THEMEGUROPARASIT.MUSEUMNEWS 目黒寄生虫館 ニュース 昭和 5 5年 9月 第 1 4 1号 一般展示室案内 動 物 の 寄 1980 ( 1 6) 生虫 動狗の寄生虫 ちCMe (l"1i mot ppraSI '''~S わたしたちの 5 1近にいる動物{こもそれぞれ爵議の寄生虫が{主 ? んでいる.ニれらは入賂ヒ 信号{系~,(+れぞれの生活をいとなが" 時 んでいる‘しカ、しその動物と印も材二り、誌の峨~寄生 :Rを媒介する童書物を食べたりずる二とによって‘寄生':R<I>幼 E 起が入j: t ( ニ入( )ニおことがある禽 介、 J わたしたちの 8常生活宅 ペットなどの動勿と接触(1"るとき もこんなこと b f 起るおそれがある. トキソ プ ラ ズ マ ~ (次頁に解説あり〉 THEMEGUROPARASIT.MU S EUMNEWS -2- はこのオーシス トだと言われている 動物の寄生虫 オーシストから胞子形成 ( sporogeny )がおこりスポ ロゾイド ( sporozoi t e) を生じ,これが脳その 他の細 このパネノレは,人獣共通寄生 虫症が,今日重要な課 胞 内に侵入する -}琢などの体 内に入ったものが一部褒 題になっていることを重視して ,一般の注意を喚起し 子 ( cys t) を形成する .この張子が豚肉から人に運ば たもので,具体的には, 以下のパネノレを見られよとい れるのだという考えが久しく論議されていたのである . う意味である . 宿主が抵抗性をもっている聞は,これは不顕性感染と J に属するのである いうべきで,慢性 W ところが,ステロイドホノレモンとか抗癌剤などを大 トキソプラズマ 量に使用すると免疫が破綻する サン, ニタザ ーノレ,マイ トマイ、ンン,ザノレコマイシン 人獣共通寄生 虫症の第ーにあげたのがトキソプラズ マである ここでは狛と 人 との関係に重点をおいて説 明を 加 えてある たとえば,エンドキ などを大量に使用した│ 侍 の如 きである その時は, ト キソプラス マ症が現われるのである つまり ,下痢をする猫には気をつけ なさい .ひょっとするとトキソのオーシス トが居るか も知れませんよ , とし、うのだ.但 し 重要なのは妊婦 トキソプラズマ症とはどんなものか の場合で,もし妊婦が既に免疫をもっておれば,妊婦 如何 に恐ろしい ものであるかを解説しよう. 自身は無事通過する .免疫をもっていない場合には妊 まず初感染の妊婦は流産を しやすい 未熟児を産み 婦 自身は無症状に経過するが胎盤を通 して胎児 に移行 やすい することがある 小頭症〕精薄児などがお こるのである. この場合には胎児に奇型が 出来ます よと筈告するのである. 治療が適切に行われるならば, 何 とか処理出来るが, トキソプラズマはアフ リカの野生鵠歯類 C te no dac - t yl usgondi i から のことであった 認められた 幸に 出産 しでも ,網膜結膜炎,脳水I J 重(叉は そのまま盲 目になることもある NICOLLE らが発見 したのは 1 9 0 8年 ついでに褒子とオーシス トの抵抗力をのべておこう 目 その後各種の 動物約 2 0 0種に寄生が 褒子は熱に対しては 5 0 C 30分 , 0 人間にくるノレ ー トとしては豚肉が一番重 _1 0C 要視されて,その管理には各 国がし、ろいろの法令をも いうのだ 0 9 6 5年に至って ,狛 うけているのである . ところが, 1 5 6C 1 0分 , 0 2日間, ー1 5 Cでも 31 時間は生きていると 0 0C 3 0 分 , -10 Cで 1週 猫のオ ーシストでは ,5 0 が重要な役割りを果たすことがわかったのである.パ 0 間かかるという. ネノレの上 に示したのはその聞の消息で, ネコの 小腸上 皮細胞 内で分裂体は増殖をくりかえ し その一部が雌 治療 性生殖母体 ( macrogametocyte)となり一部は雄性生 幸に トキソプラ ‘ スマには有効な薬剤がある .抗マラ microgametocyt e)となる . これが有性生殖 殖母体 ( リア剤のプ リメサ ミンがそれで, これとサノレファ斉 I J の を行ってオーシスト(胞護休)を形成する.オ ーシス 併用が望ましい.スピラマイシ γ ( Spiramyci n)とサ トが猫の下痢便にくることがあるので, この 侍 │ に一番 ノレファ剤の併用も有効である . 人聞にとりつきやすし、のである .人 にくる主なルー ト お詑びと訂正 木ニュ ース 1 33号の表紙解説の 中に一部誤りがありました.お詑びして訂正します. 誤 正 ゅうか ゅうそう 有瓜動物門 有爪動物門 - 3- 目黒寄生虫館ニュース 小 林 晴 治 郎 慢 士 回 顧 録 (2) 筆記 横 田 穣 六高助手時代 夜、はそれで、学問はやめるつもりで,明治42年 7月に 郷里へ帰ってしまいました ところが世話になってい た第六高等学校の大波忠太郎先生が 「君遊んでいても いし、から僕ン所へ来てみた らどうかj といわれるのて¥ 卒業論文は 8月中に書いてしま って , 9月に岡 山に出 て下宿し,六高へ行きました , 8人の 同級生の うち, 卒業論文を : : 1 ¥ したのも,またそれを雑誌に発表 したの も私が一番早かったと思います. これが私の最初の論 文です. 第六高等学校では生物学の助手をしましたが,俸給 1月に大波先生と一緒 は貰いませんでした.その年の 1 に,生徒をつれて術後の納の補へ 2週間ほど│臨海実習 に行きましたが,大波さんが風邪をヲ I ~ 、て寝込んでし まったものだから,夜、が一人で生徒を指導したような 小林l 清治郎博士 ものでした目納にはナメクジウオがし、るだろ うとは L、 われていましたが,それを初めて採集してその発生ゃ 2月に岡 山 なんかを観察し, 岡山に帰って来てから, 1 博物学会で話 しました. 翌43年の 3月頃になって,大波先生がここで 何か研 究をやってみたらどうだといわれるので,それじゃ, 岡山 博物学会は明治 3 5 年頃から始まったらし~、ので やってみま しょ う. ここは肝臓シストマが流行してい すが,私は勿論初めの頃はよくま日り ま せ ん 大 波 さ ん るから,それをやってみたらよかろうということにな 直物を主とする会で し が会長で,博物, ことに動物 ,t って,別に 他に相談することもなく,その 研究を始め た.その頃は出来て 7, 8年{ 立のところで,雑誌を作 ることになりました.それまでには,五島清太郎先生 ろうという気運はあったが,到頭出来ませんで、した. が明治 35,6年頃に岡山に来て肝臓ヂストマを調べた その年の 1 2月の終りになって,第六高等学校が夜、を ことがありました.貝の 体 内でエンフリオがスポロシ 京都に 出張させて くれました.突は全くの遊びだった ス, ト レジアになるところをみています.そういって んですが,表 向きは島津製 作所に註文してあ った探械 は何だけれど,あまり L、し、成績は出なかったようです がなかなか来ないので, その 催促をするとい うことで それで 3月の終り に,岡 山の南に三橋というところ さんはん カワ ニ 行つたので 京都で、' 1 土 は1 蔦 芸屋に 泊り , 2, = , 間おりました. そのあ と 琵琶湖に行くといったら,紅葉自f~ を紹介してくれまし た 琵琶湖を 1日見て,帰りに奈良へ寄りましたが, 奈良では奈良ホテノレを紹介してくれました.みなし、 L、 旅館ばかりで,奈良で、は到 j J i泊る費用がなくなってし まい 2時間ほど見物しただけで帰って来ました. 当 時として は大枚の金を呉れたんで、すけれども,全部そ んなことに使ってしま って ,岡 山 についた lI~jーには 10銭 か20 銭ほどで,殆んとー残っていませんでした がありま すが,そこへ行っ て貝を採集しました.河貝 ナ グ Z シ 子や阻燃やらを大分とったのて‘すが,そのときその辺 に漁師がおりまして,小さな魚をとっておりました これは面白いと思って売ってくれといって ,数十匹貰 いました.帰って貝を検査してセノレカリアを見付けま したまた魚、,( Ps e u d o u l s bo U lρ ωv aとか Le u c o g o bi o g i in .t he l ' iなど〉から精円形のシストを見付けました. そのときはそれだけて、 した 4月から天木中学校に週 1回,確か水曜 日だったか と思いますが,月給を 1 2円頂いて生物を教えに行きま THEMEGUROPARASIT.MUSEUMNEWS -4- した.いつも帰りは倉敷て、汽車に乗って岡 山に帰って 4部の嘱託になった訳です¥部長は志賀i 潔先生,技師 いたのですが,或る臼倉敷に遅く着いたものだから汽 が宮烏先生,技手が小泉さんでした. 車が ない .次の 汽車を待つのも 何 だから,次の庭瀬!~R ところで,最初に東京へ行って帰って来たときに大 まで歩きました.その途中部窪群撫川の道端で、百姓が 波さんが「岡 山には桂田 富士郎さんがおってこの 方面 魚をとっていましたので, 7 . 8種類買って帰 って検 の研究をしている.そういっちゃ悪いけれども,あの 査してみると,例のシストがし、ました目最初のうちは 人は他人の やったことでもす ぐとって自分のもの に し その内部構造などは殆んど分りませんでした.その年 てしまうから,ここでとにかく発表をしておきなさ の終り頃には大分詳しく観察することが出来ましたが. い」といわれるので その 後 5月及び 6月に二度ばかり三矯に行って,得た いたしました . 7月 3日に死んだ猫の 肝吸虫をみんな 魚を 2匹の猫*に食わせてみたのです に見て貰いました その狛を可哀 想、 に小さい容器に入れて・・….またその部屋の臭か っ たこと 大渡先生も厄介なことだと思ったことでし ょ 7月1 0日に岡 山博物学会で発表 これが第一予報で,それにはセノレ カリアの構造などは何も書いておりません.図なんか も,あまりよくわからないで書いたものでした.後に うけれども ,非常に好意をもって下さって何も仰言ら 東京に来て なかった.そうしたら果たして肝臓ジス トマが出来た 出しましたが,このときには構造もちゃんと分ってい んです. ました. 9月に本当の予報を書いて細菌学雑誌に さあ, これはえらいことになった,東京へ行って, またこれは伝研に行ってからのことになりますが, これからどういう風に研究を進めるかについて相談し 2月に天皇陛下が岡 山へお出で その年(明治43年〉の 1 てこなければならない になり,その御名代として何の宮様でしたかが六高に て そこで大渡先生にお許しを得 6月の終りに東京へまいりました. 来られるので,御前講演をせよといわれ,態々そのた 理科大学では飯島先生や五島先生, この頃には一高 めに,フロックコートを新調して, それを着て 御進議 から帰っておられました.それに伝染病研究所の宮島 申し上げました.そしてその年のうちに東京へ帰りま 幹之助先生 などに会って いろいろお話しをいたしま L した.その翌年には故浅川博士記念奨学賞を頂きまし た.宮島先生は「それじゃ僕のところにお出で,相当 た 第 3回目でした の給料を出すからj と{ f [l言ったものですから飯島先生 に相談しますと ,理科大学の方にも口があるが,まあ 1 1'くヵ:ょヵ、ろうと L、うこと t こなって 7月1 6日カ、ら f 云 染病研究所に勤務することになりました 伝染病研究所にはそれまでに一度参観に行ったこと がありました.既に小泉丹君が入っておりまして,宮 島先生の下で寄生虫,当時は主と して原虫でしたが, をやっていましたし縁のあるところだと思いました, しかしそれについては岡山を辞めなければならない 六高の方は簡単でしたが,天木中学校の方は,あなた が一年間は必ず勤めるということだったから来て ] 頁い T このに,たっ T こ4, 5, 6と3ヶ月だ けではと L、つて なかなか辞めさせてくれない,そこて、大渡先生が仁村こ 入って Fさって, とにかく辞めることになり伝研の第 長突は 3匹の狛で餌食試験を行 っている . 甲 5月1 7日餌食, 6月 1 6日j 署殺 乙 6月2 3日餌食 6月2 7日屠殺 丙 6月2 3日餌食 7月 3日姥死 ここに 2匹というのは 6月2 3日餌食したもののこと であろう. (筆記者注〕 筆記者の略歴 昭和 20年京都府立医科大学卒業,直ちに胃腸科 I手,助 学教室(後の第三内科学教室)に入り,高J 手,講師を経て,助教授を以て昭和42年退職,藤 沢薬品工業株式会社に就職,医学調査部次長,部 5年定年を以て退 長を経て取締役に就任,昭和 5 職,現在同社嘱託. 3年先生が府 小林晴治郎先生との因縁は,昭和 2 立医大に赴任され,医動物学教室が未だ全く整備 されなかった頃に寄生虫の予防 A遇に関する研究 のお手伝をしたことに始まる その後スタッフも 揃って来るに従い,直接御指導を受けることもな くなったが,始終お邪魔しては昔話から当世の世 相に至るいろいろのことを承った.これが私をし て先生の回顧録を作ることを思立たせた動機とな った (横凹記〕 亀谷了記 . 今回の記録をよんで,考えたことは,小林先生が, 主,肝吸虫の第 倉敷で汽車にのりおくれなかったなら f 目黒寄生虫館ニ ュース - 5- 二中間宿主の発見は,おくれていたかも知れない,あ も , るいは他の人にその栄誉をとられたかも知れない,と たためであった.研究者たるものは,満を持した態度 いうことである.運命の不可思議を感ぜずにはいられ で日常のささいな現象にも目を離さないことが大切で ない. 叉一方,小林先生に,若しメタ セノレカリアに関 ある . する知識のたくわえがなかったならば,たまたま手に 日頃の勉強があ って,その機会を見のがさなかっ こんな話もある.私が大学生のころ,法医学では世 入れた魚から発見されることはなかったかも 知れない , 界的の大学者高 山正雄博士の講義をおききした.博士 ということである .中川幸庵先生が言われた,真理は が人血の鑑別を研究をしておられた時のこと,ある日 路傍にころがっている宝石のようなものだ.それは泥 実験が終って帰る時にシャーレを洗うことを忘れられ にまみれて光りを放つてはいなし、かも知れぬ それを た.あくる日行ってシャーレのよごれに気がついて洗 つかんでわが物に 出来るの は,至誠至情の人に限られ おうとされた時,シャーレの底に結晶が出来ているの る 多くの予備知識を貯えた人でなければ出来ないこ を見つけられた.これはおかしいと感じて実験を重ね とだ, た結果,人血の判定に画期的な方法を発見されたとい 日頃の勉強が大切だと 言われた. 吉田貞i¥ f J先生の回虫の体内移行の発見も ,武藤先生 の)什吸虫の第二中間宿主マメタニシの発見も,偶然の うことであった. 日頃の勉強が大事だよ, と先生に教えられた. 機会をすかさずとらえられたからと思われる.いづれ 一般展示室案内 ( 1 7) ことがある.本標本は輸卵管に迷入した回虫が卵殻に │ 亙 玉亙 │ つづき とじこめられたもので,非常に珍らしい例である.筆 9 8 豚回虫 ASCa1' i sl u m b r i c o i d e ssuum (GOEz,1 7 8 2 ) 豚の l 賜(芝浦〉 者は以前発疹チフスワクチンを作製するために,多量 の受精卵をあつかっていたが,一度もこのような例に は遭遇じなかった. ) 易に寄生する大型線虫で,形態学的には人の回 ) ほ のJ 虫との区別はつけがたい .人回虫と豚回虫との異同に ついて は古くから諸説があり,必ずしも結論が出てい 1 0 0 ウミウの回虫 C o n t 1 ' a c a e c u mm i c r o cゆ h a l u 1 7 1(RUD. ,1 8 0 9 ) るとはいえない. ウミウの胃 以前J は芝浦屠場に行付ばいくらでも入手 出来たがこ Co叩 t 1 ' a c a e c u m属は 回虫類の中 で中間主宿を必要と の頃は,腸を 1 1 主断して処理するので入手は容易ではな する線虫である. J ' lP ち併化 した幼虫は魚類に食われ, くなった.叉豚の産地によっても寄生率に大差があり , その 体内 で被援したものが鳥に食われて成虫と なるの 産地 によっては全く寄生をみない場合も経験した .養 である.ウミウで見られる ものは勿論成虫で, 主とし 豚の管型如何によるためであろう. て胃の中に見られる. 巨大なウミウの胃を開いてみると,既に消 化 されて 9 9 鶏卵の 中に発見された鶏回虫 Asca1' i d i ag a l l ii nhe n s ' e g g ばらばらになった魚、の骨の聞にしばしば見ることが出 来み 八王子 鶏回虫は鶏類に最もふつうに見られる線仁1 "で 雄 は 30~80mm ,雌 は 60~120mm ある. 鶏回虫の発育 1 0 1 クジラの腎虫 C r a s s i c a u d as p . 環はほかの回虫類のように体内移行は行わない .感染 ツチクジラの腎臓(千葉沖) 経路は二種類あって ,糞中 に排出された虫卵が外界で 木虫はクジラ,イノレカ類の腎臓,輸尿管等に寄生し 合子虫卵となって直接鶏に摂取される場合(直接感染〕 ている細長い線虫で,一見するとラーメン状を呈して ~W 対t からみあって球状にかたまって存在する と,子虫卵がシマミミズ類に摂取され,鶏がミミズを いる 食べることによって感染するもの(間接感染)とある . 既にホノレマリンでかたまったものを解きほぐすことは 後者の方が多い 容易でない. 成鶏ではまれに回虫が盲腸内や輸卵管内に迷入する THEMEGUROPARASIT.MUSEUMNEWS - 6寄生虫百話 第1 0話 力バタさんの著書を陛下に献上 亀谷 まず初めに,私とカバタ さんとのかかわりあいを述 了 タイプしておいたので,それを差しあげた ベねばなるまい .D1". KABATAは,カナダのパンクー なんだったら皇太子様にも ,も う一冊差し上げまし パー烏ナナイモにある ,国立生物学研究所の研究員で, ょうか, と申しあげたら,いや,それには及びません 寄生性焼! 問l 類専攻の温厚 な学者で、ある .私が,ソ連出 ご一緒にお使いになりますからと,というお話だった. 版の「魚、類の寄生虫jの英訳本を購入したとき,この まあ,陛下は海産の生物として,ウミウシなどのお 訳者カパタさんは, 日系カナダ人だ なと思った.その 仕事をしてお られるので, クノレスタケアの文献は多少 後に手紙の上での交渉がはじまったとき,署名の終 ご参考になろうかと思いますし,また採集されるとき りに「樺回 j と漢字て、書かれてあったので,ますます にいろいろの寄生性機関l 類が,く っついておると思い その感を深めたので、ある 固 ところが,後日 同じ研究所 ますから,なにかとご便利かと考えます, と申し添え . MARGOLIS が来日されたとき,彼はれっきと の Dr た したポーランド人とわかり一般したものである.それ 私はこれでホッとした. うまくゆかないと申し訳な からは,たびたび会う機会に恵まれた. ミュンヘンで いしこまるなと思っていたが,幸いよろこんでお持 会ったときは,帰途にカナダに寄ると言ったら,休暇 ち帰り願えたので,肩の重荷をすっかり下ろした思い をとってでも貴公を案内するといってくれたし,事実 だった目 荘、がナナイモを訪ねたときは, まことに親切に案 内を タバコを二箱いただいた. カパタさんに早速送って してくれた.容貌は 日木人に似ているので大変親しみ あげようかと思っている 目 このことを帰宅して家内に やすい〆¥だ 話 してきかせたが,澄もよかった, よかったとよろこ 日本にくれば必ず寄ってくれるしわが 家の食堂ではすきやきもした.家族ぐるみの親しい仲 となってしまった. んでくれた.J 二 ・三月して ナナイモからの便り には,陛下からお さて,この人から近著二冊が突然のように送られて 礼の手紙をいただいたこと,とてもうれしかったこと きた.一冊は賞館に,あと一冊は天皇陛下に献上して P a r a s i t i c Copepoda どもが記されていた.書名は f ほしいという手紙が添えられてあった o fB r i t i s hF i s h e sJである . 私はいささか とまどったが,かねて皇太子殿下のご用で当館にこら れる東宮職目黒さんに電話して,こんなことを外国か らいってきましたが如何いたしましょうかと,おたず ねしたのである こんな経緯で,ともかくお手許まで • とどけられて, カ ノミ タ さんの厚意は十二分に果たされ たのである.以下は,そのときの次第を書きとめてお いたメモである . z 1月 9日午後 31 時,目黒さんがみえ ,カパ 「昭和54年 1 タさんの著書を手にされ,大変感心された様子だが, どうもお話の具合からして,殿 Fに差し上げるという k 夙に受けとられておられるらしいので,私は, カパタ さんの手紙には,陛下にと蓄し、てありました,と申し あげた. 目黒さんは,ああそうなんでサー か,それでは, ちょっと手続きがありますから ,帰って そのように取 り計らいましょう ,多分陛下は,喜一ばれて直接むこう にお 礼の手紙を差し上げられると思いますので ,先方 のアドレスを控えたいといわれる.私は,あらかじめ 終J l I t 1 -7- 目 黒 寄 生 虫 館 ニ ュー ス 短 市原両研究員 信 8 . 2 2 新潟大学医学部,長谷川英男博士文献えつらん (昭和 55年 7 月 ~9 月〉 7 . 2 ミタ DC-161複写機,資料室に設置. これに に来館. 8 . 2 3 長崎県水産試験場,小川七朗氏来館. 8 . 2 5 水産庁主催 ・魚病研修会実習に講師として亀谷 より当館で,電子複写可能となる 目 7 . 5 東京大学農学部,小川和夫博士文献えつらんに 俊也研究員出向く.市原研究員同道於水産 来館 大学. 7 . 5 当館 5 4 年度事業報告書等刷上る 8 . 2 8 (株)ジャスコよりスノレメイカの条虫につき鑑定 7 .1 2 旭川医科大学,宮本健次博士サ プライセンター 依頼を受ける. 9 . 1 厚生省へ補助金申請の件につき相談に 1 1 ¥ 向く 用に標本を届けるため来館 7. 1 5 ソ連,極東科学センター ・寄生虫部 B ・I ・ レヘデフ博士来古H { . 木日より 1 9日まで 山口 左仲 亀谷館長,吉田事務長 9 . 1 魚病研修会にて講談,亀谷俊也研究員,於 I l i ¥ i 博士コレクションを観察毎魚病研修センター 7 . 23 麻布大学,内田明彦博士,文献えつらんに来館 7 . 2 5 TBSテレビより取材に来館. 9 . 5 東京電子等門学校臨床検査学科学生 3 4名見学の ため来l l ' l i 8.6 国立科学博物館へ文献えつらんに出向く,亀谷 9 .1 6 船舶振興会へ補助金申請の件 で出 向く. 吉田事 ( 俊 〕 ・市原両研究員. 8.8 予研にて, 務長. r 人獣共通寄生虫症Jリスト整理の 9 . 1 9 ための 打合せ会 に li~ 向 く.亀谷(俊) ,市原両研 ' / ' ; I l 水試多摩川定期調査に同行, フナの寄贈を受 ける,亀谷(俊〕 ・市原両研究員. 9 . 2 6 5 6年度船舶振興会補助金交付申請書提出 究員 8 . 1 0 漫画家, 杉浦幸雄氏見学に来的; . { 8 . 1 3 , *, 華人民共和国,北京熱布医学研究所銃取印教 9 目 2 6 羽田空港へ出向き長崎水試からの剖検材料 受 領,亀谷〔俊〉研究員 9 . 2 7 日体大荏原高校 2年生 2 3名(生物グラ フ〉見学 授見学に来館 8 .1 5 多摩川丸子橋付近で投網を用 い フナ採集,日 本 に来的1 . 大学水産学科学生,赤松博氏と同行,亀谷(俊), 目 黒 寄 生 虫 館 の 発 行, 発 売 文部省 刊行 助成費出版青 内 日本における寄生虫学の研究(全 5巻) (1961~1965) 編 集 森 下 素 ・小宮義孝 ・松林久吉 容 (I巻〉 寄生虫学の発達史 ・概観 ・日本住血吸虫の生物学,疫学,臨床,治療,予防,肺吸虫・肥大吸虫 ・ 1 味口吸虫 ・外科的胴虫症,姻虫の免疫 ・鞭虫 ・毛様線虫類 ・まれに人体に見られる線虫 ・テニア属条虫 虫症 ・包虫 .' f A . 増刷 B5 ・5 0 0頁 ・価5 , 0 0 0円 (日巻)・パソクロフト糸状虫症の分布,パ γ クロフト糸状虫症の伝搬に関係するアカイエカの役割, ミクロ フ ィラリアの定期出現性 ・糸状虫症の臨床,病理,治療 ・鈎虫の疫学 ・姻虫症の治療 ・糞線虫 ・マジソ γ裂 頭条虫 ・大複殖門条虫,肝吸虫の分布,疫学 ・日本産セノレカ リア 総説 増刷I JB5・6 0 0頁 ・価9 ,0 0 0円 (田巻):トキソプラス マ ・マラリアの生物学,疫学 ・肝吸虫の生物学 ・予防法 ・メタゴニムス ・縮小条虫 ・ B5 ・6 0 0頁 ・i 旧i 4,0 0 0円 ( ! V巻〉・畑虫の生物学,疫学,予防 ・蜘虫 2 5とアレノレギー ・鈎虫の生物学 ・糸状虫症の治疫 ・毛様線虫類 ・ 倭小条虫 ・顎口虫 ・鈎虫の臨床,予防,駆虫 ・焼虫 稀有な人体寄生条虫類 ・赤痢アメーパ ・移行性幼虫症 (v巻 〕 メタセノレカ リア ・人体寄生虫の分布と浸淫 ・鞭毛虫類 別刷 .総目録 ・総索引 B5 ・6 0 0頁 ・佃i 5,0 0 0円 B5 ・4 5 0頁 .l I l i i 5,0 0 0円 B5 ・7 0頁 ・佃i 3 0 0円 THEMEGUROPA R A S I T .MUSEUMNEWS - 8- 目 次 ( 第 141号) 1980年 9月 表紙.一般展示室案内 (16).・・・・…・ ・・・・・ー ・ 0 表紙解説 ー ・ … … ー…・・ … ・・…… ・… … ・ 小林"青治郎博士回顧録(2) 一 一般展示室案 内 (17) ー…ー … 寄 生 虫 百 話 第 10話 短 信 ー 一 ・ ・ ・ ・… …・ 一 一 一一 一… -・…… ・・ ーー … 一 ・ ・一 ・…・ ・ ・ ・・ …… ・ ・… … ・ ・ … ・・ … … … ー… … … ・ … .. ・ …・ ・ ・…… 一 一… … … … .2 ー・ ・ 3 ー 5 6 カパタさんの著書を陛下に献上 一… 一 … . . . .. . . …… 財団 法人 1 … … … ・ .. . . . .. . .一… … ・7 …・・ ー… 目黒寄生虫館への案内 所 在 地 東 京 都 目 黒 区 下 目 黒 4丁目 1-1 干 1 5 3 T EL ( 0 3)7 1 6-1 2 6 4 入場無料 開館時間 行 ハ ハ ( 4. 30P. M. まで に入館〕 休館日 正 1 0 .00A.M.~5. 0 0P.M 月曜日 ,祝 日,年末年始 国電目黒駅下車西口パ F 停より(どの パス でも可) 2ッ目大鳥神社前 F 車 , パスの進 勺k I : J ' , J . ¥ 吊 i . l 仁I 0m 行方 向に約 5 目黒寄生虫館ニュース 1 4 1号(昭和5 5年 9月 〉 発行所財団法人目黒寄生虫館 発 行 者 館 長 ・医 博 亀 谷 -1-1 東京都目黒区下目黒 4 編集市原醇~,I 〒1 5 3 電話 ( 716)1 2 6 4 印刷所 三協美術 印刷株式会社 1部 ¥100 送料実費 了
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