ヘブライの英雄像

ヘブライの英雄像
旧約単篇
列王記の福音
ヘブライの英雄像
列王記下 22,23 章
「英雄」という概念は元々ギリシャのもので、聖書にはそういう意味の英
雄はいない、と言うほうが正確でしょう。その意味では、「ヘブライの英雄」
という呼び名自体、矛盾しているとも言えます。ギリシャ人が「英雄」と呼
んだのは、単に能力の秀でた人とか、偉業を成し遂げた超人のことではあり
ません。
英語の“hero”の語源でもある《》は、例えばトロイ戦争の勇士ア
キレウスとか、宿命と対決する悲劇の王オイディプスとか、人間としての自
分の限界や悲しさを知り過ぎるくらい知っていながら、なお運命に体当たり
してでも向かって行く勇者です。
20 年ほど前、大阪聖書学院学生会新聞部というのがありまして、木村碩明
さんが編集長で機関紙が数回続いた時の、第何号かに寄稿した文章がありま
す。「悲劇の精神」という題なんですがそれにこんなことが書いてあります。
「ギリシャ悲劇の精神は一口にして言うならば、破滅・絶望と分かっていな
がら、なおそれに渾身の力を振り絞って向かって行く人間の、崇高な美しさ
である。そこへ体当たりすれば砕け散ることは、分かり過ぎる位分かってい
ながら、それでもなおそれを突き破り、それを超克しようとして突進して行
く、人間という存在の意地である。」
こういう絵はヘブライの聖書にはないし、反対にギリシャには聖なる神と
その前に立つ人間という考え方はありません。でも皮肉な見方をすれば、ノ
アもアブラハムも、サウルもダビデも、ある意味でそういう限界に体当たり
して砕けて散った英雄であったと、言えなくもありません。もちろん
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命の源泉である生ける神に知られていた彼らは、全く別の次元―霊の世界
に生きていたのですけれど、「罪ある者」「死すべき者」でありながら、「あ
なたたちは聖なる者となりなさい」(レビ 19:1)という絶対命令を真っ正
面から受けて、どこまで清く正しい者であり得るかの限界に挑んだという意
味では、「ヘブライの英雄」という概念も成り立つのではないかと思います。
今日はこの正に滅亡前夜のユダ王朝に、キラリと輝いた信仰の人ヨシヤ王
という人物を取り上げる訳ですが、ユダ王朝末期の偶像礼拝と堕落の時代…
…悪名高きマナセ王や、それに家臣たちにまで見放されて暗殺されるアモン
の退廃の中から、一人の理想的な王が突如出現して宗教改革を実現する……
という普通の見方とは別の見方をしてみたいのです。つまり、裁きと滅亡は
もはや避けられない末期的なエルサレムで、一人のヘブライの“英雄”……
と言いますのは、必ず失敗して破滅するに決まっている状況の中で、その不
可能事に体当たりで挑戦して砕け散って行く“霊の人”ヨシヤというギリシ
ャ悲劇的な、ちょっと意地悪い視点から眺めたいのです。そういう意味では
アブラハムもモーセも、みな英雄ですが。
まずヨシヤについての列王記の霊的評価と総合点を、22 章の冒頭の部分か
ら……。
1.ヨシヤは八歳で王となり、三十一年間エルサレムで王位にあった。その
母は名をエディダといい、ボツカト出身のアダヤの娘であった。 2.彼は主の
目にかなう正しいことを行い、父祖ダビデの道をそのまま歩み、右にも左に
もそれなかった。
18 章に出たヒゼキヤについて列王記は、「その後ユダのすべての王の中で
彼のような王はなく、また彼の前にもなかった」と書いていますから、あの
箇所ではヒゼキヤを最高と見ているのでしょう。これは、アッシリアに屈服
せず、どこまでも生ける神に信頼し抜いたという意味でです。これに対して
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このヨシヤへの高い評価はむしろ、国の宗教の堕落をモーセの律法の書によ
って粛正したという、宗教改革者としての評価です。さてそのヨシヤの改革
はどこから始まったかです。
1.エルサレム神殿で律法の書が発見される。22:3-13.
3.ヨシヤ王の治世第十八年に、王はメシュラムの孫でアツァルヤの子であ
る書記官シャファンを主の神殿に遣わして言った。 4.「大祭司ヒルキヤのも
とに上り、主の神殿に納められた献金、すなわち入り口を守る者たちが民か
ら集めたものを集計させなさい。
これは、神殿の会計監査と棚卸しみたいなことをやらせたものでしょう。
特に神殿の銀の在庫をしらべさせた。「集計させ」というのは銀を熔解させ
てまとめたのであると、ロビンソンは説明しています。この神殿会計の改革
から手を付けたところ、大変なものが倉庫の奥から出てきました。
8.そのとき大祭司ヒルキヤは書記官シャファンに、「わたしは主の神殿で
律法の書を見つけました」と言った。ヒルキヤがその書をシャファンに渡し
たので、彼はそれを読んだ。 9.書記官シャファンは王のもとに来て、王に報
告した。「僕どもは神殿にあった献金を取り出して、主の神殿の責任を負っ
ている工事担当者の手に渡しました。」 10.更に書記官シャファンは王に、
「祭司ヒルキヤがわたしに一つの書を渡しました」と告げ、王の前でその書
を読み上げた。 11.王はその律法の書の言葉を聞くと、衣を裂いた。
王が衣を裂いたのは、霊的なショックと悲しみを表したものです。この何
十年間エルサレムで行われて来た宗教が、何と主の意志に反する堕落したも
のであったか……!
12.王は祭司ヒルキヤ、シャファンの子アヒカム、ミカヤの子アクボル、書
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記官シャファン、王の家臣アサヤにこう命じた。 13.「この見つかった書の
言葉について、わたしのため、民のため、ユダ全体のために、主の御旨を尋
ねに行け。我々の先祖がこの書の言葉に耳を傾けず、我々についてそこに記
されたとおりにすべての事を行わなかったために、我々に向かって燃え上が
った主の怒りは激しいからだ。」
聖書の言葉に基づく宗教改革の“走り”でしょうか。それにしてもエルサ
レムの宗教が長年、律法の書など見ないで行われていたと言うのも驚きです
が。祭司やレビ人の口伝と慣習でやっていた中へ、時代の流れとか、民衆の
宗教的な嗜好に合うものを入れるとかして、変わってしまっていたのでしょ
う。このとき発見された律法の書一巻―
hr'ATh; rp,se
と言うのは、恐らく
申命記だったのではないか……とは旧約専門の学者たちの意見です。その理
由はこの後ヨシヤが行った改革の性質が、申命記の内容と一番よく符合する
と言うのです。たとえば公認礼拝所の一か所への集中―エルサレムの律法
宗教以外は全部粛正するとかです。
この後すぐ、王の命によって五人の祭司が、主の意志を預言者に求めます。
預言者フルダ
hD'l.xu
は女性です。士師記のデボラ以来です……聖書の読者
にとっては。
2.預言者フルダが伝えたヨシヤ王への言葉。 :14-20.
14.祭司ヒルキヤ、アヒカム、アクボル、シャファン、アサヤは女預言者フ
ルダのもとに行った。彼女はハルハスの孫でティクワの子である衣装係シャ
ルムの妻で、エルサレムのミシュネ地区に住んでいた。彼らが彼女に話し聞
かせると、 15.彼女は答えた。「イスラエルの神、主はこう言われる。『あ
なたたちをわたしのもとに遣わした者に言いなさい。16.主はこう言われる。
見よ、わたしはユダの王が読んだこの書のすべての言葉のとおりに、この所
とその住民に災いをくだす。17.彼らがわたしを捨て、他の神々に香をたき、
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自分たちの手で造ったすべてのものによってわたしを怒らせたために、わた
しの怒りはこの所に向かって燃え上がり、消えることはない。
ユダ王朝の堕落はもう手遅れなのです。特に二代前のマナセに至って退廃
と不信仰は行き着く所まで行っていた。どんな悔い改めも、どんな改革もも
う取り返しがつかないのです。ただ、ヨシヤ王の自覚と悔い改めは主も評価
なさった。
18.主の心を尋ねるためにあなたたちを遣わしたユダの王にこう言いなさ
い。あなたが聞いた言葉について、イスラエルの神、主はこう言われる。 19.
わたしがこの所とその住民につき、それが荒れ果て呪われたものとなると言
ったのを聞いて、あなたは心を痛め、主の前にへりくだり、衣を裂き、わた
しの前で泣いたので、わたしはあなたの願いを聞き入れた、と主は言われる。
20.それゆえ、見よ、わたしはあなたを先祖の数に加える。あなたは安らかに
息を引き取って墓に葬られるであろう。わたしがこの所にくだす災いのどれ
も、その目で見ることがない。』」彼らはこれを王に報告した。
「安らかに息を引き取って墓に葬られる」とフルダは言いましたけれど、
ヨシヤの最期は、エジプト王の軍をメギドに迎え撃って殺されるのですね。
彼の遺体は二輪戦車でエルサレムに運ばれて、王家の墓に確かに葬られてお
ります。しかし我々読者の得る印象は決して「安らかに」という死に方では
ありません。フルダの言葉、「安らかに息を引き取る」は、ヨシヤがエルサ
レムの滅亡を見ることなく、その前に死去することを、婉曲に表現している
のものと見るべきでしょう。
3.エルサレムとユダ全土にわたる改革と粛正の努力。 23:1-14.
先程の見方によるなら、一人の英雄の悲痛な努力です。一時的にエルサレ
ムは粛正されますが、破滅は避けようがありません。それでもヨシヤの信仰
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と良心は、やるだけのことはやらずには済まされません。政治改革、宗教祭
儀の改革、偶像と売春の粛正に彼は手を着けます。まず 1 節以下は、王自ら
先頭に立って、主の御前で民を契約に加わらせるところ……。
1.そこで王は人を遣わして、ユダとエルサレムのすべての長老を自分のも
とに集めた。 2.王は、ユダのすべての人々、エルサレムのすべての住民、祭
司と預言者、下の者から上の者まで、すべての民と共に主の神殿に上り、主
の神殿で見つかった契約の書のすべての言葉を彼らに読み聞かせた。3.それ
から王は柱の傍らに立って、主の御前で契約を結び、主に従って歩み、心を
尽くし、魂を尽くして主の戒めと定めと掟を守り、この書に記されているこ
の契約の言葉を実行することを誓った。民も皆、この契約に加わった。
この後いよいよ王は、主の神殿の中にあったバビロンの星を祭る祭壇や祭
具の類を処分します。こんなのがエルサレム神殿の中まで持ち込まれていた
と言うのですが、それよりショックなのは生殖力礼拝のアシェラとか、その
神殿娼婦の館とか、これがシオンの神殿境内にあったというのは、ちょっと
考えられないですがこれがエルサレムの宗教、しかも主の宮で行われていた
のです。
4.王は大祭司ヒルキヤと次席祭司たち、入り口を守る者たちに命じて、主
の神殿からバアルやアシェラや天の万象のために造られた祭具類をすべて運
び出させた。彼はそれをエルサレムの外、キドロンの野で焼き払わせ、その
灰をベテルに持って行かせた。 5.王はユダの諸王が立てて、ユダの町々やエ
ルサレム周辺の聖なる高台で香をたかせてきた神官たち、またバアルや太陽、
月、星座、天の万象に香をたく者たちを廃止した。 6.彼はアシェラ像を主の
神殿からエルサレムの外のキドロンの谷に運び出し、キドロンの谷で焼き、
砕いて灰にし、その灰を民の共同墓地に振りまいた。 7.彼は主の神殿の中に
あった神殿男娼の家を取り壊した。そこは女たちがアシェラ像のために布を
織っていたところでもあった。8.王はユダの町々から祭司をすべて呼び寄せ、
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ゲバからベエル・シェバに至るまでの祭司たちが香をたいていた聖なる高台
を汚し、城門にあった聖なる高台をも取り壊した。これは町の長ヨシュアの
門の入り口にあり、町の門を入る人の左側にあった。 9.聖なる高台の祭司た
ちは、エルサレムの主の祭壇に上ることはなかったが、その兄弟たちにまじ
って酵母を入れないパンを食べた。
7 節は「神殿男娼」と訳していますけれど、「娼婦の家と男娼の家とを」
と訳すべきだろうと、ヘブライ語の専門家は見ています。~yvideQ.h; は
tAvdeQ.h;
「神殿娼婦」を含む総称と見られると。旧約聖書の宗教にそんなものが入り
込むなど、およそ考えられないのですが、王家もそれを好み、民もそういう
宗教の方が有り難かったのです。ヨシヤが取り払うまでは、一時的に引っ込
めて自粛するとか、その程度で続いていたと言うのはヒドイものです。
10 節は人身御供のモレク教の廃止です。エルサレム神殿の真下の谷に「ト
ペテ」と呼ばれた恐ろしい祭壇があったのを、破壊して、何か汚れたものを
その上に撒き散らして使えなくした。この場合は何を掛けたか不明ですが、
後の方の記事では人骨とかそれを焼いた灰を掛けています。それでその場所
の神聖さが犯されて不浄になるというのが、ヘブライ的発想です。11 節以下
は太陽を拝む宗教、最後の 14 節はまたアシェラの石柱で、これは古代社会特
有のセックス礼拝ですが、これもエルサレムの東に礼拝所があったと言うの
です。
10.王はベン・ヒノムの谷にあるトフェトを汚し、だれもモレクのために自
分の息子、娘に火の中を通らせることのないようにした。 11.彼はユダの王
たちが太陽にささげて、主の神殿の入り口、前庭の宦官ネタン・メレクの部
屋の傍らに置いた馬を除き去り、太陽の戦車を火で焼いた。 12.王はユダの
王たちがアハズの階上の部屋の上に造った祭壇と、マナセが主の神殿の二つ
の庭に造った祭壇を取り壊し、そこで打ち砕いて、その灰をキドロンの谷に
投げ捨てた。 13.王はエルサレムの東、つまり滅びの山の南にあった聖なる
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高台を汚した。これはイスラエルの王ソロモンが、シドン人の憎むべき神ア
シュトレトのため、モアブ人の憎むべき神ケモシュのため、アンモン人の忌
むべき神ミルコムのために築いたものであった。 14.彼は石柱を砕き、アシ
ェラ像を切り倒し、人の骨でその場所を満たした。
4.ヨシヤの改革は北王国の町々にまで及ぶ。 :15-25.
既にアッシリアに蹂躙されて、住民の大多数が捕虜として移住させられた
地方です。15 節のベテル、19 節のサマリア、いずれもヤロブアム、アハブ以
来の偶像礼拝の中心地でした。
15.彼はまたベテルにあった祭壇と、イスラエルに罪を犯させたネバトの子
ヤロブアムが造った聖なる高台、すなわちその祭壇と聖なる高台を取り壊し、
更に聖なる高台を焼いて粉々に砕き、アシェラ像を焼き捨てた。……
19.ヨシヤはまたサマリアの町々にあった聖なる高台の神殿をすべて取り
除いた。これらはイスラエルの王たちが造って主の怒りを招いたものであっ
た。彼はベテルで行ったのと全く同じようにこれらに対しても行った。 20.
彼はそこにいた聖なる高台の祭司たちを一人残らずその祭壇の上で殺し、人
の骨をそこで焼き、エルサレムに帰った。 21.王はすべての民に命じて言っ
た。「この契約の書に記されているとおり、あなたたちの神、主の過越祭を
祝え。」 22.士師たちがイスラエルを治めていた時代からこの方、イスラエ
ルの王、ユダの王の時代を通じて、このような過越祭が祝われることはなか
った。 23.ヨシヤ王の治世第十八年に、エルサレムでこの主の過越祭が祝わ
れた。
24 節を見ますと、ヨシヤの粛正の対象となったものには、八卦、占い、霊
媒の類いがふくまれております。本当は生ける神御自身が統治しておられる
歴史と人生の運命を、別の霊的存在の力に帰して人を暗示に掛けることは、
神を否定する罪だからです。霊にしても運命にしても占い者は信じている訳
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ではなくて、仮に人間が名前をつけて、人間が自ら「運命を左右する」と豪
語しているだけです。未来を知る錯覚で安心したり、安心を与えたりするの
は、生ける神を信じて「未知のまま」委ねる信仰の道と正反対の姿勢になり
ます。
24.ヨシヤはまた口寄せ、霊媒、テラフィム、偶像、ユダの地とエルサレム
に見られる憎むべきものを一掃した。こうして彼は祭司ヒルキヤが主の神殿
で見つけた書に記されている律法の言葉を実行した。 25.彼のように全くモ
ーセの律法に従って、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして主に立ち帰っ
た王は、彼の前にはなかった。彼の後にも、彼のような王が立つことはなか
った。
最後の言葉は、最初に引用した 18 章 5 節のヒゼキヤに関する評価と矛盾す
る、と言えば言えるのですが、先程申し上げた通り別の基準を立てて「最高」
と評価していると考えれば、列王記が矛盾したことを書いていると言う程の
ことではないでしょう。ヒゼキヤは一つの角度から見て最高、ヨシヤももう
一つの角度から見て最高なのです。この二人の霊的最高峰に挟まれて、ユダ
の最低の谷間マナセの時代が 21 章にある訳ですが、今日はその最低の所を省
略いたしました。
5.ヘブライの英雄ヨシヤ王の悲劇的最後。
:26-30.
ヨシヤの改革は決して無駄ではなかったし、神もお喜びになった筈です。
しかしそのヨシヤの懸命の努力と祈りにも拘わらず、坂道を下り始めたユダ
王国の末路は加速してゆきますし、ヨシヤ自身アッシリアの防衛前線を守っ
て討ち死にします。19 章のように鼠は加勢に出ないで、今度はネコに食われ
ます。エジプト第 26 王朝のファラオ・ネコーです。ヘブライ語表記は
Akn> h[or.P;
です。こうして、せっかくの改革もエルサレム神殿の浄化もすべ
て、ヨシヤの死と共に中途半端の未完成に終わります。
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26.しかし、マナセの引き起こした主のすべての憤りのために、主はユダに
向かって燃え上がった激しい怒りの炎を収めようとなさらなかった。 27.主
は言われた。「わたしはイスラエルを退けたようにユダもわたしの前から退
け、わたしが選んだこの都エルサレムも、わたしの名を置くと言ったこの神
殿もわたしは忌み嫌う。」 28.ヨシヤの他の事績、彼の行ったすべての事は、
『ユダの王の歴代誌』に記されている。 29.彼の治世に、エジプトの王ファ
ラオ・ネコが、アッシリアの王に向かってユーフラテス川を目指して上って
来た。ヨシヤ王はこれを迎え撃とうとして出て行ったが、ネコは彼に出会う
と、メギドで彼を殺した。30.ヨシヤの家臣たちは戦死した王を戦車に乗せ、
メギドからエルサレムに運び、彼の墓に葬った。国の民はヨシヤの子ヨアハ
ズを選んで、油を注ぎ、父の代わりに王とした。
「あなたは安らかに息を引き取って墓に葬られる」というのはこれだった
のですね。王は主の憐れみを受けて、少なくともエルサレム炎上と大殺戮は
見なくて済んだし、ゼデキヤのように面前で息子たちが処刑されるのを見る
ことも、両眼をくりぬかれて青銅の足枷をはめられてバビロンに連れて行か
れることもなかった。それを「安らかに息を引き取る」と、フルダは言った
のでしょう。
《 結 論 》
ついに列王記もユダ王国崩壊の前夜に達しました。次の 24 章から 25 章は
いよいよ「エルサレムの陥落」です。今日読んだ二つの章の感想とコメント
を、イエス・キリストの時代と結びつけながら、ごく簡単に述べます。
まず驚いたのは、エルサレムの聖なる神殿の境内に、太陽礼拝の二輪戦車
と馬の銅像か石像か分かりませんけれど、そんなのを祭ってあったとか、神
殿のすぐ下の谷には幼児や幼女を丸焼きにして捧げる祭壇はあるは、聖なる
都では心霊ドラマの上を行くような霊媒は流行ってるは、エルサレムの周囲
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の高台は生駒山顔負けの諸宗教の礼拝所で繁盛していは、中でも娼婦や男娼
を買うことが神様のお恵みに与かる道だという宗教が大衆を救済していたと
か……。そのアシェラの石柱は主の神殿の中にまであって、大祭司も寛大に
容認していたものか。神殿娼婦と神殿男娼の家が聖なる境内に……これは貴
族王族専用であったのか……とにかく出エジプト記からサムエル、列王記に
至る 700 年の聖なる民族の歴史は結局あれは何だったのか、と溜め息をつく
ような乱脈ぶりが、ユダ王国とエルサレム滅亡直前の実情だったのです。
これを浄化粛正しようとして、聖書の御言葉を規準に改革の努力をしたヨ
シヤ王を私は「ヘブライの英雄像」と名付けました。「無駄な抵抗」とは言
いませんが、言わば「発作的浄化運動」を悲しいまでに勇敢に推し進めたヨ
シヤ。やるだけはやって、大浪のような滅亡にさらわれて行った聖書主義者、
純粋主義者のヨシヤを見ていると、私は若い時のタルソのサウロの修行を連
想します。私という人間は自力で浄化できない。改革で救うことはできない。
「掟が登場したとき、罪が生き返って、わたしは死んだ。……わたしの肉に
は善が住んでいないことだけは確か。なんとみじめな人間か……この私は!
これは死の体としか言いようがない!」少し飛躍して聞こえるかも知れない
が、聖なる神の怒りを受けて裁かれるしかない神殿、神御自身が手を伸べて
清めて下さらない限り腐り果ててゲヘナの火に焼かれるしかないものを、姑
息な修行や清めではなく、神の子の血で清めて戴く道だけがあると見極めた
人が、タルソのサウロでしたが……。列王記の描く末期的症状のエルサレム
は、罪人の絶望と希望の境目を暗示しています。
今の観察がもし飛躍し過ぎに聞こえるなら、ドライにエルサレム宗教の浄
化と改革だけに絞って考えてみてもいいのです。その場合、福音書の中から
連想されるのは、神殿の境内で鞭を振るって荒れ回ったと伝えられるイエス
御自身のお姿です。両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。
「あなたたちはこの祈りの家を強盗の巣にした!」……そうおっしゃったの
です。
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ヘブライの英雄像
昔からあの場面は「宮清め」cleansing of the Temple と呼ばれることが多
いのですが、宮を清めたと言うよりは、宮をあの時裁いてしまわれたのであ
るとは、何人もの研究家が指摘する通りです。もちろんイエスが縄の鞭を振
るわれた時には、もう境内には恐るべき風俗営業などは無かったし、太陽の
戦車もアシェラの石柱も存在しませんでした。あったのは供え物を売る業者
の利権と大祭司の権力の癒着くらいのことです。しかし神殿の宗教はもう命
を失って人を救えないことを見て取っておられた。死んで落ちて行く人間を
生かす力は、神の子の命、罪を清める血の力と、死人を起こす復活の命しか
無かった。それを下さったイエス・キリストは私どもの体という神殿を清め
尽くしてしまわれました。ヨシヤが必死でやったいじらしい事業とは、次元
的に違っていたのが主の新しい宮造りだったのです。
(1989/08/27)
《研究者のための注》
1.本講で説明を省略した 15~18 節の記事は、列王記上 13 章にある、ユダからベテルに
来てヤロブアムに裁きを宣言した無名の神の人の記事とつながります。私の列王記を
テキストにしたスピーチの中では、1986 年 2 月大阪聖書学院での「神の人の最期」
―副題“お粗末マイナー神の人”があります。
2.ベン・ヒノムの谷がこうして汚されて呪われた地となった結果、この地名が訛ったゲ
ヘナという言葉を生みました。
3.「神殿男娼の家」(7)と訳された
~yvideQ.h; yTeB'-ta,
については本文中で説明しまし
たように、ケデシームは男女両性を含む総称であろうとは大体専門家の一致した見解
です。ただし「男娼」の方が果たして男子を相手にした倒錯的なものか(バアルとア
シェラの生産力の宗教としては不自然?)それとも女性の礼拝者を相手にしたものか
(イスラエルの婦人たちの場合、貴族階級でも婦人にそのような“礼拝"行為が許され
たか?)不詳です。Snaith は明らかに前者と解しており、Keil は“paramour”とい
う語を使って、後者と解しているようにも見えます。
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