Page 1 Page 2 Page 3 Page 4 Page 5 Page 6 私の専門は日本歌謡

浦 和 高 等 學 校 ⋮教 授
藤 田 徳 太 郎 著
六
國 文 學 襍 説
東京
文
館
版
は
し
が
き
大 正 十 二年 二月 から 昭 和 七年 一月 ま で 丁度 十 年間 、 時 々に書 き 認 めた 文章 を 集 め て、 此 の 一册 を作
つた。
私 の 專門 は日 本 歌謠 の研 究 に あ る の で あ るが、 本 書 の中 に は、 歌 謠 研 究 の文章 は 一つも 收 めな か つ
た。 私 の書 いた文 章 は、歌 謠 に關 す るも の が大 部 分 であ る が、 そ れを す ぺて省 いた 。併 し 、本 書 に收
めた 文章 の中 に も歌 謠 に言 及 し た も の が若 干 あ る。
總 説 以下 各時 代 に分 つ て分 類 し た 。 文章 の内 容 は、 史 的 考 察 あ り 、註 釋 あ り、 考 證 あり 、書 籍 解 題
あ り、 又國 文 學 入門 の手 引 とし て書 いた も のや 、可 成り 專 門 的 な内 容 のも のや、 そ の目 的 は 種 々雜 多
であ る が、 もし そ れ ら の文 章 の中 に 一貫 した 統 一的主 張 を 求 め ると すれ ば 、 そ れ は 、國 文 學 研究 に對
ヌー
ボーエス
プリ
す る、 一つの新 精 紳 の流 れ が見出 さ れ る事 であ ら う。 で は 、そ の新 精紳 とは何 で あ るか 。 これ は本
書 自 身 が解 答 を 示 す であ ら う 。
右 の如 き 意 昧 で、 不 滿 の多 い文章 は 省 いた。
は し が き
1
國 丈 學 襍 諡
川 柳 の 鑑 賞
みだれがみ とくもはつかし
川 柳 愚 解 抄
の 如 き、 川 柳 の歴 史 や解 釋 を述 べた 文章 を 省 いた のも そ の理 由 によ る。
源 氏 物 語 梗概 書 目解 題
同 補 遺
も 、同 じ 理由 で省 い陀。 併 し 、本 書 の中 に は、 そ の 一部 分 の 詳 し い解 題 が收 め てあ るし 、 叉、 近 く 刊
行 の筈 の源 氏 物語 研 究 書 要 覽 を も 參 照 し て頂 き た いρ
江戸 末 期 文學 の エロテ ィ シズ ム
これ は多 少 新 し い史 的考 察 を加 へた積 り で あ る が、 引 用 の文章 詩 歌 に憚 り あ るも の があ る か ら省 い
た。
平 安 朝 時 代 の 小説
これ は 、 源 氏 物語 以前 を 男 性 の文 學 と し 、 以後 を 女 性 の文 學 と觀 て、傳 詮 的 作 圭 、 文章 の變 遷 、作 品
の圭 人公 の性 の變 化 、 滑 稽 昧 の多少 等 の點 よ り、 平 安 朝 文 學 が男 性 の手 よ b女 性 の手 に移 つた 事を 論
じ 、 假 名 文字 の使用 法 の普 及 發 達 と 女 性 の學 問 の 進歩 等 よ b考 察を 加 へた も ので あ る が.私 の舊 著 源
2
氏 物語 綱 要 の、 平 安 朝 小 説 の發 逹 と題 す る 文章 の中 に收 めた から 、 本 書 には 省 いた。 本 書 の平 安 朝 物
書 いた 文章 が多 いが、 勿 論本
語 文學 概 説 た題 す る論 文 に は、 そ の 補遺 の積 り で書 か れた 所 が あ る。 此 の他 、
獨 文 日本 文學 史
そ の他 の、 書 籍 の解 題 や ら紹 介 や ら批 評 やら 意 見 やら は 、 な ほ いろ く
書 に 收 め る や う な も の で は な い。
此 ん な事 を 書 ぐ のは 、自 己 吹 聽 のや う で耻 かし い が、 でも 、自 分 の今 ま で書 い てお いたも のを覺 書
と し て記 し て おき た い5
3持 が あ る。 實 際 、 此 ん な も のを 書 い た 事 が あ る の か と 、 記 憶 の 中 に な か つ た
文 章 を 、 意 外 な 場 所 で見 出 だ し て 、 我 な が ら 驚 く 事 も あ る の だ か ら 。
本 書 に 收 め た 文 章 の中 、 未 發 表 の 文 章 も 可 成 り あ る。 何 し ろ 、 十 年 の 歳 月 が 把 つ て ゐ る の だ 。 舊 稿
に は 可 成 b 幼 稚 な も の も あ る が 、 そ れ で も 、 そ の 時 に は せ い 一杯 で書 いた と 思 ふ と 愛 惜 の 情 も 起 つ て
來 て 、 省 く に忍 び な か つた 。 文 章 の終 り に 、 何 月 稿 と あ る の は 未 發 表 の 分 、 稿 と 記 し て な い の は 、
そ の 月 の刊 行 雜 誌 類 に掲 げ た も の で あ る。
本 書 に 收 め る に あ た つ て は 、 多 少 改 訂 し 、 加 除 し て 、 原 稿 の ま ま 、 或 ひ は發 表 し た 時 の 文 章 と は 稍
違 つた 所 も あ る o
は し が き
3
國 文 學 礁 説
昔 は族 を 行 く の に 一里 塚 と云 ふ道 し る ぺ があ つた。 此 の書 も 、 一里を 十年 と 見 ての、 學 び の遣 に於
け る私 の記 念 標 であ b 、叉 、將 來 へ族 立 つ溢 し るぺ でも あ る。 此 の書 を見 て、 私 を 教 へ導 いて下 さ る
であ ら う 、 親 切 な 道案 内 の多 い事 が望 ま し い。
森銑 三氏 は、 そ の やう にし て、 私 を 手 引 し て下 す つた 先 達 の お 一入 であ る。 そ の有盆 な 御 文章 を 本
書 に收 め る事 を許 し て頂 い て、 甚 だ 光 彩 を添 へる事 が出 來 た の は、 本當 に御禮 の言葉 も な い、氏 が江
戸 時代 の文 人學 者 の傳 記 に深 邃 な る造 詣 のあ ら れ る事 は、 こ こ に云 ふ必 要 も な い事 であ る。
佐 々木 先 生 の御厚 恩 は、 今 改 め て御 禮 を申 す ま でも な い。 本 書 を編 ん で見 て、 一暦 先 生 の 御惠 澤 が
し みみ 丶 と 戚 じ ら れ る。 學 生 時 代 に承 つた澤 潟 先 生 の國 文 學 史 の御 講義 、高 木 先 生 の戰 記文 學 の御 講
義 、久 松 先 生 の上 代 文 學 の御 講義 は、私 の國 文 學 研 究 の眼 を 開 いて下 す つた。 本 書 に收 めた 論 文 の考
へ方 や觀 方 な ど に は 、 三 先生 の御 説 の影響 が多 い。
私 を 今 の地 位 に御 推 輓 下 す つた藤 村先 生 、 橋 本 先 生 の御 厚 志 も忘 れ る事 が出 來 な い。 久 松先 生 は私
の公 私 の生 活 の生 み の親 で あ る。 私 の今 日 あ る は、 全く 先 生 の賜 物 で あ る。 私 は先 生 の御 恩情 を 思ふ
た び に、怠 け て はな ら な いと 心 の ふる ひ た つのを 覺 え る。
な ほ 、本 書 の編 纂 を勸 めて下 す つた學 友 阪 口玄 章 君 の友 情 を も嬉 し く 且 つ忝 く 思 ふ。
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時 ま さ に 、 新 春 を 迎 ふ る 一週 日 前 .勿 忙 と し て 多 事 多 端 の 問 に暮 れ た 一年 を お も つ て .戚 あ b 。
入 ご と を う れた む 心 今 は な し し かす が にま た お ち ゐ か ね つ る
著
者
人 ご と の か な し く し あ れ ば ひ と り わ が 心 か そ け く う つ く し み ゆ か ん
昭和六年十 二月廿 五日大正天皇祭 の夜
は し が き
目
物 語 文
古 代 小 説 史
二、 源 氏 物 語 以前
一、 古 代 小説 の意 義
學史
小 説 發逹 の 一考 察
口誦 傳 承 の文 學
總説
次
上
三、源 氏 物 語
四 、 源 氏 物語 以後
五 、堤 中 納 言 物 語
六 、鎌 倉 時代 の 物語
七 、 お伽 草 子 、 假 名 草 子
學
語
八 、 近 世 の擬 古 物 語
九 、結
代 文
然
觀
本思想
萬 葉 集 に 現 れ た る上 代 思 想
上 篇 日
一、 自
三、國
二、 戀
家
愛
觀
觀
觀
想
術
觀
思
五、 藝
生
教
六、人
四 、宗
二 、老
一、佛
莊
教
思
思
思
想
想
想
下篇 外 來 思 想
教
段
語
三 、儒
四 、結
一
懐 風 藻 序 文註 釋
第
第
第
文
三
二
學
段
段
の 光
平 安 朝 文 學 の 一面 的 觀 察-
智
古
中
叡
ー
平安朝 物 語 文學 概 説
二、成
一、諸
定
立
本
古今 集 の 研 究 に就 い て
三、撰
世
四 、作
中
文
學
品
中 世 文 學 の 一觀 點
中 世 物 語 の特 性
- 七夕物語に就いて-
大
氏
鏡
源氏 大鏡 と三 帖 源氏 と十 二帖源 氏 と源 氏 淺聞 抄
源
源
氏
三 帖
異 本源 氏 大 鏡
十 二帖源氏袖鏡
源 氏 淺 聞 抄
源 氏 無 外 題
源 氏 の物 語 の お こ り
世
文
學
切支丹文學 の事
近
近 世雅 文概 説
近 松 と 西 鶴
近松 の曾 我 物 に就 い て
俳 諧源 氏 と田 舍 源 氏
西 行 と 良 寛
妙
談
l附 り 、歌 人 花 街 に遊 ぶ事1
々 奇
寫
眞
妙 々奇 談 餘 言 (
森 銑 三)
繪
明 治 初 期 文 學 斷 片
口
版
(
交祿元年版)
(
傳藤原清輔筆)
一、 懐 風 藻 (
天和四年版)
二 、清 輔 本 古 今 和 歌 集
天 草 本 平 家 物 語
三、切 支 丹 版 扉 紙
(傳建部凉岱筆)
ぎ や ・ど ・ べ か ど る ︿慶長四年版)
四、俳 諧 源 氏
`
總
説
ロ 誦 傳 承 の 文 學
文 學 が、語 られ た る文 學 よ り書 か れた る文 學 に移 つた も の で あ る こと は 言 ふま で も な い。原 始文 學 に
就 いて見 れ ば 、何 處 の國 でも 、 こ の語 ら れ た る文 學 が存 在 し て ゐ る。 語 ら れ た る文 學 の特 色 は 、其 が
一個 入 の創 作 では なく て、 多 數 の人 の、歌 誦 者 逹 の、 任 意 の變 改修 飾 が加 へち れた 爲 め に、 そ の文 學
の成 立 過程 に幾 變 化 し て、 長 い年 月 の問 に、 長 編 の物 語 が 完 成 し た と いふ事 であ る。 從 つ て、 そ の作
者 に つ いて は團 盟 の製 作 に な ると 言 ふ べき で、作 者 團 と も云 ふ べき 群 が存 在 す る。彼 の ギ リ シヤの ホ
總 脱
3
國 文 學 襍 読
ー マー と は 一個 入 の名 では な く て、 斯様 な作 者 群 の總 稱 で あ ると 解 す る説 は、 此 の意 昧 から肯 定 せ ら
れ る・ 次 に、 これ ら の文 學 は語 ら れ た るも の であ る から 、 從 つ て韻 文 的 で 、 一種 の韻律 を帶 び 、 且 つ
長 い物 語 を 形 成 し て ゐ るか ら 、 これ を 長篇 叙 事詩 と見 做 す こ と が出 來 る。 叙事 詩 は叙 情 詩 と共 に、最
も 原 始 的 な る文學 に存 在 し て ゐ た。 近 代 の研 究 では 、 古 い時 代 か ら云 は れた 、 叙情 詩 、叙 事 詩 、 劇詩
と い ふ三段 の詩 の展 開 を 認 めす に 、叙事 的叙 情 詩 と も い ふ べき 物語 詩 、
譚 歌 )を 、
原 始文 學 の最 初 の段階
で あ るとす る説 があ る。 次 に、 そ の語ら れ た る文 學 の内 容 は 、 英 雄 が圭入 公 で、 終 始 英 雄 の行 爲 活動
◎
を 描 いた も の であ り、 戰 鬪 と 戀 愛 と は 、 そ の事 件 の中 の最 も 主 な るも の で あ る。 次 に語 ら れ た る文學
は ・ 其 か ら其 へと .傳 播 口授 せら れ た も の で 、常 に歌 誦 者 の修飾 が加 は つて ゐ る から 、 そ の文 學 の形
態 は 常 に淨游 流 動 し て 、語 句 の如 き は 一定 の形 を持 た す 、事 件 の原 因 結果 の如 き し ばノ丶 變 化 す る。
從 つて、 此 の作 ら れ た る 文學 を或 入 々が筆 記 し て 、書 か れ た る文 學 に移 ず時 には 、 そ の語 b 手 の相 違
に よ つて、 種 々外 形内 容 に變 化 を 生 じ て、 一定 の形式 を 持 つも の で は な い。即 ち 、語 ら れた る文學 を
記 載 す る時 は、 其 の置ハ
相 の 一部 分 を 記載 す る こと を得 ても 、 全 き姿 の捕 捉 はな かノ 丶出 來 難⋮
い ので あ
る 。斯 様 にし て語 ら れ た る文學 を記 載 し たも の には、 本 によ つて甚 だし い差 異 が あり 、 異本 を多 く 生
せ し めた のも此 の理 由 によ る。 以 上 あげ た四 點 の他 、 語 ら れ た る文 學 の重 要 な る特 色 は獪 多 いが、 今
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そ の最 も圭 な るも のを 、 こ 丶にあげ た の で あ る。 而 し て斯 樣 な 意 味 に於 け る語 られ た る文學 - 1 即 ち
口誦 傳 承 の文 學 を、 我 が國 文 學 の中 に つ い て、考 へて見 た いと 思 ふ。
先 づ上 代文 學 で は古 事 記 日 本書 紀 の紳 話 傳 詮 がそ れ であ る。 風 土 記等 に含 ま れ て ゐ る傳 説 も 之 に附
隨 す る。就中 重 要 な の は古 事 記 であ つて、 古事 記 は稗 田 阿 禮 の語 れ るを 記 し 紀 も ので あ る。これ は最 も
忠 實 な る語 られ た る文學 の記 載 で あ る。 古 事 記 の文章 が韻 文 的 で あ b對 句 的 であ る こ と は、 こ の點 に
最 も原 因 し てゐ る。 近頃 の有 力 な學 者 の間 で は、 古事 記 は語 ら れ た も の で は なく 、 稗 田 阿禮 は古 事 記
の 訓方 註 解 を 覺 え てゐ てこ れを 示 し た も の に過 ぎな いと いふ説 が行 は れ て ゐ るが、 そ の論 據 は 不充 分
で私 は未 だ そ の諡 を 信 じ な い。 さ て、紳 代 以來 の傳 諡 は語 部 によ つ て傳 へら れ て來 た 。 風 土 記 に收 め
ら れ た神 話 傳 詮 も、 其 々の國 に ゐた 地 方 の語部 の徒 の傳 へた も の で あ る。 從 つ て、 こ れ ら の語 部 が紳
話 傳 説 の作者 群 と も いふ べき位 置 に あ る。 且 つ、 日 本書 紀 では ﹁一書 云 ﹂
等 と記 し て、 同 一読話 に對 す
る異 論 を 多 く 掲 げ てゐ るの も 、前 述 の理由 によ つて、 読話 の煩 雜 な る差 異 が生 じた の であ る、
上 代紳 話 傳 諡 が語 ら れ た る文 學 に即 し た も のな る こと は 今 議 論 の餘 地 は な い。 併 し人 が多 く氣 が つ
か す にゐ るの は 、鎌 倉 室 町 時 代 に於 け る戰 記物 で あ る。 通 常 戰 記 物 と い へば 保 元 物語 、 平 治 物 語 、平
家 物 語 、 源 平 盛衰 記、 太 平 記 、曾 我 物 語 、義 經 記 が主 な る も ので あ る が、 こ の中 源 平 盛 衰 記 は平家 物
線 畿
5
、
國 丈 學 襍 説
語 の 一異 本 に過 ぎ な い の であ つ て全 く別 種 の本 では な い。 以上 の書 が何 れ も私 の初 に詮 明 し た條 件 に
か な ふ 口誦 傳 承 の文 學 な の で あ る。 而 し て 、保 元 平 治 平家 の 三物語 は 、琵 琶法 師 の徒 によ つて語 ら れ
た も の で、即 ち 琵 琶 法 師 が そ の作 者 群 であ る。 こ れ ら の物 語 は 、舊 來 の學者 によ つて 、個 人 創 作 の他
の古 物 語 と 同樣 に取 扱 は れ 、同 樣 に研 究 せら れ てゐ た 爲 め に、そ の研 究 法 を 誤 b 、間 違 つた 解 釋 が せ
ら れ てゐ た。 今 後 は 、 こ れら も 語 られ た 文 學 と い ふ立 場 か ら、 全 く 異 な つた觀 察點 のもと に研究 せ ら
る べき で あ る。 保 元平 治 の兩 物語 が琵 琶 法師 の語 り 物 の中 にあ つた こ と は、﹁普逋 唱 導 集 ﹂に、琵 琶 法
師 の語 り 物 の中 に こ れを あげ て ゐ る の で明 か であ る。 叉 平 治 物語 が、 平 家 物 語 と共 に語 られ た こと も
﹁花 園 院 宸 記﹂の中 に出 て ゐ る。 早 く 平 安 朝 時 代 にも ﹁新猿 樂 記﹂の中 に﹁琵 琶 法師 の物語 ﹂と出 てゐ て、
物 語 を 語 b歩 いて ゐた こ と は明 か で あ る。 鎌 倉 時 代 には ま た 、無明 法 性 合戰 物 語﹂ の 如き 琵 琶 の語 り
物 も あ つた。 これら の徒 が か の 三物 語 を發 逹 さ せ、 完 成 さ せ た の で あ る。 此 の 三物語 は異 本多 く 、殊
に平 家 物 語 の如 き は幾 十種 の文 章 を異 にす る本 が存 在 し て居 る が 、 こ れ は全 く語 ら れ たか ら で あ る。
次 に室 町 時 代 に出 來 た曾 我 物 語 が矢 張 b 盲 人 の歌 つた も の で あ つた こ と は、謠 曲 の望 月 や、 七十 一番
職 人 盡 歌 合 等 によ つて知 ら れ る。 こ れは 、 八撥 (羯 鼓 ) にあ は せ て歌 つた ら し い。 義 經 記 も曾 我 物 語
と 共 に行 は れた ら し く 、幸 若 舞 や謠 曲 の義 經 物 、
曾 我 物 も 、大 いに こ の戰 記 物 と關 係 が あ る。 こ の書
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も 亦甚 だ し く異 な る異 本 が存 在 し て居 る。 太 平記 は講 談 の組 で.室 町 時 代 にも これ が盛 ん に行 は れた。
此 の話 説 せ ら れ た 講談 を筆 記 し た も の が今 殘 る太 平 記 の源 とな つた も の であ ら う。 こ れ ら は叉 韻 文 的
の調子 を 帶 び 、英 雄 が活 躍 でる。 す べ て の點 で 、語 ら れた る文 學 の條件 を 具備 し てゐ る。 かく の如 く
し て、 戰 記 物 は 口誦 傳 承 の文 學 で あ る が、 これ は近 世文 學 の祗 と い はれ 、 そ の近 世 文 學 に與 へた影 響
は甚 だ 大 な るも の があ る。 然 ら ば我 が國 文 學 は、既 に上 代文 學 に 一の原 始 文 學 た る神話 傳詮 を有 し、
又 鍮 倉 室 町 時 代 にも 、戰 記 物 と いふ 一の原 始 的 な 語 ら れ た る文 學 を 有 す る事 に なる。 つま b、 國 文學
は鎌 倉 時 代 以 前 と 以後 と で は 、全 く 別 種 の新 らし い文學 的 展開 を し て ゐ る の であ つて 、 さう いふ意 昧
から い つても 、 鎌 倉 時 代 は 奈良 朝 以前 の上 代 文 學 に匹敵 し 、
平 安 朝 文 學 は叉 江 戸 文學 に類 似 し て ゐ る。
上代 文 學 の素 朴 な る味 は鎌 倉 室 町時 代 文 學 に通 じ 、 平 安 朝 文學 の艶 麗 な る 味、 戚 傷 的 な る 味 はま た 江
戸 文 學 にも逋 じ て ゐ る。近 頃 源 氏 物語 をも 、 口誦 文 學 とし て解 せ ん と す る學 者 があ る が、 こ れ は全 く ・
根 據 の な い詮 鴫
丶 た.
、そ の人 の趣 昧癖 よ b出 た假 詮 であ る から 、多 く信 す る に足ら な い。
以 上 の如 く 、 平 安 朝 時 代 で ∵の文學 の爛 熟 期 に逹 し 、鍮 倉時 代 の語 ら れ た る原 始 文學 よ り始 あ て、 し
叉 江戸 時 代 の文 學 で再 び 一の爛 熟期 に到逹 した と し た な ら 、 明 治 以後 の新 文學 は何 う解 す べき であ ら
うか、
其 は我 等 に は全 く 解 ら な い。百 年 二百 年 の後 の學 者 に待 つの み で あ る。た ゴ、明 治 の新 文 學 、殊
纏 説
7
國 文 學 襍 説
に何 よ bも 、こ の新 文學 に ふさ は し い新 らし い文 體 であ る、 平 明 な るロ語 文 、こ れ が實 は講 談 の影響 に
よ る所 が多 い のは面 白 い現 象 で あ る。此 の文 章 を始 めた 人 は 長 谷 川 二葉 亭 であ る。 そ の處 女作 門浮 雲L
は前 人 未 發 の文章 にな つた が、其 は三遊 亭 圓 朝 の落 語 によ つ て、 この 新 し い文 體 の 口語 文 を始 めた 由
に作 者 自 身 、 ﹁余 の言 文 一致 由 來﹂(全 集 第 四卷 )の中 に述 べてゐ る。 明 治 +年 代 には 三遊 亭圓 朝 や 松 林
伯 知等 の入 情 話 や講 談 の速 記 を 草 双 紙 にし て出 し た本 が澤 山出 てゐ る。新 聞 小詮 に講 談 を連 載 す るや
う に な つた のは こ れよ bも 後 で、 これ ら が餘 り に賣 れ た か ら 、 思 ひ付 いて載 せ る やう にな つた ので あ
ら う 。 今 でも 新聞 に講談 を載 せ な いと 購 讀 者 が甚 だ 少 く な る程 に勢 力 を持 つて ゐ る。 此 の講 談 の速 記
がは から す も 、 口語 文 の誘 發 に力 があ つた 。 二葉 亭 の始 めた新 ら し い文 體 はそ の後 暫 く埋 れ て、明 治
三 十 七八 年 以後 自然 主義 の 勃興 す る に至 つて 、此 の文體 が繼 承 せ ら れ 、途 に今 日 の普 通 文 體 が出 來 上
る に至 つた 。 今 の普 通 文體 は僅 か 十年 の歴 史 な の で、さ う古 く か ら あ つた の で はな い。 明 治 二十 七 八
年 頃 の少 年 世 界 を見 ると 、 こ れ が小 供 の投 書 か と、 今 か ら見 れ ば疑 は し い程難 か し い漢 文 直 譯 の文 章
が、 投 書 欄 に並 ん で ゐ る。 今 の雜 誌 と軟 べると 隔 世 の威 が あ る。 兎 に角明 治 の新 文學 の内 容 に ふさ は
や
し い新 文 體 が講 談 から出 てゐ る こと は興 昧 が あ る。 講 談 の類 は いふま でもな く 、遶 く 太平 記讀 に系 統
を 引 い てゐ る講釋 師 の語 る所 であ る。 從 つ て同事 件 を語 つても そ の内 容 には語 b 手 によ つて異 な る所
8
が多 く 、持 ち 昧 の如 きも皆 異 な る。 こ れら は英 雄 的 な題 材 のも の が多 く 、 も と は 一種の 韻 文 的 調子 を
持 つて ゐ たも の で あ る。 つま b語 ら れ た る 文學 で、ロ誦 傳 承 の文學 で あ る。之 等 の釋師 の徒 が文藝 界 に
與 へた 影響 は か な b 大 き いも の が あ る。 今 文藝 界 に 一の地 歩 を 占 め てき た 大衆 文 學 な るも のが 、講 談
を 模 倣 し て、 そ の語 b 口 に似 せた 文 體 で あ も、 材 料 も然 るこ と は 、 こ の點 よ b見 て甚 だ興 眛 が深 い。
説
の
これ は 一の問題 とし て、 こ 丶に書 き と め て、諸 君 の注 意 を願 つて置 か う 。 (
懾和三年三月)
總
ザ'、
9
國 文 學 襍 設
小 説 發 逹 の 一考 察
岡
O
文 學 は或 吐 會 の或 時 代 に於 け る内 的 生 活 、或 は外 面 的 生 活 の現 れ であ る事 は云 ふま でも な い。 即 ち
或肚 會 個 々の人 間 の集 團 的 生 活 がそ こ に最 も赤 裸 々に表 現 せら れ てゐ る。 其 は外部 生 活 と共 によ
b 多 く内 面 生 活即 ち 心 的 活 動 の最 も明 か な る表 現 で あ る。 肚 會 の集 團 的 生 活 の因 子 と な るも のは個 入
で あ る。從 つ てそ の生 活 の表 現 に は構 成 分子 た る個 々の人 間 の生 活 が大 い に關 心 を持 つ。 否 之 を端 的
に云 へば 、 文 學 は或 個 人 を 描 く 事 によ つて、 そ の周 圍 の肚 會 生 活 を表 現 させ たも のと も 云 ふ事 が出 來
る。 こ 丶に於 いて文 學 が肚 會 生 活 の衷 現 で あ る以前 に、 先 づ個 人 活 動 の表 現 で あ ると いふ事 を考 へな
け れば な ら ぬ。 一口 に文 學 と は 云 つ ても 種 々 の差 別 が あ る。 詩 歌 、 小 詮 、戯 曲 等。 し か し て詩 歌 よ b
1Q'
は 小 説 の 方 が よ b 吐 會 生 活 の表 現 に適 し て ゐ る。 戯 曲 は 更 に 一層 個 入 的 で あ る よ り は 以 上 に祗 會 的 で
あ る。 即 ち 最 も原 始 時 代 に現 れ た詩 歌 は個 人 的 であ り 、諸 種 の文 學藝 術 中最 も後 に發 達 し た 戯 曲 が最
も 肚 會 性 を 帶 び て ゐ る 。 此 の 發 逹 の 順 序 は肚 會 生 活 の 發 逹 に 相 件 つ て ゐ る 。 故 に我 が 國 に 於 い て も 完
全 な る 戯 曲 と 稱 せ ら れ 得 る も の は 、 室 町 時 代 以 後 に 起 り 、 小 説 は 既 に平 安 朝 時 代 に最 高 度 の 發 逹 を 邃
げ 、 詩 歌 は 更 に 溯 つ て 奈 良 朝 時 代 に そ の爛 熟 期 に 到 達 し れ 。 私 は 今 そ の 小 説 に就 い て 、 そ れ が 如 何 に
個 人 の 心 的 生 活 の 成 長 に件 つ て 發 達 し て ゐ る か 、 之 を 個 人 生 活 を 通 し て見 た 肚 會 生 活 の表 現 で あ る と
い ふ點 よ b し て い さ さ か そ の 成 長 發 逹 の 跡 を 考 へて見 る 。
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あーる
か 。 我 々 の 文 學 に 對 す る 愛 着 は 子 供 の 時 に 於 い て あ る 。第 一に子 守 歌 に よ つ て 詩 歌 への憧 憬 を 得 、第 二
に 祗 母 や 母 親 の 寢 物 語 に話 し て く れ る お伽 話 に よ つ て 文 學 愛 好 の 心 が 開 發 さ れ る。 小 詮 を 觀 照 す る 心
は 先 づ 子 供 の董 話 に 樹 す る愛 好 か ら し て發 逹 し て く る。 兒 童 が 小 學 校 に 通 ふ や う に な つ て 卒 業 す る頃
迄 の 董 話 を 好 む 時 期 、之 を 文 學 觀 照 發 逹 の第 一期 と す る 事 が 出 來 よ う 。董 話 の 世 界 は 全 く 現 實 を 離 れ た
別 世 界 で あ る 。 そ こ で は 仙 女 天 入 が活 躍 し 草 も 木 も 言 葉 犂發 し 虫 や 魚 迄 が 手 足 を 持 つ て 動 作 す る 。 兒
量 は 此 の 別 世 界 に 住 ん で 檀 ま 丶 に自 由 に そ の 想 像 を 天 涯 に走 せ る。 併 し な が ら 何 時 ま で も 此 の 空 想 の
總 鴕
II
國 丈 學 褸 設
世界 に遊 ぶ事 は許 さ れな い。 そ こ に は徐 々と し て現 實 の世 界 が闖 入 し てく る。 十 二 三頃 よ b十 八 九歳
迄 の中 等 學 校 に通 ふ時 代 、所 謂青 春 の時 代 は即 ち此 の空 想 の世 界 よ b現 實 の世 界 へ目覺 め て來 る過渡
の時 代 であ る。 從 つて此 の時 代 に好 ま れ る小 説 は 、男 な らば 探 偵 小 説 冐 險 小説 の類 、 女 な ら ば 涙脆 い
少 女 小 読等 、 そ の圭 要 人 物 は現 實 に生 き てゐ る人 間 であ る が、 そ の行 爲 や 叉全 體 の構 想 な ど は す べて
非 現實 的 で室 想 的 な所 が多 い。理 想 的入 物 の理 想 的 行 爲 がそ の中 心 と な る。 之 等 の小 説 を總 稱 し て架
空 小 論 或 ひ は 物 語 小 詮 と 云 ふ 、屶。
塁 冒霞 と いふ言 葉 をも つ て代 表 され るも の が即 ち こ 丶に述 べる所 の
小説 であ る。 か く てそ の少 年 の夢 から 全 ぐ 醒 めき つて 、現實 肚 會 に活動 ずる時 代 と な つ ては 、
之 等 の空
想 的内 容を 持 つ物語 には何 の興 昧 も牽 か れ な く な つて、 こ 丶 に現 實 生 活 を如實 に寫 した 所 謂 寫 實 小 説
を 愛 好 す る時 代 が來 る 。十 四 五 歳 位 から 三十 代 にか け て 、.
最 も瓧 會 的 に活 動 力 に富 ん だ 年 頃 が即 ち其
q
であ る 。此 の寫 實 小詮 は又 男。<。
ま 昌と い ふ語 を も つて最 もよ く 言 ひ現 さ れ るも の であ る 。併 しな がら
獪 年 老 いて四 十 よ り五 十 と な つ て、人 生 も 殘 り少 い時 期 とな つて活 動 力 が衰 へる に從 ひ、最 早 そ のや
う な現 實 瓧 會 にも あ き て、寧 ろ す べて の生 活 を生 活 し盡 し て生 活 力 を 淌 耗 し た結 果 、さ うし た寫 實 小詭
も 全 く 興 味 を牽 か な く な つた。 只彼 等 は過 去 の生 活 を 省 み てそ の若 い時 代 の生 活 を 囘想 す るの み であ
る。 此 の過 去 の追 憶 と いふ事 よ b し て 歴 史 文學 が出 て來 る。 寫 實 小 説 の次 に愛 好 され るも の は歴 史 或
12
は歴 史 小詮 で あ る 。而 し て最 後 に人 生 の終末 期 に近 づ い て、そ こ に は最 早 遏 去 の囘 想 も追 憶 もなく て、
只 有 る も の は未 知 の未 來 への撞 憬 であ る。 こ ゝに於 い て再 び 文學 の領 域 は現 實 を出 で て未 知 の世 界 へ
入 る。地 上 を離 れ て天 上 へ向 ふ 。 宗 教或 は 宗 教 文學 への傾 向 がそ こ に生 じ て來 る。 以 上考 へて來 沈 如
く吾 人 の文 學 、就 中 小説 への愛 好 は凡 そ 五 つの時 期 に分 つ てそ の變 遷 の跡 を辿 る事 が出 來 る。
一、童 話
二、物語(
架室 小詮)
一
气 小詮 (
寫實小論σ
四、歴史
五、宗教
以 上蓮 べ來 つた我 々の觀 照 態 度 の變 遷 は 又 同 時 に創 作 家 の側 に於 いても 同 一であ ら う 。 之 を最 近 の
作 家 に就 い て 二 三の例 を 求 めれ ば、 そ の最 も よ い代 表者 は森 鴎 外 氏 で あ る 。氏 が壯 年 時 代 に つく ら れ
元 作 品 、水 沫 集 に入 つて ゐ る﹁う た かた の記﹂ ﹁舞 姫 ﹂﹁文 つ か ひ﹂等 が 如何 に室 想 的 で華 やか で美 し い
總 論
13
一
驕
國 文 學 撲 読
叙情 詩 的情 昧 に滿 ち て ゐ るか は読 明 す るま でも あ るま い。 之 ら は 一篇 の美 し い浪漫 的 物語 を なし て ゐ
るが 、獪 そ こ には 嚴肅 な意 昧 に於 け る肚 會 生 活 の眞實 性 と いふ や う な も のの闕 け て ゐる事 は 否ま れ な
い。 併 し そ の中 年 を すぎ た 四 十歳 の終 り頃 から 五十歳 にか け て の時 代 の作 品 は著 し く現 實 的 で あ る。
そ の描 寫 の 筆致 よ b取 材 に至 る迄 全 く 寫 實 小論 の領 域 に入 つ て ゐる 。 勿 論鴎 外 氏 が自然 主義 を排 さ れ
た事 は事 實 であ る。 併 し な がら さ うし た 何 々主義 に樹 す る圭張 の爭 ひ は別 とし て、 そ の作 品 に寫 實 的
要 素 の濃 く な つて ゐ る事 は 否ま れ な い。 明 治 四 十 二年 の六 月 に は ﹁魔 睡﹂ が、同 七 月 に は ﹁ギ タ 、 セ
クズ ァリ ス﹂ が雜誌 ﹁ス バ ル﹂に出 で 、相 續 いて發 賣 禁 止 とな つた 。 長編 小説 の﹁雁﹂は明 治 四 十 四 年 九
月 以後 に同誌 に蓮 載 さ れ たも の であ る。 之 等 が何 れ も時 流 の自 然 主義 的傾 向 に俘 ふ特 徴 と相 合 致 す る
も の の あ る事 は明 ら か であ ら う 。 イ プ セ ンや ストリ ンド ペ ル ビの自 然 圭 義 的 歔 曲を 多 く 飜 譯 せら れ た
の も此 の頃 で あ る。 さ うし た 現實 描 寫 的 傾 向 は 更 に 一轉 し て、 こ 丶に晩 年 の歴 史 小論 乃 至傳 記考 證 に
精 力 を 集 中 さ れた 時 代 が來 た 。個 人 の傳 記 も要 す る に 一個 の歴 史 であ る。大 正元 年 十 月﹁中 央 公 論 ﹂に
發 表 さ れた ﹁興 津彌 五右 衞門 の遣 書 ﹂ を 始 めとし て大 正 二年 以後 專 ら 歴 史小 説 を作 ら れ た。 而 し て大
正五 年 以後﹁澁 江 抽齋 ﹂や ﹁
伊澤鼎
闌軒 ﹂の如 き傳 記 考 證 の研 究 に沒 頭 され た 。
以 上 の如 き 變 化 は極 めて自 然 な 道 程 であ る。夏 目漱 石 氏 に就 いて見 ても 、 明治 三十 九年 に 一册 の本
14
と な つ て刊 行 され た ﹁漾 盧 集 ﹂ 中 の諸 篇 に は全 く 夢 の世界 の幻 想 が滿 ち て ゐ る が、 そ の晩 年 の作 殊 に
未 完 の儘 で終 つた最 後 の作 品 ﹁明 暗 ﹂ が、 僅 か十 數 日 間 の事 件 をぱ 極 め て微 細 に描 寫 さ れた 態度 と較
べて見 る と、 そ の差 の激 し いの に驚 か さ れ る であ ら う 。 田 山花 袋 氏 に就 いても 、明 治 三十 年 二月 國 木
田 哲 夫 松 岡 國 男 氏 等 と合 著 の ﹁叙情 詩 ﹂ の中 の詩 、 及 び其 以後 時 折 發 衷 さ れた 小 設 が セ ンチ メ ンタ ル
な空 想 的 な も の で あ る に封 し 、 三十 九年 文 章 世 界 によ つて自 然 圭 義 を鼓 吹 さ れだ 後 の自然 圭義 的 小 譌
が寫 實 的 で あ る事 は 言 ふ迄 も な い。併 し大 正 六年 九 月太 陽 に發 表 さ れ た ﹁あ る信 の奇蹟 ﹂ の如 く後 に
は宗 教 的情 味 の多 く 入 つて ゐ る作 品 も作 ら れ た。 島 崎 藤 村 氏 に就 いて も同 樣 の變 化 が窺 は れ る。 之 を
外國 に求 め る な ら ば、 フラ ン スの Ω舜 碧 固 魯暮。
言 が浪 漫 圭義 時 代 に出 で て後 自 然 主義 作 家 の先 覺 と
な b 、次 いで歴 史 小詮 に移 つた如 き そ の最 も よ い例 であ ら う。
之 ら の人 々は必 す し も明確 に前 述 の如 き 五 つ の時 期 を 經 てゐ るも の では な い。入 間 一生 の歴 史 は さ
う型 にはま つた や う な變 化 を す る も ので は な い。併 し な が ら大 體 そ の作 品 に つ いて見 れば 上 述 の 如 き
娩
r5
變 遷 の跡 夕辿 つて居 る事 が知ら れ る の で あ る。
總
三
旙 文 學 襍 靄
か や う に個 人 に就 いて見 れば 、觀 照 者の 側 にも 亦 作家 の側 にも 、 か く の如 き變 化發 逹 のあ る事 は肯
定 せ ら れ るで あら う。 然 ら ば 個 人 生 活 の集 團 で あ る或 る肚 會 の時 代 的 變 化 に俘 つ て、叉 以 上 の如 き變
化 發 逹 があ る事 も考 へら れ は し な いで あ ら う か 。私 は其 を 我 が國 の小 読 史 に就 いて觀 察 し て見 よ う と
思ふ。
四
禪 話 口碑 に文 學 の源 泉 の求 め得 ら れ る事 は何 れ の國 に於 いても 同 じ であ る。併 し な がら 其 は 未 だ純
然 た る文 學 と稱 せら れ得 べき も の では な い。 ま し て其 は 小説 と稱 す べき も の では な い。 假 令 後 世 に文
學 乃 至 小説 を 成 長 さ せ る胚 種 を そ の中 に持 つ てゐ るとし ても 、 決 し て其 は未 だ藝 術 呼ぱ は b され得 る
も ので はな い。 古 事 記 に も萬 葉 集 にも 小 諡 の萠 芽 を示 し て ゐ るも のも あ るが 、要 す る に傳 諡 小話 の範
園 を出 な い。我 が國 に於 いて完 全 な る小 詮 の現 れ て來 た の は平 安 時 代 期 に迄 下 ら な け れば なら な い。
其 以前 は文 學 の領 域 に於 いて は未 だ詩 歌 の時 代 であ る。
源氏 物 語 黼合 で﹁先 づ 物語 の い でき はじ め の親 なる竹 取 の翕 ﹂と稱 せら れた 竹 取 物語 が完 全 な る小説
と し て存 在 す る最 も 古 いも の であ ら う 。從 來 の文 學 史家 は そ の中 に量 話 的分 子 の多 い事 を指 摘 し た。
16
併 し 未 だ 之 を 以 つ て純 然 た る董 話 で あ る と言 つた 人 はな か つだ 。最 近 和 辻 哲 郎 氏 が思想 誌 上 に之 に就
いて論 じら れ た事 があ る の み であ る(日本 精 神 史研 究 所 收 、お伽 噺 とし て の竹 取 物語 參 照 )。實 際 竹 取 物
語 に は物語 小説 とし て は餘 り に量話 的分 子 が多 す ぎ る。 私 は其 を寧 ろ童 話 と 呼 ぷ事 の甚 だ適 當 な るを
信 す るも ので あ る。 第 一にそ の圭 入 公 が仙 女 で ゐる 。天 か ら天 下 つた 天 女 は董 話 の圭 入 公 に ふ さ はし
いも ので あ ら う 。第 二 に物語 中 に滑 稽 の分 子 と 敏 訓 的 分 子 があ ま b に露 骨 に出 てゐ る。即 ち戀 爭 ひ を
す る貴族 が不 正 の手段 を弄 し た が爲 め に失 敗 に歸 す ると いふ物 語 の前 牛 の骨子 は、此 の滑 稽 と諷 剌 敏
訓 と にあ る。 之 も 亦董 話 の主 要 な る成 分 と 云 ふ事 が出 來 よう 。 第 三 に富 士 の山 は 不死 の 山 であ ると い
ふ 地 名 説話 が あ る。之 は古 事 記 や風 土 記 中 の地 名 諡 話 に相 類 似 し た も ので あ る が 、 か やう な 地 名 詮話
は 一篇 の物 語 小 読中 に あ る よ り は、 記 紀 や風 土 記 の 如き 紳 話 口碑 の記 載 せ ら れ たも の の中 にあ つ て始
め て價 値 があ る の で、竹 取 物 語 の 如 き も 、 か や う な 口碑 乃至 其 よ b稍 文 學 的 に進歩 し てゐ る量話 文學
の内 溶 と し てか く の如 き 地名 諡話 を包 有 す るの は適 當 で あ る が、 一篇 の物 語 小 諡 と して は餘 り に幼稚
で あら う 。 第 四 に天 女 が下 界 に下 つて最 後 に 再 び 月 の 世界 に迎 へら れ ると いふ結 末 は全 く 董 話 の領 分
であ る。 以 上 種 々な る理 由 によ つ て私 は此 の物 語 を 章 話 で あ ると 斷 定 す る。 此 の童 話 文 學 が平 安 朝 の
物 語 の最 初 に出 てゐ る事 の甚 だ 當然 な るを信 す る 。
總 説
17
國 文 學 褸 説
此 の次 に來 る も の は同 じ く源 氏 物 語 繪 合 卷 に竹 取 物 語 と 樹 にせら れ た宇 津 保 物 語 で あ る 。此 の物 語
に於 い ては圭 人 公 は純 然 た る 一個 の入 間 とな つ てゐ る。
決 し て仙 女 で も天 人 でも な い。
其 だ け竹 取 物 語
よ b は實 際 肚 會 に近 づ いて ゐ る。 併 し作 中 の事 件 に は超自 然 的 な事 が多 い。俊蔭 が阿修 羅 に會 ふ事 や
虎 が仲 忠 父子 を救 ふ事 や色 々 の不自 然 な事 が書 か れ てあ る。 之 は要 す る に 一歩 現 實 に近 づ いた が 、未
だ 全 く 超 自然 的 な室 想 の世界 を忘 れ な い の で あ る。ま し て竹 取 物 語 の妻 爭 ひ説 話 の影響 を受 け て、一人
の美 人 を多 く の男 が爭 ふと い ふ幼 稚 さ 不自 然 さ は 、
竹 取 物 語 よ bも 一歩 進 ん で居 る が、獪 口碑 説話 的分
子 を離 れ得 な いも の であ る 。宇 津 保 物語 よ り稍 遲 れ て落 窪 物 語 があ る 。
繼 子 苛 めの物 語 で、
後 そ の繼 母
に 報 復 す る。 そ こ に は セ ンチ メ ンタ ルな分 子 が多 く 、
復 讐 す る所 も 甚 だ 慘 酷す ぎ て、讀者 の歡 5
1を 買 ふ
が如 き 低 級 さ があ る。 當 代 の家 庭 に題 材 を取 つて 、
非 現 實 的 な 分子 のな く な つた の は甚 だ よ い が、獪 斯
の 如 き安 價 な戚 傷 と 滿 足 威 とを多 分 に包 藏 七 てゐ る。 要 す る に此 の物 語 は宇 津 保 物 語 よ b も ︼歩 を進
め て現 實 肚 會 に即 し な がら 、
獪 浪 漫 的 分子 の多 い作 品 で 、
少 女小 詭 的 趣 昧 の作 品 に過 ぎ な い。 以 上 の 二
作 品 が第 二 の届§ 碧N
8 の時 期 でφ る。而 し て第 三 に源 氏 物 語 が來 る。 源 氏 物語 は 一篇 の構 想 よ bす れ
ば 或 は 理想 小説 と も稱 し得 ら れ る所 も あ ら う 。併 し私 は そ の描 寫 の態 度 や事 件 の展 開 が甚 だ自 然 であ
つ て寫實 的 な る事 を 否 定 す る事 は出 來 な いf
。そ こ には 超 自然 的 な事 件 は 一つも 起 つて來 な い。物 の怪 と
i$
●
9
云 ひ生 靈 と云 ふ事 も あ る が、 之 は當 時 にあ つ ては 一般 に信 じ ら れ てゐた 一つ の實 在 な の で あ る。肚 會
に實 際 に存 在 し て ゐた も のな ので あ る 。其 を 物 語 中 に描 く事 は寫 實 的態 度 を 裏 付 ける も のと は な つて
も 、決 し て之 を 否 定 す る も の では な い。 まし て繼 母と の密 通 と 云 ひ義 子 に樹 す る戀 心 と 云 ひ 、自 然 主
義 作 家 の喜 び さう な題 材 が多 く 取扱 は れ てゐ る事 は、 其 が當 時 の世 相 の實 際 を 描 寫 し た も の で あ b、
又 入 心 の機 微 を 穿 つた も の と い ふ事 を 示 して ゐ る 。
之 等 の點 を古 來 の註 釋家 は解 釋 に苦 し ん で 、
或 は佛
教 的解 釋を 加 へ或 は物 のあ は れ即 情 趣 を横 温 さ せ たも の で あ ると 論 いた 。私 は之 を單 に世 相 の描 寫 寫
實 と いふ 二字 をも つて解 釋 す る。而 し て こ \に於 いて始 めて我 が國 に正 し い意 味 に於 け る小 説翆。
︿亀曾
が存 在 す る事 と な つた。 源 氏 物 語 以後 そ の模 倣 小説 が多 く 出 允が、 其等 は 再 び墮 落し て超 自然 的分 子
や不 自然 な所 が可 成 b多 く 入 つて來 て ゐ る。 狹 衣 物 語 で は天稚 彦 が天 よ り狹 衣 中將 を迎 へに來 た り、
と b か へば や物 語 で は 男子 と 女子 と が入 れ代 つ て育 てら れ た bす る。 之等 は寫實 小詮 よ b 一歩 退歩 し
た も の で墮 落 であ る。
源 氏 物語 の次 に第 四 の時 期 とし て來 るも のは 歴 史 小説 の時 代 で、 榮華 物 語 や 大 鏡 を も つて代 表 さ れ
るも の が其 で あ る。 之 に就い ては多 く 詭 明 す る必 要 はあ るま い。
第 五 の宗 教 文 學 は鎌 倉 時 代 に入 つて起 る。大 鏡 の中 には既 に佛 教 的 分 子 が多 いQ水 鏡 に至 つ て は更
總 読
ig
國 文 學 襍 誘
に甚 だ し ぐ 、 不 必要 な と 思 は れ る程 佛 敏 詮 話 が多 ぐ 挿入 さ れ て ゐ る。 此 の傾 向 が 極 ま つて寳 物集 や撰
集抄 の如 き佛 教 文 學 の生 す る因 と な つた。 之等 は そ の 形式 に於 いて個 々分 裂 の小話 の集 成と な つ てゐ
る に係 は らす 、全 體 に於 いて統 ]あ る 一つ の構 想 のも と に成 つて ゐ る の は、 大 鏡水 鏡 等 の形 式 を 襲 つ
たも の で 、歴 史文 學 の次 に之 等 の宗 教 文 學 が現 れ て來 た事 の甚 だ自 然 な る事 が知 ら れ る。兩者 の問 に
は内 容 形 式 何 れ の點 に於 いても 密 接 な 關 係 があ る の であ る。親 鸞 日蓮 等 の御 文章 も此 の見 地 か ら 觀 て
面 白 い材 料 に富 む も の であ る。
以 上 は平 安 朝 時 代 を 主 と し た 小 詮 内 容 の發 逹 を考 へたも ので 、其 が個 人 の創 作 心 理 や觀 照 態 度 の變
化 〃向 じ經 過 を 取 つて ゐ る も の であ る事 は明 ら か であ ら つ。然 ら ば我 が國 古 代 の小 詮發 逹 の跡 が甚 だ
自 然 的な 段 階 を 追 う て ゐ る事 も 亦 明 ら か で あら う。
五
吾 入 は 飜 つて之 を近 世 の小 詮發 逹 の歴 史 に就 いて見 る。
そ の前 に 一言 す べ き は所 謂 戰 記 物 の位 置 であ る 。第 一に之 は 小説 と同 地 位 に置 か る べきも の で あ る
,
か何 う か が疑 問 で あ る。
吾 入 の見 をも つ てす れ ば 之 は詩歌 文 學 に類 す 弖音樂 文 學 と も 稱 す べき も の で、
zo
純 然 た る小 説 文學 と はそ の發 逹 の徑路 を異 にす るも ので あ る。 之 を 一篇 の叙事 詩 乃 至 史詩 と觀 る のは
可 で あ る が 、小 諡 と なす 事 は出 來 な い。或 入 は之 を古 事 記 日 本 書紀 中 の紳 話 傳 詮 に比 し てゐ る。 之 は
肯 定 せら れ る読 で、 し か も 記 紀中 の傳 詮 は語 物 或 .歌 謠 と し て實 際 に 口誦 せら れ て發 逹 し て來 元 も の
であ る が、さ う いふ發 逹 の遏 程 も甚 だ よく 似 て ゐ る。吾 人 は記 紀 風 土記 類 を 小 設文 學 の中 か ら除 いだ 如
く、
戰 記 物 も今 の考 察 から 除 く 事 が妥 當 であ ると 思 ふ。 強 ひ て いふ なら ば 、そ れ は内 容 に於 い て前 述 の
歴 史 文學 の亜流 であ b 、
叉 そ の論 話 的 性質 に於 い て、記紀 風 土記 中 の 口碑 が後 に小諡 を 發 逹 さ せ るべき
萠 芽 を 含 ん でゐ るの と 同 じ 意 味 に於 いて、 近 世 の小 読 を 成 長 さ せ る因 子 とな つ たも の と云 ふ事 が出 來
よう 。 要 す る に戰 記 物 は古 代 小説 と近 代 小 説 と の中 間 にあ つて橋 渡 し の役 を 務 め てゐ るも の であ る。
總 詭
に出 た ﹁鬼 に ご ぷと ら る 丶事 ﹂ や 、卷 三の ﹁す .
ゝめ報 恩 事 ﹂ は、現 代 に迄 語 b 傳 へら れ て入 口 に膾 炙
ら う。 そ のあ る物 は宇 治拾 遺 物 語 や古 今 著 聞 集 の中 にた ま ノ丶 探 取 せ ら れ て ゐ る。 宇 治拾 遣 物語 卷 一
す る。 但 し お伽草 子 よ b も 以前 に 口碑 とし て同 樣 の種 々な る物 語 が民 間 に存 在 し て ゐた事 は事 實 であ
近 世 の小 説 を發 逹 さ せ た も のは 室町 時 代 に出 で た お伽 草 子 であ る。此 のお伽 草 子 の時 代 を第 一期 と
亠
'(㌧
商 文 學 襍 詮
し て ゐ る量話 であ る。 之 等 は後 に童 話 文 學 を生 す る先 蹤 と な つた も の であ る が、併 し其 は未 だ も つて
文 學 と稱 す べき も の では な い。純 然 た る童 話 文 學 は所 謂 お伽 草 子 と 稱 せ ら れ るも の の中 に含 ま れて ゐ
る諸 種 の物 語 を も つ て代表 さ せ る事 が出 來 る で あら う 。
但 し 一口 に お伽 草 子 と 云 つて も 、
そ の中 には種
種 の性質 を 有 し てゐ る雜 多 の物語 を含 ん で ゐ る。 そ の中 董 話 と稱 せ られ るも のは 、超 人 間 的 人 物 叉 は
非 人 間 的 怪 物 が圭人 公 と な b 、多 少 敏 訓 的意義 を 含 み滑 稽 眛 を有 し 、 且 つ全 體 の構 想 が甚 だ室 想 的 な
作 意 を 有 す るも ので あ る 。﹁文 正草 子 ﹂﹁物 臭 太 郎 ﹂﹁天稚 彦 物語 ﹂等 がそ の代 表 作 で あら う 。 か く て室
町 時 代 に新 し い量 話 の文 學 の端 を 發 し た が、 次 いで來 た るも のは 江 戸時 代 に入 つて假 名草 子 の時 代 で
あ る。 假 名草 子 も 亦種 々雜 多 の分 子 を 含 ん でゐ る が、そ の中 小詮 文 學 に屬 ず る も のに 於 いて は 、一般 に
當 代 の實 際 を 寫 さ う と いふ 寫實 的傾 向 に進 ん で來 た事 は看 過 す る事 が出 來 な い。 但 し そ の題 材 な b 筆
致 な り が甚 だ ロ マ ンチックで華 麗 で、 可 な り空 虚 に失 す る所 のあ る のは未 だ 寫 實 に徹 せ ぬ過 渡 期 にあ
るも の で、要 す る に浪 漫 的 物語 の性 質 が共 通 に存 在 し てゐ る。此 の傾 向 は既 に早 く 室 町時 代 に現 れ た
﹁
鳥 部 山 物語 ﹂ や ﹁秋 の夜 の長 物 語 ﹂ の如 き兒 物 語 の中 に見 え てゐ る。 假 名 草子 では ﹁二入 比 丘 尼﹂
﹁四 人 比 丘 尼﹂の如 き 比 丘尼 物 や 、支 那 の勢 燈 新話 を譯 し て之 に本 朝 の話 を も多 く加 へた﹁お伽 婢 子 ﹂な
どを も つて代 表 さ せ る事 が出 來 る。 ﹁お伽婢 子 ﹂の中 に あ るも の が、支 那 小 読 の飜 譯 で あり な がら 、其
22
■
を全 く 日本 化し てゐ る 所 に現 實 的傾 向 を見 る事 が出 來 る 。之 は鎌 倉 時 代 に出 で允唐 物語 が、支 那 の典
籍 を 殆 ど そ のま 丶譯 し て移 し た 如 きと は そ の性 質 を甚 だ異 にし て ゐ る。 そ の入 物 の 如き も 皆實 際存 在
し た人 ら しく 書 いてあ つて、そ の事 件 内 容 の超 自 然 的 であ る點 の み が、前 代 のお伽 草 子 中 の あ るも の 、
就 中 化 物草 子 と相 類似 し てゐ る の であ る。 假 名草 子 と いふ過 渡 時 代 を 經 て次 に寫實 小詮 の全 盛 時 代 が
來 た 。其 は所 謂俘 世 草 子 と いふ名 稱 を も つて呼 ば れ た も の で、 井原 西 鶴 の諸 作 及 び江 島 屋其 碩 の作 品
を も つ て代表 さ れ る。 そ の寫 實 的筆 致 や 内 容 に至 つ ては 今多 く 詮明 を要 し ま いと 思 ふ。此 の寫 賓 小 説
へ
の流 れ は京 阪 の文 壇 から 江 戸 文 壇 に入 つてそ こ に洒 落 本 な る 一團 の作 品 を出 した 。 之 は何 れ も 生活 I
l 圭 と し て遊 蕩 生 活 の 一斷 片 を描 寫 し た も の で、 稍後 には着 想 の奇 を 街 ふと いふ弊 に陷 つた が、そ の
寫實 的 態度 は獪 容易 に 捨 て ら れ な か つた 。 獪 洒 落 本 の梳 れは所 謂中 本 とし て ﹁梅 暦 }の如 き 入情 本 や
﹁道 中 膝 栗 毛﹂ ﹁八笑 人 ﹂ の 如き 滑 稽 本 とな つた 。 之等 は 寫實 的 態度 から言 へば甚 だ墮 落 し た も の であ
るが 、獪 そ こ に幾 何 か の現 實 描 寫 の態 度 を忘 れ す に殘 し てゐ た 。膝 栗 毛 の流 れ は獪 明 治 に入 つて 假名
垣 魯 文 の﹁西洋道 中 膝 栗 毛 ﹂に迄 績 いた 。
江 戸 末 期 の文 壇 を麦 配 し た も の は讀 本 と 合眷 と で あ る 。合 卷 は お伽 繪 本 の類 で あ る赤 本 から變 じ て
滑 稽 趣 昧 を主 とし た 黄表 紙 と な り 、 夏 に再 變 し て合 卷 と な つた 。此 の過 程 は叉 ほ ゾ董話 よb 歴 史 小詭
總 艶
23
●
國 文 學 褸 説
に至 る文 學 の進 歩發 達 に相 類 す る も の が あ る。 此 の合 眷 と讀 本 とは そ の内 容 構想 の上 に於 いて甚 だし
く 類 似 し て ゐ る。 即 ち 舞 蠱 を ば 過去 の戰 國 時 代 以前 の武 士 生 活 に取 つ て歴 史 的内 容 を必 す 一篇 の構 想
の 上 に覆 はせ た 點 が其 であ る。 一家 相 傳 の寳 物 の紛 失 ,
お家 横 領 、忠 臣 の身 代 り等 事 件 は何 れ も 千遍 一
律 であ る。 之 ら純 然 た る歴 史 小説 と いふ の は當 ら な いかも 知 れな い が、材 料 を遏 去 の歴 史 上 の事 實 叉
は 傳 説 に取 つ てゐ るも の の多 い事 は 否 定出 來 な い。 叉 た と へ其 が苛 酷 な る政 府 の取 締 り の結 果 そ のや
う な状 態 に至 つた の で あ るとし て も 、私 は叉 之 を小 説 内 容 の推 移發 逹 の結 果 が自 然 に ご \に到逹 し た
も ので あ ると解 釋 し た い。 其 が極 め て自然 な 順 序 な ので あ る 。
近 世 の 小説 史 は こ 丶に終る 。 次 に宗 教 的 文學 を 生 ま な い前 に開國 の警 鐘 は今 迄 の夢 を さま し てし ま
つた 。舊 時 代 の文 學 は こ \に絶 え て、 新 し い文 學 が新 し い文 化 と 共 に ご 丶に起 ら な け れば な ら な い。
吾人 は次 に明 治 大 正 の 小 説 に就 いて 一瞥 を 試 み る。
七
明 治 新 文學 の最 初 に來 た も のは所 謂飜 譯 小 説 と 政 治 小 譌 と であ る。 之 を童 話 時 代 に比 す る の は聊 か
酷 に失 す るで あ ら う 。 寧 ろ之 は硯 友 瓧 一涙 の小 説 と共 に浪 漫 的 物語 の時 代 と な す べき で あ る。 而 し て
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前 者 は 志士 と云 ひ烈 士 と云 ひ、 或 ひ は 科學 趣 味 に向 ひ冐 險 小説 的 傾 向 を有 す る等 の點 に於 いて男性 的
であ る に樹 し 、
後 者 は既 に尾 崎 紅葉 の﹁色懺 悔﹂(
明 治 二十 二年 四 月 刊 新著 百種 第 一號 )の始 め に ある﹁作
者 日﹂ 中 に、一
、一、此 小説 は涙 を 主 眼 と すLと あ b 、叉 漣 山入 の﹁妹 背 貝﹂ (二十 二年 八 月刊 新 著 百種 第
いらぬ
四號 )の﹁讀 者 心得 中 にも 、﹁第 一條 此 の小説 も涙 を 以 て圭 眼 とす 。 不 用涙 あ るも の は泣 いてや る可
き事﹂ と あ る事 な ど を も つても 知 ら れ る如 く 、 悲 哀 を 圭 と し た と いふ點 に於 いて女 性 的 であ b少 女 小
読 であ ると い ふ事 が言 は れ る。 何 れ にし て も 物 語 と いふ性 質 を持 つて ゐ る事 は 變 b は な い。明 治 の文
學 には 童話 の時 代 がな い。董 話 を 迎 へる には 一般 の文 化 は あま b に進 み過 ぎ て居 た 。 た と へ其 が淺薄
な歐 洲 文 化 の外 形 的模 倣 であ つた と し ても、 明 治 三年 に既 に ﹁西 洋 道 中膝 栗 毛﹂ が出 で た如 く 、叉歐
羅巴 の小 説 の飜 譯 でな け れ ば讀 者 が承 知 し な か つた程 に洋 化 圭義 であ つた 。 文 化 の急激 な る變 化 によ
つてそ こ に 一段 の飛躍 が あ つた わけ であ る。故 に量 話 の時 代 は 一足 飛 び に飛 び 越 され た が 、明 治 六年
山 の類 の量話 や民 間 詮話 の類 を も
に 早 く も渡 邊 温 氏 の﹁通 俗伊 蘇 普 物 語 ﹂六 册 の書 が現 れ た b、 硯 友 肚 ト軌b出 でた 巖 谷 小 波氏 が後 董話 を
專 ら に作 つ て、從 來 口碑 的 に民 間 に傳 へら れ て來 た桃 太郎 かち ー
嵐
集 大 成 し た 仕 事 の 如 き は 、 多 少 注 目 に 價 す る も の で あ ら う 。 日 本 に於 け る 自 然 主 義 蓮 動 は 明 治 三 十 九
總 説
年 以後 に始 ま つた。 文章 世界 の田 山花 袋 氏 、 早稻 田 文學 の島 村 抱 月氏 、 太 陽 の長 谷 川天 溪 氏 等 はそ の
25
國 文 學 襍 詭
蓮 動 の功勞 者 で あ る。 かぐ て國 木 田 獨歩 、田 山花 袋 、 徳 田 秋 聲 、島 崎 藤 村 氏 等 を 以 つて 代表 さ れ る自
然 圭羲 文學 が起 つた コ 之 が寫 實 小 読 の時 代 で あ る事 は言 ふ迄 も な い。自 然 圭義 時 代 以後 叉 更 に種 々の
反 對 的 傾 向 が生 じた 。 大 正 の文 壇 は即 ち 反自 然 圭 義 の時 代 で 、自 然 主義 が徹 底 し た結 果 享 樂 主義 耽 美
主義 と變 じた の は谷 崎 潤 一郎 氏 佐 藤 春 夫 氏等 を 以 つて代 表 さ れ、 明 か に自然 主義 に反旗 を掲 げ た も の
サ
ウル
に は 白樺 振 の入 々と 新 思 潮 派 の入 々と があ る。 之等 に共 通 し て ゐ る根 柢 の流 れ は新 し き靈 魂 の目覺 め
で あ る。精 紳 の謳 歌 であ る。 一般 に新浪 漫 主義 と稱 せ ら れ るも の の根 本 精神 が其 で あ る。
かく て今 日 に至 つた 。 菊池 寛 氏 や芥 川 龍 之介 氏 等 の古 典 趣 味 に基 いた 小 説 が流 行 る。 必 す し も古 典
趣 味 の作 品許 bで はな い。 時 に自 叙傳 的 のも のも あ り、 日 常 周 園 の出 來事 に銑 い批 判 解 剖 の眼 を向 け
た も の も あ る。 併 し 其 にも 係 は らす 矢張 b そ の最 も優 れ たも の 乃至 世評 を得 てゐ るも の は古典 趣 味 の
寧 ろ歴 史 小 説 の趣 味 を 鼓 吹
も の に多 い。 露 骨 に言 へば新 し い歴 史 小詮 が か つた も の に評 判 にな つた も の が多 い。 ま し て菊池 寛 氏
がそ の ﹁文 藝 講 座 ﹂ に載 せら れ た 小説 論 が歴 史 小 詮 論 で終 始 し て居 る1
す る の威 があ るの は 一暦 歴 史 小 詭 の創 作 叉 は觀 照 に努 めら れた も の と い ふ戚 じ がす る。讀 み 物 文藝 と
か大 衆 文學 と か いふも のも はや る。 臼 井喬 二 と か中 里介 山と か い ふ入 が持 て は や され る。私 には何 う
も 現 今 は歴 史 小説 の全 盛 時 代 と い ふや う な氣 がす る。 之 等 が反 自然 主義 的傾 向 の至 b謚 し た道 であ
9
26
らうか。
兎 に角 現 今 の文 學 現 象 を 今 云 々す る事 は許 さ れな い。 否 明 治 以後 の文 學 さ へも 吾 人 には多 く語 る事
を 許 さ れ な い。 以 上 の明 治 以後 の文 學 の論 議 は本 篇 に於 い て は圭要 の部 分 で はな い。 短 眼 にし て 淺見
た る吾 人 の論述 には誤 つた 所 も 多 いで あら う 。之 は單 に吾 人 の戚 想 の 一端 を こ 丶に書 き 添 へた も の と
し て看 過 せら れ た い。
八
量 話 に發 し て歴 史 小 説 乃 至 宗教 文學 に終 る事 は、 個 人 に於 け る觀 照者 の 側 の趣 味 に於 い ても、 創 作
家 の 態度 に於 いても 、 亦 其 と 同 樣 に或時 代 の 小詮 内 癖 の變 遷 に於 い ても 、同 じ結 果 と な る。 人 の場 合
は其 處 で入 生 一代 が終 る。 小 読 史 に於 いては或 一時 代 を 終 2 し更 に次 に新 し き 更生 の文 學 が生 じ る。
其 は 叉 同 じ 展 開 經過 を辿 る。 少 く と も我 が國 の小説 の變 遷 はか く の如 き 解 釋 を 許す も の で あ ると いふ
事 を 述 べ て おきた い。(
大正+四年八月)
'7
國 文 學 襍 設
古 代
小
1
説 史
物 語 文 學 史 i
古 代 小説 の意義
古 代 小諡 の中 心 は物語 を 對象 とす る。 從 つて、 古 代 小読 史 は 物語 文 學 史 であ ると 云 ふ事 も出 來 る。
物語 文學 は平 安 朝 時代 が中 心 で あ る。 平 安 朝 以 後 は 、僅 に そ の影響 文 學 と し て、生 氣 の な い作 品 が現
れ てゐ るに過 ぎ な い。 從 つて、 古 代 小 説 の直 接 の野 照 は、 平 安 朝 の物語 文學 で あ る。 今 そ の特 色 を考
へて見 ると 、
一、文 體 に於 いて 、所 謂 物 語 文 と 云 ふ 繭つ の型 を 完 成し て ゐ る。
二 、取 材 に於 いて、宮 廷 の公 卿貴 族 の戀 愛 を 取 り扱 つて ゐ る。 他 の階 級 及 び戀 愛 以外 の問 題 には多
ρ
2S
ぐ興 昧 がな いや う であ るρ
三、 構 想 に於 いて、 そ れ は多 く ハツビ ー エンド に終 る。根 幹 には 戀 愛 の進 行 が中 心と な つ て心 そ れ
を 中 心 と し て、 枝葉 的 な種 々の事 件 が 起 る。 且 つ、年 代 記 的 に、 長 年月 にわた る事 件 の叙 述 が多
い。
四 、 描 寫 に於 いて 、 そ れ は甚 だ精 細 であ る。 事 件 の進 行 よb も 、 寧 ろ、 そ の 日常 生 括 の描 出 と か官
位 昇 進 と か云 つた や う な こと が多 い。 從 つて 、事 件 の進 行 は極 め て緩 漫 であ る。
五 、 文章 中 に、 和歌 の使 用 が饒 多 で あ る。ま た浩 息 文 の多 く 挿 入 せ ら れ てゐ る事 も そ の特 色 であ る。
亠
ハ、 短 篇 小詮 は甚 だ少 く て、 多 く 中篇 小詮 、 乃 至 長篇 小説 で あ る。
七 、 一入 稱 の小設 、 乃至 は私 小詮 、 心 境 小設 と云 つた 形式 のも のは 殆 ど な い。 何 れ も、 あ る事 件 を
客 觀 的 に描 かう とす る、 小詮 の正道 を行 つた作 品 で あ る。 即 ち 本 格 小 説 に屬 す る。
大 體 以 上 の如 き特 徴 があ げ ら れ る。 これ によ つ て考 へる時 、純 粹 の小 読 文 學 と し て の物語 作 品 はそ
の範 圍 が甚 だ 狹 少 と な る 。伊 勢 物語 や大 和 物語 の如 き 歌 物 語 も 、榮 華 物語 や 大鏡 の 如き 歴 史 物 語 も、
そ の範 圍 の外 に出 る。 こ れ に反 し て蜻 蛉 日 記 や 和泉 式 部 日 記 の如 き は著 し く 物語 小説 的 傾 向 を 帶 び て
來 る の であ る。併 し 、 これ は物 語 の意 盤
殫を狹 義 に解 した場 合 で、 も し 物 語 を 字羲 通 b に解 し て、話 説
線 説
29
國 文 學 襍 読
D
せ ら れた 傳 詮 文 學 の類 ま でも 含 め る事 にな ると 、 そ の範 園 は著 し く擴 大 す る、私 は 物語 文學 を斯 樣 に
廣 義 に解 し て、 平 安 朝 物語 文 學 を體 系 的 にま と め て見 た。 そ の書 は平 安 朝 物 語選 要 と題 し て、 次 の如
伊勢 物語、大 和物語
き内 容 を有 し てゐ る。
歌 物 語-
小説 物語 竹 取 物語 、 宇 津 保 物 語 、 落窪 物語 、源 氏 物語 、御 津 の濱 松(濱 松 中 納 言 物語 )、 夜 牛
の寢 覺 (寢 覺 物 語 )、 狹 衣 物 語 、今 と b か へば や 物 語 、堤 中 納 言 物 語
日 本靈異記 、今昔 物語集
歴 史 物語 ll 榮 華 物語 、大 鏡 、今 鏡
傳説物語-
實 録 物 語 多 武 峯 少 將 物 語 、 篁 物 語 、 平 仲 物 語 (此 の 二 作 は 歌 物 語 の 方 に 入 れ る を 妥 當 と す る)
飜 譯 物 語iー 唐 物語
へ
以 上 に よ つ て 、 大 體 物 語 文 學 と は 、 い か な る作 品 を 意 味 す る か が 了 解 せ ら れ る で あ ら う 。 か や う に
し て 、 物 語 の發 逹 に は 古 代 詮 話 、 神 話 傳 詮 を も 逸 す る 事 が 出 來 な い。 そ れ は 小 詮 の 故 郷 で あ る 。 併 し
今 私 は 、 物 語 の 意 味 を 可 成 b 狹 義 に解 t て 述 べ よ う と 思 ふ 。
30
●
二
源 氏 物 語 以 前
源 氏 物語 以前 の 物語 作 品及 び源 氏 物 語 は大 體 次 の如 き順 で世 に現 れた 。'
千 五 百 五 六 十年 頃 ll 竹 取 物語
宇津保 物語
伊勢 物語)
千六百年代(前 牛)-
篁 、平仲 、大和物語)
(千・
六百年代初i
(同 i
・源氏物語
千 六百 五十年頃i 落窪 物語
千六百六七十年頃ー
右 の作 品 に於 け る文章 や内 容 の進 歩 發 逹 に つ いて は、 自 分 も しば ノ丶論 述 し た事 が あ る の で、 今 改 め
て は述 べな い。 これ を簡 略 に云 ふ と 、竹 取 物語 は神 話 傳 説 に於 け る妻 爭 ひ 説話 の形 式 を 多 分 に有 し 、
民 聞 の 口碑 傳 承 が稍 文學 的 形 鱧 を備 へて記録 せ ら れた も の に過 ぎ な い。 宇津 保 物語 は、 そ の形式 を 一
暦 現 實 的 、 文 學 的 に發 展 さ せ た も の で 、た だ構 想 上 に稍 相 違點 があ る の は、 か ぐ や姫 を めぐ る五 人 の
男 の個 々に つ い て話 し て 來 た最 後 に至 b、 かぐ や姫 の昇 天 と 云 ふ、 キ ヤ タ ス ト ロー フで終 つ てゐ る。
總 読
31
夢
國 丈 學 縷 読
然 る に 、 宇 津 保 物 語 で は 、 あ て宮 を めぐ る 十 人 も の 男 性 の 個 々 に つ い て 叙 述 し て 來 て あ て宮 の 卷 に至
b 、 逾 に 、 あ て 宮 は 東 宮 に入 内 す る と 云 ふ キ ヤ タ ス ト ロー フ に 到 逹 す る 。 併 し 、 そ こ 夕 轉 機 と し て 、
そ れ か ら 後 の 卷 は 、 か つ て あ て宮 を 取 b 卷 い て ゐ た 多 く の 男 性 が 、 失 望 の 淵 よ b 次 第 に 救 は れ て行 く
あ
宇津保/ 隙
樣 を 描 く 事 を 中 心 と し て 、 そ の 他 の 物 語 に 及 ん で ゐ る 。 も し 圖 形 で 示 せ ぱ 、 そ の相 違 は 、
叢△
の 如き 形 で現 され る であ ら う。 今 一つ、竹 取 物語 で は、 かぐ や姫 を めぐ る五 人 の男 性 が、相 互 に何 ら
の交 渉 を有 せす 、 事 件 的 にも戚 情的 にも 、少 し の葛籐 も起 し てゐ な いと云 ふ點 に、 そ の説 話 の素朴 な
特 色 が見 ら れ る が、 宇津 保 物語 に至 つて は、 あ て宮 を めぐ る入 々 は、何 れ も密 接 な交 渉 關 係 を 有 し て
描 出 せら れ てゐ る所 に、 そ の論 話 的發 逹 を 見 る事 が出 來 る。 源 氏 物語 の藤裏 葉 の卷 ま で は 、構 想 的 に
も 、宇 津 保 物 語 と全 く同 一で、 た 、
ゝ竹 取 宇 津保 の 主人 公 が 女性 で あ る のを 、男 性 と し た に過 ぎ な い。
即 ち 、 光 源 氏 君を 取 b眷 く多 く の 女性 を 點出 し た が 、
須 磨 明 石 を キ ヤタ スト ロー フとし て、これ を 一轉
機 と し て、 そ れ か ら後 の卷 は、 再 び、 前 に點出 し た種 々な る女性 と光 源 氏 君 と の關 係を 、う ま ぐ收 め
32
て行 つたも の で、 宇 津 保 物語 と全 く 同 型 で あ る。 若 渠 上 の卷 か ら は更 に新 な展 開 をし て ゐ る。 落窪 物
語 は詮 話 の内 容 が、他 の作 品 の如 /丶 妻 爭 ひ読話 式 でな いが 、 そ の代 り に、 繼 子苛 めと 云 ふ、 後 代 の
類 型 詮話 の祗 と な つて ゐ る。 し か もそ の論 話 の發 展 に於 い て、落 窪 の姫 君 が繼 母 から苛 めら れ る有樣
を 描 出 し て來 て、 そ の最 後 に、落 窪 の姫 君 に同 情 せ る左近 少 將 に救 は れ ると 云 ふ轉 機 を 堺 とし て、 そ
れ か ら後 は 、 反 封 に左 近 少 將 が繼 母 に復 讐 を加 へてゆく と云 ふ事 によ つて、 前 の繼 子 苛 めに對 す る應
酬 と し て ゐ る。 こ れ は全 く 、宇 津 保 物語 と 同 じ 圖 型 を も つ て現 さ れ る事 の出 來 る、詮 話 樣 式 で あ る。
今 特 に考 へて 見 た い事 は、 こ れら の作 品 に表 現 せら れた 、 作 者 と そ の作 者 を 生 ん だ肚 會 であ る。
竹 取 物語 は 一名 かぐ や姫 の物 語 と 云 ふ、 そ の名 稱 の方 が作 品 の内 容 によ b適 切 であ る。 し かも 竹 取
翕 の 物語 と云 ふ 、今 日 普通 に行 は れ る名 稱 は 、 決 し て此 の作 品 に ふ さ はし く な い事 はな い。 な ぜな ら
物語 を 通 じ て の 女圭 入 公 はか ぐ や 姫 であ る 事 は 勿 論 で あ る が、 男 性 の主 人 公 と し ては、 竹 取 の翕 以外
に こ れを 求 め る事 が出 來 な いから で あ る。 そ の竹 取 の翕 は、竹 を 取 つて賣 b 歩 いてゐ だ 貧 し い低 い身
分 の老 入 で、 即 ち 庶 民階 級 の人 物 で あ る。 か 丶る入 物 が圭 入 公 た る事 は 、 物語 文 學 を逋 じ て の唯 一の
異 例 に屬 す る。 し か も 、此 の貧 し い老 人 は、 かぐ や 姫 を見 出 す 事 によ つて 、急 に富 み榮 え 、貴 族 大 臣
す ら も 、竹 取 の翕 に膝 ま つく 事 にな る。 こ こ に庶 民階 級 の あ こ がれ が見 得 る。 さ う し て、そ の仰 望 せ
總 説
33
國 文 學 襍 論
る理 想 が、夢 中 に實現 せら れ て ゐ る事 も見 ら れ る。 し か も最 後 に至 つ て、庶 民 階 級 の甞、
b 神 であ つた
か ぐ や 姫 は 、眞 の天 女 と し て、 神化 し て 、 天 上 し てし ま ふ。 帝 王貴 族 の懇 請 す ら も 受 け入 れす に、 冷
然 と し て 、下 界 を去 る。 我 々は當 代 の臙民 階 級 の信 仰 を此 所 に見 る事 が出 來 る。 かく考 へると 、此 の
作 品 は、 あ く ま で 執民 間 の 口誦 諡 話 と し て、 民 衆 杜 會 の所 産 とし て、 そ の理想 と信 仰 が具 現 せら れ て
ゐ る事 を 知 る の であ る。
竹 取 物語 が竹 取 の翕 の家 を中 心 の舞臺 と し てゐ る の に樹 し 、宇 津 保 物語 に至 つて は ゐ全 く 貴 族 瓧 會
を 舞 臺 と し た作 品 で あ る。 併 し 仔 細 に見 て く ると 、 そ こ に注 意 す べき幾 多 の事 例 が存 す る。俊 蔭 の女
は 零 落 し て、 仲 忠 と共 に山奥 の洞 窟 に隱 れ、 貧 し い が併 し 母 子 水 入 ら す の幸 輻 な 生 活 を逸 つて ゐ る。
忠 こそ は、 繼 母 の不倫 な戀 に、 上流 肚 會 の腐 敗 を 戚 じ て、 途 に隱 遁出 家 し てゐ る。 物 語 の中 で最 も 富
有 な人 物 とし て、豪 奢 な 生 活 が 描 かれ て ゐ る源 凉 は、 紀 州 吹 上な る片 田舍 の男 で、 し かも 地 位身 分 に
至 つて は中 流 肚 會 に位 し て、 必 す し も貴 族 階級 の如 き 上流 瓧 會 の者 で はな い。 か や う に中 流 肚 會 の人
物 を最 も富 豪 と し て、 且 つ叉最 も 理想 的 な身 分 とし て、希 望 せ られ てゐ る事 は 、源 氏 物語 に於 い ても
同 一で あ る。 以 上 を逋 じ て 、此 の 物語 に は、貴 族肚 會 よ b も寧 ろ下 向 的 な階 級 の幸 輻 な生 活 へのあ こ
が れ が見 られ る。 私 は 、此 の 物 語 の作 者 は源 氏 物 語 と 同 じ く 、中 流肚 會 の入 で、
宮 廷 に仕 へて、そ の外
34
O
觀 的 に は華 や か で、 し かも内 面 的 には 、 譎 詐 欺瞞 に滿 ち た 、此 の肚 會 の生 活 が、必 す し も 幸 輻 でな い
事 を 如實 に見 せ つけ ら れた 人 の作 に成 るも の では な いかと 考 へる。 我 々は此 所 に、竹 取 物語 よ bも 、
一歩 進 ん だ經 驗 を 見 、ま 陀 それ と は 異 な る角度 よb 眺 めた 覗 野 に廣 が る肚 會 を觀 る事 が出 來 る の で あ
る。 前 者 は下 よ b 上 を眺 めた も の、 後 者 は、 中 に立 つて、 上 と 下 と を眺 めた 態度 で あ る。 た だ 上 流杜
會 の暴露 に至 つては 、中 位 に立 つた宇 津 保 よ b も 、 下 位 に あ つ て上 位 を 見 た 竹 取 に於 いて、最 も 酷烈
な 暴 露 があ る事 を注 意 し な け れ ば なら ぬ。 五入 の公 卿 の失 敗 の原 因 を 眺 め る時 、 何 と そ こ に は哀 れな
彼 等 の姿 が見 ら れ る事 か 。 か や う な 假借 な き 暴露 は 、下 層 階 級 に於 いて、 初 め てな し得 る所 で、 自 由
な立 揚 にあ る中 流 階 級 は寧 ろ最 も微 温 的 な態 度 を 取 り 、 上流 肚 會 に至 つて は、 單 な るカ ムフ ラー ジ ユ
があ るの み で、 上流 肚 會的 儀 禮 と 表 面 的 た 冷 た い交 際 と は 、寧 ろ そ の醜 い方 面 を 隱 さう と し て、 不 用
意 に暴 露 す る に至 る。 落窪 物語 は 、 か うし た 上流 吐 會 の所 産 であ る。 落窪 の取材 た る繼 子苛 めの話 と
そ こ に盛 ら れ た セ ンチ メ ンタ リ ズ ムと は、 決 し て下 層 杜 會 に見 る事 の出 來 な いも のであ つて、 少 く と
も中 流 杜 會 以上 の持 つ戚 情 であ る。我 々は こ こ で才能 比 倫 を 絶 し た 貴 公 子 左 近 少將 の活躍 を 見 る。 さ
う し て繼 母 に封 す る慘 酷な 復 讐 を見 る。 前 牛 の優 し い阿 漕 の心 遣 ひ と 、そ こ に現 れ た セ ンチ メ ンタリ
ズ ムと は寧 ろ中 流瓧 會 的 で あ る。 併 し後 牛 の復 讐 に至 つて は、 あく ま で も冷 酷な 上 流肚 會 の内 面 の不
總 読
35
國 文 學 襍 読
用意 な現 れ であ る。 此 の ヒ ロイ ズ ムー
弱者 に樹 す る無 盆 な ヒ ロイ ズ ムは、自 由 圭義 的 な 中 流瓧 會 の
態 度 で は な い 。 そ れ は 矯 慢 な 貴 族 性 の 自 己 暴 露 で し か あ b 得 な い。 か く て 落 窪 物 語 は 、 中 流 肚 會 乃 至
は 上 流 瓧 會 的 産 物 と し て 、 そ の 構 想 描 寫 が 我 々 に 受 け 入 れ ら れ る の で あ る。
源 氏 物語 以前 の物語 作 品 は、 以上 で決 し て盡 き て ゐ るわけ で は な い。試 み に宇津 保 物語 を見 れば 、
とね り から もり かはほり
そ こ に ﹁舍 人 のね や ﹂ 及 び ﹁唐 守 ﹂(此 の 名 稱 源 氏 物 語 に も 見 ゆ 。 但 し 、 宇 津 保 物 語 の諸 本 多 ぐ 蝙 蝠 と
記 す 、 今 有 朋 堂 文 庫 本 に よ る ) の 二 つ の 物 語 の 名 を 見 出 す 。 ﹁舍 入 の ね や ﹂が 、 そ の 題 名 に よ つ て 判 す
さぎもり
る に 、 庶 民 階 級 を 取 材 と し た ら し い事 は 注 意 せ ら れ て よ い 。 ﹁唐 守 ﹂は 甚 だ 不 明 で あ る が、 防 入 、 島 守
な ど の 如 く 、 こ れ ま た 庶 民 的 な 名 稱 な るを 思 は し め る 。 さ う し て 、 こ れ ら の作 品 は 殆 ど 竹 取 物 語 と 、
そ の著 作 の 時 期 を 同 じ う す る も の か と 思 は れ る 。 こ れ に よ つ て 、 古 代 小 説 の 最 古 の も の が 、 何 れ も 主
入 公 に 庶 民 階 級 を 取 つた ら し き 事 、 從 つ て 、そ の 作 者 の 屬 す る肚 會 も 庶 民 階 級 ら し き 事 が察 せ ら れ る 。
さう し て、 我 々の注意 を し ばら く歌 謠 の方 面 に向 け ると き 、催 馬樂 風 俗歌 の類 が、民 間 の巷 謠 より向
上 し て 、 貴 族 肚 會 の 愛 誦 歌 と な b 終 う た 事 、 そ の 後 に朗 詠 の 如 き 、 純 貴 族 瓧 會 の産 物 た る 歌 謠 が 生 じ
た 乏 云 ふ 事 實 を 見 る で あ ら う o 此 の 歌 謠 の 動 向 進 展 は 、同 じ 時 代 的 性 能 を 有 す る 物 語 小 説 に あ つ て も 、
全 然 同 一の 方 向 を 取 つて ゐ た と 斷 す る事 が 出 來 る の で あ る。 以 上 の 諸 作 品 の考 察 は 、 此 の結 論 を 導 か
36
ん が爲 め に な され た。
三
源
民
物
語
今 や我 が小 詮 史 上 の王 座 、我 が散 文 文學 の 一大 金 字 塔 な る源 氏 物 語 に到 逹 し 弛。 源 氏 物語 の作 者 に
關 す る注 意 す べ き特 色 は、 他 の物語 作 品 の何 れ も が、 作 者 の不 明 な る か 、作 者 が明 瞭 であ つて も 、作
、
品 そ の勿 が傳 は らな か つた b 、疑 はし いも の があ つた りし て、 作 者 之作 品 と の關 係 が明瞭 でな いの に
封 し 、此 の 物語 だけ は、 可 成 り の程度 に於 い て、 そ の關 係 が明 瞭 にせ ら れ るの みなら す 、 同 じ作 者 に
よ つ て紫 式 部 日記 の書 き殘 さ れ て ゐ る事 は 、 何 よ b も此 の作 品 の研 究 に種 々な る暗 示 を與 へるも の で
あ つ て、此 の物 語 が量 的質 的 にも 、 ま た 材 料 的 にも 、研 究 樹照 とし て 、最 も 多 く の 好條 件 を 備 へてゐ
る事 は注 意 す ぺき であ る。即 ち 、紫 式 部 日 記 た 此 の作 品 との登 揚 人 物 の比 軟 考 察 によ つて、 物 語 中 の
モデ ルと 見 な し ても よ いや う な實 在 上 の入 間 を 爼 上 に登 さ れ た の は 、島 津 久 基 氏 の俊 敏 な る頭 腦 の賜
物 で あ つた 、式 部 の經 歴 を さぐ b 、そ の生 活 背 景 に於 いて此 の作 品 を見 得 る事 は、作 品 と作 者 及 び肚
會 と の關 係 を 眺 め る 上 に甚 だ 幸 ひ と し な け れ ば な ら な い。
物語 中 の理 想 化 され た 人 物 とし て、 男 性 に光 源 氏 君 、 女 性 に紫 上 があ る。 登 場 入 物 の理想 化 は同 時
總 畿
37
國 文 學 褸 説
に作 者 の理 想 の發 現 でな け れ ば な ら な い。 紫 上 は高 貴 の血 筋 を 引 い て ゐた が、母 に死 に別 れ、 父 には
冷 遏 せ ら れ て、 尼 と な つ てゐ る租 母 の懷 に養 はれ た薄 倖 の少 女 で あ る。 し か も光 源 氏 君 の愛 を得 て、
最 も 幸 幅 な る生 活 に入 る事 を得 た 。 紫 式 部 の母 に つ いて我 等 は何 の智 識 も持 つてゐ な い。 式 部 も此 の
點 に つ いて は そ の書 き 殘 し た も の の中 に何 も ふれ て ゐ な い。 家 集 に は姉 の死 ん だ事 や友 人 達 の事 な ど
は見 え るが 父 母 に つ いて は少 し も 見 え な い。 日 記 に は兄 の事 に關 蓮 し て、 父 の事 も僅 か に見 え てゐ る
が、 母 の事 は全 く 記 し て ゐ な い。 父 よb も 寧 ろ母 に親 し さを 有 し て ゐ る べき筈 であ り、 殊 に當 時 の家
族 制度 に於 いて 、子 供 は多 く 母 の膝 下 に養 育 せ ら れ て 、父 よ b はな れ 勝 で あ るの に、式 部 に於 い ては
さう云 ふ點 が少 し も戚 じら れ な いの は何故 であ ら う か。 母 に樹 す る愛情 の不 足 は、 紫 上 の母 が、作 者
の爲 め に極 め て輕 く 、 いな殆 ど 無 視 せ ら れ て(夭折 の ゆ ゑも あ るが )、作 中 に取 b扱 は れ てゐ る事 と考
へ合 はす べき で あら う。 或 ひ は、 家 集 に 、﹁都 の方 へと 歸 る 山越 え け る に﹂とあ る如 く 、父 に從 つて任
國 の北 越 へ下 つた 作 者 の幼 時 は 、祺 母 の尼 君 と共 に北 山 に見 出 さ れ た幼 少 の紫 上 に似 逋 つてゐ ると も
云 は れ る で あら う 。
紫 上 が作 者 自 身 の理 想 化 であ ると云 ふ考 へは全 然 根 據 がな いと は云 はれ な い。作 者
が上 流瓧 會 の婦 人 に對 し て、 そ の人 間 性 の鴃 乏 のゆ ゑ に 、多 ぐ好 意 を 有 し てゐ な い事 は 、雨 夜 の品定
にも 見 ら れ る所 であ るが、 葵 上 は、 かうし た 意 昧 に於 いて點 出 せ ら れ た 女 性 であ つた 。作 中 に於 け る
38
最 も可 憐 な女 性 は 、ク 顏 にし て港 、 玉 鬘 にし ても 、 俘舟 にし ても 、中 流 乃 至 そ れ 以下 の杜 會 の女 性 で
あ る。而 し て、理 想 的 な 女 性 た る紫 上 や明 石 上 は何 れ も中 流 肚 會 的 地 位 にあ つ て、夕顏 や俘 舟 など よ b
は 上 位 に位 す る。 室 蝉 の如 5
・
・
地 位 の低 い女性 で も、 矢張 6作 中 に は、 操 正し き 婦 人 とし て好意 を も つ
て描 か れ てゐ る。 然 る に、 左 大 臣 の 女 た る葵 上を 始 め 、右 大 臣 の女 た る 弘徽 殿 女 御 にし ても 、 そ の妹
な る朧 月 夜内 侍 にし ても 、前 坊 の女 御 にし て大 臣 の女 た る 六條 御 息所 にし ても 、 上流 の女 性 は何 ら か
の篏 點 を も つ て描出 せ ら れ た。 まし て常 陸宮 の女 と し て零 落 し た末 摘 花 や 、式 部 卿宮 の女 にし て日蔭
者 の紫 上 には 異腹 の 姉 にあ た る髭 黒 大 將 の北 方 な ど に至 つ ては 、單 な る道 化 者 とし て登場 し た 歔 畫 的
入 物 た る に過 ぎ な い。 見 來 れ ば作 者 の意 中 は 大 方 に忖 度 す る事 も出 來 さ う で あ る。 さ うし て、 光 源 氏
君 と 女性 と の關 係 は 、 か うし た 善 惡種 々 とb み 丶 の女性 を點 出 す る事 によ つて事 件 的 に進 展す るが、
事 件 の内 客 も 亦 、上 述 の如 き 各 女性 の性 質 に相應 じ て ゐ る。 六條 御 息 所 や 、 朧 月 夜内 侍 と光 源 氏 君 と
の關 係 の如 き に至 つ ては 、 當 代 上流 瓧 交 界 の スキ ヤ ンダ ルに過 ぎな い。 純 眞 な る織⋮
劉敦 伴 とし ては ・
寧 ろク 顏 上 や零 落 し た 末 摘花 など の側 に見 出 さ れ る のであ る。
源 氏物 語 が構圖 的 には 宇津 保 物語 と類 似 し てゐ る事 は 、既 に述 べた 如 く で あ る。 併 し 、 若菓 上 の卷
以 下 に至 つ て、源 氏 物語 は獨 特 の内 容 を も つ て來 た。 即 ち 、 女 三宮 と柏 木 衞 門 督 と の關 係 に ょ つて、
憩 説
39
國 文 學 襍 説
光 源 氏 君 の煩 悶 は著 し く 内 面 的 な深 さ を加 へると共 に、 宿 命 的 な悲 劇 が點 出 せ ら れ て 、作 者 の佛 教 信
仰 に於 け る因 果 觀 が、 そ こ に披瀝 せら れ てゐ るのを 見 る。 あ る論 者 は、 これ を も つて 、光 源 氏 君 と藤
壼 女御 と の密 逋 に灘 す る悪 因 惡 果 の因 果 律 と 見 な す の は 不當 であ る と論 じ てゐ る。併 し 、作 者 自 身 う
女 三宮 が柏 木 の子 供 を生 み落 し た 際、 光 源 氏 君 をし て、 ﹁さ ても 怪 し や、わ が世 と土ハ
に怖 ろし と思 ひ し
事 の報 いな め b 、 こ の 世 に てかく 思 ひ か け ぬ事 にむ か は bき ぬれ ば 、 後 の世 の罪 も少 し 輕 み なん や﹂
と 思 は せ て ゐ る事 は 、佛 教 の宿 命觀 を此 所 に現 し てゐ る も のと 考 へな け れ ばな ら ぬ。 勿 論 江 戸作 者 の
儒 教 的 な勸 善 懲 惡 圭 義 は、 合 の場 合 全く 不必 要 で あ る 。そ れ は全 く佛 教 信 仰 の發 露 に過 ぎ な い。 即 ち
佛 教 思想 の藝 術 に於 け る表 現 は、 前 代 の作 に は未 だ曾 つて見 ら れ な い所 であ つた 。此 の 物語 に至 つて
宗 欷 思 想 と藝 術 と の同化 融 合 が見 ら れ る に至 つた 。 此 の 物語 が所 謂 物 の あ はれ の最 も よ き藝 術 的表 現
で あ る所 以も 、從 つて、 物語 文學 の代 表 的 作 品 と し て、眞 にし みみ丶 と し た 情 趣 の汲 み取 ら れ るわ け
も 、 作 品 の背 後 に、作 者 の 思想 の深 さ 、學 問 の奥 行 、信 仰 の高 さな ど が存 す る から で あ る。 これ は 聴
腐 敗 せ る上 流 秕 會 でも 、全 く無 智 な存 在 にし か 過 ぎ な い當 代 の下 層 肚 會 の所 産 でも有 b得 な い。 地位
名望 の代 b に、 富 に於 いて學 識 に於 いて、 趣 昧 的 生 活 に於 い て、 上流 肚 會 を遙 か に凌 駕 せ ん と し て ゐ
る、中 流 階 級 の藝 術 上 の勝 利 と云 ふ べき であ る。 宇 津 保 物 語 の源 凉 や 、
此 の物 語 の明 石 入道 の生活 に、
40
さ うし た 中 流 の肚 會 生 活 の、 完備 せ る具 現 が見 ら れ る。 さ うし て、紫 式 部 の父 が明 石 入道 等 と同 じ 受
領 階 級 であ つた事 は 、 こ れ ら作 中 の人 物 と 共 に、 記 憶 せら れ な け れ ば なら ぬ事 であ る。 受領 階 級 は や
が て地 方 の郷 士 と な b 、 武士 に進 出 す る事 によ つ て、 完 全 に上 流 公卿 瓧 會 の政 權 を 奪 つて し ま つた で
は な いか 。
源 氏 物 語 に於 い て今 一つ注意 す ぺき事 は、 所 謂宇 治 十 帖 の添 加 であ る。 こ れ が源 氏 物語 と同 一作 者
か 否 か と 云 ふ 事 は 、今 多 く 問 題 とし な い。 併 し、 源 氏 物語 よ b宇 治 十帖 を除 き去 つたな ら、 此 の作 品
の價 値 は牛 減 した と 云 つ ても 差支 へな いで あ ら う。 宇 治 十 帖 は、 物 語 文學 中 の壓 卷 の作 品 と云 つ ても
差 支 へな い。戀 愛 の 三 角關 係 よ り生 す る悲 劇 は、 近 代 文藝 の有 力 な る題 材 であ る が 、宇 治 十帖 は此 の
悲 劇 を取 り扱 つた最 初 の作 品 で あ る。 こ れ は、 一人 の女 性 に 二人 の男 性 が求 婚 す る 、古 代 論話 の妻 爭
ひ 傳 説 と同 一覗 せ ら れ て は なら な い。 併 し、古 事 記 紳話 の 、 八 千 矛禪 と、 そ の妻 須 世 理 比 費 の嫉 妬 、
及 び 、 八 上比 賣 や沼 河 比賣 と の關 係 、 或 ひ は 、 仁徳 天 皇 の皇 后 の嫉 妬 及 び 八田 の若 郎 女 と の關 係 な ど
に於 いて は 、原 始 的 な 傳 詮 にも 、後 代高 度 に發 逹 した 文學 に見 ら れ ると 同 じ き 三角 戀 愛 の存 在 を見 得
る の であ る。 た だ 之 は中 心 人 物 が男 性 で あ る から し て、 一夫 多 妻 生 活 の古 代肚 會 に は當 然 起 b得 る事
で 、多 く の不 思 議 は な い。併 し 、女性 を中 心 とし で、こ れと 正當 な 夫 婦關 係 にあ る主 人 公 よ り 、主 入 公
總 説
41
㌔
轡
國 丈 學 襍 読
と 親 友 の關 係 にあ る他 の男 性 が、 そ の女 性 を 奪 はう と し た 爲 め に 、 三角 戀 愛 と 友 情 と の軋 轢 葛 籐 や、
三入 別 樣 の性 格 が生む 運 命 悲 劇 の展 開 に至 つて は、 これ を 古代 詮 話 、 古 代 文學 の中 に求 めて、 た だ 一
個 の宇 治 十帖 以外 に あ るを 知 ら な いの であ る 。
だ が、私 が此 の作 品 に特 種 の價 値 を見 出 す のは 、 た だ にか く の如 き 文學 鑑 賞 の立場 よ b觀 る が爲 め
の みで は な い。 此 の作 品 の背 景 と な つて ゐ る當 代 の生 活 内 容 に あ るの で あ る。 俘 舟 は紫 上 と同 樣 の境
遏 に成 長 し た が、 そ の肚 會 的 地位 に於 いて は、 紫 上 よ b 一層低 い。此 の 女性 を 圭 入 公 と し て、 二人 の
相 反 す る性 格 の、 當 代 に於 け る最 も 理想 的 な男 性 に思慕 せら れ る。而 し て 、俘 舟 の性 格 はク 顏 に甚 だ
似 て可憐 で あ る。 た だ 忘 れ て はな ら な い事 は 、此 の淨 舟 は 二人 の男性 を 同樣 に愛 し て、決 し て、 自分
に非違 の行 爲 を敢 へてし 詑匂 宮 をも憎 ん で は ゐ な いし 、 叉 自分 を愛 撫 し てく れ る薫 中將 に も、 充 分 に
威 謝 の念 を 持 つてゐ る事 であ る。 つま b 、此 の愛 の板 挾 み が淨舟 をし て自 殺 を決 心 さ せ る に至 つた 。
ヅアン
ブ
か う し た 徑路 は俘 舟 をし て、 妖 婦 的性 格 を 持 把 し め る に至 つ てゐ る。 淨舟 は自 ら 知 らす し て妖 婦 の役
を つと め、 且 つ娼 婦 的型 の女 性 であ つた 。 小魔 女 と云 つた 型 の女性 で あ る。 かや て、當 代 の青 年 を代
表 す る上流 の儀 表 た る べき 二入 の男 性 が完 全 に淨 舟 の爲 めに飜 弄 せら れ た結 果 と な つてゐ る。此 所 に
も 亦 、中 流 肚 會 の勝 利 が見 受 け ら れ る 。併 し、最 後 に浮 舟 は自 殺 と見 せ て 、
實 は尼 君 の爲 め に救 はれ 、
42
、
ひ
中 流 瓧 會 の象徴 はー
佛
聖 な る生 活 に入 つ て、 二人 の男 性 の手 よ b遶 く 離 れ てし ま つた 。尼 君 は當 代 の宗 教 的 信仰 の象 徴 であ
つ て、煩 悶 は途 に宗 敏 的 解 決 を俟 つ に至 つて ゐ る。 か や う にし て彼 女 は1
教 に よ つ て救 は れ る が、 そ れ ば遙が に上 流貴 顯 の及 ぱざ る 彼方 にあ つて、 此 方 よb救 を求 め て手 を さ
し のば す が、 彼 女 の素 氣 な い拒 絶 のも と に、薫 君 の はか な い失望 が殘 つた の み で、 物 語 は終 る。 二人
の 理想 的 な上 流 の男 性 で さ へも 喜 を得 る事 が出 來 な いの であ る。 ま し て、 そ の他 の汚 濁 と腐 敗 の生 活
に惑 溺 し て ゐ る上 流瓧 交 界 の 凡 俗 に於 いて を や。 これ は紫 式 部 が宮 廷 に生 活 し て見 て得 た所 の最 も 痛
切 な る體 驗 であ つた に相 違 な い。 從 來 の作 晶 には解 決 がな か つた 。 救 が な か つた 。 いな さ うし た も の
が 不必 要 であ つた 。 物語 には △型 や くV型 の定 石 さ へも き ま つ てゐ た。紫 式 部 も 若 い時 代 に著 作 し た 物
語 の前 牛 に於 いて は此 の 舊 來 の型 を 襲 つた が 、後 牛 に至 つて 、初 め て作 者 獨 特 の信 念 が創 始 的 個 性 的
し い生 活體 驗 で あ る。 源 氏 物 語 の宇 治
な事 件 の發 展 と 成 つて、 そ こ に 一の解 決 を さ へも 見 出 し て ゐ る。 單 な る安 價 な 信 仰 と か、 セ ンチ メ ン
タ リ ズ ムと か云 は れ得 るも の で はな い。 そ れ は作 者 のな ま く
説
四
源 氏 物 語 以 後
十帖 が最 も價 値 を 有し て ゐ る理 由 は、 か うし た 生 活 内 容 が象 徴 せ られ て ゐ る所 にあ る。
總
43
國 文 學 襍 読
源 氏 物語 の摸 倣 を志 し てゐ るが 如 く見
源 氏 物語 以 後 に は、 平 安 朝 末 ま で の作 品 と し て は 、次 の五作 品 があ げ ら れ る。r
千 七 百 年 代初 頃 -1 ー御津 の濱 松 (濱 松 中 納 言 物語 )
夜牛 の寢覺 (寢覺物語)
狹衣物語
同 ー
千 七百年代-
松 浦 の宮 物 語
ムー
と b か へば や 物語
今鏡)
大鏡)
(千 七 百 五 六 十 年 陌桝
榮華 物菰胆) .
(千 七百 年 代 後 牟 (千 八百 三十 年 ー
-
千 八 百 年 代前 傘 ー
同
一世 の傑 作 源 氏 物語 が出 で て よb 、そ れ 以後 の作 品 がた だー
え る 事 は 、既 に先 入 の考 證 し た 所 、 上 記 の諸 作 品 にも 亦源 氏摸 倣 の跡 が歴 々と し て指 摘 せら れ る が、
就 中狹 衣 物語 の如 き は、 そ の最 も顯 著 な る も の で あ る。 だ が源 氏 の摸 倣 はそ の 形骸 の摸倣 で あ つた 。
ゆ ゑ に事 件 的 に露 骨 に摸 倣 の跡 が見 得 る の であ る。 云 はば 餘 b に智 惠 の な い模 倣 であ ると も云 ふ事 が
出 來 る。 併 し .我 々は い か に源 氏 物語 の 生活 象 徴 が之 等 の作 品 に繼 承 せ ら れ て ゐ る かを檢 討 し な け れ
44
ぱ な ら ぬ。
御津 の濱 松 と夜 牛 の寢 覺 は更科 日 記 の著 者 の作 と云 ひ 傳 へる。 さう し て 、 更科 日記 の著者 は 、蜻 蛉
日 記 の著 者 の姪 に當 る。從 つ て、 これ は 一つの文 學 集 團 を な す 一家 とも 云 ふ事 が出 來 る。 紫 式 部 の曾
組 父 に堤 中 納 言 兼輔 が あ り 、清 少 納 言 の曾 祗 父 に清 原 深養 父 、父 に清 原 元 輔 があ る事 を 思 へば、 文 學
の血 筋 は家 系 と密 接 な關 係 があ つ て、 つま b文 學 的家 庭 、 文 學 的環 境 に育 て られ て、 自然 、 文 學 家 族
を な す に至 る。 こ れ はあ な がち 遣 傳 論 の読 明 を ま た な く て も 、極 め て見 易 き理 であ る。 併 し、 これ ら
の家 族 では 、特 にす ぐ れ 元 作 家 が出 て ゐ るか ら 、 そ の天 才 的頭 腦 は 、極 め て作 品 を個 性 的 なら し め、
何 ら 傳 統 的 な 文學 家 族 の雰 圍 氣 に煩 はさ れ てゐ な い。彼 女逹 の頭 腦 を 育 てた 滋雨 の役 は 、決 し て 、嘆
き 出 つ る花 の形 状 色 彩 にま で干渉 し な か つた 。紫 式 部 、清 少 納 言 然 り、而 し て、 更科 日 記 の著者 も亦
そ の天 才 的作 家 の 一人 に數 へら れ る。 彼 女 が いか に し て 、そ の文 學 的 教 養 を 、僻 地 にあ つて、 ま た孤
獨 的非 肚 交 的性 格 に於 い て、蓄 へる事 が出 來 た か は、 更 科 日 記 の 一篇 が明 白 に説 明 し てく れ る。 さう
し て、寧 ろ そ の東 國 に成 長 し 、 長 い苦 し い族 を續 け た幼 時 の記 憶 は、 彼 女 の 文學 的成 長 に役 立 つた で
あら うし 、非 瓧 交 的 孤 獨 性 は、 文學 的教 養 を 高 め る に都 合 がよ か つた。 かう した 彼 女 の成 長 を顧 み る
時 、 いか にそ れ が紫 式 部 と類 似 し てゐ る かを 知 る であ ら う。 父 と の任國 の居 佳 、 文 學 的家 庭 に於 け る
總 説
'
45
國 文 墨 襍 説
成 長 等 の相 似 は、 必 然 的 に爾 者 を近 付 け た。 更 科 日 記 の著 者 が源 氏 物 語 を 愛慕 す る纂 の尋 常 な ら ざ る
も の が あ つれ のは 、蓋 し 偶然 では な い。
今 、御 津 の濱 松 、 夜 牛 の寢 覺 の 二作 品 を 更 科 日 記 の著 者 の作 品 とし て考 へる時 (さう考 へる事 は 決
し て 不當 で はな い)、此 の 二作 品 は いか な る文 學 的 意 義 を有 し てゐ る か。 御津め 濱 松 は、濱 松中 納 言 と
唐 后及 び吉 野 の姫 君 と の戀 愛 物 語 であ る。 吉 野 の姫 君 は中 流 肚 會 に位 す べき 入 物 の如 く考 へら れ る。
而 し て、 そ の吉 野 の姫 君 が、 式部 卿宮 に盜 ま れ て通 じ る に至 る點 は 、全 く 源 氏 物語 の宇 治十 帖 の換 骨
脱 胎 であ る。 式 部 卿宮 は彼 の匂宮 と 同 じ入 物 で あ ら う。 然 ら ば 吉 野 の 姫 君 は俘 舟 に當 るわけ で、 源 氏
物 語 の模 倣 と共 に、 作 者 の成 長 し た 境遏 、肚 會 的 地 位 が、 か く 同様 の構 想 へと蓮 ば せ た のだ と も考 へ
ら れ 、佛 教 的 な轉 生 詮 の信 仰 が現 れ て ゐ る事 は 、こ れを 單 に荒 唐 無 稽 な 詭話 と ば か b否 定 す る の は未 だ
作 者 に同情 あ る見 解 でな く 、 そ こ に更科 日 記 にも 見 ら れ る作 者 の佛教 信 仰 や空 想 的 な性 情 が表 現 せら
れ たも の と考 へる べき で あ る。 と に かぐ 此 の作 品 は 源 氏 物 語 の延 長 と し て、 多 く 不自 然 さは な い。 併
し 夜 牛 の寢 覺 に至 る と甚 だ 異 な る。 そ れ は 全く 上流 貴 族 瓧 會 の戀 愛 に終始 し て ゐ る。 そ れ 以下 の肚會
を 物 語中 の 圭要 な る舞 臺 に登 せ ては ゐ な い。 ゆ ゑ に御津 の濱 松 と 比較 す る時 一見 矛 盾 を戚 じ る。併 し 、
實 は そこ に源 氏 物語 以後 の 物語 文 學 の行 く べき道 が示 さ れ てゐ るの で あ る。 我 々は 物 語 の作 者 は大 抵
46
鴨
中 流 に位 す る瓧 會 の入 々 が多 く 、 上流 貴 顯 の手 にな る作 晶 は、 あ つても 、極 めて僅 少 であ ると考 へて
ゐ るが 、 上 記 の諸 作 品 は 、 そ の主人 公 が、特 に女 圭 人 公 が、 殆 ど 何 れも 、中 流 瓧會 の入 物 で、 上流 貴
族 の女 性を 圭入 公 と し て取 b扱 ふ事 は 、 これ を憚 つた の か、 興 昧 を 戚 じ な いのか 、 物 語 の主入 公 に不
適當 な爲 め か、 恐 ら く そ れ ら の種 々の條 件 を 兼 ね 備 へた か ら であら う が、 と に かく 物語 中 に現 れ て ゐ
な い。 然 る に、 夜 牛 の寢 覺 以下 の作 品 とな つ て は甚 だ 事 情 が異 な る。 物語 の女 圭入 公 は多 く 上 流貴 顯
の婦 女 で あ る。 これ は 、 同 一の階 級 の作 者 の手 にな つ ても 、 そ の作 者 の考 へ方 、觀 方 、 即 ち作 者 の思
想 が變 化 し た爲 め に他 な らな い。 我 々は 、平 安 朝 の末 に出 た 榮華 物語 や大 鏡 に於 いて、 いか に上流 の
權 勢 者 が讃 美 せら れ てゐ るか を 知 る。 大 鏡 に は批 判 的 言 辭 も あ る が、 總 じ ては 、上 流 の顯 門 を讃 仰 す
る事 によ つ て、 そ の點 がカ ム フ ラー ジ ユせら れ てゐ る。 か う し た時 代 の風 潮 が、 夜 牟 の寢 覺 以下 の 物
語 作 品 を し て、 上 流貴 族 の肚 會 に跼蹐 せ し め、 理 想 化 され た 物 語 の 主人 公 が、 男 性 女 性何 れも 、 上流
顯 門 の貴 公 子 、 令 嬢 た る にと ど ま る に至 らし めた。 さう し て、途 にそ こ に作 者 の屬 す る中 流 階 級 の勝
利 と云 ふ結 果 は全然 見 る事 が出 來 な く な つた。 た だ 彼 等支 配階 級 に阿 諛 し 、 無 條件 に彼等 を讃 歎 す る
こと ど ま るo
垂
こ こ に考 ふ べき 事 は 、 夜 牛 の寢 覺 が御 津 の濱 松 と 同 一作 者 の手 にな るな ら ば 、此 の態 度 の分 裂 、 矛
總 設
47
國 丈 學 襍 説
盾 は いか に解 釋す る か、 或 ひ は兩 作 品 は作 者 を異 にす る の で はな いか と云 ふ疑 問 であ る。 私 は 、今 そ
れを 斷 定 す る事 は出 來 な い が、た だ 、 時 代 の遏渡 期 に當 つて は、 同 一作 者 で も さう し た矛 盾 はあ り得
る事 であ り、 殊 に更 科 日記 の作 者 にあ つ ては 、 そ の矛 盾 が、彼 女 ら し い性 絡 の表 現 と は な b得 ても 、
決 し て不自 然 な態 度 で はな い事 を述 べれ ば 足 b る 。
狹 衣 物語 は此 の時 代 の作 品 の中 では傑 作 で あ る 。且 つ源 氏 物 語 の影 響 を最 も多 ぐ 受 け て ゐ る。 飛鳥
井 の姫 君 の如 き は、 中 流 杜 會 の入 物 で我 等 に最 も親 し み易 き 女性 であ り 、源 氏 物 語 の夕 顏 の模倣 であ
b 、 俘舟 に は最 も 近似 し てゐ る。併 し 、狹 衣 物語 を通 じ て の女 主入 公 に は源 氏宮 が存 在 し て居 り 、 こ
れ は源 氏 物語 の紫 上 にあ た る女性 で あ る。 し かも紫 上 が中流 杜 會 の入 物 であ る に封 し、 源 氏宮 の地 位
境 遏 が最 も 高貴 であ る のを較 べれ ば、 兩 作 品 の距 離 の相 違 が明 瞭 と な る であ ら う。
と b か へば や物 語 (正 しぐ は今 と b か へば や物語 ) は奇 妙 な題 材 を 取 b扱 つて ゐ る。 二重人 格 的 な
入 格 の分 裂 を そ の内 容 に含 めて 、變 態 心 理 を題 材 とし た 作 品 であ る。併 し、 これ を 戀 愛 の方 面 か ら云
へば 、結 局 一人 の男 性 を 二人 の女 性 が取 b圍 む 事 とな つ てゐ る。 そ の 女性 の 一入 は 、 眞實 の女 では あ
る が、男 性 化 し た 女 であ b、 も う 一入 の女 性 は、 女 性化 し た男 性 で、 何 れ も 變 成 男子 的存 在 であ る。
更 に事 件 は進 ん で、 そ の男 性化 し た女 性 の妻 君 と も 、此 の作 品 の主 人 公 が逋 じ る や う にな b 、最 後 に
48
そ の妻 君 は、 女 性化 し た 男性 の 、眞 實 の妻 君 と な る に至 る所 を 見 ると 、 戀 愛 は四 角 關 係 、 五 角 關係 と
も な つて ゐ る が 、要 す る に、 そ の内 容 は 、宇 治 十 帖 よ b 出 發 し た も の で .(懷 姙 し た變 成 男 子 的 女 性
が、宇 治 に圍 は れ る所 など 、
そ の模 倣 の痕跡 を明 ら か に示 し て ゐ る)、しか も 、 そ の變態 的 な 不自 然 な發
展 が、 か の原始 的 な妻 爭 ひ説 話 式 の 、即 ち 竹 取 物 語 に見 え る が如 き論 話 の構 想 形 態 に逆 戻 りす る結 果
と な る に至 つた ので あ る。殊 に、 物語 の圭 入 公 、 そ れ を 取 b 卷 く 兄 妹逹 、何 れも 時 の權 勢 者 、 上流 名
門 の入 物 とな つ てゐ る に於 い ては 、叉 云 ふ べき 言 葉 も な い の であ る。 だ が、 こ れ が時 代 の風 潮 であ つ
て見 れば 、 寧 ろ、 そ のし か る所 以 に於 いて 、 上述 の夜 牛 の寢 覺 に於 け ると 、 同 一結 論 に到 達 す る結 果
と なる。
松 浦 の宮 物語 は御津 の濱 松 の影響 作 品 に違 ひ な い。 遣 唐 使 と な つ て入唐 し た辨 少 將 と支 那 の華 陽公
圭 と の戀 物語 であ る。 唐 后 と 濱 松 中 納 言 と の關係 の部 分 だけ が獨 立 し て、 一篇 の作 品 にま と めあ げ ら
れ た が如 き戚 があ る。 作 者 は、 單 に上 流貴 顯 の華 や か な生 活を 描 いて、 ひ そ か に羨 望 の情 を寄 せ る に
と ど ま らす 、異 國 の宮 廷 美 女 の戀 愛 に、擅 ま ま な る室 想 、憧 憬 の情 を 飽 く ま でも 滿喫 させ よ うと 欲 し
た の であ る。 そ の成 功 失 敗 は あ へて問 は す と も 、作 者 は こ れ で自 己 滿 足 を 威 じた であ ら う し 、上 層 階
級 の讀者 は 、新 奇 と刺 激 と を 求 め て、此 の 企 を歡 迎 した ので あら う 。 だ が 正し い讀者 は 、 か か る作 品
鯨 艶
49
國 文 學 襍 説
に背 を 向け た に違 ひ な い。 此 の徒 ら に奇 を求 め る傾 向 は、 支 配 階 級 的作 品 の特 徴 であ る。私 は 、此 の
作 品 の作 者 も 、決 し て 上流 の入 で はな いた考 へるが 、 し か も か か る上 流肚 會 へ阿 諛 す る態度 は最 早 平
安 朝 末 の 物語 の末 路 を意 味し てゐ る。 俄 然 源 平 の 一大 擾 亂 は肚 會 の變 革 を來 さ し め、 新 興 文學 の續 出
今 は政 權 を は
は v 舊 套 な る 物語 文學 を全 く 滅 亡 さ せた か に見 え た が、決 し て さ う で は な い。 長 い傳 統 を 有 し 、根 強
い讀者 層 を 有す る 物語 文學 は 、 い つま で もそ の勢 力 を 持 續 し てゐ る。 上 層貴 族 階 級 i
なれ 、 經 濟的 に次 第 に行 き つま つ て行 く 、 此 のあ はれ な 階 級 は 、そ の 文學 的趣 昧 と 嗜 好 と に於 いて は 、
永 久 に保 守 的 で 、唯 我 獨尊 的 で あ る。 且 つ、 民 衆 も 亦 、 今 は政 治 上 の權 力 を失 ふと い へど も、 藝 術 上
には 、 寧 ろ 以前 よ も多 く の敬意 を 拂 ひ、 傳 統 の持 つ豐富 な る内 容 の美 的價 値 を、 正當 に、或 ひ は時 と
し て 正當 以 上 に認 識 し 評 價 し 、 彼等 を藝 術 の權 威 とし て信 仰す る に至 つてゐ る。 ゆ ゑ に、 更 に長 く 物
語 文 學 は勢 力を 持 ち 、生 命 を 保 存 し て來 た 。 だ が、 物 語 文 學 の置ハ
生命 は平 安 朝 を 境 界 と し て 、絶 え た
と云 つ ても よ い。 眞 の時 代 精 神 を 代 表 す る文藝 は 、他 の新 興作 品 に見 ら れ る の であ つ て、 物語 はも う
全 く 、 そ の場 所 を、 後 に來 る新 しき も の に讓 つ てし ま つた の であ る。 だ が私 は物 語 文學 の流 を辿 る上
に於 い て、 そ の後 の作 品を も 眺 め な け れ ば な ら な い。 殊 に逸 す べ から ざ る 一大傑 作 が存 し てゐ る。
50
五 提 中 納 言 物 語 ,
堤 中納 言 物 語 は鎌 倉 時代 に入 つて の作 品 であら う。 此 の作 品 は十 編 の短 篇 小論 よ り成 る。 殊 にそ の
十編 の 各 々 が傑 れた 作 品 で あ る に於 いて は、 ま さ に平 安朝 時代 の 物語 作 品 を十 篇 集 めた に匹敵 す るだ
け の價 値 を有 す る。 勿 論 價 値 は量 よ bも よ b多 く 質 の問 題 であ る。
此 の作 品 の價 値 は著 し く そ れ が個 性 的 な る點 に存 す る。 逢 坂 越 え ぬ權 中 納 言 の如 き は 、そ の中 でも 、
稍 傳統 的 な色 彩 の強 い戀 物 語 とな つ てゐ る が、他 の作 品 は 叉他 に 比類 の な い内 容 を持 つ。 花 櫻 折 る少
將
や 思 は ぬ 方 ヘ
へ
に泊 bす る少 將 の如 き は、 戀 入 な る相 手 の 女 を取 り違 へると 云 ふ、 好 笑 的 な方 面 を やま
の懸 想 は 、下 暦 、 中 流 、 上暦 の 三等 の各 階級
とし た點 に於 いて 、全 く 同 じ 構 想 の作 品 で、題 名ま で も類 似 し て ゐ る。 は いす み の 如 き は 、中 流 或 ひ
は そ れ 以下 の人 物 を主 入 公 と し た 物 語 であ る。 ほど ー
の戀 愛 をそ れ み 丶 に書 き 分 け て、 下 層 肚 會 の素 朴 な戀 愛 、 中 流 階 級 の自 由 圭義 的戀 愛 、 上流 杜 會 の儀
禮 的表 面 的 な戀 愛 が、 巧 み に描 か れ てゐ る。 こ の つ いで は、 中 流 肚 會 の種 々な る生 活 の斷 面 を 示 し た
も の で、 そ れ は多 く 戀 愛 以 外 の生 活 であ る點 に於 いて 、 は いす み の、 中 流肚 會 の戀 愛 事 件 を 主 とし た
生 活 を 補 つ てゐ る。虫 めつ る姫 君 と 、 は なだ の女 御 はよ り多 ぐ耽 美 的 傾 向 があ 6 、貝 合 せと よ し なし
總 證
51
國 丈 學 襍 説
ご とと はよ り 多 く 諷刺 的 で あ る。は な だ の女 御 が封 象 を中 流肚 會 の家 庭 にと れば 、よ し なし ご と は形式
に於 いて、 後 代 に多 い手紙 體 小説 の祗 とな つて 、小 詮 樣式 の 一形 態 を創 始 し て ゐ る。 要 す るに 、此 の
十 編 の作 者 は、 形式 に内 容 に取材 に封象 に 、あ ら ゆ る肚 會 と あ ら ゆ る樣 式 と あら ゆ る生 活 と を 取 b入
れ よ う とし た ら し い。 そ れ は作 者 の新 奇 を 追 ふ耽 奇 癖 か ら で は なく て、 正し い藝 術 的良 心 の所 産 で あ
る。ゆ ゑ に、これ ら の作 品 が讀者 に訴 へる所 寄 與 す る所 の大 な るも の があ るのも 不 當 では な い。 舊 套を
追 う て沈 滯 に墮 さす 、・
新 傾 向 を 取 b 入 れ て淨 薄 に走 ら な い所 が、 此 の作 品 の價 値 あ る所 以 であ る。 そ
れ は作 者 の 正し い自 覺 と 、 誤 ら ざ る瓧 會的 且 つ藝 術 的認 識 、 判 斷 の賜 物 と云 ふ べき であら う。
亠
( 鎌 倉時代 の物語
堤 中 納 言 物語 は彗 星 の如 く に現 れ て去 つた。 これ に續 いてか う し た作 品 はも う 現 れ な か つた 。 そ こ
に は時 代 の變 遷 を 無 覗 し、撥 溂 だ る新 し い樣 式 、 内 容 へと 進 展 す る努 力 を失 ひ、 た ず相 も變 ら す 源 氏
物語 の拙 な い模 倣 が繰 b 返 され た にと どま つて ゐ る。
當 代 の作 品 で寫 本 の現 存 せ る著 し き も のを あげ ると 、
.
住 吉 物語 、 石 清 水 物 語 、 風 に つれ なき 物語 、苔 の衣 、 わ が身 にたど る姫 君 、 云 は で怨 ぷ、夢 の逋
52
ひ路 、 松蔭 中 納 言 物語 、異 本 堤 中 納 言 物 語 、 あ ま の刈 藻 、 山路 の露 、
(秋 津 島 物 語 の如 き 歴 史 物語
や鳴 門 中 將 物 語 の如 き 實祿 物 語 は これ を 省 く)
等 であ ら う 。住 吉 物語 の 如き は、 全 く 落 窪 物 語 の 影響 作 品 で、 構 想 も よく似 て ゐ る が、 彼 の如 く殘虐
な復 讐 がな いの は 、 こ れ が支 配 階 級 的 な作 品 でな く 、鎌 倉 時 代 に ふさ はし い 、庶 民 的意 識 を含 ん で ゐ
る から で あ る。事 實 住 吉物 語 は單 な る貴 族 階 級 教養 あ る人 々の愛 讀 書 で はな く し て、 寧 ろ民 間 に説話
と し て傳 承 せら れ た 形跡 が著 し い。 こ れ は再 び 物語 が、 そ の昔 の竹 取 物 語式 發 生 へと 還 つ た の で あ
る。 近 古 小 詮 、 お伽草 子 の類 には こ の性 質 が著 し いが、 住 吉 物 語 は、 此 の種 の近 古 小説 の祗 と 云 う て
も よ か ら う 。 口誦 傳承 的性 質 は 、實 に中 世 文 學 の 一大特 質 であ る。從 つ て、此 の物語 は 、 あ る意 味 で
は近 世 小詮 の逡耐 と し て 、古 代 物 語 文 學 よ b は區 別 せら る べき作 品 か も 知 れ ぬ 。
此 の時 代 の作 品 に於 け る著 し い特 徴 は、個 々の戀 愛 と云 ふ が如 き 、個 人 的 問 題 を 取 り扱 ふよ b も、
長 年 月 に わた る、 あ る家 族 の消 長 と か、 あ る家 庭 と他 の家 庭 と の接 觸 と か 、 個 人 を主 と し ても 、 そ の
個 人 の 一生涯 にわ た る種 々な る生 活 と か 、包 括 的總 合 的 な 對象 を 、 種 々雜多 な事件 の中 に、 描 き 出 し
た と云 つた や う な性 質 の作 品 が散 見 す る事 であ る。 近 代 小 詮 で云 へば 、 島 崎藤 村氏 の ﹁
家 ﹂ の如 き内
容 、 性 質 の作 品 が多 い。 從 つ て事 件 的 にそ の 中 心 が つか み にく く 、簡 單 に梗 概 を ま と め る事 も 困難 と
總 詭
53
國 文 學 襍 読
な る。石 清 水 、
風 に つれな き 、わ が身 にた ど る姫 君 、云 は で忍 ぶ、苔 の衣 、 あま の刈藻 等 何 れ も然 り で
あ る。 分 量 か ら云 へば決 し て さう 長 く はな く 、 先 づ落窪 物 語 と 匹 敵 す る 位 で 、長 く て狹 衣 物 語 に及 ぷ
も のは殆 ど な い。 (尤 も、 風 に つれ なき 、云 は で忍 ぶ の如 き 殘 領 本 も あ る の で、 これ ら は確 か な事 は
分 ら ぬ)。かや う に先 づ中篇 小説 と云 ふ ぺき作 品 で あ る が 、中 心 と な る べき 點 はそ れ か ら そ れ へと 事 件
の移 動 に件 な ひ 、移 つて ゐ る。 併 し、 概 し て云 へば 、 そ の 中 心 人 物 と戀 愛 の對 象 は 一定 し てゐ るが、
た だ事 件 の 目 まぐ るし い轉 囘 と 挿 話 の挿 入 と によ つ て中 斷 せ ら れ妨 げ ら れ る の であ る。
以 上 の如 き 此 の時 代 の物 語 の特 質 は、 鎌 倉 時 代 σ他 の作 品 、殊 に戰 記 物 の中 に見 ら れ る所 で、 こ こ
に此 の 時代 の民 衆 性 と 云 ふか 、 多 樣 性 と 云 ふか 、平 安 期 の個 入 的 傾 向 に對 す る、 集團 的性 質 を 、 反 影
し てゐ るも の と云 ふ事 が出 來 る。 模 倣 的 擬 古 的 な 物 語作 品 で あ つ ても 、時 代 の風 潮 か ら背 く 事 は出 來
な い。
松 蔭 申納 言 と、 異 本 堤 中 納 言 と は筋 の通 つた上 流 肚 會 の戀 愛 談 であ る。 併 し 、松 蔭 中 納 言 には蝦 夷
征 伐 の事 な ど が出 て ゐ て 、 一脹 殺 伐 の氣 を漲 ら し てゐ る事 は 、 さ す が に此 の時 代 の産 物 な るを 思 はし
め る。 山路 の露 に至 つて は、 源 氏 物語 の續篇 と し て出 でた も の、 多 く 云 ふ程 の事 は な い。
54
七 お伽草 子、假名 草子
お伽草 子 と 假 名草 子 の 一部 と はそ の區 別 がむ つかし い。 併 し 、 お伽 草 子 以下 は 、近 世 小読 と し て別
に取 b扱 ふ べき 種類 で あ ると 思 は れ るか ら、 今 は多 く 述 べ な い。 た ず、鎌 倉 時代 の 物語 の系 統 を引
く 、 擬 古 的 變 愛 物 語 の作 品 は 、 お伽 草 子 假 名草 子 の中 にも 流 れ込 ん で ゐ て、 分 類し て 一團 の グ ルー プ
を 作 る事 が可 能 で あ る事を 注 意 し てお き た い。 此 の時代 の特 徴 あ る歌 謠 な る 小歌 の形 式を 見 ても 、 そ
の中 に は、 上 代 歌謠 の流を 引 く短 歌 形式 の歌 や 、近 世 歌 謠 の萠 芽 を 示 す 近 世 調 の歌 が混 在 し て ゐ て、
種 々雜 多 の性 質 を 含 む事 がそ の特質 であ る が、同 じ事 は 、今 日普 通 お伽 草 子 と稱 せら れ る 、
近 古 小論 に
つ いても 、 云 は れ得 る の であ る。 近 世 小 詮 の萠 芽 もそ こ に見 ら れ 、分 類 す れ ば種 々雜 多 な 性質 の作 品
に分 れ て混 沌 とし て ゐ る。 そ こ が寧 ろ 一つ の特 徴 と云 は れ得 る の で あ る が 、そ の中 、 古 代 小説 の流 を
引 い てゐ る擬 古 物語 だ け が、 今 の揚 合 必 要 な の であ る。 併 し 、そ れ ら の作 品を 一々檢 討 す る餘裕 を今
も つて ゐ な い。
兵部 卿 物 語 、櫻 の中 將 物 語、 は も ち中 將 物語
等 が さ う し た純 粹 の擬古 物語 で、 そ の他 に、
總 説
55
國 文 學 襍 説
秋 の夜 の長 物 語 、松 帆 浦 物語 、鳥 部 山 物語 、 幻夢 物 語 、 嵯 峨 物語 を
5
の如 き 所 謂兒 物 語 は、 法 師 と美 少 年 と を對 象 と し た も の で、 平 安期 の女性 的戀 愛 物 語 を 、當 世風 に變
化 せし め た擬 古 物語 で あ る。 これ ら の他 に、 何 々物 語 と 云 ふ作 品 は 多 いが、 超 自 然 的 な 事件 を 多 く 描
いた も の や、 戀 愛 より も 寧 ろ佛 教 信 仰 を 主 と し た も の や 、常 代 の庶 民 を 圭 と し た も の や 、 いか にも 民
衆 的 な 親 し み深 いも の があ る が、荒 唐 無稽 な る内 容 を 有 す る そ れら の作 品は 、題 名 や 文鱧 に多 少擬 古
物 語 的 傾 向 があ つ ても 、寧 ろ近 體 小説 の組 とし て、 今 の場 合 の考 察 か ら除 く べき で あ る。 秋 月 物語 、
天稚 彦 物 語 、 梅津 長者 物語 等 、多 く の作 品 が、 かく し て除 か れ る 。
假名 草 子 で も、 薄 雪 物語 の如 き は、 頗 る擬 古 物語 に近 い が、 ます ノ丶 此 の模 倣 的作 品 は少 く な bつ
つあ る。 さ うし て、 現 代 謳 歌 の俘 世草 子 に 至 つて、 こ れ が全 く絶 滅 し た のも 、當 然 の成 行 であ る。 ・
∼
八 近 世の擬古 物語
一度 絶 滅 し た 擬 古 物 語 は 、 國 學 が 勃 興 し 、 古 學 の研 究 熟 の旺 盛 な るに俘 な つ て、 更 に國 學 者 の手 に
臼猿 物語 、落 合物語
よ つ て 、 盛 ん に 製 出 せ ら れ る に 至 つ・
た◎
荷 田在滿i
手枕
村 田 春 海 つく し船 物語
本居宣 長ー
上 凪秋 成 雨 月物 語 、春 雨 物 語
建 部 綾 足 西 山物 語 、 由良 物語 (?.
)
水 江 物 語 、 と b か ひ の翕 物 語 、 う つせ貝
石 川 雅 望 梅 が枝 物語 、 近 江 縣 物 語 、 飛 皹匠 物語 '
は こやの
ひめこと
黒 澤 翕 滿 i ー 章話 長編 、藐 姑射 秘 言
中 島 廣 足-
等 が名 高 く 、 そ の他 國學 者 の 物し た雅 文中 に はな ほ 數 多 く散 見 す る。
(な ほ 讀本 の祗 と 目 され る人 し近
路 行 者 が あ る が、 これ は國 學者 系 統 の入 では な いから 、 A﹁の類 例 か ら は 除 く )。こ れ は意 識 的 な 、 擬古
物語 の復 活 で あ る。國 學 者 の此 の文 藝 蓮 動 は、讀 本 と 云 ふ 小読 の 一體 の 勃興 にあ つか つて力 があ つた 。
かく て、江 戸 末 期 小論 に確 然 た る 一線 を引 く 有 力 な る 一團 の作 品 を生 せし め た が、 右 の國 學 者 の擬 古
物 語 に關 す る限 b では、 巧 妙 な る 物語 文 の模 倣 を 賞 し 、秋 成 、
綾足、
雅望 等 の作 品 に特 種 な る藝 術的 香
氣 を 見出 す 他 、 特 にす ぐ れた 注 意 す べ き作 品も な い。併 し 、 擬 古 物 語 は そ の巧 妙 な る模 倣 と 、個 性 の
抹 殺 と に寧 ろ そ の特 種 性 があ る の であ つ て、 こ れ に當 世 風 の個 性 昧 が加 は つ ては 、も は や 擬古 物語 の
總 畿
5ク
國 文 學 襍 読
埓 外 に出 るの で あ る。秋 成 、綾 足 の作 品 の如 き は 、寧 ろそ の埓 外 に出 た も の と云 ふ べく 、 か く て彼 ら
は近 世 讀本 の祀 と な つた 。 考 へれ ば 、 無 意 味 と 思 は れた 、 國 學 者 の 物語 作 品も 、單 な る文章 の練 達と
云 ふ遊 戯 にとど まら す 、讀 本 の發 生 にそ の文學 史的 意義 を 見 出 す 。 嘗 つ て、 假名 草 子 の流 の中 に悄 え
てし ま つた 物 語 文學 は、 砂 の中 に吸 ひ こま れ た 砂漠 の水 の 如く 、近 世 精 紳 に於 け る古 典 の復 興 と 云 ふ
地 下 道 を辿 つ て、 や がて は國 學 者 の擬 古 物 語 と 云 ふ泉 と な つて 、地 下 水 が吹 き 上げ た の で あ る が、 そ
れ は途 に滾 々た る讀 本 の流 と な つ て、 近 世 文藝 の終 に花 を嘆 かせ た 。 平 安 朝 を圭 とす る 物語 文 學 は 、
右 の如 く鎌 倉 時代 以後 の餘 流 を 辿 る事 によ つ て、 文學 史 的 に意 味 づ け る事 が出 來 る の で あ る。併 し瓧
會 生 活 の象 徴 とし て は、 も は や平 安 朝 以後 の物語 作 品 は殆 ど 何 の意 昧 も 持 つ てゐ な い。 そ れ は他 の室
要 文 學 に移 つて ゐ る。 從 つ て今 の場 合 の考 察 も、 そ の問 題 に は多 く 觸 れ る必要 は な いの であ る。
九 結 語
今 、 振 b 返 つて、 平 安 朝 時 代 の物 語 作 品 の男 主人 公 と 女主 人 公 と の肚 會的 地位 を 、 表 にし て示 す と
大 體 次 の 如く な る。 (□ は男 主 人 公 を 現 し 、 ○ は 女 主人 公 を 現 す )
上流瓧會 申流肚會 下層瓧會
58
竹
取
物
語
落 窪
物
物
語
語
宇 津 保 物 語
氏
源
御 津 の 濱 松
衣
物
語
夜 牛 の 寢 覺
狹
とりか へば や物 語
松浦 の 宮 物 語
○口
とし て、 男 性 よ b も先 立 つ て上層 階 級 に移 ら せた の で あ る が、總 じ て 、 圭人 公 の階 級 的 地 位 の上 向的
先 に示 し て ゐ る。 こ れ は古 代 に於 け る女 性崇 拜 の風 習 の名 殘 で 、 女 性讃 美 の念 が、 これ を 上 位 のも の
す 如 く 、 そ の圭 人 公 の階 級 が次 第 に上 暦 に移 ると共 に 、男 性 よ b も 女性 に 於 いて売 そ の上 向 の傾向 を
物語 と宇 津 保 物 語 と の問 に飛躍 があ るの は 、 現 存 せ る作 品 の稀 少 な るに よ るも のと 思 ふ。 此 の表 が現
右 の表 が 一定 の圖 型 を 示 し 、 一定 の經 過 を辿 つて ゐ る事 は注 意 せら れ なけ れ ばな ら な い。 ただ 、竹 取
○ ○ ○ 口
傾 向 が、 平 安 朝 物 語 の作者 の 理想 を最 も よ く 具 現 せ るも の と し て、 前 記 の表 に、 そ の推移 進 展 の跡 を
穂 説
59
ロ ロO
ロ ロ ロ ロ ロ
OOOO
鼠 文 學 襍 説
求 め る 事 が出 來 るc こ れ は 平 安 朝 物 語 文 學 の 展 開 に關 ず る 、・一つ の 詮 明 と な b 得 お と 思 ふ 。
(昭和七年 一月),
・
、
60
上 代 文 學
萬 葉 集 に現 れ れ る 上 代 思 想
上編 日 本 思 想
.萬 葉 集 に現 れ た 上代 思想 を研 究 す る には 、 これ を 日本 思想 と外 來 思想 と の 一一つにわ け て研 究 す る の
が便利 で ある 。 此 の日 本 思想 は や がて我 が國 民 性 を限 定 す るも ので 、日 本 固 有 の思想 即 ち 日本 人 の國
民 性 と云 つ ても 差 し支 へな い、 此 の國 民性 は下 に﹁
,
入 生 觀 ﹂の所 で読 いた 如 く 、 一口 で云 へば現 世 的樂
天 的 、從 つ て享 樂 的 で あ る。 上 代 の種 々な る 思想 、戀 愛 觀 も 自然 觀 も 宗教 觀 も こ れよ b出 で、 外 來 思
想 も亦 此 の中 に同 化 融 合 さ れ る。 ひ と b 上代 に於 い て のみ な ら す 、 平 安 朝 よ b徳 川 時 代 に至 る迄 、此
の國民 性 はす べて の方 面 に あ武 は れ てゐ る。
上 代 丈 學
6i
國 丈 學 襍 読
か や う な國 民 性 を 持 つ國 民 の思 想 は、云 は ば 單純 で餘 b深 み が な い。萬 葉 集 に現 れ た 思想 も 、そ こに
深 奥 な哲 學 的 思 想 を求 める の は無 理 で あ る。 一體萬 葉 集 は 叙情 的 な歌 集 で あ つて、 眞 の思想 發 表 には
極 め て適 し てゐ な い。 理性 よ bも 威 情 の表 現 であ るか ら で あ る 。併 し そ れ だ けそ の威情 の裏 にひそ ん
でゐ る上 代人 の思 想 の ひ ら め き を見 る事 は興 味 の あ る事 で、 叉 記 紀 に 敵見 ら れ な い思想 も 觀 取 す る事
が出 來 る。 た .
丶、 今 吾 入 がそ の 思想 を取 b扱 ふ に當 b、 現 代人 の知 識 を も つて 、近 代 的 な 色眼 鏡 を か
け て之 を 觀 た が爲 め に、 眞 の上 代 思 想 を誤 解 し て ゐ る所 が少 く あ るま い。 叉材 料 の少 い爲 め に臆 斷 獨
斷 も 少 く な い。 今 此 の研 究 に誤 つ て上 代 の日 本 思想 を解 す る事 が少 け れば 置ハ
に幸 で あ る。
一、 自 然 觀
環 境 が人 間 の個 性 を つく る 重大 な る要 件 の 一つであ る が如 く 、 地勢 が國 民性 を つく る の に大 な る影
響 を 及 ぼ す 事 は 云 ふ迄 も な い。 か く て我 が國 の地勢 は嚴 に國 民 思想 の傾 向 を限 定し てゐ るの で あ る。
早 く 交 逋 の開 け た 瀬 戸 内 海 は 白 砂 青 松 の地 、最 も文 化 の盛 ん な近 畿 地 方 は 山麗 はし く川 清 き 土 地 であ
る。 水 蒸 氣 が多 ぐ て霧 や 霞 はす べ て の物 を朧 にす る。温 帶 にあ つて し かも 暖流 の廻 つてゐ る爲 めに寒
暑 も烈 し く な い。 こ のやう にし てす べ て の物 が穩 や か で美 し い。 一言 で云 へば我 が國 の自然 はす べて
62
の も の が優 美 で あ る 。 此 の や う な 土 地 に 育 く ま れ た 萬 葉 人 の 自 然 を 觀 る 目 へ亦 優 美 な も の で あ つ 紀 に
相 違 な い。 集 中 に 詠 ま れ た 叙 景 の歌 は 、 實 に そ の優 美 な 自 然 の 讃 歌 で あ る の だ 。
春 は萠 え夏 は緑 に紅 の錦 に見 ゆ る秋 の山 かも (卷 十 )
春 に 夏 に叉 秋 に 其 々 の 美 し い着 物 を 着 飾 つ て 呉 れ る自 然 、 之 が 彼 等 の 觀 た 自 然 で あ つ た 。 か や う に
優 し い美 し い自 然 に樹 し て 、 單 に 外 か ら 見 る 許 り で は 心 が濟 ま さ れ な い。 何 う し て も 手 に取 つ て膚 に
つ け て 心 ゆ く 許 り そ の美 し さ を 味 ひ た い。
冬 籠 り 春 さ り來 れ ば 、鳴 かざ り し 鳥 も 來 鳴 き ぬ 、 嘆 か ざ りし花 も 嘆 け れ ど 、 山 を 茂 み 入り ても 取 ら ず、 草
深 み取 り ても 見 す 、秋 山 の木 の葉 を 見 て は、 紅 葉 を ば取 り て 浴偲 ぶ、 青 き を ば 置 きて ぞ嘆 く、 そこ し 恨 め
し 秋 山 我 は (卷 一)
之 が萬 葉 入 の自 然 に 野 す る 戚 情 で あ つた 。 春 は 梅 を 秋 は 紅 葉 を髪 に さ し て 喜 ん だ の も 亦 さ う し た 心
か ら で は な か つた ら う か 。
梅 の花 今 盛 り な り 思 ふど ち か ざ し に し てな 今盛 りな り (卷 五)
紅 葉 葉 を散 ら ま く 惜 し み 手折 り來 て 今宥 かざ し つ何 を か 思 はむ (卷 八)
鳥 に 對 し て さ へも 、 そ の 姿 を 見 す に聲 を 聞 く 許 り で は 物 足 り な い。
上 代 丈 學
63
國 文 學 襍 親
月夜 よみ 鳴 く ほ と ゝぎ す見 まく ほ り わが 草 取 れ る見 む 人 も が も (卷 十 )
と云 ひ 、 又 い つも 自 分 の手 元 に置 き た い爲 め に、
ほ と ゝぎす 聞 け ど も 飽 か す網 取 り に 捕 り て懐 け な かれ す 鳴 く が ね(卷 十 九)
と も 歌 は ざ る を 得 な か つた 。
'
さ う し た 心 持 が つ の つ て は 、 赤 入 の や う に 、 春 の 野 の菫 の中 に交 つ て 寢 た い と さ へ思 ひ 、 更 に 人 が
自 然 を そ こな ふ のも 腹 立 た し く 、
面 白 き野 を ば な 燒 きそ古 草 に薪 草 交 り生 ひば 生 ふ るが に(卷 十 四)
と
大 宮 の内 にも 外 にも 珍 し く降 れ る大 雪 な 踏 み そ ね惜 し(卷 十 九)
と も 思 ふの で あ つた。
そ し てそ の自 然 は我 々に絶 え す そ の美 し さを 示 し ♂
し呉 れ る 。 梅 に櫻 に 月 に紅 葉 に 、 や さ し き 自 然 の
美 し さ は い つ も 絶 え る事 が な い 。
梅 の花 嘆 き て散 りな ば 櫻 花 つぎ て 険 く べく な り に て あら す や(卷 五)
ま ふ
萬 代 に年 は來 經 とも 梅 の花絶 ゆ る事 な く 嘆 き渡 る べし (同 )
だ か ら 彼 ら に は 必 す し も 自 然 に對 す る執 着 は な い 。
64
盃 に梅 の花 浮 け て思 ふど ち飮 み て の後 は散 り ぬ とも よし (卷 八)
青 やな ぎ梅 と の花 を 折 りか ざ し飮 み て の後 は散 り ぬ とも よ し (卷 五)
早 や春 と なれ ば よ い、 美 し い花 が喚 き 、百 千 鳥 の囀 る樂 し い時 と なれ ば よ いー
そ の時 を 待 ち戀 ふ る
心 は 數 多 に集 中 の 歌 に 見 え る が 、 純 粹 に花 の 散 る のを 惜 し む 歌 は 案 外 に 少 い の で あ る。 そ れ は 決 し て
自 然 に 對 し て興 昧 が な い か ら で は な く て 、 自 然 が 絶 え す 變 つ た 美 し さ を 與 へる か ら で あ る 。
か く て彼 等 に 取 つ て は 自 然 は 愛 す べ き も の 、 優 し く 美 し い も の で あ つた 。 同 時 に 我 が 國 の 風 景 は す
べ て が清 ら か で あ る 。 純 で あ る 。 河 の 水 も 澄 ん で 居 れ ば 山 の 緑 も 鮮 か に透 き と ほ つ て ゐ る 。
水 底 の玉 さ へ清 く見 ゆ べく も 照 る月 夜 かも 夜 の ふ けゆ け ば (卷 七)
み を
泊瀬 川流 る る水 脈 の瀬 を 速 み井 手越 す波 の普 のさ や け く(卷 七 )
か や う に 清 澄 な る 自 然 は 見 る 者 に 一種 崇 高 な る 戚 じ を 與 へ る 。 そ こ に は 紳 々 が 宿 つて ゐ る や う な 氣
た ゝな は る青 垣 山 ・ 山薦 の糲 る縛 諏 と・ 春邊 は花 かざ し持 ち ・秋 立 てば紅 葉 か ざ せり 、 渺 齢 川 の祚 も 、 大
持 に さ へな る 。 か う し て自 然 を 神 々 と も 仰 ぐ や う にな る の で あ る 。
み
け
御 饌 に仕 へま つ ろと 、 上 つ瀬 に鵜 川を 立 て、 下 つ瀬 に さ で さし 渡 し 、 山 川 も よ り て 仕 ふ る紳 の御 代 かも
(卷 一)
上 代 文 學
65
國 丈 學 褸 證
み 吉野 の秋 津 の宮 は、 紳 がら か 尊 か るら む 、 國 が ら か見 が ほし から む , 山 川 を 清 み さ や け み、 う べし 帥 代
ゆ 定 め け ら し も (卷 六)
紳 が ら か 見 が ほ しか ら む み 吉野 のた ぎ の河 内 は見 れど 飽 か ぬか も (卷 六)
さ う し て 、 原 始 人 に 共 通 な 心 持 は 自 然 に 對 す る 驚 異 で あ る 。 之 は す べ て の 國 民 に共 逋 な 、 從 つ て最
も 入 間 に 普 遍 的 な 戚 情 で あ る 。 少 し で も 入 間 の 知 識 が 外 界 の事 物 を 觀 察 す る や う に な つた 時 、 そ こ に
和 歌 史 の研 究 によ れ ば高 橋 蟲 麿 の歌 か も知 れ な いと 言 は れ てゐ
種 々 の驚 く べ き 現 象 を 發 見 す る で あ ら う 。 超 人 間 力 を 戚 知 す る で あ ら う 。 萬 葉 人 にも 同 じ 事 は 威 じ ら
れ た筈 であ る。 譽 三 の詠 不 盡 山歌 -
日 の本 の大 和 の國 の鎭 め とも います 神 かも
る あ の 歌 の如 き 、 富 士 山 の 驚 異 に 價 す る所 以 を 述 べ て 、
と 歌 つ て ゐ る の も 、 さ う し た 心 持 か ら で あ る 。 此 の自 然 を神 と 見 る 事 か ら し て 、 色 々 の 民 間 信 仰 も 生
じ る 。 さ う な れ ば 最 早 そ れ は 自 然 と 少 し も 直 接 の 關 係 は な く て 、 一つ の抽 象 的 な 信 仰 と な つ て存 し て
ゐ る の で あ る 。 卷 十 八 に ﹁天 平 戚 寳 元 年 閏 五 月 六 日 以 來 起 二小 呈 百 姓 田 畝 稍 有 二凋 色 鞴也 、 至 二干 六 月 朔
日 凶忽 見 二雨 雲 之 氣 隅
仍 作 二雲 歌 二 首 ﹂ と 題 詞 に あ つ て 、
つゐ ふな へ
ぽ
す め ろ ぎ の數 き ま す國 の、 天 の下 四 方 の道 に は 、馬 の蹄 い蠱 す 極 み 、 舟 の抽 の い泊 つ るま で に、 古 へよ今
66
をつお
あろうち
を ほ
の現 に .萬 調 ま つる つか さ と .作 り た るそ のな り は ひ を 、雨 降 ら す 日 の重 な れ ば 、植 ゑ し 田も 蒔 き し畑 も 。
朝 毎 に凋 み 枯 れ ゆ く ⋮ ⋮こ の見 ゆ る天 の白 雲 ,渡 つ海 の沖 つ宮邊 に 、立 ち 渡 り と の曇 り合 ひ て雨 も 賜 はね
(
と あ る の も そ の 一つ で 、 次 の歌 を 見 れ ば 、 三 日 後 に 雨 が 降 つ た も の と 見 え る 。 此 の や う な 思 想 進 化 の
跡 を 辿 れ ば 、 森 を も つ て紳 肚 と し た と い ふ橘 守 部 の 説 (鐘 の響 )も 、 當 然 の事 と し て肯 定 さ れ る の で、
集 中 に も 神 肚 と 書 いて モ リ と 訓 す る 例 が見 え て ゐ るゐ 守 部 の 説 は 私 の 上 述 の 論 の 一證 と も す る 事 が出
來 る。
前 に我 が 國 の 風 光 は 穩 和 で あ る と 云 つた 。 併 し 彼 ら の觀 て ゐ た 自 然 は 必 す し も さ う し た も の許 り で
は な いQ
あらし
大 海 に 暴 風 な 吹 きそ し な が 鳥猪 名 の湊 に船 泊 つ るま で(卷 七)
さもら いつへ わ ゐ
大 海 を 候 ふ水 門 に事 し あ ら ば 何方 ゆ 君 が我 を 率 隱 れ む (卷 七)
の 如 も 、 自 然 の 恐 る べき も の で あ る 事 は 知 つ て ゐ た 。 併 し そ れ は 常 に 且 つ 一般 的 に 知 ら れ て ゐ た の で
は な く て 、 苦 し い 族 が終 も も と の 美 し い故 郷 に歸 れ ば 、 矢 張 り 周 圍 の 穩 和 な 氣 分 の中 に自 然 の恐 し さ
も 忘 れ て し ま ふの で あ る 。
前 に 述 べ た 如 く 、 原 始 人 は 皆 自 然 神 を 有 し て ゐ る の で あ る が 、 我 が 國 に は 別 に祀 先 紳 と い ふ も の が
上 代 文 學
b7
■
國 夊 學 襍 説
あ る。 國 っ紳 も 矢張 b そ の祗 先 紳 の 一つで、 今 産 土 禪 と し て記 ら れ て ゐ る のは恐 ら く 國 つ 神 で あ ら
う。 國 つ神 が祀 先神 であ る事 は、 ﹁新 撰 姓 氏 録 ﹂の第 二帙 第 十 七卷 を見 ても明 ら か で あ る。 かや う な祗
先 紳 の存 在 は我 が國 民 思 想 の 一つを 現 す も の で あ る が、萬 葉 集 の中 にも 國 つ紳 の思 想 が見 え る。
さゞな みの國 っみ紳 のうらさびて荒れ たる都見 れば悲 しも(卷 一)
0
道 の中國 つみ紳 は族行をもし知らぬ君を惠み給 岐な(
卷 +七)
此 の産 土 紳 、即 ち郷 土 の守 護 祚 と 、か の自 然 神 と が結 び つけ ら れ て、
玉藻 よし讃岐 の國 は、國 がらか見れども あか ぬ、聯がらかこ ゝだ尊 き(
卷 二)
など と 歌 は れ る に至 つた G t れ は 國 つ紳 に對 す る考 へ方 の 一大 變 化 で 、 山 や川 を も つ て即 ち 紳 と ずる
が如く 、 一國 の自 然 をも つて紳 と 見 た の であ る。 そ こ に は國 つ神 を も つ てそ の土 地 を 守 護 す る祗 先 耐
で あ ると す る考 へ方 は少 しも な い。
萬 葉 人 は叉自 然 の悠久 な る事 嵐戚 じ てゐ た や う で あ る。 .
,
古 への事は知らぬを我見ても久 しく なりぬ天 のかぐ山(
卷七)
卷向 の穴師 の川ゆ行く水 の絶 ゆ う事なく叉顧 みむ(
卷七)
の如 き歌 があ る 。 思 ふ に此 の自 然 の偉 力 や永 遽 性 を戚 じた 事 、即 ち 自然 に對 す る驚 異 が自然 神 の 思想
、
68
を生 み出 し た け れど も 、 元來 優 美 な 我 が國 の山 川草 木 は や がて彼 ら から そ の驚 異 を 奪 つて 、全 く 自然
は親し み深 いも の、愛 す べき も の と いふ考 へを 抱 く に至 ら し め た。 自 然 の清 ら か さ を戚 じ ても 、 そ れ
は純 潔 な る が故 に愛 す べき も ので あ つた。
神 さぶる垂姫 の崎漕 ぎめぐり見れども飽かす如何 に我せむ(
卷十八) ・
崇 高 と い ふ氣持 か ら自 然 を 畏 敬 す ると い ふや う な所 ま で に は進 ま な か つた や うで あ る。猥 れ親 し む
と 云 へば適 切 で あ ら う。 そ れ が萬 葉 入 の自 然 に對 し て 一般 的 にも つて ゐ た戚 情 で あ つた 。
徇 萬 葉 集 に現 れ た 自然 觀 に つ いて は研 究 す べき點 が多 い。 集中 に詠 ま れた 自 然 の事 物 を分 類 し てそ
の性 質 を 研 究 す る事 も 必 要 であ る。 同 じ く自 然 に卦 す る愛 と 云 つても 、 そ の間 に厚 薄 の差 も あ b時 代
及 び人 によ つ て相 違 も あ ら う 。 そ れ を研 究 す る事 も 必 要 で あ る が こ 丶に は そ の餘 裕 夕持 た な いか ら、
自 然 觀 は こ れ で終 つて、 更 に次 へ進 む事 と す る 。
二、戀 愛 觀
萬 葉 入 の 自 然 に對 す る 愛 情 は 丁 度 戀 人 に 羯 す る愛 情 と よ く 似 て ゐ る 。咽
朝 露 に匂 へる花 を 、 見 る毎 に思 は や ます 戀 し 繁 しも (卷 十 九)
上 代 丈 學
69
'
國 丈 學 襍 説
垂 姫 に藤 波 嘆 き て 、濱 清 く 白波 騒 ぎ 、 し く く
に戀 は ま され ど , 今 日 のみ に飽 き足 ら めや も 云 々(卷 十 九 )
な ど の如 き 戀 と いふ 語 の用 例 を見 ても 分 る。 此 の戀 はあ こ がれ の氣 持 を あ ら はし てゐ ると いふ のも 一
つの解 釋 であ る が、併 し 自然 に樹 す お愛 情 の深 く な つた結 果 、 入 間 に對 し て用 ゐ ら れ る戀 と い ふ語 を
こひ
,
自 然 に封 し ても 使 つた のであ ると見 た 方 が自 然 では あ るま いか。 尤 も 戀 と云 ふ語 は請 と云 ふ語 と同 語
源 で、他 に求 め る心持 を含 ん で ゐ て、 對 象 が入 間 であ ら う が自 然 で あ ら う が、 或 ひ は超 自 然 的 な神 格
で あ つても 差支 へな い語 であ る が、萬 葉 時 代 に は 、圭 とし て入 間 的 な愛 情 を 表 現 す る場 合 に使 は れ て
ゐ る やう であ る。 か や う に自 然 に對 す る愛 情 が深 ま つた 結 果 、自 然 を入 格 化 し 、自 然 に對 す る戚 情 と
に見 て歸 る戀 し も (卷 七)
人 間 に對 す る戚 情 とを 更 に密 接 に結 び つけ る や う にな る。 萬 葉 集 の中 に數 多 く 見 え る譬 喩歌 は かく し
て生 まれ た も の で あ る。
此 の山 の紅 葉 の下 の花 を わ が は つく
の如 く 、花 を も つて戀 人 に譬 へた のも 、單 に修 辭 上 の技 巧 で はな く て、 さ う いふ聯 想 を 呼 び起 す に至
る自 然 の動 機 は、 即 ち 自 然 に對す る思慕 の情 の深 ま つた 結果 であ る。 こ れ は自 然 に對 し て入 間 的 の戚
情 を移 入 し たも の で あ る が、 然 ら ばそ の人 間 に對す る愛 情 は如 何 。 これ は重 大 な る問 題 であ る 。
集 中 の大 多 數 を占 め て ゐ る の は戀 愛 の歌 で あ る。 戀 愛 は入 間 に封 し て最 も 力 強 い、 そ して最 も原 始
ひ
70
的 な 同 時 に最 も 永 久 的 な 自 然 の 戚 情 で あ る 。 如 何 な る 時 代 の 文 學 作 品 と 雖 も 、 戀 愛 の 情 を 表 現 し た も
の が最 も 多 數 を 占 め る 。 偏 見 な 宗 教 的 戚 情 の 爲 め に時 と し て戀 愛 の發 表 を 抑 へら れ る 事 も あ る が 、 併
し 矢 張 り 藝 術 作 品 の中 に 強 く 働 い て ゐ る も の は 戀 愛 の 情 で あ る。 萬 葉 人 は 此 の 戀 愛 を 如 何 に觀 た か 。
戀 愛 が異 性 間 に 必 然 的 に 起 る 威 情 で あ る 以 上 、 兩 性 の 結 合 と い ふ 事 も 自 然 に 起 る の で 、 結 婚 は か く
の 如 く し て 生 じ た 。 織 愛 は 兩 性 を 牽 引 す る 自 然 的 の 威 情 で、 結 婚 は そ の 結 果 必 然 的 に 生 じ る 兩 性 の 結
合 で あ る。 戀 愛 が なけ れ ば 結 婚 はな い。
漁 りす ろ海 人 とを 見 ま せ 草枕 族 行 く人 に妻 とは 告 ら 把(卷 九)
山 城 の久 世 の若 子 し ほ し と いふ 吾を あふ さ わ に吾 を ほ し と い ふ山 城 の久 世 (卷 十 一)
隼 人 の名 に負 ふ夜 聲 著 く 我 が 名 は 告 り つ妻 と頼 ま せ(卷 十 一) 、.
をち
コ
の
ち
こと くい
、ま 玉 つく 遠 近 か ね て 言 は 言 へど 逢 ひ て後 こ そ悔 に はあ り と い へ(卷 四)
之 が萬 葉 時 代 の 女 の叫 びな
名 を 名 告 る 事 は 愛 情 の 發 表 で あ b 、 求 婚 の 受 諾 で あ る。 愛 情 が あ れ ば 夫 婦 に も な ら う 、 併 し 族 行 し
な がら 戯 れ の戀 を 言 ひ寄 るや う な淺 薄 な 入 に は妻 と な る事 は出 來 な い1
道 の邊 の草 深 百合 の花 笑 み に笑 ま しし か ら に 妻 と い ふ べし や (卷 七)
の﹂
で あ る 。 男 にも 同 じ や う な 思 想 は 見 え る 。
上 代 文 學
71
國 丈 學 襍 設
婦 人 の嬌 態 は 結 婚 に 何 の 關 は り も な い 。 た ず 置ハの愛 情 さ へあ れ ば そ の 時 我 々 は 結 合 せ ら れ る事 が出
來 る。 權 勢 にま か せ て 女 ル 娶 る と い ふ や う な 事 は ほ ん と の 結 婚 で は な い。
山城 の久 世 の祗 の草 な 手 折 り そ 己 が 時 立 ち榮 ゆ とも 草な 手 折 り そ(卷 七)
(私 は 此 に歌 の解 釋 に舊 來 の註 釋 書 と異 な つた詮 明を 與 へる)
か う し て 戀 愛 思 想 の 極 致 は 織 愛 を も つ て精 紳 的 動 ⋮
機 に基 く も の 、 即 ち 肉 鱧 を は な れ て ほ ん と に 二入
の魂 の 結 合 し 詑 も の 、 之 が 戀 愛 で あ る と い ふ 解 釋 に ま で 進 ま ざ るを 得 な い。
コ
たま
靈 あはば 君 來 ます や ︾吾 が な げ く (卷 十 三)
しム
だ も
靈 あは ば相 寢 んも のを 小 山 田 の鹿 田 守 るご と 母 し守 らす もハ卷 十 二 )
筑波 根 のを ても こ のも に守 部 す ゑ 母 し守 れ ども 靈 ぞ合 ひ にけ る(卷 十四 )
之 が 戀 愛 の 極 致 で あ る 。 更 に 精 神 的 の⋮
戀愛 の 歌 で は 、
あから け
朱 引 く 肌 も觸 れす て寢 たれ ど も 心を異 しも 我 が思 はな く に(卷 十 一)
(但 し解 釋 の仕 樣 によ つて は 當時 の肉 感 的 戀 愛 が 盛 ん であ つた證 歌 とも な る)
併 し な が ら 結 婚 は 單 に 二 人 の 間 の 愛 情 だ け で は 成 立 し な い。 そ こ に 多 く の第 三者 が介 在 す る 。 就 中
兩 親 が あ る 、 そ れ が 爲 め に 互 ひ に愛 し 合 ひ な が ら 結 合 せ ら れ る 事 の 出 來 な い戀 愛 の 悲 劇 が 起 る。 如 何
隅72
)ー
草嬢
ぷ戀 露
であ る。 聖 、あ
に 苦 し く と も 冷 い世 間 の 人 を 憚 つ て、 怨 び 逢 ふ事 も 心 の ま 、 に は な ら な い の で あ "
。。
秋 の田 の穗 田 の刈 り は か か寄 りあ はば そ こも か 人 の吾 を ゴ
ロ塗 ご欧 喬
るべし や(
卷± )
を
と つ て努 、
の母
意 に介 する に足 ら な い が、 若 し親 が 二人 の鑾
であ〃
Q。 殊 に客
、高 き 賤 し き に關 は ら す苦 し き 慧
人 龕 を 繁 み こち た み 逢 はざ り き 心 ある ご と た 思 ぴ わが せ(卷 四)ーi高田女王
草 を刈 る村 娘 も 身 分 の高 い女 王 書
世 の中 し 苦 し き物 に あり けら し 戀 に⋮
堪 へす て 死 ぬべ く 思 へば (卷 四 )
苦 し さ に は 死 ん だ 方 が ま し だ と さ へ思 ふ 事 が あ る 。
君 に逢 は す 久 し く な りぬ 玉 の緒 の長 き命 の惜 し け くも な し(卷 十 二)
れ た に相 違 な い・ 如何 な る世 の非 讐
る人 に と つて最 も 恐 し いの は冫、
の黷
最 も黌
世 間 の人 はま だ い 丶 攣
墾
妨 げ る時 に は そ の戀 は絶 望 で あ る。
我も 護
誰 ぞ此の我が宿 に來呼 ぶ垂乳根 の母 にころば え物 思ふ我を(卷± )
垂乳根 の母 薩 らば徒 らに.
響
垂 乳 根 の 母 に申 さば 君 も 吾 も逢 ふ と はな し に年 ぞ 經 ぬ べき (卷 + 一)
上 代 丈 .學
だ か ら 何 よ b執先 づ母 には隱 さ す には居 ら れ な い。
,
ク3
國 丈 學 襍 読
垂 乳 根 の母 に知 ら えホ 我 が持 た る 心 は よしゑ 君 がま にく
(卷 十 一)
こ れ は 必 す し 巻 母 を憚 る ば か り で は な く て 、 自 分 の戀 を 母 に 打 ち あ サ る と い ふ事 に 、 一種 の羞 耻 の
情 も 件 つ て 、 一層 母 に 隱 し た く 思 つた の で あ ら う 。 か く て 途 に堪 へ難 さ の あ ま b 自 分 の 母 に さ へも 反
抗 せ ざ る を 得 な く な る 。 戀 入 の 力 は 母 の 愛 よ り も 強 い。
いまし
駿 河 の海 馮し 部 に 生 ふ る濱 つ ゞら 汝 を頼 み 母 に た が ひ ぬ (卷 十 四)
母 も 世 間 の 人 も 戀 し あ つ て ゐ る 二 人 に は 邪 魔 な の で あ る 。 只 二 人 だ け の 世 界 に 生 き た い。 か や う な
純 粹 な 戀 愛 戚 情 を 歌 つ た 歌 は集 中 の戀 の歌 の最 も 多 數 を 占 め て ゐ る。 併 し そ れ も 自 分 逹 の 思 ふ ま 丶に
は な ら な い で 、と も す れ ば 冷 笑 的 な 世 間 の 口 の 端 に か 丶る 。 親 が 隔 て る 。そ ん な 事 の爲 め に 二 入 だ け の
世 界 を 打 ち 破 ら れ る事 は い や だ 。自 分 逹 の名 を あ の 冷 や か な 世 間 の 人 の 口 に か け て歌 は れ た く は な い。
玉 く し げ 覆 ふを 安 み あ け て いな ば 君 が 名 は あれ ど 我 が名 し惜 しも (卷 二)
併 し 苦 し さ を 心 の 中 に の み 忍 ん で 耐 へて ゐ る 事 は 常 人 の よ く な し 得 る,事 で は な い。 ま し て 今 自 分 の
最 も 愛 す ぺ き も の を 得 て ゐ る の で あ る 。 何 う し て 一つ 胸 の 中 に の み し ま つて お く 事 が 出 來 よ う 。
しもり
隱 のみ 戀 ふれ ば苦 し 山 の端 ゆ出 で來 る月 の あら は さば いか に(卷 十 六)
こ もり ぬ の下 に戀 ふ る は あ きた ら す 人 に 語り つ忌 む べき も のを (卷 十 一)
74
か や う に 苦 し ん で は 、 果 て は 何 故 か う し た 心 持 に な つた の で あ ら う と い ふ後 悔 の 心 持 も 起 る 。 そ れ
は 決 し て 愛 情 が衰 へた か ら で は な く て 、 却 つ て 愛 情 が高 調 に 逹 し た 結 果 で あ る 。
思 ひ絶 え佗 び にし も のを 中 々に 何 か 苦 し く 相見 そ めけ む(卷 四)
か く 許 り 戀 ひむ も のと し 知 ら ま せば 遠 く見 る べく あり け るも のを (卷 十 一)
か く し て戀 愛 に 反 省 の 5
2が 伴 ふ や う に な る 。 そ し て 強 ひ て あ き ら め さ せ よ う と す る人 が 悪 い の で は
な い。 か う し た 苦 し みを 昧 ふ の も 皆 自 分 の 心 か ら だ と も 考 へる 。
戀 草 を 力 車 に七 車積 み て戀 ふ ら く我 が 心 から (卷 四) ﹁
t 一'
我 が 心燒 く も我 なり はし き や し君 に戀 ふ るも 我 が 心 か ら (卷 十 三)
か う し た 反 省 の 心 か ら 、 入 に 煮 最 早 戀 を す る な と 欷 へた く な る 。
我 ゆ 後 生 ま れ む 人 は我 が如 く戀 ひ す る道 に逢 ひ こす な ゆ め (卷 十 一)
こ れ は 苦 い戀 を し み み 丶 と 昧 つた 入 の 力 強 い聲 で あ る 。 こ 丶 に 至 つ て戀 す る入 の 心 も 本 當 に深 め ら
れ た と い ふ 事 が 出 來 る 。 集 中 に も 盲 目 的 の 戀 の 情 に 溺 れ て ゐ る 歌 は 多 い。 併 し 戀 の歡 樂 か ら さ め た 淋
し さ を 歌 つ た 歌 は ま こ と に 少 い の で あ る 。 そ れ は 一面 思 想 的 に そ れ 程 ま で に 進 ん で ゐ な か つ 沈 の だ と
も 云 へる 。
上 代 文 學
クs
國 丈 學 .
褸論
前 に述 べた 如 く 、萬 葉 集 にあら は れ た戀愛 思想 はま こと に純 潔 な も ので あ る。 後 世 殊 に徳 川 時 代 あ
た り の人 間 の戀 愛 觀 に較 べる と す つと 高 い所 にあ る。萬 葉 人 は戀 愛 を も つて靈 肉 合 致 と考 へた。 そ の
動 機 は純 潔 な精 紳 的 愛 情 にあ る。 そ し て戀 愛 の完 成 は肉 鱧 的結 合 によ つ て逾 げ ら れ る。.
梓弓末 の中頃淀 めりし君 には逢 ひぬ歎 きはやめむ(
卷 +二) ・
へ
一
豐國 の香春はわぎ家 紐の兒 に いつがり居 れば香春はわぎ家(
卷 九) ,
か く て我 が思 ふ入 を絶 え す 自 分 の身 體 から 放 さ す に身 に つけ て居 り た い。
吾妹 子は釧 にあらなむ左手 の吾が奥 の手に卷を て去なましを(
卷 九)
此 の手 に取 b 持 ちた いと いふ心持 は 、
我 が國 人 が普 遍 的 に持 つて ゐ るも ので 、
妻 も兒 も 親 も相 携 へて
居 bた い。 愛 情 が高 ま つ ては膚 も ふれ だ い。 そ れ は必 すし も 人 間 に對 す る許 b で は なく て、自 然 に對
し て も同 じ戚 情 を 持 つや う にな つた事 は前 に逋 べた 。 日 本 入 の愛 情 は あ る人 の いふ如 く 、 し か ぐ淡 白
な も の で は な か つた の であ るo
か や う に強 い戀 愛 の情 は ロ
バ一人 の人 に向 つて の み注 が る べき で あ る.
) 一夫多 妻 と いふ事 は ほん と の
婚姻 で は な い。 少 く と も 眞實 の戀愛 を基 調 と した 結 婚 は 一夫 一婦 と な る べき で あ る。 戀 愛 戚情 は ロ
コ
人 の入 に樹 し て の み湧 く 。 そ こ に戀 愛 の個 人 的 な排 他 的 な性 質 があ る。
76
打 日 さ す宮 路 を 人 ぱ滿 ち 行 け ど 我 が 思 ふ君 は た 穿 一人 のみ (卷 † 一)
あ ち の佳 む須 佐 の入 江 の荒 磯 松 吾 が待 つ子ら 嫉た 穿 一人 のみ (卷 十 一)
し き しま の大 和 の國 に人 二人 あ り と し 思 はば 何 か嘆 か む(卷 十 三)
か うし た心 持 か ら人 間 の貞 操 觀 念 も 生 まれ る。 貞 操 はも 互 入 間 仂自然 的戚 情 に基 い允 も ので あ る。
萬 葉 時 代 の 女 性 に も 亦 貞 操 の觀 念 を も つ て ゐ た 入 が多 か つた 。
味 鎌 の潟 に さ く波 平 瀬 にも 紐 解 く も の か悲 し け を お き て(卷 十 四)
は妻 であ る・ 定 ま つ葵
が あ る と いふ自 覺 が 藩 貞 操 観
が國 民 田心想 で 賃
念 を 固 ー す る や つにな る。,
徳 觀 念 とし て存 し て ゐ る ので あ る が、併 し本 義
.
っい
饗
自 分 の愛 す る 人 よ b 他 の 人 に は 身 體 を ま か せ な いと い ふ 、 此 の 心 持 を よ く 現 は し て ゐ "
。。 更 に 進 ん
で募
ゆ
の
にふ
なム せ
誰 ぞ 此 の屋 の戸押 そ ぶ る薪 ⋮
甞 に我 が夫 を やめ て いは ふ此 の戸を (卷 十 四 )
た こと
人 妻 に い ふ ぱ誰 が 言 さ衣 の此 の 紐解 け と 云 ふ は誰 が 言 (卷 十 二)
か や う に し て 貞 操 は 一個 の 道 徳 と し て 考 へら れ る に 至 つ た 。
抽象 豊
從 レ古 來 二于 今 一未 レ聞 未 レ見 一女 之身 往 二適 二門 一
矣 (卷 十 六)
か う な れ ば貞 握
上 代 文 學
左 程 絶 對 的 に力 ゐ るも のと は し な か つた や う で あ る。 卷 二 に多 ,
鳬 .
を ゐ・
。石 川 女 郎 の如 き 寒
77
國 文 學 襍 読
ふ 思 想 の 持 圭 で、
む つ
大拌田主字日一
仲 郎 ハ容姿 佳 艶 風 流 秀絶 、 見 人聞 者糜 レ不 二歎 息 一也 ,時 有 一
一
石 川 女 郎 噛自 成 二雙 栖 之 感 噛恒 悲 二獨
つ
り
む
守 之 難 剛意 欲 レ寄 レ書 未 レ逢 二良 信 噛爰 作 二
方便 一
而 似 二賤 嫗 殉
か く て 田 圭 の 所 に忍 ん で ゆ く と あ る 。 此 の 女 郎 は 大 津 皇 子 に寵 愛 せ ら れ て そ の宮 侍 と な つ た が 、 い
た づら な 心 はや ま な いと見 え て、大 件 宿 奈麻 呂 にも戀 をし か け て ゐ る。
古 り にし 嫗 に し て や かく ば か の戀 に沈 ま むた 童 のご と (卷 二)
叉 久 米 禪 師 と の 歌 の 膾 答 も あ る 。 此 の 石 川 女 郎 の如 き は 當 時 の デ カ ダ ン の 一人 で あ つ た の で あ ら
う 。 (尤 も 以 上 の 石 川 女 郎 を 別 人 と す る 説 も あ る)。 と に か く 當 時 は 後 世 程 貞 操 を 力 強 く 思 は な か つ た
の で あ る 。 か う い ふ風 潮 は 平 安 朝 に 至 つ て 盆 々盛 ん と な b 、 貞 操 の觀 念 は 盆 々弱 く な つ て行 つ た 。 貞
操 を も つて嚴 肅 な道 徳 と し た の は徳 川 時 代 に儒 敏 道徳 が 勃 興し てか ら で あ る。萬 葉 人 は自 覺 的 に貞 操
々 重 ん じ て ゐ た 。 そ れ だ け 戀 愛 を 置ハ
面 目 に考 へてゐ た と 思 ふ。萬 葉 時 代 に は男 の みな ら す女 も 亦 戀 を
云 ひ か け る だ け の 強 さ を も つて ゐ た 。 戀 愛 の熟 心 さ に 於 い て は 比 較 的 男 女 平 等 な の であ る 。
否 と 云 はば 張 ひ め や我 が せ菅 の根 の思 ひ亂 れ て戀 ひ つ ゝも あら む(中 臣 女郎 、 卷 四 )
女 が 男 に戀 を 云 ひ か け れ ば 、 男 は 叉 人 の 妻 と な つ て ゐ る 女 に 心 を か け る 。 貞 操 と い ふ 觀 念 は 女 性 は
78
ρ
勿 論 男性 にも考 へら れ て ゐ た事 で あら う 。 そ し て 入妻 と は 如何 な る位 置 にあ るも の であ る か と い ふ事
も よ く 知 つ てゐ た 夕
祚 木にも 手は觸 るとふをう つた へに人妻 と 云 へば ふれぬも のかも(卷四)
併 し さ う いふ 理性 的觀 念 と戚 情 と は別 のも の であ る 。 理性 は抑 へて も戚 情 は盆 々 つの る。 此 の爾 者
の爭 ひ の爲 め5
3に非 常 な 苦痛 が 生 じ る。戀 の苦し さ と云 ふ事 は畢 竟 理性 と戚 情 と の衝 突 で あ る。逢 ひ
た いと い ふ心 と 入 目を 忍 ぷと い ふ心 の爭 ひ、 人妻 には 手 を ふ れ る事 が出 來 な いと い ふ理性 と いや ま す
戀 の戚 情 と の爭 ひ が、 そ こ にあ る。
人妻 と あぜ かそを 云はむ然らば か隣 の衣を借りて着なはも(
卷 +四)
紅葉葉 のすぎが てぬ子を人妻 と見 つゝやあら む戀し きも のを(
卷十)
打日 さす宮路 に逢 ひし人妻 故 に玉 の緒 の思ひ亂 れて寝る夜しそ多 き(
卷十 一)
眞 にま 丶な ら ぬ は戀 の道 で あ る。片 戀 程苦 し いも のは な い。相 手 に知 ら れ な いで 只 ︼入 苦 し ん でゐ
る事 は眞 に耐 へら れ な い。人 妻 を 戀 す る のも 片 戀 であ る が、 叉 道 ゆ き す b に ふと出 會 つた美 し い女 に
も 心 が ひ か れ る。 何 と な ぐ慕 はし い戚 情 の生 じ る事 があ る。
道 に逢ひて笑ましし からに降 る雪 の滔 なば滔ぬがに戀 ひとふわぎ妹 (
卷四)
土 代 文 學
79
■
み室 ゆ ぐ月 の光 り に只 一目 相見 し 人 の夢 に し見 ゆ る ハ卷 四 )
國 交 學 襍 詭
そ れ がは た し て ほ ん と の戀 か、 單 に はか な いあ こが れ に過 ぎ な いか は作 者 にと つて 問 ふ 所 で は な
い 。 單 純 な ロ マ ン テ イ シ ス ト で あ る 彼 ら に と つ て は 、 こ れ も 矢 張 6 戀 の 一つ の相 で あ る 。 更 に も つと
極、
端 に そ の あ こ が れ の戀 が 進 む と 只 人 の 暉 に 聞 い た 許 り の 見 ぬ戀 に あ こ が れ る や う に な る .
、
珠 日 山 朝 居 る 雲 の おほ ほ しく 知 ら ぬ人 にも 戀 ふ箔物 かも (卷 四 ) ,
一
併 し さ う い ふ や う に現 實 を 超 越 し て 夢 の 世 界 に 入 る事 は 萬 葉 人 の ほ ん と の 心 で は な い。 そ れ 程 に ロ
マ ン テ イ シ ス ト で は な い。 だ か ら 見 ぬ 戀 に あ こ が れ る と い ふ や う な 事 は 極 め て 少 い 。 之 が 平 安 朝 で は
盆 々發 逹 し て 、 美 的 筌 想 が 粤 か に な つ て 、 同 時 に 女 は 癖 易 に 男 に顏 和 見 せ な い と いふ 風 習 と 結 び つ い
て 、 平 安 朝 入 の 戀 と い ふ の は 單 に あ こ が れ に 止 ま る 。 見 ぬ戀 に あ こ が れ る と い ふ や う な の が多 い 。 そ
れ が爲 め に源 氏 物 語 の末 摘 花 のや う な 滑 稽 な間 違 ひも 起 る。
萬 葉 人 の 戀 は 地 上 を は な れ て ゐ な い。 彼 ら の 戀 は 精 神 的 で あ る と 共 に 肉 鶻 的 で あ る 。 そ し て 何 よ り
も 現 實 的 で あ る。 未 來 を 思 ひ 過 去 を 顧 み る な ど と い ふ 事 は 彼 ら に は な い。 如 何 にし て 現 實 の 戀 を 飽 滿
さ せ る 事 が出 來 る か 、 そ れ が 第二 で あ る 。 そ し て そ の現 實 の 戀 を 滿 た し 得 な い所 に 悲 し さ 苦 し さ が生
じ る 。 集 中 の 戀 の歌 で 戀 の 苦 し さ を 詠 ん だ 歌 が 八 九 分 を 占 め て ゐ る 。 戀 の歡 喜 を 詠 ん だ 歌 は 極 め て少
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な い。 彼 等 は逢 は ぬ 悲 し さ片 戀 の 苦 し さ を 洩 ら す け れ ど も 、 戀 入 に逢 つ た 嬉 し さ 、 戀 の成 就 し た 喜 び
を 多 く 歌 つて は ゐ な いの であ る。
わ れ は も や安 見 兒 得 た り皆 人 の得 が て にす と ふ安 見 兒 得 たり (卷 噂
.
一
)
梓 弓 末 の中 頃 淀 め り し君 には 逢 ひ ぬ 嘆 き は や め む (再 出 ) の 如 き 數 首 の 歌 を 數 へる の み で あ る 。
以 上 は 戀 す る 入 逹 の戀 愛 觀 で あ る が 、 更 にそ の 保 護 監 督 の 任 に當 つ て ゐ る 親 逹 は子 供 の 戀 を 如 何 に
見 た か ・ 萬 葉 人 の 親 の 心 持 は 今 の 親 達 の 心 持 と 少 し も 違 ひ は な い。 未 だ 子 供 だ と 思 つ て ゐ る 自 分 の 娘
の 心 に は 任 せ な い で 、 相 手 の 男 が、 若 し そ の 女 よ b も 、 女 の 親 に 娘 と の 結 婚 を 申 し 込 む 時 、 親 も そ の
人 の入 物 を よ く見 て、 安 心 し て こ れ に自 分 の娘 を 托 す事 も出 來 る。
玉 主 に珠 は授 け て か つみ\ も枕 と我 は いざ 二人寢 む (卷 四 )
白 玉 は 緒絶 え し にき と聞 き し故 に そ の緒 叉貫 き我 が玉 に せむ (卷 十 六)
い
白 玉 の緒 絶 えは ま こ と然 れ ども そ の緒 又 貫 き 人 持 て去 に けり (同 .和 歌 )
親 が子 供 逹 の 爲 め に 自 分 の最 も よ いと 信 じ て ゐ る 配 偶 者 タ 選 ん で や る 事 は 昔 も A﹁も 變 り は な い 。
ぞ 新 室 の壁 草 刈 り に いま し 給 はね 草 のご と寄 り合 ふ處 女 は君 が ま に ノ\ (卷 十 一)
上 代 文 學
SI
國 丈 學 襍 説
なれ あハ
トば
此 の川 に朝 菜 洗 ふ子 汝 も 我 も よ ち を ぞ持 て る い で子 賜 り に(卷 十四 )
こ れ が ほ ん と の親 の 情 で あ ら う 。
か や う に し て 結 婚 を し た 後 に は 、 夫 婦 の 問 にも 愛 情 が 生 じ る の は 自 然 で あ ら う 。
、
う
つつ
ゑのづま
住 吉 のを づ め に出 でて 現 にも 己妻 す らを 鏡 と見 つも (卷 十 六)
紅 は 移 ろ ふ も のぞ つるば み のな れ にし 衣 に獪 しか め やも (卷 +八 )
叉 夫 婦 と な つ て は 妻 を 當 然 愛 て べき で あ る と い ふ 思 想 も 、 此 の 家 持 の ﹁欷 二喩 史 生 尾 張 少 咋 一歌 ﹂ で
窺 ふ事 が 出 來 る 。 而 し て そ の 始 め に 出 て ゐ る 七 出 三 不 去 の 律 令 は 、 國 民 思 想 に何 の 關 係 も な い 儒 教 主
義 の唐 令 の模 倣 で あ る 。 家 持 の 思 想 は 自 分 の 過 去 の戀 愛 生 活 の 經 驗 と 、 現 在 の自 分 が 只 一入 の妻 と し
て 思 ひ 頼 ん で ゐ る 坂 上 大 嬢 に 對 す る 愛 情 と か ら 自 然 に湧 い て き た の で あ ら う 。
戀 愛 は 男 女 間 の自 然 の 戚 情 で あ b 、 從 つ て結 婚 が 自 然 的 な 爾 性 の結 合 で あ る な ら ば 、 之 に 反 す る 獨
と いつた 心持 であ る。
春 日す ら田 に立 ち つか る 君 は 悲 し も若 草 の妻 な き君 が 田 に立 ち つ か る(卷 七)
身 は眞 に不 自 然 な 不 合 理な 事 で あ る。 さ う いふ 入 は あ は れ む べき入 間 であ る 。
- 何 の爲 めに せ つせ と働 いて ゐ る のだ ら う。 妻 も ゐ な いの に!
前 の ﹁白 玉 の ⋮ ⋮﹂ の歌 にも 現 れ てゐ る如く 、再 緑 再 婚 と いふ事 は當 時 の入 に取 つ ては當 然 の事 と
82
ら
思 は れ て ゐ た 。 未 亡 人 再 婚 問 題 な ど は萬 葉 人 に 取 つ て は 問 題 で は な い。
照 る さ つが手 に卷 き 古 るす 玉 も が も そ の 緒 は 代 へて 我 が玉 に せ む (卷 七)
,萬 葉 人 に取 つ て は 戀 は 絶 對 的 の 力 を も つ て ゐ た も の で あ る 。 卷 十 五 に 集 め ら れ て ゐ る 中 臣 宅 守 と 狹
野 茅 上 娘 子 と の戀 の歌 の い か に 強 い力 に 滿 ち て ゐ る 事 で あ ら う か 。
君 が行 く道 の長 手 を くり た ゝ ね燒 き 亡 さむ 天 の火 も が も (狹 野 茅 上 娘 子 )
卷 四 に も 安 貴 王 が 入 上 妥 女 に通 じ て 罪 せ ら れ た 時 の歌 が載 つ て ゐ る 。 更 に 眷 二 、 磐 姫 の 御 作 の 左 註
に 所 引 の 如 く 、 古 事 記 に は 輕 太 子 が 御 妹 の 輕 大 郎 女 に通 じ て流 さ れ た 事 が載 つ て ゐ る。 か や う に 高 調 に 逹 し た 戀 愛 威 情 で は 年 齡 の多 少 な ど は 思 ふ 所 で は な い。
古 り に し嫗 にし て や かく ば かり 戀 に沈 ま む た 童 のご と (再出 )
け れ ど も さ す が に 年 老 い て は あ ま り に盲 目 的 な 戀 を す る や う な 氣 持 に も な れ な い。 ⋮
わらはユと おいがと
味氣 な く 何 のた は 言 今 更 に童 言 す る老 人 に し て (卷 十 一)
お も
く や し く も 老 い にけ るか も 我 が せ こ が 求 む る乳 母 に行 か まし も のを (卷 十 二)
最 後 に七夕 の歌 に つ いて述 べて おき た い。
.
・ 七 夕 傳 詮 が 支 那 に そ の 起 原 を 持 つ て ゐ る 事 は い ふ ま で も な い が 、一度 此 の 傳 説 が 我 が國 に傳 は る と 、
上 代 丈 學
83
國 丈 學 襍 誨
純 な戚 情 を も つて ゐ る上 代 の入逹 は そ の話 に何 ん な に興 昧 を持 ち 、
叉 何 ん な に同 情 を し た事 で あら う。
一體 上 代 人 が天 室 に注 意 を 拂 ふ事 の極 め て少 か つた事 は、萬 葉 集 の中 にも天 に關 す る歌 の少 い事 で知
ら れ る(但し 、 月 を 除 く )。併 し 此 のや う に天室 に眼 を 注 がな か つた の は極 め て後 代 の事 で、原 始 人 は
太 陽 、星 、風 、 さう いふも の に驚 異 の眼 を見 張 つて ゐ た事 は記 紀 中 の詭 話 が詮 明 し て 呉 れ る。 そ れ ら
の自 然 現 象 に漸 く な れ て、 入 間 の戚 情 がも つと手 近 な生 活 に注 がれ る や う しな つた 時 、 太 陽 も星 も人
の注 意 の範 圍 外 に出 てし ま つた 。萬 葉 人 の眼 は手 に觸 れ る事 の出 來 る山 の木 々野 の草 花 に注 がれ た 。
そ し て何 よ b も美 し い異 性 に向 つて注 が れた 。戀 愛 が單 に性 慾 の滿 足 と いふ事 に止 まら す、 も つと人
間 の美 的觀 念 が進 ん で 、も つと 洗 練 さ れ た威 情 と な つた時 に、 そ の基 調 を精 紳 に置 く や う にな つた 。
か う い ふ萬 葉 時 代 の入 々が美 し い天 上 の戀 に多 戚 の心 を 向 け た の は當 然 の事 であ る 。今 萬 葉 集 にあ る
七夕 の歌 を數 へて見 ると、 譽 八 に十 天首 、 譽 九 に 二首 、譽 十 に 九十 八 首 、譽 十五 に 一首 、卷 十八 に 三
首 、卷 十 九 に 一首 、卷 二十 に八 首 、 皆 で約 百 三十 首許 bを 數 へる事 が出 來 る (全 體 の歌 數 の約 二 .五
% )。之 を古 今 集 の 十 三 首 、新 古 今 集 の十 五首 (各 約 一%)に較 べ ると非 常 な相 違 であ る。然 ら ば萬 葉 入
の觀 た 七 夕 の戀 は如 何 な るも の で あ つた か 。
第 一に彼等 の心 の ひ か れ た のは 、 一年 に 一度 よb し か逢 はれ な いと い ふは かな い戀 で あ る。
84
しるし みなし
久 方 の天 つ標 と 水 無 川 隔 て て置 きし 祚 代 し怨 め し (卷 十 )
天 地 の初 の時 ゆ 、天 の川 い向 ひ居 り て、 一年 に再 び 逢 は ぬ、妻 戀 に物 思 ふ人 ⋮ ⋮荒 玉 の年 の緒 長 く 、思 ひ
來 し 戀 盡 す ら む 、 交 月 め 七 日 の霄 は我 も悲 しも (卷 十 )
そ れ は 自 分 逹 の 戀 心 に較 べ て 如 何 許 り 同 情 に 耐 へな い事 で あ つ た ら う 。 彼 ら は さ う し た は か な い戀
を 績 け て ゐ る 二 つ の 星 を も ど か し い と さ へ思 つ た 。
か く のみ や息 づ き 居 ら む , かく のみ や戀 ひ つ ゝあ ら む ⋮ ⋮ま 玉 手 の王 手 さし か へ、數 多 いも 寢 てし が も秋
に あ ら す と も (卷 八)
天 の川 打 橋 渡 せ 妹 が 家 路 止 ま す通 は む 時待 た す とも (卷 + )
こ れ が 萬 葉 人 の 心 な の で あ る。
こ れ が 上 代 入 の 本 當 の 心 で あ る 。 は か な い戀 を 續 け て ゆ く の で は な く て 、 叉 さ う し た 蓮 命 を あ き ら
め る の で は な く て 、 自 分 逹 の 情 熟 の ま 丶 に逢 ひ た いー
第 二 に彼 ら は秋 の晴 れ渡 つた美 し い室 を見 上げ る時 、此 の傳 論 と結 び つ い て想 像 の翼 を自 由 に伸 ば
す 事 が出 來 た 。 そ の た めに 彼 ら の心 には此 の傳 論 は益 々力 強 く 刻 ま れ て行 つた 。彼 ら に取 つ ては そ の
星 が必 す し 嵐牽 牛織 女 であ る事 を要 とし な か つた 。 む し ろそ のや う な 小 さ い星 よ り も、 も ρと 天 の美
觀 を 添 へ、 且 つ彼 ら に親 し いも ので あ る月 の方 が此 の物 語 を 想 ふのヒ 適 切 であ つた 。,
上 代 交 學
$5
國 丈 學 襍 設
秋風 のさやけ き夕 べ天 の川舟漕 ぎ渡 る月人男(
卷 十)
ρ
大船 にま かちし じぬ廷海原を漕 ぎ出 て渡 る月入 男(
卷十五) づっ
夕 星も通 ふ天路を何時 までか仰 ぎて待 たむ月人 男(
卷十)
萬 葉 入 は自 由 に想 像 の翼 を のべ て、霧 が立 て ぱ 、ムー
彦 星 が舟 を 漕 ぎ 出 る のか と疑 ひ 、或 は織 女 の衣
の袖 のひ る が へる のか と 思 つた り し た 。 こ のや う に彼 ら の想 像 を 滿 たし 得 た事 が此 の傳 論 を よ り 親 し
き も のと さ せた の で あら う 。 かく し て彼 ら の眼 は 再 び室 に向 つて、 就 中 月 にそ の想像の 眼 を向 け るや
う にな つた o=
天 の海 に雲 の波 立ち月 の船 星 の林に漕 ぎ隱 る見ゆ(
卷 七)
三 、國 家 觀
上 代 入 に國 家 的 觀 念 が少 いと い ふ津 田 左右 吉博 士 の詮 は肯 定 され る。 少 く とも 萬 葉 に現 れ た 上 代 思
想 に は國家 的色 彩 の あ るも の が極 め て少 い。 自 覺 的 に獨立 し た る國 家 と いふ事 を意 識 し て歌 つた歌 は
一つも集 中 に は見 出 す事 が出 來 な いの で あ る。唯 一の國 民 詩 人 な る柿 本 入麼 の歌 でも 、國 家 と い ふ觀 念
は よ ま れ てゐ な いと い つて よ い。 之 は上 代 に あ つて は未 だ我 が國 民 に國 家 的自 覺 を 振 起 す る程 の刺 戟
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がな か つた から であ ら う 。廣 く 云 へば 入類 は自 然 と戰 つて ゐ ると も 云 へる。
少 し狹 め れ ば黄渦 臼渦 な ど
と いふ語 も つか は れ て入 種 的 の爭 鬪 があ る 。之 和最 も小 さぐ す れ ば個 人 と個 人 と の戰 ひ であ る。 そ れ
を 知 つ て入 間 は 始 め て自 己 の地位 を覺 る。極 めて平 穩 無 事 な 境 遏 に おか れ た富 豪 の息 子 な ど は所 謂 お
坊 ち やん に遏 ぎ な い の であ る。 上 代 には國 家 と 國 家 と の爭 鬪 と い ふや う な事 が な か つた 爲 め國家 的意
識 がな か つた 。併 し我 が國 にあ つて著 し いも の は民 族 的 の爭 鬪 であ る。 記紀 を繙 く時 、 神 代 にあ つて
は大 和民 族 と出 雲 民 族 と の爭 鬪 、 更 に入 代 にあ つ ては大 和民 族 と先 住 土着 民 族 と の爭 亂 が描 き出 され
て ゐ る。か や うな 民族 的 の爭 ひ は大 和民 族 に屬 す る 人逹 に自 覺 的 な民族 意 識 を 起 さす にはゐ な か つた。
こ れ ら の爭 鬪 に於 いて途 に勝 利 を得 紀 も の は大 和民 族 で あ る。我 が國 は 大 和 民族 の支 配 す る所 と な り、
同 時 にす べて のも のを 大 和 民族 に同 化融 合 し てし ま つた 。 そ の大 和 民族 の 首 長 は即 ち我 が國 の君 圭 で
あ る。 彼 ら は自 己 の民 族 の勝 利 を 喜 び民 族 的意 識 を 強 く す ると 共 に、 そ の民族 の首 長 に對 し て絶 封 的
の畏 敬 を拂 はす には居 ら れ なく な つた 。他 の民 族 に對 し て 一致 團 結 せ る己 が民族 を知 ると共 に、 そ れ
を 支 配 し てゐ る君 圭 の 如 何 に尊 ぶ べき も の で あ る か と いふ事 も 知 つた 。 そ し てそ の極 、此 の民 族 の君
圭 を も つて、 超 自 然 力 を 有 し た 偉 大 な る人格 、即 ち 紳 と見 るや う にな つた 。
ま い
かつち
い
ほり
大君 は棘 にし座 せば天雲 の雷 の上 に庵 せるかも(
卷 三)
出`
∂
代丈奮
87
●
國 丈 學 ,
襍 詭
み ぬま
大 君 は 神 にし ま せば 水 鳥 のす だ く 水 沼 を都 と な し つ(卷 +九)
我 が國 民 の忠 君 思 想 は か く し て 起 る 。 國 家 的 意 識 に基 か な い で 、 實 に民 族 的 意 識 に よ つ て 忠 君 思 想
は 起 つ た の で あ る。 か く の 如 き 神 な る 君 圭 の 爲 め に は 如 何 な る 苦 し み も 厭 は な い。
卷 一、藤 原 宮 之 役 民作 歌
卷 一、 從 聯
藤 原京 一
遷 二于 寧 樂 宮 一
時歌
もののふ
武 士 の臣 の男 は 大 君 のま け の ま にく 聞 く と いふも のぞ (卷 三)
み つ
海行 かば 水漬 く屍 。 山行 かば 草 むす 屍 、 大 君 の邊 にこ そ死 なめ 、顧 り み は せじ と言 立 て 云 々(卷 +八)
や そ ともつを まっ
天 地 の始 の時 ゆ 、 現 身 の八 十件 緒 は、 大 君 に奉 ろ ふも の と、 定 まれ る つ か さ にし あれ ば 云 々(卷 十 九)
p
ことあげ
で あ る から 臣 民 は決 し て不 平 を 云 つた b 不 敬 な事 を つぶ や いた b し て はな らな い。即 ち 言 擧 を し て
は な 广りな い レしい ・
ふ田心相心が 童
のハ
ノた 。
む む
む ことあげ
秋 津 島 大 和 の國 は、 棘 がら と 言 擧 せぬ 國 (卷 + 三) か く の 如 く 國 民 の 間 に は自 覺 的 に 忠 君 思 想 が 存 在 し て ゐ た の で あ る が 、 そ れ に關 連 し て 更 に國 民 の
問 に は 氏 族 思 想 が あ つ た 。 丁 度 民 族 と 民 族 と の爭 鬪 に於 け る が 如 く 、 氏 族 と 氏 族 と の 問 に も そ れ み 丶
競 爭 が あ つ て 、 例 へば や \後 代 の事 で は あ る が 、 祭 祀 に 於 け る 忌 部 氏 と 中 臣 氏 と の 如 く 氏 族 問 の爭 ひ
88
O
が あ る。 叉 同 じ職 業 に携 はら なく と も、 自 己 に與 へら れ た る任 務 を忠實 に盡す と いふ事 は他 氏族 の手
前 、最 も 重大 な る責 任 で あ る。 か く の如 く し て自 覺 的 に自 己 の屬 す る氏族 の名 譽 を重 んす る と い ふ事
も 起 る。 之 は國 家 に於 け る忠 君 思想 と相 關連 て るも の で あ る。
大君 の御門の守り 、我を置 きて叉人は あらじ と,彌立 て思 ひしま さる云 々(
卷十八)
ゆぎかくる件 の緒廣 き大拌 に國榮 えむ と月は照 るら し(
卷七)
か や う に名譽 を競 つた。 殊 に天 下 を 平 定 し て大 和 民族 を 勝 利者 た らし めた 武 入 の名譽 心 は非常 に 強
か つた に相違 な い。 上 代 民 の問 に徇 武 思 想 の盛 んな事 も 亦 そ の爲 めで あ ると 思 ふ。
曹
ゆ ウゑ
ま でらを の弓末 ふり立 て射 つる矢を後見 む人 は語り つぐがね(
卷三)
ぴ
くさ
千萬 の軍なりとも言擧 せす取 りて來 ぬべき男 とそ思 ふ(
卷六)
卷 十九、慕レ
振二
勇 士之名 一
歌 ⋮
教
思
想
か く の如 き 國家 觀 は や が て 一の信 仰 と もな る の であ る。﹂
四、宗
我 が國固 有 の宗 教 思 想 とし て は國家 其 自 身 を も つて 自 ら の宗 教 とす る考 へ方 があ る。 そし てそ れ に
上 代 文 學
隊
89
〆
國 丈 學 襍 設
は 祗 先 崇 拜 の 思 想 が 密 接 な 關 係 を も つ て ゐ る 。 民 族 的 觀 念 が 強 い、
と共 に、 そ の民族 そ の氏 族 の組先 を
崇 拜 す る 心 も 強 い。 現 在 の 自 己 の 地 位 を 思 ふ 時 に 、 必 す 自 分 逹 を こ ゝ ま で 導 い て 來 た 先 祗 の 事 が 心 に
俘 ぷ。
卷 二、 日 並 皇 子 奪 殯 宮 之 時 柿 本朝 臣人 麿 作 歌
卷 廿 .喩 レ族 歌 (大 件 家 持 )
おく を
し
る しめ
大 拌 の遠 つ祚 親 の奥 っ城 は 著 く 標 立 て 人 の知 るべ く (卷 十 八)
か く の 如 く し て 、 下 に述 ぺ る が 如 き 靈 魂 不 滅 の 信 仰 よ り 、 組 先 は や が て を の 氏 族 そ の 民 族 を 守 護 す
る帥 と も 崇 め ら れ る に 至 る の で あ る。
わたらひ いっ
をり
みや まど とこ
やみ ぢな
ゆ く 鳥 の爭 ふは し に 、渡 會 の齊 宮 ゆ 、 紳 風 に い吹 き 惑 は し、 天 雲 を 日 の目 も見 せす 、常 暗 に蔽 ひ給 ひ て、
定 め てし 瑞穗 の國 を 云 々(卷 二)
み たま
天 地 の騨 あひ う つ な ひ、 す めろ ぎ の御 靈助 け て 、遠 き 世 に か ゝり ← 事 を 、我 が御 代 に顯 は し てあ れ ば 云 々
(卷 + 八 )
か く て我 が國 民 嫉 祗 先 を 帥 と し て祭 る。 そ し て す で に 祗 先 と い ふ觀 念 を 離 れ て は 、 た ゴ超 自 然 力 を
有 す る 紳 、 所 れ ば 入 間 に 幸 か 與 へる 神 と し て 信 仰 せ ら れ る 。
9σ
かしこ .
へ
そ・
ども
か け ま く のゆ ゝし 畏 き、 佳 吉 の我 が 大 御 聯 、 舟 の舳 に う し は き い ま し 、 舟 艫 に み 立 ち い ま し て 、 さ し よ ら
に 、荒 き 風波 に遭 は せ す 、平 ら けく 傘 て蹄 りま せ元 の國 家 に(卷 十 九)
ゐ み かき
む磯 の崎 々、漕 ぎ 果 てむ 泊 り く
﹁苦 し い時 の 紳 頼 み ﹂の 紳 も 矢 張 b か う い ふ 紳 で あ つ た ら う。
あ みなと や ふ いはひべ
久 方 の天 の原 よ り、 生 れ來 た る神 の命 、 奥 山 の榊 の枝 に、 白 が つく 木綿 取 り 付 けて 、齋 甍 を 齋 ひ掘 り 据 ゑ 、
たへだま しお おナひ
竹 玉 を し ゞに貫 き垂 り 、鹿 じも の膝 折 り 臥 せ. た わ や め の襲 取り か け、 か く だ にも 我 は乞 ひな む君 に逢 は
ぬ かも (卷 三)
か う い ふ 願 を き か さ れ る紳 は さ ぞ 苦 笑 す る 事 で あ ら う 。 左 註 に云 ふ ﹁右 歌 者 、 以 `天 平 五 年 冬 十 一
月一
供 察 大 俘 氏 神 一之 時 、 聊 作 一此 歌 一故 日 二祭 禪 歌 一
﹂ と あ る 。 ﹁君 に逢 は ぬ か も ﹂は 、 或 ひ は 先 耐 の靈 の
事 を 云 った の か も 知 れ な い が 、 盧 心 平 氣 で 讀 む 時 、 何 う し て も 戀 歌 と し か う け と れ な い(代 匠 記 )。 か
う い ふ 類 の 歌 は 徇 集 中 に散 見 す る。
國 民 の 國 家 に 對 す る考 へは 、 か く の 如 き 神 の作 ら れ た 絶 對 的 偉 力 を 持 つ た 國 で あ る 。 何 入 も 之 々 犯
す 事 は 出 來 な い。
わざ あめノ
ノ
ち
いざ 子供 た は業 な せ そ天 地 の堅 めし 國 ぞ大 和島 根 は (卷 二十)
併 し 上 代 人 は國 家 的觀 念 を 自 覺 し てゐ な いの で 、か く 叫 ん でも 、畢 竟 そ れ は祗 先 崇 拜 にな る の で、
上 伐 夊 學
91
お
﹁天 地 の神 ﹂實 は我 食
は
はな く な つても 、 冫、
民 固有 の田
心想 で、純 粹 の遭
紳 と な る の であ る。 有 限 の蠡
族 の組 先 で あ る。 祗 先 崇拜 教 はま さ に我 蘭
は死 で は な 毛
こ 丶に 出 發 點 を も つ て ゐ な け れ ば な ら な い。
出餐
つる(
卷 二)
界 の別 雙 、意 眛
は な いかも 知 れ な い。
い・ 之 は ま こ と に悲 しむ べき事 であ る。 死 は我 々の麑
を 飛 翔 し 、我 ら の行 爲 を 見 て且 つ守 つて ゐ る。 只滿 ま ・
らな い此 の人 間 の眼 で
の死 ・ 先 人 の死 餐
見 る棄
は無 限 に此 の番
だから羣
の靆
はそ の紳 多
し て ゐ る が ・ 決 し て精 紳 的 の 別 離 で は な い。 之 が萬 葉 人 の考 へ方 で あ る 。
に旻
は 思 は な い。 いや戚 覺 的 にも 別 華
翼 な す あ り 通 ひ つ ゝ見 ら め ど も 人 こ そ知 らね 松 は 知 る ら む(卷 二)
ただ
禮 履 の こ旗 の上 を通 ふ とは 目 には見 ゆ れ ど直 に逢 はぬ か も (卷 二)
だ から 彼 ら は 死 を も つて絶 對 的 の別 讐
昨夜 の募
實 に存 在 し て ゐ た の かも 知 れ な い。 彼 等 の世界 に尋 ね
へねば、 さかりゐて朝 嘆く君 ⋮ 羣
何 故 な ら ば 死 ん だ 人 を 夢 に さ へ見 る 事 が あ る。
を ぞ
現身し棘 堪
そ れ で或 ひは 若 し か す ると そ の死 んだ 國 窺
けだしくも逢 ふや患
ひて・垂
の奢
の大野 ? ・
・
章 駿 寢 かもすろ逢 は窘 故(
卷 二)
て行 け ば逢 へる のか も 知 れ な い。 .
92
9
や そ た むけ
百 たら す 八 十 隅 坂 に手 向 せば 過 ぎ にし 人 に け だ し逢 は む かも (卷 三)
敷 妙 の袖 か へし 君 玉垂 の越 智野 す ぎ ぬ る ま た本 逢 は め やも (卷 二)
併 し そ れ 欧 結 局 望 ま れ な い事 で φ
`oる。 死 ん だ 入 に 再 び 逢 ふ 事 は 出 來 な い。
逢 ふ 事 は 出 來 な い が 、 あ の 火 葬 揚 に 立 つ煙 、 或 ひ は 葬 つた 所 に た な び く 雲 は 、 な き 入 の 靈 魂 が 天 室
に 飛 ん で ゅ く 最 後 の か た み で は あ る ま い か 。 あ の 煙 あ の 雲 こそ な き 人 の魂 の あ ら は れ で あ る。
こ も り く の初 瀬 の丗 の山 の聞 に いさ よ ふ 雲 は 妹 に か も あ ら む (卷 三)
たこ
直 の逢 ひは 逢 ひ か つま し じ 石 川 に雲 立 ち 渡 れ見 つ ゝ偲 ば む(卷 二)
いはれう
やま
つぬ さ は ふ磐 余 山 に白 栲 に か ゝれ る雲 は 我 が大 君 かも (卷 十 三)
す め ら ぎ の棘 の御 子 の 、 いで ま し のた び の光 そ こ ゝだ 照 りた る(卷 二)
か や う な 死 の 族 路 は 、 此 の 世 か ら 別 れ て 無 限 の 世 界 への 族 立 で あ る と も 考 へら れ た 。 一
死 ん で 行 く 人 に 取 つ て も 、 必 す し も 自 己 の未 來 を 恐 れ る必 要 は な い。 自 分 は 死 ん で も 靈 魂 は 殘 る。 -
鴨 山 の岩 根 し ま け る我 を かも 知 ら に と妹 が待 ち つ ゝあ ら む (卷 二)
た ゴ い と し き 妻 や 子 を 殘 し て ゆ く 事 だ け が堪 へら れ な い 悲 し み で あ る。
。
上 代 文 學
要 す る に か く の 如 き 死 は 置ハの 死 で は な い 。 却 つ て 永 遠 に 生 き る 遘 で あ る。 葬 つ た 所 に 生 き て ゐ る 入
覧
93
國 文 學 襍 読
に 雪 が降 b か 丶 れ ば さ ぞ 冷 い事 で あ ら う 。
ゐ おひ
ふ る雪 は あ は にな 降 り そ よ なば り の猪 養 の岡 の塞 から ま ぺ に(卷 二)
靈 魂 の存 在 と い ふ 事 は (或 ひ は 現 代 思 想 で い ふ 靈 魂 と い ふ 語 の概 念 と は 逹 つ て ゐ た か も 知 れ な い が)
萬 葉 入 に 取 つ て け 疑 ふ べ か ら ざ る 事 實 と し て 信 じ ら れ て ゐ た の で あ る 。 ・
あしたゆふぺ
魂 は朝 夕 にた ま ふれ ど我 が 胸 いた し戀 の繁 きに (卷 十 五)
がま さを
人魂 の青 な る君 が た ゞ獨 り逢 へりし 雨 夜 は久 しと そ思 ふ(卷 †六)
か や う な 魂 の鎭 座 す る所 即 ち 宮 居 で あ る と も 解 せ ら れ ろ 。 既 に紳 と な つた 入 間 の靈 の鎭 座 す る紳 肚
は彼 ら にと つて はま こと に尊 敬 す べき も の であ る。
いぐ し 立 て み わ す え奉 ろ瀞 主 のう す の玉 蔭 見 れ ば とも し も (卷 十 三)
併 し 同 時 に 何 と な く 恐 し いも の 、 自 分 等 の行 爲 を 見 守 つ て ゐ る や う に 戚 じ ら れ て 忌 はし いも の と も
思 は れた 。
、山 城 の久 世 の瓧 の草 な手 折 り そ 已 が時 立 ち 榮 ゆ と も 草 な手 折 り そ(再 出 )
千 早 ぶ る祚 の瓧 し な か り せば 春 日 の野 邊 に 粟 蒔 か ま し を (卷 三)
此 の類 の歌 は 極 め て多 い 。 尤 も そ の や ケ な 恐 し いも の で も 、 盲 目 的 な 戀 愛 戚 情 の 爲 め に は 恐 し い と
94
いふ 觀 念 が な く な つ てし ま ふ の であ る 。
いがを
千 早 ぶ る祕 の齋 垣 も 越 え ぬ べし 今 は 我 が名 の惜 しけ く も な し (卷 十 一)
ゆ ふ いは も む
木 綿 か けで 齋 ふ 此 の騨 瓧 越 え ぬ べく 思 ほゆ るか も 戀 の繁 きに (卷 七)
以 上 は 萬 葉 集 に見 え た る 國 民 固 有 の宗 教 思 想 で あ る 。
ことだま
佝 我 が國 に は言 靈 の 信 仰 が あ つ た 。 此 の言 靈 に つ い て は 色 々解 釋 が あ る が 、 私 は單 に 入 間 の 所 願 の
言 葉 が 成 就 せ ら れ る事 を も つ て 言 靈 と 云 つ た の だ ら う と 解 釋 す る 。
そら み つ大 和 の國 は ⋮ ⋮ 言 靈 の幸 は ふ國 と . 語 り つぎ 云ひ つが ひ けり (卷 五)
し き しま の大 和 の國 は 言 靈 の助 く る國 ぞ ま さ き く あ り こ そ (卷 十 三) ,
ゆらけ と うらまさ
言 靈 の八 十 の ち ま た に 夕 占 問 ふ 占 正 に のれ妹 に逢 は むよ し(卷 十 一)
こ れ ら の歌 に よ つ て 、 そ の 所 る 所 の 對 象 は 或 ひ は神 で あ り 或 ひ は 當 時 の民 間 思 想 な る 占 で あ る が 、.
兎 に角 所 願 の 言 葉 で あ る 事 は 確 か で あ る 。 そ し て そ れ が途 げ ら れ ま い と 疑 つ て ゐ る な ら 、 當 然 言 靈 の
思 想 は 起 ら な い筈 で あ る か ら 、 彼 等 の 信 す る 言 靈 と は 彼 等 の 所 願 の 成 就 せ ら れ る 事 を 稱 し た も の で 、
そ れ は 言 語 そ の も の に 奇 し き 靈 が あ つ て騨 靈 を 動 か す も の の 如 ぐ 彼 等 が信 じ て ゐ た と も 解 釋 せ ら れ 、
而 し て 、そ の所 願 の對 象 は言 靈 そ のも の にあ ら す し て 、他 に あ つた と解 す べき であ る。
上 代 丈 學
g5
國 丈 學 襍 設
次 に 萬 葉 集 に 見 え た 民 間 信 仰 の 項 目 だ け を あ げ て お い て 、 そ の内 容 た る 信 仰 に つ い て は 今 考 察 を 省
略 す る事 と す る。
け うら
一、 龜 卜 。 二 、 紳 依 板 。 三 、 夕 占 。 四 、 石 占 。 五 、 足 占 。 六 、 山 菅 占 。 七 、 水 占 。 八 、 深 江 の 二 つ
かうなぎ
石 。 九 、 苗 占 。 十 、 巫 。 (件 信 友 の﹁正卜 考 ﹂及 ﹁方 術 原 論 ﹂に よ る)
五、藝 術 觀
萬 葉 集 の 中 に は 自 然 美 を 歌 つ た 歌 は 實 に 數 が.
多 い が 、 藝 術 美 を 歌 つ た 歌 は 殆 ど 見 る 事 が出 來 な い。
奈 良 朝 時 代 と な つ て 、 あ の 廣 大 な る 寺 院 が 建 築 せ ら れ 、 美 し い裝 飾 が ほ ど こ さ れ て 、 丹 青 の美 を つく
し た 金 飾 燦 爛 た る佛 像 は 必 す や當 時 の入 の 眼 を 奪 つた に相 逹 な い が 、 本 集 に は 一向 そ の 影 響 が あ ら は
まそほ
れ て ゐ な い。 陸 奥 國 か ら 黄 金 が 出 た と 云 つ て も 、 鼻 の 上 の 眞 赤 を 掘 れ と 云 つ て も 、 結 局 佛 像 そ のも の
に は 直 接 ふ れ て ゐ な い 。 た ま に佛 教 美 術 に關 す る 歌 が 出 て來 れ ば 、
しり
相 思 は ぬ人 を思 ふ は大 寺 の餓 鬼 の後 へに ぬ かつ く 如 し (
卷 四)
おほみわ
寺 々の女 餓 鬼 申 さく 大 神 の男 餓 鬼 たば り て そ の子 生 ま は む (卷 十 六)
な ど と あ つ て 、 少 し も そ の 藝 術 美 に は ふ れ て ゐ な い。 奈 良 の 美 し い 都 さ へも 只 ﹁嘆 く 花 の に ほ ふ が 如
96
ぐ 今 盛 り な bL と 云 ふ譬 喩 です ま し てし ま つ て、具 象 的 な都 會 美 と いふ や う なも のを 歌 つ てゐ な い。
こ れ から考 へると萬 葉 入 は藝 術 美 就 中 形 象 美 に封 し て大 した 理解 がな か つた と 思 は れ る。 今 盛 ん に賞
美 され てゐ る大 和 の佛 教 建 築 や佛像 も 、 只 一部 の工 入 か漢 土 渡 來 の建 築 師 のみ に觀 賞 され た位 のも の
で、 當 時 の大 多數 の入 々 にはそ の眞 の價 値 は 分 ら な か つた の であ ら う 。 只七 堂伽 藍 の廣 大 な 事 と 丹青
の美 とを 賞 す る位 の極 めて幼 稚 な 美 術 眼 しか 持 つ てゐ な か つたと 思 は れ る。 只繪 畫 に つい て は次 の如
き歌 があ る。
ひつ
ま
我が妻 も繪 に書きとら む暇も が族行 く我 は見 つゝ偲ばむ(
卷 二十)
これ によ つ て萬 葉 入 の考 へてゐ た美 術 は要 す る に實 用藝 術 の外 に出 てゐ な いと い ふ事 が 知 ら れ る。
あ の南 都 の大 伽 藍 佛 像 も要 す る に此 の實 用 上 の目 的 から出 て ゐ る の で、 そ れ によ つて藝 術慾 を滿 た さ
うと いふ類 の も の で はな か つた であ ら う 。
更 に音 樂 は何 うか 、 之 も 平 安 朝 入 のや う に は興 昧を も つ てゐ な か つた ら し い。平 安 朝 の物 語草 子 類
には音 樂 の記 事 は極 め て多 い が、 本集 には 音樂 の歌 は殆 ど な い。併 し 朝 廷 そ の他 の宴 會 な ど では短
、新
し ぐ 作 つた歌 な り、 或 ひ は古 歌 な b を 節 を つけ て朗 吟 し た ら し い。 卷 六 に、
天平 二年庚午勅遣下
擢二
駿馬 一
使大件道足宿禰上時歌 一首 、
上 代 丈 學
97
國 文 學 襍 論
奥 山 の岩 に苔 む し畏 く も 問 ひ給 ふかも 思 ひ敢 へな く に
り
右 勅 使 大 拌 道 足宿 福 饗 一于 帥 家 幻此 日會 集 衆 諸 相 二誘 驛 使 葛 井 連 廣 成 一
言 レ須 v作 二歌 詞 槽登 時 廣 成 應 レ聲 即 吟 二
む む
此歌殉
と あ り 、 そ の少 し 次 にも、
右 太宰 帥 大 拌 卿 、 兼 二任 大 納 言 一向 レ京 上レ道 。 此 日馬 駐 二水 城 嚇顧 二望 府 家 殉于 V時 途レ卿 府 吏 之 中 有 昌遊 行 女婦 幻
む
む む
む む
其 字 日 二兒 島 一也。 於 レ是 娘 子 傷 二此 易 7別 嘆 二彼 難 ウ會 , 拭 レ涕 自 吟 二振 V袖 之歌 殉
と あ る 。だ から 卷 十 七 に、
天 平 十 八 年正 月 白 雪 多 零 ⋮ ⋮ 於 レ是 降 レ詔 大 臣 參 議 井 諸 王 者 令 レ侍 二于 大 殿 上殉 諸 卿 大 夫 者 令レ侍 一
手 南細殿 輔
む む
む
而 則 賜 レ酒 肆 宴 。勅 日、汝 諸 王 卿 等 聊 賦 二此 雪 幻各 奏 二其 謌 幻
と あ る の も 、 矢 張 b そ の歌 を 吟 じ た も の で あ ら う 。,
併 しそ れ と ても 只吟 じ た と いふだ け で、音 樂 そ の
も の の 内 容 に は ち つと も ふ れ て ゐ な い。 只 少 し 節 を 加 へて 歌 つた 方 が 面 白 いと い ふ 事 だ け は 理 解 し て
ゐ た で あ ら う が 、 そ の 節 が 果 し て 何 れ 程 美 戚 を 添 へる も の で あ つた か 何 う か は 疑 問 で あ る 。 恐 ら く 今
日 の眼 から 見 れ ば 全 く藝 術 上低 級 幼 稚 な も の で あら う o
樂 器 に つ い て は 琴 の 記 事 が少 し あ る 。
98
詠一
一
和 琴 一(卷 七)
梧 桐 日 本 琴 一面 云 凌 (
卷 五)
寄 二日 本 琴 凶(卷 七)
厭 二世 間 無 常 一
歌 二首 ⋮ ⋮ 右歌 二首 河 原 寺 之 佛 堂 裡 在 二倭 琴 面 一也 (卷 + 六)
の如 乏
双 調 か ︺等 の斈
も 見 え る か ら當 墮 藥 の智 識 は可成
b進 ん でゐ 華
藝 術 は萬 葉 入 の心 を引 か な か つた の であ る。
(但 し天 平 + 九年 の 正倉 院 文書
が知
に琵
何 れ も そ の 歌 は 琴 と 直 接 關 係 が な く て 入 事 に ふ れ て ゐ る も の の み で あ る か ら 、 此 の方 面 に 於 い て も
自 然 美 や饗
琶譜 があ り、黄 鐘 。
調 ︹平禦
ら れ る が、 そ の趣 味 は普遍 的 で は な か つた ので あ ら う)。
は・蒙
に銜 悲
只萬 葉 人 が 眞 に藝 術 に趣 味を も つてゐ た と いふ事 が出 來 る なら そ れ は詩 歌 だ け であ る・ 詩 歌 はま さ
る事 が必 睾
と先 人 の模 倣 と い董
は集 中 に
あ る c叉 如何 にし て先 入 の美
り・ 更 に本 集 の如 き
に彼 等 の生 命 であ b 、.
璽、
同の藝 術 でも あ つた 。 如 何 に詩 歌 が行 は れ てゐた か と い重
藻 あ b懷 風 藻 あ り 、歌 集 に古 歌 集 あ り類 聚 歌 林 あ b、 入麼 集 虫麼 集 の如 き家 集 あ
價 値 あら し め る爲 めに は 之 を修 正添掣
際 歌 の添 創
く の如 き 詩歌 を 如何 に觀 たか ・
き であ るかと い ふや うな 心 も あ つた 。蚤
も の の存 在 す る事 によ つて知 ら れ る 、彼 等 はか
詩 歌 を し て誇
し い歌 に習 き
上 代 丈 學
99
が 翰毳
、皇
二
乎彫蟲 鳶 。 幼集
レ
逕二山柿童
裁歌之趣、詞失二
蓁
そ の例 が 乏 し く な い の で あ る 。 ( 一云 と 記 せ る が 如 き は 修 正 添 削 の例 で あ る )。
以二
稚時否 渉二
遊藝之庭蓑
云 々(卷 十 七 )
叉、
奇
な.
芝 雰
林桑
つて ゐ た や つであ
、 同 時 に想像 力 も詩 歌 に重大 な要 件 であ .
⇔事 を
潘 江 陸 海 .自 坐 二詩 書 之廊 廟 崎 騁 二思 非 常 輔 託 二情 有 理 一云 々(卷 十 七 )
と あ る の で・ そ の材 料 と し て自 然 の尊 む べき 事 を 智
覺 つて居 b ・ 叉 そ の戚 情 のま \ に走 ら な いで理羲 蛋 し て ㊧ 。誘
る・ こ れ は萬 葉 集 の歌 に照 ら し 合 せ て も此 の 三要 領 にか な つ てゐ るし .同 時 に此 の三點 は藝 術 制作 の
場 合 に非 常 に重 大 な も の で、 今 日 の私 逹 にも肯 綮 に價 す る。
叉 そ の次 に、
所謂文章天骨、習レ之不 レ
得也、
'
人 の藝 窺
で あ る が、 ; ・で云 へば 、幼 稚 な も ので あ り、 同 時 に藝 術 と いふも の に封 す
とあ る。 こ の語 は支 那 か ら來 た も のら し いが、 そ れ でも藝 術 は天才 の賜 物 であ る事 を知 つて ゐた と思
は華
は れる。
呈
100
る 反 省 考 察 が 乏 し く 、 或 ひ は そ ん た 難 し い 理 屈 は 考 へて ゐ な か つ た と さ へも 考 へら れ る の で あ る。 何
六 、人 生 觀
よ b も 彼 ら の作 品 が そ の 藝 術 的 天 分 を 示 し て ゐ る の に よ つ て 、 我 々 は そ れ 以 上 の言 説 を 求 め る べ き で
は な いρ
﹁
萬 葉 人 の 觀 た る 入 生 は 眞 に樂 天 的 な も の で あ つ た 。 享 樂 主 義 と で も 云 へば 當 る で あ ら う 。 一體 我 が
國 民 性 に は 非 常 に享 樂 的 な 分 子 が 多 い。 そ れ は 一つ は 優 美 な 地 勢 温 和 な 氣 候 な ど に よ つ て 自 然 國 民 の
氣 風 を さ う い ふ 風 に 導 い た も の で あ ら う が 、 同 時 に 外 國 か ら 侵 入 せ ら れ る と か いふ や う た 外 的 の壓 迫
も 蒙 ら な か つた の で 、 そ の境 遏 が 安 易 な 結 果 、 思 想 的 に 何 ら の 深 み を ま さ な い、 と 同 時 に 、 樂 天 圭 義
享 樂 主 義 に 走 つ て し ま つ た の で あ る。 そ れ 8鎌 倉 時 代 の 小 數 砺 例 外 を 除 い て は 、 上 代 よ b 現 代 に至 る
ま で 、 文 學 に 現 れ た 所 に よ つ て 戯43察 す る と 皆 然 ら ざ る は な く 、 源 氏 物 語 の 光 源 氏 の 生 活 、 榮 華 物 語 に
あ ら は れ た 道 長 の 生 活 、 或 ひ は 西 鶴 の 一代 男 に 描 か れ た 世 の介 の 生 活 ー レ 我 が 國 民 の願 ふ 生 活 は 多 分
み ど
か や う な も の であ ら う。 然 ら ば 之 を萬 葉 集 に求 む る に如 何。 實 は萬 葉 集 に はか や う な享 樂 的な 歌 は極
め て 少 い の で あ る。 歌 に現 れ た 所 は 非 常 に少 い が 、 そ の 詞 書 を よ む 時 、 多 く の歌 が宴 會 行 幸 等 の場 合
上 代 文 學
IOI
國 丈 學 襍 譌
に出 來 て ゐ る 事 を 知 る で あ ら う 。 歌 の調 子 に し て も ま こ と に明 る く 輕 快 な も の が あ る 。 挽 歌 に於 い て 02
1
す ら 、 悲 哀 の か げ は あ ま b 認 め ら れ な い。 悲 し い と 云 つ て も 歌 全 體 か ら 受 け る 戚 じ は 決 し て 悲 し いも
の で は な い。 人 麿 の 詠 ん だ 挽 歌 が 如 何 に 活 氣 に 滿 ち て ゐ る か と い ふ事 は 詳 し く 詮 く 必 要 は あ る ま い。
兎 に 角 萬 葉 集 全 體 の 印 象 が す で に 明 る ぐ 樂 天 的 な も の で あ る が 、 今 改 め て此 の 樂 天 的 享 樂 的 傾 向 に つ
い て 少 し く 考 察 を 加 へて 見 よ う 。
我 が 國 民 性 の享 樂 思 想 が 環 境 に導 か れ た 事 は 上 に 述 べた が 、 更 に か や う な 傾 向 を 取 る ま で に は 未 だ
少 し 考 へな け れ ば な ら な い事 が あ る 。
一體 、 我 が 國 民 は 蓮 命 觀 と い ふ や う な も のを も つ て ゐ た か 何 う か。 全 然 な い と は 云 へな いや う で あ
る。
ほつロ
る
もち いかるが
近 江 の海 泊 り 八 十 あり 、 八 十島 の島 の崎 々、 あり 立 て る花 橘 を、 上 枝 に黐 引 き か け 、 中 つ枝 に班 鳩 かけ 、
しづえ し め
下 枝 に此 米 を か け 、 し が 母 そ捕 ら く を 知 らす . し が 父 を捕 ら く を知 ら に、 い そば ひ居 る よ班 鳩 と 此米 と
(卷 + 三)
の 如 き は 、 古 義 や 、 俘 信 友 の 長 良 の 山 風 に 解 せ ら れ た や う な 解 釋 も あ る が、 こ の 歌 に は 一種 の運 命 觀
が あ ら は さ れ て ゐ る や う に 思 は れ る。 入 間 の 生 命 が 如 何 に 運 命 の 爲 め に支 配 さ れ て ゐ る か 、 而 し て 入
問 の小 さ い智 慧 が其 を 少 し も覺 ら な いで ゐ る。 傍 ら か ら見 て鳥 の蓮 命 の危 さを 戚 じ た ので あ る が、 そ
れ は 同時 に人 間 に對 す る戚 懷 を洩 ら し て ゐ る のであ る。 又 か ・
︾いふ歌 も あ る。
ニ
ぬれ
⑱ む さゝびは木末求 むと足引 の山 のさ つを に逢 ひにけるかも (
卷 三)
併 し 一般 に當 時 の 人 は左 程 深 い蓮 命 觀 を 持 つて ゐ な か つた であ ら う。 寧 ろ蓮 命 と い ふ やう な事 を 考
へさ へも し な か つた であ ら う。 か や うな 蓮 命 觀 の缺 乏 は我 が國 民 の快 樂 的 傾 向 を導 く 有 力 な る 一つ の
原 因 で あ つた と 思 ふ。 叉 淺 いな がら 蓮 命 觀 を 持 し てゐ た と し ても (
種 々な歌 に内 面 的 な考 察 を 加 へる
と 薄 々 は蓮 命 觀 を も つ てゐ た と 思 は れ る)、 さ う いふ蓮 命 觀 が結 局 入間 を か つて、 な る や う にし か な
ら な いと い ふ樂 天 的 な 快樂 主義 に追 ひ込 む事 は有 b がち た事 であ る。 何 れ にし て も殆 ど 腦裏 に印 さな
い程 の僅 か な運 命 觀 が國 民 を享 樂 的 傾 向 に導 いた ので は あ るま いか。 此 の あ る か な い か の運 命 觀 は 外
來 思想 の影 響 を 受 け て非 常 に張 く な つた の で あ る。
次 に國 民 固 有 の宗 教 觀 も そ の傾 向 を 作 る の に有 力 な ︼つ の動 機 と な つ てゐ ると 思 ふ。 死 は 無 限 の生
への道 で あ ると いふ 考 へ方 、 死 ね ば紳 靈 と な ると いふ や う な 思 想 、 し か も極 めて淺 薄 な 、 寧 ろ常 時 に
か う いふ現 世
あ つて は かう いふ 未 來 觀 も 全 然腦 中 に な か つた と 思 は れ る や う な彼 ら は、 未 來 の事 を 思 つて も樂 觀 し
て勢 ひ現實 的 とな ら ざ る を得 な か つた▼
。 即 ち 現實 の快 樂 を 滿 たし て享 樂 に生 き よ うー
上 代 丈 學
ro3
{
鳥
國 文 學 襍 説
的 思 想 が享 樂 的 傾 向 を 導 く 有 力 な る 動 機 で あ つ た に相 違 な い。 か や う な 現 世 的 享 樂 思 想 の最 も 代 表 的
な 歌 は 譽 三 に あ る 大 件 族 入 の讃 酒 歌 十 三 首 で あ る 。
此 の世 にし樂 し く あ らば 來 む世 には蟲 に鳥 にも 我 ぱ な り な む
生 け るも の 途 に広 死 ぬ る物 に あれ ば 此 の世 な る聞 は樂 し くを 有 らな
未 來 を 樂 觀 的 に考 へる事 か ・
ら現 世 的 思 想 の 強 く な つ た 事 は こ れ で も 分 る。
か く し つ ゝ遊 び飮 み こ そ 草木 す ら 春 は 生 ひ つ ゝ秋 は散 りゆ く (卷 六)
か す か な 蓮 命 觀 が あ つ て 、 こ れ が 現 世 的 快 樂 思 想 に導 い て ゐ る 事 は 此 の 歌 に よ つ て も 分 る◎
常 世邊 に住 む べき も のを 劍 太刀 し が 心 から お そ や 此 の君 (卷 九) ・
丶
永 久 に歡 樂 を 盡 く す 事 を 欲 し て ゐ る 當 時 の 入 の 心 を よ く 現 し て ゐ ゐ。 か や う な 享 樂 圭 羲 は 又 個 人 主
義 的 思 想 、 極 端 に云 へば 利 己 的 な 所 が出 て 來 る 。 集 中 の 戀 の歌 は さ う し た 方 面 の あ ら は れ で あ る が、
(戀 愛 が 排 他 的 に し て 利 己 的 な 事 は い ふ ま で も な い )、 戀 愛 の歌 以 外 に は 次 の や う な 歌 も 見 ら れ ヲ
勾。
いひ
佐 保 川 の水 を せき あ げ て植 ゑ し 田 を 刈 るわ さ飯 は獨 り な る べ し (卷 八 )
又 か や う な 現 世 的 享 樂 的 傾 向 は 人 間 を 甚 だ 楡 快 に 快 活 に す る 。 そ の 結 果 集 中 に は 滑 稽 の歌 が 可 成 b
多 い。 卷 二 に天 武 天 皇 た 藤 原 夫 人 と の 膾 答 あ り 、 卷 三 に持 統 天 皇 と 志 斐 嫗 と の 膾 答 が あ b 、 譽 十 六 に
4
104
●
至 つては 、池 田 朝臣 、大 神 朝 臣 奥 守 、 平群 朝 臣 、穗 積 朝 臣 、大 作 家 持 な ど と いふ 人逹 が盛 ん に無 邪 氣
な 惡罵 を 交 し て ゐ る。 こ れら の歌 に よ つて見 ても 、我 が國 民 は昔 から 入 に皮 肉 を いふ事 の好 き な諧 謔
的 な 入 間 であ つた や う であ る。
我 が國 には言 語 上 の酒 落 が非 常 に發 逹 し て ゐ る。 既 に竹 取 物語 の如 き 平 安 朝 の作 品 にも 見 え 、 殊 に
室 町時 代 以後 發 逹 した 地 口な ど は、 滑 稽 な 言葉 の酒 落 の雄 な るも の であ る が、萬 葉 集 中 の枕 詞 序 詞 の
類 を 一種 の酒 落 と見 ても 差支 へあ るま い。 こ 丶に も國 民 性 の滑 稽 趣 味 に富 ん でゐ る 一例 を 見出 す ので
あ る。
前 逋 の 如く 我 が國 民 の享 樂 的 傾 向 か ら 利 己 的 傾向 を生 み、 此 の利 己 の觀 念 がや が て種 々な る不 平 の
聲﹁
を 生 む に至 つた。
うなべ
朝 には海邊 にあさりし夕 されば大和 へ越 ゆ う雁 しともしも(
卷 六)
こ れ は雁 の自 由 な る如 く入 間 にも つと 自 由 があ れ ば い 丶と いふ慾 望 を 洩 ら した も ので あ ら う。
卷 五、貧窮問答歌
くた
富人 の家 の子ども の着 る身 なみ臠 し棄 つらむ絹綿 らはも(
卷五)
今 日 の如 き階 級 的 自 覺 の發 達 し た時 代 な らば ・之 ら の歌 の作 者 山上 憶良 は ・ ブ ルジ ヨァ打 破 の歌 を 瑪
上 代 交 學
國 文 學 襍 読
作 つ.
た であ ら う。 少 く とも 當 時 の 憶 良 の胸中 に は階 級 的差 別 の意 識 はあ つた や う であ る。 此 の歌 に富
豪 の不 合 理 な事 に封 し て 不平 を 洩 ら し て ゐ る事 に よ つて も 知 ら れ る。
白玉は人 に知ら えす知らす ともよ し知らすとも我し知 れらば知らす ともよし(卷六)
埋 れた る天 才 、 少 く と も 天才 を も つて自 任 し て ゐ る人 間 の世 に 入 れ ら れざ る不 平 の聲 で あ る。 自 己
を 白 玉 に譬 へた所 もそ の入 の心 持 が見 え て面 白 い。
物皆 は新し をよ した ゞ人は古り たるのみし宜しか るべし(
卷十)
老 人 が若者 に對 し て自 己 の優 越 を 説 いた の であ る が、 一面 老 人 が時 代 から 取 b殘 さ れ て青 年逹 から
邪 魔 物 扱 ひ にさ れ る不平 の聲 で あ る。 云 ふま でも な く老 入 の利己 的 觀念 から出 た歌 であ る。
佝 最 後 に親 子 の問 の歌 に ついて述 べ てお きた い。 萬 葉 集 には 親子 の愛 情 を歌 つた歌 が實 に少 い。 之
は 無論 親 子 の愛 情 が薄 か つた か ら では な い。 寧 ろそ の歌 によ れ ば非 常 に親子 の愛 情 が厚 か つた 事 が思
は れ る の で あ るが、 男 女 の戀愛 の場 合 の如 く親 子 の問 に は5
3を刺 戟 す るや う な悲 劇 が起 ら な か つた。
つま b親 子 の關 係 が何 の波 瀾 も な く 一般 に平 和 で あ つた か ら、 自 然 に歌 と な つて あち はれ な か つた の
で あ ら う。 だ から 集 中 にあ る親子 の歌 は何 か事 あ る時 の歌 であ る。 併 し憶 良 の如 き は特 に子 供 に對す
る愛 情 の強 か つた 人 と見 え て、 瓜 を た べて も 、朝 廷 の宴 會 に出 ても、 子 供 の事 を 思 つて ゐ る。 かや う
Io6
な 詩 人 は ま こ と に 日 本 に 於 い て は 希 有 で あ る。 眷 六 、 市 原 王 の 悲 二獨 子 崩歌 、(別 解 あ b 、 今 は 代 匠 記 、
古 義 等 の諡 に よ る 。 何 れ の 解 に し て も 例 證 と す る に 妨 げ な し 。) ,
言 問 は ぬ木 す ら 妹 と兄 あ り と ふ を 只 一人 子 に あ る が苦 し さ
の 如 き は ま こ と に 珍 し い歌 で あ る。 産 兒 制 限 の な い古 代 に あ つ て は 、 た ゴ 一入 し か 子 供 を も つ て ゐ な
か つ た 事 は 父 に 取 つ て も 淋 し い 事 で あ つた ら う し 、 同 時 に 子 供 に取 つ て も さ ぞ 生 き 甲 斐 の な い事 で あ
ら う と 思 ひ や つ た の で あ る 。 そ の他 親 子 の 愛 情 を あ ら は し た 歌 は 、
卷 五、 思 二子 等 一
歌
卷 h、 山 上憶 良 敬 和 下爲 二熊 凝 一
述 二其志 一
歌上
卷 五 、戀 二男 子 名 古 日 一
歌
族 人 の宿 り せ む野 に霜 ふら ば 我 が 子 は ぐ ゝめ 天 の た つ む ら(卷 九)
白 銀 も 黄 金も 玉 も何 せ む に勝 れ ろ寳 子 に し かめ やも (卷 五)
卷 二十 、防 人 の歌
等 に散 見 し て ゐ る。
上 代 文 學
107
學
交
學 褸 読
下編 外
來
思
9
想
外 來 思 想 の研究 に つ いて は 溝田 左 右 吉博 士 の ﹁國民 思想 の研 究 ﹂ に つま び ら か で あ る。 た ゴ 一つ同
氏 の詮 に服 し かね る のは 、外 來 思 想 が我 が國 民 に影 響 を 與 へな か つた と いふ 氏 の結 論 であ る。外來 思想
が我 が上 代 人 の生 活 を 左 右 す る程 の力 のな か つセ事 は首肯 出 來 るが 、併 し そ れ故 に外 來 の思想 が國 民
の思 想 生 活 にま で 何 の力 も な か つた と は云 は れな い。 萬 葉 葉 にあ る外來 思想 のあ ら は れ は畢 に 口眞似
に ずぎ な い、 言 葉 を か bた だ け であ ると いふ津 田 氏 の説 は い か が かと 思 ふ。 す で にそ れ を 歌 によ む 以
上 、 思想 に も そ の方 に可 成 b の傾 き のあ つた事 は確 か に云 へる事 で は あ るま いか。 そし てそ れ が 段 々
深 に
牛
安
時
代
の
如
く
國
民
生
活
ま
で
も
左
右
す
。
かた違
たが
への如 きはそ の最
く な つ て 行 つ た 結 果 、
途
る に至
つた
﹁方
﹂
も著 し いも の であ る。
併 し さケ いふ 外來 思想 も國 民 性 を 根 本 か ら く つ が へす 事 は出 來 な い。そ れ程 力 あ
るも の では な い。・
故 に快樂 主義 の我 が國 民 は、 す べ てこ.
れを 自 己 の享 樂 の具 と し て しま つた。 日 本 の
個有 思想 と同 化 融 合 し てしま つた と いふ よ b は 、 固有 思想 の道 具 と し た の であ る。 だ か ら ]寸見 れば
外 來 思想 は何 の影 響 も な か つた や うで あ る が、
實 は 日本 思 想 の下 にか く さ れ て 脚く 見 え な か つた の で、
ao8
大 き い影響 を與 ハ
、つ 丶あ つた の であ る。 丁度 水 草 に蔽 は れた 下を 流 れ て ゐ た 小川 のや うな も の で、 外
想 の 三を あげ ろ事 が出 來 る。
には現 れ な い が言 を運 び 砂 を流 す ガ を持 つて ゐ た。 私 は萬葉 集 に於 い、
ても さ う いふ力 を戚 す る事 が出
來 る。
萬 葉 時 代 に行 は れた 外 來 思想 とし て は、 佛我 思 想 、老刮習瑚
想 、 儒戀
佛 教 は云 ふま でも な く 熱 帯 地 域 な る印度 に發 生 した 宗 敏 で、 そ こ に深 淵 な る熟 情 と 、厭 世 思想 の横 は
つてゐ る のを見 る事 が出 來 る。 老 莊 思 想 は支 那南 方 に發 生 し た も の で、 そ の特 色 は無 爲自 然 の道 を 主
張 す る虚 無 思 想 であ る。 儒 教 思想 は支 那北 方 に勢 力 を有 し、最 も 冷靜 、 理 智 的 な教 であ る。 從 つて道
敏 は民 間 宗教 と し てよ b多 く 發 逹 し 、 儒 教 は知 識階 級 の宗 敏 とし て成 長 し 、 備教 ま た支 那 に入 つて 、
郷 土 的 色彩 を加 へ、變 化を 生 じた。 これ ら の思 想 は いつれ も風 土 的 影響 を 受 け る所 多 く 、 南 よb 北 に
向 ふ に從 つ て、 情熟 的 な深 刻 さを 失 ひ、 そ の代 b に次 第 に常 識 的な 理智 が加 は つ て來 た。 さ う し て萬 .
葉 時 代 の 三 思想 の影響 を見 ると 、佛 教 思想 の影 響最 も 多 く 、老 莊 思想 之 に つぎ、 儒 教 思想 は最 も 少 い
か と 思 は れ る。 即 ち 、 南 よ b 北 す る に從 つで 、 三 思想 の我 が國 に於 け る影 響 が少 く な つて ゐ る の は必
す し も 偶 然 で は あ る ま い 。 北 よ り 南 下 す る に 從 つ て 、 よ b 多 く 、 我 が 國 人 を 共 鳴 さ せ る に 足 る だ け の 0
9
風 土 的 な類 似 性 を 有 し てゐ ると か 、 思考 法 、精 紳 能 力 、 或 ひ は風 俗習 慣 等 の外 面 的方 面 に至 るま で が 1
上 代 交 學
國 交 學 襍 説
教
思 想
同 じ 方 向 に向 つ て ゐ た と か 云 ふ や う な 點 に 、 そ の 原 因 が あ る の で は あ る ま い か。 醐、佛
國 民 性 が外 來 思 想 の爲 め に左 右 さ れ ると は多 く の場 合考 へら れ な い事 で あ る。 外 來 思想 を 鑷 取 し同
化 す るも の が國 民 性 な ので あ る。 そ れ で外 來 思想 が國 民 に容 れ ら れ る に は、 何 處 か そ の國 民 性 に共 通
な る點 、 少 く と も 國 民 に共 鳴 さ せ る點 を 具 へて ゐな け れ ば 、 そ れ は逾 に國 民 から 受 け容 れら れ な いで
終 ふ であ ら う。 佛教 思想 が非 常 な る勢 力 を 持 つや う にな り 、國 民 思想 に至 大 の影 響 を與 へた事 も 、そ
こ に何 か國 民 の要 求 を 滿 たす 所 が あ つた に相 違 な い。 我 が國 民 性 は樂 天 的 で享 樂 的 で現 世 的 であ る。
佛 教 が國 民 生 活 の問 に浸 潤 し て行 つた のも 此 の點 に 一つの原 因 を 持 つ てゐた で あら う。 即 ち あ の壯 麗
た 伽 藍 や佛像 を 造 つた のも來 世 成 佛 の爲 めと 云 ふよ り も 、過 去 の罪 業 を 償 な つて現 世 の快樂 を所 り求
め る心 があ つた から に相 逹 な い。 聖 武 帝 が東 大寺 の廬 含 那 佛像 開 眼 の際 に下 し 給 う た 宣 命 を讀 ん でも
そ の心 持 が知 られ る。 即 ち 佛 像 に封 ず る心 持 は 固有 宗 教 な る禪 吐 に樹 す る心持 と 大 し た違 ひ は な か つ
た の であ ら う。併 しそ の點 は今 萬 葉 集 に於 け る外 來 思想 を 論 す る揚 合 に は大 し た 關 係 がな いか ら、 更
に他 の方 面 か ら考 へる事 にし よ う。
工10
人 々 が現 世 の快樂 を求 め る時 に菟 が れ る事 の出 來 な い事 實 とし て彼 等 を 苦 し め たも の は齡 が老 いて
行 く事 であ る。 其 は必 す しも 死 が近 づ いた事 を 恐 れ る爲 めで はな い。 老 いた る自 分 に は 再 び青 春 が歸
つて來 な い。 然 かも 後 から 生 れ て來 た青 年 逹 はそ の若 い時 の生 活 を樂 し ん で ゐ る。 彼等 と自 分 と の聞
には 深 い溝 が出 來 て ゐ る。 さ う 思 ふ事 が彼 等 に取 つて は寂 し い ので あ る。 加 ふ るに白 髪 が生 え皺 が生
じ 眼 も 霞 み耳 も 遶 く な る に至 つて は、 そ の肉 體 的 不便 が何 れ程 そ の心 を.
暗 くし た 事 であら う か。'
卷 五、哀二
世聞難ツ佳歌
年 のは に梅は嘆 けども現身 の世 の人君し春なかりけり(
卷 †)
冬 過ぎて春し來 ぬれば年月は新 たなれども人は古 りゆく(
卷 十)
現 世 の快 樂 の中 で、 血 の氣 の燃 ゆ る若 人 に取 つ て最 も 樂 し い事 は 戀 の歡樂 であ つた。 老 入 と 云 は れ
世間 の人 か ら う と ま れ る やう にな つ ては 、戀 な ど と いふ事 は全 ぐ考 へら れ な い事 であ る。 し か も そ の
老 人 にも戀 の歡 樂 を求 め る心 が決 し て絶 え た わけ で はな い。 老 人 の戀 1 ・
其 はま こと に滑 稽 な話 で あ
る。 かう い ふ思 想 のも と に平 安時 代 に伊勢 物 語 の つく も髪 の話 や 、落 窪 物語 の典 藥 助 、源 氏 物 語 の源
典 侍 の話 な ど が作 も出 され た。 一體 當 時 の人 は、 殊 に女 は 、四 十位 になれ ばも う老 人 と考 へてゐ た や
う で あ る。 否 三十 五 六位 でも 、も う老 入 と思 つて戀 愛 など は似 合 はな い事 と 思 つてゐ たら し い。・
上 代 文 學
、
Ilj
國 文 學 襍 読
■
古 り に し 姫 に し てや か く ば かり 戀 に沈 ま む た童 のご と (再 出 ) 12
1
味 氣 な く 何 のた は 言 今更 に童 言 す る老 人 にし て(再 出 )
く や し く も 老 いに け る かも 我 が せ こ が求 む る乳 母 に行 か ま し も のを (再 出 )
(此 の類 の歌 はま だ他 に も あ る が 今 はそ の必 要 が な いか ら あげ な い)
斯 樣 に し て 老 入 に は 戀 の 歡 樂 も 許 さ れ な い。 寂 し い諦 め が そ の 心 の 中 にあ る。 青 年 達 の 問 に 容 れ ら
れ す 、 現 世 的 快 樂 を も 自 由 に 得 る事 が出 來 な い 、 入 は 早 く 老 い る 。 こ の や う な 考 へか ら し て 入 間 に 一
種 の 無 常 觀 を生 じ る も の で あ る が 、 此 の 無 常 觀 を 力 強 く 刺 戟 し た も の は 佛 教 思 想 で あ る。 即 ち 老 を 嘆
く 心 持 の あ る所 に 佛 欷 が 入 つ て 來 て 無 常 觀 を 敏 へた の で あ る。
更 に 萬 葉 人 は 如 何 に 偉 大 な る自 然 の事 物 を 見 て 入 問 の移 ろ ひ 易 く常 な き を 痛 威 し た 事 で あ ら う 。
瀧 の上 の御 舟 の山 に ゐ る雲 の常 にあ ら む と 我 が 思 は なく に (卷 三)
三 吉野 の御 舟 の山 に立 つ雲 の常 に あ ら む と 我 が 思 は たく に(卷 三)
⋮ ⋮生 け る者 死 ぬち ふ事 を . 冤 が れ ぬ物 に し あ れ ば ⋮⋮ (卷 三)
高 山 と 海 こ そ は、 山 な がら かく も 現 しく 、 海 な が ら然 かも た ゞな ら め、 人 は花 物 ぞ室 蝉 の世 人 (卷 + 三)
か や う に 悠 久 な る 自 然 に 野 す る時 、 本 當 に人 間 の 身 の弱 く 脆 き を 覺 つた の で あ る。 そ し てそ の悠 久
,
の
な る 自 然 の 中 に も 花 の散 り 易 き を 見 、 月 の 滿 ち 缺 け す る の を 眺 め て は 、 更 に 入 間 の 常 な き を 嘆 せ ざ る
を 得 な か つた 。
世 の中も 常 にし あ ら ねば 宿 に泌 る櫻 の花 の散 れ る 頃 かも (卷 八)
⋮-嘆 く 花 も 時 に移 ろ ふ現身 も常 な くあ り け り ⋮ ⋮(卷 十 九)
世 の中 は室 し き も の とあ ら ん とそ 此 の照 ろ月 は滿 ち 缺 け し ける (卷 三)
こも りく の泊 瀬 の山 に照 ろ月 は 滿 ち缺 けし てを 人 の常 な き (卷 七) ,
みなわ
卷 向 の山邊 ど よ み て行 く 水 の水 泡 の如 し世 の人 我 は (卷 七)
年 月 裾未 だ 經 な く に飛 鳥 川 瀬 々ゆ渡 し し 石 橋 も な し (卷 七)
(此 の他 人 間 の淌 え易 き命 を 露 霜 に 比 し た歌 は 澤 山 あ る)
か く の如 く し て 、 彼 等 の 思 想 は 無 常 觀 を 教 へら れ て 、 老 ぞ悲 し む 心 か ら や が て 死 を 悲 し む 心 と も な
つ た の で あ る 。 老 を 悲 し む 心 は 自 分 自 身 の 廢 殘 の身 に對 す る 痛 切 な 悲 し み で あ b 、 死 を 悲 し む 心 は 去
b に し 入 に封 す る 距 離 の あ る 悲 し み で あ る。 し か も そ の死 は や が て 自 分 の 身 の 上 にも 廻 つ て 來 る事 で
あ ら う。
13
蓋 聞 四生 起 滅 。 方 一
.
夢 皆塞 殉 三界 漂 流 、喩 二環 不 ラ息 。 (卷 五) 1
上 代 丈 學
國 文 學 襍 論
籥 假A.之身易・
球 施 沫之蘿 .駐。所以重 昊
憂 不・留、況乎凡愚微喬 能逃避。(
卷五) '
叫
現 身 の (
卷 三 ) 1
世 は 常 な し と 知 る も の タ 秋 風 塞 む み 忍 び つ る かも
⋮ ⋮現 身 の假 航る 身 な れ ば 露 霜 の淆 ぬ る が如 く ⋮ ⋮(卷 三)
常 盤 な ろ石 屋 は 今 もあ り け れ ど 住 み け る人 ぞ常 な か り け る (卷 三)
⋮ ⋮逝 く 水 の歸 ら ぬ如 く 吹 く風 の見 え ぬ が如 く 跡 も な き世 の人 に し て ⋮ ⋮ (卷 十 五)
まナらを
世 の中 の常 なき 事 は知 るら む 勘ご ゝろ ・盡 く す な 丈夫 に し て(卷 十 九 )
移 りゆ く 時見 る毎 に 心痛 く 昔 の人 し 思 ほ ゆ る かも (卷 二十 )
い さ な 取 り 海 や死 にす る 山 や死 にす る死 ぬれ こ そ海 は潮 干 て山 は枯 れ す れ (卷 十 六)
夏 に 叉 國 民 に 無 常 觀 を 教 へ る の に有 力 な る 動 機 と な つ た も の は 病 氣 の 苦 痛 で あ る。醫 術 も 進 歩 せ す 、
す べ て に 不 自 由 で あ つた 當 時 に あ つ て は 、 病 氣 に か 丶 る と 非 常 な 苦 痛 を 昧 ひ 身 も 心 も 弱 く し た 事 で あ
ら う 。 か う い ふ 病 氣 は 現 世 的 快 樂 の大 いな る 障 害 で あ る。 上 代 入 の 無 常 觀 は こ 丶か ら も 出 て ゐ る。
卷 五 、沈 レ痾 自 哀 文
V 卷 五、 老 身 重 病 經 v年 辛苦 及 思 二兒 等 扁
歌
レ
レ 卷 五、 悲 .
一
歎 俗 道假 合 帥 離 易 V去 難 ジ留 詩 一首 並 序
卷 十 七 、 忽 沈 二枉 疾 一
殆 臨 二泉 路 一
仍 作 二歌 詞 一
以 申 二悲 緒 一一首 並 短 歌 馳
世 の中 は數 な き も のか 春花 の散 り の ま が ひ に死 ぬ べき おも へば (卷 + 七)
次 に 無 常 を 戚 じ さ せ た の は 、 當 時 頻 々 と 行 は れ た 遷 都 で あ る 。 太 古 の 簡 易 な 皇 居 の營 ま れ た 時 代 は
兎 に 角 、 今 迄 嘆 く 花 の匂 ふ が 如 く 榮 え て ゐ た 帝 都 が 、 他 所 に 移 さ れ た 後 の荒 廢 し た 有 樣 、 普 を 懷 ひ 合
を 眺 め る 時 如 何 に 世 の は か な い事 を 覺 つた で あ ら う か 。
世 の中 を 常 な きも のと 今 ぞ 知 る奈 良 の都 の移 ろ ふ見 れ ば (卷 六)
な づ き に し奈 良 の都 の荒 れ行 けば 出 で立 つ毎 に嘆 き し ま さ る(卷 六)
最 後 に あ げ て お き た い の は貧 乏 に苦 し め ら れ る 事 で あ る。 當 時 の貧 民 の状 態 は 卷 五 の 憶 良 の貧 窮 問
答 の中 に よ ぐ 描 か れ て ゐ る。 此 の や う な 貧 乏 も 亦 現 世 的 享 樂 を 欲 す る も の に 取 つ て は 殊 に 苦 痛 を 戚 す
る 所 で あ る。
以 上 の 樣 な 種 々 の 心 持 が 我 が國 民 を 佛 教 思 想 に導 く に有 力 な る 動 機 と な つ た に相 違 な い。 か や う に
し て 無 常 觀 と い ふ 事 が 國 民 の 問 に 侵 潤 し て 來 れ ば 、彼 等 の問 に は 一層 無 常 を 悲 し む 心 が高 ま る と 共 に 、
叉 長 壽 を欲 す る 心 も 強 く 起 つた 事であ ら う。
15
卷 1
十九 、悲 二世 間 無 ウ常 歌
上 代 丈 學
國 文 學 襍 読
世 の中 を何 に譬 へん朝開き漕 ぎにし船 の跡なき如 し(
卷 三)
世 の中は筌 しきも のと知 ろ時 し いよよ釜 々悲 しかりけり(
卷 五)
み
水 つぼなす假れ る身ぞとは知れれども獪 し願 ひ つ千代 の命を(
卷 廿)
か や う な無 常 觀 が高 ま つて は途 に出 家 し て、佛 道 を修 行 し 、 之 ら の苦 し みか ら逃 れた いと 思 ふ のは
當 然 であ る。
現身 は數 なき身なり山川 のさやけき見 つゝ道を尋 訟た(
卷 廿)
渡 る日 の影 に競ひ て尋 ねてな淨 きそ の道 復も會 はむ爲 め(
卷廿)
無 論 之 程 に佛 教 思 想 が勢 力 を占 め て來 る ま で に は非 常 な年 月 を要 し て ゐ る。 此 の歌 は天 平 元 年 六月
﹁
十 七日 に大 件家 持 の作 つた歌 で、 萬 葉 集 の最 後 の方 に載 つて ゐ る。 か や う にし て出 家 を 欲 す る心 はあ
b な がら も 、省 國民 に固有 の現 世 思想 を除 く 事 が出 來 な か った。 上代 入 には眞 の厭 世 思想 が湧 か な か
つ た。 外 來 思 想 と 固 有 思 想 と の眞 の同 化 は平 安 時 代 に至 つ て出 來 た の で、 萬 葉 時 代 には そ の 二 つ の思
想 の爭 鬪 の影 が濃 い。 出 家 を欲 し な がら妻 子 の事 が 思 は れ てそ れ も出 來 す、 或 ひ は 一端 出 家 し ても再
び戀 の奴 隷 と な る。 之 が當 時 の入 の 心 で あ つた。 良 岑 宗 貞 の僭 正遍 照 や、 佐 藤叢 清 の西行 法 師 の如 き
入 は萬 葉 時 代 に は到 底 現 れ る事 は出 來 な い。 刈 萱傳 詮 の如 きも 亦 生 れ る事 は出 來 な か つた の であ る。
Ilb
●
丶
すべもなく苦 しく あれば出 で走り往ななと思 へど兒等にさやりぬ(
卷五)
世 の中キ憂 しとやさし涛思 へども飛び立ちかね つ鳥 にしあらねば(
卷 五)
世 の中を憂 しと思 ひて家出 せし我 や何 にか却りてならん(
卷十 三)
此 の始 め の 二首 は 山上 憶良 の歌 で あ る。 彼 の歌 や漢 詩 文 には 佛教 の影 響 が可 成 b に多 い。 併 し 木 の
端 の や うな と言 はれ る出 家 は 人間 味 の豐 か な彼 のよ く な し 得 べき所 で は な い。 彼 の佛 敏 は畢 竟彼 自 身
一
一
衆生 一
如二
羅 喉羅殉 叉詮愛無v過v子・ 至極大 聖徇有二愛レ子之心刈溌寧慂除昏坐謹恥
の 思想 の外 夕出 でな い。 佛 教 思想 を借 b來 つて自 己 の 思想 に都 合 よく あ て は め る の であ る。
V 釋迦如來金 ロ正読・等思
む
む
む
v愛レ子乎。 (
卷 五)
此 のや うな 固 有 思想 と外 來 思 想 と の錯雜 は徇 沈 痾 自 哀 文 に於 いても 見 る事 が出 來 る。
V 所以禮 二
拜 三寳殉無二日不 ウ
勤。敬 二
重 百沖殉鮮 一
一
夜有ツ
闕 。(
卷 五)
外 來 思 想 の傾向 の最 も多 い彼 も途 に日 本 人 た ら ざ るを得 な か つた。 而 し て佛 教 を 觀 る事 な ほ禪吐 教
タ崇 拜 し た と 同樣 の心持 であ つた事 は 、他 の入 々の間 に於 いて も亦 憶良 と同 じ であ つた で あ ら う。
佛 教 思 想 の輸 入 は 上 代 入 の未 來 觀 を 變 す る に至 つた。 現 世 を穢 土 と し て 、極 樂淨 土 を 未 來 に求 め る
の は佛 教 の敏 ふ る所 で あ る。 か や う な 思想 を そ のま 丶に詠 んだ 歌 や 詩 が集 中 にも見 え る。
上 代 交 學
III
國 丈 參 霪 詭
て至 ら ん國 のた づ き 知 ら す も (卷 十 六)
生 死 の 二 つの海 を厭 はし み 潮 干 の山 を 忍 び つ る かも (卷 十 六)
世 の中 の繁 き假 庵 に佳 み く
愛 河 波 浪 己 先 滅 苦 海 煩 惱 亦 無 レ結 從 來 厭 二
離 此穢 土 一 本 願 託 二生 彼 淨刹 一(卷 五)
併 し な が ら 此 の 未 來 觀 は 極 め て瞹 昧 な も の で あ る 。 恐 ら く 當 時 の 一般 の 人 は 、 一部 の 僭 侶 な ど を 除
い て は 、 極 樂 淨 土 に 就 い て は は つ き り と し た 觀 念 を 持 つ て ゐ な か つた で あ ら う 。 極 樂 淨 土 は或 時 は黄
泉 の國 と も 戚 じ ら れ 、 或 時 は 固 有 思 想 な る 、 天 に あ る靈 の 國 と も 考 へら れ た で あ ら う。
まひ
若 け れ ば道 行 き知 ら じ賂 は せ ん下 邊 の使 ひ負 ひ て通 ら せ (卷 五)
布 施置 き て我 は 請 ひ のむ欺 かす た じ に騨 行 き て天 路 知 ら し め (卷 五)
佛 敏 思 想 が 國 民 に 未 知 の 世 界 を 開 い た 大 い な る 影 響 は 前 世 の 觀 念 で あ る。 死 後 の 世 界 が あ る と 共 に
生 前 の 生 活 が あ る 。 入 間 は 決 し て 偶 然 に 此 の 世 の中 に出 て來 た の で は な い。前 世 の 生 活 に 連 絡 が あ る 、
因果 關 係 があ、
る。 か う い ふ 考 へ方 は 日 本 入 に は 全 く 考 へら れ な か つ 陀 所 で 、 確 か に國 民 の 思 想 に 一大
變 化 を 與 へた 事 で あ ら う 。
㊧
人 と な る 事は 難 きを わ く ら は に成 れ る我 が身 は ⋮ ⋮ (卷 九)
わ くら は に人 と は あ る を ⋮⋮(卷 五)
II$
尚 最 後 に 一言 し て おき た い のは卷 三 にあ る柿 本 人 麼 の歌 、
も のゝふの八十宇治河 の網代木 にいさよ ふ波 の行方 知 らすも
の解 であ る。 此 の歌 は代 匠 記 を 始 め最 近 の次 田 潤 氏 の新 講 に至 る ま で、 何 れ も皆 一種 の無 常 觀 を 寓 し
た歌 と解 し て ゐ る。 た .
ゝ鹿 持 雅澄 が其 に反 封 を と な へて、
井 上博 士 の新 考 も そ の詮 に同 じ て ゐ る が、
私
も此 の古 義 の解 に賛 し て、 無 常 觀 を寓 し た も のと は解 釋 し な い。 靜 寂 哀 愁 の氣 持 はあ る が決 し て佛 教
的 な 無常 と いふ威 じ ま で に は逹 し て ゐな い。 人麼 の歌 は挽 歌 よb臨 終 の時 の歌 に至 るま で 一つも さ う
いふ 氣持 の歌 は な い。 彼 は純 粹 に 日本 的な 詩 入 であ つた。 純 粹 に國 民 思想 を歌 つた 詩 入 で あ つた。 此
莊
思
想
の歌 は 同 じく 卷 三 に見 え る彼 の覊 族 の歌 や ﹁近 江 の海 夕 波 千 鳥 ﹂ の歌 に對す ると 同 じ氣持 を持 つて解
す べき で あ る。
二 、老
老 を 悲 し む 心 が 入 間 の問 に本 然 的 に起 る事 は既 に述 べた。 此 のや う な 嘆 き は同 時 に い つ迄 も若 く 、
いつ迄 も 生 き る事 を望 む や う に な る。 世 の常 な き を覺 る よ り も 、 長生 不老 を 夢 み る方 が日 本 的な考 へ
19
方 で あ る。 1
上 代 文 學
國 丈 墨 褸 詭 .
河 の上 のゆ つ岩 村 に草 むさす 常 にも がも な 常 處 女 に て(卷 一)
ぎさ
我 が命 も常 に あら ぬ か昔 見 し 象 の小 川 を行 き て見 む爲 め(卷 三)
か く し つ ゝあ らく を よ み ぞ玉 極 る短 き 命 を長 く ほ り す る(卷 六)
春 草 は 後 に移 ろ ふ巖 な す 常磐 に いま せ釁 き 吾 が君 (卷 六 )
沼 名 町 の底 な る 玉 求 め て得 し玉 か も拾 ひ て得 し 玉 か も あ た らし き君 が老 ゆ ら く惜 し 本 (卷 十 三)
同 時 に か く の 如 く 長 生 不 老 を 求 め る 心 に は 、 支 那 の仙 藥 の 傳 説 は 甚 だ 歡 迎 せ ら れ た に 相 違 な い。
レ 若 二夫 群 生 晶類 ↓
莫 v不 下皆 以 二有 レ盡 之 身 一並 求 ゆ無窮 之命 二。所以 道 人 方 士 自負 二丹 經 凶入二於 名 山 凶而 合 レ藥 之 者 、
養 レ性 怡レ禪 以 求 二長 生 刈(卷 五)
し わ が盛 り いた く 降 ち ぬ雲 に飛 ぶ藥 は む と も 又 を ちめ や も (卷 五) 愚
レ 雲 に飛 ぶ藥 は むよ は 都 見 ば いや し き 吾 が 身 叉 を ち ぬ べ し (卷 五)
古 へゆ 人 の言 ひ く る老 人 の お つち ふ水 ぞ 名 に負 ふ瀧 の瀬 (卷 六)
天 橋も 長 く も が も高 山 も 高 く も が も 月讀 の持 た る を ち 水 い取 り來 て君 にま つり てを ち得 てし が も (卷 十 三)
天 な る や日 月 の如 く 吾 が思 へる君 が 日 に け に老 ゆ ら く惜 し も (同 反歌 )
我 が手 本枕 か ん と 思 は ん 丈夫 は を ち水 求 め白 髪 生 ひ にた り (卷 四)
IZO
、
(以下 二首 武 田 砧 吉 氏 の訓 に よ る)
白 髪 生 ふる こ と は思 はす を ち水 は か にも か く に も 求 め て行 か ん (卷 四)
か・
りい ふ 思 想 を 持 つ て ゐ る 入 間 は 二 つ の方 面 に進 む の で あ る。 一つ は 幻 滅 の 悲 哀 を 昧 つ て極 度 に 悲
觀 し た 心 持 に 陷 る か 、 或 ひ は 樂 天 的 な 空 想 の 中 に い つ迄 も 樂 し い夢 を 描 い て 生 き て ゐ る の で あ る。 現
世 的 に し て 樂 天 的 な 我 が 國 民 は 後 の 經 路 を 取 つ て 、 こ 丶 に 支 那 の禪 仙 思 想 を 取 b 入 れ る に 至 つた 。 集
中 禪 仙 の歌 は 可 成 多 い。
卷 三 .仙 柘 枝 歌 三首
二於 松 浦 河 み 歌
卷 五 、梧 桐 日 本 琴 の歌
レ 卷 五 ・遯
卷 九一 詠 二水江 浦 島 子 一の歌
卷 十 六 、 竹 取翕 の歌
海 原 の遠 き渡 りを み やび を の遊 ぶ を見 む と な つ さひ そ來 し
右 一首 、 書 二白 紙 '懸 二著屋 壁 一也 。 題 云、 逢 莱 仙 媛 所 レ作 嚢 蘰 爲 二風流 秀 才 之 子 '
矣 。斯 凡 客不 レ所 二望 見 一哉
(卷 六)
上 代 文 學
121
國 文 學,襍 論
天 ざ か る 鄙 のや つこ に天 人 の斯 く戀 すら ば 生 け る し る しあ り (卷 + 八)
桃 源 通 レ海 泛 二仙 舟 一(卷 十 七) '
此 の紳 仙 思 想 は 更 に 進 ん で 、 山 に仙 入 が住 ん で ゐ る と い ,淋事 も 信 じ ら れ るや う に な つ た 。
足 引 の山行 き し か ば 山 人 の我 に得 し め し山 つ とそ これ (卷 督 )
足 引 の山 に行 き け む 山 人 の心も 知 ら ぬ山 人 や誰 (同 、 和 歌 )
と こし へに夏 冬 行 け や 皮 衣 勗 放 た ぬ 山 に 住 む 人 (卷 九 、 詠 二仙 人 形 一
)
こ の歌 に 詠 ま れ た 仙 入 は 男 性 で あ る が 、 前 に あ げ た 仙 境 に 住 む 仙 入 は 女 性 で あ る。 即 ち か く の 如 き
仙 境 は 美 し い女 入 が多 く 住 ん で ゐ て 、 色 々 の (主 と し て 肉 體 的 )快 樂 が 盡 く さ れ る所 で あ る と考 へ て ゐ
た 事 は 、 前 に あ げ た 歌 に よ つ て も 分 る。 此 の 仙 境 は 叉'
永 久 に 生 き 永 久 に老 いす 、 老 入 を も 若 返 ら せ る
所 であ つた ら う。
吾 妹 子 は常 世 の國 に佳 み け らし 昔 見 し より を ち まし に け り (卷 四 )
以 上 は集 中 の紳 仙 思 想 を 含 め る 歌 の 大 體 で あ る が 、 此 の 思 想 の 流 逋 に 力 の あ つ た も の は 張 文 成 の遊
遊 仙 窟 日 、 九泉 下 人 一錢 不 直
仙 窟 の讀 ま れ た事 であら う。 山 上憶 良 の沈 痾 自 哀 文 にも 、
し
ケ
122
と 記 し てゐ る。 但 し憶 良 は此 の遊 仙 窟 の語 を借 り イ 卍
杢 岬現 し て ゐ る の であ る。
引 用 せら れ てゐ る が、 そ
神 仙 思想 は老 莊 思 想 から 由 來し た も の で あ ると い ふ。 そ の老 莊 思想 は萬 葉 集 に現 れた所 によ れば 、
我 が國 民 思想 に影響 を 與 へる所 は 少 か つた 。 憶 良 の文 中老 莊 の言 は し ばく
れ は 却 つ て 佛 教 思 想 殊 に無 常 觀 を 現 す や う な 句 を の み 引 用 し て ゐ る。
む
り
方一
一
夢 皆室 凶﹁莊 子﹂
つ り
り
つ
過 レ
隙 之駒 ﹁莊 子 ﹂
む
り
在 v世 大 患 ﹁老 子 ]
む む
む
む
り
吾 以 二身 巳穿 レ俗 、 心 亦 累 ︾塵 。 欲 V知 二禍 之所 V伏 、崇 之 所ジ隱 ﹁老 子﹂
む
む り
若 二夫 群 生 品類 '莫 レ不 下皆 以 二有 レ盡 之身 一並 求串無窮 之命 上,莊 子 ﹂
む
む
撃 目 之 間 ﹁莊 子 ﹂
之 等 何 れ も 老 莊 の 思 想 に觸 れ て 用 ゐ ら れ た る も の で は な い。 老 莊 の無 爲 自 然 の 思 想 を そ の ま 丶 に よ
ん だ 句 は 懷 風 藻 に 見 え る だ け で あ る。
文 藻 我 所 難 莊 老 我 所好 行 年 己過 牛 今 更 爲 何 塋 (越 智 廣 江 )
代
丈
學
萬葉集では次の青 が見える・ 上
●
瑠
國 文 學 襍 説
心 を し 無 何 有 の郷
に置
き
た ら ば 藐 姑 射 の 山 を見
ま
く
近
け
ん (卷
十
六
) 忽
併 し 之 も 結 局 神 仙 思 想 の 方 に 近 い の で 、 老 莊 思 想 の眞 諦 に ふ れ た も の で は な い。
老 莊 思想 は種 々に變 化 せら れ て、享 樂 思想 現 世 思想 に結 び つけ ら れ た。 大 件 放 入 の讃 酒歌 に於 け る
竹 林 七 賢 人 の 如 き も 亦 そ の 一つ で あ る。
古 への 七 の賢 き人 ど も も 欲 り せし も のは 酒 にし あ る ら し (卷 三)
如 何 に自 分 に都 合 の い 丶様 に 曲 解 せ ら れ て ゐ る か が 分 る。 故 に 山 上 憶 良 は 卷 五 の 令 レ反 二惑 情 一歌 の
序文 で℃
或 有 レ人知 γ敬 二父 母 ↓忘 二於侍 養 ↓不 V顧 二妻 子輔 輕 二於脱 履 刈 自 稱⋮
二異 俗 先 生 崎 意氣 雖レ揚 二青 雲 之 上 輔身 體獪
在一
塵 俗 之 中殉 未 v驗 二修 行 得 道 之 聖幻 蓋 是 亡 二命 山澤 一之 民 。 所 以 指 三不三綱 一
更 開 二丑轂 幻
と 憤 慨 し て ゐ る 。 即 ち 憶 良 は 老 莊 の 無 爲 自 然 の教 を 排 し て 、 寧 ろ 佛 を 貴 び 儒 を 重 ん じ た の で あ る。
をリ へ
久 方 の天 路 は遠 し な ほ く に家 に歸 り て業 をし ま さ ね
と も誡 め てゐ る。 併 し な がら .
そ れ は作者 憶 良 の個 性 よ b出 た彼 自 身 の思想 で あ つて、當 時 の ︼般 入 士
の 思想 で はな か つた。 寧 ろ此 の文 によ つて當 時 何 れ程 世 人 の問 に老 莊 思想 が浸 潤 し てゐた か が分 る。
政 府 でも 此 の思 想 を 排 し て大 學 の敏 科 書 で は老 莊 二家 の書 を用 ゐ な か つた。 し か も民 間 に は政 府 の方
針 に 反 し て其 の 思想 が次 第 に力 を得 つ 丶あ つた の で は あ る ま いか。 さ うし てそ れ は徒 ら に清 談 に ふけ
る か室 想 に遊 ぷ位 の淺 薄 な 思想 であ つた ので あら う。 故 に儒 教 的傾 向 の強 い憶良 は憤 慨 し て此 の 一歌
、 地 な ら ば大 君 いま す 、 此 の 照も す 日 月 の下 は 、 天 雲 の向臥 す 極 み ,谷 ぐ ゝの さ
を な し た の であ ら う が 、 そ の憶 良 は ま た 、
天 へ行 かば な がま に く
を
渡 る極み、きこし食 す國 のまほらぞ
と云 つて居 る所 を 見 ると 、 矢 張 り 本 當 の日 本 思想 を持 つ て ゐ る入 であ つた。 彼 が儒 教 を 貴 ん だ のも 、
此 の日 本 思想 に共 鳴 す る所 だ け を 取 つた ので 、彼 の常 に いふ言 葉 は 三綱 五 教 (此 の文 及 び悲二歎 俗 道 假
合 即 離 易レ去 難ジ留 詩 の序) よ り他 には出 で な いの で あ る。 儒 教 の影響 を 受 け る所 が多 いと言 はれ てゐ
教
思
想
る彼 も 、 結 局 我 が國 民 の固 有 思 想 の他 には出 で なか つた の で あ る。
三、儒
老 莊 思 想 は 未 だ幾 分 か我 が國 民 に共 鳴 せ ら れ る所 があ つた。 紳 仙談 の如 き は そ の 一で あ る。 叉 後世
に長 く 行 は れ た出 家 脱 俗 の生 活 の如 き も佛 教 思想 と共 に老 莊 思 想 の影 響 があ る の では あ る ま いか。 藐
姑 射 の山 と か 仙 洞 御所 の如 き名 稱 も生 じた の であ る・ 併 し我 が國民 性 に適 合 す る事 の最 も少 く ・從 つ 瑪
上 代 丈 學
'
國 文 學 襍 読
て そ の 思 想 を 受 け る事 の最 も 少 か つ た も の は 儒 教 圭 義 で あ る。 儒 教 思 想 の萬 葉 の 歌 に 見 え て ゐ る も の
は、
古 への賢 き 人 も後 の世 のか た み に せ ん と 老人 を 邊 り し 車 持 ち歸 り來 し(竹 取翕 の歌 、 卷 十 六)
し 卷 五 .令 レ反 二惑情 歌
卷十八、⋮
教二喩史 生 尾 張 少 咋 一歌
孔子 の語 を 引 いた ま で の事
位 の も の で あ ら う。 併 し 父 母 を 尊 み 、 妻 子 を 愛 す る と い ふ の は 、 入 間 に 共 逋 の自 然 の 戚 情 よ b 生 じ た
も の であ つ て、決 し て儒 教 思想 のみ に特 有 のも の と は言 へな い、 た ま ー
で、 そ れ は儒 教 思想 の眞 諦 に ふれ た も の では な い。 之 等 は外 來 思想 で はな く て自 然 の威 情 であ る。
龍 の馬 も今も得 てしか青 丹よし奈良 の都 に行き て來 んため(
卷 五)
龍 の馬 は周 禮 よ b出 でた 語 であ る が、 此 の歌 は大 件 族 入 の作 であ るだ け に、
紳 仙 思想 の傾 き が多 い。
山 上 憶良 の儒 馴 風 想 も寧 ろ國 民 本 來 の思 想戚 情 の他 に出 て ゐな いの であ る。 儒 敏 思想 に つき も の の煩
瑣 な道 徳 觀 や禮 式 論 は少 し も 集 中 にあ ら は れ てゐ な い。 之 によ つても 儒 教 思想 が多 く の影響 を 與 へな
か つた事 が分 るσ 大 賓 令 を見 る に其 は 殆 ど唐 令 の摸 倣 であ つて、 儒 敏政 策 によ つたも の であ る。 大 學
で 用 ゐ る教 科 書 も 亦周 易 省 書 周禮 儀禮 禮 記 毛 詩春 秋 左 氏 傳 孝 經 論 語 の如 き も ので あ つて、 そ れ等 の書
、
x26
中 の語 は 一部 の入 によ つてし ば し ば 引 用 せら れ ても 、結 局 そ の 思想 は大し た 影響 を與 へな か つた。 上
の摸 倣政 策 は必 す しも 民 間 に受 け 入 れ ら れ は し な か つた の であ る。 平 安 朝 時 代 に は大 學 が次 第 に衰 亡
し て行 つ て、大 學 の博 士 は宮 廷 貴 族 の問 に頑 愚 の標本 とし て飜 弄 せら れ 紀。 鎌 倉 時代 は儒 教 の最 も衰
へた 時期 で 、 室町 時 代 に至 り 、 宋 學 の渡 來 傳 播 に俘 ひ 、稍 そ の勃興 を見 、 徳 川時 代 に至 つて幕 府 の積
極 的 な獎 勵 によ b大 い に隆 盛 と な つた ので あ る。
最 後 に述 べ て おき た い のは讖 緯 思想 で あ る。 之 は多 分 易 よ b出 でた所 が多 いと 思 ふ。 そ の 一は 五行
説 であ る が、集 中 五行 説 の詠 まれ た 歌 はな い。 た ゴ文字 に金 と書 いて﹁ニシ﹂と か ﹁ア キ﹂と か讀 ま せ る
、事 があ る の で、す で にそ の 思想 の可 成 b行 は れ て ゐた事 を 知 る が、 左程 實 生活 と は關 係 がな か つた の
で あら う。 之 が國 民 の生 活 に大 いな る 力を 持 つやう にな つた の は、平 安 時代 にな つてか ら の事 であ る。
そ の 二 は祚 瑞 思想 であ る が、 之 は 上 代 人 の問 に甚 だ 信 仰 せら れ た。 併 し鮮 瑞 を 喜 ぷの は 一般 に人 間 の
支 那 思想 の鮮 瑞 詮 が結 び つ いた ので 、 そ の形 は異 な る が、 思 想 内 容 に至 つ ては全 く 同 一であ
問 に共 逋 の戚 情 であ る。 我 が國 固 有 の民 間 信 仰 な る種 々の占 の類 も同 じ考 へのも と に生 じた。 そ れ に
た まー
る 。 今 萬 葉 集 中 の支 那 傳 來 と 思 は れ る 鮮 瑞 思 想 の歌 を あ げ て 見 る と ︾
上 代 文 學
我 が國 の常 世 にな ら ん文 負 へる あや し き 龜 も新 代 と泉 の 河 云 々(卷 一)
X27
國 文 學 襍 読
四 、結
しるし
9
12$
祚 な が ら 我 が大 君 の天 の下 治あ 給 へば ・
.
・⋮ 古 へゆ 潅 か り し 驗 度 ま ね く 申 し 給 ひ ぬ (卷 + 九 )
位 のも の で あ らう。.
O
等 、 我 が 國 民 の 共 鳴 し 得 る所 だ け を 受 け 入 れ た の で あ る。 之 を 要 す る に 萬 葉 集 中 に 現 れ た 外 來 思 想 の
の は平 安時 代 にま で下 らな け れ ばな るま い、其 も 天 台 眞 言 宗 に よ る佛教 思想 や、藤 仙 思 想、 讖 緯 思想
す べ て の 文 化 に 對 し て も 言 へる の で あ ら う 。 そ の 眞 の 同 化 、 民 間 に 迄 そ の 影 響 を 及 ぼ す や う に な つた
有 思 想 を 持 つ て、 そ の 外 殼 に將 來 思 想 を 被 は せ た 作 品 が 若 干 あ る の み で あ る 。 此 の 事 は 奈 良 朝 時 代 の
そ の作 品 を よ く 解 剖 し て見 る と 、 そ の中 に本 來 の國 民 思 想 が 横 は つ て ゐ る 事 を 見 出 す 。 即 ち 中 心 に固
件 族 人 の神 仙 思 想 、 大 件 家 持 の 佛 教 思 想 の 如 き は そ の 著 し き も の で あ る。 し か も 之 等 の 二 三家 と 雖 も
純 粹 の 民 間 思 想 に は 何 等 の 交 渉 を も 持 つ て ゐ な い と い ふ 事 で あ る 。 山 上 憶 良 の 一 ' 、 発 罍 把雍 、 大
こ 丶 に 付 け 加 へ て置 き た い事 は 、以 上 の 外 來 思 想 の 影 響 を 受 け た 作 家 は 大 抵 二 三家 に 止 ま つ て ゐ て 、
れ は 直 接 思 想 の問 題 と 關 係 が な い か ら す べ て考 察 を 略 す 。
以 上 大 體 そ の歌 を あ げ 盡 し た 。 之 等 の 他 、 漢 語 や 故 事 の引 用 せ ら れ た も の が 集 中 に多 い が ・ 併 し そ
罍口
口
玉
歌 は全 體 の歌 數 よ b す るも甚 だ 少 く て・著 し い影 響 を 受 け た も のと は 認 め ら れな い ので あ る。 故 に外
來 思想 の模倣 時 代 であ るとし て も 、 そ の 一般 入 士 に與 へた影 響 は 極 め て僅 少 な るも ので あ ると いふ 事
が言 は れ る であ ら う。 思 ふ に外 形 は 觀 易 く し て内 容 は會 得 し難 い。 物質 文明 の模 倣 は盛 ん に行 は れ た
が、 そ の精 禪 文 明 に至 つ ては 邦 人 には 未 だ解 せら れな か つた の であ る。 從 つ て之 を享 け 容 れ た詩 入 は
殆 ど 絶 無 に近 い。 之 によ つ て觀 れば所 謂 物質 文 明 の盛 行 と 雖 も 、 之 を 眞 に理解 し眞 に悟 了 し得 た も の
嘆 と云 き
、
.で あ ら つ。 (
大 正 十 二 年 一月 稿
下編大正十五年三月改訂)
は な か つた の で あら う。外 形 の模倣 に馳 せ て精 紳 を 理解 す るも の の少 き は今 日 の文明 に於 い ても 同 じ 、
ま さ に古 侖
附 記 一、萬 葉集 の民 聞信 仰 の 研究 、 民俗 學 的 研究 ぼ當 今 最 も 盛 とな つ て、 西 村 眞 次 氏 の ﹁萬 葉 集 の文 化
史 的 研 究 ﹂ や 、 川村 悗 磨 氏 の ﹁萬葉 集傳 詮 歌 考 ﹂ の如 き は、 そ の方 面 のま と ま つた 著 書 で あ る が 、諸 雜
誌 に散 見 す る も のも甚 だ多 い。 本 稿 の宗 轂 思想 の項 は そ れら によ つて補 は れ、 更 に精 密 に 研究 せら れ る
べ き で あ るρ
二 、藝 術觀 の項 の中 、音 樂 に 關 す る 事項 に つ いて は 、筆 者 の舊 稿 ﹁歌 謠 とし て の萬 葉 集 の歌 ﹂(萬 葉 學 論
纂牧 載 ) ﹁我 が國 上 代 の樂 器 に つ いて﹂ (
奈 良 文 化第 十 六號 所載 ) 等 を 參 照 せら れ た い。
三、 萬 葉 集 の和 歌 の訓 は 藤 村 作 博 士編 の ﹁頭註 校 訂 萬 葉 集 ﹂ に 從 つた 。
上 代 文 學
X29
序
國 文 學 襍 読
懐 風 藻 序 文 註 釋
︻註︼ ○ 序 孔 安 國 術 書 序云 、 序 者所 戛以序 晶作 者 之意 刈文 選 注 、濟 日 、 序 舒 也 舒酪其物 理一也 。.
逖 聽二前 修 輔遐 觀 一載籍而襲 山降 レ
蹕 之 世。橿 原 建 レ邦 之 時 。天 造草 創 。入 文 未レ作 。至 二於 紳 后 征レ玖 、品帝 乘7
乾 。百 濟 入 朝 。啓 龍 編 於 馬 厩 刈高 麗 上表 。圖 鳥 册 於 鳥 文刈王 仁始 導 二
蒙 於 輕 島 刈辰 爾終 敷 二
教 於譯 田舶途 使 下
俗
漸 二洙 泗之 風 司人 趨申齊魯 之 學ム
。 逮 二乎 聖 徳 太 子刈設レ爵分 レ官 。 肇 制二禮 儀 叩然而 專 崇 二釋 教司未レ遑 二篇 草 岡
'︻訓︼ ○ は る か に前 修 を 聽 き あま ねく 載籍 タ見 る に、襲 山 に蹕を 降 す の世 、
橿 原 に邦を 建 つる の時 、
天造 草創 、 入文 未 だ起 ら す。 禪 后坎 を征 し 品 帝 乾 に乘 す る に至 つて、 百 濟 は入 朝 し て龍 編 を 馬 厩 に啓
し 、 高 麗 は上 表 し て烏 册 に鳥 文 を 圖 す。 王 仁 始 め て蒙 を輕 島 に導 き 、辰 爾 終 に教を 譯 田 に敷 く。 途 に
俗を し て洙 泗 の風 に染 ま し め、 人を し て齊 魯 の學 に走 ら し む 。聖 徳 太子 に及 ん で雷 を設 け 官 を 分 ち、
肇 め て禮 儀を 制す 。 然 れど も 專 ら 釋 教 を崇 び て未 だ篇 草 に遑 あ ら す 。
IjO
︻註︼ ○ 逖 遐 共 に遽 の意 也 。
逖 は 楚 辭 九章 日 、
憚二
來者 之逖 逖 一
とあ り。 ○ 前 修 こ れも 楚 辭 離 騒 日 、
塞 吾 法 二夫 前 修 兮 。 先 哲 を 云 ふ な b。 ○ 載 籍 書 籍 に同 じ 。 史 籍 に て古 事 記 日 本書 紀 の類 を 指 す。
○ 襲 山降v蹕 之 世 日 本 書 紀 禪 代 卷 日 、 于 レ時天 皇 産 靈 尊 以も具床 追 衾 一
覆 二於 皇 孫天 津 彦 彦 火瓊 瓊 杵
奪 一使レ
降レ
之 、 皇 孫 乃 離二天磐 座 且 排 ㎞
分 天 八 重 雲 一稜 威 之 道別 道 別 而 天 二降 於 日 向襲 之 高 千穗 峰 矣 。
襲 山 と は 襲 の高 干穗 峰 の事 な り。襲 の高 干 穗 峰 に就 き て は、
﹁稜 威 道 別﹂に﹁此 は襲 .峰 と高 千 穗 と ニ ツ
な る が 一ッに混 じ て傳 へた る は後 に誤 れ る な り﹂と て 、
そ の襲 .峰 は霧 島 .
嶽 也 と云 へb。﹁日 本 書 紀 通
釋 ﹂ には國 名 と な せ b。 景 行 紀 に襲 國 と記 せ るを 思 へば通 釋 の解 し か る ぺし。 績 紀 延 暦 七年 條 には
曾 之 峰 と も 云 へば、 襲 山を 以 つ て霧 島 峰 と も なす べけ れど 、獪 こ 丶は紀 の本 文 によ b た るも のと 思
し け れ ば 、 襲 の高 千 穗 峰 と解 す る方 然 る べから ん 。 蹕 は神 武 紀 に於v
是火瓊瓊杵尊闢 一
天 開一披 一
雲路
駈 仙 蹕 以 戻 止 と あ も。 周 禮 、 掌 蹕 宮 中 之事 。 古 今 注 、 秦 制出 警 入 蹕 。 漢 官 儀 註 、 皇帝 輦 左 右 侍 鮎帷
幄 一者 稱v警出 レ殿 則 傳 レ蹕 止二行 人 剛
清 レ道 也 。 これ によ れ ば天 子 の出 行 を 云 ふ な b。 ○橿 原 建 レ邦 之 時
紳 武 紀 日 、觀 一
夫 畝 傍 山東 南橿 原 地 一
者 蓋 國 之 墺 區 乎 可レ
治レ
之 ⋮ ⋮辛 酉 年春 正 月庚 辰 朔 天 皇 即二
帝位於
橿 原 宮 岡○ 天 造 草 創 易 日 、 天 造 草 昧 。 之 よ b出 づ。 天 に造 ら れ 元 る自 然 物 を 稱 し て天 造 と云 へb。
易 の本義 に天 造 獪レ言 二天 蓮 一と あ る は い さ 丶か 違 へり 。 ○ 入 文 未γ作 易 日 、觀 二乎 入 文 一以化鴒成 天
上 代 丈 學
ICI
0
國 丈 學 襍 詮
下 輔入 文 と は 入 類 の 文 化 な b 。 作 は 起 と 同 じ 。 ○ 神 后 征 レ玖 禪 功 皇 后 紀 日 、 皇 后 ⋮ ⋮ 躬 欲 一西 征 二: 32
む む 遣 二磯 鹿 海 人 名 草 而 令 レ覩 數 日 還 之 日 、 西 北 有 レ山 帶 雲 横 紅 蓋 有 レ國 乎 ⋮ ⋮ 到 晒新 羅 明坎 は 易 の 語 、 方
角 に て は 正 北 を い ふ。 新 羅 は我 が 國 よ b 北 に あ る を も つ て 坎 と い へb 。 ○ 品 帝 乘 レ乾 古 事 記 日 、
む ホ ン
ダ ホシ
ホン
品 陀 和 氣 命 在 二輕 島 之 明 宮 一治 二天 下 一也 。 紀 に は 譽 田 天 皇 と 書 け b 。 應 神 天 皇 の事 な b 。 譽 品 訓 音 の
違 あ れ ど 通 じ て 用 ゐ た b 。 乾 、 之 も 易 の 語 な b 。 天 を い ふ 。 乘 v乾 は 帝 位 に 登 る 事 な b 。 帝 位 を も
つて 天 に 比 す る は 支 那 思 想 な b 。 (=
)百 濟 入 朝 紳 后 紀 應 帥 紀 に 百 濟 入 朝 の 事 數 多 記 せ b 。 ○ 啓 二 龍
日 二廐 坂 一也 。 阿 直 岐 亦 能 讀 二
經 典 輔即 太 子 莵 道 稚 郎 子 師 焉 。
編 於 馬 厩 脯 應 帥紀 十 五年 條 日、 秋 八 月壬 戍 朔 丁卯 、 百 濟 王 遣二
阿直岐 一
貢二
良 馬 二 匹 噛即 養 於 輕 坂 上 厩 司
因 以一
鮒阿 直 岐 一令 二掌 飼 叩故 號 自其 養 レ馬 之 處
龍 編 の 龍 は 奪 稱 な b 。 編 獪 レ言 二篇 章 一言 二書 籍 脯也 。 啓 は 言 ふ に同 じ 。 但 し 對 者 を 尊 敬 し 允 る 意 に用
ゆ 。 ○ 高 麗 上 表 圖 二烏 册 於 鳥 文 鰰 應 紳 紀 二十 八 年 條 日 、 秋 九 月 高 麗 王 遣 レ使 朝 貢 因 上 v表 。但 し こ 丶 に
圖 二烏 册 於 鳥 文 醐と 云 へる は 、 敏 達 紀 元 年 に 、 五 月 丙 辰 、 天 皇 執 二高 麗 表 疏 剛授 二於 大 臣 噛召 二
聚 諸 史 噛令 二
讀 解 .之 。 是 時 諸 史 於 開三 日 内 }皆 不 レ能 v讀 。爰 有 二船 史 祺 王 辰 爾 司能 奉 鞠讀 釋 輔由 v是 天 皇 與 二大 臣 輔倶 爲 二
讃 美 一日 、 勤 乎 辰 爾 、 懿 哉 辰 爾 。 汝 若 不 V愛 二於 學 一誰 能 讀 解 。 宜 昌
從V
今 始 近 二侍 殿 中 舶既 而 詔 二
東 西諸 史 嚇
日、 汝 等 所 レ
習 之 業 何 故 不 レ就 。 汝 等 雖 レ
衆 不 レ及 二辰 爾 刈叉 高 麗 上 レ表 書 二
于 烏 羽 殉字 隨 二刑 黒 舶既 無 一識 者 岡
辰 爾 乃蒸 晶珊 於 飯 氣 ↓ 以レ帛 印レ豺 、悉 寫 二其 字 喝朝庭 悉異 v之 と あ る に よ れ b。 この傳 説 は餘 程後 世 の
興 昧 を引 きた るが 如 く 、續 日 本 紀 卷 四 十延 暦 九年 の條 にも 、逮 矗于 他 田 朝 御 宇敏 達 天 皇 御 世 ↓
高麗國
遣v
使 上二
烏 豺 之表 輔群 臣諸 司莫 二之 能 讀 岡而 辰 爾 進 取 鰤其 表 ↓能讀 巧 寫 詳 奏昌表 文 一と あ b。 叉謠 曲烏 朋 に
も 作 ら る。王 辰 爾 の訓 は船 氏 墓 誌 に王 智 仁 とあ るを も つて ワ ヂ ニと訓 す べし 。 鳥 文 は、
呂氏春秋日 。
蒼 頡作 レ書 。 註 日 、蒼 頡 生 而 知v
書.
寫二
倣 鳥 跡 一以造 二
文 字 明故 に鳥 文 と は 文字 の事 なb 。 (
∪王 仁 始導 軸
蒙
於 輕 島 一應 帥 紀 + 六年 條 日 、春 二月 王 仁 來 之 、則 太子 莵 道稚 郎 子 師 レ之 、習 諸 典 籍 於 王 仁岡莫 V不二
通
逹輔故 所 レ謂王 仁 者 是書 首等 之 始 祀 也 。 輕 島 は 、 古 事 記 日 、 品陀 和 氣 命 坐 輸
輕 島 之 明宮 治 昌天 下 一也 。
O 辰 爾終 敷 轟教 於 譯 田 繭辰 爾高 麗 の上 表 文 を 訓 み て用 ゐら れ た る事 前 に註 す 。 敏 逹 紀 四年 條 日 .
是歳
命二卜者 一
占 晶海部 王 家 地 與二
絲井 王 家 地 輔卜便 襲 吉 。途 營 輔
宮 於 譯 語 田 岡是 謂 隔幸 玉宮 輔 譯 田 は ヲサ ダ と
訓 す。 ○ 漸 二洙 泥 之 風 一 漸 は染 に同 じ 。 洙 泗 之 風 、史 記 に孔 子 設 二
教 泗 洙 之 上↓修 詩 書 禮 樂 ↓
弟子彌至
と見 ゆ。 洙 泗 は共 に川 の名 。 こ 丶は 孔 子 の教 を 云 へるな り。○ 齊魯 之學 孔 子 は魯 の生 な れど も、そ
レ爵 分 レ官 推 古 紀 十 一年 條 日 、
十 二月 戊 辰 朔 壬申 、
の壯 年 時 代 に は 昭公 に從 ひ て齊冖
に赴 き 、齊 の景 公 に用 ゐ ら れた る事 あ れ ば、 齊魯 と熟 した るな る ぺ
し 。齊 魯 之 學 は即 ち 儒 學 な b。○ 逮 二
乎聖徳太子設
始 行昌冠 位 岡か く 見 え た れ ど 、
分γ
官 事 推 古 紀 に見 え す 。始 め て唐 令 によ b 官 を 分 てる は大 化 改 新 の 時
上 代 丈 學
133
國 交 學 傑 説
と 思 は る。 故 にご 丶に分 v官 と云 へる は恐 らぐ 設レ爵 に對す る 爲 めの潤 色 な る べし 。 ○肇 制二禮 儀 一
推 古 紀 十 二年 條 日 、夏 四 月 戊 辰 、皇 太子 親 肇 作 二憲法 十 七條 剛と あ b 。憲 法 十 七 條第 四條 日 、群 卿 百
寮 以レ禮 爲レ本 、 其 治v民 之 本要 二乎 禮 岡上 不レ禮 而 下 非レ齊 。下 無 レ禮 以必 有 レ罪 。 是 以 君臣 有 レ禮 位 次 不
γ
亂 。 百 姓有 V禮 國 家 自 治 。 ○ 專 崇二
釋 教 一 同 第 二條 日 、篤 敬 一
三寳 刈三寳 佛法 僭 也 。 則 四 生 之終 歸 、萬
國 之 極 宗 。 何 世 何 人非 レ貴 二是 法 岡入 鮮 、
尤 惡 岡能 敏二從 之輔其 不V
歸 一三簟 何 以直 V
桂 。 ○篇 草 篇 侭 一篇
の書 、
草 は 草 稿 なり。十 七條 の憲 法 を 制 す と 雖 も 未 だ書 籍 を篇 す る の暇 な し と云 ふ な り。 而 し てここ
に篇 草 と 云 へるは 圭 に詩 歌 文 章 など の藝 術 作 品 を い ふな る べし 。故 に此 の文 に績 いて近 江 朝 の時 に
文 學 興 隆 せ る事 を記 せ b 。 叉 推古 紀 二十 六年 の條 には 、
聖 徳 太子 國 史 を 編修 し給 ひ し事 見 え た れ ば、
若 し 此 の篇 草 を 只書 籍 と解 さ ん に は不 合 理 な る べし。 之 に依 つて詩 文 を 意 味 せ るも のと解 す べし 。
(
∪以上 の文 は、近 江 朝 以前 に於 け る文 學 來 由 の歴 史 を略 述 し て 、近 江 朝 の文 藝 興 隆 を 叙 す る序 とし
た るも のな b。 r
O大 意 、遞 く 古代 の事 に逋 じ た る賢 入 君子 の述 ぶる所 を聽 き 、 古 へよ b傳 は る多 く の史 書 を 讀 み考
ふ る に 、高 千 穗 峰 に天 孫 の降臨 ま し ま せ し 代、 叉神 武 天 皇 が橿 原 に帝都 を 定 め給 ひし 時 に は 、天 下
は未 だ草 創 の際 に當 つ て入 民 の文 明 極 め て低 か bき 。 然 る に神 功 皇 后 新羅 を征 伐 し給 ひ、 續 いて應
ISO
●
神 天 皇 の即 位 し 給 ふ に及 ん で、 百濟 よ b は種 々の賢 き 學者 入朝 し 、 就 中 阿 直 岐 は御馬 の飼 養 を 承 夢
た る が、 經典 に通 せ るを 以 つて皇 太 子 に經典 の講義 を申 し 上げ 、 叉高 麗 が 上表 文 を奉 れ る時 、烏 の
粥 に文 宇 を 記 せ る が、 王 辰 爾 の頓才 に よb てよ く讀 む事 を得 た b 。前 には王 仁 あ り て、 應 紳 帝 の時
ヲサダ
に輕 島 の宮 に於 い て經 書 に 不明 な る者を 教 へ導 き 、後 には辰 爾 あ b て譯 田 の宮 に於 い て敏 授 を な せ
b 。 か く て途 に世 の風 俗 は孔 子 の教 に染 み、 入 々も 亦儒 學 を學 ぶ に至 b 、人 文 大 い に起 れ b。 聖 徳
太子 の 御 代 に及 び ては欝 位 や官 職 を 分 ち 設 け ら れ 、始 め て憲 法 十 七 ケ條 な る禮 儀 の軌範 を定 め ら れ
た り 。 か く の如 く 制度 は整 ひ た れど 、 佛 教 を 專 ら貴 び て、未 だ 詩 文 に 心 を盡 す の暇 を有 せざ bき 9
0 こ れ迄 の 文 脹 を圖 せ ぱ次 の如 し 。
無 雛鹸難 磁瞬嚇]
﹂至
於
黶 纛 鹸轢 慧飢
蠶飜 逾
使
驫 爨
广
逮
乎爨 子讐 驫 爨
上 代 文 學
s35
國 文 學 襍 證
及 v至 軸
淡 海 先 帝 之 受7命 也 。 恢 開 隠帝業 司弘 闡 一
皇 猷岡道 格 二乾 坤 刈功 光 二宇 宙 幻既而 以爲。 調 レ風 化 レ俗 。莫
γ尚 昌於 文 輔潤 レ徳 光 レ身 。 孰 先二於 學蝿爰 則 建二庠 序刈徴 二茂 才 輔定二五 禮岡 興 二百度 叩 憲 章 法 則 。規 墓 弘 遶。夐
古 以 來 。 未二之 有 一
也 。 於v是 三階 平煥 。 四 海 殷昌 。旒 繽 無 v爲 。 巖 郎 多 v
暇 。旋 招 二文 學 之士 一
時。開 釐 醴
之遊 輔當 鷁
此 之際 輔宸 翰 垂レ文 。 賢 臣 献レ頌 。雕 章 麗 筆 。 非 二唯 百 篇 司但 時 經二亂 離 司悉 從二爆 燼端言 念二
潭滅 輔
輙 悼二
傷 懷百 レ
茲 以降 。詞 入 間出 、龍 潜 王子 翔二
雲 鶴 於 風筆 幻鳳 蓊 天 皇 泛`
月 舟 於 霧渚 刈神 納 言之 悲二
白髪ハ
刈藤
太 政 之 詠 二玄 造 叩騰 一
茂 實 於前 朝岡飛二英 聲 於 後 代輔
︻訓︼ ○ 淡 海 の先 帝 の命 を 受 く る に及 ん で、 大 いに帝 業 を 開 き 、 弘 く 皇 猷 を顯 はす 。 道 は 乾坤 を格
と し 功 は宇 宙 を 照 ら す 似既 に思 へらく ﹁風 を調 へ俗 を 化 ず る に は、 文 よb術 き は なし 。徳 を 増し 身 を
め
照 ら す に は孰 れ か學 に先 だ た ん﹂ と 。爰 に則ち 庠 序 を 建 て茂 才 を徴 し 五 禮 を 定 め百 度 を 興 す 。憲 章 法
こト
則規墓弘逡 、
夐 古 以來 未 だ 之 有 ら す 。是 に於 いて 三階 平 煥 四 海 殷 昌 。旒 繽 爲 す事 な く 巖 郎 暇多 し 。 や 丶
に文 學 の士 を招 き 、時 に置 醴 の遊 を 開 く 。 此 の際 に當 つて宸 翰 文 を 垂 れ 賢 臣頌 を 献 す。雕 章 麗 筆 唯 百
篇 の み に非 す 。但 し時 に亂 離 を 經 て悉 く 爆燼 に從 ふ。 こ 丶に湮 滅 を 念 ひ 、輙 ち傷 懷 を悼 む 。是 よ b 以
降 、詞 人 間 々出 づ。龍 潜 王 子 は雲鶴 を 風 筆 に翔 せ 、鳳 蓊 天 皇 は月 舟 を 霧渚 に泛 ぷ。 神 納 言 の 臼鬢 を悲
あ
し み、 藤 太 政 の玄 造 を詠 す る、 茂 實 を前 朝 に縢げ 、英 聲 を 後 代 に飛 ばず 。
z36
︻註︼ ○ 淡 海 先 帝 天智 紀 六年 條 日 、三月 辛 酉 朔 乙 卯 、遷鵡
都 乎 近 江輔先 帝 と 稱 へる に就 い て議 論 あ り。
書 紀 に は大 友 皇 子 を歴 代 中 にあ げ ざ れ ど も 、此 の序 に淡 海 先 帝 と 云 ひ て天 智 天 皇 の事 を 指 し た れ ば. ・
ま さ しく 大 友 皇 子 を 帝 位 に即 き給 へるも の とし て 、是 を し も 淡 海 後 帝 と も 申 し奉 れ るな る べし 。 か
く て大 日 本史 も 弘 文 天 皇 を 歴 代中 に入 れ た b。 然 れ ど も こ 丶 に喜 田 貞 吉博 士 の所 論 あ b 。繁 を厭 ひ
て今 これ を 略 す れど も 、 博 士 は 弘文 帝 を 歴 代中 よ b除 き、 そ の代 り に天 智 天 皇 の皇 后倭 姫 を も つ て
擬 せら れ た る が如 し 。 眞 に傾聽 す べき議 論 な b 。博 士 の論 文 は ﹁女 帝 の皇 位 繼 承 に關し て先 例 を 論
じ て大 日 本 史 の大 友 天 皇 本紀 に及 ぷ﹂(歴 史 地 理六 ノ十 、 十 一)
﹁女 帝 皇 位繼 承 の先 例 に つ い て ﹂
(同 七
ノ 一)
﹁天 智 天 皇 の皇 后倭 姫 は果 し て即 位 し ・給 ひし か﹂(同 七 ノ四 )
等 に見 ゆ 。○ 受v
命 詩 日 、
維天之命
於レ穆 不レ己 。 此 の意 な b。即 位 を 以 つ て受 命 と云 へるは即 ち 儒 敏 の 思想 にし て日 本 固有 の 思想 にあ
ら す 。 ○ 恢 大 也 。 ○ 弘 廣 也 。 ○闡 顯 也。 ○猷 道 也 。 ○ 格 言二法 式 標 準司∩乾 坤 獪 レ言 二天
聾 易 の語 也 、 O宇 宙 廣 雅 高 誘注 日 、 宇 屋簷 也 。宙 棟 梁 也 。 是 宇 宙 有 制居 所 一之義 。 准南 子 日 、往
古來今謂 一
之 宙 ↓四 方 上 下 謂 ﹂之 宇輔○風 俗 漢 書 日 、 凡 民 凾二五常 之 性 ↓而 其 剛 柔 緩 急 、書 聲 不レ同 、
繋 二水
土
之
風
氣
↓
故 謂 二之
風
刈 好 悪 取 舍 、 動 靜 亡 レ常
、
隨
二
君 上 之 情 欲 哂故
謂 乏 俗 舶 こ れ に よ れ ば 風 は 地 鈩
勢 還 境 に よ つ て入 民 の習慣 と な るを いふ 也 。 叉 俗 に對 し て風 を 君 上 の化す る所 と云 へる解 あb 。 別 上 代 文 學
圃 文 學 襍 読
に根 據 あ る か。 ○ 潤 盆 也。 ○ 庠 序 孟 子 滕 文 公 上 日 、 設二爲庠 序 學 稜噛以教レ之 。庠 者 養 也 。 稜者
教 也 。 序 者 射 也 。夏 日レ稜、 殷 日レ序 、周 日レ庠 。庠 序 は郷 稜 國 學 の事 な り。 ○ 茂 才 後 漢 書 日、 義
後擧 一
茂才 ↓譲 二於 重 不レ應 レ命 。秀 才 と 同 じ。 後 漢 光 武 帝 の名 は 秀 な b 。 故 に秀 才 を 改 め て茂才 と な
法 制 也 。 ○ 以 上 の事 、天 智 紀 日 、 三
す。 〇 五 禮 周 禮大 宗 伯 日 、 以二
吉禮一
祀 二邦 國 之 鬼 神明以二凶 禮 崗哀二
邦 國 之憂 輔以二賓 禮 剛親 ﹄
邦 國輔以二軍
釐 脚同 二邦 國輔以二嘉 禮 一
親 二萬 民 之 婚 姻 湘之 を五 禮 と云 ふ。 O度
年 春 二月 己 卯 朔 丁亥 、
天 皇 命二大 皇 弟 ↓宜下培 制
換 冠 網倍 申位 階 名 、及 氏 上 、
民 部 、家 部 等 事 亠
。其 冠 有二二十
六 階幻九年春 正 月 乙亥 朔 戊 子 、宣 昌朝 廷之 禮 儀 與二行 路 之 相 避刈復 禁 一斷 誣妄 妖 僞ご 一
月造 二戸 籍 ↓斷ユ盜
賊 與 二俘 浪 岡十 年 春 正月 己亥 朔 甲辰 、東 宮 太 皇 弟 奉 レ
宣 、施 二行 官 位 法 度 之 事 ↓大二赦 天 下蝿法 度 冠 位 之 名
具載 軸
於 新 律 令 一(新 律 令 は近 江 令 を云 ふ)と あ れ ど も 、建 二庠 序 一
徴 二茂 才 一せら れた る事見 え す。 大 化
改 新 の時 にも 見 え す 。 (孝徳 紀 に以二沙 門 旻 法 師 高 向 史 玄 理 爲 一國 博 士 一と 云 へる國博 士 は、 國 學 の
博 士 にあら すし て、 天 下 の博 士 な る事 通 釋 の所 説 の如 し )。 學 令 には國 學 生 取 一
郡 司 子 弟 岡爲レ之 國學
生國司補と あ る を 以 つ て、大 寳 令 の時 には 國學 の あ る事 明 ら か な れ ど も 、そ の始 めは天 智 天 皇 の御 代
な る ぺし。 こ 丶に建 庠 序 と云 へる は確 か な る據 b所 のあ る事 な るぺし 。前 に分 官 と云 へる は潤 色 な
れど も、 こ 丶は天 智 の御 宇 文 藝 興 隆 の事 を 記 せ る 一例 とし て引 け るな れば根 據 あ る事 な も。 ○ 憲章
138
晉 書 日 、
稽古憲章大釐制度とあb。
法 度典 章 を云 ふ なb 。こ 丶は近 江 令 の事 を いふ。○ 規 墓 弘 遑 漢
書 日 、雖 日 ワ
不暇給 規 墓弘遽一
矣 。 韋 昭 日 、正負 之 器 日v規 、
墓 者 如下書 工 未 γ
施 来 事 墓去之矣 。 顏師 古
日 、取 一
喩 規 墓 一謂 一
立 レ制 垂ワ範 也 。 ○夐 廻 也 。 遽 也。 〇 三階 上 中 下 の 三階 梯 を云 ふ。 (
し平煥
論 語 日、 煥 乎 其有 二文 章刈煥 、 輝 也 。盛 也 。 〇 四海 東 西南 北 の四 方 の海 。 天 下 と 云 ふ に同 じ 。 ○ 殷
昌 盛 也 。曹 植 日 、百 姓 殷 昌 .○旒 繽 旒 旌 旗 垂者 也 、續 絮 也 。 旌 は周 禮 に全 朋 爲レ燧 折 朋 爲レ旌 と
あb 。 故 に旌 は鳥 豺 にて作 れ る旗 な れど 、我 が國 に ては 專 ら 布を 用 ゐ た れ ば 、續 字 を 添 へて旒 織 と
云 へるな る ぺし 。 旌 旗 と意 同 じ。 こ 丶に て は軍 旗 を 意 眛 せb 。 O 巖 郎 通典 注 に粥 林 郎 の 一名 と な
す 。 刑 林 は職 原抄 に左 右近 衞府 。注 、當 二唐 刑 林 剛叉云 轍
軸
親 衞 鱒とあ り。 故 に巖 郎 は近 衞 大 將 に當 る。
但 し此 の集 の成 れ る時 代 には 未 だ近 衞 府 な け れ ば、 令 制 の衞 門 左 右 衞 士 左 右 兵衞 等 の禁 中 檠 護 に當
る衞 兵 の督 を 云 へるな る べし 。獪 近 衞 の浩 革 に就 き て は近 藤 芳 樹 の標 注 職 原抄 稜本 下 之 末 諸 衞 の條
に詳 し。 ○ 旋 環 也 。 (
﹂置醴 釋名 日 、釀 之 一。 宿而 成 v醴 有 昌酒 昧 一而 己 也 。 詩 日 。旦 以酌v醴 。 置
醴 は宴 會 の事 な b。 ○ 宸翰 帝 王 の筆蹟 を 宸翰 と いふ。 (
▽頌 詩 體 の 一な b。 阮 元 日 、頌 即 容 也 。
謂 三樂
章
之
美
有
二 舞 容 一
者 。
與
こ 風 雅 之 從 τ歌
者 有
レ 別 。 古 今 集 序 に は 頌 に い は ひ 歌 を あ て た b 。 そ の 意 39
なb 。 ○ 雕 章 雕 、 爾 雅 に玉 謂二之 雕 一と あ b 。(
ド
)亂 離 壬 申 の亂 を云 ふ。 O 煤 燼 娯 、
説 文 に盆 中 上 代 丈 學
國 文 學 襍 艶
火 也 と あ も 。 集 韻 に焙 火 日 レ燠 。 熟 灰 謂 昌之 焙 燬 吃と あ b 。 こ 丶 に て は 灰 燼 に 同 じ か る ぺ し 。 ○ 湮 滅 40
1
湮 は 埋 沒 の 意 。○ 輙 專 也 。○ 傷 懷 懷 は 壞 の 誤 b か 。 湮 滅 樹 し た れ ば 書 籍 の 破 壞 す る を 悲 し む
と 云 ふ か た 正 し か る べ し 。 但 し 、 も と の ま 丶 に て も 意 は 通 す 。 ○ 詞 人 詩 人 に同 じ 、 ○ 龍 潜 王 子
む む
編 中 大 津 皇 子 四 首 の 詩 の 中 、 述 志 の 後 入 聯 句 に 、 赤 雀 含 レ書 時 不 v至 。 潜 龍 勿 レ用 未 二安 寢 一と あ b 。
大 津 皇 子 の 事 な b 。○ 翔 二雲 鶴 於 風 筆 一 同 じ く 述 志 に 天 紙 風 筆 書 昌雲 鶴 一と あ b O 鳳 蓊 天 皇 蓊 は 飛 擧
の意 。 こ 丶 は 龍 潜 に對 し て か く 云 へる も 別 に 據 り 所 あ る に あ ら す 。 集 中 天 皇 は 文 武 天 皇 の み な b 。
○ 泛二
月 舟 於 霧渚 一 文 武 天 皇 詠 月 の詩 に月 舟 移鷁
霧渚鱈
と あ bO神 納 言 之 悲昌
臼 髴 崗 髴 は 鬢 に 同 じ 。集 中
從 三位 中 納 言 大 騨 朝 臣 高 市 痲 呂 の 詩 の從 駕 應 詞 一首 に 、 臥 レ
病 己 臼鬢 意 謂レ
入 鴣黄 塵 岡 ○ 藤 太 政 之 詠 一
一
玄
造 一 膾 正 一位 太 政 大 臣 藤 原 朝 臣 史 五 首 の 中 、 應 詔 一首 に 有 政 敷 二玄 造 鯛撫 機 御 鶴紫 宸 一
と あ b 。漢 李 琶
の 海 州 大 雲 寺 禪 院 碑 に 、 天 也 地 也 攝 レ生 、 之 謂 軸玄 造 隅と 見 ゆ 。 天 地 の 自 然 に 任 せ て萬 民 を 治 む る 意
な b。 ○ 英 聲 美 名 也 。
○ 件 信 友 云 ふ 。 ﹁遽 自 二淡 海 輔と い へ る は 、 正 に 淡 海 宮 の天 皇 の套 語 に て 、 す な は ち 大 友 天 皇 を さ し
て 申 せ る な り :⋮ .
ま た 宸 翰 垂 レ文 と い へる 宸 翰 は 、 こ れ も 正 に 大 友 天 皇 の 御 事 に て ⋮ ⋮ 言 念 昌浬 滅 鱒
輙 悼 二傷 懷 qと は い は ゆ る 奏 灰 の 逸 文 に て 、 も は ら 天 皇 の 御 詩 の 世 に 傳 は ら で 浬 滅 せ む 事 を 悼 み 悲 し
める な り 。 ⋮ ⋮自 v竝 以降 詩 人 間出 と は大 友 天皇 以降 な り﹂など 云 ひ て專 ら 大 友 皇子 の事 とし たれ ど
も 曲解 な b 。信 友 は自 己 の圭 張 な る大 友 皇子 即 位 説 に索 強 せむ とし て附 會 せ り。既 に始 め に淡 海 先
帝 之云 へれ ば 、 こ 丶も 明 らか に天智 天 皇 の御事 な b 。 叉信 友 は懷 風 藻 を淡 海 三船 撰 なb と信 じ て此
の論 を た て た れ ど も、そ はす で に平出 鏗 次 郎 氏 の考 證 によ b て信 す ぺか ら ざ る事 明 ら かな れ ば 、
盆々
大 友 皇子 の 御事 とは解 す ぺ から す 。 い はん や喜 田 博 士 の大友 皇子 非 即位 説 にし て事 實 なb と せ ぱ、
焉 んぞ 宸翰 の語 を 用 ゐ ん や。 信 友 の設 は全 ぐ用 ゆ べから す 。
○ こ の 一段 は天智 天 皇 以 後 文蓮 興隆 せ る事 を 叙 す。 こ れ 一篇 の眼 目 πb 。
○ 大 意 、天 智 天 皇 の御即 位 し給 ふ に及 び て大 いに事 業 を 始 め、あ ま ね く 皇 道 を 示 し給 ふ。道 は 天 地 の
禪 の御 心 を法 則 と し 、功 名 を天 下 に輝 かし 給 へb 。 す で に し て思 ひ 給 ふや う 、風 俗 を調 へよ く す る に
は文 學 にま され るも のな し。徳 を 増 し 身 に榮 名 あ ら し む る には 學 問 にま さ るも のなし と。こ 丶に於 い
て 地 方 に學 綾 を 建 て秀 才 を 召 し 、
種 々 の禮 儀 法 則 を 定 め給 へb 。そ の法 則 はよ く規 格 にかな ひ制度 雄
宴 邊 を催 し給 ふ。 其 の際 に
大 な b。 往 古 よ bか く の如 き盛 事 を き かす 。 爲 め に國 家 海 内 太 平 にし て盛 ん な b。軍 隊 も近 衞 兵 も
な す 事 なく 暇多 き程 に太 平無 事 な り。 さ れば 度 々文 入 を 招 き てし ば ー
天 皇 自 ら 文 を 書 き て勅 語 を下 し給 ひ、 詔 に應 じ て群 臣 も祀 賀 の詩 を 奉 る。 美 し き詩 文 は僅 か 百篇 の
上 代 丈 學
叫1
重
國 文 學 襍 説
み に止 ま ら す數 多 か b し が、時 に壬 申 の亂 あ b、盡 ぐ 燒 亡 し た b 。ま こと にそ の湮滅 せ る事 を惜 し み、
專 ら 破 壞散 佚 せ る事 を 悲 し む 。 然 れど も 、 そ れ よ b後 詩 入 し ばノ丶 現 れ、 大津 皇子 文 武 天 皇 大 禪 大
納 言 太政 大 臣藤 原 史 の如 き も其 々詩 を 作 b て、 隆 昌 の樣 を 前 代 に聞 え あ げ 、
美 名 を後 世 に傳 へた う 。
○ こ の段 の文 脹 を 圖 せ ば 次 の如 し 。
夐古以來未之有也。於是譱 鑿 鑼 饑 }
靉
饕
﹂
ー 羹 轟攣 而
以
爲
蓼 鑿爰
則
攣
﹁驫蠶
竝
以
降
]
轢
蒲 脳⋮
ー 際購 韲 非
唯
ー 難
翻 黙貔灘
X42
○
余 以 二薄 官 餘 閑 輔遊 二心 文 圃 刈閲 二
古 人 之 遺 跡 刈想 茜風 月 之 舊 遊 舶雖 二普 塵 眇 焉 刈而 餘 翰 斯 在 。 撫 一芳 題 刈而 遙
憶 。 不レ
覺 二涙 之 泣 然 舶攀 二縟 藻 岡而 遐 尋 。 惜 二風 磬 之 空 墜 刈途 乃 收 鷁魯 壁 之 餘 蠧 輔綜 一秦 灰 之 逸 文 輔遶 自 呂淡 海 唱
言曁二
平都一
凡 一百 二 + 篇 。 勒 成 昌一卷 刈 作 者 六 十 四 人 。 具 題 ひ姓 名 岡 拜 顯 二爵 里 岡冠 二干 篇 首 明 余 撰 `此 家
意 者 。 爲 レ將 v不 レ忘 二先 哲 遺 風 岡故 以 二懷 風 刈名 レ之 云 レ爾 。 干 レ時 天 平 勝 寳 歳 在 二辛 卯 一冬 十 一月 也 。
けみ
︻訓 ︼ ○ 余 薄 官 の 餘 閑 を 以 つ て 、心 を 文 園 に遊 ぱ し め 、古 入 の 遺 跡 を 閲 し 、 風 月 の舊 遊 を 想 ふ 。 音 塵
かも
眇 焉 た り と 雖 も 、 し か も 餘 翰 こ 丶 に あ b 。 芳 題 を 撫 し て遙 か に憶 へば 涙 の 泣 然 た る を 覺 え す 。 縟 藻 に
攀 じ て 遐 か に 尋 ね て は 風 聲 の室 し く 墜 つ る を 惜 し む 。 途 に 乃 ち 魯 壁 の 餘 蠧 を 收 め 、秦 灰 の逸 文 を 綜 ぺ 、
逡 く 淡 海 よ り、 こ 丶 に 平 都 に 及 ん で 凡 そ 一百 二 十 篇 、 勒 し て 一卷 と な す 。 作 者 六 + 四 人 。 具 さ に 姓 名
を 題 し 並 び に 爵 里 を 顯 は し て篇 首 に 冠 す 。 余 の 此 の 文 を 撰 す る意 は 、 將 に 先 哲 の 遺 風 を 忘 れ ざ ら ん と
ユ
こし
す る が 爲 め な b 。 故 に 懷 風 を 以 つ て 之 に名 つ く と し か 云 ふ 。 時 に天 平 勝 寳 歳 辛 卯 に在 る の 冬 十 一月 な
、
りo
︻註 ︼ ○ 薄 官 餘 閑 編 者 官位 低 く し て自 ら餘 暇 あ る か 。 ○文 囿 囿 は苑 に垣 あ り て鳥 獸 を置 く 所 な
b。さ れど 文 囿 と いは ば A﹁日 の 文壇 など 云 ふ と同 じ意 な る ぺし 。
萬 葉 集 の卷 五 には翰 苑 など と も 云 へ
b。 O 遺 跡 こ 丶は獪 遺 文 と云 ふ が如 し 。○普 塵 清 息 と云 ふ に伺 じ .
、陸 機 賦 に絶 音 塵 於 江 介司
託二
﹂ 代 攵 學
143
、
國 文 學 襍 譌
影 響 乎 洛 泪 一と あ り 。上 の 遣 跡 下 の 餘 翰 何 れ も 語 を 替 へた れ ど 同 じ 意 な b 。○ 餘 翰 殘 れ る 筆 蹟 な り 。 44
1
こ 丶は 詩 文 を 云 ふ 。○ 撫 一
芳 題 哺 撫 す は 按 す な ど 云 ふ に同 じ 。 持 つ と 云 ふ 意 あ ぴ 。 楚 辭 に撫 鯖長 劒 一兮
玉 珥 と あ り 。 芳 題 と 云 ひ て 、 そ の題 によ る 詩 文 を 指 す 。 ○ 泣 然 泣 は 露 光 也 。 泣 然 は 流 涕 の貌 。 蓋
し 涙 を 露 に譬 へた る は 和 漢 等 し か る ぺ し 。 禮 記 に 孔 子 泣 然 流 涕 と あ b 。 ○ 縟 藻 縟 は 釆 飾 也 、 藻 は
も と 水 草 を 云 へど 叉 文 を も 意 味 す 。 但 し こ 丶 に て は 松 の 幹 に 生 じ た る 苔 の 類 を 云 ふ な b 。 ﹁攀 ぢ ﹂と
云 ひ ﹁風 聲 ﹂と 云 ひ た る に よ つ て し か 思 は る 。 ○ 收 魯 壁 之 餘 蠧 一 蠧 、群 書 類 從 本 に壼 に作 る 、 誤 り な
る 事 著 し 。 印 本 に よ つ て 蠧 と な す べし 。 漢 書 魯 恭 王 餘 傳 に 、 共 王 敏 位 鷁宮 室 ↓
壤 孔 子 舊 宅 ↓以 廣 隔
其宮 鱒
聞 二鐘 磬 琴 瑟 之 聲 ↓途 不 二敢 復 壤 刈於 二其 壁 中 鰰得 二古 文 經 傳 司又 、 藝 文 志 に 、 古 文 徇 書 者 出 一
一孔 子 壁 中 岡武
帝 末 魯 共 王 壤 '孔 子 宅 ↓欲 昌以 廣 一其 宮 ↓而 得 二古 文 爾 書 禮 記 論 語 孝 經 凡 數 + 篇 口と あ b 。 孔 子 の居 宅 は
魯 に あ り 。 蠧 は 虫 蝕 な b 。 ○ 綜 こ秦 灰乏 逸 文 一 綜 は 集 也 略秦 灰 之 逸 文 は 史 記 秦 始 皇 紀 に 、 臣 請 二史 官 輛
非 二秦 記 一皆 燒 レ之 。 非 、博 士 官 所 7
職 、 天 下 敢 有 下藏 縞詩 書 百 家 語 一者 ム
、悉 詣 鷁守 尉 幡雜 燒 レ之 。 有 昌敢 偶 昌語
詩 書 一棄 市 。 以 レ古 非 レ今 者 族 。 吏 見 知 不 レ舉 者 與 同 V罪 。 令 下 三 十 日 不 V燒 黥 爲 二城 旦 岡所 V不 レ去 者 醫
藥 卜 筮 種 樹 之 書 と あ b て 、 此 の際 經 子 史 書 皆 燒 か れ た り 。 此 の 故 事 に よ つ て こ 丶は 壬 申 の亂 に詩 文
の 燒 失 せ る 事 を 云 へb 。 ○ 曁 逮 也 。 σ 平 都 奈 良 の都 な b 。 崇 紳 紀 に復 遣 昌大 彦 與 口和 珥 臣 遽 組 彦
σ
國 葺 ↓向 二山 背 一撃 二埴 安 彦 鱒爰 以 二忌 瓮 一鎭 簡坐 於 和 珥 武 鑠 坂 上 ﹁則 卒 二精 兵 一進 登 二那 羅 山 一而 軍 之 。時 官 軍
屯 聚 而 踊 畠趾 草 木 刈因 レ之 號 其 屮 日 二那 羅 山司鏑趾 些 て二布瀰那羅須幽と あ り 。 こ は 書 紀 風 土 記 等 に 多 ぐ 見
なら
ゆ る 地 名 傳 諡 の 一に し て 、 全 ぐ 信 す べ か ら す と 雖 も 、 當 時 の 入 は 奈 良 の 地 名 を ﹁平 す ﹂ の 意 義 に解
し 居 た る 事 は こ れ に よ つ て 知 ら る 。 か く て萬 葉 集 に 平 城 寧 樂 奈 良 等 と 記 せ る後 の 二 つ は 假 字 な れ ど
も 、 初 め の 一つ は 意 字 な b と 思 は る 。 後 に は 專 ら 奈 良 を 平 城 と 記 し て 、 こ 丶に 平 都 と 書 け る も 、 こ
れ に よ れ b 。 奈 良 に都 し 給 へる 事 、 續 紀 に 、 元 明 天 皇 和 銅 三年 三月 辛 酉 始 遷 昌都 于 平 城 幽と あ り 。
○勒 刻 也 。禮 記 に物勒 二
工 多 と 見 ゆ 。 ○ 作 者 六 十 四 入 こ 丶 に か く 云 へる に て、 群 書 類 從 本 に 亡
名 氏 嘆 老 の 詩 一首 を 加 へた る は 後 入 の所 作 な る 事 著 し 。 目 録 に も こ れ を 載 せ す 。 こ れ を 編 者 の作 と
な せ る詮 あ るも 取 る に足 ら す。 ○爵 里 里 は知 行 所 を 云 ふ。從 四位 下 播磨 守 、 正五 位 上 近 江守 な ど
記 せ る 是 な b 。 さ れ ど こ は 姓 名 と 對 し て か く 云 へる に て 、 一般 に官 職 を も 意 味 せ る な る ぺ し 。 さ ら
ば 大 納 言 、 民 部 卿 の 類 皆 之 に入 る な b 。 欝 は 上 に 記 せ 名 從 四 位 下 正 五 位 上 等 の 欝 位 な b 。 ○ 先 哲
往 昔 の賢 者 を 云 ふ。 こ 丶 は 只 先 入 と 云 ふ が 如 き 輕 き 意 に用 ゐ た b 。 ○ 天 平 勝 賓 歳 在 `辛 卯 "
三年 な
b 。 萬 葉 集 は 此 の 年 正 月 一日 の 大 件 家 持 の詠 を 以 つ て 卷 を 閉 ぢ た b 。 同 じ 年 に此 の 二 大 集 の出 來 た
る は 一奇 と 云 ふ ぺ し ﹄
上 代 交 學、
¥
145
國 丈 學 襍 説
○ 此 の段 は 本 集編 纂 の由 來 を舒 ぺて 以 つて全 體 の結 尾 とし た b。
○ 大 意 "余薄 官 暇 な し と 雖 も、そ の間 自 ら餘 閑 を 得 た る時 には 、心 を文 界 にや b て、古 入 の遺 筆を
讀 み、 往 昔 の風 流 を想像 す るを 以 つて樂 し みと せ り。 遣 筆少 なし と雖 も 、 殘 書 幾 何 こ 丶に在 り 。詩
文 の名 題を 案 じ て、は る か に昔 を思 へば覺 え す涙 泣 然 と し て下 b 、叉古 詩 の名 作 を閲 覽 せん と し て 遶
ぐ尋 ね求 む る に、松 風 の颯 々と し て空 し く 過 ぐ るを惜 しむ が如 く 、味 讀 す る人 なく し て空 し く 朽 つ
るを 嘆 く。 こ 丶を も つて途 に塵 埃 堆裏 、 虫 の住 處 と な れ る古 書 の、 虫 蝕 に犯 さ れ ざ る所 を取 b 、壬
申 の亂 に燒 亡 せ る詩 文 の殘 餘 を集 めて 、遶 く 近 江朝 時 代 よ も現 今 奈良 朝 に至 るま で の詩 凡そ 百 二十
篇 を得 、 記 し て 一卷 の書 と成 せ り。 作 者 六 十 四 入 には 、詳 しく 姓名 、 官 爵 をあ ら はし て篇 首 に付 し
た り。 余 の此 の書 を 撰 し た る意 趣 は先 人 の遯 風 を忘 れざ ら んと す る に あ b。 故 にそ の意 を 取 b、 此
の書 を 名 づけ て懷 風 藻 と 云 へb。 か く記 せ る時 は天 平 勝 寳 三年 の冬 十 ︼月 な b。
○此 の末 尾 の文 章 を 以 つ て本 書 の題 名 の意 を知 るを 得 べし 。
○ 此 の段 の文 脹 を 圖 せ ぱ 左 の如 し。
F46
、
- 金 薄宀
昌
餘閑遊心文囿簸 鼕
離 =籌 轢
骭鵬
嫉華
纛 難鼕 爨 帆
翰
難 馨 冠
査﹂
一
-余撰此文意者爲將 不忘先哲遺風○故以懷風名之云爾C干 時天平勝寳歳在 辛卯冬 † 一月也
(大正十二年 二月稿 )
附記 一、參考書ー群書類從本懷 風藻 O國史大系本續日本紀○國史大系本 日本紀略○國史大 系本扶桑略記
○國史大系本令義解○萬葉代匠記(
契沖)○冠辭考(
賀茂眞淵)○古事記傅(本居宣長)○萬葉集古義 (
鹿持
雅澄)
○稜威道別(
橘守部)○日本 書紀通釋 (
飯 田武郷)○標註令義解校本 (
近藤芳樹)○標註職原抄校本(近
藤芳樹) ○長良 の山風(件信友)○謠曲評釋(
大和 田建樹)0假名源流考(
大矢透)○有職故實辭典○爾雅○
辭源○日本 百科大辭典○大字典
二、本稿成後、釋清潭氏 の懷風藻新釋(
昭和 二年刊)
出 づ。甚だ良書なれど、序 文の註釋 は麁なり。且 つ
代
交
學
本稿 と解を異 にす る所も あれば、參 照せられ たし。
上
147
'
智
の
中 古 文 學
叡
光
ー 李 安 朝 文 學 の 一面 的 觀察 i
但 し其 故 に、 そ の精 神 生
而 し て 一面 か ら見 れ ば、 物 質 生 活 と精 神 生 ・
我 が文 化 の最 も 盛 ん な る時 期 、從 つ てま た精 神 生 活 の最 も豊 な る時期 ー
活 が最 も 價 値 あ るも の だ と は 未 だ必 すし も 斷 じら れ ぬ1
活 と の最 も 調 和 し た 時期 、其 は云 ふま でも なぐ 、 平 安 時 代 と 、江 戸 時 代 と があ げ られ る であら う。 何
れも 外國 と の交 通 を 斷 つた 鎮 國 の時 代 で あ り 、從 つ て外 よ b得 たも のを 内 に發 酵 させ て、 そ こ に我 が 坿
中 古 文 學
が・ 燦 爛 砦
ズ 國 獨 特 の誘
でも 、氣 品 を保 ち 、美 靆
化 と萎
貴婆
朝 文 化 とは 少 く と も精 神 的
期
で あ つた 。
しみ
的退 嬰 的 参 .も の
學 の忠
し た量 、
同の域 に逹し 蒔
活妄
じら
化 であ ると いふ 、階 級 的 差別
民 族 の中 に誰
物 のあ はれ が ま さ 星
化 が、杲
は粤 。な ぐ さ み 、、
㌶
味 に徹 し 、而 し て 何 處 か纏
がま た 野 卑 の性 を加 へ、 滑 稽 洒脱 の相 を現 はし 、積 極 的 力 蔵
が平 民 文 化 で あ る に對 し 、後 霞
花 を開 いた の で あ つた 。 だ が、 江 旻
に大 き い差 別 があ る・ 其 は薯
飽集
よ b 來 る相 違 で あ る・ 從 つて薯
れ るに對 し・ 後 霞
、精 婆
で のり、 後 霞
が威 じ ら れ る の で あ る・ 此 の點 に お い て、常 套 の語 を借 b るな ら ば、 薯
に徹 し た 心 ・其 が文學 の興 眛 の忠
だ が ・此 の 二 つの時 期 は何 れも 等 を
る事 は出 來 ぬ ・ 其 は 言
に云 へ籍
練 せられ蕋
であ る。 力 で押 し切 ら つとす るの で はな い。
であ る・ さ れ ば そ の性 と相 と持 つ力 と に戚 じ の相 違 こそ あ れ 、ま た 冫、の持 ち 眛 には共 通 の點 のあ る事
を摯
(江 戸 文 化 に積 極 的 力 が 戚 じ ら れ る と 云 つ た の は 、 た ゴ 比 軟 的 の旨目葉 で 、 決 し て其 が 雄 大 な 力 を 持 つ
と い ふ の で は な い。 野 卑 と い ふ 詞 に 對 し て も 同 樣 で あ る 。 精 練 さ が 持 つ 味 は 、 寧 ろ 力 の點 で 弱 く 、 且
つ 野 卑 で な い 威 じ で あ る)。戚 情 の 爆 發 を 叩 き 付 け よ う と す る の で は な い。 外 に あ る も の を 内 に 含 め 、
内 に 保 つ て 、 静 か に 考 へ深 く 外 界 の 物 を 眺 め よ う と す る の で あ る 。 ・
、
r50
ワ
極 的 に他 を支 配 し ・ 他 に捻
旦傳す る ・自 ら の持 つ力 ・ 其 は超 入間 的 作 用 を持 た なけ れ
中 古 交 學
カ に富 む ・最 惷
的 要 素 が必 要 であ る。智 的働 き の乏 し い入 は先 づ何 よ り も文 學 者 た る べき資 格 がな い。 宗 教家 は最 も
ら の 種 々の語 が現 す も の であ る。 文學 者 は、 客 觀 的 觀 察 と 、 思索 と 、而 し て何 よ b も 、根 本 的 に理論
即 ち創 作 家 で あ る。 彼 に最 も 必要 な のは戚 情 の發 溂 さで あ る。情 熟 、 戚 動 、 戚 激 、情 緒 、詠 嘆 、 こ れ
者 的 と いふ言 葉 が持 つ或 る固 陋 な非 入 間 的 な觀 念 は今 全 く こ 丶に含 め て はな ら な い。 さ て 、藝 術家 は
て、 す ぺ て文學 者 と いふ の であ る。 學者 的 タイ プ の入 と でも 云 は う か 。 但 し、 普 逋 の語 の や う に、學
有 職 故 實 學者 ) は 、平 安 時 代 でも 江 戸 時 代 でも 、文 學 者の 一部 と な つ てゐ た。 これ ら のも のを 總 稱 し
學 者 は此 の兩者 の中 間 に屬 す ぺき も の であ る が、我 が國 の古 代 の觀 念 では 、法 律 學 者 (即 ち明 法 博 士 、
り、 自 然 科 學 、 理科 學 的學 問 に封 し て、精 神 科 學 の方 面 のも のを す べ てし か稱 す る。 法 律學 者 や經 濟
に携 は る人 々を 意 昧 し 、
哲 學 の部 門 に厩 す るも の、 史學 に屬 す るも のも す ぺ て文 學 と見 做 す ので、つま
入 物 があ る。 其 は藝 術家 と文 學 者 と宗 教 家 であ る。 但 し文 學 者 と い ふ のはす べて の文 學 的 科 目 の探 究
人間 の精 紳 生 活 を支 翻 す るも の に、 三 つ の働 き が あ る。 更 にそ の 三 つの型 に分 けら れ る べき 三腫 の
纈■r'
一
瑚
此 の 三 つの型 は餘 り に ゴ ンベ ン シ ヨナ ルな分 け方 であ る。宗 敏 家 には勿 論 情熟 や戚
國 丈 學 襍 誕
ぱ なら な い。ー
激 が必 要 であ る。觀 察 と 思索 と は、 其 が精 神 生 活 に徹 し た 人 であ るかぎ b、藝 術家 であ るを問 は す、
宗 教家 であ るを 論 せ す 、誰 に でも 必 要 であ る。而 し て清 新 に し て純 潔 な 戚情 と信 念 はま た 同 時 に其ら
の入 々 のあら ゆ るも の に必 要 であ る。 た ゴ私 が斯 う分 けた の は、 入 々が個 性 が異 な る如 く 、或 者 は域
情 的 で あ b、或 者 は理智 的 で あ り 、或 者 は意 志 の力 が強 い、 斯 樣 に其 々の性 質 の向 ふ方 向 が異 な る如
く 、大 體 に お いて、斯 樣 に 三種 の型 に分 け る事 が出 來 よ うか と 思 ふ の であ る。 さう し て、其 によ つて 、噛
文 學 の向 ふ方 向 を 、 そ の入 の個 性 の異 な る如 く 、或 型 の人 々 の氣 質 の異 な る如 く、 此 の 三 つに分 け る
事 も 出 來 よ う か と 思 ふの で あ る。例 へば、 奈 良 朝 文學 と 其 以前 の古 代 文 學 は藝 術 家 の型 で あ る。 平 安
朝 文 學 は文 學者 の型 で あ る 。鎌 倉 室町 文 學 は宗 敏家 の型 であ る。 江 戸 丈 學 は 再 び文 學 者 の型 で あ る。冖
現 代 文 學 は? 其 の方 向 は未 だ何 うも 分 ら ぬ。 今云 ふ事 を差 し 控 へよ う 。・
其 は今 必 要 の言 で はな い。﹂
さ て、 奈良 朝 文學 から 平 安 朝 文 學 へ下 b 、更 に鎌 倉 時 代 に至 る此 の 三 つの時 代 が、 三 つの型 に其 々大
體 あ ては ま るか らと 云 つ て、藝 術家 が最 初 に出 で、 つ いで文 學者 が出 で、 宗 欷家 は最 後 に出 把 と は考
へら れ ぬ 。少 く と も 、藝 術 があ ら ゆ る學 問 に先 立 つ て起 り、最 も原 始 的 性 質 を有 す るも の であ b 、ま
た 、 理智 の發 動 が戚 情 の發 動 よ bも 暹 れ る限 り、藝 術 家 は最 も早 くし て出 で、文 學 者 だ るも の は其 に
152
O
歩 を接 し て、後 よ b出 で た で あら う 。 だ が 、少 く と も 宗 教 に至 つ ては藝 術 の發 起 と同 時 に存 在 し た と
考 へら れ る。原 始 文 學 は藝 術 で あ り同 時 に宗 教 で あ ると も解 せら れ る 。鍮 倉 室 町 文學 が宗 敏 家 の型 で
あ り、そ の後 に直 ち に接 し て江 戸 文 學 が、 彼 の如く 、 精 練 せ ら れ た、 情痴 に墮 し た如 く見 え てそ の實 、.
情 痴 の世界 を ば 理智 的 な精 練 せ ら れた 冷 靜 さ を 以 つて客 觀 的 に眺 め、而 し て 一面 道 徳 的 反 省 を加 へた
態 度 であ つた のは 、 即ち 私 の いふ文 學 者 的 型 の文學 であ つた の は 、必 す し も 不 自 然 な現 象 で はな いの
であるρ
中 古 文 驫
瞼 に淨 ぷ涙 の玉 、 其 が粉 の あ は れ の發 露 であ る。 可 笑 し いと て齒 を む き出 し て笑 ひ 、 悲 し いと て大 聲 珊
悲 し い の内 容 を噛 み分 け 噛 みし めた 昧 ひ、 そ の本當 の昧 ひ が分 つて 、ほ のか に俘 ぶ微笑 、 一滴 二滴 眼
あ る 事 は明 か で あ る。 可 笑 し い、 悲 し い、 さ う い ふ戚 情 さ へも 外 面 に出 さす に、静 か にそ の可 笑 し い
體 は 容 易 に分 り得 な いの であ る。 だ が、 これ が積 極 的 な要 素 を 持 つも の でな く 、 全 く滑 極 的な も の で
のあ は れ と は 、そ も 如 何 な る内 容 のも ので あ ら う か。 宣 長 も 其 に つ いて論 じ てゐ る。 併 し 、 そ れ の實
物 の あ は れ はま こと に平 安 朝 生 活 の中 心 で あ つた 。 從 つ て平 安 朝 文學 の中 心 でも あ つた 。併 し、 物
一
剛
國 文 學 礫 讒
げ ぼん
を あ げ て泣 き わ めく のは即 ち 物 のあ は れを 知 ら ぬ下 品 の行 爲 で あ る。 物 のあ は れ は決 し て宗 教家 の味
ひ知 るを得 な い所 で あ る σ即 ち 信 侶 は物 のあ はれ を 知 ら ぬ 入 とし て 、蔑 覦 せ ら れ た。 併 し 、威 情 の熟
烈 な る發 露 を 必 要 と す る藝 術家 も 亦 、決 し て物 のあ は れを 知 れ る人 と は云 へな い。 和泉 式 部 の如 き は
必 すし も 物 のあ はれを 知 れ る 入 で は な い。 紫 式 部 に云 は せ れ ば ﹁和泉 は怪 し から ぬ方 こ そ あ れ﹂ で、.
且 つ ﹁耻 し げ な る歌 入 や と は 思 ひ侍 ら す﹂ であ る。 熟 情 奔 放 の此 の情 熟 歌 人 、 而 し て戀 に殉 じた 此 の
婦 入 も 、到 底 物 のあ はれ は解 す る事 の出 來 ぬ入 であ る。 少 く と も 、 こ 丶に いふ物 のあ は れを 知 れ る點
で は 、彼 女 は右 大將 道綱 の母 の足下 にも及 ぷ事 の出 來 な い女 で あ る 。彼 女 はま さ し く 、大 件 家 持 と熱
烈 な戀 歌 の鱠 答 を し た多 く の婦 入 と共 に、奈 良 朝 の世界 に住 む べき 婦 入 で あ つた 。
次 にまた 、固 陋 頑 愚 な 、 且 つ衝學 的 な、 所 謂 學 者 肌 の學 者 は 決し て物 のあ はれ を解 し た所 以 では な
し
い。 儒 者 は いつも 愚 か し い (物 のあ は れ を解 せ ぬ點 で) も のと し て、痴 れ者 と呼 ば れ てゐ る。 從 つ て
清 少 納言 の如 き は ま た 物 のあ は れ を よく 解 し た女 であ る か何 う か 、疑 はし い。 紫式 部 に云 は せ ると 、
彼 女 も亦 ﹁し た b顏 に いみじ う侍 りけ る人 ﹂で 、彼 女 の如 き は ﹁物 のあ は れ に進 み 、を か し き事 も見
と 物 のあ は れ でな く な る。其 は本 居 宣 長 も 論 じ た麺 b であ る。彼 女 の如 く 、學 問を ひけ ら かし て男 を
す ぐ さ ぬ程 に、 自 から さ るま じ き 仇 な るさ ま にも な る に侍 る ぺし﹂ であ る。 物 のあ は れ が進 み過 ぎ る
丶
154
やb こ め る 女 は物 のあ は れを 知 れ る女 で は な い。 こ れ ら の衝 學 的學 者 は抉 し て平 安 朝 入 のよ し と せ な
い所 であ る。 餘 談 に わた る が 、故 上田 敏 博 士 の唯 一の 小設 に ﹁渦 卷 ﹂ があ る。此 の 小設 には筋 と い ふ
や う なも の はな い。在 る も のは、 長 い會 話 の問 に出 て來 る、 歐 洲 藝 術 の論 談 と、 江戸 趣 味 の話 説 と だ
け で あ るつ そ の間 に深 い博 士 の教 養 と 智 識 の程 が觀 取 せ ら れ る。 併 し た ゾ其 だ け であ る。 そ こ には 寧
ろ讀 者 に嫌 忌 た倦 怠 の念 を 惹 さ せ るも の があ つても 深 い戚 銘 は 受 け取 れ な い。 つま b學 問 智 識 を そ の
ま 丶に出 し た 小説 は決 し て讀 者 に威 動 を 與 へな い。博 士 の如 き は近 代 文 化 人 であ つた か も知 れな いが、
今 い ふ所 の物 のあ は れを 知 れ る入 で はな か つた ので あ る。紫 式 部 の清 少 納 言 に與 へた評 言 は取 つて 以
つて直 ち に斯 樣 な 人 々の 上 に置 く 事 が出 來 る。或 入 々 のや う に江戸 趣 味 を禮 讃 し 、盛 ん に街 學 的行 爲
を や る のは、 未 だ 以 つ て本 當 の江 戸 趣 昧 を 知 つた も の では な い。其 は 丁度 所 謂 洋 風模 倣 の モダ ンタ イ
プ の青 年男 女 が、 中 年 の江 戸 趣 昧 模 倣 の入 々 に變 じ ただ け の事 で あ る。
物 のあ はれ は決 し て學 問 を外 面 に出 さ な いも ので あ る。 即 ち 一の字 も知 ら ぬ位 にし て ゐ る の が よ い
の で あ る 。沿⋮
極 的退 嬰 的 であ る。併 し 其 は決 し て學 問 の缺 乏 を 意 味 し てゐ る の では な い。寧 ろ何 事 も
を持 つ て・ 始 め て物 の あ は れ の價値 が出 來 て來 る・ 學 問 は出 來 るだ け豊 富 に彗
がよ い・ 嵶
知 ら な いの は物 の あ はれ を 知 ら な い事 であ る。内 に持 て るも の の豐 富 にし て、 よく 物 を 昧 ひし め るだ
け の智 的蓁
中 古 丈 學
O
'
國 文 學 喋 説
大 鏡 に高 内 侍 と 、そ の 三 の 君 と の 話 が出 て ゐ る 。 高 内 侍 の 三 の君 は 非 常 に 學 問 の出 來 る 女 で あ つ た が 、 56
へ
1
作 文 の 會 の 時 等 で も 入 の作 つ た 詩 な ど を 聲 高 く 批 評 し て 、 全 く 愼 し み の 缺 け た 婦 入 で あ つ た 。 其 に 樹
し て 母 の 高 内 侍 は 同 樣 に學 問 が甚 だ 出 來 、 い つも 宮 中 に 召 さ れ て ゐ た が 、 いか に も そ の 振 舞 等 も 古 風
で あ つ た 。 即 ち 、 娘 の方 は 全 く 物 の あ は れ を 知 ら ぬ 人 で あ つ た が、 高 内 侍 は 物 の あ は れ を 知 れ る 入 な
あ
の で あ つ た ら う 。 併 し 其 を も 、 大 鏡 の作 者 は 、﹁女 の 餘 り に ざ え 賢 き は 物 悪 し と 人 の申 す な る に 、 此 の
内 侍 後 に は い と い み じ う 墮 落 せ ら れ に し も 、 そ の け と こ そ は お ぼ え 侍 b し か﹂ と 評 し て ゐ る 。 無 暗 に
漢 詩 の 會 の 席 上 等 に 女 の 出 し や ば る の は いけ な い事 な の で あ る 。
物 の あ は れ は 所 詮 趣 味 的 情 緒 で あ る 。 美 的 生 活 の 態 度 で あ る 。 併 し そ の 趣 味 に溺 れ る 事 は既 に最 早
物 のあ は れ を 逸 し た行 爲 と な る。趣 昧 に淫 せす 、し かも豊 富 な趣 昧を 以 つ て冷静 高 雅 な生 活 を なし 得
る も の 即 ち 物 の あ は れ で あ る 。 飽 く ま で も 貴 族 的 要 素 が そ こ に は つき ま と つ て ゐ る 。 同 時 に 根 本 的 要
ペン
クルヅロルレの
素 と し て、 理 智 的 態 度 が そ の 底 に 横 つ て ゐ る事 を 看 過 し て は な ら ぬ 。 こ れ は 今 の 言 葉 で 云 へば 文 化 生
活 であ る。 云 ふ所 の、 俘 薄 淺 薄 な歐 臭 の模 倣 の其 を文 化 生 活 と いふ詞 と は勿 論 全 ︽ 違 つた意 昧 で、 さ
う いふ威 情 を取 b去 つた 置ハ
の意 味 の文 化 生 活 は即 ち 平 安 朝 の物 のあ は れ を知 れ る生 活 でな け れ ばな ら
な い。高 徇閑 雅 な生 活 であ る 北共 に、す ぺ てを 科 學 的 に肯 定 し 得 る、 理智 的生 活 でも な け れ ばな ら ぬ。
`
而 し て何 よ り も、 文 學 美 術 音樂 等 に高 い批 評 眼 を 持 ち得 る學 問 や智 識 に欷養 の深 い紳 士 淑 女 で な け れ
ば なら ぬ。非 學 者 的 な學 者 は最 も高 い生 活を な し得 る近 代文 化 人 であ ゐ 。 これ を平 安 朝 にし て は物 の
あ は れを 知 れ る入 と呼 ぷ。私 は さう 解 す る。紫 式 部 は 白氏 文 集 史 記 日 本紀 を知 つて ゐた 。清 少 納 言 の
學 問 も 亦甚 だ 譽富 であ つた。 た 、
ゝ其 を 現 す 態 度 の相 違 が物 のあ はれ を解 す る か 否 かを 決 定 す る。
そ こ で物 の あ は れ は、美 を解 し得 る智 的要 素 があ つ て の高 雅 な 趣 昧 でな け れ は な ら 晦。 奔 放 粗 野 な
域 情 を 反 省 によ つ て深 め、智 識 によ つて高 めた、 洗 練 せ ら れた藝 術 的 情 緒 、そ れ が物 のあ は れ で あ る。
魯
智 識 ! 智 識 ーー= と 私 はそ の底 にひ そ め る流 れ を幾 度 も 繰 り返 す 。﹂
四
和 魂漢 才 と い ふ語 があ る。 菅 家 遣誡 に見 え る語 で あ る。 (但 し 、そ の書 が僞 書 で あ る事 は今 改 めて云
ふ ま でも な い)。和 魂 と漢 才 と は常 に樹 立 的 に用 ゐ ら れ る。才 は即 ち ざ え であ つて、 學 問藝 術 を意 昧す
る 。當 時 の學 問 と云 へば漢 學 より他 には な か つた の であ る。 歌 學 の如 き は未 だ學 問 の中 には 入ら な か
つた 。 漢 學 と云 つても 、儒 學 の事 で は な く、 つま り漢 文 の學 問 で 、經 籍 詩 書 の他 ・ 和漢 の史 籍 が學 問
の中 に入 つ て來 る。 これ が漢 才 で あ る。 四 條 大 納 言必 任 は紫 式 部 と 同 時 代 の入 で あ つた が、 歌學 は此
山
吉 丈 學
も
157
匝 文 學 .
襍 読
の 入 よ b 開 け た 。 和 學 と も い ふ べ き 歌 文 の 學 問 が出 來 上 つ た の は そ れ よ b も 末 、 定 家 時 代 に 至 つ て 、 8
5
1
始 め て成 立 し た と も い ふ べ き で あ る 。 才 は 學 問 以 外 に 音 樂 そ の他 の 藝 術 上 のた し な みを も 意 昧 し て ゐ
る 。 兎 に 角 ざ え は 問 題 は な い が 、 和 魂 即 ち 、 大 和 だ ま し ひ と い ふ 語 は 意 昧 の 判 然 し な い語 で あ る 。 大
和 魂 一に 大 和 心 と も 云 は れ る 。 こ れ が同 義 で あ る 事 は 、 今 鏡 す ぺ ら ぎ の下 に 、﹁か の 少 納 言 唐 の 文 を も
弘 く 學 び や ま と 心 も か し こ か b け る に や ﹂ と あ る の は、 漢 才 と 和 魂 と を 樹 立 さ せ た の と 同 じ 意 昧 で 、
や ま と 心 は や ま と 魂 に 他 な ら ぬ 。 愚 管 抄 眷 三 に も 、﹁入 が ら や ま と 心 ぱ へは 悪 か り け る 入 な b 、 か ら 才
は よ く て 侍 れ ど ﹂ と あ つ て、 同 樣 に 漢 才 と 和 魂 と を 樹 立 さ せ た 。 魂 、 心 と い ふ 語 は 、 二 樣 の 意 昧 に用
ゐ ら れ る や う で あ る 。 ︼は 理 解 判 斷 力 、 分 別 す る 思 考 力 を い ふ や う で あ る 。 二 は 勇 猛 果 敢 な 決 斷 に富
む 精 神 力 を い ふ や う で あ る 。 大 鏡 に伊 周 の 息 道 雅 を ﹁さ る は か の 君 さ や う に し れ 給 へる 人 か な 、 た ま
し ひ は わ き 給 ふ 君 を ぱ ﹂と 云 つ た 魂 は 明 か に 思 慮 分 別 の意 昧 で あ る 。﹁心 あ る入 ﹂と い ふ當 時 の 常 套 語 も
愼 し み 深 い、 理 解 の あ る 、 つ ま b 思 慮 分 別 あ る 人 で あ る 。 從 つ て 、 此 の 意 昧 に お け る 和 魂 漢 才 は 、 漢
才 に對 し て 和 と い ふ 語 を 付 し た の で あ つ て 、 漢 學 を 理 解 す る 力 で あ る 。 詳 し く 云 へば 、 學 問 を し て も
徙 ら にそ の 淺 薄 な 摸 倣 を せ ぬ 。 長 を 取 b 短 を 去 り 、 我 が 國 民 性 に 適 し 、 我 が 國 の 制 度 に 適 す る所 は 其
を 應 用 す る 。 學 問 を し て も 其 に溺 れ ぬ 。 そ れ を よ く 理 解 し 知 得 し 應 用 す る 力 を 有 し て ゐ る も の が や ま
と魂 で あ る。 近 頃 の やう に徙 ら に歐 風 摸 倣 の モダ ニズ ムが はや る のは、 や ま と魂 が な いの で、洋 才 に
淫 し て ゐ る の であ る。平 安朝 人 が好 ん で用 ゐ た 和 魂 漢才 な る語 に は漢 學 を日 本 的 に理解 し 征服 し よう
と い ふ、 一種 の氣 餽 が見 え る。 平 安 朝 入 は徒 な る摸 倣 を潔 し と せ す に 、 こ れを 同 化利 用 し よ うと す る
精 騨 が認 めら れ る。道 眞 の上奏 によ つて、 唐 末 の亂 世 な る支 那 に使 を遣 はす 事 は何 の役 にも 立 た ぬ?
既 にか の國 の美 點 は盡く 學 び得 た 。今 では我 が國 の方 が ま さ つてゐ る位 で あ る。今 更使 を遣 はす も意 義
な し と て、 斷 然遣 唐 使 が廢 止 せら れた の は、 此 の意 昧 のやま と 魂 の第 一の發 露 であ つた 。 道 眞 が和 魂
漢 才 な る語 を 用 ゐ始 め た と云 はれ る のも 眞 に故 なし と せ ぬ事 であ る が、 そ の詮 は今 信 ず る事 が出 來 な
い。 併 し 、王 朝 文 化 が單 な る外 國崇 拜 、外 國 模 倣 よ b 離 れ て、燦 然た る我 が國 獨 特 の 文 化を 建 設 し 得
た の は置ハに道 置ハ
の たま も の であ ると 云 ふ事 が出 來 る。要 す る に、 か ら のざ え を 同 化 融 合す るも の は や
ま と だ ま し ひ の作 用 であ る。
併 し 、 や ま と 魂 や ま と 心 な る語 は 、此 の意 昧 だ け で は解 せら れ ぬ。 大 鏡 には 時平 を 評 し て ﹁や ま と
魂 など は いみ じく お はし た るも のを ﹂ と 云 ひ 、伊 周 の弟 隆 家 を 評 し て ﹁や ま と心 かし こ く お はす る人
にて﹂ と 云 つてゐ る。此 の所 は前 の意 味 で解 され ぬ事 も な いが 、何 うも 勇 猛果 敢 、所 謂横 紙 破 りと い
ふ やう な 意 昧 に解 し た 方 が分 り がよ い。だ が此 の所 の用 ゐ方 は、 や ま と 魂 と のみ 獨立 に用 ゐ て、漢 才
中 古 文 學
159
國 文 學 襍 詭
ヂ ぞミジ
に對 立 し て用 ゐら れ てゐ な い事 は注 意 を 要 す る。今 昔 物 語 眷 十 九 に ﹁
善 澄 才 ハ微 妙 カリ ケ Vド モ露 和
魂 旡 カ リ ケ ル者 ニテ﹂ と あ るの は 、明 法 博 士 善澄 は學 問 は よく 出 來 た が、少 し も 思慮 分 別 がな か つ沈
か ら と 解 す べき で あ る事 は、 そ の前 の説話 によ つ て明 か で あ る 。即 ち 、善 澄 が盜 賊 に襲 は れ た 時 に そ
の盜 賊 を罵 つた か ら 殺 され た話 が出 て ゐ る、 そ の評 言 が こ れ で あ る。 こ れ によ つて此 の才 に對す る和
魂 の意 昧 は、 勇 氣 の意 昧 で なく て思 慮 分別 の意 昧 であ る事 は明 ら か であ る 。 かく て 和 魂漢 才 と いふや
う に對立 し て用 ゐら れ た揚 合 の語 は 此 の意 昧 で判 斷 が つく 、 た ゴ獨立 し て やま と 魂 やま と 心 とあ る時
に は 寧 ろ決 斷 勇 氣 の力 と解 す ぺき揚 合 が多 い。勿 論 必 す し も さう き ま つた わけ で な く 、高 太夫實 無 の
﹁詠 百寮 和歌﹂ に文 章 博 士 を 詠 じ て、
あたらしき書を見 るにもくらからじ讀 み開 きぬるやまと魂
と あ る の は、 理 解 力 の意 であ る事 は勿 論 であ る。 併 し こ れも 文章 博士 を 詠 じ た歌 であ る か ら 、所 謂漢
才 に對 す る和 魂 の意 昧 で 、獨 立 し て使 用 せ ら れ れも のと は 思 はれ ぬ 。 かく て此 の對立 的意 昧 に用 ゐ ら
れ た揚 合 には 、や ま と 魂 と は日本 的 理解 應 用 の精 祚 と いふ意 味 で あ る事 は否 定出 來 ぬ。 從 つ て源 氏物
語 少 女 の巻 に見 え る ﹁獪 ざ えを 本 とし てこそ 大 和 魂 の世 に用 ゐ ら る \方 も 強 う侍 ら め﹂ と あ る のも 、
此 の意 昧 に解 す べき であ る。 つま b學 問 が よく出 來 て、 其 が我 が日 本 の事情 に適 す るや う に實 地 に應
z60
、
用 す る事 の出 來 る人 が、 世 に多 ぐ用 ゐら れ ると い ふ意 昧 であ る。 學 問 を し ても應 用 の才 のき か ぬ八 は
つま り 理解 力 のな い入 であ る から 、 さう いふ人 は何 の役 にも 立 た ぬ。 和 魂漢 才 は かく の如 き意 昧 で出
て來 た言 葉 と思 はれ る。 かく て、や ま と魂 と い ふか ら に は、 も と 必 す か ら 才 に對立 し た言 葉 で なけ れ
ば なら ぬ。 封 立 的 に用 ゐら れ な か つた なら やま と と いふ語 は 不用 であ る。而 し て對 立 的 に用 ゐ ら れ た
場 合 の、 即 ち 魂 の本義 に かな ふ意 昧 は、前 述 の如く 理解 同 化 の力 であ る 。 其 が單 一に獨立 し て用 ゐら
れ る に至 つ てや ま と 魂 は 勇 猛果 敢 の精 騨 と な つた 。 三轉 し て今 日 の如 き 意 昧 におけ る、 國家 的 忠君 思
想 の意 味 に用 ゐ ら れ る に至 つた と私 は解 す る。而 し て今 必 要 な の は、 さ う い ふ轉 義 の意 昧 におけ る や
ま と 魂 で はな い。 和 魂漢 才 と連 ね 云 は れ た揚 合 の 、
和 魂 の本 來 の意義 に おけ るも の が必 要 な の で あ る。
か く の如 き 語 を、 かく の 如 き意 昧 に お い て生 み、而 し て、 其 を 好 ん で用 ゐ た 平 安朝 入 の精 紳 が必 要 な
の であ る。
學 問 はも と よ b必 要 で あ る 。學 識 の豊 富 な程 よ い。併 し な が ら 、た ず學 問 が あ るだ け で は いけ な い。
漢 學 を 學 ん だ だ け の 融 通 のき か ぬ頑 愚 な男 、 其 は物 語中 に出 て來 る儒 者 逹 であ る。 更 に學 問 を 自 慢 し
て無 暗 に外 國 の詞 ば か bを 振 舞 はす やう な 、 衝 學 的 な 入間 は 一暦 排 斥 せら る べき であ る。 要 は其 を 理
解 す る精 騨 、 而 し て其 を 我 がも のと し 、 平 安 朝 生 活 に、日 本 人 らし く 、 し つく も と あ て は め るだ け の
︾
中 古 文 學
161
國 丈 學 撥 説
同 化 力 を 有 す る事 が第 ︼で あ る、 こ 丶に至 つて 學 才 と い ふ根 底 の 上 にた つて、 そ の人 の生 活 は智 識 あ
る理 解 あ るも のと な b 、高 雅 な趣 昧豊 富 な入 物 とし て、 一世 の尊 敬 を受 け るや う にな る。 こ れ即 ち 物
れの
つか
の あ は れを 解 し た 入 間 で は な いか 。 和 魂漢 才 の徹 底 す る所 、 自 ら 物 のあ は れを 解 す る入 間 と な る。物
の あ は れ は徒 ら な る戚 情 の作 用 、 趣 味 的遊 戯 で は な い、 セ ンチ メ ソタ リ ズ ムで は勿 論 な い。﹄ 暦 の深
い智 識 的根 柢 が あ る の であ る。 平 安 朝 人 が、 和魂 漢 才を 高 稱 し た のも 故 あ る か な た思 ふ。 平 安朝 文 學
は、 此 の和 魂漢 才 の根 柢 から出 でた も の であ り 、且 つ物 の あ は れ の發 露 であ る。
五
平 安 朝 時 代 の作家 を考 へて見 る。 在 原 業 平 は 情熟 詩 人 で あ つた 。 彼 こそ は 光源 氏 君 の先驅 であ b、
カ サ ノヅ ァ や ド ソ フア ンに比 す べき 人 物 で あ る。 併 し 彼 はま た 才學 あ る 入 でも あ つた。 三代實 録 に體
貌 閑 麗 放 縱 不拘 略 無 才 學善 作 和 歌 と あ る の を、 賀 茂 眞淵 は評 し て、
﹁今 の史 に略 無 才 學 と あ れ ど無 は有
の字 を あ やま れ かと あ る人 い へも 。業 平 は かち 入 の來 b し 時鴻 臚 館 へつかは さ れ し事 も 史 に見 ゆ れば
必 才學 有 て且 かた ち 入 也 け んを 思 ふ べし﹂ と 云 つて ゐ る のは卓 見 で あ る。 同 書貞 觀 十 四 年 五月 十 七日
の條 に勅 遘 編
正 五位 下 右馬 頭 在 原 朝 臣 業 平 幅
向 鴻 臚 館一
勞二
間渤海客脚
是 日賜 客 徒時 服 一
と あ る如 く、 外來 の
竃62
客 と折 衝 す る か ら に は才 學 のあ つた事 が知 ら れ る。 そ れは 、源 氏 物 語 に、
幼 少 の 源氏 君 が右大 辨 に伴 は
れ て鴻 臚 館 に高 麗 人 の相 入 を訪 れ た時 、﹁辨 も いと 才 かし こ き博 士 にて 、 いひ か はし た る事 ど もな む い
と 興 あ b け る﹂と あ る のと 、考 へ合 せ てζ明 ら か で あ る。次 に勅 撰 集 の撰 者 に は、紀 貫 之 があ る、源 順
があ る 。紀 貫 之 の學 者 的頭腦 はそ の薯 古 今集 の序 文 を 見 ても 分 る。詩 學 に心 を ひ そ め て ゐた 事 も察 せ
ら れ る 。源 順 は當 時 の大 學 者 で あ る。 和 名類 聚 抄 の如 き著 を な し 、 始 め て萬葉 集 の訓 點 を 研究 し 古 點
を 付 し た事 は 、他 の梨 壺 の五 人 と の共 同事 業 で あ つた と は云 へ、 そ の頭 と も 見 る べき 彼 の功積 に外 な
ら ぬ。 和 名抄 に至 つ ては、 彼 の學 者 的頭 腦 と 、 そ の才 學 の程 を盆 々明 か に示 し て ゐる。 平 安 朝め 和 歌
が萬葉 集 の如 く 情熟 的 で なく 、冷 靜 理 智 的 で、 一面 か ら見 れ ば平 々淡 々と し て、深 き戚 情 の汲 み難 き
も の があ る のは 、 こ れ ら の學 者 的頭 腦 の歌 入 が撰者 であ つた から で、 そ こ に は情熟 を壓 へる、 冷靜 閑
雅 の態 度 が見 ら れ る の であ る 。此 の意 昧 に お い て、 平 安 朝 の歌 風 は物 のあ はれ の理想 と相 應 す るも の
であ つた 。 否 、 物 のあ は れ の發 露 であ つた 。 平板 無 昧 の如 く 見 え て、そ の底 に潜 め る沈 靜 し た る情 緒 、
其 が當 時 の歌 の理 想 で あ つた 。 ま た 、そ の歌 の技巧 に お い て、掛 詞 、 縁 語 、本 歌 取等 の修 飾 を次 第 に
發 逹 せし めた 。 こ れ ら は智 的遊 戯 とも 稱 す べき 程 に、
奔 放 な る威 情 と は疎 隔 し た も の があ る。併 し 、
其
6
3
が爲 め に歌 の内 容 は複雜 と な b 、而 し て當 時 の歌 入 の智 的滿 足 を 買 ふ事 が出 來弛 。 理智 的 要素 を多 分 中 古 丈 學 、
國 文 學 襍 説
に持 つ當 時 の歌 人 とし て は當 然 の發 達 で あ る。 ま た 、物 名 と い ふ部 門 も 古 今集 に始 め て設 け ら れ て以
來 、,
勅 撰 集 に は多 や こ れ が入 つて、 盛 ん に行 はれ た 。 こ れも 亦 智 的 遊 戯 の所 産 であ る。 これ よ b蓮 歌
ぷしもの
の賦 物 が發 逹 し た 。 こ れ らを 以 つて見 ても 、 平 安 朝 の歌 風 に 理智 的 要素 の多 く 入 つ てゐ る事 が分 る。
平 安 朝 の勅撰 集 の撰 者 には 、拾 遺 集 の撰 者 と し て藤 原 公 任 が擬 せ ら れ てみ る 。公 任 は實 に歌學 者 とし
て 一世 に尊 敬 せ ら れ た 入 で 、歌 學 は彼 に始 ま ると云 つて もよ い。 か く の如 き學 者 であ る彼 は同 時 にま
た 歌 入 とし ても 尊 敬 せ ら れ た 。彼 は速 吟 口を つ い て出 るの慨 が あ つて 、そ の讀 み捨 て セ歌 は莫 大 の數
に のぽ る と いふ。 而 し て彼 の歌 は そ の名 聲 に俘 ふも ので は な か つた が、そ の平板 單 調 な學 者 ら し い歌
は 、物 のあ はれ を 好 み、智 的遊 戯 を 好む 當 時 の歌 入 に歡 迎 せ ら れ た事 は確 か であ る。 當 時 と し ては彼
め 歌 に最 上 の ホメー ジ が捧 げ ら れた のも 當 然 であ ら う 、詞 花 集 は藤 原 清輔 の撰 であ る。清 輔 は ま た袋
草 子 、奥 義 抄 の著 者 で あ る。 彼 の學 者 的頭 腦 は こ 丶に窺 はれ る。清 輔 は當 時 の歌 壇 にお いて は歌 學 者
と し て 一方 の 雄 で あ つた。 難 解 の萬 葉 集 に通 じ、 弘才 肩 を 並 ぶ るも のな く 、知 ら ざ る所 なし と云 はれ
た 。 同 じ く 六 條家 に出 た顯 昭 は就 中 註 釋學 者 とし て は我 が國最 初 の入 で 、そ の博學 な る事 は清輔 以 上
と 思 は れ る。歌 學 は平 安 朝 の末 に至 つて立 涙 に確 立 し た 。 其 と土ハに穩 健閑 雅 の風 も極 ま つた 。 物 のあ
ば れも 極 端 にす ぎ て は、 た ゴ人 を 飽 かし め厭 はし め るの み で あ る。 古 今 集 風を 離 れ て、萬 葉 集 を庶 幾
164
す る、曾 丹 、源 俊 頼 の如 き 新 涙歌 人 があ ら は れ、 や が て は 二條家 の幽 玄 躰 の歌 風 が生 じ て來 た のも 當
然 でみ る 。 だ が、 平 安 朝 の歌 風 は 、 かく し て、 理 智 的要 素 に終始 せ ら れ てゐ た と いふ事 だ け は考 へら
れ る ので あ る。古 今 集 の最 初 の歌 に、
ひととせ こ
ぞ
年の内 に春は來 にけ り 一年 を去年 と ヤいはん今年 とやいはん
と あ る のは 、云 ふま でも な く 幼稚 な 理智 的 の歌 であ る。向 じ智 的 と云 つ ても 、も つと哲 學的 内 容 が歌
の中 にあ れ ば また そ の威 じ も 違 つ て來 よ う。 平 安 朝 の歌 は要 す る に此 の や うな 幼稚 な智 的 遊 戯 に遏 ぎ
な か つた 。物 の あ はれ と 云 つ ても、 或 ひ は、 か う い ふ幼稚 な疑 ひ を 、 は かな き事 と し て喜 んだ のか も
知 れ な い。 年 の内 に立 春 があ つた 、そ れ でそ の日 以後 を去 年 と 云 は う か今 年 と云 は う か と いふは か な
き疑 ひを 持 つ所 が物 のあ は れを 知 つた入 であ ると 、 當 時 の入 々は得 々と し て辯 じ た か も知 れ ぬ。 兎 に
角 、 此 の歌 風 が途 に平 安 朝 の歌風 を 、而 し て 、實 は近 頃 ま で も舊 泯 の歌 入 を 支 配 し て ゐた の であ る。
理智 的頭 腦 が生 んだ 淡 白 の歌 風 も 亦 、根 強 い力 を持 つ てゐた 。
物 語 で は竹 取 物 語 が、 寳 樓 閣 經 、 西域 記 等 に得 る所 のあ つた事 は 、契 沖 が河 肚 に論 じ た通 り で、 漢
才 に富 んだ 學 者 でな け れ ば 書 か れ ぬ所 であ る。(尤 も 竹 取 物 語 の發 生 は民 間 詮 話 にあ つた と 思 は れ る)。
紫 式 部 が清 少 納 言 と 並 ん で 一條 天 皇 時 代 の優 れ た 學 者 であ つた事 も亦 設 く を 要 せ ぬ・ 今昔 物 語 は詮話 向
中 古 丈 學
め砦
の で ・そ の中 には 佛 薯
の手 に成 つ砦
のと 田心は れ る所 が多 い。 果 し て素
お の
を 書藁
來 ぬ・ 其 は曁
あ つた
大 貍 .隆
國 の筆 録 し た も のか ど う か は問 題 であ る が、 兎 に角 此 の物語 の根 據 が 、梵 漢 和 の籃 吏 書 篝
事 は否蛋
せ ら れ る ・片 嵳
る 俗説 小話 と思 はれ 、傳 饕
の書 名 が見 え 、慈 覺 大 師 在 唐 釜
描 か れ て ゐ る の は、 日
録 にも 波 斯國 人形 奪 の書 名 を記
波 斯 國 の棄
と考 へら れ る此 の物 語 の中 にも 、
漢 才 の根 據
岡 本保 考 が金 日鏨 剛出 典 考 に示 ﹄ しゐ ・
。通 り で、考 證 盒 日物 語 によ つ ても
明 か に叢
波斯國字樣 葱
は意 外 に深 く 入 つて來 て ゐ る ので あ る 。宇 津 保 物 語 の俊蔭 の雀
本 國現 在 書 目彎
し ・、
叉 ・ 江 談抄 や 二中暦 に、 波斯 國 の數 字 の訓 方 の載 せ ら れ て ゐ る事 と併 せ考 へれ ば興 昧 が深 い。 平
安 朝 の趣 昧 と智 識 と が此 の方 面 にも あ つた 事 が知 ら れ る から で あ る。大 鏡 と 榮華 物 語 と が實 際 の歴 史
に つき ・傳 記 に つき 、智 識 の深 い入 でな け れ ば 書 か れ ぬ所 であ る。 そ の些
々設 明 す るま でも な、
に關 係 の深 い事 は いふ ま で も な い。 か の菅 原 道 眞 が筑 紫 に左 遷 せ ら れ る條 の 記事 等 は、 可 成 b道 眞 の
妻
は明 ら か であ る。 かー て、 物 のあ は れ は此 の根 據 のも と か ら生 ま れ 、文 學 に發露 し 砦
く ・ 平 安 朝 の文學 が ・ かく の如 き智 識 のも と に、 學 者 的背 景 のも と に、 理智 的要 素 を 多 分 に持 つた 所
産 で あ つ華
の であ つ た事 も明 瞭 であ ら う 。
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中 古 文 學
b で はな い。内 容 の貴 き よ b は 、 形態 の優 美 さ が大 切 で あ る。自 殺、 情 死 、 さ うし た 行 爲 が平 安 朝 時
代 6
7
に殆 ど な く 、物 語 類 にも 現 れ て來 な いのも 無 理 はな い。 奈良 朝 以前 に はし ば-丶 さ う した 例 に接 す 1
入 の美 的 觀 念 を滿 足 さ せ る限 り に お いて取 り用 ゐ た 。 置ハ
摯 な る宗 教 的信 念 よ b は、 佛 教 の持 つ儀 式 や
法 にやくそう
則 が詩 人を 滿 足 さ せ た 。美 し き若 僭 の おも む ろ に説 ぐ 説 敏 が魅 力 を持 つ のは、 清 少 納 言 や紫 式 部 許
の塔 の文 學 で あ る。平 安朝 人 は藝 術 も 宗 教 も 戀 愛 も あ ら ゆ るも のを 趣 味化 し た ゆ 其等 のも の が平 安 朝
の念 は鍮 倉文 學 に觀 る がよ い。 平 安 朝 文 學 に至 つ ては 、 飽く ま でも 自 ら樂 し み、 獨 りを 高 うす る象 牙
の調 和 の所 産 で あ る事 は疑 ひな い。 情 熟 的 戚 情 は 、 奈良 朝 時代 の詩 歌 に さぐ る がよ い。眞 蟄 な る信 教
いては 低 徊 趣 昧 とも 云 は れ る が、併 し 平 安 朝 文學 のあ の平 靜 閑 雅 な、 高 荷 優美 な 、貴 族 的 文 學 は 、此
折 衷 、中 庸 、 さ5 い ふ性 質 が齎 す も のは 、或 ひ は妥 協 的 で あ b微 温 的 であ るとも い へよ うρ 一面 に お
に云 へば 、 理智 と威 情 と の圓 滿 な 調 和 であ る。ま た 、
物 質 生 活 と 精神 生 活 の完 全な 調 和 であ る 。調 和 、
察 に過 ぎ な い。他 の 一面 にお いて情 緒 を大 いに重 覗 し た事 は勿 論 で あ る。 其故 に、 平 安 朝文 學 を 正當
平 安 朝文 學 は かく の如 き 理智 的所 産 であ る。 智 識 的 脊景 があ る。併 し 、其 は平 安 朝文 學 の 一面 的 觀
亠
-`
國 交 學 襍 艶
る の に 、 平 安 朝 時 代 で は 僅 に大 和 物 語 、 今 昔 物 語 、 或 ひ は 源 氏 物 語 の宇 治 十 帖 の 中 に見 え る話 等 の若 68
1
干 の 例 外 を 除 い て 、 左 樣 な 血 な ま ぐ さ い事 は 殆 ど 見 え な い の で あ る 。 其 は 貴 族 的 な 、 平 静 さ を 破 る か
ら で あ る。 す べ て が美 的 趣 味 で支 配 せら れた 。 而 し て、 そ の趣 昧 と は 、 戚情 と智 識 と の微 妙 なぢ 調 和
で あ る 。 物 の あ は れ が こ 丶 に 生 じ る 。 和 魂 漢 才 の精 紳 が こ 丶 に あ る 。
最 後 に いふ が、 以 上 の如 く 論 じ た か ら と 云 つ ても 、平 安 朝 文 學 は 情 熟 を 缺 く も の と誤 解 し ては なら
ぬ 。あ b あ ま る 程 の 情 熟 を 持 ち な が ら も 、其 を 表 面 に あ ら は さ す に 、 靜 か に深 く 反 省 し て 、 涙 を 俘 ぺ ほ
ほ え み を 淨 ぺ る の で あ る 。 情 熟 を 反 省 し て見 る 理 智 的 要 素 が あ る の で あ る 。 次 に 、 平 安 朝 文 學 は 趣 昧
的 低 個 的 で あ る か ら と 云 つ て も 湘 決 し て 單 な る 遊 戯 文 學 で は な い 。 趣 味 と か 遊 歔 と か い ふ そ のも の す
ら も 、人 間 が 熟 心 に な れ ば 、入 間 生 活 の 必 要 な る 晶部 分 と な b 得 る 。 坊 ち や ん の道 樂 た 遊 戯 と は 違 ふ の
で あ る。 平 安 朝 文 學 は 遊 歔 文 學 で は あ る か も 知 れ ぬ が 、 道 樂 文 學 で は な い。 併 し さ う い ふ 理 屈 は さ て
お い て も 、 平 安 朝 文 學 は 充 分 に藝 術 的 熟 心 さ 却 持 つ て 書 か れ て ゐ る 。 唯 彼 等 は イ ンテ リ グ ン チ ヤ で あ
つ た か ら 、 も の を 批 評 的 に 、 反 省 的 に 觀 る事 が出 來 て、 直 接 的 反 抗 的 の 力 が な か つた 。 そ し て す ぺ て
を 我 が 趣 味 で 以 つ て美 化 し 、 そ の 趣 味 に 取 b 入 れ る 事 の出 來 る 範 圍 内 で藝 術 を 生 か さ う ど し た 。 此 の
趣 味 、 美 に殉 す る 態 度 は 、 藝 術 的 良 心 を 物 語 つ て ゐ る 。 此 の 趣 昧 の 破 壞 者 は 、 源 氏 物 語 の中 で も 充 分
に膺 懲 せら れ て ゐ る。 其 は 單 な る遊 歔 で は なく て、實 に平 安 朝人 の生 活 の全 部、 否 そ の生 命 であ つた
の であ る。 かく て、平 安 朝 文 學 を 以 つて情 念 偏 重 の文 學 であ る等 と は何 う して も考 へら れな い の であ
る。 情 念 と智 識 と の調 和 が生 む、藝 術 至 上 の文 學 、 文 化 人 の趣 昧 的藝 術 、其 が平 安 朝 文學 の持 つ本質
で あ る と考 へる。
い ぶし銀 の薀 藉 に富 む 光 り、 金 のや う に傲 慢 でな く 、 プ ラ チナ のや う に冷 や か でな く 、勿 論 ニッ ケ
ル のや う に 安 つぼ く な い、 あ の い ぶし 銀 の含 蓄 に富 む 冷 静 な 光 り 、其 が平 安 朝文 學 の昧 であ る 。弱 光
ほ のか に殘 る春 のク 暮 時 の戚 じ で為 あ る。此 の冷 靜 透 徹 の戚 じは 、 戚 情 と 理智 と のい みじ き調 和 があ
る から であ る、而 し て何 よ りも 智 識 的背 景 、學 問 的根 據 があ るか ら であ る。 勿論 此 の詞 が含 む や う な
温 かさ が缺 け た戚 じ で はな い。 そ こ には ま た 充分 な 和 や か さ と温 か さ と があ る。高 徇 な趣 眛 に終始 し
て身 を捧 げ た 平安 朝 文 學 は、 再 び い ふ が、 い ぶし銀 の光 b に譬 へる の が最 も よ い。而 し て、 其 は即 ち
古
文
學
嘩
平 安 朝 入 の、叡 智 の光 り の輝 き で あ つた事 を知 ら な け れ ば なら ぬ。(昭和二年+ 一月)
中
i6g
國 丈 學 襍 読
平安朝物語文學概説
9
此 所 に物 語 と 云 ふは 、前 に古 代 小 詮 史 の項 で逋 べた狹 義 の意 昧 と は反 對 に、廣義 に解 釋 し て取扱 ひ、
考 察 を 加 へる事 と す る。 さ うし て、廣 義 の意 昧 の平 安 朝 物語 文 學 の代 表 的 作 品 と し て、私 は次 の二 十 一
篇 を あげ る。 即 ち 、純 物 語 とし て は、 竹 取 、 宇 津 保 、 落窪 、源 氏 、 濱 松 、寢 覺 、狹 衣 、取 替 早、 松 浦
宮 、堤 中 納 言 の十篇 、歌 物 語 とし ては 、伊勢 、 大 和 の 二篇 、歴 史物 語 と し て は、 榮華 、大 鏡 、 今鏡 の三
篇、
論 話 集 とし て は 、 日 本 靈異 記、 冷 昔 物 語 の 二篇 、實 録 物語 とし て は、多 武 峰 少將 、篁 、 平 仲 の 三物
語 、飜 譯 物語 と し て は、 唐 物語 の名 を あげ る事 が出 來 る。此 の中 、 堤 中 納 言 は或 ひ は鎌 倉 時 代 の作 品
かも 知 れ ぬ が、 從 來 の文 學 史 の記述 に從 つてし ばら く 平 安 朝 の作 品 とし 、 そ れ に反 し て、水 鏡 の如き
17Q
は 今 鏡 と同 時代 に出 來 た も のと 思 は れ、 必 す し も 鎌 倉 時 代 の作 品 とす る明 證 はな いし 、住 吉物 語も 、
異 本 の中 には 、此 の期 の作 と し ても よ いも のも あ る の であ る が、 こ れ ら は文 學 史 の通 説 に從 つて除 い
た 。 かく て此所 に記し た 二 + 一篇 は、 兎 に角 、平 安 朝 物 語 文 學 の形式 内 容 上 、各 種 の様 式 傾向 を 示 す
も のと し て、 そ の文學 史 的 推移 成長 の跡 を 見 る事 が出 來 る為 ので あ る 。
ノ
の打 聞 であ ら う 。 平家 物 語 の延慶 本も 亦 片 假 名 で宣 命式 の書 き方 であ る が、 平 家 物 語 がも と琶 琵 法 師
て去 る べ き論 で はな いと考 へる。今 昔 物 語 と 同 種 同 形式 の打聞 集 の表 題 が示 す 如 く 、 そ れ は入 々の話
す る庶 民 の話 を書 き 取 つた も の で あ る と云 ふ 俗説 は、信 す べき限 b で は な い が、 し かも 、必 す し も捨
し て、 今 昔 物 語 は實 に此 の宣 命鱧 の 形式 を 受 け繼 いでゐ る。 今 昔 物語 は隆 國 が宇 治 の橋 の袂 で、 通 行
記 が其 であ b、 更 にそ れ よ b變 化し て、 祀 詞 宣 命 に見 る が如 き、 所 謂宣 命 鱧 の表 記法 と な つた 。 さ う
部 屬 であ る。 此 の物 語 を 書 き 記 す には 、漢 文 式 表 記 法 に假 名 を 書 き添 へる特 種 の方 法 を取 つた 。古 事
かたりべ
物 語 は 元來 ロ で語 り、 耳 で聞 く 口誦 の文 學 を云 ふ語 であ る。古 への語 部 は即 ち 、 物語 を 語 b 傳 へる
....
の語 物 の聞 書 よ b出 て ゐ る事 は疑 ひ な い。 同 じく 、 琵 琶法 師 の語 b物 と考 へら れ る無明 法 性 合 戰 状 の
申 古 丈 學
171
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㌧
の
國 文 學 襍 読
ρ
如 き も・ 平 家 物 語 延 慶 本 と 同樣 に、古 事 記 の如 く 漢 文 遞 假名 式 表 記 法 で、 且 つ宣 命 體 に近 き も の であ
る・ 曾我 物 語 羲 經 記 の如 きも 眞 名 本 が原 本 と 思 は れ る。 斯 樣 に此 の種 の 記法 が、 語 り 物 の原 始 的 形式
であ ると考 へら れ ・物 語 を平 假名 で記 す のは 、 これ よb も後 に物 語 が 口誦 的 性質 を離 れ て、純 粹 の文
學 的所 産 とな つ て後 の形式 であ る。 此 の點 橋 本 進 吉先 生 の御 教 示を 受ー )。
稱 があ つた。 私 的 蒼
云 ふ名 稱 は㍉ これ ち記 載 せら れた 作 品 に適 用 せら れ るや う にな つた 。
で併 し ・ 從 來 記録 せ ら れ た文 書 を、 日 記 と 呼 老
出 來 難 い事 であ る。
そ れ は 口誦 文 學 の物 語 に封 す る、 記録 文 學 の名 稱 でも あ る。 そ れ が 、今 、物 語 も 文字 で記 載 せら れ る
甘 の記 録 であ れ ・ 兎 に角 あ る歴 史 、あ る事 件 の書 き 付 け ら れ たも の は即 ち 日 記 で あ る。一面 に於 いて、
叙 傳 的記 録 であ れ 、公 的 な日
も ・紙 に記 し て後 世 に傳 へ、 遶 隔 の 人 々にも 聞 いて貰 ふ事 が出 來 る や う にな つ元 。 さ うし て、 物語 と
こ 丶 に於 いて・ 假 名 を 使 用 し 、純 粹 の國 語 を 用 ゐ る文 學 が起 つた 。從 來 口 から 耳 へと傳 へら れ た 物語
を 以 つ て・自 由 に思 想 を發 表 す ると 云 ふ事 は、 いか な天 才 であ つても 、 なかく
e 平 安 朝文 學 の發 逹 は、 圭 とし て平 假名 の案 出 と、 そ の使 用 の並日及 によ るも の であ る。 不自 由 な漢 文
一
一
172
4
に至 つて 、記 載 文學 の日 記 と の區 別 が難 しく な つた。 た 、
ゝ、 物語 は假 名 を 用 ゐ る、 日 記 は漢 文 であ る
と云 ふや う な所 に庭 別 も あ つた が、や が て不自 由 な漢 文 の使 用 に堪 へす し て、所 謂日 本式 漢 文 と な b、
更 に純 假 名 文 の日記 が生 す る に至 つ て、日 記 と物 語 と の區 別 は釜 々瞹 昧 で、 兩者の 混 同 が生 じ るに至
つ弛。 斯 樣 に し て、在 五 が物 語 (源 氏 物語 總 角 ) ま た 在 中將 の 物 語 (
更 科 日 記 )は在 五中 將 の日 記 (
狹
衣 物 語 ) と 呼 ば れ(更 科 日 記 には中將 の集 と 巻見 え る)、 和泉 式 部 日 記 は和 泉式 部 物語 と題 した 寫 本 も
あ b、 多 武 峰 少將 物 語 は 一名 高 光 日 記 と 呼 ぷ。 宮 内 省 圖 書 寮 にあ る小野 篁 集 を、河 海抄 で は篁 日 記 と
題 し て引 用 し 、水 戸 彰考 館 所 藏 本 は篁 物語 と題 し て ゐ る。 静 嘉 堂 文 庫 の平 仲 物 語 は、 本 朝書 籍 目 録 に
平 中 日 記 と見 え 、 河 海抄 に は貞 文 日 記 とし て引 用 せら れ た。 こ れ ら の例 を 通 覽 し て、物 語 と日 記 と の
區 別 に關 し 一の解 釋 を 下 す 事 が出 來 る。物 語 と は、 架 空 談 で も事 實 談 でも 、 す ぺ て に通 す る名 稱 であ
る が、 日 記 は何 か事 實 に基 づぐ所 が な け れ ば なら な い。即 ち日 記 は 物語 の 一部 に包 含 せら れ る性 質 を
持 つて ゐ て 、實 鎌 物 語 を云 ふ名稱 で あ る。 こ \に兩 者 の接觸 があ る。從 つて、 事實 を 主 とす る小 説 、
歴 史物 語 が、 實 録 物 語 と 同 一の性 質 を 有 す る日 記 に材 料 を 取 る事 が多 いのも 當 然 の結 果 で あ る。 それ
と同 時 に 、事 實 的 且 つ記載 的性 質 の日 記 と、 浪 漫 的 且 つ 口誦 的性 質 の物 語 と の根 本 的區 別 は、 そ の發
逹 の當 初 よb ・蓮 命 づ け ら れ て ゐ る所 の相 違 であ つ て・兩 文 學 が接 觸 し て も ・そ の間 に根 本 的 の混 潺
申 古 夾 學
亀
瑠
國 文學 縷 艶
は 生 じ な か つた の で あ る 。 9
'
四
物 語 は 、 す べ て ﹁昔 々あ つた と さ﹂ の調子 で語 b出 だ さ れ る。 今 昔 物 語 の ﹁今 ハ
昔 ﹂と 云 ふ毎 條 の冐
頭 もそ の調子 で あ る。 早 く傳 読 歌 を 多 く集 めた萬 葉 集 譽十 六 に、 ﹁昔 者 有二
娘 子 ﹂ ﹁昔 有二
三男 ﹂ {昔 有 矗
老 翕 し など と記 し た例 を 多 く 見出 だ す 。 伊勢 物語 が毎 條 ﹁昔 あ bけ b﹂ で書 き起 し た のも、 大 和物 語
の傳 説 談 が﹁昔 津 の國 に住 む女 あり け b﹂と い ふ調 子 で書 き 起 し た のも 、萬 葉 集 と同 じ 形式 であ る。伊
勢 や大 和 と 全く 同 じ形 式 で 、歌 物 語 の傾 向 の多 い平 仲 物 語 が ﹁今 は昔 ﹂ で始 ま り、唐 物語 が ﹁昔 ⋮ あ
bけ りし の形 で始 ま つ てゐ る のも當 然 で あ る。 此 の原 始 的 な 歌 物語 の形 が物 語 文學 のす べ に搖 曳 し て
ゐ る。竹 取 物語 の ﹁今 は昔 竹 取 の翕 と 云 へる者 あb け b﹂ 宇 津 保 物 語 の ﹁昔 ⋮清 原 の王 あ b け b﹂ こ
れ も 一本 には冐 頭 の 一句 が ﹁今 は昔﹂ と あ る 。落 窪 物 語 も ﹁今 は昔 ﹂ で あ る。 住 吉 物語 の ﹁昔 中納 言
にて 左衞 門 の督 かけ た る入侍 b け り﹂も同 一であ れば 、 松 浦宮 物語 の書 き 出 し は 稍 々複 雜 で はあ る が、
﹁昔 藤 原 の宮 の 御時 ﹂とあ つて、 圭要 入物 の來 歴 を 設 く 所 、 これ ら と同 じ性 質 であ る。 篁 物 語 の ﹁親 の
いと よ く かし づき け る入 の娘 あ bけ b﹂ は胃 頭 に ﹁昔﹂ 叉 は ﹁今 は昔 ﹂ の句 を 省 いてゐ る が、全 體 の
174.
文章 は 上 記 の諸 例 と同 一であ る。源 氏 物 語 に至 つて 少 し樣 式 が變 つて來 た。 ﹁いつ れ の 御時 にかしと あ
る。併 し 、 この 句 が、 物 語 を 語 b出 だ す態 度 で あ る事 は變 り はな い。取 替 早 物 語 の﹁いつ れ の頃 にか﹂
は明 か に源 氏 の模 倣 であ る。伊勢 集 の書 出 し ﹁いつれ の御 時 に かあ り け ん、 大 御 息 所 と き こゆ る御 局 に
大 和 に親 あ る入 さ ぶら ひけ b﹂ は 源 氏 物語 と酷 似 し てゐ て、そ の間 の關 係 が認 めら れ る。伊 勢 集 の方
が先 で源 氏 物語 が こ れ に なら つた も のか 、或 ひ は源 氏 物 語 を ま ね て、後 入 が伊勢 集 の前 牛 を創 作 し た
も の か であ ら う 。夜 牛 の寢 覺 の冐頭 の句 は 、源 氏 物 語 と は 一寸 異 な つて ゐ るが 、内 容 を 總括 的 に先 づ
述 べて .次 に ﹁そ の頃 太 政 大 臣 と 聞 ゆ る は﹂ と書 き出 し た の は、 源 氏 物 語 や取 替 早 と 同樣 の書 き方 で
あ る。 鎌 倉 時 代 の作 品 で あ る が、苔 の衣 の發 端 の文 句 ﹁逢 ひ て の戀 も逢 は ぬ歎 き も 人 の世 のさま み丶
多 か る中 に、苔 の衣 の 御仲 ら ひば か b 飽 か ぬ別 れま でも た めし なく 、
哀 れな る事 はな か b け b﹂の如 き
は、寢 覺 の發 端 の文 句 と殆 ど 同 一で、
題 名 の 由 來を 此 處 に示 す な ど 、寢覺 の模 倣 な る事 が明 ら か で あ る。
然 る に、 源 氏 物 語 以後 に至 つ て、 さす が に、今 ま で 口誦 文 學 よ り 離 れ る事 の出 來 な か つた此 の軌範
を 脱 す るや う に な つた。 かく の如 き 詮 明 的 記述 的 の態 度 で はな く て 、純 粹 に文 學 的 に、或 ひ は描 寫 的
字 句を 以 つ て、或 ひ は情 戚 的 語 調 を 以 つ て書 き 起 し 、直 ち に事 件 の核 心 に衝 き入 ら う とす る。 さ て、
立 ち 返 つ て、入 物 の戸 籍 調 査 に移 b 、系 圖 等 を 述 べ る書 き 方 が起 つて來 た 。狹 衣 物語 を はじ め、 平 安
中 古 丈 學
X75
楼 交 學 襍 説
朝 以後 の物 語 では 、 わ が身 にた ど る姫 君 (初 に普 谺 山 の尼 君 の生 活 、 三位 の中 將 がそ こ を訪 れ る事 を
描 き、 次 に入 々の身 分 を 説 明 す)、云 はで忍 ぷ(二位 の中 將 、 お の が思慕 せ る、大 將 の北 方 な る 一品 の
宮 を 訪 れ て語 ら ふ所 を 描 き 、次 に人 々の身 分 を 諡 明 す ) 等 が全 く 同 じ行 き 方 であ る。 即ち 、先 づ或 情
景 を 描出 し て お いて、次 に登 揚 人 物 の詮 明 に移 ると 云 ふ形式 は 、平 安 朝 末 か ら鍮 倉 時 代 へかけ ての 、
物語 の 一般 形 式 と 云 ふ事 が出 來 る 。併 し そ れ も 、 そ の描 寫 的記 述 の後 に、 更 に筆を 改 めて、
﹁此 の頃 堀
川 の お とど と聞 え て關 臼し 給 ふは云 々﹂(狹 衣 ) の如 く 書 き出 し た所 は 、矢 張 も 源 氏 物 語 、そ の他 の古
物 語 の冐 頭 の文 句 と 一致 す る の で あ つて、 全體 を通 じ て、 作 者 が、或 事 件 を 物 語 ると 云 ふ態 度 は 、當
代 の物 語 に共 通 の態度 とし て失 は れな か つた 、 そ こ に古 代 の物 語 の形式 が、 ま だ薄 い影 の やう に翳 し
て ゐ る と云 へば 云 ふ事 も 出 來 る。
以 上蓮 べた形式 の變 遷 に樹す る唯 一の例 外 は多 武 峰少 將 物 語 であ つ て、 そ れ に は當 初 よ り描 寫 的 記
述 あ る の みで、 何 ら 入 物系 圖 の詮 明 的 記 述 がな い。 こ れ は當 代 の日 記 に多 ぐ見 る形 式 であ る。 蓋 し 、
作 者 が熟 知 し 、 ま た 世 入 も よく 知 つて ゐ る、作 者 と同 時代 の、 し か も筆 者 に關 係 深 き 入 物 に關 し て述
べ為 の に は、 何 ら個 々の登 揚 入 物 に就 いて紹介 す る必 要 を 見 な いか ら で あ る。 ま た わ れら も常 時 の史
上 の入 物 を 調 査す れば 、 そ の入 物 の關係 は直 ち に知 悉 す る事 が出 來 て、 作中 に缺 けた 人 物 關係 の不 明
176
よ b生 す る 不便 を除 く 事 が出 來 る。此 の多 武峰 少將 物語 の形 式 は、和 泉 式部 日記 と最 も 酷似 し 、ま た
他 の日 記類 にも 見 ら れ る所 であ る。 和 泉 式 部 日 記 が 一に物語 と云 は れ る のも 宜 な るか な で あ るが、 同
時 に、物 語 の内 容 に、最 も 切實 な る現 實 の事 象 を 對象 と し た、 自 然 主羲 的 傾 向 は、 他 の物 語 よ bも 寧
ろ これ ら の作 品 に求 む べき で、或 物 語を 物語 ら んと す る形 を 脱 し た 、 こ れら の作 品 を 以 つ て、 現 實 的
自 然 圭義 的傾 向 の最 も 著 し い新様 式 と す べ き で あ ら う 。此 處 に物 語 と 日 記 と の密 接 な 關 係 交渉 が あ
る。 平 仲 物 語 や篁 物語 は 、多 武峰 少 將 物 語 と 同 じく 實 録 物 語 と稱 し てゐ ても 、後 入 が昔 の或 名高 い入
し い現 實 の記 録 で あ る。 此 處 に兩 者 の描 寫 の相違 、話
物 を 材 料 とし て、 そ の逸話 を 綴 つた も ので、 云 はば 歴 史 物 語 の 一種 に類 し 、 形式 上 から は歌 物 語 駕屬
す るも の で あ る が、多 武 峰少 將 物 語 は な まー
術 の形 式 の相 違 を 來 し 、 後者 が純 物語 よ bも 、 寧 ろ日 記 に近 い性 質 を 有 す る に至 つた根 本 の理 由 があ
るo
宇 津 保 や源 氏 は膨 然 た る長篇 小説 で あ る。 併 し 、そ の内 容 を檢 す る に、各 卷 獨 立 的性 質 を 有 し て、必
す し も 全部 が有 機 的 構 成 の も と に成 つた 作 品 で はな い。源 氏 の宇 治 +帖 の 如 き はま と ま つた長 篇 小説
であ る が、そ の前 の各譽 は、 數 卷 を 一ま と め にし て.一の事 件 を 物 語 つ てゐ る。 宇 津 保 に於 い ても俊 蔭
や忠 こ そ に は同 じ 傾 向 が見 え る。落 窪 や濱 松 や寢 覺 や狹 衣 や 取替 早 の如 き は中篇 小 諱 と云 ふ べき であ
中 古 丈 學
177
國 丈 學 襍 読
ら う 。 源 氏 物 語 の初 の方 の各 卷 が分 裂 し 獨 立 す る傾 向 は途 に短 篇 小説 を 生 す るに至 つた 。堤 中 納 言 の
諸 篇 がそ れ で、簡 潔 な る筆 致 、 奇 警 な る觀 察 は よ ぐ短 篇 小説 と し て の特 徴 性 質 を 具 備 し て、最 も よ き
效 果 を あ げ てゐ る。 源 氏 よ b堤 中 納 言 に至 る徑路 は、源 氏 を眞 似 た井 原 西鶴 の好 色 一代 男 が、全 鱧 は
一部 の長篇 小詭 であ bな がら 、 各章 獨 立 の形式 を 取 り、 途 に、 後 には純 然 た る短 篇 小 説 の作 家 とし て
立 つた が如 き行 き方 と 似 てゐ る。 堤 中 納 言 の他 にも 短 篇 小説 は數 々あ つた で あ らう が、 これ ら掌 篇 の
作 は 浬滅 し 易 き が ゆ ゑ に今 日 に傳 はら す 、他 に多 ぐ聞 ゆ る なき を 遣 憾 と す る。 堤 中 納 言 だ け は、 かく
一つにま と めら れ た が爲 め に、 幸 ひ にも 殘存 し た の で あ る。 短 篇 小 読 は 、も と よ 6長 き 物 語を 物 語 る
態 度 で はな く し て 、 あ る瞬 間 、 あ る場 面 の ス ケ ッチ であ り、 あ る情 緒、 あ る戚 情 の緊 要 な表 出 描 寫 で
あ れば 足 る。 事件 の顛 末 を詳 しく 語 る必 要 はな い。 此 の點 で堤 中 納 言 の諸 篇 は何 れ も 成功 し て ゐ る。
多 武 峰 少將 や堤 中 納 言 に至 つ て、 可 成 b客 觀 的 性 質 が濃 く な つた 。尤 も、 源 氏 物 語 に作 者 の主 觀 的
評 語 が露 骨 に地 の文 章 に現 れ る が如 く 、堤 中 納 言 にも さう し た 言葉 は あ る。 併 し 、源 氏 物語 を經 て 、
堤 中 納 言 に至 り、 さう し た客 觀 的 に物 を 深 く 觀 ると 云 ふ態度 の深 ま つて ゐ る事 は否 定出 來 な い。 か う
し て、客 觀 的態 度 が更 に深 ま れ ば 、 劇 的 にあ る場 面 情景 を觀 客 、 否讀 者 の前 に顯 さ うと し て、 戯 曲 的
構 成 を 取 る や う にな b、 更 に、作 者 の觀 察 眼 、 批評 眼 は 一暦 の客 觀 的 冷靜 さ と鏡 敏 さ深 刻 さ が加 は つ
178
的獲
.
留我 々 に示 し そ
て來 る で あら フ、此 處 に大 鏡 が窺
した 靨
物語 文
華
津昜
き傑作 であ
る・
は 、現 誇
ら、
至 るま で・ そ の形 式
松 論 の如 き和 文
いか に多 ぐ の髫
語 の形 式 か
學 の最 後 に至 つて ・大 鏡 が漸 く か う
ゐ る の であ る・ 内 誇
學 の樣
した・
云ふま でもな
の形式 を 袋
基
う・ かぐ て・ 物嬖
合 と は云 ひ な が ら・ 同 じ 對話
や 野 守 鏡箸
語 や ・下 つて縫
る・ 大 鏡 の此 の形嘉
さ う し τ、平 安 朝 物 語 文學 は ・原 始 的 。轌
した の であ る 。平 嶄
れた。
萩
再高 度 の戯 曲 的形 式 にま で進歩 した のだ とも 云 はれ るの で あ
ま蕈
を劃 し て
せら れ る であ ら
物語 の如き 稱
以下 、磐
草本象
や寳 黎
學 に與 へてゐ る か は、 四鏡 や唐 鏡 の類 、
蹇
を後袋
の歴 史 の書 は云 ふま でも な く、 和 警
ま突
於 い て、 藜
せ れ ば、 明 ら か に靉
、
"
ゼ考 荅
種 の形式 を點 出 す 、窘
を 持 つて ゐ る が如 き
が何 れ も 、大 鏡 にな ら つた も の で旁
的樊
式 は 、砦
存 在 と し て、 竝 ぴ稱 せ ら れ ゑ
・
ゼ覆 - て ゐ る あ
に含 ん で ゐ る の に調 し ・常 代
の物 語 は何 れも 實 荏
を蒙
傾 向 の濃 い事 であ る・ 後 代 の 龕
堤 中納 言 、大 鏡 の四作 品 は ・・
そ れぐ
ぐ 、 樣式 の上 か ら 見 ても 、源 氏 、枕 草紙 、
特 殊 な る劃 諤
五
朝物 語
的 、非 實 在 的 傾 向 を雰
飜 つ てそ の内 容 を觀 る。 萎
戯 曲 が何 れ も憲
中 古 文 畢
179
画 交 墨 襍 詮
て ゐ る 。 こ れ は 他 の 時 代 の 小 詮 に見 な い、 著 し い特 色 で あ る 。 既 に伊 勢 物 語 が さ う で あ る 。 竹 取 物 語 跡
1
の 如 き 最 も 室 想 的 な も の で さ へ、 そ の 入 名 に實 在 入 物 を 借 b 來 つた 如 き 、 實 在 性 を 與 へて ゐ る。 伊
勢 や 、 篁 物 語 の如 き 實 録 物 語 が 早 く 發 逹 し た のも 、此 の實 在 的 興 味 を 平 安 朝 人 士 が 戚 じ た か ら で あ る 。
ま し て 、 源 氏 物 語 が當 代 の貴 族 肚 會 を 如 實 に描 出 し た 如 き 、 ま た 歴 史 物 語 が 遏 去 の 事 實 に 即 し た 如 き
に至 つて は、 云 ふも 更 であ る。
か く の 如 き 傾 向 の 一面 に 於 い て 、ま た 平 安 朝 物 語 に は 、 非 現 實 的 な 、 室 想 的 な .ロ マ ン チ ッ ク な 傾 向
が 強 い。 竹 取 は 措 く と し て も 、 宇 津 保 の 俊 蔭 紅 仙 入 か ら 琴 を 習 ひ 、 琴 の 名 器 を 彈 奏 ず る事 に よ つ て 種
種 の 奇 瑞 を 見 せ て ゐ る 。 此 の 琴 の奇 瑞 は 、 宇 津 保 の ほ か 、 狹 衣 や 夜 牛 の 寢 覺 に も あ る 。 琴 に戚 じ τ、
天 若 御 子 が 天 よ b 天 下 つ て ゐ る 。 御 津 の 濱 松 で も 、 琴 の 祕 曲 の 傳 授 に 關 し て奇 瑞 の 起 る事 を 記 し て ゐ
る 。 お よ そ 、 靈 祚 を 信 じ 、 魔 法 を 恐 れ た 事 は 、 晝 よ り も 、 夜 の 生 活 ヒ興 味 を 戚 じ 、 輝 か し い光 よ b も
薄 明 の ほ の 暗 さ を 好 み 、 不 健 康 な 、 不 衞 生 な 、 祚 經 衰 弱 的 な 生 活 を し て ゐ た 當 代 貴 族 肚 會 ヒ於 い て 、
甚 し か つた 。 ゆ ゑ に 、 源 氏 物 語 で も 、 葵 上 や ク 顏 は 魔 魅 にと b 殺 惑 れ 、 ま た 源 氏 が 須 磨 明 石 へ流 寓 し
セ 際 の 如 き 、 不 祚 な る徴 象 が し ば ノ 丶 起 つ て ゐ る 。
當 代 の 入 士 は 現 實 的 生 活 を 好 む と 共 に 、 室 想 を 追 う て 生 活 を し て ゐ る 。 此 の 現 實 と 室 想 と の、 微 妙
な る調 和 融 合 、 そ れ が當 代 入士 の最 も 希 望 し てゐ た所 で あ り 、物 のあ は れを戚 す る と は、結 局 、 此 の
境 地 の極 致 を 云 ふも の の如 く で あ る。 即 ち .深 刻 な現 實 生 活 を經 驗 し て、 そ の破 綻矛 盾 不 調 和 タ體 驗
し 、現 實 生 活 の奥 底 に、空 想 の翼 を ひ ろげ て、 現 實 に求 め得 ざ るも のを 追 求 し 、塞 しき 喜 び を 描 く の
で あ る 。そ れ は、積 極 的 な 美 で は な いが 、浩 極 的 な美 し さ があ る。 さ うし た 生 活 が、 つまb 物 のあ は
れ と云 ふ當 代 の言 葉 で云 ひ 現 さ れ る。當 代 の佛 教 の如 き はそ の最 も よ い代 辯 者 で、 現實 的 な花 や かな
儀 式 、 そ の外 形 の底 に、 欣 求 淨 土 のほ の かな る喜 び があ る。 リ アリ スチ ッ クと ロ マンチ ッ ク の最 も よ
き 調 和 が當 代 の 佛教 に見 ら れ る。從 つ て當 代 の物 のあ は れ の代 表 者 と し て、 佛教 が當 時 の瓧 會 に強 大
な る勢 力 を 有 ず る に至 つた事 は 、決 し て偶 然 で は な い。
現 實享 樂 の傾 向 の多 い當 代 にあ つ て、物 語 が多 く 悲哀 の氣 分 を た 丶 へて ゐ る事 は注 意 す ぺき で あ る 。
竹 取 や 宇津 保 の如 5
・
駅
作 品 でも 、絶 世 の佳 入を 點 出 し て、 そ の愛 を得 ら れざ るがた め に、 享 樂 生 活 夕追
う て ゐた 貴族 達 は懊 惱 し 、 途 には 世 を は か な ん で出 家 遁 世 す る者 もあ b 、
自 殺 す る者 も あ る。 ま し て、
,
源 氏 物 語 を はじ め、そ れ 以後 の作 品 に於 い ては 、何 不 自 由 のな い貴 公子 が 、美 女 に思慕 を寄 せ て、しか
も そ れ を 得 ら れ ざ る が爲 めに 、そ の煩 悶 夕紛 ら は さう と し て、 他 の女性 と の關 係 が生 じ 、種 々 の事 件
も 生 ま れ る。 し かも 、 そ の最 初 の戀 は決 し て邃 げ ら れ な いので あ る 。 かく し て、.
世 の無 情 を戚 じ、 隱
中 古 文 學
181
O
Ig2
國 文 學 襍 説
遁 の生 活 を 思 ふ事 が 切 で あ る。 得 ら れざ る戀 を棄 て る事 が出 來 な いの は 一種 の運 命 悲 劇 でも あ る。當
代 の作 品 は そ れを 多 く 目 ざ し てゐ る 。耽 溺 生 活 の底 に横 た は る當 代貴 族 の惱 み は、實 にこ れ で あ つた
ので あ る。純 眞 さを 失 は な い貴 公 子 、 耽 溺享 樂 にそ の聰 明 さを 濁 ら され な い目覺 めた 貴 公 子 の淋 し さ
がブ
ノこ にあ つた 。 物語 は か うし た暗 流 を、 共 通 の惱 みを 、何 れも 描 き出 し て ゐる 。 さ う し てこ れ が亦
所 謂 物 の あ は れ の極 致 でも あ b、 當 代 の 入士 を途 に佛 敏 へと 走 ら せ る原 因 も、 耽 溺享 樂 が極 ま つて の
悲哀 、何 うし ても 得 ら れざ る 愛 と 幸輻 の惱 み 、所 謂醉 泣 にも 似 た 淋 し さ にあ つた の であ ら う。 但し 、
落窪 や 取 替 早 の如 き 、取 材 を 異 にせ る作 品 の諧 調 は、 こ れ ら と は違 つて ゐ る。
宇 津 保 や 源 氏 は、 藤 氏 と源 氏 と の政 治 的鬪 爭 を も ほ の めか し てゐ る。宮 廷 の醜 惡露 骨 な勢 力 爭 ひ は
歴 史物 語 に至 つ て、 如 實 に曝露 さ れ る。 物 語 の中 には、 そ れ が極 め て低 調 に出 てゐ る。 殊 に女 流 の筆
に成 つた作 品 に於 いて は、 一暦 此 の點 に觸 れ て ゐ な い。勢 ひ筆 は個 人 的戚 情 生 活 へと走 る が、大 き い
肚 會 生 活 へ覗 野 が轉 じ て ゐな いの も致 し 方 がな か ら う 。
ノ
竹 取 は最 も量話 的 で あ る。 ま た そ れ には 口碑 傳 説 の影響 が甚 だ濃 い。 妻 爭 ひ慱 設 紳 仙 傳 諡 朋 衣傳 諡
亠
1、
の跡 も見 ら れ れ ば、 小 入 傳 説 の 傾向 さ へあ る。 日 本 靈異 記 の 雷 を捕 へる話 は 、、
古 事 記 や風 土 記 に見 ら
れ る古 代 説 話 と同 種 の詮話 で、雷 岡 と云 ふ、 地 名 の起原 詮 話 とも な つ てゐ る・此 の地 名 起 原 詮話 的傾
向 はま セ竹 取 物 語 にも あ る 。民 間 語 原 詮 の如 き 、 殊 に富 士 山 の地 名 起 原 を 説 く が 如 き がそ れ で あ る。
竹 取 は、 か く の如 く 、原 始 詮話 的傾 向 が甚 だ多 いので あ る。 次 の宇 津 保 も 亦神 仙 談 的傾 向 があ る が・
こ れ には現 實 的 分子 がよ へ多 く な つた 。 殊 に宴 遊 歌 會 の記 事 の黌 富 な る が如 き は 、 よ や當 時 の貴 族 生
活 の 一面 を 現 し てゐ る。併 し 、小 詮 とし て は、甚 だ散 漫 な る印 象 を殘 す だ け で、寧 ろ、 俊蔭 や 忠 こそ
の如 く 、 或 卷 を 獨立 せ し め て、觀 照 し た 方 がよ い。 忠 こ そ は 、落窪 や、或 ひ は住 吉 の原 作 と 竝 ん で 、
繼 子苛 め の話 であ る。何 れも 現 實 的 傾 向 が濃 い。 同 じ 宇津 保 でも 、 俊蔭 の甚 だ室 想 的 な のと は傾 向 を
異 にし 、 ま た 、 落窪 が、 そ の繼 母 に樹 す る殘虐 な 復 讐 の、 到底 現 實 的 に は考 へ得 ら れざ る程度 のも の
であ る の に對 し 、此 の 一卷 の事 件 は甚 だ 現實 的 であ る。 繼 母 の繼 子 に樹 す る 不倫 の戀 、 そ れ が途 げら
れ ざ る爲 め の繼 母 の 奸策 、 博 徒 に托 し て惡 計 和廻 らし 、途 に繼 子 が蹇 し く家 和出 で て僧 門 に身 を投 す
るま で 、 一編 好 個 の家 庭 小 読 で、 取材 的 には 寧 ろ自 然 主 義 的と さ へ呼 ん でも よ い程 であ る・併 し 、源
氏 に至 つて は 、かく の如 く 、あ る事 件 和 物語 らん とす る態 度 と は甚 だ違 つ て來 た ・各 卷 に於 い て、源 氏
を 中 心 とし て、 當 代 の貴 族 生 活 を赤 裸 々に描 出 し よ うと す る に至 つた 。 さ L
つし て、 源 氏 の 一生 の足跡
中 古 文 學
z83
○
國 文 學 襍 詮
が 印 し た 、 入 間 記 録 が此 の 一編 で あ る 。 後 牛 の 宇 治 十帖 で も 、 戀 愛 の 鬪 爭 か ら 、 邃 に 淨 舟 が 投 身 す る
ハツ ピロ エ
ン ド
に 至 る ま で 、 事 件 は 悲 劇 的 に 未 解 決 の ま 丶 で 終 り 、 目 出 た し ノ 丶 で 解 決 し て ゐ る の で は な い。 源 氏 物
語 に至 つ て 自 然 主 義 的 傾 向 は 一暦 強 い。 此 の 未 解 決 の ま 丶 で 、 末 途 げ ら れ ぬ 戀 に 惱 み つ 丶物 語 を 終 る
の は 、 源 氏 以 後 、 狹 衣 や 御 津 の 濱 松 が 同 じ 形 式 を 取 つ て ゐ る 。 夜 牛 の寢 覺 に も 同 樣 の傾 向 が強 い 。 併
し 、 源 氏 物 語 に於 い て、 現 實 と 室 想 と の い み じ き 調 和 を 見 せ た の が 、 そ れ 以 後 は 、 兩 方 が稍 々分 離 し
て來 た 。現 實 的 傾向 は更 に進 ん で、戚 能 的描 寫 と な つた 。狹 衣 や 取替 早 には さ うし た 可 成 り 突込 んだ
描 寫 が見 え る 。 ま た 浪 漫 的 傾 向 は 外 國 への憧 れ と な つ て 、 エキ ゾ チ ッ ク な 作 品 が現 れ た 。 御 津 の 濱 松
がそ れ で、 同 じ頃 、 唐 國 物 語 など と 云 ふも のも あ つた 。松 浦 宮 物 語 や 唐 物 語 も同 じ要 求 から 生 ま れた
作 品 で あ る 。 こ れ ら の エキ ゾ チ ッ ク な 味 が結 局 極 め て稀 薄 な も のと な つた の は 、 表 現 の 力 が 足 り す 、
形 式 に於 い て、 在 來 の マ ン ネ リ ズ ムを 追 つ てゐ た か ら で あ ら う 。 此 の 外 、 取 替 早 に 見 お が 如 き 獵 奇 的
趣 昧 の 作 品 も 現 れ た 。 堤 中 納 言 の 十 篇 の 短 篇 小 説 に も 同 じ 耽 奇 的 傾 向 が あ る 。 こ れ を 今 日 の言 葉 で 云
エ
ロ
ゲ ロ
へば 、 愛 郎 と 濁 黒 の 趣 昧 が 汪 盗 し て ゐ る の で あ る 。 就 中 愚 魯 プ ス ク な 作 品 が多 か つ た 。 御 津 の 濱 松 や
取 替 早 が そ の代 表 者 であ る 。
併 し 、 此 の頽 廢 的 傾 向 は 、 も は や 平 安 朝 文 學 の 末 期 な る 事 を 思 は し め る 。 か く て 、 入 心 は 過 去 の花
184
や か な時 代 、 就中 、 數 多 の才 媛 が出 て 、源 氏 物 語 や枕 草 子 や 和泉 式 部 日 記 の生 まれ た道 長 時 代 を滬 懷
す る の み であ る。此 所 に於 いて、 道 長 時代 を中 心 と し て、 過 去 を振 b か へつて見 た歴 史物 語 が生 ま れ
た 、大 鏡 と榮 花 物語 が そ の代 表者 であ る 。 榮花 物 語 の卷 名 や、 外 面 描 寫 の詳 細 な點 に至 るま で、源 氏
物 語 を模 倣 した の に覲 し、 大 鏡 は、 形式 に 一新 樣 式 を 開 き 、 犀利 な 心 理描 寫 や 個 性描 寫 、 ま た事 件 の
裏 面 的觀 察 や 論 評 に、す ぐ れた 才 筆 を見 せ て ゐ る 。此 の大 鏡 が更 に幾 多 の模 倣 文 學 を生 んだ の も 、此
の新 し い内 容 形式 が後 人 を魅 惑 し た か ら であ る。
實 録物 語 も 亦 、同 じ く 遏去 への追 懷 では あ る。.併 し、 そ れ は 叉平 安 朝 文 學 全 體 を 通 じ て流 れ て ゐ る
實 在 的興 味 の現 れ の 一面 とも 見 ら れ る。 平 仲 物語 が伊 勢 物 語 の形式 を 襲 ひ 、篁 物 語 も 亦 主人 公 以外 は
實 際 の入 名 を 隱 し て叙述 し た所 は、 歴 史 物 語 と異 な り 、即 ち 當 代 の純 物語 に多 く 見 え る、實 際 性 と浪
漫 性 と の調 和 の結 果 で あ る。此 の種 の自 叙 傳 的 小諡 が早 く 存 し てゐ た 事 は 、宇 津 保 物 語 藏開 中 に、俊
蔭 の自 叙 傳 小 詮 の存 す る事 を述 べ て 、
﹁た ゴあ り つ る事 を物 語 のや う に書 き 記 し つゝそ の折 の歌 ども を
つけ た り﹂ ﹁是 は俊蔭 が京 よb筑 紫 へ出 で立 ち 、唐 土 へ渡 り た りけ る間 よ b は じ め て、京 に歸 b參 う で
來 て娘 の上 を言 ひ そ め て、言 ひ つ 丶折 々に歌 あ b﹂ ﹁集 ど も 日 記ど も な どを な ん 吏 せ て聞 く ぺき﹂な ど
と あ る の でも 了 解出 來 、 且 つ、集 、 日 記 、 物 語 の交 渉 の事 も 此 の段 が よぐ 示 し てゐ る の であ る。多 武
中 古 丈 學
185
國 文 學 襍 詮
峰 少 將 物 語 が自 然 圭義 的傾 向 の最 も多 い、 最 現 實 的 作 品 な る事 は既 に述 ぺたσ 要 す るに、 物 語 の原 始 86
1
形 式 な る伊 勢 物 語 の 如 ぎ歌 物 語 は、純 物語 の形 式 へと變 化し た 外 、 そ の純 粹 形式 内 容 を、 此 の實 録 物
語 へと 傳 へてゐ た ので あ る 。而 し て、そ れ は、外 國 の實 録 物語 な る唐 物 語 や、 鎌 倉 時 代 の今 物 語 以下 、
佛 教 諡話 集 や 宇 治拾 遺 物語 等 の中 にさ へも 、 ほ の かな 類似 を 思 はし め るも の があ る。 吉野 拾 遣 物 語 の
題 名 は宇 治 拾 遺 よ も得 たも の であ る が、 そ の形式 に至 つ ては 、大 和物 語 と 全 く同 種 の歌 物語 とな つて
ゐ る。 歌 物 語 の形 式 は後 代 に永く 模 倣 せ られ た 。
七
平 安 朝 の物 語 文學 は假名 の發 明 と そ の普 及 の結 果 大 いな る發 逹 を見 た 。 しか も男 子 は學 者 的名 譽 に
於 いて、 漢字 漢 文 を離 れ る事 が出 來 な か つた が爲 め に、 女文 字 た る假 名 の文學 は、 女子 の手 によ つ て
大 いに發 逹 させ ら れ、 此 所 に多 く の才 媛 が現 れ た。 假 名 文學 の發 逹 の當 初 にあ つ ては、漢 文 の影響 を
受 け て 、漢 文 式簡 潔 な表 現 方 法 を 取 b、﹁曰く ・
⋮ -と 云 へb﹂の如く 、 上下 相 受 けた 云 ひ 方 も漢 文 のそ
れ であ つた 。 それ が女子 の手 によ つ て、 獨特 の國 文 脈 の云 ひ方 が發 逹 させ ら れ、 邃 に、 綿 々と し て切
れざ る長 文 の文章 とな つた 。 これ は漢 文 か ら離 れ て假 名文 の特 色 が發 揮 せ ら れた 爲 めであ る。 一面 に
於 いて、 和歌 の詞 書 か ら 、歌 物 語 の形 式 を 經 て當 代 の 物 語 へと 發 達 し た 過程 の結 果 、 和歌 の挿 入 が甚
だ 多 い。 こ れは 、 當 代 の瓧交 的儀 禮 に和歌 が用 ゐ ら れ た實 際 杜 會 の状 態 を 寫し た 爲 めでも あ る。 か 誓
し て、 和歌 の挿 入 は斯 の種 物 語文 學 の 一大 特 色 と な つ てゐ る。
源 氏 物語 以前 の竹 取 宇 津 保落 窪 に は 、高 位 の身 分 の 入 にも實 名 を憚 り なく 用 ゐ沈 。 源氏 以後 の物語
は多 ぐ 實 名 を 敬遽 し て 用 ゐ な いが爲 め に、入 物 關 係 が複 雜 とな つた。 こ れ は、 肚 交 の發 逹 し た結 果 、
禮 儀 觀 念 が進歩 し た 爲 めで あ ると共 に、 女流 文 學 の發 逹 し た結 果 、 女 性 獨特 の謙 譲性 が實 名 を 敬遑 さ
せ た の であ ら う。 竹 取 宇 津 保 落窪 は恐 らく 男 性 の作 と 思 は れ る が、源 氏 物 語 はさ う で はな い。 かく て、
實 名 を用 ゐ な いで、 官 位 で入 物 を 表 す事 が、 そ の後 の古 物 語 の 一特 色 でも あ る。 こ れ は物 語 を浪 漫 的
に させ 、所 謂物 のあ は れ の表出 には 一の效 果 あ る樣 式 と も な つた が、 他 面 入 物 關 係を 難 解 な ら し め る
弊 を招 いた 。
平 安 朝 文學 は教 養 あ る貴族 の所 産 であ b、 讀 者 暦 も 亦 此 の階 級 に限 ら れ てゐ る。即 ち 全 く の貴 族 文
學 であ る 。 こ れ が王 朝 物 語 を し て種 々な る特 性 を 持 た し める。 上 述 し た 特 色 も亦 、此 の結 果 であ り、
、 源 氏 物 語 の夕 顏 に
就 中 物 のあ は れ の如 き 戚 情 、 そ の他 、道 徳 等 に關 す る通 有 觀念 、物 語 に現 れ た る思想 、 何 れ も貴 族 階
級 の産 物 に他 なら な い。 そ こ には貴 族 以外 の瓧 會 觀 念 は認 めら れ な い。 た ま く
中 古 交 學
187
國 文 學 襍 説
ぬ
も
ヘ
ヤ
も
へ
貧 民逹 の生 活苦 が語 ら れ ても 、結 局 そ れ は 、貴 族 に取 つて は解 し難 い、 あま さ へづb に過 ぎ な い ので
あ る。 大 和物 語 の蘆 刈 の話 (そ れ は後撰 集 よ b出 で て謠 曲 にも作 ら れ た ) でも 、 徒 ら に貴 賤 の懸 隔 の
甚し き を 示す だ け で、貴 族 の妻 と な つた 女 が、貧 し き がゆ ゑ に別 れ て、 今 は甚 し く零 落 し てゐ る先 夫
を 救 ふ努 力 さ へも盡 くす 事 が出 來な い。 小 野 篁 や 、 字津 保 の藤 英 の如 き貧 し き學 者 も 、結 局 高 家 貴族
と の結 婚 によ つ て自 ら の出 世 を計 る の徒 に過 ぎ な い。伊 勢 物 語 の河 内 の女 へ通 ふ男 は 、貧 し き がゆ ゑ
に、最 愛 の幼 馴 染 の妻 をも 捨 て て金 持 の 女 に走 ら う と し た の であ る。堤 中納 言 物 語 の は い墨 の主 入 公
も、 此 の河 内 通 ひ の男 の變 形 し た も ので あ る。 見 來 れ ば 、 上 品艶 美 を 求 め、物 のあ はれを 喜 ん だ 、當
代 貴 族 生 活 の、 は か な き顛 落 で はあ る。
宇 津保 物 語 の強慾 吝 畜 な る富 豪 滋 野 眞菅 は 、金 力 を 以 つ て女性 を 己 に膝 ま つか せよ う とし た。 從者
を 酷 使 す る此 の老 爺 の面 皮 は、 手 痛く 剥 が れ て ゐ る。併 し そ れ は所 謂 物 のあ は れを 知 る貴 族 逹 が、金
力 を以 つて成 b 上 り 、横 暴 非 道 を振 舞 ふ富 豪 への反 威か ら描 かれ た も ので 、 一面 から見 れば 、 成 金者
流 が、既 成 の階 級 た る貴 族 達 を脅 す が爲 め の反 戚 の現 れ でも あ る。し か も此 の成 b上 h者 がそ の金 力
,
を 以 つて蔑 h難 い隱 然 た る勢 力 を持 つ てゐ た事 は、 源 氏 物語 の雨 夜 の品 定 め で 、身 分 は餘 り高 く な い
が 、金 力 のあ る 受領 を 以 つて、稍 理想 に叶 ふ階 級 と し てゐ る のを 見 ても 分 る。 而 し て、受 領 の豪 奢 な
188
生 活 は源 氏 物語 の常 陸 介 の生 活 にも描 か れ てゐ る。 受 領 の勢 力 は、 や が てそ こに 土著 し た武 士 の 勃興
と な つて 現 れ る。 武士 の 勃興 は途 に貴 族 の勢 力 を完 全 に奪 ふ に至 つた 。 そ の萠 芽 は既 に宇津 保 源 氏 以
前 にあ つた の であ る。 兩 者 の鬪爭 が此 所 に僅 か な がら 顏 を出 し てゐ る。
當 時 の貴 族 肚 會 に絶 大 の勢 力 を持 つて ゐた 僭 侶 階 級 に對 す る反威 の現 れ も亦 あ る。多 武 峰少 將 物 語
の 如く 、 そ の他 の諸 物 語 にも見 ら れ る僭 侶 生 活 への憧 れ、 佛 教 への歸依 信 仰 、 俘 世 の眛 氣 な さを 覺 え
て は、 唯 ︼の逃 避 所 とし た佛 門 、 當 代 の物 のあ は れ を 代 表 す る宗 教 、 そ れ す ら も 、勢 力を 笠 に着 ての
横 暴 非 行 には 、心 あ る入 士 を 顰 縮 させ る も の が あ つた 。 既 に日 本 靈 異 記 にも 僭 侶 の惡 行 の話 が出 て ゐ
る 。狹 衣 物語 に於 いて、 仁 和寺 の威儀 師 か ら 飛鳥 井 の姫 君を 救 ふ 一段 は、 か 丶る惡 僭 へ鐵 槌 を 下 す も
のと し て、 興 味 あ る物 語 であ る。 堤中 納 言 物 語 のよ し な し言 も亦 か 丶る僭 侶 への、 皮肉 が竝 ぺ られ て
後世の書会 ど 鞠
ゐ る。 要 す る に勢 力 を 以 つ て壓 伏 ずる者 への反 抗 の聲 で あ る。 上 品 典 雅 を 旨 と す る當 代 の物 語 にも さ
う し た 心持 が所 々に現 れ てゐ る。 私 は そ れ を興 昧深 く 思 ふ。
八
古 來 入 氣 の あ る作 品 は多 く 讀 ま れ 、從 つて種 々轉 寫 せら れ る問 に誤 脱 が生 じ、堯
中 古 文 學
國 交 學 襍 設
も 加 は つ て 、 異 本 が 生 じ る 。 こ れ を 逆 に云 へば 、 異 本 の 多 く 存 す る 書 は 、 古 來 最 も 多 く 讀 ま れ た も の 90
1
で 、 ま た 一般 的 に興 眛 を 戚 せ し め る だ け の 價 値 あ る 作 品 と も 云 ふ 事 が出 來 る 。 枕 草 子 な ど は 除 く と し
て、 物 語 だ け に 就 い ゴ 見 れ ば 、 異 本 の最 も 多 き は 住 吉 物 語 であ る 。 つ い で狹 衣 (版 本 も 、 活 字 版 二種 、
承 應 三 年 版 、 明 暦 三 年 版 、 寛 政 十 一年 版 等 數 が多 い ) が あ b 、 伊 勢 、 源 氏 、 竹 取 、 落 窪 、 宇 津 保 、 取
替 早 、 大 和 等 ま た そ れ み 丶 異 本 が存 し て ゐ る 。 濱 松 、 寢 覺 、 堤 中 納 言 等 に 至 つ て は 、 多 く 異 な る も の
は な い 。 勿 論 異 本 の 有 無 が 作 品 の 價 値 を 決 定 は し な い が 、 古 來 行 は れ た か 否 か だ け の 標 準 は 立 つ。
異 本 は、 前 述 の 如く 、書 寫 の問 に誤 脱 を生 じ 元 b 、 ま た作 品 の面 白 さ に、 後 入 が補筆 添 削 を し て文
章 を 異 にし た b、 人 物關 係 の心 覺 え 、 そ の他 の註 記 を書 入 れた も の が本 文 とな つた b、 或 ひ は原 本 の
讀 解 し 難 い所 か ら 、 い 丶加 減 に書 き 改 めた り 、 書 籍 鵯
〃綴 ぢ る際 の 邇 失 か ら で さ へも 、 種 々 の 異 本 を 生
す る 結 果 と な る。 併 し 更 に、 原 著 者 の 訂 正 か ら も 異 本 を 生 す る 可 能 性 は あ る 。 初 稿 が 世 に 流 布 し 、 更
に そ れ を 著 者 が 筆 を 加 へた 再 稿 か ら も 異 本 が 世 に 流 布 す る。 源 氏 物 語 や 枕 草 子 の異 本 に は 、 か く 解 す
べ き 點 が あ る 。 併 し 狹 衣 や 住 吉 の 如 き は 、 必 す 後 人 の加 筆 と す ぺき も の が あ る 。・
これ ら は諸 本 の本 文
を 系 統 的 に 調 査 探 究 し 、 嚴 密 に比 較 綾 合 す る 事 に よ つ て 、 可 成 り 解 決 せ ら れ る の で あ る 。 た ず そ れ に
は 最 も 綿 密 な 頭 腦 と 、 科 學 約 な 正 確 さ と 、 誤 ら ざ る 判 斷 が 必 要 で あ る ρ こ れ ら の 校 合 は 徳 川 時 代 に多
く な さ れ た 。偉 大 な る學 者 は こ の仕 事 に多 く の業 績を 殘 し て ゐ る。 然 る がゆ ゑ に、今 日 の學者 は、そ
れ を 不 必要 だ と 云 ふ の は甚 だ 間 違 ひ であ る。 第 一に、舊 時代 の學 者 は 、科 學 的 な嚴 密 さと 、 正確 な推
理 判 斷 の缺 け たも の があ る。 殊 に諸 本 の系 統 的研 究 を 怠 つて ゐ る が如 き は そ の 一大 缺 陷 であ る。 我 々
は 今 日 の文 化 に育 まれ た 新 し い頭 腦 を 以 つ て、 も う 一度 根 本 的 に、科 學 的 に校 合 の事 業 を や b直 す 必
要 があ る。 第 二 に、 舊 時 代 の學 者 の知 るを 得 ざ る多 く の異 本 が世 に出 てゐ る。新 資 料 の發 見 は多 々で
あ る。 文 化 の發 逹 は多 く の諸 本 を究 明 さ せ る便 宜 を與 へて呉 れ る。 かぐ 新 し い研 究 の結 果、 從 來 、 本
文 とし て、 定 本 覗 さ れ てゐ た も の は 、何 れも そ の資 格 を失 ふ事 にな る。 田 中 大 秀 の竹 取 物語 の本 文 の
如 き は 、殊 に私 意 を 以 つ て改竄 し てゐ る。 これ は最 も 非 科 學 的 な 一例 で あ つて 、竹 取 翕 物語 解 の本 文
は抹 殺 せ ら れ な け れ ば な ら な い。勿 論 本 文 を 改 訂 す る は研 究者 の 一見 識 であ ら う 。 併 し か 丶る見 識 は 、
今 日 世 に行 は る本 文 の ま ゝで十 分 解 す る に足 ると 云 ふ事實 の前 には、 何 ら の價 値 も な い。 藤 井 高 徇 の
伊勢 物 語 新 釋、 中 村 秋 香 の落 窪 物 語 大 成 、ま た 物 語 で は な いが 、武 藤 元 信 の枕 草 子通 釋 の本 文 の如 き 、
何 れ も 新 し い研 究 者 が 、そ の非 科 學 的 な 、雜 然 とし た諸 本 の寄 せ集 め で、 た ず文章 が よ bよ く 了解 出
來 ると か、 か うも あ つた 方 がよ から う と か云 ふや う な、 常 識 判 斷 以 外 の何 物 で も な い誤 謬 を清 算 す る
必 要 があ る。
中 古 文 學
191
國 文 學 襍 誘
か くし て、 稜 合 の根 本 的事 業 は、 そ の書 の成 立 の問 題 に執、 また 原 著 者 の文章 訂 正 の跡 を辿 つ ての
觀 照 の 上 にも 、 作 品 の 正し い理解 や 味讀 の 上 にも 、 古 代 國 語 の研 究 の 上 にも 、 種 々 の效果 を及 ぼ ずの
であ る。 註 釋 の仕 事 にし て も、 此 の根 本 的事 業 が緒 に就 か な け れ ば駄 目 であ る。 從 つ て註 釋も 亦 、 新
時代 の學 者 は新 し く や b直 す 必 要 があ る 。 か く 觀 來 れば 、 舊 時 代 の學 者 の事 業 は、 勿 論無 意 味 で はな
いが、我 ら はそ れを 以 つて能 事 絡れ b とし て、 晏 如 と し て ゐ る事 は出 來 な い。 過 去 の學者 は結 局 一歩
の足 跡 を 印 し た の み 、我 等 は更 に新 し い門 出 を な し て數 歩 を 前 進 せ し む べき であ らう。
九
平 安 朝 物 語 の後 代 に與 へた影 響 は大 き い。 今 小 読 史 の側 か らそ れ を 簡 單 に述 べよ う。
源 氏 物 語 が後 代 小読 の津 梁 とし て、最 も大 き い影 響 を 與 へて ゐ る事 は 云 ふ ま で 汽な い。 擬 古 物 語 は
多 か れ 少 か れ何 れ も源 氏 物 語 の影響 を 受 け てゐ る 。現 存 の住 吉 物 語 には 、始 の方 に源 氏物 語 の影響 と
見 られ る句 があ つ て、 源 氏 物 語 以後 の作 品 であ る事 は此 の點 か ら見 ても確 か であ る。狹 衣 物 語 の如 き
は最 も 源 氏 物 語 の内 容 を 多 く 取 b入 れ た も の、 わ が身 にた ど る姫 君 の 如き も源 氏 物 語 と同 樣 の性格 の
入 物 、類 似 の事 件 が、 多 ぐ 見 え る。 室 町 時代 の作 品 と 思 はれ る朧 夜 物語 の如 き は、
全 く の模 倣 であ b 、
'
1 朝 顏 の露 の宮 や 、 お伽草 子 の猿 源 氏 草 子 、 花鳥 風月 、 紫 式 部 の卷 、 源 氏 供養 草 子 等 も そ の影 響 夕受 け
た も の、謠 曲 で は源 氏 物語 に取 材 した 曲 が 二十 五 曲 に逹 す る。 十 訓 抄 の、鳥 朋 院 の時 の雨 夜 の品 定 は、
明 か に源 氏 のそ れを 眞 似 た も の、 同 書 に はま た 近 江 君 の事 も 引 いて ゐ る。 江 戸 文學 で は、 西鶴 の好 色
一代 男 が、 源 氏 物語 及 び伊 勢 物 語 を 換 骨 奪胎 し たも の であ る事 は特 に注 意 に値 す る。 そ の他 、 源氏 物
語 を 當 代 の 小読 風 に飜 案 し たも の に、 源 氏 明 石 物 語、 風 流 源 氏 物 語 (都 の錦 )、 若草 源 氏 、雛 鶴 源氏 、扁
ぞくげ
紅 白 源 氏、 俗解 源 氏(以上 梅 翕 作 )
等 があ b、 ま た、 建 部 凌 岱 の讀 本 風 の俳諧 源 氏を 經 て、柳 亭 種 彦 の
にぜ
むらさ
き
草 雙 紙 の諺 紫 田 舍 源 氏 と な つた 。 田舍 源 氏 の續 篇 に は、 其 由縁 鄙 迺俤 (一筆 庵 圭 入 、 柳下 亭 種 員 、
笠亭 仙 果 改 め柳 亭 種 秀 改 め 二世柳 亭 種 彦 、
、 足 利 絹 手染 の紫 (笠 亭 仙果 、 松 亭 金 水 )、薄 紫 宇 治 の曙 (柳
下亭 種 員、 笠 亭 仙 果 )等 があ る。 そ の他 縮 譯 俗解 の書 は數 々見 え る。 假 名草 子 の柏 木 衞 門櫻 物 語等 に
も 源 氏 の影 響 が認 めら れ る。 近 松門 左 衞 門 も ﹁某 わ かき 時 大 内 の草 紙 を見 侍 る中 に、節 會 の折 ふし 露
いた う ふb つも bけ る に、 衞 士 にお ふ せ て、 橘 の雪 は ら は せ ら れ け れ ば、 傍 な る松 の枝 も た は 丶な る
が、 ・
つら めし げ には ね返 り て乏か け り ⋮ ⋮是 を 手 本 と し て我 淨 る り の精 紳 を いる 丶事 を悟﹂ つた と云
ふ(難 波 土 産 乂
。 これ は末 摘 花 の卷 の事 であ る。 此 の段 に就 いて は、淨 世草 子 の好 色萬 金 丹 に も ﹁光 る
93
源 氏 の常 陸 の宮 にと まら せ給 ひし 曉 の庭 の雪 も さ こ そ や﹂ など と見 え てゐ る。 惣 じ て、 源氏 物 語 の中 申 古 丈 學
●
國 丈 學 襍 設
で も、 雨 夜 の品 定 や、 女 三宮 の猫 の事 など は 、殊 に後 代 に薯 であ つた 。 素 +帖 のあ 蕊 な 物語 も
餌
擬 古 物 語 に影 響 が多 い。
伊勢 物語 も亦 源 氏 物 語 と共 に多 く の影響 を 與 へた。 八 雲 御抄 で は、 古 今 伊勢 源 氏 を 歌道 の必 讀 書 と
し て ゐ る、就 中 、 業 平 の東 國 下 b の八 橋 や都 鳥 の條 、芥 川 の條 、 筒 井 筒 の條 、河 内高 安通 ひ の條 な ど
たかす
は 、 後 代 文學 に甚 だ多 く の影 響 を與 へて ゐ る。謠 曲 に は これ ら に材 料 を取 つた も の があ る。高 安 逋 ひ
は江 戸 時 代 の歌 舞伎 の有 名 な外 題 とも な つ て ゐ る。 竹 取 や 狹 衣 も 亦謠 曲化 され てゐ る。 お伽 草 子 の落
窪 物語 、小 落窪 (兩 者 は 大 方同 じ)、
狹 衣 (これ に内 容 の異 な る本 二種 あ わ)等 は 、
王 朝 物 語 の正系 を引 く
も ので あら う。既 に早 く 古 本住 吉 が現存 本 住 吉と な り、取 替 早 が今 取替 早 と な り 、
夜 孚 の寢覺 が、
後 に縮
譯 さ れ た 如 く、 原 本 の改 作 補 訂 は何 時 の時 代 にも 多 く 行 は れた 。 さ う し て、 こ の事 はそ の本 の入 氣 の
有 無 を も 察 す る に足 る も の があ る。 宇 津 保 、狹 衣、 夜 牛 の寢 覺 等 に現 れ た 天 若 御子 は、 近 吉 小説 でも 、
天 若 彦 物 語 (一名 七ク 物語 、 一名 七夕 の草 子 、 これ に全 く内 容 の異 な る本 二種 あ b 、ま た 此 の 兩異 本
と も に、 各 廣略 の 二本存 す ) に取 り扱 はれ て ゐ る。 常 盤 嫗 物 語 は堤 中 納言 物語 のよし な し ごと に據 つ
て作 ら れた と 云 はれ 、 狂 言 の墨 塗も そ の粉 本 を堤 中 納 言 の は い墨 に求 めよ う と す る。
江 戸 時 代 で は 、假 名 草 子 淨 世草 子 に伊 勢 物 語 の擬 作 物 が數 多 く出 てゐ る。 仁勢 物語 、 吉原 伊勢 物 語 、
く せ もの
がおり
置ハ
實 研勢 物 語 、 好 色 伊勢 物 語 、 仁 勢 物 語 通 補抄 等 が そ れ で、 上田 秋 成 の癇 癖 談 も 亦同 種 のも のとす
べき で あら う。 伊勢 物 語 平言 葉 は 俗解 の書 であ る。 八 文字 屋本 には娚 伊 勢 風 流 や 小野 篁 戀 釣 般 の如 き
が見 え る 。草 雙 紙 で は、 伊勢 物 語 榮花 枕 、
黼糀竹 取 物 語 (山東 京 山)、鵬儼伊 勢 物語 (束 里 山人 と 今業 平
ノ
まがひ
普 迺面 影 ハ
笠 亭 仙 果 )、 田舍 織 絲線 狹 衣 (緑 亭 川 柳 )
等 があ り、 酒落 本 に惠 世物 語 (止 働 堂 馬 呑)が あ り、
滑 稽本 にも戯 男 伊 勢 物 語 (
頭 少 々禿 麿 )があ る。 勿 論 何 れ も 名 を借 bた だ け で、 内 容 は 古 物 語 と甚 だ縁
の遑 いも の と な つて ゐ る が、 古 典 に材 料 を取 ら うと し た 心 持 だ け は見 ら れ る。 概 し て源 氏 と伊 勢 と の
影響 を除 い ては、 江 戸 時 代 には 見 る べき も のなく 、 殊 に元 祿 以 後 そ の影響 は盆 々稀 薄 と な つて、 時代
丶
的 好 徇 は古典 趣 昧、 殊 に王 朝 趣 昧 よ b完 全 に脱 し てゐ る。 江 戸 時 代 の初 は、新 興肚 會 の智 識 的慾 求 が
旺 盛 であ つた が爲 め に、 古 典 の智 識 を も多 く 取 り入 れ た の であ る が、 元 祿 時 代 以後 の杜 會 は全 く 獨自
の文 化 を 有 し て、 古 典 趣 昧 か ら は全 く 解 放 せ ら れ た 。江 戸 中 期 以後 の國 學 は上 代 趣 昧 を 一部 の階 級 へ
勃興 さ せた が、
一般 民 衆 と は多 く の隔 た り があ つて、王 朝 物 語 の如 き は 、一部 國 學 者 趣 味家 文 人 のも て
あ そ び物 とな り、 模 倣 作 品、 擬 古 文 學 、 雅 文 小 説 も 若干 作 ら れ た が、 多 く 見 る べき も のは な い。 た ゴ、
(昭和五年+二月)
讀 本 が、 こ れ ら雅 文 小 詮 よ り脱 化し て、 獨 自 の境 地 を 開 き、 小 諡界 に 一旗 幟 を立 てた 事 は、 王 朝 文 學
の智 識 がも た らし た ほ の か な る功 績 と し て、 記 し て お い てもよ から う9
申 古 文 學
Ig5
●
國 丈 學 襍 読
本
古 今 集 の 研 究 に就 いて
一、 諸
古 今 集 の諸 本 に就 い ては、 西下 經 一氏 の ﹁古 今 集 傳 本 の系統 論﹂ (國 語 と 國 文 學 昭 和四 年 一月 號 )が
最 もま とま つ陀研 究 で あ る。勿 論 、 そ れ は必 す し も 諸 本 を つく し た も の と は云 はれ な いけ れど も、 今
日 古 今 集 の諸 本 の形態 系 統 を う か がふ の に は、最 も 恰 好 な 論 文 であ るo
西 下 氏 は、 古 今集 の諸 本 を、 大 體 、 一俊 成 本 、 二定家 本 、 三清 輔 本 、 四 元 永 本 の四種 に大 別 し て居
ら れ る。 さ うし て、 親族 關係 のあ る こ ご二の 三本 に野 し て、 四 の本 は ﹁最 も 距 離 のあ る異 本 ﹂ と せ ら
れ て ゐ る。 右 の四 本 の中 、 定家 本 は更 に、 一貞 應 本 、 二嘉 祿 本 の二種 に分 れ る 。 さ うし て、 此 の中 、
貞 應 本 は最 も 世 に流 布し て、 傳 本、 刊 本 の多 いも の であ b、 大 抵 の註 釋 書 も これを 底 本 とし てゐ る。
故 に こ れを 流 布 本 と 云 ふ。右 の中、 俊 成本 を 除 いて は、 何 れ も 活 版 本 が出 てゐ る。次 に、 そ の 一覽表
i96
を 掲げ て 見 ると 、
流布本
俊 成 本i ー未 刊 (
宮内省圖書寮所藏)
定家本
貞應本ー
嘉祿 本ー1 岩波文庫版 (尾上八郎 博士稜訂)
清輔本ー 尊經閣叢刊 (
前田家所藏)
元永本- 謙稟 專 和歌集 尾 夫 郎博士稜訂)
此 の四 本 の中 、初 の三 本 が密 接 な 關係 の あ る事 は前 述 の 如く で あ る。
俊 成 本 は 永暦 二年 七月 十 一日 に書 寫 し た 由 の俊 成 の奥 書 があ る。 此 の奥 書 によ ると、 俊 成 は、 貫 之
自 筆 の 本 によ つ て書 寫 し た と云 ふ。 次 に、 此 の奥 書 に就 い て、 古 今集 の傳 來 成 立 上 に注 意 す べき 點 を
掲 げ て見 る(全文 は 西下 氏 の研 究 に出 づ)。
一、 貫 之自 筆 本 は卷 首 に眞 名 序 な く 、 假 名 序 のみ な る事 。
二、 俊 成 の師 基 俊 の本 に は、 卷 首 に眞名 序 があ り、 次 に假 名 序 があ つた の で、 此 の墓 俊 本 に よ つ て、
別 に卷 首 に眞 名 序 を書 き 添 へた事 。
中 古 文 學
Ig7
'
國 文 學 襍 説
三 、貫 之 自筆 本 の 假名 序 に は既 に古 注 が あ つた と 云 ふ事 。幽
かんがへ
もの
四 、 本 文 に、 墓 俊 本 によ り、 或 ひ ば俊 成 自身 の意 見 によ つて、 働 物 を書 入 れ た と云 ふ事 。'
すみけし
五 、 貫 之 自 筆 本 には 、所 々に墨 滅 の歌 があ つた事 。
㌦ 六 、 貫 之 自 筆 本 には、 詞 書 や入 名 等 の遣ハ
名 で書 く べき 所 が假 名 で書 い てあ つた 事 、 こ れ は多 分 貫 之
が女子 に書 き與 へた 本 で あ つた か ら であ ら う と云 ふ事 。
右 の 如く であ る。而 し て、 此 の貫 之自 筆 本 に關 し て は、 定 家 の顯 註密 勘 の奥 書 に、 此 の書 は崇 徳 院 が
藏 さ れ、 教 長 卿 や 、 定家 の父俊 成 や、 清 輔 が書 寫 し た 事 を 記 し て ゐ る 。 こ れ によ つ.
て、 現 今傳 は る古
冷 集 最 古 の註 釋書 の教 長 粧 や、 こ の俊 成 本 や、 ま た 下 に述 べ る清輔 本 が、何 れ も 崇徳 院 御 藏 の貫 之 自
筆 本 な るも のよ b 出 でた 事 、或 ひ は それ に關 係 のあ る事 が明 ら か であ る。
貞 應 本 は、 定 家 が貞 應 二 年 七 月 十 二日 に書 寫 し 、 同 十八 日 に稜 合 し た由 の奥 書 の あ る本 で、 此 の奥
書 が除 いて あ つても 、 我 々の多 く 眼 にす る活版 本 は何 れ も貞 應 本 であ る。
嘉 祿 本 は、 定 家 が嘉祿 二年 四 月 九 日 に書 寫 し た 由 の奥 書 の あ る本 で、此 の年 月 日 以 外 の 文章 は、貞
應 本、 嘉 祿 本 共 に、 奥 書 が殆 ど 同 文 であ る。 然 る に、 西 下 氏 の紹 介 し てゐ る、 橋 本 進 吉 氏書 寫 の、 山
城 毘沙 門 堂所 藏 の古 今 集 註 の奥 書 によ ると、 定 家 は建 保 二年 の秋 に、 前 に記 し た 定家 の父 俊 成 自 筆 本
Ig8
D
三年晋
呈
善
き 始 め・ + 七
も 嘉祿 本 の奥 書 の峯
七
る、 右 によ ると 定家 本 は・
嘉 頑 三年 の奥 書 の文章 は、 最
+ 三日 の奥 書 があ つで 、 正 旱
記 し て あ る。 砦
を 書 寫 し 、 ←、塞 護
合 を加 へた と云 ふ 棄
によ つて古 藁
日 に薐
(六 十 二歳 )
一建 保 二 年 ー ー (五 十 三歳 )
と 酷 似 し て 居 り 、 貞 應 本 の 冫、
れ と も、 大 方同 じ で あ
一一
貞 應 二年 ー
(七十六歳)
三嘉 祿 二年ー ー(
六十五歳)
四嘉頑 三年ー
の四 種 と な るわ け で、 そ の中 、 一は俊 成 本 に酷 似 し たも の と 云 ふ べく、 二 三四 の 三本 に は殆ど 同 一の
文 章 の奥 書 が見 え る わけ であ る。 此 の同 一の 奥 書 が 三本 に あ る と云 ふ點 は、 殊 に怪 しむ べき 事 で あ る
れ
る事 か 貞類 推 し ても ・ 單 に・
の書 寫 でな い に係 は ら す、 定家 の書 入 れ た と信 ξ
が、 併 し、 今 これ を 否 定 す べき確 實 な憑 據 も な い。 伊 勢 物 語 の定 家 本 に 三種 (流 布 本 ・ 武 田 本 ・ 天幅
本 ) あ り 、 そ の 奥書 は 全然 違 つ て ゐ て、 同 蒔
餐
い。 た ゴ、 現存 の貞 樂
、嘉檗
の 二本 に就 いて考 へれ ば・ 極
な つ て、 し かも 奥 書 の文 章 が大 方 同 じ で あ る のは を か し いと云 ふ 理由 の みで ・ そ の或
る書 入 の文 章 は、 何 れ も 殆 ど 全 く 同 文章 よ も出 たも の で あ る事 が明 瞭 な
書 寫 の年 代 糞
奥 書 の年 月 を 僞作 と見 なす 事 鑓
申 古 丈 學
199
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國 文 學 褸 證
め て僅 少 の語 句 の相 違 があ るだ け で、 中 には單 な る傳 寫 の相 違 と し か 考 へ毳 な いも の も あ b、要 す
αぴ
ら
る に、 奥 書 の年 號 の相 違 の他 、 本 文 的 には、 殆 ど 同 本 と見 ても 差 支 へな いと云 ふ事 だ け は云 はれ る。
而 し て、 定家 以後 、 そ の門 流 は 二派 に分 れ、 正系 の 二條 家 に對 し て 、庶 流 の冷泉 家 があ り、 そ の兩 流
の成 立 や、 事 毎 に爭 つた 事 は 、 十 六 夜 日 記 に關 し、 或 ひ は 、勅 撰 集 の撰 定 に關 し 、 ま た政 治 的 にも 關
係 があ つて 、鎌 倉 時 代 の歌 史 の興 味 深 き 題材 であ る が、そ の二條 家 で は、 貞 應 本 を用 ゐ 、冷 泉 家 では
嘉 祿 本 を 用 ゐ た。 此 の兩 流 の爭 ひ は、種 々な る古 典 の證 本 を も、 同 じく 定家 の傳 本 と稱 し な が ら、 奥
書等 を異 にす る證 本 を用 ゐ て、 自 己 の傳 本 の方 が、 正 し いと 主張 し て爭 つた 爲 め に、 種 々の僞 本 も出
來 た ので 、此 の點 に於 い て、 古 今 集 の兩 本 の奥 書 に疑 惑 の眼 が向 け られ る のも當 然 で あ る。 何 れ に し
て も、 同 じ 定家 本 た る此 の兩 本 に は特 に大 き い相違 は な い。
.
清 輔 本 は 、保 元 二年 五月 の清 輔 の奥 書 あ る本 を云 ふ。 此 の奥 書 の注 意 す ぺき點 は次 の如 き 事 で あ る。
一、 若 狹守 逓 宗 自 筆 本 によ つ て書 寫 し た 。此 の本 は、 通 宗 の外 孫 信 隆縁 の本 で、 貫 之 自 筆 本 な る、
小野 皇 太 后宮 本 の流 であ る。(な ほ、 清 輔 本 に移 し 載 せ た 、 通 宗 本 の邇 宗 の識 語 によ ると、 ﹁以
貫 之自 筆 本 書 寫 古 今 也。 件 本者 於 皇 太 后 宮 燒 失畢 云 々。和 歌等 不似 餘 本 。 其 読頗 違 矣 ﹂とあ る)。
二 、逋 宗 本 には片 假 名 で書 入 れ た 歌 な ど があ b、 こ れ は逋 宗 の所 爲 であ る。⋮
三、 上 下 の勘 物 は清 輔 の書 入 れた 所 であ る。
四 、眞 名 序 も清 輔 の書 入 れ た も の であ る。
五 .そ の後 、清 輔 は新 院 御 本 を以 つ て、 朱 で そ の説 を書 入 れ て稜 合 し た 。
六、 新 院 御本 は 、貫 之 の妹 の 自 筆 本 を書 寫 し たも の で (一論 に新院 御 本 が貫 之妹 自 筆 本 であ ると云
ふ)、そ の貫 之 妹 自 筆 本 は、閑 院 膾 太政 大 臣 本 とな b 、轉 々し て、 故 花 薗 左 府 の御 許 にあ る。
,七 、但 し、 此 の新 院 御 本 には 古 註 が既 に存 し て ゐ るの で疑 は し い。
八 、 別 に清 輔 は陽 明 門 院 御 本 の詭 を も注 付 し た。 大 體 、通 宗 本 と違 ひは な い。
九、 此 の本 は貫 之 自 筆 本 で、醍 醐 帝 の 御本 で あ る。 後 、譛 岐 守顯 綱 の所 持 と な b、 そ の後 轉 々とし
て公 信 の許 で燒 失 し た。 通 宗 は此 の本 を 讃 州 入 道 本 と稱 し てゐ る。
十 、清 輔 は、 二度 古 今集 を書 寫 し た が、 入 に與 へた ので 、 こ れ は 三度 目 の書 寫 と云 ふ事 にな る、
十 一、 右 の寫 本 は、内 裏 に數 年 と ど め給 ひ、 平 治 元 年 七月 九 日 に清 輔 に返 し 給 う た 。
右 の奥 書 によ ると、 清 輔 は 、 三度 古 今 集 を 書 寫 し て ゐ る。 そ の言 の如 く 、 永 治 二年 四 月 上 旬 と 、 仁平
四 年 九月 下 旬 と に も 、
清 輔 は古 今 集 を 書 寫 し た も の であ つて、永 治 二年 本 は、 前 田 家 に藏 せ ら れ、 仁 平
四 年 本 の事 は、 西 下 氏 の紹 介 せ ら れ た 毘沙 門 堂 古 今 集 註 の奥 書 によ つ て明 瞭 にせ られ た 。 即ち 刎
中 古 丈 醸
國 文 學 襍 説 '
一 永 治 二 年 1 ー 人三
十
九
歳
)
二仁 平 四 年1
(五 十四 歳 )
(五 十 一歳 )
三保 元 二年ー
の 三 本 で あ つ て 、 右 の 中 、 二 だ け は 傳 本 な く 、 一と 三 は 傳 本 が 存 す る。 而 し て 、 此 の 三 本 と も 同 じ 趣
の 奥 書 が 存 す る の で 、 何 れ も 、 通 宗 本 を 寫 し 、 新 院 御 本 、 陽 明 門 院 御 本 を 參 考 に 供 し た も の で あ る。
新 院 御 本 と は 即 ち 、 前 に 俊 成 本 の所 で 述 べ た 、 崇 徳 院 御 藏 本 の 事 で あ る 。
な ほ 、 清 輔 の奥 書 に 見 え る 三 本 に 就 い て は 、 教 長 註 に も 、
貫 之 自 筆 集 ア リ、故 人 云 三本 ナ リ 、 ミカ ド后 宮 ニタ テ マツ ル ニ本 、 イ ヱ ニト 寸 マ ル 一本 コレヲ ツ タ ェテ輔
仁 親 王 モチ タ マ エリ ケ リ , ソ ノ ・チ花 薗 左 大 臣 有 仁 コノ本 ヲ讃 岐院 御在 位 時 タ テ マツ リ タ マヘリ、書 寫 之
執 筆 敏 長 ナ リ。
と 記 し て 居 り 、 清 輔 の奥 書 と 野 照 し て 、 こ れ ら の 諸 本 の、關 係 や 傳 來 を 知 る 事 が 出 來 る 。 そ れ で 以 上 の
諸 本 、 殊 に、 俊 成 本、 定家 本 、清 輔 本 の關 係 を 圖 示す ると 大體 次 の如 くな る。
02
2
、二團
。雀
竃
む
む
む む
む
む
← 俊 成 本 ←定 家本
↓
← 轂 長註
順傑 ]鏖 禦 v 益 條帝)
蕩 明門院禦 讃 州入道李 公信・
燒失¥
(延喜帝献上本) (績子内 親王) (讃岐入道顯綱)
﹄雛嶽鬱轢織嚶
(延喜后献上本) (後冷泉院皇后)
右 の 表 の 中 、 古 今 集 の 原 本 と 稱 せ ら れ る 三 本 の 中 で も 、 一と 三 と の 系 統 で は 多 く の 相 違 は な い と 云 ふ
む
事 で あ る か ら 、 大 方 同 じ 傾 向 の 書 と 見 て、 献 上 本 に 近 い も の で あ ら う 。 教 長 註 に よ る と 、 一と 三 の 二
本 は 帝 と 后 に奉 つ た も の 、 即 ち 、 宮 廷 に献 上 し た 本 で 、 且 つと も に 燒 失 し て ゐ る 。 爾 本 に 大 差 が な い
と 云 ふ の も 、 そ の 理 由 に よ る も の で あ ら う 。 而 し て、 こ の 崇 徳 院 本 は 俊 成 本 奥 書 に 見 え る 如 く 、 貫 之
自 筆 本 と す る な ら 、 女 子 に付 屬 し た 本 と 見 る か 、 或 ひ は、 清 輔 本 の 奥 書 に あ る 如 く 、 貫 之 妹 自 筆 本 と
見 る か 、 何 れ に し て も 、 そ れ は 自 家 用 の 書 で 、 且 つ女 子 用 の書 で あ つ て 、 男 子 用 の、 公 式 用 の 書 で は
中 古 文 壌
Zo3
國 文 學 擁 艶
な い 。 斯 樣 に し て 、 古 今 集 の 原 本 を 、 04
一 、 男 子 用 、 公 式 用 2
一一
、 女 子 用、 非 公式 用
の 二 つ に分 け ると、 此 の 一は清 輔 本 と な b、 二は 俊 成 本、 定家 本 の 系統 と な つ てゐ る の で あ る。 元 來 、
平 安 朝 文學 は、 そ れ が、 男 性 的 か女 性 的 か 、 公 的 な も の か私 的 なも のか 、 と云 ふ 事 を考 へる事 は、 そ
の作 品 の性 質 を論 す る 上 に重 大 な契 點 を な す ゑ思 はれ る が、 古 今集 の如 き も 、此 の兩 用 の 二面 があ る
の で あ つて、 そ れ が かく 、 兩 流 の本 と な つ て傳 へら れ た の は 、興 味深 き 現象 と云 はな け れ ば な ら な い。
然 るに、 不 思議 な 事 は、 此 の兩 流 の 本 の相 互間 に於 け る相 違 は、 元 永 本 厂比較 し て見 ると 、 詞 句 の
上 に於 い て、元 永 本 と の 間 に存 す る 距離 程 には 、
必 す し も 多 く の相 違 を 有 し て ゐ な いの であ る。 殊 に、
俊 成 本 で は、 詞 書 や入 名等 の 眞名 で書 く べき所 をも 、俊 成 本 の原 本 た る貫 之 の自 筆 本 には、 皆 假 名 で
書 い てあ つた 、 これ は貫 之 が女子 に付 屬 し た も の であ るか ら であ ら うと 云 ふ旨 の奥 書 があ つた が、 此
の女 子 用 と 思 はれ る 假名 書 の點 は、 清輔 本 でも 云 は れ るの で あ つ て、 此 の點 で は、 兩 本 とも 封 立 す る
も の でな く 、 同樣 に、 女子 用 た る假 名 書 の特 徴 を 具 へて ゐ て、 し かも端 書 の文章 等 も 、兩 本 と も似 て
ゐ る點 が甚 だ多 いの で あ る。 か う見 て來 ると 、 此 の兩 本 の特 徴 は、 寧 ろ 、女子 用 、非 公 式 用 た る所 に
'
あ るの であ つて、 決 し て、前 記 の如 べ 二種 の 羯立 的特 徴 が分 た れ るも の では な い。 此 の點 に於 いて、
上 記 三種 の本 が、 女子 用 、非 公 式 用 た る特 徴 を 有 す る に對 し 、 全 く 對 立 的 に、 男 子 用 、 公式 用 の特 徴
を 可 成 b 有 し てゐ る の が、 元永 本 であ る 。
元 永 本 は、 元 永 三年 七 月 廿日 の奥 書 の あ る、 三井家 藏 本 を云 ふ。此 の本 は 、前 記 三種 の本 に較 べれ
ば 全 く 別 系 統 の本 で 、 系統 を調 べ る手 がか b とな る奥 書 の如 き はな いけ れど も、 そ の本 文 の持 つ特 徴
と し ては、次 の如 き も の が あげ ら れ る。
一、 眞 名序 の な い事 。
讀 人 不 知﹂の如く 記 され てゐ る。
二 、詞 書 や 人 名等 に多 く 眞 名 の用 ゐ てあ る事 。ま た漢 文式 と な つて ゐ る事 。 例 へば 、定家 本 で は﹁題
し ら す よ み 入し らす ﹂と あ る所 が、 元 永 本 で は﹁不 知 題
三、 詞 書 が前 記 三本 に較 べる と整 齊 せ ら れ て ゐる 點 のあ る事 。 例 へば 、 定家 本 で は、
﹁二條 のき さ き
き 點 があ .
。が、 そ れ は次 の章 に於 い て導
よも
ま た 、高
の、 は るの はじ め の御 う た﹂ と あ る詞 書 が、 元 永 本 で は ﹁は る のは じ め に 二條 后 宮 御 歌 ﹂と
广就 かて論 熏
記 さ れ てゐ る が如 き例 であ る。
右 の他 にも 、各 本 の猿
切
野
の如
き 殘 闕 本 に就 い て は 、 以 上 の 諸 本 の 何 れ に も 屬 さ な い 、 中 間 的 な 種 々 の 性 質 を 合 せ 含 む も の
中 古 文 學
丐
2
國 丈 學 襍 艶
が 多 く 、 そ の 性 質 は い ま だ 斷 定 出 來 な い 。 た ゴ . 筋 切 ( 一名 通 し 切 ) の 本 文 が 、 元 永 本 及 び 清 輔 本 に 06
2
近 い事 と 、 ま 紀 高 野 切 の 本 文 が 流 布 本 に近 く 、 一部 清 輔 本 に 近 い所 も あ る が、 な ほ 種 々 の 點 で 異 同 が
立
多 く 、 中 間 的 性 質 の 本 な る 事 前 述 の 如 く で あ る と い ふ 事 だ け は 云 は れ る 。隔
二、 成
古 今集 の成 立 の問 題 に關 し て、 普 通 注 意 す べき點 は次 の如 き も の で あ る。}
一、 眞 名 序 の有 無 。
二 、假 名 序 の古 註 の有 無 。
三、墨 滅 歌 の有無 及 び そ の位 置 。
一の眞 名 序 の有 無 に就 いて は、原 本 に は多 分 なか つた であ ら う と云 ふ事 が考 へら れ る。 即 ち 、現 今傳
は る諸 本 に 一番 關 係 深 き 新院 御 本 で も、
清 輔 本 の底 本 でも 、元永 本 でも 、 凡 そ今 日 に傳 は る信憑 す べき
諸 本 の原 本 は何 れ も眞 名 序 を 缺 いで ゐ る。 そ れを 、俊 成 本 にあ つては 、俊 成 が墓 俊 本 によ つて卷 頭 に
書 き 添 へ、 そ れを 定家 が眷 末 に移 し た の が、 今 日 の流 布 本 と な つ てゐ る。 清 輔 本 にあ つ ても、 眞 名 序
㌧
は清輔 が卷 未 に書 き 添 へた所 で あ る 。併 し な が ら、 眞 名 序 は いか にし て從 來 傳存 し て來 た の か、 果 し
てそ れ は 僞 作 と す べき も のか ど うか 。 此 の問 題 は今 日未 解 決 であ る。 既 に清輔 本 の勘 物 に煮逋 べて ゐ
る 如く 、 それ は ﹁紀 淑 望 作 ﹂ と 云 ふ説 と、﹁紀 家 筆 也﹂と 云 ふ説 。即 ち貫 之 の自 作 と な す 説 と 、別 に、
欷 長 卿 註 起云 へる淑 望 の父 紀 長 谷 雄作 と云 ふ詮 の 三詮 があ つた。 且 つま た、 そ の眞 名 序 の文 章 は假 名
序 と 内 容 同 じ く 、 殆 ど 、 そ の 一が他 を飜 譯 し た趣 き のあ るの 義奇 異 た す べき であ る。 此 所 に於 い て、
a貫 之 は先 づ 一家 の淑 望 を し て、此 の眞 名序 を作 らし め 、 のち それ を假 名 に飜譯 し た の で あ る。 そ れ
は 、貫 之 が假 名 文 の製 作 に習 熟 し てゐ な か つ抱 から であ ると か 、 b 假 名序 先 づ出 で來 て後 、序 文 ぱ漢
文 た るを 通 則 とす る從 來 の例 にな ら つ て、 別 に眞 名 序 を作 b添 へた もの であ る と か 、 c貫 之 は漢 文 が
拙 か つた ので漢 文 に優 れ て ゐ る淑望 に眞 名 序 を書 かし め た の で あ ると か 、d いな 學 識 の優 れ てゐ る貫
之 であ るか ら 、 眞 名 序 假名 序 とも に自 ら製 作 し た も の であ る とか 、 種 々の説 が現 れ た が、 何 れ と も 決
定 す る には至 ら な い。併 し 、此 の眞 名 序 が後 人 の僞 作 であ ると は急 に考 へる事 が出 來 な い・初 めよ り
眞 名 假 名 兩 樣 の序 を 作 つた が 、 和 歌 の序 に漢 文 の序 は ふ さ はし く な いの で、 假 名 序 の みを付 し 、 眞 名
序 は私 的 な 意 昧 で撰 者 自家 の草 稿本 に附 し て あ つた も の が、 一部 に傳 へら れ て來 た も の で あら う 。從
つ て公 的 な 、精 撰 せ ら れ た本 に於 いて は、 假 名 序 は な いも のと考 へら れ る 。 そ の作 者 に至 つ ては 、 淑
申 古 丈 學
207
國 丈 暴 襍 説
望 作 か貫 之作 か濫 りに斷 す べ き で はな い。
二 に假 名 序 の古 註 の有 無 の問 題 で あ る。 古 註 と は 、定 家 本 の假 名 序 の中 に あ る割 註 を 云 ふ。 こ れ は
餘 程 古 く 存 し てゐ た も の で、
既 に新 院 御本 にも 、
此 の古 註 が存 し てゐ た 。從 つて 、俊 成 も 、定家 も 、清
輔 も、此 の新 院 御 本 が貫 之 自筆 本 であ ると云 ふ事 を怪 し み、定家 の如 き は、顯 註密 勘 で︻頗 る信 用 し難 く
覺 え し か ば 云 々﹂と 強 く 否 定 し てゐ る。 元 永 本 で は 、
此 の古 註 を 本 行 の中 に入 れ て書 き下 し てゐ る ので 、
古 註 か否 か の區 別 す ら 明 か でな く な つて ゐ る。 然 るに、 ま た 古 註 の全 然 な い本 も あ る。 即 ち 清輔 本 が
そ れ で、 清 輔 本 で は、 古 註 を頭 書 、 脚 註 とし て書 き 加 へて ゐ る が、 本 文 の中 から はそ れ が除 かれ てゐ
る の で あ る。 さ うし て これ ら の註 は 、清 輔 の読 によ ると 、或 説 に四 條 大 納 言公 任 の註 で あ ると 云 ふ設
も 當 時 行 は れた が 、清 輔 はそ れ を信 じ ら れ な いと て 否定 し て ゐ る(清 輔 本 註 )。何 れ にし ても 、 古 註 は
原 書 には な か つた も の で、 公 任 頃 に何 入 か が註 し た も の が、 本 文 の中 に紛 れ入 つて 、本 文 の如 く にも
な つた の で あ る が 、 これ は定家 が細 字 二行 の割 註 とし た 如 く に、 も とよ b 後 入 の所 爲 と斷 す べき で あ
る。 かく 見 て來 ると 、元 永本 が此 の古 註 を本 文 とし てゐ る點 は 、元 永 本 の底 本 が、 決 し て古 今集 の原
書 そ のも の に近 い時 代 のも の でなく 、 一條 帝 時 代前 後 よ b も後 、後 人 の手 を 加 へた 本 によ つて書 き寫
し た も のと 考 へられ 、 新 院 御 本 の 如 き も、 貫 之自 筆 本 とか 、 貫 之 妹 自 筆 本 と か云 ふの は疑 はし く 、 こ
2)3
の
れ も 後 人 の手 を經 陀 本 で あ つた と想 察 せ ら れ る。 併 し 、 そ れ は古 註 の有 無 の點 に關 し て の み の論 で 、
本 文 の詞 書等 にも多 く後 人 の手 が加 は つて ゐ るな ど と云 ふ の で はな い。
すみけしうね
三 の墨 滅 歌 の問 題 は最 も難 し い。 墨 滅 歌 と は、 も と 、 本 文 に入 つ て ゐ て、 そ れ を墨 で消 し た歌 を別
に書 き拔 い て、 一部 に ま と め て流 布 本 の卷 末 に書 き 添 へた も の であ る。 これ が十 一首 あ b、 そ の歌 の
も と あ つた場 所 も註 し て あ る。 こ れ は 定家 の所 爲 と 思は れ る。從 つて定 家 本 以前 の本 では、 此 の歌 は
も と そ れみ 丶 の 本 文 の中 に入 つて ゐ て、墨 で消 し て あ つた も の であ ら う 。 即 ち 、 定家 本 の親 本 と 思 は
れ る俊 成 本 で は 、 そ の指 定 の場 所 にそ れみ丶 墨 滅 歌 が入 つて ゐ る◎ さ 弓し て、 定 家 本 以 外 の本 で は、冖
此 の墨 滅 歌 を 一部 にま と め て終 に付 し ては ゐ な い。 ゆ ゑ に、墨 滅 歌 が卷 末 にあ る本 は 定家 本 と見 てよ
い。 さ て、 此 の墨 滅 歌 がも と 本 文 の中 にあ つた 事 は前 述 の 如く で あ る が 、た だ そ のあ る場 所 が諸 本 に
よ つ て異 な つて 居 b、 ま た そ の數 も 本 によ つ て違 つ て ゐ る所 に種 々複 雜 な問 題 が生 じ る ので あ る 。 そ
貫
之
の中 で、最 も相 違 し てゐ るも のは 元永 本 であ る。 今 元永 本 に存 し て流 布 本 にな い歌 を 掲 げ ると次 の 如
く で あ る。(數 字 は國 歌 大 觀 の番 號 で、 そ の歌 の入 る前 後 の歌 の番 號 )。
櫻の花 の水に散 るを見 て
从 ℃ ゆく 水に風の吹 き入る ゝさくら花淌 えすな がる ゝ雪かとそ見 る
中 古 丈 學
209
fl,八 五 三
七 六
(
寛平御時歌 合に) 貫 之
月かげもはなもひと つに見 ゆう夜 は大處 をさ へ折ら むとそ ずる
豢 門 のわさ田 の稻もからなくにまだ きう つろふ禦
ら
し, 貫
之
歌殖紳 轡獣
びのもり く
蕪 鍔 蠍元)
ひ くらし あしび きのやま のやまびこ聲 どよむなり (
幾
ぐ
し な が どの ゐな 野 を ゆ け ば あり ま山 夕 霧 たち ぬ あ け ぬ こ の夜 は
ひ
そまび とは某
く れ の お も 貫 之
小
町
)
來 し 時 と 待 ち つ ゝを れ ば ゆ ふぐ れ のお も かげ に のみ見 え イ
﹂こ ひし き (墨滅 歌 弛嫐 脚勲 妙杁)
のゐてみを やくよ めも詑しきは都 でじま のわかれなり け久 墨滅施 静 艦 畝)
お き のみ や こ で じ ま
蓼
あ は た 凡 山 茂
210
國 丈 學 襟 読
=コ
三三
哨〇 三
一C 四
(よみひとしらす)
をみな へしなき名や立 てし白露 のぬれ衣をのみ着 てわたるらむ
赱 宴 誌 拳 れ 某 ぐ 霎 畠 馨
(
不 知 題 よ みぴと しらす)
名
知
の
野
ひ
の
ゝ
み
や
は
め
四四=::二
CO五
五
酋 四 四四 四四 四四
六L 六五 四四 ニニ
C九
八 七 六 五
こ の歌 は水 の尾帝 の叢
よりあはた へ鑒
ける時によみ裟
ひけ る (
墨滅歌蟷縢 歟獣 )
(
題 知 ら す よ み人知らす)
おちたぎ つ川瀬 になびくうたかたの思はざらめや戀し きこ とを
帝 の近江 の安女 に給け る
こ の歌 は或 本 に萬 葉 集 の第 一卷 に あり と あり
いぬかみのとこの山なるいさら川 いさと答 へよわが名 もらすな (
墨滅 轟 劉 黔 )
安 女 か へ し
知
ら
す) よ み 人 し らす
山 科 の音 羽 のた き の おと に だ にひ と のし る べ く わ が こ ひ め やは (前 同 )
(題
須 磨 のあ ま のし ほ や き 衣 な れ ぬれ ば う と く のみ こ そ お も ふ べ ら なれ
衣 通 姫 の帝 に 献歌
こ と でし は 誰 な ら な く に 小 山 田 の な は し ろ 水 のな が よどみ す る
と こ し へに 君 も あ へむ や いそ な と る お き のた ま も ゝよ る 時 時 に
兵衞 府 生 より 左 近將 監 にま か り わた り てと ね りど も に 酒 た び け る つ い
わ す ら れ む時 し の べ とそ は ま 千 鳥 ゆ く へも し ら ぬあ と を と ゞ む る (九 九 六 に重 出 )
古 文 學
中
211
五五
六六
五四
〇九
六六
五四
〇九
七七 七七
五 五 五五
九 八 二_.
八八 七七
〇〇 六 六
國 丈 學 襍 論
℃
(題
し
ら
す)
●
躬
かしはぎの森 のわたり をうち すぎ≦ 一
鬘 の山にわれ は來 にけり 恒
岳
娘
で に よ め る 忠 岑
麓
}00∼つ ま す か 璽 み そ こ な る影 に む か ひ ゐ て み る時 に こ そし ら ぬ翕 に あ ふ こ ゝち すれ
宗
人 の牛 を つか ひ け るが 死 にけ れ ば そ の牛 の ぬし のも と によ み て つ かは
し け る 源
一〇〇 鎹 わ が のり し 事 を う し と や おも ひ け む 草葉 に か ゝる露 の いの ちを
よ み人 し ら す
}○○欺爪 い か に し て これ を か く さ む くれ な ゐ のやし ほ の衣 ま く り で に し て
躬 恒
}○○獄杁 て る 月 を 弓 張 と しも い ふ こ と は や ま の葉 さ し て いれ ば なり け り
右 の 如 く 十 一首 に 逹 す る 。 而 し て 、 そ の 中 、 流 布 本 の 墨 滅 歌 十 一首 に 合 す る も の は 、 六 首 で あ る 。 且
つ 、 流 布 本 に存 し て 、 此 の 元 永 本 に な い歌 も 若 干 あ る し 、 ま た そ の 順 序 の 入 れ 替 つ て ゐ る 歌 も あ る 。
(前 例 の 中 、 ﹁忘 ら れ む ﹂の 歌 の 如 き は 、 寧 ろ 此 の 順 序 の 相 違 せ る 方 に 入 れ る べ き で あ る )。 さ て 、 右 の
12
2
亠
鴇
十 一首 を逋 覽 す る に 、 これ ら の歌 は 、貫 之 を は じ め、忠 岑 、 躬 恒 の如 き撰 者 の歌 と讀 人 知 ら す の歌 が
大 部 分 であ る。 そ の讀 入 知 ら す の歌 の中 には 、﹁し な が鳥﹂の歌 の如く 萬 葉 集 よ b出 た 歌 があ つて 、萬
葉 集 の歌 を 取 ら な い のを 原 則 とす る古 今 集 撰 定 の態度 よ b云 へば 、 不 注意 で 一度 これ ら の歌 を 入 れ て
も 、そ れ が萬葉 集 の歌 と 同 じ であ る事 に氣 が付 け ば 、當 然 削 り 去 る べき も の であ る。 ま た 忠 岑 の ﹁か
し はぎ の﹂ の歌 の如 き 、躬 恒 の ﹁て る月 を ﹂ の歌 の如 き は 、後 に甚 だ 有 名 な 歌 の 一つと な つ てゐ る が、
流 布 本 で は、 これ ら の歌 も入 つ てゐ な い。要 す る に、 こ れ ら の流 布 本 に見 え な い歌 も 矢張 り 一種 の墨
滅 歌 とす べき で 、恐 ら く これ を 除 き去 つた は撰者 の所 爲 であ つた ら う と 思 は れ る。墨 滅 歌 の あ る場 所
が、 流 布 本 と元 永 本 と で は何 れ も異 な つ てゐ る が如 き も 、 矢張 b撰 者 が、 こ れら の歌 を撰 入 す べき か
否 か に就 い て迷 つた 結 果 、種 々な る場 所 に入 れ て見 て 、結 局 、そ の歌 が 氣 に入 ら な く な つて、 途 に削
b去 つた と見 る べき であ ら う 。 そ の 一證 と見 る べき 例 は 、 元永 本 で は、
と﹂の 歌 の前 と 後 と に 重 出 し て ゐ る 事 で あ る 。 流 布 本 で は 、 ﹁し の 丶 め
あけ ぬと ていまは の心 つくからになど いひしら ぬ思ひそふらむ
藤 原 國 經 朝 臣
の 歌 が 、﹁し の 丶 め の ほ が ら ー
の し の 歌 の後 に あ る が 、 元 永 本 で は そ の前 にも 出 て ゐ る 。 こ れ は 、 撰 者 が 、 そ の 撰 入 場 所 に 迷 つ て 、
申 古 丈 學
213
國 文 學 襍 読
﹁し の \ め の﹂の 歌 の 前 に も 入 れ て見 た b 、 叉 そ れ を 潰 し て 、 後 に 入 れ て 見 た b し た 、 撰 定 の 際 の動 搖 14
.
2
せ る痕 跡 を 殘 し て ゐ る も の と は 考 へら れ な い で あ ら う か 。 或 ひ は 單 に書 寫 の 際 の 不 注 意 で か く 重 出 し
た も の と 解 釋 す べ き で あ ら う か 。 (前 掲 の ﹁忘 ら れ む ﹂ の 歌 も こ れ と 同 例 と す る 事 が 出 來 る )。
葉葉に思ひはかけじ移ろ
千 は や ぶ る瀞 な び 山 の紅
び の杜
な く に か ね て移 ろ ふ神 な
神 無月 時 雨 も いま だ降 ら
ん
岡 の朝 の原 は紅 葉 し ぬ ら
霧 立 ち て雁 ぞ鳴 く な る片
流 布 本
び の杜
な く に かね て移 ろ ふ紳 な
棘 無 月 時 雨 も いま だ 降 ら
ふも のを
千 は や ぶ る紳 な び 山 の紅
朱(に)
葉 葉 は 思 ひ は か けじ 移 ろ
ん
岡 の朝 の原 は紅 葉 し ぬら
霧 立 ち て雁 ぞ鳴 くな る片
清 輔 本
な び の杜
ら な く に ま だ き 移 ろ ふ禪
わ が門 の わ さ田 の稻 も 刈
び の杜
な く に かね て 移 ろ ふ 祚 な
沖 無 月 時 雨も いま だ降 ら
ん
岡 の朝 の原 は 紅葉 し ぬら
霧 立 ち て雁 ぞ鳴 く な る片
元 永 本
ふも のを
葉 葉 に 思 ひ は か け じ移 ろ
千 はや ぶ る紳 な び 山 の紅
つ る神 な び の杜
刈 りあ げ ぬに ま だ き紅 葉
わ が門 のわ さ 田 も いまだ
む
岡 の朝 の原 は紅 葉 し ぬ ら
霧 立 ち て雁 ぞ 鳴 く な る 片
高 野 切
同 じ 例 を 、 今 一つ 、 諸 本 に よ つ て示 す と 、 卷 五 に 、
ふ も のを
又は 我 が門 のわ さ 田 も
いま だ 刈 り あ げ ね ば
此 の連 續 せ る 三首 の和歌 に於 いて 、第 二首 目 と第 三首 目 と の流 動 の樣 が著 し い。
か や う にし て 、墨 滅 は 、古 今集 の 一の原 本 の み に つき 、 一時 に行 は れ た も の ではな く 、種 々な る草
稿 本 に就 き 、幾 度 も行 は れ て 、若 干 の歌 を入 れ る べき か 、削 り 去 る べき か に就 い て迷 つて、 書 き 入 れ
た b 、 ま た墨 で潰 した bし た、 その動 搖 の痕 跡 が、 諸 本 によ つて、 墨 滅 歌 の數 が異 な b 、歌 詞 が異 な
b 、 そ の 挿 入箇 所 が異 な る現象 と な つ て あら は れた も のと 解 す べき であ る。た だ 古 今集 の中 には 、
明ら
か に、 延 喜 五 年撰 定後 の作 歌 の挿 入 があ る如 く 、此 の動 搖 は、 延 喜 五年 の撰 定 以前 に行 は れた も の で
な く 、 寧 ろ、 一時 撰 定 成 つ て後 に、撰 者 自身 の所 持 本 に つき、 (叉 は禁 裏 奏 上 の本 を申 し下 し た り し
て)、右 の如 き 動 搖 を 來 し た も のと考 へら れ る。 何 れ にし ても 、延 喜 五年 の奏 覽 に供 し た であ ら う奏 覽
本 の原 形 は、 Aコ日 から 多 く 窺 ひ 知 る事 は出 來 な い の であ る。 た だ 、所 謂新 院 御 本 の系 統 を 引 く諸 本 に
軟 べれ ば 、 そ れ と 全 く 別 系 統 の元 永 本 に屬す る諸 本 、
筋 切 の如 き)の 方 が、 稍 々延 喜 撰 定 の原 本 に近 か
定
ら う かと 想 像 せら れ る に とど ま るo
三、 撰
15
右 は 、 諸 本 の性 質 に關 蓮 し て、 古 今 集 成 立 の事 情 を 述 べた の で あ る。 即 ち 、本 文 批 評 的研 究 が、 本 2
申 古 丈 學
ノ
國 文 學 襍 詭
書 の成 立 の問 題 に關 し て . い かな る關 係 を 有 す るか に就 いて の研 究 方 法 を 述 べて來 た ので あ つて 、此
の他 にも 種 々問 題 は あ る が、 本 文 批 評 の取扱 ひ 方 は 、 か か る見 地 か ら も な さ れ る べき で あ ると云 ふ點
を説 明 し て見 た ので あ る。併 し古 今 集 の撰 定 、成 立 の問 題 に關 し ては 、 古 來 取 b扱 は れ て ゐ る他 の種
種 の問題 があ る。 そ の 中 の重 要 な る も のを 取 b 上げ て見 ると 、 一伊勢 物 語 の如 き資 料 と の關 係 、 二延
喜 五 年 撰 定 後 の歌 の挿 入 せ ら れ て ゐ る點 等 で あ る。
一、 先 縱 の資 料 と の關 係 に つ いて は、
萬 葉 集 と の關 係 が問 題 に せら れ る。 古 今 集 の序文 によ れ ば 、
古
今 集 は萬 葉 集 以外 の歌 を 集 めた も の であ つ て、
萬 葉 集 中 の歌 はな い筈 で あ る の に、撰 集萬 葉 徴 の調 査 に
よ ると、十 一首萬 葉 集 と の同 歌 があ る。 但 し 、そ の中 の 二首 は墨 滅 歌 で あ る。 これ は、萬 葉 集 の研 究 も
進 ま す、 讀 み 方 も多 く 不明 で あ つた 當 時 にあ つ て、
萬 葉 集 に出 て ゐ る と云 ふ事 に氣 が付 か す に、
收 め元
も の と 思 は れ る 。 ゆ ゑ に、 氣 が付 いた 歌 だ け は沫 殺 し た の で、 こ れ が墨 滅 歌 と な つてゐ る。從 つ て、
これ ら の 歌 は 勿 論 萬葉 集 よ b得 た も ので な ぐ 、薫 葉 集 以 外 の 口傳 の歌 か、 或 ひは、 萬 葉 時 代 の歌 書 の
類 の傳 本 によ つた も の か、 萬 葉 集 の歌 を 誦 み習 う た入 が 、
萬 葉 集 にあ る事 を 示 さす に、
撰 者 に材 料 を 提
供 し た も の か、さ う いふ 事 情 によ るも のと 思 は れ る。 併 し 、伊 勢 物 語 に な ると 、そ れ と は事 情 が違 ふ。
一説 で は、 伊勢 物 語 は、 古 今集 の詞 書 を 取 つて作 り な し た も の であ ると 云 ふ。 併 し此 の詭 は いか にし
ZI6
覧
ても 是 認 す る事 が出 來 な い。古 今集 は明 ら か に伊 勢 物 語 を根 據 とし て、そ れ よ b 取 つた も の であ る。 ゆ
ゑ に、 伊 勢 物 語 よ り 取 つた部 分 は、 そ の謌 書 が長 くし て ,
序 の詞 書 と はそ の 趣 き を 稍 々異 にし て ゐ る。
そ れ と同 時 に、 伊勢 物 語 と 同 歌 であ b な がら 、全 く 伊勢 物 語 と は詞 書 が異 な り 、そ の趣 意 の異 な るも
のも あ る が、 これ ら は伊勢 物 語 か ら 取 り 入 れ た も の では な い。要 す る に、 古 今集 と伊勢 物 語 と の比 軟
は、 伊勢 物 語 の成 立 上 に甚 だ 興 味 のあ る研究 問 題 であ る が、從 來 此 の點 に つ いて は、 いま だ明 確 に論
な り て、 あ る じ聞 き つけ
入りけるを,たびたび重
は 入 ら で 、築 土 の崩 よ り
び たる所 な れば 、 門 よ り
ひ 知 り て 通 ひ け る を 、忍
昔 五 條 わ たり に 、 人 を あ
元 永 本
か の道 に夜 ご と に人 を 臥
ば .あ るじ 聞 き つけ て、
ひ け るを 、 度 重 な り け れ
入 ら で、 垣 の崩 れ よ り通
け り 。 忍 び な り け る所 な
かき
り けれ ば 、 門 より しも え
人 を知 り おき て罷 り 通 ひ
ひ む がし の 充條 わ たり に
清 輔 本
ご と に 人 を す ゑ て守 ら せ
な り け れ ば 、 あ る じ聞 き
ぢ
つ け て 、そ の 通 ひ 路 に 、夜
かし く も あ ら ね ど 、 度 重
崩 れ よ り通 ひ けり 。 人 だ
門 より も 入 ら で、 築 土 の
いき け り 。忍 ぶ所 な れ ば 、
五條 わ た り に 、 いと忍 び
昔 男 有 けり 。 ひ ん が し の
伊勢 物語(塗籠本)
聞 き つけ て、 そ の通 ひ 路
度 重 な り けれ ば 、 あ る じ
築 土 の崩 れ よ り 通 ひ け
ら で、童 の踏 みあ け た る
所 な れば 、 門 よ りも え入
て行 き けり 。 み そ かな る
の 五條 わ たり に いと 忍 び
昔 男 あ り け り。 ひ ん がし
伊勢物語(天輻本)
じ ら れ て はゐ な い。 今 卷 十 三 よb 一例 を示 し て見 る。
て、 そ の道 に人 を ふ せ て
せ て守 ら すれ ば 、 いき け
もき い ついぢ
守 ら せ け れ ば 。行 き け れ
り Q人 し げ く も あ ら ねど 、
ど 、 え逢 は で歸 り っ ゝ、
中 古 文 學
21ク
け れば 、 か の男 え逢 は で
9
れ ど え逢 は で のみ 歸 り來
國 文 學 襍 読
よ み て遣 はし け る。
守 ら せけ れ ば . いけ ども に、 夜 ご と に 人 を す ゑ て 1
8
2
え逢 は で 歸 り け り 。 さ て
歸 り にけ り 。 さ て遣 はし
ける。
て詠 み てや り け る。
な り ひ ら の朝 臣
業 平
詠 め る。
な ほ 、此 所 に原 文 を あげ な か つた が 、古 今 集 の定 家 本 は清輔 本 と殆 ど 全 く同 一であ る。 叉 、 伊勢 物
語 の 塗籠 本 と天 幅 本 と で は可 成 b異 同 が多 く 、 塗籠 本 の方 が古 今集 の詞 書 によ b近 い所 があ る。 此 の
四 つの文 章 を較 べあ はす と 、伊 勢 物 語 や古 今 集 の詞 書 の文章 の取 b扱 ひ 方 にも 、叉 兩 書 の成立 上 にも 、
種 々興 昧 あ る問 題 に接 し て、 殊 に、 古 今 集 も 伊勢 物 語 も 、平 安朝 時代 の流 布 本 が、 今 日我 々の最 も多
ぐ 目睹 す る流 布 本 の文 章 と 、 餘 り に相 違 の大 な る に驚 く と共 に、 伊 勢 物 語 の原 形 た る詞 章 も亦 、我 々
の今 日 目睹 す る文 章 よ b は 一暦 簡 素 にし て そ の 逕庭 の大 な る も の あ る事 が想 察 せら れ る の であ る。
次 に、 古 今 集 の中 に は歌 合 の歌 が多 く 取 b 入 れ ら れ て ゐ る。 今 定 家 本 によ ると 、
寛 平 御 時 后宮 歌 合
亭子 院 歌 合 ・
是 貞 親 王家 歌 合
6
'
■
●
仁 和中 將 御 息 所 家 歌 合 (
豫定 )
朱雀院女郎花合
秋 歌合
寛平御時菊合
等 の歌 が出 て ゐ て、 就 中 、上 の 三種 の 歌 合 の歌 が最 も多 い。 そ の中 、 寛 平 御 時 后宮 歌 合 や亭 子 院 歌 合
は傳 本 が今 日 も存 し て ゐ て、群 書類 從 にも入 つて ゐ る。 これ を 古 今集 の歌 と 比 較 す る に語 句 の相違 す
るも の が少 く な く 、 種 々興 味 深 き 異 同 を發 見 す る事 が出 來 る。 殊 に、 卷 一の伊勢 の歌、
見 る人もな き山里 の櫻花外 の散 りなん後 ぞ嘆かまし
の如 き は、 亭 子 院 歌 合 の歌 であ る が、 現存 の亭 子 院 歌 合 に は こ れを 見 出 す 事 が出 來 な い。 こ れら の點
も 考 究 し て見 ると 興 昧 が深 い。
次 に私 家 集 と の關 係 で あ る。 集 中 の作 者 で別 に私 家 集 を有 し てゐ る入 々は 、
小 野 篁 、 在 原業 平 、 僭 正遍 照 、 小野 小町 、藤 原 敏 行、 大 江 干 里、 藤 原 興 風 、.
紀 友 則 、 平 定文 、坂
あ る・ そ れら の歌 と・ 家 集 緝
た歌 とを 比撃
ると ・ 響
や歌 詞 にも な かー
異 同 が多 く ・或 ひ
上 是 則 、素性 法 師 .藤 原 兼 輔 、伊勢 、 源 宗 于 、凡 河 内 躬 恒 、紀 貫 之 、 壬 生 忠 岑 、
筆
中 學 文 學
⑳
國 文 學 襍 説
は家 集 よ b取 6入 れた か と 思 はれ る歌 も あ る が、 必 す し もし か 斷 定 し難 く 、中 に は、 家 集 の方 が、古 20
2
今 集 等 の 作 歌 を 抄 出 し て 成 つ た も の か と 思 は れ る も の も あ つ て 、 そ の 間 の 詳 細 な比 較 研 究 は 種 々我 々
に 興 味 深 き 問 題 を 提 供 す る の で あ る。 例 へば 、 卷 十 八 の 遍 照 の 歌 と 詞 書 を 、 遍 照 集 、 元 永 本 、 流 布 本
佗 び 人 の住 む べき 宿 と 見 る な べ
入れ て し
の琴 ひ き 侍 り し を聞 き 侍 り て 言 ひ
奈 良 へま か る道 に荒 れ た る家 に女
遍 照 集
に歎 き よ は れ る琴 の音 ぞ す る
佗 び 人 の 佳 む べ き 里 と見 る な べ
て 入 れ た り け る 良 岑 宗 貞
家 に女 の琴 彈 き け るを 聞 き て詠 み
奈 良 へま かり け る時 荒 れた り け る
元 永 本
に歎 き加 は る琴 の晋 ぞ す る
佗 び 人 の住 む べき宿 と見 る な べ
入 れ たり け る 良 岑 の宗 貞
に 女 の琴 彈 き け るを聞 きて 詠 み て
奈 良 へま かり け る時 に荒 れ た る家
定 家 本
で對 照 し て見 る と 、
に歎 き 加 は ろ琴 の音 ぞす る
(
清輔本 の詞書は定家本と同じ、歌 は元永本 に近くり 二句﹁住 むべき里﹂四句﹁
歎 き加 へる﹂とある。
)
これ を 見 ると 、 遍 照 集 と 定家 本 と は可 成 り近 く な つ てゐ るが 、 元永 本 と遍 照集 と は相違 が多 い。 勿 論 、
こ れも 遍 照 集 の 方 は古 寫 本 を 調 べあ はせ て見 な け れ ば 正確 な事 は云 へな い が、定家 本 には、 私 家 集 の
如 き材 料 を も參 照 し た跡 が見 ら れ て、 元 永 本 で は、撰 者 が私 家 集 を滲 照 取 材 し た と し て も、 それ に可
成 b撰 者 の意 見 の加 へら れ て ゐ る事 が考 へら れ る が、 定家 本 に至 つ ては 、私 家 集 を參 考 し て 、私 家 集
噛
に近 く改 めた や う に考 へら れ る。 これ は果 し て、 古 今 集 撰 者 の仕業 か 、後 人 の改竄 か 、今 明確 に は云
は れ な い が、清 輔 本 を蔘 照 す る時 、
恐 らく 後 者 で は あ るま いか と 思 は れ る。 こ れら の點 は詳 細 に、全般
に渉 つて の比 較 研 究 によ つて論 究 せ ら れ る べき で、 これ ま た研 究 者 にゆ だ ね ら れ て ゐ る問 題 であ る。
二 に、古 今 集 に は 、撰 定 の延 喜 五 年 以 後 の歌 の載 つ てゐ る點 、 こ れも 早 く先 輩 の論 があ る。既 に袋
草 子 にも 云 へる 如 く 、 延 喜 七年 の大 井川 行 幸 歌 合 の歌 が 二首 入 つて ゐ るハ
、ま た 、 伊勢 が、延 喜 八年 に .
崩 じ給 う た 七條 后 を悼 む 歌 があ る。 享 子 院 歌 合 の歌 三首 は 、延 喜 十 三年 に舉 行 せら れ た も の で あ る。
紀友 則 の死 を悼 ん だ 、貫 之 、躬 恒 の歌 も延 喜 五 年 以後 の作 と 思 は れ る。 そ の他 にも 、 若 干 さ うし た 歌
が見 ら れ る が、 こ れ は 、歴 代 和歌 勅 撰 考 の説 の 如く 、撰 定 の後 に加 へた も のた 見 れば 論 は な い。 併 し 、
不 思議 とす べき は 、
そ れら の歌 が、上 記 の諸 本 の何 れ にも 入 つて ゐ る事 であ る。 これ ら の歌 は 、 一度 に
加 へら れ た とす べ き か、 順 次 に加 へら れ て行 つた も の か 、も し 、 數 囘 に わた つ て加 へら れた と す るな
ら ば 、前 述 の如 く 、 歌 數 に異 同 の多 い諸 本 に於 いて 、右 の延 喜 五 年 以後 の作 品 が、 ど れ にも 一樣 に加
は つてゐ ると 云 ふ事 は不 思議 な 現象 と云 は な け れ ばな ら な い。 恐 らく 、延 喜 十 三年 以後 に於 い て、貫
之 が、 右 の如 き 歌 を 撰 入 し た も ので あ ら う。 か く解 す れ ば 、現 存 の諸 本 は、 内 容 に於 いて 、大 い に異
同
のあ
るに
關
は
ら
す
、
何
れ
も
、
延
喜
五
年
の
奏 覽 本
の
系
統 の 本 で は な く 、 延 喜 十 三 年 以 後 の 増訂
本
の系
鋤
申 世 女 學 .
國 丈 學 襍 詭
統 の 本 の み が 存 す る 事 と な る の で あ る。 さ う し て 、 延 喜 五 年 の 奏 覽 本 は 禁 中 を 出 る 事 な く 早 く 湮 滅 し 22
2
去 つた も の と 解 釋 す べき で あ ら う 。 但 し 、 延 喜 十 三 年 以 後 増 訂 本 と 云 へど も 、 公 式 の 献 上 本 (奏 覽 本 )
と 、 私 的 の 自 家 用 本 、 或 ひ は 草 稿 の 如 き も の が あ つた 事 は 云 ふ ま で も な く 、 此 の草 稿 に は 、 挿 入 削 除
が あ つ て 、 こ れ ら の 事 情 よ り 、 前 記 の 如 き 諸 本 の 相 違 が生 じ た 事 は 、 既 に 述 べ た 如 く で あ る 。
四、作
と云 ふよ b は寧 ろ 理屈 つぼ い歌 が
撰 進前 後 の時 代 に至 つて 、著 しく 前 記 の 如 き 、所 謂古 今 集 風 が強 く な つた の で あ る。 か く の 如 く、 作
來 てゐ 平 安 朝 風 の傾 向 が濃 く な つた が 、 な ほ情 熟 的 な戚 情 に於 いて は 、上 代 的 の傾 向を 有 し 、 古 今集
じ 傾 向 の素 朴 な 歌 も 見 ら れ 、 六歌 仙 時代 の作 品 は 、用 語 や 裘 現 法 が、 そ れ ら の歌 よ bも 洗練 ぜ ら れ て
に見 て 平 安 朝初 の作 と 思 は れ る(或 ひ は 奈良 朝 ま で溯 られ る)、讀 入 知 ら す の歌 には、 萬葉 集 と 全 く同
こ れ は概 括 的 の話 で 、個 々の作 家 、作 品 に就 い ては 、 各別 種 の批 評 が下 され る であら う。 殊 に歌 史 的
多 く 、 且 つ女性 的 で貴 族 的 で靜 觀 的 で非 情 熟 的 で 、そ の他 種 々類 似 の傾 向 があげ ら れ る。併 し 、勿 論
さ て古 今集 の作 品 の傾 向 は 、既 に云 は れ て ゐ る如 く 、 理 智 的1
ロ
口'
ロ
歌 年代 を大 體 推 定 し て 、年 代 の順 序 に作 品を 並 べ、 歌 風 の推移 を 昧 ふ事 は、 また 研 究 者 に取 つて興 昧
深 き事 で あ る 。 ま た 、同 じ見 地 か ら、 作 者 別 に分 け て、 そ の歌 風 を想 察 す る 事も 、 大 切 であ る。合 此
の點 か ら少 し述 べ て見 よ う 。
何 と云 つても 、 古 今 集 を りー ド す る者 は、 四 入 の撰 者 の 筆頭 紀 貫 之 で あ る。 (但 し 、
序 文 では 一番 の
先 輩 、紀 友 則 が四 入 の始 に記 さ れ てゐ る)。さう し て、 そ の貫 之 の歌 風 がや が て古 今集 風 の歌 風 を 形 作
つて ゐ るも の と云 つても 差 支 へな い。 昔 は歌 の紳 と し て崇 め られ た貫 之 も 、 今日 では全 く 一個 の歌 人
とし て は よは ひ せ ら れ ぬま で に輕 蔑 せ られ て ゐ る。 併 し 、私 は 、貫 之 の爲 め に多 少 辯 護 し た い氣 持 を
持 つて ゐ る。
古 今集 の卷 頭 にあ る在 原 元方 の作 は、 昔 は名 歌 と し て隨 喜 せら れ た が、 此 んな 不自 然 な 理屈 歌 が い
か に つま ら ぬ かは 、今 改 めて云 ふま でも な い。 これ が や が て古 今 集 の歌 風 の 一面 を代 表 し てゐ る が、
さ う した 歌 ば か り が古 今 集 の歌 風 と は 云 はれ な い。 そ の特徴 は 、 寧 ろ平明 で靜 觀 的 な所 にあ る。 今 そ
の例 を貫 之 の作 に取 つ て見 よ う。
吉
野
川 岩 波 高 く 行 く 水 の早
く
そ
人 を 思 ひ そ め てし
23
の 如 2
き は萬 葉 集⋮
の模 倣 と云 う てよ か ら うρ
中 世 文 學
●
●
國 文 學 襍 詭
秋 風 の吹 き に し日 より 音 朋山 峰 の稍 も 色 付 き に けり
み わ 山 を し か も隱
す
か
春 霞 人 に 知 ら れぬ
花
や
嘆 く ら ん 24
2
の 如 き も 萬 葉 集 の 言 葉 を 取 つ て ゐ る。
こ れ は 特 に平 明 の 作 で あ る 。 さ う し て 、 此 の 古 今 集 の平 明 な 歌 風 が 、 江 戸 時 代 と な つ て 、 小 澤 蘆 庵 あ
た b の 、 た ゴ 言 歌 を 生 む 淵 源 と も な つ て ゐ る 。 併 し 、 此 の平 明 歌 に は 、 情 熟 が 見 え な い 、 疸 る や ,
っな
戚 動 が 全 然 見 ら れ な い、 理 屈 つぽ い、 萬 葉 集 の 模 倣 歌 が あ る 。 平 明 で 戚 動 が 薄 いー 1 こ れ ら の 諸 點 は
要 す る に 、 貫 之 の 理 智 的 な 、 學 者 肌 と 患 は れ る 個 性 の 反 映 で あ る。 こ れ は確 か に歌 人 と し て の 缺 點 で
は あ る が 、 一面 、 彼 は 學 者 と し て の大 き い業 蹟 を な し と げ た 。 第 一に 、 貫 之 は 男 性 で 假 名 文 を 實 用 的
に 用 ゐ 始 め た 最 初 の 入 で あ る。 殊 に 、 從 來 漢 文 で 書 く も の と な つ て ゐ た 日 記 や 、 序 の 如 き も の に も 假
名 を 用 ゐ た の は 、 驚 く べ き 英 斷 で あ る 。 こ れ は 學 者 と し て の 大 き い先 見 の明 が あ つた か ら で は な い か 。
第 二 に 、 古 合 集 の編 纂 が 、 後 世 勅 撰 集 編 纂 の 模 範 と な つ た 如 く 、 そ の 編 纂 分 類 の態 度 が 、 創 始 的 で あ
る 。 第 三 に 、 序 文 は 我 が 歌 學 の 、 即 ち 文 藝 學 の ま と ま つた も の の最 初 と な り 、 文 藝 批 評 の最 初 で あ b 、
且 つそ の ま と め 方 が 甚 だ 獨 創 的 で あ る 。 勿 論 、 第 二第 三 の 點 は と も に 、 支 那 の總 集 の 編 纂 や 、 我 が勅
撰 詩 文 集 の編 纂 を 參 照 し 、ま た 詩 學 の 影 響 も 認 め ら れ る け れ ど も 、外 國 の 軌 範 を は る か に 脱 し 、 單 な る
O
模 倣 直 譯 以 上 に出 て ゐ る σ こ 丶 に 貫 之 の え ら さ が あ る。 勿 論 此 の 學 者 的 業 蹟 に よ つ て 、 何 ら 歌 人 と し
て の作 品 の價 値 が増 す わ け は な いけ れ ど も 、 入間 とし て の貫 之 全 體 の價 値 は 、 こ れ ら の爾 方 面 よ b考
へら れ る べ き で あ る 。 土 佐 日 記 の 如 き は 必 す し も す ぐ れ た 作 品 と は 云 は れ な い が 、 そ こ に 駄 洒 落 の多
く加 は つ てゐ る事 は 、 矢張 b 理智 的 な貫 之 の個 性 が、 好 笑 的 方 面 に現 れ た も のと 思 は れ る。 さ う し て 、
古 今 集 中 に 俳 諧 歌 の 一項 目 があ る の も 、 ま た 、 物 名 と 云 ふ 理 智 的 遊 戯 歌 の 一卷 が あ る の も 、 此 の貫 之
の性 格 よ 6 し て 、 極 め て 當 然 な 處 置 で あ る が 、(此 の 物 名 の部 に前 述 の 如 !丶 墨 滅 歌 が 多 く 、 歌 が 流 動
し て ゐ る の も 、 貫 之 の 關 心 が 、 こ 丶 に多 く 注 が れ て ゐ た 事 を 思 は せ る )、要 は 、 撰 者 の 風 絡 が 、 か く も
古 今 集 の 編 述 に多 く の 影 響 を 及 ぼ し て ゐ る 點 に注 意 す べ き 事 で あ る 。
撰 者 の 一入 凡 河 内 躬 恒 は 、 貫 之 に 封 立 す る 歌 人 で 、 貫 之 の 理 智 的 圭 觀 的 で あ る に 對 し 、 躬 恒 は 即 興
的 客 觀 的 傾 向 あ b と 云 は れ る。 併 し 、 必 す し も 此 の 評 は 當 つ て ゐ な い 。 躬 恒 の 集 中 の 歌 は 、 そ れ 程 多
く の特 色 あ る も の で は な い。 ま し て 、 他 の撰 者 に至 つ て は 、 何 れ も 貫 之 と 傾 向 を 同 じ う し て ゐ て、 要
す る に 、 此 の 撰 者 の作 風 が 、 古 今 集 時 代 の歌 風 を ヲ ー ド し てゐ る の で あ る 。
作 者 に就 い て注 意 す べ き 事 は 、 こ れ も 諸 本 に よ つ て 比 較 參 考 す る 必 要 の あ る事 で あ る 。 例 へ ば 、 流
'
布 本 で は 卷 上 に、 ﹁題 知 ら す 、 讀 入 知 ら す ﹂と あ つ て 、 ﹁立 田 川 紅 葉 葉 流 る﹂ ﹁戀 し く ば 見 て も 忍 ば ん﹂
中 古 文 學
、
225
國 交 學 襍 説
﹁秋 風 にあ へす散 り ぬ る﹂の 三首 の歌 が並 ん で ゐ る が、 元 永 本 で は一
、
立 田 川﹂の歌 の次 に ﹁此 歌 二首 な が
ら 帝 御 歌 ﹂ と 云 ふ註 があ り 、次 に作者 を ︻
、
關 雄 ﹂ と記 し てゐ る.
、即 ち .元 永 本 に、
怯ると 、﹁戀 し く ば ﹂
﹁秋 風 に﹂の 二首 は藤 原 關 雄 の作 品と な るわ け で、 關 雄 の歌 は 流 布 本 に於 け る よ bも 増 加 す る事 と な る。
ま た 百 人 一首 にも取 ら れ て名 高 い﹁吹 く から に秋 の草 木 の﹂の歌 は、 流 布 本 、 元 永本 と も に文 屋 の康 秀
で あ る が、 清輔 本 と高 野 切 で は何 れ も 文屋 の朝 康 と な つて居 る。 これ は朝康 の作 とす る方 が よ いかと
考 へら れ るが 、 これ ら も 撰 定 當 時 の動 搖 よ り し て 、 か や う に諸 本 によ つて作者 名 を異 にす る に至 つた
も のと考 へら れ る 。
集 中 の作 品 に就 いて 、特 に有 名 な歌 は い かな る歌 で あ るか。 有 名 な と は、 必 す し もそ の歌 がす ぐ れ
引 用 せ ら れ 、 或 ひ は 、 後 代 の作 品 の引 歌
用 ゐ ら れ る も の を 云 ふ の で あ る 。 さ う し て 、 事 實 、 か や う に し て 入 口 に 膾 炙 せ る 歌 に名 歌
て ゐ る と 云 ふ わ け で は な い。 そ の 歌 が 、 後 代 の 書 にし ば ー
にし ばー
の多 い事 は 否ま れ な い。併 し 、 今 そ れ を 一々列 擧 す る事 は煩 し い。 卷 頭 の歌 以下 、 そ の所 謂 名 歌 が餘
b に多 いか ら であ る。 た ゾ我 々がそ れ を 容易 に撰 ば う と 思 ふなら 、源 氏 物 語湖 月抄 や 、八 代 集抄 や 、
そ の他 の 古典 の註 釋 書 を 讀 む揚 合 にも 、 そ こ に註 せら れ てゐ る引 歌 を 注 意 し て おく 互都 合 が よ い。 さ
う す れ ば、 大 抵 の集 中 の有 名 な作 品 に接 す る事 が出 來 る かと 思 はれ る。 但し 、 前 にあ げ た、 流 布 本 に
226
引 用 せら
は なく て、 し かも 元 永 本 に入 つ てゐ る歌 の中 にも 、名 亠
口
同い作 品 が あ る 。 例 へば ﹁柏 木 の﹂の 歌 の 如 き は 、
兵 衞 の異 名 を柏 木 と云 ひ、 近 衞 の異 稱 を 三笠 山 と云 ふ の によ つて詠 ん だ 歌 とし て、し ばー
れ るも の で あ る 。 ま た 貫 之 集 に出 て ゐ る 、
引 用 せ ら れ る が 、 本 集 に 改洩 れ て ゐ る。 ・
櫻 散 る木 の下 風 は 寒 む から で室 に知 ら れ ぬ 雪 ぞ降 り け る
の 如 き も 、 人 口 に膾 炙 し て ゐ る 名 高 い歌 で 、 し ば く
古 今 集 の 作 風 が 、 後 世 に い か に 系 続 を 引 い て ゐ る か も 注 意 す べ き 問 題 で あ る 。 三 代 集 以 後 の、 平 明
で 理 智 的 で 淡 白 に す ぎ る 古 今 風 が漸 く 飽 か れ て 來 た 時 代 の 、 反 古 今 風 的 歌 風 が 、 新 古 今 風 の實 を 結 ん
だ後 、 反動 的 に古 今 風 が勃 興 し 〆
廴、 新 勅 撰 集 以 後 、 も と の 古 今 風 に 返 り 、 途 に 二條 家 が勢 力 を 占 め て
歌 壇 の宗 匠 と な る に 至 b 、 古 今 風 が 中 世 歌 壇 を 支 配 し た 。 近 世 に 至 b 、 古 學 の 勃 興 は 、 再 び 反 古 今 風
の 風 潮 を 地 下 の 歌 人 に 及 ぼ し 紀 が 、 堂 上 方 で は 、 矢 張 り 二 條 家 の 系 統 を 引 く 古 今 風 の 歌 風 が支 配 し 、
こと しらべ
地 下 で も 、 置ハ
淵 の 圭 張 せ る 萬 葉 ぶ り に 反 對 し て 、 小 澤 蘆 庵 の た ず 言 歌 の 主 張 と な b 、 香 川 景 樹 の調 の
説 と な つ て 、 再 び 古 今 風 の 勢 力 が 一部 に 行 は れ 、 こ れ が 堂 上 方 と 結 び つ い て 、 逾 に今 日 の所 謂 御 歌 所
氤
は清篳
られ 粕
病と云 つて もよ い が・ 心 の花 涙 の萎
ぐ 所 は・も と は
派 と 云 ふ 、 蕉 振 歌 壇 を 形 成 し て ゐ る 所 を 見 る と 、 古 今 風 が な ほ そ の勢 力 を 殘 存 し て ゐ る 事 を 知 る。 併
し ・ 新 涙 歌 入 か ら は ・全 舌
中 古 文 學
尠
●
噂
國 文 學 襍 説
矢 張 b 古 今 風 に あ つた の で あ る 。 か や う に 、 和 歌 史 的 に 、 古 今 風 の 作 品 の 清 長 を 注 意 す ぺ き で あ る ・
と う の つね よ ソ
叉 、 三 鳥 三木 の 如 き 古 今 傳 授 の 概 略 も 注 意 す べ き で あ る 。 殊 に 、 そ れ が中 世 に い か に し て 發 生 し 、
東 常 縁 以 後 、 細 川 幽 齋 に至 るま で 、 い か に し て 傳 來 し て 來 た か 、 そ の跡 を 調 べ る事 は 興 昧 あ る 問 題 で
あ る 。 こ れ は ひ と b 古 今 傳 授 の み な ら す 、 源 氏 物 語 そ の他 の 古 典 の 研 究 が 、 中 世 に い か に し て 行 は れ 、
いか に し て 傳 へら れ て來 た か を 知 る と 共 に 、 近 世 國 學 の 勃 興 に 對 す る 中 世 の學 問 の つな が b や 、 そ の
役 割 を 明 瞭 に す ろ 上 か ら も 必 要 な 事 で あ る。 叉 、 中 世 の文 學 思 想 と か 、 一般 の文 化 的 觀 念 を 研 究 す る
上 に も 、 是 非 觸 れ な け れ ば な ら ぬ問 題 で あ る。 (昭和 六年八月稿)
附 記 一、 此 の文 章 は 、多 分 に啓 蒙 的 章 義 を含 め て書 か れ た 、古 今集 の 研究 に關 す る 手引 とも 云 ふべ き も
ので あ る。
二、 近 時 三條 西 公 正 氏 の ﹁古 今 和歌 集 の基 礎 的 研究 ﹂(岩 波 講 座 ﹁日本 文 學 ﹂) が出 た。 頗 る精 細 な 研 究 で
あ る が、 自 分 に取 つて は諒 承 し難 い結 論 を 含 ん で ゐる。 從 つて 古 今集 成立 論 に於 いて 、本 文 に 考 へた詮
に は 少 し も變 化 を 生じ す 、 部 立論 の如 き も ,從 來 の堂 識 通 り に解 釋 し て少 し も不 都 合 はな いと考 へる。
228
δ
中
一觀 點
世 文 學
中 世 交 學 の
歌謠 研究 の立 場 から 中 世文 學 を見 ると甚 だ 興 味 深 いも の があ る。 戰 記 物軍 記 物 は云 ふ ま でも な く、
擬 古 物 語 でも、 お伽 草 子 でも 、す べ て、 此 の立 場 から 見 る 時、・そ の本 質 が明 らか にさ れ る やう な 氣 が
す る。 少 く と も 、 そ の 本 文を 研 究 す る用 意 の 一つと し て、 そ れ が 、 口誦 傳 承 せら れ た も の で はな いか
と 云 ふ事 を 念頭 に入 れ て置 く 必 要 が あ る。 此 の點 に於 いて、中 世文 學 は、 他 の時 代 の 、個 人 の編 著 に
な る文 學 作 品 と甚 だ性 質 を異 にし てゐ る の で あ る。
然 る ﹁、 これ ら の作 品を 、平 安 朝 時 代 の 物 語 文學 な ど と 、同 一考 へのも と に、研 究 し論 す る學 者 が
あ る のは 、 いま だ中 世 文學 の本 質 に撤 底 し な いか ら であ ら う。 古 い國 學 者の 系 統 を引 ぐ 過 去 の保 守 的
學 者 29
や 、 傳 統 的 態 度 を守 る進 歩 發 達 のな い或 種 類 の國 文學 者 が、 そ の註 釋 書 や 文 學 史 の解 詮 に、 中 世 2
中 世 文 學
國 文 學 襟 読
ρ
文 學 を 個 入 的 作 品 の立場 と同樣 に説 明 し 、 論 す る と云 ふ事 は 、 いた し 方 がな いとし ても 、 新 し い國 文
學 の研 究 に從 事 す るも の は、 中 世 文 學 に對 す る考 へ方を 一變 し な けれ ば な るま い。 中 世 文 學 を 以 つて
個 人 的 作 品 の文 學 と同 一覗 す る事 は、 新 時 代 の學 者 に は許 さ れ な い事 で あ る。例 へば、 中 世 文學 は甚
だ 多 く の異 本 を持 つて ゐ る。 戰 記 物 は云 ふま でも な く、 住 吉 物語 の如 き擬 古 物 語 か ら、 お伽草 子 の類
に至 るま で、實 にこ れ が同 一物語 か と、
一寸 見 て は疑 は れ るや う な、 文 章 の全 ぐ異 な る異 本 があ る。
平 家 物 語 と 源 平 盛衰 記 が、 矢張 b も と同 一根 原 から出 た異 本 に遏 ぎな い事 を 考 へて見 れ ば、 そ の間 の
沿⋮
息 が うか が はれ る。 こ れ ら の異 本 は、 平 安 朝 物語 草子 類 の異 本 と同 一覗 せら る べき で な い。 これ ら
の異 本 を生 亠
9。る に至 つた 民 衆 心 理 が 、 兩者 に對 す る考 へ方 を異 にし て ゐ る から であ る 。 これ は 一面 平
安 朝文 學 が既 に古 典 的 色 彩 を 帶 び、
一部 貴 族 學 者 の階 級 の專 有 物 とな b、研 究 の對象 と化 し つ 丶あ つ
・
/
た に封 し、 中 世 の戰 記 物 や お伽草 子 類 は、 庶 民 階 級 や 武士 階 級 の問 に、 主 とし て行 はれ てゐ た 民衆 文
學 で あ つた から 、 そ の異 本發 生 の事 情 や 心 理 は、 到 底 古典 文 學 に對 す る も の と同 一で は あり得 な い。
卑 近 な例 を持 つてく ると 、我 々は寄 席 に入 つて、 講 談 落 語を 聞 く 。 す ると 、 そ の語 ら れ る題材 が大
出 會 ふ で あ ら う 。 し か も 、 そ の同 一題 材 が、
方 一定 し て ゐ る事 に氣 が付 く であ ら う 。何 度 も聞 いて ゐ ろ中 に、同 じ題 材 が異 なる語 り手 によ つて語
ら れ 、 且 つ 同 一の 語 b 手 が 同 じ 話 を 語 る 事 にも し ば く
230
異 な る語 b手 に よ つて語 ら れ る場 合 は 勿論 、 同 一語 b手 が語 る際 に於 いても 、 こま か い樹 話 や 地 の叙
述 は云 ふま でも なく 、 筋 道 の蓮 び が大 體 の 構 想 は同 じ で あ る に係 は ら す、挿話 の挿 入 の有無 、
變 化 の大
小 等 によ つ て、 大 い に異 な つて ゐ ろ事 を 見出 だ す で あ ら う。 さ うし て我 々は 、 そ の時 の氣持 や事 情 に
應 じ て、 語 b手 が同 一題 材 の話 を前 に聞 いた 時 と は變 化 を 加 へて話 し てゐ るの に、 更 に多 く の興 昧を
見 出 だ す であ ら う 、且 つ此 所 に於 いて、 語 b手 の藝 能 や才 智 に關 し て、我 々は 興 味 あ る比較 論評 を 下
す 事 が出 來 る で あら う 。 中 世 文 學 は ま さ に此 の聽 衆 の立揚 か ら觀 ら れ る べき で、 これ を平 安 朝貴 族 文
學 と同 一立 揚 か ら 論 す る のは、 當 時 の文 學 創 作 或 ひは 文 學享 受 の心 理 に 理解 あ る態度 ではな い。 ま た
そ れ は 、江 戸 の民 衆 文 學 と 一抹 の共 通 心 理 は あ るけ れ ど も 、徇根 本 的 に、個 入 的創 作 と 、集 團 的創 造
と の性 質 に本 質的 相 違 があ る。
平 家 物語 が琵 琶 法 師 の語 b物 な る事 は今 事 新 し く 云 ふま でも な い。保 元 平治 も琶 琶 法師 の語 り,
物で
あ る事 が明 らか にさ れ た 。 こ れ によ つて 、
戰 記 物 の發 生 にま で、琵 琶 法師 の功 績 を及 ぼ す 事 が出 來 ると
私 は考 へてゐ る の で あ る。 少ぐ と も戰 記 物 の成 立 に於 いて、 琵 琶 法師 の功 績 あ る事 は云 ふま でも な い
が、文章 そ の 物も 、琵 琶 法 師 の 口傳 の間 に生 れ出 でた も ので あ る事 を忘 れ て は な らな い。 戰 記 物 の數 多
の異 本 は、 かく し て解 決 せ ら る べき であ る 。更 に、 岩 橋 小彌 太 氏 が﹁無 名 法 性 合戰 状﹂を も、 同 じ く 琵
中 貴 丈 學
231
國,丈 學 襍 読
琶 法 師 の 語 砺 物 の 一で あ る事 を 證 明 せ ら れ た の は 大 な る學 界 に對 す る貢 献 で あ る (近 畿 吐 寺 考 )。 こ れ 32
2
は 、 普 通 の戰 記 物 ら し く な い や う に 思 は れ る 當 時 の 作 品 が、 實 は 語
璽
b 物 と し て 傳 へら れ た も の で あ ゐ
事 の想 像 せ ら れ る 一例 證 と な る。 私 は 他 の 一例 を も う 一つ 想 像 し て見 よ う 。 そ れ は 、 看 聞 御 記 應 永 十
三 年 七 月 三 日 の 條 に あ る ﹁先 日 物 語 僭 叉 被 召 語 之 。 山 名 奥 州 謀 反 事 一部 語 之 。 有 其 興 ﹂ と 云 ふ 記 事 で
あ る 。 此 の 物 語 信 は、 此 の 前 後 に も 度 々蔘 つ て ゐ る 。 ﹁酒 宴 御 肴 ﹂に 語 つ た の で あ る 。 即 ち 、 此 の物 語
僭 は 後 代 の 太 平 記 讀 、 講 談 師 な ど と 、 そ の性 質 を 同 じ う し て ゐ る 事 が明 ら か で あ る 。 さ う し て 、 そ の
語 り 物 の 一と し て 、此 所 に 、﹁山 名 奥 州 謀 反 事 ﹂冫 云 ふ題 名 が 掲 げ ら れ て ゐ る 。 山 名 陸 奥 守 氏 清 の叛 亂 は
明 徳 二 年 に あ つた 。 即 ち 明 徳 の 亂 で あ る 。 看 聞 御 記 な る 應 永 十 三 年 よ b 、 僅 か 十 五 六 年 の 昔 で あ る 。
此 の題 材 を 取 つ て 語 つた 語 り ぷ り が、 單 な る話 題 とし て の 提 供 で は な く て 、 純 然 た る藝 能 と し て の演
出 で あ つた 事 は 、 そ の前 後 の、 此 の 物 語 僭 に 關 す る 記 事 に よ つ て 明 ら か で あ る 。 さ て 、 群 書 類 從 合 戰
部 に收 め ら れ た 明 徳 記 三 眷 は 、 此 の 亂 の 顛 末 を 記 し た 軍 記 物 で あ る が 、 私 は 此 の書 を 讀 ん で 、 そ れ が
何 うし ても 語 b 物 と し て語 ら れ た も の で あ る事 を 、 文章 そ の 物 か ら戚 じ す には居 ら れな か つた 。試 み
に 次 の 文 章 を 讀 ん で 見 ら れ た い。
扨 モ折 ヲ得 タ ル秋 ノ氣 色 ド モ御 ナグ サ ミ ト成 ニケ リ。 時雨 ニアラ ソ ウ眞 木 ノ島 。 紅 葉 移 ロウ朝 日 山、 暮 行
秋 モ小 莚 二、 衣 片敷 橋 姫 ノ、 昔 ヲ問 ヘパ 橘 ノ、 小島 ガ崎 モ程 近 シ、 都 ノ辰 巳然 ゾ ス ムト .喜 撰 ガ 詠歌 セ シ
宇 治 山 ノ、峯 ノ嵐 モ吹 落 テ、網 代 二餘 ル白 波 ノ、 ヨルベ ハイヅ ク柴 舟 ノ、 シバ シガ 程 モ御 覽 ゼ ズ 、幾 年 月
力關 守 ノ、 心 ヲト メテ小 幡 山 、 分 行 露 モ深 草 ノ、 床 ノ鶉 モ伏 見 ノ里 .七 日 ハ誰 力上 リ ケ ン.宮 居 モ近 シ稻
ンド興 ジ戯 レサ セ給 テ、 イツ シ カ今 日 ノ族 衣 、 日 モタ 暮 二成 シ カバ、 都 へ入 ラ セ給 ケ リ。
荷 山 、 イ ナ ト思 ババ サ モア ラデ 、 色 ニハ出 テ陸 奥 ノ國 ノ、忍 ブ モヂ ズ リ心 カ ラ、 移 ロフ人 ト ナ リ ニケ リ ナ
純 然 た る 七 五 調 の 道 行 文 と な つ て ゐ る 。 勿 論 か か る 道 行 文 は 先 縱 の戰 記 物 を 樟 倣 し た も の と 考 へら れ
る が 、 私 は 爾 此 の 書 の 文 章 全 體 が 、 語 り 物 と し て の 形 態 を 備 へて ゐ る事 に よ るも の と 考 へた い。 而 し
て、 本 書 の 終 に 、
ヲゾ ヌラ シ ケ ルo
テ、 此 御志 ノ忝 ナ ナ、 忠 節 ヲ蠱 ス ナラ バ 、誰 ヲ モ角 コソ召 レ ンズ ・vト テ、勇 ム心 ノ有 二付 テ、 ソゾ ロ ニ袖
レテ 、圓 頓 一乘 御 眞 文 ヲ御 自 ラ ア ソバ シ テ彼 追善 ニキ セラ レシ カバ 、 高 キ モ賤 キ モ 一天 下 ノ人 オ シ ナ ベ
御冖
所川
様滋蹕成 セ給 シ カバ 、軈⋮
テ鹿 苑 院 二御冖
座 右冂テ 、毎 日座 弧
騨ノ御 訪 、 七 日 々 々 ノ佛 事並ハ,ネ ムゴ ロニ仰 付 ラ
と 閉 ぢ め た 如 き 、 こ れ を か の 物 語 僭 の ﹁山 名 奥 州 謀 叛 事 ﹂ の 語 6 物 と 關 連 し て考 へる 時 、 甚 だ 興 昧 が
あ る で は な い か 。 惣 じ て、 本 書 の稚 拙 な る 文 章 は 、 語 り 物 と し て の み 容 認 せ ら る べ き も の で あ る 事 を
中 世 丈 學
233
國 丈 學 襍 説
心 あ る入 は見 る事 が出 來 る であ ら う 。 か くし て、 私 は、 群 書類 從 や續 群 書 類從 の合戰 部 、或 ひ は 國史
叢 書 に收 め ら れ た片 假 名 本 の軍 記 物 には、 こ れら の物 語 僭 の物語 に出 でπ も の のあ る事 を認 めた いの
であ る、群 書 類 從 の合 戰 部 の伯 耆 之 眷 の 如 きも 、 平 假 名 本 であ る が、 文 章 そ の物 を 味 ふに、 語 b物 と
思は れ ろ點 が多 い。 片 假名 本 を 語 b物 の目 安 に取 つた の は、 平 暇名 本 は 元來 平 安 朝擬 古 物語 の系 統 文
學 に本質 的 に存 し 、 片 假名 本 は、 新 興 の 口誦 傳 承 文 學 な る戰 記 物 に見 る形 式 であ る から であ る。(平 安
朝 物 語 文 學 概 諡 の項 を參 照。)か く し て見 る時、 岡 田希 雄 氏 が、 書 物 の 趣 味第 四 號 の ﹁東 勝寺 鼠 物 語 に
見 え た る幸 若 舞 の 曲 名 ﹂ な る論 文 に於 いて 、東 勝寺 鼠 物 語 に見 え る不明 の幸 若 曲目 の中 、持 氏 を 、群
書 類 從 合 戰部 の結 城 戰 場 物 語 と關 係 あ b とし 、嶽 山 は同 じく 合 戰部 の 長祿 寛 正記 の嶽 山合 戰 と 關 係 あ
bと 論 じら れ た 如 き も、 甚 だ興 味 あ る材 料 を提 供す る 。 こ の事 は叉 太 平 記 か ら、 舞 の本 の新 曲 が出 て
ゐ る事 と 考 へ合 はす ぺき で あ る。 語 b 物 と軍 記 物 と の關 係 の甚 だ密 接 な るを 思 はし め る。
太平 記 も 亦 、後 世 太平 記 讀 の存 在 す る事 によ つて、 か 丶る僭 侶 の語 b物 よb 出 でた る事 が察 せら れ
.る 。今 中 世 に於 け る太平 記 の語 ら れ る状 態 の 一例 を示 す と 、蔭 凉軒 日 録 の文 正元 年閏 二月 六 日 の條 に
﹁江 見 河 原 入 遣 爲レ
慰二
客寂 讀 二
太平 記 一也 。盆 翕依 一
浴 困一而 只懶 睡 耳 。 可レ知二睡 隱 稱 7之 。龜 泉 自 收 叉 睡 一
于 座 隅一耳。 漸 欲レ報二午 浴 鰰也。 葉 山 三郎 并 上 月 六郎 來而 聞 二太平 記 陶也 。赤 松 入道 圓 心 有二軍 功 之 事輔尤
234
爲二當 家 名 望 司聞レ之 爲レ幸 也 。 太平 記 入名 字 日二大 佛湘或 日二入 見 一
。 尤 今世 所v聞 爲レ稀 也 ﹂ と見 え る。 こ
れ が 單 な る太平 記 の通 讀 でな い事 は 、此 の後 に、 小 歌 小 舞 の記事 の多 い事 によ つて も滑 閑 座 興 以上 に、
一種 の藝 能 と な つ てゐ た と想 像 せら れ る のであ る。 江 見 河 原 入疸 なる僭 侶 が、 こ れを 客 に讀 ん でll
寧 ろ語 つてと云 ふ 方 が適 切 であ る が、 太 平記 は普 通 讀 む と 云 つ て語 ると 云 は な いこ と は、 今 日 の講談
聞 かせ た の で、 そ れを 居 睡 り な がら 聞 い て居 る の は、 丁度 今 日 の講談 席 に於 け る情景 と類 似 し て
師 がコ 席 讀 み上 げま す Lと云 う て、 語 ると も話 す とも 申 し上 げ ると も云 はな い所 に傳統 せら れ てゐ る
1
ゐ る。 そ の翌 日 も 亦 、江 見 河 原 は ﹁以卞爲二閑 寂 一之 故 よ讀二太 平 記 こ と あ る。文 正元 年 は、 太 平記 の終
つ てゐ る貞 治 六年 か ら 丁 度 百 年 の後 に當 る。 か く て 、 太 平 記 は 物語 僭 によ つ て流 布 せら れ た 。 太平 記
の著 者 と云 は れ る小 島 法師 も 亦 か か る物 語 信 の 一入 であ ると 思 は れ て、 勿 論 、 小島 法 師 な る物 語僭 一
人 の手 に出 でた と な す べき で は な か ら う。 かく て、 室 町 時 代 の軍 記 物 の物 語 信 によ る成 立 及 び流布 過
程 は、琵 琶 法 師 が、 平家 物 語 そ の他 の鎌 倉 時 代 の皸 記 物 を 成立 流 布 せ し めた 事 情 に移 し て見 ても、 同
一であ る。
か か る見 地 は單 に戰 記 物 にと ど ま ら す 、擬 古 物 語 お伽 草 子 の類 に關 し て も、 同 一解 釋 が出 來 る℃ 即
ち 、 物 語 信 談議 僭 の語 b物 の中 に は、 か か る殺 伐 な 戰 記 物 以外 に、優 艶 な る古 物 語 の類 を も含 め て居
中 世 丈 學
235
國 丈 學 纏 説
つた と考 へられ る。 此 の點 に關 し て は 、筑 土鈴 寛 氏 が國 語 と國 文 學 昭 和 五年 八 月號 九月 號 に、
﹁唱 導
と 本 地文 學 と ﹂と 題 す る、興 味深 き論 文 を發 表 し て居 ら れ る 。 ま た同 氏 が、 國 語 と國 文學 の昭 和 四年 一
月 號 に發 表 せ ら れ た 、﹁諏 訪 本 地。甲 賀 三郎﹂ な る論 文 も 、同 樣 に參考 す べき 好 論文 であ る。 極 めて示
唆 に富 むも の で、國 文學 の民 俗學 的研究 も 、 中 世 文學 の本質 を つか む 上 には 、
甚 だ重 要 な 方法 であ る。
住 吉物 語 そ の他 中 世 の物 語 文 學 に造 詣 深 き 小木 喬 君 が、住 吉物 語 の異 本 の甚 だ多 ぐ 存 す るのを 、同 一
見 地 か ら 解 釋 し よ う とし て居 ら れ る のは 、烱 眼 で あ る。 かく し て、 中 世 の物 語 文 學 お伽草 子 類 も 、 口
誦 文學 的 に解 釋 せら る ぺき であ らう 、談 議 僭 が談議 の 際、 佛 教 的見 地 か ら こ れを 面 白 く説 き聞 かせ る、
そ れ がや が て中 世 物語 文 學 の異 本 を 譽富 に作 ると共 に 、幾 多 の同 一題 材 に か か る種 々の異 な る物 語 を
創 造 す る やう にな る 。所 謂 本地 文 學 は、 此 の 口誦文 學 の 一つの流 れ であ る。 住 吉物 語 が佳 吉 の本 地 と
題 せら れ る やう に な b 、天 稚 彦 物 語 が七ク の 本 地 と な る の は、 かうし た結 果 であ る。 お伽 草 子 の唐 糸
草 子 の如 き も確 か に謠 ひ物 と 思 はれ る。 お伽 草 子 と幸 若 舞 と の密 接 な る關 係 の あ る事 は云 ふ ま でも な
い。 我 々は、 中 世文 學 の本 質 を 、 かうし た方 面 から 研 究 を進 め て つか む べき で はあ るま いか。
(
昭和六年五月)
附 記 、 一、歴 史 と 國 文 學 昭 和 六 年 二月 號 所 載 の正 親 町 直 氏 の﹁中 世 文 學 の 民衆 と の交 渉 形式 ﹂と 題 す る論 文 の
236
中 に は、琵琶 法 師 に⋮
關す る 種 々 の材 料 が 集 め られ て ゐる の で甚 だ便 利 で あ る。 そ の中 に漏 れて ゐ るも ので ,
次 の如 き 材 料 は ,平 安 朝 時 代 の琵 琶 法 師 に關 す る 好 文献 と 思 は れ る か ら ,書 き 添 へて おく 。
条盛集
び は のほ う し ぎ
よ つ の緒 に思 ふ心 を 調 べ つ ゝひ き あり け ども し る人 も な し
散 木 ・奇 歌 隹峯卷六
あ し やと いふ 所 に て び は法 師 の び はを ひ き け るを ほ のか に き ゝて む かし を 思 ひ いで ら る る事 有 て
流 れく るほ ど の雫 に び は のを と を ひ き あは せ ても ぬ る る 袖 哉
此 の葦 屋 は九 州 の土 地 であ る 。秉 盛 集 の下 句 ﹁彈 き あり け ど も知 る人 も な し しと思 ひ合 せ て 、 當 時下 暦 階級
の琵 琶 法 師 が、 門 付 と し て邊 僻 の 土 地ま で語 り 歩 い てゐ た 事 が知 ら れ 、 且 .散 木 奇 歌 集 で, 俊頼 が琵 琶 法
師 の語 る のを 聞 い て昔 を 思 ひ出 し た と いふ のは , 必 らす や そ の語 り 物 の内容 が、 帥 大 納 言 經 信 の 事蹟 と類
似 關係 を 有 す るも の があ つた と解 す べき で 、 こ れ ら は や が て、 後 に平 家 物 語 を 生 む に至 る要素 を 、琵 琶 法
師 な る ミ ン スト レ ルが有 し て ゐ た 事を 察 す る に足 る材 料 であ るつ
二、 此 の當 時 の作 品 は 、 語 り本 と讀 本 との 二 つに區 別 し て考 へる 必 要 が あ る。 平 家 物 語 の本 文 の如 き は 語
り 物 であ り ,源 平盛 蓑 記 は讀 物 に屬 す るQ 近 古 小 詮 、 お伽 草 子 の類 も ・ 此 の語 り 物 .讃 物 の兩 性 質 を區 別 卿
中 世 文 學
國 文 學 襍 読
す べ き で あ る。
さ
う
し
て
平
家
の
如
く
語
り
物 か
ら
讀 物 に な つ た も の も あ る が 、 舞 の 本 の 如 き は 、 讀 物 か ら 語 8
3
2
り 物 にな つた も のが あ るか と 考 へら れ る。 本 文 の論 は 、 中 世 文學 のす べ てを 語 り 物 から出 た も のと 私 が解
釋 し て ゐ るや う に 誤 ら れ る お それ が あ る か ら 、 こ こ に ; 一
呈 臼き添 へてお く。 なほ 此 の點 に關 し ては笹 野 堅
氏 の卓 見 に歡 へられ る所 が多 い。
■
七 夕 物 語 に つい てー
中 世 物 語 の 特 性
ー
詞 林釆 葉 抄 第 六 の七 ク 姫 の條 に ﹁牽 牛織 女 メ禪 ヲ神 ノ事 、古 物語 ア ソ ト イ ヘド モ、 作 者 未 勘 之 、故
不載 之焉 ﹂ と見 え て ゐ る。 貞 治 五 年 に成 つた此 の書 に、 古 物 語 と云 う て ゐ る の であ る から 、 そ の物 語
は 少 く と も鎌 倉 時 代 に成 つた も ので な け れ ばな ら ぬ。¶
然 る に、 恐 ら く 室町 時 代 の作 品と考 へら れ てゐ るも の に、此 の牽 牛織 女 の事 を取 り扱 つた作 品 があ
る。 今 そ の作 品 に就 い て聊 か解題 を 試 みよ う。
一は、 室 町 時 代 小詮 集 に收 載 せら れ た ﹁天稚 彦 物 語 ﹂ で あ る。長 者 の娘 が入身 御 供 にあ が つた 、然
る に・ 恐 ろし い大蛇 と 思 つた の は・實 は天稚 彦 と いふ天 人 で、後 ・此 の長 者 の娘 は、 天稚 彦 の父 な る 駒
中 世 文 學
國 文 學 襍 説
鬼 に種 々の難 思 を出 され て苦 し めら れ る が、途 に父 は兩 人 の逢 ふ事 を許 す 、但 し 、 一年 に 一度 、 七月 ・
七日 に逢 ふ 事 と な つた と云 ふ筋 で、 要 す る に、天 稚 彦 と そ の妻 と が牽 牛織 女 な ので あ る。 室 町 時代 小
説 集 に は、 土佐 廣 周 が繪 を 描 き、 詞 書 は後 小松 帝 の宸 翰 であ ると いふ書 によ つて收 め てゐ る。
二は 、 右 と筋 は全 く 同 じ であ る が、噂
そ の文 章 全 く 異 な b 、 且 つ、 文章 や 叙 述 が、 前 者 よ bは甚 だ詳
しく な つて ゐ る 三卷 本 であ る。 これ ま た繪 卷 物 とし て傳 は つた も の で、 彩 色繪 入 の寫 本 が、 靜嘉 堂 文
庫 に藏 せ られ て ゐ る。 ま 元 、 そ の 本 文 の み は、 珍 書 同 好會 から 謄 寫 版 刷 にし て、 刊 行 せら れ て ゐ る。
靜 嘉 堂 文 庫 本 侭 ﹁七夕 物 語 ﹂ と題 し た。 珍 書 同 好 會 本 は 、外 題 には ﹁七 ク の由 來 ﹂ と題 し てゐ る が、
本 文 の題 は ﹁牽 牛 由來 記 ﹂ と あ る。 此 の ﹁七夕 物 語 ﹂ と か ﹁七ク の由 來﹂ と か い ふ題 名 は、初 に記 し
た 、 詞 林 釆葉 抄 に云 へる古 物 語 の内 容 に叶 ふも の が あ る。 此 の こ の本 で は、 一の本 に天稚 彦 とあ るの
を 、 天 若 御子 と記 し て ゐ る。
三は 、前 二者 と は全 く 別 個 の内 容を 有 す る本 であ る。内 大臣 の妹 姫 に 七夕 の天 稚 彦 と いふ天 入 が通
ひ 、逾 に姫 君 は懷 姙 し て男 の子 を 生 む 、 天稚 彦 此 の子 を件 つ て天 上 に歸 b世繼 とし 、 姫 君 は帝 に召 さ
れ て皇 后 とな る 之 い ふ筋 であ る。 此 の物 語 で は、 天稚 彦 は牽 牛 であ るが 、姫 君 が織 女 にな つ てゐ な い。
即 ち 姫 君 は天 上 に昇 つ てゐ な い。此 の物 語 も 亦前 者 と同 じ く 、﹁天稚 彦 物語 ﹂又 は ﹁天稚 御子 物 語 ﹂ と
240
題 した 寫 本 があ り 、近 古 小詮 解 題 に解題 が出 て ゐ る。 二册 本 があ b、 帝 國 圖 書 館藏 本 は 一册 本 であ る。
四 は、 三 の本 あ筋 は大 體 同 じ であ る が、 そ れよ bも 全 體 に於 いて簡 略 と なb 、文 章 は全 く異 な つ て
ゐ るも の。筋 の運 び 方も 多 少 異 な つて ゐ る所 があ る。 明 暦 元 年版 はた ず﹁た な ぱ た﹂と 題 し 、 元祿 五年
の書籍 目 録 に、﹁七ク の草 子 一冊 ﹂﹁七ク の本 地 二册 ﹂ と あ る のも此 の本 の事 であ るら し く 、 ま た
天 若 御 子 物 語 と題 す る古 刊 本 も あ ると いふ 。ま た、宮 内 省圖 書 寮 に藏 す る ﹁七 夕 の草 子 ﹂ と題 す る 一
册 の寫 本 も 、 此 の第 四 種 に屬 す る本 であ る が、刊 本 の ﹁た な ば た ﹂ と は文 章 の異 同 が甚 だし い。 今 、
Q
近 古 小 詮 解 題 によ つ て、 三 の天稚 彦 物 語 の 和歌 と、 四 の明暦 元 年版 ﹁た な ばた﹂ 及 び宮 内 省 圖 香 寮 本
の﹁七夕 の草 子﹂の和 歌 とを 比 較 し て掲 げ て見 よ う 。
︻天 稚 彦 ︼ 古 への月 の都 の人 にま た めぐ り あ ひ ぬ る契 り深 し な
︻七 夕︼ 古 への月 の都 の人 な れ ば 今 も契 り て め ぐり こ そあ へ
︻七夕 の草 子 ︼ 古 への月 の都 の人 な れ ば 契 り あ りと てめ ぐり こ そ あ へ
︻天 稚 彦︼ 數 な ら ぬ身 にも 雲 井 の藤 の花 心 の松 も いか 璽知 ら ま し
︻七夕 ︼ 千 と せ ふる松 に心 の藤 の花 か ゝり て後 にか ひ や な か ら ん
中 世 丈 學
︻七 夕 の草 子] 千 と ぜ ふる 心 の松 に藤 の花 か ゝり て後 は か ひ やな か ら ん
241
ワ
國 丈 學 褸 艶
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大 體 右 の 如 く 、 三 と 四 と の 異 同 は 甚 だ し い が 、 四 の 刊 本 と 寫 本 と で も 亦 異 同 が多 い。 此 の 四 の 本 に關
し て、近 古 小 論解 題 には、{
、あ め わ か ひ ご を 原 と し て こ れ を 書 き つ ゴ め た る も の な ら ん 、そ は 刊 行 の 際
な る か も 知 る ぺ か ら す ﹂ と 蓮 べ て ゐ る が 、 右 の 如 ぐ 宮 内 省 圖 書 寮 本 の 寫 本 の存 在 に よ つ て、 刊 行 の 際
に 書 き つ ゴ め た も の で な く 、 も と か ら 、 寫 本 で 、 此 の 短 い 方 の 物 語 も 、 長 い方 の 物 語 と 共 に 行 は れ て
ゐ た の を 、 刊 行 し た も の であ ら う と 考 へら れ る 。 ま た 、室 町 時 代 小 詮 集 の 解 題 に、﹁明 暦 元 年 の 刊 太 ﹃七
ク ﹄ と い ふ は 、 こ の 別 本 天 稚 彦 物 語 を 卑 近 に書 直 し た る も の な b ﹂ と 述 べ て ゐ る が 、 右 の 如 く 、 三 と
四 と の 何 れ が 先 で 、 何 れ が後 に書 き直 し た も の か 輕 々 に 斷 す る 事 ぼ出 來 な い。 柳 亭 種 彦 は 此 の 册 子 を
足 利 の 季 に出 來 し た も の と 云 つ て ゐ る さ う で あ る 。 (俚 言 集 覽 、 近 古 小 説 解 題 蔘照 )。
前 述 の 如 く 、 此 の 天 稚 彦 物 語 に關 し て は 、 全 く 内 容 の 異 な る 本 が あ り 、 且 つ 、 そ の 何 れ に も 、 本 文
の 詳 し い も の と 、 簡 略 な も の と の 二 種 が存 し て ゐ る わ け で あ る 。 さ う し て 、 流 布 の 程 度 か ら 云 へば 、
昔 は 、 四 の略 本 が 刊 本 と し て 、 書 籍 目 録 に も 二種 の 書 名 が 載 つ て ゐ て 、 最 も 流 布 し た も の ら し い が 、
今 で は 、 一の別 本 の 略 本 の方 が 活 版 と な つ て ゐ る の で 、 最 も 世 に 知 ら れ 、 二 の 、 そ の廣 本 は 謄 寫 版 刷
と し て 若 干 世 に出 で 、 三 の 廣 本 が最 も 世 に知 ら れ な い と 云 ふ事 に な る 。 併 し 流 布 の程 度 が 、 作 品 の新
古 に は 少 し も 關 係 が な い事 は 云 ふ ま で も な い 。h
242
■
さ て 、詞 林 釆 葉 抄 に 云 へる牽 牛 織 女 の メ禪 ヲ 神 に 關 し て述 べ た 古 物 語 と は 何 れ の 本 で あ ら う か 。三 と
四 と の 屬 す る 天 稚 彦 物 語 は 、既 に 柳 亭 種 彦 の 云 へる 如 く 、 室 町 季 世 の 作 品 で あ ら う 。 そ れ は 必 す し も 、
牽 牛 織 女 の メ神 ヲ 帥 に 關 し て述 べた も の で は な い の で 、 詞 林 釆 葉 抄 に 云 ふ 所 と は 叶 は な い。 ゆ ゑ に 、
此 の 本 は さ う し た 古 物 語 で は あ る ま い 。 然 ら ば 一と 二 の 屬 す る 天 稚 彦 物 語 は 何 う か 、 こ れ も そ の 内 容
は甚 だ室 町 時 代 の 3
5伽 草 子 と 色 彩 を 同 じ う し て ゐ る 。 殊 に 廣 本 の 如 さ、
㌦は 、 文 章 も 亦 新 し い所 が あ る 。
そ の冐 頭 の文 句 の如 き も 、
そ れ わ が朝 は紳 代 より は じま り 、 紳 武 天皇 を 人皇 のは じ め と し て.國 土 の萬 民 み な こ の末 に つ ゞけり 。 さ
れ ば .榊 國 な れ ば 、 か り に人 聞 と生 れ給 ふと い へど も .ま た 神 と 顯 じ 、諸 人 のわ ざ は ひ にか は り給 ふ 事、
云々
有 難 き 御誓 ひ な り。 然 る に、 天 に ま しま し て不 老 の契 り を深 く守 ら せ給 ふ 七夕 の由 來 を 詳 し く た つ ぬ る に
輿
と 云 ふ前 置 が あ る が 、 略 本 で は 、 此 の 前 置 な く 、 直 ち に、
昔 長 者 の家 の前 に 女物 洗 ひ てあ り けり 。
と 云 ふ 竹 取 物 語 式 の冐 顏 の文 句 で 始 ま つ て ゐ て 、そ の簡 素 な 云 ひ 方 は 、 何 う し て も 、 略 本 の 方 が 先 弔丶
中 世 丈 學
廣 本 の 方 が 後 に そ れ を 増 補 し て 、 言 ひ 傳 へ書 き 傳 へ て來 た も の と 思 は れ る 。 ゆ ゑ に 、 此 の 四 種 の 本 の
243
國 文 學 襍 説
中 では 、 一が最 も古 いと 思 はれ る が、伺 お伽 草 子 的 色 彩 を多 分 に持 つて ゐ る事 は、 そ の本文 を 讀 過 せ
る入 の氣 付 く所 で あ つ て、 これ を 果 し て鎌 倉 時代 ま で引 上 げ る事 が出 來 るか何 うか 疑 は し い。
此 の兩種 の天稚 彦 物語 は、 題 名 が共 通 し て ゐ る如く 、 そ の内 容 は全 く 異 な つて ゐ ても 、 天 入 の 天稚
彦 が天 下 つて 入 間 と契 つ てまた 昇 天 し た と い ふ事 と、 天 稚 彦 が 七夕 の紳 であ ると云 ふ事 と は何 れ も同
一であ る。而 し て、 天稚 彦 が天 から 下界 に下 つ て入間 と契 つた と いふ事 は、既 に古 事 記 日 本 書紀 に見
え る天 稚 彦 の上 代 諡話 がさ う であ る。 ま た 、 平 安 朝 時代 で は、天 稚 彦 (常 時 では 天稚 彦 と云 はす に天若
御 子 と呼 ん だ ) が天 か ら下 つて、 琴 を つく つた b督 樂 を稱 美 した b し 沈 事 が、
宇 津 保 物 語 にも 、夜 牛 の
﹂と 云 ふ歌 が出 て ゐ て、當 時 で は 、
甚 だ普 樂 に關 係 深 い禪 、否 膏樂 愛 好 の禪 と し て取 り
寢 覺 にも 、 狹 衣 物 語 にも見 え 、 叉梁 塵 秘 抄 の 二句神 歌 にも ﹁奥 山 にし ば ひく 普 の聞 ゆ る は天稚 御子 の
みす お とそ よ ー
扱 は れ て ゐ る。 而 し て、一方平 安 朝 時 代 以降 行 はれ た 乞巧 奠 、
即 ち 七夕 祭 に は、琴 を 手 向 け る風 習 があ
つた。 江 家 次第 によ ると 、﹁自 二御所 隔
申 二下 箏 一張 ﹂置昌東 北 西北 等 机 上北 妻岡艇臙計鋤犁 Lとあ b 、雲 圖 抄
に は 、そ の琴 を 手 向 け る圖 を掲 げ て 、﹁或 置 鰰
琵琶一
﹂と も記 し て ゐ る。 即 ち 乞巧 奚 に は琴 を 手 向 け るの
が本體 であ る が 、 また 和 琴 や 琵琶 な ど 夕置 いた事 も あ るらし い。斯 樣 にし て、 天稚 彦 が 七夕 と結 び付
く 因縁 は、 平 安 朝 時 代 にも 既 にあ つた と云 へる の であ る。 そ れ で私 は想 像 す る、鎌 倉 時代 に存 在 し て
2q.q.
O
ゐた 所 の、 詞 林 釆葉 抄 に記 され た 、牽 牛織 女 の メ神 ヲ紳 の事 を逋 べた 古 物 語 と は、 恐ら く 、 天稚 彦を
取 b扱 つ て、こ れ が天 下 つて入 間 と契 り 、と も に牽 牛織 女 と な つた と云 ふ、 前 述 の如 く別 種 の兩 天稚 彦
物 語 に共 逋 せ る内 容 (但 し 、 一方 の本 には メ禪 の事 は見 え てゐ な い が)
を 有 し てゐた も のに違 ひな い。
それ は、 古 事 記 の 叙述 にも 一部 叶 ひ 、 ま た平 安 朝 時 代 の考 へ方 にも 一致 した 性 質 を持 つてゐ る。 而 し
て、 そ の古物 語 が現 存す る、 兩 種 の天稚 彦 物語 の原 本 と成 つた も ので 、此 の兩 天稚 彦 物 語 の中 、 一二
の方 が古 く 、 三四 の 方 が新 しく 、 ま た 、 廣 本 よ b も略 本 の方 が古 いと 思 は れ る事 前 述 如く であ る。
私 は、 詞 林 釆葉 抄 に云 へる古 物 語 を 、今 か b に七夕 物 語 と 名 付 け る 。 さ うし て 、か り に次 の やう な表
を 作 つ て見 た 。
麸蝶 蕪 ∀ 七
ク
物
諦
▲ 蘓蒲 難晶 巓
麓
だ が、上 代傳 説 の天稚 彦 と 、
平 安 朝 時 代 の天稚 彦 と は 、民 間 傳 詮 に傳 は つ て來 る間 に普 樂 の禪 の如く に
變 化 し た け れ ど も 、 そ こ に また 自 然 的 關 係 が存 す る であら うし 、そ の音 樂 の神 は、 や が て琴 の手 向 け
ら れ る七夕 の紳 と化 し て、 天 稚 彦 物 語 の原 形 の民 間 傳 説 を 形 作 つ て七ク 物語 を生 じた が、古 い方 の天
稚 彦 物語 二 と 二 の屬 す るも の) と ・ 新 し い方 の天稚 彦 物 語 三 と 四 の屬 す るも の)と の問 にも ・ そ こ
中 世 交 學
婿
●
國 交 學 褸 詮
に何 等 か の相 關 的影響 が認 めら れ て關 係 なし とも 云 ひ難 く、必 ずし も 、原 諡話 よ り、 別個 に發 生 し た
も の と は云 ひ切 れ な い。殊 に そ の 各 々の廣 本 略 本 の問 には 必 す 相 關 的 關 係 があ る の であ つて 、此 所 に
此 の時代 の本 地 思想 が加 へら れ て、 七ク の本 地 とも な b 、著 し く 佛 教 的 臭 昧 を 増 し 、
民 間 傳 承 の結 果 .
論 話 の流 動 に つ れ て 、内 容 の上 にも 、 文章 の上 にも 種 々多 く の變 化 が加 へら れ て、 かく 多 く の異 本
を 生 す る に至 つた の であ る 。要 す る に、 七夕 物 語 の系 列 に屬 す る作 品 は 、 矢張 b鎌 倉 室町 時 代 の中 世
の作 品 に多 く 見 え る、 口誦 傳 承 的性 質 が多 分 にあ つた と云 ふ事 が、此 の多 く の異 本 の存 在 によ つ て證
據 だ てら れ ると 思 ふ。 (一言 す る が、平 安 朝 時代 の作 品 の如 き個 人 的著 作 の異 本 は、 そ れを 轉 々机 上 の
書 寫そ の他 の入 工 的 細 工 によ つて生 す るも のと し て、 そ の立 場 から 、 そ の方 面 か ら の研 究 が必要 であ
る が、中 世作 品 の異 本 に就 いて は 、全 くそ れ と は別 種 の立 揚 から 、 集 團 的 成 長 的作 品 こし て、 口誦 傳
承 的作 品 とし て 、自 然 的發 生 の も の とし て、 研究 解明 し なけ れ ば なら ぬ。 七 ク 物語 の異 本 も此 の點 か
ら見 る ぺく 、住 吉物 語 の多數 の異 本 の 如 きも 、 同 じ立 場 から 觀 察 し、 研 究 す べき で 、平 安 朝物 語 の そ
れ と 、同 一覗 し て は なら な いの で あ る。 勿 論 或 點 では、 兩 者 全 く 同 じ 性 質 の場 合 も あ る が、そ れ は今
の問 題 外 であ る。)
徇 、 これ ら の本 は 何 れも 繪 卷 物 と し て傳 へられ た ら し く 、且 つ、繪 卷 物 の詞 書 は、大 いに流 動 す る
246
餉
性 質 を 持 つ て ゐ て 、 (宇 津 保 物 語 や 狹 衣 語 や 住 吉 物 語 の異 本 に は 、此 の 繪 卷 物 の 詞 書 によ つ て 大 い に 相
逹 し た と 思 は れ る 點 も あ る )、 七 夕 物 語 の 異 本 の多 ぐ 生 じ た 原 因 は 、 此 の 點 に も あ る と 思 は れ る 。.
(昭和六年八月)
附 記 一、 藤 貞 幹 の﹁國 朝 書 目 ﹂
、 及 び これ を 取 れ る件 直 方 の﹁物 語 書 目 備 考 ﹂に ﹁棚 機 の つた へ物 語 ﹂ と い ふ
の が見 え て ゐ る の は此 の物 語 の事 で あ ら う か。
仰 ぎ て思 へば 、天 下 り ます 神 の しる しを 示す 梶 の葉 、い つも 常 盤 の
二、 宴 曲 に ﹁叉 乞 巧 奠 の卷 をも 、獪 こ の絃 に き は む る ﹂(琴 曲 )と あ る のは 、 鎌 倉 時 代 の 七夕 祭 に琴 を飾 つ
た 事 を意 味し .更 に、 ﹁そよ や つら く
色 な が ら 、 七 夕彦 星 の、 絶 せ ぬ秋 の手向 ま で も 、 よ し あ ん な るも のを な ﹂(諏 方 効 驗 )と ある の に至 つて は、
天 下 り ま す 紳 に天 稚 彦 を意 味 し て ,七 夕彦 星 と天 稚彦 と が、 既 に鎌 倉 時 代 には 同 一の祕 と せ られ て ゐた
傳 設 のあ つた 事 を 示 し てゐ る ので はな か ら う か。 乞 巧奠 に琴 を 祀 る 事 は 、江 戸時 代ま でも行 はれ て 、江 戸
時 代 の後 孚 以 後 次 第 に衰 へた ので あ る が 、 こ れ は 、 七夕 紳 に、 種 々 の藝 能 の巧 み に な る 事を 所 る意 昧 で、
琴 の如 き 樂 器 やら 、 そ の他 の道 具類 を も 供 へた の で あ る 。と にか く 、 以 上 の宴 曲 の文 章 は、鎌 倉 時 代 に於
け る , 七夕 物 語 の原 始 的 読 話 σ 存 在 をか す か なが らも 示す も の とし て、甚 だ 興 味 が深 い。
中 世 丈 學
247
國 文 學 襍 詭
源 氏 大 鏡 三 ご帖 源 氏.
と 十 二 帖 源 馬 と 源氏淺 聞 抄
σ
殉
古 書 の中 に は 、 特 に 寫 本 で 傳 は る も の の 中 に は 、 内 容 は 同 じ も の で あ b な が ら 、 題 名 を 異 にし て ゐ
る の で 、 後 人 を し て 誤 ら し め る も の が 少 く な い。 特 に 、 其 が 、 研 究 者 の 餘 b な い方 面 の 本 だ と 、 一暦
混 雜 を 來 す 事 が往 々 あ る 。 此 の 稿 の 題 に掲 げ た 四 書 も 、 さ う し た 異 名 同 書 の 一つ で あ つ て、 源 氏 物 語
の 梗 概 タ 記 し κも の で あ る が 、 同 じ 源 氏 物 語 の 研 究 書 で あ つ ても 、 註 釋 書 と は 違 つ て 、 か う し た 方 面
の 書 は餘 も 人 が 注 意 し な いと 見 え て 、 從 來 の 源 氏 物 語 の參 考 書 目 を 記 し た も の な ど に は、 大 抵 こ れ を
異 書 と 見 做 し て ゐ る や う で あ る 。 そ れ で 、 私 は 次 に、 私 の 調 べ た 範 圍 に お い て 、 い さ 丶か そ の 解 題 を
記 し 、 四 書 の同 一物 な る 事 を 説 明 し よ う と 思 ふ 。
源 氏 大 鏡
24$
此 の 悪 名 を 有 す る 寫 本 は 、 京 都 帝 國 大 學 に藏 す る も の を 二種 見 把〇 一は
寛 文 貳寅 二月 下 旬寫 之
な る奥 書 を 有 す る 二册 本 であ つて
十 七玉 鬘 より 宇 治 十帖 の 十夢 の浮 橋 に至 る
上 一桐 壷 より 十 六 乙女 に至 る
下
か く の 如 く 兩 册 に 分 れ て ゐ る 。 他 の 一寫 本 は 新 し い寫 し で あ る が 、 此 の 方 は 、 三 冊 本 の中 、 中 卷 一册
を 鍛 い で 二 册 と な つ て ゐ る 。 而 し て 、 も と 此 の 中 卷 が あ つ た も の と し て 、 そ の含 め る 内 容 を 考 へて 見
る に、
上 一桐 壺 より 八 花散 里 に至 る
二十若 茱 上 よ り宇 治 十帖 の+夢 の浮橋 に至 る
中 九須 磨 より ヤ 九藤 の裏 葉 に至 る
下
右 の 中 卷 一冊 が 缺 け て 、 上 下 二 册 を 殘 し て ゐ る の で あ る 。 本 文 の最 初 に は 、 二 冊 の 古 寫 本 に は 、﹁源 氏
大 鏡 之 序 ﹂ と あ る が 、 三 册 本 の 方 に は﹁ひ か るげ ん じ 一 ぷ の 哥 な ら び に こ と ば ﹂と 記 し て あ つ て 、 次 に
源 氏 物 語 の 作 の 由 來 、 作 者 紫 式 部 の 事 等 に 關 す る 、 源 氏 總 論 と も 見 る べ き も の が 記 さ れ 、 つ い で 、 本 2
49
冲 世 交 學
に入 つて、 各帖 に分 つてそ の穰
國 丈 學 襍 設
文 の穰
を 記し て ゐ る。 冫、
の文 章 は 兩寫 本 とも 殆 高
じ で雪
。三
卯
册 本 の 方 に は 、 各 册 の 末 に 、 上 册 で は 、 ﹁き b つ ぼ よ b 花 ち る さ と ま で 十 一で う の ぶ ん 此 う ち に あ り ﹂ 2
帖
源
氏
と 記 さ れ 、 下 册 に は ﹁う ち 十 で う ぶ ん 此 う ち に あ b ﹂ と 記 さ れ て ゐ る 。 中 卷 は 篏 け て ゐ る の で 分 ら ぬ {
、
三
本 書 も亦、 自 分 の見 た の は、京 都 大學 の藏 本 で、 三册 に分 れ 、 三帖 源 氏 な る題 名 も亦 こ 丶に由 來 し
てゐ る。 本 文 の最 初 に は﹁光 源 氏 一部 之謌 并 詞 ﹂
と あ る事 は 、前 記 、源 氏 大 鏡 の 三册 と同 じ で、且 つ、
三帖 源 氏 の各 册 に包 含 せら れた る源 氏 の各帖 の名 も、 亦 、前 記 源氏 大 鏡 の三册 本 の其 と等 し いの で あ
る。 故 に、 各 册 の帖 名 に つ いては こ 丶に掲げ ぬ。 また 、 中 卷 の末 には ﹁須 磨 よ b藤 の裏 葉 ま て十 二帖
分 此 内 に有 ﹂ と 記 され て ゐ る事 は、前 記 、 源 氏 大 鏡 の 三册 本 の、 上 下 二册 の終 に記 さ れ た るも のと相
應 す る の であ る が、 三帖 源 氏 で は、 上 下 の兩 册 に はこ れ なく し て、中 卷 に の み右 の如 く記 し てゐ る の
で あ る。 恐 ら ぐ は、 脱 し た も の で あら う。 源 氏 大 鏡 の 三册 本 も 、 若 し中 卷 が備 はれ ば 、右 の如 く 卷末
に記 さ れ て ゐ る筈 であ る。
以上 蓮 べた 所 によ つ ても 、
既 に源 氏 大 鏡 三册 本 と 三帖 源 氏 と は、そ の形 を同 じ く し てゐ る事 が明 ら か
で あ ら う 。 次 に 、 三 帖 源 氏 の 本 文 を 掲 げ 、 源 氏 大 鏡 の 二寫 本 の 文 章 夕 異 に し て ゐ る所 を 、 小 さ く 兩 側
に校 合し て、 そ の全 く 同 書 な る事 を示 さ うと 思 ふ。 三帖 源 氏 の本 文 の右 傍 に記 せ る も の は、 源 氏 大 鏡
の寛 文 二年 の 奥 書 あ る 二 册 本 で あ b 、 左 傍 に 記 せ る も の は 、新 し き 寫 し の 三 册 本 で あ る 。 先 づ 始 め に 、
に侍 るにさる へき物語藤
給はらむと申させ給 ひけるに女院式部 といふ女房 を召 て鸚 齢爲
最 初 の總 論 の冐 頭 の個 所 を 若 干 行 掲げ る。
の の
光 源 氏 の物 語 ・お こ り は村 上天 皇 の御 娘 おほ さ い ゐ んと 申 け る より 一條 の院 。后 上 東 門院 へ御 せう こ そ有 春
の日.
.つれー
と
は
あ
く
い かな る を か ま いら す べき ・仰 ら れ あ は す るに 式 部 申 さ る ゝを ちく ほ岩 屋 な とは 餘 め な れ てめ つら し け な
こ そ させ
く や 侍 ら ん新敷 つく り出 て御 ら ん せ さ せ給 はむ よ りか や う に申爲 給 へる驗 に は侍 ら め と聞 ゆ れ は女 院 さら
しみ
は そ こ に は から ひ て とも かく も作 出 て む や と仰 ら る式 部 御 いら へ申 て御 前 を 立 ぬれ と 心 ひ と つ には如 何 と
けん
お も ひ 。近 江 の國 石山 に さん ら う し て此 事 を き せひ 申 け り
三 者 、 殆 ど 相 違 が な い。 就 中 、 源 氏 大 鏡 の 三 册 本 と 三帖 源 氏 と は 、 そ の 形 を 同 じ く し て ゐ る の み な ら
す 、 文 章 も 殆 ど 全 く 同 じ で あ る 。 次 に 本 文 の 梗 概 の 一節 を 引 く 。
中世 丈 學
一
桐 壺
裏 伽らな 也
き り つほ は大 内 四 十 八 殿 のそ のひ と つ なり し け いし や と い ふも き り つほ の唐 名 。と み ゆ 大 上 天皇 を も いつ
251
國 夊醸 襍 詭
ふもおな し
れ の御 時 に か と ほ ん にあ り 此 御 門 に女御 更 衣 あ ま た さ ふら ひ 給 ふ中 にや ん こ と なき き は には あ ら ぬ か すく
れ てと き め き給 ふ 有 け りと 云 は光 源 氏 の御 母 なり 此 高 位 きり つほ に佳 給 一の卷 には 此 人 の事を の み さ たし
ナシ 申
た れ はき り つほ と 名 付大 上天 皇 を も 桐壷 の御 門 と 申 な り御 子 あり 一み こ た ちと いふ は 王 子 な り棺塑 ちと い
以 下 、 殆ど 差 異 は な いと云 つ てよ い。 これ を 以 つ て兩書 を 、 全 く 同 一と 斷 す る事 が出 來 る 、但 し 三帖
源 氏 の方 には、 書 入 が多 く 、歌 の註 解 、入 物 の關 係 、
及 び本 文 の假 名 に當 る漢 字 等 を ば 朱及 び墨 を 以 つ
て傍 註 に記 し て ゐ る が、源 氏 大 鏡 の方 で は 、稀 に、 そ れ があ る のみ で 、殆 ど 全 く 傍 註 を有 し な い。 之
等 の傍 註 は、 恐 らく 、後 人 が此 の書 を讀 む 時 の便 利 の 爲 め に、 心 覺 に書 き記 し か も の であ つて 、原 書
には も と な か つた の であ ら う。 而 し て 、後 に、 そ の書 入 が次 第 に増 加 し .初 めは、 梗概 中 の 人 物を 、
朱 雀 院 と か 、ク 顏 と か、 源 氏 の逋 名 に宛 て て傍 に記 し 紀 も の が、後 に は、歌 の註 解 を 記 し たb 、本 文 の
假 名 書 に封 し て妥當 の漢 字 を 宛 てた b 、 そ の他 の傍 註 を も 書 き加 へる に至 つた も ので あ る らし い。 斯
様 に原 本 に は傍 註 は な か つた の であ らう が、本 文 の中 に 、
割 註 で、 本 文 中 の語句 の解 釋 を し た所 が多 く
あ つて 、此 の割 註 は 、 何 れも 原 著 者 の書 き 記 し た も のと考 へら れ 、 何 れ の書 にも 皆 これ を存 し て ゐる 。
本書 の著 者 は 不明 で あ る。 著 作 の年 代 も 分 ら ぬ。 恐 らく 室 町 時 代 の中期 以後 の作 であ ら う 。仔 細 に本
252
書 を檢 す る と、つ永享 四年 八月 十 五 日 上 總 介範 政 難 ﹂な る奥 書 を有 す る ﹁源 氏 物語 提 要 し の影 響 を 受
け た と 思 は れ る所 があ る ので 、多 分 、永 享 よ b は後 の作 で あ ら う と思 ふ が、 此 の點 は未 だ詳 し く調 べ
て見 なけ れ ば分 ら ぬ。 本 書 の題名 は、 三册 本 の冐頭 に﹁光 源 氏 一部 の歌 并 に詞 ﹂と あ る の が正し い題 名
と 思 はれ る。 此 の名 の如く 、本 書 は、 梗概 を 叙し な がら、 源 氏 物 語 の本 文 中 の言 葉 をな る ぺく梗 概 の
中 に挿 入 し て、 これ に割 註 を 加 へ、以 つて 原書 の用 語 に通 せし めん と す る事 、及 び な る べく 歌 を多 く
掲 げ 、 殆 ど 全 歌 を 網羅 し て、 各 卷 の梗 概 の終 b に ﹁以 上 何 首﹂ と、 そ の眷 の中 に掲げ た る歌 の數 を記
し た事 臓、 ま さ に、 右 の如 き 本書 の内 題 と相 應 す るも の で、 こ れ が正し い題 名 であ ら う。 其 を 源 氏 大
鏡 と名 付 け 元 のは 、 勿 論 、藤 原 長 親 の源 氏 小 鑑 に對 し て附 し たも の で あb 、 更 に 三帖 源氏 と は、 そ れ
よ b も新 し い題名 で、 六帖 源 氏 、 十帖 源 氏 、 ま た 十 二帖 源 氏 など と い ふ書 名 と共 に、多 分 は徳 川 時 代
に至 つ て、 附 せ ら れ た も の であ ら う。 故 に、 これ ら の兩 種 の題 名 は 、後 人 の附 し た も の で、原 題 名 で
はなかちうと思ふ。
さ て右 の源 氏 大 鏡 、 三帖 源 氏 は全 く同 一書 であ る が、 其 と甚 だ文 章 を 異 にし てゐ る が、爾 、右 兩 種
の書 と 同 じ も の と考 へら れ る 一書 があ る。此 の書 を私 は 暫 く
中 世 丈 學
X53
國 丈 學 襍 読
異 本 源 氏 大 鏡
と稱 し て おく 。此 の寫 本 は、 ま た 、京 都 大 學 の藏 す る所 で、表 題 には、 單 に﹁源 氏 物語 ﹂と あ る のみ で
あ る。 此 の題 は、 後 に附 し た も の で あ るら し く 、 も と は、表 題 内 題 とも に缺 け て ゐ た と 思 はれ る。本
書 は 三册 本 で あ る が、 そ の各 册 の含 む内 容 は 、前 兩種 の三册 本 と は異 な る。﹁
みを蠱し十 一より藤 のう ら葉十九まで
上 桐壷 一より明石十ま で
申
下 若茶上 二十より宇 治十帖 の夢 の淨橋十まで
そ の始 め に總 論 があ る が、 こ れ は、 源 氏 大 鏡 の其 と は文 章 が甚 だ 異 な つて ゐ て、 亦 事 項 の順 序 を も
顛 倒 し てゐ る。 併 し 、 仔 細 に兩 者 を比較 す ると 、 大體 の文 章 は同 一で、 た ゴ そ の事 項 の置 き場 所 を 異
にし て ゐ る の み であ る。次 に、 そ の本 文 の文章 も 、甚 だ源 氏 大 鏡 と は異 な つ てゐ る が、 大體 に お いて
同 じ であ る。 次 にそ の 一節 を引 いて比 軟 し て見 る。 本 文 に掲 げ た のは 三帖 源 氏 で、括 弧内 に記 し た の
敵此 の異 本 の文 章 で あ る。
十 八梅 が枝ヨ齢肌珊眺甑胡圃賻第劬勤越惣紳兜嚠姻叶
254
(の 事 お ほ し い そ く 御 心 を を て よ の つ ね な ら す ) 東 宮 同 二 月 に 御 か う ぶ り の 事 あ る べ け れ ば
(や か て
あ か し の 姫 君 (は ア リ )い つ し か お と な に (し く )な り (ら せ ) 給 へ (ひ 十 二 さ い な れ ) は 御 も き せ さ せ 奉 り 給
ふ
(二 條 院 の 御 く ら よ り か ら 物
り り り ア リ )御 ま い り も う ち つ ゝ く べ き に て 御 い そ き う ち に も と に も ひ ゝ き の ゝ し り む 月 の + 日 よ り (月 に や む 月
のす ゑ せ ち ゑ なと も御 ひ ま あき て のと や かな る比 ほ ひ に) たき 物 あ は せ給 ふ
む じ う )そ ん 王
●
の ふ た つ の ほ う を あ
へ (く はら せ 給 ひ て アリ)ふた く さ つ ゝく はり て た て ま つり た ま へり (あ
叉 か う 廿 取 い て ア リ) 御 か た く
は さ せ 給 ひ ) お と ゝ も し ん て ん に 御 し つ ら い こ と に ふ か く し な し て (黒 方
む ロ
り り は せ 給 ふ こ の た き 物 大 内 に て あ は せ ら る ゝ と き は う こ ん の ち ん の み 川 水 の ほ と り に う つ ま る ゝ と み ゆ こ れ
は 六 條 の ゐ ん に て あ は せ ら る れ ば 御 川 に な ぞ ら へ て (そ ん わ う と は 承 和 の 帝 仁 明 天 王 也 承 の字 を 五 +四 代 也
よ む か そ わ う な る を そ ん と よ む ) に し の わ た ど の ゝ し た よ り い つ る み ぎ は (い つ み の 億 と り ) ち か く う つ
ま せ た ま ひ し 也 (ふ 昔 よ り の 例 な り )
こ れ は 甚 だ し い例 で あ る が 、 他 の所 は 、 こ れ 程 に 違 つ て は ゐ な く と も 、 徇 、 多 く の 差 異 が あ る 。 此 の
異 本 の 如 きも の が原 本 で あ ら う か 、或 ひ は、 源 氏 大 鏡 の 如 き流 布 の本 の方 が原 本 か 、分 ら ぬが、 恐 ら
く は 、 此 の 異 本 の 方 は 、 後 に何 入 か が 、 流 布 の 本 の 如 き を 粉 本 と し て 、 其 よ b 新 し く 書 き 改 め て 、 新
55
著 の 如 く 裝 つた の で は あ る ま い か 。 兎 に 角 、 此 の 異 本 も 、 亦 源 氏 大 鏡 の 一類 に 屬 す べ き も の で あ る 事 2
中 世 丈 學
國 丈 學 褸 誘
は 疑 ひ を 入 れ ぬ 。 そ れ で 、 こ 丶 に 斯 の 如 き 異 本 の あ る事 を 記 し て お く 。
. 徇 、 次 に 、 右 に あ げ た 、 梅 が 枝 の 梗 概 の 最 後 の 方 を 掲 げ て 、 三 帖 源 氏 の 書 入 の 如 何 な るも の で あ る
か を 示 し 、 そ の 書 入 の 、 源 氏 大 鏡 の 二 册 本 に有 無 の 如 何 を 註 し て 、 爾 書 の書 入 の關 係 を 察 し た いと 思
ふ 。.
かや う の中 にも 夕 き り は 雲 井 のかり の御 事 のみ おも は れ てな が め か ち 也 中將 を人 のむ こ にと ら ん と の たま
こしうと(
大鏡聞
髑モァリ)
ふ よし き ゝ給 てち じ のお と ゝは御 む ね ふた が る へし かや う のさ た あ る お り し も 雲井 の姫 君 へ御 ふ み あり
+ 一 首
中逸 鬟 灘 纂 蹼 誕 髄 雛 蝶 釐鶴雑 蕊 蘿 鑿 すく
れ%ると也(
以上
大鏡;.
)
姫 君 限 なりつきのひめきみにやくそくとき丶て也(
以上大鏡ニナシ)
り と てわ す れ かた き を わ す る ゝも こ や世 に な ひく 心 な る ら ん
以 上
以 上 の如 く 、 入 物 の註 は 、源 氏大 鏡 輩も 三帖 源 氏 にも 存 す るも の があ るが 、歌 の註 解 や 、本 文 の假 名
に 、 妥 當 の 漢 字 を 傍 書 し た 如 き に 至 つ て は 、 源 氏 大 鏡 に は見 え な い の で 、 こ れ ら は多 分 、 入 物 の 註 を
二
帖
源
氏
袖 鏡
書 き 入 れ た よ b も 、 後 の 他 の 人 が 書 き 加 へた も の と 考 へら れ る の で あ る 。
十
256
本 書 は十 二冊 の刊 本 であ る。 吾 入 の見 た本 には 、二 種 あ る。 一は京 都 大 學 に藏 せら れて ゐ るも の で 、
表 題 に﹁十 二源 氏袖 鏡 ﹂ど あ b 、第 二譽 以下 目 次 の初 め に はつ源 氏大 略 第 二﹂の如 く記 され 、内 題 にも 亦
﹁源 氏 大 略 ﹂と あ るも の であ る。
奥 に、
明暦 二丙申仲冬 霽 林中野氏道也新刊
と あ る の で、 そ の刊 行 年 月 が分 るQ 挿繪 は な いc 他 の 一本 は、内 閣 文庫 に藏 せ ら れ るも の で、 表 題 に
は明 暦 板 と 同 じ く ﹁十 二源 氏 袖 鏡﹂ と あ る が、目 次 の初 め に は ﹁源 氏袖 鏡﹂ と あり 、内 題 には 、單 に
﹁源 氏 ﹂と 記 さ れ て ゐ るも の であ る。 (但 し此 の書 は第二 卷 のみ は 、内 題 に ﹁源 氏 袖 鏡 ﹂と あ つて 、 目次
がな い)。奥 に は、
萬 治 二巳亥仲春望日 書林堂薪刊
と あ る。 此 の萬 治板 に は、挿 繪 が入 つて ゐ る が、挿 繪 は 、源 氏 物語 の各 眷 に つき 一葉 二面 宛 の挿繪 を
挿 入し たも の で、 丁 付 は 、此 の挿 繪 を 除 いて付 け ら れ てゐ る から 明 暦 版 と全 く同 じ であ る。 以 上 の 二
版は、
全 く 同 一板 木 を 用 ゐ た も の で、
萬 治 板 は、明暦 板 に、
内 題 そ の他 に僅 少 の差 異 を加 へ、 奥 付 を新 に
57
し 、 更 に挿 繪 を 加 へた も の で、 そ の他 の點 は全 く 同 じ。 即 ち 丁付 、 字體 、字 配 り、 各 面 十 行 に記 し た 。
々
4
1
世 丈 學
國 丈 學 襍 説
事 等 、す ぺ て 全 く 同 じ で あ る 。 但 し 、 極 く 稀 に 、明 暦 板 の 、 板 木 の磨 滅 し た 所 を 、 後 に入 木 し た と 見 え 58
2
て 、 手 仁 乎 波 の 文 句 の 一字 位 違 つ て ゐ る所 も あ る が 、さ う い ふ 僅 少 の箇 所 を 除 け ば 、文 章 は 兩 者 共 全 く
同 じ で あ る 。 本 書 は、 世 に稀 な る 故 か 、 朝 倉 無 聲 氏 の﹁新 修 日 本 小 説 年 表 ﹂の 假 名 草 子 の部 に は 、 本 書
を 出 版 年 代 未 詳 部 の 中 に 入 れ て 居 ら れ る 。 併 し 吾 入 の見 た 本 に は 、 前 記 の 如 く 、 二 本 ま で 刊 行 年 時 が
あ ふひ
わ かむ ら さき
すま
を とめ
さ か木1
ゑ あ は せー
か ゝり 火
せきや
玉 か つら f
ふ ち のう ら は
若菓 上下
の わ き !i
あ かし ー
す ゑ つむ は なー
う つせみー
き り つほ 。 は ゝ き 木
記 し て あ つた 。 次 に 、 各 册 に含 め ら れ て ゐ る 源 氏 物 語 の譽 名 を 掲 げ る 。
ー
ニ
三
四
五
六
七
八
九
■
"
十 かし は 木l i た け か は
さわ ら ひ
ゆ め のう き は し
十 一
宇 治 はし ひ めー
十 二 や と り木 ー
さ て 、此 の 十 二 帖 源 氏 は 、そ の内 容 が 全 く 前 記 の 源 氏 大 鏡 と 同 じ で あ る。 刊 本 に は 跋 文 が つ い て ゐ る。
此 の 跋 文 は 初 め に 源 氏 物 語 を 佛 説 に ひ き つけ て ﹁源 氏 物 語 は あ ら ま し 好 色 の そ の ひ と つを お も て と し
て つ ゴ ま る と こ ろ は 如 來 一代 の説 に も る \ 事 な き を し へな b ﹂ な ど 、詮 い た 末 に、
今 爰 に あ ら は す所 は詞 な がく し な 多 け れ は を う か な る 人 のた め と は な らす し て かな ら す ま ど ひと な るゆ へ
にな がき こ と を み じ かく し な 多 き 事を つ ゞま やか にわ つ か に卷 を + 二帖 に つゞ め則 共 名 を十 二源 氏 袖鏡 と
號 ス十 二は 十 二 ゐん えん の ま よひ を す て ゝ さ と り の道 に ひき いれ んが た め な り 袖鏡 は か ん よう のひ み つ大
事 を あ ら は す 心 なり かた じ けな く も 古 人 いと ま な き 身 の見 や す から んが た め に まく ら を く だ き て か きし る
よ ろ こ ばし き にあ ら ざ らん や
し お き給 ひ ぬ いく へのは こ に と し 月 を ふ る と い へと も 今 幸 に時 いた り ぬれば 世 々に つ た へて重 寳 な ら ん こ
と いよ く
此 の跋 文 は勿 論 源 氏 大 鏡 や 三帖 源 氏 には な い が、此 の刊 本 の跋 文 によ つて 、既 に刊 本 の出 る 以前 に、
そ の原 本 があ つた 事 が明 瞭 であ つて、
,此 の刊 本 の刊 行 せら れ る時 に何 入 か が新 に著 作 し て、刊 行 した
中 燈 文 學
259
■
國 文 學 襍 設
も の で な い事 が分 る 。 そ の 原 本 と は 則 ち こ 丶 に い ふ源 氏 大 鏡 の 事 で あ る。先 づ胃 頭 の 一節 和 掲 げ る 故 、
前 掲 の 三帖 源 氏 の 其 と を 比 較 す る の 勞 を 取 つ て 貰 ひ た い 。
光 源 氏 物 語 のお こ り は 村 上 天皇 女 + 宮 お ほ さ い ゐ ん よ り 上東 門 院 へめ つら か な る さう し や待 ると た つね申
さ せ た ま ひ け る にう つほ 竹 と り やう の物 かた り は め な れ た れ は あ た らし く つく り いた し て奉 る へき よし 式
部 に仰 ら れ け れ は 石 山 に通 夜 し て此 事 を いのり 申 に
此 の 所 は 、 三 帖 源 氏 等 と 大 異 が あ る が 、 倫 、 其 を 元 と し て 書 き 改 め た も の で あ る 。 全 體 の筋 立 は 全 く
同 じ で あ る 。 次 に 桐 壺 の 卷 の最 初 を 掲 げ る 。 此 の 部 分 は 、 殆 ど 全 く 同 じ で 、 小 異 が あ る の み で あ る か
ら 、 こ れ ら 本 文 の 梗 概 に 至 つ て は 、 十 二帖 源 氏 が 、 源 氏 大 鏡 よ h 出 で た 事 は盆 々明 ら か で あ ら う 。
き り つほ は内 裏 五舍 の其 一な り し け いさ と いふ も 桐 つほ 也 五舍 と は梅 つ ほな し つほ藤 つほ き りつほ か んな
にイ り の壷 也 太 上 天皇 をも いつれ の御 時 にか と い へり 此 み かと の女 御更 衣 あ ま た さ ふ ら ひ給 ふ中 にや む こ とな
に此 の人 の事 を の み沙 汰 し たれ ば 桐 壺 と 名 付 太 上天 皇 を も 桐 つほ のみ か と ゝ申 也み こ た ち と いふ は 王 子也
き き は に は あ ら ぬ かす く れ て時 めを 給 有 け り と いふ は 光 源 氏 の御 母 な b 此更 衣 き り つほ に 住給 桐 つほ の卷
宮 たちと
申 も同し
後 人 の 書 入 と 思 は れ る 傍 註 の 箇 所 が 、 本 文 に な つ て ゐ る 所 も あ る が 、 さ う い ふ部 分 (一
,
五 舍 と は梅 つ は
260
な し つほ藤 つほ き り つ ほか ん な b の壺 也﹂ の 如 き箇 所 ) を除 け ば 、 あ と は割 註 に至 る ま で全 く 同 じ で
ある 。
此 の僅 少 の部 分 の比較 によ つ ても 、 本書 は、 源 氏 大 鏡 を 刊 行 し た も の で あ る事 が明 瞭 で あら う。
而 し て 、 十 二 源 氏袖 鏡 とか 源 氏 大 略 と か い ふ題 は、 本 書 を 刊 行 す る に當 つ て、 刊 行者 の新 に附 し た所
で あ る事 も跋 文 に明 ら か であ る。 徇 、 次 に、源 氏大 鏡 の寛 文 二年 の寫 本 、 異 本源 氏 大 鏡 、 及 び此 の十
二帖 源 氏 の 三書 を 、最 後 の夢の 俘橋 の卷 を 對照 し て掲 げ る。
異 本 源
鏡
+ 二 帖 源 氏
氏 大
源 氏 大 鏡
てひ ろひ たり し 有 樣 語 り申 て今 は
中 宮 の御前 に て浮 舟 の君 を宇 治 に
尼 にな り いむ事 うけ た り と 申 た り
横 川 の僣 都 京 へ出給 へる 時 明 石 ノ
治 に て ひ ろ ひた りし あり さ ま かた
横 川 の僣 都 京 へい てた る 時 明 石 ノ
り 申 てあ ま にな り いむ こ と う け た
中 宮 の御 ま へに てう き舟 の 君 を宇
て ひ ろ ひ たり し 有 樣 かた り 申 て あ
月 も 日 も共 比 なれ は 疑 ひな く 浮舟
中宮 の御 前 にて浮 舟 の君 を う ち に
ま に成 いむ 事う け たり と 申 たり月
b と申 た り刀 も 日 も共 比 な れ は う
せ給 ふ かほ る夢 の心 ちし て其行 末
な1
2と 思 召 て かほ る大 將 に つけ さ
横 川 の僭 都 京 へ出 た る時 あ か し の
日 も共 比 な れ は うた かひ な く 淨舟
て かほ る大 將 に つけ さ せ給 け り か
せ共 も し 叉匂 ふ の尋給 は ゝ我 は中
を 尋 母 君 にも あは せん とお ほ し め
た か ひな く 淨 舟 な り と お ほ し めし
ほ る夢 の心 ち し て 蕁 て は ゝ君 にも
かほ ろ夢 の心 地し て蕁 て母 にも あ
あ は せ んと おほ し め せ とも もし 叉
成 と 覺し めし て大 將 に告 さ せ給 り
は せ んと 覺 し め せと も もし 叉尋 融
く き な る い っみ の ほ と り に て ち
6
1
き ら ん と の給 ふ匂 ふ 宮 には ゆ めゆ 2
給 は ゝ我 は中 ∼ 丶黄 な る 泉 の ほ と
る い つみ のほ と り に て風 のた より
きな
匂 のた っね給 は ゝ我 は中 く
丈 學
聞 せ奉 ら
り に て風 の便 を こ そ待 へけれ と の
世
給 へと も 宮 に はゆ め ・
く
中
○
し と て薫 大 將 横 川 の僣 都 にた つね
て かほ る大 將横 川 の僣 都 に た つ 訟
はゆ めノ\ き かせ た て ま つ らし と
を こ そ待 へけ れ と の給 へとも 宮 に
く やう し給 ひ それ よ り 横 川 にお は
堂 に參 り れ い のこ とく に 經 ほ とけ
と 思 召 て卯 月 八日 に ひ え の山 の中
め き か せた てま つら て か ほ る大 將 6
2
2
横 川 の僣 都 に尋 て人 を つか は さ ん
誘
て人 を つ か は さ ん とし 給 ふ ぴ への
て人 をつ かは さ ん とし給 ひ え の山
し て僣都 にく はし く と 言給 ひ て浮
探
山 に お はし て卯 月 の 八日 な れ ば 先
に お はし て卯 月 の八 日 な れ は ま つ
學
中 堂 に參 り例 の こ とく に佛 に 經 く
中 堂 にま いりれ い のこ と く佛 きや
へて御 使 に は 浮舟7 御 弟 なり 法 の
舟 のかた へ文 を と り我 御 文 おも そ
文
や う し給 ひ て其 後 横 川 に おは し て
う く や うし 給 て そ の ゝち よ川 に お
國
僣 都 の文 を こ ひ てわ か御 文 も そ へ
は し て僣 都 の文 を こ は せ給 て我 御
は ぬ山 に ふみ ま とふ かな と て つか
し と蕁 ぬる み ちを し る へにて お も
そ う つに 罪 ゆ るし聞 ゆ う と こま こ
にて 小野 へつか は し給 へり つら き
交 も そ へて 浮舟 の弟・
の小 君 を 御 使
給 へり つら き 御 心 と も を はよ う つ
ま と 云給 て薫 大將 法 の師 と蕁 る道
は し たれ と 何 事 も おほ えす と て御
を し る へに て おも は ぬ山 に ふ み ま
返 事も なし おと う と の わ ら は にも
の かく しす へた る に やと かほ るお
る し き こゆ る と書 給 て か ほ る大 將
て思 は ぬ山 にふ み ま と ふ か な と か
ほしけるとそ
御 心 と も をぱ よ う つ僣 都 に つみゆ
さ す お と う と のわら は にも た いめ
き て つかは し給 へは 何 事 も ←
、
①ほ え
よ ふ哉 と て つ か はし た れ と な に 事
ん せ 瓜は いと あ やし く も し 人 の か
た いめ ん なけ れ は いと あ やし く 人
く し す へた る に や と覺 し け ると そ
す と て手 習 の君 御文 の返 し もし 給
法 の し とた つぬ る み ちを し る へに
夢 のさ め た る や う に いひ な し て此
は す 弟 のわ ら は にも た いめ ん し給
も 覺 え す と手 習 云 て文 の返 事 も申
卷 は過 にけ り
は ね は いと あ やし くも し 人 の かく
し す へた る に や と おほ し ける とそ
●
卷 の名 も 夢 のう き は し とい へり
と 夢 の やう にか き な した り され は
(昭和 二年+ 二月)
此 の例 に よ つ て も 、 こ れ ら の 書 が 全 く 同 一の 原 本 に 、 稍 々變 改 を 加 へた る に過 ぎ な い事 が分 る 。 而
し て 、 そ の 原 本 と は 、 即 ち 源 氏 大 鏡 の 如 き 本 文 で あ ら う と 思 ふ。 源 氏 淺 聞 抄
此 の書 は 源 氏 物 語 淺 聞 抄 と も い ふ 。 併 し 、 私 の 見 た 本 は 、 單 に 淺 聞 抄 と の み あ つ て 、 源 氏 の 語 を 冠
し な い。宮 内省 圈 書 寮 所 藏 本 であ る。此 の 本 に つ いて は、 野 村 八良 氏 が、 そ の著 國文 學 研 究 史 に お い
て 、 第 三 高 等 學 綾 所 藏 本 に つ き 解 題 を 加 へ、 一修 禪 閤 兼 良 公 作 と あ る由 を あ げ て 、稀 覯 書 た る 旨 を 述
ぺ て 居 ら れ る 。 然 る に 、 此 の 圖 書 寮 本 に よ つ て檢 す れ ば 、 此 の 書 は 、 源 氏 大 鏡 の 一異 本 に 過 ぎ な か つ
た 。 而 し て 、 前 に 異 本 源 氏 大 鏡 と し て解 説 し た 本 は 、 全 く 此 の 淺 悶 抄 と 同 一本 で あ つ た の で あ る。 桐
壼 の發 端 の詞 に曰 く 、
學
いつ れ の御 代 に か有 け ん女 御更 衣 あま た さ ふら ひ給 け る中 に いと や ん こ とな きき は に は あら ぬ かす く れ て
鷺 き給 ふ有 け り と いふ は光 源 氏 の鯉 也 此 かう いき り つほ にす み給 ふ 一の卷 には 此人 の{
學のみ さた した . 瑠
中 世 丈
辱
國 文 醸 襍 鋤
れ ば ま きを桐 壺 と 名 つく
こ の 丈 章 が源 氏 大 鏡 に は 次め 如 く あ る。 一
ナシ
ぎ り つほ は 大 内 四 +八 殿 の そ の ひ と つ な りし け いし や と いふも き り つほ の唐 名 と みゆ 大 上 天 皇 を も い つれ
ナシ ひ"る いと
の御 時 に かと ほ ん に あり 此 御 門 に女 御 更 衣 あ ま た さ ふら ひ 給 ム中 に 。や ん こ とな き き は には あら ぬか すく
きりつほとは てんの れ てと き め き給 ふ有 け り と 云 は光 源 氏 の御 母な り 此 更 衣 き り つほ に住給 。 一の卷 に は此 人 の事 を のみ さ た
し たれ は き り つほ と 名付
此 の 文 の右 傍 に記 し た のは異 本 源 氏大 鏡 に よ つて稜 合 し た も の であ る が、此 の本 文 と傍 書 の梭 合 とを
合 せ 見 れ ば 、 淺 聞 抄 が 全 く 異 本 源 氏 大 鏡 と 同 一書 な る 事 は 明 ら か で あ る。 而 し て 、 異 本 源 氏 大 鏡 に あ
る ﹁き b つほ と は 御 て ん の 名 也 ﹂ 此 の 一句 の 如 き は 淺 聞 抄 に も 大 鏡 に も な い が、 こ れ 、 源 氏 大 鏡 叉 は
淺 聞 抄 の 如 き を 取 つ て 、 後 人 が 種 々 の 書 入 を 加 へ、 變 化 せ し め て 、 か く の 如 き 異 本 源 氏 大 鏡 を 生 せ し
む る に 至 つ た 證 跡 で あ る 。 殊 に 、 他 の 殆 ど 全 部 が 、 淺 聞 抄 は 異 本 源 氏 大 鏡 と 一致 し て 、 些 末 の 轉 訛 以
外 に は 文 章 の 相 違 を 見 出 し 得 な い か ら 、 爾 者 全 く 同 一書 で あ る 事 は 、 今 證 文 を あ げ る の 手 數 を 要 と し
な い。 然 る に 異 本 源 氏 大 鏡 は 三 册 本 で あ る が 、 淺 聞 抄 と 題 し た 本 は 何 れ の 寫 本 も 二 册 本 で あ つ て 、(圖
書 寮 本 は 合 し て 一册 に綴 る )、そ の 分 割 は 次 の 如 く で あ る 。
X64
上卷 桐壺 より十 六乙女 に至 る
下 卷 十 七玉かつらより夢 の浮橋 に至る
竹 川 ま で書 い てあ つ て、 宇 治 + 帖 だ け は別 に、竹 川 の犠
の後
別 のも のと な つ てゐ る。 上 譽 は表 題 に淺 聞 抄 と あ る他 、内 題 のあ る
而 し て ・下 譽 の且 録 で は、 + 七匂 寡
に目 録 を 記 し て梗概 を付 し 、令
位 置 に も﹁淺 聞 抄 目 録 ﹂と 記 し てあ る。 源 氏 大 鏡 の如 く 、 各 帖 の梗 概 の後 に 以上 何 首 と は記 し てな い。
異 本源 氏 大 鏡 にも 目 録 は つ いてゐ る が、 流布 の源 氏大 鏡 に は目 録 が全 然 缺 け てゐ る。 これ も爾 者 の相
違 であ る・ さ て、此 の 二冊 本 の淺 聞抄 は 割 合 に寫 本 が諸 所 にあ る所 を見 ると 、可 成 り行 は れた ら しく 、
異 本 源 氏 大 鏡 の方 が、 淺聞 抄 を寫 し て 三册 に綴 b 改 めた も の で あ ら うか 。 其 とも 、異 本 源 氏 大 鏡 が二
册 の淺 聞 抄 に變 化 し た も ので あ ら う。 更 に、源 氏 大 鏡 と 淺聞 抄 の何 れ が先 に成 り、何 れ が其 を 模 倣 し
て變 化 を 加 へた も の か、輕 々 には斷 定出 來 ぬ が 、兎 に角 淺聞 抄 を 一條兼 良 作 とす る事 だけ は誤 b であ
氏
無
外
題
ら う。 た ゴ こ 丶に は 、淺 聞 抄 も、 源 氏 大 鏡 の類 書 な る事 を詮 明 す れば 足 b る ので あ "
o。
源
か く 題 す る 三 册 本 が東 北 大 學 に藏 せ ら れ る 。 奥 書 に 、
中 世 文 學
櫛
255
○
醫 交 學 榛 證
無外題下終 右作者不知之
元和 乙卯中秋下旬 一覽畢 紹 之判
墨付 八拾 六枚
萬治元年戌初冬中旬 定勝
と あ b 、 三 册 と も 同 じ趣 の奥 書 を 記 し てゐ る。 こ れ によ つて 、諸 書 目 の源 氏 物語 ・
參 考 書 に 、{源 氏 紹 旨
ひける に云 々。
無 外 題 L と 云 ふ 書 名 が見 え る の は 、 此 の 本 の 事 で あ る 事 が分 る。 そ の 發 端 の 丈 句 を 掲 げ る と 、
光源 氏物 語のおこりは 潅 さ いゐ ん埋 歇 より上東 門院 へめ っらかなる草子 や侍ると蘿
と あ つ て、 此 の文章 は 、前 掲 の十 二源 氏 袖 鏡 の文章 と 全く 同 一で あ る事 を 見出 す 。た だ これ では ︻村
上 女 + ノ宮L と い ふ割 註 と な つて ゐ るも の が、 彼 で は、 本 文 にな つて ゐ る が如 き相 違 があ る のみ で 、
此 の無 外 題 の方 が原 型式 な る事 は言 ふを 待 た な い。 從 つて、 前 に 、十 二源 氏 袖 鏡 を 、直 ち に源氏 大 鏡
よ b出 でた る が如 く 記 し た の は誤 り で、 源 氏 大 鏡 に稍 變 化 の加 へら れ た る、此 の無 外 題 を刊行 した も
のであ る事 が明 瞭 で あ る。 こ こ に於 いて、 源 氏 大 鏡 の 一類 の書 の關 係 は盆 々複 雜 とな つ て、 そ の前 後
の順 序 を 付 け る事 は 一層 困難 であ る が、今 假 に簡 略 な も の よ り長 篇 の文章 へ變 化 し て行 つ允 とす れば 、
源 氏 大 鏡 (三帖 源 氏﹀! 源 氏 淺 聞 抄 (異 本 源 氏 大 鏡 )ー 源 氏無 外題 (十 二帖 源 氏 )
●
266
源 氏
の 物 語
の お
こ り
の如 き 順 序 と な り 、他 の異 名 を持 つ書 は 、 こ の 三種 の異 本 の何 れ か と全 く 同 一書 に歸 す る わけ であ る。
源 氏 大 鏡 の發 端 の 部 分 だ け を 獨 立 せ し め て 、 か や う に題 し た 一冊 の 寫 本 が 宮 内 省 岡 書 寮 に あ る。 但
し 、 こ れ と 同 じ 文 章 で多 少 霽 名 を 變 へた 、 種 々な る 寫 本 を 私 は 他 にも 目 睹 し て ゐ る 。 又 、 源 氏 物 語 千
鳥 抄 の 一本 に こ れ を 附 載 し た も の が あ る の は 後 人 の 所 爲 で あ ら う 。 そ の 冐 頭 の 文 章 は 、
の
源 氏 の物 語 の お こ り は村 上 の御 む で め おほ ゐ齋 院 選 子 内 親 王 上東 門院 に御 淌 息 あ り て春 の日 の つれ ! 、に
侍 る に さ る へき 物 語 た ま はら む と 申 さ せた ま へる に女院 の女房 越 後 守 爲 時 か女 式 部 の局 を め し て い かな る
物 語 を かた てま つら る へき と 仰 あ は す る に式 部 申 さ く おち く ほ いは やな とは め つらし け なく や 侍 ら ん あ た
ら しく つく り い て ゝ御 ら む せ させ 給 は ら む は 申 さ せ給 たる か ひ も侍 な む と申 に さ ら は思 は から ひ て む や と
仰 られ け れ は心 み にも し や と て石 山 にま う て ゝこ の 事を .
所申 に 云 々
此 の文章 を 、前 引 の 三帖 源 氏 の冐頭 の文 句 と 比軟 す ると 鵡 も と同 文 に出 で た事 を知 るで あら う。 要
學 の醤
◇
と 思 ひ合 は せ て興 眛 が深 い・ 殊 に・ 此 の源 氏 物 語 の發 端 に關 す る 物語 は・中 世 で 竺
個
す る に 、 こ れ ら の 本 は 、 も と 同 源 よ 6 出 で て 種 々 に變 化 し て か ぐ 數 多 く の 異 本 と な つ て ゐ る事 は 、 中
婁
甲 世 交 學
O
吻
9
國 文 學 襍 詭
●
の 口碑 傳 諡 と し て、 民 間 に 傳 承 せ ら れ た も の で あ る 事 を 思 ふ と 、 一暦 . 中 世 文 學 ら し い域 じ を 深 め る
の で あ る 。 (
昭和 二年稿 )
附 記 本 文 に 解 題 し た他 、 そ の後 な ほ多 く の源 氏 大鏡 に屡 す る本 を 目 睹 し た が 、 何 れ も 此 所 に述 べた 文 章
以 外 に出 つ るも ので は な いか ら 、 そ の 一々に つ い て解 題 す る 事を 省 略 す る 。な ほ 宮 田 和 一郎 氏 は第 三高
等 學 校 藏本 の淺 聞 抄 は普 通 の源 氏 大 鏡 に近 く 他 の淺 聞 抄 と は 文 章 の相 違 す る旨 を 述 べ て居 ら れ る が ,そ
れ は誤 で あ る ら し い。 淺 聞 抄 と 題 す る 本 は 何 れ も同 文 章 で、 同 一種 に 屬 し . 源 氏 大鏡 と は異 な るも ので
あ るo
268
切 支 丹 文 學 の 事
文 學 の研 究 は、 時 世 の進 む に連 れ て、 そ の方 法 も 進 歩 し そ の範 圍 も擴 大 す る。 國 文 學 にお いても從
來 未 開 の領 分 を 開 拓 し 、更 に、 新 發 見 の分野 を 附加 す る の必 要 が生 じ て來 た。 明 治 文 學 の研 究 も そ の
一つ であ るし、 殊 に切 支 丹 文學 に至 つて は、こ れま で全 然 、こ れを 國 文學 の領 域 で は取 6扱 は な か つた
も の であ る。 併 し な がら 、其 の 、國 文 學 上 、 ま たす ぺ て の我 が文 化 史 上 、何 れ 程 に重 大 な も ので あ る
か は 、文 學 の頒 布 が、 印刷 によ つ て、隔 段 の進 歩 を 來 し た が、切 支 丹 文 學 は 、 そ の印刷 術 の進歩 に大
いな る貢 献 を し た 、 いや 、近 世 の、我 が印 刷 術 は、 そ の淵 源 を こ 丶に持 つてゐ ると稱 し ても 不當 でな
いと い ふ、此 の 一事 によ つ ても 想 察す る事 が出 來 る の であ る。 のみ な らす 、我 が言 語 史 上 ハ切 支 丹 文 學
は多 大 の好 資 料 を 提 供 し (當 時 の語 法 の み な らす 、 特 に當 時 の發 音 を 知 る上 に)、 單 に文學 とし て見 て
も 、 そ の表 現 の簡 勁 にし て、修 飾 な き 粗野 な る言 葉 の中 に、 力 強 き 情熟 を 含 み、 そ の内 容 の、或 ひ は 。
d
中 世 文 學
O
國 文 學 襍 読
、宗 教 的 、 或 ひ は黄話 的 、或 ひ は 物語 小詮 的 な る、 何 れ も巧 ま す僞 ら ぬ自 然 の妙 を持 つも の があ つ て、
熟 讀 玩 昧す る に足 る篇 章 に富 ん で ゐ る 。兎 に角 、 そ の文章 は、 我 が文學 史 上 、 一大特 徴 を 持 つてゐ て 、
ヘ
ヘ
へ
﹂面 手 づ 丶にし て拙 いと 思 はれ る そ の言 葉 が 、妙 に強 く 深 い戚動 を讀 者 に與 へ﹁
るも の があ る點 鳳 他 に
比 類 を見 な い。 更 に、 他 の方 面 から 見 れ ば 、 ロー マ字 の始 源 と し て、特 種 な る國 語 の表 出 法 は、 記 紀
ア
萬 葉 集 の歌 の、 漢 字 を 以 つ て國 語を 表 出 した 方 法 が、 後 に假 名 を 生 ん で、我 が文 化 史 上 に重 大 な る影
響 をも た ら し た と同 じ く隔 ロー マ字 書 き方 の祗 た る切 支 丹文 學 の、我 が文 化 史 上 に重 要 な る位 置 を 占
め る事 は多 言 を 要 せ ぬ。 ま た 、 我 が國飜 譯 文學 史 上 、特 に逸 す べか らざ る 地位 を 有 す るも の でも あ る
の で あ る。
"上 の如 き 、種 々の點 よ b 見 て、 意義 あ る此 の新 附 の戊 學 が、 今 後 の國 文學 史 上 に、多 大 の注 意 を
以 つて取 b扱 は れ る に至 る べ きも 亦贅 言 す るに及 ぱ ぬ所 で あ る。 然 る に、
此 の切 支 丹文 學 は 、
最 近 に至
るま で 、我 が國 文學 者 は何 等 の注 意 を も拂 はな か つた 。其 は材 料 の僅 少 にし て、 閲 臨見が容 易 に出 來 ぬ
爲 めで も あ つた が、今 ま で、 機 運 が、 此 の文 學 の敷 衍廣 布 す べ き時 期 を 與 へな か つた 爲 めで も あら う 。
併 し 、 文 明 の進 歩 は有 b難 いも の で、 此 の方 面 の興 昧 が起 ると 共 に、研 究 の便 宜 も種 々出 來 る や うな
つた。 南 蠻 文 學 の紹 介 は 、何 と云 つても 、 新 村出 博 士 に負 ふ所 が多 い。﹁文祿 奮譯 伊 曾 保 物 語 ﹂後 ﹁天
270
草 本 伊 曾 保 物 語 ﹂と 題 し て重 刊 ) ﹁南 蠻 記 ﹂ の 如 き 、博 士 の 蕾 著 は 、斯 の 種 の 文 學 紹 介 の 特 矢 で あ ら う 。
同 博 士 は 更 に 、 ﹁南 蠻 更 紗 ﹂ ﹁南 蠻 廣 記 ﹂ ﹁續 南 蠻 廣 記 ﹂の 如 き 名 著 を 出 さ れ た . 後 二 書 に は 、 文 祿 奮 譯
伊 曾 保 物 語 の附 録 に 收 め ら れ た 解 諡 、 及 び 南 蠻 記 の 全 部 を も 含 ん で ゐ る。 (そ の 後 ︻琅 葺 記 ﹂の 著 も あ
る)。こ れ ら の 書 は 、 そ の 全 部 が 文 學 の解 詮 で は な い け れ ど も 、 種 々 の 點 か ら 、 南 蠻 文 學 の 重 要 な .
⇔參
考 書 と な る 。 併 し 、 夏 に 重 要 な る は 、 そ れ よ b も 前 に、 英 人 サ・トー 卿 が ﹁日 本 耶 蘇 會 刊 行 書 志 ﹂ を 出 ・
ブライベロトエぱ
アイシヨン
し た 事 で 、 そ れ は 一八 八 八 年 、 我 が 明 治 二 十 一年 、 僅 か 百 部 限 り 、 私
版
と し て印 刷 刊 行 せら れ、
得 ら れ な か つた の であ る が、 そ の本 も 、 昭 和 元年 の末 には、 原 本 通 り に、石 印 に附し て複 製
卿 が 知 人 の 間 に 配 ら れ た も の で あ る 。 そ れ で 、 そ の 世 に存 す る數 も 甚 だ 少 く 、從 つ て、披 閲 の 機 會 も 、
な かく
せ ら れ 、 低 廉 な 價 で 世 に 出 た 事 は 、 我 等 に 取 つ て 、 此 の 上 も な き 幸 輻 で あ る 。 其 に は 解 諡 一册 が つ い
て 、 村 上 直 次 郎 、 新 村 出 、 石 田 幹 之 助 氏 等 、 斯 學 の 權 威 者 の 解 説 が載 せ ら れ て ゐ る 。 外 國 で は 、 此 の
馳書 の 他 、 其 以 前 に 、 バ ゼー の ﹁日 本 書 志 ﹂が あ り 、 近 く は 、 ウ エ ン ク ス テ ル ンの ﹁大 日 本 書 史 ﹂ 二 册 が
あ り 、 更 に 、 最 近 、 コ ル デ イ エー の﹁
、
日 本 書 目 しが 出 で て 書 目 解 題 は 不 完 全 な がら そ な は つ て ゐ る が 、 ・
そ の 原 文 の 詳 し い 紹 介 は せ ら れ て は ゐ な か つた 。 然 る に 、 そ の 後 、 明 治 三 十 三年 に サ ト ー 卿 に よ つ
中 世 文 學
て 、 日 本 亜 細 亜 協 會 報 告 に 、 天 草 版 太 平 記 拔 書 の 紹 介 と 、水 戸 徳 川 家 所 藏 の ロー マ字 本 ﹁ど ち b な き b
271
國 丈 學 襍 読
し た んL (
慶 長 五年 版 )の 全 文 が掲 載 せら れ 、 つ いで{
,文祿 舊 譯 伊 曾 保 物 語﹂が出 で て、此 の書 の ロー マ
字 を假名 交 り に書 き か へて、 全 文 が公 にせ ら れ た。 近 く は、 村 岡 典 嗣 氏 が﹁吉 利支 丹 文學抄 ﹂を出 さ れ
サントス
て 、﹁聖 徒 の御 作 業﹂ロー マ字 本 ﹁こん てむ つす む ん ぢ﹂ ﹁ぎ やど ぺか ど る﹂ ﹁ど ち b たき bし た ん ﹂(サ
トー 卿 の紹 介 せ ら れし と 同 じ 物) 四 書 の 一部 を 收載 せら れた 。 就 中 そ の譽 頭 の序 説 と附 録 は價値 あ る
研 究 で あ る 。 つ いで、 天 草 版 平家 物 語 の 國字 に書 き直 さ れた も の が、 龜弄 高 孝 氏 によ つて、藝 文誌 上
に蓮 載 せら れ た(後 昭 和 二年 六 月 に﹁天草 本平 家 物語 ﹂と題 し て刊 行 )
。 ま た 、林 若 樹氏 が越前 地方 で見
出 され た國 字 本 京 都 版 ﹁こん てむ つす む ん ぢ﹂ は 、原 本 は可 成 り 厚 いも の であ る が、 そ の中 の數 葉 が
見 本 とし て、稀 書 複 製 會 に お い て複 製 せら れ、 且 つそ の解 説 も出 てゐ る。 或 ひ は、 昭和 三年 に 、橋 本
進 吉 氏 が、 ロー マ字 本 ﹁ど ち bな き b し た ん﹂ (文祿 元年 版 )の全部 を 寫 眞 と し て、 詳 細 な る研 究 を 添
へて、東 洋 文 庫 か ら﹁吉 利 支 丹 教義 の研 究﹂と題 し て刊 行 せ ら れ 、
大 阪毎 日新 聞 肚 は、そ の珍書 大 觀 に お
いて 、金 平 本 に つい で、 切 支 丹 叢書 を 出 し て 、多 く の模 本 を 刊 行 し 、日 本古 典 全 集 も ま た、 そ の中 の
二册 を切 支 丹 物 に宛 て た 。 (叉 、 昭 和四 年 に は長 沼 賢 海 氏 の ﹁南 蠻 文集 ﹂が出 てゐ る が、 さし て新 し い
資 料 はな いや う であ る)。更 に、純 粹 の切 支 丹本 、 即 ち 天草 版 の其 に比 す ると 甚 だ 價 値 の劣 るも の で、
切 支 丹丈 學 の軛流 に屬 す る も ので は あ る け れど も 、 禽 、 切支 丹 文學 の中 に包 含 せ ら れ る 、切 支 丹退 治
272
物語 、南 蠻 寺 興 廢 記 、そ の他 幕 初 の寫 本 が 、多 く 國 書 刊 行 會 の續 々群 書 類 從 宗 教部 の中 に入 り 、近 く
比根 屋 安 定氏 も 、 其等 の書 を 、 吉 利支 丹 文 庫 とし て出 し て居 ら れ る。 こ れら の他 、最 近 雜 誌 に出 た南
蠻 文學 の紹 介 は甚 だ 多 く し て、 あ ぐ る に暇 もな い程 であ る。 斷片 的 な資 料 は 數多 く出 てゐ る。 そし て
何 よ b も幸 ひ な事 は、 遶 西 、ロ ンド ン、ロー マ等 に藏 せ ら れ る貴 重 な る 天草 版 切 支 丹 書 が、殆 ど 全部 ロ
ー トグ ラ フ に取 ら れ 、 沱 大 な る寫 眞帖 と し て、東 洋 文 庫 等 に收 藏 せ ら れ て ゐ る事 であ る、 こ れ によ つ
て、我 々は手 近 に これ ら の書 を讀 む事 が出 來 、多 大 の研究 の便盆 を得 る事 が出 來 るの であ る。 そ れ で
我 々は 、斯 樣 にし て得 た る多 く の材 料 によ つて、 斯 の種 文 學 の研究 を な し 、國 文 學 史 上 新 な る貢 献
ぎ 雷 葺曾H
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野 牛 の兒 と 狼 の事
を なす 事 を 怠 つ ては な ら な いで あ ら う。 次 に、 いさ \ か 、天草 版 の伊 蘇 普 物語 の 一部 分 を引 いて、參
考 に資 す る事 とな る。
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from "The Jesuit MissionPressin Japan
1591-1010" by Ernest Mis)n Satow
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た 事 .出 つ るを イ ッ ヅ ルの如 く 發音 し た 事 .言 ひ が、 今 日 の如 く イ ー と言 はす に 、 イ イ と區 別 し て聞 き取
ら れ た 事、似 せ て が ニシ ェ テ の如 く 發 音 せ ら れ た 事 , そ の他 、 ハ行 が 晋 で あ つた 事 .聲 も こ ゑ に近く .
コィ エと發 音 せ られ た事 な ど 種 々な る暗 示が得 ら れ て 、甚 だ 興 味 が深 い。 發音 研究 上 の好 資 料 と 云う た の.
は 此 の點 にあ る。 (
昭和 二年三月)
附 記 一、 切 支 丹 交 學 とは 、 九 州 の加 津 佐 や天 草 に建 てら れ た る耶 蘇 會 の學 林 で印 刷 刋行 せら れ た 書 (ロー
マ字 本 と 國 字本 の 二種 他 に羅 典 文 の書 あ り) を 主 とし て, こ れ には 、 切 支 丹宗 門 に關 係 な き平 家 物 語伊 蘇
普 物 語 の類 が入 つて ゐ る が、 斯 の如 き文 學 的 著 作 は 認 め 、 た 璽羅 和 辭 書 、羅 典 文 典 、和 葡 辭 書 、 日本 文 典
の如 き は 天 草版 で あ つて も 、文 學 的 著 作 では な いか ら こ れ を除 き , 之 等 學 林 刋行 書 以 外 に、 切 支 丹宗 門 に
關 す るす べ て の文 學 的 作 品 を 總 稱 し て、 か く 名 付 け る。 そ の數 は 三 四十 種 にも の ぼ る であ らう。
二 、 そ の後 新 村 博 士 が ﹁南 蠻 文 學 概 觀 ﹂(舊 版 日本 文學 講 座 第 十 九卷 )や﹁南 蠻 文學 ﹂ (岩波 講座 ﹁日 本 丈學 ﹂)
に於 い て 、從 來 の研 究 や 、 新資 料 等 も紹 介 せら れ 、 あ ま ね く切 支 丹文 學 に つ い て ふれ ら れ た 事 は、 日本 文
學 史 に新 し い分 野 な加 へた も のと し て甚 だ欣 懐 に耐 へな い。 た ほ 、 木 下 杢 太 郎 氏 の好 著 ﹁え す ぱ にや ぼ る
つ が る記 ﹂ (昭 和 四年 刋)や, 木 村毅 氏 によ つ て發 見 せら れ た切 支 丹 版 ﹁和 漢 朗 詠 集 ﹂ 等 の新 資 料 の紹 介 に
刎
よつて、ますく 斯學は進みつゝある。これは國文學者に取ってもまことに多大の興味と關心の懸けられ
る所以であるQ 中 世 丈 學 .
●
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も
近 世 文 學
近 世 雅 文 概 説
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雅 文 と は 、 俗語 で書 かれ た 文章 に野 す る名 稱 であ る。 主 とし て、 平 安 時 代 の文章 、殊 に物 語 文 の そ
れを 雅 文 と云 ひ 、戰 記 文 や、 近 世 の俗語 文 に對 す る名 稱 と な つて ゐ る。雅 文 はま た 擬 古 文 と 云 ふ。 平
安 時代 の 文章 に擬 し て作 れ る、模 倣 文 で あ るか ら で あ る。 物語 をも 、 新 興 の戰 記 物語 や傳 説 物語等 に
對 し て 、平 安 時代 の 物語 を 模 倣 し た 、 舊 套 を追 へる 物語 を 、擬 古 物 語 と 云 ふ のと同 一であ る。 擬 古 物
語 は鎌 倉 時代 以後 、江 戸 時 代 に至 るま で、 お びた ゴ しく 作 ら れ て ゐ る。"
77
2
瓩 世 丈 學
の
濺 文
學 褸
読
9
か く 叫 ん で も 、官 ら 和 歌 の傳 統 的精 祚 の殻 を破 る事 は甚 だ 困難 で あ つた が、徐 々にし て、 新 し い作 歌
に學 び作 つた 。浪 花 の下 河 邊 長流 、 江 戸 の戸 田 茂 睡 は 、 そ の 傳統 破 壞 の叫 を あ げ た第 一入 者 であ る。
從 來 の傳 統 的 な作 歌 態 度 にあ き た ら す し て 、萬葉 集 を 、 古 今集 を 、新 古 今 集 を直 ち に師 とし て、自 由
の影 響 を 受 け て、 作 れ る和 歌 ・文 章 と も に上 代 的 であ り、或 は平 安 時代 の色 彩 を多 量 に帶 び てゐ た 。
禪 のも と に、 新 し い姿 を も つてよ み が へって來 た 。 こ れ ら の國 學 の研 究 に從 事 し た學 者 は、 そ の研究
た堂 上 方 や 連 歌師 の説 に駮 撃 を加 へ、 新 研 究 のも ど に新 諡 が樹 てら れ て、 平 安 文學 も 亦 、新 國 學 の精
安 文 學 を も .そ の研 究 の領 域 に入 れ て、 傳 統 的研 究 に樹 す る 反 對 の旗 幟 を鮮 明 にし 、從 來 研 究 せ ら れ
し て古 事 記 ・萬 葉 集 等 の 上代 文 學 を 選 ん だ 事 は當 然 で あ る。 而 し て、 こ れら 上 代文 學 よ b下 つて、平
閑 却 せ ら れ て ゐた 。 堂 上 歌 學 に反 抗 す ると共 に、 復 古 精 紳 に燃 え て ゐ る新 國學 が、古 典 研 究 の對象 と
で あ つた 。 平 安 文 學 は、 從 來 の堂 上 方 や蓮 歌師 の學 問 でも 多 ぐ 研 究 し て來 た所 で あ る が、 上 代 文學 は
精 神 を 負 へる國 學 が樹 立 せ ら れ た。 而 し て、そ の研 究 の對象 は、 主 と し て 、 奈良 時 代 以後 の上 代 文學
近 世 に至 つて、 從 來 の傳 統 的 な 堂 上方 の歌 學 に對 し て、 地 下 の學 問 が勃興 し た 。 こ \に新 し い復 古
v
一
278
精 祚 が衷 はれ て來 た 。 斯樣 な 和歌 に於 け る態 度 は、 ま た 文章 にも 表 は れざ るを得 なか つた 。併 し、 そ
れ は必 す し も 和歌 の如 く 、 直 ち に上 代精 禪 に自 己 の直 接 經 驗 を 盛 ると 云 ふ が如 き 、藝 術 的衝 動 の發 露
では な か つた 。 そ れ は明 ら か に、國 學 者 が學 術 研究 の樹象 に支 配 せら れ て成 つた も ので 、
古 典 文學 を模
倣 し た 擬 古 文 學 に他 な ら な い。 丁度 、本 居 宣 長 が、 古 風 即 ち萬 葉 調 の歌 を、 學 術 研究 の方法 と し て作
まさ
b、 近 風 即 ち 新 古 今 調 の歌 こそ 、自 分 の眞 の詠 歌 であ ると な し 、或 は 平 田篤 胤 が、 自 己 の詠 歌 を眞歌
と作 b歌 と に分 け た 如 く 、 そ の作 歌 態度 にも 、藝 術 の直 接 經 驗 によ つて成 れ るも のと 、模 倣 的巧 利 的
な精 祚 の も のと の 二 つに分 け て ゐ る が如 ぐ 、 雅 文 製 作 の態 度 には 、そ の後 者 の方 の色 彩 が多 量 なの で
あ る。 か く て、近 世 の雅 文 は、 多 く 國 學 者 の手 に成 b、 且 つ模 倣精 帥 の多 いも の で あ つた 。 國 學者 の
雅 文 に 二 つに大 別 せら れ る。 一は 上 代 文 を模 倣 し たも の で、 二 は平 安 時 代 の文章 を 擬 し た も の、 此 の
後 者 の中 はま た 、 物語 丈 、 隨筆 ・日紀 ・紀 行 ・草 子 の類 の文 章 によ つた も の、 清 息 の三 種 に分 け ら れ
る や う で あ る 。 上代 文 は賀 茂 眞 淵 ・本 居 宣 長 以 下 、橘 守 部 ・伊 逹 千廣 等 が多 く 作 つ てゐ る。 そ の種類
にも、 古 事 記 の文章 によ つた も の、 祀 詞 6宣 命 の體 、 上 代 歌謠 の 影響 の多 き も のなど があ る。 就 中祀
詞祭 文 は 、實 用 的意 味 も あ つて、 そ の製 作 せ ら れ た も の が多 數 であ つた 。 殊 に近 世 の復 古 紳 道 の 一派
79
の手 よ ・
り多 ぐ 出 て ゐ る。 2
迸 世 丈 學
國 丈 學 襍 説
以 上 の如 ぐ 、雅 文或 は擬 古 文 と 稱 す るも のに は、 上 代 文 ・中 古 文 ・中 世文 を 擬 した も の、 及 び これ
♪つ o
の擬 古 文 が、 そ の勢 力 微 弱 にし て、 一部 學 者 の問 に使 用 せ ら れ る の みで あ つた 事 は當 然 の結 果 であ ら
勢 力 を持 つてゐ る、 こ れ に軟 べれ ば、 難 解 にし て、學 力 な き も のに は摸 倣 し 易 か らざ る平 安 時 代 以前
文 體 は、 平明 な だ け に、 そ の使 用 の範 園 が甚 だ廣 く、 寧 ろ、 近 世 の俗 語 文と 同樣 の、 或 はそ れ 以上 の
れ に屬 し て、 多 く 平 明 の體 であ る。 俳 文 も 亦 こ の文體 から 脱 化 し 元も のと 思 はれ る 。要 す る に、 此 の
亦 、中 古 文 と 和漢 混 精 文 と の間 を 行 く も の であ る。 そ の他 、 菅 茶 山以 下 の儒 者 の和 文 隨 筆 は何 れ も こ
一種 の擬 古 文 と し ても よ いで あら う。 新 井 白石 の文章 の如 き はそ の雄 な る も の で、 松 平樂 翕 の文章 も
起 つた 。 實 録 小 説 ・讀 本 を初 め、儒 者 の 和文 など に多 く 用 ゐら れ る和漢 混精 文 がそ れ であ る。 これも
章 の範 園 に入 b 、 雅 丈 の 一種 と も なす 事 が出 來 る。 此 所 に至 つ て、 中 世 文學 を 摸 倣 す る 一種 の 文體 が
ゐ る。併 し 、此 の新興 の戰 記 文 や傳 説 文學 の文 章 も 亦 、 近 世 の俗 語 文 が現 れ る に至 つては 、古 典 的文
鎌 倉 時 代 以後 、新 興 丈 學 が起 つてか ら 、 そ れ に卦す る擬 古 文學 も 亦絶 え や作 ら れ て、近 世 に至 つて
一
一
280
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ら よb 脱 化 し て、 近 世 に至 つ て新 に創 始 せ られ た 和 漢混 瀟 文 の四 種 があ る。 併 し、 これ は廣義 に解 し
た 場 合 であ つ て、 も し 狹義 の雅 文 擬 古 文 と云 へば、 中古 文 のそ れ に限 ら れ る やう で あ る。 さう し て、
此 の近 世 の中 古 文 の擬 古 文 を 以 つて雅 文 の第 一義 と解 す べき であ ら う 。
四
由 來 、 雅 文 を體 系 的 に編 集 し て、 作 文 の參 考 用 に、 ま π古 典 文 學 の研 究 用 に資 し、 或 は此 の道 の數
寄者 の慰 めに供 せ ん と した 書 は少 く な い。 そ の最 も 大部 な る は扶 桑 拾 葉 集 三十 卷 三 十 五册 で あ る。(
績
扶 桑 拾 葉 集 は僅 か に三巻 に過 ぎ な い)。
併 し、 こ れ は中 古 中 世 の文 章 に限 ら れ 、近 世 に及 ん で ゐな い。
た だ近 世 に 屬す る も の で は、 僅 か に豐 臣 勝俊 (
木 下 長嘯 )
・藤 原 爲 景 ・源 爲 村 の 一ご二家 を 數 へる の み で
あ る か ら 、(
績 扶 桑 拾 葉 集 は享 保 六年 よ b 同 十 六年 にわ た る靈 元法 皇 御 幸 宸 記 が大部 分 を占 め て ゐ る)
近 世 雅 文 の研 究 資 料 から 除 く とし て、 中 古 中 世 の 文章 も若 干 含 ま れ て ゐ る が、 主 と し て近 世名 家 の雅
文 を編 輯 し た 大部 の書 に、 扶 桑 殘葉 集 二+ 眷 二十册 、今 古 殘 葉 四 十 五 譽 四 十 六 册 の兩 書 があ る。 書 名
の示 す 如 く、 扶 桑 拾 葉 集 の績 篇 と し て編 ま れ た も ので 、兩 者 共 通 の部 分 も あ るけ れ ど、 兎 に角 近 世 名
家 の遺 文 逸 文 を蒐 集 した も のと し て・ 此 の兩 書 の右 に出 つ るも のは な い・體 裁 は何 れ も ・作 者 別 で ・
癩
近 世 丈 學
國 文 學 襍 論
且 作 者 の配 列 は大 體 年代 順 に な つ てゐ る や う で あ る。 これ ら 大部 の書 は別 とし て、 手頃 の袖 珍本 で、
作 文 .趣 昧 の用 に供 せ ら れ た 刊 本 に は、 聽 雨 堂 連 阿編 輯 の文苑 玉露 二卷 (文 化 十 二年 刊)、
萩原廣道選
評 の額雛遣 文集 覽 二眷 (
由
畢氷三年 刊 ) があ る。 此 の兩 書 は廣ぐ 行 は れ て、 文苑 玉 露 の如 き は 、後 刷 の本
が幾 ら も出 で 、遺 文集 覽 に は、 小 田 清 雄 の錦誑 名 家 遣 文 集 覽 (明 治 二十 五 年刊 )があ る。 兩者 と も、 扶
桑 殘 葉 集 や近 古 殘 葉 に材 料 を 採 る所 が多 い が、中 でも遺 文集 覽 は 殆ど 全 部 扶 桑殘 葉 集 よ b得 た と思 は
れ る 。 文苑 玉 露 に載 す る所 の諸 家 は 、
本 居 宣 長 。本 居 大 平 ・藤 井高 徇 ・下 河 邊 長流 ・賀 茂 眞 淵 ・藤 原 頑 雄 ・九 山公 庸 ・鵜 殿 よ の子 ・上田
余 齋 .荒 木 田 久老 ・賀 茂 季鷹 ・圖珠 庵 契 沖 ・件 蒿 蹊 ・干 足 眞 言 ・橘 千蔭 ・村 田 春 海 ・呉綾 足 ・荷 田
御 風 .田 中 道 麿 ・伊 久賣 君 ・北 邊 成章 漁荷 田在 麿 ・鈴 木 倫 庸
の 二 十 三家 に作 者 不知 が 一篇 あ る。 遺 文 集 覽 は、
松 永 貞 徳 ・林 道 春 ・北村 季 吟 ・釋澤 庵 ・加 藤 盤 齋 ・下 河 邊 長 流 ・釋契 沖 ・今 井 以閑 ・渡 邊 業 平 ・岡
西 惟 中 .平 間 長 雅 ・蜂 谷 等 我 ・河 瀬 菅 雄 ・三輪希 賢 ・都 築 師 方 ・河 井玄 牧 ・奥 野 良 弘 ・草加 親賢 ・
遊 女 大 橋 ・賀 茂 眞 淵 ・加 藤 宇萬 伎 ・釋 似 雲 ・富 士 谷 成章 ・本居 宣 長 ・上田秋 成 ・釋 訪 爲 ・龍 公 美 ・
伜 蕎 蹊 ・小澤 蘆 庵 ・釋澄 月 ・羅 慈 延 ・有 賀 長伯 ・富 永 仲 基 ・加 藤 景 範 ・三宅石 庵 ・中 井積 善 ・琉 球
'
292
人 久 志 親 雲 上 ほ
の三 十 七家 で、 附録 に萩 原 廣 道 の遣 文集 覽 愚評 を附 し てゐ る。 そ の材 料 は何 れも扶 桑 殘 葉 集 に出 で た
る事 、前 述 の如 く であ る 。此 の兩 書 の他 、清 水 濱 臣 撰 す る所 の古 文拾 葉 十 天册 、 藤 原 定 雄編 す る所 の
新拾 文抄 三 册 な ど があ り、 必 す し も近 世 雅 文 の編 輯 ではな い が、 上述 の諸 書 〃向 樣 の編 書 とし て此 處
にそ の名 の みを 記 し ておく 。 何 れも 寫 本 で 、多 く行 は れな か つた 。 ま た 地 方 的 に、 そ の郷 土 の學 者 の
雅 文 を集 めた 書 も あ るで あ ら う。 土 佐 國 群 書 類從 所 收 の、 竹 村 成 相編 、 建依 別 文集 の如 き がそ れ で 、
谷 眞 潮 や 今 村樂 以 下 、宮 地春 樹 ・源 巖 水 ら 、 十 二家 の雅 文 を集 録 し た も の で あ る。
五
扶 桑 殘葉 集 や今 古 殘葉 が作者 別 ・年 代 順 の編 輯 な る事前 述 の如 く で あ る。 遣 文 集覽 も大 體 年 代 順 に
で は ・斯 樣 に分 類 せ ら れ馨
が少 く な い・ 二 三 の例 を あげ る と・ 廟
從 つて ゐ る やう であ る。 文苑 玉 露 に至 つて は、 そ の内 容 によ つ て類 別 し た も のと 思 はれ る。即 ち 、 大
髓 に於 い て、
類 せら れ てゐ る・ 個 人 の 豪
詞 ・賛 ・墓 誌 ・論 ・序 ・跋 ・清 息 ・物語 ・考
の 如券
迸 世 丈 學
國 文 學 襍 詮
284
琴 後 集 は、
記 ・序 ・跛 ・書 牘 ・雜 文 ・墓 碑 祭 文
に分 把 れ て居 り、 不跏
繁舟 は
説 ・解 ・論 ・序 ・記 ・雜 著 ・碑 文 ・銘 ・書牘
と 標 せら れ てゐ る。 か や う な標 記 は なく とも 、 文 集 の多 く は、 此 の樣 に分 類編 輯 せ ら れ て ゐ て、 た だ
若 干 、 作 品 の年 代 順 と な れ る も の が存 す る の み であ る。 か や う に分 類 す る事 は、 も と、 支 那 の文 選 よ
b出 で て、 支 那 の文 集 は 大概 さ う な つて居 b、 我 が國近 世 の 文集 で は 、
儒 者 漢 學者 の文 集 は云 ふま で
も なく 、 和文 では 、 俳 文 の文集 が多 く 、 支 那 のそ れ の體 裁 を 襲 う て ゐ る。 國 學者 の雅 文 集 も亦 、 おそ
らく 漢 文 集 或 は俳 文 集 に倣 つ て、文 選 のそ れ を 襲 ふ に至 つた の で あ ら う。 何 れ にし ても 、 雅 文 の題 詞
が 、漢 文集 の影響 を 多 く 受 け て ゐ る事 だ け は 否定出 來 な いの で あ つ て、 自 然、 か うし た 分 類 法 も、 漢
文 集 に倣 ふ に至 つた も のと 思 は れ る。 漢 學 を 排 斥 し た國 學 者 も 、、
此 の點 では 、異 邦 の學 に膝 を 屈 し て
ゐ るわ け で あ る。
凸
JP㌔
○
次 に聊 か、 主 な る雅 文家 に つ いて、 短 評 を 試 み よう 。
先 づ、 近 世 雅 文 家 の 中 よ b 、 最 も 異 色 あ る も のを 選 び 出 せ ぱ 、 木 下 長 嘯 ・上 田 秋 成 の 二 家 が あ る 。
何 れ も 型 に は ま ら な い 、自 由 奔 放 な 文 章 で あ る 。爲 め に 時 と し て は 文 法 的 遏 誤 さ へも 犯 し て ゐ る 。 併 し 、
そ の す ぐ れ た る 内 容 は 、 近 世 雅 文 の 妙 手 た るを 失 は な い。 秋 成 の 丈 學 的 地 位 の高 き は 今 殊 更 に論 す る
ま で も な い 。 長 嘯 子 が 近 世 劈 頭 に出 で て 、 和 歌 に 文 章 に新 鮮 の 氣 を 漲 ら し て ゐ た 事 は 、 は る か に、 堂
へ も ヘ
へ
上 方 の 歌 文 や 、 儕 輩 時 流 を 拔 く も の が あ る 。 中 で も 愛 兒 の 死 を 悼 ん だ う な ゐ 松 の 一篇 の 如 き は 、 珠 玉
の 文 章 と し て名 高 い 。'そ の 文 章 に は 漢 文 漢 學 の 影 響 の多 い 事 が觀 取 せ ら れ る 。 下 河 邊 長 流 .契 沖 の 二
家 は 、 そ の 文 章 を 獨 特 の 個 性 眛 に よ つ て 彩 つ て ゐ る 。 中 で も 長 流 に 於 い て甚 だ し く 、 契 沖 ま た そ の 雅
文 ・特 殊 の 筆 癖 の あ る の を 認 め し め る 。 何 れ も 、 爲 め に 文 章 を 難 解 な ら し め 、 ど う か す る と 誤 解 に導
ぐ 危 險 さ へあ る 。 併 し 、 そ の癖 に慣 れ て し ま へば 、 必 す し も 難 解 で は な い 。 此 の 兩 者 は 近 世 復 古 國 學
蓮 動 の 先 驅 者 と し て 、 後 の 如 く 未 だ 國 學 者 の 文 章 の型 が出 來 上 ら な い時 代 で あ つ陀 か ら 、 そ の 文 章 は 、
型 に は ま ら な い 一種 變 體 的 な 文 章 を な し て ゐ る の で あ る 。 併 し 、 そ こ に 文 章 史 的 に 興 味 が あ b 、 ま た
昨畿
にも 見 ら れ る・ そ の雅 文 に は獨 特 の昧 があ る が・ 雅 文 はど ち ら か と云 へば量 息で はな か つ
先 驅 者 と し て の個 性 味 に 豐 か な 所 が あ る 。 個 性 昧 に富 ん で ゐ る 點 は 、 同 じ く 近 世 和 歌 革 新 の先 驅 者 た
瓦
迸 世 丈 畢
'
端
國 丈 學 襍 読
た や う で 、 必 す し も 巧 み で あ る と は 云 へな い。 寧 ろ 俗 語 味 の 豐 か な 、 彼 獨 特 の 文 章 の 創 始 が 、 そ の個
性
の發 露 を示 し てゐ る。 近 世 國學 の 偉大 な る師 匠 、 賀 茂 眞 淵 の文章 も 亦特 殊 の 味 があ り 、彼 は上 代 文
中 古 文 を も 巧 み に こ な し て ゐ る 。併 し 、眞 淵 の 系 統 が 、江 戸 時 代 の 國 學 を 全 ぐ 覆 う て ゐ る 如 く 、そ の 文 章
は 後 の 雅 文 の 範 を 示 し て 、 漸 く ↓種 の 型 を 作 b 上 げ て ゐ る や う で あ る 。 そ の門 弟 達 に至 つ て 、 此 の 型
を 完 全 に み がき あ げ ると共 に、 そ の 軌範 か ら脱 出 す る事 が困 難 と な つた 。而 し て、 そ の型 を 完 成 した
も の は 本 居 宣 長 で あ る 。 そ れ は 、 丁 度 彼 が近 世 國 學 の 完 成 者 の 地 位 に あ る の と 同 一で あ る 。 併 し 餘 り
に 完 全 過 ぎ て 文 章 に う ま み の な い の は 、 そ の 缺 點 で あ る 。 變 化 の 妙 に 乏 し い。 今 眞 淵 の門 流 で ・ 異 色
あ る も の を あ げ る と 、 上 田 秋 成 は既 に 逋 べ た 。 彼 の 文 章 に は 、 漢 文 脹 の雄 勁 昧 を加 へ、 文 章 の 破 格 な
り
・事 と 相 俟 つ て 、 特 殊 の 力 が籠 つ て ゐ る 。 平 田 篤 胤 の 文 章 も 亦 個 性 味 が強 い。 そ の 文 章 は 無 技 巧 で ・ 俗
語 的 な 所 さ へあ る 。 そ こ に 妙 に 一種 の 力 が か も さ れ る 。 篤 胤 の 大 衆 的 な 一面 と 、 ど ち ら か と 云 へば 衝
、
氣 に滿 ち た 氣 魄 が 、 雅 文 に も 見 ら れ る 。 女 性 の 文 章 は ま た 、 獨 特 の 柔 軟 纎 細 の 昧 に 富 ん で ゐ る 。 瀞 谷
む 倭 文 子 .荷 田 蒼 生 子 .鵜 殿 餘 野 子 、 何 れ も 然 b で あ る 。 綿 々 と し て 盡 き せ す 、 齒 切 の 惡 い 文 章 は ・ 一
面 文 章 を 難 解 な ら し め て ゐ る 、 中 で 執 餘 野 子 に於 い て、 そ れ が甚 だ し く 、 倭 文 子 が最 も そ の弊 が 少 い℃
平 安 女 流 作 家 の 文 章 に 、そ の 味 に 於 い て 最 も 共 通 し た 所 が あ b 、さ す が に 、 男 性 の 手 に な る 近 世 の 雅 文
O
286・
の
と は 、 や は b 味 を 異 に し て ゐ る。 眞 淵 の 門 流 の 他 で は あ る が、 富 士 谷 成 章 の 文 章 は 、 眞 淵 流 と そ の 昧
を 等 し く し て ゐ て 、 一種 の 瓢 逸 味 は あ る け れ ど 、 眞 淵 の 影 響 を 受 け た 事 は 否 ま れ な いや う で あ る。 こ
れ に 反 し て 、 同 じ く 眞 淵 流 で は な く 、 且 、 獨 特 の 調 子 を 持 つ た 雅 文 の 作 者 に 、 石 野 廣 道 ・有 賀 長 收 の
二家 が あ る 。 而 し て 、 廣 道 と 長 收 と の 文 集 に は 種 々似 た 所 が あ る 。 年 代 順 に 編 纂 せ ら れ て ゐ る 事 、 文
章 は 詞 書 の 如 く 、 歌 を 主 と し た も の の あ る 事 、 他 の 人 々 の 如 く 、 雅 文 製 作 意 識 が少 く し て 、 自 由 に 日 r
常 生 活 を綴 つ てゐ る事 な ど で あ る。 か や う にし て、純 粹 雅 文 とし て は探 る べき も の は少 いと し て も 、
文 集 とし て は著 し く 個性 的 な も ので あ る。 眞 淵 の門 流 で は、 橘 枝 直 、門 流 以 外 では橘 守 部 が上 代 文 の
製 作 に す ぐ れ 、 鹿 持 雅 澄 ・伊 逹 千 廣 ら ま れ 上 代 文 を 多 く 作 つ て ゐ る 。 雅 文 と し て は 、 伊 逹 千 廣 を除 く
ゆ 他 の三家 は多 く 云 ふ程 の事 も な い。 眞 淵 門 下 の中 でも 、橘 千蔭 と村 田 春 海 と は雅 文 家 と し て 並 び稱 せ
ら れ る 。 併 し 、 千 蔭 は 到 底 春 海 の 敵 で は な いQ 眞 淵 門 下 の 雅 文 家 と し て 名 高 い加 藤 景 範 にも 劣 る 。 千
蔭 の 文 章 は 繊 細 で 、春 海 の 文 章 は線 が 太 く 男 性 的 な る點 に於 い て干 蔭 と 好 對 照 を な す と は 、世 の 定 評 で
あ る が 、 千 蔭 を 春 海 に 匹 敵 せ し め る は 比 倫 を 失 し て ゐ る。 今 典 型 的 な る 雅 文 家 を 選 ぶと な れ 催 、 村 田
春 海 の 他 に は 、 件 菩 蹊 ・清 水 濱 臣 の 二家 を 押 す べ き で あ ら う 。 蒿 蹊 は 千 蔭 の 如 .
丶、 濱 臣 は春 海 の 如 ・、
千 春 二家 に 對 す る 謝 照 的 批 評 は 、 蕎 濱 二 家 の 上 に移 し て見 て も 、 さ う 的 は つ れ の 批 評 と は な ら な いや 卿
迸 世 文 學
國 文 學 襍 設
う で あ る 。 概 括 的 に 云 へば 、蕎 蹊 は 繊 細 で 女 性 的 、濱 臣 は 奔 放 で男 性 的 で あ る 。 此 の 二家 に稍 々遲 れ て
尾 崎 雅 嘉 の 文 章 は 、 未 だ 世 に知 ら れ て ゐ な い が 、 從 來 雅 文 家 と し て 世 に 定 評 あ る 入 々 と 並 ん で 。 否 そ
れ 以 上 に 雅 文 家 と し て 認 め ら れ る ぺき で あ る 。 情 景 の 豐 か な る 、 文 章 の典 雅 な る 、 變 化 の 妙 を 得 た る 、
時 と し て は 小 説 的 技 巧 さ へ加 へた る 、 而 し て 、 文 章 そ の も の は 、 從 來 の 入 々の 、稍 々修 飾 に 過 ぎ て 、時
と し て は 味 を や る弊 の あ る の に 對 し 、 淡 々 と し て 無 技 巧 の 技 巧 を 盡 く し た る な ど 、 全 く 典 型 的 の 雅 文
と云 .
♪に 足 る 。此 の修 飾 に走 ら す に 、無 技 巧 の 技 巧 を 以 つ て 、 景 情 並 び 具 ふ る の 趣 昧 は 、 此 の 後 の 雅 文
家 の 多 く 用 ゐ る所 で 、 藤 井 山
口
同尚 。中 島 廣 足 等 の 定 評 あ る 雅 文 家 を 初 め 、 そ の他 の諸 家 に も 多 く 見 る所
で あ る 。 高 術 。廣 足 の 二家 は 、 先 の 千 春 ・蕎 濱 の 如 く 並 び 稱 せ ら る べ き 典 型 的 雅 文 家 で あ る 。 中 に 就
い て 、 高 徇 は 叙 情 的 に し て 主 觀 的 傾 向 あ b .廣 足 は 叙 景 に ま さ b 客 觀 的 傾 向 が あ る 。 此 の 二家 に 踵 を
接 す る 雅 文 家 と し て は 、 竹 村 茂 雄 ・齋 藤 彦 麿 ・前 田 夏 蔭 の 諸 家 を あ げ よ う 。 茂 雄 は 纎 細 緻 巧 の 趣 に 於
い て ま さ b 、 彦 麿 は 何 れ か と 云 へば 艶 麗 で あ b 、 文 章 中 情 昧 を 見 せ て趣 致 を 添 へる た め 、 紅 絲 の 情 景
を 點 出 す る を 得 意 と す る 。 夏 蔭 に 至 つ て は 、 描 寫 の 精 細 に し て 文 章 の綿 密 な る 、 寧 ろ 女 流 の文 章 に 類
す る も の が あ る 。 從 つ て 、 そ の 作 品 は 概 ね 他 の 入 々 よ b も 長 い。 本 居 大 平 の 文 章 は 陳 套 に し て 何 ら の
特 色 が な い
。 雅 文 家 と
し
て
名
高
き
は
松
平
樂
翕
で あ る 。 併 し 、私 は
.
そ の 文 章 を 多 く 好 ま な い 。巧 み で は あ
○
288
る が 、一面 に 於 い て 俗 臭 に墮 す る弊 が あ る 。和 漢 混 淆 文 に 近 き 文 章 が多 く 、純 粹 の 雅 文 家 と は 云 ひ 難 い 。
内 容 は 寧 ろ 心 學 道 話 的 な 教 訓 に 類 す る も の が多 く 、 隨 筆 と し て 、 そ の著 作 が 世 に多 く 行 は れ た の も 。
俗 耳 に 入 b 易 き 爲 め で は あ る が 、 風 月 に 悠 々 た る 趣 に 乏 し い。 餘 め に 教 訓 に 惹 き 附 け よ う と す る 態 度
が あ き た ら な い 。 樂 翕 公 の 文 章 に 比 す れ ば 、 水 戸 常 山 公 の 文 章 は 、 同 じ く 和 漢 混 淆 文 的 な 所 が多 い が 、
氣 品 の 高 き 點 に 於 い て 、數 等 上 位 に あ る 。自 分 は 樂 翕 公 よ b も 寧 ろ 常 山 公 を 好 む 。 足 代 弘 訓 ・石 川 依 平
ら も 多 ぐ の特 色 は な い が 、 そ つ の な い淡 々た る 味 を も つ て 、 好 雅 文 を な し て ゐ る 。 中 で も 弘 訓 は ま さ
つ て ゐ る 。 ま さ に 彦 麿 β夏 蔭 に 伍 し て 、 そ れ 以 上 に 出 で 、 高 伺 ・廣 足 二家 に接 す る も の が あ る 。 た ゴ
作 品 の多 か ら ざ る を 惜 し む の み で あ る 。 幕 末 に 出 で た 、 滋 野 貞 融 ・井 上 文 雄 ・伊 逹 千 廣 の 三家 は 、 何
れ も 個 性 昧 に 富 み 、 各 特 色 を 備 へて ゐ る點 に於 い て 異 色 が あ る 。 何 れ も 不 覊 奔 放 の趣 が あ り 、 他 の 物
語 文 を 模 倣 し た 典 麗 雅 趣 の 味 あ る 文 章 に 比 し て は 著 し く 男 性 的 で 、 時 と し て は 、雅 文 擬 古 文 の 概 念 に 、
は ま ら な い も の さ へあ る 。 要 す る に 、 こ れ ら は 從 來 の概 念 的 類 型 的 雅 文 の 型 を 破 つ て 、 自 己 の特 種 の
亀味 を 獨 特 の 文 章 を 以 つ て表 現 し た も の と 云 ふ べ き で あ る 。 從 つ て 、 一面 に 於 い て は 好 惡 の別 を 著 し く
戚 せ し め 、 種 々 の 批 評 が下 さ れ る が 、 す ぐ れ た 雅 文 家 で あ る 事 だ け は 否 定 出 來 な い。 冷 泉 古 風 の集 は 、
廣 道 ●長 收 二家 の 文 集 と 似 た 所 が あ る が・ 文 章 の 氣 魄 は 著 し く 下 る 。 必 す し も す ぐ れ た 文 章 家 と は 云 ⑳
范 燈 家 學
○
國 丈 學 襍 詭
ノ
ひ 難 い。 千 家 尊 澄 ま た 、 雅 文 三 百 篇 を 物 せ ん と の 意 氣 は 壯 と す る も 、 そ の 雅 文 は う ま み に 乏 し く 、 概 90
2
ね 類 型 的 で 、 引 歌 を 多 く 用 ゐ る な ど 、 趣 致 を 讀 者 に戚 せ し め な い。 文 章 は 小 品 文 と し ても 、 他 の 諸 家
よ b も 最 も 短 文 な る を 特 色 と す る 。 殊 に あ ら ゆ る 歌 題 を 用 ゐ て、 文 詞 を 作 せ る は そ の 特 色 で あ る 。
近 藤 芳樹 は古 風 よ bも ま さ る が 、尊 澄 と は取 材 の方 向 を 異 にし て 、
尊 澄 は自 然 の景 に多 く材 料 を取 り、
芳 樹 は 寧 ろ入事 を論 す る の風 があ る。 從 つて兩 者 の比 軟 は困 難 で あ る が、先 づ同 等 の位 にあ る雅 文家
と し て、幕 末 よ b 明 治初 頭 の國 文學 者 の 殿 を飾 る も の で あ らう 。
七
以 上大 觀 し 終 つて更 に 思 ふ。 近 世 の雅 文 の主流 は 、 や は も宣 長 によ つて完 成 せら れた 典 型 的擬 古 文、
即 ち 物 語 文 で あ る と。 而 し て 、荷 田 在麿 ・石 川雅 望 。宣 長 ④秋 成 を 初 め、 萩 原 廣 道 ・廣 足 等 は何 れも
擬 古 物 語 を作 し、 千 蔭 ・春 海 以下 の 物語 文 に擬 す る文章 は甚 だ多 い。 も し自 分 の好 みを 以 つ て云 へば 、
雅 嘉 ・廣 足 の 二家 は最 も すぐ れた 雅 文 家 であ る。 そ の淡 々と し て無 技 巧 の、 し か も無 限 の う ま み あ
る流 麗 典 雅 の文章 、描 寫 の適 確 な る事 、 而 し て取 材 の非 凡 にし て變 化 あ b、 齧象 を 生 かす 腕 にす ぐ れ 、
多 大 の面 自 昧 を 藏 し て ゐ る事 が自 分 を ひき つけ る。 實 に典 型 的雅 文作 家 で あ る。 此 の 二家 に比 し て は、
春 海 〃除 いて、 蕎 蹊 ・濱 臣 ・高 荷 と雖 も 下 に位 す ると考 へる。 自 分 は尚 多 く の雅 文を 渉 獵 す る事 に よ
つて 、雅 嘉 ・廣 足 に匹 敵 す る雅 文家 に接 し た いと 思 ふ。 物語 文 を 好 み、 雅 文 を 愛 す る自 分 は 、從 來 の 、
和 歌 を のみ偏 重 し て、 雅 文 を 逸 す る の弊風 にあき たら な い。 家 集 に は、 和 歌 と 雅 文 と 兩 方 の存 す るも
の が多 いの に、多 く 歌 集 の みを 刊 行 し て、 文集 は僅 か に寫 本 の み に て傳 ふ るも の があ る、清 水 濱 臣 ・
富 士 谷成 章 ・冷泉 古 風 ら の集 何 れ も然 り であ る。 近 年 刊 行 せら れ た 和 歌 の叢 書 類 が、 文 詞 の部 を 省 く
は や む を得 な いと し ても 、 齋 藤 彦 麼 の蓬 農 集 を飜 刻 し た 書 が、 文章 を 全く 除 いた如 き は、甚 だ 不親 切
であ る。 即 ち 此所 に近 世 雅 文 に堪 能 な る諸 家 に就 い て聊 か品 隲 し た る所 以 は 、た だ 我 が好 む所 に阿 る
爲 め の み では な ぐ て、 こ れ によ b、 和歌 以外 に、 雅 文 の領 域 が、 近 世 國 學者 の問 に、ま た 近 世 國 文學
史 を觀 る揚 合 に、何 れ程 廣 い天地 を 占 めて ゐ る かを 、 諸 賢 に示 し た い希 望 に他 な ら ぬの であ る。
(
昭和六年三月)
附 記 右 の文 章 ぱ私 の編 纂 し た 近 世 雅 文 蘖 覽 に附 載 し た も の であ るQ 此 の 書 は 、家 集を 有 す る人 々のみ を 選
ん で そ の中 よ リ文 章 を 拔 抄 し た 。 從 つ て、 近 世 雅 文 家 と し て定 評 のあ る建 部 綾 足 .石 川雅 望 、萩 原 廣 道 .
迸世 文學
小
山
田
與
清
.
荒 木 田 麗 女 等 を 入 れ る 事 が 出 來な
かつ
た
、
又
、 交 集 が あ る と 云 ふ 事 は知
つ てゐ
て
も
.
そ
の
原 91
本
2
を見 る 事 が出來 なか つた 爲 め に、 富 士 谷 御杖 、塙 保 巳 一、 釋 春 登 、萩 原 廣 道 、 鈴 木朗 等 の諸 家 を 逸 し
圓 丈 挙 襍 訛
た 。 右 の 品 評 に . こ れ ら の 諸 家 よ り も 寧 ろ 重 要 な ら ざ る 若 干 の 人 々が 入 つ て 、 上 記 の 人 々 を 除 き 去 つ た の 92
2
は 、 右 の 如 き 事 情 に よ る も の で あ つ て 、 敢 へて 、 價 値 少 し と な し た が 爲 め で は な い 。
■
灘
近
松 と 西
ノ
鶴
近 松 と 西鶴 と の比 較論 は 、 今 ま でも し ばー
試 みら れ た 事 であ る。 殊 に、 殆 ど 同 時 代 に出 た此 の二
入 の文豪 が、 同 一題 材 を 取 り扱 つてゐ ると いふ事 は 、 一暦 そ の比 較 論 の興 眛 を起 さ せ る。 即 ち 、西 鶴
が好 色 五 人 女 に於 いて、 小説 の形 式 を か b て描 いた と 、同 じ事 件 を 、近松 は 戯 曲 の形 式 で取 b扱 つて
瀧松鰤五十年忌歌念佛
ゐ る の であ るか ら、 爾者 の比 軟 は種 々の意 昧 に於 い て、我 々 には興 味 の深 い問 題 であ る。 即 ち、
姿姫路清十郎物語ー
中 段 に見 る暦 屋 物 語ー ー大 經 師 土
旦暦
戀 の山源 五兵衞 物語ー 廰語兵瀰薩摩歌
ご
餘 裕 を 有 し てゐ な い・ た だ 一つ・ 我 々は最 も興 昧 ある他
右 の題材 は他 の俘 世 草 子 に作 ら れ た も のも あ つて、 我 々は 研究 の材 料 を數 多 有 し てゐ る の であ る。 併
し ・ 今 そ れら に つ いて・ 此所 に詳 し 途
託 世 丈 學
鳴
國 丈 學 麋 読
の 一つ の材 料 を 知 つて ゐ る。 そ れ に つ いて、 聊 か 述 ぺ て見 た いと 思 ふ。
そ の材 料 と云 ふの は 、近 松 と西 鶴 と が、 同 様 の淨 瑠璃 を作 り 、そ れ が同時 に上演 せ られ て、 偶然 に
も 、 此 二人 の 文豪 が競 爭 す る形 とな つた 、 そ の作 品 であ る。 近 松 と同 時 代 の西澤 一風 が著 し た ﹁操 年
あけ
代 記 ﹂ に、
﹁其 明 寅 の年 、 京 宇 治 加 賀 掾 難 波 にく だ b 、 今 の京 四 郎 芝 居 に て西鶴 作 の淨 瑠 璃 暦 と いふ を
かた ら れ け れ ば 、義 太夫 方 に敵賢 女手 習 并 新暦 と し て 兩家 は b あ ひ、つひ に義 太 夫淨 瑠 璃 よく 、
嘉 太夫
がた止 み ぬ、 其 次 の かは り凱 陣 八島 、是 も西 鶴作 に て評 判 よ 最 中 出 火 し て 、加 賀掾 は是 限 にし て京
への ぽ ら れ ﹂と 記 し てゐ る の が、 そ の事 件 を 記 し た 、 唯 一の憑 據 と な つてゐ る。 併 し 、右 の記 録 は、
今 日明 ら かな 二 つの 誤 謬 を含 ん でゐ る 、﹁寅 の年﹂とあ る のは 、
貞 享 三年 の事 で あ る が、
今 旺 殘 つ てゐ る
﹁暦 ﹂及 び ﹁賢 女 手 習 并 新暦 ﹂ の 正本 は、 共 に貞享 二 年 正 月 の刊 行 とな つ てゐ るか ら、 兩者 の張 り合 つ
た のは 、貞 享 二年 正月 の興 行 と見 る べき であ る。 叉 、凱 陣 八島 は西 鶴 の作 では な く 、今 日 殘 つ てゐ る
正本 には近 松 の署 名 があ るか ら 、
明 ら か に近 松 の作 であ る。 こ れら は、西澤 一風 の記 憶 違 ひ であ ら う。
貞享 二年 正月 に 、何故 同 じ 暦 を 取 h扱 つた 作 品 を 、 兩 方 で競 爭 的 に上 演 し た かと いふと 、從 來 、清
和 天 皇 貞觀 三年 の宣 明 暦 と云 ふ唐 暦 を用 ゐ てゐ た も のを 、貞 享 元 年 四 月 に これを 廢 し 、 五 月 よ b 大統
暦 と 云 ふ新 し い暦 を採 用 し 旋。 併 し、 これ も 不 備 な所 が多 い ので、 伺 年 十 一月 根 6大 統 暦 を 廢し て、
294
新 しぐ 貞 享 暦 を用 ゐ る事 と な つた。 か や う に貞 享 元 年 に は、暦 の改 廢 が矢繼 ば や に行 はれ た ので、 こ
・ れ を題 材 と し て、 暦 ぜ仕組 ん だ淨 瑠 璃を 兩 方 で 上演 す る事 にな つた の であ .
⇔。
か や う に、兩 作 と も 、 云 は ば 時事 問題 を あ てこん だ 際 物 であ つた。 殊 に 、西 鶴 の暦 は 、最 初 から 、
此 の問 題 を 取 b入 れ て作 つた 作 品 で、暦 と 云 ふ 、淨 瑠 璃 の外 題 に は甚 だ 珍 し い、簡 單 明 瞭 な名 稱 が、
そ の内 容 を 示 し て ゐ る如 く で あ る が、 近 松 の新暦 に至 つて は 、 そ の舊 作 の ﹁賢 女手 習 鑑 ﹂を取 b用 ゐ
て、 これ に時 局 あ て こみ の暦 を初 の方 に 、 つぎ はぎ 式 に取 b 入 れ た も の で、 一履 際 物式 の戚 じ が深 い。
そ れ で、 そ の外 題 も 、﹁賢 女 手 習并 新 暦 ﹂
と 云 ふ、 これ も 熟 さな い妙 た名稱 を付 け る事 と な つた が、 こ
の名 稱 が、 そ の内 容 の つぎ は ぎ式 な事 を 、最 も明 瞭 に現 し て ゐ る。 ﹁賢 女 手習 鑑 ﹂は井 上播 磨 の淨 瑠璃
で、 こ れ は 、首 尾 一貫 し た作 品 であ つた であ ら う 。近 松 が、 こ の自 己 の作 品を 急 に改 作 し な け れば な
ら な く な つた 爲 めに、 變 な 木 に竹 を つ いだや う な作 品 を 公 にす る に至 つた事 情 は、 恐 ら く 、 西鶴 の暦
が上 演 せ ら れ る事 を知 つて、 こ れ に對 抗 す る必 要 に逍 ら れ た から であら う.
)要 す る に、 近 松 と西 鶴 と
の作 品 の競爭 は 、 二人 の文 豪 に と つて は ふ さ はし く な い、 不 名 譽 な時局 あ てこ み の泥 仕 合 に過 ぎ な か
つ た の で あ る 。 今 兩 作 の梗 概 を 書 い て見 る と 、次 の や う な内 容 で あ る 。近 松 の ﹁賢 女 手 習弁 新暦 一は 、
迸 世 文 學
95
2
亀
國 文 學 褸 艶
第 一、 圓融 院 の時 、 長 徳 元 年 元 旦 に、參 議 菅 原輔 正 の奏 によ つ て、 宣 明 暦 が大 統 暦 に改 めら れ ,此 の暦 に合 せ
て 、天 地 の遐 行 を考 へる爲 め 、 關東 に左 中將 藤 原實 方 、 西 國 へ三位 別 當 安 國 が派 遣 せ ら れ る、 然 る に安 國 は筑
せんじやう
前 の佳 人 菊 池 先 生 道 清 と 云 ふ者 を 殺害 し ,仇 と狙 は れ て ゐ る の で ,西 國 へ下 る事 を躊 躇 し ,實 方 に東 國 と 西國
と を 取 り替 へてく れ る やう 頼 む 爲 め に.折 か ら攝 津 天 王寺 へ參 詣 し て ゐ る實 方 を 追 つ て、 天 王寺 に出 かけ る。
實 方 は天 王寺 に於 いて 、乳 母 を 件 な つた 一人 の美 女 を見 染 め る。
第 二、樟 葉 の里 に住 ん で ゐ ろ菊 池 太 刀 丸 は 、道 清 の子 で 、安 國 を仇 と つけ 狙 つ てゐ る。 そ の姉 の瑠 璃 姫 は 仇 を
討 つ 事 が出 來 るや う に愛 染 明 王 に 月參 りし て 、歸 り が遲 く な つ た の で 、母 が 心 配 し てゐ る 所 に、 實 方 に逡 ら れ
て歸 つ て來 る、 實 方 は そ の晩 此 の家 に 泊 め て貰 ひ 、 瑠璃 姫 の乳 母 の 子足 井 平 馬 之 丞 が 一家 の身 の 上 話 を 語 る の
を聞 いて 同情 し、 瑠璃 姫 と わ りな 逢契 を結 ぶ。
第 三、 安 國 は橋 本 の宿 ま で 、實 方 の跡 を 追 つ て來 る が 、宿 揚 の馬 方 が 。今 日 は 勅使 の御 通 り ゆ ゑ 、馬 を貸 す 事
が 出來 ぬ と拒 絶 し た の で、 大 いに怒 り 、亂 暴 を 働く を 、 太 刀 丸、 平 馬 之 丞 が 、 實方 の勅 印 を 錦 の袋 よ り出 し て
見 せ 、安 國 をな だ め る。 安 國 は、 二人 の素 性 を聞 いて 、 さ て は此 の 二人 が 自 分 を仇 と 狙 つ て ゐる の かと思 ひ當
り 、 さ あら ぬ體 で、 道 清 を 討 つた の は 、 か の實 方 で あ る と僞 りを 云 ふを 、 二人 は信 じ て、 直 ち に實方 を討 つ て
取 ら んと 引 き返 す 。 安 國 はな ほも 二人 を欺 き, 邃 に勅 印 を も 預 つ てし ま ふ。 太 刀丸 と平 馬 は 、 姉 の瑠璃 姫 に仇
は實 方 で あ ると 告 げ る の で、 瑠 璃 姫 は 大 い に驚 琶、 父 に對 する孝 、實 方 に對 す る愛 情 の板 挾 み とな り、 兎 に角
今 晩 一晩 だ け は 討 つ事 を 延 期 し てぐ れ と頼 む 、叉 、實 方 は 、急 に家 族 の人 々 の様 子 が變 つ た の で不 思議 に思 ひ、
、
296
家 の外 に隱 れ て、家 内 の 様 子 を窺 ふ。 太 刀 丸 は姉 の頼 み を待 ち か ね て. 一人 實 方 の部 屋 に切 つ て入 るが 、 切 ら
れ た相 手 は 姉 の瑠 璃 姫 な ので大 い に驚 き、 自害 を し よ う と す る 。 此 の體 を 見 て ,實 方 は 飛 ん で出 で 。太 刀 丸 を
止 め て 。 二人 が 狙 ふ 眞實 の仇 は か の安 國 で あ ると 告 げ る ので , 人 々 の迷夢 も 覺 め、 安 國 を追 ひ 懸 け る が、 返 つ
て安 國 の爲 め に, 實 方 の家來 逹 は 討 ち破 られ 、平 馬 も 討 死 を する 、安 國 は意 氣 揚 々と 關東 へ出 立 す る。
の 塋苦 が積 つ て海 岸 に死 ぬ る ので 。涙 な が ら そ の遺 骸 を 茶 毘 に附 し 、
第 四 、橋 本 の戰 敗 れ 、 實 方 . 太 刀 丸 も行 方 不 明 にな つ たと 聞 き 、 瑠 璃姫 は母 と共 に .仇 を尋 ね て東 國 へ出 立 す
る 。奥 州外 が濱 ま で來 た 時 、 母 は な が く
所 の人 に 樣 子 を 尋 ね て、 二 三年 以 前 に .安 國 と 云 ふ人 が帝 の御 判 を 持 つ て 、蝦夷 が島 へ渡 り 、 叉 、安 國 を討 た
んと つけ 狙 ふ實 方 と 太 刀 丸 も 下 つ て來 た 事 を知 る が、 か の島 へ渡 る方 法 な く 、途 方 にく れ て ゐる 所 に、 か ね て
所 願 を 籠 め てゐ た 、愛 染萌 王 の駒 が 現 れ て、 そ の馬 に乘 り 、 難 な く 蝦 夷 が 島 へ到着 す る。
第 五、 安 國 は 蝦夷 が 千島 に て、 か の御 判 を 拜 ま せ、自 ら大 王 な り と威 張 つ て、 島 の人 々を服 從 さ せ て ゐ る。 瑠
うつム
璃 姫 は捕 へら れ て,安 國 の前 へ連 れ 出 され る。 安 國 は 瑠璃 姫 を見 て現を 拔 かし ーそ の酌 で酒 盃 タ傾 け て ゐ る中 、
醉 つ て寢 てし ま ふ。 城 の外 で は .實 方 と 太 刀 丸 が 安 國 を 狙 つ て薦 僣 に身 を 變 へ、 尺 八を吹 き鳴 ら し て徘 徊 し て
ゐ る のを 聞 い て、 こ れも 時 の 一興 と 呼 び 入れ さ せ, は か ら すも , 互 ひ に尋 ね て ゐた 三人 の人 々は 邂 逅 し て ,邃
に協 力 し て仇 安 國 を 討 ち 取 つ てし ま ふ 、
五 段淨 瑠 璃 で は 、第 一段 は事件 の發 端 で、第 二段 が第 一段 を 受 け て、事 件 を 稍 發 展 さ せ 、此 所 に甘 い
瓩 世 丈 景
297
國 文 學 襍 説
ラ ブ シ←
を 挿 ん だ b し て 、 情 緒 的 な 場 璽 見 せ 、 簍 葮 に至 つ て、 最 も ク ラ イ マ ッ ク ス に 逹 し 、 .﹂
98
2
こ に悲 劇 的 な 場 面 を 展 開 さ せ る 。 即 ち 此 の 作 品 で 竜 第 三 段 に 、 恩 愛 と 義 理 と の葛 籐 と か 、 身 替 b と か
云 ふ 、 舊 來 の 歔 曲 で は 、 悲 劇 の常 套 手 段 と な つ て ゐ る 手 法 を 挿 入 し て 、 悲 劇 の高 ⋮
漲 に逹 す る 。 さ う し
て そ の 悲 劇 的 揚 面 の後 に 活 劇 的 な 活 撥 な 場 面 を 見 せ る 。 第 四 段 は 普 逋 道 行 と な つ て ゐ る 。 第 五 段 に 至
つ て目 出 た く 事 件 は 落 着 し 、 は な み 丶 し く 打 ち 出 す 事 に な る。 こ れ が 五 段 淨 瑠 璃 の 作 劇 上 の約 束 と な
つ て ゐ て、 要 す る に 、 第 一段 の發 端 と 、 第 五 段 の 大 詰 は 内 容 的 に は 、 極 め て つ ま ら ぬ 場 面 で あ b 、 第
二 段 の 甘 美 、 第 三 段 の 悲 哀 〃 勇 壯 、 第 四 段 の樂 劇 的 場 面 と 、變 化 あ る場 面 と 情 景 の 動 き に つ れ 、觀 衆 の
目 先 を か へ、 そ の 氣 分 を 轉 換 さ せ る 事 に よ つ て 、 觀 客 の 興 味 を 飽 き さ せ ぬ や う に 、 事 件 を 展 開 さ せ る
所 が 、作 者 の技 術 の上、
手 下 手 の 分 れ る點 で あ る 。 こ れ が 即 ち 、 當 代 の 戯 曲 作 家 の ド ラ マ ト ロギ ー で あ
つて、 近 松 も そ の 約 束 に從 つて作 劇 し て ゐ る。
所 で 、此 の 近 松 の作 品 に樹 抗 し た 西 鶴 の作 品 の内 容 は 何 う で あ つた か 。次 に そ の梗 概 を 記 し て 見 よ う 。
を つ
ら
第 一、 四 十 一代 持 統 天皇 の時 、白 鳳 元年 四月 一日 に、 天 文 博 士 木 津良 の廣 信奏 し て 、新 暦 の 二卷 元嘉 暦 、 儀鳳
さを
暦 の施 行 を 乞 ひ 、 暦 の改 正 を勅 許 し給 ふ。 かく て、此 の事 を 三輪 と 春 日 の兩祗 に報 告 す る 爲 め 、 三條 前 の中 納
よしつ
ら
言兼 政 と大 拌 の朝 臣 忠 頼 と が派 遣 せ ら れ る 、 高 橋 の宰 相 吉 蓮 の忘 れ 形見 朝 顏 の姫 は美 し く 成 長 し た が 。世 間 の
人 々は、 こ れ が 名 家 の息 女 で あ る 事も 知 らす 零 落 し て ゐ る。 此 の度 、籠 に飼 は れ てゐ る鳥 をす べ て放 鳥 せよ と
の命 令 が 出 た ので , 朝 顏 の姫も 手 飼 の 鳥を 放 つ た が、 心 な き 農夫 の爲 め に捕 へら れ た ので 、 そ の不 都 合 を な じ
り 、返 つ て危 難 に遭 ふ のを , 折 柄 、 春 日 下向 の途 中 であ つた 秉 政 に救 は れ る。 姫 の母 君 も 大 いに喜 ん で 、朝 顏
兼 政、 共 に忘 るな 忘 れ じと 固 い約 束 を結 ん で別 れ る。 大 件 の忠 頼 は、 一家 一族 を 集 め 、此 の度 暦 の改 正 に つき 、
蒹 政 は儀 鳳 暦 、自 分 は 元 嘉 暦 を 差 し 上 げ し に 、 兼政 の儀 鳳 暦 が 採 用 と な り 、 飛 鳥 の大 納 言 に任 ぜ ら れ 、憤 慨 に
耐 へな い の で彼 と 刺 し 違 へて死 な う と 思 ふ と 語 る と 、忠 頼 の甥 の豐 浦 の虎 若 が 、い や此 の事 は自 分 に任 せ給 へ、
必す よ き に計 ら ふ積 り で あ る 。 そ れ に つ い て 。計 略 に 必 要な 秉 政 自 筆 の色紙 を 一枚 貸 し て貰 ひ た いと 述 べ、 戸
無 瀬 の宇 右 衞 門 と 相 談 し て、 そ の色 紙 を携 へ、 蘂 政 が富 士 の高 根 に 五丈 八 尺 の赤 銅 の柱 を建 て て天 文 を觀 測 す
ると て 、駿 河 へ出 發 した 後 を 慕 つ て、 二人 の者 も 駿 河 へ發 足 す る 。
第 二、 駿 河 阿 部 川 の廓 の蔦 屋 と 云 ふ揚 屋 で 、 虎 若 は 三條 の大 納 言秉 政 と 名 のり 、宇 右 衞 門 は木 津 良 の廣 信 と 稱
し て登 樓 し 、か の色 紙 を 亭 主 に 與 へて豪 遊 する 中 。僅 かな 言懸 り を つ け て亂 暴 狼 藉 を 働 き 、遊 女 の耳 を そぎ 髪
を 切 つ て逃 げ出 す 。 、
ぞち
第 三 .秉 政 と 廣 信 は 富 士 山 に 登 つて 天 文 を觀 測 し て下 山 す る。 宮 中 で は そ の年 の暮 ,
除 夜 の追儺 の式 も 行 は れ 、
をぬくば
吉 例 の衣 配 り は 、 か の朝 顏 の姫 が宮 中 に 仕 へて名 を宮 内 と 改 め、 宮 女 の業 を 勤 め て ゐ る のに任 せら れ 、老 女 の
帥 の輔 から 種 々故 實 を 轂 は る。 然 るに 、 例 年 三 條 の蕪政 に賜 は ろ筈 の衣 が今 年 は大 件 の忠 春 に賜 は る事 にな つ
て ゐ る の で不 審 を 抱 き 、調 べ て見 る と 、大 納言 兼 政 と 木 津 良 の廣 信 は 、 駿 河 の國 で亂暴 を 働 い た の で .流 人 と
近 世 丈 學
299
}
翻 文.
藁 襍鼬
な つ て配 所 へ流 さ れ る 事 に決 定 し たと 云 ふ事 な ので 、姫 は大 い に驚 き 悲 し むが 、 老 女 の帥 の輔 は兼 政 の母 上 に
引 き 立 てら れ た人 で あ り、 姫 も蒹 政 と 云 ひ交 し た仲 と 語 る ので 、帥 の輔 は姫 を慰 め る。 兼 政 と廣 信 の 二人 は 歸
京 の途 中 , 佐 保 川 の邊 で 召 し捕 ら れ 、 配所 に護 逸 せら れ る。
第 四 、 兼 政 、 難 波 津 よ り船 に 乘 せ ら れ て配 所 へ出 發 す る所 へ、 秉 政 の召 使 ひ で, 衆道 の契 約 のあ つた 右 丸 左丸
の二人 の 少年 が來 り 、 乘船 を願 ふが 許 さ れす 、 船 の出 て行 つ た後 で、 二人 は自 害 し て果 て る。 朝 顏 の姫 も、宮
中 よ り暇 を賜 は つ て 、蓑 政 の後 を 慕び 長 の族 路 を 經 て .配 所 に 到着 す る。
第 五 、大 和 の國 壷 坂 の温 泉 には 難 病 の人 が 多 く集 ま る。 そ の中 に 、安 部 川 の遯 女 も來 てゐ て 、大 納 言 秉 政 の爲
め に耳 を 切 ら れ た ので 、 そ の療 養 に來 て ゐ る のだ と語 る。 そ の 頃 九月 廿 一日 に伊 勢 太 帥 宮 の御 邏 宮 あり 、 そ の
しん み
式 の中 に、眞 の御 柱 と 云 ふ事 が あ るが 、 そ の故 實 が 明瞭 で な い ので 、當 代 の學 者 な る兼 政 と廣 信 を配 所 より 召
をんつね
し 還 し ,關 白 公 經 右 の次第 を 蕁 ね ると 、蕪 政 は明 白 に答 へる 。 つ いで、 忠頼 と對 決 し て、善 悪 を 正 す 事 にな り 、
忠 頼 の方 で は、 か の色紙 を證 據 と し て、 阿部 川 で亂 暴 を 働 いた のは 秉 政 に違 ひな いと 言 ひ張 る所 へ、 證 人 とし
て . 阿部 川 の遊 女 が召 し出 だ され 、 虎 若 の姿 を見 る より 、 大 納 言 兼 政 はあ の人 と 言 ふ の で、 彙 政 の似 せ者 が顯
れ て、 忠頼 一味 の人 々の罪 歌 が 明 白 と な り 、 そ れ ん丶 刑 罰 に處 せ られ て、 兼 政 と朝 顏 の姫 は 結 婚 す る 。
右 の 梗概 の 示 す 如 く、 事 件 の發 展 は支 離 滅 裂 であ b 、入 物 の相 互 關 係 や動 き に連 絡 な き も の多く 、事
件 の内 容 は 餘 b に幼 稚 であ る。 當 時 の低 級 な觀 客 に見 せ る と し ても 、 こ れ では滿 足 す る筈 がな い。 普
300
逋 第 二段 目 にあ る筈 の ラ ブ シー ンが、亀これ では 、第 一段目 の發 端 にあ る。 さう し て、普通 は第二 段 目
にあ る筈 の敵 役 の悪 巧 み が、 此 の作 品 では 第 二段 目 にあ る。 つま り第 一段 と第 二段 と が、 當 時 の普 逋
の作 劇術 か ら云 へば 、入 れ替 つ てゐ る が、 そ れは寧 ろ失 敗 であ つて 、決 し て威 功 し てゐ る と は云 へな
い。 叉 、普 通 第 三段 目 にあ る悲 劇 的場 面 が、 こ れ では第 四 段 目 に あb 、 此 の點 も 、當 時 の作 劇術 と は
反 し て ゐ る。 但 し 、第 三段 目 の終 に活 劇 が あ b、第 四段 が道 行 と な つ て ゐ る事 は 、
近 松 の場 合 と 同 様 で
あ る 。 さ うし て 、第 四 段 目 の悲 劇 的場 面 は 、此 の作 品 の中 で は、他 に全 く無 關係 な、 右 九 左 九 と 云 ふ
二人 の人 物を 出 し て、 圭 從 の訣 別 と 、家 來 の自 害 と云 つた や うな場 面 によ つ て演 じら れ る が、 此 の二
人 の人 物 が觀 客 に全 く 馴 染 の な い入 物 であ るだ け に、 悲劇 が悲 劇 とし て受 け 取 ら れ な いば かb でな く 、
衆 道 の契 約 を 出 し た所 な ど は 、 いか にも 、男 色 女色 の色 道 二道 に才 筆 を 振 つた 淨 世草 子 の作者 ら し い
滑 稽 的場 面 に使 用 し てゐ る が、 こ れ は近 松 の烱 眼 と 云 ふ べき であ る。 第 五 段 の大 詰 に
西 鶴 の面 影 はあ る が 、劇 中 の悲 劇 と し ては 、 不向 で、寧 ろ滑 稽 昧 が あ る。 近 松 は、 そ の作 品 の 中 で、
男 色 を し ばー
至 つて は、餘 り に飽 氣 な い。 近 松 の作 品 に於 け る が 如き 花 々し い打出 し がな い。 かや う に、
簡 單 に述 べ
て來 た 所 でも 、此 の作 品 が失 敗 の作 で あ b 、
當 時 の觀 客 に歡迎 せら れ な か つ た理 由 が明 ら か であ る。 要
す る に、 此 の兩作 品 は、 淨 瑠 璃 の歴 史 か ら見 ると 相 當 興 昧 の深 いも の では あ るが、 そ れ も 、 二人 の文
羝 世 丈 學
D
301
國 文 學 襍 誘
豪 に取 つて は 、決 し て名 譽 な作 品 でも な く 、 下 ら ぬ泥 仕 合 以 上 のも ので も な か つた 。併 し、 更 に考 へ
て見 ると、 近 松 が世 話 物 に手 を つけ て、 そ の眞 價値 を發 揮 す る に至 つた の は、 こ れ よ りも 更 に 二十年
に近 い歳 月 を 經 た後 で あ る か ら、 此 の作 品 の如 き は 、彼 の藝 術 を 品評 す る 上 から は 殆 ど問 題 に な ら ぬ
ので あ る。 西鶴 の作 品 も 亦 、俘 世 草 子 にそ の眞 價 を 現 し た 彼 の藝 術 を 論 す る上 に は、 た ゴ 一作 の、 し
か も 下 ら ぬ作 品 であ る 、此 の淨 瑠 璃 の如 き は、 寧 ろ無 視 せ ら れ る べき で あら う。 で、 結 局 、 兩作 品 を
通 し て見 た 近 松 と 西鶴 の 比較 論 は 、近 松 の方 が定 石 的 に作 劇 術 の型 には ま つ て居 り、 それ だ け 、觀 客
心 理 を つか ん で ゐ て、觀 客 の興 昧 を索 いて行 く 事 が出 來 た が、 西 鶴 の方 は、作 劇術 に無 智 な結 果 、,
支
離 滅 裂 な 作 品と な b 、途 に全 く 失 敗 に終.
つた の だ と云 ふ結 論 に達 し た 他 は、藝 術 的價 値 、 杜 會 的 價値
等 に つ い ては、 全 く 何 ら の云 ふ べき も の も な く 、叉 そ れ程 の價 値 あ る作 品 でも な い乏云 ふ にと ゴま る。
だ が、近 松 の手 腕 が戯 曲 の製作 に最 も す ぐ れ てゐ た事 は、 此 の作 品 の中 にも ほ の か に戚 じ ら れ るし、
同 時 に 、構 成 的手 腕 を要 す る歔 曲 に關 す る限 b では 、 西鶴 は全 ぐ 、近 松 の足 下 にも及 ぱな い事 を 、 こ
こ G 暴露 し てゐ るとも 云 ふ事 が出 來 る。 從 つて、 短篇 小説 作 家 と し て成 功 し た 西鶴 は、 長 篇 小詮 作家
と し て は全 く 不 向 な 入 であ b、 な ほ更 、 歔 曲 家 と し ては全 く 失敗 の人 であ つた 。 こ こ に我 々は作 家 と
し て の 二 つ の型 を見 る。 理智 的 な冷 靜 透 徹 な 、併 し 、 構 成 的手 腕 を 要 す る長編 小説 や戯 曲 など に は不
气02
向 で、 機 智 的 な 短編 小 説 に得 意 の入 と 、 そ れと 正反 封 の傾 向 の作家 と であ る。 前者 の例 と し て は、平
安 朝 の清 少 納 言 、 徳 川 時 代 の西鶴 、近 代作 家 とし て の芥 川 龍 之 介 な ど があ げ ら れ 、後 者 の例 とし ては 、
平 安 朝 の紫 式部 、徳 川 時 代 の 近 松 、近 代作 家 と し ての菊 地 寛 な ど があ げ られ る。
さ て、 西 鶴 の 唯 一の淨 瑠 璃作 品 が失 敗 作 であ つた と云 ふ事 は、 決 し て西 鶴 に取 つて名 譽 な話 では な
いか も知 れ な い が、 併 し 、 叉 決 し て不 名 譽 な話 でも な い。 な せ な ら 、 そ こ に、作 家 の 個 性 がど う にも
な ら ぬ桎 梏 を、 天 賦 を 、 彼 自 身 に與 へて ゐ た事 を 知 る か ら で あ る。 これ は、 失 敗 作必 す しも 文 學 史 家
に取 つて無 硯 せ ら る ぺき 無 價 値 な 作 品 でな い事 を 示 し てゐ る。 こ 丶に 、兩 作 品を 比軟 し て詮 明 し て見
た のも 、 同 じ 理 由 に よ る の であ る。
な ほ 、 以 上述 べて來 た事 は、最 初 にあ げ た 、 同 じ題 材 を 取 b扱 つた近 松 の歔 曲 と西鶴 の小詮 と の、
兩作 品を 比軟 す る事 によ つて、 一
、
暦 明瞭 と せら れ る。 即 ち 、近 松 が淨 瑠 璃 に於 いて、 極 め て複 雜 な 事
件 と巧 妙 な る場 面 の轉 換 と に、 そ の作 劇 上 の明敏 な る頭 腦 を示 した 、 お夏 清 十郎 や大 經師 昔 暦 の如 き
世 話 物 と 同 じ題 材 を 、 西 鶴 は、 好 色 五 入 女 の中 に取 b扱 つて 、或 場 面 、 或 情 景 の斷續 的描 出 や 、印 象
的 な文 章 に、 短 篇 小説 的 手 法 を 用 ゐ て、 極 め て 効果 的 に成 功 し て ゐ る。 此 の好 色 五 人 女 の各 篇 は 、西
鶴 の作
品 03
とし ては珍 し く 長 篇 で、 先 づ中 篇 小詮 と も 呼 ば れ る べ き分 量 を 有 し て ゐ る。 そ れ にも係 はら 3
逝 世 文 學
國 丈 學 襍 読
す 、 事 件 の 蓮 び 方 は 矢 張 b 短 篇 小 説 的 で 、 例 へば 、 お ま ん 源 五 兵 衞 の 情 事 に し て も 、 西 鶴 ぽ 、 先 づ 始
に 源 五 兵 衞 と 中 村 八 十 郎 と 云 ふ若 衆 と の 衆 道 の話 を 記 し 、 つ い で 族 に 出 て 美 童 と 契 る 話 を 書 き 、 か や
も へ ぬ
う な 本 筋 に 關 係 の な い話 を ま く ら と し て 始 に出 し た の は 、西 鶴 の ど の 作 品 に も 見 ら れ る 所 で 、そ れ か ら 、
.漸 く 本 筋 の お ま ん と の 情 事 に 入 る 。 そ れ も 別 に 筋 と 云 つ た や う な も の が あ る わ け で は な く 、 た ゴ 、 お
ま ん が 若 衆 に 身 を 變 じ て、 源 五 兵 衞 と 關 係 を 結 ぶ ま で の情 景 を 描 い た に と ゴ ま b 、最 後 に 、突 然 お ま ん
し い結 末 で終 る のも 、これ が短 篇 小 説 の手 法 と し て見 れ ば受 け 取 ら
の 兩 親 が家 出 し た お ま ん の住 所 を 尋 ね あ て て 、 娘 の 好 いた 男 な ら と て 源 五 兵 衞 に そ の 全 財 産 を 譲 ると
云 ふ、小 説 の構 想 と し ては ば かー
れ る の で あ つて、 あ く ま で も筋 の變 化發 展 に妙 を見 せ る長 篇 小 説 や戯 曲と は全 く異 な つ て ゐ る。
(但
し 、近 代 劇 の 一幕 物 は短 篇 小諡 に類 す る性 質 の も の で あ る)。こ 丶に兩 者 の相 違 が最 も明 瞭 であ る。 且
つ、近 松 の世 話 物 と西 鶴 の好 色 物 と は共 に そ の代表 作 と 云 はれ てゐ る も の であ る から 、此 の方 面 の兩者
の比 較 は 一層 興味 が深 い。或 ひ は、紀 海 音 の八百 屋 お 七 と西 鶴 の好 色 五人 女 の中 の戀 草 から げ し 八 百
屋 物 語 と の比較 、 同 じく 紀 海 音 の心 中 二 つ腹 帶 と近 松 の心中 賓 庚 申 と の比軟 (何 れ も お干 代 牟 兵 衞 の
心 中 を 取 h扱 ふ) な ど 、 海音 を通 じ ての兩 者 の比較 も 可 能 で あ り、此 の方 面 の比軟 研究 は甚 だ盆 す る
所 が多 い の であ る。 (
昭和六年十二月)
ノ
304
◎
近 松 の 曾 我 物 に就 い て
本 稿 は近 松 門 左 衞 門 作 の院 本 の中 、 曾 我 兄 弟 を 取 り扱 つた 十 二 曲 に つき 、 こ れを 種 々な る表 に分 解
類 別 し て掲 げ た も の で あ る。 從 つて、 これ に よ つ て或 結 論 を與 へよ うと し た ので は な い が、 何 ら か の
結 論 を 與 へる材 料 と な す事 は出 來 る。 且 つ、 之 等 の表 は、多 く 近 松 の作 品 の 素材 的 な 方 面 に關 し て ゐ
て、 表 現 の方 面 に關 し て は ゐ な い。故 に、 これ を も つて、 直 ち に文藝 批 評 の材 料 にす る事 は出 來 な い
曾
我
貞 享 二年 二月 一日 (卅 三歳 )
が、 文藝 批評 の出 發 點 に封 す る 一つ の觀 察 點 は、 か うし た 方 面 から も考 へる 事 が出 來 ると 信 す るの で
あ る。
繼
一、竹 本 座 上場 年 月
○世
○ 新 本 領 曾 我 、
元 祿 六 年 五 月 六 日 (四 十 一出
威)
近 世 文 學
305
6曾 我 七 以呂 波 A
義 經追善女舞)
元祿 十 年 七月 十 五日 (四 十 气歳 )
元 祿 九 年 九月 九日 (
四+四歳)
國 文 學 襍 證
○頼朝伊豆日記
O百 日曾 我 (
團扇曾我 )
元 祿 十 四 年 十 一月 一日 (
四 十 九歳 )
元 祿 十 年 + 月 十 三日 (
四 十 五歳 )
○根 元曾 我 (増 補根 元曾 我 )
○曾 我 五 入 兄 弟
○ 本 領 曾 我 (新 本 領 曾我 )
○加 増 曾
寳 永 三年 七 月十 五 日(五十 四歳 )
寳 永 三年 三月 十 七日 (五十 四歳 )
元撃 五年か A
総 驢 瞥 細麌 )
元 祿 十 五 年 五月 十八 日 (五 十歳 )
○曾 我 易 八 景
寳 永 七 年 正 月 二日(五 +八 歳 )
○ 大 磯虎 稚 物 語
○曾 我 虎 ケ 磨
享 保 三年 七 月 十 五日 (六 十六歳 )
我
○曾 我 會 稽 山
一一
、舊作改作物
○ 井 上 播 磨
根 元 曾我 11根 元 曾我 物語 (外 題 年 鑑 )
306
○ 宇 治 加 賀
世繼 曾我 (外 題 年 鑑 )
團 扇 曾我 11 百 日 曾我 (外題 年 鑑 )
本 領 曾我 (外題 年鑑 )
加 増 曾我
曾我 七 つ以呂 波 11義 經 追 善 女舞 (外 題 年 鑑 )
曾 我 五入 兄 弟 = 元 服曾 我 (藤 井 乙 男博 士 説 )
大 磯虎 稚 物 語 (
藤 井 乙 男博 士 説 )
三 、 兄 弟 の年齡 に よ る配 列
○ 頼 朝 伊 豆 日 記 - 後 室 が曾我 の後 妻 に嫁 ぐ所 あ b。
○ 本 領 曾我 - 兄 弟 の父 の暗 殺 よ b兄 弟 の幼 時 由 井 ケ濱 に て切 ら れ ん と す るを 助 か る所 ま で 。
○ 根 元 曾我 - 兄 弟 の母 が曾我 の後 妻 に嫁 ぐ 所 よ あ兄 弟 の幼 時 由 井 ケ濱 に て切 ら れん と す るを 助 か る
所 ま で。
○曾我七以呂波-+郎虎御前に馴初 めよb仇討の前年まで・ 近 世 文 學
緲
國 文 學 襍 読
○ 大 磯虎 稚 物 語 - 十郎 虎 御前 既 に馴 染 める所 よb 富 士 の卷 狩 迄 。 8
0
3
0曾 我 五入 兄 弟 - 十郎 虎 御 前 既 に馴 染 め る所 よ b富 士 の卷 狩 迄。.
○曾 我 虎 ケ磨 - 五郎 の元服 よ b時 宗 捕 はれ ま で。
○ 曾我 扇 八景 i 仇 討 の前 年 よ b仇 討 迄 。
○ 曾我 會 稽 山ー 仇 討 當 日 の朝 よ り 時宗 捕 は れ ま で 。
○ 加 増 曾 我ー 時 宗 少將 馴 初 めよ b裾 野紳 肚 建 立 迄 。
○百 日 曾 我 ー富 士 卷 狩 よ b裾 野神 肚 建立 迄。
○世 繼 曾 我 - 時 宗 捕 はれ よ b 十郎 =+砧 若出 世迄 。
以 上を 逋 じ て、 兄 弟 の父 の怨 を 買 ひし原 因 よ b 、暗 殺 せ ら れ、 邃 に兄 弟 は父 の仇 を報 じ て十 郎 の こ+
出 世 す る ま で、 一貫 し た る筋 を 書 け る事 と な る。
四 、 主要 人 物 に よ る分 類
○ 兄 弟 の 爾 親 が中 心 入 物 と な れ る。
根 元 曾 我 。 本領 曾 我 。
○ 兄弟 が中 心 人 物 と な れ る。
釀
葵越
入
語
[ 兄弟 霧
・
我
否
・
加墸 曾
・
一
・
一
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一
・ 皿
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百 日 曾我 。 曾我 五 人 兄弟 。加 増 曾 我 。 曾 我 易 八景 。 曾我 虎 ケ磨 。 曾 我 會 稽 山 。
世繼 曾我 。 曾 我 七 以呂 波 。 大 磯 虎稚 物 語 。
○ 虎 御 前 が中 心 入 物 と な れ る。
五 、 登場 人 物 一覽表
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○根 元 曾我 第四 段。
○本領曾我第四段。
○ 曾 我 虎 ヶ磨 中 之 卷 母 の 物 語 b に 。
七 、 時 宗 の元 服
○ 曾 我 五 入 兄 弟 第 三 段 - 少 將 に よ つ て。
○ 加 増 曾 我 第 一段 - 女 髪 結 に よ つ て 。
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△、 ×、□符 は各 々類 似的地位 の人物 たるを表 す。
右 の表 は、互 ひに關係 深き者を並 べ記したり。
贈
○ 曾 我 扇 八景 上 之 卷- 箱 根 の別 當 に よ つて。
近 世 文 學
313
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國 文 學 襍 読
摺
引
○曾 我 虎 ケ磨 上 之 卷 - 北 條 時政 によ つて。
八 、草
○ 曾 我 五 入 兄 弟第 三段- 揚 屋 に て打 帶 を引 張 る。
○加 増 曾 我 第 一段 ー 二所 權 現 にて馬 を 引 張 る。
○ 曾 我 易 八景 中 之 眷- 虎 御前 の 物語 に て。
○ 曾我 會 稽 山第 一段 i 二 の宮 と 榛谷 と。
○ 本領 曾 我 第 三段 - 熊 野 と み さき の前 と が花 を 引 張 る。
九 、 安 宅 の關 の模 倣
○ 百 日 曾我 第 二段 -津 倉 入 道 時 宗 を打 つ事 並 に傾 城 請 状。
下 之 卷i 傾城 三部 經。
○ 曾我 扇 八景 中 之 譽 ー 砧 成 母 を 打 つ。
同
下 之 卷 - 虎 少將 小藤 太 の前 にて勸 進 帳 を よ む 。
○ 曾 我 虎 ケ磨 中 之 卷 ー 母 が時 宗 を 打 擲 し て梶 原 の前 を つくら ふ。
同
十 、 虎 少將 と防 成 時 宗 と の情 事
314
○曾 我 七 以呂 波 第 三段ー 砧 成虎 御前 馴 初 め。
○曾 我 五人 兄 弟 第 三段 -時 宗 少 將 馴 初 め。
○ 大磯 虎 稚 物語 第 三段ー 砧 成虎 御前 の不實 を 怒 る。
○加 増曾 我 第 一段 ー 時 宗 少將 馴 初 め。
○ 曾 我 虎 ヶ磨 上 之卷 1 虎 少 將 と 五郎 十郎龜 菊 の 手引 に て逢 ふ。
十 一、虎 少 將 富 士 の狩 屋 へ慕 ひ 來 る事
○ 加 増 曾 我 第 三段 。
○曾我扇八景下之譽。
○曾 我 虎 ケ磨 下 之 眷
○曾 我 會 稽 山第 四 段 。
十 二 、朝 比 奈 三郎 砧 經を 苦 し む る事 (
及 び そ れ に類似 す る事 件 )
○ 世繼 曾 我 第 一段 i 朝 比 奈 五 郎九 爭 論 。
○曾 我 七 以呂 波 第 一段 -範 頼 砧 經 よ b 兄弟 を 助 く。
○根 元 曾 我 第 一段 - 朝 比 奈砧 經 を懲 し て曾 我 砧 信 の難 儀 を救 ふ。
逝 世 文 學
315
國 丈 學 襍 読
○ 百 日 曾 我第 四段 - 朝 比 奈禪 師 坊 を 助 け 海 野 を 苦 しむ 。
○ 曾 我 五 入 兄 弟第 三段 - 朝 比 奈紡 經 の奸 計 を 曝 く 。
○ 加 増 曾 我第 一段 。
同 第 四 段- 朝 比 奈伊 東次 郎 より 虎 少 將 を 救 ふ。
○ 曾我 扇 八景 第 一段 - 朝 比 奈 飯 原 左 衞 門 を 苦 しむ 。
○ 大 磯虎 稚 物語 第 一段 ー 本 田 次 郎 番場 忠 太を 懲 す。
○ 本 領 曾我 第 四 段ー 本 田 次 郎 防 經 を 懲 す 。
○ 曾我 虎 ケ磨 上 之卷 i 朝 比 奈 五 郎 九 よ b虎 少 將 を 助く 。
十 三 、 時宗 の勘 當 及 び勘 當 御 菟 の揚
O曾 我 七 以呂 波 第 五 段
○ 曾 我 五入 兄弟 第 二段 。
○ 同 第 四 段。
○ 大 磯虎 稚 物語 第 四 段 。
○加 増曾 我 第 二段 。
316
○ 曾我 扇 八景 上 之卷 。
同 中 之 卷 。
同 下 之 卷 。
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曾稽 山第 三段 。
○ 曾 我 虎 ケ磨 中 之 卷 。
十 四 、 道 行
O世 繼 曾 我 第 三段 -虎 少 將 道 行 (大 磯 よ り曾 我 の里 へ)。
○ 曾 我 七以 呂 波 第 四 段- 水 向 參 道 行 (虎 少 將 が大 磯 よb相 模 寺 へ)。
○ 百 日 曾 我 第 四 段 i虎 少將 道行 (
曾 我 の里 よ り松 枝 の 里 へ)。
○曾 我 五 入 兄 弟 第 四 段- 虎 少 將 道行 (蓬 莢寺 へ)
。
○加 増 曾 我 第 四 段- 素足 の道 行 (
虎 少 將 越 後 の府 へ)。
○曾 我 虎 ケ磨 中 之 譽 -虎 少將 道 行 (
裾 野 へ)。
○曾 我 會 稽 山第 四 段 -虎 少將 遯 行 (
狩 屋 へ)。
○ 大 磯 虎 稚 物語 第 二段 1 し つか 道 行 。
逝 世 丈 學
317
國 文 學 襍 説
○根 元 曾我 第 三段 - 兄 弟 の母道 行 。
○曾 我 扇 八 景 下 之 卷 - 曾我 兄 弟道 行 。
○本 領 曾 我 第 四 段- 落 花 の道 行 (一万 箱 王由 井 ケ濱 へ)。
十 五 、 形見 遞 り
O世 繼 曾 我 第 三段ー 後 室虎 少 將 の携 へた る兄 弟 の形 見 を見 る。
○曾 我 五入 兄 弟 第 五 段 ー京 の小 二郎 形見 を 渡 す 。
○曾 我 扇 八景 下 之卷 - 虎 ケ石 に て馬 に つけ て淦 る。
○ 曾 我 會 稽 山第 三段 - 手 紙 を書 ぐ 。
○ 曾我 虎 ケ磨 下 之卷 ー 鬼 王 團 三郎 二 の宮 へ持 參 す 。
○ 加 増 曾 我第 三 段1 兄 弟 の 母 が虎 少 將 へ渡 す。
十 六 、 揃 物 、景 事
○ 世繼 曾我 第 一段 ー 獲 物揃 。
O根 元曾 我 第 一段- 男 揃 。
○ 百 日 曾 我第 五 段- 歌 仙 。
318
第 三段 1 つはも の揃 。
0曾 我 五入 兄 弟 第 二段- 小袖 紋 づく し 。
同
○ 大 磯虎 稚 物 語第 一段- 首 實 檢 。
同 第 五段 ー 御狩 馬 揃 。
○加 増 曾我 第 二 段- 新 町 天 紳 づく し9
0 曾我 易 八景 中 之卷 - 提 灯 紋 づく し。
○ 曾我 會 稽 山第 一段 - 獲 物揃 。
同 第 四 段 i 提 灯 紋 づく し (遊 女)。
O 本 領 曾我 第 三段ー 新 町 太夫 づく し 。
○ 曾 我 虎 ケ磨 中 之 眷 - 武者 揃 。
十七、舞、節事
○ 世繼 曾 我 第 五 段ー 風 流 舞 。
○曾 我 七 以呂 波 第 一段- 靜 の舞 。
同 第 三段 ー 虎 少 將 の相 模 舞。
近 世 文 學
314
國 文 學 襍 詭
○加 増 曾 我 第 五段 ー 源 平 合戰 。
十 八 、 仇 討 の描 寫
○曾 我 七 以呂 波 第 五段- 兄 弟梶 原 を 討 つ﹃
○ 世繼 曾 我 第 四 段- 虎 少 將 御 所 五郎 九 新 關 と荒 井 を 生 捕 にす9
0 百 日 曾我 第 三 段。
○曾 我 五 入 兄弟 第 五 段 ー 兄 弟 夢 に仇 を 討 つ。
○ 大 磯 虎 稚 物 語第 五 段ー 兄弟 番場 の忠 太を 討 つ。
○加 増 曾 我 第 三段 。
同 第 四 段 - 禪 師 坊 京 の小 二郎近 江 八幡 を 討 つ。
○ 曾我 扇 八景 下 之 卷 ー 鬼 王 團 三郎 遽景 に見 る。
○曾 我 會 稽 山第 四 段 。
○ 本 領曾 我 第 五 段ー 鬼 王 團 三郎股 野 五郎 を討 つ。
切
○ 曾 我 虎 ケ磨 下 之 卷 - 二 の宮 が逡 景 に見 る。
十 九 、 + 番
320
○ 世繼 曾我 第 三段 ー 虎 少 將 十 番 切(虎 少 將 の物 語)。
○ 百 日 曾我 第 一段 - 猪 の十 番斬 。
○加 増 曾 我 第 三段 ー 夊 十 番斬 (虎 少 將 の譬 へ)。
○曾 我 扇 八 景 下 之 卷ー 十 番斬 (鬼 王 團 三郎負 傷者 を見 る)。
○曾 我 虎 ケ磨 上之 卷 - 傾 城 十 番斬 (
虎 少將 が客 を振 る)。
二十 、 五郎 五郎 九 を抑 ふる事
○ 曾我 會 稽 山第 五段 。
○ 曾我 虎 ケ磨 下 之 卷 。
此 の他 五郎 の勇 猛 の例 多 し。
一一
十 一、 仁 田 四 郎 の猪 退 治 、 本多 次 郎 近 經 の鹿 論
○ 世 繼 曾 我 第 一段ー 本 多次 郎 近 經 の猪 退 治 の功 名 、 帳 に つけ ら る。
第 二 段 -本 多 次 郎 近 經 の鹿 狩 。
○ 百 日 曾 我 第 一段 - 仁 田 四郎 忠 常 の猪 退 治 。
同
○ 曾 我 扇 八景 下 之 卷ー 本 田次 郎 熊 を 射 る事。㌦
近 世 丈 學
321
國 丈 學 襍 説
O 曾 我 會 稽 山第 一段 -訪 經 の妻 阿 古 屋 と義 盛 の妻 巴 の鹿 論 。
○ 曾我 虎 ケ磨 下 之 卷ー 仁 田 四 郎 の猪 退 治 。
二十 二、 兄 弟 の遣 族 の幸 輻
○ 曾我 易 八景 下 之巻 1 ﹁兄 弟 は荒 入 神 の神 領 に三 百町 老 母 が後 家 領 三百 町 。
﹂
○ 世繼 曾 我 第 五 段1﹁即 ち 先 祗 の知 行 宇佐 美 久須 美 河 津 の庄 祐 若 に得 さす るなb 。
﹂
○ 百 日曾 我 第 五 段ー ﹁裾 野 の肚 に御 參 詣 ⋮ ⋮ 河津 の本 領 三萬 町 安 堵 の御 判 の墨 色 も 云 々。﹂
○ 加 増 曾我 第 五段 1 ﹁河 津 が本 領 に相 添 へ曾我 の別 所 二百 餘 町 を加 増す べし 。
﹂
(
大正十二年二月稿)
322
俳 諧 源 氏 ミ田 舍 源 氏
にせ
むらさき
柳 亭 種彦 の偐 紫 田 舍 源 氏第 三編 の卷頭 に拠 の如 き 記事 があ る・
全部引書目録
源氏提要 源氏小鏡 十帖源氏
をさな源 氏 源氏鬢鏡 紅白源氏
雛鶴源氏 若 草源氏 源氏若竹
風流 源氏物 語 新橋姫物語 一名都の辰巳
以下淨 瑠璃
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ノ ノ
源 氏六條通 弘徽殿 うはたり討 葵 の上
弘徽殿鵜 羽遼家 謠曲數種
近 世 丈 學
323
國 文 學 襍 説
俳諧源氏嬬 諺 蠣 濾数 讖たるが
こ 丶に掲 げ ら れ た 欝籍 の内 客を 知 り紀 いと 思 つて、 祁 當 の苦 心 を拂 つた。 淨 瑠 瑠 物 の丶 源 氏 六條通 、
ノ
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弘徽 殿 う は な b討 、 葵 の上 、 弘徽 殿鵜 朋 産 家 の四 曲 に つ いては 今 の問 題 と は なら な い、謠 曲數 種 と あ
る の も問 題 外 で あ る。 こ れ ら の も のを 除 いた他 の書 に つ いて 、 可 成 り注 意 を 拂 つ て來 た 。最 初 の源 氏
提 要 と源 氏 小 鏡 は、 源 氏 物語 の梗 概 書 の中 でも最 も 流 布 し た本 であ つて 、此 の引 書 目 録 の中 に は出 て
ゐ な い が、源 氏大 鏡 と 並 ん で、 三名 著。
と いふ事 が出 來 る。 源 氏提 要 は 、跋 文 の終 に
永享四年 八月十 五日 上總介範政在判
と あ る 六册 本 が其 であ ら う 。 六眷 十 二册 本 と し た 本 も あ る。 範 政 は今 川 了 俊 の兄範 氏 の 孫 で 、萬 葉 學
にも 開 係 の あ る入 であ る。 此 の 入 は源 氏 學 萬 葉 學 上 に忘 れ る事 の出 來 ぬ人 であ る。源 氏小 鏡 は又 源 氏
木 芙 蓉 、 源 氏 目 録 、源概 抄 、源 氏要 文 抄 、
源鏡草 、
源 氏 の註 小 鏡 、
源海集 、
源 氏 抄 、源 氏 後 品 、
源 氏 秘 傳 書等
種 々の名 を持 つて 、版 本 も 慶 長 十 五年 の活 字 版 、元 和 寛 永頃 の活 字 版 二種 、以下 、
慶 安 四年 版 、明 暦 三年
版、
寛 文 六 年 版 、延 寳 三年 版 、
明 和 三年 版 .
寛 延 四年 版 、及 び刊 年 不詳 版 等 數 多出 てゐ る。中 には同 じ 版
木 を 用 ゐ て、 刊 年 だ け 埋木 し て變 へた や う な も のも あ る。 寫 本 も亦 甚 だ 多 い。 寛 延 四年 版 に は臨 江齋
紹 巴撰 と あ る が信 じ ら れ な い。源 氏 の註 小 鏡 と題 した 寫 本 に(尤 も此 の寫 本 は善 本 で はな い、
大分省略
324
の加 へら れ た跡 があ る)、﹁
、
勝 定 院 殿 へ耕 雲 進 上 ﹂ と 卷 首 に記 さ れ て ゐ る方 が信 用 せら れ る。 加 持 井 御
文 庫 本 の源 氏抄 にも ﹁勝 定 院 殿 耕 雲 ﹂ と あ る。 即 ち 花 山 院耕﹁
雲 が將 軍藍
我持 へ奉 つた も のと いふ。
一
論 に長 慶 院 御 作 と も いふ の は信 じ ら れ な い。 叉 、耕 雲藤 原 長 親 が長 慶 院 へ奉 つた も の と も云 は れ てゐ
る。眞 疑 明 ら か でな いが 、
耕 雲 の作 で あ る事 だけ は確 かで あ ら う。 目 上 の人 に奉 つた も の であ る事 も 文
章 がこれ を 示 し てゐ る。十 帖 源 氏 +册 はを さ な源 氏 十 眷 五 册 と 共 に野 々 口立 圃 の書 作 で あ る。 十帖 源
氏 は萬 治 四年 刊 と いふ が、此 の刊 記 のな い本 もあ る。 十 帖 源 氏 を 更 に簡 單 に し て五册 にま と めた も の
がを さ な源 氏 で あ つて、 松 會 開 板 の本 も あ るらし く、 又 寛 文十 年 と 奥 に記 し た 本 にも 二種 あ つ て、 一
は 八 尾 勘 兵 衞 梓 行 と な つて居 b、 他 は 山本義 兵衞 梓行 と な つ てゐ る が、中 は全 く同 じ版 木 を 用 ゐ てゐ
て變 砺 はな い。次 に、源 氏鬢 鏡 一册 は、 他 の書 と甚 だ 趣 き が違 つ て、繪 を 圭と し た 本 であ る。 小島 宗
賢 、 鈴 村 信 房 の共 著 にか 丶b 、菱 川 風 の繪 が毎頁 入 つ てゐ る。 五 十 四帖 一頁 づ 丶の繪 の頭 書 にそ の繪
の簡 單 な 読 明 があ b、 自 然 梗概 にふ れ て ゐ て 、文 章 の終 にそ の卷 名 を 詠 み込 ん だ蓮 歌 師 の發 句 が 一首
づ.
\掲 げ ら れ て ゐ る。 序 文 に、 源 氏 小鏡 を更・
に簡 單 に し 、見 易 から し めた によ つて、 そ の名 を 襲 ひ鬢
形屋糎 元和七震
は萬 治版の竊
本 で・ 嬬
源氏道芝﹂と題すG冊
罍 版高 纛
形
鏡 と題 し た 由 に記 され て ゐ る のを 見 れば 、 こ れ亦 一種 の梗 概 書 とし て取 り扱 はれ た のも 不當 で な い。
萬 治 三年版 驫
迸 世 文 學
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ズ 屋 版 ・ 後 天 和 三年版 も あb と見 え・ 再
架
に つ いて は ・劣
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飜 譯 の糞 出 た事 になる。
杢 ハ年
見 てゐ な
で あ る。 紅 白源 氏 讐
だけ は初 版 本 を 秀
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(の次 の 三書 、紅 臼源 氏 、雛 鶴 源
雑
萬 治 版 改 刻 し て天 和版 が出 で 、 そ の同 じ 版木 を 用 ゐ て、 終 に蓮 歌師 の義
兩名 の系 統 も そ の中 に出 てゐ る)。 こ れ は萬 治 版 に はな い。此 の改訂 本 は ﹁
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源 氏 繪 寳枕 ﹂ と
に し て・ 本 を開 い た 左 頁 に繪 を 置 ﹄、
㌧、 右 頁 に 文 章 を 置 い た 。 而 し 〆
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、、 終 に連 歌 師 の 系 統 圖 が 加 は つ て
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題 し て ゐ るQ雰
導
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か でな い所 が多 い。 此 の 三書 の中 、 薑
は享 堡 ハ年 版 で、 若業
であ る^
、紅 白源 氏 には 次 の如 き 豫 告 がの つて ゐ る。
鶴 源 氏 も・ 私 の見 架
氏 ・ 若草 源 氏 に つ いて 罐
い・ 譱
版 で紅葉 賀花 宴 二眷 の馨
よ ると紅葉賀花宴 二卷 の飜鐸 外る紅 白源氏 の後 に、廻 箒 木馨
此次段 々板行仕源氏物語俗懈抄と各付全部仕候追付桐壷 はゝ木 ゝ之兩卷全六冊開 板
こ餮
源 氏 物 が たり は ・帚 木 のす ゑ よつ かき 出 せ るこ と を本 意 なく と、 朝 夕 耳 か しが 串小し き ま で霪
そ の書 は、 俗 解 源 氏 物 語 と云 つて 、次 の如 き序 文 が あ る。
蓄
せが ま れ て・ いな び が た く .桐 壺 の卷 より は じ 犖 、.葉
の雨 夜 の・響 だ め 、な を わ か芒
詮
226
ぞくげ
所 ま でか き つぎ て、 俗 解 げん じ も の がた り と 名 つく るも の なら し。
干時 寳 永 七 の年 初 春吉 祚 日=
梅翕 書
こ れ ら の 諸 本 の 關 係 に つ い て は 、 最 近 藤 井 乙 男 博 士 が次 の 如 く 読 明 し て 居 ら れ る 。 冖
風流 源 氏 物 語 の後 を績 いた人 に隱 士梅 翕 が あ る 。洛 陽 散 人 と名 乘 つ てゐ るか ら これ も京 の人 だ ど
若草源氏 寳永四年 帚木の末i 夕顏
雛 鶴源氏 同 五年 若紫末摘花 ㌧
・、
紅白源氏 同 六年 紅葉賀花宴
最初は都 の錦 の後を承けてやつたも のゝ.後 にはいつそ始 から自分 一人 で揃 へて見 ようといふ氣 にな つた
も のか、寳 永七年 に俗解源氏と題し て桐壷 から帚木 の始 までを書 き加 へた。是等 はいつれ本原本 以上に餘
計な好色分子を加 へてゐ ること ば勿論 である。此後 、正徳 四年 に新 橋姫物語 (
きし女作)と いふ宇治十帖 の
俗解 が出來 た,
同 じく源氏 に據 つた著作でも、初期には稚源氏、+帖源 氏など訓篆 を目的 としたも のであつた、それが
元祿 にな うと今樣 の好色物語と 化し,後期 には 田舍源氏 の如 を勤黴主義 のも のと なつた。
(奮版日本文學講
27
ー座第 十六卷iー江 戸文學概詮)
3
迸 世 丈 學
國 丈 學 攘 誕
こ れ に よ つ て、
俗 解 源 氏 の最 後 に出 版 せ ら れ た 事 情 が明 ら か と な つた。 即 ち 、都 の錦 の作 にか 丶る風 28
3
流 源 氏 物語 六册 は元 祿 十 六 年 の刊 行 で、 桐 壼帚 木 兩 譽 の俘 世草 子風 の飜 譯 、 これ を 受 け つ いで 、梅 翕
が寳 永 四年 以後 毎 年 帚 木 以下 の 俗譯 を 出 し、 後 に立 ち戻 つて 桐壼 帚 木 の譯 な る俗 解 源 氏 を出 し た も の
で、 冊 數 も 風 流 源 氏 の其 と等 しく 何 れも 六册 とし た 。 更 に、若 草 源 氏 以 下 俗解 源 氏 に至 る四部 の書 は、
後享 保 六年 に何 れ も再 刊 せら れ た らし い。 自 分 の見得 た 雛鶴 源 氏 も そ の再 刊 の分 であ ら う 。初 版再 版
と も に江 戸 の書 林 山 口屋権 兵 衞 の版 で、 何 れ も署 者 梅 翕 の版 下 、 且 つ奥 村 政 信 の挿 繪 入 で あ る。 夏 に
俗 解 源 氏 以下雛 鶴 源 氏 ま で の三部 十 八巻 は、 元 文 三年 に順 位 を 正 し て 合 本刊 行 し た 後 刷 本 が出 てゐ る。
か く て、 これ ら の書 は 、初 版 本 の他 、再 刷 本 、 三刷 本 ま で出 てゐ る わけ で、 そ の世 に行 はれ た事 が分
る と共 に、 さ う云 ふ事 情 で、 關 係 が複 雜 と な り 、種 々疑 は し い所 も 生 じ た わけ であ る。 右 の中 、風 流
源 氏 物語 と紅 白 源 氏 物 語 と は近 世 文藝 叢 書 に入 b 、紅 白源 氏 物語 は帝 國 文 庫 の珍 本全 集 にも 入 つた 。
さ て、種 彦 の引 書 目 録 に見 え る新 橋 姫 物 語 は 未見 の書 で あ る が、 こ れも 、 右 の藤 井 博 士 の解 詮 によ つ
て、大 體 想像 が つく 。かく て、此 の引 書 目 録 の申 、全 く 不明 の本 は源 氏若 竹 と俳 諧 源 氏 と で あ る。 源 氏若
竹 は、若 草 源 氏 と風 流 源氏 物 語 と の問 に記 され てゐ る事 によ つて 思 へば 、
同 樣 に俘 世草 子 風 の飜 譯 の書
か も知 れ ぬ。 此 の名 は嘗 つて私 の知 ら な い所 で あ つて 、 是非 江戸 文學 專 攻 の博覽 の學 者 の御 示 教 を得
た いと願 つ てゐ る本 の 一つで あ る。 最 後 に俳 諧 源 氏 があ る 。 俳諧 源 氏 につ いては 、日 本 名 著 全集 本田
舍 源 氏 の解題 の中 で、 山 口剛 氏 が次 の 如く 述 べら れ てゐ る。
更 に﹁
俳諧源氏﹂は、卷中 の歌 を俳 句にしたこ とに於 いて 一段 と重要 であ つたらう、種彦は その名を忘 れた
と いつてゐるが、 それ 綾建 部綾足 の作を さし ていふのでな いかといはれ てゐる。
だ が俳 諧 源 氏 は稀 覯 書 とし て從 來 多 く 知 ら れ な か つた本 で あ る。 山 口氏 自 身 、他 の引 書 目 録 に出 た書
は 、そ の本 文 を 引 き 、 可 成 b 詳 しく 田 舎 源 氏 と比 較し て居 ら れ るが 、 俳諧 源 氏 に至 つ ては 、少 し へそ
の本 文 を 引 いて居 ら れ な い、前 記 の簡 單 な數 行 の論 明 が あ る の み、藤 井博 士 も亦 此 の書 に つ いて は少
しも 觸 れ て居 られ な い。 即 ち こ 丶に俳諧 源 氏 を 紹 介 し て、 いさ 丶か 田舎 源 氏 と の比較 に及 ぱ うと す る
所 以 で あ る。
つ いで に付 け 加 へて おき た い が、 種 彦 は引 書 目録 と し て、 前 記 の十 數 書 を あ げ た。 併 し これ が種彦
の引 書 の全部 で な い事 は勿 論 であ る。 此 の他 にも 、確 か に種 彦 の・
參考 し た も の が數 種 あ る。 御前 義 經
記等 に つ いて は既 に先 入 の言 及 し た所 、 そ の他 には お伽 草 子 の花 鳥 風 月 がそ の 一に數 へら れ る、 田舍
源 氏第 十 三編 花 鳥 と風 月 の姉 妹 の 梓巫 子 の出 て來 る條 を 讀 めば 思 牛 ば に過 ぎ よ う。 云 ふま でも な く、
お伽 草 子 の花 鳥 風 月 は、 源 氏 物語 の影響 文 學 と し て有 力 な るも の の 一つであ る。
迸 世 丈 學
3'9
國 文 學 襍 読
私 は 種 彦 の 引 書 目 録 に あ げ た 俳 諧 源 氏 を 見 た い と 久 し く 願 つ て ゐ た 。 そ の 書 は種 彦 さ へ、 若 年 の 時
見 た だ け で、 今 求 む れ ど も 得 な いと 云 う て ゐ る 位 で あ る か ら 、 稀 覯 書 に違 ひ な いと 思 つ て ゐ た 。 そ の
書 を ば 、 佐 々木 先 生 の 御 斡 旋 で 、 大 島 雅 太 郎 氏 所 藏 の 寫 本 を 恩 借 す る 事 が出 來 て 、 親 し く 通 讀 す る 事
を 得 た の は 望 外 の 喜 び で あ つ た 。 本 書 は 全 十 册 よ b 成 る (但 し 大 島 氏 所 藏 本 は 第 七 眷 が 缺 本 と な つ て
ゐ る )。牛 紙 判 の 寫 本 で 、 所 々 に本 文 と 同 筆 で 頭 書 が記 し て あ つ て 、 本 文 の 語 法 の 誤 れ る箇 所 や 、 文 句
の 穩 當 で な い所 を 指 摘 し 、 そ の 他 の 批 評 が簡 單 に 記 し て あ る 。 其 に 渡 ﹁輝 云 ﹂と あ る の で 、 此 の人 が 書
寫 し た 寫 本 で あ る と 思 は れ る。
本 書 が 建 部 綾 足 の作 な る 事 は 、 次 の序 文 の あ る 事 に よ つ て 疑 ひ な い 。一
自序
源 氏物 が たり 人 の か し け るを 、 こ ゝか し こう つ し見 る に 、 た ゞ我 こ の む俳 諧 の やう にぞ お ぼゆ る。 故 人何
ぞ ぬめ り た り と いひ け る や 、 俳 は た ゞ た は ぶれ て 、諧な た ゞや は ら ぐ る と .いや し く く ねり た るこ と ば をも
て あ そ び、 此 物 がた り のは いか いは . つひ に さ と し 得 ざり し也 。 さ は 、我 さと し たり と いは ん に似 て 、 い
そに てう そ に あ らす と のみ見 ゆ れ ば 、
是 俳 諧體 の ひ と つ な ら ん。ま た み じ かく て さび し き も のは長 うし 、 あ
とを こ が まし く 、 か た はら いた し 。 おほ よ そ物 が た り の 一部 は 、 いつ れ より え た るお も む き そ や、 た ℃う
33ゥ
かむ と こ ろ は と み に 止 む。 是 句 作 の ふた つな り 。 は た み つよ つ とゆ び をら ば 、 筆 つ かれ な んQ け し き に い
・末摘花 の臥彜
ところ ・袖にあまり驚 誓
ど・を かしからす や・あ
た り ては ,須磨 の波 風 に世 も つ き ぬ べき 樣 、 ま た あ てな るこ と は、 物 が たり の つ ねな れ ば 、 い ふも さら な
り。近江がすぐろ-に聲 嫉 譴
る は 、 と も か う も なり は て む と、 浮 ふね の むね にこ た へし 、 世 を宇 治 川 の水 の晋 .是 はた あ は れ あ さか ら
す 。 ま し て四 の時 のは か な く う つり かは れ るよ り . み やこ の中 のむ つ か し さ も 、 山 かく も の おほ つ か な さ
も 、 六 より 十 ま でか ぞ へつ く べし。 さ て筆 の至 ゐ とこ ろ は .聞 人 あ るま じ と おも ひ か へさす 、 こ ムを た ち
か し こ を きり 、 皆 や つし た る物 な れ ば 、 我 俳 諧 も かく こ そ い と お も ひ お よ ぶ めり 。 あ な た ふ と、 いか な る
人 に て 、 か くば かり こ ゝろ の高 さ、 いと 我 百と せ後 の人 に あ ら ねば 、 是 を み ては 、 いと も 身 のほ ど のつ た
な さも おも ひや るべ し 。 ま た た ふ と き︽ ま に こ ゝ ろを くば り て、 し つ か に物 の さまを 觀 す る 人 には 、 ま こ
と に、 か の枕 を か らす し て 、 い そぢ の夢 は見 は て ざ らめ や。 此 人 生 れた り と嬉 し け れば 、 あ の人 な く な り
て いと さう ん丶 しく 、爰 に琴 笛 の音 を き く か キす れ ば 、 か し こ に、 は かな 矯す ぐ せを な げく , か く卷 か へ
し て見 も てゆく に 、 此 人 のす ゑ は い か ゞ たら む と .あ す を ま た れ 、 まち う けれ ば 、 は や う せ つ るな ど ・ げ
に かげ ろ ふ の手 に と ら れ ぬこ ゝち す る も 、 そ じう に 春 の 日數 たち て ,窓 う つ雨 の音 を聞 、ば い花 も いろ い
ろ に吹 ち る こ ろ 、 わ れ い つし か爰 にき た り て。 こ の よし な し ご と をう つし と め きやo
寛 延 二や よ ひ
近 世 丈 學
331
國 丈 學 襪 譌
・
凉 岱 法 師 書 於 上州 凉 原 亭 32
丙
∂
印 ち ・ 寛 延 二 年 の 成 稿 で ・ 上 州 の 凉 原 亭 に 記 し た と あ る 。 時 に 凉 岱 年 三 十 一才 で 、後 年 、西 山 物 語 (明
和 五 年 の 序 あ b)や 、 吉 野 物 語 (明 和 十 年 の 序 あ b )を 著 は す よ り も 、 は る か 以 前 に常 "
。、 (凉 岱 後 に凌
岱 と改 む )
本 文 は 原 物 語 の 各 譽 別 に な つ て ゐ て 、 そ の 中 が 更 に 小 見 出 し を 以 つ て 分 虎 れ て ゐ る。 一例 を 示 す と
次 の如 く で あ る。
たうこ ゑん
桐壷 更 衣 の名 あ る事 井 桐壷 園 ゴ
光 子 が 事井 更 衣 の わ かれ
長 恨 歌 井 相 人 光 子 タ見 る ・ 一
し.
とう
こ を にやう
藤 壷 殿 に入 る井 光 子葵 上 の む す び
塞 蝉 嬋 のも ぬけ `
箒 木 し な さだ め
くうザん
光 子室 蝉 の閨 にし の ぶ
夕 顏 五條 わた り の事
●
六 條 じ
ゆんし
わ
の女 の事井蕣花 が事 .
夕顏 の宿井何がし の院 にう つる
六條 の女鬼 となり來 る事井顏女 がわ かれ
夕顏性 をあらはす事
光子わ らはや み井蝉女が族行 を逡る(
以上第 一卷)
砦紫 光 子北山 に のぼ引井 あかし の物が たり
光子むら さきを見そむ
光 子紫 に句 をおくる井山を くだ る
光子葵 上 のもと にか へる井惟光 を北山 にのぼす
藤壷懷姙
光 子紫 を奪 ふ
末摘花 光 子紅花 が調を聞
光子紅花 がも とに いた る井雪女 の旬
紅葉 の賀 光子舞 をまふ井藤壷 の君平産
紫 のこと葵 上に聞ゆ
迸 世 文 學
'
333
し
國 丈 學 襟 説
・花 の宴 櫻 がり 井 光 子朧 月 に契 幺 (以 上 第 こ卷)
光 子 老 花 に た は ぶ る 34
の
り
つ
光 子 老 花 にち ぎ る井 中 丈 太 刀 を ぬ いて お び や かす
等 の 如 く で あ る 。 さ て 、 本 書 に お け る 作 者 の 用 意 は 、 眷 頭 の 自 序 の次 に置 か れ た る次 の 如 き 凡 例 に よ
つ て察 せら れ る。
凡例
筆 にう つ せば 忘 ぬも のか ら 、を か し と おも ひ し所 は、 か い つ 却く るほ ど に、 俳 諧 の艶 談 と も いふ べ し。
卷 の帝 は、 大 國 の司 に し か へ、源 氏 の君 を ば 、た ゝう ど に し な し て、 かり に 光 子 と は名 づ け た る な り。 以
下 みな 是 にな ら へ。
おも し ろ か ら む と おも ふ所 も 、う る さ く て はも らし つ、あ と に て は、か の漁夫 の網 の破 た る こ ゝち こ そ せ め。
卷 のこ とば の つゞ まり が たき は、 お ほ く 私 の筆 を く は ふ。 よく 物 がた り に いた りし 人 は、 あ ら 玉 の甍 をつ
ぐ に 瓦 も て し た,
りと いはれ む 。 い とく る し。
を も て あ や ま つ べか らす Q
叉 眠 た し と お も ふ時 は、 あ ら ぬ 事 ど も .け やすく 書 な し て、 か たは ら の童 を 笑 は せ ぬ。 本 書 を見 ぬ人 、是
所 ゐ\ 句 を 入 た るQ 只 筆 に ま かせ た るも の にて 、 か ならす 句 法 に は あ ら ざ るな り 。 又 さ い は ひ に おも ひ う
つたな し か し。
か び て、 古 人 の吟 を やと ひ し も .卷 に は た が いふ こ とば と も な く 、 お ほ ど か に書 な し た るを . こ ゝに は誰
申 し け ると も し たれ ば 、 い とく
こ れ に よ つ て も 明 ら か な る 如 ぐ 、 内 礬 入 物 も 原 物 語 と 多 少 異 な る所 あ b 、 文 章 も 亦 原 物 語 を 譯 し た る
●
他 、 薯 者 の あ や な し た る所 も 多 く 、 原 物 語 の 和 歌 の 代 b に 俳 諧 を 多 く 挿 ん だ が 、 そ の中 に は 著 者 の 自
詠 の他 、 古 人 の 句 を 取 b 用 ゐ た も の の あ つ た 事 も 知 ら れ る の で あ る 。 次 に最 初 の 條 を 掲 げ て 見 よ う 。
いつ れ の御 代 な ら ん 、 大 國 の司 と し て、 い と や ん ごと な き 公 な ん おは し け る。 此公 弓矢 の中 に こ ゝろ を や
は ら げ 、 文 の道 に かし こ う お は し け る が、 和歌 の い みじ き、 連 歌 のあ て な る、いつ れも 雲 井 のな が め より 、
下 は 民草 のこ こ ろ に いた る まで な る 、 そ の 中 に、 俳諧 のこ とば あ り て、 よ く 下 ざ ま のわ ざ にあ そび 、 いや
し き しつ のし わ ざま でも 、 こ まか に わ た り て、是 を し れば , 國 を 治 む るも の、 目 を くた し て 、 此 事 にな れ
ロ
ぎナでザと
も てあ そ ぶ も、 を し への 一か たと お ぼし けん 、 其 道 に通 じた る 桑 門 を あ つ め 、守 武 宗鑑 の む かし を た つ ね、
世 に う つり來 れ る風 俗 . そ の國 そ の所 のく ま も殘 さす 、日 のも と は東 の は てよ リ、 か た國 ち か きも の ゝ わ
ざ も あり き 求 め、 し れ るば か り に夜 る の遯 びぐ さ と はな し給 ふ。 北 の か た は弘 季 と申 奉 り て 、御 心 たけ う
35
お は し け れば , さ る あ そ びぱ せ さ せ給 はす 。公 の御 ま へに あ る女 房 逹 は .す か せ給 ふこ と わ ざ なれ ば 、 こ 3
近 世 文 學
國 夊 學 襍 設
と ば か る く や さ し きよ り、 めづ らし 醤 お も む きを 作 り出 る に 、 和歌 の俳 諧 にも か な ひ て ん やと 、 公 も お か
し 醤事 にお ぼ し ま さる。 そ のこ ろ 、弘 季 の御 かし づ を に 、局 も て る女 、 う まれ の あ てや か さ人 にこ え て、
(
事力)
公 の御 あは れ び いと ふ か けれ ば 、 我 は と 思 ひ ゐ た る女 房 逹 も お さ れ ゆ く ま ゝに 、 く ちを し き伺 ど も多 く聞
え 、 貴 船 の松 の夜 嵐 より 、髪 に火 と 裾す あだ しす が た に、釘 う つお と を案 じ つゞけ て、 俳 諧 も い と そ ら
み丶 し く な り にき 。 春 過 に け れ ば 、衣 が への句合 を興 じ給 ふ。 か の局 も て る女 の句 に
交 かく す ふ とこ ろ もな し更 衣
此 こ とば 殿 に ひ ゞき て、 や さ し く あ は れ な り と いひ出 け るよ り , い つし か 更 衣 の女 と は よ ぴ あ へり 。 叉 そ
の女 の住 る局 の庭 に、 桐 の見 あ ぐ る ば か り な るを 多 く 植 な ら べた れ ば 、 卯 月 の若 葉 に ほ やか に 廣 ご り 、花
たうニ ゑん
橘 よ り も か を り を か し く、 五月 水 無 月 飲こ と に ふた がり て 、み ど りな る 日陰 瑠 璃 に似 た れば 、 局 を 桐壷 園
と な づ け た ま ふ。
︹光 子 が 事 並 更衣 のわか れ ︺
更 衣 の父 は とく う せ給 ひ て、 母 ひ と り い ま す が 、世 のお ぼ え花 やか な るか た ん丶 にも おと り給 はす 、 叉更
衣 の弟 君 いまだ をさ な き をも め し て ち か く つか ひ給 ふ。 此 わら は、 か た ち 玉 の如 く きよ ら に生 れ つき た れ
ば 、公 光 子と 名 づ け 給 ひて 、桐 壷 の園 に な ら べ お き つゝ、 わ たく し も の に も てあ そ び給 ふ。 國 の鐘 愛 た ゞ
更 衣 光 子 のは ら か ら に あ り て .人 々は ま ば ゆ く お もひ な し ぬ.
。更 衣 そ の夏 の比 よ り . は か な き こ 弐ち に煩
336
ねや
ら ひ給 ひ て 、 閨 が ち に な の ゆ く は 、 公 も こ ゝ ろ う き 事 に お ぼ し て 、 く る し か ら す と 桐 壷 園 に と ゞ め 、 く す
り の か ぎ り を そ つく さ せ給 ふ。 五 日 六 日 の ほ ど に 、 い た う よ わ く な れ ば 、 公 も し の び て 入 給 ふ。 病 ふ の 日
と物 を 思 ひ し 妻
がら虐
など も たゆ げ に て・ い と 差
よー
≒ (聹
のけし き に打 ふし給 へれ ば ・・
數 いく ほ ど も あ ら ね ば 、 髪 の か ゝり い た く も 亂 れ す 、 に ほ や か に う つ く し げ な る 人 の、い た う 面 や せ て 、あ
燈
いか さ ま に か と驚 かれ て 、げ ん あ る高 僣 貴僣 に仰 せ、 さ る べき み のり ど も を は じ め給 ふ。 な どや か ぎ り あ
ら ん みち にだ に 、 おく れ さ きだ ゝじ 歯契 り おけ る、 打 捨 て は えゆ き やら じと 、 せ ち に す がり て のた ま はす
るを , 女 も い み じ と見 奉 り て
う つく し と見 る まに ち らん けし の花 更 衣
さ ま か は り て、と もか く もな ら ん よ り は と、 いは ま ほ し げ な るこ と は聞 ゆ れど も 、 いと く ろしげ にた ゆ げ
な れ ば 、公 も つ と む ね ふ た が り給 ひ て 、夜 もま どろ み 給 はす 。
原 本 を敷 衍 し て書 きな し た る所 あ り、 原 本 に基 き て書 け る所 あ b、 そ れ ら の點 は概 ね 以上 の如 く であ
る。 大鱧 に於 いて、 原 文 に即 し て書 け る所多 ぐ 、 こ れ を敷 衍 し て 、著 者 獨 特 の文章 を記 し た る所 は 割
合 に少 い。多 ぐ は原 文 を 書 き 約 めた る に遏 ぎ な い所 で あ る 、併 し 、 雨 夜の 品 定 の條 の如 き は全 く厭 物
語 と離 れ て、 著者 の獨 特 の丈 章 で、 種 々の 女 性論 を な し て ゐ る・ そ の條 を 次 に引 いて見 よ う・ 近 世 文 學
鉚
e
國 丈 學 襍 謚
中 丈 打 え み た が ら 、 。
い で や 、 女 に 難 な き も か た し 。 只 う は べ ば か り の な さ け に て 、 ・文 う つく し う 書 な し 、 人 の こ た へ い と や さ
し く 、 い つ か 打 と け ぬ べ き さ ま に も て な し 、う つ り ご ゝう か た き も 聞 ゆ 。 是 は か き つば た の 水 に そ む か す 、
も ざ し にこ やか な らす ・ ま な じり 瀕 づり て 、鼻 す ち か しこ げ に、 えり もと た ゞ しう を り ゐ イ
、、 物 こ し
あち ら こ ち ら と吹 なさ れ て、 池 の にご り にそ ま ぬ が ご と し。
籌
し とや か に 、 え も笑 ひ が た きは 、 外 より いひ よ る べき便 り を う し な ひ、 く ら ま ぎ れ に さし むか ひ πる も 、
獪 た 璽 し う 物 い ひ た る 、 指 さ し が た き あ ρ 。 是 は い ば ら の花 の に ほ や か な れ ど 、
折 ら れ ぬ 枝 の は り の如 し 。
さ し む か ふ よ り 打 と け 顏 に て 、 盃 の み わ け な ど 、 獪 思 ふ こ と さ ゝや き よ れ ば 、 こ な た よ り も 深 う 思 ひ 居 た
る あ り 。 是 は 玉 笹 の あ ら れ に た ぐ へて 、 さ は ら ば 消 ん と い ひ し が 如 し 。
親 な ど 立 そひ いた は り て、窓 のう ち に深 く かく しし の び て、 あ ぢ き な きす さ び も 液らは せ、 う つく し と の
鼻 のほ ど う ご めき て 、色 こく い ひ な し たれ ば 、 あ る夜 と も し火 深 う伏 せ て、 襖 のかげ に し の び あ へる
が ほら
み 世 に 聞 え て 、 顏 み て 戀 る 人 の な き は 、 吉 野 の 奥 の み 山 に 、 菊 の 洞 あ り と い は ん が如 し 。
.馨
が 、 は だ へ清 ら に 、こ とば や さ しく .鷄 が ね の別 を も し り つ ゝ、 一夜 の情 に 千年 の命 を か け 、 そ の後 も獪
文 た が ら便 り し、 う つ ゝ にも 忘 るま じ く は見 ゆ れど 、 只 か し ら のか ゝり を お ぼ えざ り し 。是 は、 大 原 のと
し の あ し た、 た も と にか ん ざ し の殘 れ る が如 し。 髪 かた ち つく ろ は す、 耳 は さ み がち に て、眉 目も し なも
JJg
生 れ た る ま ゝな る に 、深 う 思 ひ 入 て、引 あ げ つ ゝとり つく ろ へば 、衣 裳 つき 髮 のほ ど似 つかす 、 むか し のみ
つ し姿 に お と り た る あり 。是 は晝 顔 を床 にう つ し、葉 も 夢 もし ほ た れ た る に、田舍 のな が めを し た ふが如 し。
雲 井 に お よば ぬ は し ご をか け て、 五 ツき ぬ の下 紐 タ戀 ふに、 思 ひ よら す あ ひ 見 し 時 、 より も つか れす 思 へ
る とは 心 おと り し て、 いろ こ きあり 。 是 は室 飛 は し た か の、 拳 のう へに ゑ を乞 ふが如 し ,
何 事 も そ ら こ と なり と .う かれ 女 の戀 を 見 おと し た るが 、 いと深 う な りゆ く ま ゝに、 人 にこ そよ るな ら ん
と、 我 心 より ほ れま ど ふ。是 は お ぼ ろ夜 に ま つげ ぬ ら し て 、狐 の宿 に遊 ぶが如 し 。
何 事も な さ け ぶ かく . こ ゝろ のそ こ をう ち あ か し て、 此 世 のみ か は とち ぎ りし 中 を 、人 にし ら せじ と 思 ふ
物 か ら 、 あな たこ なた にも そ む か じ と見 せ た る あり 。 こ な た は そ のこ ゝろ つ かひ は し ら で 、 あだ つき だ り 、
と う ら む。 是 は 五月 雨 の かき く も りて、 そこ のあ や め も し れ ざ る が如 し。
人 も 笑 ひ 我 も を か し と は 見 な がら 、立 居 に つけ て心 通 ひ 、 お もひ あま り てく ど き よ る に 、女 のや す く な び
き た る と き ,色 さ め て お ぽゆ るも あり 。 是 は木 槿 の花 を折 り つ ゝ、ち かく な が め て捨 た る が如 し。
よ り ゐ て さ び しく 病 ひが ち に て 、細 やか に生 れ し を ん な の、 な んな き姿 な がら 、 佛 の道 のみ かたじ けな う
お ぼ え 、人 の文 手 に も ふれ す 、 さ は思 ふか たも あ るか と 見 れば 、 とし た く る ま でこ もり 居 た る あり 。 是 は
いかう
山深 を院 の内 に 、な き人 の きな らし ぎ ぬを 衣 桁 にか け た るを 見 るが如 し.
.
心 ふか し やな ど ほ め た て ら れ て、 ふづ ゝか に思 ひ だ り 、 あ は れ す(・険か)み ぬ れ拭 、や がて 尼 に なり て、 心 す
龜 世 文 畢
339
財 文 學 襍 説
め る庵 に.ζ ろを 、 かね て戀 し た へるを と .し、驚 き悲 し び て、 文 な ど た よ り し 、世 にか へり み す べし ゃ、 紛
色 か へ顏 を み る が如 し。
3
あ た ら 御 身 を な ど ほ の め か さ れ て 、 み つ か ら ひ た ひ 髪 を か 髫 さ ぐ り 、 あ へな く 心 ぼ そ け れ ば 、 悔 し き こ と
も 多 か め る に、 佛 は こ ゝろ き た な し と見 給 ふ べし 。 是 は あ ぢ さゐ の朝 な く
さ れば 髪 の品 と おも ふ にだ に、 目 に と ま るはす く な き 世 ぞ と て, 光 子 は 打 眠 り て 、こ と ば も交 へす 。帶 な
ど も む す び 捨 て そひ ふし た る おも かげ 、 い と め で たく 、 女 にし て見 ま ほ し う 覺 ゆ。 まこ と や、 こ の道 のた
し く つく りた るも のは 、 心
く み も 、 よ う つ 心 に 入 が たき も の多 く ,叉 繪 の上 手多 け れ ど も、 人 の見 及ぼ ぬ蓬 莱 の山 、 あら 海 の い かれ
る いを の姿 、 か ら 國 の烈 し き 獸 のか た ち 、 目 に見 え ぬ鬼 の顔 な ど 、 おど ろ く
に ま か せ 、 一き わ 人 の 目 を お ど ろ か し て 、 か く 有 ぬ べし と は 見 ゆ れ ど も 、 よ の つ ね の 山 の た ゝ す ま ひ 、 水
の流 れ 、 人 の す む 有 さ ま . 實 と 見 え て な つ か し き は 、 い と か た し 。 ま し て 人 の こ ゝ ろ の時 に あ た り て 、 け
し きば めら んな さけ の道 を や と 、中 丈 も つら づ え を つい て、 し め やか にか た り つ ゞく。
内 容 の上 から 云 へば 、勿 論原 物語 の筋 を 追 う てゐ る が、間 々變 改 し た 所 も あ る。例 へば前 引 の文 の如
く 、 光 子 が更 衣 の弟 と な つて ゐ る如 き で 、 これ は 、光 子 と繼 母 と の關 係 を嫌 つ て、 わざ と 、かく 改 め、
光 子 が藤 壷 と密 通 す るも 不倫 の縁 に非 る辯 解 とな し た の で あ ら う。併 し そ の爲 めに 、
光 子 と 藤 壺 と が密
逋 す る に至 る因 縁 に つ い て は全 く 不明 とな つて ゐ る。繼 母 と の密 逋 と いふ事 を 忌 ん だ の は田 舍 源 氏も
同 じ で 、 儒 教 思 想 の 盛 な 當 代 の 小 讒 と し て、 斯 樣 な 變 改 も 己 む を 得 な い所 で あ ら う 。 入 の 名 も 大 抵 改
セんしう じゆんくり
め て あ る 。 靱 負 の 命 婦 は 苗 夫 と な り 、 頭 中 將 は 中 丈 と な b 、 軒 端 荻 は 端 萩 と あ る 。 朝 顏 が蕣 花 、 末 摘
花 は 紅 花 、 源 典 侍 が老 花 、 葵 上 の 父 左 大 臣 は 左 大 夫 婦 と し て出 て ゐ る。 澪 標 の 眷 に は ﹁東 寓 十 一に な
り 給 ふを 鈴 聲 と 御 名 あ ら た ま b ﹂ と あ り 、 近 江 の 君 は 毛 村 と な り 、 柏 樹 と 女 三 の 君 を 媒 介 し た 女 は字
十 と な つ て ゐ る 。 殊 に 、 薫 君 は 河 督 と な b 、 匂 宮 は 二 櫻 と な つ て 、 何 れ も 原 名 に似 元 發 音 の 字 を 宛 て
た も の で あ る 。 其 か ら 前 に あ げ た 蕣 花 は原 物 語 と は 全 く 違 つた 入 物 と な つ て 、 朝 顏 の 眷 に當 る 所 に 次
の 如 ぐ 出 て ゐ る 。﹁六 條 に 女 な く な り て 後 、 秋 好 は 殿 に め さ れ て 今 梅 壼 園 と さ へよ ば れ 給 ふ 。 か の や か
た は 誰 す む ぺ き と も な く な b ゆ く ま 丶 に 、 蕣 花 と い ひ し め の と 、 い さ 丶 か ゆ か b あ る を ん な 丶れ ば 、
そ の ま 丶 の あ る じ と 定 め て 、 殿 に 老 た b し か の老 花 が尼 に な り 居 た る 、 是 も え に し あ る ま 丶そ こ に を
b て 、 蕣 花 と 丶も に す ま ひ ぬ ⋮ ⋮ (光 子 )蕣 花 を 見 や れ ば 、か れ は 、伊 勢 に く だ b し 頃 二 か た に つ き そ ひ
て、 ひ さ しぐ 神 わざ にの みな れ つ 丶、 た ゴ おそ ろし き も のと の み 、と がめ ごと は ゴ か b思 ひし みた る
け は ひ い と わ か し ﹂ と あ る 。 こ れ ら の他 細 か い點 で は 、 原 物 語 と 違 つた 所 や 、 叉 複 雜 な 原 物 語 の 入 物
關 係 を 簡 單 に し て 、 如 何 な る縁 類 に當 る か そ の 樣 な 事 の 少 し も 記 し て な い も の が あ つ て 、 一々 あ げ る
4
1
に 耐 へな い。 近 江 の 君 を 毛 村 と し た 事 に つ い て は 、 一
3
近 世 文 擧 ・:
\
國 文 學 褸 読
とな ぶる藪 入 麥林
常 夏 叉 々光 子 の 水 樓 に 迹 ぶ 井 毛 村 が 事 近江に毛粒といふ所あり
毛村 く
の紙 を つぎ つ ゝ手 な らひ な ど し 、め づ ら しき さ まな るか
と 麥 林 の句 を引 いて ゐ る。 斯 樣 な引 用 の句 は、 本 書 須磨 の條 に、
ひ るは何 く れ と た は ぶ れ ごと 打 いひ て、 いろ く
ら のあ やな ど に、 さま ん丶 の繪 ど 祇書 す さ び 、 屏 風 の おも て ど もな ど いと めで たく 見 ど こ ろ あり 。 い つ の
こ ろ な ら む あ る集 の中 に 、
さ す ら へも いき てゐ る こ そめ で たけ れ
寢 る と よ み よ い屏 風 さ か さま
と附 たり し連 句 を 見 し が、 今 此身 のう へにあ り け り。 つら しと おも ふ世 なれ ど .獪 いき て見 果 ん と おも ふ
こ と多 か り。 叉 ふす ま ど も に は、 は な し が た か り し し き し な ど、 風 雅 は わ す れす は りな ら べた れば ,戀 わ
た る外 に本戀 し き友 や あ ら ん。
こ ち ら む け 我 も 淋 し き秋 のく れ は せを
秋 のく れ ひ と り漕 行 揖 の晋 麥 林
そ の 外 ちか き人 々の句 はむ つ かし け れば 寫 し と ゞめす 。
342'
叉紅 葉 の賀 の條 にも 、 ﹁光 子 (
老 花 を )にく し と 思 ひ て、
眉 はきもあるに野飼 の馬 の面
と いふ古 人 の吟 を 口の うち に打 す し て﹂ と 出 てゐ る。 こ \に麥 林 の句 を 二 つも 引 いた 如 き は、 伊勢 風
の流 れを 汲 む 彼 が、 祗師 の句 に あ る愛 着 を 持 つ てゐ た から と も 云 へるで あら う。 更 に原 物語 と離 れた
所 でも .ク 顏 が死 ん でそ の死骸 がひ さ ご の枯 れ た の に化 し 、侍 女 の鬱 金(右 近 )は小 さ いか も う り の霜
枯 れた の に化 し て ゐた、 夕 顏 の死骸 は室 也寺 に菩薩 を願 ひ 、 鬱 金 も亦 主 に殉 じ て、室 也寺 に死 んだ の
であ るか ら 、 さ て こそ顏 女 の 死骸 は 、室 也念 佛 の宗 旨 に關 係 あ る、鉢 敲 のひ さ ごと 化 し た ので あ らう
等 と書 い てあ るの は 、 つま bそ こ が俳 諧 の文章 な の であ ら う か。(但 し 、
後 に 玉葛 の卷 で、斯樣 に取計 つ
た の は、 惟光 が圭 人 の光 子 に夕 顏 の死 骸 を 見 せ て歎 か せ な い爲 め にし た頓 智 だ と説 明 し てゐ る)。を と
め の卷 の條 で、ク 顏 は 俳林 に入 る。 即 ち 原 物語 の大 學 入 學 の事 を 變 じ た ので あ るが、 こ 丶で綾 足 は俳
林 な るも のの 長所 短所 を論 じ 、 忌憚 なぐ 當 時 の俳 人 を罵 つ てゐ る。 全 く原 物語 を離 れ て、著 者 の俳 入
論 と な つて し ま つて ゐ る。 長 々と其 が論 じら れ てゐ る。 宇 治 十帖 の 如 き は極 め て簡 單 で原 物語 の如く
奮
ひ・あ る覇 霧 のきぬぐ
は霧
の小野 にか よひしあけぼ のにも似 たb・なほ羇
詳 し く は な い。 甚 だ 省 略 が加 へら れ た 。總 角 の卷 の如 き は、
﹁此 年 月 のこ と いと長 け れ ど 、穴工蝉 のも ぬ
けの廴 夢
迸 世 丈 學
鏘
丶
國 丈 學 襍 説
の う せ 給 ひ に し あ b さ ま 、 い と う る さ く て も ら し つL と あ つ て 、 甚 ﹁
だ 省 略 せ ら れ て ゐ る。 薫 君 が大 君
と 中 君 を 取 b 違 へ る所 を 、﹁空 蝉 の も ぬ け の 樣 に も 通 ひ﹂ と あ る等 は至 言 で あ る 。 叉 後 年 の 彼 の著 に 見
え る が 如 き 語 句 の 自 註 な ど も 全 く な い。總 角 の 君 と 中 君 と の 父 に當 る 入 は 宇 治 の 里 の 長 と な b 、昔 は豪
奢 な 生 活 を し て ゐ た が 今 は澪 落 の身 の 上 と な つ た と あ る 、 此 の 宇 治 十 帖 の 八 宮 に當 る 入 物 の 一家 の 歴
史 も 、 原 物 語 で は橋 姫 の 卷 に あ る の に 、 此 の 書 で は 、 竹 河 の 卷 の中 に述 べ て し ま つ て 、 紅 梅 の卷 の次
の 橋 姫 の 卷 は 全 く 省 略 せ ら れ 、此 の邊 順 序 が 原 物 語 た 蓮つ て ゐ る 。 爪
何 つ い で に 、大 島 氏 所 藏 本 に書 き 入
光 子 ﹂と あ
れ て あ る 、 輝 云 の 評 言 を 二 三 掲 げ て 見 る と 、 須 磨 の卷 に ﹁輝 云 、 ﹃こ よ な う こ そ お と ろ へに け れ ﹄、聞 苦
し 、 こ よ な う お と ろ へに け b な ど に や 。﹂明 石 の 譽 の 本 文 に︻
,
そ の島 の あ は 吹 潰 さ で 秋 の風
る 句 に 樹 し 、 ﹁此 句 か な 違 へb 。 淡 あ は 、沫 あ わ な れ ば 、あ は ち 島 を あ わ に し て は 不 叶 。
!澪 標 に ﹁輝 云 、
ロ ロ
﹃覺 え き か し ﹄聞 ぐ る し 、 お ぽ え た b き な ど に や 、 い か が。﹂乙 女 に﹁﹃つ ら づ え に つき て﹄、に も じ 余 慶 か
と お ぽ ゆ ﹂ と あ る 類 で あ る 。 此 の 書 が 成 つ た の は綾 足 が 未 だ 俳 諧 に沒 頭 し て ゐ た 時 代 で 、 此 の 時 代 の
前 後 に は 俳 諧 に 關 す る著 書 も 多 ぐ 出 で (俳 諧 文 庫 の 中 に も 飜 刻 さ る )、未 だ 古 學 を 始 め す 、 片 歌 を も 稱
導 せ す 、 後 年 の 如 き 雅 文 小 論 に筆 を 染 め な い時 代 で あ つた か ら 、 原 物 語 の飜 案 と し て も 、 雅 文 小 説 と
し て も 遣 憾 の點 が 相 當 あ る 事 で あ ら う 。 殊 に 俳 諧 を 以 つ て 終 始 し 、 俳 林 の論 の 如 き は 俳 入 と し て の 彼
344
の面 目 を 見 る事 が出 來、 文章 も 亦 雅 文 とし て見 るよ り も 、寧 ろ俳 文 とし て見 た 方 が適 當 し てゐ ると 思
はれ る。し か ぐ俳 文的 で あ る。 俳 文 よ b雅 文 への移 b は 、綾 足 の研 究 者 に取 つ て見 逃 す 事 の出 來 な い
一問 題 でも あ ら う。 但 し、 俳 文 とし て見 る時 は 、源 氏 物語 に影 響 を受 け π 、 か の西鶴 の好 色 一代 男 の
俳 文 の巧 みさ 自 由 さ に較 べ て は、 未 だ 若 く て、手 づ 丶の所 があ り、 遠 く 及 ぱ ぬ と いふ べき であ る。 徇
彼 は 、 そ の著コ蕉門 頭 陀 物語 Lの中 に も、 源 氏 物語 を き か せ て文を あ や なし た所 も あ 6、 俳 人 とし ての
彼 が源 氏 物 語 に相 當 影 響 せら れ てゐ る點 が見 え る。
さ て、 以 上 の如 き俳 諧 源 氏 は田 舍 源 氏 と 如 何 な る關 係 があ るか 、殊 に 、種 彦 が引 書 目録 に あげ た 俳
諧 源 氏 とは 果 し て此 の書 の事 で あ るか 、 問 題 と な る。 俳諧 書籍 目 録 に、 俳 諧 源 氏 供養 一卷 、 源 氏 は い
か い 一譽等 の名 が見 え る。 これ ら の書 かも 知 れ ぬと も 思 はれ る。 併 し、種 彦 の云 つ てゐ る俳諧 源 氏 が
綾 足 の 著 を 意 昧 し て ゐ る で あら う事 は 、本 書 を見 て、 更 に田 舍源 氏 に思 ひ及 ぷも のは誰 にでも 淨 ぷ所
の考 であ る。 即 ち源 氏 物語 中 の 和歌 に俳 諧 を 以 つて替 へた俳 諧 源 氏 の形 式 が、 田舍 源 氏 の其 に影響 し
て ゐ る であ ら う事 は誰 で も が想 像 す る所 であ る。 其 は銑 に江戸 時 代 にも 云 つ てゐ る入 があ る。 尾 張 の
そのゆ
かりひなのか
もかげ
戯 作者 笠 亭仙 果 がそ れ であ る。 田 舍 源 氏 の續 篇 と し て出 版 せ ら れ た草 双紙 に其 由縁 鄙 廼 俤 があ る。 弘
化 四年 に初 編 が發 行 せら れ た 。 一筆 庵 主 入 の作 であ る。 五編 に至 つ て中 絶 した が、 一筆 庵 圭 入 に代 つ
逝 世 丈 摯
345
奪
國 文 學 襍 詮
て柳 亭種 彦 翕 門 入 と稱 す る笠 亭 仙 果 が筆 を取 b 、其 由縁 鄙 面 影 改題 、足 利 絹 手染 紫 を 出 した 。 これ は
鄙 の俤 の五編 を 承 け て、 直 ち に六編 と し て、
嘉 永 三年 に刊 行 せら れ た 。十 五 編 ま で が仙 果 の作 であ り 、
十 六編 以下 は松 亭 金 水 が筆 を 取 つた。 (但 し、 十 六編 の み は、
袋 繪 、 表紙 及 び表 紙 裏 に は金水 作 とあ れ
ど 、 本 文 の終 には尚 仙 果 作 とあ り)、二十編 に至 る。 二十 編 の序 文 には 十 一、 十 二編 を も出 す やう に書
い て あ り、 朝 倉 無 聲 氏 の新 修 日 本 小説 年 表 に も 十 一編 が出 た やう に記 さ れ てゐ る が、私 の持 つてゐ る
本 は 、 二種 と も に十編 ま で であ る。 其 以下 が出 た か何 う か知 ら ぬ。 此 の足利 絹 手 染 紫 の第 + 四編 下 卷
(嘉 永 六年 刊) の中 に、仙 果 は 斯 う記 し てゐ る。
俳 諧 源 氏 と い ふ書 を見 る に、物 語 の大 意 を耳 近 き語 も てみ じ かく か き と り 、贈 答 の詠 歌 はこ と ん\ く 發 句
もレづ
に か へた り。 先 師 も こ れ にや原 か れ け ん。
此若 茱 の下 にも 、
と り てこ よわ がこ ひ わ ぶ る よめ が君 かし は木
花 守 のま た ま か せ た り茶 のに ほ ひ 女 三宮
つ ま たち て我 身 は あ と の祭 り かな かし は木
こ の類 の佳 句 も あ り 。 採 用 て本 編 の つたな き をも 聊 は ま ぎ ら か せ よと 友 逹 の意 見 も あり し が 、 叉思 ふ に、
346
り
ら ねこ
さては次毛 の野外猫に眞紅 の組紐 つけた るやう に て、き たな さは獪目 にこそた ゝめと、季と いひ切字 もお
ぼ つかなき十七文字を、例 のごとく苦案 して他力を借 りす。
此こと いはでも さまたげなけ れど、善友 の老婆 心むなしく するも本意なく て
作者仙果ひとりごとを申
以 上 の三句 は、 即 ち綾 足作 の俳 諧 源 氏 に出 てゐ る句 で あ る。 た ゴ、 私 の見 る寫本 には、 第 二 句 が、﹁花
守 にま た ま か せた b 茶 の匂 ひ﹂ と あ るだ け の相 違 があ る。 こ れ によ つて、仙 果 へ此 の綾 足作 を 以 つて、
田舍 源 氏 の引 書 の 一にし てゐ た事 は疑 ひ な い。 足 利 絹 の十 三編 には 、賦 光 源 氏 物語 詩 よ り、 詩 を引 き
載 せ ると共 に、源 氏 鬢 鏡 よ り も 島 本 正伯 の句を 拔 い て卷 頭 に掲 げ て居 b 、 ま た、 仙 果 改 め二 代 目種 彦
作 の其 由縁 鄙 廼 俤 十編 (文 久 二年 刊 ) にも 源 氏鬢 鏡 所 載 の北 村 季 吟 の句 を卷 頭 に載 せ てゐ る の であ つ
て、 種 彦 の引 書 目録 に は、仙 果 も 注 意 を拂 つて ゐ たと 思 は れ る。 私 ば仙 果 と共 に、種 彦 の引 書 目 録 に
あ げ 弛 る は 、此 の書 であ る事 を 疑 は な い。
俳 諧 源 氏 が田舍 源 氏 に影響 々與 へた 所 があ ると す れ ば 、そ の主 な る點 は 、原 物語 の和 歌 を 俳諧 に變
へた點 で あ ら う 。併 し 、そ の 一々の句 を 考 へる に、句 そ のも のは、 全 く、 俳諧 源 氏を 眞 似 たも の で は
な い。概 し て、 田 舍 源 氏 挿 入 の俳 諧 は原 物 語 の和 歌 に即 き 過 ぎ て ゐ るや う であ るc 即 ち 、 三十 一文字
逝 世 丈 學
347
國 丈 學 襍 説
の和 歌 を そ のま \簡 略 にし て、 且 つ原 和歌 の句 を 多 く 存 し て以 つ て十 七 文字 と なし た に過 ぎ ぬ。 此 の
點 に於 い て、 そ の 俳諧 は全 く原 和 歌 の飜 譯 で あ ると 思 は れ る が、 俳 諧 源 氏 中 の句 に至 つては、 全 く 作
者の 創 意 にな つた も の で、 そ の句 は奔 放 自 由 且 つ頗 る衝 氣 あ るは 、同 書 の序 文 に於 け る綾 足 の丈 と意
氣 聖等 し うす る。 種 彦 が田 舎 源 氏 の構 想 を草 双紙 風 に全 く 變 改 し た 奔 放 さ に較 べ て、俳 句 は餘 り に 小
心 に過 ぎ 紀 。 併 し これ と同 じく 、原 物語 の丈章 を そ の ま 丶取 b用 ゐた 所 も 、 田舍 源 氏 には多 く存 す る
の で あ つて、 そ の傾 向 は編 を 追 ふに從 つて甚 だ し く な つた と 思 は れ、文 章 句 法 の原 物語 に即 し た點 は 、
或 點 に於 いては 俳諧 源 氏 以 上 の所 があ る。 即 ち 、俳諧 源 氏 は 構想 は原 物語 に即 き 、 文章 俳 句 の點 で は
原 物語 を 離 れた所 があ b 、田 舍 源 氏 は文 章 俳 句 は原 物語 に即 した 所 があ b、 構 想 の點 では原 物語 を 離
れ てみ ると いふ べき であ る。 次 に、原 物語 と、 俳諧 源 氏 と田 舍 源 氏 と の文章 を對 照 的 に、 同 ︼箇 所 を
二 三箇 所 掲 げ て見 よ う。
︹源氏物 語夕顏 の卷∪前栽 の色 に亂れた るを、過 ぎ がてに休 らひ給 へる樣、げに類 ひなし。廊 の方 へおはす
る に、中將 の君も御供 に參 る、紫苑色 の折 にあひた る薄物 の裳 、あざやかに引き結ひた る腰 つを、たをや
な
まめ
かに艶をた り。見返 り給 ひて、隅 の聞 の勾欄 に暫 し引 き据 ゑ給 へり。 打解けたらぬも てな し、
髪 の下りば 、
目覺ましく もと見給 ふ。
.
34.8
嘆 く 花 に移 る て ふ名 は つ ゝめど 烝折 ら で過 ぎ憂 き今 朝 の朝 顏
いか 穿す べき と て、 手 を 執 へ給 へば 、 いと 馴 れて疾 く 、
朝 霧 の晴 間 も待 た ぬ氣 色 に て花 に心 を留 め ぬ と そ見 る
と公 事 にぞ聞 えな す。 (上 下 略 )
︹俳 諧 源 氏 ︺此家 のめ のと 蕣 花 と いひ し が 、光 子 が おき 忘 れ た る も のを 、 と ゞけ には しり 出 て、 行 あた るも
獪 ほ か な ら ぬ思 ひぐ さ な り 。蕣 花 は あ る じ の女 より も 若 う て、 を り に あ へる筌 色 のひ と へに、 こ し か は り
の いと白 き を、 はぎ の色 あら そ ふま で に か ゝげ 、帶 し ど け なう 吹 み だ れた る、 ま 事 の朝 顏 も 恥 ら ふ べき 生
れ ρ き なり 。 光 子 は例 の此 かた に はか ろ け れば 、 は やう きた るこ 玉う にな り て か う ら ん に ひき す ゑ つ ゝ、
朝 顏 や誰 が おこ し て夏 のう ち 光 子 ,
いか ゞす べき と て手 をと れば 、
み じ か う ほ どく 横 雲 の帶 蕣 花
と聞 え て、 も た れ より て嬉 し み 聞 ゆ 。 そな た に童 のは し る音 す れば 、 ふ り わ かれ て, あ ら ぬ さ ま にな がめ
ゐた る に 、 子ど も の おり た ち て . 朝 顏 の花 を折 り ゆ く な り 。 日 も さ し の ぼれ ば 、惟 光 門 を あけ て む かひ參
ら す、
︹ 49
田 舍 源 氏 四 編 下 册︺手 水 々 々と 呼 び給 へど、 答 ふ る者 のな か り し を , よき 幸 ひ と 片 貝 が、 た ら ひ湯 つぎを 3
瓩 世 丈 學
國 丈 學 襍 読
參 らす れ ば 、 阿 古 木 は いと ゞ面 は ゆ げ に 、 手拭 取 つ て差 出 だ すを 、 光 氏 つくみ 丶 見 給 ふ に、 折 に合 ひ た る
なまめ
七 草を 、縫 物 し た る袷 を 着 な し 、し ご き の帶 あざ や か に引 き結 ひ た る腰 つき は 、爽 か に艶 いた る、 か の手
拭 に朝 顏 を染 め た り けれ ば 、
朝 顏 や折 ら で過 ぎ憂 き ま が き かな
い か ゞす べき と 手 を 取 れ ば 、 阿 ロ木 も 馴 れ て ロ早 く .
朝 霧 の晴 間 を待 て よ 花 を 見 ば
夜 も 明 け はな れけ れ ば 、 御 迎 へに惟 吉 が馬 を 奉 り 、 共 日 は 歸 ら せ給 ひ けり 。
亠
ハ條 御息 所 の女 房 中將 の 君 を朝 顏 に譬 へた に よ つ て、 俳諧 源 氏 で は これを 、 六條 の女 の乳 母 蕣花 と命
名 し 、そ の蕣 花 は 、や がて原 物 語 の朝 顏 齋 院 に當 b 、 朝 顏 の譽 にも出 て來 る。 朝 顏齋 院 が賀 茂 の齋 院
に な る條 には、 俳 諧 源 氏 では 、 六 條 の女 が都 も住 み憂 く し て伊勢 へ下 る際 に、 乳 母 な る蕣 花 も これ に
同行 し た事 を宛 て てゐ る。 田 舍 源 氏 では、 六條 御息 所 に當 る阿 古 木 を し て、 直 ち に中將 の 君 に代 ら し
めた・ 朝 顏齋 院 に當 る入 物 には、 別 に光 氏 の侍 女菊 嘆 な る女 を出 し て、 叔父 が病 死 し た と稱 し自 宅 に
歸 る事 を 、齋 院 とな る條 に押 し宛 てて ゐ る。 此 の田舍 源 氏 の阿 古 木 と云 ひ 、侍 女 の菊 嘆 と云 ひ 、俳 諧
源 氏 の乳 母蕣 花 と相 逋 じ る所 があ つて 、原 物語 の中將 の君 や 朝顏 と は遙 か に縁 が遽 い。 併 し、 此 の場
35a
所 の 文 章 だ け か ら 云 へば 、 田 舍 源 氏 は 俳 諧 源 氏 よ b も 遙 か に原 物 語 に 近 い。
︹源 民物 語若 紫 の卷 ︺ 君 は 心 地 も いと惱 まし き に、 雨 少 し 打 そ ゝぎ 、山 風 冷 や か に吹 き た る に 、瀧 の淀 み
も ま さ り て 、晋 高 く 聞 ゆ。 少 し ね ぶたげ な る讀 經 の絶 えみ 丶 凄 く聞 ゆ る な ど 、 す fうな る 人 も 、所 が ら物
哀 れな り。 ま し て思 ほ し 廻 ら す 事多 く て、 ま ど ろま れ給 はす 。 初夜 と 言 ひ し か ど も ,夜 も いた う更 け にけ
り。 内 にも 人 の寝 ぬ氣 配 し るく て 、 いと忽 びた れ ど 、數 珠 の脇息 に引 鳴 ら さ る ゝ音 ほ の聞 え、 懐 かし う 打
そ よ めく 音 なひ 、 あ ては かな り と聞 き給 ひ て 、程 も な く 近 け れば 、 外 に立 て渡 し た る屏 風 の中 を 、少 し引
き あ け て屬 を 鳴 ら し給 へば 、覺 えな き心地 す べか め れ ど 、聞 き知 ら ぬ やう にや は と て .ゐ ざ り出 つ る人 あ
な り 。 少 し し そ き て 、 怪 し 、 ひ が耳 に や と辿 る を聞 き給 ひ て 、佛 の 御 し る べは 、暗 を に入 り て も更 に違 ふ
ま じ かな るも のを と 宣 ふ。 御 聲 のいと 若 う あ てな る に、 打出 で む聲 遣 ひ も恥 か しけ れ ば 、 如何 な る方 の御
し る べ に かは . 覺 束 な く と聞 ゆ 。げ に打 ρけな り と 、 お ぼ めき給 はむも 理 り な れ ど、
飢 、、 初 草 の若 葉 の上 を見 つる よ り族 寢 の袖 も 露 ぞ 乾 か ぬ
と 聞 え給 ひ て む や と宣 ふ。 更 に斯 樣 の御 淌 息 承 り 分 く べ き 人 承物 し給 は ぬ様 ば 、知 う し めし た り げ な るを 、
おのつか
誰 に か はと聞 ゆ 。自 ら さ る やう あ り て 聞 ゆ るな ら む と思 ひ な し給 へかし と宣 へば 、 入 り て聞 ゆ 。 あ な今 め
かし 、 此 の君 や 世 付 いた る程 に お はす ると そ 思 す ら む 。 さ る にて は か の若 草 を いか で聞 い給 へる 事 ぞ と 、
樣 々怪 し き に 、 心 も亂 れ て、 久 しう な れに 情 なし とて 、
近 世 文 學
351
/
丈
學
篠
詭
陵
枕ゆふ今膂ばかりの露けさを深山の苔に比べざらなむ ◎
52
3
干難 う侍 るも のを と聞 え給 ふ。
︹俳 諧 源 氏 若 紫 、 光 子紫 に 句を おく る井 山 を く だ る︺ 内 にも 人 の寢 ぬけ は ひ しる く て 、 さ す が に忍 び いる
奥 の間 に , 數珠 の けう そく に ひき な ら さ る ゝ音 ほ の聞 え 、 な つか し う打 そ よ めく おと な ひ 程 も なく 近 けれ
ば , し きれ る屏 風 少 し ひ 費明 て、 扇 を うち な らす に 、 乳 母 の納 言 立 出 つ ゝ、 お ぼ えな き こ ゝち も せす 、君
や め し給 へるか 、 ひ が耳 に や と た ど るを 聞 て、 光 子 佛 の御 しる べは く ら き に いり ても 、 さ らに た が ふ まじ
け れ とほ のめ か す。 納 言 は耻 か しく 思 ひ て、 いか な るか た の御 し る べ に か は . お ぼ つか な く と いふ に 、げ
にう ち つけ な り と お ぼ され んも こ と わり な り とて 、
此文 のし る べ や若 き 草 む す び 光 子
か く も あ ら ん や と い へば 、 か や う の事 承 り わく べき 人 も わ た り さ ふら は す、 誰 に か はと う た が ふ に、 光 子
只 むら さ き のゆ か ウ は と の み いひ な し た り 。 納 言 此 句 をも ち て 入り て 、尼 君 にか く と か た る。 尼 君 あ な い
ま めか し 、 此 子 ゐ世 つ いた る程 と お ぼ せる か 、 いか に し て紫 のゆ か りし り給 へる ぞ と、 あ やし く て、,心 も
み だれ 、 久 し う た れ ば .な さけ な し と て 、
蝶 さ へ見 せ ぬ 二葉 を 風 のお と 尼
匂よ ひば か り の御 わ び し さは 、 み 山 の苔 に く ら べ給 へと 申 せと てか へし ぬ。■
︹田舍 源 氏 六編 下 册︺ 光 氏 心 地も 惱 ま し き に、 雨 少 し 打 そ ゝぎ 、 山 風冷 か に吹 を 來 り 、 筧 の水 の晋 高 く 、
少 しね ぶた げ な る 投節 の絶 えみ丶 に聞 ゆ るも .所 が ら に や返 つて凄 く 、物 思 ひな き 人 だ にも いと 哀 れ とや
聞 き な さ んに 、 ま し て様 々光 氏 は、 思 ひ 廻 ら す 事 あ れば 、閏 へ入れ どま ど ろ ま れ す 、初 夜 の鐘 とは 言 ひし
か ど 、夜 も いたう 更 け に けり 。 小 玉 の佳 ま ふ部屋 の内 、物 云 ふ者 は あ ら ざ れ ど 、未 だ 人 の寢 ぬ氣 色 に て、机
打鳴 ら せば 、言 の葉 が聞 付 け て、
の上 に引 鳴 ら す、 數 珠 の音 さ へほ のか に聞 え、 數 多 の遊 女 が打 そよ めく そ の音 な ひ も賤 しか ら す。 程 近 け
れ ば 光 氏 は ,屏 風 を 少 し引 開 け つ.扇 を 取 り て寢 な がら に、 疉 をほ とく
い ら へな し つ ゝ出 で來 るに 、光 氏 わざ と 枕 を とり 、 物 も 言 は ねば い ぶか し げ に 、 召 し給 へる と 思 ひ し は 、
聞 違 へに て侍 るか と 、見 廻 し行 く を引 止 め、 小 玉は 先 に彌 陀 經 を 、讀 み に と て行 きつ る が、 佛 の誓 ひ にひ
き か へて、 我 は そな た へ導 かす 、 い つま で暗 き 此 の閨 に迷 はせ置 く と いと若 う あ てな る聲 に て宣 へば 、言
の葉 は 耻 か し げ に 、 いつ く へ導 き參 ら せ ん、 いと 心 得 す と聞 ゆれ ば 、光 氏は 起 上 り、 打 つけ なり と思 は ん
も 理 りな が ら と 硯 を乞 ひ .
若 草 を 見 初 あ て置 く や 袖 の露
と鼻 紙 に書 いつ け て 、斯 く と あ な た に傅 へよ と言 の葉 に渡 し け れば 、獪 い ぶか しげ る首 を傾 け、若 草 と い
ふ 太夫 衆 は 三筋 町 に は聞 き及 ば す 、斯 樣 な 事 を聞 分 けん 人 のこ 二ら に な い事 は 、 あ な たも か ね て 御存 じな
ら ん ,是 は誰 に か見 せま せ ん と問 へば 、 光 氏 笑 を 含 み , 心 に 思 ふ事 あ り て、 言 ひ た るな ら ん と押 量 り 、 あ
迸 世 丈 學
353
属 丈 學 襍 艶
も
な た へ持 て と宣 へば 、 そ の ま ゝ立 つて言 の葉 が、 小 玉 に此 の よ し 言 ひ け れば 、 や ゝ暫 く打吟 じ 、 此 の若 草
と は紫 の、ま だ いと若 きを た と へる お發 句 . てか け に我 に得 さ せよ と, さ い前 仰 せ あ り しか ど 、 年 も 足 ら
は ぬ そ の上 に 、殊 に幼 き 生 れ にて 、 御 添 臥 には 程も あり と 、 あ なた のお 前 に呼 び出 だ さす 、 いか な る隙 に
ち お 返 し は.妾 が孫 の代 り に と、 其 の傍 ら に書 き 付 く れ ば '
.
・⋮ (中 略 ) ⋮ ⋮ 小 玉 は そ ろ く
に じり 寄 り 、 お
か見 給 ひ し、 背 丈 は延 び て見 ゆ るか ら .發 句 の 心 は聞 き わ け ん と 、 あれ へ下 さ るお 筆 の跡 、遲 な は ら ぬ う
笑 草 にと さ し置 いた る、 返 し の發 句 を 光 氏 は 、 手 に取 上 げ て打 見 る に、
吹 く を待 て や が て深 山 の苔 の花
と美 し を 手 を そ のま ゝに取 り つく ろ は す 書 き なし た り (
)
田 舎 源 氏 が原 物 語 の 文 に よ り つ ゝ 、 そ れ を 敷 衍 し て書 黛 な し た る 事 大 凡 か く の 如 く で あ る 。
︹源 氏 物 語 若 紫 の卷 ︺ 山 水 に心留 り侍 り ぬれ ど 、内 より 覺 束 な がら せ給 へるも 畏 け れば な む、 今 此 の花 の
う ち 過 ぐ さす 參 n來 む。
宮 人 に行 き て 語 ら む山 櫻 風 より 先 に來 ても 見 るべく
と宣 ふ御 も て な し聲 遣 ひ さ へ、 眼 も あや な る に、
優 曇 華 の花 待 ち 得 た る心 地 し て深 山 櫻 に 目 こ そ移 ら ね
X54
と聞 え給 へば 。 ほ ゝ笑 み て 、時 あり て 一度 開 くな るは , 難 か な るも のを と 宣 ふ。 聖 御 土 器賜 はり て 、
奥 山 の松 の 戸 ぼ そを 稀 にあ け て未 だ見 ぬ花 の顏 を 見 るか な
と打 泣 き て見 奉 る。
光子
︹俳 諧 源 氏︺ 光 子 は 山 水 にこ ゝう とま り ぬれ ど 、 殿 にも お ぼ つか な がら せ給 へば 、 か へり い そぐ な り 、 い
ま 此 花 のさ かり 過 ぎす 參 りこ ん と て。
留 別 叉 折 り に來 る道 し り て 山櫻 .
邊 別 忘 れす は 雲 と見 か へれ 山 櫻 僣 都
同 人 の戸 を ひ ら か せ て我 山 櫻 ひ じ り
︹田舍 源 氏 七編 上 册 ︺ 山 の姿 水 の流 れ 心 と ま り て 、 此 の わ た り は いと 立 ち 憂 く は 思 へども 、 いつ こ へ行 く
と も知 ら さす し て 、館 を迷 ひ出 でた れ ば 、 父 君 か く と聞 か れん には .覺 朿 な く や思 ひ給 は ん。 共 の事 畏 れ
多 けれ ば 、今 歸 る とも 此 の花 の盛 り す ぐ さ す訪 れ ん 、
風 よ り は先 に來 て見 ん山 櫻
と 宣 ふ風 情 聲 遣 ひ、 目 も あや な るに . 阿古 木 は さす が留 む る にも 留 め 難 く .﹂
櫻 に は 目 こ そ 移 ら ね 花 の顏
55
と 打 泣 く。 3
髭 世 丈 學
鱒
國 文 學 襍 説
引 用 は こ れ位 に し て 、兎 に角 田 舍 源 氏 の俳諧 は、俳 諧 源氏 に直 接 影響 を 受 け て ゐ な い事 は確 か で あ る。 56
3
た ず 全體 と し て の俳 句 挿 入 の形 式 を 俳諧 源 氏 よ b暗 示 せら れ た であ ら う と い ふに止 ま る。τ
徇 田舎 源 氏
の 俳諧 を源 氏鬢 鏡 の眷 名 詠 込 俳 句 にま で持 つ て行 か う とす る説 のあ る の は少 し牽 強 であ ら う。 次 に 、,
俳 諧 源 氏 は そ の名 の如く 、俳 諧 を挿 入 す る 事 頻 繁 で、原 物語 の和 歌 のあ る位 置 には 大抵 俳 諧 を 入 れ て
ゐ る。(勿論 原 物語 の内 容 に省 略 を加 へた所 に は、 俳諧 も省 略 せ られ てゐ る)。 然 る に、 田 舎 源 氏 は あ
の詳 し さ を 以 つて し て も 俳諧 を挿 入 す る事 極 め て少 く 、 大 抵 こ れを 省 略し て ゐ る。 此 の點 も兩 者 行 き
方 を 異 にし て ゐ る。 殊 に川 柳 を 好 ん で 、 繪 入柳 樽 の著 あ る種 彦 が十 七字 詩 に心牽 か れ て、 これ を 時 々
挿 入し た 事 は 、必 すし も俳 諧 源 氏 の暗 示 と 許 b に限 ら な いか も知 れな いの で ゐ る。併 し、 源 氏 物 語 に
影響 を受 け る所 の多 か つた 好 色 一代 男 が 、檀 林 振 の驍將 た る俳 入 西鶴 の處 女 作 であ る に關 はら す 、 そ
の才 を 以 つ てし て も俳 諧 挿 入 に思 ひ及 ぱ す 、 同 じ く 俳 人 ら し い名 の隱 士 梅 翕 の著 が何 れ も源 氏 物語 の
事 々し い註 釋 を加 へた 事 を 思 へば、 綾 足 の創 意 の大 いな る手 柄 であ ると
自 由 な淨 世 草 子 風 の飜 譯 で あ る に關 は ら す 、 挿 入 の和 歌 だけ は全 く 野 暮 な原 物 語 の和歌 をそ のま 丶そ
つく b 取 b收 めて 、 わざ ー
同 時 に、 又種 彦 がこれ に暗 示 を受 け て俳 諧 を 用 ゐ た で あら うと い ふ事 も 、 云 は れ得 る かも 知 れ ぬ。 何
れにし ても 綾 足 の先驅 者た る事 だ け は認 めな けれ は な ら ぬ と 思 ふ。
田 舍 源 氏 は 俳諧 挿 入 の上 に俳 諧 源 賃 か ら暗 示 を 受 け た か も知 れ ぬと 同 時 に、内 容 の構 想 の上 にも 僅
少 の暗 示 を受 け て ゐ る やう であ る。前 述 の朝 顏 齋 院 の作 b替 へに封す る、 田 舍 源 氏俳 諧 源 氏 の似 寄 b
の外 、 遊 廓 遊 女 の點 出 の如 きも 俳 諧 源 氏 に既 に これ が あ る。 即ち 藤 壺 は、 西 の色 里 に藤 壺 屋 と呼 ぷ家
の遊 女 であ つ て、そ れ を直 ぐ に藤 壼 と呼 び出 し た と あ る。 田舍 源 氏 の藤 の方 は さう で は な いが・ 六條
御 息 所 に當 る阿 古 木 厰 、六 條 三筋 町 の遊 女 と な つ て居 り 、紫 の 上 も亦 、此 の六 條 の色 里 に賣 られ た 娘
と な つ てゐ るつ 藤 の方 の姪 に常 る紫 が色 里 から 出 る と いふ事 は、 俳諧 源 氏 の藤 壺 屋 と 一朕 の脹絡 があ
る や う であ る。 尤 も 田 舍 源 氏 で は 二見 屋 と いふ名 に な つてゐ る。 但 し ・遊 女 と 云 へば ・梅 翕 等 の著 の
よ ね 達 にま で溯 る事 も出 來 さ う で あ る。
ると いふ事 を
俳諧 源 氏 と田 舍 源 氏 と の比 軟 に つい ては徇 云 ふ べき 事 が多 い が、た ゴ こ \に は、 僅 少 の影響 、 若 し
ぐ は暗 示 を 田 含 源 氏 に與 へて居 り、 且 つ、種 々の點 で、 俳諧 源 氏 がそ の先 驅 とな つ てゐ
云 へば足 る。 ま し て、 俳譜 源 氏 の成 つた 寛 延 二年 は 、讀 本 の祗 と云 はれ る近 路 行者 の英 草 紙 の出 版 せ
ら れ た年 であ b、 そ の年 に 、讀 本 と同 時 に、雅 文 小説 の先 驅 者 紀 る建部 綾 足 が此 の俳 文 小説 を 成 し て、
後 年 の讀 本 小詮 の 形 を既 に書 き現 し て ゐ る事 は甚 だ興 味 が深 い・項 目 の名 付方 等 も甚 だ 讀 本 的 で あ る・
即 ち近 世 小説 史 の側 か ら も 、 此 の作 は 決 し て 看 過 せ ら る ぺき も の で は な いと 思 はれ る。
近 世 丈 學
357
残 丈 學 襍 読
終 に 、 今 一度 繰 返 す が 、 か の種 彦 が 引 書 目 録 中 の 源 氏 若 竹 を 紹 介 し て 下 さ る 入 の あ る 事 を 切 に 望 ん 58
3
で 筆 を 擱 ぐ 。 (昭和 五年 三月)
附 記 一、 俳 諧 源 氏 の書 名 に就 い ては 、慶 長 以來 諸家 著述 目録 、 江 戸時 代 戯 曲 小 詮 通 志 、或 ひ は日 本 文 學者 '
年 表 續 篇 等 に至 るま で , 綾 足 の著 書 目録 を 蝎 げ , そ の慱 記 を 述 べた も の に は、 一も こ れを 擧 げ た も のが に
い 事を 付 け 加 へて おく 。
二、 俳 諧 源 氏 と 田舍 源 氏 と の關 係 に就 い ては 、 ﹁か く や いか に の記 ﹂(未 刊 隨 筆 百種 所 牧)にも 次 の如 く 記 し
●
てゐ る )
あ る人 田舍 源氏 は 、建 部 凌 岱 が︹俳 諧 げ んじ∪に よ ら れ し 也と 語 り し が 、す で に 田舍 源 氏 三編 序 のう ち に、
そ の 册 子を さ し て弱 年 の 頃見 た り し が 、 いま 求 む れ ども 不 レ得 と見▼
えた れ ば 、究 め て是 に基 か れ し と も い
ひ 難 し、 し ば ら く こ ゝにし る しを く の み。
西 行 と 良 寛
ーー 附 り 、 歌 人 花 街 に 遊 ぶ事 11
西行 と良 寛 の比較 論 な ど と はま こ と に恰 好 な 題 目 であ る。 併 し 私 は さ う し た大 き い問 題 に就 いて論
じ よ う とす る の では な い。 た だ 一寸 氣 が付 いた事 を書 き 記 し て おき た いの であ る。 勿 論 羊頭 を 掲 げ て
狗 肉を 費 る の譏 は甘 ん じ て受 け る。
の人 氣 者 であ る 。 そ の證 據 には諸 國 に西 行 に關 す る傳 説 が多 く 傳 へら れ て ゐ
×
西行 は昔 か らな かー
る の でも 分 る。 富 士 見 西 行 と 云 ふ盡 中 の入 物 と も な つて ゐ る。 軍 法 富 士 見 西 行 に至 つ ては 世 に最 も行
59
は れ た淨 瑠 璃 中 の人 物 であ る。 西 行 法師 墨 染 櫻 など と云 ふ淨 瑠 璃 も め る。 釋 固 淨 の山家 集 の注 釋 は 、
3
迸 世 文 學
國 交 學 縷 艶
山家 集 詳 解 と云 ふ名 で飜 刻 せ ら れ て ゐ る が、 坊 間 中 々入 手 し がた い。 藤 周 作 太郎 博 士 の異本 山家 集 も
同 樣 であ る。 昨 今出 た 西 行 に關 す る著 書 を 一寸 考 へ淨 べ て見 ても 、 尾 崎 久彌 氏 の註 釋 書 、 尾 山篤 次 郎
氏 編 の全集 、野 口米 次 郎 氏編 の全集 (そ の中 に は異 本 山家 集 も 入 つ てゐ る)、 さ て は評 傳 の書 や廉 價 版
の 山家 集 に至 る ま で、片 手 に餘 る 。就 中 、 昨 年 の名 寳 展 覽 會 に伊 逹家 所 藏 の定家 筆 の西 行 上 人聞 書 集
が出 た の は、 近頃 で の大 發 見 で あ る。 や が て複 製 せ ら れ る事 であ ら う 。 (
西行
申
に入
上人
つ聞
て複
書製
集せ
はら
扶れ
桑た
珠。
寳の
9 )西
公 談 抄 に就 い ても 問題 がや か ま しく な つて來 元。 西 行 法 師 は今 でも 矢張 b學 界 の人 氣者 であ る。
所 で、 此 の漂 泊 詩 入 西 行 、赤 入 や芭 蕉 と並 び稱 せ られ る自 然 歌 入 西行 が、 何 故 か、 江 戸 時代 の民 衆
から は極 め て ユー モラ スな 道 戯 役者 と し て取 b扱 は れ て ゐ る ので あ る。 赤裸 々な民 衆 の聲 は歌 謠 の中
に見 得 ると 云 ふ立場 から 、 そ の例 證 を 若 干 あげ て見 よ う。
﹁自 寛 永 至 延寳 はや b 小 うた ﹂ と題 さ れ た
﹁淋 敷 座 之 慰 ﹂ を 見 ると 、 西 行 くど き木 遣 と題 す る木 遣 歌 があ る。
や れ 西行 が く
、 御 身 の名 を ば 、西 へ行 く と 書 き
、諸 國 修 業 に出 つ ると て、 尾 張 の國 に聞 えた る ,熟 田 の宮 に やす ら ひ て、 か ほ ど清 し を宮
す
や
た ち を 、誰 か熟 田 と つけ つら ん 、 そ こ で明 紳 御 返歌 に 、 やれ 西 行 よ ー
つ る に、東 へ行 く は 、是 も西 行 が 僞 り か、 おひ かけ 中 の綱 か ら聲 を か け 、 やれ 中 の綱 よ え
更 に 、木 遣 歌 を 集 め た 地 方 用 文 章 を 見 る と 、﹁西 行 の ぼ ん 樣 ﹂を 詠 ん だ 歌 が四 首 あ る 。 そ の 中 で も 、 西
璽
・
a60
行 馬 士 歌 と題 す る次 の歌 の 如 き は、 前 の歌 と同 樣 に、 西 行 も な か く
るo
隅 にお け な い洒 落 者 とな つて ゐ
扱 西 行 の ぼ ん樣 が、 諸 國 修 行 の そ の時 に 、か ら 尻 馬 に打 乘 り て、 田 子 の浦 を 通 ら る る 、馬 子 の顏 を詠 む れ
ば 、少 し の や けど を 見 付 け 出 し、 一首 の洒落 句 を 詠 ま れ た り 、 昔 より 名 歌 歌 人 は 多け れ ど , 我 は 貫 之 ま ご
は面 燒 と詠 ま れ たり 、 馬 子 は 大 きに 腹 を 立 て、 西行 の顏 を な が む れ ば 、少 し の瘤 を 見 付 け出 し 、 我 も 一首
詠 ま ん と そ 、 田子 の浦 打 出 て見 れば こ ぶ ね出 す 、 それ は富 士 の根 、 西 行 は 耳 の根
ま た 、 熟 田 西 行 と 題 す る 歌 は 、 前 の 西 行 く ど き 木 遣 の 變 化 し た も の で あ る。 花 戸 の 西 行 と 題 す る歌 は
西 行 在 俗 中 の 話 で 、 次 に 出 す 歌 に も よ み こ ま れ た 染 殿 院 と の戀 話 で あ る か ら 省 く と t て も 、 阿 漕 西 行
と 題 す る 歌 は な か ノ丶 面 白 い。
のり
扨 西 行 の ぼ ん樣 の、 そ の古 へを 尋 ぬれ は、 鳥 豺 の院 の身 の内 で、佐 藤 兵 衞 義 清 と、 も と 北 面 の侍 よ、 たけ
とうナみ
一寸 の燈 心 が 、 五分 も たた ざ る そ の内 に、 百首 の歌 を 詠 ま れ たり , そ の頃 一の后 に て、 染 殿院 と 申す る に、
一夜 の惰 を かけ ら れ て、叉 いつ の夜 に と問 う たら ば 、染 殿 院 は そ の時 に、 我 も 主 あ る事 なれ ば 、 それ は阿 漕
りり
に候 や、 義 清程 の歌學 者 も、 阿漕 の 二字 が 知 れす し て 、髮 切 つて西 へ投 げ 、 身 は墨 染 にま と ひ つ つ、名 を
西 行 と 法 名 し 、 阿 漕 の修行 に出 で給 ふ、 さ て そ の時 、攝 津 の國 を逋 ら る ゝ、 向 ふよ り し て舍 人 が、 牛 を引
逝 世 丈 學
6
361
國
文
學 襟
読
◎
き連 れ て 、持 ち た る竹 を 振 り 上 げ て、 あ こ ぎな 奴 と 怒 り け り 、 西行 よ し を見 るより も , のう く いか に舍 6
2
っ
﹂
人殿 、 御 身 只今 阿漕 が奴 と打 ちけ る は、 竹 が あ こぎ か、 牛 があ こ ぎ か 、 あ こ ぎ と 申す そ の譯 を 、 轂 へて賜
は れ 舍 人 殿 、 舍 人 は よ し を聞 く より も 、心 にを かし く思 ひ つゝ、 あ こぎ と 申 す そ の譯 は 、今 朝 牛 部 屋 にあ
ぼく
り し 時 ,餌 物 を與 へて候 が、 道 牛 丁 も 來 ぬ 内 に、 一度 な らす 二度 な らす 、 三度 迄 道 芝 牧 す は 、是 は あ こぎ
に あ る ま いか 、 こ ゝに 一つ の譬 あり 、 オ ・伊 勢 國 阿 漕 が浦 で引 く網 も 、 た び 重 な れ ば あ ら は れ にけ るそ や
阿 漕 が 分 ら な い の で 戀 を 投 げ 出 し て出 家 し た と 云 ふ 西 行 は 、 と ぼ け た 男 で は あ る 。 こ れ は さ う し た 民
間 の傳 詭 が あ つ た のを 歌 つ た も の で あ ら う 。 か う し た 歌 は 木 遣 歌 ば か b か と 思 ふ と 、 さ う で は な い 。
ば し よ り に 衣 を ひ つち よ い、 笠 は阿 彌 陀 に後 へか ぶ つて 、 あ
江 戸 時 代 の 末 に 流 行 し た 越 後 節 と 云 ふ 流 行 唄 が あ る 。 そ の 歌 本 に こ ん な 歌 が 出 て ゐ る。
西行 え 和徇 樣 .江 戸 さ へ來 ると て、 じ んく
つ ち ら向 いて はち や ん ころ り ん、 こ つち ら 向 い ては ちや んこ ろり ん と 、 鉦 を鴫 ら し て ひ よく ら く ひ よ い
にい
と 、 八 つ山 下 の茶 屋 へつ つ入 つ て 、 お休 み な され ば 、茶 屋 の娘 が茶 臺 に茶 を 汲 み 、 ち やく ら ち や つと ち や
・
ん出 し て 、 か ね て名 高 き和 徇 様 な れ ば 、 お十 念 を と お願 ひ申 せ ば 、數 珠 押 しも ん で お授 け な さるを 、娘 よ
く 茎丶 指 折 り 聞 けば 、 一遍 多 さ に、 申 し 西 行 さん 、 今 の お十 念 一遍 餘 計 と 云はれ て、 和 徇 の仰 る 事 に や,
餘 り そも じ の梅 花 の 香り と きり やう に見 と れ イ
丶 一遍 多 い が、 そ んな ら こ ちら の簾 垂 の小蔭 で 、 一つ取 ら
,
う と 云う た の がを かし 、 や んれ
此 の 歌 に 至 つ て は 、 當 世 流 行 の 言 葉 で 言 へば 、 百 パ ー セ ン ト の エ ロ味 のあ る 、 最 も 尖 端 を 行 く 所 の 西
し てゐ る・ そ れ は 兎 に角 ・良 寛 の歌 が當 蹼
に入 。 に膾 炙 し てゐ て・ 讐
蹊 さ へそ れ を
廊
行 と な つ てゐ る、
。勿 論 西 行 の當 時 に 八 山 下 に 茶 店 があ つ た か 何 う か な ど と 云 ふ 事 は 問 題 に は な ら な い 。
當 世 の バー カ フ エー で あ つ て も よ い わ け で あ る Q
×
良 寛 の話 は 、 か う し た 種 類 と は 別 の 事 で あ る 。 此 の頃 、 閑 田 文 草 を 讀 ん で 、 そ の ﹁秋 の 田 面 を 見 る ﹂
と題 す る 文章 の中 に、 次 のや う な 文 句 のあ る事 を 見出 し た 。
花 の散 るを 惜 し む は さ る 事 なれ ど ,飢 え ては 花 も見 る心 地せ じ ,世 の中 よ かれ 我乞 食 せ んと 云 へる ひち り
も あり きo
此 の ﹁世 の 中 よ か れ 我 乞 食 せ ん ﹂ と 云 ふ 歌 は 、 私 の 記 憶 で は 良 寛 の 作 に あ る 。
春 は 雨 夏 夕 立 に秋 日 照 り 世 の中 よ かれ 我 乞食 せ ん
此 の 下 句 は い か に も 良 寛 の 句 ら し い。 閑 田 文 草 は 享 和 三 年 の 刊 行 で あ る か ら 、 此 の 文 章 は 、 遲 く と も
荏
享 和 二 三 年 頃 の 作 で な け れ ば な ら な い 。 時 に良 寛 は 四 十 有 餘 歳 で 、 享 和 三 年 の翌 年 に ほ 良 寛 は 國 上 山
の五 靂
近 世 丈 學
國 文 墨 藻 説
引 い てゐ ると 云 ふ 事 が私 の興 昧 を索 く 。 蕎 蹊 は良 寛 よb 二十 餘歳 の年 長 で あ る。 屋 代 弘 賢 の輪 池 叢書
に良 寛 子 歌 が入 つて ゐ る事 や、 龜 田 鵬 齊 の書 が北 越 巡 遊 後 、 良 寛 の影響 を 受 け て 一變 し た と云 ふ逸話
な ど を 思 ひ 合 せ ると 、當 時良 寛 が都 で も江 戸 でも 學 者 の問 に入 氣 者 とな つ てゐ た 事 が察 せら れ る であ
ら う 。 (相 馬 御 風 氏 の大 愚 良 寛 と大 島花 束 氏 の良 寛 全 集 の年 表 と で は 、良 寛 の傳 記 に 一年 つ つの差違
が あ る の は何 故 であ らう か)。
良 寛 の方 は同 じ 入 氣者 でも 不 難 であ る が、 西行 に對す る江 戸 民 衆 の考 へ方 は、 今 の我 々の考 へと は
も
へ
う
甚 だ 違 つ てゐ る。滑 稽 洒 落 で、 おま け に色 氣 ま でも 充 分 に持 ち あ は せ て ゐ るぽ ん樣 であ る。 全 く 江戸
へ も も リ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ
の民 衆 に同 化 せら れ た 江 戸 時 代 入 種 とし ての 西行 と な つて ゐ る。 だ が さ う云 つた か ら と言 つて も、 か
いぎ や うな 事 を 申 す と り やう く わん 罷 り な ら ぬ ぞ な ど と云 ふお 叱 り は 御 免 を蒙 b た い。 そ れ 紋私 の意
見 でも 圭張 でも な く 、 た だ 事 實 がさ う あ ると 云 ふ事 を 述 べた に過 ぎ な いのだ か ら。
×
付 け加 へて置 き た い事 があ る。 歌 入 國 學 者 にし て花 街 に遊 ぷ事 は 、入 間 であ る以 上 入 情 の然 らし め
る所 で あ ら う が、 雅 文 で こ れを 物 し た も の があ る から 二三 紹介 し て置 く 。 尤 も 黒 澤 翕滿 や澤 田 名 垂 な
ど のや う に 、閨 中祕 事 を雅 文 で描 いた 煽 情 文 學 の作者 も學 者 の 中 に は あ るのだ から 、 これ な ど は極 め
364
見 え てゐ る が、 國 學者 は そ れ程 で は な い。 だ が本 居 宣 長 な ど も若 い時 は、
て お と なし い方 で あ る。 漢 學 者 の方 で は花 街 に遊 ぷ事 は 公 然 の秘 密 とな つて ゐ て、 川柳 や洒 落 本 に は
そ の間 の う がち も いろく
京 都 遊 學 中 な ど 、 此 の 方 面 の勉 強 も や つ 元 事 が あ る ら し い。 岩 下 貞 融 の 歌 文 集 不 繋 舟 を 見 る と 、﹁月 夜
の 手 す さ び ﹂ と 云 ふ題 で 、
いに し 年武 藏 野 を わけ け る時 . ひ と日 淺 草寺 に まう で 、隅 田川 原 に逍 遥 し て 日 もや う ノ丶 暮 れゆ けば 、 な
に が し の里 を とひ て 、 あ る女 の も と に 一夜 の夢 を 結 び し 事 も あり け り。 常 な ら ぬ夢 の中 に は深 き情 も こ も
れ ば 云 々。
つ ま b 淺 草 參 詣 か ら 飛 ん だ 謀 飯 を 起 し て 、 近 所 の吉 原 に 遊 ん だ と 云 ふ の で あ る。 さ う し て 、 そ の 相
方 の 身 の 上 話 を 綴 つた の が 此 の 一文 と な つ て ゐ る。 頗 る お や す く な い 文 章 で あ る 。 諾 な る か な 、 此 の
貞 融 は 、 か の 江 戸 繁 昌 記 の 著 者 な る漢 學 者 寺 門 靜 軒 の著 、 痴 談 の 序 文 を 書 い て ゐ る 。 多 分 と も ム∼ 仲
に遊 ん だ仲 な の であ ら う 。
香 川 景 樹 の 桂 園 遣 文 の ﹁新 尼 を あ は れ む 文 ﹂ を 見 る と 、一
い と若 き 尼 に あ へり 、 よく見 れば 知 る人 なり けり 。 八年 計 さき に や、祗 園 のほ と り に通 ひ たは む れ し 頃 、
い かた
ち 6
5
と よく 琴 彈 く子 の あり け れ ば 、 し ば み丶 彈 か せ て聞 き遊 びけ り 。人 より 顔 容 よ かり し け に や 云 々。 3
逝 世 丈 學
國 文 學 襍 読
と 記 し て ゐ る 。 景 樹 の 若 い頃 、 祗 園 先 斗 町 あ た b に 遊 ん だ 時 分 に 馴 染 だ つた 女 、 琴 1 ー 多 分 は 國 學 者 6
6
3
の よ く 言 ふ、 三 味 線 の 琴 だ ら う ー
が上 手 で 、顏 も美 し い、そ の昔 なじ みの 女 が今 尼 に な つてゐ るの
に 出 あ つ て 物 し た 文 章 で あ る 。 尤 も ,景 樹 が 此 の 道 に か け て も 、和 歌 の 道 と 同 樣 に 、 な か ノ 丶 發 展 家 で
あ つた 事 は 定 評 が あ る か ら 、 此 ん た 事 が書 い て あ つ て も 、 敢 へて 怪 し む に は 足 ら な い 。 (昭和五年 +月)
附 記 最 近 、山 家 心 中 集 が複 製 刊 行 せ ら れ た。
.L 辱
妙 舟 奇
談
政 治 季節 にな ると 怪 文 書 が勵 れ 飛 ぶ。 併 し 怪 文書 が横 行 す る事 は政 治 界 だ け では な いら し い。 文 壇
學 藝 界 にも これ があ る。 例 の ﹁文 壇 照魔 鏡 ﹂ の如き は甚 だ 有 名 で あ る。 此 の書 が出 る や 、文 壇 に大 き
手 に入 h難 い。
い渦 を 卷 き 起 し て、 訴 訟沙 汰 と ま でな つた。 ま た、 此 の書 名 を も じ つた 、 或 は内 容を 模 し た書 も 若 干
出 てゐ る。 ﹁文 壇 照魔 鏡﹂は 珍本 の 一つと し て、 今 はな かー
勿 論 、 いた づら に入 を 中傷 誹 謗 し て、自 ら こ ころ よし とす る が如き は 、士 君子 のなす べき行 爲 で は
な か ら う 。 ま た 、 さう し た 書 夕讀 む 事 も 、必 す しも 楡 快 で は な い。 だ が、そ れ が、遶 い過 去 の事 件 とし
て 、 第 三者 の立場 か ら 見 る時 、興 昧津 々た るも の があ る。 ま し て 、火 の な い所 に煙 のたた ぬ道 理 で、魑
そ の罵 詈 讒 謗 の中 に、多 少 と も 、當 時 の眞相 に觸 れ るも の が あ り、裏 面 に隱 され た る事 情 和察 し得 る
6
7
と い ふ事 は、 讀 書 子 を し て、怪 文書 にも多 大 の興 昧 を 戚 せ し め る所 以 であ る。 そ こ で、 今 、 幕 末 に現 3
瓩 世 丈 學
●
國 文 學 ,
襍 読
喝
れ た 怪 文 書 に就 い て、 自 分 の 興 眛 の赴 ぐ ま \ に 述 べ て 見 る 事 に し よ う 。
國學 者 畑 の者 に取 つ て 、興 昧 の深 いも の は 、何 と 云 つても 、﹁し b う 言 ﹂とそ の 一類 の書 で
こと
わ れー
あ る。 ﹁し りう ご と﹂正 し濠
﹁鷦 覊 しb う ごと ﹂と云 ふ。 三卷 。天 保 三 年 正 月 の源 朝 臣 と 記 し た序 文
ここ
との
や
があ り、 小詭 家 主 入著 と な つて ゐ る。 小説 家 圭 入 の自 序 も あ るコ 内 容 は次 の六 項 か ら 成 つ てゐ る。}
一.聖徳太子平 田篤胤を臀 る .
二、本 居宣長海野幸典 子を詰 る
三 、祕天大僣正小山田與清 を呵す
四、太田南畝 石川雅望を懲す
五、紀 貫之岸本由 豆流を嘲 る
六、弘法大師屋代輪 池翁を論す
何 れも 、 相 當 學 識 の あ るも の が記 し た と見 え、 讀 ん で面 白 いば か bで な く、 當 時 の學 界 の表 裏 を言 ひ
盡 くし て .興 眛 が深 い。 此 の書 は 、 川 崎 重 恭、 西 教 寺 某 、光 徳 寺 某 、 小林 歌 城 等 の合 作 であ ると云 ふ
へ國 書 解 題 )。
此 の書 が出 で て、當 時 の學 界 に可 成 b の波 紋 を 描 いた ら し い。 即 ち論 辯 駁 撃 の書 が數 々出 て ゐ る。
368
︻
,
難 後 言﹂はそ の 一つで 、
六樹園 を誹れ る小設家 に答ふ
■
と題 し 、六 樹園 の爲 めに辯 護 し て ゐ る。 石 川 門 入 の著 、 こ れ は石 川 雅 望 の門 入 と云 ふ意 で あら う。 友
入 の花園 春 香 が、﹁し b う ごと ﹂を 持 つて來 て、 著 者 に見 せた の で、 病 中 に筆 を と つて、此 の書 を 記 し
た と云 ふ旨 の奥 書 があ る。 此 の書 は、 花 垣 幸 國 の著 で あ ると 云 ふ(國 書解 題 )。
﹁
、
鳥 おど し﹂は 川 崎 重 恭 の著 で、﹁し b う ご と﹂の中 、 平 田篤 胤 を謗 れ るを、 篤 胤 の爲 めに辯 護 し た も
の、 天保 九 年十 月 の越 智逋 澄 の序 文 、ま た 重 恭 の自 序 、及 び天 保 九年 十 扁月 の源 壽麿 の跋 文 が あ る。
若 し 、﹁し bう ご と﹂の著者 の 一人 に、 重 恭 が加 は つ てゐた とす れ ば 、 更 に重 恭 が本 書 を著 し て、師 な
る篤 胤 の爲 め に辯 じた と云 ふ事 は 、 あ ま b に芝 居 をし 過 ぎ る。・
﹁金 剛 談 ﹂は小 林 元 儁 の著 、﹁し b う ごと ﹂に屋 代 弘賢 の書 道 を 難 じ た の で 、更 に著者 が室 海 の言 に託
して
﹁
、 こ れを 駁 し た も の で あ る。
これ ら の著 書 は 何 れも ﹁百家 詭 林﹂ 及 び ﹁日本 隨 筆 大 成﹂(
第 三期 ) に入 つてゐ るか ら 、今 こ とみ 丶
ぐ 解 説 し 、内 容 を論 す る程 の事 は な い、 興 眛 の あ る入 は、 就 いて見 ら れ る がよ い。
さ て 、此 の﹁し b うご と﹂の著 は、明 ら か に、そ の以前 に現 れた 、﹁妙 々奇 談﹂を模 倣 し て編 ま れ たも の
迸 琶 文 學
369
國 丈 學 襍 艶
で あ る。 た だ ﹁妙 々奇 談 し は 漢 學 者 に 對 す る 誹 謗 の 書 で あ つ た が 、 ﹁し り う ご と ﹂は そ れ を 皇 朝 學 者 即 70
3
ち 國 學 者 に宛 て た も の で あ る。 ﹁妙 々 奇 談 ﹂に は 各 項 の終 に 狂 詩 が あ る が、 ﹁し り う ご と ﹂で は 、 そ ω代
b に 狂 歌 を 各 項 の 終 に 附 し た 。 ﹁し b う ご と ﹂の 角 書 も 亦 、 こ れ が ﹁妙 々奇 談 ﹂ に追 隨 せ る も の な る事
を 示 し てゐ る。
-
ヤこつぺい こちんのとうりくもらぬかゴみ
﹁妙 々 奇 談 ﹂二 卷 は 、 周 滑 平 先 生 著 、 門 入 、 五 覽 通 、 曇 無 鏡 編 集 と あ る。 次 の 七 項 よ b 成 る。 一
第 一囘 、良 雄 詮 二寳 齋 一
第 二囘 、 釋霹 詰 二志 佛 一 . ㌦ 第 三 囘 、 米蒂 罵 二山 亥 凶
第 四 囘 、 栗山 壓 二五山 '
第 五囘 、 紫 石 糺 二寫 三吟
第 六 囘 、現 心 地 獄 相
第 七 囘 .蛆 蠅 作 一
一
奇詩 輪
もん
じん
とんだいぎすぎぜんす
初 に 、 太 平 萬 年 冬 至 之 日 、 水 鏡 山 入 撰 の序 文 及 び 、 泰 平 萬 年 正 月 元 旦 、 受 業 、 富 臺 紀 杉 撰 と あ る序 文
が附 い て ゐ る。 前 記 の 目 録 の 中 で 、 第 一囘 か ら 第 五 囘 ま で は 當 代 高 名 の 五 入 の 文 入 盡 家 を 罵 倒 し た も
の で あ り 、 第 六 囘 よ b 第 七 囘 に 至 る 三 項 は 、 太 田 錦 城 が 、 世 の腐 儒 を 嘆 く 一段 が 書 か れ て ゐ て 、 下 卷
の 卷 首 に も 、 ﹁此 の編 第 六 囘 に至 b て 、 二 番 目 の 趣 向 に 入 る﹂と 記 し た の は 、 此 所 に 特 別 の意 昧 の あ る
もんじん ご だい
事 を 示 し て ゐ る。 第 一囘 よ b 第 四 囘 に 至 る四 項 に は 、 毎 囘 の終 に 狂 詩 を 添 へた 。 第 一囘 は 受 業 、 五 大
そうだいす みそくさいだいす の てつぼ っだ いす
壯 題とあb、
第 三囘 は友 入 、未 足齋題 と あ b 、第 四囘 は晩 學 弟 、 野徹 芳題 と あ つて、 これ ら の假名 は何
れ も洒 落 の めし た も の であ る。 而 し て、 各 囘 の終 に附 評 が附 いて 居 b 、最 後 の囘 に は、加 評 の他 に詩
が 一首載 つて ゐ る が、 これ ら は何 れ も水 鏡 山 入撰 と あ る。 挿 繪 が多 數 入 つて ゐ る。 本 書 も 亦 ﹁温 知 叢
の に起 因 し て ゐ る・ そ の事 は・下 に引 !、 ﹁妙 各
卸
書 ﹂ や 、﹁日 本隨 筆 大 成 ﹂ (第 三期 ) に收 録 せら れ た か ら 、何 入 も 容 易 に つ いて見 る事 が出 來 る。 但 し 、冖
飜 刻 本 に は、 初 に水 鏡 山入 撰 の序 文 な く、 ま た、 各囘 の終 に附 せ る水 鏡 山人撰 の附 評 も な く 、第 二囘
の狂 詩 の終 には 、受 業 、眞 仁 梅 題 と記 し てあ る が、自 分 の藏 本 には 、署 名 を缺 いてゐ る。 そ の他 木 版
本 と 相 違 の點 が少 ぐ な い。 これ によ つて見 ると 、飜 刻 本 に入 れ る如 き が初 版 で 、自 分 の藏 せ る本 (二
種 あ り) の如 き は、 水 鏡 山 入 が序 及 び附 評 を加 へて改 版 刊 行 せ る再 刊 本 であ ら う か。 明 治 以後 にも 後
刷 の刊 本 が出 てゐ る か ら 、そ の世 に行 はれ た 事 が解 る。
者 の見 立 角 力番 附 が・ 不 公平 で あ ると一
至
元 來、 此 の ﹁妙 々奇 談﹂ が世 に出 で て、 學者 仲間 を 騷 がす に至 つた の は、 文化 十 二年 に世 に發 表 せ
られ葎
近 世 丈 學
ズ ほ お
談 辨 々正 ﹂の文章 で、前 後 の事 情 が明 ら か であ る。 從 つ て本 書 の中 でも 、
そ の番 附 の事を ひど く 罵 つ て
ゐ る。 此 の番 附 は、 幸 ひ飜 刻 本 の編 者 が得 た と云 ふ の で、 ﹁妙 々奇 談﹂の終 に附 し て 、 活 版 で組 ま れ て
ゐ る から ・ 容 易 に見 る事 が出 來 る。 此 の番 附 を 見 る と 、前 記 の槍 玉 にあげ ら れ た 五人 の高 名 の文 人畫
家 は・
何 れ も番 附 の初 め 三役 の所 に座 つ てゐ る入 であ b 、 行 司 には 太 田蜀 山入 がな つ てゐ る。 而 し て、
太 田錦 城 の名 は そ の中 に見 え てゐ な い。番 附 の版 元 は素 山堂 藏 版 と あ る。 こ れ が、 そ もノ丶 江 戸 始 ま
つ て以 來 の儒 者 騷ぎ と云 は れ る騷 動 の原 因 と な つだ の で あ る。
本 書 が出 ると 、そ の 著者 が問 題 と な つた が、何 入 の著 で あ る か全 く 明 ら か でな い。 世 入 は 、前 記 の如
く ・ 太田 蜀 山入 が番 附 の行 司 と な れ るよ り 、蜀 山入 の惡 戯 であ ら う と噂 し た。 ま た、 太田 錦城 の み.
﹁妙 々奇 談 ﹂及 び水 鏡 山入 の附 評 の 中 で 、錦 城 先 生 とあ が め ら れ 、學 界 の情勢 を 嘆 じ 、番 附 面 にも錦 城
の 名 がな い所 から 、 太田 錦 城 の作 で あ ら う と云 つた。﹁國 書 解 題 し に は、﹁周 滑 平 は、 武 藏國 高 麗 郡 飯
な い。 ﹁妙 寄
談後 篇 ≒ 論 妙 各
談 ﹂︹
,
妙
能 の藥 種 屋 に て、龜 屋 文左 衞 門 (俗 龜 文 と 呼 ぺb) と い ふも の な b、 同 宿 の金 村 醒 齋 の談 に、 江 戸 の
談 ﹂が出 る と、 極 譱 辯 の書 が出 た事 は 想 像 に讐
書 店 にて該 書 の稿 本 を得 て増 補 せ る由 云 へb﹂ と記 し てゐ る。
﹁妙 各
々奇談 辨 正﹂ ﹁妙 々奇 談 辨 々正﹂ ﹁妙 々奇 談 辨 々正附 録 ﹂ 等 の書 があ る。 ﹁
、
妙 々奇 談 後篇 ﹂二卷 は、 詳 し
3i2
ぐ は﹁學 者必 讀 妙 々奇 談 後 夜 の夢 ﹂と題 し 、 ま た﹁妙 々奇 談 後 篇 後 夜 の夢 ﹂と も 、序 文 には ﹁妙 々奇 談 下
篇 ﹂ と も 題 し てゐ る。 これ も周 滑 平 先 生 著 、門 人 、 五覽 逋 、 無 曇 鑑 、 全 稜 と あ つ て、ま た 、初 に、水
鏡 陳 入 の序 文 、門 入富 臺 紀 杉 の序 文 があ り 、水 鏡 山 入 著 と 記 せ る附 言 が附 い て ゐる事 等 、 大 方 、 正編
と同 じ體 裁 であ る。 そ の内 容 目録 は、 次 の六 項 よ b成 る。
第 一囘、泉岳 の義談
第 二囘、兩國 の佛談 ・
第 三囘、精塔 の靈談
第四囘、淺草 の精談
第 五囘、白山 の瀞談
第 六囘,矢倉 の星談
こ れも 、 泉 岳 の義 談 の項 では 、大 石 良 雄 が寳 齋 (
龜 田 鵬 齋 ) を詈 つて歸 り來 り 、他 の義 士 の靈 と 、寳
、 各 文 人 の罵 倒 を 重 ね た も の で あ る。 こ れ にも 、 最 後 の項 を除 く他 の 五項
齋 の事 に關 し 、 故 事 出典 を引 いて論 じ た趣 向 とな つてゐ て、 以下 、何 れ も 、 正編 の績 き の體 裁 と な つ
て ゐ る。 か ぐ て 、 ま た ー
に は・ 附評 が附 いて ゐ て ・第二 囘 は・ 受 業 ・搾顔 弼 ぜ 識 、第 二 囘 は ・受 業 、 五大 莊 識、 第 三 囘 は・ 受 跚
近 世 文 學
國 丈 學 襟 證
業 、 野 徹 芳 識 、 第 四 囘 は 眞 仁 梅 識 、 第 五 囘 は 友 人 、 未 足 齋 識 と あ る。 矢 張 b 學 識 の あ る 入 の 著 と 見 え
て 、或 ひ は 、正 編 と 同 じ 著 者 か と 思 は れ る。 こ れ に は 挿 繪 は な い が 、 初 に 、 七 葉 程 、 口繪 が 載 つ て ゐ る。
﹁論 妙 々 奇 談 ﹂ ﹁妙 々奇 談 辨 正 ﹂ の 二 書 は 未 見 の 書 で あ る が 、 ﹁妙 々奇 談 辨 々 正﹂ 一卷 は 二 種 の 本 を 藏
し て ゐ る。 こ の 書 に よ つ て 、 前 記 二 書 の 存 し て ゐ る 事 を 知 つ た の で あ る 。 本 書 の 序 文 に云 ふ 、
水 鏡 山 人 辨 々正 を 一覽 の折 節 、 門 人來 訪 者 あり 。 山 人 の几 邊 に坐 し て問 て 日 、奇 談 は 周 滑 平 の作 と慥 に本
あで
な む
む む む
む
書 に當 名 あ り 。 何 故 に世間 に て兎 や角 と 作 者 穿 鑿 を す る 事 そ や。 又 近 頃論 妙 々奇 談 と 云 ふ書を 作 る者 あり 。
周滑 平 の傳 を悉 く 擧 た り。 然 る に刊 行 す るも の取 り 落 し て 載 ざ る故 、周 滑平 は如 何 な る 人 と 云ふ 事 を知 ら
奇 談 は 青 梅 の人藥 師 屋某 の作 也 と い ふ。 こ の詮 は 如 何 ぞ や と , 山 人 答 て 日 、 こ れも 叉 周 滑 平 の外 に別 に作
たんと きつい もん た る
者 を 堀 り 出 し た る も の也 。畢 竟 前 編 に、 南 都 の人 、 姓 は 逵 追 .名 は 文 、字 は 田呂 と 云 ふも の序 を作 り て、
す 、滅 多 に當 推 量 の作 者 捜 を す る 事 に は なり たり 。 これ を 見 さ つせ い、 周 滑平 の人 物 よ り 奇 談 を 著し た る
左 の通 り
始 末 が歴 然 じ やと 出 し 見 す れ ば 、 門 人喜 ん で披 き見 る。 山 人 云、 ナ ントズ ラ リ ト分 カ リ マシ ヤゥ ナ、 其 文
ス カ ペ イ
ナレト キヅイ モンダロセンス
と て 、 ﹁附 妙 々奇 談 原 序 ﹂ と 題 し 、 ﹁南 都 、 逵 追 文 田 呂 撰 ﹂ と 云 ふ 、 漢 文 の 戯 文 を 掲 げ て ゐ る。 こ れ は
周 滑 平 の名 に因 ん で綴 つた 、穴 盡 し の戯 文 に過 ぎ な い。 妙 文 ではあ る が、 こ こ に載 せ る事 を憚 る。 次
374
に 、 晩 學 弟 、 野 徹 芳 題 と 記 し た ﹁妙 々奇 談 辨 々 正 序 ﹂ が あ る 。 そ の 中 に 、 ﹁周 滑 平 の實 名 を 搜 ら ん と 、
む 當 推量 をす る中 に、 蜀 山入 と い ふも の のみ多 か bし を 、 此頃 、 辨 正 と いふ書 を 著 し 、錦 城 也 と決 定 し
もつとも む ちやく ちや
て、 其論 せ し 事 尤 以 無 擇 苦 擇 な b﹂ と記 し て ゐ る。 さ て、 本 文 は、 周 滑 平 先 生 鑒 定 、 門 入 、 五覽 通 、
とんだいき すぎ ごらんのとほ9くもりぬか野み じんじ まい み そくさい こ セいそう
無 曇 鑑 著 と な つ て ゐ て 、 富 臺 紀 杉 、 五 覽 逋 、 無 曇 鑑 、 眞 仁 梅 、 未 足 齋 、 五 大 壯 等 が 各 々あ ひ 談 す る 形
式 と な つ て ゐ る 。 恰 も 、 今 日 の 座 談 會 の筆 記 と 云 つ た 體 裁 で あ る。 〃、の 中 に 、 ﹁妙 々奇 談 ﹂を 敷 衍 し て 、
詩 佛 、 五 山 、 米 庵 、 鍵 老 等 の 諸 家 を 詈 b 、 ﹁辨 正 ﹂が 、 世 に 蜀 山 人 の 作 と 喰 せ る を 否 定 し て 、 太 田 錦 城
の作 と 論 じ た の を 、 更 に 駁 し て 、 ﹁妙 々 奇 談 ﹂が 蜀 山 人 の 作 で も な く 、 太 田 錦 城 の 作 で も な い事 を 力 説
し 、 當 時 の 文 入 の腐 敗 墮 落 に言 及 し て ゐ る。 そ の 中 に 、 ﹁妙 々 奇 談 ﹂の 成 立 に關 し て 説 い て ゐ る 所 が あ
るo
五覽 通 日 、文 化 + 二 乙亥 の冬 、 五山 天 民線 陰 晋 齋 竹 谷 轄輩 、 同 じ く謀 り て名 士 品題 を 作 り 、 角力 番 附 に擬
し て、 一枚 摺 と し 賣出 せ し に 、 翌年 そ の班 列 皆 愛 憎 の私 に 出 て、公 論 なら ざ る故 .鵬 齋 因 是 詩 を作 て是 を
へ
んい ざい
詰り 、南 畝 覃 山 儒 の歌 有 。 錦 城 も 叉 詩有 。 且 天 民 に書 を 鱠 て そ の失 當 を辨 ぜ ら れ たり 。 然 る に邊 以再 返 て
そ し へつびり いつ
錦 城 タ譏 刺 ひ ,蜀 山 人 放 尻 儒 者 の狂 詠有 。 叉吉 川逸 と い ふ者 有 り 。 書 タ錦 城 に賂 て、 番 附 の作 を 押 付 ん と
たξ しん 75
せし ゆ へ、錦 城 麟、
妄 を 作 り て其妄 を 正 し .臺 北眞 逸吉 川 を 妄 人 と し て大 言 を吐 き 、 深川 牛 陰 辨 妄 の辨 妄 た 3 .
迸 世 丈 撃
國 丈 學 襍 説
も妄罪
姦
に投する の書を齎 の文有り ・その往來艨
導
.南畝が所謂江 戸.
蠏,
蠧
者
76
O
3
る所以を書 瞭饕
騒 、 評 判 自 二富 士 山 一
高 と は 是 を い ふ 也 。 此 一件 則 我 先 生 奇 談 の 種 に し て , 其 極 意 は 、 當 時 世 に 噪 し き 人 等
も . 皆 是 賣 名 射 利 、 そ の 心 の趣 く 所 尤 賤 し む べ き を 、 そ の 評 判 聲 譽 の高 き に 迷 ひ . 了 簡 な し の農 商 の 子 弟 、
おのつか ,
かく
詩 人 に な ら ん の 、 學 者 に な ら ん の 、 或 は 書 、 或 は 畫 、 そ の 門 々 に 入 て 、 自 ら 弄 妓 戳 酒 の道 を 開 き 、 斯 有 難
御 代 に 佳 ん で 身 を 治 る 事 を 忘 れ . そ の勤 む べ き 業 を つ と め す 、 太 平 の 天 地 聞 、 無 用 の人 と な る 事 を 見 る に
つ け 聞 に つ け 、 氣 の 毒 に お も は れ 、 此 弊 風 を 救 は ん に は 、 い か な る 方 便 を 成 さ ん と 思 推 せ ら れ 、 忽 ち 一つ
ならべたて
の 趣 向 を 考 へ、 諸 先 生 の 隱 里 を 捜 し て 並 立 、 見 よ 今 名 の 人 と 成 り て も 、 皆 か く 志 の 耻 か し く 、 叉 淺 ま し き
も のな れ ば 、 百姓 や商 人 の家 に生 れ し 子 弟 た る も の、 必霹 み願 ふ 事 なく , 先 組 より 傳 り た る そ の家 業 を 能
累 つと め 、 孝 弟 の 心 を 專 ら に つ と め さ せ ん と の 老 婆 心 也 。 此 心 を 悟 ら す し て 、 只 猥 に 諸 名 家 を 謗 り 罵 る と
みるひと うま
の み 思 ふ は 、 我 先 生 の 本 意 に あ ら す 、 看 官 そ れ 此 事 を 熟 く さ つ し 玉 へ。
こ れ ら の 外 、 興 昧 深 き 記 事 が散 見 す る。 此 の 書 は 、 矢 張 り 、 ﹁妙 々 奇 談 あ 作 者 と 一味 の入 の 著 で あ
ら う か。
﹁妙 々奇 談 辨 々 正 附 録 ﹂は 、 水 鏡 山 入 戯 編 と あ つ て 、 初 に、 は し がき が あ る。 そ の 中 に、
辨 正 を作 るも の 、作 者 の本 意 を も 呑 込す 、 己 れ が偏 頗 の 心 より 、無 理 に此 書 を 錦 城 の作 に推 し付 ん とす る
6
は 、 錦 城 が高 名 を妬 忌 す る の小 人 な り 、 あれ で は、 や はり 泥 犁 の責 を 冤 が れ ま い、 さ て く
困 つた も のじ
や と ,獨 り 思 案 の机 に據 り て考 へ居 る折 し も ,忽 ち 筌 中 よ り 飜 々と落 るも の あり 。 怪 し み な が ら拾 ぴ取 り
て披 ら き 見 れ ば 、 彼 角力 番附 の節 ,手 ン手 に作 り 出 し た る 詩 文 ど も 也。 さら ば あり の ま ゝにこ れ を擧 げ て、
て 、 一ト 卷 と は な し ぬ Q
當 時 の事 實 を見 せ た らば 、 自 然 と辨 正 の樣 な 無 醴 な 事 を 云ひ 出 すも のは あ る ま い 、 一葉 落 れば 一葉 を 書 載
せ 、拾 ひ く
と 記 し て ゐ る 如 く 、 名 家 の作 に な る 詩 文 を 收 録 し た 書 で あ る 。 目 録 に は 文 四 篇 、 詩 十 首 と 記 し て ゐ る。
祝 鵬 齋先 生
狂詩
駁 三妄 男 子讀 二愚 童 子 書 一
與 二太窪 天 民 一論 二名 士 品 題 一
書
名派 品 題歌
擬答 大 田公 幹 書
鵬齋
因是
南畝
寺 子祚
錦城
無名氏
太窪行
そ の 内 容 は 、 次 の如 ぐ で あ る。
帥 事 和 因是 道 人韻 (四 首 )
迸 世 文 學
377
國 文 學 襍読
﹂
晴軒
詩 (二首 ) 錦 城
同前
こ れ に よ る と 、 文 一篇 が 足 り な い が 、 私 の 藏 本 は 一葉 缺 け て ゐ る の で 、 文 一篇 と 、 太 田 南 畝 の 狂 詩
の 初 と が 失 は れ て ゐ る も の で 、 兎 に 角 目 録 の 如 く 、 文 四 篇 と 詩 十 首 を 收 め た も の で あ ら う。 且 つ 、 こ
こ に 收 め た 詩 文 こ そ は 、 前 に引 いた {
、
妙 々 奇 談 辨 々 正 に 記 せ る 、 此 の 儒 者 騒 ぎ に 關 す る 一件 書 類 で 、
何 れ も 、 彼 の角 力 見 立 番 附 を 原 因 と し て 、 捲 き 起 さ れ た 渦 卷 の 中 で 、 應 酬 せ ら れ た 詩 文 で あ る。 こ れ
を 、 ﹁妙 々奇 談 辨 々 正 ﹂の 記 載 と 併 せ 見 る に 、 欲 け た る 一篇 の 文 章 は 、 吉 川 逸 の 記 せ る 文 章 で あ ら う か 。
今 、 試 み に 太 田 南 畝 の 狂 詩 の終 の 方 を 引 い て 見 る 。
ノ チ アラワレテレ シメツケ ゴ メン ぐ ト ナクコトカギリみシ
此 山 忽 露 被 二占 付 一 御 冤 々 々 泣 無 レ涯
ヤマクヅレ
テ モ シ シド ミンノ ナル
ガ
五 山 々 崩 一 山 無 天 民 如 二土 民 之 愚 一
ノ ノ
見 一 二 一 天 作 五 二 人 無 五 天 作 土
ノ
サハ
ギ
ハヨリ
ノ
シ
江 戸 始 之 儒 者 噪 評 判 自 二富 士 山 齢高
本 書 は 以 上 の 如 き 詩 文 を 收 め た 終 り に 、 附 録 と し て 、 ﹁翕 問 答 ﹂と 題 す る 、 自 髪 の 老 人 周 滑 平 と 水 鏡
山 人 と の 問 答 を .載 せ セ 。 こ れ に も 亦 附 評 が 附 い て ゐ る 。 此 の 書 と ﹂ 辨 々 正 と を 併 せ 見 れ ば 興 昧 が深 ぐ 、
,
37$
就 中收 載 の詩 文 には 、當 時 の文人 の裏 面 を 寫 し得 て妙 な るも の があ る が、 こ こ には く だー
し く引 用
し な い。 辨 々正と 、 附 録 の二 書 は 挿繪 も 口繪 もな い。 明 治 以後 の出 版 と 思 は れ る、後 刷 の本 には 、
﹁妙
々奇 談 ﹂ 二册 、 同 後編 二册 を 一册 に綴 ぢ て、 此 の辨 々正 と 附録 と の 二册 を加 へ、 合 計 五册 本 とし た も
の が出 て ゐ る。 但 し、 後 編 の 口繪 七葉 を 除 き、 辨 々正 の卷頭 の序 文 、 及 び ﹁附 妙 々奇 談 原 序﹂ の戯文
を 附 鋒 の卷 首 に移す 等 の 小細 工 が加 へら れ た 、 極 めて悪 本 で あ る。 大 阪 、 名 古 屋 、東 京 の十 三書肆 の
合 梓 と な つ て ゐる。 辨 々正と 附 録 と の 二書 は 同 一入 の作 で あら う。 而 し て、 そ の著者 は、 何 うし ても
太 田錦 城 に關 係 深 き 人 と 見 られ る點 が多 い。 こ れら 、﹁妙 々奇 談 ﹂を 辯 護 す る立 揚 の書 は手 にす る事 が
出 來 る が、 こ れ と反 齧 の立揚 にあ る ﹁論 妙 々奇 談 ﹂ 及 び ﹁辨 正﹂ の 二書 が手 に入 ら な いの は遺憾 で あ
るo
﹁妙 々奇 談 ﹂現 れ て 、 そ の 論 難 の 書 の み な ら す 、 模 倣 逼 隨 の 書 も 亦 世 に出 て ゐ る 。 前 述 の 國 學 者 に 封
する 一
、t b う 言 L も そ の 一で あ つた 。 而 し て 、 國 學 者 漢 學 者 歔 作 者 を 交 へ て、 誹 謗 し た 書 に、﹁才 子 必
讀 妙 々奇 談 ﹂ 乾 坤 二册 の 書 が あ る 。 題 簽 に は 、 か く の 如 く あ る が 、 内 題 に は ﹁才 子 必 讀 當 世 奇 話 ﹂ と
あ つ て 、 初 篇 眷 之 上 、 卷 之 下 の 兩 册 と な つ て ゐ る 。 (二 篇 以 下 は 多 分 出 な か つ た の で あ ら う 。) 何 毛 奨
韜 内 著 と あ る。 そ の内 容 は 次 の 如 く で あ る。
遍 優 文 學
379
國 文 學 縷 読
諍 呂水 滸 一
羅貫中罵 二
馬 琴の
論 二俳 諧 一桃 青 翕 懲 一
一
鳳朗 齢
董 太史 鹽 河 岸 訪 二
盛 儀凶
谷 文 晁 八 丁 堀 遇 二武 清 凶
難 語 之考 濱 臣 嘲 =守 部 一
先 哲 之 話 原 念 齋 読 二琴 臺 齢
地獄 之奇 談
毎 囘 繪 入 な る 事 、 ﹁妙 々 奇 談 ﹂に 傚 つた 、 ﹁し b う 言 ﹂と 同 一で あ る。 但 し 、 ﹁妙 々 奇 談 ﹂の や う に 、 そ
の 數 は 多 く な い。 太 甼 萬 年 冬 至 之 日 、 水 鏡 山 人 撰 の 序 文 があ る。 水 鏡 山 人 の 名 も 、 矢 張 b﹁妙 々 奇 談 ﹂ '
よ b 借 b 來 つ た も の で あ る。 ﹁妙 々奇 談 辨 々 正 ﹂に、
眞 仁梅 日 、水 鏡 山人 叉 一畸 人 也 、よ く奇 談 の趣 を 知り 、我 先 生 の心 を 悟 り 、 加 評 の辭 氣 皆 そ の心 の然 り と
ちかづき
す る 所を 得 た る者 也 、且 や先 生 面 晤 の人 にあ ら ね ど 、我 先 生 の作 な る 事 を 悟 るも の に似 たり 。 いか に とな
れば 、 卷 末 に附 せし 詩 に, 西 山 積 雪出 二雲 頭 一と は則 我 先 生 を指 し た る 也 。 先 生 の居 佳 は江 戸 より 西 の方 、
こ
ご
十 餘 里 隔 た る 田舍 也 。故 に西 山 と は 云し 也 。積 雪 は學 問 の古 故 高 嶺 を 以 て比論 せしも の也 (下略 )。
380
と 見 え て ゐ る。 ﹁當 世 奇 話 ﹂は い つ頃 の出 版 か 分 ら ぬ が 、 内 容 に よ つ て考 ふ る に 、 弘 化 二 年 頃 に 成 り 、
そ の頃 出 版 せ ら れ た も の で あ ら う 。 前 記 の 内 容 目 録 の 中 、 最 後 の ﹁地 獄 之 奇 談 ﹂ は 、 當 時 の 十 返 舍 一
九 、 柳 下 亭 種 員 、 萬 亭 應 賀 、 松 亭 金 水 、 二 代 目 春 水 、 畫 工 英 泉 等 に 樹 す る誹 謗 で あ る。 ﹁妙 々 奇 談 ﹂や
﹁し b う ご と ﹂に 較 べ る と 、 そ の内 容 は 著 し く 貧 弱 で、 前 二者 程 に學 問 の あ る 入 の著 述 と は 思 は れ な い。
詈 ら ん が 爲 め に詈 つ た や う な 所 が あ る。 今 、 自 分 の 興 昧 の あ る ま ま に 、 ﹁難 語 之 考 濱 臣 嘲 鷁
守部哺
﹂ の項
の全 文 を 引 か う。
辨 天 山 の守 部 ち か ご ろ大 人 の中 間 いり し て、 ち と のぼ せ氣 にな り 、 つま ら ぬ 著述 追 々出 來 せし が 、 あ る 日
思 の外 な る 愚陋 の御 人 な り 。 わ れ ら多
故 人 にな り し 清 水 渚 臣 忽 然 と出 き たり 嘲 て 日 、其 許 は方 今 詞 林 の 一名 豪 と 我等 泉 下 にあ つてう け た ま はり,
.
後 世 お そる べき 事 とか げ な が ら 、 た のも し く ぞ ん ぜ し に 、 さ て く
年 辛 苦 し て考 お き候 詮 な ど ,難 語考 を 御 著 述 にて 、 み な 御 とり も ち ひ な さ れ 、公 然 と上 木 し て, 御自 分 の
御 読 に な さ れ候 事 、至 て御 人 體 に似 あは ざ る 仕方 なり 。 衆 目 の昭 々た る 、か の淨 玻 璃 の鏡 より あ きら か に
て , 拙 者 の読 を ぬ すま れ た る と い ふ事 .今 では た れ し ら ぬも のも ご ざら ぬ よし 、 苟 も 先 生 株 の者 、右 樣 の
くるしからナ
始 末 に て愧 べき の甚 し き な り 。 た と へわ る く ても 不 苦 、御 自 分 御 力 に て御 考 な さ れ候 御読 を御 上 木 の方
が , は る か人 の詮 を ぬす む より はよ ろ し き 事 と存 候 Q 拙 者 の考 候 読 を 御 ぬ す み な さ れ ても ・拙 者 は な ん と 箇
近 世 文 肆
國 文 學 縷 読
も ぞ んぜ す ,し か し衆 評 か し ま しく 候 へば 、 拙 者 ひ そ か に御 自 分 の爲 には つ か しく 存 候 ゆ え .御 忠 告 申 な 8
2
3
り 。 一體 御 自 分 は 隨 分 今 の才 子 に て 、 御歌 も 相 應 に出 來 る やう にぞ んじ ら る ゝが 、 な んに し ても 、 人 の説
を ぬ す ま る ゝが至 て不 見 識 の いた り なり と いふ に 、守 部 頂 上 の 一針 にて 、赤 面 し な がら 負 お しみ の男 なれ
ば 、 イ ヤ それ はぞ んじ も よら す 、自 分 に お いて は人 さ ま の読 を ぬす み と.
り 候 事 な ど ,け つし てこ れ なく 、
難 語考 な ども 貴 公 樣 の御 設 と同 考 いた せ し と こ ろも あ る べく 候 が、 其 程 は ぞ んぜす 候 へども 、 それ は あ る
潮 け り わら つ て , イ ヤ左 樣 に 手つ よき 御 あ い さ つな らば 、 此方 に
にも いた せ、 世 の中 に 暗 合 と 巾 事も 候 へば 、 何 も 貴 公 樣 の御 読 を ぬ す み とり 候 な ど と申 わけ はけ つし てこ
れ な き事 也 と返 答 す る に 。 濱 臣 ま す ー
なナまるのたま
も ま だ 種 々御 話 が こ れ あ り 候 。 し か ら ば 難 語 考 の 儀 は 拙 者 の 読 と 暗 合 にも い た せ 、 御 統 瓊 の 御 設 は 本 居 翕
古 事 記 の傳 に 歴 然 と あ る 詮 な れ ば 、 こ れ は 暗 合 と は 申 さ れ ま じ , こ れ も 暗 合 と い は る ゝ な ら ば 、 御 自 分 古
事 記 の 傳 を し ら ぬ 固 陋 の人 と い ふ べ し 、 古 事 記 の傳 ヵ.
御存 知 な 費 や と つめ かく る に 、 イ ヤ承知 いたし てま
みずコ
る たま
か り あ る と い ふ 。 濱 臣 わ ら つ て 、 そ れ な ら ば 全 く 御 統 の 瓊 の 読 は 本 居 翕 の詮 な り 。 こ こ を も つ て か ん が ふ
なかば
る に 、 た と へ さ う で な い に し ろ , 難 語 考 も 牛 拙 者 の 読 の ぬ す み も の と 承 知 い た さ る ゝ。 ま た 御 世 話 な さ れ
し 下 蔭 集 な ど も .其 撰 の 疎 漏 な る 、 い ま ど き の 狂 歌 師 も と ら ざ る い や し き 調 の も の ば か り な り 。 此 御 手 際
で み れ ば 、 御 考 の 程 も お も ひ や ら れ て . よ い 御 読 の な い は し れ て あ れ ば 、 い か に も 人 の読 を ぬ す み も せ ら
れす ば 、 御 著 述 も出 來 ま じ。 ま だ拜 見 は いた さね ど ,な にか う け た ま はれ ば 、 長 歌 撰 格 と いふ御 著 述 あ る
よし , これ も 世 聞 の評 判 では 、 西國 の人 某 の作 を 共 ま ゝ奪 は れ た と の事 なり 。 昔 郭象 向 秀 が莊 子 の註 を ぬ
す み ,生 涯 汚 名 を負 て 死 せり 。 そ のとき に は. 人 も し ら じ と お も は れ ても , い つ か あ ら はれす にお るも の
に あ らす 。 世 に はつ か し き事 、 こ れ にす ぎ た る 事 は あら じ。 いま だ 世 間 へ出 ぬ が幸 、な ろう 事な ら長 歌 撰
格 も原 本 尻 持 の人 ある と き けば 、 御出 梓な さ ら ぬ が よ か ろう と ぞ ん す 6 。 いら ざ る 御世 話 な がら 、 お なじ
と し 、し ら み き つ て
みく にの學 問 を いた す ゆ へ、見 す て るも 本 意 な らね ば , 一片 の老 婆 心 を 申 の ぶる と .言 々句 々返 答 の出 來
ぬ 事 ば か り な れ ば 、 さ す が の守 部 も 閉 口 し . 生 娘 な ら ね ど 、 塵 を 撚 て 、 た ビも ち く
見 へた り け り 。 濱 臣 こ の あ り さ ま を 見 て 、 き の ど く に や お も ひ け ん 。 イ ヤ 左 ほ ど に 耻 ら る ゝ に も お よ ば す 、
た れ も 初 心 な う ち は 、 皆 御 自 分 の や う な も の な り 、 ち と こ れ か ら 學 問 い た さ る ゝが よ し 、 其 内 ま た ま た 御
意 得 ん と て 、 い つ く と も な く き へう せ け り 。
長歌 撰格 の事 など 、 事實 と は 思 へな い が、守 部 の存 生 中 、 長 歌 撰 格 は途 に上 梓 せ ら れ な か つた。 さ
て、清 水 濱 臣 が特 に守 部 を 詰 つた と い ふ に就 い ては 、兩 入 の間 の不 和 の事 が思 ひ出 さ れ る。 濱 臣 と 守
部 は交 友 親 し か つた が、 後 兩 入 は不 和 と な つた。 守 部 の家 集 ﹁穿 履 集 ﹂ に ﹁お のれ幸 手 にす みけ る比 、
清 水 濱 臣 いと 心ぎ た な き 事 のあ り け る に、 よ み て つか はし け るう た﹂が出 で、 また ﹁此 後 濱 臣 た びー
8
3
と ひ き て、 ひた ぶ る に なだ めけ れ ば﹂ と て短歌 を 載 せ、
﹁と は いひけ れ ど 、獪 や うノ丶 う と く な b にけ 3
近 世 文 學
0
國 文 學 襍 詭
bL と も 記 し て ゐ る。 温 厚 な濱 臣 と 。 心中 覇 氣 を 藏 す る守部 と が、 若 く し て相 よ く 、途 に絶 す る に至
つた浩 息 は 、澄 和 な 伜 信友 と 、覇 氣 あ る平 田篤 胤 が、始 め水 魚 もた だ なら ぬ交 を續 け、 後 絶 交 す る に
至 つた のと 、そ の間 の關係 が似 てゐ る。 兎 に角 、 ﹁
當 世奇 話 ﹂には 、濱 臣 を し て、 守部 を詈 ら せた のも 、
此 の問 の清 息 を 知る 入 の手 に な つたも の であ る から であ ら う。
﹁妙 々奇 談 ﹂關 係 の書 は 、 こ れ ら の他 に尚 數 あ る事 であ ら う が 、今 そ の詳 し い書 目を 知 ら ぬ。 た だ若
干 机 上 に あ る書 を繙 い て、此 の 解諡 を 物し た の であ る。 尚 博 覽 の士 の御 教 示 を 請 ひ た い。最 後 の ﹁當
、 文 學 上 の論 難 の書 が 、個 人 の攻 撃 に筆 を及 ぼ せ る事 、 貞門 と檀 林 と の論爭
世 奇 話 ﹂ の如 き、 これ も辯 駁 の書 が出 たか も 知 れ ぬ が、 そ の内 容 の貧 弱 な る事 は 、 寧 ろ辯 駁 の價値 な
き も の で あ る。 そ も く
の書 に名 高 きを 始 め、宗 敏 上 の破 邪 顯 正 の書 にも 數 が多 い。 今 聊 か幕 末 の此 の種 の書 二 三を 解 詭 す る
﹁當 世 奇話 ﹂の橘 守 部 の條 は既 に ﹁國 學 者 傳 記集 成﹂ に ﹁當 世 妙 々奇話 ﹂と 誤 b題 し て引 用 し て
所 以 は、 當 時 の學藝 界 に關 心 を有 す る者 に、 一顧 の價値 な し と は言 ひ難 いから であ る。
附記
あ つた。 また 、 橘 守部 全集 の小傳 に もそ れ によ つて記 せ る所 であ つた。 蓬 壼 草 文辭 部 は 、
﹁橘 守部 傳
記 資 料 一によ つだ の であ る が、 これ ま た前 記 小傳 に既 に云 へる所 で あ つた。 但 し 、そ の本 書 に關 す
る記述 には多 少 誤 があ るや う であ るか ら、 こ こ に解 説 し た所 を 參照 せら れた い。 (昭和二年二月)
3x4
追 記 そ の後得 た ﹁妙 々奇 談 ﹂ の材 料 を 次 に述 ぺ る。
刷、﹁慶 長 以來・
諸 家 著 述 目 録﹂の山 崎美 成 の條 に、
天保妙 々奇談 二卷
の名 が あ が つて ゐ るが 、自 分 は未 だ寓 目し な い。 美 成 の著 であ るか ら 、 き つと 面 白 いも ので あ ら う
と 思 ふ。
二、 文 献 志 林 第 三輯 に、飯 島 花 月 氏 の ﹁妙 めを 奇 談﹂ の紹介 が出 てゐ る。 此 の書 は 天 保 九年 二月 江 戸
の出 版 で小 形 折 本 であ ると云 ふ。 妙 めを と 假 名 書 し た のは 、谷 中 に住 ん でゐ た志 賀 理齋 が庭 樹 の下
で陰 石 一個 を 獲 た 、 丁度 そ の近 邊 に陽 石 を 持 つ てゐ た 人 が あ つた ので、 兩 石 を庭 中 に安置 し て諾 册
二狆 と祀 り 、都 下 知名 の入 々七 十餘 人 から 詩 歌 發 句 文章 を募 つた と 云 ふの が、 本 書 の成 b立 ち であ
ヘ
へ
るか ら 、 そ の陰 陽 に よ つて、 めを と 記 し た の であ る。 本書 の初 の 方 は ﹁道 のし を b﹂ と題 し て、 谷
中 近 邊 の案 内 記 とも 云 ふ べき 、 鳥 瞰 圖 があ つ て、 そ こ に居 住 し た諸 名 家 の家 々も 記 さ れ、 叉高 名 古
人 の墳 墓 の所 在 地 な ど も 記 さ れ てゐ る。 次 に、蜀 山 以下 諸 名 家 の陰 石 陽 石 に關 す る記 文 が集 めら れ、
れ る事 を も つ て見 れば ・ プ
﹂れま た か の斥非 の書 ・ 妙 蕃
談 の餘 波 と も 一
否 得 るで
隨 筆 考 證 的 文章 が數 多 く見 え る と云 ふ。 要 す る に、 そ の内 容 に儒者 國 學者 の名 の多 く 散 見 す る事 や 、
そ の文章 の多 蠢
逝 世 丈 學
狗
∂
國 丈 學 榛 設
あ ら う。 妙 々奇談 ⋮
辨 々正 附録 には、 蜀 山等 の詩 文 の集 め載 せ ら れ てゐ た事 前 に説 いた 如 く であ る。
三、前 に見 る事 を得 な か つた と 記 し た ﹁妙 々奇 談 辨 正﹂ を 、 近 頃 手 に入 れ た。 つま り ﹁妙 々奇 談 ﹂ の
作 者 を推 し量 つた﹁妙 々奇 談 辨 正﹂、そ れを 辯 駁 した のが﹁妙 々奇 談 辨 々正﹂で、 此 の爾 者 の中 間 に入
る べき も の、 順 序 顛 倒 では あ る が、次 にそ の略 解 題 を 試 み る。
紅
妙 々奇 談 辨 正中 本 二卷 、初 に文政 己 丑 (十 二年 )孟 春 の北 海 逸 民 の漢 文序 あ b 、
﹁か つし か郡 のさ と
入 な に が し﹂ の和 文 序 があ る。 次 に戯盡 二葉 、洒 落 齋 の題 詩 あ り。 蘆 庵 言 孫子 著 と あ る。 内 容 は、
種 々の點 よ b考 察 し て、 妙 々奇 談 は 世評 の太田 蜀 山入 作 と 云 ふ は誤 b で、 太田 錦 城 作 な る ぺき 事 を
論 證 し たも の で あ る。 辨 々正 はま た そ れ に 一々駁 論 を 加 へた。 ただ 、 辨 正が秩 序 あ る議 論 文 の體 裁
で論 を 押 し進 め て ゐ る の に、 辨 々 正 が、 座 談 會 の形式 で駁 し て ゐ る點 に、 兩者 の相 違 があ る。 併 し
此 の兩 書 の論 を 一々比較 し て見 ると 面 白 い。 終 に ﹁此 ご ろま た 、 後 夜 の夢 と題 せ る、 妙 々奇 談 の後
篇 あ b 、尤 も前 者 の枝 葉 に て、 か の門 人 の手 に出 た る者 と見 ゆ。 論談 す べて允 當 にて、説 き得 た b
と い へど も云 々し と 見 え て ゐ る。 文政 己 丑 正 月 の蛇 足陳 入 識 と云 ふ跋 文 を 附 す。
四 、﹁黝飜妙 々奇 談 ﹂乾 坤 二册 と 題 す る書 を得 た。 ﹁丙 の春 新 版 ﹂と あ つ て、 天 保 七年 の出 版 であ ら う6
さ
り
き
(朝 倉 無 聲氏 の日 本 小詮 年 表 には 天 保 六年 の條 に出 す)。﹁江 北待 乳 山下 宿隱 居 歡 孝 誌﹂の序 文 に ﹁前
386
●
0
わこなは
に 流 行 る 丶妙 々奇 談 は 云 々﹂ と あ つ て 、・妙 々奇 談 に 傚 つ た 事 を 示 し て ゐ る 。 京 都 皐 月 庵 著 、 一升夢
中 盡 と あ る。 内 容 は 、
第 一章 日蓮 上 人宗 徒 を罵 る
第 二章
第 三 親鸞 上 人 禪 門を いま しむ
第四
再論
の 五章 に分 つて 、佛 敏 の各宗 に關 す る議 論 を な した も の、 別 に僭侶 の名 を あ げ て詈 つた や う な所 は
なぐ 、 漫 然 と 論 じ て ゐ て低 調 であ る。 二編を 出 す と あ る が、出 な か つた であ らう 。
五 、﹁役 者 教 訓 妙 々奇 談 ﹂三編 (三册 、 合 本 一册 )と云 ふ書 の初編 には﹁御屆 明 治 +四年 六 月 九日 ﹂と あ b、
三編 に は﹁御 屆 明 治 十 五年 三月 八日 ﹂と あ る。 泉 龍 亭 是 正著 、櫻 齋 房 種 盡 、栗 園 藏 梓、 編 輯 兼 出 版 人
羽 田 富 次 郎 と あ る。 各 編 と も彩 色 口繪 入 であ る。 初 に 目録 があ る。
一中村壽 三郎 市川左團次 が所業を旬 る
一三代目澤村田之助 同萬 之助を恨む 獅
翫 世 夾 學
國交藻襍説
一故人嵐璃鶴 元璃鶴市川權 十郎 が吝氣 を詈 る
一片岡仁 左衞 門長 子 片岡我童が色情 を止 る
一中村歌右衞門我身を悔み て 中村 芝翫F
へ手跡を勸 むる
一市村竹之亟長子 尾上菊 五郎市村座 の離散 を憤る
一中村嘉 六我 子 中村時藏 が身 の行 跡を論 す
一助高屋高助長子 今高助券懲 す
一一手 の崇り成佛して 岩井牛 四郎 へ長物語をす る
一七代 目壽海老人 九代目市川團十郎を読 く
本 文 の題 目 は此 の目録 と 違 ひ 、 順 序 も 違 つ てゐ る が、 兎 に角 これ だ け は 載 つて ゐ る。 當 時 の劇揚 の趨
勢 と か、 名 優 の氣 質 と かが 窺 は れ て面 白 いも ので あ る。 殊 に .
厂市 村竹 之 丞 長子 尾 上 菊 五 郎 市村 座 の離
散 を憤 る﹂
(本 文 で は初編 に、﹁橘 の香 に蹴 壓 さ る 丶菊 の花 ﹂と 題 し てあ る) の如 き は、 今 の市 村 座 と 菊
奈邊 にそ の影 響 が及 ん でゐ る
五郎 の現 状 を 思 ひ 合 せ ても興 味 が深 い。 六 代 目 に讀 ま せ てや b た い文 章 であ る。 さ て、 學 者 評 判 の書
は、.轉 じ てか う し た所 にま で 妙 々奇 談 の朋 を の ば させ てゐ る。 ま だく
か 、 私 の 知 ら な いも の が幾 ら も 存 し て ゐ る 事 で あ ら う ◎、
3gg
'
よb成
六 びつく
り
、明 治 + 六年 刊 、 才 子 必 讀 吃驚 草 紙 と 云 ふ書 があ る。 自 分 の得 た書 は 上篇 の み で、 卷 一卷 二
る。 東 京 渡 邊 文 京 校 閲 、南 海 島 崎 鴻 南 編纂 と あ る。 中 は兩 卷 合 せ て十 一條 よ b 成 つ て居 り 、 いは で
も の記 よ b 一條 、 妙 寿奇 談 よ あ 一條 、し b う言 よ り 三條 、才子 必 讀 妙 々奇 談 よ め 五條 を拔 いた も の、
挿 繪 は 新 に描 いて挿 入 し てゐ る が、 文章 は 原著 と大 方同 じ であ る。 序 文 によ れ ば 、編 者 は 數 卷 の書
を 購 入 し て、 そ の中 に、 これ ら 斥非 評 判 の書 あ る を見 、 興 昧 を 域 じ て、此 の書 を編纂 し た も ので あ
。
ると云 ふ。 妙 々奇 談 一類 の書 に興 眛を 戚 じ た も のは余 輩 の み でな く 、明 治 のそ の頃 にも 、早 く同 臭
の 徒 があ つた の で あ る。 ,
。.
二
同
三蒼 士
天保四年
同
.
中本二册
一
七 、朝 倉無 聲 氏 の日 本 小説 年 表 の滑 稽 本 の 項 には、 次 の數 種 の書 名 を 掲 げ てゐ る。
覊 妙毒 談
二
作
鑼 後の正夢
㌫烏驀 馬 同 三芝 居士 花笠丈 京の匿名 なり 。
蝶 鑛 返註録 一
某 書 肆 の目 録 にも
靉 返註録 鵬鏨 人 迸 世 文 學
{389
國 文 學 襍 説
鸚 閻魔杢 製 録 高瀬巳之士
、編 罌 +六年刊
四六判 一册
嘉
銑 三
・3go
妙 々戯談 南地亭 金樂編 天保 五年刊 中本 二册
造化妙 ん奇談 宮崎柳條 .
初編 明治+ 一年刊 二編明治十 二年刊 合本 一冊明治 二十年刊
等 の書 名 を見 紀 け れ ど 、何 れ も、 原 本 を未 だ見 な い。 さ ても 妙 々奇 談 物 の多 き 事 よ。 探 せ ばま だ 幾 ら
森
も出 て來 さう な 氣 がす るが 、私 は 妙 々奇 談 には少 し 疲 れて 來 た し、 食 傷 し た體 でも あ る。.
抄 舟奇 談 餘 言
森銑三は著作権保護期間中
森銑三は著作権保護期間中
︹
森銑三は著作権保護期間中
森銑三は著作権保護期間中
森銑三は著作権保護期間中
森銑三は著作権保護期間中
森銑三は著作権保護期間中
(
昭和六年 一月十八日)
﹁役者 必讀 妙 々痴 談 ﹂ 前編 上 下 中本 二册 は江 戸 三芝 居 士 校 、 玉 虹 老人 編 次 とあ り 。 天保 癸 巳中 呂 の闇 甞醉 子 の
〇五代目路考岩井傘 四郎 を嘲 る
○高清亭秀佳忰坂東 三津五郎 に教訓す
○瀬 川仙女岩井杜若を詰 る
役 者 し たり 作 者 し たり 、 ち やう ほ う な こ と で ご ざ る ﹂と 云 つ てゐ る圖 が あ
叙 、神 田村 主 東 人 の序 詞 あり 。 挿 繪 あ り 。 口繪 には 近松 門左 衞 門 が ﹁狂 言 作 者 金 澤龍 玉 と は中 村 歌 右 衞 門梅 玉
そ な た の 事 で ござ る の か。 ヤ レく
る 。 目 次 次 の如 し。
○向島 の隱居市川海老藏 を呵す '
○松緑惠林孫 の尾上松助を勵す
○牛 草庵樂禪中村芝翫を懲 す
瓩 世 文 學
轟
一397
森銑三は著作権保護期間中
國 文 學 襍 読
。三笑五馨 今の藝 、
を批評す 。鎌 嚶 衞門霧 礬 衞門鑾 が作名なる霪 壟
鋸
〇 四 代 目 納 子 澤 村納 升 が自 誇 を 止 む ○ 猩 々 一泉 が 一席 の狂 言 話 3
但 し 、前編 は 高清 亭 云 々の項 ま で で 、 五代 目 路 考 云 々以 下 は な い。 本 文 の終 に ﹁作 者 日 前編 の丁數 かぎ り あ れ
ば 牛 を 分 ち て梓 行 せり 。 後 編 の發 兌 近 き にあり 。 とも に合 し て見 た ま ふ べし ﹂ と あ り 、 後編 、績 編 刊 行 の廣 告
も あ るが 、 後 編 は 出 な か つた や う で あ る 。
﹁役 者妙 々後 夜 の夢 ﹂ 上 下 中 本 二册 は 江 戸 三芝 居 士編 次 . 兩 國 邊 人 の痴 譚 録 編 序 に は、 天 保 癸 巳 重 九 の年 月 を
○今白猿野暮を いふ向島 の隱 居に答 ふ
○坂東 秀調 亡父秀佳 が轂を守る
○岩井杜若仙女 が仙宮を羨む
見 る。 前 編 と同 一體 裁 で 、 目 次 は、
○尾上松助再び幽溟 の組松線 に會す
○中村芝戳樂善坊が敏論を感す
以
上
で
、
こ れ は前 編 に對 す る後 編 でな い事 は 、前 編 と 同 じ人 物 が出 て 、そ の後 日譚 と な つて ゐ る の でも 明 ら か
であ る。 叉績 篇 でも な い事 は 、前 篇 の終 に掲 げ た 後編 續篇 の廣 告 に ﹁名 題 の 立者 役 者 は更 なり 、 中 二階 三階 の
中 役者 女 形 に いた るま で、 皆悉 く其 人 の 事實 を 聞出 し た る風 諫 の 評判 な り ﹂ と あ る の にあ は な い のでも 明 ら か
で あ る。
b
﹁妙 々痴 談 返註 録 ﹂中 本 二 册 は 、烏 亭 主 人 著 、 五渡 亭 國 貞 靈 と あり 、 天 保 喝癸 巳 年 季秋 發販 之記 、 小善 齋 藏 と
わざ
あ る。 自 序 に ﹁今 天 保 四 巳 年薪 發 せ し役 者 必讀 妙 々痴 談 と 題 せ し文 は、 業 のよ し あ し を は ぶ き て、 た 却身 の ふ
をしあし
るま ひ の善悪 を な ど、室 ご と を ま じ へ非 を擧 し 集 冊 なり 。 そも 此道 に入 べき 者 の作 り出 せ る者 と も 覺 えす 云
〇 五代 目 路考 后 のま き にう ら み を か へす
○ 坂東 し う かち だ ん の教 訓 を あ ざけ る
○ 瀬 川 仙女 古 今 流 行 の いみ を 杜若 に か はり て の ぶる
云﹂ と あ る如 く 、 彼 書 に憤 慨 し て , そ の集 に入 つた 俳 優 逹 の勸 め るま ∼ に物 し た も ので あ る。 目 次 は 、
◎
○ 故 人 え ん馬 五 代 目白 猿 に か はり てち だ んを こ ら
す
とく
○松 緑 惠 林妙 々痴 談 に眞 意 を 解
でんとをわくる
○ 牛 草 庵 樂善 芝 翫 梅 玉 の傳 設 分
但 し 、終 の 二項 は 下 册 の最 後 に ﹁坂 東 秀 佳 五代 目 路考 の註 草稿 こと み\ く 出來 あ れ ど も 、 丁數 に限 あ れ ば引 つ
讐 き出 板 いた し候 。 御 求御 高 覽 可 被 下 候 。 板 元 欽 白 ﹂と あ る如 く ,邃 に刊 行 せ ら れ な か つ た らし い。 上 下と も
に、 國 貞 書 の彩色 招 の俳 優似 顏 畫 があ つ て美 し い。 妙 々痴 談 より はす つと 凝 つた 本 であ る。 殊 に芝 居 に かけ て
は 、花 笠 文 京 と烏 亭 焉馬 と では勝 負 にな ら な い。 到底 文 京 は焉 馬 に太 刀 打 の出來 る 筈 は な い。 勿 論 返註 録 の勝
に きま つ て ゐる。 と に かく こ れ ば 、學 者 では な いが 、 役 者の 方 面 から 見 ると さ る か ら に甚 だ 興 味 の深 い本 だ 。
明 治 に な つ て出 た ﹁役 者 教 訓妙 々奇 談 ﹂ は明 ら か にこ れ の模 傚 であ る。 (著者逍記)
翫 世 丈 篠
399
國 丈 學 襟 論
明 治 '初 期 文 學 噺 片
藝 術 的價 値 を 批 判す ると いふ のも 、 文學 研 究 の 一方 法 であ ら う が、 肚 會 現象 の事 實 と し て、 文學 界
の状 況 を 如實 に示 す事 も 、 ま た 文 學研 究 の重要 な る 一方 法 で あ る。 就 中 文 學 の史 的研 究 は前者 よ b も
寧 ろ後 者 に重 きを 置 かね ばな ら ぬ。然 る に從 來 の文學 史 の中 には 徒 ら に多 數 の説 に附 和 雷 同 す る の み
で、 正當 の價 値 を 認 識 せら れ な け れ ば な ら ぬも の が下 に埋 めら れ、 文 學瓧 會 の状 況 を 研究 す る に も .
因 習 的 な 觀 方 許 bを し てゐ て、 一向新 し い研 究 の な いも の があ る。 例 へば堤 中 納 言 物語 の如 き は、 從
來 無 覗 され た も の であ る が、 そ の源 氏 物語 と 並 ん で平 安 朝 物 語 中 の佳 篇 な る事 は、 今 日 定評 が あ る。
と りか へば や物 語 の如 き も從 來 漫 然 と 醜 惡 不 自 然 な小説 と し て 貶 さ れた が、 私 は そ の變 體 心 理的 な 不
自 然 な 所 に面 白 昧 を戚 ホ る。 濱 松 中 納 言 物 語 な ど よ b は 以 上 で、 寧 ろ狹 衣 と 同等 に評 價 せら れ る べき
も のか と 思 ふ。そ の 昧 は今 日 の谷 崎 潤 一郎 氏 のも の など に 一寸 似 通 つた 所 があ る。 此 の小 説 な ど はも
●
40σ
つと 觀 方を か へて觀 照 せら る べき も のだ 。 さ て、 近 時 明 治 文 學 の研 究 が 勃興 し た のは甚 だ結 構 な事 で
あ る が、 こ の明 治 文學 の研 究 と い ふ のも、 所 謂 政 治 小 論 や飜 譯 文學 か ら始 ま つ て 。紅 露 二家 に及 ぷと
い ふの が お定 り の論 じ 方 で、 明 治 の初 年 か ら 二十 年 頃 ま で の、 眞 の民 衆 的 な 文 學 の調 査 を し て當 代 文
學 の眞 相 を 示し 紀 も の は な い。 た ま に假 名 垣 魯 文等 が、十 把 一か ら げ に取 b扱 はれ てゐ るだ け で あ る。
これ で明 治 文 學 の浩 革 が闡 明 せ ら れ た と 思 ふ の は大 問 違 で あ る。 所 謂赤 本 、民 衆 的 な娯 樂 小説 が明 治
二十 年 頃 ま で、 飜 譯 小詮 と共 に 一大 勢 力 を占 め てゐ た 事 を 思 へば、 こ の方 面 の事 も研 究 す る必 要 が あ
ら う。 明 治 文 學 史家 にし て こ の赤 本 小 説 の研 究 を逸 す る者 は、 明 治 初 期 文學 の牛 ぱ を失 つた 事 にな る
の であ る。 而 し て こ の赤 本 小 説 の略 浩 革 に關 し て は 、早 稻 田 文學 、明 治 文學 號 混沌 期 の研 究 の 中 に、
三田 村 鳶 魚氏 が、﹁明 治 時 代 合 卷 物 の 外觀 ﹂と題 し て載 せ ら れ たも の が、 最 近 に おけ る唯 一の文 献 であ
ら う。 三 田村 氏 は これ を 江 戸 式 合 卷 と 東 京式 合 卷 と に分 た れ、 前 者 は明 治 十 五 年 ま で 、後者 は十 六 年
以後 大 い に行 は れた と 言 は れた 。 こ れ は甚 だ 當 を得 た 分 け 方 で あ る。 か の毎 頁 繪 入 の木 版 刷 の江戸 式
合 卷 が變 じ て、
表 紙 の色 刷 に江 戸 式 合卷 の面 影 を 殘 し てゐ るけ れ ど も 、中 は活 版 式 印刷 の東 京式 合 卷 と
な つた の は、ま さ にそ の頃 で あ つて 、
巷 間 の時 事 新 聞 の 三面 種 式 の事件 を 取 b扱 つ て 一篇 の俗 惡 な 小説
を組 み立 てた Q し かし そ の表 題 は江 戸 式 合 卷 と 變 ら す に、 七字 ま た は 五字 の歌 舞 伎 式 外 題 を つけ て、
瓩 世 丈 學
聊
U
國 丈 學 襍 誕
地 本 問 屋(此 の當 時 には 地本 同 盟 組 合 と言 つた)か ら 巷 問 に賣 り さ ば いた の であ る。 さ て、 こ の東 京 式
合 卷 の作 者 の優 な るも の に、伊 東 橋 塘 があ る。 近 刊 の石 井 研 堂 氏著 ﹁増 補 明 治 事 物起 源﹂ の最 後 の番
付 の中 に、 明 治 + 八年 十 二月 の﹁親釜 集 ﹂第 二十 七 號 よb 拔 載 し た高 名見 立 三幅 對 が載 つてゐ る。 そ の
中 に小説 家 と し て 、服 部 誠 一.
假 名 垣 魯 文 ・伊東 橋 塘 の 三入 があげ ら れた 。 ﹁二 + 三年 國 會未 來 記 ﹂の著
者 、︻
第 二+ 世紀 ﹂の譯 者 、 雜 誌 ﹁東 京 新誌 ﹂の發 刊者 と し て、當 時 の文 界 に活躍 し た服部 誠 一、 明 治 文
學 を 口 にす る者 は誰 でも 知 つて ゐ る假 名 垣魯 文 、 そ れ と 並 び稱 せら れ た 伊 東 橋 塘 が、今 全 ぐ名 前 を忘
れら れ た の は何 故 か、 其 は彼 が赤 本作 者 で あ つた から で あ る。 私 は彼 の詳 し い傳 記 を知 ら ぬ。 未 だそ
の頃 の古 老 で殘 つてゐ る入 が多 いか ら、 聞 き た ゴ せ ぱ分 る事 で あら う 。 た ゴ彼 の本 名 が伊 東 專 三 であ
る事 、 安政 元年 の生 れな る事 、 明 治 十年 頃 に、 假 名垣 魯 文 の起 し た 假 名 讀 新 聞 の肚 員 で あ b、 後 、 有
喜 世 新聞 の幹 部 と な り 、明 治 十 六年 、 有喜 世新 聞 の禁 止 せら れ るや 、 爾 來 赤 本作 者 とし て筆 を 振 ひ 、
當 時 小詮 界 三傑 の 一人 と 言 は れ た 事 、 ま た日 本 橋 の石 町 河 岸 に住 ん でゐ た 事 、 こ れ だけ であ つ て・明
治 二十 年 以後 、 所 謂東 京 式 合 卷 の衰 滅 し て後 の彼 の潰 息 は 、自 分 は未 だ 詳 にし て ゐ な い。 た ゴ彼 が明
治 十 六年 以後 の東 京 式 合 卷 全 盛 時 代 に活躍 し た 入 で あ る事 が明 ら か と な れ ば結 構 であ る。 彼 の著作 に
は 、﹁水 錦 隅 田 曙﹂・﹁綾 重 衣紋 廼春 秋 ﹂・﹁懃 騰 曹 助 の復 讐 ﹂・﹁月 雲 雁玉 章 ﹂ (十 二年 - +四年 )●・
引眉
402
G
σ
毛 權妻 於 辰 L。﹁島 鵆 沖 自浪 巳。冖
,
新 論 曉天 星 五 郎﹂・﹁色濃 緑 笠 松 ﹂・{
、女天 一花園 於蝶 ﹂・﹁滑 稽 笑 談 清 佛
膝 栗 毛﹂。
﹁鳴 渡 雷 於 新 ﹂。﹁小狐 禮 三情 掛 罠 ﹂・
﹁花 春 時相 政 ﹂・﹁正札 附 辨 天 小僧 ﹂・﹁開 明奇 談 寫眞麺 仇 討 ﹂
(十 六 年ー 十 八 年)。
﹁雲 切 五 入 男﹂(二十年 )等 があ り 、 そ の披 閲 を 仰 いで作 ら れ た も の に、 ﹁名 吉原 娼妓
仇 討﹂.
﹁日 本橋 淨 名 歌 妓﹂。
﹁明 治 小僭 噂高 松﹂ 等 が あ る。 山 田春 塘 など と いふ門 下生 も あ つた c 三田 村
氏 も、 江 戸 式 合 卷 の作 者 の中 に、 假 名垣 魯 文、 花 笠 文 京 等 と 共 に、 伊 東 專 三 の名 を あげ て居 ら れ る 、
石井 氏 の明 治 事 物起 源 、 新聞 紙 の項 中 に、 明 治 十 年 四 月 刊 の皇 國 名 譽 人 名録 よ り引 いて各 新 聞肚 の重
な る肚 員 の名 を あげ た 中 に、 假 名讀 新聞 には假 名 垣 魯 文 ・伊 東 專 三・久 保 田彦 作 の 三入 の名 を 見 る事 が
出 來 る。 か や ・
うにし て彼 が操 觚者 と し て活躍 す ると 共 に 、合 卷 作 者 とし て も活 躍 し た入 であ る事 が明
ら か であ る。明 治初 期 文學 を 云 々す るも のは 、そ のや う な 方 面 にも多 少 言 及 す る事 が必 要 であ ら うと 思
ふ。勿 論 伊東 橋 塘 をす ぐれ た作 者 と云 ふ ので は な い。 そ の作 物 は 俗悪 、衆 に媚 び て見 る に耐 へぬも のも
あ る。 併 し當 時 の世 間 にも て はや され 、讀 者 か ら認 めら れ 、 世 人 に喝 釆 せ られ た と い ふ事實 だ け は逸
せ ら れ ぬ。 而 し て こ の事 實 を 文 學 史 に述 べ るの に何 の 不都 合 があ らう 。 寧 ろそ れ を認 め ぬも の が・ 固
陋 な る研 究 者 と い ふ べき で あ る。 ま し て 、 そ の作 品 は政 治 小 説 と 同樣 に當 時 の風 俗資 料 と し て、流 行
物を 見 る上 に、 種 々蔘 考 にな る 所 が あ る。 若 し そ れ 文 學 的 價 値 か ら言 へば、 俗 衆 に迎 合 し 、 自 ら楡 快
迸 世 文 學
亀
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﹁
{
圃 文 學 礫 読
を 遣 るの 態度 を 以 つて創 作 す る所 は 、政 治 小説 と 態 度 を同 じ う し てゐ る 。 大 し てそ の價 値 に軒 致 が あ
ら う と も 思 はれ ぬ。 た だ 政 治 小諡類 が當 時 の青 年 逹 にも て はや され て 、稍 硬 派 がか つた も の で あ る に
對 し、 赤 本 小 詮 は 、花 柳 肚 會 ・通 入 仲 間 に讀 ま れ た ので 軟 振 的 で あ る。 丁度 今 日 の雜 誌 で 、 キ ング と
文 藝 倶 樂 部 と の差 の 如 き で、 俗衆 向 の點 にお い ては 同 一だ 、政 治 小説 の みを あげ て、 これら の赤 本 小
詮 を 無 親 す る理 由 が分 ら ぬ 。術 明 治 初 期 文 學 の中 に は、實 録 小詮 と稱 す べき 一團 の本 があ つて甚'
だ行
は れ た。 表 紙 は石 版 厚紙 脊 ク ロー ス の飜 譯 小説 に似 た 體 裁 、 な か は石 山軍 記 や楠 三代 記 の如 き徳 川 時
面 臼 い本 であ る。 これ ら
代 以 來 の實 録 物、 新 し い所 で は西 衛 戰爭 に取材 し た明 治 太平 記 の如 き も のも 出 た 、此 の本 は體 裁 は普
逋 の實 録 物と 異 な る が、な か の文 章 叙 事 挿繪 等 は全 く そ れ と同 樣 で 、
な かー
のも のも 、文 學 史家 は 無 親 し て ゐ る。 錦 繪 表 紙 活 版 式 印 刷 の東 京 式 合卷 が江 戸式 合 卷 の變 形な ら ば、石
版 厚 紙 表 紙 の政 治 小詮 に外 形 を似 せ た實 録 物 は、 内 容 の方 か ら 云 へば讀 本 の變 形 であ つ て、 三田 村 氏
の言 葉 を 眞 似 れ ば 、 江戸 式 讀 本 か ら東 京 式 讀 本 に變 化 し た も の と も言 は れ る。 そ の行 はれた 年 代 も 、
明 治 十 年 代 の後 半 が最 剃盛 ん で明 治 二十 年 代 に入 る と衰 へた 。 丁度 東 京 式 合 卷 の行 はれた 時 代 と終 始
し て ゐ る。 而 し て東京 式 合 眷 が外 形 タ殘 し て内 癖 形式 を 變 化 さ せた も のと 言 へば .東 京 式 讀 本 は 外 形
を 政 治 小 説 に眞似 て 、内 容 形式 に讀 本 の形 を殘 し てゐ ると も言 へよ う。 そ の他 、明 治 の和 歌 に關 し て
404
﹂
も、 從 來 の明 治 文 學 研究 家 は 、落 合直 文 以後 の新 涙 和歌 は論 く が、 そ れ 以前 、高 崎 正風 や黒 田 清綱 そ
の他 國 學 者 を 圭 とす る舊 振 歌 人 の和 歌 、 海 上胤 平 の奮 涙 大家 の攻 撃 、 國 學 和 歌改 良 問 題 に關 す る論議
等 は、 明 治 初 期 文 學 の和 歌 を調 査 す る際 に逸 せ ら れ ぬも の で あ る に關 ぱら す 、 世 の明 治 文 學 を 研究 す
るも の は、 全 く こ の問 題 に觸 れ ぬ。明 治初 期 文學 の研 究 には も つと 覦 野 を 贋 く し て、 新 し い文 學 許 り
で は なく し て、 傳 統 的 な文 學 では あ る が、 世 に實 際 に行 は れた 、 こ れ ら諸 種 の文 學 に つ いて 衣調 査 す
べき で あら う 。兎 に角 、 あ る がま \の文 學界 の状 態 を 檢 る事 が、 何 よ b 剃大 切 で 、先 入觀 念 や因 習 的
た考 へ方 は 、 文學 研 究 に は甚 だ 禁 物 であ る。 (
昭和二年三月)
附 記 伊 東 專 三 の傳 記 に つ いて は 、野 崎 左 文 氏 ゐ﹁私 の見 た 明 治文 壇 ﹂(昭 和 二年 刊 )に次 の如 く 記 さ 熱 て ゐる 。
ヰうとう たいもん ろ をう
伊 藤 專 三氏 橋 塘 と 號 す 、 初 め魯 文 の門 に 入 り 後 ち 退 門 し て魯 翁 と紛 爭 を 生 じた 事 も あり 、 伊 豆 の伊東
氏 の末 裔 だ と 自 ら 稱 し て 屠 た が 、 元 は 淺 草 の菓 子舖 船 橋 屋 の主 人 で 、 橋 塘 と號 した のは 書 を 島 春 塘 に學
んだ 故 であ る。 明 治 の初 めは 大藏 省 の 小 吏 で あつ た が 之を 辭 し て假 名 讀 、次 で有 喜 世 新 聞 の記 者 と なり
辛 辣 な筆 を 揮 つ て暦 た 、 氏 は 固 より 悪 人 で は な いが 筆 舌 とも に兎 角 毒 氣 を 含 み人 を 詈 る 癖 が あ つた ので
敵 多 く し て味 方 少 く 、右 喜 世 を 辭 し てか ら は荒 川 高 俊 氏 と共 に タ イ ム ス新 聞 と いふ のを 發 行 し て居 た が 、
05
い つ の聞 に か新 聞 祗 愈 か ら 姿 を 沒 し共 の淌 息 を 絶 つに至 つた 、數 年 の後 私 が橘 町 の住宅 を 訪 う た 頃 は巾 4
近 世 丈 學
國
國 文 學 襍 論
山 法 華 經 寺 の信 者 と なり 、 二階 に壇 を設 け て加 持 所蒋 を 修 し て居 た やう に記 憶 す る .殿年 月 は大 正 三年 06
4
十 月 で享 年 六 十 四 歳 で あ つた 。
右 の文 章 によ つ て、 本 文 の中 に安 政 元 年 の生 と 記 した の は誤 で嘉 永四 年 の生 で あ る 事を 知 つた 。 叉 タ イ
ム ス新 聞 は 明 治十 八 年 に刊 行 せ ら れ 、 二十數 號 を 出 し て廢 刊 し た新 聞 であ る。 な ほ 、 舊 版 日本 交 學 講 座 第
十卷 石 川静 玉 ¢ }寫 實 主 義 以 前 の小 説 ﹂ 及 び 同 氏 の ﹁明 治初 期 戯 作 年 表﹂ 齋藤 昌 三 氏 の ﹁現 代 日本 文學 大
學
畠 ,
襍
説 終
年 表 ﹂(現 代日 本 文 學 全 集 ) を參 照 。
文
昭 和 七 年 一月 十 五 日 印 刷
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嬬轡
昭 和 七 年 一月 二 十 日 發 行
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著 作 者
田
徳
太
郎
定價 金參圓 五拾錢
國 丈 學 襍 説
藤
太
郎 、
東 京 市 紳 田 區 多 町 二 丁 ロ 一五
東京市紳田區今川小路 一ノ 凶
東京市紳田區多町二丁目 一五
佐
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發 行 者
山 縣 精 一
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印 刷 者
發 行
振替 .東京 七八八四八番
六 文 館
本製 刷印計會 式株刷 印本製縣 山
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第一
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第二 卷
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第三 卷
第四卷
第五 卷
第六 卷
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全 六 卷
原色 版 ロ繪 二葉 ・冩眞 麗色 版 口繪 二葉
藤 澤 衞 彦 著
定 儷金貳 圓五†錢 (
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四 六判 總 ル ビ付 ・ク ロー ス 特 裝 函 入
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平將門
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本 丈 三 五 四頁
挿圖六六箇
本 文 三 八 三頁
挿圖七
五箇
本 文 四 二 〇頁
挿圏八○箇
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本 文 三 八六頁
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道 成 寺 滞 姫 譚・ 蛇 性 考・ 雷の 臍 取 譚・ 菅 公 怨 爾 考・ 不 死 鳥 談 叢・ 穴 無
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本 文 四 二 五頁
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闥 本 傳 説 研 究
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安 藤 正 次 著
菊 判 四 三 〇頁
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六 文 館 發 行 圖 書 目 録 撚亠
鷺獅夥耀 齬 缸
語 學 逋 考
菊 判 三 二 四頁
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丈學博 士 r 菊 判 四 三 二頁
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學 發
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四 六 鋼 三 一八 頁
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入枚頁
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國
全 六卷
四 六 判各 四 百頁
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本 傳 説 研 究
藤 澤 衞 彦著
日
菊 判 四 〇 〇頁
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大熊 信 行著
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濟 學
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經
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