177 頼 母 子 に つ い て −その歴史的な経過と現在の状態− ワ ︶ 室 キ 教 学 家 水政 清 ま え が き 頼母子は遠く飛鳥、奈良朝の古代にその源を発し、十幾世紀にわたる歴史を持つとさえ云われ るもので、古くから日本の社会に存在したものであるが、中世鎌倉時代の「高野山文書」(lI に 「憑支」とかかれているのが初見史料である。 各時代の歴史資料の中で、憑支、頼子、憑子、憑母子、頼母子、頼母子講、合力講、無尽など の表現をとっているが、これらは同一のものである。 どの頼母子にも共通してみられることは血縁性、地縁性、共同体意識を基盤とし、相互共済を 本質とする、小規模は、「自己管理主義」… の運営による、庶民融資のしくみ(機関)である ということである。しかし、この共通の本質を持ちながら、時代、ところによって異った性格を もつこともあった。徳川時代の始期頃までは相互共済的な頼母子が殆んどであったが、徳川初期 から明治始期、更に明治中期にかけての頼母子は、「領主及び名主層、商人による財源追求の一 手段を捏供した収奪の組織」川 となったり、或いは「江戸」(4)「東京」川 に於て甚しかった のであるが、武士、町人、または明治の商人、市民による「賭博の道具」(6)となり、しばしば 「取締御布令」… や「検挙」(8)の対象となり、禁止政策がとられた。このように収奪の組織 にもなるということを頼母子の性格的な側面であると主張する学者(9)もある。しかしこのよう な時代にもかかわらず相互共済を本旨とする頼母子もまた一貫して健全な発達をとげていった。 このことは頼母子が中世以来、庶民の間に支持されてきたその本質を歴史的に実証するものであ ろう。 明治以釆発達した金融資本は、細大もらさず国民経済生活に浸透していった。それにもかかわ らず、尚頼母子は広く一般に支持されて庶民金融の手段になっていることは注目すべきである。 この研究は、諸文献によって日本の古くから存在する頼母子の本質を探り、それを基礎としな がら、現時点に於ける頼母子がどのように行なわれているかを、大阪市、兵庫県能勢地方、奈良 県下に於ける100世帯あまりを昭和46年5月より同47年4月にわたって調査したものである。 この調査をもとに、現時点における頼母子が金融資本に伍して尚存在し、庶民家計の如何なる 点に密着し支持されているかを探り、将来どのようになるであろうか、その見通しを得ようとす るものである。 頼母子について(清水) 178 1頼母子の起源、意義及び経過 (1)起源と意義 a 頼母子 「たのもし」の語は次のように書かれ、みな同一の意味に用いられた。数字等は初見年代‘川。 憑子…………1275、建治元年、鎌倉時代 憑子…………1345、貞和元年 憑敷…………1936、応永3年 頼子…………1532、天文 室町時代 頼母子………1548、天文17年 憑母子…………1555、弘治 「たのもし」の初見史料は1275、廼治元年、高野山箭紀伊国猿川、眞国、神野三圧の庄官話文 ときれている。即ち、 猿川眞国神野三筋庄庄官話文 請申 條々(中略) 一、常圧狼籍事 号憑支乞取百姓銭事 右之箇條自今以後可令停止‥…(11) ° 0 これが初見史料であるが、憑支はこれ以前から民間に行なわれていたことが察しられる。 「たのもし」の語の意義 「たのもし」という語はどのような意味をもつか、については幾つかの説がある。 1『たまりになる』の意味で、多人数が協力依頼して互に融通を計るの意より出たもの(…。 2『たのむのあし』の転化したもので、あLは料足即ち金銭を意味し、共助的出指を表現し たもの(1㌔ 3『タノムモシモシ』が転化したもの。即ち貧困者が諸人の同情にすがって「お頼み申すも しもし」と懇願したことが起源である。「タノムモシモシ」が簡約されて「タノモシ」とい わるるに至った。………貧者の切迫せる現実的生活の必要からその資を供せんがために生れ 出たものであって、その当人に対しては慈善的なものであり、…・‥…衆中相互としては米銭 の融通をうける相互扶助的なもの………。成立の動機そのものはあくまでも人々の慈善を乞 うために困窮者が人々に向って「タノムモシモシ」と懇願したことによる(1日。 上記の3の貧困者救済を主旨とした「たのもし」の例は、史実に非常に多く見られる。 例1「康永津年乙酉二月十一日より貞和四年九月二十七日に至る憑子。 契約 廻憑子事 一、懸銭事、二月十三日、十月十三日、大別壱貿文宛、…孔子(抽載)は行なわない。」(川 これは衆中は各々一貫文づつ懸銭をするが、第一回目は全員が懸銭をした総額を、一 定の貧困者のために貸与する仕組みになっていたから、第一回目は衆中が落札するため の抽我は行なわないということである。 例2「青垣講 静岡県富士郡富士町 179 講員37人、農業者、商人、会社員、職工、僧侶等を含む。執れも親(救済をうけるも の)の救済のた馴こ一役買った講員のみである。 講親青山垣之介は二反歩の小作をなす傍ら、電灯会社職工として勤務、貧困に追われ約 一千円の借財を作りたるも、本講から毎月33円75銭を支給され、漸次借財の弁済にあて ている。親は初回に全額の給付をうけないが、毎回の支給額は寄附金であり、従って返 済の義務なく、親はただ講の通知、掛金督促、会場捏供の労務丈。」tlり 例3「両親を失った孤児のために救済講(お助無尽)を一回限り開いてその掛金の全額を与 えて終了する方式のものもあった。」(1日 例4「山神讃、講親は観音堂、自然人ではないが一種の親と見撤される。一口の掛金は三 円、落札者は一口分三円を毎回、終回まで観音堂に寄附するもの。」111) 「たのもし」の意味については大体以上のような説があるが、相互共済、貧困者救済の自己管 理主義の金融機関であることがわかる。 b.合力、叉は助成(ジョジャウ) 多人数が合力依頼して互に融通を計る意味から出たもので、頼母子と全く同じものである。(19I 「助成」の語が書かれた最初の文献は高野山文書、正応四年(1291)、一月十一日の講文であ る。即ち、「号憑支、若稲助成、不可乞百姓物」とある。また「合力」、の語が見られる最初の 文献は室町中葉、文安元年(1444)所親の「下学集」である。㈱ C.講 法談聴聞の会合、又は団体の意よりおこって、斯る団体が神社仏閣の維持、修繕費を醸出した り、或いは神社仏閣参拝のために積金する意味に用いられるに至ったもので、しくみも頼母子と 変らぬものになり、頼母子と全く同一に考えられ、用いられて今日に至った。(2日 d.無尽 くら 鎌倉時代の土倉(質屋)の質貸金を無尽銭と云ったが、この無尽銭の機能が頼母子と相似た点 のあるところから、同義語として用いられるようになったものである。融一 以上のように、依るところの語源は異なるが、「たのもし」「講」「無尽」「合力」「助成」 などの語はすべて同義語で、同一の内容に用いられてきたものである。現在では最もよく用いら れる語は頼母子、頓母子講、講、無尽などである。 (2)経 過 1.中世の頼母子 頼母子は中世に於て発生、発達し盛んに行なわれた。中世に於ては領主も社寺を保護し、社寺 が力を有していた時代なので、神社、仏閣参拝の費用、営繕の費用をうるためのものとして発達 したし、また農村の村落共同体意識、同朋救済的精神、同族間の相互扶助の精神等が底流をな し、頼母子は広く行なわれた。「室町時代には現在と大差ないものに発達し、徳川時代の始期頃 までは頼母子は純然たる共済組合としての原始形態を持続した。」(23) 中世の頼母子の組織形態(室町時代) 「1)各頼母子講には必ず1人若しくは数人の発起人あり之を親又は親方という。 2)発起人は同志者数人を募集して一つの講を組織す其の組合員を講衆叉は衆中という。 3)各組合員は発起人と共に一の規約を締結す之を規式、法式、置交叉は式目という。之頼 母子契約の形式なり。 180 頼母子について(清水) 4)講衆は時を定めて相会し毎会特定の金穀を醸出するの義務あり之を懸銭、懸足又は懸米 など云う。 5)毎会収集したる懸銭は抽我叉は入札の方法に依て講衆の1人に貸与する。当選叉は落札 したる金銭を取足という。 6)一度当選したる会員は二度抽我の権なし。然も固毎会自己の懸銭を醸出せざるべからず 之を取過の懸銭という。此懸銭は自己の債務即ち取足の定期弁済なり故に或は利子を加 ふることあり叉は質物保証人等を以て担保することあり。 7)各会員が悉く当哉するに至れば講は此に終局を告ぐ之を満と云う。 以上は室町時代頼母子講組織の大概なり而も今日の者と相比して大差なきを認む。はり 2.徳川時代及び明治始期の頼母子 江戸幕府の安泰と富の江戸集中、財政の膨張と共に京阪から入った頼母子はともすればその本 来の共済または救済組合としての性質をはなれ、主として江戸に於ては投機々関として利用され 勝であった。講金(取足)受取後は掛金をしない取過というようなものが横行したため、幕府は 幾度もの取締り「御布令」を出しているが禁を犯すものが多かった。 例1「寛保元酉年取退無尽之儀付御触書 取退無尽と号し言立、博突同前之儀有之由相聞候付、停止之旨前々相触侯処今以不相 止、近此は寺社建立講又は品々之講と名付、取退無尽致候に付、右当人共相願候分は召 捕、此度御仕置申付候、向後右体之義有之ば武士方、寺社方、町方、在万共々遂吟味当 人不及申、地主、家主、五人組、名主一町内之者共迄、三笠附博突同然各可申付候条、 常々心懸け吟味いたし疑敷者於有之ば早々可訴出候 以上 四月 右之適可相触候」(25) 例2「明和元年甲申十月博突址取退無尽儀に付御書付」【20) 例3「元文四末年九月御仕置之例 廻り場村々へ無尽相頼其上焼印札攻として銭取上候もの御仕置之事 相州下倉村 御鷹匠方野廻り 忠左衛門 此忠左衛門儀………。」(lT〉 また一面、純然たる庶民融通機関として頼母子は健全な発達を遂げ、「宝暦∼明和(1751∼ 1791)の頃は最盛期であった。」‘細 3.明治以降の頼母子 イ)明治以降大戦前までの頼母子 この期間には政府の保護奨励により、普通銀行、貯蓄銀行、信託会社、簡易保険、信用組 合、等が次々と設立されたが従来より庶民細民の間に利用され、維持されてきた無尽、頼母子 講、質屋、金銭貸付業等は依然として庶民金融機関であった。これら銀行その他がが庶民階級 にどのように受け入れられたかを探ると次のようである。 1)普通及び貯蓄銀行‥…・庶民階級への融資は、手数の割に利益が少いため、また庶民の側 からは担保、手続き等が無理繁雑のため行なわれにくい。 2)信用組合・‥=・主目的が申以下の農民、商工業者の金融を計ることにあったが、手続き、 頼母子について(清水) 181 担保等繁雑のため浸透しない。 3)無尽・…・・世の中が平穏に落着くと共に一般の投機熱が隆んになり、特に東京に於ては取 退無尽の流行が著しく、明治10∼29年頃まで相次いで検挙された。(29) 4)営業無尽……明治34年頃営業無尽をはじめる者があったが、不正続きのため取締られ、 大正4年、無尽業法が公布されるに至った。その後無尽業法は大正10年、昭和6年に改 正された。 5)金銭貸付業……給料生活者に対して−3か月3割の利率 小完商人に対して−年利4割 恩給担保−年2割∼3割 細民相手−驚くべき高利。0り 6)質屋‥‥‥担保品の要ること、金利2∼4割、償還期間の短いことなどで、止むをえない 者のみ突発的に利用する。(31) 7)頼母子……不動産、動産のような財産担保でなく、交換的保証、人的保証で通用する頼 母子は、庶民、細民階級にとって可能なものであった。 以上のようなものが行なわれたが、兎に角庶民一般に利用され重要な役割を果していたものは 営業無尽、金銭貸付業、頼母子であった。り2)中でも頼母子は庶民の自己管理による金融機関で あり、古くから民間に行なわれた地縁性、血縁性に根ざす相互共済の機関として抵抗なく受け入 れられ浸透していった。例として2、3挙げる。 例1「昭和講 福岡県宗像郡吉武村 (災害による貧凶救済と講員の融通を目的とする。) 家屋の火災にあい、続いて戸主の死亡に遭い家計困難を告げた小作人のために世間の同 情が集まって講を組織し、諸員は融通し合うもの。」(3日 この講の特徴は、給付金決定方法として抽我と講クビリによることである。讃クビリと いうのは部落連帯保証ということである。(クビリは鎖の方言) 例2「加茂川原昭和講 静岡県磐田郡富岡村(物品講人を目的とする講。) 物置、納屋を建てる資金を融通する講。」13り 例3「養蚕講 福岡県糸島郡桜井村(物品講人を目的とする講。) 養室、蚕具の設備資金を融通する講。」‘3日 また昭和のはじめには健康保険、国民健康保険、労働者災害扶助責任保険、厚生年金保険、船 員保険等、社会保障制度が成立施行されたが、それはわづかにこの制度の芽生えにすぎず、民生 を厚生するには至らなかった。 ロ) 大戦後の頼母子 戦後、金融資本は増大し、その営業方針はさらに一般庶民を対象として徹底的に拡大した。 一万、国民一般は販売、購入方法を極めて合理的且巧妙便利に利用するようになってきた。ま た我国の国民総生産及び国民所得も有史以来の最高である。このような状勢下での国民生活に 関連する金融面、購入面をみるならば次のようである。即ち、 1)各種銀行による各種営業方法(消費生活に関するものとしては各種ローン) 2)普通保険各種(人事保険、財産保険の各種) 3)社会保障制度による社会保険各種の実施……戦前はわづかの社会保険があったが、それ は民生よりも戦争上の必要がらであった。日日 昭和22年9月労働基準法、22年11月には 失業保険、34年11月には国民年金法、等の実施により民生は保護されるに至った。 182 頼母子について(清水) 4)住宅金融公庫制度 5)各府県による「農家、漁家等に対する各種保護及び開発資金制度」の設定等福祉行政の 高度化。 6)一般の購入方法をみるならば、割賦購入方法の一般化。 また、戦後は徹底した個人主義化がみられることや、経済成長による労働力の高需要、貸金の 上昇等があった。 以上のような時勢に於て、庶民共済を本命とする頼母子などは必要でない程社会資本及び福祉 行政はゆきわたった感がある。事実、下記のような大口の物品購入のための讃、或いは頼母子は あまりみない。大体に於て消滅したと思われる。即ち、 例1「富士石碑講、各自の墓所改良のための講、静岡県富士郡富士町、白昭和9年10月至昭 和13年5月迄、一口掛金参円、44回。」(31) 例2「瓦講、屋根瓦購入資金を得るための講、福岡県糸島郡桜井村、自大正12年継続年限15 年、掛金一口五円。」tM 例3「組合共同作業講、組合共同作業場の各種設備を充実させるための講、静岡県引佐郡井 伊谷村。掛金一口二十五円、大正14年設立。」(‖) 然し、国民生活へ浸透しつつある諸種の金融資本や福祉行政によって、国民がすべて救済され たのではなく、その中には尚生活するだけの所得がないために、どの資金制度にも頼ることが出 釆ず、生活を共済的に運営維持してゆかなければ生きられない細民がみられる。それは産業の集 中的に行なわれる都市の中に存在しているのが目立つ。 また、生活上の些細な物品購入のための講又は頼母子は会員同志の親睦、懇親の目的を兼ねて 極めて広範囲に行なわれている。 更に純然たる懇親のためだけの頼母子は実に無数に存在する。これは人々が共同体意識、地縁 性意識を持つ限り、広く、長く、行なわれるものであろう。 現時点に於ても尚存在する頼母子について、調査に基づき明かにしたい。 2 現時の頼母子 (1)本調査に基づく頬母子利用の状態 1.頼母子がなければ生活が成り立たない場合 A 下請業従事者の家計 下請業は大きいものは中小企業から底辺は家庭手内職に至るまで巾広い階層をもって存在し、 仕事を出す側、即ち大手企業と、それを受け入れる側、即ち下請業との仕事の上のつながりは密 接であるが、経営面では全く互に別個の企業である。このことは資本主義の経済機構に於ては当 然のことである。このような経済機構の中で、時期によって所得格差の大きい下請業の場合で は、仕事の内容からみれば当然仕事を出す側(大手企業)によって生活を保障されるべき部分が 保障されないために、下請業従事者は仕事を出す側とは全く別個に、自己の責任に於て生活を支 えなければならない。また緊急の仕事が起りうる可能性があるためと、熟練工であるためとか ら、今現在の仕事とは別に二重に仕事を持つことが出来ない。このようなことから下請業従事者 は生活のために頼母子が絶対必要なのである。 頼母子について(清水) 183 a 電力会社の下請業 本調査による下請業のシステム及びその従業員の収入は次の図に示される通りである。 (経営者を親・親方という) l 々ノ 調査対象部分 ∼10人) 第1園 電力会社下請のシステム 〇一営業所における年度内営繕予算、2,000万∼3,000万円程(昭和46年度10月調査) 0一班の下請従業員、2人∼10人 。一班の一か月仕事最高で350万円程 仕事量の10%は親方が先取する。(親の収入) 残りの70∼90%は消耗品代(消耗品代の10%近くは返ってくる。) 0水揚量(下請従業員所得)は月によって変る。 00 % 1カ月生活可能額 を100%とする 65% 収 入 % 259も 25% 25% 」__ 4 5 6 7 8 9 10 1112 1 2 3 月 第2園 電力会社下請業の収入状態 07∼8月は仕事量最大、水場量最大。『不断欲しいと思うものを員うので残らない』とい う。 06月梅雨期は水揚量は少ない。家計上第一番目の難関となる。 011月までに、既に年度内予算を食う。 012月は水場量をふやすように加減して仕事をもっていくこと、一般家庭の正月前設備拡充 等で80%の生活費を確保しているという。 頼母子について(清水) 184 01、2、3月は来年度見込予算からもらうが大手会社はこれをセーブする。 この下請業では突発的な作業(昼夜を問わない電線切断事故やその他の電気事故)が、年中且 毎日あるという点と、この仕事の熟練工であるという点とから、この仕事を本職とする以上副業 を持つことは出釆ない。このような機構及び仕事の性質上からみれば、当然、生活を保障される べき部分が保障されないために、下請従事者は、仕事を出す側とは全く別個に自己の責任に於て 一家の生活費を工面しなければならない。このことは次のb、弱電メーカー下請業家計に於て も、C、ガス会社下請業家計に於ても全く同様のことである。 b 弱電メーカーの下請業 弱電メーカー下請業の場合は、仕事の上の特徴及び下請従業員の収入状態は次図の通りであ る。 0自家製品の売行きによって仕事量が決まる。仕事量は固定していない。 012、1、2、3月は新製品試作期間で仕事は殆んどない。このことは製品に対する新需要 を喚起する上からと、この部分の下請業費用を切りすてる上からなされるもので大手企業 にとっては合理的な運営である。 0設備費(機械及び取付費30万程と、部品交換のための費用)は自己負担。 0熟練技術工であるためと、かなりの設備費を投じているため簡単に転業が出来ない。 07、8月は下請への割当量過剰のため仕上不可能となり(徹夜作業以上の割当量あり)、 その過剰割当量のうち、不完成品量によるロスは下請の自己負担となる。つまり本社のオ ートメ機械組みかえのためのロスは下請が負担するということである。 0製品が利潤の対象であるからクレームがきつい。 0下請従業員の収入状態は次図通りで、7、8月は生活費以上の収入が得られるが、その他 の殆んどの月は家計が維持出釆ない。特に12、1、2、3月の収入はない。 0所得月別格差がひどく大きいため、頼母子は勿論、老人も外で仕事をもつというように家 族全員による所得確保体制が白からしかれている。 50% 頼母子について(清水) 185 C ガス会社の下請業 ガス会社の下請業の場合は次のような特徴及び従業員の収入状態が見られる。 0器具仕損じのための下請負担はない。出釆上った製品については安全器具製作のためのク レームはきつい。 0機械設備を下請が負担している点や、機械の熟練工である点から転業は損失が多く困難で ある。 012、1、2、3月は売り込み期間であるため、生産は50%前後におちる。 第4図 ガス会社下請業の収入状態 以上のような月別所得格差の大きい下請業家計のこれらa b cの場合は年度(大手会社の年度 に合わせる)後半期の所得が極めて少いというのが特徴である。 同じ下請業でも年中平均的に仕事量のある場合、例えば織機作業(丹後チリメン等の家内工 業)等は収入の絶対量が少いということはあっても時期的な収入格差がないので問題は異なって くる。 B 零細企業(自己資本の小売商)の場合 本調査に於ては燃料商は石油、プロパン等の燃料のほかに燃料用器具各種、豆類、ごま類その 他乾燥食料品各種を販売している。漬物商もほかに味噌、簡単な加工食品を販売している。寝具 商は綿の打ちかえ等も扱っている。これらの零細商人の売り上げは第5図の通りである。 自己資本の小商売に於ても、年中売上げが一定のものでないから何等かの家計維持の経営方法 の工夫と共に何等かの別途融通法を講ずる必要がある。 C 低所得給料生活者の場合 この給料生活者の家計の場合は、月別所得の格差はないが年中不足勝である。 以上のように家計と頼母子の密着している一頼母子グループを、上記のようにA、B、Cに分 類することが出来た。Aの場合は勿論、B、Cの場合も、頼母子がなければ全く家計は成り立た ないことが明らかである。 これらの場合特に注目すべきことは、この頼母子の会員は全く固定し同郷人、親戚(親子、兄 弟、姉妹)等であって、このことは絶対必要な意識条件になっていることである。この頼母子グ ループの会員は8名であるが、弱電気下請業従事家計と電力会社下請業家計が夫々2口加入して いるため加入口数は10口である。掛金は1口7,000円である。 186 2.生活費外に一時的にまとまった金額を必要とする場合 0加入者の職業……職人(砥石商、理髪業、神具商)神官、魚類販売業、零細農業。 0加入者の年令……年輩の主婦(年輩の主婦のグループ数は多い。) 若い給料生活者、独身の者が半数 0落札したお金の使途 被服費となる。(衣類、布団)、旅行費(これは多い。)……年輩の主婦グループ。 自動車、旅行費、結婚費用の足し等・・‥=若いサラリーマンのグループ。 0掛金は10,000円、5,000円、3,000円、2,000円、1,000円等あり。会員は10∼15人。掛金は毎 月又は隔月 3.経済的な成果を目的としない頼母子、講。 −信仰、慣習と懇意な者同志の人間関係維持(共同体意識)と結びついたもの− 調査範囲は奈良県下である。 古くからの慣習、または信仰とからみながら村、大字、又は都市部到るところに於て人間関係 維持のた釧こ行なわれている講または頼母子である。庚神講、伊勢講、観音講、自得講、大杉 講、尼講、文殊講、二月堂観音講、大師講、金比羅講、薬師講、青丹講、子安講、長寿讃、春日 講、彼岸講、山の神、豊年講等がある。同じような名称のもので、人数は20人∼35人位のものが 頼母子について(清水) 187 最も多く、大きいものは奈良市西大寺町、真言宗総本山にある寺山大師講の如きは200人の諸員 をもつ。このような講は全県下にわたって数え切れない程存在している。 例1 庚神講、榛原、伊都佐村 (伊都佐村、西田氏より) 講貝は25人、殆んど村全体、営司なしの氏神のもりをしつつ、大字の懇親をはかるの が目的である。下記の夫々の日に当屋(当番の家)に集まり、御馳走を食べながら懇 談する。御馳走は当屋が負担、酒は村から出る。日まちには二の膳付きの御馳走で、 当屋でゆっくりと食べ懇談し、夜をあかす。翌朝早く氏神にまいり、帰って赤飯、み そ汁、漬物で食事をとり解散する。 0正月14日……日まち 06月上旬……田植えがすむとお宮参りし、日まち 07月上旬 。芋名月、9月13日頃……日まち 0まつり、10月10日……営座 0亥子11月 奈良県に於ては昭和39年度より下記の表にみるように農家経済援助資金が設立された。 第1表 農業改良資金助成法による貴家生活改善資金 資金名l貸付対象事業l借受資格者】融資限度額l貸付利率 貸付期間l 融資機関 県 これの実施以前には生活維持のための「ふとん頼母子」「かまど頼母子」などが行なわれた。 現在、物品購入を目的とした頼母子は殆んど見られない。 3 頼母子の運営 会員……会員は全く固定し、同郷人・同信仰・親戚(親子・兄弟姉妹など)等絶対信用の上に 成り立つもの(設立の経済条件と並んで絶対必要の意識条件となっている)と、村・ 大字等居住地を同じくするもの(人間関係、社会共同性の必要上)であれば会員とな りうるものとがある。 運営方法及び利率……全く従来通りの入札して比較的高利子を入れたものにおちるという方法 と、(上げ頼母子・引き頼母子)利率を一定にし落札の順番のみ決めるものとがある。 10,000円の掛金で1,000円の利子をつける者もいるが、全体として一年半定期預金の 利率位の範囲で納めている。 利息制限法(昭和29年5月15日施行)の規定を越えるものは見当らない。 掛金‥=‥10,000円、5,000円、3,000円、2,000円、200円、100円等。 講田(会員所有の講田)から収穫した米が会員親睦の費用となったが、今は田を売 り、その代金を預金し、その利子を頼母子運営の費用としているものもある。 188 頼母子について(清水) 4 家計と関連を持つ一般金融との比較 銀 行・…‥担保が必要。(担保は、不動産は不可) 郵便局‥‥・・家計への金融は今のところない。(養老保険担保の貸出しは見られる。) 保 険…・‥長期にわたる。結婚資金を得る目的の保険にしても10年以上の長期にわたる。 質 屋・‥‥・質屋に質草を預けなければお金が借りられないから必ずしも便利なものではない。 また質草の評価は質草になる物品の購入価格、質草の新吉にはあまり関係なく、購 入価格が高いものであっても流行のすぐに変るようなもの等は必ずしも高い貸付け をしてもらうことは出来ない。現在、奈良市の質屋がどの程度に利用されているか は次の数字の通りである。 旧奈良市人口 150,223 世帯数 45,707 ) 46年9月現在 質屋 40軒ノ…‥・内、月、10万円の利子を上げるものは10軒 公益質屋・‥開設 昭和27年6月19日 廃止 昭和43年3月31日 廃止の理由は低利率で経営困難の為という。 頼母子……頼母子は以上の銀行、郵便局、保険、質屋に比べて次のような特徴がある。 1)親戚間、同郷人間、同信仰人間で7∼8人、多くて20人位の小人数で設立出 来、親睦共済の意識が底流となっている。会員同志の話合で容易に設立すること が出釆る。 2)負債が不名誉でなく、当然の権利と考えられている。会員全体が利用者となる しくみである。 3)会員が自分で利子の高低をつけるので興味的刺戟的であるものもあるが、利率 を一定にして利用の順番をきめるだけのものもある。 4) もし諸員の1人でもが講金を横領し、負債を返済しないならば頼母子程意質の 詐欺はないであろう。 5 ま と め 憲法第25条−すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する−に基づい て、戦後、健康保険、厚生年金、失業保険、労災保険等の社会保障制度が発達し、また漸次拡充 されて生活費の貸与や民生保護等の福祉行政も充実してきた。 更に、企業だけでなく各家庭をも対象とした金融機関の国民生活への浸透、高価な物品を買う のに便利な割賦制の発達等、庶民の経済的な生活上で頼母子を利用するという範囲は段々狭まっ ているように思われる。将釆、頼母子は消滅するであろうという疑問さえ生ずる。 しかし庶民の経済生活を検討してみれば、まだ社会保障制度その他の福祉行政も十分ゆきわた っているとも云えない。知らない者同志では金が信用だということが本旨ときれる限りは、お互 いの人間信用以外には何物ももたない庶民にとっては尚頼母子に依存する面が非常に多い。また お金を借りることは当然の権利であって、お互に気兼ねせず、堂々と借りられるという頼母子 は、庶民にとって重要な経済生活のたすけになっている。 頼母子について(清水) 189 以上の点が頼母子の経済的な基礎であるが、それに加えて次の諸点もまた頼母子の他の性格を なしている。即ち、 1.或る行事を共同で行なって共同体相互の親睦を計ること。 2.寄附に依存すれば不安定であって頼母子によらなければ存続出釆ない性格の行事の維持 等、共同体内の人々が頼母子によってお互の信頼関係をたしかめ、増進させるという一面を もっている。つまり、この精神的な性格と経済的な性格とが合一したものが頼母子の本質で あり、庶民の古来からの生活の知慧ともいうべきものが頼母子であるということが出来る。 このような頼母子は、今後とも長く庶民の間に存続するであろう。 註(1)由井健之助:頼母子講とその法律関係、岩波書店、3ページ (2)森 静朗:頼母子講について、経済集志、第32巻第5号、84ページ、日本大学経済学商学研究会 (3)三浦 圭一:中世の頼母子について、21ページ史林、京都大学文学部内史学研究会第42巻第6号 (4)前掲、由井健之助:頼母子講とその法律関係10、12ペ←ジ (5) 〝 (6)前掲、森静朗:89ページ (7)仝上 86ページ (8)前掲、由井勝之助:12ページ (9)三浦、前掲論文:21ページ 「在地街主層や商業高利貸商人の財源追求の一手段を担供し、本質的 には収奪の組織であった頼母子……」 中田 薫:頼母子の起源、国家学会雑誌 第17巻 第202号 国家学会事務所発行 明治36年12 月20日、28、29ページ (10)文明本節用集(355、356ページ)顛㊥車 間監1博什儲け−研一 正博剋建 玉11合唱1鐙蛸岳周欄Ⅲ私刑−1珂描け牲Rh 天正十八年本節用集(言語進退の部にあり)、項㊥怖I E峠は鴫知訳M妬1討喩電1醤N事 古本下学集(75、76ページ)東京教育大学蔵 噴け7 白月郎敷詰中計麗】鐙ユ喩増配N 明応本節用集(69ページ)巾只 (11)前掲(1)と同様 (12)三浦 周行:法制史の研究 942ページ 昭和33年10月30日 岩波書店 (13) 〝 (14)細目 亀市:中世の頼母子に就いて、社会政策時報1月号 第184号125ページ (15)前掲:細川亀市124ページ (16)農林省経済厚生部編、頼母子講規約例 農村金融資料 第四号 昭和11年3月 9ページ (17)前掲:森静朗 85ページ (18)前掲:農林省経済厚生部編、頼母子講規約例 (19)前掲:中田薫 28、29ペ←ジ (20)前掲:中田薫 28ページ (21)前掲:由井健之助 5ページ (22)前掲:由井健乏助 8ページ (23)前掲:由井健之助 9ページ (24)前掲:中田薫 43、44ページ (25)前掲:森静餌 86ページ (26)前掲:由井健之助11ページ 190 頼母子について (27)前掲:森静朗 87ページ (28)前掲:由井健之助10ページ (カ)前掲:由井健之助12ページ (30)前掲:由井健之助19ページ (31)前掲:由井腱之助18ページ (32)前掲:由井健之助19ページ (33)前掲:農林省経済厚生部編、頼母子講規約例18ページ (34)前掲: 仝上 81ページ (35)前掲: 仝上 73ページ (36)近藤 文二:社会保険 岩波書店 昭和38年5月31日 390ページ (37)前掲:農林省経済厚生部編、頼母子講規約例 76ページ (38)前掲: 仝上 74ページ (39)前掲: 仝上 83ページ (1972年5月31日受理) 191 THE 'TANOMOSHF -ITS HISTORIC PROCESSES AND PRESENT Kiwa Department The of Home Economics, 'TANOMOSHI' as they current in Japan since people, managed autonomously available that the TANOMOSHI Our investigation, practice household conclusion enforced it, Medieval means of financing the by the and unless State Of Education, of association it is a system of mutual Nara, Japan which of financing assistance. prevalent, has for passed common Nowadays, it might almost when be assumed outmoded. amply also to the any radical authorities, spirit are everywhere among the common people, financing is that, is a body days; in the is already however, Shimizu Nara University call SITUATIONS- the shows that this system still to this betterment measures of their social relations. for common people's TANOMOSHI system is who resort will never with fail largely a view in to their Our final welfare are to survive.
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