サンフランシスコすしセミナー2004

サンフランシスコすしセミナー2004
主催 北カルホルニア日本食レストラン協会
場所 CALIFORNIA CULINARY ACADEMY
事の起こりは、昨年の4月1日ワシン
トン DC のウイラードホテルにて、全
米創作技術コンクールが開催された。
席上衛生と言う面でル・コルドンブルー
ロンドンのセミナーに於いて講演した寿
司の話を披露。その会場に北カリホルニ
ア日本食レストラン協会の当銘会長が同
席。その内容に大きな関心を寄せられ
講演の依頼があり渡米することになっ
た。セミナーの主旨は、全米で大変なすしブームが起こっているが、基本的な
すしの衛生観念と調理技術を持たない者も多く現れ、いつ事故が起きてもおか
しくないすし事情となっているのが現状。そしてすしイコール不衛生と言う偏
見にも似た観念を少しでも払拭すべく、マスコミと州衛生局とすしシェフ及び
調理師学校の生徒に対し衛生講習会を開催し、知識と理解を深めてもらう事に
なりました。メンバーは風戸・吉田・松田で、全国すし連の国際渉外部副委員
長の3名。過去にもチェコ・ドイツ。ワシントンDCでのイベントでいつも顔
を合わせているので気心も知れた仲である。
2004年1月21日(水)
成田空港で3人は合流し、NH008便 16:55 発サンフランシスコ行きに搭乗
した。暮れかけた成田空港を定刻より 30 分程送れて飛行機は離陸。天候が悪い
せいか 30 分以上もベルトサインは消えず、不気味な振動と幾多の小刻みなエア
ーポケット飛行を続けていた。やがて満席の飛行機は 9 時間の飛行を終え、定
刻より 30 分遅れの現地時間朝 9 時 30 分に、サンフランシスコ国際空港に到着
した。今回もテロの影響で入国審査が大変厳しい
と事前に聞かされていたが、入国は案外スムース
であった。エントランスでは北カリホルニア日本
食レストラン協会の当銘会長が、我々の顔を見る
なり手を振ってくれた。全米でも有数の規模の空
港で、国際線と国内線が隣り合わせになっている
敷地を通り抜け、一路車はダウンタウンに向かっ
た。天気が最高に良く、当銘氏の説明では今年一番だと言う。車は空気の澄み
切った日差しの眩しいハイウエーを 30 分ほど走り、サンフランシスコの日本町
に到着した。車から荷物を降ろしホテルに入り、ワシントンでお会いした小峰
さんと現地理事の名畑さんMikiさんの歓迎を受けた。チェツクインの時間
には早いので荷物をフロントに預ける事になったが、出迎えてくれた名畑さん
の計らいで部屋に入る事が出来、シャワーも浴びることが出来た。30 分後フロ
ントで皆さんと落ち合い日本町を散策し、コーヒーを飲みながら打ち合わせに
入った。正午過ぎ今回のイベント先であるCALIFORNIA CULINARY AKAD
EMY (CCA)を訪問した。この調理師学校は、カリホルニアでも大変名の通っ
た学校であり、コルドンブルーと姉妹校であった。講師の 2 人はイギリスのコ
ルドンブルーから来ていると言う。昔は劇場であったと言う建物は、歴史の重
みとその佇まいが賓の良い学校を物語っていた。日本人の母を持つと言う女性
講師のNancy Seyfertさんの歓迎を受け、施設内の授業を覗かせ
ていただいた。どこの教室の生徒も真剣な眼差しで授業を受けており、我々の
訪問を大変歓迎してくれた。1階は大変広いレストランになっており、生徒が
作った料理がレストランの料理として提供されている場所でもあった。教室の
一部のアジアン料理の教室に顔を出すと、すしに関しての質問も多く寄せられ、
急遽金曜日に授業をする事となった。翌日のデモンストレーションの様なもの
でもあるので、我々も乗り気で承諾した。調理師学校の関係者と会うにしたが
い、今回のイベントへの期待とその重みがひしひしと伝わって来た。しかしま
だそのイベントの進行方法と、内容の表現方法に理解してない面があるので詰
めが必要である。
調理師学校を出てサンフランシスコの有名な曲がりくねった下り坂のロンバー
ドストリートを抜け、観光地としても有名なフィシャーマンズワーフへと向か
った。ここでは有名な蟹を食べての打ち合わせをした。天候も最高であるので
サンフランシスコの代名詞であるゴールデンゲート・ブリッジを渡ることにな
った。つい最近50周年の式典を行った橋はその歴史を物語るかのようにその
古さを見せていた。しかしすばらしい建
造物の迫力と、この地の景色に同化した
風情に魅了された。橋を渡り対岸の展望
台から湾内を
望むと眩しい
陽射しの中、監
獄島としても
有名なアルカ
トラズ島が望
め、それを包むかのような潮流の速さが目を引いた。その段差のある銀色に輝
く水面には、無数のカモメが群がって目を引いた。なにやらニシンが遡上し産
卵をしているらしい。その光景を見学するため港に出てみると、岸辺にカモメ
が群がって、岩場の海藻に産み付けられた卵を啄ばんでいた。驚いた事に子持
ち昆布の原型である。夕刻日本町のBENIHANAで、現地の役員の皆さんと会食
をして打ち合わせを行った。この時全米レストラン教育財団食品衛生公認講師
の安田武彦氏に、米国の衛生局と日本との見解の違いを指導して頂いた。和や
かにテーブルを囲んで、来るイベントに話は弾んだが、時差ボケと寝ずの頭は
焦点がずれている。細かい事は明日に見送って食事を済ますと9時過ぎにホテ
ルで即沈没。
1月22日(木)
昨夜は早く寝たためか夜中に目が覚め深夜の3時過ぎにPCのタイピングをし
た。するとアルツハイマーの徘徊老人のごとく、吉田さんがドアをノックして
来た。松田さんは何の感情も無く獣のごとく寝ていたようである。
朝ホテルのレストランで食事を済ませ、名畑さんの出迎えを受け日本町にある
北米毎日新聞社、日米タイムズ社を訪問。10時過ぎ当銘さんの車に乗って今
日の観光に向かった。目的地はカリホルニアワインで有名なナパバレーである。
サンフランシスコから北西に向かって50キロ程のところである。ワイナリー
の続く主要道路は47キロ程あり幅の広い所は 6.5 キロ程の巨大な盆地のよう
である。ナパの名前はネイティブアメリカン部族の名前に由来している。季節
的に葡萄の葉
が落ち、枯れた
幹が整然と列
を成す様は、飾
らぬこの地の
基礎を見せて
いた。しかし視
界一面葡萄畑であり見事である。冬の低い斜陽は嫌が上でも裸眼を刺し、目を
覆いたくなるようである。こちらの人がサングラスをしているのが良く分かっ
た。途中小峰さんと落ち合い最初のワイナリ
ーを見学。裏山の洞窟の中に入って各自ワイ
ングラスを持ってテースティングに向かった。
まるで巨大なシェルターの様である。程良い
気分になって洞窟を出た時の陽射しの眩しさ、
何か別世界の様である。
主要道路に戻りレストランで席待ちをしてい
ると、ワシントンDCから来た瀬川さんもレンタカーで合流。一緒に食事をす
ることになった。しかしなぜか食が進まなかった。食事を済ませて 3 台の車は
次の有名なワイナリーに向かった。まるでUFOの基地か神殿の様でもあった。
さすがここは高価なワインがあり200ドル以上のワインがあるのには驚いた。
夕刻当銘さんのお店に皆集合。サンフランシスコに戻る途中のゴールデンブリ
ッジの手前のサウサリート市である。落ち着いた佇まいの町は賓の良さが各店
舗にも出ている。当銘さんのすし欄も大変センスの良い店舗で、メニューも素晴
らしかった。しかしここでも食が進まない、どうやら体調が良くない様だ。
1月23日(金)
深夜から体がだるく嘔吐が止まらない。幸い熱や頭痛が無いが風邪をひいたよ
うだ。吉田さんから頂いた風邪薬を飲み、ほぼ一睡もしない常態で朝8時に工
藤さんの車で魚屋さんの見学に向かった。30分程ハイウエーを疾走し空港に
近い場所にあった。小さな市場の様な魚屋さんであるがその消費量はかなりの
物である。ここでも体の芯から来る悪寒とだるさで堪え様も無く辛かった。ホ
テルに帰る途中の車の中で胃が痙攣する痛さで冷や汗が出てきた。ホテルで 20
分ほど休み瀬川さんの買って来てくれた薬を飲み 10 時 40 分にCCAに向かった。
入り口にはナンシーさんが出迎えに
来ておりその期待度の高さが伝わっ
た。重い体で早速教室に入り授業を開
始した。1時間ほどの授業で全て伝わ
るはずが無いが、翌日の触りとその感
触をつかむのには絶好な機会である。
自分は体調が優れないので、吉田さん
と松田さんが技術披露、自分がその説
明とすしの衛生面の話を進めた。思い
のほか生徒達の反応は高く、真剣な眼
差しは心地良かった。多くの質問が寄せられ、すしに対する感心の高さをつか
む事が出来た。授業中にも何回かタイミングを計ってトイレに抜け出しての体
調なので、主任講師との会食は途中で退席しホテルで休む事にした。何が何で
も明日の為に体調を戻さなくては。吉田さんと松田さんはこの後も打ち合わせ
を行い、夜まで皆さんに色々な所を案内して頂いて楽しんだ様である。
夜遅くわざわざ瀬川さんがお粥を持って来てくれたが食が進まなかったので少
量喉を通して又休む事にした。
1月24日(土)
幸い深夜の3時頃少し楽になった。朝食を摂る元気も無く時間は過ぎ、ホテル
を8時に瀬川さんの車で出発。CCAまでは10分の近さである。到着すると肌
を刺す冷気が緊張感の中に感じた。時間が早い
ので会場には人影が無いと思っていたがすでに
準備の役員や多くの生徒が忙しそうに動き回っ
ていた。会場には地元の食材商社18社がスポ
ンサーとなり商品の展示をしている。9時過ぎ
に姿造りの2匹の鯛に包丁を入れ仕事に取り掛
かった。松田さんと吉田さんは細工すし、細工
巻き、笹切りの製作に取り掛かった。10時になると迫力のある和太鼓が連打
され会場に開始を告げた。鏡割りを中村総領事、校長、当銘会長、ミスカリホ
ルニアと我々で行い、200ポンドのマグロの解体ショーが始まった。
かなりの前評判で会場の期待感と熱気は最高潮、600人近くの視線がステー
ジに注がれ11時にセミナーは開始をむかえた。解説は当銘氏と坂田氏が受け
持ち、風戸が講演、技術披露を吉田さん松田さんが担当した。90分のセミナ
ーを会場で行ってはいるが、仕込み段階の鱗を取ったりする作業は厨房に入る
為、吉田さんの後をテレビカメラは忙しく追いかけた。ステージ上の大きなス
クリーンには全ての作業が映し出され、2階席からも熱い視線が注がれている。
会場の生徒や参加者は微動だもせずにステージ上に釘付けとなり、全ての生徒
が真剣にメモを取っていた。会場の参加者は巧みに翻訳されたジョークに時折
大笑いをしながら、長い時間を飽きる
事無く勉強した。セミナーが終わると、
小峰さん指揮の、レストラン協会の皆
さんが握るすしの試食である。会場は
大変な興奮と賑わいで中村総領事も
大変ご満悦だ。校長先生や学校の主任
講師の皆さんも大変な喜び様である。
会場の日本人の皆さんからは大変興味
深い話を聞かせて頂いた。すしがこんな
にも奥の深いものだったとは知らなか
ったと賛美を頂いた。勿論生徒さんから
は多くの関心が寄せられ質問攻めとな
った。そして学校始まって以来の素晴ら
しいイベントだったと、多くの関係者から労いの言葉を頂いた。夕刻小峰さん
の店キララでイベントの慰労会が執り行われた。6時近くに店に着くとすでに
客席は満員となっており、我々は席待ちをする人の脇を抜けて腰を下ろした。
2日間ほど食べ物を受け付けなかった胃が、成功の安堵感と共にようやく少し
動き始めた。小峰さんの店のメニューも多くの人に愛されており、席待ちのお
客さんが後を絶たなかった。9時過ぎに安田さんの来夢来人に会場を移しカラ
オケで成功の余韻に浸った。名畑さんの心地良い疲労感と虚脱感が嬉しいと言
った言葉が、真剣に全力で事を成し遂げた喜びを物語っていた。
1月25日(日)
朝10時に安田さんの迎えの車で市内観光
にスタート。ゴールデンブリッジの下にある
スペイン領時代の砲台跡を見学。その後太平
洋側の荒波の打ちつける砂浜へと向かった。
ここも
太平洋
に向か
って、砲
台の跡が幾つもあった。この砂浜のゴール
デンブリッジ近くの岩場は、ヌーディスト
ビーチになっていて昼頃から人が集まると
言う。しかし寒さと時間が早かったせいか人影は無かった。変わりに松田さん
と吉田さんにモデルをお願いしたが残念ながら断られた。きっと砂浜に打ち上
げられた、狸と豚の写真が撮れたと思うと残念でたまらない。でも見たくは無
いけど。
気を取り直して次は念願のサンフランシスコ名物のケーブルカーに乗る事にした。
名畑さんに引率され車を回転させる始発
から乗車した。名物だけに大変な人気で、
ものの1分で満員である。のろのろしてい
ては席には絶対座れないことを実感した。
最初はたいした距離のケーブルカーでは
無いと、想像していたが、これが大きな誤
解であることを知った。幾多の丘を越え、
曲がりくねってケーブルカーは、鐘の音と
スプリングの効かない振動音を響かせな
がら進む。これがまた嬉しくなるのは何故であろう。終点のフィシャーマンズ
ワーフに到着すると我々を安田さんが先に待ち構えていた。近くの船のミュー
ジアムに堀江健一氏のマーメイド号が展示されており見学に向かった。この小さ
い船で良くも太平洋を渡ったものだと心の底から感心させられた。同じ日本人
として誇りに思える物に遭遇した。自分達の働きは世間を驚かすような事は出
来ないが、少しでも現地で真剣に働いている人達の役に立てる事を願うばかり
だ。
チャイナタウンで当銘さんと小峰さんと合流し、食
事をすることにした。けたたましい爆竹の音が旧正
月を教えてくれた。怖くない顔の獅子舞が銅鑼の音
に合わせて踊っている。8人で飲茶を食べたが、厨
房の衛生面が想像出来るテーブルの汚さと、ウエイ
トレスの無愛想は域を超えていた。4時頃日本町に
戻り8時の夕食まで自由行動だ、自分はマッサージに向かった。ホテルに戻り
8時まで仮眠。定刻に吉田さんが迎えに来てくれたが食欲も無く気だるい体は
部屋を出ることが無かった。皆さんには失礼だが体が動かない。
1月26日(火)
早く寝たので3時には目が覚めた。早速 PC にタイピングしていると6時過ぎに
徘徊老人の吉田さんが部屋を訪問。これから風呂に入ると言う。8時には名畑
さんが日米タイムズから新聞を持ち、安田さんと当銘さんの車もホテルに到着。
毎日我々の足となって頂いたこの数日間に感謝をせずにはいられない。
町を出て車は30分もすると空港に到着、ANAのカウンターで渡航手続きを
済ませ、コーヒーを飲みながら残りの時間を名残惜しく話をした。
皆さんに見送られてセキリティーチェクを抜け、定刻の10時50分にはサン
フランシスコを後にした。機内でPCにこのレポートをタイピングしながら3
人で素晴らしいこの数日間の余韻に浸った。短い滞在であったが貴重な経験を
今回も多くさせて頂いた。
機内の客室乗務員に「すしの原点」のレポートを差し上げると大変興味を示し
て頂いた。少しでも多くの人にすしの素晴らしさを伝える旅、このような満足
感を与えて頂いた、北カリホルニア日本食レストラン協会の皆さんに深く感謝を申
し上げます。
全国すし連国際渉外部
風戸正義
松田春喜
吉田健作