倉 浩 信 まず 教 巻 の引 文 を示 せば 次 の通 り であ る( 。1) に関 す る対 外 的 な 要 因 に つ い て考 察 を す る も の であ る。 文 から 、 特 に ﹁教 巻 ﹂ ﹁行 巻 を 中 心 に ﹃教 行 信 証 ﹄ 撰 述 意 図 隅 ﹃教 行 信 証 ﹄ に お け る ﹃ 述 文 賛 ﹄ の引 用 に つ い て 親鸞 は ﹃顕 浄 土 真実 教 行 証 文類 ﹄ 六巻 ( 以下 ﹃教行信証﹄と 略す) に お い て憬 興 の ﹃無 量 寿 経連 義 述 文賛 ﹄ 三巻 ( 以下 ﹃述 文賛﹄ と略す)を ﹁教 巻 ﹂ ﹁行 巻﹂ ﹁真 仏 土 巻 ﹂ ﹁化 身 土 巻 ﹂ に 今 日世雄 住仏 所住 今 日世尊住奇特法 仏住四智 独秀無等故 五眼名導 師行導衆 生無 過上故 住普等 三昧能制衆魔雄健天故 依神通輪所現之相 非 唯異 常亦無等 者 故 憬興師 (述文賛 巻中) 云。 ﹁教 巻 ﹂ に お い ては 釈 尊 の 一代 の説 法 は ﹃大 経﹄ に あ る こ 今 日世眼 住導師 行 わ た って引 用 し て いる 。 と のそ の証 文 であ る 五 徳 瑞 現 の文 を 、 ﹁行 巻 ﹂ にお い て は、 今 日世英住最勝道 即第 一義 天 の大 利 の徳 を 現 し、 ﹁真 仏 土 巻 ﹂ に お い て は 十 二光 を解 し、 即奇特之法 慧 見無碍、述最勝之道無能遇 善 導 の文 に次 ぐ 法 照 の ﹃浄 土 五会 法 事 讃 ﹄ を助 成 し て、 念 仏 阿難當知如来正覚 今 日天尊 行如来徳 以仏性不空義故 ﹁化 身 土 巻 ﹂ に お い ては 要 門 釈 に お い て胎 化 の得 失 を 顕 ら か に ﹁文 類 ﹂ 形 式 で構 成 さ れ てお り 、 七 高 僧 を は じ め 、 多 く の る 。 ﹁教 巻﹂ の主 題 は 、 真実 の 教 が ﹃大 無 量 寿 経 ﹄ であ る こ こ の憬 興 の文 は釈 尊 の五 徳 瑞 現 の相 が 示 さ れ た も の で あ 絶、即如来之徳 に し て いる 。 聖 道 諸 師 や儒 学 者 の書 物 を も 引 用 す る こと によ って 、 そ の真 と を示 す こと にあ る。 そ の中 で の ﹃述 文 賛 ﹄ の位 置 付 け は、 ﹃教 行 信 証 ﹄ は ﹃顕 浄 土 真 実 教 行 証 文 類 ﹄ と いわ れ る よ う 実 性 を論 証 す る も ので あ り 、 そ の撰 述 の意 図 に は 対 外 的 な 側 引 かれ た文 と し て の役 割 をも って いる 。 ﹃大 無 量 寿 経﹄ が 出 世 本 懐 の経 であ る こと を 証 明 す る た め に こ こ で は 、 ﹃教 行 信 証 ﹄ に お け る 憬 興 の ﹃述 文 賛 ﹄ の所 引 平成七年三月 二九 面 が あ った と 思 わ れ る 。 印度學佛教 學研究 第四十三巻第二号 -553- ﹃教 行 信 証 ﹄ に おけ る ﹃述 文 賛 ﹄ の引 用 に つ いて (隅 倉 ) ﹁教 巻 ﹂ の文 脈 上 で疑 問 にな る こ と は 、 釈 尊 の出 世 本 懐 の 経 が ﹃大 経 ﹄ で あ る と いう こ と を証 明 す る の に、 釈 尊 の五 徳 瑞 見 の相 と いう 我 々の恣 意 性 の入 り 込 む 余 地 のな いよ う な 事 三〇 荘厳威徳廣大清浄仏土。 已上 無量寿如来会云。廣発如是大弘誓願、皆 已成就世間希有。発是 願 已、如実安住種種功徳具足 て いる が 、 こ の ﹁教 巻 ﹂ で の憬 興 の名 を 伴 った ﹃述 文 賛 ﹄ の 教 界 を 対 象 と し て書 か れ たも の であ る と いう こと が 指 摘 さ れ を 得 な い。 従 来 から ﹃教 行 信 証 ﹄ が 対 外 的 には 南 都 北 嶺 の仏 る 。 そ こ に は何 ら か の思 想 的 状 況 が 介 在 し て いた と 思 わ ざ る え 出 し て いな い の に、 あ え て憬 興 の名 を 出 し て い る の で あ な る べき 書 物 を出 す の は当 然 かも し れ な いが 、 親鸞 は 自 釈 さ て い ると いう こ と であ る。 そ れ は ﹁文 類 ﹂ の性 格 上 、 権 威 と さ れ た こと を 示 し 、衆 生 は これ を 信 受 し て浄 土 に 往 生 す べき 量 寿 経 宗 要﹄ の科 文 を 合糅 し た と いわ れ る 正 宗 分 の 分 科 ( 第(一 )文) によ り ﹃大 経 ﹄ の大 綱 を 示 し 、名 号 が衆 生 の為 に 成 就 経義 疏﹄ ・嘉 浄 大 師 吉 蔵 の ﹃無 量 寿 経 義 疏 ﹄・元 暁 の ﹃両 巻無 文 は 十 文 に も渡 って 引 用さ れ てあ り 、浄 影寺 慧 遠 の ﹃無 量寿 さ に ﹁文類 ﹂ と いう 性 格 を反 映 す る 所 であ る 。 そ の中 憬 興 の く の諸 師が 念 仏 を讃 嘆 し た大 行 釈 の 一連 の文 の中 にあ り、 ま これ ら の ﹁行 巻﹂ に おけ る憬 興 の引 文 は 、 法 照 を は じ め多 (九)又 (述文賛巻下) 云。既言於此 土修菩薩行 即知、無課王在於此 方 。宝海亦 然。 引 文 は 、 そ のよ う な 観 点 か ら 考 え る と 筋 が 通 る ので は な いか 柄 で示 さ れ て い る所 に、 ﹁憬 興 師 云 く﹂ と平 然 と名 を つ ら ね と思われる。 ら に翌 年 の ﹃擢 邪 輪 荘 厳 記﹄ に至 ると 阿 弥 陀 仏 は釈 迦 仏 の分 って菩 提 心 を発 し た の であ ると し て、 釈 迦 の優 位 を唱 え 、 さ の本 生 説 話 を引 き 、 阿 弥 陀 仏 はそ の因位 で は釈 迦 の勧 め に よ あ る( 。3 明) 恵 は建 暦 二年 (一二 一二) の ﹃擢 邪 輪﹄ (4 に)﹃悲 華 経 ﹄ 基 づ く 釈 迦 中 心信 仰 が 介 在 し て い た かも しれ な いと の指摘 が と こ ろ で、 そ の引 用 の背 景 には 貞 慶 ・明 恵 等 の ﹃悲 華 経 ﹄ に し てあ る が 、 親糅 は こ の指 示 に従 って、 該 当 す る文 を 引 く 。 授記悲華経﹂ ( 大正蔵三十七巻 ・一四八頁)と い って、 釈 文 を 略 こと が 説 か れ て いる 。 こ こ で 注 目 す べき 文 は 、 第 ) (文 二 の ﹃悲 華 経 ﹄ の文 であ る 。 こ の文 は ﹃述 文 賛﹄ 本 文 には ﹁不 違 観 音 次 に ﹁行 巻﹂ の主 な 引 文 を 示 せば 次 の通 り で あ る( 。(2 一) )憬興師 (述文賛 中) 云。如 来廣説有二。始廣説如来浄土果、即 所行 所成 也。後 広顕衆生往生因果即所摂所益也。 (又 ) 二( 述文賛 巻中)云。悲華経諸菩薩本授 記品 云。爾時宝蔵如来、 讃転輪 王言。善 哉善哉。乃至大王、沖見西方過百千万億仏 土有 世界 、名尊善無垢。彼界有仏名尊音王如来。乃至今現在為 諸菩薩 人及其名字。彼仏世 界所有功徳、清浄荘悉如大王所願無異。悉 説於正法 。乃至純 一大乗清浄無雑、其中衆生等 一化生、亦無女 如大 王所願 無異。 乃至今 改字 為無量清浄。 -554- 身 であ ( る 5と )ま で 主張 し て いる ・ そ の よ う に 明 恵 に は ﹃悲 華 経 ﹄ に基 づ く 釈 迦 中 心信 仰 と でも いう べき も のが あ り、 そ の 立 場 か ら す れ ば 、 阿 弥 陀 仏 は浄 土 成 仏 を願 った娑 婆 に機 縁 の 浅 い仏 で し かな か った の であ る 。親鸞 の ﹃悲 華 経 ﹄ の受 容 は こ う し た 明 恵 等 の ﹃悲 華 経 ﹄ 理 解 を 意 識 し た上 の こ と であ っ た と 思 わ れ る 。 そ の こと は親鸞 が 敢 え て ﹃悲 華経 ﹄ の原 典 か ら 引 用 し て、 そ の関 心が 無諍 念 王 の本 願 文だ け で なく 、 そ の 本 生 話 にま で 及び 、 阿 弥 陀 仏 の機 縁 の浅 深 に触 れ て いる こ と によ って知 る こ とが でき る 。 ま た第(九 文)で は 阿弥 陀仏 も 釈迦 仏 も そ の因 位 であ る無諍 念 王 の時 に は こ の娑 婆 世 界 で 修行 し た と 説 い て い る 。す な わ ち 、 阿弥 陀 仏 も娑 婆 で菩 薩 の行 を つ と め た の であ る か ら、 そ の浄 土 は娑 婆 の衆 生 に 因縁 の深 いも の であ る こ と を明 かそ う と し た のであ る 。 これ ら の思 想的 状 況 は 、﹃述 文賛 ﹄ の 指 示 に 従 って阿弥 陀 仏 に対 し批 判 的 な 立 場 を も つ ﹃悲華 経 ﹄ の文 を 適 録 し て、 今 度 は 逆 に念 仏 の讃 嘆 の証 文 と し た 親鸞 の論 法 の背 景 と な って い る よ う に も 思 わ れ る 。 又 、 憬 興 の説 は ﹃ 擢 邪論荘厳記﹄ の 末 法 の年 次 計 算 や そ の有 様 を示 し た部 分 に も 引 用 さ れ て あ り( 6)、 そ の こと は ・ 親鸞 が ﹁教 巻 ﹂ で憬 興 の ﹃述 文 賛 ﹄ に よ っ 倉 ) 三 て ﹃大 無 量 寿 経 ﹄ が 真 実 の経 であ る こ と を傍 証 し た 親鸞 の態 度 と 何 ら か の関 係 が あ る ので は な い か と思 われ る 。 ﹃教 行 信 証 ﹄ に お け る ﹃述 文 賛 ﹄ の 引 用 に つ いて ( 隅 ﹃印 度 学 仏 教 学 研 究 ﹄ 第 一号 1 真 宗 聖 教 全 書 二 巻 ・四頁 。 2 真 宗 聖 教 全 書 二 巻 ・二 六∼ 七。 3 ﹁親鸞 と悲 華 経 ﹂ 菅 野隆 一氏 昭 和 六 十 二年 十 二 月 。 4 浄 土 宗 全 書 八 ノ 六 八 五 ・七 二〇 。 5 同 八 ノ八 〇 一。 6 浄 土 宗 全 書 八 巻 ・ 一 一二頁 。 (龍谷 大 学 大 学 院) ︿キ ー ワ ード﹀ ﹃ 教 行 信 証﹄ 撰 述、 憬 興、 ﹃ 無 量 寿 経連 義 述文 賛 ﹄ 新刊紹介 末木文美士著 平 安 初 期 仏 教 思 想 の研 究 菊判 ・八六四頁 ・定価三六、〇五〇円 春秋社 ・平成七年二月 一 -555-
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