た と 言 う の で、 鍵 を 渡 し た。 の 代 に な る と、 憲 法 は 何 か 邪 魔
者 み た い な 扱 わ れ 方。 世 の 中 お
も ど っ て 来 る な り﹁ 鍵 を 閉 じ こ
かしい。
め た ﹂ と 言 う。 セ ン サ ー 付 き の
鍵 な の で 予 備 が な い。 早 速J A
◆丸々太ってネ!
F に 電 話 し、 一 時 間 ぐ ら い で 隊
員 が や っ て 来 た。 事 情 を 話 す と
隊 員 は 一m ぐ ら い の 固 い ハ リ ガ
ネ で ド ア を 開 け た。 さ す が に プ
ロ。 車 を 運 転 す る 方 は、 合 鍵 は
もちろん入会していない方はぜ
ひJ AFに。安心しますよ。
◆おじまる子
水巻町
江上 淑子
﹁あなたの遺品を誰かにお金
を出させてまで処分させる迷惑
を か け る つ も り で す か? 年 齢 に
関係なく常にシンプル生活を⋮﹂
と 本 に 書 か れ て い た。 昨 日、 子
無しの叔父がお金にあかして購
入 し 大 切 に し て い た 莫 大 な? 遺
品 の 中 か らK 焼 き の 大 皿 を 古 物
商に持参したら、
﹁本物で無傷だ
が、 タ ダ で も と ら ん!﹂ と。 妙
に納得。
64
11
門司区
美浦 憲司
赤 池 の 祖 母 か ら﹁ 悠 真 が ホ ー
ムラン打ったバイ﹂と興奮した
電 話 が か か っ て き た。 孫 は 小 学
三年の時からレギュラーだった。
守備は上手いが打撃は体力不足
と 言 わ れ て い た の で、 そ の 分 嬉
し か っ た の だ ろ う。 四 年 生 に な
り体力がついたのか最近ではし
ば し ば 長 打 も 打 っ て い た。 夢 は
大きく、
﹁将来はホークスの選手
に な る ﹂ そ う だ。 見 込 み 十 分 有
望 と 話 し 合 っ て い る。 今﹁ ジ ジ
ばか﹂
﹁ババばか﹂
﹁親ばか﹂の
合計六人が応援団になっている。
次の試合には必ず応援に行こう
と思っている。
◆スクスクと
◆私の弟も
門司区
山形 玲子
小倉北区
白井 武 博
昨年十二月に引っ越して来ま
し た。 娘 の 家 ま で 歩 い て 十 分 位
介護保険料の年金からの天引
な の で、 週 二、三 回 手 伝 い︵ 子
き が 始 ま り ま し た。 た っ た 一 枚
守り︶に行くのに便利になり楽
四月の年金より天引きされまし
に な り ま し た。 妊 娠 中 は 絶 対 安
た。 同 じ 納 め る に し て も、 イ ヤ
静の状態が続き心配しましたが、
な 気 分 で す。 マ ス コ ミ も、 今 回
無 事 元 気 な 赤 ち ゃ ん が 生 ま れ、
は慣れたせいか何の報道もあり
と て も う れ し く 思 っ て い ま す。
ま せ ん。 年 は 取 り た く な い 世 の
スクスクと育ってほしいです。
中になってきたと感じる昨今で
す。
投稿文字数は200字以内でお願いします。
水巻町
江上 ゆかり
◆すいかだいすき
門司区
上田 キヨ子
小 三 の 娘。 七 十 七 歳 の 私 の 父
小倉南区
松尾 智晴
を﹁おじまる子ー﹂と叫びつつ、
い つ も﹁ ぱ ー と な ー﹂ が 来 る
頭 を ナ デ ナ デ か わ い が る? 周 り
の を 楽 し み に し て い ま す。 第
よ う ち え ん、 が ん ば り ま す。
の 人 は 大 笑 い。 し か し、 父 は な
回 の ク イ ズ の 二 番 の 問 題、 私 の
すいかだいすきです。
ん の こ と や ら と い う 顔。 ま る 子
三番目の弟も第一回の憲法記念
を知らないなんて娘と遊ばない
日に生まれたので、
﹁憲一﹂とい
♪読者のひろば♪
の医療制度を廃止して下さい。
!!
に上手になりますョ。
◆元気を取り戻して
◆米軍基地撤廃に向けて
に玄関をつくる会﹂で火野葦平
の愛した洞海湾クルーズに参加
し ま し た。 若 松 商 業 高 校 オ リ ジ
ナ ル﹁Kappa 弁 当 ﹂ を 食 し な
がらの快適なひとときでした。
若松区
藤 井 美智子
十 六 日 の 夜、 お 米 を 洗 っ て 研
ぎ汁を植木にやろうと外に出る
と、 西 の 空 に き れ い な 三 日 月。
12
◆参院選に向けて
?!
◆メジロが
行橋市
土屋 美穂子
我家の庭に二∼三日前からメ
ジ ロ が く る よ う に な り ま し た。
あ ま り に も 可 愛 い の で、 ミ カ ン
を串に刺し庭木のところにおい
て や り ま し た。 見 て い る と ミ カ
ンをおいしそうについばんでい
ま す。 我 家 に 来 る メ ジ ロ は 鳥 の
世界で私のように美人で性格の
よ い ス タ イ ル 抜 群 な の か し ら?
︵他人は言ってくれないので自分
でいいます。
︶早く子供を連れて
く る の を 楽 し み に し て い ま す。
ごちそうさま
行橋市
土屋 俊次
第 回のクイズ問題で一問だ
け 解 け な い の が あ り、 図 書 館 に
行 っ て あ れ こ れ 調 べ ま し た が、
解けません。
期限が迫ってきたので当て
ずっぽで答えを出す事にしまし
た。 当 た っ て い る 事 を 祈 る の み
です。
◆当てずっぽで
!!
◆三日月の真上に
64
◆フライパンひとつで
!!
小倉南区
美濃部 勝
豊後高田市
尾鶴 勝子
小倉北区
和田 隆子
門司区
モモのバア
先 日、 行 橋 で あ っ た 宜 野 湾 市
自民・民主両党や新党がそろっ
長・ 伊 波 洋 一 氏 の 講 演 会 に 行 き
て 消 費 税 増 税 と 法 人 税 減 税 を 参 も う す ぐ 父 の 三 回 忌。 父 の 死
第 回のクイズの正解率はか
ま し た。 市 長 に よ る と、 沖 縄 の
後、 母 は 無 表 情 で 口 数 も 少 な く
院選の公約に盛り込もうとして
な り 低 め で し た ね。 第 回 は 不
なり、周囲に心配をかけました。 基 地 を 県 外 へ 移 し て も 米 軍 基 地
安な箇所が一つだけありますが、 い ま す。 こ れ ら の 党 が 消 費 税 増
を拡散するだけで沖縄の負担は
そんな母がデイサービスを利用
税 に 頼 る の は、 ア メ リ カ 軍 へ の
全問正解を祈ってます。十六ペー
変 わ ら な い と の こ と。 ま た 沖 縄
す る よ う に な っ て 五 ヶ 月。 笑 う
ジ の フ ラ イ パ ン ひ と つ の ク ッ キ ﹁思いやり予算﹂を含めた軍事費
の人口が増え環境問題に対する
よ う に な り、 徐 々 に 元 気 を 取 り
と 大 企 業 へ の 優 遇 税 制 の﹁ 二 つ
ングは手軽で便利ですネ。バター
意識が高まったために米軍が行
戻 し て き ま し た。 週 に 一 度 だ け
の聖域﹂にメスを入れられない
し ょ う ゆ 味 は 大 好 き で す が、 ト
う 訓 練 に 制 約 が あ る こ と。 最 も
な の で す が、 通 う の が 母 の 楽 し
か ら だ と 知 り ま し た。 消 費 税 増
マトを炒めて食べるというのが
大 き な 理 由 は、 日 本 国 内 で は 米
み に な っ て い る よ う で す。 ︱ と
税 は 消 費 を 冷 え 込 ま せ、 不 況 を
少 し ニ ガ テ で す。 缶 詰 の ホ ー
軍及びその他の同盟外国軍との
い う 訳 で、 お 父 さ ん、 安 心 し て
いっそう深刻にすることは目に
ルトマトをつぶして作るトマト
合 同 訓 練 が 出 来 な い こ と︵ 日 米
く だ さ い ネ! 三 回 忌 は、 お 母 さ
見 え て い ま す。 こ れ ら の 党 に 手
ソースは全く大丈夫なのですが
安保条約の欠陥︶
。今こそ沖縄か
ん が﹁ お 父 さ ん の 誕 生 日 に し た
厳しい審判を下さなければと心
⋮。
い ﹂ と 言 う の で、 そ う し ま す。 ら 米 軍 の 完 全 撤 廃 を さ せ る 好 機
に 誓 っ て、 参 院 選 頑 張 り ま し ょ
◆いつまでも元気で
だ と 思 い ま し た。 鳩 山 首 相 は ア
八
十
七
歳
オ
メ
デ
ト
ウ
う
。
若松区
桑本 ユキコ
メリカに対して毅然とした態度
◆方向音痴が遺伝して?
◆薬だけは増えて
で基地撤廃を主張すべきです。
私 は お 陰 様 で 八 十 六 歳、 来 年
戸
畑
区
唐
川
良
子
八幡東区
伊勢 薫
は米寿のお祝い ボケないでい
◆なかなか大変
私の孫は長男の娘一人だけで
つまでも元気でいたいと思いま
薬瓶 見事に並ぶ 敬老会
戸畑区
松本 彩子
す。 長 女 は 結 婚 が 遅 か っ た の で
す。
子 宝 に は 恵 ま れ ま せ ん で し た。
四月からパートを始めました。
先 日、 昔 の 職 場 の お 友 達 の 下 歳 を 重 ね る た び に 薬 だ け は 増
な ん と も 淋 し い 限 り で す。 そ の
育 児・ 家 事・ 仕 事 と な か な か 大
津 絹 子 さ ん を お 訪 ね し て、 昔 話
え て ゆ き ま す。 何 人 か 集 ま る と
一粒種の孫娘も来年には成人致
変 で す。 ま あ、 も と か ら 完 ぺ き
に 花 が 咲 き、 あ っ と い う 間 に 二
私の方が多いの少ないのと話が
します。今、自動車教習所に通っ
ではないのですけどね︵笑︶
。
時 間 が 過 ぎ ま し た。 昔 の 友 達 は
広 が っ て ⋮。 で も、 そ う 言 っ て
い い な あ と 思 い ま し た。 現 在、 い る 内 は ま だ ま だ 元 気 な 証 拠。 て い る の で す が、 私 の 血 を 受 け
◆うれしかった
若戸友の会の幹事をしています。 こ の 夏、 ま た ひ と つ 薬 が 増 え、 継 い だ の か 方 向 音 痴 が 激 し く、
八幡西区
シュンちゃんママ
東 も 西 も 全 く わ か り ま せ ん。 路
毎月第四週の月曜日は十二時∼
ま た 話 が 深 く な る か し ら。 ウ フ
上運転で私宅の近くを走ってい
三 時 半 ま で 若 松 明 治 町 の﹁ ど っ
フ⋮
図書券ゲットできてうれし
て も 分 か っ て い な い よ う で す。 か っ た で す。 あ り が と う ご ざ い
こ い し ょ﹂ で 健 診 を し て お り、
無事に免許を取得しても本当に
ました。
お 手 伝 い さ せ て 頂 い て い ま す。 ◆うぐいすの美声で
下関市
三村 寿江
運 転 で き る 事 や ら。 今 か ら 心 配
みなさんのお越しをお待ちして
◆洞海湾クルーズ
で す。 私 は 暫 く は 孫 の 車 に は 乗
います。年金組合にも入って色々
うぐいすの美しい声で目がさ
若松区
宮 﨑 惣六
らないと思います。⋮
参加すると楽しいですよ。
め る と い う 様 な 毎 日 で す。 だ ん
、緑映えるすが
だん鳴き声も美しく上手になっ
五月九日︵日︶
すがしいさわやかな季節。
﹁若松
て き ま す。 七 月、 八 月 頃 は 最 高
64
66
63
その真上にキラキラ光る星。
﹁わ
あ、 す ご い、 何 の 星?﹂ 次 の 日
の 新 聞 に﹁ 大 接 近 天 文 シ ョ ー﹂
と あ り、 宵 の 明 星 の 金 星 と 月 の
写 真 が 載 っ て い ま し た。 偶 然 み
た金星。運が良かったなあと思っ
ています。
◆どうかな?
行橋市
菜の花バーバ
図書券が当たったらクロス
ワ ー ド の 本 を 買 い た い で す。 今
回はどうかな?
8
み の 藤 川 靖 子 さ ん、 い つ 会 っ て
も 優 し い 方 で す。 ず っ と 元 気 で
ね
◆千三百年祭
小倉南区
西村 弘嗣
四年前から年一回は家族キャ
ンプに行くのが恒例だったのだ
が、 今 年 は 息 子 の 提 案 で 京 都 と
奈 良﹁ 平 城 京 遷 都 千 三 百 年 祭 ﹂
の 散 策 に 変 え た。 G W は さ す が
に ど こ も 人 で あ ふ れ て い た。 今
では結婚してそれぞれ各地で暮
らす三組の子供夫婦や二人の孫
ら と 旅 先 で 元 気 に 再 会 で き、 二
都の楽しい思い出が一ページ増
えた。
◆院展に行きました
元気印
ラン作家から若手作家まで大作
◆ご注意を
の 絵 ば か り で、 時 節 柄﹁ 桜 ﹂ が
八幡西区
﨑野 恵美
何 点 か あ り ま し た が、 桜 の 花 び
ら葉っぱまで一ひら一ひら繊細
先 日 の 昼 間、 隣 の 家 に 空 き 巣
に描かれていて実に圧倒されま
がガラスを割って入ろうとした
!!
と は 良 い こ と と 思 っ て ま す。 こ
れからもチャレンジしていきま
すよ
◆驚きでした
つくば市
太田 フジ子
し た。 又、 特 に 昨 年 十 二 月 に 亡
が 未 遂 に 終 わ り ま し た。 鍵 を 二
くなられた平山郁夫先生の最後
重に取り付けてたのが良かった
文 学 散 歩、 清 張 の﹃ 或 る﹁ 小
の 出 品 作﹁ カ ッ パ ド キ ア ﹂ に 出
そ う で す。 物 騒 な 世 の 中 で す。 倉日記﹂伝﹄
、なつかしく読みま
会えた事は本当にラッキーで感
十分注意をしましょう。
し た。 朝 日 新 聞 時 代 の 清 張 を 知
動しました。
る 方 が、 近 く に い ら っ し ゃ る こ
◆これからもチャレンジ!
とが判り驚きでした。
◆ステキです
戸
畑
区
小
屋
弘
子
若松区
宮﨑 尚子
◆食欲旺盛
クイズを解くのを毎回楽しみ
岡垣町
中村 幸生
に し て い ま す。 が、 前 回 は パ ソ
元 気 ご 長 寿 さ ん 大 特 集、 ス テ
キですね。毎日を楽しく元気に、 コ ン を 開 い て み て も 載 っ て な い
初 め て 解 答 を 送 り ま す。 手 の
の で す。 勘 で 出 し て ま す。 当 た
一日一日を大切に前向きに生き
悪 い 父 に 代 わ り、 は が き 書 い て
る と ラ ッ キ ー で す。 こ う し て
て お ら れ ま す。 日 々 の こ こ ろ が
ま す。 車 い す の 生 活 に な り ま し
萎縮していく脳を刺激出来るこ
け 十 ヵ 条、 私 も た く さ ん た く さ
ページへ続く←
ん元気をいただきました。
14
◆ずっと元気でね
!!
門司区
佐々木 一郎
第 回︵ 三 月 号 ︶ の ク イ ズ の
正解率、 ・ %。私もコーヒー
豆 で 間 違 っ て い ま し た。 今 回 も
53
!!
小倉北区
13
63
門司区
新開 節子
難 し い、 大 丈 夫 か な? 五 月 号 の
◆順送り
﹁ご長寿さん大特集﹂とってもよ
過 日、 日 本 美 術 院 の﹁ 院 展 ﹂
戸畑区
半田 絹枝
かった みなさんの素敵な笑顔
に 行 っ て 来 ま し た。 絵 画 の こ と
に 元 気 を も ら い ま し た。 顔 馴 染
は
よ
く
分
か
り
ま
せ
ん
が
⋮
。
ベ
テ
こ の 頃、 泣 い て し ま う 歌 が あ
り ま す。 一 つ は 亡 き 母 に 大 き な
息 子 が 詫 び る 歌。 も う 一 つ は 都
会で暮らす娘が田舎の年老いた
立往生
アメリカ・沖縄
板ばさみ
両親を気づかう内容です。これっ
自民さん 解決出来るか 教えてよ
て年のせいだけではないと思う
八幡東区 浦崎 信子
の で す が。 近 く に 住 む 娘 達 に 昨
「病窓より」
年 か ら 今 日 ま で、 い や こ の 先 も
橋の柵 車目線で かもめ飛ぶ
ずーっと世話をかけるハメに
窓ごしの
なっています。
足立の山は
春がすみ
小倉北区 柏井チズ子
先 日、 娘 に﹁ ど う や っ て お 礼
をしたらいいか﹂と尋ねたら、﹁順
多汗症 汗に焦って 負の連鎖
送 り や か ら い い よ ﹂ と。 う れ し
かった事は言うまでもありませ
報道の自由 支持率下駄履かす
ん。 順 送 り に 支 え ら れ て 生 き て
いきます。
♪読者のひろば♪
韓国旅行記 その①
復 二 万 円。 ね︶﹂日本人が韓国語を勉強し
ツアーは
ているのをビックリし喜んで
一泊二日
く れ る。 こ の 列 車 の 中 で 身 振
二万円以
り手振りの会話が始まった。
若松・戸畑健康友の会 前野 勉
下という
夜 は チ ャ ガ ル チ 市 場 で 鯛、
格安のものも多い。
ヒ ラ メ の 刺 身 と 海 鮮 チ ゲ。 一
若 松・ 戸 畑 健 康 友 の 会 で 韓
釜 山 の 町 に 降 り 立 つ と、 も
人 分 二 千 円 ほ ど、 ビ ッ ク リ す
国 語 講 座 を 始 め て、 は や 五
う そ こ は 外 国。 距 離 的 に は 大
る ほ ど 安 い。 そ の 後、 ポ ジ ャ
年。 初 め は 入 門 講 座 だ け と 引
阪 に 行 く よ り も 近 い 国、 韓 国。 ン マ チ ャ︵ 屋 台 ︶ へ く り だ す。
き 受 け た の が、 今 で は 入 門 講
一 昔 前 ま で は﹁ 近 く て 遠 い
平日なのに日本のお祭りのよ
座、 初 級 講 座、 韓 国 語 ク ラ ブ
国﹂と言われていたが、今は昔。 う な 人 出。 さ す が 韓 国 第 二 の
と 三 講 座 に 増 え ま し た。 参 加
若い人から年配の人まで日本
者の入門の動機は、
﹁韓国ドラ
都市だ。
マから興味を持って﹂が最も
人 が 釜 山 の 町 に あ ふ れ て い る。
多いのですが、
﹁韓国旅行をし
そ の、 大 き な 契 機 に な っ た の
たい﹂
﹁東方神起︵歌︶にはまっ
が﹁ 冬 の ソ ナ タ ﹂。 一 九 九 八 年
て﹂
﹁頭の体操﹂とさまざまで
金 大 中 大 統 領︵ 当 時 ︶ が 日
す。 今 回、 韓 国 旅 日 記 の 依 頼
本文化開放政策を実施してか
が あ っ た の で、 教 室 の 生 徒 と
ら急速に日韓相互の文化交流
行 っ た 韓 国 旅 行︵ ① 釜 山
②
が進んだ。
慶州
③ソウル︶を中心に書
さすが韓国第二の都市
いてみます。
少 し 言 葉 が わ か る と、 も っ
荷 物 を ホ テ ル に 置 い て、 梵
と 楽 し い 旅 に な り ま す。 次 は
魚寺へ南浦洞から地下鉄で一
慶州の旅を予定しています。
時間ほど、若い学生が席を譲っ
て く れ る。 韓 国 は 儒 教 の 国、
年 配 者 を 大 切 に す る。 西 面 駅
① ︱ 釜山旅日記 ︱
を 過 ぎ る と 乗 客 が 少 な く な る。
二〇〇九年十月二十二日
生 徒 が﹁ ア ン ニ ョ ン ハ シ ム ニ
韓 国 語 教 室、 卒 業 前 の 修 学 旅
カ?︵ こ ん に ち は ︶﹂ と 声 を か
行。 博 多 発 ビ ー ト ル 九 時 乗 船 、
け る と、﹁ ウ リ マ ル
チャラ
三 時 間 弱 の 船 旅、 平 日 割 引 往
シ ネ ヨ!︵ 韓 国 語 お 上 手 で す
66
若松・戸畑健康友の会の韓国語講座第 2 期生卒業
旅行(右から2番目が前野さん)
←﹁読者のひろば﹂
ページから続く
た が、 食 欲 は 旺 盛 で す。 デ イ ケ ア に も 頑 張 っ て
行 っ て ま す。 こ れ か ら も 楽 し い ぱ ー と な ー、 お
願いします。
◆廃止の約束はどこへ⋮
区 小司 宏士
八幡東 先 日、 母 が 持 っ て き た の は﹁ 後 期 高 齢 者 医 療
制 度 ﹂ の 保 険 料 改 定 の た め の 所 得 調 査 で し た。
七十五歳以上が加入する同制度の保険料は二年
ごとの改定で自動的に上がり続けます。新政権
が 制 度﹁ 廃 止 ﹂ を 先 送 り し た た め、 こ の 春 か ら
保険料値上げの痛みが直撃です。母は遺族年金
より保険料を天引きされており、それがあまり
に も 高 く て び っ く り、 世 帯 を 別 々 に し ま し た。
母 は﹁ 変 な 世 の 中 に な っ た ね え ⋮﹂ と 不 安 と 心
配でいっぱいです。廃止は先送りってどういう
ことなのでしょうか。
◆石の上にも八 年
稲満 麻里子(水巻町)
上田
喜久雄
戸畑区
北九州は、このたび西小倉駅前から木町交差
点 ま で を﹁ 清 張 通 り ﹂ と 呼 ぶ よ う に し ま し た。
清 張 の 会 で は、 没 後 十 年 を 記 念 し て、 二 〇 〇 二
年北九州市長に正式に文書でもって﹁清張通り﹂
命名の申し入れを行っていましたが、八年の歳
月を経てこの度、ようやく夢が実現しました。
松本清張デジタルアート
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13
第 65 回
クイズに答えて図書券をゲット!
だんだんと暑くなってくる季節になりました。今回は夏に関した問題です。
▼応募のしかた
❶ 「塩梅」とかいて何とよむでしょう。
.うめぼし . あんばい . えんばい
●答えを紙( 葉書)に書いて、下記までお送下さ
い。
●〆切りは平成22年7月末日、
「読者のひろば」
. えんかん
への 投稿文字数は200字以内でお願いしま
す。200字以上は編集部で割愛させて頂く場合
があります。
❷ 「雨々降れ降れかあさんが…」この歌の題名はな
んでしょう。
.おむかえ .雨ふり .雨々ふれふれ .雨
●送付先
❸ そうめんを漢字で書くと次のどれでしょう。
. 素麺 . 創麺 . 層麺 . 冷麦
〒803-8543
北九州市小倉北区大手町15-1
健和会大手町病院内 北九州健康友の会連合会
❹ 東北三大夏まつりは、青森ねぶた、竿灯まつりと
次のなんでしょう。
.仙台たなばた .日光東照宮千人武者行列
電話・FAX(093)592-3383
正解と当選者の発表は次号に掲載します。
. なまはげ祭り
❺ 次の中で夏野菜でないものはどれでしょう。
. 大根 .トマト . なす .ピーマン
お便りを添えてご応募ください。お待ちしております。
5月号の正解
❶…B(15日) ❷…B(憲) ❸…B(昭和22年)
❹…A(9) ❺…C(麻生太郎)
第 64 回“クイズでくいず”
応募総数:48通 正解率:89.6%でした。
たくさんのご応募、ありがとうございました。
当選者(敬称略・五十音順)
浅野 文子(若松区)
安藤 昭雄(門司区)
江上 淑子(遠賀郡)
尾鶴 勝子(大分県)
加古 益士(若松区)
柏井チヅ子(小倉北)
唐川 勉(戸畑区)
小屋 弘子(戸畑区)
佐々木一郎(門司区)
福井 久(若松区)
中村 幸生(遠賀郡)
永沼 和子(八幡西)
菜の花バーバ(行橋市)
西村 弘嗣(小倉南)
半田 絹枝(戸畑区)
松尾 智晴(小倉南)
松本 彩子(戸畑区)
宮崎 尚子(若松区)
モモのバァ(門司区)
安永アツ子(小倉南)
住所が変わるときには、
ご連絡ください。
連絡内容
転居先の住所と転居時期
TEL
FAX
連絡先
健和会・友の会編集委員会まで
お知らせ
︵592︶
3383
・093
この号が発行される頃には、サッカー・ワー
ルドカップも終わっていると思うが、日本の裏
編集
後記
側の南アフリカの情勢について考えてみたい。
南アフリカのアパルトヘイト︵人種隔離︶は有名で
あるが、この制度が一九九一年まで合法であったこと
を日本のどれくらいの人々が知っているのだろう。
一九九四年にマンデラ大統領が就任し民主化後の経
済成長が著しいが、今も黒人の貧困層は多い。トタン
の家に電気も水道もガスもなく、失業率が四割を越す
現状の中、満足な教育も受けられず過ごしているとい
う。このような状況下で犯罪者も多いという。
治 安 が 悪 い た め、W 杯 中 継 に 日 本 の 女 子 ア ナ ウ ン
サーの派遣を中止したテレビ局が多くあると聞く。こ
のW杯で華やかな舞台だけを報道するのではなく、南
アフリカの実態を伝えることも報道の大きな役割では
ないかと思う。また、このような国へ援助することは、
かと思う。是非、この国に格差なく平穏な日が来るこ
﹁思いやり予算﹂より遥かに意味のあることではない
とを願って止まない。そして、世界平和について、こ
の夏に改めて考えていきたいと思う。
︵T︶
15
当選おめでとうございます。
▼
.神田明神祭 ▼
正解者の中から抽選で20名様に図書券〈500
円〉が当たります。
手 続 き さ れ な い 場 合、 転 居 後
一定期間を過ぎると、「ぱーと
なー」がご自宅にお届けされな
くなりますのでご注意くださ
い。ご協力をお願いいたします。
手早く作れて、冷めても美味しい!
梅肉パワーで夏をのりきろう!
ささみの梅あんがらめ
大手町病院
調理師
吉瀬 実穂
季節の
料理
【栄養価(1 人分)
】
●エネルギー…… 188kcal
●たんぱく質……… 19.5g
●脂 質………………5.7g
●糖 質…………… 12.3g
●塩 分………………1.5g
♪材料(2人分 )
♪作り方
鶏ささみ ……………… 160 g(4∼5本)
片栗粉 ……………… 小さじ 1 杯
酒 …………………… 小さじ 1 杯
揚げ油 ……………… 適量 ❶ 鶏ささみは、白いすじを取り除き、一口大
の大きさに切る。
❷ ピーマンは種を除き乱切りにし、サラダ油
でさっと炒める。
梅肉 ……………… 梅干し 1 個を種を
除いて細かく刻む
濃口醤油 ………… 小さじ 1 杯強
砂糖 ……………… 小さじ 1 杯
赤ピーマン ………… 1 個
黄ピーマン ………… 1 個 {
❸ 青じそは繊切りに切る。
❹ ボウルに❶を入れ、酒を加えてもむ。
❺ ❶に片栗粉をまぶし、170 度に熱した揚げ
油できつね色になるまで揚げる。
❻フライパンに調味料
を合わせ入れ、火にか
け、砂糖が溶けたら❷❺を加え合わせる。
サラダ油 …………… 小さじ
❼器に❻を入れ、水気を切った大根おろしと青
大根おろし ………… 大さじ3杯
青じそ ……………… 4 枚
穂じそ ……………… 2 本
じそを盛り付け、穂じそを飾る。
●編集・発行/健和会・友の会編集委員会
〒 803-8543 北九州市小倉北区大手町 15-1 健和会大手町病院内 TEL 093-592-3383(内線 4056)
FAX 093-592-3383
ホームページアドレス h t t p : / / w w w . k e n w a k a i . g r . j p
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